“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話

太陽凝視を一生涯の“行”とし(現在、44年目)、実践し、その上で獲得した認識を述べています。

Kellyさん、メタボ研修医のYっちゃん先生改め、ややメタボ内科医のYっちゃん先生と、個人個人の心(靈)の動きについての霊的干渉と、その現象化のプロセスについて、ほんのすこし語る。



この間、Yっちゃん先生から連絡があり、Kellyさんといろいろ話をしたいってことやった。今回はそのとき話したことを紹介しまんねん。
ほんでからYっちゃん先生と話をするのはほんま久しぶりで、Kellyさんが知らんうちにYっちゃん先生は、研修医から一人前の内科医になりましてん。
ほんでからYっちゃん先生はKellyさんと初めて会ったときはチョ~メタボやった。そやから口の悪い○○○大先生にこんな言い回しをされてた。
“新弟子検査、朝○龍の腹、養豚場に来た。仰向けのガマガエル”
…こんなふうに言われてたんやけど、Yっちゃん先生はその毒舌で一念発起し、毎日ジョギングをして脱メタボを目指し、チョ~メタボから少し減量してややメタボに変身しましてんな。
そやからYっちゃん先生の顔も、

メタボ研修医のYっちゃん先生からややメタボ内科医のYっちゃん先生への変化

  




…こんな感じに変わりましてんな(爆)。

そやから一人前の医者になって、脱メタボを目指して頑張っているYっちゃん先生の呼び方は、“メタボ研修医のYっちゃん先生”から、“ややメタボ内科医のYっちゃん先生”に変えまんねん。このブログのカテゴリーにも新たに追加しまんねん。
あしからずご了承くださいでんねん。




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「Kellyさん、自分が職場で入院患者とか来院する人たちを見ていると、僕自身が霊的干渉の現象ってことを感じたり、それについて考えたりはする。
ですけど、それは、ケースバイケースで、たいしてひどくないような印象の人でも加速的にどんどんひどくなるものもあれば、もうこの人の人生は終わりかな…なんて感じてた人でも、急に好転することがある。
その違いって言うのは、心(靈)の動きとか因縁とか、自分がやってきたことの結果とか…Kellyさんと○○○大先生の会話を読んでいると、大体、自分なりの分析はできるようになってきた…でもそれは、自分だけの考えなのかもしれない。 
だから今日は、僕が観察して、それはなんとなく霊的干渉の結果だと思うことについてKellyさんと話したい。そう思ったから連絡差し上げたんですよ」
「そうでっか。
 そやけど、今Yっちゃん先生が言うたことについては、たくさんの話をせんならんと思いまんがな。
 そやから、Yっちゃん先生が言うたことを要約すれば、患者さんの心(靈)の動きで病態に変化がある。
それについて、まず最初にKellyさん的に思うたのは、心(靈)の動きの極性と、その極性に応じた霊的干渉、そして心(靈)の動きと霊的干渉による“気血栄衛(營)”(取り込んだ振動で心(靈)と体が創り変わる)。
それらのことを考えて行かんならんやん。
それは、お医者さんが通常話す話としては、お医者さんの通念や常識を逸脱する話になるんやろけど、それでもよろしいんでっか?」
「ええ、それで結構です」
「ほんでからもう一つ。Kellyさんは医者ではないし、先生のように医学知識に堪能では無いやんか。
…そやけど先生の医学知識は、ちょっと偏ったことばかり詳しい感じなんやけど」
「ハハハ~~そうかもしれませんね。 ○○○大先生は、先生自身の仕事の役に立たない知識をたくさん持ってますね。あの人は何かに疑問を感じたら自分なりに何でも調べないときがすまないタイプみたいですし、納得のいくまで考えるタイプの人ですけど…ちょっとパラノイアみたいなところもありますね」
「プッ!!そうでんな。
まあ、ちょっと心が病んでるみたいな先生のことは置いといて…そやからYっちゃん先生、Yっちゃん先生とKellyさんが病気のことを話すならば、Kellyさんが分かる範囲で話をせんならんやん。 
それでもよろしいんでっか」
「もちろんです。 専門的な医学知識って言うことよりも、僕としては、人(日止、霊止)の心(靈)の動きと、霊的干渉の現象による病気…言葉が足りませんでしたね。病気の一因としての霊的干渉の要因、その分析をして、僕自身が霊的干渉を理解して認識したい。
またそこに、本当の病気の原因がある。そう思っていますから。
ですから、必要ならば難しい専門の医学用語とかは僕が説明しますから」
「承知しましてんな。 
Kellyさんのつたない認識がYっちゃん先生の役に立つんやったなら、たくさんディスカッションしましょうやおまへんか」
「よろしくお願いします。
それで、さっきも話したんですが、重篤な症状で余命いくばくも無いって感じの人が急に好転するようなケースは、やはり心(靈)の動きが大きいと思う。
何か喜ばしいことが起きると急に好転することもあるし、またその逆もある。ですからそれは、何か機嫌よく過ごしていて、経過良好な感じの人でも、あくる日にポックリ亡くなっていたりもする。 
それはやはり…その人の心(靈)の動きが、体調に関わり、変化のあることなんでしょうね」
「そうでんな。そやけどYっちゃん先生が今言うたことは、結果でしかないでっしゃろ」
「それはそうですね」
「その結果って言うのんは、心(靈)の動きと霊的干渉の結果やろし、ほんでからにその人の一生としての結果でもある」
「死を迎えることそのものが、その人の結果ってことですね」
「そうでんねん。言い換えればそれは、その人がどんな一生を送ってきたか、さらにそれを言い換えると、その人がどんな思惑=心の動きを持っていて、その“思惑の顕現”=現象化がその人の人生ってことになる。
 そしてある時期に病気になった。 そこには、その人がその一生でどんな程度の霊的成長をするのかにもよる。
ほんでから今言うたけど、人の一生って言うのんは、その人の心(靈)の動きの結果、“思惑の顕現”=現象化でもある。
 そやからそれは、いつやったかこんな話をしたやおまへんか。

Kellyさん、
メタボ研修医のYっちゃん先生と、死を待つだけと思える入院患者の事に付いて、話す。  参照

 



“「長期に入院して・・・只、命を長らえさせてるような患者さんがいる・・・それは、半年も一年も寝たきりで・・・意識があるような無いような・・・只、食事して排便して時々家族が見舞いに来て・・・それもまるでお義理みたいな見舞いでしかない。
そういう事に意味があるのか無いのか・・・
それは、その人の人生にとってその期間って言うのは、意味があるのか無いのか・・・医者が言うセリフでは無いですけど・・・疑問を感じるんです。
それは・・・早く昇天したほうがいいんじゃないのか・・・そういう事まで考えてしまう。
そのほうが本人も家族も楽なんだろうし・・・」
「Yっちゃん先生、それは違いまんねん。
そうやって意識があるような無いような時間を過ごす事そのものが、自分の死を意識する事でんねん。それもその人にとっては重要な期間でんねん。

……中略……

それは、入院生活そのものが左往右往の段階で、自省(胸の磁性“十”)の“行”でもありまんねん。 例えば、飲酒や美食が過ぎて糖尿病になって、心臓疾患や脳血管障害を併発して、 それで寝たきりになってはる人が居たとしますやんか。」
「そう言う人は多いですね。」
「そやからそれも自分がやってきた事の結果でんねん。
それは食事制限も進められたやろし、医者も周囲の人も忠告したやろし・・・それでも自分のやる事って言うのんは自分で決めてやってきた。 そうでっしゃろ。」
「そうですね・・・言い訳めいた事は言いますけどね。友達の誘いを断れずに食事したり酒飲んだりとか・・・自分が悪いって思って無いからですね。」
「その通りでんねん。
自分が悪く無いと思いたいのは、自我の確立=固定化の段階の霊的成長度でんねん。 それを如実に示してるからこそ、そう言うものの言い様をしまんねん。
そやけど・・・自分のやってきた事そのものは色んな条件があったやろけど結果それは、自分で決めた事でんねん。 それを、誰かのせいにしたいって事でしかないって事でんねん。 言ってしまえば・・・自分に甘いって事でんねん。 そやけどその心(靈)のまま死んでしもたなら・・・」
「欲望に執着した浮游霊になるって事ですね。 あの時食べた物は美味かったな~とか、あのときの酒は美味かったな~とか、あのときの旅行は楽しかったな~とか・・・結果そう言う人たちの言う事は昔の良かった事を思い出すだけ・・・」
「Yっちゃん先生、そこにその言葉の裏にある心(靈)の動きを感じんとあきまへんで~。
それは、その言葉って言うのんは、もうその時の自分には戻れないって言う自分に対する・・・寂しい認識が芽生えたからでもありまんねん。 大事な心(靈)の変化って言うのんはそこにあると思いまんねん。」
「そうか・・・そうかもしれませんね。」
「そやからそう言う人達にとっての入院生活って言うのんは、過去の思いから執着を断ち切る・・・その過程の事でんねん。それが、死ぬ前に自分の死を意識する事で、それはとても大事な事でんねん」”




そやからこのときにも少し話したけど、人の死って言うのんは、その人の心(靈)の動きの結果=人生をどう過ごしてきたのか。
そして、その一生を過ごしているその時々の心(靈)の動きに応じての霊的干渉。これらを考えて行かんならん。
言うたらなんやけど、今Yっちゃん先生が言うたのは、結果を観察してYっちゃん先生が感じたことでしかないやん」
「そうですね」
「その結果って言うのんは、その人の一生、生きて来た期間って言う狭い時間の中のことでしかない。
ほんでから大体、人の死って言うのんは、たくさんの恨みの連鎖の霊的干渉があり、地球人本来の寿命が短くなっていて、短くなった中での相対的な観察をしている。
そやから今Yっちゃん先生が言うたみたいなことは、その狭い時間の中で起きている相対的なことでしかないけど、今の地球人は本来の寿命どおり長いこと生かされることは許されてない。
そやからそれは、恨みの連鎖の霊的干渉、これを今問題にしても、すでに地球人が殺し合い奪い合い、騙し合いしてきたことの結果でもあるから、現時点解決につながる話ではない。ほんでからにそれは、今、すべての地球人が体験しているからこそ、本来800~1000年くらいの寿命がたかだか100年未満になっている」
「それは例えば、前のブログでKellyさんがティオティワカンのことを検索して、気に病んでいらした生贄(いけにえ)のこととかもありますよね。
(“霊的干渉 目上(めうえ)と目下(めした)”“その七” 神格化のプロセス 目上(めうえ)と目下(めした)159~177ページ参照)
そして恨みの連鎖の霊的干渉って言うのは、人の心(靈)の進化程度がマニピューラチャクラの段階で、自我の確立=固定化の段階で、そしてその時に陥りやすい自我の肥大で自己奉仕者の心(靈)の動きになる。
だから大半の地球人は、やることの程度が低いから、恨みの連鎖の霊的干渉の影響が必然としてある。
今、その結果があるからこそ、人の寿命は短くなったっていうのが先生の述べたいことのひとつですよね」
「そうでんな。そやけど今Yっちゃん先生が言うた先生の概念は、誰も信じへんやろし、なかなか説明に手間のかかることでもある。 
 そやから、Yっちゃん先生が、今回問題にしてることは、地球人の平均寿命が、比較的地球人に近いプレアデス人よりも寿命が短いことの理由、そのことにまで波及する話になるかもしれへん」
「それでもかまいません。医者としても知りたいことでもありますし」
「分かりましてんな。そのことも踏まえていろいろ話をしましょうでんねん」
「はい」
「そやから今の話は少しそれてしもてしもたけど、人に起きていることって言うのんは、霊的干渉の結果で、霊的干渉は心(靈)の動きの結果でもあるんやけど、結果を見ててもたいして分析ができないって欠点がある。
そやからそれは、その時点々々の相対的な観察による分析でしかない。
そやけどそこには、答えを導き出す重要なポイントがあると思いまんねん。
そやからそれは、心(靈)の動きによる霊的干渉が起きる理由、それはさっきYっちゃん先生が言うてた通り、心(靈)の動きってもんがある。心(靈)の動きは、その人の霊的成長の過程、日足(ひたり)の“行”をしてるのか、砌(みぎり)の“行”をしてるのかにもよる」
「ローム太霊さんの言葉、右往左往と左往右往ですね。右往左往=やってみてから失敗を体験する。左往右往=失敗を体験し、それを教訓とする。
ですからそれは、さっき、Kellyさんが、以前の僕との話の中で引用してくれた長く入院している患者さんの心(靈)の動きに相当しますね」
「そうでんねん。
そやから心(靈)の動きと霊的干渉、自分の心(靈)の動きでどんな種類の霊的存在を引き込んでいるのか、それは憑依って言い表してもエエんやけど。
それと、自分の心(靈)の動きにどれくらい影響を受けているのか。それは感応共振しているのか。
そして、どれくらい心(靈)の中に入り込れたのか。
それらのことを考えて行かんならんと思いまんねん。
ほんでから心(靈)の動きって言うのんは、“上”に向かっているのか“下”に向かっているのか。
人が(あらゆる生命が)、時間の進行とともに進化(霊的成長、神格化に向かうこと)をしてるんやから、極論に聞こえるかもしれませんけど、そのどっちかしかない。
それらのことを考慮して考えんならん。
そやからそれは、まず、鬱(うつ)の霊的干渉なんかを考えたら分かりやすいと思いまんねん。
そやけど…Kellyさんが鬱(うつ)のことをたくさん知ってるわけではないけど、例えば、気分障害って言い方がありまっしゃろ。
気分障害には鬱(うつ)と、双極性鬱(躁(そう)と鬱(うつ))ってありまっしゃろ」
「そうですね。躁(そう)と鬱(うつ)。それは先生の概念の肝=“いきり立つ心(奴と心)”と、脾=“思う、憂う”の現れですね」
「そうやと思いまんねん。 
そやからそれは、比較的単純な霊的干渉としての症例やと思うから、そこから考えてみたらどないでっしゃろか。
ほんでから躁(そう)と鬱(うつ)、それを考えると、霊的干渉の“上”と“下”が良く理解できると思いまんねん。
そやけど今Kellyさんが言うたのは、Kellyさんが躁(そう)と鬱(うつ)に対してたくさんのことを知ってるわけではない。
そやからYっちゃん先生、今度Yっちゃん先生に会うまでにKellyさん的に躁(そう)と鬱(うつ)のことについていろいろ検索して勉強して、それからYっちゃん先生と話をしたいと思いまんがな。どうでっしゃろか?」
「承知しました。僕もいろいろ調べてきます。
そして、僕自身がいまひとつしっかり理解していない、日足(ひたり)と砌(みぎり)、心(靈)の極性、神の極性、そしてそれはすべての事象に観られる極性ですよね。そのことについて前のブログをしっかり読んで理解してきます」
「そうでっか。 次回は内容の濃い話になりそうでんな」
「そうですね」
「そやけどYっちゃん先生、今日Yっちゃん先生言うてたその視点って言うのんが、すごく大事やと思いまんがな。
それはYっちゃん先生が言うた患者さんを診て、霊的干渉を感じ(感じる磁性)、観察したって言うYっちゃん先生の視点、その心(靈)の動きは、智性(神性)に由来するものでんがな。
そやからそれはただ医者をしてるだけや無くって、医者って生業(なりわい)を通じて本当のことを知ろうとする。
通常、仕事って言うのんはただ金儲けの手段にしかなってないことが多いでっしゃろ」
「そうですね。そこには低い幸福の概念がある。それを達成したいから、高収入の医者って仕事を選択した。そんな人は多い。
それは例えば、ドクターの中にも、風俗好きとか、夜のネオンが好きとか、アル中とかグルメとか、医者のくせに糖尿病の人とか、平気でタバコを吸ったりする人もいますからね。
これはKellyさんと話すまでも無いような霊的干渉の一側面の顕れで、この世界に未練を残している浮遊霊の通信を受けて自分の心(靈)を見失っている。
それも、そのドクターたちの心(靈)が智性(神性)の発現があまり無くって、今右往左往をしている。たくさん仕事して、たくさん儲けて、そして自分がその(通貨としての)金で低い欲望を満たす。物欲、性欲、食欲…そんな低い欲望の達成のために仕事をしてる人が多い」
「そうでんな。ほんでからお医者さんや先生みたいな仕事は、そんな霊的存在と向き合っているからでんねん。」
「そうでしたね。○○○大先生の一冊目の本に書いてありましたね。
(ローム太霊との出会い 良い発振のために)
それも含めて、自分の周りには、今、僕が言った視点で患者を診るってことが無い。一般に、病気の原因が自分の在り方であるとか、因縁霊による霊的干渉とか、そんな視点は無いですね。
大体、因縁とか霊的干渉って言う言葉にたいする認識でも、一般の人の認識はとても低い。
ですから、今僕が言ったことは、因縁にたいしてあなたには霊がとり憑いていますとか…インチキ臭い霊能力者やお祓いをする人が使う言葉でもあるし、そんなものは結局相手を恫喝して金を取る商売でしかなくって、僕が考えていることの参考にはならない。
そして最近の医療でも、あなたは何とか病の疑いがありますから検査しましょうとか、テレビの薬のCMでも、あなたは何とか病かもしれませんって言う傾向がある。
だからこの両者は同じ傾向ですよね。恫喝して自分たちの利益にする。自己奉仕者ですね。
…話がそれました。霊的干渉、因縁霊、自分自身の心(靈)の動き、どんな一生を送ってきたのか=右往左往と左往右往ですね。
その結果としての死、この世界を卒業すること。その過程としての病気、その視点を持って病気って事象を観察すると、病気の本当の原因って言うのは、そこにあるように思う。
そして、今、Kellyさんが指摘したような医者ならば、ただ処置をするだけ、ただ薬を出すだけ、それだけで終わってしまうし、それだけならばそれは、本当に医者と呼ばれるに相当する仕事をしているのか…ちょっと疑問に感じてしまう。
ですから僕が、自分が医師って生業(なりわい)を選択したならば、そこから貴い認識(悟り、幸取=さとり)を得る。自分はそう在るべきだと思いますし…」
「まったくそうでんな。
そやからそれは、Yっちゃん先生自身が医者って仕事を通じ、その中に、真実=真固止を求めている。そう思いまんがな。
それはとっても尊いことやと思いまっせ!!」
「そうですか!!僕の心(靈)の動きを評価していただいてありがとうございます。
…僕は、研修医の期間は終わって内科医になったけど、僕自身の心(靈)の在り方は、一生研修医、何事に対しても真摯に向き合い、物事の意味を深く追求し本当のことを見出して行く医者になりたいと思います!!」

 

 

 


Yっちゃん先生 キラーン

 (注 自分の生業(なりわい)に使命を感じ取ったYっちゃん先生)




「そうでっか、頑張ってください。それじゃ近々またお話しましょうでんねん。そのときを楽しみにしてまっせ~~ほんでから良いお年をお迎えくださいでんねん。 ほなさいなら」

Kellyさん、ややメタボ内科医のYっちゃん先生と、躁(そう)と鬱(うつ)は、心(靈)の動きの極性の一側面であるという話をする。 “その一”


