“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話

太陽凝視を一生涯の“行”とし(現在、44年目)、実践し、その上で獲得した認識を述べています。

“ローム太霊講話集”第二十五話 仙道の実例 一心霊神 Kellyさん的解釈


 さて、第二十五話では、ここまでの“仙道”と“天狗道”の話で太霊が述べられたこと、それを具体的に実際の事象に当てはめて話されていらっしゃる。

  それは、S会=紫光会のローム霊訓講話に出席した人間、あるいはローム太霊講話集を読んだ人間に対し、ここまで話された“仙道”と“天狗道”のこと、そこにおける人間の在り方、そして“真の人間”、これをしっかり考え、自分たちなりに検証し、その上で自分の在り方、生き方の指針とせよ、それを悟らせるため実例を述べるのだ、ということである。

 まず“近藤喜三郎”の霊的成長度を示唆する説明、

実家は材木屋で育ちは悪くなかったが信仰は何もなく、ただ山から沢山の材木を伐り出して売捌き、儲けたいの一心で凝り固まって

この“実家は…中略…育ちは悪くなかったが信仰は何もなく”、そして“儲けたいの一心”、これは第二十一話の、

ある神はある霊を人間界に送り出して、物質欲を満喫させる修行によって新しい霊にすることもある

これに相当するものであり、この“物質欲を満喫させる修行”は、霊的成長度の低い段階の行であると言え、単にそれは自分が金持ちをめざし金持ちになり本能由来(目下(めした)(動物の心(靈)の段階)の心(靈))の欲望を満たしたいがために“力”(力、知恵、知識…学問…能力、そして霊能力を含む)を求めそのために頑張る、それは“上”から観たら(通貨としての)金の奴隷であり、“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”である。
 そしてこの霊的成長度の人間が“信仰は何もなく”であったなら、その行いには、欺くとか騙すとか嘘をつくとか奪うとか、が台頭しているものでもあるからこそ、恨みを買い、恨みの連鎖の霊的干渉の現象化としての因縁を背負う。

 それだからこそその因縁により

彼は山を買う度に見込みが外れ…中略…損を重ねていった
毎年毎年損を続けているうちに、終(つい)にその山も土地も家も全部人手に渡ってしまったが、まだ住む所がないという程ではなく借金をして頑張っていた

ということになる。

 しかしそこに

彼は欲張りには違いなかったが、一つの大変よい道楽を…中略…自分の周囲には貧乏人が多かったので、その人達を助けてやるのを何よりの楽しみと…以下略…

と述べられており、それは、恨みの連鎖の霊的干渉の結果としての因縁、これについて太霊が説明された第二十四話の“起こるべき大難”“起こる筈の災難”、それは各々の人間の一生のうちに“起こるべき”“起こる筈”であるということを知っておかねばならないし、これが現象化してしまっていることを述べられている。

 しかし“近藤喜三郎”は“その人達を助けてやるのを何よりの楽しみ”としていた。
これは同じく第二十四話の “大難が小難となり小難が無難となる”、
この要因として、

本人としてはそうした殊勝な心ばかりではなく、金を儲けて贅沢をしたいという気持も多分にあったのであるが、やはり今日まで行なってきた困った者を助けてやるということが一心霊神に通じた

のであるし、“大難が小難となり小難が無難となる”とするには、自分が“真の人間”になるべく生き方をしている、それは第二十話

為すべき善行のたとい小さいことでも日々に積み重ねて真の力を貯えてゆく

これをしていなければ“上”はその人間を擁護しないのだということを読み取るべき。

 そして結果として“近藤喜三郎”は“一心霊神”の“物理現象”を体験して
なるほど神様はやっぱりあるんだなと感心
これによって“近藤喜三郎”は“実家は…中略…信仰は何もなく”という状況からステップアップして=多少の霊的成長をして、人間と神の関係を考えるようになるものである。

 前後するが“近藤喜三郎”は“その人達を助けてやるのを何よりの楽しみ”としていた、それが“今日まで行なってきた困った者を助けてやるということが一心霊神に通じた”のであり、それは、後半で述べておられる

陰徳を積んだりする人間

これに相当し、これは第二十四話

人間が陰徳を積んで一歩一歩神の道に近付いてゆくのと同じ

これと併せて鑑みるべきである。

 そして、

仙道の人達は、…中略…こういう物理現象により現界や幽界のものを自由に持って来てその何十倍かの福を授けて下さる

これに当たる資質として

自分がけちけちして溜めたものを善意の目的のために使ったり、人に知られずにこつこつと陰徳を積んだりする人間

当然のことながらこれ自体が“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”からの脱却の過程であり、さらに自分の在り方として

