“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話

太陽凝視を一生涯の“行”とし(現在、44年目)、実践し、その上で獲得した認識を述べています。

・・・その後の事と・・・これからの事。

・・・先生と二年数か月話して・・・
最後に話してから何日も経つけど・・・(
エピローグの事

今月始め・・・ちょっとだけ久しぶりに先生の顔を見に行きましてん・・・

・・・その時の先生の様子は、
ちょうどベランダで育ててはる、ほうれん草を収穫してはった。

余談やけど・・・先生の治療院兼自宅のマンションは、
南西角部屋でベランダが広く、
11月から3月までは、
日の出からから日没まで、
一日中、太陽凝視出来る条件を兼ね備えてて、
ほんでからにとても広いベランダやから、
先生は、趣味と実益を兼ねて野菜を栽培してはる。
(モノホンKellyさん曰く・・・○○○農園って言われてはる。)

その時の先生の様子・・・こんな事を言うてはったんやけど・・・

“アタシが育ててるほうれん草は、
在来種のほうれん草で、
今、スーパーなんかで売られてるほうれん草は外来種との交配種が多くってね。
その方が収穫が早いから、農家はそれを選択するんだろうけどね・・・
だから、
うちのほうれん草は成長に時間が掛かる。
だけど、こっちのほうが美味いね。
その外見の違いは・・・葉っぱの切れ込み方が深くってギザギザ・・・
それをしょ○たん流に云えば、ギザッ!!ギザギザっす!!
トゥッ○ゥル~トゥッ○ゥル~トゥッ○ゥル~~~♪♪♪
ギザッ!!ギザギザっす!!トゥッ○ゥル~♪トゥッ○ゥル~♪トゥッ○ゥル~~~♪♪♪

・・・いきなり先生は、年甲斐もないオヤジギャグを飛ばしてはったんやけど・・・
それは・・・先生はちょっとだけ久々にKellyさんの顔を見たから、
陽気に振舞ってた・・・
そやけど先生は、
毎日色んな事を考えて・・・憂鬱になってはる・・・
ほんまにこの世界の事がイヤになってきている・・・
そう言う感じがしましてん・・・

ほんでからに前もそうやったんやけど・・・
先生は・・・なんやしらんずっと考え込んではる・・・
その理由は・・・Kellyさんにはよう解る。

それは、Kellyさんが前に思うた事とおんなじやねん・・・

“・・・何とかならへんのやろか・・・何とかする事・・・”

そうやって思う事自体が、
地球人の霊的進化を望む高い存在からの通信の一部やって事やった。
(霊的干渉 “目上(めうえ)と目下(めした)”の前半 参照)

そやけど・・・そう言う風に思っても、
自分がどんなに考えても、
この世界の低い事象・・・それが変わって行く訳では無いやん・・・
先生は・・・その事を憂いてる・・・

低い事象・・・
例えば、恨みの連鎖による霊的干渉・・・
その大多数は、人の低い心(靈)の発現由来の事やって話をした。
それは、
恨みの連鎖に巻き込まれてる人達も、
それに関わっている霊的存在も、
進化過程が低いからこそ、それを体験して教訓にして行かんならん。
しかし・・・そう言う視点は一般に無い・・・

そう言う話も先生としたんやけど、
目先の苦痛から逃れたい人ばかりやから、
癒しとか浄化とか浄霊とか・・・
只、因縁から逃れたいとか・・・自分にとって都合の良い事だけを望む。
そういう事を思う人が好きな言葉は、
運命の・・・とか、奇跡の・・・とか、救い・・・とか、
そう言う甘い(亜、魔、出ずる、泉)思い・・・
そやからこそ、甘い事を言う霊能力者や占い師や・・・
そう言うもんがもてはやされてる。

そやからそれは、自分がどう生きていくのか・・・
目の前の事象に対し・・・自分はどういう選択をするのか・・・
それは、“自由”・・・
その存在に保障されてる最低限の権利とも言える“自由”・・・
ほんでからにそれは、
アミの本の中では“愛(炁)の果実”とされてる。

そやけどそれは・・・今思うた事は、
先生とKellyさんが思う事でしかないみたいなもんやねん。
憂鬱になってくるのが当然やねん。

ほんでからに、誰かが間違った方向に向かってたとしても、
それは、
体験として必要だったりもするし・・・
大体、その方向って言うもんは、
自分達は間違っていないと思うてる人が多いやん。
それは心の発現の程度が低い=沢山の認識を持ってない・・・
ほんでからにそれは、
自我の確立=固定化の段階の心(靈)の動き・・・
そういう事やねんな。

そやからそれは、
自分の中の、心(靈)の方向性の基準・・・
それをしっかり持ってへんからや。
そやからこそ、
“善悪”(神格化と、動物化=心の本能化)も判らへん人が多いし、
そんな事を意識せん。
更にそれを意識させない霊的干渉かてあるし、
ほんでからにそれが、
自分の心(靈)の動き=発振、発信による結果やて、
思うてない人が多いやん。

そやからさっきも思うたけど・・・それは、
只単に甘い夢を見たいとか・・・
低い功名心と自尊心で行動する事とか・・・
大体、そう言う心の発現しかしてへん人のほうが多いからや。
それは、今現在、
地球人のチャクラの覚醒って言うのんは下三つが中心やから、
自我の確立=固定化って事が起きる。
それ由来の行動=発振、発信=事象の創造をするのが、
当たり前やと思われてる節もあるし、
ほんでからに、そこから・・・その時点の霊的成長度から、
“下”に向かわせたい・・・進化させたくない・・・
それは、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)・・・
そう言う存在の思惑がある。

そやけどそれは、“自由”やから・・・
どういう考えを持つのも、どう行動するのも、
自分が決めて行かんならんやん。
自分が決める事やからこそ、責任を感じて行かんならん事なんやけど・・・
そう言う認識もあんまり無いな。

ほんでから、経験して・・・体験して、
それを教訓にして、自分がどう在るべきなのか考えるのは、
自省(胸の磁性“十”)の行・・・“直日(なおひ)”・・・

そやからそれは、
ある程度体験せんと・・・
あがいてあがいて苦しまんと解らへん事の方が多い・・・
そやからこそ、
その為に色んな事象を経験せんならんし・・・その中で、
自分の在り方を考えて行かんならんやん。

そう言う話も、先生とした・・・

“自由”・・・
責任のある“自由”・・・
そやからこそ・・・自分達の霊的成長だけを考えて行けばエエんやろけど・・・

間違ってる人に過剰な干渉をする事は、その人にとって良い事にはならへんやん。
体験から教訓を得られへんからや。
認識出来へんからや。
先生は・・・そう思うてはる・・・

そやけど、Kellyさん的には・・・
なんやしらん・・・煮えきらん思いがいっぱいあるやんか・・・
それは幾つか有るんやけど・・・
一言で言えば、この世界は腐ってて、
ほんでからにどんどんおかしくなってる・・・
そう言う話も先生としたんやけど・・・そう言う事ばかり目に付くやん。
ほんでからにその事がどう言う事やって・・・
それが示してる事とか、
それに対して自分はどう在るべきなのか・・・
誰も思うてへん様にも見える・・・

そう言う話もしたくって・・・その事も先生に言うたんやけど・・・
先生は、もう・・・そう言う話をあんまりしたくない・・・
そう言うてはった。

その理由・・・それはKellyさん的に思うんは、
前に先生が言うてはった事・・・

人は、
自分の持っている認識よりほんの少し“上”の事しか理解出来へん。
それは振動としての変圧の過程やし、
それは、自分の認識より=自分が持ってる振動より、
極端に高い思想とか認識とかは理解出来ん=受信して認識出来へん。
そやからこそ先生の言い方・・・
人(日止、霊止)は自分の持っている認識以上の事は解らない。
人は、信じたい何かから信じてそこから理解していけばいい・・・

そやからそれは・・・低い認識の事象ってもんをKellyさんと話しても、
それそのものが不毛な会話にしかならへん。
先生は、そう言う会話に時間を費やすのなら・・・
そのエネルギーを太陽凝視や電気行に振り向ける・・・
そして・・・自分の出来る事をする・・・
自分はそうするべきやって思うてはる・・・

そやけど・・・Kellyさん的には色々考えるやん。

今後、低い・・・醜い霊的干渉の事象はどんどん増えていく・・・
もう既にたくさんの事が起きてる・・・それが当たり前の世界になってる。
そやけど・・・その意味をよう考えん人が多いやん。
そう言う人が圧倒的多数・・・

その理由・・・それは“玉石混交(淆)”・・・
この事も先生と話した事やったけど・・・
それは、地球って場(フィールド)に霊的進化過程の違う人が沢山いてる。
それは(相対的に)、心(靈)の発現が動物に近い人・・・
人(日止、霊止)は、
動物から少し進化した自我を持ってても、
自我由来の心(靈)の動きと行動・・・
それに智性があんまり無いからこそ、自己奉仕者になる。
そやからそれは心(靈)の発現の段階として、
本能、情動、功名心、自我・・・それが中心の心(靈)になるやん。
そやから、
低い功名心とか自尊心とか・・・縄張り意識とか、虚栄とか・・・

縄張り意識は戦争の原因やろし・・・
虚栄は、過剰な経済の繁栄・・・
それが生み出してる外見だけの美とか・・・
それを具体的に言えば、
宝石とかブランドとか化粧品とかファッションとかダイエットとかサプリメントとか・・・
例を挙げたらきりが無いやん。
ほんでからにそこには低い心(靈)の発現由来の、貪、瞋、痴(とん、しん、ち、)
(摩多羅神 参照)
ほんでからに動物霊のディスプレイ(動物の発情行動)・・・
それ由来の・・・その心(靈)の動き由来の行動もある。

ほんでからに、そう言う人に対し、
ほんの少し智性の方向に・・・“上”に、
心(靈)が向いてる人もいてる。

その理由・・・

霊的に低い人(日止、霊止)も、ほんの少し“上”に向かってる人も、
一緒にいてる理由は・・・
言い換えれば、同じ場(フィールド)=地球に存在してるって事は、
その中で一人ひとりが“上”と“下”・・・
霊的な意味での“上”と“下”・・・それを認識して行かんならん。
自分の智慧(日を知る事=智性の恵み=慧)として行かんならん。
そして、
それを知る一つの指標が“目上(めうえ)と目下(めした)”。
“目上(めうえ)”の心の発現とも言える事は、
大脳新皮質=四つの場(フィールド)=心の上の四つの場(フィールド)=田、
そやからそれは“思う”って言う字になる。
それは、
“目下(めした)”の脳=大脳の旧皮質と古皮質しか持ってない動物から、
人(日止、霊止)へ進化してきた過程と観察されるやん。
そやけど・・・進化って言うのんはそう言う見方はされてない。

そやから、そう言う点でも
これからKellyさんが自分の為にも考えなアカン事。
今後のKellyさんは、
二年数ヶ月、先生と話した事を自分の智慧として、
ほんでからに自分の考えや、
行動(思惑の顕現)の指標にして行く。

そうするべきやから・・・これから感じた事をこのブログで整理して行きまんねん。

ほんでからに・・・ネットで検索してたら、
“日月神示”のほぼ全文が公開されてるのをKellyさんは知ったやん。
まだ全部読んだ訳や無いんやけど・・・
ほんでからに、
先生との会話の中でもKellyさんは気が付いた事があったやん。
キの御用とかミの御用とか・・・
それと、先生の解釈・・・先生との話の中で出て来た先生の我田引水な解釈。
それをヒントに、
“日月神示”の解釈を先生と話そうと思うて・・・
その事も先生と話したんやけど・・・
先生曰く・・・

“Kellyの認識は随分高まったんだから、
Kellyが一人でやってみたらいいんじゃない?”

・・・って、言わはって・・・

それはちょっと冷たいような言い回しやったんやけど・・・
それは先生がKellyさんの事を信じてるから、
Kellyさんの認識を信じてるから、そう言う言い回しをしたんやと思いまんねん。
ほんでからに、あんまり違う解釈をしたら先生はアドバイスするって言うてましてん。

ほんでからに・・・こうも言うてはった。

“解る事から解釈をして行くのが、
本当の事を求めて行く為の手段だし、
そして、アタシとKellyは、
“日月神示”を伝えた存在と同じ程度の霊的成長度を持っている訳じゃ無いからね。
最初から何もかも完全に理解するなんて事は出来ないんだから、
やれるところからやってみればいいんだよ。”

・・・そう言うてはった。

そやからこのブログは、
Kellyさんの事象の観察と認識・・・
平たく言えば、Kellyさん的に感じた何か・・・
ほんでからに・・・
先生は、低い事象の事を話したくないって言うてはったけど、
先生の心は、案外ウジ虫やから・・・
きっと又、
色んな話を場当たり的にKellyさんにして、
愚痴を垂れたりすると思いまんねん。

ほんでからにもう一つ、今、言うたみたいに、
Kellyさん的“日月神示”の解釈をして行こうと思うてまんねん。

ほんでからに“日月神示”の解釈に使わせて貰うんは・・・

公開されてる“日月神示”のファイル

このファイルを作られた方のホームページ


・・・膨大な作業に敬意を表し、感謝でんねん。

ほんでからに、
前に先生と話した先生の“日月神示”の解釈・・・
主なものを述べれば・・・

ローレンツ力と ○=ローレンツ力と“曲霊(まがつひ)”
○=場(フィールド)、荷電粒子の場(フィールド)であり、それは心(靈)を示す。

 
ウズ 右往左往、左往右往(サイクロトロン)=渦・・・
肉体内、骨髄中の鉄分子が磁性を持つ事によるローレンツ力・・・
それによる荷電粒子の回転。
渦巻き 右 回転=右回転は、
腹の段階の心の発現(軍荼利明王、荼枳尼真天の“荼”)から、
“下”に向かう事。

渦巻き 左回転=左(日足 ひたり)回転は、
腹の段階の心の発現から“上”に向かう事。
それが本当の進化の意味=人(日止、霊止)の神格化。

ほんでから・・・

“一”=1番目のオーラと、創造主の事。
“二”=肉体・・・動物と共通の部分
ほんでからに、“二”に(たて棒、コン)を足すと“土”、
“土”=2~3番目のオーラを示す事と肉体。
ほんでからに、
“三”=人(日止、霊止)のオーラの構成。
動物にはほとんど“一”=智性=1番目のオーラが観測されへんかった事。
それは、
人と動物の違い=霊的成長度の違い=進化程度の違い=心(靈)の発現の違い・・・
・・・そう言った事が、
心(靈)の動き=行動=思惑の顕現の為の“力”の使い方とか、
何かを求める動機=愛(炁)の顕し方とかになって行く事。
ほんでからに先生の“王”の解釈、
“王”は、
人(日止、霊止)のオーラ“三”に、(たて棒、コン)を加えた字。
三つのオーラを縦に繋いだ様子・・・
ほんでからに“王”の字にローレンツ力を足すと、
“玉(ぎょく)”になる事など・・・