「Yっちゃん先生、こんにちわでんねん」
「Kellyさん、今日もよろしくお願いします」
「こちらこそでんねん。 …それで、この間約束したように、躁(そう)と鬱(うつ)について少し検索してきましてんな。それで感じたことがあるんやけど」
「Kellyさんが感じたってのは、躁(そう)と鬱(うつ)のことを検索して、医学的なことがらから感じたってことですね。
だからそれは、Kellyさん的なものの見方は、霊的干渉とか、心(靈)の動きとか…その視点で感じたってことですね」
「もちろんそうでんねん。それを言うてもエエやろか」
「聴きたいですね。話してください」
「承知しましてんな。 
それで、Kellyさん的に思うたんは、躁(そう)と鬱(うつ)でもいろんな呼び方がある。この間Kellyさんがつかった、気分障害、双極性鬱(うつ)、それ以外にも、気分変調症、気分循環症、抑うつ気分を伴う適応障害、器質性気分障害、内科疾患に伴う気分障害…いろんな言い回しがありまんな」
「そうですね。ですけど、改めてこの呼び方を列挙してみると、この分類には、ちょっと意味が通じにくいものもある感じですね」
「そうでんな。そやからそれは、この呼び方そのものが、なんやしらん同義反復な言い回しやったりもする。
そやからそれは、原因を特定した言いまわしではありまへんな。
この間もちょっと話をしたように、結果を観察して認識した呼び方でんな。そやからそれは、症状を観察して分類された呼び方でんな。そやけどそれも“観察と認識”による命名、言葉による分類、それには違いない」
「“観察と認識”…ですか」
「そうでんねん。 
ちょっと話がそれまっけど、“観察と認識”って言うのんは、すべての生命に共通する行為って言うてもエエねん。
(ほんでからそれは、電磁波の受信と同義でもあるんやけど)
そやからそれは、下等な生物でも、生物の中で進化した人間でも、極端なこと言えば人間以外の存在…神さん(と認識され得る存在)でも、悪魔(と認識され得る存在)でもなんやけど、言うたなら、すべての生命と認識され得る存在には、“観察と認識”って行為がある。すべての存在に共通の行為でんねん。
ほんでから今、Yっちゃん先生と話そうと思うてることは、観察による認識は、霊的成長度によって違うってことでんねん。
そやからそれは、認識の程度って言うのんは、人によって違いまっしゃろ。たとえばそれは、幸福の概念とかがわかりやすいでんな。
ほんでから“力”の使い方、霊能力の扱い方、(通貨としての)金、これらは、自分の利益のため、自分の低い功名心と自尊心のために使割れてることが多い」
「それは例えば、宗教や霊能力を商売に利用した自己奉仕者とか…そういう愛(炁)の顕現の程度の低い進化程度の人と、宗教の中の概念を尊いと感じたり、自分の生き方とか、“行”に活かすとかが出来ない。また霊能力なんてのは、ほとんど商売にしかなっていない。ですからそれは、何が貴いのか判らないみたいなもんですね」
「そのとおりでんな。自己奉仕者は霊的成長していないから貴いものを利用する。ほんでから地球人の大半は自己奉仕者の霊的成長度やから、低い視点しか持ってへん。
ほんでからまた余談みたいやけど、低い視点で間違えてると思われる“宝”の概念。
宝って言うのんはアナグラムで、ほんまの意味は、體、体の旧字でもある。そしてそれは骨が豊かって表記でもある。前のブログで先生とそんな話をしたんやけど…こんなことはほとんどの地球人には理解出来ん」
「そうですね。
今Kellyさんがおっしゃったみたいに、大体一般の地球人は、低い視点しか持ってない。特に幸福、そして金…“カネ”の言霊、それは“力(ちから)の根(ね)”=肉体内の鉄分子、“カネ”の言霊って前のブログで述べられてましたよね。
それと、宗教を商売に利用した自己奉仕者とか…そういう愛(炁)の顕現の程度の低い進化程度の人と、宗教の中の概念を尊いと感じ、自分の生き方とか、“行”に活かすとか、その違いでもありますよね。
だから先生とKellyさんが前のブログで話していたことを引用すれば、宗教を形骸にしたその影響として、現世利益だけをありがたがる傾向がある。
そして、自分が努力して何かを獲得するとか、今起きている不幸は試練なんだとか、そんな認識を持たないようになる傾向がありますよね。だから、その認識はとても低くて、甘い。…甘い(亜、魔、出ずる、泉。愛(炁)の間に魔が入った状態を指す)ですね」
「その通りでんな。
そやから、観察する視点って言うのんは、霊的成長度の高低によるし、そやからこそ認識(悟り、幸取=さとり)って言うのんは霊的成長度による。
事象を観察して認識するのは、霊的成長度によるってことでんねん」
「はあ、おっしゃるとおりですね。だからそれは霊的成長度による、“観察の基準”みたいなことですね」
「そうでんな。そやから、人(日止、霊止)が進化する意義は、神さんと同じ視点を持つことでもあるんやけど…」
「それは前のブログの表現を引用すれば、天の御目(あめのおめ)ですね。
生命は、智性(神性)を増せば、“創造”の“主(ヌシ)”と同じ視点を持つことが出来るようになり、それが神格化でもあるんですよね」
「そうでんねん。そやから今Yっちゃん先生と話してるのは、平均的地球人のものの見方は低いって話をしてるし、結果を分類した呼び方は同義反復でしかないし、それは低い視点のものの見方ってことをKellyさんは言おうとしてまんねん。
ほんでから今Yっちゃん先生と話したことは、今後発売される先生の本の<4><5>を読めば理解できると思うんやけど、要は、共通の事象を観察してもその認識って言うのんは、霊的成長度によって相違がある。
平たく言えば、おんなじもんを見ても、感想とか、感じ方とかは違う。
だからこそ、個人々々の認識の程度に応じた扱いをして、本当に価値のあるものをダメにしたりもする。
…そやけど…ちょっと話がそれ過ぎでんな。
今言うてたのは、認識の程度は霊的成長度により高低があるってことや。ほんでからその認識って言うのんを、進化した生命である人間は、言葉で表現する。それは、先生の言い回しを引用すれば、“言葉は事象を認識する道具”ってことでんねん。この言い回しは前のブログ全体を見回しても、何回も出てくる言い回しでんねん」
「はあ、そうなんですか。何回も使った言い回しって言うのは、大事なことだってことを、今Kellyさんは強調してる…その意味で今、Kellyさんは、“観察と認識”について話してくれているんですね。
ですから今日話そうとしていること、鬱(うつ)と躁(そう)の呼び方。
これは原因を特定した言い方ではなく、症状を観察してから命名した言い方で、その呼び方そのものにKellyさんは問題を感じている。そういうことですか」
「そうでんねん。
そやから今回Yっちゃん先生と話をする躁(そう)と鬱(うつ)、これも人の認識(悟り、幸取=さとり)の程度=霊的成長度に於いての呼び方の相違があり、その呼び方は、躁(そう)と鬱(うつ)の病態の原因を示した表記ではないってことでんねん。
そうKellyさんが思うの根拠は、この間も少し話したけど、躁(そう)は砌(みぎり)の極性、鬱(うつ)は日足(ひたり)の極性の顕れやと思うからでんねん。
ほんでからそれは、心(靈)の極性でんねん」
「心(靈)の極性…先生の二冊目の本に日足と砌(ひたりとみぎり)の概念は説明してあると思うんですが…」
「あれは簡単に説明してあるだけでんねん。
ほんまは、日足と砌(ひたりとみぎり)は、すべての事象に共通のことでもあるし、もっと極論めいたことを言うならば、私たちが観察している事象は、“上”と“下”、日足と砌(ひたりとみぎり)、時間の進行、この三つの要素しかないってことでんねん」
「はあ…」
「必要な説明やと思うからもう少し話しまっけど、“上”と“下”は、“創造”の“主(ヌシ)”と、私たち生命。これがほんまの意味での上下で、上下が重なった字が“正”で、これは法則性を示す表記でもありまんねんけど、これについてはまだブログ内では説明してないことやな。
ほんでから生命が認識している時間の進行は、私たちの心(靈)の中で感じ(感じる磁性)ていることでんねん」
「はあ…」
「人が“観察と認識”をして、現実って思うてる=現津(あきつ)、観察され得る事象って言うのんは、その三つの要素で成り立っているってことでんねん。
 ちょっとわかりにくい説明やったかな…」
「そうですね。むずかしいですね」
「そう思いはるなら、今言った霊や心(靈)の極性や、“上”“下”、時間の進行、そういう概念から話しをするのではなく、現実的な話をしたほうが解りやすいやろな。
そやからようやく本題に入るけど、まず、躁(そう)状態から分析しましょやおまへんか」
「はあ、Kellyさんの分析を聴かせてください」
「そやから、躁(そう)状態って呼称されるんは、気分は爽快。勇猛多弁。人の話を聴かんと自分の言いたいことばっかり言う。ほんでから自分が話してる事柄が絶対正しいと思い込んだりもして、そのことに口出しすると、怒り出すようなケースもあるようでんな。ほんでからチョ~活発に行動して、疲れを知らん。ほんでからに自分は周囲から尊敬されている素晴らしい人間なんやって思い込んだりもする。誇大妄想でんな。
そやからそれは、憑依現象で心(靈)を乗っ取られてるか自分で分からへんのやな。ほんでから自我の肥大による心(靈)の動きもある。そやからそれは、マイペースで人の話しや考えを受け入れへんみたいなもんでんねん。
ほんでから憑依されてる霊的存在からたくさんの通信を受けてるからいろんな発想をする。これは感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)でんな。
それが良い方向に働いているときは、アイデア豊富とかって評価を受けたりもするけど、それも観察する視野が狭い評価ではある。
そやからこのことも、躁(そう)が、憑依現象と、心(靈)の動きによる霊的干渉って分析が無いからやな。
ほんでから今言うたこと、これは高い存在の憑依ではない。判りまっか?」
「はあ、なんとなく判るのは、自我の肥大は“上”に向かう心(靈)ではない。それは自己奉仕者の心(靈)の動きですよね。先生の言い回しならば、悪の事象を創造する心(靈)の動きですよね。
 …だから、明らかに“上”ではないとは思うんですが、もし僕が、誰かにこのことを訊ねられて、高い存在の憑依ではないことを説明しろって言われると、その根拠を証明しづらいですね」
「そうでっか。
 そやからそれは、今までこのブログで使った画像で示すと判りやすいと思いまんねん。
まず、霊って言うのんは、荷電粒子の回転で構成されている。 そして荷電粒子の回転は、縦の磁束由来のローレンツ力による。
そやからそれは、以前にこんな画像をアップしたことがある。

人(日止、霊止)の縦と横の電気特性 “一二三”のオーラ 

 この三つの円は、オーラの発振、発信を示したりもするけど、回転の方向がありまんねん。
その回転の方向を決定付ける要因は、人(日止、霊止)の進化過程っていうのんは、自我から、高い段階の愛(炁)の顕現である“慈悲”と“慈愛”でもある。
そやから現時点の地球人の心(靈)の構成は、自我中心、これも独り神(ひとりがみ、日取り神)になる重要な課程で、ほんでから自我は、腹の段階=マニピューラチャクラの心(靈)の発現でもある。
ほんでからマニピューラチャクラの構成要素として、肝臓と脾臓がある。
それは医者としてのYっちゃん先生に説明するまでもなく、腹の左右でんな。
ほんでからそれは大きなコンデンサーでもあるって言うのんが先生の解釈でもあるし、そしてそれは、腹の段階の日足と砌(ひたりとみぎり)でんな。
そやからそれは、生命って言うのんは、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)していくとき、必ず自我の確立=固定化の段階に入りまんねん。
そしてその段階で獲得する認識(悟り、幸取=さとり)は、自分は一個体の生命であること。
一個体の生命だから、自己と他者を認識できるし、さらに、自分より“上”の存在、そして自分より“下”の存在を認識できる。それがまた、神と悪魔の概念でもあるし、善と悪の概念でもある。
同時に自分たちのよいカタチ、幸福の概念を持ち始める。今Kellyさんが言うたことは、理解できまっしゃろ」
「ええ、自分なりに完全な理解とは言いがたいですけど…分かります」
「まあ、進化が神格化への道程なんて概念は、多分いろんな宗教で言われてるけど、今Kellyさんが言うた様な言い回しではないな。
そやからそれは、例えば即身成仏とか、ヨガの概念のアートマンとか、人は神の子だとかって表記は、みんな神格化を示す表記やと思いまんねん。
そやけど、宗教関係者が低いものの見方をしてるから、言葉の意味を見出せず、人の進化が神格化であるって言う“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)からの情報を、上手く説明できへん。
そやけど先生は、自分のほんのちょっと不幸な境遇や、散々ひどい目にあってきた体験から、自分の存在の意味を見出そうとした。
そやからこそ、神と悪魔、善と悪、“上”と“下”、低い認識ではない幸福の概念、幸福のほんまの意味は、生きている間の認識の拡大で、それは神格化につながるものである…そんな考えを持っている。
先生の54年ちょっとの人生は、そんなことばっかり考えてきてるし、Kellyさんはそんな先生の考えを聞いて、Kellyさんなりの認識を今Yっちゃん先生先生に述べているから、そやからそれはYっちゃん先生が今まで聴いたことの無い話やから、“完全な理解とは言いがたい”って言葉が出るんやと思いまんねん。
…まあ、エエですわ。 話を続けさせてもろてエエやろか」
「どうぞ、話してください」
「そやから霊的なものを画像で示せば、心(靈)の動きもよく判る。次に示す画像、これも前にこのブログにアップした画像やけど、心(靈)の構成って言うのんは生命が持っている縦の磁束由来のもので、そやからそれは荷電粒子の回転そのものが心(靈)の動きでもあり、ヨガで言うところのチャクラには、回転を示す車輪の意味がある。
 そして、心(靈)の発現は、オーラの大きさと関与する。人の神格化は、“一”=智性=1番目のオーラのオーラの大きさの程度によるって言うのんが先生が霊眼(視覚による霊能力)を持っていたときの結論でもある。
心(靈)の構造、本能、情動、功名心、自我、愛(炁)、創造、知恵、智慧、智性、は、どっちが“上”でどっちが“下”か。
 本能っていうのんは、最初の心(靈)の発現であり、進化した生命が持っている智性って言うのんは、人(日止、霊止)と呼称される生命しか持っていない。
そやからこそ、智性って言うのんは、神性の顕れやし、進化は、神格化への道程。
そしてそれは“一”=智性=1番目のオーラに顕れるって言うのも、先生が霊能力を行使していたときに得た結論で、要は先生の認識でんな。
 そのことを示した画像は、こんな感じでんねん。

“一二三”のオーラと心(靈)の発現 


 ちょっとまわりくどい言い回しをするけど、人間以下の進化過程の動物は、1番目のオーラの発現がほとんど無い。そやから簡単に言い直せば、進化=神格化って視点で観れば、動物の進化過程は、人間以下ってことでんな。
ほんでからそれは目上(めうえ)の脳=大脳新皮質の発達が人(日止、霊止)に比べ遅れてるからやねん。このことも先生が霊能力を発現していたからこそ得られた認識でもありまんねん。
 そやから動物霊は、土=2~3番目のオーラの進化過程であるし、心(靈)の構造として、本能、情動、功名心、発達過程の自我、低い愛(炁)の顕現、これくらいの進化でんねん。
 要は、動物の進化過程は、智性(神性)がない。
智慧(日を知る事=智性の恵み=慧)もない。間違えるアカンからあえて言うとくけど、智慧は、知識としての知恵ではなく、知識としての知恵は、“力”の顕れで、それをどう扱うのか、どう使いこなしていくのかは、智性(神性)によるものだからこそ、智慧(日を知る事=智性の恵み=慧)って表記を使うべきでんねん。
ほんでから浮遊霊、仏教で言うところの三毒、貪、瞋、痴(とん、しん、ち、)の心(靈)の動きを持っている霊的存在は、本能と情動の心(靈)の動きでっしゃろ」

(※ 貪、瞋、痴(とん、しん、ち、)について。
貪は、むさぼる。本能由来の行動。瞋は、目をむいて感情をあらわにする。痴は、白痴の意味。認識が足らないとか智慧(日を知る事=智性の恵み=慧)が足らないの意味)

「そうですね。それは理解できます」
「そやから人(日止、霊止)の心(靈)の“上”“下”は、智性(神性)に向かうのか=“一”=智性=1番目のオーラを大きくするようにするのか、あるいは今言うた、貪、瞋、痴(とん、しん、ち、)に向かうのか。
これを考えれば、どっちが“上”なのか“下”なのか、判りまっしゃろ」
「そうですね。智性の無い心(靈)は、動物であるし、そして一般に悪霊って思われてるのは、貪、瞋、痴(とん、しん、ち、)由来の心(靈)の動きを持っている霊的存在ですね。だから悪霊は智性が無い。簡単な言い回しをすればそういうことになりますね」
「その通りでんな。
そやから、躁(そう)状態の霊的干渉って言うのは、憑依されてる人(日止、霊止)の心(靈)の動きによるんやけど、そしてそれは砌(みぎり)の極性の現われって言うたんたんやけど、これは“日月神示”に示されてる画像を観るとよく解る。
以下の画像は、先生の注釈つきなんやけど、解りやすいから観てくださいでんねん。

腹の日足(ひたり)(“善”)回転と、砌(みぎり)(“悪”)回転  


そやからこれは、日足(ひたり)の極性と砌(みぎり)の極性のどっちかが強まったときに起きる荷電粒子の回転を示している。
ほんでからこの“日月神示”表記の右回転と左回転は、“上”から目線でんねん。
これを、人から目線で観ると、こんな感じになりまんねん。

平均的地球人のオーラの構成と、自我から下へ向かう心(靈)の動き、荷電粒子の回転 

そやから、この右回転を構成する右の極性って言うのんを、以下の画像で示しまんねん。

心(靈)の動きが砌(みぎり)の極性で下降する様子 

 そやからこの画像で示した心(靈)の動きを言葉で言い換えるならば、論理的ではなく感情中心、自分の在り方を考えん。そやから他者の意見も聴かん。自我中心、自我の肥大でんな」
「そうか…要は、智性(“一”、1番目のオーラ)が発揮できていない心(靈)ってことでもある。だから、さっきKellyさんが列挙した、“気分は爽快。勇猛多弁。人の話を聴かんと自分の言いたいことばっかり言う。ほんでから自分が話してる事柄が絶対正しいと思い込んだりもして、そのことに口出しすると、怒り出すようなケースもあるようでんな。ほんでからチョ~活発に行動して、疲れを知らん。ほんでからに自分は周囲から尊敬されている素晴らしい人間なんやって思い込んだりもする。誇大妄想でんな。
そやからそれは、憑依現象で心(靈)を乗っ取られてるか自分で分からへんのやな。ほんでから自我の肥大による心(靈)の動きもある。そやからそれは、マイペースで人の話しや考えを受け入れへんみたいなもんでんねん。
ほんでから憑依されてる霊的存在からたくさんの通信を受けてるからいろんな発想をする。これは感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)でんな。
それが良い方向に働いているときは、アイデア豊富とかって評価を受けたりもする”ってことになるんだ」
「そうでんな。
 そやからここまでの話で、躁(そう)状態の人は、砌(みぎり)のエネルギーが日足(ひたり)のエネルギーより勝っていることが理解できると思うけど、その人に感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)する霊的存在は、同調なんやから、おんなじ回転の向きをしているってことでんねん。
 そやから憑依現象による感応共振は、おんなじ心(靈)の動きやから感応共振する。
そやから悪霊の心(靈)の荷電粒子の回転を“上”から観たならば、さっき示した“日月神示”表記の右回転でもあり、それと感応共振する人の心(靈)の動きは、今の地球人は、自我中心の心(靈)の構成になっているからこそ、東洋医学で言うところの肝と脾、足の厥陰肝経と、足の太陰脾経でんな。
ほんでからこの二つの経絡(ツボの流れ)は、腹を通ってる。
そしてそれは肉体における左右の極性でもあり、肝臓と脾臓は大きなコンデンサーの構造を持っているから、左右の極性の構成要素でもある。
ほんでから人間は、進化した左右相称動物でもある。
このことは、なんで人間は左右対称の臓器の構成になっているのか?神経かて左右対称なのか?…の答えでもあるんやけど、この説明は先生の役割やから“続”では説明しませんねん。
 要は、肝=“いきり立つ心(奴と心)”と脾=“思う、憂う”は、自我の構成要素でもあり、人が進化してきて自我の確立=固定化をしてきた過程に関わっている。
ほんでから現時点、地球では、自我の確立=固定化の進化過程の心(靈)でいっぱいってことでんねん。
…そやけど、こんな言い方では説明が足らへんな。
今言うた自我の確立=固定化の進化過程の心(靈)って言うのんは、霊的存在であろうが、肉体を持った人(日止、霊止)であろうが、“日止、霊止”よりも少し自我の確立=固定化が遅れてる動物であろうが…ってことでんねん。
そやから、心(靈)が“下”に向かっている人、それは、心(靈)が“下”に向かっている人の霊と感応共振する。
ほんでから殺された動物霊は人間を恨んでる。恨むって言うのんは、自我から情動に移行する心(靈)の動きとも言い得る。…これは判りまっか」
「はあ、上手く言い表せないけれど、恨みは情動がなければあらわれないでしょうし…感情主体の心(靈)の動きってことなんでしょうし…」
「そうでんな。そやからそれはチャクラで言えば、マニピューラチャクラ(自我)から、スワディスターナチャクラ(情動)に移行する心(靈)の動きで、そしてそれは“下”に向かう荷電粒子の回転で、さらにそれは“上”から観ると右回転になるってことでんねん」
「…そうか。右回転…悪の回転…砌(みぎり)の極性…むずかしいですね」
「難しいでっか」
「そうですね。
今日のKellyさんの話を完全に理解するには、僕の認識やチャクラに対する知識が、足らないのかもしれません」
「そうでっか。 そやったなら今日の話を良く思い出してYっちゃん先生なりに考えたらエエねん。
大体、Kellyさんかて前のブログで先生の話をいっぺんに理解できたわけではないし、よく一人でぼやいてましたやろ」
「そうでしたね」
「そやからYっちゃん先生、ほんまは今日は、鬱(うつ)のことまで話したかったけど、今日の話はここまでにして、Yっちゃん先生なりに今日Kellyさんが話して感じたことを整理しはったらどないでっしゃろか」
「…そうですね。それがいいかもしれませんね。そうさせてもらいます。
それと、今日聴いたことから、鬱(うつ)のことも考えてきます」
「自分で考えること、そのこと自体がYっちゃん先生と“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)との感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)になることでんねん。
そやからそれは、Yっちゃん先生の認識はそういう過程を踏んで構築されていく。
そのこと自体がよいカタチでんな。そやから…また連絡くださいでんねん」
「分かりました。僕なりにいろいろ考えてきます。それでは失礼します」