人間にしても常に人の嫌(いや)がる汚ないもの汚ないものと平気で取り扱えるようになってこそ立派な者

これはこの事象への奉仕、という要素の文言をさらっと述べておられる

(この事象が“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)により想像されているので腐りきっていることは幾度となく述べてきている)

が、大概の人間は“人の嫌(いや)がる汚ないもの”これを“平気で取り扱える”のではなく、自分たちの体裁や利益しか考えていないからこれを避ける。
当然のことながらそれでは“上”が認める“立派な者”ではないのだということを読み取るべきである。

 次回のこのカテゴリーでは、第二十六話 仙道と人間の生活 これの解釈に入ることを告知して、今回はこれくらいにしときまんねん。



“ローム太霊講話集”第二十四話 海仙と岳仙 Kellyさん的解釈 二十四話の総括



 ここまでの解釈を詳細に読んでいただいた方は気づいているだろうが、太霊が伝えたいことは二十四話の最後の文言

この話の中から汲み取って、自分のものとしていくように心掛けてもらいたい

この、何を” 汲み取って”については

現に持っている自分の生命と宿命の力を完全に発揮する

であり、そのために

岳仙や海仙の道に近付きその術と法とを十分に活用

であるし、そのために

仙道や天狗道の神に近い波動を受け入れる

これをしていけ、同時にこれは“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)との感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)であるが、そのために

掟を定め放縦の上に制限を加え

自分の智性(神性)で、智性以下の心(靈)の動きを見張り、自分の在り方を鑑みるべき、そして“掟を定め放縦の上に制限”ということを、まず、自分に課していかねば“法(のり)”、これは“力”の使い方や法則性だけではなく、自分の存在の意味と意義、神格化のための存在の在り方、そのために何を為すべきか、霊的成長のための肉体と心(靈)の法則性、などを鑑みる規範となるものと解釈しており、進化の絶対の法則性、その認識の獲得、これが“法(のり)”であるが、その獲得の方向性すら見いだせず、“その二”で取りあげた“術が真の法(のり)の域に達する”などということには到底至らない。

 またそれは

自由と放縦の凡ての力を授けられた人間は、叡智をもってこれを抑制する

“その四”で解釈したこの文言、このことをしていかねばならないのだ、という人間として最も大事な事柄が述べられているし、たった今の人間が“上”から観て霊的成長度が低く、自我の肥大があり自分のことしか考えないからこそ、自分の欲望も自分の“”に対しても“叡智をもってこれを抑制”、自分の欲望を諌め、自分の“”の使い方を考えるべき、これを示唆した言い回しをされていることに気付かねばならない。

 これをしていくならば“その四”で述べた 

智性(神性)を中心に自らの心(靈)とする”=太霊の言う“真の精神統一

ということになっていくだろうし、そのために“その三”で取りあげた“現界、幽界、霊界、神界”と“肉体、幽体、霊体、神体”この振動の違いを“四つの世界の構造の大体でも頭に入れておくと、汝等の今の世界を自分の理想の方向に進め”と述べておられるものである。

 そして“その二”で取りあげた人間の在り方を示唆している文言、

努力を重ねて一歩一歩神の列に近付いていく
人間が陰徳を積んで一歩一歩神の道に近付いてゆくのと同じ
彼等が自分のためではなく、人間やその他のもののために尽していることは、人間から見れば陰徳そのものであり、それが彼らの天職とも言える

これが“真の人間”(まことのにんげん)に近付いていくことの指標になるのだということも読み取っていかねばならない。

 それで“その二”で取りあげた、人間が知り得ない“海仙”とその関連のこと、その中で重要な事は先に述べた“精神統一”、そして“起こるべき大難”“起こる筈の災難”、この言い回しに各々の人間が背負っている恨みの連鎖の霊的干渉の結果と言いうる因縁ということを知り、それは各々の人間の一生のうちに“起こるべき”“起こる筈”であるということを知っておかねばならないし、ただご利益を求めて祈れば“大難が小難となり小難が無難となる”のではなく、“上”としての“海仙”“岳仙”の加護を受ける資格は、自分が“真の人間”になるべく生き方をしている、それは第二十話
為すべき善行のたとい小さいことでも日々に積み重ねて真の力を貯えてゆく
これをしていなければ“上”はその人間を擁護しないということを知るべきであり、これは“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)としての太霊が、心霊に疎いほとんどの人間に教えた重要な情報である。

