“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話

太陽凝視を一生涯の“行”とし(現在、44年目)、実践し、その上で獲得した認識を述べています。

Kellyさん、先生と瀧原宮に行き、場当たり的な会話をする。

・・・この間、突然先生から電話があって、

“瀧原宮に行くから一緒に行こみゃ~~”
・・・って言わはったから、
4月23日に行ったんやけど・・・久し振りに先生と色々話をしましてん。

その時に話した事をかいつまんで紹介しまんねん。

まず・・・瀧原宮に着くまでに車中で話した事として・・・

「この間YA君が、
“腰が痛いもんで鍼うってチョ~”・・・って、
うちの治療院にやって来て、その時に話した事なんだが、
それは・・・YA君が見た夢の話。
今から行く瀧原宮に関わっている話なのでちょっと話す。」
「そうでっか・・・どういう夢やったんでっか?」
「それは・・・お父さん(太陽凝視を教えてくれたKさん)が、
久しぶりにYA君の夢に現れて、
今度、瀧原宮で節分のお祭りをするから、
一緒にその支度をするって言う夢だったらしいが、

その時にお父さんが、

“この幕をここからここまで張って、
そして、
○○結びで結んで置け!!”

・・・ってYA君に言ったらしいんだが・・・

通常、神社のお祭りに紅白幕を張ったりする。
青と白の幕もあるようだけれどもね。」
「それは慶事のときに張る幕でんな。
白黒の幕はお葬式とかに張る幕でんな。」
「そう・・・Kellyは神主の孫だからそんな事は良く知っているね。
その幕の縦縞って言うのは意味があると思うんだが・・・」
「それも振動を表してるのとちゃいまっか。
縦縞模様は“上”から“下”って事かも知れへんし・・・
ほんでからに、
幕を張るって事そのものが、場(フィールド)って事で、
それは一種の結界になるのとちゃいまっか。」
「うん・・・その通り・・・そう思うよ。

今はその儀式だけが残っている感じで、
その意味を宗教に携わる人は理解していないだろうがね。」
「そうでんな・・・
その意味を理解してへんと、
現在の宗教は霊的成長って事に結びついてない・・・
まさに形骸の宗教儀式でしかあらへんな。
そやけどそんな事を先生と話し出したら、
又・・・長い話になりまんな。」
(そんな低い事象の話はしたくないって言うてはったし・・・)

「話を戻していいかな?」
「はあい。」
「大体、その紅白や青白の幕の両端には、
紐が付いていて、
“もやい結び”とか“巻き結び”とかで、
幕をピンと張ったり柱に固定したりするらしいが、
その“○○結び”って言うのが、
YA君の聞いた事の無い言葉だったようで、
その時、夢の中でYA君は、

“○○結びなんて知らんがね!!もっと解り易く言ってチョ~!!”

・・・って意味の事を、お父さんに言って、
その時にお父さんは、

“そんな事も解らんのか!!何年神主やっとるんだ!!馬鹿者!!”

・・・そう言われたらしく、それから喧嘩になった・・・
そう言う夢を見たらしい・・・

それに付いてKellyはどう思うかな?」
「・・・今、YAはんは・・・
言うたらなんやけど・・・
ちょっと怠惰な生活を送ってるやないですか。
それは神主をやめて何年にもなる・・・
前に籍を置いていたあの大きな神社では、人間関係で悩んではった。
ほんでからに今、鬱になってはる。」
「そうだね。」
「その理由って言うのんは、
YAはん自身が自分が子供の頃からやって来はった事、
それは神格化の為の太陽凝視と電気行・・・
そう言う自分をしっかり認識してはる。
そやけど普通、
神主さんには自分の神格化の為の行なんて概念は無いやろな。
それがイヤやったのかも知れへんし・・・」

「うん、
今、宗教に携わっている人全般に云える事だが、
神主だって所詮、給料を貰う為の職業でしかない。
多分、YA君はその事にも嫌気が差していたんだと思う。」
「生真面目な人やからな・・・ほんでからに鬱になった。
(この世界が嫌いになった先生と一緒やな。)

そやから毎日憂いて・・・
自分がやって来た事とか、
自分の価値感とかと現実って言うのんは、すごく違うやん。
そう思うてはったんやろな。
そやけど・・・その中で自分の在り方ってもんを考えんとアカンやん。

本人はんには失礼やけど、
自分の仕事に嫌気が差して鬱になって、神主をやめはって・・・
ほんでから体調も悪くなって、
傷病手当で生活してはった。

そやから、
自分の健康を考えるなら・・・体調が悪いと思うなら、
その上での自分の在り方・・・それを考えんならんやん。

今のYAはんは、
酒と煙草もやってはって、太陽凝視もたいしてしてへん。
イヤになったからって言うのは言い訳でしかないんやろけど・・・
ほんでから、
自分はたいした事をして来たって言う自負もあるようやし・・・

そやけど・・・
そのたいした事をして来たって事を振りかざしてるから、
低い霊的成長度の人=周囲の人との人間関係・・・
上手くやって行けへんって事もありまんな。
でもそれは、自我の肥大から、
周囲の事を卑下していたって事でもありまんな。
ほんでからに夫婦仲も悪くなったやん。
それもあって・・・自分の人生を憂いてはる感じやな。」
「そうだね。」
「そやから・・・自分が(霊的に)高いって思うたなら、
やって来た事だけを自負する・・・その事自体が正しい在り方やおまへんな。

自分がたいした事をして来た=長年の太陽凝視や電気行をしてはった。
それは・・・YAはんは先生なんかよりもうんと霊的に高いって事を、
先生は思うてる。
実際そうなんやろな。

そやけど・・・自負・・・そう言う思いに囚われる事自体が、
YAはんがちょっと若いからやな。
まだ、
肝=“いきり立つ心(奴と心)”のエネルギーが支配してる段階の、
心(靈)の成長期間って事でんな。」
「そうだね。」
「そやから・・・
前に先生が霊能力を発現してた時期に、
オーラの観測をしたり主護霊はんの名前を見たりして、
YAはん自身が、
自分は霊的に高いって事を自分で知ってはる。

それは自負出来る事とも言えるやろけど・・・

そやからやけど・・・
その霊的成長の苦難とか=行の苦痛とか、
認識の変容の体験の無い人には理解出来る訳がない。
これも変圧の過程って言うのんが有りまんな。
あんまり霊的に高い人の体験や思想って言うのんは、
他者には伝わり難いやん。
でもそれを示したいって思うのは、
今の話・・・自我の肥大でしかないやん。」
「そうだね。」
「結果、自分の思いが他者に伝わらんって事にもなる。
自分の思惑通りの世界では無いって事になる・・・
そやからこの世界が嫌い・・・鬱になる・・・

特に今の世界って言うのんは、
低い心(靈)の発現の人が活躍する失敗の世界やから、
(“玉石混交(淆)”・・・霊的成長度の低い人のほうが多い場(フィールド))
その事そのものがそれは、
神さんの右往左往から左往右往になる・・・そやから失敗を体験せんならん。
ほんでから今後の世界は、
失敗を体験したからこそ、
自分達の在り方をしっかり考える人の世界に成るとも言える。
それが・・・アセンションの意義って事やって先生と話したけど・・・

そやけど・・・ちょっと話が横道に逸れましてん。」
「うん。」

「そう言う点で、
そのYAはんの現状は、
ただ憂いてる・・・悲しんではる・・・そやからイヤになってる・・・
しかしそれではアカンやん。
それは感覚優先の物の見方でしかない。
そやから憂うばかりになる・・・
いやな事象に心(靈)が囚われる・・・
そやからこそ、お父さんが夢に出て来はったって事でんな。」
「うん、そうだね。」
「ほんでからにその夢にはメッセージ性があって、
幕を張る=そのお父さんのオーラが構成する場(フィールド)って事で、
それはその思想そのものって言うてもエエ事でんな。
それと結び合っていない・・・
その事を、
太陽凝視を極めたと言えるKさんは、
息子であるYAはんに言いたかった。

そやからKさんが言うた、
“○○結び”が、
YAはんには理解出来へんかった。
それは受信してないって事でもあるし、
実際、
お父さんがYAはんに託した思い・・・
それを今、YAはんは見失ってはる・・・そう言う風に思えまんな。」
「そうだね。

夢で何か教えるって言う事は・・・

とかく“上”の思惑って言うのは、
こちら側に伝わる際に解りやすい表現をとり、
それが夢だったりもするんだが、
今のKellyの解釈は大体正解だと思うよ。
現にYA君は現状をとても憂いていて、
Kellyもそれを少し知っているし、
そしてそれは、YA君自身の左往右往の行とも言えるんだが、
その時に陥り易い事として、
今、Kellyが言ったみたいに、
自分を憂いているばかりになる事もあったりする・・・」
「それは・・・先生にも体験が有る事やからそう思えるんやな。」
「うん・・・失敗を沢山して来たからね。
だから今でもアタシはこの世界の事は大嫌いだし、
しかしそれだからこそ、
自分の在り方を考えなければならないって考えを持っているんだが・・・
そう言う考えに成るまでには・・・相当苦しんだとも言えるね。
何回も自殺を考えたりもしたし・・・人を信じられなくなった事も沢山ある。
しかしそれは、
結果として自分の認識を高めていく為の事象でしかないって事だ。
そこで少し間違えると、
悪魔の囁きが自分の心(靈)を支配したりもする。」
「今の苦難を試練と考えへんって事でんな。
そやから人は左往右往の行に入ると・・・人生で失敗して心が折れると・・・
それは、先生流に言えば、
肝=“いきり立つ心(奴と心)”が中心の心(靈)から、
脾=“思う、憂う”・・・そして、
肺=“悲しむ”って心(靈)の発現になって行く。
それをせんと、
“慈悲”と“慈愛”の心(靈)の発現になって行かへんのやけど、
その時に自分の心(靈)の在り方で起きる霊的干渉って言うのんは、
現状を憂うばかりの思いに囚われて、
自分の人生に価値なんか無いって思うたなら・・・
色々、浮游霊に取り憑かれて、
酒飲んだり煙草吸ったり博打に走ったり美食したり風俗行ったり・・・
色々あるけど・・・
それは、忘れたいって思いでんな。」
「うん・・・それもあるね。」
「ほんでからに、
“いきり立つ心(奴と心)”の心(靈)が折れた時やからこそ、
そう言う人は自殺したりするやん。
“悪”の存在の思惑はそう言う事もありまんな。
“悪”の霊団の浮游霊を増やす・・・そして現象化させる。

ほんでからに今、その思惑に嵌まってる人が多い。
これからも多くなるやろな。」
「そうだね。
これから地球人の多くは失敗を体験し、
そして左往右往の行をして、
今後の自分の存在の在り方を真剣に思わされるって事になる。
それは、
生きている死んでいるに関わらず体験しなければならない事だ。
無論、生きている間に認識を得た方が良いに決まっているが・・・

そして、今Kellyが言ったように、
“悪”の存在の思惑は、
貪、瞋、痴(とん、しん、ち、)由来の心(靈)の動きの場(フィールド)を構成して行く事だと思えるし・・・
地球をそう言う星にしたい・・・って事だ。
だからこそその“悪”の思惑を理解して、
自分の在り方を考えるには、
やはり、肉体を持っているうちに考えを変えないといけないし、
それは肉体が“上”の振動を受信するのに好都合って事もあるからだ。」
「受信する構造・・・神経と骨髄中の鉄分子による磁性・・・でんな。」
「うん・・・敢えてKellyに言うまでも無い事だったね。

そして左往右往の事象・・・まだそれが始まったばかりなんだけどね。
これから加速的に増えていくからこそ、
醜い事象は増えて行くだろうけど・・・」
「そうでんな。
そんなニュースばっかりでんな。
そやけどそんな事に心(靈)が囚われていたなら、
自分の良いカタチを考えて行かれへん。
ニュースやワイドショーで色んな事を取りあげるだけ・・・
それを感覚優先の心(靈)で見てはったなら、
只々この世界がイヤになる。
それも“悪”の存在の思惑の顕現とも言える事でんな」
「そう思うよ。
だからこそ自分の心(靈)の在り方って言うのが、
“上”の振動を取り込むのか、
“下”の存在と感応共振して自我の肥大になるのか・・・
自己観察がとても大事って事だね。」
「それは先生の概念での、
“善(神格化の方向性と智性の受信)”と、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”でんな。
ほんでからに左往右往し始めたときは自分の人生を憂う・・・
そやからそこで自分の在り方を考えんと、
“悪”の存在の思惑を取り込んで、自分がダメになるやん。
その事を“上”と結ばれてない・・・YAはんから見たら=受信したら、
結び方が解らへんって事になった。
その事をお父さんは、
夢で、YAはんに示したんやろな。」
「そうだね・・・良い方向に行くといいね。」
「そうでんな・・・」


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先生とKellyさん・・・瀧原宮に到着。

「先生は何時からこの神社に来てはるんでっか?」
「実はうんと若い頃、
23歳くらいの時かな・・・それは今から約30年位前、
この近くに藤坂峠って峠があって、その峠を自転車で超えた事がある。
藤坂峠って言うのは野性の藤が沢山あるからそう呼ばれているらしい。
後からそこも行ってみよう。」
「はあい。」
「そしてその峠を降りて、
南島町阿曽浦の民宿で泊まって、
いっぱい飲み食いして帰って来た事がある。
その時は、瀧原宮の前を素通りしただけだった。」
「なんやしらん・・・縁があったんやな。」
「そうだろうね。

それから、太陽凝視を教えてくれたKさんと葬儀の仕事を一緒にしていた頃、
それはアタシが30歳くらいの時かな。
その時、会社の連中とKさんと、
熊野まで慰安旅行のつもりで行ったんだが、
その帰り道にここの前を通り、
Kさんがこの神社は特別な意味があるのでは無いのかって気が付いた。
そして参拝してみたら更に特別な意味が有る事を知った訳だ。
それ以来、時々ここには来ているよ。」
「なるほど・・・
若い頃の先生は、只、素通りしただけやったんは、
それは気が付かへんやった。
霊的に鈍かったって事でんな。」
「そうだね・・・その通りだと思うね。
そしてその時はまだこの神社の秘密を知る霊的成長度ではなく・・・
それは知る資格を持っていなかったって事だと思う。」
「そうやな。」
「だから、
アタシ的にはここで祭られている祭神そのものに意味があると思うからね。
それをKellyに知って貰いたくて今日ここに来た。
その前に瀧原宮の事に付いて少し説明しておく。」
「はあい。」

「瀧原宮は皇大神宮の遙宮(とおのみや)とされてる。」
「皇大神宮・・・お伊勢さんの内宮の事やな。
ほんでからにそれは、
天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)、
あるいは皇大御神(すめおおみかみ)=太陽の事でんな。」
「そうだね。
そして瀧原宮の祭神は、
天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)だとされている。」
「天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)と、
天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)・・・
この“坐”に意味が有るんやな。」
「うん・・・だからこの字を見たらKellyにはすぐ理解出来ると思う。」
「“坐”・・・
“土”の上に、人が二つ・・・
丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)と乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現)・・・
それが“土”の上に左右に二つって事でんな。
これは砌(みぎり)と日足(ひたり)で、
ほんでからに“土”=肉体の“上”に有るんやから事象の創造って事でんな。」
「そうだね。
だからこれから参拝するんだけれど、
その参拝する順番は決められていているんだ。
まず・・・順番にお参りしてから、又、
話をしよう。」
「はあい。」

瀧原宮参拝の順番を示す立て札 ↓

瀧原宮参拝の順番を示す立て札


Kellyさん→  [賽銭箱] ◎⌒⌒ ヾ( ̄0 ̄ ) ・・・チャリ~~~ン・・・
(-m-)” パンパン・・・(*・人・*)ウニャウニャウニャ・・・
(男運男運男運・・・と願ったかどうかは・・・定かでは無い・・・)

先生→  (´-ω-)ノ ⌒⌒◎┃賽銭箱┃・・・チャリ~~~ン・・・
(-m-)” パンパン・・・(○`人´ ○) ゴニョゴニョゴニョ・・・
(若いネーチャン×3・・・と願ったかどうかは・・・定かでは無い・・・)


「今見た通り、
向かって左から、瀧原竝宮(たきはらならびのみや)、
祭神は、天照坐皇大御神御魂(あまてらしますすめおおみかみのみたま)の、
“荒魂(あらみたま)”、

そしてその右、一番最初に参拝したのが瀧原宮(たきはらぐう)、
祭神は、天照坐皇大御神御魂(あまてらしますすめおおみかみのみたま)の、
“和魂(にぎみたま)”、

そして、三番目に参拝した若宮神社(わかみやじんじゃ)、
ここまでの社は南に面している。

そして向かって右側に、
今挙げた三社と向きが違うんだが、
四番目に参拝した長由介神社(ながゆけじんじゃ)と、
川島神社(かわしまじんじゃ)は、西に面している。」
「そうやな。
ほんでからにそれは“上”から観たら、
カタカナのアの上半分みたいでんな。」
「そう、そう言う意味もあると思うよ。
だからそれは一番最初の何かとしての“亜”が、
こちら側から見て向かって右に移行しているみたいなもんだ。
(Kellyさんが、“日月神示”の解釈をして行くに当たって・・・考えた事。 参照)

そして参拝するのに順番がある事に付いて、
Kellyはどう思うかな?」
「これは・・・
真ん中の社が、
天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)の“和魂(にぎみたま)”、
ほんでからにその左に、
天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)の“荒魂(あらみたま)”、
瀧原竝宮(たきはらならびのみや)・・・
この“竝(ならぶ)”って言うのんは、
並ぶの旧字でんな。」
「そう。」
「そやからこれは立つが二つ並んで“竝(ならぶ)”
これは、人の肉体が持つ左右の極性の事でんな。
同時にこの立つ二つの“竝(ならぶ)”って言うのんは、
エネルギーの上昇を示してまんな。
“下”から“上”に立つんやから。
そやからこれは日足と砌(ひたりとみぎり)でんな。
ほんでからに人(日止、霊止)は、
砌(みぎり)と日足(ひたり)の極性を持っているから、
右往左往と左往右往する。
それが又、“荒魂(あらみたま)”の意味である神の祟り・・・
“神の咎め”って事やから、
そうやって砌(みぎり)と日足(ひたり)のエネルギーを上昇させて、
それは、自省(胸の磁性“十”)の行をするみたいなもんでんな。
そうやって心(靈)が“上”に行く・・・
そやから、
肉体の磁性によるローレンツ力で“竝(ならぶ)”って事でんな。
ほんでからにそれは、
段々“上”の心(靈)の顕現をして行くって事でんな。
それが又、肉体を持っている事の意味でも有りまんな。

