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“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話

太陽凝視を一生涯の“行”とし(現在、46年目)、実践し、その上で獲得した認識を述べています。

“ローム太霊講話集”第三十六話 背後霊と眠りの利用法 Kellyさん的解釈“その二”



 今回は、先回取り上げた文言に続く以下の文言を解釈する。

人間は誰しも、この現界に在っては金と物との力が必要であるが、その大本はやはり大気の上の炁である…中略…炁の力の無限の所有者である神というものを自分の心の中に据えておけば、そのおかれた神は必ず現世の福をもたらすものと考えてよい…以下略…

 冒頭で述べられている
人間は誰しも、この現界に在っては金と物との力が必要である
これは至極当然のことであるし、“金と物”しか分らない人間の方が圧倒的多数、しかしながらここで太霊は
が、その大本はやはり大気の上の炁である
と述べておられる。

 これの“大本”と称されている“大気の上の炁”に関して太霊は、
第三十三話 滝壺の精とその洞窟 Kellyさん的解釈“その四” において

第一は自分の理想を固める室、第二は神の命を自分が媒体となって受入れる室、第三はこの神の命と自分の理想とを纏めて根本の針路を定める室、第四は術を学ぶ室、第五は道を学ぶ室、第六は命を学ぶ室、第七は光の波動、例えば現界より細かい幽界の波動を受入れるための室、それ以上は非常にむずかしくなるから名前だけを並べると、第八は光の上の空に対する室、第九はその上の無に対する室、第十はその上のあらゆる創造の根源となる炁に対する室、第十一は以上の修行を綜合して行人が神として行動を起こす力を与えられる室、第十二はそれらのものが完成して、自分の与えられた理想があらゆる所で実現出来る最高の境地を顕わす室

という詳細な説明をされておられる。

 それで上記の文言中の
あらゆる創造の根源となる炁
そして先の“大気の上の炁”、この“大気の”とは、先のリンク先の画像の意味合い、“炁空無光眞奇力存(きくうむこうしんきりきぞん)”の振動の意味合いとしての“空無光”がこれに該当するものである。

 さらに振動の分類を理解するために、第三十四話の
光以下のものは凡て物質に譬えられるとしても、光以上のものは物でないから簡単な言葉で表わすとすれば波動というよりない
この“光以下”とは、可視光線をも含むそれ以下なので、物質を“観察と認識”する振動であり、これに相対し“光以上”、これは先の第三十三話の“第七は光の波動、例えば現界より細かい幽界の波動”、それよりも“以上”ということである。

 これらが“大気の上の炁”という文言から、しっかり読み取らなければならない重要な事柄である。
 前後するが先の第三十四話の“光以上のものは物でないから簡単な言葉で表わすとすれば波動というよりない”に続く以下の文言。
この地球の上の粟粒にも過ぎない人間の心が、地球そのもの以上の力を持つことの出来るのは、物質でないこの無限に存在する波動を受け入れる

 この“波動を受け入れる”を念頭において、今回取り上げている文言の
炁の力の無限の所有者である神というものを自分の心の中に据えておけば、そのおかれた神は必ず現世の福をもたらす

 上記の“炁の力の無限の所有者である神”これは、“創造”の“主(ヌシ)”であると○○○大先生は解釈しているし、そう思う根拠として太霊の言葉を引用すれば先の
あらゆる創造の根源となる炁

炁の力の無限の所有者である神
この言葉が“創造”の“主(ヌシ)”の“創造”を指し示していることが理解できる。

 以下にこのブログで多用している画像、これはまた“創造”の“主(ヌシ)”が“一”という表記に表わされるが、これを貼っておく。
“創造”の意味と意義 


 それで、今回取り上げている文言の冒頭の“人間…中略…現界に在っては金と物との力が必要”ではあるが、“大気の上の炁”をお前たちは知らないから教えておく、という意味合いと、第三十三話の“あらゆる創造の根源となる炁”、また今回取り上げている“その大本はやはり大気の上の炁”“創造”の“主(ヌシ)”の息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)である愛(炁)が低振動化して一切の事象が“創造”されているのだということを知り
炁の力の無限の所有者である神というもの”、
これを
自分の心の中に据え”、
まずこれをせよ、であるが、この“心の中に据え”とは、まず、“創造”の“主(ヌシ)”の息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)が愛(炁)であり、その低振動化により一切の事象は“創造”されているし、事象はこの心(靈)の中に“映像”されているという、“日月神示”地震の巻の表記を知り、この“映像”=“観察と認識”は、振動によってなされていることもしっかり知らねばならない。
話を戻し、“心の中に据え”そうするならば
おかれた神は必ず現世の福をもたらす
と称されている。
 この“現世の福”は先の“金と物との力”をも、含めてはいるが、それ以上、先の三十四話の
粟粒にも過ぎない人間の心が、地球そのもの以上の力を持つことの出来るのは、物質でないこの無限に存在する波動を受け入れる
この文言の“心が、地球そのもの以上の力を持つことの出来る”、これも“現世の福”にあたり、次回、この文言の詳細な解釈をするが、その前に“”は、神を示す意のある示す偏(へん)と、旁(つくり)は“創造”の“主(ヌシ)”を示す“一”(亜から出ずる、アイ)と、それを“無限に存在する波動を受け入れる”に当たる“口”と、目上(めうえ)の脳、“田”(心、靈、の四つの場(フィールド)、大脳の新皮質)、これが重なった表記が“畐”であることを述べておく。
 