更に、○  九 十 =まこと・・・
○ は、場(フィールド)、荷電粒子で出来た靈そのもの。
九と十は、卆(そつ)・・・最後の仕事という意味を持つ事。
九と十は卆・・・最後の仕事・・・神の思惑の顕現としての最終段階。
それが、心(靈)+物質・・・肉体を持った人(日止、霊止)。
ほんでからに九と十・・・“卆”。
ほんでからに卆は、
“玉(ぎょく)”=翡翠(ヒスイ)・・・翡翠(ヒスイ)は翡翆とも書き、
この翡翠の“翡”は、非と羽・・・
これは胸の自省(胸の磁性“十”)を示す。
そやからそれは“直日(なおひ)”でも有り、
“観自在”・・・自分の在り方を観る・・・でもある。

ほんでからに先生的解釈の身魂磨きとは、
肉体内の帯電するミネラルの結晶化。
結晶化したミネラルの電気特性が高い振動と感応共振し、
増幅され、
高い振動の場(フィールド)を構築して行く。
それは主に骨髄中の鉄分子・・・そやから骨が“行と修行”で固まって行く事そのものが、
真(真固止)。
そやから真(真固止)の為の行・・・その為の苦痛や試練・・・
それは生体内電流の強化で有る事=“行と修行”の意義。
ほんでからに、○ 九 十の ○ は、
場(フィールドでもあり、
荷電粒子で出来た靈そのもの。
そやからこそ、
人の感覚と認識、それは電磁波の受信。
それは心(靈)が感じて認識して行く何かで有る事。
ほんでからに感じた(受信)して、
それを自分の思想にするとかは、
認識した事象に、
自分の思い(心、靈、の四つの場(フィールド)、大脳の新皮質)・・・
その要素を加えて、
発振、発信するのがオーラの側面。
そして時間の進行と共に新しい事象を作っていく。
それが創造・・・神から託された仕事・・・
そして神は愛やから・・・人の良い形を望む・・・
それが“うれしうれし”とか“大歓喜”とか・・・

色んな話を先生としたやん・・・そやけど先生は、
あまりにも“日月神示”の解釈を、
はしょりすぎたと思いまんねん。
いきなり結論みたいな事を言わはった・・・
それは、特別神憑り=太陽凝視・・・
ほんでからにそれは、九部通りしくじる・・・
(“上”の思惑の顕現・・・“天の御目” 参照)

そう言う事が“日月神示”には書かれてはるって先生は思うてはる。
それを証明する為にも、
“日月神示”を先生の解釈を交えて解読する。
それは必要な作業やと思いまんねん。
余談やけど・・・先生の治療院の待合室には、
“日月神示”の解説本も何冊か置いてあって、
先生はそれを読んだし・・・Kellyさんも読んだんやけど、
それは言葉の解釈しかしてないように思う。
そやから・・・ちょっと物足らんかったやん。
その感想・・・そう言う話もした・・・
そやからこそKellyさんは“日月神示”の解釈をして行きたい。
ほんでからに、
先生との会話では説明出来へんかった先生なりの解釈も、
少し教えて貰いましてん。
きっと又、なんか受信して閃いてまんねん。
ほんでからに・・・
先生独自の“日月神示”の解釈は、
“日月神示”の解説本には書いて無い事やと思う。
そやからそれは、
先生が34年・・・4月から35年目に入る太陽凝視の結果、
それで得られた認識が、
先生の我田引水とも言える解釈になってるんやけど、
そういった事を材料にして、
Kellyさんは“日月神示”の解釈をして行こうと思うてまんねん。

・・・っちゅう事で、前置きが長くなったんやけど、
これからそう言う趣旨でこのブログをアップして行きまんねん。
今後もよろしゅうに・・・でんねん。

by (パチモン)Kelly

先生の太陽凝視に付いて・・・メールで質問を貰ってまんねん・・・

前のブログの時にもあった事やけど・・・
太陽凝視に付いて、色々尋ねられる事がある・・・

それは、
興味本位の質問やったり、
正直・・・とろくさなってまって、
答えるのがタワケらしいって事もあったらしいやん。

そやけどその中で少数の人は、
太陽凝視に対して真剣に考え・・・
そう言う視点で訊かれる事もあったり・・・
それは、
質問する人により(質問する人の認識の程度=霊的成長度により)・・・
まちまちでんねん。

ほんでから、
メールだけや無く、直接会った人からもそう聞かれる事が多い・・・
いちいちそれに答えてたら、結構、手間が掛かるやん。

そやから・・・それにお答えしときまんねん。

質問は・・・大体、以下の内容やねんけど・・・

具体的に太陽凝視って言うのは何をするんですか?
太陽凝視の方法を教えてください。
どんな太陽凝視ですか?
一日どれ位してますか?

ほんでからさすがに・・・先生は不食ですか?・・・って質問は無かったけど・・・

これは、太陽凝視のやり方みたいな質問やな。
その意味とか意義とかは・・・訊ねられてない段階の質問やな。

そやから今回は、先生が今まで、
どんな風に太陽凝視をして来たのかをお伝えしときまんねん。

そやけど、
具体的な太陽凝視のやり方と、どれ位やっているのかは、
前のブログにも書いて有るんやけど・・・それは、

“あの長い文章を見てくれてないって事だね”・・・って、
先生は言うてて・・・

今、太陽凝視に興味を持ってはるなら、
ほんでから、
ほんまに自分自身が太陽凝視に対し、
価値のある何かを求めようとするなら、
せめて、
あの長いブログを全部読んでから質問してくれはったなら、
それは・・・
先生としても嬉しい事なんやろけど・・・

多分、
太陽凝視で検索して前のブログやこのブログに辿りついて、
そして、
質問やメールくれはる事自体が、
なんでも簡単に知識や知恵を得ようとする・・・
それは、インターネットの利便性でも有るんやけど、
それは・・・その事自体が、

“何かを真剣に・・・真摯に追求する姿勢を失って行く事だね”

・・・って、先生は嘆いてはった。

それでは価値のある何かを獲得するなんて出来へんやんか。

価値のある何かを獲得するのに、
どれ位自分のエネルギーを贖ったか・・・

自分達の霊的成長を望んではる存在は、
それをいつも見守ってて、
ほんでからに、よう頑張った人にしか、
通信を送るって事をせんし、
高い存在が持ってる“力”を加える事は、
せんって事でんねん。

それは簡単に言えば、
“上”からの許可が出ないって事でんねん。
ほんでからにローム太霊さんの言葉、

苦に苦を重ね苦を求め更に苦を求めるのだ、楽を求めてはいかん。 ”
・・・でも、

そう言う意味の事を言うてるって事でんねん。

そやから先生と前に、“術”に付いて話をした。

その時に、
ローム太霊講話集の中のローム太霊さんの言葉でもある、
“法(のり)”とか“條(じょう)”・・・
それは“力”としての術の獲得の仕方と、
使い方の基準を獲得したって事でんねん。
それに付いては、とても大事な事やとKellyさんは思うから、
前のブログの記事、

思惑と顕現 “その六” 軍荼利明王と荼枳尼真天・・・
思惑と顕現 “その七” 軍荼利明王の“荼”・・・荼枳尼の“荼”・・・

・・・を、よく読んで欲しいねん。

繰り返すけど、

自分がどれくらいのエネルギーを、
どういうつもりで、
贖う(あがなう)のか・・・

それをせんと“上”との霊的干渉は起きへん。

そやから、一言で言えば、
簡単に価値のあるもんは得られへん・・・
それは当たり前の事やし・・・そう言う事を知って欲しいんやけど・・・

いきなりそんな事を頭ごなしに言うても、
霊的に幼い人にとっては、
只、厳しく感じたり、
突き放されたように思うたりするやろから、
しょうがないけど・・・Kellyさんが質問に答えまんねん。

太陽凝視って言うのは、字の如く、
太陽を見詰め、睨む事。
出来るだけ目を見開いて太陽を連続して睨み付ける事が、
凝視でんねん。

認識の低い人は、
只、
太陽の方に顔を向けて光を感じる事だって思うてる人もいてるようやけど・・・
それは太陽凝視とは言わへん。
それは単なる日光浴でんねん。
凝視って表現されてるんやから・・・

ほんでから先生は18歳のときから太陽凝視してはる。
現在52歳やから、
太陽凝視は35年目に入ったところでんねん。
ほんでから、一番最初の先生の太陽凝視は、
18歳の時、
太陽凝視を教えてくれたKさんから、
太陽凝視の事を聴いて、
Kさんのオーラを観測して・・・自分もこんな風に成りたいと思った。

そやから始めたんやけど・・・

そやけど一番最初の太陽凝視は、
4~5分やったそうで、
それは、ヘタレで根性無しやったって事でんねん。(笑)
それから半年位してから・・・当時は学生って事もあり、
時間の制約があったから、昼間、自由になる時間があまり無く、
大体、一日、
2~3時間の太陽凝視をしてはったそうでんねん。

ほんでから、
学校が休みの時は5~6時間太陽凝視してはった時もあったそうやねん。

ほんでから段々長い時間の太陽凝視をするようになった。
そやけど若い時は、
遊びたいとかサボりたいとかの気持ちもあって、
途中・・・太陽凝視に対し・・・
“これは本当に自分にとって価値のある事なんだろうか?”
・・・って、疑問を感じたり・・・
色々迷った事もある。
その事も前のブログには書いてある。

そやけど今現在は、
先生自身にとって一番価値のある事やと思うてる。

そして・・・段々長時間の太陽凝視が出来るようになり、
そして、
太陽凝視が以前に比べ苦痛ではなくなってきてる。

今現在は、条件さえ良ければ、
それは、仕事などの用事がなく
更に、
高い振動が得られる空が青い時、
そう言う時は時間の許す限り、太陽凝視をしてはる。
今は、
一日中太陽凝視する事も良くあるそうでんねん。
ほんでから天気が悪いときは少しの仕事をして、
ブログの文章をパソコンに打ち込んだりしてまんねん。

そやからそれは、
先生が仕事をしながら、長時間太陽凝視する事を望み、
ずっとそれを望みつつ、生活してきはった。

それは、凄くエエ天気の時に仕事が忙しかったり、
仕事が無くってヒマな時に、天気が悪かったり・・・

なんでも最初から物事は上手く進まへん。

そういう時に、
自分の霊的成長と仕事の両立って事を考え、
今は、あんまり物も必要では無い。
金も沢山はいらへん。
そやから必要以上の収入を望んでない。
ほんでから、必要以上の金儲けは、
低い心(靈)の発現由来の事やって事も、先生は充分認識してはる。
そやから金儲け・・・そんな事にエネルギーを贖う(あがなう)ならば、
太陽凝視や電気行にエネルギーを贖うべきやと思い・・・
何年もそう思い・・・
それがある程度実現した=“上”から許可になった生活を、
今現在してはる。

そやから先生は今、たいして仕事をしてへん。
それでも食うのには困らへんくらいの収入はある。
それもさっき言うた通り、自分の生活の在り方を望んで、
“上”から許可が出て、
それと引き換えに沢山の金は入らんようになった。
それは、
自分の人生では、一体何を獲得するべきなのか?・・・の、
その答えと・・・良い形でもある。
ほんでから先生は、今のその状況にある程度満足してはる。

そやけど、話を戻すけど、
太陽凝視に比較的苦痛を感じなくなったとは言え、
大体3時間くらい連続で太陽凝視すると、
目を開けたまま失神する事があるようで、
その時に、
色んな存在との交流がある様やねん。
そうやって“上”からの通信を受けてるようでんねん。
それは、ここ数年で起き始めた事でんねん。

ほんでから、
先生は子供の頃から近眼で眼鏡をかけてはるんやけど、
必ず裸眼で太陽凝視をする。
それもお伝えしときまんねん。
それは、
眼鏡やコンタクトは一部の太陽の振動を遮蔽するからで、
ガラス越しの太陽凝視にも同じ事が言える・・・
それも知っておいて欲しい事でんねん。

ほんでからに、朝日や夕日だけの太陽凝視は、
太陽が送ってきている振動を、
地球の大気でフィルターをかけてる状態で、
そやから空は赤く見える。
そやからそれは、
人が感じる太陽の色そのものは、
空気の層が厚くなる事によって、
自分が獲得する振動の波長は、赤中心になる。
そやからそれは、
地球で獲得出来る太陽凝視の振動の一部しか感得しない。
太陽は、“上”から“下”まで、
色んな振動を送っているって事を、
理解して欲しい・・・って、
先生は言うてましてん。

そやからそう言う点で、
朝日と夕日の太陽凝視って言うのんは、
赤 橙 黄 緑 青 藍 紫の振動から言ったなら、
赤 橙 黄色・・・下三つのチャクラの強化になるとも言える。
そやから、
太陽凝視し始めの時はそれでもエエかも知れへんけど、
太陽凝視が進んだなら、
必ず真昼の白い光の時にもして欲しい。

先生はそう言うてはった。

そうやなかったならそれは、
心(靈)が獲得する振動が“上”の振動では無いって言うのは、
言い過ぎかもしれへんのやけど・・・
自分が“上”の振動を獲得したかったなら、
真昼の太陽凝視をするべきだ・・・って、
先生は重ねて言うてましてん。

そして、
春夏秋冬・・・その季節による太陽の振動の違い・・・
それぞれ送られてくる振動が違う事も認識して、
太陽凝視して欲しい。
一例を挙げれば、
春は、大体肉体を構成する為の振動・・・赤外線の波長が強い時で、
その時は、秋の太陽に比べ、
精神的な糧を得られる時では無く、
それは、
季節としての砌(みぎり)と日足(ひたり)があるって事でんねん。
それも何年か太陽凝視をして行くと、
段々、感じて行くものだって先生は言うてましてん。

ほんでから、
そう言う長い時間の太陽凝視の結果、
いつでも先生の顔は真っ黒やし、
先生の両眼は、
充血した血管が発達し、ほんでからに、
瞳の両側に黄班変性がある。
そやけど、別に物が見えん様になったとか、
見難くなったとかは無い。
ジジイになって最近は老眼が出始めてるけど・・・

そやからそれは、
前のブログに少し書かれてるけど、
長時間の太陽凝視をするって言うのんは、
それに伴う、
霊的資格が必要な事でもある。

極端な事を言えば、
霊的成長度が低い人は、太陽の光に当たっただけで皮膚癌になる。
そやから太陽凝視でも何でもそうなんやけど、
分相応って事を考えんならん。
その中で一歩一歩進んで行ったなら、
長時間の太陽凝視も出来るように成るやろから、
少しずつ時間を増やして、
そして、
自分の肉体の条件も良く観察して行って欲しい・・・とも、
言うてはった。

ほんでから、
太陽凝視を始めた当時は、
太陽の残像が残ってた事もあったけど、
今はまったくそんな事は無いって言うてはった。

それくらいの事はあるに決まってるやん。
“行と修行”なんやから・・・

そやから・・・先生の太陽凝視は、
具体的にはこんなところやけど・・・今回は冒頭にも言ったとおり、
具体的にどんな風にやって来たのかをKellyさんが話したんやけど・・・
それ以外にも、
太陽凝視をやっていく過程で色々疑問が湧いてくるもんやろ。