 以上、第二十四話は副題の 海仙と岳仙 のことだけではなく、人間がどうやって生きていったなら“真の人間”に近付いていくのか、それを太霊は、ローム霊訓講話、ローム太霊講話集に縁があった人間に対しこれを教えたい、その意図があってこその第二十四話であることを述べ、総括とさせてもらう。

 次回からのこのカテゴリーでは 第二十五話 仙道の実例 一心霊神 これの解釈に入ることを告知して、今回はこれくらいにしときまんねん。



“ローム太霊講話集”第二十四話 海仙と岳仙 Kellyさん的解釈“その四”


 先回告知した通り、今回は第二十四話の最後で述べられている以下の文言を解釈する。

神は人間に感情と理性と叡智とそれを具現する創造の力、即ち神の智慧を与え…中略…その範囲では人間は完全に自由…中略…この自由の中に掟を定め放縦の上に制限を加えないと、仙道や天狗道の神に近い波動を受け入れることは出来ない…中略…叡智をもってこれを抑制すると共に、伸びてゆく生命の力にあらゆる活力を与えて大自然の中に溶け込んでいってこそ、岳仙や海仙の道に近付きその術と法とを十分に活用して、現に持っている自分の生命と宿命の力を完全に発揮することが出来る…中略…そういうことをこの話の中から汲み取って、自分のものとしていくように心掛けてもらいたい

 まず冒頭の“感情と理性と叡智とそれを具現する創造の力”、これを解釈するにあたって、○○○大先生は著書の<3>で、本能、情動、功名心、自我、愛(炁)、創造、知恵、智慧、智性、と、心(靈)の分類をして、心(靈)の発現と行使は脳の構造の進化と発達によるものであると述べた。
 それは、目上(めうえ)(大脳新皮質、“田”(心、靈、の四つの場(フィールド))(人(日止、霊止)の進化過程、智性(神性)の獲得と行使)と、目下(めした)(動物の心(靈)の段階)(大脳旧皮質と古皮質)であるが、太霊の使われた文言の“感情と理性と叡智とそれを具現する創造の力”、これにはすべて智性(神性)(“一”、1番目のオーラ)(日を知る性質)由来の心(靈)の行使ということを感じ取れるものである。

 例えば、本能や感情主体で動く人間は目下(めした)(動物の心(靈)の段階)中心の心(靈)であるが、本能や感情が無ければ自分の求めるものもない、ということになり得る。 
よって感情主体の心(靈)の動きをする人間は霊的成長度が低い、動物に近いということである。

 それで、生命(生きる使命=存在理由)は“下”の心(靈)の発現から始まる。 
 それは微生物にも観られる程度の低い本能から始まり、そこからだんだん発達していくのが進化過程(霊的成長の過程=普遍的に実在する創造主のオーラとの感応共振の段階)であり、換言すれば進化(霊的成長、神格化に向かうこと)は生物の肉体の進化と変容もさることながら、本質は心(靈)の進化であり、生物の肉体の進化に観られるように進化すればするほど脳は発達し、人間において最も進化している目上(めうえ)の脳における心(靈)の動きは智性(神性)であり、よって人間においては、すべての心(靈)の動きに智性が加味されていくものであり、そうなっていくべきなのだと○○○大先生は認識している。
 要約すれば、だんだん“上”の心(靈)が発現し発達するのが、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)であるものであり、人間は目上(めうえ)の脳で発現する智性があるからこそ、太霊は、

神は人間に感情と理性と叡智とそれを具現する創造の力、即ち神の智慧を与えられているのであるから、その範囲では人間は完全に自由であり放縦でもあり得る

と前置きされてから

この自由の中に掟を定め放縦の上に制限を加えないと、仙道や天狗道の神に近い波動を受け入れることは出来ない

と述べておられ、この“掟を定め放縦の上に制限を加え”というのは、自分の智性(神性)で、智性以下の心(靈)の動きを見張り、自分の在り方を鑑みるということであり、この智性(神性)の行使由来の心(靈)の動きは先回述べた、

智性(神性)を中心に自らの心(靈)とする”=太霊の言う“真の精神統一

これに相当するものであるし、これをしなければ
仙道や天狗道の神に近い波動を受け入れることは出来ない
“上”と感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)して“気血栄衛(營)”(取り込んだ振動で心(靈)と体が創り変わる)、これが“出来ない”、ということをしっかり読み取るべきである。