そやからそれを表してるのが、
瀧原竝宮(たきはらならびのみや)で、
瀧原って言うのんは、
瀧は“上”から降り注ぐ様って事やないんでっか?」
「そう思うよ。
“上”から注がれる振動そのものを瀧=滝の如くって事だと思うね。
そして大体この近くも多気郡って言うくらいだしね。」
「なるほど・・・多い気・・・
気って言う字も旧字は“氣”・・・
これは、丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)と、
“三”=人のオーラの構成と、
乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現)でんな。
ほんでからに“米”・・・これはKellyさんがこの間ブログに書いたんやけど、
“コ”=凝り固まる、凝集する。 それは真固止の固でもある。
“メ”=蒸し出された生命の芽。 そしてそれは目、
心の目・・・ 観察と認識って事って事でんな。

ほんでからに、气部(きぶ)と米で“氣”って事になるやん。」
「うん、そうだね。」
「ほんでからにそれは、
真ん中の社=“和魂(にぎみたま)”で、
その向かって左は丿部(へつぶ)の意味でもある、
前に先生が言うてはった丿部(へつぶ)の説明、


“丿部(へつぶ)、右から左に曲がるって云う意味があり、
それは、物質化した生命、
その進化した段階を人(日止、霊止)と呼ぶ。
それは、こちら側から見れば右から左・・・
砌(みぎり)から日足(ひたり)・・・それは、
物質的肉体の発現から心(靈)の発現・・・”
(思惑と顕現 “その十一” “上”の思惑の顕現・・・“天の御目” 参照)

そう言う事でんな。
そやからこの参拝の順番そのものが、
右から左に降りる・・・それは神さんの思惑が“下”に垂れた様で、
神の思惑の顕現でも有りまんな。」
「そうだね。
だからこそ“和魂(にぎみたま)”と“荒魂(あらみたま)”の違いがある。」
「それもまた、“和魂(にぎみたま)”=創造の思惑で、
“荒魂(あらみたま)”=人(日止、霊止)が創造する事象って事やな。」
「そう。
そして残りの社、
真ん中の天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)の“和魂(にぎみたま)”の向かって右にあるのは・・・」
「それが、若宮神社でんな。
若い=砌(みぎり)のエネルギーの芽生え=クサカンムリでんな。
ほんでからにそれは“宮”・・・“呂”と、
宀(うかんむり)=頭でんな。」
「そう、そして西向きに面している長由介神社(ながゆけじんじゃ)と、
川島神社(かわしまじんじゃ)・・・
これはどういう意味が有るんでっか?」
「長由介神社(ながゆけじんじゃ)の祭神は、
瀧原宮の御饌(みけ、食物)の神とされてる。
そして、“長由介”が長生きと同義らしく、
長生きの神であるとの民間信仰があったようだ。」
「なるほど・・・御饌(みけ、食物)・・・物質の吸収って事でんな。
ほんでからに長く生きて沢山の認識を得なければならない・・・
それは幸福の概念やな。
生きている間に神さんに近付くって事でもありまんな。」
「そうだね。」
「川島神社はどう言う意味が有るんでっか?」
「それが調べてもその命名の由来ってのはアタシには解らなかったんだな。
だからこの字を見て解釈すれば・・・」
「川島の川・・・丿部(へつぶ)+(たて棒、コン)×2でんな。
それは丿部の意味である神の思惑の顕現は、
“上”から“下”に降り、
ほんでからに段々右に顕現・・・現象化。
“上”から“下”=(たて棒、コン)・・・そう言う事でんな。
ほんでから川島の島は、場(フィールド)そのものの感じでんな。」
「うん・・・そうだと思うが・・・アタシたちの考えや解釈は一般に通用する物ではない。
だからあまり人に話さないほうがいいかもしれないね。
アタシ的にはKellyに知っておいて欲しかっただけだ。」
「そうやな。」
「そしてもう一つ・・・知っておいて欲しい事として・・・

内宮=天照皇大神は、
こちら側から見た太陽って解釈をしている。」
「物質の世界から観た太陽って事でんな。
それに引き換え、
瀧原宮の天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)は、
今の話、“上”の思惑の顕現そのものって事やから、
意味合いが違いまんな。」
「そう、思想としての太陽と、
地球にエネルギーを降り注ぐ太陽の、
二面性みたいなものかもしれないね。」
「それも太陽の左と右、
日足と砌(ひたりとみぎり)の要素みたいなもんでんな。」
「そう・・・
そして、その物質の世界の太陽=内宮の天照大神の神話、
天の岩屋戸は自分の肉体に太陽の振動を取り込む事なんだって話をしたね。
(エピローグ 神の思惑の顕現 参照)
それは人から観たら精神性でもあり、
それが霊的成長でもあり、それに対し物質の・・・」
「それは外宮でんな。
豊受大神宮でんな。
祭神は豊受大御神(とようけのおおみかみ)・・・
豊か、
受ける=受信、感応共振、
大=人+胸の磁性“十”・・・
そう言う意味かも知れまへんな。
そやからそれは人の場(フィールド)から見た神さんが、
日足(ひたり)=天照大神=内宮で、
砌(みぎり)=豊受大御神=外宮って事で、
内宮に対し瀧原宮は、
物質の世界の太陽に対しその“上”の太陽とも言い得る事でんな。」
「そう・・・その事もKellyに知っておいて欲しかったんだ。
よく気が付いたね。
そして余談だが・・・物質太陽=天照皇大神、
霊的太陽=天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)・・・
更にその“上”の太陽もあると思う。
但しそれは、
(地球人としての)人(日止、霊止)の世界に、
現時点、示されていない。」
「そうなんでっか・・・
いつかその事を知る霊的成長度に達する事を・・・
誰もがせんならん・・・
今はその事を知る資格がないって事でんな。」
「そうだね。

さて・・・
今日知っておいてほしかった事は大体話した。
後は伊勢芋のトロロうどんでも食って、
それから藤坂峠の頂上まで行って帰るとしよう。」
「はぁぁ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~い!!!!!!」



瀧原宮
瀧原宮


瀧原竝宮
瀧原竝宮


若宮神社
若宮神社


長由介神社 川島神社
長由介神社 川島神社


藤坂峠から南島町方面を望む
藤坂峠から南島町方面を望む1


藤坂峠から南島町方面を望む
藤坂峠から南島町方面を望む2


藤坂峠の野生の藤
藤坂峠の野生の藤


藤坂峠の途中で咲いていた石楠花
藤坂峠の途中で咲いていた石楠花


おまけ、23歳の時の先生、藤坂峠の頂上にて。
23才のときの先生 藤坂峠にて





“太陽凝視を行っている鍼灸師の話” 出版の告知。(前のブログの事です)  ち~となりや~とかめ(少しだけ久しぶり)の、○○○大先生とKellyさんとの会話でんねん。


・・・・・・2009年1月1日、先生とKellyさん、一年ぶりにお○げ庵にての会話・・・・・・

「先生、明けましておめでとさんでんがな。」
「うん、おめでとう。今年もよろしくね。」
「なんやしらんこの間、年末に会ったとき報告があるって言ってましたやんか?
なんでんねん。」
「うん、それはね、
Kellyと話した二年数ヶ月の記録、前のブログが数冊に分けて出版されることになったんだ。
その事を伝えたくてね・・・だから今日は来てもらった。」
「そうでっか~それはそれはそれは・・・でんな(笑)どこの出版社からでっか?」
たま出版だよ。」
「そうやったんか。
それはたま出版のホームページにあるように、
“精神世界・ニューエイジ関連の出版物を中心に、ノンフィクション分野の書籍を数多く世に送り出して・・・混迷の時代を照らす一灯として・・・”
そやからあの文章は、たま出版から出すのが妥当やな。」
「うん。」
「そやけど先生としては、色んなことを考えて出版を決意したんやろな。
それは、前のブログのプロローグのコメントやらモノホンKellyさんのコメントの返事やらに・・・モノホンKellyさんのコメントの返事はパチモンのKellyさんが返事したんやけど、
(楽屋落ち的表現ですみません by ○○○大先生)
あんまり出版に付いては乗り気やない感じの返事やったやないですか。
例えば、こんなことも言うてはった。 ↓

“そもそもこのブログを作り始めた時、出版も視野に入れて文章を作っていたのですが・・・
今、自分が思う事、アタシの認識は、出版してもほとんど受け入れられない。それは今現在、只々、甘い夢を見させるものしか本にならない。出版社も商売でしか無いという事と、
もう一つ、神やオーラや心霊やUFOやアセンションや・・・そして太陽凝視や・・・人(日止、霊止)が生きて行く為の指針にもなる事ばかりでもありますが、(人(日止、霊止)の存在目的)ほとんどの人が、その意味や意義を見出そうとしない。
只々甘い夢だけ見たい人が多い。”・・・

ほんでから、モノホンKellyはんのコメントにパチモンKellyさんが返事したのは、

“先生的には、このブログに精力つぎ込んで自分の考えを文章にすればするほど、
この形骸化した世界がイヤになってきてまんねん。
読んでくれてはる人も・・・それぞれの認識でしか理解出来へんねん。
それは、自分の持ってる認識以上の事は、いくら文章に先生の考えを表現しても、それはただ・・・文章を読むってだけの事でしかなくって、読んだくらいでは解らへんねん。
経験と学習と・・・それによる認識・・・そういうもんが無いと(1番目のオーラ)
只、長い文字列を見たって事でしかない・・・そういう事でんねん。
ほんでから、先生の体験した事や先生の意見・・・思想・・・そういう事を理解してくれてはる人はほんの少数でんねん。それが分かれば分かるほど先生的には・・・たくさんの人に読んで貰わんでもエエがね・・・そう思うてはるようでんねん。
ほんまの価値のあるもんは、たくさんの人になんか・・・解れへんねん・・・この世界は、
今、現在・・・形骸化した何かのほうが、力を示しているからやねん。
先生は根っからおせっかいやから、先生の考えを出版して・・・たくさんの人が認識を変えて行って・・・ほんでからに、次の地球上での創造を担う人・・・そういう人がひとりでも多なる事を期待してはったんやけど・・・もう・・・決まってるようやねん。”

そやから、こんな事まで先生が言うといてからに出版を決意したって言うのんは、
又、“上”からの通信があったんやな。」
「うん・・・そうだと思うね。
だからあのブログが完結してすぐそんな事を考えなかったんだと思う。
それも時期があってのことだろうしね。」
「そうやな。
情報を本として出す・・・その許可が“上”から出るには、
先生もエネルギーを贖う(あがなう)期間がいるやろし、
ほんでから、多くの人がこの世界を観て、
憂い(左往右往の左往)て・・・
それからやないと、あの文章は受け入れがたいやろし・・・」
「そう、そういう点でもこの世界の大半の人の心(靈)は、育っていない。」
「自己奉仕者の世界、“玉石混交(淆)”って事やな。」
「うん。
でも“上”の“思惑の顕現”って言うのは、人(日止、霊止)の霊的成長だからこそ、
様々な存在が通信を送っている。
だからこそ今までもたくさんの宗教があり、
そして昭和に入ってから、T霊媒=竹内満朋を通じて、
ローム太霊が主護霊の定義を説いたりもした。
(主護霊の定義と存在意義を伝えた存在は、ローム太霊が最初です)
だが、宗教は自己奉仕者の心(靈)の動きで形骸になり、
同じように、ロームさんが伝えた主護霊の定義と存在の意味・・・程度の低い人は、
その重要性を見出すことが出来ないし、主護霊を守護霊と書き換えたり、
憑いている霊的存在は自分を守ってくれているって都合のよい解釈をする。
他にも、霊的成長と、事象の創造の仕組みであるオーラの発振、発信に対し、
低い解釈にする。
挙句の果てにはそれらの言葉を利用して金儲けにする。
これらのことは悪魔の思惑だと思えるし、その話はたくさんKellyとしたね。」
(事象の形骸化・・・など)
「そうでんな。」
「ローム太霊が人に伝えた主護霊の情報、その定義、
そしてアタシの主護霊がアタシ自身に語った言葉として、
たくさんの低い霊を身に憑けると、主護霊の立場として“動きが取れない”・・・それは、
自分たちが間違った主護霊の認識を持っていると、
本当の意味での主護霊の通信を、受けにくい。
その事を示す重大な事だね。
そして今、大半の人が低い解釈の主護霊の概念を持ち、
その認識で霊的干渉=感応共振するから、低級な“下”の存在と通信しあっている。
今そういう状況に成っているし、成り下がって、そして恨みの連鎖の霊的干渉で、
特に子供の浮游霊と家畜の動物霊・・・その心(靈)の動きで、
幼稚になり、大人の快楽を楽しみたいとか食いたいとか難しいことは考えないとか・・・
動物霊の思いは、金を使う事に憧れるとか、人の娯楽に憧れるとか、人を動物のように扱いたいとか・・・ひとことで言えば人に対する復讐だね。
他にも家畜は思うようにセックスしたいとか・・・そんな事は色々話したね。」
「そうでんな。
ほんでから最近のニュース・・・前にも先生は言うてたけど、
低い霊的干渉によることがどんどん表面化してきてる・・・」
「うん、そんなニュースは今後もどんどん増えるだろう。
その裏にある霊的干渉、その事を自称、霊能力者たちは、たいして述べていない。
解って無いとしか思えないね。
まあ、低い霊能力者のことは別にして、
今言ったこと、低い霊的干渉の事象とその原因は、自分たちの心(靈)の在り方、
その事も多くの人に知って欲しい事だね。」
「そうでんな。」
「その点でもアタシはあの文章を作ったといえるんだが、
ちょっと話が逸れたね。

あの文章の中で述べたアタシの認識・・・それは、18歳の時に霊眼が覚醒し、
太陽凝視を教えてくれたKさんに出会い、ローム太霊に出会い、
そして色々な事があり、アタシはアタシなりに認識を得てきた。
これも、この事自体が人(日止、霊止)の霊的成長を望む“上”の思惑の顕現の一端なのかもしれないし、特に最近自分でそう思うようになった。
そして、アタシの霊的成長を見守ってきた存在は、
言い換えればアタシの“上”の霊的存在は、
あのブログを始める何年も前から、アタシ自身の認識を公開しろ!
・・・そういう通信を送ってきていたんだと思う。
ずっと以前からその事を考え続け・・・
そしてこれはKellyは知らないことなんだが、
あのブログを始める以前にも一度、文章を作ったりもした。
しかし・・・その作業の膨大さと、何から説明してよいのか・・・
混乱してしまって途中で破棄したことがあるよ。
その事は一部の人は知っている。Kellyの知り合いでその事を知っている人は、
チョ~極上ラブラブ中高年夫婦の二人とか、メタボ研修医のYっちゃん先生とか・・・」
「そうやったんか。
ほんでからにモノホンKellyさんをモデルにした会話ってことを、思いついたんやな。」
「うん。その通り。
モデルを引き受けてくれたモノホンKellyさんにはとても感謝しているよ。」
「そうでっか。それも霊縁ってことやな。
ほんでから先生が今言うてたことは、
この世界全体が、自省(胸の磁性“十”)の“行”の方向性に向かいだしたなら、
エエころかげんな情報よりも、
ほんまの何かを求めて行くって事になる・・・そういう意味も含んで話してたんやな。
そう言うことでんな。」
「そうかもしれない。
だからそれも、“上”の“思惑の顕現”=現象化って事だと思うよ。」
「そうやな。」
「そしてね、あのブログは元々出版するつもりで作っていた文章には違いないし、
それには目的もあった訳だし・・・」
「印税を飢餓貧困の救済に当てるって事でんな。
恨みの連鎖の霊的干渉の軽減・・・それをしないと、この世界は良くなっていかない。

この世界・・・とくに日本とアメリカ・・・
Kellyさんは検索してて、こんな記事を見たことがありまんねん。
      ↓

“国連大学世界経済研究所によれば、富裕層2%が世界の家計資産の半分以上を所有し、
その中で最も裕福な10%の内訳を国別に見ると、
アメリカが4分の1、日本が5分の1を占め、
世界的な超富裕層と言うべき人々の割合の第1位がアメリカ人、
第2位が日本人、
そして富裕層の人口の1%は世界の富の40%の富を所有している・・・”