Kellyさん、ややメタボ内科医のYっちゃん先生と、躁(そう)と鬱(うつ)は、心(靈)の動きの極性の一側面であるという話をする。 “その二”


……Yっちゃん先生 〔 ´゚Д゚`〕 …ぼやき中……


 …この間のKellyさんの話は…難しかった。 それと、Kellyさんはよくしゃべるおばさんだ。Kellyさんも○○○大先生同様、いろんなことを考えていて、たくさんの認識を持っていて、それを人に伝えようとすると、伝えたいことがたくさん出てきて止まらなくなってしまうんだろうな…きっと。

それはおいといて…この間の話の内容、とくに人の肉体にある左と右、日足(ひたり)と砌(みぎり)の極性の現れ…それによる荷電粒子の回転…生物が持つ縦の磁束に対し、ローレンツ力で荷電粒子が回転して場(フィールド)を構成し、それが心で、霊なんだってこと…その概念は、なんとなく分かる。
だから、その認識で考えれば、肉体の死は生体内電流の消失…この言い回しも正確な表現ではないんだ。 ただ単に、分かりやすい表現だな。この表現を使わなければ、生体内電流のことを認識しないからだ。

…人が死だって思ってること、それは、肉体内の生体内電流=荷電粒子の場(フィールド)が肉体内に無くなるから、その肉体という物質の中から、違うところへ移動するから、それを生きている人間が見ると…言い換えればその過程を観察して“死”って認識するんだな。
だから、それも、人(日止、霊止)って進化過程の心(靈)による“観察と認識”なんだ。
それだからこそ、人によって、死に対する認識の違いってことがあるんだな。
認識の低い人、極端に霊的成長度の低い人、死後の世界とか、霊的存在ってことに対し何も思わないとか、霊なんて無いって思ってる人は以外に多い。
特に医者の世界では、霊なんて概念はタブー視されてる傾向もある。
だから、霊や死後の世界に対して認識が無い人ってのは、自分自身が、物質をまとった心=霊って認識も無い。
肉体って言うのは、心(靈)が感じ(感じる磁性)ている物質なんだって認識が無い。
Kellyさんや○○○大先生の言い回しを引用すれば、そういう言い方にもなるな。

それに…うちの患者さんにもいろんな人がいる。
死んでしまって、はやく楽になりたいって言う人もいるし…死に対して、荷電粒子で出来た場(フィールド)の移動が、それが死なんだって認識ができていないから、死んだら終わりって低い考えを持つ人もいるんだ。
もっとも今、僕が思ったのは、これも○○○大先生とKellyさんの認識に由来することだし、それを通じて僕が思ったことだし、だからこそ“死と生”について僕自身が考えることができる。
だけれども…一般には、肉体から霊が抜け出ることが死なんだって言い回ししかないだろうし、その言い回しも、死を正確に言い表した言い方ではないかもしれない。
だから、今考えていた概念…死、生体内電流、霊が荷電粒子の回転によって構成されていること、そして心(靈)が行っている事象の“観察と認識”…これらのことはいちいち難しい言葉だが、妥当な表現だと思える。
そして、霊とか死後の世界とかに対して認識が低い、よく考えていないってのは、生きているってことと死に対する認識が低いってことになるのかもしれない。
生きていることは、やはり死を前提に考えるべきでもあるだろうし、死んでからだって自分自身って存在は無くなるわけではない。
それを考えるから、それだからこそ、自分の生き方、在り方ってことを深く思うこともできるのだろう。 そしてその考えを行うのは、大脳新皮質、○○○大先生の言い回しなら目上(めうえ)の脳だな。
…いいや、ちがうな。目上(めうえ)で発現した心(靈)だな。こういう言い方が正確な言い回しだな。
だからその心(靈)の発現と心(靈)の動き、それは智性(神性)だし、“死と生”を、きちんと認識できる…深く考えて、自分の生き方の指標にできる。
そのことを思うのは、智性(神性)でしかできないって言っても過言ではないな。
だからそれは、目上(めうえ)の脳をあまり持っていない動物には考える能力があるとは思えないし、ただただ本能中心の行動が多いだろうし、自我の確立=固定化の進化過程って“Kellyさんとの会話”(一本目のブログのこと)で何回も指摘されていたし、動物が進化して人になる。
それは、地球の場合、猿が人(日止、霊止)って段階に移行したみたいな言い回しだった。
だからこそ人しか言葉を使えない。
前のブログでは、茶化してワンワンニャ~ニャ~ブ~ブ~モ~モ~コケコッコ~って表記があったけど、動物の言葉ってのはその程度でしかないし、人間が鳴き声みたいにしか聞こえないことそのものが、人(日止、霊止)の観察による認識でもあり、だから動物は人間より下、“下”(低い心(靈))って感じられる。

今、僕は、違うこと考えてるけど、人って心(靈)はそうやって事象を観察し、自分の心(靈)なりの認識をする…それも、言葉によって認識をする。しかしそれは、人間と動物の違い、それは認識の違い、認識の違いは、霊的成長度の違い、それは“一”=智性=1番目のオーラに顕れる。
そんなことが前のブログには書いてあった。
だから…言葉って大事だな。

…でも、今考えていたこと、一般の認識としての霊って言葉に、生体内電流とか荷電粒子とかの認識は無い。そして、心が霊と同義なんて認識もあまり無いな。
だから霊なんて言葉はインチキ霊能力者が金儲けに利用するために相手を恫喝する言葉に成り下がっている。そして医者も、薬屋も、相手を恫喝するような言葉の使い方をすることが多い…そんなこともKellyさんは指摘してたし、僕自身もそう思うな。

…本題に戻ろう。

そして、動物から人(日止、霊止)、それも進化過程で、自我の確立=固定化から智性(神性)の発現、そして“慈悲”と“慈愛”の心(靈)の動きを持つようになる。
それがあまり無い人、心(靈)の動きとして観察されない…自分の行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)に表れない…自分の思惑として顕現できない…。
○○○大先生流の言い回しならこういう複雑な表現になるのだろうけど、要は、霊的成長度の低い人=愛(炁)の顕現の程度が低い人は、自分の欲望を満たすことしかしない。
仮に心(靈)の中に、“慈悲”と“慈愛”が少しあっても、そんな行動しか取らないってことだ。
だからそれは、“慈悲”と“慈愛”、そして智性(神性)由来の認識が自分の内面とか内側(心の中と感じている事)にあっても、外側(外国と幽界)の事象には顕すことができないって言い方もできる。

人って言うのは、誰でも多少なり智性を持っているだろうから、善悪も理解できるだろうし、自分たちのよいカタチである幸福って概念も持つだろうけど、智性(神性)や、“慈悲”と“慈愛”の心(靈)の動きを、自分の外側(外国と幽界)の事象に顕さないから、自己奉仕者になる。
だから自己奉仕者…結果それは、智性があまり無いとか、発揮できていない人って観察し得る。
それは、智性由来の思想を自分で持たない…智性由来の事象の観察をしない人だし、言い換えれば、自分の心の中にあると思われる心の動きとしての智性を、自分で無視してる人。
それは自分に甘い考えとも思えるし、自分の心(靈)の甘さが、自分の一生を左右し、そして病気って問題を自分がかかえたなら、それを排除できるとか、自分の甘さを克服するとか…その心(靈)の動きを持つまで苦しまなければならないだろう。
そして、智性があまり無い…“死と生”に対して認識があまり無い人は、病気って苦難を目の前にしても、自暴自棄になったり、やけくそなことを言ったり、極端な場合は自殺したりもするんだろう。
それも“死と生”に対する認識の低い人は、生きている間だけがすべてってことを前提に思うから、生きている間に楽しまなければ損だとか…糖尿病の食事制限ができない人みたいなものだな。
自分が好き勝手に生きてなぜ悪い、食べたいもの食べてなぜ悪い、飲みたい酒をなぜやめなければならないんだ、なぜタバコをやめなれればいけないんだ、自分が自分の思うように一生を過ごしてなぜ悪い、そんなこと誰にも指図されたくない…とか思うんだ。
まったく自我の肥大だな。
だからこそ、智性由来の考え方とか視点とかが無い…それは、自分の生き方とか在り方ってことを考えないし、この場合は、病気が自分に与えられた試練としての苦難なんて考えが無いからだな。
そういう死に方をした人は、きっとこの世界を彷徨う浮遊霊になるんだろう。
その心(靈)の動きを持った浮遊霊は、子孫に憑依して、自分の苦しみをわかって欲しいから子孫を病気にする…因縁霊って言うのは、そういうことをするものだろうけど、それは、その因縁霊自身が、生きていたときの認識しか持っていないからだな。
また、その霊的存在は霊的成長度が低いから、智性を持っていないからこそ自分自身の死の意味を考えず、死んだことを自省(胸の磁性“十”)の材料にもできず、因縁霊になるんだろう。
因縁霊と、因縁霊に憑依されている人、それを観たなら大概の人は、霊的存在だけが悪いように思うかもしれないけど、けっしてそうではないな。
結局、因縁霊と感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)をしなければいい。
そしたら自分は因縁霊の想念を受けない。影響されない。
だからそれは、さっき思ったみたいに、食べたいだけ食べ、飲みたいだけ酒を飲み、そのことに価値があるって程度の低い考えを持って生き続け、人生の価値はそこにあるなんて思い込み、そして病気になった人は、その飲み食いしたことに対する執着が強く、その後死んでしまって、もっと楽しみたいって思いを発する浮遊霊になったらば、同じ考えを持つ人に憑依する…って言うよりも、引き合うみたいなもんだな。
それが多分、肉体が持つ中心の磁束の周りを回転する荷電粒子の回転が、同じような傾向を持つと、(肉体を持った心(靈)である)人に、霊的存在は、抵抗無く憑依できるのではないのかな。
多分そうだろう。
だからKellyさんは、“日月神示”表記の悪の回転、右回転の話をしたんだろうし、またそれは、砌(みぎり)の極性、肝=“いきり立つ心(奴と心)”の顕れっていうのが、○○○大先生とKellyさんの概念なんだな。
そしてそれは、憑依される人=生きている人と、自我の肥大をしたまま死んだ浮遊霊、その霊的成長の段階の霊的存在との感応共振なんだろう。

…自我の肥大、肝=“いきり立つ心(奴と心)”の強化…その顕現、心(靈)の動きが行動に現れること…だからこそ考えが論理的ではなく、自分のやっていることに対しても自分が持つ低い欲望を満たすことだけ前提に考える。
たんてきに言えば、自分にとって都合の良い考えだし、そしてそれが絶対に正しいと思う。
この間Kellyさんと話していた躁(そう)状態の人みたいなもんだな。
そしてそれは、人にも霊的存在にも同様のことがあるから、同じ考え方をするから憑依しやすいってことになるんだろうな。
同じ心(靈)の動きだからだな。
だから、憑依される人と憑依する霊的存在、その両者は死に対する認識が低い。
それだからこそ、いろんな問題を感じさせる。
仮に“死と生”に対し、きちんとした認識を持っている霊的存在ならば、自分が不幸な死に方をしたとか、突然の死とかにも、恨みの連鎖の現象とか、因縁を贖って(あがなって)いる人生を送り、それを因縁の要因とも言える因縁霊自身に見せ、因縁霊が自省するためのこととか、あるいは、その人自分が右往左往のまま死んで、死んでから左往右往する=自省(胸の磁性“十”)するための死とか、そういう考えを持つことができるだろう。
それは、自分の死に対し深く考えていない。それ以前に死の意味も知らないから、考えることができないから、彷徨うんだな。多分。
だから、人って言うのは、人(日止、霊止)の心(靈)って言うのは、死んでからも認識の拡大はある。
それは、霊的存在が永遠の存在ってことから考えれば、当然のことと思えるし、だからこそ宗教では、天国と地獄の概念を説かれているんだろう。
例えば、死んでからの自省(胸の磁性“十”)の“行”を示す、閻魔の庁の浄玻璃の鏡(えんまのちょうのじょうはりのかがみ)、自分がやってきた行いを何百年でも何千年でも見せられる地獄…自省して考えを変えるためだ。
自省しなければその心(靈)は、成長しない=“上”に向かわないからだ。
それがチャクラに表れているんだな。
今の地球人の進化過程は、ムラダーラチャクラ、スワディスターナチャクラ、マニピューラチャクラ=腹のチャクラから、アナハタチャクラ=胸のチャクラの覚醒にいたろうとしている。
胸のチャクラの覚醒と称されていること、それが、自省(胸の磁性“十”)してから自分の心(靈)の中にできていく“慈悲”と“慈愛”なんだろう。
だから、平均的地球人の進化過程は、自我の確立=固定化の段階から少し“上”に向かってて、それだからこそ、その人が生きてきた期間での自分自身の生き方、生きて来た過程に対する認識の低さってのがある。さっきも思ったように、それだから死んでから彷徨うんだ。
なぜ自分は生きているのだろうかとか、生きているって何の意味があるのだろうとか…それを思わない人は、ただただ目先のことばかり思うとか、例えば仕事のことしか考えていない…ちょっと悪く言えば、仕事で金を儲けて自分の低い欲望の達成だけを願って生きてきたとか…右往左往だな。そして右往左往は、心(靈)の極性としての砌(みぎり)の現われなんだ。
だから自我の肥大になるんだな。
そしてその心のまま死んだなら、それは、自分のやってきたことは死んでからも考えなければいけない。
それは、その霊的存在の心(靈)の動きは、脾=“思う、憂う”になっているんだろうな。

さっき、躁(そう)状態の人は、自我の肥大した人と、自我の肥大のまま死んだ霊的存在との感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)だって思った。
それに対し、鬱(うつ)は、自我の肥大の人生を送ったあとの、左往右往のとき、その心(靈)の動きのとき、それは間違いなく、脾=“思う、憂う”、日足(ひたり)の極性の現われだろうから、その人に憑依して感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)する霊的存在も、脾=“思う、憂う”、日足(ひたり)の極性が現れた霊的存在と同調するんだろうな。

だからそれは…この間Kellyさんが言ってたこと。

“躁(そう)状態の人は、砌(みぎり)のエネルギーが日足(ひたり)のエネルギーより勝っていることが理解できると思うけど、その人に感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)する霊的存在は、同調なんやから、おんなじ回転の向きをしているってことでんねん。
 そやから憑依現象による感応共振は、おんなじ心(靈)の動きやから感応共振する。
そやから悪霊の心(靈)の荷電粒子の回転を“上”から観たならば、さっき示した“日月神示”表記の右回転でもあり、それと感応共振する人の心(靈)の動きは、今の地球人は、自我中心の心(靈)の構成になっているからこそ、東洋医学で言うところの肝と脾、足の厥陰肝経と、足の太陰脾経でんな。
ほんでからこの二つの経絡(ツボの流れ)は、腹を通ってる。
そしてそれは肉体における左右の極性でもあり、肝臓と脾臓は大きなコンデンサーの構造を持っているから、左右の極性の構成要素でもある”

…Kellyさんはこの話のときに、荷電粒子の回転のことを説明したんだ。 そしてそれは、憑依される人と、憑依する霊的存在に荷電粒子の回転が共通するから、感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)するんだ。
だから、心の極性が砌(みぎり)に傾いている場合、その心(靈)の動きに感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)する霊的存在も、砌(みぎり)の極性を持った存在が憑依する。
だから躁(そう)になるんだな。
その逆ともいえるけど、心(靈)の動きが日足(ひたり)に傾いているとき、脾=“思う、憂う”のときは、多少、自省(胸の磁性“十”)している霊的存在の憑依があるんだろう。
だから鬱(うつ)になるんだろう。
 そして、憑依される人と憑依する霊的存在の心(靈)の動きとしての智性が無い。智性を発揮していない。
“死と生”に対し、しっかりした認識を持っていない=霊的成長をしていない心(靈)同士の感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)なんだな。
だから、躁(そう)状態と鬱(うつ)状態になるってのは、その人と、霊的存在の“一”=智性=1番目のオーラが小さい。
あるいは、憑依される人の目上(めうえ)の脳の機能が落ちているってことなんだろう。

…その原因みたいなこととして、二つの要因があるな。

一つ目は、智性(神性)を発揮しない心(靈)の動きは、自我の肥大だろうし、その心(靈)の動きのときは、智性由来の考えを持たない。
だから智性(神性)を発揮した霊的存在の憑依が無いとか、“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)からの通信を受けにくいってことにもなるんだ
結果それは、その人の智性(神性)を発揮していないことだ。
そして二つ目は、智性(神性)を発現して智性(神性)由来の考えを持つと思われる目上(めうえ)の脳の機能が、酒、たばこ、薬物…etc そんなものの影響を受けてて、目上(めうえ)の脳内の電磁誘導が起きにくいとか、脳内の電流量が下がることがあるんだろうな。
そうならばそれは、その人が持っている、“一”=智性=1番目のオーラに相当する生体内電流の弱体化ってことになる。
だから、この二つの要因は、程度の低い霊的存在の影響を受ける。 そんな人だから、躁(そう)と鬱(うつ)は発症するのだろうな。

その人が智性由来の考えさえきちんと持っているなら、その人自身の持っている智性が発揮できてさえいれば、低い霊的存在との感応共振は無い…無くなるのだろうな。
 

…結論めいた考えになったけど、今度Kellyさんと話して、自分の考えをKellyさんに聞いてもらって、確認を取ることとしよう。



☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀



…ということで、今回は、僕、ややメタボ内科医のYっちゃん先生 〔 ´゚Д゚`〕 が、一人でぼやきました。 これは、楽屋落ち的言い方をすれば、前のブログで○○○大先生がよく使った手法でもあります。

一人でいろんなことを考えているってのは、瞑想に近いことでもあり、そのときの自分自身の心(靈)の動きが“上”に向かっているならば=真実(真固止)を追究しようとしているならば、“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)との感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)がある。
要は“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)の通信を受けて自分の考えを構築するってことになります。
それに対し、自分が自分に都合のよいことばかり考えているならば、“下”(人の霊的成長を望んでいない存在)との感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)があります。

○○○大先生が使うこの手法は、そのことを表現した文章でもあると思います。 

そして今回の話は、次回に続きます。

by ややメタボ内科医のYっちゃん先生 〔 ´゚Д゚`〕 でした。

Kellyさん、ややメタボ内科医のYっちゃん先生と、躁(そう)と鬱(うつ)は、心(靈)の動きの極性の一側面であるという話をする。 “その三”



「Kellyさん、お呼び出ししてすみません。
今日は、この間、僕が一人で考えたことを聞いてもらって、Kellyさんの意見をうかがおうと思います。よろしいでしょうか?」
「承知しましてんな。ぜひ、お聞かせくださいでんねん」



…斯々然々(かくかくしかじか)…
Yっちゃん先生〔 ´゚Д゚`〕、この間一人で考えて導き出した結論と、
その結論を導き出した過程で考えたことを、
詳細に説明中……



「……人が智性を発揮しない。そして今の地球人はたいして智性(神性)を持っていない。そして霊的存在も智性を発揮していない。
さらに目上(めうえ)の脳内の生体内電流の弱体化…それを引き起こす、タバコ、飲酒、薬物など。
そして心(靈)の動きとしての自我の肥大。
その結果は、“一”=智性=1番目のオーラが弱まるって言うのか…どう言い表していいのかよく分からないのですが、その状態の人は、同じように智性(神性)を発揮していない霊的存在との感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)を起こす。
だから、躁(そう)と鬱(うつ)は発症する。
 だからそれは、頭の磁性の弱まりを起こし、その状態の人は智性(神性)を発揮した心(靈)の動きになりにくいし、それに感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)する霊的存在は、目下(めした)の心、本能、情動、功名心、自我、低い愛(炁)、そんな心(靈)の構成になるだろうからこそ、その人の心(靈)が“下”に向かいやすいのかもしれない」
「…よう考えはったな。さすがでんなッ!お見事ッ!勉強になりまっせッ!」
J´艸`し ムププププププププププププププププププ!!