 前後するが“感情と理性と叡智とそれを具現する創造の力、即ち神の智慧を与えられ”、これは何のために“神の智慧を与えられ”たのかについて考えるべきであり、これはこの事象、
それは第二話

何とかしてこの地球を、凡ての人間が不幸から救われて愉快にたのしく暮らせる楽土にしたいという、神自身の本当の気持ち

この“神自身の本当の気持ち”これを顕現、実現するのが、第十九話

神が与えた人間本来の特権である神の命を実行するものとなってこそ真の人間

この“神の命”のひとつが“凡ての人間が不幸から救われて愉快にたのしく暮らせる楽土”この実現に相当するものである。

 しかしながら同じく第二話

“この神の気持ちは人間の心の中にもありながら、それを出す時が余り少ないのであって、その半分も無理であろうが、自分のできる範囲でこの神の心を出せばよい

と今の人間に対し諫言を述べておられる通り、人間の進化由来の心(靈)である智性(神性)を行使している人間は、あまりにも少ない。
(平均的地球人のほとんどは“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”であるからである)

 よって先の“神に近い波動を受け入れること”、今取り上げている文言は、“神の命を実行するもの”この資質について述べられているものであることを指摘しておく。

 これに続く

自由と放縦の凡ての力を授けられた人間は、叡智をもってこれを抑制する

これについては今解釈を述べたとおりで、それをしていくならば

伸びてゆく生命の力にあらゆる活力を与えて大自然の中に溶け込んで

これは
伸びてゆく生命の力”、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)に伴い神の思惑を顕現していくべき生命の力と解し、

あらゆる活力を与えて”、これは“神に近い波動を受け入れる”ことそのものであり、

大自然の中に溶け込ん”、神と自分たちの“創造”によるこの事象(現津(あきつ)、観察され得る事象)において“神の命を実行するもの”、となるものであると解釈できうる。

 これに続く、

岳仙や海仙の道に近付きその術と法とを十分に活用して、現に持っている自分の生命と宿命の力を完全に発揮することが出来る

この“道に近付きその術と法とを十分に活用”、これは第二十三話の、

汝等は仙道や天狗道やその他の道に入いらなくてもよいが、その教えの中で感付いたことをよく覚えておき、その道に伝えられる術に近付くべく身を以て努力するなら、必ずそれらを備えた立派な体となれる…中略…これは自分の損得の問題ではなく、それによって他の人々に施すことが、自分の格を向上させると共に、盤石の根を大地に張ることになる

と併せて考えるべき文言であり、この
自分の格を向上させると共に、盤石の根を大地に張る

神格化を目指す、あるいは果たしていくならば、“神の命を実行するものとなってこそ真の人間”であり、これ自体が“現に持っている自分の生命と宿命の力を完全に発揮”、この“自分の生命”と“宿命の力”、これが“神の命を実行するもの”となっていくのだということを読み取らなければならないものであるし、これらの事柄に対し、

そういうことをこの話の中から汲み取って、自分のものとしていくように心掛けてもらいたい

と太霊は括っておられるものである。

 今回はこれくらいにしときまんねん。




“ローム太霊講話集”第二十四話 海仙と岳仙 Kellyさん的解釈“その三”



 今回は第二十四話の中ほどの以下の文を解釈する。

そこで話を少し変えて、人間にとって一番身近な存在と言えばやはり自分に直接関係のある主護霊、支配霊、守り神であるが…中略…更に遠い霊界、神界…中略…仮に幽界人とすれば、幽界が彼等の現界であることはこの世界が汝等の現界であるのと同じ…中略…地球の上に…中略…現界、幽界、霊界、神界の四つの世界…中略…どこの居住者でも現在住んでいる所がその者にとっての現界…中略…四つの世界の構造の大体でも頭に入れておく…中略…今の世界を自分の理想の方向に進めてゆく上に非常に役立つのである

 この文言にて太霊が、

それにしても目に見えるわけではないから、ただ顕幽の幽に属しているという位のことしか考えられない。況(ま)して更に遠い霊界、神界となると、もう空想の力で漠然と名付けられたもののように思われるのは当然である

と述べておられる通り、ほとんどの人間には

主護霊、支配霊、守り神
現界、幽界、霊界、神界

これに対して全く知らないか、言葉を知っていてもそれに対する一般の人間の認識はてんで低い。 

 この“主護霊、支配霊、守り神”に関しては、ローム太霊講話集の最後に書かれている ローム太霊の教義大要 六 背後霊との提携 にて少し述べられている。 参考になるのは
“主護霊はその人間が…中略…本人の一生は固より死後も永く指導の任を…中略…言わば本人と苦楽を…以下略…”
これぐらいで、これとて“死後も永く指導の任”という表記は不適切な感があり、本人と“主護霊”は永遠のつながりであり、永遠に“本人と苦楽”を共にして両者が進化(霊的成長、神格化に向かうこと)していくことを述べるべきであり、さらに以前紹介したように“主護霊”の“主(ヌシ)”の字には以下の意味合いがある。