今回はこれくらいにしときまんねん。


“ローム太霊講話集”第三十六話 背後霊と眠りの利用法 Kellyさん的解釈“その一”


 今回から第三十六話の解釈に入る。 まず冒頭で述べられている以下の文言について解釈を述べる。

人間は現界での幸福を求めてあらゆる道を登って…中略…善行や悪行によりその模範を人に示しているような者は、一定の掟に従ってそれぞれの壺の中に納められ…中略…実際にはそのいずれにも属さない者が非常に多い…中略…徳を施して世に敬われる者や大悪漢として名を残す者は、凡て神の命の一部とも思われ…中略…その中間にある者は皆善いことをしようと努力している…中略…しかもこれまでの宗教は、それらの者が知らずして犯した罪に対してまでその贖いの方法を詳しく示し…中略…知らないで犯した罪は知って行なった善によって帳消しになるのに、それを簡単に教えないのはまずい…中略…汝等はその意味で、自分の祈りと行為とを常に一致させてゆくことが大切…以下略…

 冒頭の
現界での幸福を求めてあらゆる道を登って
これは第三十五話の
力と術と法とによって人間は伸び栄えるのであるが、この三つの力に誰が見ても正しい絶対の道というものが加わらないと、放縦に流れたり偏見に囚われたりする
人間は自分にどれだけの力が授けられているかは分らないにしても、肉体として持つことが出来る力は術とその上の法(のり)まで…中略…この力を叡智によって導くものが道
この“誰が見ても正しい絶対の道”と“力を叡智によって導くものが道”これをよく承知したうえで“幸福を求めてあらゆる道を登って”という文言を見るべきである。

 これに続く
善行や悪行によりその模範を人に示しているような者…中略…徳を施して世に敬われる者や大悪漢として名を残す者は、凡て神の命の一部
これは、“日月神示”地震の巻の“御用”に相当する。 これに関しては地震の巻の第三帖から以下に抜粋する。
“ 
渦巻き 左回転 (“善(神格化の方向性と智性の受信)”の回転)は絶えずくりかえされ、更に新しき総ては、神の中に歓喜として孕(はら)み、生れ出て、更に大完成に向って進みゆく。 親によって子が生れ、子が生れることによって親が新しく生れ出ずるのであることを知らねばならない。 されば、その用に於ては千変万化である。 千変万化なるが故に、一である。一なるが故に、永遠である。 愛は愛に属する総てを愛とし、善となさんとするが故に悪を生じ、憎を生じ、真は真に属する総てを真とし美となさんとする故に偽を生じ、醜を生ずるのである。 悪あればこそ、善は善として使命し、醜あればこそ、美は美として生命するのである。 悪は悪として悪を思い、御用の悪をなし、醜は醜として醜を思い、御用の醜を果たす。共に神の御旨の中に真実として生きるのである”

 この“二義的”(根本とは相違する、根本から派生した何か)な“善悪”“真偽”“美醜”はが“善行や悪行によりその模範を人に示し”と同義であり、それは“神の命の一部”であるということだが、この“善行や悪行”を“観察と認識”したならば、自分はどう生きるべきか、どう“”を使うべきか、いわゆる“法(のり)”の一端を自分の心(靈)に確立する、その“模範”であるということがこの文言から読み取れる。

 これは別にして
実際にはそのいずれにも属さない者が非常に多い…中略…徳を施して世に敬われる者や大悪漢として名を残す者は、凡て神の命の一部とも思われ…中略…その中間にある者は皆善いことをしようと努力している
これがお前たちであるということであるし、お前たちはまた“善いことをしようと努力”しているものである。 
なぜならばそれは冒頭の“現界での幸福を求め”、これが理由であるからである。