ほんでからほとんどの人は今、この星で三秒に一人くらいの割合で、
子供が死んでいるのを知らへん。
ほんでから飢餓貧困とか、医者にかかれへんかったとか、
兵器産業のために戦争が起きて戦争で死んだ人が、
今Kellyさんが言うたその事を知ったなら、当然恨むやん。
そやからそれは金持ちの国を恨む。
そやから大半の浮游霊はこの国とアメリカに来てるってことやな。
ほんでからに特に恨みの連鎖の霊的干渉で分かりやすいのは、
貪、瞋、痴(とん、しん、ち、)って心(靈)の動きでんな。
貧(とん)は、貪欲、むさぼり際限のない欲、食欲、色欲、財欲、名声欲・・・
瞋(しん)・・・怒って目をむいて恨んで・・・そして、妬んで、嫉む(そねむ)・・・
痴(ち)は、一言でアホって事でんな。」
「そうだね。低い霊的干渉の影響を受ければ受けるほどそうなっていく。
だからこそ、今、色んな事があくどい金持ちたちの道楽に成り下がっている。
又、あくどい金持ちたちの心(靈)は、
本能、情動、功名心、自我、・・・それが中心の心(靈)でもあるから、
低い霊と感応共振する。
そして・・・一部金持ちたちの道楽を指摘すれば、
サプリメントや美容と美白(骨の結晶化に結び付かない価値感)の概念、
そんなものばかり求める心(靈)の動きって言うのは敢えてKellyに説明するようなことではないね。」
「自分たちの在り方を考えんから煙草も酒もやめず、
グルメ指向で過食してても血糖値を上げないサプリメントを買いたいとか思う。
ほんでから自分たちの仕事は、
言い換えれば“力”(力、知恵、知識・・・学問・・・能力、そして霊能力を含む)を顕す事は、
何かを楽しむためだけに、その為に金を儲けたいと思い込む。
貪、瞋、痴(とん、しん、ち、)の、貪(とん)やな。
ほんでから自分たちの在り方を思わんのは、貪、瞋、痴(とん、しん、ち、)の、
痴(ち)やな。
この国の大半の人が求めるもんは、そういうもんに成り下がってるやん。」
「うん、それは三文小説やとても分かりやすい時代劇みたいに、
金持ち貴族や悪代官・・・自分たちだけ楽しんで多くの人が苦しんでいるのを無視し、
どうでもいい事に金をつぎ込んで自分たちだけ楽しんでいる・・・
そういう点でもTVの正月番組なんか見てると、お笑いとかグルメとか見せ掛けのものが多くって、なんか・・・末期的な感じだね。」
「いつかKellyさんが思ったノストラダムスのローマの崩壊・・・
まったく今が、その通りでんな。
性の乱れ、貧富の差、どうでもエエ娯楽・・・オ○ェなんかがTVに出るのもそうやな。
こんなことも前のブログでKellyさんが言うたから多くは述べまへんけど、
それは今、多くの人の本能化、
心が“上”に向かっていない人たちが多いって事でんな。」
「そうだね。
それがまさに、恨みの連鎖による飢餓貧困・・・子供が死ぬこと、そして家畜を殺して食うこと。
そうやってその低い心(靈)の存在を増やし、
人に憑依して心(靈)の低い部分で感応共振させ、
人を幼稚にしたり、動物化させる。
それが“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)の、
“思惑の顕現”=現象化なんだけど、
そんな簡単なことすら気が付かない霊能力者がほとんどだ。」
「スピリチュアルな事柄に肉を食べるのは良くないって言いながら、
焼肉屋に出入りする低い霊能力者みたいなもんでんな。」
「そうだね。そういう低い自称霊能力者のほとんどは、一時期霊能力を発揮しても、
それは“上”から試されているし・・・」
「自分の霊能力をどう扱うのかって事でんな。」
「そのとおり、そして霊能を維持できなくなった時に左往右往に入るんだが、
大概の人は、霊能が無くなったならば今までの自分の立場を守りたいから、
インチキをやるだろうし・・・それはただ甘い汁を吸いたいって心(靈)の動きだね。
その事自体、“上”から試されているって認識が無いみたいなもんだ。
又、そういう人たちは自分に発現した霊能力に対し、神聖なものだと思っていないからだ。
そして今、
アセンションや“日月神示”や人(日止、霊止)の在り方を説いている本は、
たくさんあるけれど、
その本を出版して自分の利益だけにしている人は、
心(靈)の発現が低く、
低い功名心と自尊心で自分の考えを述べたに過ぎない。
仮にそれらの本が“上”からの通信を受けて書かれていたとしても、
出版して自分の考えを述べる・・・それに付いても“上”から試されているみたいなものだし、
そして、自分たちが今後どうするべきなのかなんてことを考えていないならば、
TVに出ている程度の低い霊能力者と同じでしかない。
だからこそそういう人たちは自己奉仕者でしかなく、
そんな心(靈)の動きの人たちが、アセンション後の神聖な事象の創造・・・
次の世界の創造に携わる資格があるとは、思えないね。」
「そうでんな。」
「だから今、アタシとしては鍼灸師として食っていけるだけの収入はある。
“行”が中心の生活で、たいして仕事をしていないけどね。
それは、太陽凝視、電気行中心の生活を望み、段々そうなってきたんだが、
生活して行くのには現状困っていない。
そしてアタシは、アタシ自身に贅沢を許さない。
必要なもの以外は必要ではない。
食べるものはたくさんあるし、それは毎週治療させてもらってる人の中にも、
アタシのブログのファンはいて、その中には、
建設会社の社長婦人なんだけど農業が好きっていう人がいたり、
変形性関節炎で膝が曲がらなくなって20年前から治療している日舞のお師匠さん、
余談だけど、今その人は、ヒンズースクワットを一日に100回以上やるくらいになったけどね。
そのお師匠さんのお弟子さんが農家で、お弟子さんから毎週山のように野菜をもらうんだが、お師匠さんの家族は老夫婦二人だけなので食べきれない。
そこからも余った野菜をもらう。
その他にもアタシに野菜をくれる人は数名いらっしゃるよ。
だからアタシが食べるものはたくさんある。
そしてチョ~極上ラブラブ中高年夫婦のお二人からも、
治療する度に、チョ~極上ラブラブ中高年トマトジュース(笑)も貰うし、
ほかにも色々頂いたりする。

話がそれたね。

今、アタシが話していたことは、アタシが問題に思っていること。
それは、自分たちが裕福って認識がなく、
この国はどうでもいいことばかりに金を使う場(フィールド)に成り下がっていて、
だからこそ、この国やアメリカは、悪魔の傀儡の国になっていると言い得る。
特にアメリカは自国の経済の為に兵器産業が盛んでもあり、又、
戦争が起きそうなニュースを、今、毎日のようにやっているね。」
「そうでんな。まさに悪魔の傀儡でんな。」
「うん。それも今までやってきたことの結果だからある意味しょうがない。
話を戻し、この国やアメリカの人たちはある程度裕福だからこそ、
アセンションや霊的成長のことを考える余裕がある。
世界中の貧しい国の人たちは、自分たちが生きるか死ぬかって毎日を送っているからね。
だから、自分たちがアセンションや霊的生長に興味があり、そして、
多くの宇宙人たちのアドバイスでもある平和な世界の実現を試みるならば、
恨みの連鎖の霊的干渉の解消に、少しでも自分の“力”を使いたい。
自分たちの“力”、
そしてその表れである“力(ちから)の根(ね)”・・・(“金(かね)”の言霊)
アタシはそれを考えてきているし、
アタシ自身はアタシの“力”をどう扱うべきなのか?ってことで、
アタシ自身は、そうすべきだと思うからこそ、さっきも言ったようにこの本の印税の数十パーセントは、
飢餓貧困の救済に当てる。
最低でも印税の50パーセントの寄付をする。これはもう決めた事だ。」
「なんで50パーセントでっか?もっと寄付の割合を増やしてもエエやろに。」
「うん、それは年末にちょっと大きな出費があったんだよ。
それで車を買い替えようと貯めていた貯金がなくなった・・・だから最初は、50パーセントって事だよ。
それと今、アタシの仕事はどんどん少なくなっているし・・・それはアタシの霊縁が、
自己奉仕者とは縁が出来ないからなんだが・・・」
「それはありますやろな。
そやから一般に自己奉仕者ではない人は、少ないから、先生の仕事は増えて行くなんて考えにくいでんな。
ほんでから先生が霊的成長して行ってるからこそ、先生が昔から治療していた人の中で自己奉仕者の心(靈)の発現をしてる人とは、縁がなくなる・・・そういうこともありまんな。」
「そうだね。
そしてそういう低い心(靈)の発現の人は、同程度の霊的成長度の人が心地良い。」
「それも霊的干渉の変圧の過程って事でんな。
そやから自己奉仕者の人は先生のことが疎ましくなって行く・・・なんとなくイヤとか、
嫌いとか・・・憑いてる存在が低いからでんな。
ほんでからそういう人は自己奉仕者の治療師を選ぶやろし・・・また、治療師やない自己奉仕者の典型の無資格のマッサージを選んだりもするやろし・・・」
「うん。
それで、今後アタシの生活もどうなるか分からないから、印税の寄付は、数十パーセントって事だよ。」
「そうでっか・・・変なこと訊いて話の腰を折ってすんまへんでした。」
「いや、かまわないよ。
そしてその後、アタシが現状のまま生活できるなら寄付の割合を多くして行く。
そんな事も考えているわけだ。」
「そうでっか。
そやけど・・・むずかしい本になるやろけど、売れるとエエな。
ほんでからあの本は形骸のことは書いてない。
オーラの発振、発信の仕組み、霊的成長の仕組み、その視点での動物から人への進化、
そして神格化・・・今後、人(日止、霊止)が進むべき方向性・・・それらは全部、
先生の認識やし、
ほんでからローム太霊さんの伝えたかった事の一部も書いてある。
その代表的な事は、主護霊、支配霊の定義・・・そやけどそういう言葉を利用して金儲けしてる本の著者とか、テレビに出てる霊能力者とか・・・
ほんでから“日月神示”を説いてこの世界の批判をしてるお偉いさんなんか・・・
そういう人はたくさんいてるけど、あきらかにそれとは違いまんな。
そやから・・・あの文章がどれくらい多くの人に読まれるか・・・
それがこの世界の高さと低さを示す・・・そういう事になりまんな。」
「そうだね。
それで、さっき話したアセンションや“日月神示”や人(日止、霊止)の在り方を説いて自分の利益だけにしている人のことも、
今後Kellyが解釈して行く“日月神示”下つ巻 第三十二帖に述べられている。」
「それは、

“この道ひろめて金儲けしようとする臣民 沢山に出て来るから、役員気つけて呉れよ、
役員の中にも出て来るぞ、
金(かね)は要らぬのざぞ、金いるのは今しばらくぞ、
生命は国にささげても金は自分のものと頑張ってゐる臣民、気の毒出来るぞ、
何もかも天地へ引き上げぞと知らしてあること近づいて来たぞ、
金かたきの世来たぞ。
八月三日、一二 ローレンツ力と ○ 。”・・・でんな。

ほんでから、今、先生が言うたんは
“この道ひろめて金儲けしようとする臣民 沢山に出て来るから、役員気つけて呉れよ、
役員の中にも出て来るぞ、”・・・これは、
下つ巻 第九帖の“役員づら”してる人たちのことやな。」
「うん、その通りだね。
だから今後、自分たちがアセンションや“日月神示”、
そして様々な事象を観て、認識を高めたならば、
自分たちがどう在るべきなのか考える。
繰り返すが、自分の持っている“力”と“力(ちから)の根(ね)”、
それをどう使っていくべきか、どう扱うべきなのか。
それを考えて自分たちが創造する事象を良いカタチにして行く。
そしてそれは、今後の世界の創造に携わる最低限の資格でもあると思える。
だからこそアタシは、アタシが得た何かは、
今言ったような使い方をしたい。
そしてKellyは、このブログでよく霊的資格って言葉を使うけど、
心=霊だから、
心(靈)の動きがそうなるべく人(日止、霊止)がアセンション後の世界に位置できる。
そうとしか思えないし・・・そして、
今、述べた恨みの連鎖の霊的干渉を解決しようと自分たちの力を贖っていく人たちも、
今後増える・・・増えていくだろう。
そういう心(靈)の動きも段々表面化して行くだろうし・・・まあ期待しよう。」
「そうでんな。それが自分たちの世界を変えて行く事になって行く。
ほんでからそういう心(靈)の動きの人は“上”から評価されるって事でんな。
先生の文章と霊縁があって、そういう心(靈)の動きの人が増えるとエエな。」
「そうだね。」

☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀

・・・ちゅうことで、大体こんな話を、お○げ庵で先生としましてんな。

ほんでから先生は、今、
前のブログを本の原稿にする為に加筆訂正してて、ちょっとそれが負担になってるらしいから、
このブログ、Kellyさんが主役の“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話と、
○○○大先生が鍼灸師としての立場で書いてはる、
太陽凝視を行っている鍼灸師の話“改”は、
少しの期間、
更新が滞るかもしれへんって先生が言うてましてん。
悪しからず御了承くださいでんねん。

ほんでからに一冊目の本のタイトルは、

          太陽凝視を行っている鍼灸師の話 

                   《1》 

              ローム太霊との出会い



この本の発売予定日は、3月1日らしいけど、 場合によれば早まる可能性がある・・・そう先生は言うてはったから、 その事もお伝えしときまんねん。
発売日が確定したら、 ○○○療院のホームページと、このブログで報告させてもらうつもりでんねん。

(発売日は早まりました。2月12日(木)ごろより、全国書店(紀伊國屋書店・三省堂書店・旭屋書店・ジュンク堂書店・ブックファースト・リブロ・丸善など)にて順次陳列。 )


・・・っちゅう事で、遅くなってしもたんやけど、
このブログに霊縁ある人(日止、霊止)に、
明けましておめでとさんでんねん。本年もよろしくでんねん。


by パチモンKelly=Joし  &  ○○○大先生=【<●><●>】

Kellyさん、○○○療院に○○○大先生のご機嫌伺いに行き、Y県のOさんの話を先生から聴いて、ちょっと長話する。



この間Kellyさんは、正月以来、ちょっと久しぶりに○○○療院に行って、
先生に会って少し話をしましてんな。
今回は、その時の事を紹介しまんねん。

☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀


「やあ、こんにちは。ち~となりやーとかめだね。(少し久しぶりだね)」
「今日は、最近の先生はどんなんかな~~って、ご機嫌伺いに来ましてん。」
「そうか…気に掛けてくれてありがとう。
まあ…“行”中心の生活に変わりはないよ。
でも…太陽凝視はいつもの通り時間が許す限りやってはいるんだが…電気行は、最近レベルダウンしてるね。それは、いよいよ年を取って骨髄がダメになり始めてるのかもしれない…“腎気”の消失だね。
しかし、レベルが下がっても、やめたりはしないつもりだけれどもね。」
「そうなんでっか…段々年を取るからしょうがないのかもしれませんな…肉体には現界がある。
…そやけど先生は53歳には見えませんやん。まだまだ“行”を頑張れる感じ(感じる磁性)には見えるんやけど……」
「うん。死ぬまで“行”をするつもりではいるよ。
…それと、あのブログを始めてからたいして仕事をしてなかったんだが、2月と3月はブログを始める以前くらいの仕事をしたね。」
「それは“Kellyさんとの会話”の文章を作るのにエネルギーを贖ってて、
そやからたいして仕事させて貰えなかったって事を言うてるんやな。」
「うん…それもあるかもしれないし…
大体去年の12月と今年の始めは本当に仕事が少なかった。」
「それは前のブログを加筆訂正してた時でんな。
そやからそれも“上”の配慮やったんかもしれませんな。」
「そうだね…だからその分を取り戻しただけかもしれない。だからある意味、一つ役割を終えたのかもしれないね。」
「そうかもしれませんな。」
「それで、新しい仕事の縁もちょっとだけ増えた。
“上”が仕事を通じてでも、新しい霊縁を付けてくれているようだ」
「それは良かったやんか。」
「うん、でも件数としてはいつもの通りたいして仕事はしていないし…相変わらずうちはビンボーだよ。」
「そうでっか。
まあ…先生はたくさん金儲けしたいって人や無いし、先生自身と先生に霊縁あった人が、
先生とその人のお互いの認識を高めあう…そういう縁を先生は望んではるんやから……
そやから先生の新しい仕事の縁は、そんな人もあったんやろな。」
「うん。
でもね、新しい仕事の縁で出会った人は、自分の存在の意義とか意味とか生き方とか…それを思っている人が多いけれど、そうじゃないケースもあった。」
「そうやろな…なんでもええカタチばっかりって事は無いやろから……」
「それでね、新しい縁の中には、本を読んだって人が、著者のプロフィールを見て、
検索して○○○療院に連絡をくれた人もあるんだけれど、そのうちのOさんって方の話をちょっとしたいけど、いいかな。」
「聴かして貰いまっせ。先生がそんな言い方するんやから、感じたことがあるんや。」
「うん。
でも、前の会話のように凄く重要な話ではないね。
今までの話と同義反復みたいな事が多くなると思う…承知しておいてね。」
「はい。」