そやから何を言いたいかと言えば・・・

真剣に太陽凝視の価値を見出そうとする人(日止、霊止)は、
多分・・・先生の永遠の友人って事やろから、
そやから、
真剣に太陽凝視を追及したくって、
その上で何か疑問が湧いた人(日止、霊止)は、
メールなりコメントなりで質問して下さい・・・って、先生は言うてはったやん。

その事も、お伝えしときまんねん。

○○○大先生が、“日月神示”上つ巻 第三十四帖 Kellyさん的解釈・・・にコメント頂いた、田舎様へ、お伝えしたい事があるって言うてましてん。



・・・ちゅう事で今回は、それを書き込みまんねん。

まず・・・田舎様のコメントそのものをご紹介させて頂く事にしまんねん。

     

“二回目?です。
検索してここにきました。
カテゴリーの解釈読まさせていただきした。

古事記にあります『久羅下那洲多陀用幣琉』も十字。
もう一つも漢字にあてられておりますが。
全体の意味、そして各語に込められている数等も含めた意味がございます。

ここからも言葉、数、シンボルとはイメージの塊(固まり)であることがわかります。
しかし五十連、言葉にいたしましても戦後さまざまに変えられてしまいました。
(ゐ等使われておりません)

日本語の本来の意味すらもなくなっている。
または従来の“意”が穢されてしまっています。
(言霊の実力に関係します)

そしてこのようなこともございます。
ヘブライ語、アラビア語等は右から左書き。
日本はその前はどっちから書いていたのか。


貴殿のブログにもございますように、
現代はカネ中心等でありますから、
その前提がないゆえに到底神示等を理解できる下地がございません。
ひふみ神示は神からの“示”でありますから、
当然言語学等だけでは理解できない。
ヽがないとならない。
それには『口、心、行』の一致この基礎がなによりも肝要。
ただ人々は学に囚われ基本の重要さに気づいておりません。


ゆえに学ばかりで“実”が加わっておりませんから、
社会におきましても心ない行為、行動、
犯罪が蔓延るのは当たり前であります。
しかも間違っている常識(教え、カルト等)を正しいと錯覚している始末。
ここからもマコトがない世だということが分かります。



『そう云う進化程度の低い心(靈)の発現由来の思いが、
低い幸福の概念になり、(目下(めした)の思い)
その結果が、飢餓貧困、戦争の原因になったりしています。 』

感銘いたします。その通りでございます。
読ませていただきありがとうございました。
長文失礼しました。”



以下、先生からの返事でんねん。


     


田舎様へ、コメントありがとうございます。

文中の、

“到底神示等を理解できる下地がございません。”
“五十連、言葉にいたしましても戦後さまざまに変えられてしまいました。”

←この世界は“玉石混交(淆)”で、
霊的成長度の高い存在と低い存在が、
同一の時空=現津(あきつ)=観察され得る事象を、
共有して観察していると思っています。
それは、
地球人が、まだまだ動物に近い集合意識の霊的進化過程でもあり、
動物の進化過程の集合意識から、
自我の確立=固定化に至り、
そしていずれ“個”の意識=独り神に、成長する過程だと思います。

ですから、
高い霊的存在のメッセージが沢山の人に理解出来る訳がなく、
(霊的成長度の変圧の過程)
アタシとしても、解らない人に解って貰おうなどという考えは持っておりません。
(しかし・・・現状を憂いてはいますが・・・)

価値のある貴い何かは、
圧倒的多数の霊的成長度の低い人によって勝手な解釈をされ、
自己奉仕者、“われよし”の思惑で利用されていますが、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)の思惑は、
人の低い功名心や自尊心を煽り、その事に気付かせない・・・
そう言うふうに感じています。

そしてそれは、田舎様のご指摘の通り、

“ゆえに学ばかりで“実”が加わっておりませんから、
社会におきましても心ない行為、行動、
犯罪が蔓延るのは当たり前であります。
しかも間違っている常識(教え、カルト等)を正しいと錯覚している始末。”

←この田舎様の言葉そのものが、
それぞれの霊的成長度に於ける認識(悟り、幸取=さとり)を示し、
それは、
それぞれの霊的成長度に於ける解釈にしかなり得ないと言う事です。
ありていに言えば、
霊的に低い人は低い解釈しか出来ず、その事にほとんどの人が気付かない・・・
その事を、田舎様の言葉を拝借すれば、
“学ばかりで”・・・と、言う事になり、
よって、
人(日止、霊止)が霊的成長の為に“行”をするならば、
“上”の思惑と感応共振する・・・
そしてそれぞれが、
事象の観察という神と共通の行為をしたとしても、
それぞれの認識(悟り、幸取=さとり)というものは、
差があるものだと思います。
そしてそれは、
人と動物の違い(霊的進化過程の違い)でもある、
“目上(めうえ)と目下(めした)”=大脳の新皮質と旧皮質古皮質の脳で、
生み出される思惑の違いでもあります。

(“目上(めうえ)と目下(めした)”に付いては、
前のブログをお読みください。サイドバーにリンクが貼ってあります。)

更にそれは、
田舎様が書かれた“実”の解字として、
宀(うかんむり)=頭、
三=人(日止、霊止)が備える三つのオーラ、
それに丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)と乚部(いんぶ)が書かれる事、
“一”と肉体のオーラ、2~3番目のオーラ、“二”“三”に、
“上”から“下”に向かって、
丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)と乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現)が、
書かれる事、
そう言う頭=思想を持つべきということだと思います。

又、
霊的な“上”と“下”で田舎様の表現を拝借すれば、

“言葉、数、シンボルとはイメージの塊(固まり)であること”

←この事自体がそれぞれの認識(悟り、幸取=さとり)=イメージで、
それは上記の通り、
霊的成長度により差が有る事を、
田舎様は、
おっしゃっていらっしゃると思います。
ですからそれは、心(靈)の発現の“上”“下”により差が有る事です。


そして今回書き込んでいただいた、

“久羅下那洲多陀用幣琉”の“久羅下”を一文字づつ観れば、
以下の意味があると思います。

“久”は、
丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)+
“一”=智性=1番目のオーラ+人(日止、霊止)・・・或いは創造主そのものを指す。
“創造”の主は、
“亜”から出ずる・・・アイ、“思惑の顕現”=現象化、
それは人の観察=こちらから観れば、
向かって日足(ひたり)から砌(みぎり)に移行する形でも有ると思います。
そして、
最後に書かれるのは、丿部(へつぶ)と乚部(いんぶ)で、
神の思惑の顕現と、人(日止、霊止)の思惑の顕現だと思います。

“羅”は、
目の下の錐体状の神経を表した字であり、
般若心経の“波羅密”の“羅”であり、
それは視床下部でもあり、
振動の受信=“波羅密”の“波”で、
それは事象の観察と認識(悟り、幸取=さとり)で有り、
それにより、
心(靈)と体が創り変る事=“気血栄衛(營)”を示す字だと思っています。
(この事に付いては、前のブログをお読みください)

“下”は、
“一”=智性=1番目のオーラ + (たて棒、コン)、縦の磁性 +
ローレンツ力  =ローレンツ力。
この場合の“下”は、
“上”の思惑を縦の磁性で取り込む事を示した字だと思います。

よって、
自分が高い認識を得ようとするならば=“上”の思惑の受信をしようとするならば、
肉体の磁性の強化が霊的成長に結びつき、
その過程で相対的に“上”の心(靈)の発現が有り、
人(日止、霊止)の神格化の過程は、それ以外に有り得ないと思っています。

又、
心(靈)の進化過程=霊的進化過程の具体的な表現が、
“ひふみゆらゆら”、
それは人(日止、霊止)に観られる“一”“二”“三”のオーラ、
動物には、“二”“三”のオーラしかなく、
それは“王”に対しての“土”でもあります。
そして、霊的成長の過程は、
“思惑の顕現”=現象化で、
思惑=日足(ひたり)で、顕現=砌(みぎり)だと思います。
その事を“日月神示”では“ゆらゆら”と表現され、
“一”“二”“三”それぞれの、
左右の磁性の右往左往と左往右往であると思います。

そして・・・今回は書かなかったのですが、
御幣を支える棒が、
背骨に相当し、
背骨の磁性・・・それは、“金(かね)”の意味でもある、
“力(ちから)の根(ね)”=骨髄中の鉄分子と、
その周りの神経がコイル状で、
生体内電流により電磁石の構造を持ち、
ローレンツ力  =ローレンツ力が発生する事、
それがこの場合の、
“下”の、(たて棒、コン)であると思います。
それは、御幣そのものが、
神の依り代と表現されそれは、
神の思惑を取り込んだ人(日止、霊止)の“思惑の顕現”=現象化を、
示したものだと思いますが・・・これに付いては、
三本目のブログでいずれ私見を述べたいと思っています。
(三本目のブログは、まだ公開出来る段階には至って無いので、
もう少し纏まったならこのブログからリンクを貼ります。)

・・・と、今回の田舎様のコメントに対し、
感じた事を書かせて頂きました。

又のご来訪お待ちしております。

by ○○○大先生

     

     

・・・っちゅう事やったんやけど、
先生は、長年の太陽凝視で平均的地球人よりほんの少し、
“一”=智性=1番目のオーラが大きいからこそ、
“上”の思惑を受信出来るって我田引水な判断をしてる・・・
そやけど・・・間違える事も多いに決まってる・・・
それはまだ地球にいるんやから・・・その事自体が、
たいして霊的成長してないって事やし、
そやから先生は、

“今後も感想をお聞かせください。
突っ込んだ質問や、
こんな解釈間違っているというようなご意見もあれば、
どうぞ遠慮なくおっしゃってください。”

・・・って言うてましてん。

そやから、こんな事書いたら失礼とか思わんと、
遠慮なくドシドシ突っ込んで下さい。
ほんでからそれは、田舎様だけに限らず、
このブログを読んだ人(日止、霊止)すべてにお伝えしときまんねん。

by パチモンのKelly

太陽凝視を行っている鍼灸師の話〈1〉ローム太霊との出会い 発売日のお知らせ



前回の出版の告知では、
一冊目の本の発売日は3月1日の予定やったけど、発売日が予定より早まったさかいにお知らせしまんねん。

2月12日(木)ごろより、全国書店(紀伊國屋書店・三省堂書店・旭屋書店・ジュンク堂書店・ブックファースト・リブロ・丸善など)にて順次陳列。
お近くの書店に見当たらない時は、
たま出版のサイトでお買い求めくださいでんねん。
ほんでから表紙はこんな感じでんねん。

 

太陽凝視を行っている鍼灸師の話〈1〉ローム太霊との出会い 



何で一冊目が赤主体のデザインになっているのかは・・・ちょっとした秘密がありまんねん。
前のブログを読んではった人ならすぐ分かると思いまんねん。

ほんでから先生は“思惑と顕現”の加筆訂正にこれから入るところでんねん。
そやからそれは、前のブログの加筆訂正がすべて終わったならこのブログ“続”ももうひとつのブログ“改”も再開する予定やから、悪しからず御了承くださいでんねん。
多分、本の発売日までには終わると思いまんねん。

以上、パチモンKellyさんからの告知でした。

真の意味での“主護霊”と、間違った解釈の“守護霊”…その違い。




今回は表題の通り、
何でローム太霊さんが、主護霊って書き記すようにS会=紫光会で言うたのか、
それについての先生の解釈を、説明したいと思いまんねん。
その前に、今、主護霊の概念はとんでもなく低いものになってる…そのことは前のブログで先生と何回も話したことやけど、
憑いている存在は自分を守ってくれている…護ってくれている…そう思うからこそ、
主護霊を守護霊って書き換えたりするんやろけど、
守る、護る、霊…そんな言葉の使い方を高い存在はしないと思うやんか。
ほんでからローム太霊さんが伝えた主護霊の定義と意味と意義…ほとんどの人がそのことを真剣に思うてない。
ほんでから“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の存在の思惑は、
ほんまの意味での主護霊と感応共振させたくないからこそ、
低い霊的干渉で“力”を示させたり、低い霊能力者を活躍させたりもする。
そんな事はいまさら詳しく説明はせんけど、せめてこのブログに霊縁あった人に知っておいて欲しいのは、
主護霊って情報を正確に詳しく伝えた存在は、ローム太霊さんだけで、
他にはいてへんねん。
ほんでからS会=紫光会に取材に来た漫画家が主護霊を題材にした漫画を書き(うしろの百太郎 つのだじろう)、
そして主護霊って言葉が一般に知られたんやろけど…それは、
言葉だけが知られたに過ぎないに等しい。
そやから、主護霊の字を観て、
霊的に低い人は、
主に、護る、霊…そんなふうにしか思わへんのやろ。

そやから“主”…この字のことをいま少し言うとけば、
“日月神示”下つ巻 第十二帖で、
Kellyさんが“十柱”って言葉を解釈した時に、
“柱”って言う字は木部と主…
そやから、その“主”って言う字は、
ローレンツ力 ローレンツ力 と、
三つのオーラと、
(たて棒、コン)…この解釈はすべて磁性の形の違いってことでんねん。

一つ一つ言うとけば、
ローレンツ力 ローレンツ力 は磁束が無いと発生しない力でんねん。
ほんでからローレンツ力 が“上”から降り注がれる荷電粒子を引き寄せ、
自分の場(フィールド)に取り込み(霊=○、荷電粒子の場(フィールド))
回転させる様子が、
“一二三”のオーラ、
“一”=智性=1番目のオーラと“二”2~3番目のオーラの表記になってる。
それが全部組み合わさると“三”になり、
それを縦の磁性でつないだカタチが“王”でんねん。

ほんでから今、縦の磁性のことを少し言うとけば、
先生は、下等な生物から高等な生物に進化して来た過程は、
蛋白質の結晶化により縦の磁性が出来始める…それが遺伝子やって、
太陽凝視を行っている鍼灸師の話“改”で説明してるつもりで、
そやから今、原生動物の…ゾウリムシとかアメーバとかホシズナとか単細胞生物を先生が観た視点で文章を書いてはる。
そやけど…中々原生動物から先に進まへん…先生、変な生き物好きやからな。

話を戻し、
原生動物から進化して軟体動物になり、段々進化って言うのんは骨を持つようになり、
そして背骨を持つようになる…それは魚とかでんな。
そうなると頭とシッポの縦の磁性の発現が強固になるってことで、
それが示されてるのが“王”の(たて棒、コン)やって先生は思うてる。
ほんでから魚から両生類、爬虫類、鳥類、哺乳類…人間…そうやって進化して来た過程って言うのんは、肉体の磁性の強化とその変容やって先生は思うてる。
ほんでから“三”…“一二三”のオーラ…
これは縦の磁性ありきで、
縦の磁性が無ければオーラは三つにならず、
そして縦の磁性のローレンツ力 ローレンツ力 で荷電粒子が回転し、
そして構成されている水平磁場が三つのオーラって考えを持ってはる。