 そのために知っておかねばならないこととして
知らずして犯した罪に対してまでその贖いの方法を詳しく示し…中略…知らないで犯した罪は知って行なった善によって帳消しになる
これは先の“善いことをしようと努力”に当たることである。
 それだからこそこれに続く
汝等はその意味で、自分の祈りと行為とを常に一致させてゆくことが大切
この“自分の祈り”は先の“幸福を求め”に当たり、“行為”は“善いことをしようと努力”に当たるが、これを“常に一致させてゆくことが大切”と述べておられ、自分たちの思惑を現津(あきつ)、観察され得る事象
に顕現するために、“大切”な要素、これを説かれているものである。 

 
 今回はこれくらいにしときまんねん。

“ローム太霊講話集” 第三十五話 術と法と道 Kellyさん的解釈 三十五話の総括



 太霊は三十四話~三十五話において
汝等大道に生きる者…中略…人間の真の道は物でないことがはっきり分る”(三十四話の表記)
この“大道”と“真の道”について述べておられる。

 これはたった今のほとんどの地球人、そしてたった今の“現界”において、
力と術と法とによって人間は伸び栄えるのであるが、この三つの力に誰が見ても正しい絶対の道というものが加わらないと、放縦に流れたり偏見に囚われたりする
この“放縦に流れたり偏見に囚われたり”という人間が多すぎであるし、それは“大道”に沿っていない、またそれは“真固止の人間”(“上”の思惑(荷電粒子)を真に固く止める人(日止、霊止))に至る“真の道”ではないのだという指摘をしておられるものでもある。

 それだからこそ
人間は自分にどれだけの力が授けられているかは分らないにしても、肉体として持つことが出来る力は術とその上の法(のり)まで…中略…この力を叡智によって導くものが道
と、ここで“叡智”(智性(神性))という表記を使われ
この力を与えてある特別の任務を果たさせるのが神の命
ということを、第三十五話の最初で述べておられる。

 これを纏めると“力を叡智によって導くものが道”であり、それは“特別な任務”につながることでもあり、そうなったならば“神の命”であるという言い方も出来得る。

 この“特別な任務”、“神の命”、このことを示す表記は

道を中心とした前後の力を把握した者が神の下された理想を実現することが出来る

心の掟として進むならば人間としての創造が完成されることは間違いない

人間が物に対することと心に対することとを完全に調和させてこそ、人間の理想を実現する元となるのであって、それはまた神の望まれる理想にも合致する

の力の出ずる大本をたずねてこれを見極め得るなれば、必ずそのものが日常生活に次々と起こる事件ばかりでなく人生の目的を達成するための強い力となるのであって、これでこそ真の道が開け神の命の下る人間となれる

であるが、分かりやすくピックアップすると
神の下された理想を実現
これが
“(進化(霊的成長、神格化に向かうこと)を果たした)人間としての創造
“(進化(霊的成長、神格化に向かうこと)を果たした)人間の理想を実現
“(進化(霊的成長、神格化に向かうこと)を果たした)人生の目的を達成
ということになる。
 これらの文言に対し程度の低い解釈をしてしまうならば、全く太霊の意図は伝わらないし、これら文言に先の“特別な任務”、“神の命”を当てて読む、そうすると理解しやすいものである。

 また上記文言中の“与えられた自由の中に常に制限を設け、これを心の掟として進む”これは、“自分を観察する自分の確立”(自らの智性(神性)で自分の心(靈)と肉体を観て、そこにおいて自分の心(靈)の“上”と“下”を見出す)に相当することでもあるし、これも先の“叡智”に相当する。

 それで、神が人間に望んでいること、また太霊が人間に望んでいることが示されている文言として
神が常に人間に与えられている幸福を完全に握らせたいため
があり、これに関しては“その六”で解釈を述べたのでこれもまたしっかり読んでいただきたい。

 これらのことを理解する、しなければならない、だからこそ第三十五話の中ほどで
ところが…中略…そこによく気を付けなければならない
と太霊は述べておられる。 
 この789文字中の中の
物だけに思いを寄せる
物を得ることが人間に大切であろうと、やはりその反面にある心についてもよく知っておかなければならない
人間が物に対することと心に対することとを完全に調和させ
術が進んで自分の最高の智慧によって裏付けされれば法(のり)…中略…力と術と法とによって人間は伸び栄え…中略…この三つの力に誰が見ても正しい絶対の道というものが加わらないと、放縦に流れたり偏見に囚われたりする…中略…そこによく気を付けなければならない

これらの文言をしっかり理解して“心の掟”と太霊が称されたそれ、これ事態を自分の心(靈)の中に確立する、確立していくためには、智性(神性)、“叡智”が必須であるということも読み取るべきであるし、重ねて述べるがこれは進化(霊的成長、神格化に向かうこと)した人間にしか理解出来えない“大道”と“真の道”のことであることを強調しておく。