「Oさんは中年の女性で、Y県からわざわざ高速バスに乗っていらした。
その方もある意味、アタシと同じように、
自分の存在ってなんなのか…ずっと考えていらっしゃったようだ。
そして、自分の存在の意味とか意義とかを自分が思えば、当然、宗教や心霊や宇宙人からのメッセージやチャネラーや…その中に意味を見い出そうとするようになる。
又、ローム太霊講話集とも縁があり、何回も読んだそうだ。」
「…そうでっか…そうやろな。」
「うん、そしてOさんは体調が悪く、今まで色んな治療も試したり、手かざしで有名なある教団にも行った事があるようだ。
その時の事も少し話してくれたんだが…Oさんにとってその教団の教義は頷ける部分があり、自分の認識の糧になった事もあったそうだ。
だがその教団は、裏で金が動いてて…今後、アセンションと認識されうる事象は、
天変地異や戦争もあるから、それから教団の教祖を守る為に、金を集め、そして教団の教祖と一部の教団員は、そこで天変地異や戦争に巻き込まれないようにする施設を作る……それを知ってOさんは興醒めし、その後、そこには行かなくなったらしい。」
「それは、アセンションに対する解釈が低いでんな。単なる天変地異や戦争だけと思うてるみたいなもんでんな。
そやからその人達の認識には、霊的成長度による事象の“創造”って認識が無く、
天変地異や戦争は、自分達の低い心(靈)が生み出しているなんて思うてないやろな。
そやから、アセンション後も今とたいして変わらへんと思うてるみたいなもんやな。
そやから自分の身を守ればアセンション後の地球に存続を許されると思いたい。
天変地異や戦争に巻き込まれないようにする…身を守る施設を作るなんて、てんで発想が低いやん。
…そういえば、オ○ム真○教もおんなじような事してたようやし…日本が水没するから標高の高いところの土地を買い漁ってたらしいし……」
「うん。だからその教団の人達のアセンションに対する認識は、その人達の心(靈)の発現が自我の確立=固定化の段階だからこそ、そんな発想しか出来ない。」
「そうやな…そやけどOさんって人は、それを見抜くっていうのんか…その人達の霊的成長度…心(靈)の発現の段階が低いのをOさん自身が理解してはる。
そういう人で無ければそれは解らへん事やな。」
「そうだね。だから、心(靈)の発現が低いっていうのは、
人(日止、霊止)としての進化程度が低いのと同義だし、
同時に、事象を観察する視野も狭いからこそ、
アセンションに対してそんなふうにしか解釈が出来ない。
そしてこの星の人の大半は、
アセンションって言うのは、霊的成長度で分けられるなんて思っていないだろうからね。」
「そうやな。
そやけど、Oさん自身が、そういう観察…人の低い心(靈)の動きを認識出来るようになるまでには、色んな事があったんやろな。」
「うん、それに付いてはもうひとつ話を聞いている。
Oさんはさっきも言った通り、体調も悪く、自分の存在の意味と意義を追い求める…だから、自分の体には色んな霊的干渉もある事をなんとなく理解しているようだし、
そういう視点で自分が治療を受けるところも選択している。
それで、○○療法で有名な所へも行ったって話を聞いた。
その○○療法をやっている人は、高名な霊能力者の弟子と称し、その霊能力者の理念を信じ、又、その○○療法の創始者自身がローム太霊講話集を読んでいるようで、それらから得られた認識を治療に活かしていはいるんだが…それだけではなく、それを吹聴して仕事をしているようだ。
そして○○療法の本を何冊も出し、アセンションの本も出し、かなり有名な人ではあるね。」
「そやけどそれは、人を引きつける為に利用しているみたいなもんでんな。
認識の低い自己奉仕者って感じやな。そやからそれは、吹聴するのがディスプレイ(動物の発情行動)とおんなじでんな。」
「うん、今、Kellyが感じたのを裏付けるような事もOさんから聴いた。
それは、その○○療法には分院があり、創始者と一緒に仕事をしている人達がいるそうだが、○○療法の創始者が一流志向で、高級外車を何台も持ち…そして遊び歩き…宵越しの金は持たない…そんな事を豪語し…そして、その分院をやっている人達にも、そうするべきだって半ば強制みたいに強要してるようだね。」
「それがステータスみたいに思ってるんやな。」
「うん…でも、分院の人達は借金でいっぱいだそうだ。そんな事もOさんから聴かせて貰った。」
「まったく自己奉仕者でんな。」
「そうだね。
それと、その創始者の考え方に付いてもOさんは批判的だった。
それは…今、世界で起きている飢餓貧困などの不幸な事象は、その不幸な状況は、
その人たちのカルマ…試練だから、何も手助けする必要などない。
そう話すそうだ。それもある意味正しい考えではあるが、必要以上のカルマ…恨みの連鎖を増やしてはいけない。」
「そやからそれは子供の浮游霊を増している事を考えてない感じやな。」
「そうだね。
背負っているカルマを、自分の霊的成長の糧として、因縁や困難と闘うのにはある程度大人になっていなくてはいけない。
だから、子供は、自分の試練の意味を追求出来ないし、
子供の浮游霊が増える事は、地球全体を考えれば必要以上のカルマになっている。
又、それが、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)の“思惑の顕現”=現象化でもあるね。
だからこそ、恨みの連鎖を増やしてはいけない。
そして、幸福の意味は“夭と屰”(ようとげき)で、夭折に逆らう事なんだってKellyは調べたね。
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)の思惑は、
自分の背負ったカルマに立ち向かう機会を与えないうちに殺す…浮游霊にする。
それは今以上にこの星が恨みの連鎖でいっぱいになる。
人の霊的成長を望んでいない存在はそれを目論んでいる…そんな事はKellyにはすぐ判るね。」
「…あんまり知りたくない事ではありまっけど…」
「そうだね。
でも、アタシ達は、それに対処する心(靈)ってものを持ってなければいけないね。」
「そうでんな。その心(靈)そのものが“上”との感応共振やから、段々自我より“上”の心(靈)…“慈悲”と“慈愛”を持つようになるって事でもありまんな。」
「うん。その点でも、今、飢餓貧困を何とかしないと、
この星は低級な浮游霊でいっぱいになり…もうなっているけどね。
特に最近…目立つようになって来ているね。
少し例を挙げれば、この間Kellyがチョ~極上ラブラブ中高年夫婦と話してて指摘した、
政治家の駄々っ子みたいな言い分とか…まったく無責任で子供っぽい。
それとか…街中歩いててもゴスロリとか…過剰な化粧や美白(骨の結晶化に結び付かない価値感)とかエステとか……まったく、着る物も無かった女の子の浮游霊の思いの現象化だね。」
「そんなもんは、例を挙げて行ったならいっぱいありまんな。」
「問題は、それを見て感じるのは認識の違い=霊的成長度の違いでもある。
低い心(靈)の発現の人は、それらを見て問題意識を持たない。
子供の浮游霊が増してこの星がダメになるなんて、到底解らないんだな。」
「その見方そのものが、子供の見方やな。」
「そう。低い心(靈)しか発現していない人は、低い心(靈)の浮游霊と感応共振する。
そして恨みの連鎖の霊的干渉に気付かない。心(靈)が子供だからだね。
そして八戒の欲望…食いたい、やりたい(性的な事)、着飾りたい、美しく見せたい…ディスプレイ(動物の発情行動)をする。
そしてそれが幸福だと思う…まったく地球人は平均的に幼くなっている。
だからこそ、恨みの連鎖の霊的干渉に気が付かないし、その仕組を理解出来ない。
そして、見ないし、仮に見てとしても知らん顔をする…考えないって事だ。」
「幼稚でんな。」
「うん。今だって子供の浮游霊が増えている…三秒に一人増えている。
その裏にある事情として経済の繁栄…経済の繁栄は、
帯電するミネラルが結晶化していない段階の心(靈)の発現…“石屋の仕組み”だね。
しかし…こんな解釈をしているのはアタシだけだが…余談だが、Oさんもフリーメーソン自体が“石屋の仕組み”だって思っていたようだから、ちょっとだけその説明もした。
(“石屋の仕組み”に付いての先生の私見は、
事象の形骸化“その十一” 事象を形骸にする仕組み・・・そして、真実=真固止の無い世界を御覧下さい)
だからそれは、アタシたち地球人の霊的進化程度がとても低く、
低い心(靈)の発現だからこそ自己奉仕者の進化過程を歩んでいる。
そして恨みの連鎖の霊的干渉がとても多い…地球はそんな星になってしまったからこそ、“痛みと悲しみの星”って呼ばれている。
それも、アタシ達がやって来た事の結果を、地球って場(フィールド)で、同じ場(フィールド)にいる存在は、観察して認識をしなくてはいけない。
只、それぞれの認識は、霊的成長度により違いがあるって事だ。
又、認識の違いが創造する事象の違いになって行く。
それがアセンションでもあるけれど…心(靈)の創造の結果が自分の観察する事象って概念が無いから解らないんだろうし……。」
「そうでんな。そやからアセンションに甘い夢を抱いたりする……。」
「うん。そして“上”の心(靈)の発現をしている人は、Kellyのセリフを引用すれば“何とかならへんのやろか…何とかする事…”そう思うようになるのが当然。
自我より“上”の発現をしていたならば、それを考えるものだと思う。
同時にそれは、今Kellyが言った通り、
自分の心(靈)の高い部分と“上”との感応共振でもあるね。
だから飢餓貧困に苦しんでいる人がいる事を知って、自分は高級外車に乗って遊び歩いて背負っているカルマは自分達の試練だから手助けしなくていい…そんな事を言っているのはとても霊的成長度が低い心(靈)の人だし、右往左往と左往右往の、右往の段階だね。
だから地球全体の事を考えるならば、前にもKellyと話した事だけど、自分の持っている金と“力”をどう扱っていくべきなのか、
それが霊的成長の段階で行動に表れてくるものだね。」
「そやから今の話、その創始者の人は、人生に於いてたいして失敗をしてへんのやな。
Oさんに対しては、馬脚をあらわすみたいなもんやな。
自我中心の心(靈)の人は、誰でも“力”を示したいと思う…そして自分が得た収入は正当なものだと思いたい…そやけどそれは自我の肥大でんな。
それを自分で解らへん…自分の心(靈)を観察する視野が狭い…当たり前でんな。
ほんでから自我中心の人って言うのんは自分に対する厳しさも無いし、当然、
自我より“上”の心(靈)の発現、“慈悲”と“慈愛”を持ってへんからやな。
そやから高名な霊能力者の言葉とか理念とかを利用する。利用してその言葉の意味や理念を自分の行動に活かさんならば、それはワンワンニャ~ニャ~ブ~ブ~モ~モ~コケコッコ~でしかあらへん。
そのうち“神の咎め”がありまんな。」
「うん…その“神の咎め”はパターンがあって、多分、半身不随で寝たきりになり、
あの頃はよかったな~~とか、全身にチューブをつけられて死の時期を伸ばされて、
生かされて…そしてその期間、考えさせられる。」
「それは、自省(胸の磁性“十”)の“行”と、閻魔の庁の浄玻璃の鏡(えんまのちょうのじょうはりのかがみ)の両方を味わう“神の咎め”でんな。
そやから先生は、脳血管障害で半身不随になってる人の治療もするから、
それがよく解るんやな。自分がやってきたことを…思い出し…見せられ…そして自省する。
早く自省したらエエやろに…そやけどそんなふうに思うのがおせっかいでんな。」
「うん…だからOさんは、その人に対しても批判的だった。
Oさんにとっては、その創始者とOさんは共にローム太霊講話集を読んだ人であるからこそ、そこに治療を受けに行ったって思いがあるから……」
「それはがっかりしたのかもしれへんな。」
「それはKellyの憶測だが…そう思ったのかもしれないね。
それで…それも、その人が選択して行くべき自分の“道”そのものだから、
アタシたちはこれ以上どうこう言うのはやめよう。」
「そうでんな。
ほんでから、他にどんな話をしはったんでっか?」
「うん、これはちょっと大事な話なんだが、
ローム太霊講話集の168~169ページに三角形のぶっちがいって表記がある。
それは、恨みの連鎖による因縁の霊障を形代(かたしろ)で祓う事を指しているんだが、
その時に形代(かたしろ)に三角形のぶっちがいを書くってロームさんは教えている。
その図形は、  …こんな表記になる
それをOさんは“かごめ”…篭目かな…そんなふうに言ってらして、アタシとしては最初その言葉にピンとこなかったんだが、それはおいといて、
この三角形のぶっちがいは、その書き方の違いは、男と女の心(靈)の発現と、
心(靈)の動きの違いだってOさんに話をした。
これはKellyには理解出来るんじゃないかな。」
「そやからそれは、
△ と ▽ どっちを先に書くのかって事をローム太霊さんは言うてるやないですか。
男の場合は▽を先に書く。女の場合は△を先に書いて、
 …って書くようにって説明されてる。
そやから今先生は言うたけど、この三角形の書き方を見れば、
男と女の心(靈)の発現と、心(靈)の動きの違いを示している感じでんな。
男の三角形は、まず ▽ を先に書きますやんか。
その後で △ を書きますやんか。
女の場合はその逆に書く…そやからそれは、
時間の進行みたいなもんでんな。先と後なんやから。
そやからそれは、
▽ は向かって左から真横に筆を移動させ、それから、向かって右から左下に降ろし、
それから左上に移行して書き終わる。
ほんでから筆を下に動かすのは低振動化で“思惑の顕現”=現象化なんやろな。
そやからこれは左往右往やな。
認識を獲得したカタチでんな。

ほんでから
△ は、向かって左から右上に筆を移動させ、右下に降ろし、
それから左に移行して書き終わる。
これは右往左往やな。
そやけどこの△は筆が“上”に向かってる。
そやから、行動とか現象化を“上”に向かわせる感じでんな。
霊的成長をして、行動して事象の創造をするみたいな感じやな。

ほんでから ▽ も △ も、
左=日足(ひたり)で終わるのには違いない。
そやからどっちも心(靈)の成長、霊的成長を示してるけど、
その過程…筆の運びが違うって事やな。

ほんでからこれを画像にすると…こんな感じでんな。

▽と△の違い 



そやから ▽ も △ も、
その中に横棒が含まれてるけど、その筆の運びは、
向かって左から右と、右から左の違いがある。(①と、③の違い)
ほんでから“上”に向かうのと“下”に向かう筆の動きの違いがある。
そやからこれは日足(ひたり)から砌(みぎり)=“思惑の顕現”と
砌(みぎり)から日足(ひたり)=現象化した事象から認識を得る。
その違いみたいやな。

そやから男と女の心(靈)の動きは、
男は▽から△を書く。
“上”の思惑を取り込んで、それが下の筆の動きに示され現象化して、
そして△のように心(靈)が“上”に向かう。

女は△から▽を書く。そやから女は後に書く▽が大事で、
これは“思惑の顕現”=現象化を表してて、
そやから男と女は、事象の創造っていう点での男と女の役割に顕れてて、
そやから男は、思想を残す為に自分の精神性を高め、
そして男は女に、
自分の思想を受け継いでる肉体を持った心(靈)を残したいから、子供を産ませる。
その違いがこの▽と△…どちらを先に書くのかの違いで示されてるんやな。
そやから今言うた事を平たく言えば…
男は理想を求め、理想は神聖な事象の創造をする為に求め、
その為に自分のエネルギーを贖い、認識の拡大をする。そやから
“行”中心の生き方をする…自分の目の前の事象に対し自分の在り方を考え、
そして精神性を高め、オーラを大きくし、自分の認識と自分の思想を子孫に託そうとするんやろけど、男は子供が産めんやんか。
そやからそれに対し、女は現実的で、女は男の思想を受け、時間の進行と共に良い世界を創る為に、子供を産む役割を担っている……」
「そうだね。
陰陽、プラスマイナス、太陽と月、男と女、左と右、日足と砌(ひたりとみぎり)
これらはすべての事象に観られる神の極性を示している。それをこのローム太霊が教えた
 の書き方は示しているね。」
「そうでんな。

そやけど先生…遠路はるばる初めて○○○療院にやって来はった人に、
いきなりそんな話をしたんでっか。
(ある意味、迷惑なこっちゃな。)
そやからそれは、Oさんみたいにあちこち色んなところへ行って、そして自分なりに貴い何かを求めてはる。
ほんでから先生と話をした……。
そやから…霊縁って言うのんは、ほんま、人間の立場からでは解らんもんでんな。」
「うん。それはあるね。今後もそんな話をする人がうちにやってくるかもしれないね。」
「それは楽しみでんな。そのうちの誰かはKellyさんとも話が出来るかもしれへんな。」
「そうかもね。まあ今後も“上”が付けてくれる霊縁を期待しよう。」

☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀

…とまあ、こんな話を先生としましてんな。
そやから、今回先生と話したKellyさんの感想は、今、アセンションや“日月神示”や…人の今後を示す何かを利用して、自分の金儲けにしている人はとても多い。
そやからそんな人達は自己奉仕者やから、霊的成長度が低いから、アセンション後の世界の創造を“上”から託されん。
それは、霊的資格が無いって事やし……。
そやからこそ、アセンションが何やろって思うてる人には、是非その事を考えて欲しいもんでんな。

…今回はこれくらいにしときまんねん。



PS. 治療中に話した事柄の公開を許可してくださったOさんに、感謝でんねん。


by J^人^し  【<^>人<^>】 


(パチモン)Kellyさん、○○○大先生とモノホンKellyさんが話した事柄について報告を受け、そのことについて、先生と久々に、ちょっとだけ長話する。 “その一”



「先生、こんにちはでんねん。先生と話をするのはすごい久しぶりでんな」(三月以来)
「そうだね。
まあ、連絡したときに説明したように、この間(前回の記事)モノホンKellyさんと、御嶽山、瀧原宮、伊勢神宮の内宮…その後、モノホンKellyさんが○○市に帰る途中、三ノ宮からの高速バスが好都合なようだったから、そこまでドライブしたんだが…」
「そやからそれは、先生とモノホンKellyさんはたくさんの話が出来たって事なんや」
(それも、五月に先生とモノホンKellyさんが、ばあちゃん所へ行って以来って事なんやな)
「うん。
その話の中で、(パチモン)Kellyにちょっと分かって欲しいこともあったもんで、今日は来てもらった」
「そうなんや。いろんな話をしたんやろけど、先生がわざわざ、(パチモン)Kellyさんと話したいって思うたことがあるんや」
「その通り。
まず話したいのは、こんな話をモノホンKellyさんから聴いた。
それは、かなり前のことらしいが、モノホンKellyさんのおじさんとおばさん夫婦が、旅行に行って交通事故に遭った話。
それはあるとき、おじさんとおばさんは旅行の計画を立てた。そして二人は旅行に行って事故に遭った。
そしておじさんは、その計画を立てた前後かな? その辺はよく聞かなかったのだが、事故に遭う何ヶ月も前から、自分が車の事故に遭う夢を見ていたそうだ」
「それは、“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)からの通信やな。ローム太霊講話集でローム太霊さんが述べてたことでんな」
「そう。
そして、そのおじさんが見た夢の話をおばさんにしたんだが、おばさんは、“そんなこと気にしないで、もう宿の予約を取ったから行こう”って言って、結局二人は旅行に出かけたわけだ。
それで、夢で“上”から教えられていた通り、事故に遭った。
おばさんは車外に投げ出され即死、おじさんは、運転席で足を挟まれて何時間もかけて救出される目に遭った。
それで、アタシがモノホンKellyさんからその話を聴いて感じたのは、今、(パチモン)Kellyが指摘した、ローム太霊講話集のその文章を読むと、霊的成長度の低い人は甘い解釈をしがちで…」
「そうか。先生がモノホンKellyはんに話した内容が、大体、解りましてん。
そやからそれは、ローム太霊さんが“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)から通信を受けることは、ローム太霊講話集の 第八話 死の前後 病死と事故死の場合 で説明してる。
それは、ローム太霊講話集の38ページに、