「Kellyさん…茶化してるでしょう…」
「その通りでんねん。すんまへんな。そやけどほんま、よう考えはったと思いまっせ。
そやからそれは、自分自身がほんまのことを知るには、自分がエネルギーを贖う(あがなう)ことをせんとアカンやん。
ほんでからYっちゃん先生が頭使って考えたのは、言うまでもなくYっちゃん先生の脳内の生体内電流の強化にもなるし、ほんでからにしっかり分析して結論を導き出したって言うのんは、目上(めうえ)の脳で考えはったことやおまへんか。
そやからそれは、Yっちゃん先生の智性(神性)の行使ってことでんがな。それはとても尊いことでっせ」
「はあ、それはそうですね」
「Yっちゃん先生が智性の行使をして考えはった。(それは本当のことを見出そうとする心(靈)の動きって言うてもエエんやけど)
そやからこそYっちゃん先生は、躁(そう)と鬱(うつ)のことを考え、自分なりの結論を導き出した。
そやからそれは、この間話をしたように、鬱(うつ)や躁(そう)に付いての命名って言うのんは、同義反復みたいな言い方をすることが多いやん。
それは物事を分析する視点って言うことから言えば、ちょっと問題ありって感じがする。
この間Yっちゃん先生と話したときにもそのことを言うたし…」
「そうですね。ただ症状名を付けて呼称してるだけのことが多いですね。しかしそれは、その人の心(靈)の動きと行動を観察して名称を付けただけ。その心(靈)の動きと行動の根拠をうかがい知ることはできない感じですね」
「そうでんな。
そやから今の話、症状名を付け、そしてその呼び方で分類をする。それではほんまの原因を追究することができないって言う言い方は、ちょっと乱暴でもあると思うけど、今いろんなことが単なる同義反復になってることが多いと思いまんねん。
ほんでから、同義反復の分析を見てるだけで、それ以上のことを追求しない。
そやからそれは本当のことを追求しようとしている心(靈)の動きを持っている人はとても少ない。こんなことはどんな分野でも見られることやと思いまんねん。
そやけど、この話を具体例を挙げてYっちゃん先生と話していくと、とても長い話になりそうやから…そやから、“同義反復のものの見方”ってことが、今一般に多いってことを、忘れんようにするって事が大事」
「そうですね。覚えておきます」
「ほんでから今回Yっちゃん先生が考えてきはったこと。
それはあえて言うまでもないと思うんやけど、Yっちゃん先生の智性って心(靈)の動きに感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)した霊的存在がいてる。それは判りまっしゃろ」
「ええ、それは理解できます。霊的干渉と無縁の事象なんて無いって前のブログで○○○大先生が言ってらした。またそのことが、今回の僕なりの結論を導き出したことでもありますね。
でも普段、そのことをあまり意識していない。一般にもその認識はありませんよね。
それと大体、一般の通念として、霊ってことにたいしての認識が低すぎる。
だからこそ、霊のことを吹聴して金儲けしている人がいる。インチキ霊能力者や、法外な料金を請求するスピリチュアルカウンセリング、何の“行”もやってなくて、霊的成長なんてことをしていないと思われる占い師なんかが霊のことを語ったりもして、こんな馬鹿げたことが横行してますけど、一般の人たちが霊に対しての認識がとても低いし、無知でもある。
そんな認識が低い人に対して、霊って言葉を利用して金儲けしてる人は、霊的なことを自分勝手な解釈をして、たいして何の分析も無く、ただただ知識を吹聴したり憶測をえらそうに言うだけだったりもするって感じですね。
それは、霊や、霊的干渉を分析する視点が無い。また、神仏を観る視点も低い。だからご利益だけ求めたりもするし、悪霊祓いや浄霊を商売にしてる人もいて、そんな商売が成り立っていたりもする。
それは、霊的干渉に付いてもただただ興味本位とか、それと、そんな現象を見ると面白がったり怖がったりするだけ。
そんな人たちは、智性(神性)由来の“観察と認識”をしていない。それはいえますね」
「まったくそうでんな」
「今、躁(そう)と鬱(うつ)のこととは、違う話になってますけど、この間から僕が思っている、何か恫喝するような言葉や言い回しで(通貨としての)金をとるってことが多すぎるような気がする。
それはスピリチュアルカウンセリングでも占いでもお祓い屋でもインチキ霊能力者でも…そして、医者でもそうですよね。
なんとか病の疑いがあります…そして、検査検査検査…そしてたくさんの薬をだす。そんなことも考えたんです」
「そうでっか。
今Yっちゃん先生が言わはったこと。今Yっちゃん先生が指摘した人たちの行動の根拠って言うのんは、低い欲望でっしゃろ」
「その通りですね。自分だけ良い目を見たいってことですね。それは明白ですよね。そしてその心(靈)の動きをする人は、たいして霊的成長を果たしていない。
言い換えればそれは、智性由来の考えではない。
そして自分の医者としての立場として思うのは、医者の知識を利用して、相手を恫喝したりして診療報酬をとったりもする医者が多い。そんな傾向はありますよね。
しかし、今の話でも、さっきの“同義反復のものの見方”って概念を当てはめて言い換えれば、その人たちの行動を観察して問題があるって指摘するだけでは、単なる同義反復でしかない。
その人たちの行動の根拠、それが今Kellyさんが言った“低い欲望”…その視点が大事で、低い欲望由来の行動をとる人は、自分たちの仕事を神聖に感じていない」
「そうでんな。その一例として、これは恫喝ってことではないけど…この間先生が少しぼやいてたことで、ちょっとひどい話があったやん。
それは先生の治療院にときどきいらっしゃる人の話なんやけど、その人は前立腺肥大で泌尿器科に通院していらっしゃる60歳ちょっと過ぎの人なんやけど、診察中に、自分は性的にだめになったなんて一言も言っていないのに、バイアグラを処方され、8000円近く払ったなんて話を聞いたそうでんねん。 
これはどういうことでっかって思いまっしゃろ。
ほんでからに最近発覚したこととして、とある接骨院の保険水増し請求とか、こんなことはどんな心(靈)の動きで行われてることなのか、言うまでもないことでんな」
「そうですね。
だからそれは、Kellyさん的“日月神示”解釈の表記を引用すれば、“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”ですけど…しかしひどい話ですね」
「そやけどこんなことは単なる一例に過ぎない。
今、どんなことでも自己奉仕者の霊的成長度の人が活躍してて、その心(靈)の動きのまま死んでしまう。 
これがとても大事な視点でもある。
自己奉仕者の心(靈)の動きをする人には、自己奉仕者の心(靈)の動きを持った霊的存在が憑依する。感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)でんな」
「そうですね」
「そやから一般に多い霊的干渉って言うのんは、一般の人たちの心(靈)の動きに感応共振する霊的干渉が多い。これも理解できまっしゃろ」
「そうですね。
今、Kellyさんがおっしゃったこと、それは自己奉仕者の心(靈)の動きをする人に、自己奉仕者のまま死んだ浮遊霊たちが憑依する。
そしてそれは、智性を持った人、智性を行使して死んだ人、そんな霊の憑依ではない。
霊的存在自身が、智性の行使をする存在であるなら、ちょっと表現が適切ではないかもしれないですが、何か祟ったり(たたったり)はしないですよね」
「そうでんな。
そやから、進化した=霊的成長した霊的存在は、肉体を持っていようがいまいが、自分の在り方を考える。こんな行動をしていて良いのだろうかとか、今、自分が行っていることはどんな意味と意義があるのかとか、常に考えるもんでんねん。
そやから自分自身に対し、そんなものの見方が出来得るならば、自分以外の他者、回りくどい言い方をしたけど、誰かに害を及ぼすなんてことはせんもんでんねん。
ほんでからYっちゃん先生にあえて言うまでも無いことやけど、このことは、霊、対、霊、であろうが、人、対、霊、であろうが、肉体って物質をまとった心(靈)=人、対、肉体って物質をまとった心(靈)、であろうが…」
「おっしゃる意味はよく分かります。
だから悪霊、霊現象、霊の種類とか…何か霊障って影響を及ぼすと思われる因縁霊とか浮遊霊とか自縛霊とか。
こういう呼び方もその霊的存在の心(靈)の動きを言い表した適切な呼び方ではないし、そして、どうして悪霊って感じられる霊的存在になったのかって言う根拠を示した呼び方でもない。
今のKellyさんの言い方は、そのことまで指摘している言い方ですね。
だから結局、心(靈)の動きの根拠って視点が無い」
「そうでんな。
そやから、今回、Yっちゃん先生が考えてきはったのは、智性の無い心(靈)の動きってことで、それは人だろうが、霊的存在だろうが、その両者に言えることでっしゃろ」
「そうですね。それはいえると思います」
「そやからそれは、如何にこの世界が進化していないのかの証明になることでもありまんねん」
「そうですね。
○○○大先生とKellyさんの概念の、進化は、霊的成長、神格化に向かうこと、だから神格化って言うのは智性(神性)の発現と行使、そして“一”=智性=1番目のオーラの拡大。
今、話していた、低い行動をする人と霊的存在は、智性を持っていないか、智性を発現していないか、自分の心(靈)の中の智性由来の考えを無視している。
そしてこの世界は、人だろうが霊だろうが、そんな存在でいっぱいの世界なんだ」
「そうでんねん。そやから、低い行動をする人、同様に低い心の霊的存在は、今後=アセンション後の事象の“創造”に参加できん。
そやから分けんならん。それが神さんの計画でもある。
言うまでもなくその計画は、相対的に良い世界の“創造”をしていく人をより分ける。
そやけどほんまは、より分けられのではなく、自分の心(靈)の動きと、それまで(アセンションの時期)に、どんな霊的成長をしたのかによる。
自己奉仕者の人と、自己奉仕者の心(靈)の動きを持った霊的存在は、次の段階の“創造”を担うことは出来ない。仮にその存在たちが次の段階に移行したなら、今と同じ程度の世界にしかならへん。
今Kellyさんが言うたことを検証するために…仮に、この世界が智性(神性)を行使する存在だけの世界になったなら、自分が何かの因縁や、恨みの連鎖の霊的干渉の結果として突然死しても、それは悪霊にはならないと思えるやないですか。
智性を持った霊的存在は、自分がなぜ突然死したのかその理由を考える。その意味と意義を考える。
例えば、自分の生きてきたときの行動に問題があれば、自省(胸の磁性“十”)する。
因縁を背負っていて突然死したなら、その因縁がなぜ起きたのか考える。
恨みの連鎖の霊的干渉の影響を受けたとしたなら、自分がなぜその霊的干渉の影響を受けたのか=どんな心(靈)の動きをしていたのか、自分なりに分析する。
そやからそんな考えがあったとするなら、自分が悪霊や因縁霊、恨みの連鎖の霊的干渉に加担する存在になるなんてことを、自分に許さんようになる」
「そうか。だから、智性を発現していない人が突然死したら、突然死したことしか考えず、その理由を考えない。
ですからそれは、長患いの病人でも同じことが言え、自分の行動の結果としての病気、いつだったか糖尿病の話もしましたけど、結果それは、自分が悪いんだって思っていない。自分の生活の結果が病気なんだって自覚が無い。そして病気が、自分にとっての正当な報酬だって考えもしない。
そしてその人が死んだなら、子孫に自分の苦しみを分かって欲しい因縁霊になる……って言うよりも、因縁霊に成り下がるって言うのが妥当ですね。
そうなってしまうのはその存在の心(靈)の在り方に問題がある。
だから仏教では、自省(胸の磁性“十”)をする地獄、閻魔の庁の浄玻璃の鏡(えんまのちょうのじょうはりのかがみ)って地獄があるって説かれてるけど、お坊さんはただ地獄があるとしか言ってないみたいなものですね。糖尿病や通風や…そんなお坊さんも多いから」
「そうでんな。そやからそれは、自分の心(靈)が低い欲望に支配されてるって認識が無い。だから生きてたことのうちの、なんとなく楽しかったって思っていたことに執着するから悪霊になるってことでんねん。
言うまでもなく“なんとなく楽しかったって思っていたこと”は、食う、やる(性的なこと)、など、本能に由来することや、物欲が満たされてたときとか…他にもあるけれど、そやからそれは、下の心(靈)の動き、本能って心(靈)の動き、その上の情動、そしてその上の、自我、低い功名心と自尊心、その心(靈)の動きしか持っていない霊的存在は、同じ進化程度の人と感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)をする。
今回Yっちゃん先生が導き出した結論は、このことを示してまんな」
「そうかもしれません。
だから、智性(神性)を持った存在だけの世界になったとしたらば、低い霊的干渉は無くなっていく。
そしてそれは、因縁霊由来の霊的干渉とか、恨みの連鎖の霊的干渉とか、現象から言えば突然死とか、自分に甘い(亜、魔、出ずる、泉)から発症する病気とか、他にも殺人…殺したから殺すなんて霊的干渉も無くなっていく。それは考えれますね」
「そうでんな。
そやから躁(そう)と鬱(うつ)、これも、発症した人が智性をしっかり持っていたとするなら、自分で自分の在り方を考え、低い霊的存在=智性(神性)を持たない霊的存在との感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)はおき得ないもんでんねん。
そやけど、躁(そう)と鬱(うつ)はこの間も話したとおり、人生においての右往左往と左往右往って側面もあるもんでんねん。それをちょっと大げさに扱いすぎる傾向もある。
それはいつやったか、ヤフーニュースにこんなことが書かれてた。

“抑うつなどの症状が続くうつ病の患者数(躁(そう)うつ病を含む)が、初めて100万人を超えたことが、厚生労働省が3年ごとに実施している患者調査でわかった。 長引く不況などが背景とみられる一方、新しい抗うつ薬の登場が患者増につながっていると指摘する声もある。 患者調査によると、うつ病が大半を占める「気分障害」の患者数は、1996年に43万3000人、99年は44万1000人とほぼ横ばいだったが、2002年調査から71万1000人と急増し、今回の08年調査では、104万1000人に達した。 10年足らずで2・4倍に急増していることについて、杏林大保健学部の田島治教授(精神科医)は、「うつ病の啓発が進み、軽症者の受診増も一因」と指摘する。
 うつ病患者の増加は、新しいタイプの抗うつ薬が国内でも相次いで発売された時期と重なる。パナソニック健康保険組合予防医療部の冨高辰一郎部長(精神科医)は、「軽症のうつは自然に治るものも多い。しかし日本ではうつを早く発見し、薬を飲めば治るという流れが続いており、本来必要がない人までが、薬物治療を受けている面があるのではないか」と話す”

 この記事は、鬱(うつ)病の増加と、そして鬱(うつ)病の啓発と新薬の開発、その問題点まで指摘してる」
「そうですね。軽症の鬱(うつ)に投薬する。軽症者の受診数の増加。これは、自分に起きたことを大げさに扱うって傾向があるのだろうし、自分が“かわいそう”って思いですね。
自分が“かわいそう”…これは苦難を試練としない考えですし、またそこには、自我の肥大もある。
そしてその思いに感応共振する霊的存在が多数いる。それは○○○大先生の一冊目の本の中でKellyさんが月の凝視をしていたときに考えいらっしゃったことでもありますよね。
(ローム太霊との出会い ウエサク際月の祭り “続き” 参照)
要は“自分がかわいそう”って言うのは、ちょっと甘い。そしてそれは、自分に起きたことに対し、智性(神性)由来の観察をしていない。だからそれは、多分、患者も薬を要求するし、医者も軽症の鬱(うつ)に投薬する。それを指摘しているニュースでもありますね」
「そうでんな。ちょっと問題でっしゃろ」
「そうですね。患者も医者も、物事の見方が低い感じですよね」
「それが判ったなら結構なことでんがな。
そやから、Yっちゃん先生にはそんな物事の見方をする人になって欲しくない。なんでも理由を考え、人の心(靈)の動きの根拠ってことを考える。
それは“思惑の顕現”=現象化を分析するにあたって、重要なことでんねん。
その考え方をする人は、言うまでも無く、智性(神性)由来の思想を持ち、自分の智性(神性)由来の考え=発振、発信は、“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)との霊的干渉が起き、“上”の通信を受け、それが自分の思想になっていく。そういう人との出会いを○○○大先生とKellyさんが望でいて、そういう霊縁を求めてまんねん。
そやから躁(そう)と鬱(うつ)から話が大幅にそれてるけど、けっかそれは、どれくらい智性(神性)を発揮しているのかによる。
そしてこの世界は、智性(神性)を持っている人と霊的存在は、少ないってことが判りまんねん。
ほんでからそのことが、因縁や、事故や災害などの突然死や、人を恨んでる霊的存在の通信を受けていて自殺する人や、殺したから殺すって言う思いを受けて人殺しをする人や、こんなこと具体的に例を挙げてたらきりが無いけど、その現象=事件の裏側には、人の心(靈)の動きと、その心(靈)の動きに感応共振する霊的存在が居てる。
今回Yっちゃん先生が導き出した結論には、そのことまで思わされるものやって、Kellyさんの感想を述べさせてもらいましてんな」
「そうでしたか…ですけど、難しい話になりましたね」
「そうでんな。
ほんでから今日は鬱(うつ)について感じたことをKellyさんはYっちゃん先生と話したかったけど、ちょっと長い話になったからくたびれましたやろ。そやから今回は見送りまんねん。この次に話しようやおまへんか」
「そうですね。今日話したことを、僕なりに整理したいですし…」
「そうしてくださいでんねん。
ほんでから、この間うちKellyさんは検索してて、頭から通電する治療があることを知ったやん」
「それは、mECTとか、TMS 、rTMSとかですか」
「そうやな。それについて思ったことがありまんねん。
次回にYっちゃん先生と話すとき、それについてもKellyさんの意見を聞いてもらおうと思ってるけど、エエですやろか」
「わかりました。
mECTとか、TMS 、 rTMSについては僕の専門外なので、自分なりに調べてきます。それからKellyさんと話した方がいいですよね」
「そうでんな。そやから今回はここまでにしようやおまへんか」
「承知しました。
それじゃ、また連絡させてもらいます。今日はこれで、失礼します」
「ほな、さいならでんねん」


Kellyさん、ややメタボ内科医のYっちゃん先生と、躁(そう)と鬱(うつ)は、心(靈)の動きの極性の一側面であるという話をする。 “その四”



「Kellyさん、こんにちは。今日もよろしくお願いします。
 それでいきなりですが、この間おっしゃっていたKellyさんが鬱(うつ)について感じたこと、それを聴かせてもらっていいですか」
「承知しましてんな。
 Kellyさんが感じて思ったこと、それはやはり霊的干渉ってことでんねん。
ほんでから霊的干渉…この言葉に対する一般の認識って言うのんも、なんやしらん自分たちにとって都合のよいものになってる。
 そやからそれは、何か良くないことが起きると、なんでも悪霊のせいにするとか、それは自分に甘い(亜、魔、出ずる、泉)考えでっしゃろ」
「そうですね」
「ほんでからそれは、この間Yっちゃん先生が思ったみたいに、智性の無い考えでもあるやん。そやからそれは、鬱(うつ)を発症してる人でも、鬱(うつ)の人に取り憑いている霊的存在、その人の心(靈)の動きに感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)してる霊的存在って言うのんは、その両者ともが智性(神性)由来の考えをしていないやん」
「そうですね」
「Yっちゃん先生は、この間、そこまでのことを一人で考えたやん(
Kellyさん、ややメタボ内科医のYっちゃん先生と、躁(そう)と鬱(うつ)は、心(靈)の動きの極性の一側面であるという話をする。 “その二”   参照)。