 そして“力に誰が見ても正しい絶対の道”、これをお前たちが獲得するには
二つの道があって、一つは楽な方法で善をさせるものであり、一つは困難な方法で善に導く
と前置きされて
その人間の波動による”=息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)であることが述べられ、それは“善をさせる”と“善に導く”と述べられている通り、“(神格化の方向性と智性の受信)”をしっかり解る、“(神格化の方向性と智性の受信)”由来の“心の掟”を確立する、ということも読み取るべきである。

 このことがいかに大事か、それは三十五話の文末の
神が常に人間に与えられている幸福を完全に握らせたいため
であり、そして
人間も現在の肉体だけの存在ではなくそれもやがてなくなるので、その後のこともここでよく教えておきたい
これは、程度の低い人間の、生、と、死、の認識はてんで低く、それは先回(“その六”)で引用した第十七話の
肉体は一つの仮のものであって、それに続く幽体、霊体、神体の方がその大本に帰ってゆくようにみられるが、生きている人間の九割まではその逆に、神体、霊体、幽体の助けによって今ここで人間に到達した
これがあらゆる人間に該当することであり、心(靈)自体の“状態の変化”(“日月神示” 地震の巻の表記)であり、こうやって心(靈)は育つものであることも知らねばならない。
 それゆえ太霊は
心霊の話を聞き、この中からそのエッセンスを引き出して自分の霊体の糧(かて)
ということを述べられ、この文言に、自分自身の存在とは何か、自分自身がどうすれば育つか、また自分自身が育つとは何か、さらに自分自身の役割、それは進化(霊的成長、神格化に向かうこと)したならば“神の命が下る人間”となりうる、そしてそれに至るのは、“真の道”と称された言い回しであり、それをしっかり読み取れよ、の意味合いで“エッセンス”(essence、本質的なもの、最も大切な要素、精髄の意)という表記を使われたのだ、ということも読み取るべきであることを述べて、第三十五話の総括とする。

 次回のこのカテゴリーでは、第三十六話 背後霊と眠りの利用法 これに入ることを告知して、今回はこれくらいにしときまんねん。


“ローム太霊講話集” 第三十五話 術と法と道 Kellyさん的解釈“その六”



 今回も、先回取り上げた文言に続く以下の文言を解釈する。

これまでに、仙道や道教や妖精に関連してさまざまな道を説いて…中略…神が常に人間に与えられている幸福を完全に握らせたいため…中略…同時に、その人間も現在の肉体だけの存在ではなくそれもやがてなくなるので、その後のこともここでよく教えておきたい…中略…そういう意味で汝等はこの心霊の話を聞き、この中からそのエッセンスを引き出して自分の霊体の糧(かて)として…以下略…

 冒頭の文。
仙道や道教や妖精に関連してさまざまな道を説いて

この“”という表記は“その四”で解釈した以下の文、
力が熟達すれば術となり…中略…術が進んで自分の最高の智慧によって裏付けされれば法(のり)…中略…この力と術と法とによって人間は伸び栄えるのであるが、この三つの力に誰が見ても正しい絶対の道というものが加わらないと、放縦に流れたり偏見に囚われたりする

この“誰が見ても正しい絶対の道”のことであるし、それはまた“大道”(三十四話の表記)に当たる。 
 また“誰が見ても正しい”という表記は、人間だけの狭い問題ではなく“上”から“下”、“創造”の“主(ヌシ)”から悪魔まで、という意味合いのことであるし、その“正しい絶対の道”、これを人間が解る、解る必要がある、だからこそ太霊はこういう言い回しをされている。

 それで現時点のお前たちの程度の低い認識では、“その三”で取り上げた
人間が物に対することと心に対することとを完全に調和させてこそ、人間の理想を実現する元となる…中略…それはまた神の望まれる理想にも合致する…中略…人生の目的を達成するための強い力となる…中略…これでこそ真の道が開け神の命の下る人間となれる
この“神の理想”も解っていない。
 だからこそ太霊は第二話で
何とかしてこの地球を、凡ての人間が不幸から救われて愉快にたのしく暮らせる楽土にしたいという、神自身の本当の気持ち
と“神自身の本当の気持ち”ということを述べているものである。

 また、前後するが、先の“誰が見ても正しい絶対の道”が解るならば、“その三”で取り上げた
真の道が開け神の命の下る人間となれる
またそれは
人生の目的を達成するための強い力となる”と称されているが、霊的成長度の低い薄っぺらい認識における人生という概念ではなく、神が人間に託した“人生の目的”とは、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)を果たした人間が行う“楽土”(第二話の表記)の実現であることを読み取らねばならないものである。