主(ヌシ)の解字 
先生はそこまでのことを“改”で説明しようとしてはるんやけど…変な生き物好きの先生は中々ゾウリムシ君から先に行かれへん。

まあ先生の変な生き物好きは一部で有名やから…それはおいといて、
そやから、
主護霊の“主”…ヌシって言うのんは、
ただ、主に(おもに)護る霊なんて薄っぺらい意味ではなく、
人(日止、霊止)が独り神(ひとりがみ)になる仕組みを表してるとKellyさんは思いまんねん。
そやからこそオーラが大きくなり、オーラの質も高いものになれば、
“上”から降り注がれる荷電粒子…と反応をする。
当然…先生もそう思ってるに決まってまんねん。
そやからこそローム太霊さんは、
人が神格化する仕組みともいえる、今言うた要素、
ローレンツ力 ローレンツ力 と、
“一二三”のオーラと、
(たて棒、コン)=縦の磁性…
それを護る霊…そやから“主護霊”って表記で書き記せって交霊会で言うたと思いまんねん。

ほんでから…なんで今、こんな記事をアップしたのかって言うと、
主護霊と低い解釈の守護霊…その違いに付いていずれKellyさんは、
このブログで述べていくつもりやったし、今までも何回も先生とその話はした。
そやけど、
今度発売される先生の本、その著者のプロフィールに、
“主護霊”って表記があるんやけど、
何の手違いか… 守護霊って書き換えられてる。
先生は、たま出版のお偉いさんと電話で、
“しゅごれいは守護ではなく、主護霊と書き表すべきです…”って話をしたんやけど、
うまく通じて無かったかも知れへんし、
著者のプロフィールを先生自身がパソコンに打ち込んだときに、
ゲラと一緒に、
印刷したものを出版社に送っただけやった。
ほんまはWordの添付ファイルも送り、そして打ち合わせすべきやったって後悔してはる。


そやから、
太陽凝視を行っている鍼灸師の話《1》ローム太霊との出会い…の、
初版本の著者のプロフィールは、
誤植があることを知って欲しいからでんねん。

悪しからず御了承くださいでんねん。

そやからここで、先生が自分のプロフィールをどう書き記したのかを、
原文のまま公開しときまんねん。

“著者のプロフィール

1955年12月 愛知県名古屋市生まれ。名古屋市東区在住。
鍼(はり)灸(きゅう)マッサージ治療(予約制)児玉療院を一人で自営。
学歴も地位も名誉も金も無い…屁理屈の多い偏屈なただの鍼灸師。
本文中にもあるとおり、18歳の誕生日にあるきっかけで霊眼が覚醒し、その直後、霊縁により太陽凝視を知り、また、T霊媒=竹内満朋主催のS会=紫光会霊団に入会を許され、竹内満朋の稀有な能力により自身の主護霊との直接談話にて様々な指導を受ける機会に恵まれた。その後、様々な霊的存在やオーラを観測し、同時に“行”を行いつつ、神や霊や人(日止、霊止)の存在の意味と意義を追求し始め、そして33歳の時霊眼を消失し、その意味を自分に問いつつ、同時に“上”の霊的存在との交流をはかり、自分の在り方も考え、さらなる“行”を行いつつ…現在も時間の許す限り太陽凝視をして…この世界=事象に不満を抱きつつ…現在に至る。
著者の名前の児玉登は、本人曰く、漢字の音訓を読み替え並び替えると(アナグラム)、言霊(ことだま)の意味を持つ。
ちなみに本文中のKellyさんと○○○大先生は、著者の心の二面性(感情と論理)が表れているとのこと。”

…以上でんねん。

太陽凝視を行っている鍼灸師の話〈2〉ローム太霊の教え 日足(ひたり)と砌(みぎり) 出版の告知


前のブログ、二冊目の発売が決定しましてんな。

太陽凝視を行っている鍼灸師の話〈2〉ローム太霊の教え 日足(ひたり)と砌(みぎり)  


7月11日(土)ごろより、全国書店(紀伊國屋書店・三省堂書店・旭屋書店・ジュンク堂書店・ブックファースト・リブロ・丸善など)にて順次陳列。
お近くの書店に見当たらない時は、
たま出版のサイトで、あるいは、Amazon 楽天 YAHOOなどで、お買い求めくださいでんねん。

ほんでから先生が、前のブログで、太陽凝視を行っている鍼灸師の話<1>ローム太霊との出会い を通じて、縁が出来た人にお礼を言うてまんねん。
よかったら、そちらも読んでやってくださいでんねん。

以上、パチモンKellyさんからの告知でした。

太陽凝視を行っている鍼灸師の話 〈3〉 神格化のプロセス 目上(めうえ)と目下(めした) 出版の告知



 前のブログ、三冊目の発売が決定しましてんな。


太陽凝視を行っている鍼灸師の話<3>神格化のプロセス 目上(めうえ)と目下(めした) 


 

 12月5日(土)ごろより、全国書店(紀伊國屋書店・三省堂書店・旭屋書店・ジュンク堂書店・ブックファースト・リブロ・丸善など)にて順次陳列。
 お近くの書店に見当たらない時は、 たま出版のサイト、あるいは、Amazon 楽天 YAHOOなどで、お買い求めくださいでんねん。

 ほんでから、この本のタイトルの、目上(めうえ)と目下(めした)は、ちょっと難しい意味がありまんねん。
それについて先生は、Amazon用の“著者からのコメント”の文章を用意してはって、それは、

○○○療院のホームページ内の、本の紹介

に公開してあって、それを読んでいただいたら、目上(めうえ)と目下(めした)の意味も、大体、分かっていただけると思いまんねん。
 ほんでからこの項目には、すでに発売済みの<1><2>のAmazon用の“著者からのコメント”も載ってまんねん。
 そやからそれは、今、一般に、タイトルだけ見て、内容を観ないで批判するだけの人が多いから、先生は、こんな文章を作りましてんな。

 よかったら、読んでやってくださいでんねん。

 以上、パチモンKellyさんからの告知でした。

太陽凝視を行っている鍼灸師の話 <4> 智性無き心は 悪を容認する & 太陽凝視を行っている鍼灸師の話 <5> 智性無き心は アセンションを見誤る 出版の告知




 前のブログ、四冊目&五冊目の発売が決定しましてんな。 ほんでからこの二冊は、テーマに一貫性があるので、同時発売でんねん。


太陽凝視を行っている鍼灸師の話 <4> 智性無き心は 悪を容認する & 太陽凝視を行っている鍼灸師の話 <5> 智性無き心は アセンションを見誤る

 


 4月20日(火)ごろより、全国書店(紀伊國屋書店・三省堂書店・旭屋書店・ジュンク堂書店・ブックファースト・リブロ・丸善など)にて順次陳列。
 お近くの書店に見当たらない時は、 たま出版のサイト、あるいは、Amazon 楽天 YAHOOなどで、お買い求めくださいでんねん。
 ネット通販の場合、書店の店頭よりも、早めに手に入るようでんねん。

 ほんでから○○○大先生は、すでに、Amazon用の“著者からのコメント”の文章を用意してまんねん。

○○○療院のホームページ内の、本の紹介

 
よかったら、読んでやってくださいでんねん。

 以上、パチモンKellyさんからの告知でした。

 

今年もよろしくお願いいたします。 by ○○○大先生&パチモンKelly

平成23年正月用画像 ウサギふう

☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀


昨年は、
似非(えせ)スピリチュアル、インチキ霊能力者、現世利益で商売をして形骸になった宗教、
意義を見失ったヨガ、
甘い夢を見させるだけの占いやオーラソーマなど、
また、ファッションやブランド宝石等で大もうけして、多数の恨みの連鎖を生み出した事、
さらに、人の霊的成長のための尊い情報(“主護霊”アセンションなど)を金儲けに利用した自己奉仕者の功罪(“日月神示”表記の“石屋の仕組み”と“役員づら”)、
それらをありがたがる霊的に低い心の動き。 

このことを指摘した 智性無き心シリーズ <4> <5> を刊行させていただきました。 
 
(未刊行の <6> <7> では、霊的成長(神格化)のための心(靈)の発現と動き、それに伴う肉体の変容とその仕組み。 それは“行”による変容で、修行の意義と意味であり、それが本当の意味での“宝と玉(ぎょく)”(結晶化、 “日月神示”表記の“身魂磨き”)であることを、説明しています)

アタシの著書、ブログをお読みいただいた方が、
平均的地球人より高い愛(“慈悲”と“慈愛”)の発現と行使、
幸福の真の意味、
神(“創造”の“主(ヌシ)”)と人(日止、霊止)の関係、
進化(霊的成長、神格化に向かうこと)を、深く理解され、
霊的成長(進化の真の意味と意義)を見出された方々が、
天の御目(あめのおめ)(智性、1番目のオーラ由来の事象の観察の視点、目上の心(靈)の発現と行使)の確立をなされ、
“創造”の“主(ヌシ)”の思惑(天意)を認識(悟り、幸取=さとり))し、
今後=アセンション後の、現津(あきつ)、観察され得る事象の、
真実=真固止(まこと、 ○ 九 十、誠)の“創造”(“思惑の顕現”=現象化)に、
一人でも多く参加されることを、切望しております。

○○○大先生=児玉登

明けましておめでとうございます。 皆様のご多幸をお祈り申し上げます。


 明は日と月。 
日は“創造”の“主(ヌシ)”の思惑を仲介する使命の太陽、それは“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)からの荷電粒子。 
月は肉体、荷電粒子を止め、心(靈)を成長させる道具(古神道表記の“日止、霊止”の意味)。 
おめでとうには、天の御目の太神(あめのおめのおおかみ、現津(あきつ)、観察され得る事象を、自らの心(靈)が“創造”するための基準)と、塔(積み上がったさま、縦の磁束の強化)、あるいは自凝(おのころ)の仕組み(アミノ酸の電気特性によるタンパク質の高分子化)、それは肉体の進化(霊的成長、神格化に向かうこと)であり、そして“日月神示”表記の“身魂磨き”、生体内電流による肉体組織の結晶化、“行”の目的と意義、これらの意味があります。 

 幸の解字は“夭と屰”(ようとげき)、夭折(若死にのこと、人に認識を獲得させたくない“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)の思惑の顕現)に逆らうの意。 心(靈)が肉体(月(ツキ))を持っている間に、たくさんの認識(悟り、幸取=さとり)を獲得すること、それは“上”が課す霊的成長のための苦痛や苦難や苦悩=試練に耐え(屰)、その試練に霊的成長の価値を見出していき、自らの心(靈)が神に近づくこと、それが真実(真固止、“日月神示”表記の ○ 九 十)の幸の意味です。

 これらの事柄を、アタシの著書とブログからお読み取りいただければ幸甚です。 
 本年もよろしくお願いいたします。

(パチモン)Kelly&○○○大先生

真夏の太陽凝視と太陽凝視の捉え方の違いについて(コメントで質問いただいた蓮様への回答です)


 先日、日月の巻 第十八帖 Kellyさん的解釈に、蓮様からコメントいただきましてん。
それで○○○大先生は、蓮様のご質問に対し、たくさん説明しなければいけないことがあると思ったので、今回その質問に対する詳しい回答と、これまで太陽凝視に関して説明不足であったことを記事にさせてもらいましてん。
それで蓮様のコメントは、以下の通りでんねん。

Title:真夏の太陽凝視
いつも参考にさせていただいております。
日月神示に関してのコメントではないので恐縮なのですが、質問させていただきたくコメントしました。

 暑い日が続いていますが、○○○大先生は著書にも書いておられたように、夏の一番暑い時にも長時間の太陽凝視をされているのでしょうか?
 不仕付けな質問で申し訳ないとは思うのですが、真夏の太陽凝視は私には中々大変で、他の季節のようにはできないため、このような質問をさせていただきました。
 真夏は太陽光も暑さも強烈で、太陽凝視を他の季節と同じ調子でするとすぐにダウンしてしまいます。  ○○○大先生は真夏の太陽凝視をするにあたり、何か熱中症対策のようなことをされているのでしょうか?

 また、色々なサイトで、太陽凝視は午前中の限られた時間にするべきで、午後の太陽凝視は危険なので絶対にしてはいけないというような事が書かれているのをよく目にします。
確か○○○大先生は著書かブログで(うろ覚えですみません)、それぞれの季節、時間によって太陽から得られる振動にも違いがあるというような事を書かれていたように思うのですが、このことをもう少し詳しく教えていただきたいです。
 よろしくお願いいたします。

☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀

この質問に対し一応簡潔に○○○大先生はコメント欄で以下のように回答しはった。

ご質問いただいた件、
> ○○○大先生は真夏の太陽凝視をするにあたり、何か熱中症対策のようなことをされているのでしょうか?
これについてはコメント欄で説明するよりも、いろいろ具体的に説明させていただきたいことがあります。
それで蓮様も、
> 真夏の太陽凝視は私には中々大変で、他の季節のようにはできないため、
> 真夏は太陽光も暑さも強烈で、太陽凝視を他の季節と同じ調子でするとすぐにダウン

とおっしゃられておられる通り、 夏の太陽凝視は中々体にこたえる要素が多いですし、日照時間も長い。
また日照時間が長いので、長時間の太陽凝視が出来る季節ということでもあります。
 それで暑い時の太陽凝視にはアタシなりの工夫もあります。  これについては画像も使いながら、記事を立ち上げて、説明をさせていただきたいと思います。

それと以下のご質問、
> また、色々なサイトで、太陽凝視は午前中の限られた時間にするべきで、午後の太陽凝視は危険なので絶対にしてはいけないというような事が書かれているのをよく目にします。
太陽凝視初心者はいろいろな思いに駆られるもので(それはいろいろな存在が憑依してくるからでもありますが)、 自分の限界を自分で決めてしまう傾向もあると思います。 それで、初心者は初心者なりの太陽凝視を行っていただければそれでよいのですが、 “行”が進めば、著書で少し説明したように長時間の太陽凝視が出来るようになるものです。  しかし、そうなるには、数年、あるいは十年以上の期間も必要です。 
 このことをご承知おきいただき、ネット上の記事、自分は太陽凝視をやっているのだとか、自分の考えを認めてもらいたいとか、 こういう心の動きで書かれた記事に振り回されないようにされるとよろしいと思います。
 また、こういう発想をする、そして自分で自分の限界を決めてしまう心の動きになること、この心(靈)の動きに感応する存在の思惑、これについても記事で説明させていただきたいと思います。

それと、
> 確か○○○大先生は著書かブログで(うろ覚えですみません)、それぞれの季節、時間によって太陽から得られる振動にも違いがあるというような事を書かれていたように思うのですが、このことをもう少し詳しく教えていただきたいです。
 これについても著書では簡単に述べただけで詳しく説明しませんでしたので、 この件と、先の件に関して、記事にさせていただきたいと思います。 しばらくお待ちください。
 