そやからKellyさんが何でそう思うのかってことを説明するのには、鬱(うつ)の症状と思われることはこんな言い方や表現がされてるやないですか。
まず、抑鬱(うつ)気分って言い方がありまっしゃろ。 
それは、一日中憂鬱な気分で、ほんでからそれは朝起きた時が一番ひどい。 また、自分が好きなことしてても気が晴れんって感じ(感じる磁性)る。 
ほんでから今言うたことに近いこととして、食欲がなくなったり、自分の大好物だったものを食べても美味しいと感じ(感じる磁性)ない。それがこうじてくると、げっそり痩せてきたりもする。 ほんでからなんでもないことに迷ったり、何かしようとしてもすぐ行動に移せなかったり、悶々と考え込んだりもする。 意欲が無くなるみたいなもんでんな」
「話の腰を折って悪いですけど、意欲が無くなるって言うのは、砌(みぎり)の極性が弱まるってことでもありますよね」
「そうでんな。気弱になるって言い方をしてもエエことですな」
「“気弱になる”…その表現は○○○大先生の本の<3>(神格化のプロセス 目上(めうえ)と目下(めした))の最初のところで、KellyさんがKellyさん自身の心(靈)の動きを観察して認識した言葉ですよね」
「その通りでんねん。
そやから<3>の最初のページでKellyさんが自分の心(靈)の動きを観察して、脾=“思う、憂う”の動きが強くなったって言うのんか、心(靈)の極性の日足と砌(ひたりとみぎり)の日足(ひたり)の極性が強くなったって言うのんか…そのことを感じたから思うたことでもあるんやけど…」
「ですからそれも、Kellyさん自身が、Kellyさん自身の自己観察による自分の心(靈)の動きを分類した言葉ですよね。
しかし、心(靈)の動き…医学にはそんな視点はないですよね。
いや、ちょっと言葉が足らなかった。
心(靈)の動きの経緯って観察がなく、躁(そう)と鬱(うつ)って状態をただ分類しただけって言うのか…」
「そうでんな。
そやからYっちゃん先生が今言うたこと、それは、西洋医学の診断には、心(靈)の動きを診る要素は少ないって言い方が妥当やと思いまっせ」
「そうですね。
躁(そう)と鬱(うつ)、これだって心(靈)の動きの観察でもある。しかしそれは、医師と患者が対面して医師が判断したから分類され、躁(そう)と鬱(うつ)って診断される。
 そこまでの心(靈)の動きは、医師は患者の話を聞くだろうけど、そこには霊的干渉って概念がない。また、患者自身が自分の心(靈)の動きを観る…そこに智性由来の見方はない」
「そうでんな。そやからそれは、躁(そう)と鬱(うつ)の患者にも、患者さんと感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)している霊的存在にも、智性(神性)由来のものの見方はない。
そやから心を乗っ取られる。そして“一”=智性=1番目のオーラをあまり発現していない人は、自我の確立=固定化、自我の肥大の心(靈)の動きの人が多い。その進化(霊的成長、神格化に向かうこと)過程はYっちゃん先生先生に説明するまでもなく…」
「ムラダーラチャクラ、スワディスターナチャクラ、マニピューラチャクラの覚醒段階なのですね。
それは、腹のエネルギー中心の心=靈だから、霊媒体質でもある。
だから心(靈)の動きを乗っ取られやすい」
「その通りでんな。
そやから躁(そう)と鬱(うつ)を発症しやすいのは、霊媒体質の人でもあるってことなんやけど、そやけど話が本題からそれてしもてる」
「そうでしたね。Kellyさんが鬱(うつ)について感じられたことを今聞いていたんでしたね。お続けください」
「承知しましてんな。
ほんでからこれは検索してて知ったんやけど“微少念慮”とか“希死念慮”って言い方もある。
“微少念慮”って言うのんは、なにか考えてても、その考えは悪い結果しか思わへんみたいになっていく。ネガティブ思考みたいなもんでんな。
ほんでから“希死念慮”って言うのんは、毎日毎日が憂鬱でなにをやってても楽しくないし、良い考えは浮かんでこないし、だから自分は、生きる価値などない、自分の人生なんて価値なんか無いって思ったりして、死にたくなるって説明されている。
ほんでからに他にも鬱(うつ)に診られることとして、著明な機能不全、無価値観への病的なとらわれ、自殺念慮、精神病性の症状、精神運動抑止って表記もあったやん。
そやけど、これもただ症状を言い換えただけの同義反復に過ぎないと思いまんねん」
「そうですね。
言い換えているだけではただ煩雑な印象にしかならない。 だから、“微少念慮”と“希死念慮”。
この二つの言葉に心(靈)の動きを観ることができる。 
これは、さっきの話みたいに“気弱になる”って心(靈)の動きみたいなものですね」
「その通りやと思うけど、その心(靈)の動きに感応している霊的存在、それはどんなたぐいのものやと思いまっか?」
「“微少念慮”の時には、何か人生で失敗して、その失敗って結果に対して未練を残している霊的存在とか…そんなことを思わされますね。
それと“希死念慮”、これもやはり、人生において失敗して、失敗に対して自分が報われなかったって思いを強く持っているとか…要は未練があるってことなんでしょうけど、そのときの失敗の苦しみを分かって欲しい。霊的存在自身のその心(靈)の動き、自分のことを分かって欲しい…それがあるから、その思いが強いから、患者さん自身の心(靈)に入り込んでいる。それが鬱(うつ)って感じですね」
「そう思いまっか」
「Kellyさんはそう思ったから、さっき、意欲をなくす=気弱になる。
その話をされたのではないのですか」
「その通りでんねん。
そやから今Yっちゃん先生が言うたのは、鬱(うつ)の患者と患者に感応共振している霊的存在の心(靈)の動きを診たってことでんねん。
そやから“気弱になる”って言うのんは、自我の砌(みぎり)の極性が弱まることでもあり、だからこそ、自我の確立=固定化の段階の進化過程で死んでしもた霊的存在と感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)する。
それは、患者と、患者に感応する霊的存在の霊的成長度が、とても近いからでんねん」
「…そうですね」
「ほんでから今言うたんは、霊的成長度の近い存在同士の感応ってことだけやったんやけど、もうひとつ見落としてはいかん大事なことがあるやん。なんやと思いまっか?」
「??…ちょっと質問の意図が分かりませんでした」
「質問の仕方が悪かったかな…。
 そやからそれは、霊的成長度って言うのんは、霊的進化過程ってことで、ほんでから地球人の霊的進化(霊的成長、神格化に向かうこと)過程って言うのんは、自我の確立=固定化の段階から、だんだん“上”に向かいつつあり、“慈悲”と“慈愛”=アナハタチャクラの覚醒段階に移行しつつあり、そのために今、不幸な事象に遭遇して、自省(胸の磁性“十”)をさせられてる人が多いし…」
「そうか!
その自省(胸の磁性“十”)の心(靈)の動きを発現しかかったままの段階で死んでしまう。 そんな霊的存在が多いのが地球でもある。
だからそれは、自省(胸の磁性“十”)の心(靈)の動きを発現しかかったままだからこの世界に対して未練を持つ。
だからこそ、さまようんだ。 浮遊霊がさまよう動機や根拠みたいなものだ。
その点で今Kellyさんが言った“もうひとつ見落としてはいかん大事なこと”って言うのは、現時点の地球には、自省(胸の磁性“十”)の心を発現しかかった霊的存在が多数いるってことでもあるんだ」
「その通りでんねん。
そやから自省(胸の磁性“十”)の心を発現しかかった人には、自省(胸の磁性“十”)の心を発現しかかった霊的存在が憑依する。そして感応し、同じ心(靈)の動きを持つ。
 ちょっと複雑な回りくどい言い方になってしもてるけど、要は、同じ心(靈)の動きの人と霊的存在は感応するってことなんやけど」
「そうですね。
だから今、Kellyさんが言わんとしたことは、地球上の霊的存在の平均的な霊的成長度を知らなければならない。
そしてそれは平均的なのだから=多数なのだから、“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)からの通信を受けにくいって状況を作り出している。
 言い方を変えれば、地球って星は未練たらたらの浮遊霊でいっぱいってことでもある。このことはなんとなく分かってはいたのだけど、鬱(うつ)の人を診て、そこまでのことを思い当たらない。気が付かない。
だからKellyさんは、質問を通して僕に理解させようとした。 
その意図がある質問だったのか…」
「それもありまっけど、さっき言うてた“希死念慮”には、自省(胸の磁性“十”)の心を発現しかかった霊的存在よりも、進化程度がもっと低いものが憑依するから、その憑依した霊的存在の通信を受けてるからこそ、死にたくなったり自殺を考えたりもすると思うんやけど…」
「まったくそうですね。
だからそれは、自省(胸の磁性“十”)の心を発現しかかった霊的存在よりも、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)過程の低いまま心でしまっている霊的存在が多数いる。
それは言うまでもなく、三毒、貪、瞋、痴(とん、しん、ち、)。
恨み、妬み、本能由来の低い欲望、それに対する執着、食いたい、やりたい(性的なこと)、楽しみたい、ただ楽しむことだけしか考えないのは智性由来の心(靈)の動きがない。それは三毒、貪、瞋、痴(とん、しん、ち、)の、痴に表れている。
そして三毒、貪、瞋、痴(とん、しん、ち、)の心を持っている霊的存在は、取り憑いている人のことなど考えないから、自分と同じ境遇を味あわせたい=自分たちが不幸な死を迎えた苦しみを知って欲しい。
だから取り憑いた人の死を願う。
その通信を受けるから、“希死念慮”にもなる。
それと、そんな考えを持つ人の心(靈)は、智性の心(靈)の動きがない」
「そう思いまっしゃろ。 そやからYっちゃん先生はこの間言うてたこと。

“憑依される人と憑依する霊的存在の心(靈)の動きとしての智性が無い。智性を発揮していない。 “死と生”に対し、しっかりした認識を持っていない=霊的成長をしていない心(靈)同士の感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)なんだな。 だから、躁(そう)状態と鬱(うつ)状態になるってのは、その人と、霊的存在の“一”=智性=1番目のオーラが小さい。 あるいは、憑依される人の目上(めうえ)の脳の機能が落ちているってことなんだろう”

まさにこれに尽きるし、そこには自我から“上”の心(靈)の動きが無い。だからこそそれは自我の肥大になる。Yっちゃん先生はそこまでの結論を導き出した。
そやけど今Kellyさんが指摘しようとしたことは、地球上には、“死と生”に対してしっかり認識を持った人も少ないし、当然、浮遊霊には“死と生”に対してあまり認識が無い。
大体、浮遊霊は、自分が死んでしもたことすら気が付いて無いんやから。
このことはとても大事やから、ローム太霊さんがローム太霊講話集の比較的最初のページで、不幸な死に方についていろいろ解説したと思いまんねん。 
そやからローム太霊さんが解説した“死の前後”と“死の種々相”。そこに観られる霊的存在の心(靈)の動き。
それを知って欲しいからローム太霊さんは死の事を説いたと思いまんねん」
「そうか…そうですね。そしてそれは、自縛霊や浮遊霊や因縁霊の心(靈)の動きまで説いている。だからローム太霊がローム霊訓講話で説いた人の死は、人の心(靈)の動きを知って欲しい。
そして心(靈)の動きには霊的成長度ってことがある。
現時点の地球人は、自我の確立=固定化、そして自我の肥大に陥っている人が多数いる。さらに自我の肥大は、アナハタチャクラの覚醒に至らないだろうから、腹のエネルギーだけで=マニピューラチャクラの心(靈)の動きで霊媒体質になっている。
だから霊媒体質の人は、霊的成長するために失敗して、自省(胸の磁性“十”)しなければならないのだろうけど、そのまま、その段階、その霊的成長の過程で死んでしまう人も多い。
だからこそ鬱(うつ)は発現するってことでもあるし、“希死念慮”なんてのは、もっと低い霊的存在の憑依があるからこそ、起きていることでもあると結論付けられる。
Kellyさんはそのことを感じたんだ」
「その通りでんねん。
そやから、鬱(うつ)っていうのんは、低い霊的干渉そのものでもあるし、そやけどそこには鬱(うつ)の患者さんの自省(胸の磁性“十”)の心(靈)の動きも見出せる。
 しかし問題なのは、地球上の霊的存在の念、エネルギーって言い方が解りやすいかな。そやからそれは、地球そのものが低い想念でいっぱいってことを指摘してる霊的存在や、宇宙的存在や、チャネラーは多いけど、そのエネルギーは右回転であることを指摘しているのは多分、“日月神示”だけでんねん。
 そやからそれは、地球もN極とS極を持っている。
人の肉体もN極とS極を持っている。
そしてその極性の向きに応じて荷電粒子の回転は決まってくる。
それを“上”から見たなら=大極から見たなら、砌(みぎり)回転なのか日足(ひたり)回転なのかってことになるんやけど、ムラダーラチャクラ、スワディスターナチャクラ、マニピューラチャクラの進化過程の心は、心(靈)が“下”に向かいやすい。
それは右回転になる。
霊的存在も人も右回転になる。
そんな回転の荷電粒子=その心(靈)の動きを持っている存在が多数なのが地球でもあるってことでんねん」

平均的地球人のオーラの構成と、自我から下へ向かう心(靈)の動き、荷電粒子の回転 


「そうか。だからそれは、この星自体が鬱(うつ)の発症しやすい条件を持っているってことでもあるんだ」
「…それは正解やけど、ちょっと見方が狭いと思いまんねん。
すべて、悪の事象と感じられることには、“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の心(靈)の動きを持っている人があり、また、必ず同じような霊的存在の感応共振がありまんねん。
そやからそれは、今日は鬱(うつ)の話をしてるから、鬱(うつ)のことにYっちゃん先生もKellyさんもとらわれている。鬱(うつ)のことしか考えてないみたいなもんでんねん。
そやけど先生が持っている概念、右回転はアミノ酸結晶化を妨げる。アミノ酸結晶化=アミノ酸の高分子化、これは進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の意義ってことでんねん。
ほんでからアミノ酸の結晶化の反対、低分子化、これは鬱(うつ)だけではなくいろんな病気の成因にもなる。
それを引き起こす霊的干渉って言うのんは、相対的に自分より“下”の霊的存在との感応共振でもある」
「そうか…だから今後=アセンション後、地球人が智性(神性)をきちんと発現したなら、いろんな病気、そんなものはなくなっていく方向性になっていくとも言いうる。またそれは本当の進化(霊的成長、神格化に向かうこと)でもある」
「そうでんな。
そやからこの間からYっちゃん先生と話している躁(そう)と鬱(うつ)。 そこには必ず自我の肥大がある。
自我の肥大に感応共振する霊的存在は、自我の肥大をしているか、あるいはそれよりも低い心(靈)の動きをしている。
そしてそんな霊的存在が多いからこそ、躁(そう)と鬱(うつ)は発症しやすいし、近年多くなった自殺者の増加にもつながっていると思うし、自我の肥大と躁(そう)と動物霊の恨みと感応共振した人は、ただ人殺しをしたいとか、そんなふうにも思ったりするのかもしれへん」
「そうか…。すごく重いテーマになってきましたね。
だから今の地球は、経済の発展の裏で飢餓貧困が起き、子供が三秒に一人死んでいる。そして家畜の霊は、毎日どれくらいの家畜が殺されてるのか知らないけれど、膨大な数ですよね。
それをひと言で言ってしまえば、恨みの連鎖の霊的干渉を引き起こす要因ってことにもなるけれど、ほとんどの地球人はそのことに気がついていない。
さらにそれは、地球にN極とS極があるから、地球全体を右回転のエネルギーでいっぱいにしてしまっている。
その右回転のエネルギーは進化(霊的成長、神格化に向かうこと)程度も低いことが言える。
そして今後は、右回転のエネルギーを生み出すことを避けなければならない。左回転、日足(ひたり)回転、自我から心が“上”に向かうようになる。
それは大日如来の条帛(じょうはく)に表れている。 それと“玉(ぎょく)”って言う漢字そのものにも表れている。前のブログでKellyさんと○○○大先生が話していたことですよね。
だから、心は、自我から自省(胸の磁性“十”)して、“慈悲”と“慈愛”を発現し、自分に対しても“(“慈悲”と“慈愛”由来の)厳しさ”を持つようになる。
そうなれば、躁(そう)と鬱(うつ)を引き起こしやすい霊的干渉は少なくなる。
そしてそれは、きっと、アセンション後の世界はそうなるんだ。
だからアセンションは、霊的成長度に於いて分けられる事象って言う、○○○大先生の考えは、とても妥当な考えってことになる。
そうか…○○○大先生やKellyさんから聞いたことがだんだんつながってくる感じですね」
「そやからそれはYっちゃん先生の認識になったってことでんねん」
「そうですね。 しかし、今回も難しい話になりましたね。
重い話にもなったけど、このことは今後=アセンション後に位置する人は知っておくべきことですよね」
「そうでんな。今後=アセンション後の地球は、低い霊的干渉があってはアカンし、低い霊的干渉が原因の事象もあってはならない。 
 その低い霊的干渉を引き起こしているのは、大多数の地球人の進化(霊的成長、神格化に向かうこと)過程が自我の確立=固定化と自我の肥大だからこそ恨みの連鎖の霊的干渉を引き起こしていて、この間からYっちゃん先生と話している躁(そう)と鬱(うつ)には、恨みの連鎖の霊的干渉の影響も大きいって結論にもなるし、その躁(そう)と鬱(うつ)を発症してしまうのは、その患者さんの“一”=智性=1番目のオーラが小さいからでもあるって結論にもなる。
自分に対する(自分が持っている智性(神性)由来の)厳しい視点があれば、躁(そう)と鬱(うつ)に診られる心(靈)の動きって言うのんは、自分の心(靈)が育っていく過程であり、またそれは右往左往と左往右往でもあるって考えることが出来ると思いまんねん」
「そうですね。
その厳しい視点を持たせないようにするのが、浮遊霊の通信でもありますね。
だけれどもそれは、自分に厳しかったなら躁(そう)と鬱(うつ)など発症しないってことも考えられますし、自分に対する“(“慈悲”と“慈愛”由来の)厳しさ”をしっかり持つことが進化(霊的成長、神格化に向かうこと)でもあるってことなんだ」
「そうでんな。
そやから重複するけど、結局、鬱(うつ)になる人っていうのんは、日足(ひたり)の極性の強化が起きてるんやけど、それが“上”に向かってない。 腹から“上”に向かっていないってことでんねん。
腹の心(靈)の発現=ムラダーラチャクラ、スワディスターナチャクラ、マニピューラチャクラは、自我の確立=固定化で、それに胸の磁性“十”が加わらんと、“慈悲”と“慈愛”の心(靈)にはならんし、“慈悲”と“慈愛”の心(靈)の動きと深い関係にあるのが智性(神性)やと思いまんねん。 腹から“上”の心(靈)が発現していないと、そやからその人は霊媒体質になる」
「そうですね。
だから日足(ひたり)の極性、脾=“思う、憂う”がその人の心(靈)の動きの大半を占めていたとしても、自我より“上”、それは、智性(神性)、智慧(日を知る事=智性の恵み=慧)、“創造”、“慈悲”と“慈愛”ゆえの自分に対する“厳しさ”、それがないって言い方が正しいですね。だからその段階の心(靈)は、同じ霊的成長度の霊的存在と感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)する。
結局、人(患者)も、霊的存在も、智性(神性)と“慈悲”と“慈愛”を持っていないから起き得るとも言える。それが鬱(うつ)の真実のような気がしますね」
「そうでんな。
 ……そやけど今回は重い話にもなった。疲れましたやろ」
「…そうですね」
「そやから今日は、頭に通電する治療、mECT、TMS 、rTMSについても話したかったけど」
「この次にしたほうがいいかもしれませんね。一度にたくさんのことをテーマにすると、頭に入りにくいし、今回Kellyさんと話したこともたくさんのことをあとから考えるだろうし」
「そうでんな。ほんでからmECT、TMS 、rTMSのことをYっちゃん先生と話すときは、先生も呼んだらエエかもしれん。
そやからこの次は、先生を交えて三人で話しようやおまへんか」

(ゲッ…○○○大先生とKellyさんを相手にするのか…難しそうな話になるな)
〔 ´◎Д◎`;〕

「…承知しました。それではKellyさんと○○○大先生の都合が良いときに、ご連絡いただけますか」
「そうでんな。そやから今回はこれくらいにしましょやおまへんか」
「わかりました。それでは失礼します」