 よって“その四”で取り上げた
力が熟達すれば術となり…中略…術が進んで自分の最高の智慧によって裏付けされれば法(のり)…中略…この力と術と法とによって人間は伸び栄えるのであるが、この三つの力
これに
誰が見ても正しい絶対の道
これが加わった、そこまでのことを今回取り上げている“さまざまな道を説いて”という文言に感じ取らねばならず、そしてそれは
神が常に人間に与えられている幸福を完全に握らせたいため
であることをよく知らねばならない。
 この“人間に与えられている幸福”とは、先の“地球を、凡ての人間が不幸から救われて愉快にたのしく暮らせる楽土”、この実現に当たることであると解するものであるし、そのために“人間”は先に取り上げた“三つの力に誰が見ても正しい絶対の道”これらを獲得し行使するべきであることをも読み取るべきである。

 これに続く
同時に、その人間も現在の肉体だけの存在ではなくそれもやがてなくなるので、その後のこともここでよく教えておきたい

これはローム太霊講話集、第七話~第十七話、死の前後 死後の種々相 のことではなく、人間は肉体、幽体、霊体、神体、で構成されており、それはまた、第十七話の
肉体は一つの仮のものであって、それに続く幽体、霊体、神体の方がその大本に帰ってゆくようにみられるが、生きている人間の九割まではその逆に、神体、霊体、幽体の助けによって今ここで人間に到達した
ということを知らねばならず、さらに“人間”は、第三十四話の
光以下のものは凡て物質に譬えられるとしても、光以上のものは物でないから簡単な言葉で表わすとすれば波動というよりない…中略…しかしこの地球の上の粟粒にも過ぎない人間の心が、地球そのもの以上の力を持つことの出来るのは、物質でないこの無限に存在する波動を受け入れる
この“光以下”が“肉体”に相当していることを読み取れるならば、“光以上”=“ 物質でないこの無限に存在する波動を受け入れる”ということをして
人間の心が、地球そのもの以上の力を持つ
これを
肉体だけの存在ではなくそれもやがてなくなるので、その後のこともここでよく教えておきたい
という言い回しに読み取れるものである。

 よって太霊は
そういう意味で汝等はこの心霊の話を聞き
この“心霊”という表記は、交霊会で話をしている存在、という意味合いではなく、お前たち人間は、肉体を持った心(靈)であるという言い回しであることに気づき、それだからこそ先の“肉体だけの存在ではなくそれもやがてなくなるので、その後のこと”
についても“教えておきたい”と称されているものであるし、それを
この中からそのエッセンスを引き出して自分の霊体の糧(かて)
この“霊体の糧(かて)”、そして“エッセンス”(essence、本質的なもの、最も大切な要素、精髄の意)、これを心(靈)に刻んでおけよ、である。

 今回はこれくらいにしときまんねん。


“ローム太霊講話集” 第三十五話 術と法と道 Kellyさん的解釈“その五”



 今回も、先回取り上げた文言に続く以下の文言を解釈する。

人間が現界でこの力を得ようとするには二つの道があって、一つは楽な方法で善をさせるものであり、一つは困難な方法で善に導く…中略…これはその人間の波動によるのであって、楽な方法…中略…例えば玄関に脱ぎすててある履物を直しておくとか、部屋に散らかっている紙屑を籠に入れるとか、道にガラスの破片が落ちていたら拾ってごみ箱に捨てるとか、そういう極く小さな善行…中略…これを百遍行なえば奇跡が起こるとさえ言われ…中略…困難な方法というのは、陰徳を施してもこれを誰にも知られてはならない、人に金を与えたり好意を示したりしてもその代償を求めないばかりかそれを心に思ってもいけないというようなことであって、これが本当の陰徳ではあろうが中々むずかしい…中略…今日ではこの二つの中間を取って、術と法と道を交(まじ)えていろいろに教えているものもある…中略…いずれも真実ではあるにしても、ロームは前の楽な方法を選びたいと思う。初めから出来ないことにかじり付いても徒労であって、可能なことを教えるのが真の教化…中略…この楽な方法で導いていって次第に完全な道にまで引き上げればよい…中略…それを多くの既成宗教では頭からむずかしい聖典の教義を説き、新興宗教では楽な欲張ったことばかり教え…中略…双方を折衷したよい指導をしてゆかないと人間の偏見は直らない…以下略…

 まず、冒頭の文言について、
人間が現界でこの力を得ようとする”

これは先回の
この力と術と法とによって人間は伸び栄えるのであるが、この三つの力に誰が見ても正しい絶対の道というものが加わらないと、放縦に流れたり偏見に囚われたりする
にかかる文言である。