電車や汽車に轢かれたり撥ねられたりする場合は、恐らく半年前から予告されている筈であるが、本人がそれを知らないのはその背後の霊が強力ではないからであろう。

…って言うてはるやん。

そやけど普通、その文章を読んでも、ただ、そうなんや…としか思わへんやろな。
ほんでから、このローム太霊さんの説明に対して甘い解釈をしたなら、事故や災難から逃れられるって思うやろな。
そやけどそれは、てんで低い解釈でんな。
それは、ちょっと間違えた解釈をしたなら、できるだけ災難に遭わへんように“上”は教えたって解釈をするってことや。
そやけど、自分たちが事故や災難に遭うには必ず理由があって、その理由を知ることも大事。
そやから自分たちの“上”の存在は、自分たちの良いカタチを願うから教えようとしてるし、それは死んでからのことも含んでる。
おじさんが死んでからも、その事故に遭った事と、“上”から通信を受けた意味と意義を考える。
それが必要やから、おじさんの“上”は、おじさんに夢を見させたんや」
「そう」
「そやけど普通、生きてる人間は、生きてる間のことしか念頭にないから=生きてる期間、肉体を持った心(靈)としての時のことしか認識がない。
そやから、この文章を読んだ認識の低い霊的成長度の低い人は、夢を見させることは、“上”が、災難や自己から逃れさせたいからや!…って甘い解釈をする」
「そうだね」
「そやから、こんな夢を見させる“上”の意図って言うのが大事。
それは、大概の人はたくさんの因縁を背負ってて、不幸な事象に遭うことそのものが、恨みの連鎖の霊的干渉によることで、その恨みの連鎖の原因になってる=恨みを買った先祖とかに、その事象を観せんならん。
観させることが必要やからなんや。
そやから、先祖が子孫を観察する…子孫が不幸な目に遭う…それを観た先祖は、自省(胸の磁性“十”)する。
自分がしでかしたことで、子孫が不幸な目に遭うことを知るからや。恨みの連鎖の種をまいた先祖は、それを観んならんやん。
ほんでから、種をまいたから、そのために因縁による不幸な事象は起きるやん。
ほんでからおじさんは、死んでからすぐそのことに気が付かんやろけど、だんだん判って行く。理解して行かんならん。
恨みの連鎖の霊的干渉=因縁としての事故に遭遇する。
それがまた、おじさんの人生の意味と意義の一端でもあることを、おじさん自身が、おじさんの心(靈)が知って認識するって事や。
“上”が不幸な事象が起きることを夢で見させる意図は、そこにありまんな」
「そうだね。
しかし、おじさん自身も、おじさんに恨みの連鎖の霊的干渉を背負わせた先祖も、そのことにすぐ気付くことはないね」
「そうでんな…。
そやから、おじさん自身のことだけ思っても、おじさんの心(靈)がそのことに気付くのは、多分…死んでから自分の“主護霊”と感応共振できるくらいの認識になったときやな。
言い換えれば、おじさんが死んでから、ある程度、霊的成長を果たしてから、“主護霊”はんが、おじさんの目の前に現れるってことや」
「うん」
「そやから、死んで間もないときは、自分に起きた災難が恨みの連鎖の霊的干渉によるものなんて認識は無いやろ。
(そやからこそローム太霊さんは、S会=紫光会のローム霊訓講話で、死のことを、比較的最初に述べたんや)
その認識を獲得するために、あっちの世界(死んでからの場(フィールド))では、いろんなことに遭遇するやろし、それもおじさん本人の霊的成長のために、“上”が意図的に遭遇させることやろし、ほんでから、そのたびごとに“上”は、その人自身の心(靈)に、認識(悟り、幸取=さとり)を得させようとする通信を送るやろ。
それがその死んでしもた人のオーラになっていって、それは“一”=智性=1番目のオーラで、そうなれば始めて“主護霊”はんが登場して、その人が死んでしもた理由を説明する。ほんでから、恨みの連鎖の霊的干渉についても、その人とその人の先祖が背負っていたことについて説明する」
「その通りだね。
そして、もうひとつ大事なのは、“予告されている筈であるが、本人がそれを知らないのはその背後の霊が強力ではない”って指摘されてる所だが、(パチモン)Kellyにはこの言い回しの意味はすぐ理解できるよね」
「そやからそれは、“上”の通信を妨害してる“下”(人の霊的成長を望んでいない存在)の存在がたくさん憑いてたなら、受けられへんって事でんな。
それは先生の“主護霊”はんの言い回しの、“動きが取れない”って事でんな。
(ローム太霊との出会い 146ページ 参照)
たくさんの悪霊が憑いてたなら、“上”は通信を送られへん。簡単なことやおまへんか。
ほんでから不幸な事象を願ってるのが悪霊=“下”の霊的存在なんやからこそ、“上”の通信を妨害する。
目先の楽しさばかりに注目させるとか、この場合は、おばさんが“そんな夢など気にせずに”…なんて言うた。それをおじさんが受け入れる。
因縁を贖う(あがなう)って言う意味合いでは、この事故を受け入れる必然はあったやろけど、因縁を贖わんとアカンからなんやけど…」
「うん。おばさんがおじさんに夢のことを気にしないでっていったことについて、たいして罪はないよ。
ただ、おばさん自身が霊的に低い。それとおじさんも、その夢を見たからっていう理由で、自分の行動を決定できなかっただけだよ」
「そうやな。
そやからそれは、おばさんが、おじさんの見た夢に対し、たいして意味を考えへんかった。
それは、おばさん自身が“上”から通信を受けてないのか、妨害されてたのか…。そやからそれは、旅行に行くって言う目先の楽しさが心(靈)を支配してたからや。
そんなことを本人に思わせるなら、簡単に“上”の通信を妨害させることが出来る。
ほんでから通常、“上”の通信を受けられへんのは、恨みの連鎖の霊的干渉の結果が因縁で、不幸な事象で、その意味まで理解してる“主護霊”はんとかはあんまり居てへん。
それは“主護霊”はん自身が低いからや。
そやから不幸な事象を夢で見させるほどの強力な“主護霊”はんが、仮にその人と一緒でも、その本人の霊的成長度と極端な違いがあったなら、感応共振できへん。そんなふうにはなってまへんな。
そやけどそれも、一般にあんまり認識のないことでんな。それも、前に先生との話でよく出てきた、霊的干渉の変圧の概念でんな」
「そうだね。
今(パチモン)Kellyが言ったことをまとめれば、生きている人に通信を送れるような強力な“主護霊”は、中々居ないってことだし、それは、その人とその人の“主護霊”の霊的成長度はバランスしていなければならないって事でもあるし、ほとんどの人は、霊的成長度が低いからこそ、その人の“主護霊”もあまり高い存在ではない。
また、その人の霊的成長度が低かったなら、“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)との感応共振は許可されない。
その具体例として解りやすいのは、S会=紫光会の主護霊会に出席した人の中でも、“主護霊”が出なかったケースもあった。
アタシ自身、何回も交霊会に出席したが、そんなケースがあったのを覚えている。
要は、霊的成長度の低い人は、T霊媒=竹内満朋の物理霊媒の能力に遭遇する縁があっても、その人の“主護霊”もその人自身も低いから、“主護霊”が言葉を発して指導するって言う許可が出ない。
結果として“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)の指導を直接受ける霊縁が無かったってことになる」
「そうでんな。
そやから、重要なのは、このローム太霊講話集の中でローム太霊さんが言うてるのは、すべての地球人の霊的成長度に当てはまることではない。
そやから同じ意味のことを繰り返せば、“その背後の霊が強力ではない”って言うのんは、その人本人がまだ低かったなら、その人の“上”は、“主護霊”はんは本人に通信を送ってもそれが許可にならへんって事や。
ほんでから“主護霊”はんからの通信や指導が無かったなら、当然のこと何やけど、自分たちは霊的成長して行かんやん。
そやからこそ“下”(人の霊的成長を望んでいない存在)の存在は、“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)の通信を妨害する。
そして恨みの連鎖の霊的干渉による因縁って認識の無い霊は、言い換えれば不幸な事象で死んでしもた人は、恨みの連鎖の霊的干渉に加担していく霊的存在になる。
ほんま、ローム太霊さんのこの話を聴いたならそこまでのことを思わんならんし、思うべきでんな」
「そうだね。
しかし、通常、そこまでのことは思い当たらない。
だから、通常の人=霊的成長度の低い人は、ローム太霊講話集の言葉を自分の商売に引用したり、文章そのものを引用した本を書いたりとか、ローム太霊講話集をぼろぼろになるまで読んで成功者になったって思ってる人もいるようだけど…」
「それは形骸の価値観での成功者でんな。
成功って概念は、物欲と(通貨としての)金と形骸の名誉に起因する発想でんな。そやからそれは、自己奉仕者の発想でしか無いやん。
そやからそれは、ローム太霊さんが人に望んでることでもありまへんな。
ローム太霊さんは、真実=真固止を認識できる人を望んでるんやし、人の霊的成長を望んでるから神への“道”を説いてる。
そやから、形骸の価値観での成功者は、ローム太霊さんが望んでる人では無いやん。
ほんでから大体、あの本は、何回も読まんならんから、ぼろぼろになるのは当然で、先生かて何冊も買いなおしたんでっしゃろ。
ほんでから何十人もの人に読んでもろたんやろし…そんな話を前にしましたやんか」
「そうだったね」
「そやから今の話、ほんまの成功者って言うのんは、霊的成長を果たし、どれくらい神に近づき、神さんに認められる人になったのか…その視点で論じられるべきことでんな」
「その通り、あえて(パチモン)Kellyに言うまでもないことだったね」
「まあエエですわ。何回も確認せんならん重要な事柄やと思いまんがな。
 そやから話を戻して、今話をしてるローム太霊講話集の死の前後を説明してはる中で、第九話には、“憎悪の霊団”って表現も出てくる。
そやけどそれは、いうまでも無く霊的成長の方向性ではないやん。
恨みの連鎖の霊的干渉を引き起こす原因としての霊団でしか無いやん。
そやからローム太霊さんが人に望むこととして、第九話 死の前後 殺人の場合 の文の最後で、次のことを言うたと思いまんねん。

それゆえ、ここで悟らなければならないことは、汝等は常に心の鍛錬をしているが、人間は確固とした信念を持っていて、それが如何に悪口雑言されようとも、少しも傷つけられないという立派な精神になることである。誰に何と言われようと、大木の如くまたは柳の如く、それを正面(まとも)受けることも軽く逸らすことも出来る人間になるのが修行であって、どんなに恨まれ手も決して恨まない心(靈)を造ることが大切である。
         …中略…
汝等は今話したひとつの覚悟(さとり)を常に心に思い浮かべ、主護神、主護霊の導きの下に大きな御光(みひかり)の中の霊団、憎悪でなく燃える太陽のような愛の霊団の一員となり、死に際しては凡てのことを後輩に委ね、自分は幽界から霊界へと神の道一筋に進むように心掛けていればよいのである。


この文の“確固とした信念を持っていて、それが如何に悪口雑言されようとも、少しも傷つけられないという立派な精神になること”…この言い回しは、自分の外側(外国と幽界)の事象の形骸の価値や概念に振り回されてるようではアカンっていうことも感じさせられるし、大体、悪霊がささやくこと、“下”(人の霊的成長を望んでいない存在)の存在の思惑は、目先の欲望で人を堕落させて、その人自身に不幸な死に方をさせて恨みの連鎖の霊的干渉を引き起こす霊団の一員にする。
ローム太霊さんはそのことに対する注意を喚起したから、それが“心の鍛錬”でんな。
そやからこの文は、自分の“道”は、神格化で、それを忘れてはアカンっていうことも感じさせる。
それがまた“ひとつの覚悟(さとり)を常に心に思い浮かべ、主護神、主護霊の導きの下に大きな御光(みひかり)の中の霊団、憎悪でなく燃える太陽のような愛の霊団の一員となり”って言い回しに感じられる。
それは心が“上”に向かっていくことでもあるやん。神格化の道程でもあるやん。
そやからローム太霊講話集の第八~九話は、恨みの連鎖の霊的干渉の結果として事故に遭ったとしても、殺されたとしても、自分たちは“憎悪の霊団”の一員になってはアカン。
不幸な事象には、それなりの理由があり、ほんでからそれは、恨みの連鎖の結果として正当な報酬でもあるやん。
ほんでから生きてる人間は、先祖から受け継いでる恨みの連鎖の結果=因縁を贖わんとアカン。
先祖と子孫、子孫が因縁を贖うことそのものが、恨みの連鎖の種をまいた先祖の霊が、自省(胸の磁性“十”)することになる。
当然、先祖の霊は、子孫が事故に遭うところを観せられるやん。
それが、何回も先生との話しに出てきてた、閻魔の庁の浄玻璃の鏡(えんまのちょうのじょうはりのかがみ)でんな。
そやけど地獄の閻魔の庁の浄玻璃の鏡(えんまのちょうのじょうはりのかがみ)かて、自分の心(靈)の中の事象でんな。
それはそれを観てる本人の心(靈)がそう感じ(感じる磁性)るってことで、それを観て自省(胸の磁性“十”)せんと、先祖もその人も“慈悲”と“慈愛”の心(靈)の発現に至らへんやん。
それがまた、この文の中の自我で認識する場(フィールド)、外側(外国と幽界)の事象から、自己観察、“観自在”“直日”自省(胸の磁性“十”)の“行”をするための、霊界、霊界っていう表現そのものがそれは、自分の内面とか内側(心の中と感じている事)の観察でんな。
それをして行かんならんと、現時点の地球人の霊的成長度から“上”に行かん。
それをローム太霊さんは、今まで生きてきた世界に執着を持たず=執着を持った浮遊霊にならず、あるいは、因縁霊にならず、自分の心(靈)は“上”に向かわんならんからこそ、それが霊的成長であるからこそ、“死に際しては凡てのことを後輩に委ね、自分は幽界から霊界へと神の道一筋に進むように心掛けていればよい”って言うたんやな」
「そうだね。
この文は、自分が感じている認識(悟り、幸取=さとり)のことを言っているね。それは今(パチモン)Kellyが言ったように、

幽界から霊界、
腹から胸、
マニピューラチャクラからアナハタチャクラの覚醒、
自我の確立=固定化から“慈悲”と“慈愛”、

その段階の霊的成長のことを言っているし、その時点々々での認識の違いまでも、感じさせる言い回しだね。
だから自分が感じ(感じる磁性)る事象は、生きていようが死んでいようが、良いことと感じることだろうが、悪いことと感じることだろうが、そこには“上”の意図って言うのはある。
そして、自分が相対してる事象を観察し、感じ(感じる磁性)てから、自分は何を思うのか?どう在るべきなのか?
それが大事だね。
それと、ちょっと繰り返すけど、そのことを考えるのは、生きている間だけではなく、死んでからも永遠に考え続けることを知らなければならないね」
「そやからそれは、先生の人生においての認識(悟り、幸取=さとり)でんな。“すべての事象は自分の在り方を示す”ってことでんな。
そやから事象って言うのんは、嬉しいことや悲しいことや、幸福感を感じることや、不幸って思うこともあるけど、そのときの自分の心は“上”に向かっているのか“下”に向かっているのか?
それを自分で見極めて、自分の今後の在り方を考えるのが智性(神性)で、“一”=智性=1番目のオーラが小さいとそれを考えられへん。
そやからローム太霊講話集 第八~九話の、ローム太霊さんのこの言葉は、そこまでのことまで思い起こさせるやん」
「そうだね。
…まあ、今、(パチモン)Kellyが話したようなことを、モノホンKellyさんに話したつもりなんだが、なにぶん、ドライブ中に発想したことだし、当然、文章にしてないから、モノホンKellyさんにうまく伝わったのかどうか…そのこともあったから、今回(パチモン)Kellyと話すことにしたんだ。
楽屋落ち的言い方だが…」
「まあ、楽屋落ち的言い方はよろしいやおまへんか。
大体、○○○大先生と(パチモン)Kellyさんとの会話は、○○○の心(靈)の中の二面性なんやから。
そのことは、モノホンKellyさんは承知してるし、先生の本の読者や、前のブログから霊縁のある人も承知してることやと思いまんがな。
 ほんでからに、今話してたこと以外のことも、モノホンKellyさんと話したんでっしゃろ」
「うん。それも話したいが、ちょっと一服して、茶を飲んでから話そう」
「それはあんまり話が長くなると、モノホンKellyさんが文章の長さに辟易(へきえき)するからやな。
承知しましてんな。
ほな、(パチモン)Kellyさんが茶をいれさせてもらいまんねん」


Joし _且~~ ソチャハ イカガ?

【〈 ̄ =3 =3  旦フーフー・・・ 【< ̄>日< ̄>】 グビグビ・・・ 

シブーイ!!【<≧~≦>】o旦~~~


J ̄ =3 =3  旦フーフー・・・  J ̄日 ̄し グビグビ・・・ 

シブーイ!! J≧~≦しo旦~~~

☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀

 …茶を飲んでから二人が話したことは、次回のアップロードで。

(パチモン)Kellyさん、○○○大先生とモノホンKellyさんが話した事柄について、報告を受け、そのことについて先生と久々に、ちょっとだけ長話する。 “その二”