主(ヌシ)の解字 
 
この神格化の仕組みそのものを護る(まもる、つきそってあやまちのないように大切にするの意)、その霊が“主護霊”である。 
 また“支配霊”に関しては第二十三話の解釈を参考にされたい。

 それで今問題にしたいのは、一般の人たちの認識の低さであるが、その認識の低さを助長するのが“役員づら”(形骸の宗教や、アセンションや霊的成長に対し、甘い夢を見させ偽の情報を流すたぐいの人たち…それは悪魔の傀儡(かいらい、くぐつ)の行いであり、“主護霊”を守護霊と書き換えたりしてこの重要な意味を持つ言葉自体を“役員づら”は勝手な解釈をして甘い(亜、魔、出ずる、泉)夢を見させて人を引き付ける手法で自分たちの利益と低い功名心と自尊心のために利用していることは、これまで幾度となく述べてきた。

 本題に戻り、“現界、幽界、霊界、神界”に関して、お前たちはこの事もよく知っておけ、という意味合いで、以下のように述べておられる。

幽界人とすれば、幽界が彼等の現界であることはこの世界が汝等の現界であるのと同じ…中略…地球の上には…中略…現界、幽界、霊界、神界の四つの世界があって、そのどこの居住者でも現在住んでいる所がその者にとっての現界である

この文言中の
どこの居住者でも現在住んでいる所がその者にとっての現界
というのは、それぞれの界においても自分の心(靈)の“観察と認識”においては
その者にとっての現界
これは古神道で言えば、現津(あきつ)、観察され得る事象、ということであり、これに相当する言葉が少々大ざっぱな解説になるが、自分の外側(外国と幽界)の事象における現実とか、たった今の内面とか内側(心の中と感じている事)の心(靈)の動きを自分で“観察と認識”しているとか、である。
(大ざっぱという表記を使った理由は、“神界”においてはおそらく外側の事象というものがないと思えるからである)

 それで

四つの世界の構造の大体でも頭に入れておくと、汝等の今の世界を自分の理想の方向に進めてゆく

この“四つの世界”は言うまでもなく“現界、幽界、霊界、神界”であり、その“構造”とは、それぞれの界が振動の高低によって成り立ちが違うという意味合いである。 このことは、第一話 物と心の満足を得る法 で解釈した。

 さらに“汝等の今の世界を自分の理想の方向に進め”に関して言えば、
自分の理想の方向”の解釈が大事であり、これは人間が目指すべく進化(霊的成長、神格化に向かうこと)であり、ここまでの太霊の言葉を引用するなら“真の人間”であることに気付かねばならない。

 それで太霊は第一話

四つの体が統一されてその統合した力を発揮し、種々な活動をする状態が真の精神統一なのである

と述べておられ、“四つの体”は振動の高低により構成されているということを以下のように
解釈した


肉体、現界、そして幽体と幽界を感じうる自らの心(靈)が持つ低い振動だけでなく、霊体、霊界、そして神体、神界を感じうるのは本能、情動、功名心、自我、愛(炁)、創造、知恵、智慧、智性という振動で構成された自らの心(靈)の、愛(炁)、創造、知恵、智慧、智性という振動で構成された部分で、要は自らの心(靈)が持つ一番上の振動は智性(神性)(“一”、1番目のオーラ)なのだが、智性の発現の少ない平均的地球人を対象に述べられていることとして、その智性(神性)を中心に自らの心(靈)とするならば“四つの体が統一されてその統合した力を発揮し、種々な活動をする状態が真の精神統一なのである” ということになる…中略…よってローム太霊が第一話で使った“精神統一”という言葉の示唆することは、本能から智性(神性)まですべて統一せよということである。

よって“自分の理想の方向”は進化(霊的成長、神格化に向かうこと)であり“真の人間”が“自分の理想”であることに気が付かねばならないものであると思うし、それは心(靈)の構成の智性(神性)が“神体”を構成するものであるから、
智性(神性)を中心に自らの心(靈)とする”=太霊の言う“真の精神統一
なので、その意味合いのことを述べている文言が先の“今の世界を自分の理想の方向に進めてゆく”であり、“現界、幽界、霊界、神界”と、“肉体、幽体、霊体、神体”この振動の違いを“四つの世界の構造の大体でも”と述べておられ、これはこの後の