Kellyさん、ややメタボ内科医のYっちゃん先生と、躁(そう)と鬱(うつ)は、心(靈)の動きの極性の一側面であるという話をする。 “その五”

 今回は、Yっちゃん先生とKellyさんだけではなく、○○○大先生も参加しての会話でんねん。
 そやから、三人の会話やと、誰が話してるのか判りにくいかもしれへんから、顔文字で判別できるようにしまんねん。

Yっちゃん先生=〔 ´゚Д゚`〕  Kelly=Kelly 会話中   ○○○大先生=【<●><●>】

☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀

【<●><●>】 「やあ、Yっちゃん、や~とかめだね。 
この間うちは、随分Kellyと激論を交わしていたね。 Yっちゃんの認識の進歩が見られてオヤジはうれしいがね」

〔 ´゚Д゚`〕 「ありがとうございます。 
僕が、躁(そう)と鬱(うつ)について深く考える。そして霊的干渉についても考える。その考えが僕自身のオーラに反映している。 
それは○○○大先生の概念の、息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)ですよね。
そして僕自身の考えや認識の変化に応じて霊的干渉があり、だんだん“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)の知恵や力を獲得していく。
このことは理解しているつもりです。 
言い換えれば、Kellyさんと僕が話して、そのあと僕自身が考えること自体が、僕の認識の拡大になる。
それは、僕の心(靈)より“上”の存在との感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)があり、自分なりに“上”の通信を受けて僕自身の認識は高まっていく」

Kelly 会話中 「そうでんな。 
そやからYっちゃん先生とは躁(そう)と鬱(うつ)の話をしてきたけど、今、Yっちゃん先生が言うたYっちゃん先生がYっちゃん先生自身の認識の変容であろうが、KellyさんとYっちゃん先生が話してきた躁(そう)と鬱(うつ)だろうが、そのそれぞれは、自分の心(靈)の動きによる霊的干渉があるやん。
そやからそれは、KellyさんとYっちゃん先生が話した結論のひとつでもあるし、もうひとつは…」

〔 ´゚Д゚`〕
 「智性=神性の発現の差ですよね。 そしてそれは、霊的進化の過程であり、人の場合においての…いいや、言い方が足りませんので言い直します。 
現時点での地球人の進化過程は、自我の確立=固定化から自我の肥大に陥りやすく、その段階で死んでしまった霊的存在も、同じ進化過程の霊的存在であるからこそそれは、三毒、貪、瞋、痴(とん、しん、ち、)の心(靈)の動きの悪霊になる。
しかし、悪霊って言い方も不十分な言い方で、悪霊が悪霊って存在になってしまう理由は、悪霊自身の心(靈)が未発達で、霊的成長をしていないから、たくさんの認識を持っていないからでもあり、だから悪霊自身の心(靈)の動きは、本能、情動、自我の肥大が見られる。
そして自我から“上”の、“慈悲”と“慈愛”の心(靈)の動きを獲得した一生を送っていないから自分に対する厳しさが無い。 人の一生のうちで、自我の確立=固定化から自我の肥大になり、それはまた、ローム太霊の言葉の右往左往でもありますよね。
そして右往左往から左往右往の人生を送る。 
言い換えればそれは、自分の“力”を示し、功名心と自尊心を高めるみたいなもので、それがマニピューラチャクラの覚醒段階みたいなもので、そして自我の肥大に陥り、いい気になったり傲慢に振舞ったり、なんでも自分の思い通りになるって錯覚を起こす人もいる。
でもそれは、自我の肥大による心(靈)の動きでしかないから、“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)はそのままにしておかない。 必ず失敗ってことをさせて自省(胸の磁性“十”)をさせる段階に入り、だから自分を振り返り、振り返ること事態が“慈悲”と“慈愛”の心の発現につながっていく。
今僕が話したこと、これは大人の一生なんだけど、子供が死ぬときはもっと心の発現が低いまま死ぬ。 知恵もなければ智性(神性)なんて当然発現していないし、自分のあり方なんて考える段階でもなく、ただ大人のやっていることに憧れる。
だから子供の浮遊霊は、本能中心の心(靈)だから、三毒、貪、瞋、痴(とん、しん、ち、)って心(靈)の動きになりやすいっていうか、その心(靈)しか持っていないみたいなものですよね。
そして子供の浮遊霊は、まったく低い心の発現の段階のまま死んでいるからこそ、自省(胸の磁性“十”)って心(靈)の動きをあまり持たないままこの世界を彷徨っている。
そして、鬱(うつ)と躁(そう)、これを発症していると思われる人は、自我の確立=固定化の段階だから、自我の肥大をしているから、同じ心(靈)の動きの霊的存在と感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)しやすい。
さらにこの星は、恨みの連鎖で、たくさんの浮遊霊が毎日増えている。 子供だろうが家畜だろうが犯罪を犯す人間だろうが被害者だろうが、皆その心(靈)の動きは、恨む、妬む、だから自分と同じような目に遭わせたいって思う。
だからそれは、恨みの連鎖の霊的干渉事態をどんどん増やす仕組みにもなっているんだ」

【<●><●>】 「その通りだね。 
そして今、Yっちゃんが指摘したことは、この星全体の傾向になっている。 
それは、肉体を持った存在だろうが、霊的存在であろうが、心(靈)の発現=進化程度=霊的成長の段階が、自我中心。 
それに三毒、貪、瞋、痴(とん、しん、ち、)の心(靈)が加われば、心(靈)の動きは右回転になる。 
これは地球上で進化した生命(生きる使命=存在理由)としての人(日止、霊止)が、どんな心(靈)の動きをしているのかを話したのと同義なんだな。
それで、君たち二人がそのことについて話したことは、とても重大な意味を持っていると思うし、もうそのことはほとんど君たち二人の認識になっていると思う。
でも、アタシなりに君たちの二人の話に対しての感想がある。
それについて話をするとちょっとアタシ自身が長い話をしたくなるので、それはおいといて、今回、アタシを呼び出した理由はこの間の君たちの話にあるように…」

Kelly 会話中 「そうでんねん。
前回話していた、TMS、rTMS、m-ECT、このことを話題にするのに、先生を呼んだほうがいいってKellyさんは思いましてんな。
 これは、結論めいたことから言えば、頭部内の電磁誘導を励起するものや。
そやからそれは、“一”=智性=1番目のオーラに関わるって考えましてんな」

【<●><●>】
「うん…それは間違いではないが、完璧な正解でも無いって思うね」

〔 ´゚Д゚`〕 「そうなんですか?」

Kelly 会話中 「そうかもしれへんな。 
今Kellyさんが言うた頭部内の電磁誘導を励起する…これは、人の心(靈)が通信を受けているってことを前提に考えていない。
その人の心(靈)の動きには、その人の心(靈)の動き=息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)に応じての霊的干渉が常にあるやん。
それを考えんならんやん」

〔 ´゚Д゚`〕 「そうか…僕はそのことに気が付きませんでしたよ」

Kelly 会話中 「そやから今Kellyさんが言うたことを言い換えれば、TMS、rTMS、m-ECTで励起される頭部の中での電磁誘導は、“一”=智性=1番目のオーラそのものにはならんけど、“一”=智性=1番目のオーラの小さい霊的存在は嫌がるってことや。
そやから低い霊的存在は一時的に離れるってことが考えられるやんか」

【<●><●>】 「そうだね。それが正解だと思うね
それは、自分たちがどんな進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の過程なのか考えればよい。 この言い回しはこれだけの言葉では意味が通じにくいし分かりにくいけど、例えば生きている人間がどんな生長をしてきたのか、そしてどんな心(靈)の動きのまま死んだのか、それを分析すれば解りやすいし、君たちの話の中でも、ある程度結論は出ていたようじゃない」

〔 ´゚Д゚`〕 「智性(神性)の発現の程度ですよね。 
生きている人間も死んだ霊的存在も、智性(神性)って心(靈)の動きをはっきり持っていたならば、躁(そう)や鬱(うつ)の心(靈)の動きを自分で見出して、それが自分にとって良いことなのか悪いことなのか、自分で判断できるようになる。 
だから躁(そう)や鬱(うつ)は、心の極性の片寄りみたいなことでもあり、心(靈)の極性が日足(ひたり)や砌(みぎり)に傾くのは、霊低成長の過程でもある。 そしてそれは、人生においても、死んでからでも、霊的成長の過程において当然あることでもあり、当たり前のことでもあるって言い方もできる」

Kelly 会話中 「そうやな。 
そやから生きている人に及ぼす霊的干渉の影響が、生きている人の心の極性の片寄り事態に、低い霊的干渉があると、躁(そう)や鬱(うつ)を発症するみたいなもんや。 
そやからそれは低い霊的干渉を受けている人は、“一”=智性=1番目のオーラが小さいから、あるいは、自分の心(靈)の動きの智性を見失っているだけや」

【<●><●>】 「そうだね。 
だから人為的に頭部に電磁誘導を起こさせることはある意味有効でもあると思えるけど、医学で検証されていることは、憑依してくる霊的存在の心(靈)の動き、霊的干渉って視点は当然無い。 
それを確認するのにも、TMS、rTMS、m-ECTのことを話題にするのは意義があると思う。
 その前に、君たちはこれについて調べたんじゃないかな。 だからYっちゃん、確認のために簡単に説明してくれる?」

〔 ´゚Д゚`〕 「いいですけど、でも僕の知識はWikipediaからの引用です。 それでもいいですか」

【<●><●>】「うん、オッ○ー牧場だがね。 
TMS、rTMS、m-ECTの詳細、専門的なことは、今回の三人の話のテーマに沿っていないと思うから、手短に説明してくれるだけでいいよ。
それでもYっちゃんには、ちょっと手間をかけることになるけどね」

〔 ´゚Д゚`〕 「それはかまいませんが…そうですか。 そうですね、承知しました。

 まず、TMSは、Transcranial magnetic stimulation、これは経頭蓋磁気刺激法って意味だから、TMSとも略されている。 経頭蓋磁気刺激法は、脳の近くへコイルを持って行き、コイルに大きい電流を流すと、それにより生じた磁場を通して、脳内の神経細胞の活動へ影響を与えるとされている。 
その急激な磁場の変化によって (ファラデーの電磁誘導の法則により) 弱い電流を組織内に誘起させることで、脳内のニューロンを興奮させる非侵襲的な方法であるとされている。 
この方法により、最小限の不快感で脳活動を引き起こすことで、脳の回路接続の機能が調べられる。
それと、rTMS (Repetitive transcranial magnetic stimulation) は、反復経頭蓋磁気刺激法の意味、脳に長期的な変化を与える。反復経頭蓋磁気刺激法 (rTMS)は、刺激後も効果が持続する刺激法であるとされており、rTMS は刺激の強度やコイルの向き、刺激の周波数などに従って、皮質脊髄路や皮質間経路の興奮性を増加、または減少させることができる。 rTMSのこのような効果は、長期増強 (LTP) や長期抑圧 (LTD) と同種な、シナプス荷重の変化を反映しているものと考えられているが、そのメカニズムはまだ明確には分かっていない。
多くの小規模な先行研究により、この方法が多くの神経症状 (例えば、頭痛、脳梗塞、パーキンソン症候群、ジストニア、耳鳴り) や精神医学的な症状 (例えば うつ病、幻聴) に有効な治療法であることが示されている。

それ以外にも、これまでに TMS と rTMS の研究が様々な神経学的、精神医学的な疾患に対して実施されてて、その効果に対して確証を得ているものは少なく、ほとんどの場合は効果があったとしても非常に小さいとされてるんですが、以下の疾患に治療の効果があると報告されてるようですね。
脳梗塞  非流暢性失語 Tinnitus(耳鳴り) パーキンソン症候群 ジストニア(中枢神経系の障害による不随意で持続的な筋収縮にかかわる運動障害の総称 筋萎縮性側索硬化症 てんかん 頭痛 不全失語症 半側空間無視 幻肢 慢性疼痛
それから、強迫性障害 統合失調性感情障害による幻聴 そして鬱(うつ)、カナダではカナダ保健省によって2002年にrTMS の治療が薬剤抵抗性うつ病に認可されているそうですね。

それとm-ECT(modified electroconvulsive therapy)ですが、これはまず、電気痙攣療法ECT(electroconvulsive therapy)と、電撃療法EST(electroshock theraphy)があった。 これは、頭部(両前頭葉上の皮膚に電極をあてる)に通電することで人為的にけいれん発作を誘発する治療法。
それでm-ECT(modified electroconvulsive therapyは、ECTが、通電に伴って起こる全身の筋の痙攣が、患者の状態によっては血圧を上昇させるなどの影響、骨折の危険を伴うことがある。 そのため、循環器に疾患のある患者や、高齢その他の理由で骨折するおそれがある患者には、筋弛緩剤で筋を弛緩させて、麻酔科医が人工呼吸等を含めた呼吸管理、循環動態の観察を行いながら頭部に通電する方法ですね。
だからm-ECTは、無痙攣電気痙攣療法と呼称される。
これも、確たる効果って言うのは保障されて無いようですが、動物実験では、脳神経細胞の成長を促すBDNFを増加させたという結果が報告されているらしいですね。

それと今の説明の中にあったBDNFとは、Brain-derived neurotrophic factor。 これは脳由来神経栄養因子(のうゆらいしんけいえいよういんし)って意味です。標的細胞表面上にある特異的受容体TrkBに結合し、神経細胞の生存・成長・シナプスの機能亢進などの神経細胞の成長を調節する脳細胞の増加には不可欠な神経系の液性蛋白質のことです。
もうひとつ今の説明の中の標的細胞とは、あるホルモンに対する受容体 Receptorをもつ細胞に対してのみ、そのホルモンは作用し、命令を伝達します。この細胞を標的細胞target cell TrkBと呼称しているそうです」

【<●><●>】 「うん。大体それくらいの説明でいいよ。ご苦労さんだったね。
 それでBDNFの増加、君たち二人にあえて言うまでもなく、これは、生体内電流の変容の結果よるものであり、言い換えればそれはアミノ酸の結晶化によるものであることは理解できるよね。
 それでYっちゃんが一人で考えて気が付いたこと、Yっちゃんは一人でこうつぶやいていたようだったね。
Kellyさん、ややメタボ内科医のYっちゃん先生と、躁(そう)と鬱(うつ)は、心(靈)の動きの極性の一側面であるという話をする。 “その二” 参照)

“一つ目は、智性(神性)を発揮しない心(靈)の動きは、自我の肥大だろうし、その心(靈)の動きのときは、智性由来の考えを持たない。
だから智性(神性)を発揮した霊的存在の憑依が無いとか、“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)からの通信を受けにくいってことにもなるんだ
結果それは、その人の智性(神性)を発揮していないことだ。
そして二つ目は、智性(神性)を発現して智性(神性)由来の考えを持つと思われる目上(めうえ)の脳の機能が、酒、たばこ、薬物…etc そんなものの影響を受けてて、目上(めうえ)の脳内の電磁誘導が起きにくいとか、脳内の電流量が下がることがあるんだろうな。
そうならばそれは、その人が持っている、“一”=智性=1番目のオーラに相当する生体内電流の弱体化ってことになる。
だから、この二つの要因は、程度の低い霊的存在の影響を受ける。 そんな人だから、躁(そう)と鬱(うつ)は発症するのだろうな。
その人が智性由来の考えさえきちんと持っているなら、その人自身の持っている智性が発揮できてさえいれば、低い霊的存在との感応共振は無い…無くなるのだろうな。”

今引用したように、Yっちゃん自身がこう考えたのだけれど、さっきのYっちゃんのWikipediaの引用の説明の中に、本来、脳が持っているBDNFがどうなっていくのかって分析は無いね。 
それは、大体こういうことを研究している学者さんたちってのは、人目を引く研究結果ばかり追究している傾向があるからね」

Kelly 会話中 「それは学者さんたちが自我の肥大をしてるからやな。 
そやから、Yっちゃん先生が説明してくれはったWikipediaの引用は、その研究結果が効果を期待できるようなことしか書いてなかったみたいなもんでんな」

【<●><●>】 「そうだね。
だから本当は、Yっちゃんが指摘したことの、

“智性(神性)を発現して智性(神性)由来の考えを持つと思われる目上(めうえ)の脳の機能が、酒、たばこ、薬物…etc そんなものの影響を受けてて、目上(めうえ)の脳内の電磁誘導が起きにくいとか、脳内の電流量が下がることがあるんだろうな。 そうならばそれは、その人が持っている、“一”=智性=1番目のオーラに相当する生体内電流の弱体化ってことになる”

 これを考えるべきだと思うね」

〔 ´゚Д゚`〕 「そうか…今、○○○大先生が言ったことも、重要な問題を感じさせますね。
 本来持っているBDNFを、自分たちがだめにしてきたことが、喫煙とかアルコールとか薬物とかが原因で、脳内の電流量が下がる。 
当然、アミノ酸結晶化も起きないし、本来持っているBDNFを駄目にしてるのだろうし、まずそれを訴えるべきなんだ。
それで、僕が今説明したWikipediaからの引用のTMS、rTMS、m-ECTの説明は、駄目になったものに効果がありますみたいな言い回しなんだ。
そして躁(そう)や鬱(うつ)に対しても、医師や学者は、喫煙やアルコールや薬物の作用で、BDNFが駄目になるなんて発想を持っていないに等しい。
僕たち医師の立場としては、病気を観たり、健康って概念を考え、人の良いカタチを思うべきなんだ。 
そして今Kellyさんが指摘した“学者さんたちが自我の肥大をしてる”っていうのは、自分の功績を認められたいから研究をして成果を発表する。
 僕たちが良いカタチの医療を考えるなら、このことを念等に於いておかねばならない」

Kelly 会話中 「そうでんな。 Yっちゃん先生はそれを考えるお医者さんになったらエエねん。
 そやけど話がそれてまんな」

【<●><●>】 「そうだね。 本題に戻ろう。
 今話していた、BDNFのことは、人を物質としてしか観ていない見方だね。 大事なのは、躁(そう)と鬱(うつ)には低い霊的干渉がある。 そしてそれは低い霊的存在の憑依でもある。 それらの霊的存在の“一”=智性=1番目のオーラは小さい。 だから憑依した存在は、憑依された人の頭に通電されると嫌がる。
TMS、rTMS、m-ECTは、電磁誘導により頭部の電流量が増すからだ。 
低い霊的存在は、“一”=智性=1番目のオーラが小さいのだから、その霊的存在が生きていたときに目上(めうえ)の脳をあまり使っていない。 だからそのことを言い換えれば、智性(神性)を発現した心(靈)の動きを持っていない。 
躁(そう)と鬱(うつ)を発症した原因が、低い霊的干渉ならば、頭に電流を流すことは、一時的に低い存在を追い払うことになる。
しかしそれは、電流を流したから智性(神性)が発現したのではないね」

Kelly 会話中 「そうやな。 
人が作り出した電流は、経済の発展のためとか商売のためとかの自己奉仕者の思惑を持った電流や。 
 そやから智性(神性)の発現を促す頭部の電磁誘導は、神さんの思惑を含んでいる太陽からの電磁波で行われるべきなんや」