 …前回の続きでんねん。



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「さて、もうひとつドライブ中に話したのは、霊的資格ってこと。
モノホンKellyさんとそんな話になったいきさつとして、それは、人がどんな仕事をするのか…職業の選択の話から、そんな話になったのだが」
「モノホンKellyはんはたくさんの仕事を体験してるからやな」
「そう、なんでもないような話から、そんな話になった。
それは今回、モノホンKellyさんが、今まで体験したことの無い職についたから話をしたんだと思う。
(そんな話になったのは、“上”の思惑があって、霊的成長度に於ける仕事の選択ってことを確認するためにだと思えるな)
また、モノホンKellyさんは、今までいろいろ自分の理想を追い求めていたから、たくさんの職についたんだと思われる…憶測だが。
それで、(パチモン)Kellyは理解していると思うけれど、職業は、当然“力”の顕現であること。
それは、簡単に言えば、自分が思った理想を実現することでもある」
「そうでんな。
そやけど、先生が今言うた言い回しの“自分が思った理想を実現すること”…先生にしては珍しい簡潔なものの言い様でんな。
先生が言うたその簡潔な言葉の裏にあることとして、それは、理想を実現するために、そのときの心(靈)の動きや、神のオーラ(普遍的に実在する創造主のオーラ、宇宙背景放射)との相互干渉があるし、ほんでからそれを取り込んだ憑き物の霊的干渉もあって、それそのものが神の“力”や智慧を変圧の過程で人が取り込む仕組みがあるやん。
ほんでからにもうひとつ、霊的資格って言うのんは、チャクラの覚醒の度合い、そしてそれは心(靈)の動きにも関連することや。
そやからそれを今、説明したいんやな」
「うん、それはそうなんだが、そこまでのことをドライブ中にモノホンKellyさんと話したわけではない」
「そうなんや。そやけど、ドライブ中に発想したことがあるから、今、(パチモン)Kellyさんと話をしてるんやな」
「そうだね。
だから、(パチモン)Kellyと前(のブログ)で話したときに“思惑と顕現”=現象化っていうニュアンスで話をした。
それは、“上”の思惑と自分の理想、心(靈)の動きが感応共振して、自分の肉体や心(靈)に、普遍的に実在する創造主のオーラ(宇宙背景放射)=思惑=荷電粒子を取り込む。
その心(靈)が行っていることは、“観察と認識”で、その対象は、外側(外国と幽界)の事象、内面とか内側(心の中と感じている事)に関わらず、すべての事象であること。
そしてそれは心(靈)は霊=○、荷電粒子の場(フィールド)で、観察行為は電磁波の受信であること。
また、自分の心(靈)の動きは、生体内電流に反映し、発振、発信されるオーラになり、
オーラは認識の程度を示すものでもある。
そしてオーラの発振、発信に応じた霊的干渉があり、自分に憑依させる霊、霊的干渉は、自分の心(靈)の動きと自分の心(靈)の姿勢である心(靈)の在り方でもある。
そしてそれが、また“気血栄衛(營)”(取り込んだ振動で心(靈)と体が創り変わる)でもある」
「そうでんな」
「人が持つ理想、“力”を求める動機、その心(靈)の動きについては、人(日止、霊止)は動物と違い、目上(めうえ)の脳が進化した。(大脳新皮質)
だから、人は、筋肉由来による身体能力では動物に劣る部分が多いが、“力”(力、知恵、知識…学問…能力、そして霊能力を含む)の中でも、知恵、知識、学問、そして霊能力、それらを行使することが出来るようになったとも言いうる」
「そうやな。
目上(めうえ)の脳、その進化(霊的成長、神格化に向かうこと)をした人は、“力”を発現したとしても、良いカタチの使い方、言い換えればよいカタチの“創造”をしようとする。
その、よいカタチの“創造”を思うって言う点で、今より霊的進化していけば、誰かが誰かを害する今の地球みたいな場(フィールド)ではなくなる。
そやからそれは、自己奉仕者はいなくなるってことや。
ほんでからにそれは、智性(神性)由来の、目上(めうえ)の脳の行使、その視点、それで自分の獲得した“力”の使い方を思い、行動するようになる。
それがまた、アセンション後の地球やな」
「その通り。こんなことは、あえて(パチモン)Kellyに言うまでも無いことだね。
そしてよいカタチの“創造”、理想を実現すること。
そこには霊的成長度に於ける“上”と“下”があろうが、何かを求めるとか達成したいとか、その動機が、愛(炁)で、アイで、“亜”が出ずる、泉、であることも説明したし、それは日足(ひたり)=思惑から、砌(みぎり)=行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)でもあることも言ったし、そうやって人間は認識を高め、霊的成長することも言ったね」
「そうでんな。
それが“創造”の“主(ヌシ)”を示す、“一”で、“一”を書くとき、向かって左から右に筆を移行する。
それがまた、“思惑と顕現”、あるいは、“思惑の顕現”。
この二つの言葉の言い回しは、“と”“の”の違い、これは格助詞なんやけど、かなりニュアンスが違うやん。
“の”は、最初の言葉、この場合は“思惑”なんやけど、その動作や状態の主体を表したりするけど、“と”は、動作や関係の及ぶ対象を示したりもする。
そやから“思惑と顕現”そして“思惑の顕現”…後者は、そこにどんな心(靈)の動きがあるのか…それを感じさせる言葉やな。
そやから“思惑と顕現”って言い回しのニュアンスは、自分が理想を追い求め、幸福の概念を持ち始め、最初は低い幸福の達成を追い求め、それは進化(霊的成長、神格化に向かうこと)過程が低いと、智性(神性)を持っていないと、低い欲になる。そして“力”を求め、それを現象化させる=この世界に現す…表す…顕す…ほんでからそれは、炁空無光眞奇力存(きくうむこうしんきりきぞん)の奇、奇才の奇(あらわすの意味がある)でもありまんな。
そやからただ単に、“思惑と顕現”って言うたなら、それは、自分の心(靈)が何を求めて、そして求めたものを顕現=現象化させるために頑張って(元の気を張って)時間の進行を感じ(感じる磁性)ながら生きる。その意味の言い回しやな。
そやけど、“思惑の顕現”って言う言い回しのニュアンスは、そこに自分の心(靈)が“どういうつもり”で動いてるのか…その心(靈)の動きは、“善(神格化の方向性と智性の受信)”か“悪(心の動きの本能化と低振動化)”か…そこまでのことまで感じさせるやん。
そやからこの二つの言葉は、自分の理想、幸福の概念、“力”を求めること、“力”を顕現して行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)することで、その意味を含んでいるけど、“思惑と顕現”って言うたならばちょっと繰り返すけどそれは、思ったことを顕現しただけの事を言い表した言い方やな。
ほんでからに“思惑の顕現”は、心(靈)の“上”と“下”、“善(神格化の方向性と智性の受信)”と“悪(心の動きの本能化と低振動化)”、“どういうつもり”…低い欲か、崇高な思いか…いろんなニュアンスを思い起こさせるやん。そこまでのことを、“思惑の顕現”って言い回しには、感じるやんか」
「そうだね。
だからモノホンKellyさんと話したのは、仕事でも何でも、自分が理想を求め、それをカタチにして自分が観察している=自分の心(靈)が感じ(感じる磁性)ている事象に対し、“力”(力、知恵、知識…学問…能力、そして霊能力を含む)を示す。
だから、“力”、それはすべて愛(炁)が動機の“思惑の顕現”でもあるから、それは“術”(“力”の顕現)で、霊的干渉と自分の心(靈)の動きによる行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)でもある。
そしてそれに大事なのは“力(ちから)の根(ね)”=肉体内の鉄分子(“カネ”の言霊)でもある。
自分たちが何か理想を抱き、目標を思い、それを達成しようとする。
そしてそれは、“善(神格化の方向性と智性の受信)”であろうが“悪(心の動きの本能化と低振動化)”であろうが、エネルギーを贖う(あがなう)=生体内電流の強化になる=身体磁場の強化につながり、オーラは大きくなる。
そしてそのオーラの発振、発信に応じた感応共振する霊的存在が“力”の顕現に手を貸す。
だからこそそれは、仕事や行為の“善悪”に関わらず、その“術”(“力”の顕現)を行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)に現す資格って言うのは、霊的成長度に応じた資格でもある。
ちょっと話がそれるが、一般に今言った認識が無いからこそ、仙人って聞けば、甘い(亜、魔、出ずる、泉)発想で、何か特別な術を使えるのではないのかって思う。でもそれは間違った認識とも言え、幼稚なものの見方でもある」
「そうやな。それは天の僥倖、棚から牡丹餅、のびた君がドラえもんに何かを頼む心理みたいなもんでんな。ただ単に甘い夢を見たいだけでんな」
「うん。大多数の地球人の認識って言うのはそんなところだろう。価値のある貴いものは自分で獲得しなければならないなんて“(“慈悲”と“慈愛”由来の)厳しさ”を感じないだけだ」
「そうやな」
「その点でも、ローム太霊が御天筆でアタシに教えた力と“術”(“力”の顕現)の意味合い、それを、亻(にんべん)と、山=脳で示した。
(神格化のプロセス 目上(めうえ)と目下(めした) 霊的干渉 目上(めうえ)と目下(めした)“その六” 参照)(もうすぐ発売です)
だから、すべての“力”(力、知恵、知識…学問…能力、そして霊能力を含む)の顕現は、“術”と称するべきだ。
そして“力”の顕現には、資格が要る」
「それは、自分が求める理想に対し、どれくらい“行”したか=どれくらいエネルギーを贖ったか=どれくらい生体内電流の強化をしたのか。それによる霊的干渉、エネルギーを贖う(あがなう)からそれを見ている霊的存在は、憑依現象や通信を送ったりして“力”を貸したり、あるいは、何かを発想させることをする。それが身体能力やったり、発明発見やったりもする。
地球人はそうやって進化してきたやん。
そやけど今、“力”の使い方を間違えてる。
ほんでから、間違えてることに気が付かん。
そやから“力”を示すために経済が発展したり、経済を潤すために戦争をしたり、その結果は恨みの連鎖の霊的干渉の拡大…増大…今おかしな事件が多いのは、恨みの連鎖の霊的干渉の結果としか思えへん。
そしてこの星はどんどんおかしくなっていく。そやけど大半の霊能力者は、それを指摘する視点を持ってない。霊能力の使い方を間違えてるからや。
こんなことを指摘して言ったならキリが無いんやけど、解らへん人が多すぎるからアセンション後に移行できる資格のある人は少ない。
それも霊的資格ってことで、(パチモン)Kellyさんがこのブログで何回も言うてきたことなんやけど、理解できん人があまりにも多すぎるやん。
大半の人が霊的成長度が低く=“一”=智性=1番目のオーラが小さいから、認識(悟り、幸取=さとり)できへんのや」
「そうだね。今(パチモン)Kellyが言ったのは、“力”の使い方は智性(神性)によるものでなければならない。それが良い世界の“創造”の法則性でもあるってことで、このことは何回も話をしたんだけれど、その霊的成長度、チャクラの覚醒度合い、“一”=智性=1番目のオーラと、肉体を示す“土”=2~3番目のオーラ、このブログで(パチモン)Kellyが使ってる表記なら“一二三(ひふみ)”のオーラ、その大きさ。それと、心(靈)の動きとしての“ひふみゆらゆら”=“一”“二”“三”のオーラ、それぞれの左右の磁性の右往左往と左往右往。
それと“上”の思惑の相互干渉と霊的干渉。そして個人々々の霊的成長度。
これらは、画像にしたら理解しやすいのではないのかって、今回のドライブ中に発想したんだ。
またこの画像は、霊的成長度と、どんな仕事、言い換えればどんな“術”(“力”の顕現)を顕すのか、“どういうつもり”(心(靈)の動き)で顕すのか?
それについてと、霊的成長度=霊的資格を理解するのに、ちょうど良いのではないのかって思ったわけだ」

“一二三”のオーラと、肉体の器官による水平磁場 

水平磁場 身体内の七つのチャクラ 構成器官  




“一二三”のオーラと心(靈)の発現 

1番目、2番目、3番目のオーラのオーラを“上”から観る 








「これは…いろんなことを感じさせる画像でんな」
「うん。
それで、この画像を中心に、“術”(“力”の顕現)や仕事、憑依現象を分析すると非常に解り易い。
言い換えれば、仕事の選択と、霊的資格=霊的成長度に於ける“術”(“力”の顕現)の発現、それと、霊能力の発現もこの画像を使いながら解釈していくと、とても解りやすいと思う。
それを(パチモン)Kellyと考えようと思ったんだが…ちょっと長い話をしたから、お腹がすいたね。(パチモン)Kellyはお腹はすいてないかい?」
「すいてまんがな」
「話は一服して、野菜たっぷりにゅう麺でも作ろうか。
実は、今年のうちのベランダは、青唐辛子が豊作だった。青唐辛子の収穫は暑いときが中心なんだけど、今でも収穫できているくらいだね。
それで、青唐辛子の味噌漬けや、醤油漬けを作ったんだ。
余談だが、今回、モノホンKellyさんがうちで合宿したときに、冷奴を青唐辛子の味噌漬けで食べてもらい、大絶賛だった。
話を戻し、その青唐辛子醤油漬けを、にゅう麺に使うと実にうまい。ちょっと辛くてマニアックな味になるけどね。
アタシがそれを作るから、(パチモン)Kellyに食べてもらって、そのあとで、今回発想した画像でいろいろな分析をしよう」
「それは楽しみでんな。ご馳走になりまんねん」

 

にゅう麺でっせ~ 


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 …にゅう麺を食べたあとに話した内容は、次回のアップロードで。

 

 

(パチモン)Kellyさん、○○○大先生とモノホンKellyさんが話した事柄について、報告を受け、そのことについて先生と久々に、ちょっとだけ長話する。 “その三”


…また、前回の続きでんねん。



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「さてね、(前回紹介した)画像を観て、(パチモン)Kellyが感じたのは、どんなことかな?」
「まず、動物と人(日止、霊止)、進化した人(日止、霊止)の心(靈)の構成って言うのんか、心(靈)の成り立ちって言うのんか、先生は前のブログでいろんな言い回しをしましたやんか。
そやからそれは、この画像を見るとすぐ分かるやん。

“一二三”のオーラと心(靈)の発現 



これは平均的地求人のオーラの構成でんな。智性(神性)のオーラ、“一”=1番目のオーラが小さい。
そやから平均的地球人の心(靈)の動きは、自我から“下”の心(靈)の動きが中心やってすぐ分かる。
その心(靈)の動きでの、(前回のアップロードで言うた)“思惑と顕現”そして“思惑の顕現”、これは一言で言うたなら“どういうつもり”で行動するのかってことや。
そこに自分たちはどんな心(靈)の動きを見出せるのか、言い換えれば、行動の動機って言うのんはすべて愛(炁)が動機なんやけど、その愛(炁)の顕現が高いか低いか判断することができるやん。 
そやから、人の行動って言うのんを観れば、言い換えれば人の心(靈)が顕す行動は、自己奉仕者と奉仕者って違いになる。
そやから自我の確立=固定化の段階、自我中心の心(靈)の動きの人の愛(炁)の顕現って言うのんは低い。
そやけど、人は、進化して神さんに近くなっていくと、愛(炁)の顕現の程度が高くなり、思想にも行動にもそれが顕れるようになる。
…こんなことはいまさら先生と話すようなことでは無いんやけど」
「そうだね」
「ほんでからあえて言うとけば、自己奉仕者の世界は、欺くとか騙すとか嘘をつくとか奪うとかをして、ほんでから奪い合いが続けば、最後には殺しあいになる。
そやからそれは、如何に大義名分を振りかざしてても結局は人殺しをして自国の経済を潤してるどっかの国は、その解りやすい一例や。正義って言葉を、自分たちに都合よく、うまいこと使ってるだけや。
そやけど自己奉仕者の低い心(靈)の動き、それも霊的進化に必要で、醜い行動であろうが、美しいと思われる行動であろうが、要するに“上”の心(靈)の顕現なのか、“下”(低い心(靈))の心(靈)の顕現なのかなんやけど、そのどちらもエネルギーを贖うことには違いない。
そやから進化って言うのんは、やってることの“善悪”(神格化と、動物化=心の本能化)とか、美しいと感じられる行動か、醜いと感じられる行動か、その“上”と“下”の程度に関わらず、すべての生命(生きる使命=存在理由)は、進化してるってことでしかない。
ほんでから先生は、前のブログで、ミミズ、ヒル、ゴカイ君を引き合いに出して、進化や霊的成長度の違いを説明した。
また、霊的成長度は進化過程で、その過程に於ける肉体の違いも説明したやん。 
それは、ミミズ、ヒル、ゴカイ君は、目ん玉が無い。脳が無い。心臓も血管が発達した程度のものしか発現していない。
それは言い換えれば、心(靈)の発現も、とても低いってことや。それは、肉体が持ってる磁性も小さいからや。
ほんでからその磁性を構成する肉体の器官も、進化過程として低いからや。
それをチャクラで言い表せば、ムラダーラチャクラの幼稚なもんみたいなもんでんな。一番最初の心(靈)の発現とも言える本能すら、とても低いってことや」
「そうだね」
「ほんでから、ミミズ、ヒル、ゴカイ君は美しいと感じられる生命ではない。
そやけどその見方は、私たち人間の見方でしかなく、その下等な生命かて進化過程には違いない。ただ低いだけや」
「そうだね。アタシたちの進化程度が、進化程度の低いミミズ、ヒル、ゴカイ君を醜いと感じ(感じる磁性)る。それも自分たちの心(靈)による、事象の観察の結果だね」
「ちょっと話がそれてしもてるけど、今の話、人は、下等生物を見て“美”と“醜”、“上”と“下”を見出せる。
ほんでから人は、他者の行動や自分の行動に対し、“善悪”(神格化と、動物化=心の本能化)を見出せる。 
それは、人(地球人)が、わずかに獲得した智性(神性)で判断してるってことや。
そやからさっきの話、霊的進化程度の低い人は、自己奉仕者の行動をとり、それは智性(神性)をあんまり持ってないから、この画像のようなオーラの構成になる」

1番目、2番目、3番目のオーラのオーラを“上”から観る 


「そやからそれは、“上”から注がれる振動を、肉体の磁性で取り込んでるのが進化過程でもあるけれど、この画像を見てすぐ判るように、平均的地球人は、低い部分が中心の感応共振しかしていない。
言い換えれば、平均的地球人は、普遍的に実在する創造主のオーラ(宇宙背景放射)の低い部分との感応共振で心(靈)が構成されているのがすぐ判るやん。
ほんでから低い部分の感応共振、それは霊的干渉にも言えることや。
同じような心(靈)の発現と、同じような心(靈)の動きの霊としか感応共振しないし、それは、アミの本で使われた表現“変圧”でもある。
いきなり高い霊的存在は平均的地球人と感応共振しないことも、この画像ですぐ理解できる。
そやから(パチモン)Kellyさん的にさっきの画像を補足したなら、こんな感じになりまんな」

 

平均的地球人と“上”との感応共振 



「それに対し、霊的成長を果たした人、霊的に進化した“日止、霊止”、今後=アセンション後の地球人は、“王”って言う字が示すように、1番目、2番目、3番目のオーラのオーラの大きさのバランスが、現時点での平均的地球人とは違ってくる。
それは、胸の磁性“十”と頭の磁性によることや。
胸の磁性“十”は、“日月神示”表記の“江戸と尾張”腹の水=“江戸と尾張”の“江”…自我の確立=固定化の段階、そして腹の位相のサイクロトロンから、シンクロトロンに移行して、“慈悲”と“慈愛”って心(靈)の発現をするようになる。
それがほんまのアナハタチャクラの覚醒やな。
そして“慈悲”と“慈愛”の心(靈)を発現した人は、事象を観察する視点も違ってくる。
ほんでからにそれは、自分の心(靈)の動きを観るにあたっても、“(“慈悲”と“慈愛”由来の)厳しさ”由来の観方をする。そやからこそ自分の“力”(力、知恵、知識…学問…能力、そして霊能力を含む)の顕現の在り方を考える。
そやからそれは、一言で言えば自己奉仕者ではなくなる。
それは自分の“力”をどう扱うのか考えて思うってことなんやけど、その、考えて思うことは、日足(ひたり)のエネルギーラインでもあるんやけど、それは結果として、大脳新皮質、目上(めうえ)の脳の進化になっていく。
そやから要は、智性(神性)の発現とその心(靈)の動きは、頭の磁性、目上(めうえ)の脳の進化につながっていく。
そしたら、“上”から注がれてる荷電粒子との感応共振も、違ってくる。
そしてそれはオーラにも反映する。そやからそれは、こんな感じになりまんな」