それで記事にする前に、
夏の一番暑い時にも長時間の太陽凝視をされているのでしょうか?
について少しお答えします。
 アタシが真夏に行う太陽凝視ですが、 著書で述べた通り季節を問わず、太陽凝視中心の生活を過ごしており、
よって時間の許す限り太陽凝視を行っているので、 条件が許せば=“上”が時間を作ってくれた時は、 真夏の日照時間が長い時は10時間以上になることもあります。  それで、“上”が時間を作ってくれる、このことについても説明させていただきたいことがあります。
(著書で少し述べてはいますが)

(重複しますが)上記の件をも含め、説明させていただきたいことがありますので、後日、これらの件を記事にさせていただきますので、しばらくお待ちください。  
またこういった突っ込んだ質問をいただくと、これまで説明できなかったことが詳しく述べられます。
それで
不仕付けな質問で申し訳ないとは思うのですが
と、 蓮さまにはお気遣いいただいてますが、 どうぞ遠慮なく、今後もいろいろお訊ね下さいませ。
コメントありがとうございました。


先生はこんなふうに回答したんやけど、先に述べたように先生はたくさんのことを説明したいと思いはった。 そういう経緯なので、このブログはKellyさんがいろいろ述べているブログではあるけれど、今回は○○○大先生にバトンタッチしまんねん。 

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 蓮様へ、まずご質問いただいた件、
> ○○○大先生は真夏の太陽凝視をするにあたり、何か熱中症対策のようなことをされているのでしょうか?
について詳細に説明させていただきます。

 真夏の太陽凝視についてですが、コメント欄でもお答えした通り、梅雨明けのころは日照時間も長く、また一年で一番気温が高い時でもあり、さらにアタシが住んでいる名古屋は梅雨明けのころとても蒸し暑いです。 
当然、この時期に長時間の太陽凝視を行えば、頭は重くなり体もフラフラになり気分は悪くなり食欲もなくなり吐き気を催し…いわゆる熱中症に近い状態になります。
 それで太陽凝視は暑さに耐えることが目的の“行”ではありません。 
またご質問にはありませんでしたが、長時間太陽凝視を行うには楽な姿勢というのも大事な要素です。 
これらのことを説明する前に、アタシが行っている太陽凝視の状況を少し説明させていただきます。

アタシの自宅兼治療院のマンションは、南西角部屋でベランダが広く(というよりもそういう物件を選んだのですが)南側と西側のベランダで太陽凝視が行えます。 それとうちのマンションは14階建て、アタシが住んでいるのは9階で目の前に建物が無いので、人目をはばからず全裸に近い状態で行えます。
 また全裸に近い状態で行っているから、全身がかなり日焼けして、これも2~3日連続で晴天が続くとかなりつらいです。
それと真夏の太陽凝視は大量の汗もかきます。 太陽凝視中に風でも吹けばとても楽ですが、梅雨明けの一番暑い時はたいして風も吹かず、たまに風が吹いても熱風であったりして全然涼しくはありません。
そんなときにはバケツに水を入れ、濡れタオルで体を冷やしたり、時にはバケツの水を体にかけたりして体を冷やし、あるいは太陽凝視を中断して水風呂に入ったりします。 
以下にうちのベランダの写真を貼っておきます。


南側のベランダ 太陽凝視用の椅子



楽な姿勢をとるための椅子、これは一昔前プールサイドなどによく使われていたものでナイロンベルト(…かな?)が使われておりましたが、すでに20年以上使用しており、そのベルトは老朽化して切れて使えなくなったのでホームセンターで園芸用ネットやひも、結束バンドなどを買って修復して使っております。 その結果、実に背中が風通しの良いものに仕上がっておりますので真夏の太陽凝視には好都合です(爆)。



太陽凝視に使う椅子


 この写真は南側のベランダで、撮影した日は8月18日、時間は午前11時くらい、この時はこれくらい日が差し込んでおりますが、5月下旬から7月いっぱい、太陽が高い位置にあるときはあまり日が差し込んでこないので、以下の写真のように椅子を使わずござに寝転んで仰向けになって太陽凝視しています。


南側のベランダ 太陽凝視用のござ


 
それと、椅子の後ろやござの向こうにごちゃごちゃ写っておりますが、今年から始めたメダカの飼育のための水槽だったり昨年末から再開した水草水槽のための用品や道具です。 
余談でした。 
 この南側のベランダでは、3月下旬から10月初めまで朝日を見ることが出来ません。 よってこの時期、朝日の太陽凝視を行うにはマンションの非常階段で行っています。 日の出から早朝はまだそれほど暑くないのでバケツとタオルは必要ではなく、椅子だけ持って非常階段に行き、南側のベランダで太陽凝視が出来る時間になったら帰ってきます。
 もう一つのベランダ、西側では季節を問わず夕日が落ちるまで太陽凝視が出来ます。 以下に写真を貼っておきます。


西側のベランダ

 
 話を戻し、当たり前のことですが昼近くから夕方まではかなり気温が上がり、蓮様もおっしゃられておられる通り“真夏の太陽凝視は私には中々大変で、他の季節のようにはできないため、このような質問をさせていただきました。 真夏は太陽光も暑さも強烈で、太陽凝視を他の季節と同じ調子でするとすぐにダウンしてしまいます”ということになります。 先に述べた熱中症なような症状になるのは、いくら体を冷やしたりしても避けられないことですが、頭がふらふらし始めたら後頭部に濡れタオルを当てて頭を冷やしたりします。
 また、たくさん汗をかくので太陽凝視中には大量にお茶、主に緑茶を飲みます。 氷もたくさん使います。

 ちょっと余談になりますが、太陽凝視中はコーヒーを飲まないほうがよいことを著書に書きました。 これはコーヒーのカフェインが目下(めした)(動物の心(靈)の段階)の脳の血管を開く作用があるからです。 それで著書に書いたことと重複しますが、太陽凝視は(大脳新皮質、“田”(心、靈、の四つの場(フィールド))(人(日止、霊止)の進化過程、智性(神性)の獲得と行使)の脳の血管を開くべきなので、太陽凝視を始める前と終わった後は、抹茶を飲まれるとよろしいです。 太陽凝視中も抹茶を飲めばいいようなものですが、暑い時は何リットルものお茶を飲むので緑茶が中心ですが、太陽凝視を始める前と終わった時は必ず抹茶を飲んでおります。

またまた話を戻し、真夏の太陽凝視を2~3日連続で行うとかなり疲れます。 そういう時には背中の日光浴に切り替えたりもします。 それは背骨から仙骨くらいまでの強化になります。
それと蓮様が“真夏は太陽光も暑さも強烈で、太陽凝視を他の季節と同じ調子でするとすぐにダウン”とおっしゃっておられる通りとても疲れますのでたくさんの睡眠が必要になってきます。
そしてその疲れ方も季節によって違いますが、これについては後述させていただきます。

またまたまた話を戻し、太陽凝視を何年、あるいは十年二十年と行っていくうちに、だんだん長時間できるようになってくるものです。 
そして太陽凝視を“行”としてとらえ、その意味や意義を追求するなら、要は真剣に太陽凝視に取り組んだならば“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)は太陽凝視をする時間、条件を作ってくれるものであり、これはアタシの38年の太陽凝視を顧みて思うことでもあります。 著書にも少し書きましたが、アタシは現在、“行”中心の生活を送っており、太陽凝視と電気行にエネルギーを費やし、それ以外のこと、例えば仕事は、生活に困らない程度の収入を得る仕事しかしておりません。 
ですがこれは、アタシが望んだことでもあり、それは天気のいい日にたくさん仕事があったり雨の日に仕事が少なかったり、そういう時には自分の“行”が進むような条件を勝手に望み、その望みは祈りでもあり、心(靈)(ヒ)の動きの発振、発信でもあり、それを“上”は見ているからこそ、この勝手な望みが今現象化しており、“行”はたくさんできるけど収入は少ないというビンボーな人生になっているという顛末でもあります。

ここまで、アタシの太陽凝視の概要でした。

これらのカタチになっていったこと、これもコメント欄で、
“行”が進めば、著書で少し説明したように長時間の太陽凝視が出来るようになるものです。  しかし、そうなるには、数年、あるいは十年以上の期間も必要です
とお答えした通り、かなりのエネルギーと時間を費やし、太陽凝視にどれくらいエネルギーを贖い(あがない)さらに累積時間で“気血栄衛(營)”(取り込んだ振動で心(靈)と体が創り変わる)ともなるものです。 
ことに目の変化は大きく、太陽凝視を始めたころはすぐ目が痛くなり、充血もひどくなります。 さらに数年行ってだんだん長時間できるようになってくると、白目に凸凹状の黄斑変性が診られるようになり、風がちょっと吹いただけで涙がボロボロ出るような状態を体験してきました。 今も黄斑変性はありますが、それほど大きくもならず、また充血しても目が痛いとかはたいして苦痛ではなくなってきています。
ですから、いきなり長時間の太陽凝視は出来ないものですし、コメント欄で、
太陽凝視初心者はいろいろな思いに駆られるもので(それはいろいろな存在が憑依してくるからでもありますが)、自分の限界を自分で決めてしまう傾向もあると思います
とお答えしましたが、実はこれは大事な要素でもあり、太陽凝視を行う人が先に述べたようにいきなり太陽凝視を教えてくれたKさんやアタシのようなことが出来るはずもなく、そういう肉体(月(ツキ))にもそういう心(靈)(ヒ)にもなっていない、だからこそその人の“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)は、これくらいにしておけという通信も送るでしょうし、あるいはその人の肉体(月(ツキ))と心(靈)(ヒ)に入り込んでいる低い存在は、太陽凝視に耐えられないから、もうやめておけと囁くでしょうし、この両方の通信を受け、その通信が自分の考えに反映するものです。
それが例えば紫外線(可視光線以上の高い振動)は危険とか、太陽凝視は朝日と夕日だけにしておけとか何分以上は危険とかという発想になると思われますし、こういった通信を受けるのは当然太陽凝視初心者だからこそこう思わされること自体が、その人にとっての安全でもあり、これも“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)の配慮であるといえます。

それでご質問の、
> また、色々なサイトで、太陽凝視は午前中の限られた時間にするべきで、午後の太陽凝視は危険なので絶対にしてはいけないというような事が書かれているのをよく目にします。
についてですが、ネット上というのは世の中と同じで霊的に低い人の方が多い、こんなことは当然ですが、これについては“数の論理”として著書で述べましたし、ネット上で、自分は太陽凝視をやっているのだ、太陽凝視にはこんな効用があるのだ、などと述べるのは、自分を認めて欲しい心(靈)の動き、自分のやっていることに着目して欲しい、自我の肥大、これらは目下(めした)の心の動きであり、ディスプレイ(動物の発情行動)でもあるでしょうし、また不食を達成しようとか、太陽凝視で成功者になろうとかのどういう根拠で書かれているのか全く理解不能な記事も目につきますが、不食に関しては、太陽凝視を行うと高血圧脳症、脳充血になり、暑い時には先に述べましたが熱中症のような症状にもなるもので、当然食欲は落ちますし、それを大げさに不食々々とはやし立てている感があります。 
それと物質を摂らないで生きるということは可能だと思いますが、それには高い霊的成長度、あるいは“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)の特命が無ければならず、食べ物を摂るというのは“改”で述べた“腑”の電磁誘導(口から肛門まで)という点で必要なことです。
それで不食についてですが、太陽凝視はそんな目的で行うのではないことも著書とこのブログで述べております。 アタシの著書をお読みになられた蓮様にはご理解なさっておられることと思います。
太陽凝視の本来の目的を簡潔に説明すれば、目から吸収した太陽光線は目から脳に至る神経を流れる電流となり、その電流が脳と体を作り変えていく、そして左右の大脳半球はコイルとコンデンサーの構造を持っており、よって水平磁場を構成するし、それは頭におけるシンクロトロン放射となりうるもので、それが“一”=智性=1番目のオーラということになります。
そして“一”=智性=1番目のオーラの大きい小さいがあるからこそ“上”からの荷電粒子との反応が違うという画像を以前アップしたことがありますので、以下に貼っておきます。

まず、平均的地球人のオーラの構成と“上”からの荷電粒子との反応を示した画像です。

平均的地球人と“上”との感応共振



 次の画像は“一”=智性=1番目のオーラが大きくなった場合の“上”からの荷電粒子の取り込みを示しており、智性=神性の発現、目上(めうえ)の脳による1番目のオーラが大きいならば、その人の心の発現と動きが違うのだということを示した画像です。




アセンション後の“創造”を神から託される人のオーラの構成

 
 この脳と体の“気血栄衛(營)”(取り込んだ振動で心(靈)と体が創り変わる)をも含め、“行”による肉体(月(ツキ))の変容を“日月神示”では“身魂磨き”=(生体内電流による)肉体組織の結晶化、と述べていると解釈しておりますし、それはどの部分の強化の“行”なのか、いい換えればどのチャクラ(荷電粒子の回転を示す)、心(靈)の発現と動きの変容に関わるのかにより、様々な“行”があり、断食や滝行などは肉体(月(ツキ))、土、2~3番目のオーラの強化であることを著書で述べました。 この“行”の高低といえることについては、他のカテゴリーでいずれ詳しく取り上げるつもりです。
それで食欲が落ちる=腹に負担がかかる、あるいは自我由来の心、功名心由来で不食を目指すというのは、マニピューラチャクラの強化になるといえますが、太陽凝視の本来の意義は、智性(神性)(“一”、1番目のオーラ)(日を知る性質)の発現と強化、いうなれば人としての霊的成長であり、それは動物にはない智性を獲得することであり、智性を発現させるには目上(めうえ)の脳の水平磁場の強化が大事であり、その目的で行うのが太陽凝視であり、智性=神性があまり無い人間は自分の“力”(力、知恵、知識…学問…能力、そして霊能力を含む)を自分の利益を得ることにしか使わない…これらのことは著書とブログで散々述べてきたとおりで、アセンション落第組です。

それで蓮様が以前、“ローム太霊講話集”第二~三話 四方の祈り 東 Kellyさん的解釈“その四”&第二~三話の総括 にコメントいただいたときに、
ローム太霊講話集を読んでもその解釈の仕方は千差万別で、又それは霊的な成長度に応じたものであるというのも納得です。 ローム太霊講話集に限らず、例えばこの○○○大先生のブログも同じで、読む人の解釈の仕方次第で価値あるものにも、又その反対にもなり得るのだと感じました
とおっしゃっていただいたのと同じで、霊的成長度の高低によって太陽凝視の捉え方も違います。
それは太陽凝視を“行”として捉えるか、あるいは自分を目立たせたいためにネット上で太陽凝視をやっているとかと述べるのか、どちらが高いのか低いのか、一目瞭然ではありますが、平均的地球人は自我の確立=固定化という進化過程だからこそ自分を目立たせたいという心の動きがあり、ネット上で自分は太陽凝視をしていると述べていらっしゃる方は何十年も行っているわけでなく、よくネット上で取り上げられているNASAが研究対象にしたインド人の方も大した年数を行っておらず、よってそれほど高い霊的成長度ではないと思います。
(これについては写真が公開されていましたのでその人の1番目のオーラを観測しました)