 先回取り上げた上記文言で太霊は“力と術と法”を“三つの力”と称しており、それに“絶対の道というものが加わらないと”ということを述べておられる。
 それで“現界でこの力を得よう”とは、“三つの力”と“絶対の道”、これを“この力”と称されていることに気づき、それを“得よう”とする際に
二つの道があって
と述べられ
一つは楽な方法で善をさせる
これと
一つは困難な方法で善に導く
ということを述べておられる。
 そして“その人間の波動による”と前置きされているが、これについては後述することとする。

 その“二つの道”の前者は
楽な方法…中略…例えば玄関に脱ぎすててある履物を直しておくとか、部屋に散らかっている紙屑を籠に入れるとか、道にガラスの破片が落ちていたら拾ってごみ箱に捨てるとか、そういう極く小さな善行…中略…これを百遍行なえば奇跡が起こるとさえ言われ
後者は
困難な方法というのは、陰徳を施してもこれを誰にも知られてはならない、人に金を与えたり好意を示したりしてもその代償を求めないばかりかそれを心に思ってもいけないというようなことであって、これが本当の陰徳ではあろうが中々むずかしい
と述べておられる。

 この“二つの道”は、“善をさせる”と“善に導く”と述べられており、先の“その人間の波動”、これが“”由来の息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)とならねばならないのであり、このことを太霊は“人間の波動”と述べておられる。
 その息吹ならば“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)との感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)も起き、だからこそ“その人間”は霊的成長もする、また“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)は見守るし干渉もするからこそ、このことが述べられている。

 これに続く
今日ではこの二つの中間を取って、術と法と道を交(まじ)えていろいろに教えているものもある…中略…いずれも真実ではあるにしても、ロームは前の楽な方法を選びたいと思う。初めから出来ないことにかじり付いても徒労であって、可能なことを教えるのが真の教化…中略…この楽な方法で導いていって次第に完全な道にまで引き上げればよい

まさに太霊のおっしゃる通り“初めから出来ないことにかじり付いても徒労”そして“可能なことを教えるのが真の教化”、多くの人間は自分を律することもできず何か善い行いをしたならそれを示したいものであり、これは自我の特性でもあるが、こういった人間が“その代償を求めないばかりかそれを心に思ってもいけない”などということはできるはずもないと思える。
 要はこの言い回しそのものが、“行”やっていない、自分を厳しく律することもあまりしたことがない人間を対象にして述べられているのであって、これはS会=紫光会の会員のほとんどが、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)を目的とした厳しい“行”をしていなかったということでもある。

 これに相対し、自分が厳しい“行”をやっている、あるいは何年、何十年もやったならば、“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)との感応も進んでおり、自分の在り方もよく分っており、自分の低い心(靈)の動きを自分で律することが進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の秘訣であり、“善(神格化の方向性と智性の受信)”ということも少しづつ理解してきたはずであり、その息吹だからこそ“上”との感応も進んできたことを自分自身でよく分っているはずである。

 少々余談ではあったが、このことはこの記事を読んだ人はぜひ覚えておいてほしいものである。

 話を戻し、これに続く
多くの既成宗教では頭からむずかしい聖典の教義を説き、新興宗教では楽な欲張ったことばかり教え…中略…双方を折衷したよい指導をしてゆかないと人間の偏見は直らない

この文言中の“人間の偏見は直らない”という言い回しが、今の人間の大半が“偏見”を持っていることを前提に述べられているのであり、先回取り上げた
この三つの力に誰が見ても正しい絶対の道というものが加わらないと、放縦に流れたり偏見に囚われたりする
お前たちは“”の獲得や行使について“誰が見ても正しい絶対の道”ということを考えていないどころか、知りもしない、自分の欲望中心の“”の獲得と行使しかしていないが、それが“偏見”であり、先回述べた通り“”(力、知恵、知識…学問…能力、そして霊能力を含む)は何のためにあるのか、何のために使うべきか、ということをしっかり鑑みよ、ということを述べていらっしゃるものである。

 今回はこれくらいにしときまんねん。


“ローム太霊講話集” 第三十五話 術と法と道 Kellyさん的解釈“その四”



 今回は、先回取り上げた文言に続く以下の文言を解釈する。

元来人間は誰しも、金力とか物力とか智力とか…中略…兎に角何かの力が欲しいのであって、その道一筋に進めばその力を持つことも出来る…中略…汝等にしても、自分が今日まで困難に堪えて努力してきた道では他の人より堪能…中略…それが力であり…中略…力が熟達すれば術となり…中略…術が進んで自分の最高の智慧によって裏付けされれば法(のり)…中略…この力と術と法とによって人間は伸び栄えるのであるが、この三つの力に誰が見ても正しい絶対の道というものが加わらないと、放縦に流れたり偏見に囚われたりする…中略…よく気を付けなければ…以下略…