神は人間に感情と理性と叡智と…以下略…

これに続いているものであり、次回は第二十四話の後半で述べられているこの文言の解釈をすることとする。

 今回はこれくらいにしときまんねん。



“ローム太霊講話集”第二十四話 海仙と岳仙 Kellyさん的解釈“その二”


 第二十四話の前半で太霊が述べておられること

これまでは主に陸の話をしてきたから、今日は少し海の方のことを取り上げてみたいと思う。この海仙と呼ばれる
…中略…
人間やその他のもののために尽していることは、人間から見れば陰徳そのものであり、それが彼らの天職とも言えるのである


これは“海仙”の説明が主体ではあるのだが、そこには“真の人間”(まことのにんげん)になるべく指標としての重要な文言が述べられている。
 
 まず以下の文言。

一通りの力を備えた位では中々なれない…中略…術が真の法(のり)の域に達するまでには余程の過程を必要とする…中略…仙人達の行なっている道を知りそれに一歩でも近付こうとすることは、言い易えれば、そういう心になることは、その人間を立派なものにする元となる

 この文言は
人間を立派なものにする元

仙人達の行なっている道を知りそれに一歩でも近付こうとすることは、言い易えれば、そういう心になること

術が真の法(のり)の域に達するまで

こう読み取るべきであり、この文言中の

真の法(のり)の域に達する

これは第二十一話の“天狗道”の説明においての

彼らは術によってその道の法(のり)を得、天仙の域に近付こうと努力している

この“術によってその道の法(のり)を得”その上で“天仙の域に近付こうと努力”と説明されていることに着目しなければならず、“天仙の域”とは“衆生済度とか真理の探究”であり、これは“世為人為”(S会=紫光会の経文、四空経録の中の言葉)の具体的な高度な事柄である、と、これまで解釈を述べてきたが、自分が進化(霊的成長、神格化に向かうこと)して“真の人間”と“上”から評価されうる存在になりたいならば、この事を常に思うべきであるし、“術が真の法(のり)の域に達する”、この“”(まこと)、そして、“法(のり)”、進化における絶対の法則性の認識(悟り、幸取=さとり)、この獲得には厳しい過程、“術によってその道”、“”の行使に自らのエネルギーを贖い(あがない)をしていく、それは第二十一話

天狗は一日に九度の苦しみをすると言われている。これは術を行なうための苦しみであって、道から別れたこの術こそは、天狗道の連中にとって何物にも代え難い至宝

あらゆる苦難に堪えて術のために精進をする姿は真に尊いもので、人間もかくありたい

この文言と併せて考えるべきである。

 もう一つ“真の人間”(まことのにんげん)になるべく重要な指標として以下の文言が挙げられる。

海仙や岳仙の修行者が努力を重ねて一歩一歩神の列に近付いていくことは、人間が陰徳を積んで一歩一歩神の道に近付いてゆくのと同じであって、彼等が自分のためではなく、人間やその他のもののために尽していることは、人間から見れば陰徳そのものであり、それが彼らの天職とも言える

 これは第二十話

人間の為すべき善行のたとい小さいことでも日々に積み重ねて真の力を貯えてゆくなれば、何千年かの後にはこの天仙の力の一端を握ることが出来る

この“為すべき善行のたとい小さいことでも日々に積み重ねて真の力を貯えてゆく”、人間は“善行”を為さねばならない、それをしなければ“真の力を貯えてゆく”ということになり得ないと読み取るべきであり、さらに第六話

神が人間のために尽されるように、人間にも人間のために尽さして下さいと願う所と思えばよいのである。これは人間としては自分の使命を完成さしてもらう元…中略…どうか今日も世のため人のために役立たせていただきたいということになる

この“人間にも人間のために尽さして下さいと願う”これを“”の使い方の指標とすべきであり、そうしていくならばこの第六話の文言中の“自分の使命を完成”ということになり得るのであり、それがまた第十九話

神が与えた人間本来の特権である神の命を実行するものとなってこそ真の人間

この“人間本来の特権である神の命”これを“実行するもの”となってこそ“真の人間”(まことのにんげん)なのだということを、

努力を重ねて一歩一歩神の列に近付いていく
人間が陰徳を積んで一歩一歩神の道に近付いてゆくのと同じ
彼等が自分のためではなく、人間やその他のもののために尽していることは、人間から見れば陰徳そのものであり、それが彼らの天職とも言える