そして太陽凝視を行い始めた時は、まず、平均的地球人の進化過程(霊的成長の過程=普遍的に実在する創造主のオーラとの感応共振の段階)である自我の確立=固定化、この強化から始まり、それはヨガでいうところのマニピューラチャクラであり、だからこそ自我の強化=自我の肥大により自分を目立たせたいと思う…こういう心(靈)(ヒ)の動きはアタシ自身も過去に体験しました。 

よって、ご質問の
色々なサイトで、太陽凝視は午前中の限られた時間にするべきで、午後の太陽凝視は危険なので絶対にしてはいけないというような事が書かれているのをよく目にします
については、(その人の心の動きによる)太陽凝視の捉え方、解釈の違い、“行”の認識のあるなし、これらのことに留意してネット上の記事をご覧になり、その人たちとアタシの“どういうつもり”(思惑)の違いについて、蓮様が判断されればよろしいかと思います。

 それで
確か○○○大先生は著書かブログで(うろ覚えですみません)、それぞれの季節、時間によって太陽から得られる振動にも違いがあるというような事を書かれていたように思うのですが、このことをもう少し詳しく教えていただきたいです
についてですが、これについてはここまでかなり長い文章になっており、直接連絡をいただいたほとんどの読者から、先生のブログの文章は長すぎて読むのが疲れると苦情をいただいておりますので、後日記事を立ち上げて説明させていただきたいと思います。 
あしからずご了承くださいませ。

○○○大先生=児玉登

太陽凝視で獲得する振動は、季節&一日の時間帯によって変化があること(コメントで質問いただいた蓮様への回答です)

今回も前回同様、蓮様のコメントでの質問“確か○○○大先生は著書かブログで(うろ覚えですみません)、それぞれの季節、時間によって太陽から得られる振動にも違いがあるというような事を書かれていたように思うのですが、このことをもう少し詳しく教えていただきたいです”に対しての○○○大先生の回答でんねん。
 
そやけど今回の記事“太陽凝視で獲得する振動は、季節&一日の時間帯によって変化があること”この表題は見方を変えるとちょっと言葉が足らん感じなんやけど…その辺のところは○○○大先生が多分しっかり述べるやろから先生に任せることとして、Kellyさんは今回もここで失礼して先生にバトンタッチしまんねん。

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さて、Kellyさんも“この表題は見方を変えるとちょっと言葉が足らん感じ”と述べておられた通り(爆)、四季と一日の時間帯というのをアタシたちが感じ(感じる磁性)て認識する、これについてはまず、現津(あきつ)、観察され得る事象の観察行為ということの理解が必要です。
いうまでもなく観察行為は感覚で行われ、そして感覚というのは電磁波の受信であることを著書で述べました。 これは心(靈)(ヒ)が荷電粒子の集合体であり感じること自体が電磁誘導により電流が生み出されること主体であるからでもあります。
またその感覚による観察行為で、時間の進行を認識したりもします。 
そしてここまでのことは、個々の心が肉体を通じて感じ得ることでもあります。 
これらのことがあって、四季、一日の時間の進行を“観察と認識”しているものですが、これは先に述べたように個々の心が感じ認識していることです。
それで蓮様のご質問の“それぞれの季節、時間によって太陽から得られる振動にも違いがある”ということを説明するには、“創造”の“主(ヌシ)”の振動が、どうやって地球に降り注いでいるのか、その仕組みを知らなければならないし、このこと自体がKellyさんが指摘した“見方を変えるとちょっと言葉が足らん”ということで、それは、振動を送る方と受け取る方の違いといえますし、さらにアタシたちは個々の心であるからこそ振動を受け取るほうであり、そして四季や一日の時間帯による振動の違いを感じているといえます。
そして当然のことながら、振動の違いと時間の進行があるがゆえに個々の心が四季や一日の時間の違いを認識しているものです。 また時間の進行という概念が無ければ振動数と波長という概念も成り立ちませんし、時間の進行は宇宙の運行でもあります。

それでその仕組みについてですが、前回の記事に使った画像のタイトル「“上”から注がれる荷電粒子 (普遍的に実在する“創造主”のオーラ(宇宙背景放射)と、太陽から降り注がれる電磁波。 他天体からの影響もある)」には、蓮様のご質問への回答も既に含まれています。
それは、太陽から降り注がれる電磁波、荷電粒子、これは“創造”の“主(ヌシ)”の振動を太陽が取り込み発振、発信しており、そして太陽と宇宙の中心と認識されうる場(フィールド)の間には、黄道十二宮(星占いの○○座)があり、この星座は恒星やその恒星に纏わる個々の惑星であったりもします。 それ以外にもたくさんの星があるでしょう。
それで、なぜ太陽が“創造”の“主(ヌシ)”の振動や黄道十二宮の星々の振動を取り込んでいるのかは、太陽自身が地球よりも強大な磁極性を持っているからです(それは太陽が地球よりも大きなオーラを持っているということと同義ですし、このことはほんの少し著書で触れました)。
そしてその磁極性、これは恒星や惑星など、どの星々でも同じことであり、あるいはどの生命でも同じである。 そのことを説明しようとして“改”で単細胞生物からの生物の進化のことを述べました。 その概要は、単細胞生物であろうが多細胞生物であろうが縦の磁束が発現するというアタシの私見です。


宇宙の中心と、生物一個体の縦の磁束を大局的に観る

 
それでアタシたち人間は、当然のことですが単細胞ではなく多細胞であり、下等な生物に比べ様々な器官が発達し、ことにコイルの構造を持つ神経が密になり(“慈悲”と“慈愛”の“慈(しげる)”にはその意味があり、それと“日月神示”表記の“五六七(みろく)”の“五”、糸巻の象形文字が由来の字にも同様の意味合いを感じます)、著書の“目上(めうえ)と目下(めした)”の文章で引用したミミズ、ヒル、ゴカイ君に比べ、進化した生物は目が出来て心臓が発達し心(靈)(ヒ)は複雑になり…etc.ということを述べました。 またこのことは、“上”からの荷電粒子の取り込みで自分の心(靈)が構成されていることを示していますし、下等な生物は本能主体、人間でも霊的成長度の低い人はケダモノであり目下(めした)中心の心の動き主体である…これは進化(霊的成長、神格化に向かうこと)していないということです。
本題に戻り、要は、地球上で一番進化した人間の肉体(月(ツキ))は、多細胞で構成され発達した器官を有し、これらが関与する肉体(月(ツキ))の電気特性、今回のご質問ではことに生物の進化における磁極性の強化と進化した生物が持つ複雑な磁極性の構造に注目していただきたいのですが、そこには骨の発達と直立して背骨や他の骨に圧力がかかり、その圧電による骨髄中の鉄分子(“力(ちから)の根(ね)”、“カネ”の言霊)の結晶化ということがある程度起きており、これと同時に起きている磁極性の強化が、“上”からの荷電粒子を取り込むローレンツ力の発生の根拠でもありますし、<6>で述べたサイクロトロン様の荷電粒子の回転を生み出していくものですし、さらにそれはシンクロトロンの構造を持つようになる。 
その“上”からの荷電粒子を取り込み(“日止、霊止”の表記の意味)、それを発振、発信(“畐”、息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信))してオーラと成していることを著書とこのブログで説明しています。
…かなり話が横道にそれていましたが、神経の発達、“慈(しげる)”、そしてさまざまな器官の発達、こういった要素があるからこそほとんど本能しかない下等な生物よりも人間は、心(靈)(ヒ)が“慈(しげる)”ということになっていますし、これらのことは著書の<3>で述べたことと、未刊行の<6><7>で述べたことも含まれております。

(もし蓮様が未刊行の<6><7>を未だお読みでなかったなら、まず
この記事をお読みいただいて、それから○○○療院のメールフォームからご連絡いただければ、添付ファイルを送るなりさせていただきます)

また“上”からの荷電粒子の取り込み=低振動化の意味合いで<3>の後ろ帯の文に、
「心は、本能、情動、功名心、自我、愛(炁)、創造、知恵、智慧、智性という振動で出来ている。その振動を言葉で分類できるようになったのが、人(日止、霊止)。その振動で心が構成され、それは創造主の根源の振動の低振動化である。創造主の創造の根源の最初の振動が"亜"で、それが出る(いづる)ことが、愛(炁)と称されており、ローム太霊が教えた炁空無光眞奇力存(きくうむこうしんきりきぞん)は、振動の段階を示す言葉でもある」
こう述べたとおりのことですが、人間が認識しうる“空”“無”“光”、これらは振動の段階を示す表記で、それが眞(まこと)の力の表れ(奇才の奇)として存在するというのが炁空無光眞奇力存(きくうむこうしんきりきぞん)の一つの意味であると解釈しました。
先に述べたことと重複しますが、これは“創造”の“主(ヌシ)”の振動、愛(炁)ア(“亜”)から、イ(出る(いずる)、泉)の振動を、個々の心が取り込み心(靈)を発現させている=低振動化であることを著書で述べました。
それで愛(炁)=“上”からの荷電粒子は、電磁波であるから通信であり、それは“創造”の“主(ヌシ)”の思惑をも含むものであるし、それを理解でき得るようになるのが目上(めうえ)の脳の“身魂磨き”=(生体内電流による)肉体組織の結晶化であるともいえます。
(要は“一”=智性=1番目のオーラの拡大ということ)

 それで先に述べたように宇宙の中心と認識されうる場(フィールド)と地球との間にある太陽や行動十二宮の天体は(こちらから観たなら)動いておりますし、アタシたちが位置している地球にも、公転と自転という動きがあります。 
四季や一日の時間帯、太陽凝視において“それぞれの季節、時間によって太陽から得られる振動にも違いがある”のは、天体の運行、そして個々の星々のローレンツ力が“創造”の“主(ヌシ)”の振動の取り込みを行い、さらに個々の星々はそれを発振、発信しており、地球から見て太陽の向こうにある黄道十二宮の星々は当然これを行っており、それが季節によって降り注がれる荷電粒子の違いとなります。 
さらに太陽系の星々が持つローレンツ力と、その星々の発振、発信も影響しており、いっとき話題になった惑星直列は太陽系の惑星の磁極性が直線状に並んだのと同じと考えたらよろしいでしょうし、その時にも普段とは違う振動を送られて取り込もうとしてきているはずですが、如何せんその振動に感応する心(靈)の持ち主があまりいないものであり=平均的地球人は霊的に低すぎるということですが、大した変化を感じなかったという結末になっているものです。 
 これは高い振動は低い霊的成長度の人と感応共振しないということで、先に述べたように“一”=智性=1番目のオーラが大きくなければ“上”からの荷電粒子の微妙な違いにも気付かないものだということです。

 よって蓮様のご質問の答えとしては、“創造”の“主(ヌシ)”の振動が地球に降り注がれるには、星々のローレンツ力と星々のオーラの発振、発信の要素があり、天体は動いているから天体の位置の違いなどによる空間の磁極性の違いがあり、さらに天体の位置によるオーラの相互干渉もあり、そして地球も自転しているから朝日と夕日があり、自転によって空も動いているものだから星々の位置も違ってくるもので、これらの要素によって地球に注がれる“上”からの荷電粒子には違いがある、これがご質問への回答となりますが、さらにそれは“日月神示”表記の“身魂磨き”=(生体内電流による)肉体組織の結晶化が出来ているかいないか=肉体(月(ツキ))の磁極性の強化が出来ているかいないかによって、感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)する振動の高低がある…このことを知っておかれるとよろしいかと思います。
 それで黄道十二宮の振動の違いを研究する学問が占いであったことを(たしか)<1>で簡単に述べた覚えがありますが、星占いにおける星座が持つ意味などはそれを示しているものであるし、うお座については腹の振動であることを(たしか<6>で)簡潔に述べたと思います。 
アタシ的には春から夏の太陽は肉体(月(ツキ))の作り代りに関与し、秋から冬の太陽は精神性を高めていく振動を送ってくると認識しております。
 興味がおありでしたら星占いの星座の意味合いもお調べになられるのがよいかもしれませんが、著書で述べたとおり占いも金儲け主体になっており、信用のおけないものもたくさんあるので、あまり振動の違いということ自体を意識せず、振動の違いは自分が霊的成長していくなら、平均的地球人の四季の認識よりも高度なことが分かっていき、またそれは朝日から日没までの太陽の振動の違い、これもだんだんわずかな違いも感じて認識していくし=自分の心(靈)の構成要素となりうる振動となるし、さらにうんと霊的成長するならば天の御目(あめのおめ)の獲得、神の思想由来の神の基準というものが自分と一体になる、その意味のことを著書で述べましたので、これをご承知おきいただき、粛々と太陽凝視を行っていかれればよろしいかと思います。

○○○大先生=児玉登 
 

明けましておめでとうございます。 皆様のご多幸をお祈り申し上げます。


 昨今、形骸の事象、低い価値観と低い認識の幸福感(物欲、名誉欲、金銭欲、本能由来の欲など)しか持ちえない目下(めした)(動物の心(靈)の段階)の心(靈)(ヒ)の“創造”の結果(“思惑の顕現”=現象化)は“神の咎め”を受け、それ自体が低いのだと示されつつあります。 
 これは“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)の思惑に沿ったものではなく、今後=アセンション後では不要の事象であるからなのですが、このことに気付いていらっしゃる方はまだまだ少数です。 

 多くの方々が、このことに気付き、目上(めうえ)(人(日止、霊止)の進化過程、智性(神性)の獲得と行使)の心で、自らの生き方、在り方を思い、その発振、発信が良い事象の“創造”につながることを切望しておりますし、そのために太陽凝視(智性(神性)の“行”)で獲得したアタシの認識(悟り、幸取=さとり)が記してある著書やブログが参考になりましたならば、幸甚です。

○○○大先生=児玉登

facebookに寄せられた質問に対する○○○大先生の回答

昨年から○○○大先生はfacebookをやってるけど、最近、○○○大先生の著書の熱心な読者が疑問に感じたことをコメントしはった。 その質問の要旨は大体以下の通り。


● 靈って、靈止のひですよね? 靈は一番目のオーラという解釈は大雑把すぎですか?