 冒頭で述べられている
元来人間は誰しも、金力とか物力とか智力とか…中略…兎に角何かの力が欲しい

 これは何のために“人間”である自分は“”を“欲しい”と思うのか。 これを突き詰めて考えた人間はあまりいないと思う。

 それで誰もが思う“”の獲得と行使、それは霊的成長にかかわるものであるということが言いうるものであり、それは“金力とか物力”の、先回の表記の“物だけ”に関わるそれ、そして“智力”、頭を使いたくさん“物だけ”を集めるか、あるいは智性(神性)を発現して自分の“”の使い方を考えるか、そこに霊的成長度の高低による差があるものである。

 ならば、霊的成長度の高い人間は自分の“”を何のために行使するか、それは、幾度も引用している第二話の
何とかしてこの地球を、凡ての人間が不幸から救われて愉快にたのしく暮らせる楽土にしたいという、神自身の本当の気持ち
そしてこれに続く
この神の気持ちは人間の心の中にもありながら、それを出す時が余り少ない

前後するが、この“余り少ない”理由は、ほとんどの人間の傾向として、自分が努力して獲得した“”(力、知恵、知識…学問…能力、そして霊能力を含む)は自分だけのものとする、そういう人間は“”を自分の利益と自分の損得のためにしか使わないからである。
 しかし太霊は先の第二話の文言通り“人間”が、自分自身で“観察と認識”しうる事象に対し、“神自身の本当の気持ち”を解り、そのうえで“楽土”を顕現することを望んでいる。
 それゆえ
神の気持ちは人間の心の中にもありながら、それを出す時が余り少ない
という言い回しをされていることに気づくべきである。

 このこと事態が先回の
人間が物に対することと心に対することとを完全に調和させてこそ、人間の理想を実現する元となる…中略…それはまた神の望まれる理想にも合致する…中略…人生の目的を達成するための強い力となる…中略…これでこそ真の道が開け神の命の下る人間となれる

この“人間の理想を実現”に当たるものであり、それこそが自分の存在の意味と意義である“人生の目的を達成”そしてそれは“神の望まれる理想にも合致”ということになる。
 また、そうなるならば“真の道が開け神の命の下る人間となれる”と述べられているものであることに気づくべきである。

 これに続く
その道一筋に進めばその力を持つことも出来る…中略…汝等にしても、自分が今日まで困難に堪えて努力してきた道では他の人より堪能…中略…それが力であり…中略…力が熟達すれば術となり…中略…術が進んで自分の最高の智慧によって裏付けされれば法(のり)…中略…この力と術と法とによって人間は伸び栄えるのであるが

この“”と“”と“法(のり)”については先回述べたので割愛するが、これにより肉体を持った心(靈)である人間が観察しうる事象、それは“現界”のことだが、そこで
力と術と法とによって人間は伸び栄える
先に第二話を引用して説明したとおりのこと。

 そしてそこで“伸び栄えるのであるが”と前置きされ
この三つの力に誰が見ても正しい絶対の道というものが加わらないと、放縦に流れたり偏見に囚われたりする…中略…よく気を付けなければ…以下略…

この“絶対の道”が“大道”に当たるものであり、お前たちはまだまだ霊的成長度が低いから、先の“神の望まれる理想”も“神自身の本当の気持ち”も解らないで、“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”としての“”の使い方をしている、それゆえに
誰が見ても正しい絶対の道
これが
加わらないと、放縦に流れたり偏見に囚われたりする
お前たちの“”の使い方は間違いだらけである、という指摘である。
 それは、他者を思う、全体を思う、ということをしない“”の使い方は、恨みの連鎖の霊的干渉の原因となることを○○○大先生は著書で述べているが、このことを理解できるほどの霊的成長度の人間もとても少ないという現状が今の人間である。

 少々蛇足だったが、それゆえに
よく気を付けなければ
と称されていることをしっかり読み取るべきである。

 今回はこれくらいにしときまんねん。


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 Kelly & ○○○大先生

Author: Kelly & ○○○大先生
FC2ブログへようこそ!


Kellyさんと○○○大先生は、
このブログを書いている○○○の、
心(靈)の二面性であり、
同一人物で有る事を、
お断りしておきます。

出版の告知

四冊目&五冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈4〉
智性無き心は
悪を容認する


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈5〉
智性無き心は
アセンションを見誤る

 この二冊は、同時発売です。
太陽凝視を行っている鍼灸師の話 <4> 智性無き心は 悪を容認する & 太陽凝視を行っている鍼灸師の話 <5> 智性無き心は アセンションを見誤る サムネイル
(クリックで拡大)

2010年 4月20日(火)ごろより、全国書店(紀伊國屋書店・三省堂書店・旭屋書店・ジュンク堂書店・ブックファースト・リブロ・丸善など)にて順次陳列。


発売中の三冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈3〉

神格化のプロセス
目上(めうえ)と目下(めした)