アセンション後の“創造”を神から託される人のオーラの構成 




そやからそれは、智性(神性)の発現で、その霊的成長度の人の行動も、当然、智性(神性)が顕現したものになる。
そうなれば、自分が獲得した“力”の使い方っていうのんは、自己奉仕者のような低い使い方はせんようになる。
すべてが良いカタチになるように“力”の使い方を考えて思い(日足(ひたり))、それを行動に活かすようになる。(左往右往)
すべてが良いカタチになるって言うのんは、それそのものが“創造”の“主(ヌシ)”、神さんの思惑やろし、“日月神示”の表記なら“うれしうれし”“大歓喜”やろし、それがこれからの地球人が進んでいくべき進化過程やな」
「そうだね」
「ほんでからそれは、現状の進化過程の地球人=比較的動物的な人から、神さんに近づいていく人への霊的成長の過程や。
そやから、動物から人、その違いって言うのも行動に顕れるやん。
そやから、行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)を起こすのは、さっきも言うたとおり、愛(炁)の顕現に於いての、その動機とも言いうる心(靈)の動きの“上”と“下”がある。
心(靈)の動き、それは肉体で言えば、目上(めうえ)と目下(めした)=大脳新皮質と大脳旧皮質と古皮質。
智性(神性)と、智性(神性)以下の振動、それは“下”(低い心(靈))から、本能、情動、功名心、自我、愛(炁)、創造、知恵(知識)って言ってもエエな。
ほんでから人と動物の相違点、動物より霊的に進化した人間は、智性(神性)を持って智性(神性)以下の心(靈)の動きを制御できる。 
ほんでから人間は、自分たちの心(靈)の動きも観察できる。
そして、人は、自分たちの心(靈)ってもんを、事象を観察して認識する道具としての言葉で、認識をし始めたとも言いうるけど、言葉の意味をよく理解していない人も多い。さっき言うた、大義名分で人殺ししてるどっかの大国なんてのもその一例や。
そやけど、事象を観察して認識するための道具としての言葉、これは先生の言い回しやったやん。
そやから人は、自分たちの心(靈)の動きを言葉で分類してる。当然これは、動物には出来ないことでもあるやん。
ほんでからもうひとつ、私たち人は行動や心(靈)の動きに“善悪”(神格化と、動物化=心の本能化)を見出せるようになった。
これも、動物には出来へんことや。
そやから“一”=智性=1番目のオーラがあるって言うのんは、自分の心(靈)の動きを言葉で認識できる。そして自己観察できる。自分の心(靈)の動きに“上”と“下”を見出せる。本能由来の行動か、智性(神性)由来の行動か。その違いを知るのは、智性(神性)でしかない」
「そうだね。
だから、言葉を使いこなすのは、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)過程としての必須条件でもあるね。
しかし、そのことすら平均的地球人には、あまりしっかしした認識が無いね」
「そうでんな。
そやから現時点の平均的地球人の認識って言うのんは、言葉を知ってるだけでしか無いみたいなもんでんな。
 ほんでから、今後の世界は、霊的進化した人の世界になる。それは、言葉に対しての認識も変わってくるやろし、そやから“誠”って言う言霊は、言葉成る、意味は、自分が発振、発信した振動(言葉)が完成するってことになるんやろ」
「そうだね」
「そやから、前のブログで使った、真実=真固止、ほんでから“日月神示”表記の、○ 九 十(まこと)、ほんでからに今言うた、誠。
すべて霊的成長に伴う表記でんな。
ほんでからそれは、自分たちの心(靈)に真実=真固止って認識ができたっていう霊的成長過程でもあるんやな」
「その通りだね。
だから、平均的地球人って言うのは、真実って言葉を知っていても、それを体現していない。それは言葉だけを知っているだけとも言い得るし、体現できない=行動に顕せないのは、真実を認識した霊的成長度では無いとも言いうる」
「真実って言う言葉だけしか知らん。真実を行動に移さへん。そやから霊的成長のための宗教とかヨガとか、価値のあるものは形骸になって商売に利用されたり、自己奉仕者の道具に成り下がってしもてる。
低い霊的成長度の人たちの欲望の実現のための道具に使われてしもてるってことや。
そやけど、今後=アセンション後は、そんな霊的成長度の人は存在を許されへん。
それがアセンションの真の意味と意義で、そやからこそ、アセンション後の事象は、真実=真固止の世界になる。そういう言い方も出来まんな」
「そうだね」
「ほんでからアセンションは神さんの計画で、時間の進行=進化を認識している生命である私たち人が、心(靈)で感じてる、神さんのプログラムでもある」
「そうだね。
霊的成長って言うのは、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)のプログラムでもあることすら認識が無いから、アセンションを間違えた解釈をするんだろう」
「そうやな。
そやけど、今言うてたのは、人間と動物の進化(霊的成長、神格化に向かうこと)程度の違いやった。いつの間にかアセンションの認識に対する話になってしもてる」
「いいんじゃないかな。アセンションに対する認識の違いも、霊的成長度によるんだから」
「そうでんな。
…話を戻して、人と動物の違いを観れば、これは当たり前のことでもあるけど、当然、動物にはアセンションなんて認識は無い。
それ以前に、動物には進化の認識が無い。
それ以前に進化(霊的成長、神格化に向かうこと)とか認識(悟り、幸取=さとり)とかの言葉を持ってへんやん。ワンワンニャ~ニャ~ブ~ブ~モ~モ~コケコッコ~なんやから。
ほんでから今言うてた霊的成長度の低い人のアセンションって言うのんは、それを知ってる人間でも、その認識はずいぶん違うもんになってる。アセンションって言葉と、アセンションの情報しか知らんからや。
それは、甘い夢ばかり見たい霊的進化過程の人が多いからや。
その進化過程は自我の確立=固定化の段階の進化過程で、また“一”=智性=1番目のオーラが小さい霊的成長度の人や。そやからその人たちはアセンションの真実を認識出来んやん。
何回も考えたことやけど、今後=アセンション後は、霊的進化をある程度果たした人の世界で、それは智性(神性)と“慈悲”と“慈愛”由来の心(靈)の動きってもんがないとアカン。
ほんでからそこには、自分が獲得した“力”(力、知恵、知識…学問…能力、そして霊能力を含む)をどう扱っていくのか?
その違いが出てくると思われるやん。
そやからそれは、今までの地球上の“力”(力、知恵、知識…学問…能力、そして霊能力を含む)の使い方って言うのんは、霊的成長度が低い人がほとんどの世界やから、個人の欲望、あるいはその人の狭い範囲での欲望の達成が目的で“力”(力、知恵、知識…学問…能力、そして霊能力を含む)を使う。
そやからそれは、“上”から受信した“力”ってもんを、自分だけ、あるいは自分たちだけのものやと思い込む。
それが自我の確立=固定化の進化過程。
ほんでからそれは、土=2~3番目のオーラの進化過程でもあるやん。“一”=智性=1番目のオーラを持ってない動物に近い進化過程=霊的成長の過程でもありまんな。
そやけど今後=アセンション後は、自分たちがエネルギーを贖って(あがなって)手に入れた“力”の使い方、顕現の仕方は、今とは変わってくる。
それは地球人の“一”=智性=1番目のオーラが、平均的に今より大きくなってくる。
その違い、“一”=智性=1番目のオーラが小さい人の行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)って言うのんは、自己奉仕者になるし、当然智性(神性)が無いんやから、“慈悲”と“慈愛”なんて心の発現は無い。
そやからそれは智性(神性)を発現した人から見たならば、自我の確立=固定化の心(靈)の進化過程の人は、動物的に観える。
今(パチモン)Kellyさんが言うたことは、今までの“日月神示”の解釈に何回も出てきてることやし、そやからこそ“日月神示”って言うのんは、“ひつく”=太陽凝視を“行”として行うことで、智性(神性)のオーラ、“一”=智性=1番目のオーラを大きくする方法でもあると思えるやん」
「そうだね。
だから“日月神示”って言うのは、霊的進化とアセンションのことを説いているね。でも大概の人は、それに気がつかない」
「それは今、(パチモン)Kellyさんが言うたみたいに、平均的地球人の霊的成長の過程は、“上”との感応共振をしていない。
そやから“日月神示”を利用して本を書いたりしてる人は多いけど、大体、現状を批判してるとか、おんなじ様なことしか言うてないでんな。
そやから“日月神示”の言葉の一つ一つに霊的成長の秘密を読み取ることが出来てない。それは、如何に低い心(靈)で“日月神示”を見てるのかって事でもあるんやけど、今話してるのはそんな話や無かったでんな。
またまた話を戻し、自我の確立=固定化の段階の進化過程での霊的干渉の一例といえるのは、物理霊媒や自動書記、ひどい場合は低い霊的存在に取り憑かれておかしくなるケースもある。
そやけどT霊媒=竹内満朋はんや、岡本天明はんみたいに、霊的に高い存在の思惑があって、人の霊的成長のために何かを教えるのは、“上”からの“命”があって起きてる霊的干渉で、それによる現象はちょっと違う例や。
そやけど一般に多い憑依現象や、“力”(力、知恵、知識…学問…能力、そして霊能力を含む)を顕すための霊的干渉って言うのんは、自分の心(靈)の動きに感応共振してくる憑依霊が多いやろし、また因縁霊の思惑かてあるやん。
それは、智性(神性)との感応共振ではないからや。
自分の心(靈)が自我中心やから、感応共振する霊的存在も、自我の確立=固定化の段階の進化過程の霊的存在と、感応共振する。
そやからそれは、自我の進化過程の人、対、自我の発現の進化過程で死んだ霊的存在の感応共振って言うのんは、自我までの心(靈)の動きしか顕すことができないみたいなもんや。
またそれが、近い進化過程の霊的干渉で、極端な“変圧”(アミの本で使われた概念。高い振動の霊的存在はいきなり低い心(靈)とは、感応共振しない)の無い、自然な霊的干渉でもありまんな」
「そうだね」
「ほんでから、現状の霊的干渉に対して、今後=アセンション後の場(フィールド)は、“一”=智性=1番目のオーラが大きい人で構成されるから、霊的干渉かて“日月神示”の表記のように天意を受けるとか、“天詞様”とか、要は、“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)の思惑を自分の思想にして行動する“日止、霊止”ばかりになるってことで、とうぜんそれは、“力”(力、知恵、知識…学問…能力、そして霊能力を含む)の顕現にも反映する。
そやから“力”の顕現は、“術”ってことで、“力”を良い“創造”のために顕すのは、“上”との感応共振が必須やし、“上”と感応共振するには、“一”=智性=1番目のオーラが大きくなければならないやんか。
そやから“一”=智性=1番目のオーラの大きい人は、仕事とか霊能力、それを真実と認識して、価値のあるものを貴く扱い、価値のあるように顕現する。
言い換えれば、貴いものは貴い。神聖なものは神聖に扱う。
そうやって使わんならん。
それをまたまた言い換えれば、ほんまに価値のある“力”の顕現をしようとする。そやから、霊的進化した人(日止、霊止)の場(フィールド)である今後=アセンション後の地球は、そうなると確信できまんな。
それに対し、霊的進化程度の低い自己奉仕者は、貴い神聖なものを利用して商売にして自分の低い欲望の達成のために利用してる。
そやからそれは、平均的地球人のオーラの構成を観ればすぐ判るやん。
智性(神性)があんまり無くって、腹の心(靈)の発現の、自我中心なんやから。
…そやけど、霊的資格ってことを考えてると、知らんうちにこんな話になりまんな」
「(パチモン)Kellyに言うまでもないことだけど、霊的資格は、霊的成長度による“力”の顕現でもある。
同時にそれは、“思惑の顕現”でもある。
だから、仕事でも憑依現象でも同様の法則性があるから、(パチモン)Kellyはそれを自分の心(靈)にしっかり認識してるから、今、話してたみたいな言い回しになるんだろう」
「そうやろな」
「今話してたのは、“術”(“力”の顕現)とか、“力”(力、知恵、知識…学問…能力、そして霊能力を含む)を表すための行為としての仕事とか、憑依現象の具体的な分析には、欠かせないことだ。
だから、今、(パチモン)Kellyが話したことは、分析をする上で大事な認識ってことだ」
「そうかもしれへん。そやけど…具体的な話になってまへんな」
「うん、今の、霊的干渉と、“術”(“力”の顕現)としての仕事、この話は具体例を挙げて話すと理解しやすい。
その話を(パチモン)Kellyとしようと思っていたんだが、その前に、大事な認識を(パチモン)Kellyは、語ってくれたわけだ。
 …で、これから具体例を挙げて二人で分析しようと思うんだが、部屋にこもりきりで長い話をして酸欠になっているから、少し散歩しようか」
「そうやな。それも大事なことでんな。
頭が酸欠やったなら、目上(めうえ)の脳がしっかり働けへんやろし。
ほな、出かけようやおまへんか」



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…○○○大先生と(パチモン)Kellyさん、近所の公園まで散歩中…



「先生、あそこに退屈そうにしてる犬が居てまっせ!!」
「ほんとだね。それじゃ、あの犬をちょっとだけちょ~らかすことにしようか」
「オッ○ー牧場でんがな」

(“ちょーらかす”は、名古屋弁でからかうの意)

○○○大先生と(パチモン)Kelly 散歩中に犬発見!親愛の情を示す行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)をとる。  




この画像の意味が解らへん方は、以下の記事をご覧くださいでんねん。

Kellyさん、チョ~ベッピンはんのA野さんに、真実=真固止の“美”…その認識(悟り、幸取=さとり)を獲得し、本当のチョ~ベッピンはんを目指して欲しい…って、真剣に話をする。

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…散歩した後で話したことは、次回のアップロードで。

(パチモン)Kellyさん、○○○大先生とモノホンKellyさんが話した事柄について、報告を受け、そのことについて先生と久々に、ちょっとだけ長話する。 “その四”


…またまた、前回の続きでんねん。



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「それじゃ、“術”(“力”の顕現)と仕事、霊能力の発現とその行使について話そうか」
「オッ○―牧場でんがな。
 そやけど今言うた先生の言い回しは、それはその二つともが自分のエネルギーをどう贖う(あがなう)のか、“どういうつもり”で頑張って(元の気を張って)エネルギーを贖う(あがなう)のか。
言い換えればどんな発振、発信をするのか。何を求めてるのか。その裏には、自分たちの良いカタチを求める幸福の概念がある。
そやけど程度の低い幸福の概念による“思惑の顕現”=現象化は、自己奉仕者の行いになる。
そやからそれは、自己奉仕者から奉仕者。複雑な言い回しをすれば“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”から(アセンション後に位置して行く今より霊的進化を果たした)奉仕者。
それが霊的成長なんやって認識(悟り、幸取=さとり)が、一般にありまへんな」
「まったくそうだね。
だから、“術”(“力”の顕現)の行使と“思惑の顕現”=現象化は、形骸の価値観由来の発想をする人が圧倒的多数で、成功者とか、実力者とか、それらの言葉を使う人は、(通貨としての)金を獲得することが第一みたいなもんだし、もうひとつ、形骸の権力と地位=サル山のボス猿程度の低い功名心と自尊心を満たすのが目的の霊的成長度でもある」
「てんで低いでんな。そやけどこの事象は、現時点、それが当たり前でもあるやん。そやから、そんな霊的成長度の人が活躍してるこの世界は、このままでは崩壊する。
それを、そのことを、地球人より“上”の存在は教えてるんやけど、言い換えれば、地球人の平均的霊的成長度の低さのことを指摘してるんやけど、低い霊的成長度の人は、ただ、情報しか認識出来なくって、自分たちの霊的成長度の低さを省みることをしないやん。
ほんでからアホくさいのは、情報を利用して商売してるやんか。
最近のコピーとして“宇宙と一つになる秘訣とか、精神世界や心の世界の力を使いこなし あなたの生活を豊かにする3つのコツとか、201○年に加速する引き寄せ、アメリカで一部の人だけが知っている 本当の秘密を期間限定で無料公開”…まったくアホやんけ。
ほんでからこの世界は、霊的成長度の低い人が圧倒的多数やから、情報を大騒ぎしてるだけで、最近公開された映画、20○2年なんか、その手のたぐいのひどいもんやな」
「そうだね。
大概の人は、他者への奉仕なんてことを真剣に考えていない。また、“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)の存在が伝えた情報について自分たちがどう在るべきなのか考えもしない…言葉だけをもてあそんでいるだけに等しいね。
だから、今、(パチモン)Kellyが言ったとおり、アセンション後の事象に位置できる霊的成長度の人は、奉仕が当たり前になるのは当然。前のブログでよく引用した、ブーメランの法則、与えれば返ってくることは当たり前の認識になる。
そしてそこには、形骸の権力とか地位とか、(通貨としての)金は無くなる。
このことを理解できないことそのものが、霊的成長度の低さを示すものなのだけれども、それすら(アセンションの情報をもてあそんでいる人たちは)判らないのだろうね」
「そうやな。
そやから今先生が言うたんは、それは、智性(神性)由来のものの観方をしていない。そやけどそれは仕方おまへんな。心(靈)に“一”=智性=1番目のオーラ、言い換えれば智性(神性)の発現をしていない。その観方=その認識(悟り、幸取=さとり)しか、出来ないんやから。
そやからそれは、“上”の高い振動の受信によって構成されるべき“一”=智性=1番目のオーラをもってない。以下の画像のような人が平均的地球人の霊的成長度でもあるからや。

 

“一二三”のオーラと心(靈)の発現 1番目、2番目、3番目のオーラのオーラを“上”から観る




それに対し、今後=アセンション後に位置できる霊的成長度の人のオーラの構成は、以下の画像のようになるし、そうならなければならないのが、人って表記から、“上”の振動を止める意味での表記の“日止、霊止”への“道”でもありまんな。

 

アセンション後の“創造”を神から託される人のオーラの構成 

 