 この質問はその前後の書き込みにもかかわっているけど、この質問の要旨に対する回答は、
心(靈)(ヒ)とは何か、
“一”=智性=1番目のオーラって何か、
“日止、霊止”の表記の意味は何か、
進化(霊的成長、神格化に向かうこと)と何か、
神と人間の関係とは何か、
これらのことを含んでる。 
その回答の内容っていうのんは、たとえば検索でこのブログにたどり着いた方、ブログや著書を読んでも先のことがよく理解できなかった方、疑問に感じてもどうやって質問したらよいのか躊躇してはる方、そういった方たちに説明するには要点がある程度まとまっている解答になったので、今回その回答に多少の編集を加えてアップすることとさせてもらいまんねん。

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まず、心(靈)(ヒ)について述べます。
“続”でたびたび引用している“風止麻邇言霊学(ふとまにことだまがく)”では
“ヒ”は その音霊こそすべての物の根、ヒフミヨイムナヤコト=一二三四五六七八九十のヒ、心(靈)(ヒ)、日、火、と述べられています。
 
 ご質問の表記、靈(霊の旧字)は、心と同義であり、すべての生命(生きる使命=存在理由)は心(靈)(ヒ)であるし、肉体(月(ツキ))を持って進化(霊的成長、神格化に向かうこと)している心(靈)は、肉体が持つがゆえにその磁極性によるローレンツ力で“上”からの荷電粒子(例えば太陽の日、日は“創造”の“主(ヌシ)”の表記である“一”(亜から出ずる、アイ)の場(フィールド))を止め、その磁極性の変容が、地球人が観察している(人を含めた)動物の進化の一側面でもあります。 またその磁極性の変容で心(靈)の発現や心の動きも下等な生物と動物と人間の違いが見られるものですし、“上”からの荷電粒子をどう止めているのかが心(靈)の進化、本当の進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の意味合いでもあります。 
それが古神道の表記の“日止、霊止”(太陽の振動を止める、“上”からの荷電粒子を止める)の意味合いでもあるし、霊の旧字、靈は、お渡しした未刊行の原稿の<7>の
思惑と顕現 “その十一”“上”の“思惑の顕現”…天の御目(あめのおめ) に、解釈を述べておりますのでご覧ください。
“続”で使っている靈の解字を貼っておきます。

靈の解字


 それで、神の思惑を顕現するべき生物である人(日止、霊止)は、“一”=智性(神性)=1番目のオーラを大きくする進化過程(霊的成長の過程=普遍的に実在する創造主のオーラとの感応共振の段階)ですし、“日月神示”表記の ○ 九 十 は、霊=○、荷電粒子の場(フィールド)と、“九”は“一”=智性=1番目のオーラと丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)と乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現)で構成されており、“十”は胸の磁性“十”、縦の磁束と水平磁場、シンクロトロン放射、心の動きなら自省、またそれは“観自在”“直日”(神道の表記)も同義、これらを兼ね備えた生物が人間であるということです。

それでここまでお読みいただければご質問の答えは大体お分かりだと思いますが、どんな下等な生物でも、本能という心は発現しており、それも心(靈)(ヒ)には違いないのですが、それは“下”(低い心(靈))であり、それに対し進化した生物である人間は、本能、情動、功名心、自我、愛(炁)、創造、知恵、智慧、智性、という心の動きを持っており、そして著書の<3>を中心に述べた目上(めうえ)の脳の進化、これは人間の進化といい得ることですし、目上(めうえ)の脳(大脳新皮質、“田”(心、靈、の四つの場(フィールド))で発現する荷電粒子の回転とその増幅が“一”=智性=1番目のオーラとなるものです。
また、先の“風止麻邇言霊学(ふとまにことだまがく)”の“心(靈)(ヒ)、日、火、”の表記の意味は、心(靈)(ヒ)に関しては今述べたとおり、日は“創造”の“主(ヌシ)”の場(フィールド)、火は、人と点が二つなのは回転を示す表記、ローレンツ力とチャクラ(荷電粒子の回転を示す)の意味合いであると思います。

 よってご質問の“靈は一番目のオーラという解釈”は、間違いではないですが、“一”=智性=1番目のオーラをもつ生命は人間であり、それは動物よりも進化した心(靈)(ヒ)である。 また“一”=智性=1番目のオーラがあるからこそ、“創造”の“主(ヌシ)”の表記“一”(亜から出ずる、アイ)=神の思惑を、顕現出来得る生命が、“日止、霊止”であるのだということを御理解くだされば幸甚です。 

猛暑の中で行う太陽凝視の意義について


 最近○○○大先生は、facebookで自分の考えを述べることが多くなった。 ほんでから○○○大先生のfacebookでのお友達っていうのんは少人数なんやけど、真剣に太陽凝視に取り組んでいる人も幾人か居てる。 

 その中の一人の方が○○○療院に治療に訪れた際、表題の通り“猛暑の中で行う太陽凝視の意義”について話をした。 
 そしてその方は、今年の7月初めの猛暑に○○○大先生が一日十時間以上の太陽凝視を約一週間連続でしたことも知っているし、そやからこそ太陽凝視は厳しい“行”なんだという認識を持ち始めている人でもある。
 だからこそ、○○○大先生はいろんな説明をその人にするんやけど、その時のことを○○○大先生はfacebookに書き込みはった。 
 それは以下の通りでんねん。

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 以前、真夏の太陽凝視を行う際の工夫について質問を受け、それに答えたことがあった。

真夏の太陽凝視と太陽凝視の捉え方の違いについて(コメントで質問いただいた蓮様への回答です)


 当然のことながら、上記記事で述べた工夫をいかに上手に行っても、暑いことからは逃れられるものではない。 そして猛暑だからという理由で“行”としての太陽凝視を放棄するわけにもいかない。
またそれは、猛暑に耐えることと、猛暑という事象が存在すること事態が、“行”の一環であるというお話をさせていただいた。

 その“行”の意義として、暑いときは誰でも汗をかく、そして肉体(月(ツキ))内においては水分が足りなくなり塩分(ナトリウム)を中心としたミネラルの補給(電解質、錯体の構成、そして“石”(帯電するミネラル)の一部)が必須である。
 その水分とミネラルの吸収を行うのは肉体(月(ツキ))のどの部分なのか、それは主に大腸と小腸である。汗をかけばかくほど大腸と小腸に負担がかかる、これは腹の“行”ということになる。 さらに腎臓の再吸収(腎臓の糸球体では血液中の尿素、アンモニアはもとより、アミノ酸、糖、電解質など身体に必要なものまでろ過され、これがそのまま尿として体外に出てしまうと、体の機能を損なうので、再吸収ということを行う。再吸収されるものは、水、アミノ酸、糖、電解質など)も盛んに行われる。
 これら大腸と小腸、そして腎臓の刺激、これは下三つのチャクラの強化につながるものであり、三番目のオーラの強化ということに成り得る。
またそれは、S会=紫光会の交霊会でよくいわれた言い回しの、盛炎の“行”、あるいは、水、火、空、光の“行”という言い回しもされたが、そのうちの水の“行”であり、さらに“日月神示”表記の“江戸と尾張”の腹の水=“江戸と尾張”の“江”、自我の確立=固定化の段階、そして腹の位相のサイクロトロンの強化という意味合いがあるものである。

 それで、この暑い時期を乗越す、それはムラダーラチャクラ、スワディスターナチャクラ、マニピューラチャクラ、の強化であり、三番目のオーラの強化であり、次にやって来る高い振動が贈られ送られてくる秋冬には、夏に強化された三番目のオーラが高い振動に変換され(肉体(月(ツキ))は三つの大きなコンデンサーが縦に直列に並んでいるので低い振動から高い振動が上に移行することを確か<6>で述べた)、二番目のオーラ、“一”=智性=1番目のオーラに変換されていく“行”をするものであるから、暑い時期に頑張る(元の気を張る)ことは意義のあることであり、暑い時期の次の“秋立つ”(“日月神示”の表記)の時期に移行すれば、自我より“上”の心(靈)の発現と強化の“行”ということになっていく。



“秋立つ”の解釈と解字


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 この書き込みの中で大事なのは、

● チャクラ(荷電粒子の回転を示す)の覚醒と称されている肉体(月(ツキ))の強化は、心(靈)(ヒ)の強化でもあるということ。

● 真夏に太陽凝視をすることは三番目のオーラの強化になること。

● 猛暑に耐えること事態がローム太霊の言葉の“粘りとやせ我慢”でもあること。 

● 猛暑の太陽凝視で“粘りとやせ我慢”を伴って培われた三番目のオーラは、秋の太陽凝視で、自我より“上”の心の発現と強化になること。 

● 幾度も述べていることだが、自我から“上”の心(靈)の発現と強化は進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の順番である。

 ほんでからなぜこのfacebookの書き込みをこのブログで紹介したのかは、以前からいうてることなんやけど、太陽凝視に甘い(亜、魔、出ずる、泉。愛(炁)の間に魔が入った状態を指す)夢を見ている人間が多すぎるし、ネットの書き込みでは、御利益めいたことを求めるから、不食になれるとか、超人になれるとかのディスプレイ(動物の発情行動)由来の見苦しい書き込みが目立つからで、そやからそれは、太陽凝視が神格化のための“行”なんて認識もなく、それ以前に“行”がなんなのかも解っていず、さらに、御利益を求める甘い心(靈)の動きをするのは霊的成長度が低く、その霊的成長度では苦痛や苦悩が自分を育てる試練だという認識をあまり持っていないと思うからである。

 またそういった霊的成長度の低い人間は、先に述べたとおり御利益めいたことを求め、御利益を吹聴する、そして“行”の意義を多くの人に見失わせる“役員づら”(形骸の宗教や、アセンションや霊的成長に対し、甘い夢を見させ偽の情報を流すたぐいの人たち…それは悪魔の傀儡(かいらい、くぐつ))になっているものであるし、換言すれば、そういう人間は“ほんとう”に貴い“行”である太陽凝視を、“ブタのけつ”にしてしまい、ネット上で太陽凝視のご利益を述べること事態が“ブタのけつを見ているアホ”を増やす結果になっていると思うからである。

 よってこのブログに霊縁あってこの記事を読まれた方が居たならば、

ほんとう”の“行”、
ほんとう”の太陽凝視、

ということを考えてもらいたい、この記事はそういった意図があるものであることを最後に述べ、今回はこれくらいにしときまんねん。




“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)からのメッセージの記録を読み取るに当たって、注意深く留意すべき点

 
 表題の通り、“上”からのメッセージをどう認識するか、ということなんやけど、それは、その人の認識の程度ということがあり、程度の低い人は程度の低い認識しかしない、自分に都合の良い解釈をするってことを幾度となく述べてきてるけど、最近の○○○療院におけるmini読者会でこのことが話題になって、それを○○○大先生はfacebookに書き込んだ。
 それで○○○大先生は、非常に重要なことを指摘してるので、こちらにも転載することにさせてもらいまんねん。

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 まず、“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)からのメッセージ、高い存在が霊媒体質の人を介してメッセージを伝えるというのは、人の霊的成長を望むからこそ、 “下”である人間に贈り送られていることをよく認識せねばならない。

 そして、その“上”からのメッセージを伝える手段が、これまでは、霊媒体質の人を利用して言葉や自動書記のように伝えるという方法でしかなかった。
 ちなみに、これからの事象、今後=アセンション後は、天意の受信、“一”=智性=1番目のオーラの大きい人が目上(めうえ)の脳で“上”の思惑を自分の思想としていくものである。
(“ほんとう”の天皇、天(天=“一”=智性=1番目のオーラ+自省(胸の磁性“十”)+人(日止、霊止))、白い(シンクロトロン放射)、王(“一二三”のオーラの大きさのバランスと縦の磁束を示す表記)、そして“日月神示”表記の“天詞様”)
人の進化はそういった段階に入っていくことをブログで何回も述べたし、“上”の思惑を、受信器としての霊媒を介して伝えるような段階は、人としての進化過程が低い事象なのだ、ということでもある。

 それで、これまでのケース、霊媒体質の人が“上”からのメッセージを伝えるということについて、その霊媒体質の人、その霊媒としての資質、これもずいぶん差がある。
 例えば霊媒としての資質があまり優秀でないケースとして、口寄せ、イタコ、チャネラーなどがあるが、その人たちの思惑が介入することが多いし、インチキもかなり多いと思う。 
仮にそれがインチキでないとしても、“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)が伝えようとしていることを、その憑依された、口寄せ、イタコ、チャネラーなどが、低い功名心と自尊心という心の動きで、人を引き付けるようなありがたそうなエモーショナルな言い回しをすることが多いし、ひどいケースはその現象を大げさに扱って商売をする。 
(いわゆる自称霊能力者などのように)
 そしてそれが、普通、当たり前、そんなふうに思われているのが今の世界での既成概念みたいなことでもあるのだが…。

 だがそこには“上”からの試し、という要素があり、その能力、その現象を、“上”からの憑依があった人がそのこと事態をどう扱うのか、それを“上”は観ているものであるし、低い功名心と自尊心が台頭して“上”からのメッセージに自分の心(靈)の動きが介入して内容を変えてしまうとか商売に使うとかしたならば、そういった低い資質の霊媒は、必ずその能力を剥奪されるものである。 
それは、“上”としては、そんなものは使い物にならんという判断をするからである。

 それで、その能力を失った低い資質の霊媒、あるいは低い資質の霊媒体質の自称霊能力者たちは、そのことを他人に知られたくないからインチキをしたりもするが、このこと事態もその低い霊媒の人としての資質を“上”から問われていることであるが、それに気付くような低い資質の霊媒や霊能力者はとても少ない。
大体、霊媒体質というのは、チャクラ(荷電粒子の回転を示す)の強化として腹の段階の強化であり、よって自我が肥大しやすい、あるいは自我が肥大していて自分勝手なことばかり思い、自省(胸の磁性“十”)という心の動きがあまりないから、能力の喪失が“神の咎め”であるということに思い当たらないということでもある。

 それで最近、ある読者の希望でバシャールの文言解釈を行っているが、上記の事柄、低い資質の霊媒体質ということを特に感じるものである。
 それは、チャネラーが伝える“上”からのメッセージの内容が、人を引き付けるため、チャネラーの自我が介入したエモーショナルなものになってしまったりもしていることをバシャール文言解釈でたびたび指摘してきたし、これからもこのことを留意して解釈していくつもり、という話をさせてもらった。

さらに、“上”からのメッセージが書かれた本などを読むにあたって、

● “上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)が伝えたものなのか、

● あるいはその仲介者、低い資質の霊媒の思惑が入っている文章なのか、

● 著者が編纂してその解釈を述べているのか、

これらのことを見抜くことが必要であることも述べた。

 大体、一般の人たちはこういった分析が出来ていない、本の文章をしっかり読んでいない傾向があり、例えばローム太霊が伝えた炁空無光眞奇力存(きくうむこうしんきりきぞん)に対しても、ネット上では以下のように述べているサイトがある。

“真言というのは 聖なるバイブレーションであり、言霊である。 その言葉の意味に何かを求めるのではなく 、 言葉そのものの波動にこそ聖なる力が込められていると識るべき”

これはローム太霊講話集のあとがきの引用で、ローム太霊はこんなことを述べていないし、あとがきはローム霊訓講話の記録を編纂した寺見文夫氏が書いた文章で、寺見文夫氏の解釈が述べられているに過ぎない。

あるいは、
“人間は無になりきれば真に不思議な力が出る。即ち何事も思いのままになる。人間は修行を積めば積むほど空になる。即ち透明になって来るのであるから、修行者が人間をみればその者がなにに悩んでいるのかがわかるので、自分を空にすればするほどその力が進むのである。自分の気持ちの良いときは、自分の肉体、幽体、霊体、神体の四体の調和が良く取れているときである”