〔 ´゚Д゚`〕 「そうなんだ…だからそれは、太陽凝視の意義でもあるんだ」

【<●><●>】 「うん。 でも今の話は、今回のテーマから大幅にそれている。
 だから、さっきまで話していた自我って心の成長の段階、そのときに陥りやすい自我の肥大、それは、肝=“いきり立つ心(奴と心)”と脾=“思う、憂う”この二つのバランスが崩れ、右=砌(みぎり)の極性の強化は、日足(ひたり)=脾=“思う、憂う”って心(靈)の動きになりにくく、だから脾→肝→情動を発現している腹の臓器、さらに本能や情動を発現していると思われる、生殖器など下半身の臍から下の臓器など。
それは解りやすいから引用するけど、ヨガのチャクラでいえば、マニピューラチャクラから、スワディスターナチャクラ→ムラダーラチャクラってことになる。
それを心(靈)の構造って言い回しで言えば、自我の肥大→情動→本能的な心(靈)の動きみたいなもんだ。 そしてそのエネルギー回転は、自省させない心(靈)の動きになりやすいし、自省が無いから三毒、貪、瞋、痴(とん、しん、ち、)の心の動きになるとも言いうるね。
そしてそれは生きている人も、生きている人に憑依する霊的存在も同じような心(靈)の動きだと言いうるね。
簡単に言えばその両者は、自省(胸の磁性“十”)の心を持っていない。 “慈悲”と“慈愛”の心(靈)の動きを持っていないから、他者の良いカタチを考えないし、自分がどうあるべきなのかなんて考えも無い。
今言ったことはKellyとは何回も話したことだけれども、自省の心(靈)の動きは、アナハタチャクラの内奥の部分に関わると思われる。
だからKellyが今、“日月神示”の解釈をしている中で、頻繁に“江戸と尾張”って表記が出てくるけど、それは、腹の段階の心(靈)の動きは、腹の中の水、それは(荷電粒子としての)錯体であるし、それを“日月神示”では“江戸と尾張”の“江”と称されていて、その段階の心の発現が、自我の確立=固定化の段階、またそれは、腹の位相のサイクロトロンでもある。
また、“江”は、水を示す(氵)さんずいと、2~3番目のオーラを示す横棒が二つでもある。
それは、現時点での地球人の霊的進化の過程をも示している。
そして今後、地球人は、自我から“慈悲”と“慈愛”、マニピューラチャクラからアナハタチャクラの覚醒、それは腹のサイクロトロンの荷電粒子の回転を引き上げていく。
引き上げていく具体的なこととしては、両腕と胸の構造による水平磁場だと思う。
またそのときの心(靈)の動きが、慈しみ(いつくしみ)、悲しみ、愛しむ(いつくしむ)であるからこそ、“慈悲”と“慈愛”であり、同時に神経も密になるっていう意味で、“石”(帯電するミネラル)が“慈(しげる)”でもあるんだ。
そして腹の段階の荷電粒子の回転が引きあがったなら、左回りになることは、前のブログでKellyと話したことだ(“玉(ぎょく)”の中の点、そして、大日如来の条帛(じょうはく))。 
それは重複するが、心の発現と心の動きって言い回しならば、自我から“慈悲”と“慈愛”って心(靈)の動きになり、それは自己に対しても他者に対しても、感じ方とか見方とかは、変化してくるものだ。 
“慈悲”と“慈愛”が発現したなら、他者の良いカタチを考え、自分に対しても良いカタチを考える。 だから自分に厳しくなれるんだとも言えるし、今後=アセンション後、地球がよいカタチの世界になるには、そこにいる人たちと、そこに位置している霊的存在も、その心(靈)の発現と動きを持っていなければならない。 
そしてそこには、“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”って霊的成長の段階の人もいないし、自己奉仕者の心(靈)の動きに感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)する霊的存在もいなくなるって言い方もできる。
だからそれは、今後=アセンション後の地球にいる人たちは、他者に対することとしては他者に尊厳を感じ、自分に対しては、自分の中にある低い心を許さないようになる。
また、そうなっていくのが霊的成長を果たした人の心(靈)でもあるね。 だからその人が死んでも決して三毒、貪、瞋、痴(とん、しん、ち、)の心(靈)の動きを持たなくなる。
今話したように、今後=アセンション後の地球は、霊的成長を果たした人(日止、霊止)と、霊的成長を果たした霊的存在がいる場(フィールド)なのだから、生きている人に憑依して通信を送る霊的存在も、現時点の低い霊的干渉の多い地球とはまったく違ってくる。
その高い霊的干渉によること、霊的存在も憑依される人(日止、霊止)も、どちらも霊的成長した心(靈)なのだから、事象の観察の視点が違ってくる。
現時点での地球は、自己奉仕者の霊的成長を送っている人が大半で、霊的存在もその段階のもの、あるいはそれ以下の段階のものが圧倒的多数。
それは腹の段階までの心(靈)の発現が中心だから、自我中心のものの見方をする。
そしてこのことは、生きている人と、生きている人に感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)して起きている低い霊的干渉の現象でもある躁(そう)と鬱(うつ)、また恨みの連鎖の霊的干渉についても同様のことが言えると思う。
悪霊になるべき心(靈)は、“慈悲”と“慈愛”を持っていないっていうことになる。

……でもね、こういう言い方も近視眼的だと思うんだ。 本当はもっと大局的な見方をするべきだね。
それは、“創造”の“主(ヌシ)”、言い換えれば“上”の中心って言うものが存在すると仮定して、そしてアタシたちは、宇宙の辺境にいると仮定する。
別に過程でなく実際にそうだと思うけど、それは“上”と“下”、神と、人(日止、霊止)と地球、“創造”の“主(ヌシ)”と自分と地球、これは一個の磁束だと思えばいい。
その磁束は“上”と“下”を貫くものだから、そのローレンツ力により、生命が持ちうるたんぱく質、アミノ酸の結晶化は螺旋になる。 
それはアミノ酸の高分子化でアタシたちの肉体は進化してきたともいいうるし、また、アミノ酸の高分子化が、だんだん“上”の高い振動と感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)をするようになってきたってことでもある。
それは、進化=霊的成長、神格化に向かうことと、まったく同義のことなんだな。 それが心(靈)の発現の過程、本能、情動、功名心、自我、愛(炁)、創造、知恵、智慧、智性、そういう言葉で認識されうる心(靈)の動きを獲得してきたわけだ。
それで、自分自身の心(靈)の動きは、自分の肉体が持ちうる縦の磁束の、N極とS極を決定するって概念を持っているんだ。
だから君たちの話の中で左回転と右回転の話も出ていたし、日足(ひたり)の極性と砌(みぎり)の極性の話も出ていた。
どっちが“上”に向かう心(靈)なのかも結論はでている。 そしてそれは“日月神示”を人に垂れた存在は、右回転は悪の回転なんだって述べたことを、君たちの会話の中でキチンと読み取れると思う。

平均的地球人のオーラの構成と、自我から下へ向かう心(靈)の動き、荷電粒子の回転

そしてこの右回転の心(靈)の動きは、“上”に向かう回転ではない。
だからこそ、自省(胸の磁性“十”)しないし、自分の在り方を考える心(靈)の動きにつながりにくい。
そして“上”に向かう心(靈)の動きは、左回転の構造のたんぱく質を作ってきた。 光学異性体って概念をYっちゃんは知っているでしょう?」

〔 ´゚Д゚`〕 「ええ、知ってますけど、磁束によるローレンツ力でたんぱく質が構築されるなんて概念は考えたことが無いですね」

【<●><●>】 「これはアタシが、“改”で説明していることだし、それはまた、Yっちゃんが“改”を読んで、よく考えてみればいいよ。
話を戻すね。
肉体を持った人、霊的存在、その両方について知っておかなければならないこととして、右回転の心(靈)の動きの存在が増えることは、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)につながらない。 
それは、肉体を持った人(日止、霊止)であろうが動物であろうが、人や動物が死んだ霊的存在であろうが、すべてに霊的干渉があるからだ。
 そしてこの星の大半の霊的干渉は、“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)の存在が通信を送りにくい条件を作り出している。 
それは、この星全体が恨みの連鎖の霊的干渉でいっぱいになっているからこそ“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)は通信を送りにくく、だからこそアタシの“主護霊”は、アタシに対し、アタシの仕事を通じてのたくさんの霊的干渉、治療した人に憑いている浮遊霊や因縁霊をアタシが背負ってくることに対し、自分が祓わなければ“動きが取れない”って言い回しをして教えたんだと思う。
だからそれは、さっきも言ったように、今後=アセンション後は、生きている人も霊的存在も、霊的成長を果たした心(靈)になる。 当然、“主護霊”の通信も、それ以外の“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)の通信も、悪霊の弊害なく自分の心(靈)に届くようになる。
それで、KellyとYっちゃんが話してきた躁(そう)と鬱(うつ)の問題は、このことを考えさせられる大きな問題を含んでいる。
……というよりも、この星が今、ダメな方向性に向かっていて、そのダメな方向性に向かわせる霊的干渉が恨みの連鎖の霊的干渉の現象化。
その一側面としての躁(そう)と鬱(うつ)、人の心(靈)を進化させない霊的干渉の現象、Yっちゃんが一人で考えたように、憑依されるほうも憑依するほうも“(“慈悲”と“慈愛”由来の)厳しさ”を持ち、智性を持っていたならば、ダメな方向には向かわないものだよ。
だから智性(神性)を発現していないか、あるいは、智性(神性)を発揮していない心(靈)の動きの存在は、恨みの連鎖の霊的干渉に同調しやすい。 このことはYっちゃんとKellyは理解できていると思う」

〔 ´゚Д゚`〕 「はあ…分かります。
今、○○○大先生がおっしゃったことは、解りやすい例を挙げるとすれば、仮に犯罪に遭い、巻き込まれ殺されても、自分が霊的に高かったならば、自分自身が死んでからも、殺されたこと事態に執着するのではなく、どうして自分がこういう目に遭うのか、その理由を追究しようとするでしょうね。 
そして今後=アセンション後は、そういう心(靈)の動きを持つ人(日止、霊止)と、そういう心(靈)の動きをする霊的存在だけの世界になる。
だから恨みの連鎖の霊的干渉は起こりえない方向性になる」

Kelly 会話中 「そうでんな。
そやからYっちゃん先生と躁(そう)と鬱(うつ)は霊的干渉によるものやって話をしてきたし、躁(そう)と鬱(うつ)を発症する原因は、肉体を持った人(日止、霊止)と憑依する霊的存在が智性(神性)をあまり行使していないか、それ以前に智性(神性)の発現の程度が低い。
そやからその両者は自分に甘いし、他者の良いカタチも自分の良いカタチも考えん。 ほんでから今先生が言うたんは、今後=アセンション後は、低い霊的干渉が起こりえないってことを言うたんや。
そやからそれは、霊的成長度に於いて分けられる事象がアセンションでもあるってことや。
そやからそれは、人が向かうべき方向性ってもんを示している」

〔 ´゚Д゚`〕 「そうか…躁(そう)と鬱(うつ)、そしてその霊的干渉、人の心(靈)の動き、霊的成長度に於いての自我の確立=固定化と“慈悲”と“慈愛”と智性(神性)の権限、そして肉体の進化とアミノ酸結晶化、これらの話は、宗教と科学と哲学みたいなことまで含んでいるけど、すべてはひとつのことでしかない。
 それはすべての学問だろうが思想だろうが、どんな事象であろうが、道はひとつで、神格化のためのプロセスなんだ。
だから○○○大先生は、近視眼的って言い方をされたんですね。 
そしてその言葉が、僕とKellyさんとの話の感想なんだ」

【<●><●>】「うん」

〔 ´゚Д゚`〕
 「そうか…。
 大局的なものの見方、その分析、僕はこのことを念頭においてこれからいろんなことを考えるようにしたいと思います。
 そうすると、今まで僕自身が医者の仕事を通じて感じてきた霊的干渉についても、いろんなことが理解できるだろうし…僕自身の視点が違ってくる」

Kelly 会話中 「そうやな」

〔 ´゚Д゚`〕 「○○○大先生とKellyさんは、僕にその視点を持って欲しい…。
(いいや…違うな。 誰にでもその視点を持って欲しいって思っているんだ)
 そうか……今までの話を振り返り、いろいろ考えることにします。
 今日はありがとうございました」

【<^><^>】ノ~~ マタネー♪ 「頑張って(元の気を張って)ね」
Kelly ニコニコ顔 ノ~~ マタネー♪ ❤ ❤ ❤「頑張って(元の気を張って)や~」

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 次回のこのカテゴリーの記事は、Yっちゃん先生〔 ´゚Д゚`〕が一人で今までの話を振り返り、一人でぼやくことになります。

 by  ○○○大先生

Kellyさん、ややメタボ内科医のYっちゃん先生と、躁(そう)と鬱(うつ)は、心(靈)の動きの極性の一側面であるという話をする。 “その六”(総括)



……Yっちゃん先生〔 ´゚Д゚`〕…ぼやき中……

 この間三人で話したとき(
前回の記事)、○○○大先生が言っていた言葉…大局的なものの見方か…。 
印象に残る言い回しだった。
そしてそれは、Kellyさんも、躁(そう)と鬱(うつ)について話をした一番最初にも、こんな言い回しをしてくれていたな。

“人に起きていることっていうのんは、霊的干渉の結果で、霊的干渉は心(靈)の動きの結果でもあるんやけど、結果を見ててもたいして分析ができないって欠点がある。
そやからそれは、その時点々々の相対的な観察による分析でしかない。
そやけどそこには、答えを導き出す重要なポイントがあると思いまんねん。”

このKellyさんの言葉の中にも“結果を見ててもたいして分析ができないって欠点がある”とか、“その時点々々の相対的な観察による分析でしかない”とか言っている。
だからその見方そのものが大局的なものの見方では無いってことだ。
だから“答えを導き出す重要なポイントがあると思いまんねん”っていうのは、答えを知らないってことまで言ってくれてるんだ。

それと、もうひとつ。

“Yっちゃん先生が患者さんを診て、霊的干渉を感じ(感じる磁性)、観察したって言うYっちゃん先生の視点、その心(靈)の動きは、智性(神性)に由来するものでんがな。
そやからそれはただ医者をしてるだけや無くって、医者って生業(なりわい)を通じて本当のことを知ろうとする。 通常、仕事って言うのんはただ金儲けの手段にしかなってないことが多いでっしゃろ”

このKellyさんの言い回しにも、智性由来の“観察と認識”が必要ってことを感じさせる。
そしてこの時Kellyさんは、“医者って生業(なりわい)を通じて本当のことを知ろうとする”って言い回しをしてくれた。 そして、生業(なりわい)を金儲けって視点で見ているような人間は、とても低いってことも感じられる言葉だな。 
僕の生業(なりわい)…自分がなぜこの仕事をしているのか…なぜ医者をしていて、患者を診て、いろいろ感じたり考えたりするのか。
それは僕の認識の拡大のために、自分自身が選んだことなんだし、その自覚も出来たし、だから僕は、躁(そう)と鬱(うつ)についていろんな視点で考えたんだ。
そしてKellyさんが言ってくれたこと、それは智性がなければ本当のことは見出せない。 通常、医者が躁(そう)と鬱(うつ)を診るに当たっても、それ以外の症状を診るにしても、霊的干渉なんて視点はほとんど無いだろう。
そして、躁(そう)と鬱(うつ)…医者と患者、患者が自分自身の心(靈)を観察するとか、だからそれは、人が人の心(靈)の動きを観るについても、日足と砌(ひたりとみぎり)の極性なんて概念は無いだろうな。
そして医師が躁(そう)と鬱(うつ)に対して処方するのは、薬物療法と心理療法。
薬物療法は、安定剤とか抗鬱(うつ)剤とか、特にリチウム塩なんてのは、帯電するミネラルなんだから、脳内の生体内電流に関わっているのかもしれない…憶測だが、これは間違いの無いことだろう。
そして僕が思うに、心理療法っていうのは医師と患者のオーラの相互干渉があるだろう。 
そして、患者についている霊的存在と医者に憑いている霊的存在、そのやり取りもあるだろう。
そして患者の言い分を聞いたり、話をすることが、患者自身の心(靈)の動きの分析にもなるだろうけど、躁(そう)と鬱(うつ)の原因の低い憑き物の声を聞くことにもなるだろうし、憑き物っていうのは、自分の気持ちを分かって欲しいから人に憑く。 
だからそれを聞いてやること事態が、憑き物の心(靈)の動きを自省させることになっていくのかもしれない。 多分そのことに効果があるのだろう。
だからそれは、憑き物と、憑き物に憑依され、心を乗っ取られている本人が、自分が“かわいそう”って思いを持っているからだ。 
自分が“かわいそう”って思うこと事態が、自我の肥大によることでもあるだろうし、自分の霊的成長って視点が無いとか、自分の心は永遠の実在とか、永遠の実在だからこそ死んでからも育っていくとかの概念が無いからだ。 
また、自我の肥大は、自分が未熟な存在なんだってことを忘れさせているだろう。 
このこともしっかり覚えていないといけないことだろうな。

だからそんな見方とかその認識とかは、霊的に低いとも言いうるだろうし、だから目先の苦難を試練と思わず、自分が“かわいそう”って思い込む。
それは、自分が“かわいそう”って思うのも、自我の確立=固定化の進化(霊的成長、神格化に向かうこと)過程には必ずあることだろうけど、だが、自分自身が自分の心(靈)の動きや、自分が今体験している困難を、自分の霊的成長のための糧って認識するのは、智性だろうな。
智性(“一”、1番目のオーラ)があれば、智性(“一”、1番目のオーラ)を持った“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)との感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)もある。
そしてそれは、ある意味、自分に対する“(“慈悲”と“慈愛”由来の)厳しさ”にもなっていく。
自分に対する厳しい視点、自分を“かわいそう”と思わない見方、それを持っていれば、すべての事象は“正当な報酬”って認識が生まれるのだろうし、それは○○○大先生の一冊目の本(ローム太霊との出会い)を読んで思った僕の感想でもある。
今後、地球人が霊的に進化して、智性(“一”、1番目のオーラ)を獲得したならば、すべての地球人が“正当な報酬”を理解して、苦難だろうが喜びだろうが、自分に対するすべての事象は、自分自身の霊的成長の糧なんだって認識を持っていくのだろうし、それはやはり目先の苦難に囚われて、自分が“かわいそう”なんて思っているうちは、自分の(霊的)成長の“道”を見出していくことは出来ないのだろうな。
だから“一”=智性=1番目のオーラがあれば、躁(そう)と鬱(うつ)も発症しにくい。自分の心(靈)の動きを自己観察できるし、自分自身に何が起きてもそれは自分に対する“正当な報酬”って認識を持つようになる。
そしてそれは、目上(めうえ)の脳内の生体内電流によるものだ。 
だからそれは“一”=智性=1番目のオーラに反映する。 
それで、この間話したTMS、rTMS、m-ECT。 これだって脳内の電流を、一時的に上げることができる。 
でもそれは、その人の心=荷電粒子の回転=霊、そのものでは無いだろう。 特に人が作り上げている電流について、前回、こんな話もした。


【<●><●>】「大事なのは、躁(そう)と鬱(うつ)には低い霊的干渉がある。 そしてそれは低い霊的存在の憑依でもある。 それらの霊的存在の“一”=智性=1番目のオーラは小さい。 だから憑依した存在は、憑依された人の頭に通電されると嫌がる。
TMS、rTMS、m-ECTは、電磁誘導により頭部の電流量が増すからだ。 
低い霊的存在は、“一”=智性=1番目のオーラが小さいのだから、その霊的存在が生きていたときに目上(めうえ)の脳をあまり使っていない。 だからそのことを言い換えれば、智性(神性)を発現した心(靈)の動きを持っていない。 
躁(そう)と鬱(うつ)を発症した原因が、低い霊的干渉ならば、頭に電流を流すことは、一時的に低い存在を追い払うことになる。
しかしそれは、電流を流したから智性(神性)が発現したのではないね」
Kelly 会話中 「そうやな。 
人が作り出した電流は、経済の発展のためとか商売のためとかの自己奉仕者の思惑を持った電流や。 
 そやから智性(神性)の発現を促す頭部の電磁誘導は、神さんの思惑を含んでいる太陽からの電磁波で行われるべきなんや」


 このときのKellyさんの言葉、“智性(神性)の発現を促す頭部の電磁誘導は、神さんの思惑を含んでいる太陽からの電磁波で行われるべき”…これは間違いなく、自我から“上”の心(靈)の発現にかかわることなんだ。
 それに対し、人間が作り出している電流は、自我の肥大した思想を含んだ電流とも言いうる。 その情報を持っているから人間が持っている電流を流したくらいでは、霊的成長ってことに直結しないのだろう。
 だから○○○大先生とKellyさんの概念の“身魂磨き”=(生体内電流による)肉体組織の結晶化。 
これは、高い思惑を持った=“上”から注がれる荷電粒子で行われるべきだろうし、憑依する存在も智性(“一”、1番目のオーラ)を持った存在が憑依しなければ、憑依された本人の智性(“一”、1番目のオーラ)の発現にはつながらない。
 またそれが太陽凝視の意義でもあるんだろうし、生体内電流の強化である“行”と“修行”は、高い存在の思惑の受信があってこそ、それを自分の思想にして、はじめて、神格化のプロセスになるんだろうな。
 だからその点でも、自我から“上”の心(靈)の発現っていうのは、地球人の霊的進化の道筋なんだな。 
霊的進化の道筋って概念をしっかり持っていれば、その認識があれば、さっきも考えた自分が“かわいそう”って思いにとらわれることも少なくなるだろう。 
それは自分の心(靈)が低いから“観察と認識”が低いってことでもある。 
そしてKellyさんは“観察と認識”はすべての生命(生きる使命=存在理由)に共通する行為とも言っていた。 
それぞれの存在の霊的成長度に於ける“観察と認識”があるからこそ、自分が“かわいそう”って思ったり、苦難や試練を正当な報酬って思うことが出来ない。
 自分に起きている事象を観察して、認識する…それが霊的成長度において認識は違うし、観察する視点も違う。
 言い換えれば低い霊的成長度の人は低い認識しか持ち得ない。 だから“一”=智性=1番目のオーラは、認識の大きさだって○○○大先生の本に書いてある通り、霊的成長は認識の拡大って謳ってあるとおりのことなんだ。
 だから“慈悲”と“慈愛”を発現した、あるいは“慈悲”と“慈愛”を発現する過程で、心(靈)の動きとしての右往左往と左往右往があり、それは心の極性の日足と砌(ひたりとみぎり)によるものなんだろうし、それを東洋医学では、肝=“いきり立つ心(奴と心)”=砌(みぎり)、そして脾=“思う、憂う”=日足(ひたり)っていう解釈を、○○○大先生はしているんだ。