神格化のプロセス 目上と目下 縮小版 ブログ用
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発売中の二冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈2〉

ローム太霊の教え
日足(ひたり)と砌(みぎり)


サムネイル太陽凝視を行っている鍼灸師の話〈2〉ローム太霊の教え 日足(ひたり)と砌(みぎり) 
(クリックで拡大) 

お近くの書店にない場合は
たま出版のサイトでお買い求めください。

発売中の一冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈1〉

ローム太霊との出会い


太陽凝視を行っている鍼灸師の話〈1〉ローム太霊との出会い
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お近くの書店に無いときは
たま出版のサイトでお買い求めください。

この本に付いてはこちらを御覧下さい。


       




初めての方は、
・・・その後の事と・・・これからの事。
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☆ Kellyさん的事象の観察と認識 (107)
Kellyさんがこのブログに霊縁あった人(日止、霊止)に伝えたい事 (24)
Kellyさんと○○○大先生との会話 (7)
Kellyさんとチョ~極上ラブラブ中高年夫婦はんとの会話 (6)
Kellyさんとチョ~ベッピンはんのA野はんとの会話 (7)
Kellyさんと∪・ω・∪ ▼・。・▼ ▼・。・▽ U・。・U U。・ェ・。U たちとの会話 (34)
Kellyさんとメタボ研修医のYっちゃん先生との会話 (2)
Kellyさんとややメタボ内科医のYっちゃん先生との会話 (7)
Kellyさんと和風のベッピンはんのSはんとの会話 (2)
Kellyさんと農業好きの社長婦人K地M美はんとの会話 (12)
KellyさんとNominyan ∥*σ_σ*∥&Senyapoo λ*゜ο゜*λ との会話 (6)
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“日月神示” 上つ巻 (42)
“日月神示” 下つ巻 (38)
“日月神示” 富士の巻 (26)
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“日月神示” 松の巻 (30)
“日月神示” 夜明けの巻 (26)
“日月神示” 雨の巻 (18)
“日月神示” 風の巻 (15)
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“日月神示” 荒の巻 (27)
“日月神示” 地震の巻 (93)
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☆ 紫光会経文の文言 Kellyさん的解釈 (18)
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2005年10月1日~2008年1月15日まで、
“Kellyさんとの会話”で、説明して来た事・・・
その内容・・・それは・・・その何年も前から、
何か自分の考えをある程度公表しなければならない・・・
そう言う通信を受け・・・その理由は・・・地球人が低い心(靈)の発現しかしていない・・・
それを自覚していない人が多い。
その事由来の太陽凝視に対する認識、
(太陽凝視=不食・・・としか、認識させない存在の思惑を、受信している事)
霊的成長に対する認識、
神に対する認識、
心=靈に対する認識、
オーラに対する認識、
そして、
高い認識の上での進化の意味と幸福の概念と神の概念・・・
進化=霊的成長=神格化=(相対的に)高い認識を獲得する事・・・
霊的成長=神に近づく事=真の幸福の意味。
霊的成長度は1番目のオーラに顕れる。
よって、宇宙的プログラムにより次の段階に移行する人(日止、霊止)は、 何を考えるべきなのか・・・
そして、人(日止、霊止)の進化を阻む存在の思惑、
その心=靈の動き、それらの意図・・・それが一般に認知されていない事。
それらを伝えなければ成らない・・・そして一応・・・完結はしたのですが・・・
解り難い・・・理解しがたい・・・具体例を示して欲しい・・・そう言う感想も頂き、
そして自分なりにも説明が足らなかった事・・・
更に、
“Kellyさんとの会話”が完結してからも通信を受けている事・・・そう云う事もあり・・・
よって、このブログを立ち上げる事としました。
従って、
“Kellyさんとの会話”が、
自分の意見を述べる上での、ローム太霊の言葉、
“右往左往”(“いきり立つ心(奴と心)”で行動してから考える)・・・と、 するならば、 このブログはアタシ自身の、
“左往右往”(“思う、憂う”・・・体験を教訓として考え行動する)の、
作業になって行くと思います。



自分達の欲望を満たしたい… 
自分だけ幸福になりたい…
こういった進化程度の低い心(靈)の発現由来の思いが、
低い幸福の概念になり(目下(めした)の思い)
その結果が、飢餓貧困、戦争の原因になったりしています。
(子供の浮游霊の霊的干渉の影響を受け、 それがどんどん増して行く事等が、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)
の思惑だと 思えます)

恨みの連鎖による霊的干渉を増やさない為、
その解消の為にも、(この趣旨に反する類の物もありますが) クリックをお願いします。
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