これもローム太霊講話集のあとがきからの引用があり、それに我田引水な解釈を付け足した文章である。 この文章を作った人間は、(振動の段階を示す)空の意味が全く解っていないと判断できるし、それはこの文章自体がただありがたそうな文章にしかなっていないからである。

 こんなふうに、深く考えねばならない炁空無光眞奇力存(きくうむこうしんきりきぞん)の意味を、形骸にする、それは“役員づら”(形骸の宗教や、アセンションや霊的成長に対し、甘い夢を見させ偽の情報を流すたぐいの人たち…それは悪魔の傀儡(かいらい、くぐつ))の手法であり、如何に人を引き付けるのか、という思惑を感じるし、自分たちの解釈が低いのだという自覚も感じられない、それは自我が肥大しているからであると思える。
 またこのこと事態が、“ほんとう”に価値があり、深く考えねばならないことを、“ブタのけつ”にしてしまっているものである。
 それで炁空無光眞奇力存(きくうむこうしんきりきぞん)を例に挙げたのだが、こういった“上”から贈り送られた文言の意味を深く考えること事態が、“上”との感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)になっていくことを、蛇足ながら述べておく。

 そして補足として、T霊媒=竹内満朋の霊媒としての現象は、過去の心霊の関係の本をたくさん読んだ人なら知っていることではあるが、交霊会の時に手足を縛り猿ぐつわをしても、何の支障もなくローム太霊や会員の“主護霊”達の霊言は、肉声として聞き取れ、それは著書に書いたように、夜光塗料が塗られたメガホンが空中に浮かんだりの現象があったと心霊の関係の本に記載されているが、これは竹内先生の現象が竹内先生の思惑の介入の無い現象であり、ローム太霊の言葉がストレートに伝えられる現象であったということでもある。
 またその現象を担った竹内先生が小声で太陽凝視を教えてくれたKさんとアタシに言ったこと、「毎回死ぬほど苦しい」、それくらい竹内先生のエネルギーを贖う(あがなう)大変な現象でもあったことを知らねばならず、だからこそ、ローム太霊講話集をただの一冊の本として見做してはならず、そこにはローム霊訓講話の記録と、寺見文夫氏の私見が述べられていることをよく見抜いて読まなければならない。

 またこういったことは、“上”からのメッセージを引用した本(例えば“日月神示”の解釈本など)にすべて共通で、そこに書かれているのは“上”からのメッセージそのものか、あるいはそれを引用した人間の解釈か、そこに“役員づら”の思惑が入っていないか=商売として利用し、“ブタのけつを見ているアホ”を引き付ける文章になり変わっていないか、これらの分析をしながら、文章を読み取るべきであるし、このことを、アタシの文章、事象の形骸化、を読んだ人には望むものであるし、それをしなければ、個々の認識のたかまりというのは得られない。 
それは“上”からのメッセージに対し、“役員づら”の解釈をそのまま受け入れ、スピリチュアルな雰囲気に酔っているだけならば、
(その“役員づら”の心(靈)と同調、あるいはその“役員づら”に関わっている低い霊的存在との感応ということになっており)
“上”との感応が無い条件を、自分自身で条件づけているものであるからでもある。


明けましておめでとうございます 本年もよろしくお願いいたします


  今までの価値観や幸福感で築かれてきたこの世界、それは目下(めした)(動物の心(靈)の段階)の心(靈)の動きで創られてきたのですが、この世界=今の事象には、真実=真固止という要素が無さすぎるからこそ、昨今、話題になっているように、嘘、ごまかし、いつわり、などの要素があるものは“神の咎め”として馬脚を露呈させられ“ほんとう”の“道”(時間の進行)“理(ミチ)”(法則性)を“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)は示そうとしております。 
これは“日月神示” 下つ巻 第二十三帖の文言の

“神いよいよ烈しく、臣民の性来(しょうらい)によって、臣民の中に神と獣とハッキリ区別せねばならんことになりて来たぞ”

であると思えますし、霊的成長度、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の度合い、目上(めうえ)(大脳新皮質、人(日止、霊止)の進化過程、智性(神性)の獲得と行使)の心を顕現している人と、目下(めした)(大脳旧皮質と古皮質、動物の心(靈)の段階)中心の人、それぞれの心の動き、それぞれの息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)による事象の“創造”の区分けが行われることを示唆しています。 

 アタシと縁のあった方々には、霊的成長度の高低における区分け、アセンション後の事象の“創造”に一人でも多く参加して欲しい、その資格を得る智性(神性)(“一”、1番目のオーラ)(日を知る性質)の獲得と、それ由来の思想の構築、自分たちはどう在るべきか考える、また、それ由来の行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)を望んでおり、そうなっていただくために、アタシの長年の太陽凝視(智性(神性)の“行”)で獲得した認識(悟り、幸取=さとり)が記してある著書やブログを役立てていただければ…と思っております。

○○○大先生=児玉登

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新年 明けましておめでとうございます 本年もよろしくお願いいたします


  昨今、恨みの連鎖の霊的干渉の現象化(天変地異、戦争、犯罪、事故、病気など)が目立ち“神の咎め”ばかりが台頭する事象になりつつあります。 

  これは、“創造”の“主(ヌシ)”が“ほんとう”の“善(神格化の方向性と智性の受信)”を示し、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の“道理”(“道”、時間の進行、“理(ミチ)”法則性)を人に理解させるためのものです。   

  このことを認識(悟り、幸取=さとり)として、自分の在り方(“観自在”)をしっかり鑑み、さらに自らの心(靈)の動きを見据える人生を送るならば、金でも物でもインチキなご利益でもなく、見せかけの薄っぺらい幸福でもなく、“ほんとう”の“神の祝福”と“神の恩恵”を受けることが出来るものであると思えます。 

 その資質を獲得していただくために、アタシの認識を述べている著書とこのブログを役立てていただき、この事象を観察する視点と、自らを観察する視点(“自分を観察する自分の確立”)を高めていただき(天の御目(あめのおめ)、智性(神性)由来の事象の観察)、今後=アセンション後の事象の“創造”に参加していただける方が一人でも増えるように…と願っております。

○○○大先生=児玉登

新年 明けましておめでとうございます。 本年もよろしくお願いいたします。


 近年、人の心(靈)の“下”の台頭を示す事象、“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の活躍が余りにも目立っております。 

 これは、“下”(低い心(靈)の動き)に“下”(人の霊的成長を望んでいない存在)(悪魔の傀儡)が感応して起きている腐った事象ですが、
それを目ざとく見出すならば、
その人たちよりも“上”の心(靈)の発現で観察しており、
その心(靈)で、たった今のこの事象を憂いて自分の在り方を鑑みることをさせる、
それが“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)の意図であると思われます。 

 この“下”を判別する“上”の心(靈)を自らに見出し、尊び、自らの理念として、自分の目下(めした)(動物の心(靈)の段階、,本能と情動中心、それによる自我の肥大)の心(靈)を律する、
これが、神の思惑を顕現すべく資質のひとつであり、
それに反し、“下”と感応し現状を容認している甘い(亜、魔、出ずる、泉。愛(炁)の間に魔が入った状態を指す)心(靈)は、次の事象の“創造”に移行しえない霊的成長度の低い心(靈)である。 

 これらの事柄をアタシの著書、そしてブログ(ことに“日月神示”解釈とローム太霊講話集解釈)から感じ取って、それぞれの認識としていただき、一人でも多くの方が、次の事象の“創造”に参加していただけますよう願っております。



新年 明けましておめでとうございます  本年もよろしくお願いいたします



 このブログで解釈を述べておりますローム太霊講話集の第十九話で、ローム太霊は、

神が与えた人間本来の特権である神の命を実行するものとなってこそ真の人間

と述べておられます。 

 アタシと霊縁のあった方々には、著書やブログを通じて認識を共有し“神の命を実行するもの”になっていただきたい。

 またその“神の命”は、たった今の恨みの連鎖の霊的干渉の現象化(天変地異、戦争、犯罪、事故、病気など)(“神の咎め”)に満ち満ちたこの事象に対し、ローム太霊講話集の第二話で述べられている

“この地球を、凡(すべ)ての人間が不幸から救われて愉快にたのしく暮らせる楽土にしたいという、神自身の本当の気持ち


この“神自身の本当の気持ち”これを代行し“楽土”を実現させる者である。

 そして厳しい“行”をして“上”からの振動(宇宙の中心と太陽からの“創造”の“主(ヌシ)”の思惑を含んだ荷電粒子の振動、天意、)を取り込み(太陽凝視)、さらに自分の在り方を鑑(かんが)みて
真の人間”(まことのにんげん)
と“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)が認めうる資質を獲得していただき、霊的成長度の高低における区分け、アセンション後に移行しうる資格を得て、次の事象の“創造”、これに参加し共に歩む人となっていただきたい、今年もこの事を切望いたしております。

 ○○○大先生=児玉登

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 Kelly & ○○○大先生

Author: Kelly & ○○○大先生
FC2ブログへようこそ!


Kellyさんと○○○大先生は、
このブログを書いている○○○の、
心(靈)の二面性であり、
同一人物で有る事を、
お断りしておきます。

出版の告知

四冊目&五冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈4〉
智性無き心は
悪を容認する


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈5〉
智性無き心は
アセンションを見誤る

 この二冊は、同時発売です。
太陽凝視を行っている鍼灸師の話 <4> 智性無き心は 悪を容認する & 太陽凝視を行っている鍼灸師の話 <5> 智性無き心は アセンションを見誤る サムネイル
(クリックで拡大)

2010年 4月20日(火)ごろより、全国書店(紀伊國屋書店・三省堂書店・旭屋書店・ジュンク堂書店・ブックファースト・リブロ・丸善など)にて順次陳列。


発売中の三冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈3〉

神格化のプロセス
目上(めうえ)と目下(めした)


神格化のプロセス 目上と目下 縮小版 ブログ用
(クリックで拡大)


発売中の二冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈2〉

ローム太霊の教え
日足(ひたり)と砌(みぎり)


サムネイル太陽凝視を行っている鍼灸師の話〈2〉ローム太霊の教え 日足(ひたり)と砌(みぎり) 
(クリックで拡大) 

お近くの書店にない場合は
たま出版のサイトでお買い求めください。

発売中の一冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈1〉

ローム太霊との出会い


太陽凝視を行っている鍼灸師の話〈1〉ローム太霊との出会い
(クリックで拡大)

お近くの書店に無いときは
たま出版のサイトでお買い求めください。

この本に付いてはこちらを御覧下さい。


       




初めての方は、
・・・その後の事と・・・これからの事。
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☆ Kellyさん的事象の観察と認識 (104)
Kellyさんがこのブログに霊縁あった人(日止、霊止)に伝えたい事 (22)
Kellyさんと○○○大先生との会話 (7)
Kellyさんとチョ~極上ラブラブ中高年夫婦はんとの会話 (6)
Kellyさんとチョ~ベッピンはんのA野はんとの会話 (7)
Kellyさんと∪・ω・∪ ▼・。・▼ ▼・。・▽ U・。・U U。・ェ・。U たちとの会話 (33)
Kellyさんとメタボ研修医のYっちゃん先生との会話 (2)
Kellyさんとややメタボ内科医のYっちゃん先生との会話 (7)
Kellyさんと和風のベッピンはんのSはんとの会話 (2)
Kellyさんと農業好きの社長婦人K地M美はんとの会話 (12)
KellyさんとNominyan ∥*σ_σ*∥&Senyapoo λ*゜ο゜*λ との会話 (6)
☆ Kellyさん的“日月神示”解釈 (472)
Kellyさんが、“日月神示”の解釈をして行くに当たって・・・考えた事。 (15)
“日月神示” 上つ巻 (42)
“日月神示” 下つ巻 (38)
“日月神示” 富士の巻 (26)
“日月神示” 天つ巻 (30)
“日月神示” 地つ巻 (36)
“日月神示” 日月の巻 (68)
“日月神示” 日の出の巻 (23)
“日月神示” 磐戸の巻 (21)
“日月神示” キの巻 (17)
“日月神示” 水の巻 (36)
“日月神示” 松の巻 (30)
“日月神示” 夜明けの巻 (26)
“日月神示” 雨の巻 (18)
“日月神示” 風の巻 (15)
“日月神示” 岩の巻 (11)
“日月神示” 荒の巻 (20)
☆ Kellyさん的“ローム太霊講話集”解釈 (107)
☆ 紫光会経文の文言 Kellyさん的解釈 (18)
☆ ○○○大先生的バシャールの文言解釈 (9)
☆ 先生が撮るけったいな花の写真 (22)
☆ 先生が撮る比較的まともな写真 (32)
☆先生が室内で写真を撮るときのセッティング (6)
その他 お知らせ (3)



fxwill.com


2005年10月1日~2008年1月15日まで、
“Kellyさんとの会話”で、説明して来た事・・・
その内容・・・それは・・・その何年も前から、
何か自分の考えをある程度公表しなければならない・・・
そう言う通信を受け・・・その理由は・・・地球人が低い心(靈)の発現しかしていない・・・
それを自覚していない人が多い。
その事由来の太陽凝視に対する認識、
(太陽凝視=不食・・・としか、認識させない存在の思惑を、受信している事)
霊的成長に対する認識、
神に対する認識、
心=靈に対する認識、
オーラに対する認識、
そして、
高い認識の上での進化の意味と幸福の概念と神の概念・・・
進化=霊的成長=神格化=(相対的に)高い認識を獲得する事・・・
霊的成長=神に近づく事=真の幸福の意味。
霊的成長度は1番目のオーラに顕れる。
よって、宇宙的プログラムにより次の段階に移行する人(日止、霊止)は、 何を考えるべきなのか・・・
そして、人(日止、霊止)の進化を阻む存在の思惑、
その心=靈の動き、それらの意図・・・それが一般に認知されていない事。
それらを伝えなければ成らない・・・そして一応・・・完結はしたのですが・・・
解り難い・・・理解しがたい・・・具体例を示して欲しい・・・そう言う感想も頂き、
そして自分なりにも説明が足らなかった事・・・
更に、
“Kellyさんとの会話”が完結してからも通信を受けている事・・・そう云う事もあり・・・
よって、このブログを立ち上げる事としました。
従って、
“Kellyさんとの会話”が、
自分の意見を述べる上での、ローム太霊の言葉、
“右往左往”(“いきり立つ心(奴と心)”で行動してから考える)・・・と、 するならば、 このブログはアタシ自身の、
“左往右往”(“思う、憂う”・・・体験を教訓として考え行動する)の、
作業になって行くと思います。


太陽凝視を行っている鍼灸師の話 “総括編”
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自分達の欲望を満たしたい… 
自分だけ幸福になりたい…
こういった進化程度の低い心(靈)の発現由来の思いが、
低い幸福の概念になり(目下(めした)の思い)
その結果が、飢餓貧困、戦争の原因になったりしています。
(子供の浮游霊の霊的干渉の影響を受け、 それがどんどん増して行く事等が、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)
の思惑だと 思えます)

恨みの連鎖による霊的干渉を増やさない為、
その解消の為にも、(この趣旨に反する類の物もありますが) クリックをお願いします。
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