 そして○○○大先生がいった大局的な見方。
○○○大先生は、Kellyさんと僕が躁(そう)と鬱(うつ)のことを話していた感想として、ただ病気を病気としか捉えていないとか、霊的干渉を霊的干渉としか捉えていないとか、これはどちらも近視眼的なものの見方って感じ方をしたんだな。
それと生命の存在の目的っていうのか、生命が存在する根拠っていうのか、それは神格化であり、“続”でKellyさんがよく引用する独り神(ひとりがみ、日取り神)。
生命が下等なものから進化して、四足獣くらいになってから、自我の確立=固定化って事が起きていく。 
そして四足獣は、直立して手を使うようになって、両側の手の神経が密になり、横の磁束ができていく。 縦の磁束と横の磁束、それを指して“十”って表記があり、それは“日月神示”の○ 九 十(まこと)の“十”でもあるんだ。
だからそれは、四足獣から直立する脊椎動物って言い回しも出来るし、そのときの心の発現っていうのが、自我の確立=固定化から、段々“慈悲”と“慈愛”って心(靈)を芽生えさせていくのだろう。 そんなことも“続”のどっかに書いてあった。
そしてそれは、心=霊っていうのは、肉体が持つ縦の磁束による荷電粒子の回転の場(フィールド)だから、腹のサイクロトロン(“江戸と尾張”)からシンクロトロン(胸の磁性“十”)になっていく過程なんだ。 
それは前のブログの“思惑と顕現”で、Kellyさんと先生が話していたことでもある。
だから人間の進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の過程は、今、自我から“慈悲”と“慈愛”と智性(神性)の発現をしようとしている。 
これは霊的成長が進化って概念が無いと、理解できないことだし、一般常識(平均的な進化過程の地球人の認識としてという意味)の進化とは、かけ離れた概念だけれども、人が、独り神(ひとりがみ、日取り神)になるためには通らなければならない一本道なんだろう。 
だから○○○大先生は進化の順番を言っていた…いや、この僕の言い回しは、説明の足りない言い方だ。 
○○○大先生は、心(靈)の発現の過程と、心(靈)の動き。 そしてそれは神格化への道程であることを述べた。
それは、現時点の地球人は、マニピューラチャクラの覚醒段階であり、自我の確立=固定化の段階の進化過程をおくっている。 そのとき、自我の肥大に陥りやすい。 
自我が肥大する理由は、自分だけの幸福を願うからだろうし、それは自分に対する愛(炁)だろうし、言い換えれば自分しか愛せないのだろうし、だからそれは愛(炁)の顕現の程度=進化程度が、ただ低いのだって言い回しも出来るけど、すべての行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)の動機は、愛(炁)なんだって、前のブログ(Kellyさんと○○○大先生との会話)でも、Kellyさんが中心の“続”でも言っている。
さらに、すべての“思惑の顕現”=現象化ってのは、愛(炁)が動機。 
そして今、愛(炁)の顕現の程度が低いから=霊的進化程度が低いから、自己奉仕者になる人が多いし、“慈悲”と“慈愛”って愛(炁)のカタチを自分たちがしっかり持っていないから、自分に甘いし、死んだ霊的存在も同様に甘いし、だから恨んだりしたり、自分が生きていたときの思いを達成しようとして、(肉体を持った)人に憑依して自分の思いを達成しようとする。
しかし、生きている人間も死んだ霊的存在も、霊的進化を果たして“慈悲”と“慈愛”を持ったり、“(“慈悲”と“慈愛”由来の)厳しさ”を持ったりすれば、自分以外の存在のよいカタチを考えることが出来るからこそ、恨みの連鎖の霊的干渉とか、当然、因縁とかも無くなっていく。
それが今後=アセンション後の世界なんだろうな。 
だから○○○大先生とKellyさんのアセンションの解釈である、アセンションは霊的成長度において分けられる事象…これはとても納得のいく解釈だ。
そしてそれは、Kellyさんが“日月神示”の解釈をしているけど、その“日月神示”の中の言い回しの“うれしうれし”“大歓喜”ってことなんだろうし、それは今の地球よりもそうなるってことなんだろう。

そして現時点での地球人の心(靈)の動きと、その問題、その意味のことを○○○大先生はこんな言い回しをしていた。

“自我って心の成長の段階、そのときに陥りやすい自我の肥大、それは、肝=“いきり立つ心(奴と心)”と脾=“思う、憂う”この二つのバランスが崩れ、右=砌(みぎり)の極性の強化は、日足(ひたり)=脾=“思う、憂う”って心(靈)の動きになりにくく、だから脾→肝→情動を発現している腹の臓器、さらに本能や情動を発現していると思われる、生殖器など下半身の臍から下の臓器など。
それは解りやすいから引用するけど、ヨガのチャクラでいえば、マニピューラチャクラから、スワディスターナチャクラ→ムラダーラチャクラってことになる。
それを心(靈)の構造って言い回しで言えば、自我の肥大→情動→本能的な心(靈)の動きみたいなもんだ。 そしてそのエネルギー回転は、自省させない心(靈)の動きになりやすいし、自省が無いから三毒、貪、瞋、痴(とん、しん、ち、)の心の動きになるとも言いうるね。
そしてそれは生きている人も、生きている人に憑依する霊的存在も同じような心(靈)の動きだと言いうるね。
簡単に言えばその両者は、自省(胸の磁性“十”)の心を持っていない。 “慈悲”と“慈愛”の心(靈)の動きを持っていないから、他者の良いカタチを考えないし、自分がどうあるべきなのかなんて考えも無い。
今言ったことはKellyとは何回も話したことだけれども、自省の心(靈)の動きは、アナハタチャクラの内奥の部分に関わると思われる。
だからKellyが今、“日月神示”の解釈をしている中で、頻繁に“江戸と尾張”って表記が出てくるけど、それは、腹の段階の心(靈)の動きは、腹の中の水、それは(荷電粒子としての)錯体であるし、それを“日月神示”では“江戸と尾張”の“江”と称されていて、その段階の心の発現が、自我の確立=固定化の段階、またそれは、腹の位相のサイクロトロンでもある。”

これも、現時点での地球人の進化を言っていて、そして自分たちが進化(霊的成長、神格化に向かうこと)するに当たって知っておかねばならないことも言っている。 
その心の在り方、自分が自分を観る視点についても、こんなふうに言っていた。

“肉体を持った人、霊的存在、その両方について知っておかなければならないこととして、右回転の心(靈)の動きの存在が増えることは、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)につながらない。 
それは、肉体を持った人(日止、霊止)であろうが動物であろうが、人や動物が死んだ霊的存在であろうが、すべてに霊的干渉があるからだ。
 そしてこの星の大半の霊的干渉は、“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)の存在が通信を送りにくい条件を作り出している。 
それは、この星全体が恨みの連鎖の霊的干渉でいっぱいになっているからこそ“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)は通信を送りにくく、だからこそアタシの“主護霊”は、アタシに対し、アタシの仕事を通じてのたくさんの霊的干渉、治療した人に憑いている浮遊霊や因縁霊をアタシが背負ってくることに対し、自分が祓わなければ“動きが取れない”って言い回しをして教えたんだと思う。
だからそれは、さっきも言ったように、今後=アセンション後は、生きている人も霊的存在も、霊的成長を果たした心(靈)になる。 当然、“主護霊”の通信も、それ以外の“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)の通信も、悪霊の弊害なく自分の心(靈)に届くようになる。
それで、KellyとYっちゃんが話してきた躁(そう)と鬱(うつ)の問題は、このことを考えさせられる大きな問題を含んでいる。
……というよりも、この星が今、ダメな方向性に向かっていて、そのダメな方向性に向かわせる霊的干渉が恨みの連鎖の霊的干渉の現象化。
その一側面としての躁(そう)と鬱(うつ)、人の心(靈)を進化させない霊的干渉の現象、Yっちゃんが一人で考えたように、憑依されるほうも憑依するほうも“(“慈悲”と“慈愛”由来の)厳しさ”を持ち、智性を持っていたならば、ダメな方向には向かわないものだよ。
だから智性(神性)を発現していないか、あるいは、智性(神性)を発揮していない心(靈)の動きの存在は、恨みの連鎖の霊的干渉に同調しやすい。 このことはYっちゃんとKellyは理解できていると思う”

だから僕たちが病気を診るにあたっても、神格化の道筋って概念が必要であり、霊的成長度に於ける心(靈)の動きも知らなければならない。
それは生きている人間だろうが死んだ霊的存在だろうが同様のことだ。
またその視点で病気や、病気の成因のひとつである霊的干渉を見なければならない。
それが医者の…医者としての生業(なりわい)であるべきだな。 そして、人が進むべき道、それは一本道なんだ。

霊的成長して神格化していく。このことは今までの僕は、なんとなくしか分かっていなかったのだろう。
それは以前、僕は、○○○大先生にこんなメールを送ったことがある。

“患者さんの中には、長期の入院でお亡くなりになる人もいますが、逆に突然お亡くなりになる、つまり救急患者さんなんですが、そのような人は霊的干渉としてはどうなんで
すかねえ。 
そういう人のケースは、自分の死について考えるまもなく、さらに人生を振り返ることなく、霊的干渉について認識するまもなく、お亡くなりになる人も多いわけですよねえ。
もちろん、昔お話しされたように、すでに何かの使命をもって(つまり、本当はかなり霊的に進化してるが、自分が過去=前世に犯したことの償いで、現世(地球)に生まれて、誰かの認識を拡大するための使命を持っている)、周囲の人の進化のために、急な死を遂げる人もいると思います。
でも、それ以外の人もいるわけで、当然急な死は、怨念や因縁を持って死ぬわけで、それは進化とは逆の方向に向かっている(いずれは進化の方向へ向かうことになりますが)。そう考えています。この辺の違いなども、いまいちまだ認識していないですね。”

 この質問の内容だって、自分で今考えれば、人が死んだことにこだわっている見方しかしていない。 
救急患者の突然死、このことだってたくさんの霊的干渉の結果だし、その人自身が自分の死について考える時間もなく死ぬのは、恨みの連鎖の霊的干渉の結果とか、あるいは因縁を背負っているからだ。
 そして僕のメールの中の疑問“でも、それ以外の人もいるわけで、当然急な死は、怨念や因縁を持って死ぬわけで、それは進化とは逆の方向に向かっている(いずれは進化の方向へ向かうことになりますが)。そう考えています。この辺の違いなどもいまいちまだ認識していないですね。”
…これは、人(日止、霊止)の進化を望んでいない存在の思惑が介入した現象なんだ。 少しでも認識を得させたくないからだ。 だから突然死を増やす。 それが恨みの連鎖の霊的干渉の結果でもあるし、メール内で僕が思ったことの“進化とは逆の方向に向かっている(いずれは進化の方向へ向かうことになりますが)”の、時間を遅らせようとしている=早く進化(霊的成長、神格化に向かうこと)させないとか、認識を得させない。 
言い換えればそれは智性(“一”、1番目のオーラ)を得させない目的のことだ。 さらに言い方を変えれば、自分の死について深く考えることが出来ない条件を作り出しているのだからなんだ。
 またこれは恨みの連鎖の霊的干渉の結果でもあるし、そしてそれは現時点の地球上では当たり前のように起きていることだ。
 だから“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)は、恨みの連鎖の霊的干渉を生み出させない心の持ち主だけを、次の段階に移行させようとする。
 それがアセンションの真実なんだな。
 またアセンション後の世界は、現時点の地球人とは、心(靈)の動きも、事象の観察の視点も違うってことを、Kellyさんと○○○大先生との話で、感じ取ることができる。
 自我から“慈悲”と“慈愛”、そして智性(“一”、1番目のオーラ)の発現、人(日止、霊止)の進化っていうのは、それが道筋であるし、これは脊椎動物の進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の道筋だからこそ、ヨガのチャクラ(荷電粒子の回転を示す)や、イダとピンガラ、これも日足と砌(ひたりとみぎり)の極性を表した表記だろうし、だから“続”でKellyさんは、“日月神示”の“富士(二二)”を肉体の二つの磁性、日足(ひたり)と砌(みぎり)、ヨガで言えばイダとピンガラ、太陽の気道と月の気道って解釈をしているのだろうし、これは霊的進化のための秘密、今の人が知りえない秘密でもあるだろうし、それを学者や医者が気付いていないから、艮(うしとら)の金神って名乗る霊団は、岡本天明に“日月神示”を書かせたり、ローム太霊がS会=紫光会の交霊会で教えようとしていたのだろうな。
 だからこそ岡本天明の自動書記や、ローム太霊の肉声を伝えたT霊媒=竹内満朋の物理霊媒の現象、それは、“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)の“思惑の顕現”=現象化でもあったのだろう。
 
 …今までKellyさんと話してきた躁(そう)と鬱(うつ)のこと、最後には○○○大先生の意見も聞いたけど、すべてそこには、霊的干渉による心(靈)の動きを知らなければならないってことを思い知らされるし、そして心(靈)の動きには、“上”と“下”がある。
 現時点の地求人は、自我の確立=固定化の進化(霊的成長、神格化に向かうこと)過程だから、“上”の心(靈)は、“慈悲”と“慈愛”と智性(“一”、1番目のオーラ)。
 “下”の心(靈)は、本能とか情動、そしてその下の心(靈)に向かわせるのが自我の肥大なんだ。 
また躁(そう)と鬱(うつ)には、自我の肥大と、自省の心(靈)の動きが見出せるけど、その心(靈)の動きに感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)する霊的存在が現時点、地球上では、恨みの連鎖の霊的干渉により増えている三毒、貪、瞋、痴(とん、しん、ち、)の心(靈)の動きを持った浮遊霊が多すぎる。
 だからこそ、恨みの連鎖の霊的干渉を生み出さない心(靈)の動きを持った人と霊的存在を、次の世界に引き上げる。 
それがアセンションなんだし、だからこそそれは、“創造主”の計画なんだって○○○大先生の本の<5>のオビ文に書いてあるんだな。(智性無き心は アセンションを見誤る)
 そしてKellyさんと○○○大先生が僕自身に望むこと、大局的な視点を持つこと。
 それだからってことでもないけど、今回はいろんなことを考えた…考え始めるとキリが無いけれど、僕自身の今後の医者としての立場は、霊的干渉と、霊的成長と進化程度の違い、すべての事象は神格化のためのプロセスであることなど、これらのことを忘れないようにしよう。 


                   ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀

 …ちゅうことで、“Kellyさん、ややメタボ内科医のYっちゃん先生と、躁(そう)と鬱(うつ)は、心(靈)の動きの極性の一側面であるという話をする。”のシリーズは、これで終わりでんねん。

 ほんでからモノホン〔 ´゚Д゚`〕Yっちゃん先生へ。

 これまでの〔 ´゚Д゚`〕のシリーズの文章には、○○○大先生から〔 ´゚Д゚`〕に対するメッセージが随所に盛り込んでありまんねん。 
それをよく読みとってもらって、今後=アセンション後も医療っていうのんは必要やろし、そやから〔 ´゚Д゚`〕には今の形骸化した医療の概念に巻き込まれない視点を持って欲しいからこそ、先生は〔 ´゚Д゚`〕をモデルにしましてんな。
 さしでがましい言い方ではあるけれど、そのことも〔 ´゚Д゚`〕にはよく知っておいて欲しいって○○○大先生は言うてましてんな。
 よく読んでもろて、〔 ´゚Д゚`〕の認識にしてくださいでんねん。

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 Kelly & ○○○大先生

Author: Kelly & ○○○大先生
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Kellyさんと○○○大先生は、
このブログを書いている○○○の、
心(靈)の二面性であり、
同一人物で有る事を、
お断りしておきます。

出版の告知

四冊目&五冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈4〉
智性無き心は
悪を容認する


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈5〉
智性無き心は
アセンションを見誤る

 この二冊は、同時発売です。
太陽凝視を行っている鍼灸師の話 <4> 智性無き心は 悪を容認する & 太陽凝視を行っている鍼灸師の話 <5> 智性無き心は アセンションを見誤る サムネイル
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2010年 4月20日(火)ごろより、全国書店(紀伊國屋書店・三省堂書店・旭屋書店・ジュンク堂書店・ブックファースト・リブロ・丸善など)にて順次陳列。


発売中の三冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈3〉

神格化のプロセス
目上(めうえ)と目下(めした)


神格化のプロセス 目上と目下 縮小版 ブログ用
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発売中の二冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈2〉

ローム太霊の教え
日足(ひたり)と砌(みぎり)


サムネイル太陽凝視を行っている鍼灸師の話〈2〉ローム太霊の教え 日足(ひたり)と砌(みぎり) 
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発売中の一冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈1〉

ローム太霊との出会い


太陽凝視を行っている鍼灸師の話〈1〉ローム太霊との出会い
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☆ Kellyさん的事象の観察と認識 (104)
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2005年10月1日~2008年1月15日まで、
“Kellyさんとの会話”で、説明して来た事・・・
その内容・・・それは・・・その何年も前から、
何か自分の考えをある程度公表しなければならない・・・
そう言う通信を受け・・・その理由は・・・地球人が低い心(靈)の発現しかしていない・・・
それを自覚していない人が多い。
その事由来の太陽凝視に対する認識、
(太陽凝視=不食・・・としか、認識させない存在の思惑を、受信している事)
霊的成長に対する認識、
神に対する認識、
心=靈に対する認識、
オーラに対する認識、
そして、
高い認識の上での進化の意味と幸福の概念と神の概念・・・
進化=霊的成長=神格化=(相対的に)高い認識を獲得する事・・・
霊的成長=神に近づく事=真の幸福の意味。
霊的成長度は1番目のオーラに顕れる。
よって、宇宙的プログラムにより次の段階に移行する人(日止、霊止)は、 何を考えるべきなのか・・・
そして、人(日止、霊止)の進化を阻む存在の思惑、
その心=靈の動き、それらの意図・・・それが一般に認知されていない事。
それらを伝えなければ成らない・・・そして一応・・・完結はしたのですが・・・
解り難い・・・理解しがたい・・・具体例を示して欲しい・・・そう言う感想も頂き、
そして自分なりにも説明が足らなかった事・・・
更に、
“Kellyさんとの会話”が完結してからも通信を受けている事・・・そう云う事もあり・・・
よって、このブログを立ち上げる事としました。
従って、
“Kellyさんとの会話”が、
自分の意見を述べる上での、ローム太霊の言葉、
“右往左往”(“いきり立つ心(奴と心)”で行動してから考える)・・・と、 するならば、 このブログはアタシ自身の、
“左往右往”(“思う、憂う”・・・体験を教訓として考え行動する)の、
作業になって行くと思います。


太陽凝視を行っている鍼灸師の話 “総括編”
太陽凝視を行っている鍼灸師の話 “改”
予約制 鍼(はり) 灸(きゅう) マッサージ治療 児玉療院
写真部の○○○大先生のページ
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○○○大先生の水草水槽記録
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自分達の欲望を満たしたい… 
自分だけ幸福になりたい…
こういった進化程度の低い心(靈)の発現由来の思いが、
低い幸福の概念になり(目下(めした)の思い)
その結果が、飢餓貧困、戦争の原因になったりしています。
(子供の浮游霊の霊的干渉の影響を受け、 それがどんどん増して行く事等が、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)
の思惑だと 思えます)

恨みの連鎖による霊的干渉を増やさない為、
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