この文言から読み取るべきである。

 今取り上げた以外の残りの文章は人間が知り得ない“海仙”とその関連のことである。 以下に列挙して解釈が必要な部分は注釈をいれる。

山の仙人にしてもこの海仙にしても、ただその環境が違うだけで進む道は皆同じである

海仙の修行がある程度進んでくると、水を割って海底を探ることが出来るようになるが、この水を割るということは、海に入いっても自分の周囲一尺位の所は水が引いて空間が出来る現象で…中略…完全な肉体を持った儘で水中に空間を造ることが出来る

この海仙の修行はやはり精神統一を中心としたいろいろとむずかしいものである
 文言中の“精神統一”は、第一話の“四つの体が統一されてその統合した力を発揮し、種々な活動をする状態が真の精神統一”である。

本来の目的はその領海を支配する…中略…保護すると同時に、その非行を戒めその指導に当たる…中略…地震による津波とか旋風による竜巻とか、そういう海で起こる天災は凡て海神の管轄…中略…海仙とは違い、一定の領域を守る陸でいう氏神に相当する

毎朝少量の生塩(なまじお)と酢か梅干一個を食べてさえいれば、仮令(たとい)汚染水域の鮪の刺身も平気であるというのも、海仙の一人から教えられたこと

海に遊び海に行(ぎょう)する者は、先ずそこの海仙を祈ることが最も大切…中略…起こるべき大難が小難となり小難が無難となる…中略…これは登山の場合も同じで、先ずその山の岳仙を祈ることによって、そこに起こる筈の災難を避けることが出来る
 この文言で注意して読みとらなければならないのは、
起こるべき大難
起こる筈の災難
これはその人間が背負っている恨みの連鎖の霊的干渉の結果と言いうる因縁によることであり、必ずそれは“起こるべき”“起こる筈”であるということを知っておかねばならず、さらに、ただ祈れば“大難が小難となり小難が無難となる”のではなく、これは“上”としての“海仙”“岳仙”の加護を受ける資格は、自分が“真の人間”になるべく生き方をしている、それは先の
為すべき善行のたとい小さいことでも日々に積み重ねて真の力を貯えてゆく
これをしていなければ“上”はその人間を擁護しないということを知るべきであり、海で死ぬ、山で死ぬなどは偶然ではなく、すべての事象に霊的干渉があるのであり、その霊的干渉は自分がやってきたことの結果、自分の心(靈)の動きによる結果、なのだということを人間は知らなさすぎるし、さらに先の第二十三話で述べた人間の肉体そのものが“形代(かたしろ)”であるからこそ“上”と“下”の霊的干渉は起きることなのだ、ということを述べておく。

今回はこれくらいにしときまんねん。




“ローム太霊講話集”第二十四話 海仙と岳仙 Kellyさん的解釈“その一”


  今回から第二十四話の解釈に入ることとする。

 太霊がS会=紫光会のローム霊訓講話にて話をされた“仙道”“天狗道”では、人間の知り得ないこれらの具体的な説明はさることながら、そこにおいてのそれぞれの“行”を述べられ、そこから獲得される何かは、第二十一話から引用すれば、

汝等が自分を取り巻く凡ての霊の存在を知っているなら、それらのものに対する術と法則と自分の経験から編み出す力とを身に付けてもらいたい

であるし、さらにそこから読み取れる人間の進化(霊的成長、神格化に向かうこと)と、進化を目指すべく人間の心(靈)の在り方、これを説いておられるものである。

  これは太霊がローム霊訓講話で述べた文言、これに霊縁があった人間に対して、成長を望んでおられるからこそ、これらの事柄を述べていらっしゃるものである。

 その点において第二十四話では

その仙人達の行なっている道を知りそれに一歩でも近付こうとすることは、言い易えれば、そういう心になることは、その人間を立派なものにする元となる

海仙や岳仙の修行者が努力を重ねて一歩一歩神の列に近付いていくことは、人間が陰徳を積んで一歩一歩神の道に近付いてゆくのと同じ…中略…自分のためではなく、人間やその他のもののために尽している…中略…陰徳そのもの…中略…彼らの天職とも言える

神は人間に感情と理性と叡智とそれを具現する創造の力、即ち神の智慧を与えられ…中略…その範囲では人間は完全に自由であり放縦でもあり得る…中略…自由の中に掟を定め放縦の上に制限を加えないと、仙道や天狗道の神に近い波動を受け入れることは出来ない

自由と放縦の凡ての力を授けられた人間は、叡智をもってこれを抑制すると共に、伸びてゆく生命の力にあらゆる活力を与えて大自然の中に溶け込んでいってこそ…中略…術と法とを十分に活用し…中略…現に持っている自分の生命と宿命の力を完全に発揮する…以下略…

と、とても重要な事柄を述べていらっしゃる。

 これらの事柄を念頭において、次回から第二十四話の詳細な解釈に入ることとする。

 今回はこれくらいにしときまんねん。




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 Kelly & ○○○大先生

Author: Kelly & ○○○大先生
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Kellyさんと○○○大先生は、
このブログを書いている○○○の、
心(靈)の二面性であり、
同一人物で有る事を、
お断りしておきます。

出版の告知

四冊目&五冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈4〉
智性無き心は
悪を容認する


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈5〉
智性無き心は
アセンションを見誤る

 この二冊は、同時発売です。
太陽凝視を行っている鍼灸師の話 <4> 智性無き心は 悪を容認する & 太陽凝視を行っている鍼灸師の話 <5> 智性無き心は アセンションを見誤る サムネイル
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2010年 4月20日(火)ごろより、全国書店(紀伊國屋書店・三省堂書店・旭屋書店・ジュンク堂書店・ブックファースト・リブロ・丸善など)にて順次陳列。


発売中の三冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈3〉

神格化のプロセス
目上(めうえ)と目下(めした)


神格化のプロセス 目上と目下 縮小版 ブログ用
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発売中の二冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈2〉

ローム太霊の教え
日足(ひたり)と砌(みぎり)


サムネイル太陽凝視を行っている鍼灸師の話〈2〉ローム太霊の教え 日足(ひたり)と砌(みぎり) 
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お近くの書店にない場合は
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発売中の一冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈1〉

ローム太霊との出会い


太陽凝視を行っている鍼灸師の話〈1〉ローム太霊との出会い
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2005年10月1日~2008年1月15日まで、
“Kellyさんとの会話”で、説明して来た事・・・
その内容・・・それは・・・その何年も前から、
何か自分の考えをある程度公表しなければならない・・・
そう言う通信を受け・・・その理由は・・・地球人が低い心(靈)の発現しかしていない・・・
それを自覚していない人が多い。
その事由来の太陽凝視に対する認識、
(太陽凝視=不食・・・としか、認識させない存在の思惑を、受信している事)
霊的成長に対する認識、
神に対する認識、
心=靈に対する認識、
オーラに対する認識、
そして、
高い認識の上での進化の意味と幸福の概念と神の概念・・・
進化=霊的成長=神格化=(相対的に)高い認識を獲得する事・・・
霊的成長=神に近づく事=真の幸福の意味。
霊的成長度は1番目のオーラに顕れる。
よって、宇宙的プログラムにより次の段階に移行する人(日止、霊止)は、 何を考えるべきなのか・・・
そして、人(日止、霊止)の進化を阻む存在の思惑、
その心=靈の動き、それらの意図・・・それが一般に認知されていない事。
それらを伝えなければ成らない・・・そして一応・・・完結はしたのですが・・・
解り難い・・・理解しがたい・・・具体例を示して欲しい・・・そう言う感想も頂き、
そして自分なりにも説明が足らなかった事・・・
更に、
“Kellyさんとの会話”が完結してからも通信を受けている事・・・そう云う事もあり・・・
よって、このブログを立ち上げる事としました。
従って、
“Kellyさんとの会話”が、
自分の意見を述べる上での、ローム太霊の言葉、
“右往左往”(“いきり立つ心(奴と心)”で行動してから考える)・・・と、 するならば、 このブログはアタシ自身の、
“左往右往”(“思う、憂う”・・・体験を教訓として考え行動する)の、
作業になって行くと思います。


太陽凝視を行っている鍼灸師の話 “総括編”
太陽凝視を行っている鍼灸師の話 “改”
予約制 鍼(はり) 灸(きゅう) マッサージ治療 児玉療院
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自分達の欲望を満たしたい… 
自分だけ幸福になりたい…
こういった進化程度の低い心(靈)の発現由来の思いが、
低い幸福の概念になり(目下(めした)の思い)
その結果が、飢餓貧困、戦争の原因になったりしています。
(子供の浮游霊の霊的干渉の影響を受け、 それがどんどん増して行く事等が、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)
の思惑だと 思えます)

恨みの連鎖による霊的干渉を増やさない為、
その解消の為にも、(この趣旨に反する類の物もありますが) クリックをお願いします。
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