ほんでからにこの画像が示すのは、神格化へのプロセスでもあるやん。現時点での目下(めした)中心の心(靈)の動きから、目上(めうえ)中心の心(靈)の動きになっていくことも示してる。
そやから人は進化(霊的成長、神格化に向かうこと)して行って、だんだん智性=神性が豊かになる。そやから、智性(神性)由来の“力”の使い方は、自分が感じ(感じる磁性)得るすべての事象のよいカタチを願い、そのために“力”(力、知恵、知識…学問…能力、そして霊能力を含む)を行使する。そして“日止、霊止”はそのために頑張る(元の気を張る)。
そやからそれは、“力”(力、知恵、知識…学問…能力、そして霊能力を含む)って言うのんは、何のためにあるのかってことを考えれば解りやすい。
そやからそれは“力”を事象に、現津(あきつ)、観察され得る事象に顕現するのは、間違いなく“上”からの贈り物でしかない。
そやけど、“力”の獲得をするのは、言い換えれば“上”との感応共振と、霊的干渉による“思惑の顕現”=現象化は、自分の心(靈)の動きによるものであり、自分の心(靈)の動きには“上”と“下”があるってことを知る…それがまた、アセンション後の“創造”を託されるべき霊的資格としての必須条件でもありまんな。
ほんでからにそれは、例えば、陰徳とか、人知れず努力したとか、形骸の権力や金を目的にしないで頑張った人(日止、霊止)、そういう人に“上”は教えようとする。
そして、“上”は導く。
そやけどその“上”の導きは、“力”の顕現が目的では無く、智性(神性)、“一”=智性=1番目のオーラの獲得が目的やから、右往左往=やってみてから失敗を体験し、左往右往=失敗を体験し、それを教訓として“力”の顕現(砌(みぎり)の行)をする。
そやから少し高い視点でものを観るとするならば、ほんまの成功者とか実力者って言うのんは、“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)が認めるべきものや。
智性(神性)由来の“力”の顕現をする人や。
そういう人を“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)は望んでるし、そのために“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)は人にいろんな体験をさせる。
そしてそれは、いつも人を見守っている“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)の存在としての、天の御目(あめのおめ)の意味のひとつでもあるやん」
「まったくそうだね。
それは、以前(前のブログ)で紹介した、S会=紫光会の経文、四空經録にも、“世為人為 陰徳普及”って表記がある。
人(日止、霊止)は、そう在らねば(あらねば)ならない」
「そうでんな。
そういう心(靈)の在り方の人をローム太霊さんをはじめとした、S会=紫光会の霊団の“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)の存在は、求めてはって期待してるんやろな」
「そう思う。
だからこのことは、現時点の地球人が、自分たちの指標にするべきの心(靈)の在り方で、それは、アセンション後に位置できる人の、一番大事な霊的資格を示している情報だと思えるね」
「そうやな。
そやから、現時点での“力”の顕現と行使は、さっき指摘した通り、自己奉仕者由来の発想の、たった一人、あるいは少数のための“力”でしかないことが多い。
そやけど、そんな“力”の使い方ってもんを“上”は教えてないと思えるやん」
「そうだね」
「そやから、“力”ってもんを、自分の心(靈)が見たならば、どう扱うべきか考える。
ほんでから“力”の使い方、扱い方を間違える…それは低い心(靈)の動きで“力”(力、知恵、知識…学問…能力、そして霊能力を含む)を使う。そうすると最初は上手く行ってても“神の咎め”があって失敗して教訓を得る。それがあって初めて“力”の使い方と自分の心(靈)の在り方を思う。
それが“観自在”の意味の一つでもあるやん。
そやけど、大概の仏教関係者は、“観自在”の意味を見出せん。観自在菩薩って呼ばれてる菩薩が居てるって思うてる坊さんが大半や。
いかに今の坊さんは、経文の言葉から、真実=真固止を見出せん霊的成長度なのか…そんなことまで感じさせることやな」
「そうだね」
「ほんでから、見せ掛けの言葉を多用して、人の甘い(亜、魔、出ずる、泉)心(靈)の隙をつく、感謝して生きましょう、生かされていることに感謝しましょうとか、そんな言葉で信者集めをしてる霊的成長度の低い人も居てる。
結果それは、自我の肥大をした人を集め、その言葉を使ってる人も、自我の確立=固定化の進化過程でしかない。
そやけど、その段階の進化過程の人はとても多い。“一”=智性=1番目のオーラが小さいのが平均的地球人なんやから。
そやから、その形骸の言葉を、美しいと思ったりすばらしいと思ったり感動したりする。それが一般的…それが当たり前…。
そんな言葉に酔ってる人は、この地球の現状を知らんのか、あるいは無視してる。今の地球の、三秒に一人子供が死んでる現状を見て、恨みの連鎖の霊的干渉の増大を認識して、今後=アセンション後の自分たちは、どんな心の在り方をするべきなのか…。どんな心(靈)の発振、発信をして事象の“創造”に加担していくのか…。それを思うべきなんやろけど、
ただ言葉に酔ってるだけなのは、雰囲気を楽しんでるだけに等しい。
そやから恨みの連鎖の霊的干渉の増大、子供が死ぬこと、家畜を殺すこと、その結果の一例として訳の分からん犯罪が増えたりもする。そやからそれは自分たちが安心して生活できる世界を作ることの反対やな。ほんまこのことは、霊能力者が指摘するべきことなんやけど、大概の霊能力者は、低い霊能力で人を恫喝して金を取ったり、見せ掛けの甘い言葉を使って言葉に酔わせたりして、エエ気分にして、結果としては金を取る。ほんま、スピリチュアルカウンセリングなんてエエかげんなものが多いやん。
話がそれてもた。
そやから恨みの連鎖の霊的干渉の原因、その現状を知ってたら、ただ言葉に酔ってるなんてことをしてられへんやん。そのことを見直して欲しいもんやな。おせっかいな言い回しなんやけど…。
ほんでからこのことに関しては、たくさんの人が同じ心(靈)の動きの霊団…肉体を伴った霊団…そんなもんを構成して、ほんまに考えんならんことを考えんようになる。
そやからそれも、形骸の薄っぺらい言葉に酔わせてるのも、“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)の“思惑の顕現”=現象化やな。アセンションってタイムスケジュールに間に合わん人を増やすのが意図としか思われへんことや」
「そう思うね。
だけれどもそれは仕方が無いね。アセンション後の“創造”を託されるべき霊的成長度の人(日止、霊止)は(パチモン)Kellyに言うまでも無く、“一”=智性=1番目のオーラが大きくなり、それは、土=2~3番目のオーラの進化過程から、“王”の字が示す1番目、2番目、3番目のオーラのバランスにならなければならない。
そのために、頭の磁性の強化のために、左右=日足と砌(ひたりとみぎり)の眼球から視神経を介し、目上(めうえ)の脳に電磁誘導を起こして、“一”=智性=1番目のオーラ
を大きくする。
だから、アセンション後の“創造”を託されるべき資格、そのために一部の人が、目上(めうえ)の“行”として真剣に太陽凝視を行った。“一”=智性=1番目のオーラの大きい人が、今後=アセンション後の地球人を導くためなんだよ。
余談だが、その電磁誘導が目下(めした)の脳=大脳旧皮質と古皮質で起きれば、それは、土=2~3番目のオーラの強化になり、それがまた、消化器官の強化の“行”の結果でもある不食ってことになりがち。
その目下(めした)の脳の心(靈)の発現は低い功名心と自尊心、自我の確立=固定化と自我の肥大、その心(靈)の動きと太陽の低い振動との感応共振。だから、目立ちたいと思ったりもするんだろう。
しかしそれは、太陽凝視を始めたばかりの時には、必ずあることでもある。…が、それは“上”が望む真の太陽凝視ではない」
「そやから不食…それに対し、“日月神示”春の巻 第三帖の表記の、“特別神かかり”(神格化を意識した太陽凝視)…そやから“日月神示”を伝えた霊団の計画は、黒住教から始まって、その教義では、朝日の日拝(にっぱい)をするように教えられた。
そやからそれは、朝日の日拝(にっぱい)は、太陽凝視の入門編みたいなもんでんな。
そやけどそれは、あくまでも入門編で、“日月神示”を岡本天明はんに書かせた存在の思惑って言うのんは、かなり高度なことまで言うている。
いうまでも無くそれは、アセンション後の“創造”を託されるべき人の霊的成長度と霊的資格を獲得して欲しいって言う“上”の思惑の顕現でんな。
そやから現時点の(パチモン)Kellyさんの“日月神示”の解釈かて、“日月神示”全体の約9パーセントくらいしか読み解けていないけど、その9パーセントの文章の中にでも、“上”との感応共振、天意を受け、自分の思想にすること、“慈悲”と“慈愛”の発現をすること、胸の磁性“十”のことなど、先生が言うた霊的成長に関わる仕組みについて何回も出てきてる。
そやから霊的成長度の低い人は、土=2~3番目のオーラの強化から始まる…それが無ければ、“一”=智性=1番目のオーラの大きさにつながらん。それもありまんな」
「その通り。進化した動物=人の肉体の構造は、腹、胸、頭、コンデンサーが直列に並んでいると思えばいい。進化した脊索動物である人(日止、霊止)は、三つのコンデンサーを持っている」
「先生が“改”で説明していくことでんな」
「うん。
三つの大きなコンデンサーが縦に直列に並んでいて、それを縦の磁束が貫き、縦の磁束由来のローレンツ力で、“上”の思惑である“上”からの荷電粒子と感応共振して、時間の進行とともに、心(靈)が構成されている。
そして、コンデンサーの特徴として、だんだん高い振動しか通さない性質を持っている。こんなことはちょっと電気のことを知っていれば分かるんだが、生体内電流って視点が無いから、誰もオーラの発振、発信のことに対し、気がつかない。
話を戻し、何かの目的のためにエネルギーを贖う(あがなう)、だから頑張る=元の気を張る、の、“元”って言う字は、肉体を示す“二”と、時間の進行を示す儿部(じんぶ、にんにょう)で構成されている。(儿部(じんぶ、にんにょう)は人が歩く様に象る)
よって、普通の地球人の霊的成長度と霊的資格による“思惑の顕現”=現象化を観ると、
3番目のオーラとの感応共振と2番目のオーラとの感応共振が多い。またそのときの霊的干渉は動物霊が中心。
その場合の“術”(“力”の顕現)は、例えばプロスポーツとか、肉体労働者とか、頭をあまり使っていない段階の肉体の使い方が多いね」
「そやけど例えば、プロスポーツで活躍してる人を観ると、必ずそこには右往左往と左往右往がある。絶好調のときと絶不調のときがある。絶不調のときは、悩み思い憂い…日足(ひたり)の“行”をしてるときやな。そやけど悩み思い憂う…それは“一”=智性=1番目のオーラのわずかな拡大になるんや」
「その通り、だからプロスポーツって“術”(“力”の顕現)の行使をしていても、“上”は“一”=智性=1番目のオーラの大きさに結び付けていく」
「そやからプロスポーツとか肉体労働者、その段階は、霊的成長度の低い“行”ってことなんや」
「そう。しかしそれも、神格化への道程であるし、霊的成長度が低い人はまず、土=2~3番目のオーラのオーラの強化をしなければならない。だから、霊的成長の段階として、土=2~3番目のオーラがしっかりしていないと、要は肉体が発達していないと、“一”=智性=1番目のオーラは大きくならない。
言い方を変えれば、土=2~3番目のオーラは“一”=智性=1番目のオーラの“元”になる。
またまた余談だが、それを阻む悪魔の“思惑の顕現”=現象化が、太陽凝視=不食って低い功名心と自尊心を煽る(あおる)ことだと思われる。
肉体がしっかりしていなければ、“一”=智性=1番目のオーラは大きくならない。その邪魔をさせている薄っぺらい価値観の太陽凝視の情報を流すのが、人の霊的成長を阻む存在の意図でもあるね。
そして人は、現時点、動物由来のミネラルで肉体を構成しているから、“石”(帯電するミネラル)が入れ替わらない不食は、霊的成長の“道”を阻んでいる」
「低い霊的存在との感応共振をさせているのが、動物由来の“石”(帯電するミネラル)を取り込んだ肉体ってことやな。
そやから、人の霊的成長を阻む存在=“下”=“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)の思惑は、人の動物化やから、現状の肉体のままの方が“下”との感応共振が起き易いからやな」
「そう思えるね。
話を戻し、土=2~3番目のオーラの段階の進化過程、これが現時点の地球人の進化過程だからこそ、その心(靈)の動きは、自我由来の成功の概念や、実力者って言葉の解釈に反映している」
「そやから成功者や実力者って薄っぺらい認識の裏には、(通貨としての)金と低い功名心と自尊心を煽る(あおる)ようなことしか感じられない。
それは、今指摘したプロスポーツとかだけではなく、現時点での地球人の価値観って言うのんは、自我の確立=固定化の段階やからその低い認識由来の心(靈)の動きしか観られへん。
ほんでからそれは、腹の水=“江戸と尾張”の“江”…自我の確立=固定化の段階、そして腹の位相のサイクロトロンの強化でんな。そやからそれは、マニピューラチャクラの強化の段階でしかないやん。
そやからそれは、芸能人とか大企業のトップとか政治家とか株で大もうけしたとか…大成したなんて評価って言うのんは、霊的成長した人では無いやん。そやけどその仕事に憧れを持つのも、土=2~3番目のオーラの強化になる。そやからそれは霊的成長の過程なんや」
「そうだね。そしてその世界で実力を獲得し、発揮し、そして失敗したりして、わずかな“一”=智性=1番目のオーラの拡大を果たし、そして死を迎える…しかしそれも神格化への道程に過ぎない。ただ低いだけだ」
「そうでんな。ほんでから土=2~3番目のオーラの強化は、“石屋の仕組み”でもありまんな。“石屋の仕組み”(帯電するミネラルが固まっていない=真固止ではない=腹の水(“江戸と尾張”の“江”)の段階の心(靈)の発現は、自我の肥大でもある。そやからあんまり霊的成長という視点で、価値の無いことを褒めそやしたり、賞賛したり、価値のあるもんやと思い込む。
そやからその評価=ものの観かたって言うのんは、薄っぺらい価値観と幸福感とかに支配されている」
「そうだね」
「そやからそんなもんに価値があると思い込む低い霊的成長度の人の薄っぺらい幸福感は、自分がエネルギーを贖う(あがなう)ことをしないで、ただ憧れ、自分たちが甘い夢を見たいだけになるやん。
ほんでから甘い(亜、魔、出ずる、泉)夢って言うのんは、棚から牡丹餅、天の僥倖、そんなものばかり求めるようになる」
「そうだね」
「…最近、その心(靈)の程度の低いものの象徴として、前のブログで指摘したパワーストーンとか、現世利益を求めて信者を集める形骸の宗教関係者とか、高い印鑑とか、ひどいもんは、開運ブラジャーとか開運パンツとか…これも自我の肥大の一側面で求めることやな。
ほんでからそれはアセンションに対する見方にも反映してて、自分たちはただ、雰囲気に酔ってるだけでアセンション出来ると思い込んでる人たちは多い。
そやからそれは、自分たちが神さんからこの世界の“創造”を託されてるなんて認識は無く、自分たちが薄っぺらい幸福感に酔っていればそれでいい…そう思うから、生かされていることに感謝しましょうとかの薄っぺらい言葉に酔う。
ほんまにこの世界に存在してることに感謝するのならば、まず恨みの連鎖の霊的干渉を引き起こす形骸の価値観を、捨てんならんやんか。
そやから“日月神示”では金の無い世にせんとアカンって表記もある。
“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”ではアカンって表記もある。
そやから今(パチモン)Kellyさんはいろんなことを言うたけど、すべてそれは“一”=智性=1番目のオーラが小さいことに由来する。
要は、智性(神性)由来の心(靈)の動きがあんまり無い。ほんでから智性(神性)を活かした行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)をしていない。
そやけど、低い霊的成長度の“思惑の顕現”=現象化でもそれは、結果として“一”=智性=1番目のオーラの拡大に結びつけていくのが“上”の思惑でもある。
そやからプロスポーツとか芸能人とか大企業のトップとか政治家とか株で大もうけしたとか…大成したなんて評価を受けてるのは、低い人が低い何かを褒めそやしてるだけでしかないけれど、それも進化過程としては仕方が無い。
ただ、アセンションにはタイムスケジュールがあるから、今、そんな程度のことをやってはる人、形骸の価値を求めて頑張って(元の気を張って)はるだけ、それのみの心(靈)の動きの人たちは、アセンション落第組なのは間違いないでんな」
「それはちょっと乱暴な物言いだね。
形骸の価値を形骸の価値って認識してる人もいるからね。その心の動きは、心(靈)の奥底にあるから、行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)だけを見ていても判断できないから、今の(パチモン)Kellyの言い回しでは、形骸の価値を求めることに従事している人たちすべてがアセンション落第組に聞こえてしまう」
「…そうやった。行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)は“思惑の顕現”でもあるけれど、そのときの心(靈)の動きは中々計り知れへんものがある。それを考慮した言い方では無かったやんか」
「うん。話に熱が入ったからだよ。(パチモン)Kellyが現状を憂いている思いが反映した言葉だよ」
「そうやな。自省(胸の磁性“十”)しとこ。
 話を戻して、今言うてたのは、自我の確立=固定化の進化過程や。土=2~3番目のオーラの強化や。チャクラで言えば下三つのチャクラ、マニピューラチャクラまでの覚醒段階のことや。
今後はそんな程度の霊的成長過程ではアカンってことを言うてたんやな」
「そう、肉体を使うことからだんだん進化して、人は知識としての知恵を獲得してきた。
そして今後=アセンション後は、知識としての知恵を智慧(日を知る事=智性の恵み=慧)に変えていかなければならない。
言うまでも無くそれは“一”=智性=1番目のオーラ由来の“力”の顕現でもある。さらにそれは、憑依現象も変化してくる。
今までの憑依現象は、大体、憑依された人の心(靈)を乗っ取られたカタチが多い。
自動書記や物理霊媒の現象は、それが良く理解できる現象でもある。
そしてそれはその現象が起きた人の、土=2~3番目のオーラの“行”でもある。
しかしそれはその段階の霊的成長度として仕方が無いことでもあるし、憑依現象により“上”から垂れたそのメッセージを観て、現象を起こした人は、“一”=智性=1番目のオーラの拡大が多少あり、その人の認識は変わっていく。物理霊媒や自動書記にはそういう側面もある。
だがそれは、飛躍的な霊的成長ではない。
T霊媒=竹内満朋でも岡本天明でもそれは同様のことが言える。岡本天明は会ったこともないし写真を見たこともないから判らないけど、T霊媒=竹内満朋の“一”=智性=1番目のオーラの大きさは、アタシが観測したことがあるからね。
話を戻し、土=2~3番目のオーラの進化過程の憑依現象、それに対し、今後=アセンション後は、“一”=智性=1番目のオーラ由来の憑依が起き、それはもう憑依とは言い難いカタチになる」
「“一”=智性=1番目のオーラ由来の憑依、それは智性(神性)を共有するってことでんな。そうやったなら“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)の思惑はすぐ自分の思惑になる。
ほんでからにそれは、今まで“上”が通信を送るとしたら、自動書記や物理霊媒って手段しか無かったってことでんな。
ほんでからそれは、憑依してくる霊的存在の思惑がすごく大事で、また感応共振の1番目、2番目、3番目のオーラのオーラのバランスも大事。
もうひとつ、現象により受け取ったメッセージの内容を判断してそのメッセージそのものの“上”と“下”を見出すことが大事で、低い存在の憑依はただありがたいことしか言わんとか、憑依してきた存在自身を誇示するとか、何とかの生まれ変わりとか、何とか大神とか、ハイヤーセルフとか、大天使とか…大体、低い霊的成長度の人が喜ぶような=低い功名心と自尊心を煽る(あおる)ような言い回しをする」
「そう、今、(パチモン)Kellyが言ったのは、述べられたメッセージをしっかり判断しなければならないってことだ。
すべて霊的な現象は、ありがたいとか貴いとか思ってはいけない。たくさんの憑依現象はあるけれど、そこには、人の霊的成長を阻む存在の思惑の方が多数だからだ。
だからこそ貴い現象は数少ない。その視点が大事だね」
「そうでんな。そやからそれは、現象を起こした人の肉体を使ってるだけやから、受信機みたいなもんでんな。言うたらテレビやラジオみたいなもんや。ほんでからテレビやラジオが貴い訳ではないやん。貴いメッセージを伝えたT霊媒=竹内満朋はんや、岡本天明はん、その受信機の役割を果たした人は、受信したことそのものが“行”になってるんやけど、そやからと言うてその人が霊的に高い訳ではない。今先生はそれを指摘したんや」
「そう。だからそれは平均的地球人の憑依現象の程度の低さでもあり、低い憑依現象を起こす1番目、2番目、3番目のオーラのオーラの構成の、脆弱性でもある。
だが今後=アセンション後は、“上”の通信を受けられる人で構成される。それはもう一回示すけど、以下の画像のようになる。

 

アセンション後の“創造”を神から託される人のオーラの構成 


今後=アセンション後の憑依現象は、“一”=智性=1番目のオーラが大きい心(靈)同士の感応共振になる。
よって、今後=アセンション後の憑依現象は、言い換えれば“上”からの通信の受け方は、(パチモン)Kellyの“日月神示”の解釈によく出てくる表記の、天意を受ける人“天詞様”になる」
「そやからそれは、“上”の思惑が自分の思想そのものになるってことや」
「そう。
余談だが、すでにアタシは、“上”からの通信を受けたとき、それは自分の思想になっている。心を乗っ取られた憑依現象ではないってことだ。
それは、今回、モノホンKellyさんとドライブ中に、アタシが、肉体の水平磁場とアミノ酸結晶化の話をしたんだけれど、モノホンKellyさんは、その話そのものを、アタシ自身の意志で発せられたものと認識しなかった。
それは“上”の霊的存在がアタシに乗り移ってしゃべったと思ったようだった。
それで、今日の話をしているのだけれど、今までの憑依現象っていうのはそういうパターンしかなかったのだから、モノホンKellyさんがそう思うのは無理からぬことでもある。
だから今回、(パチモン)Kellyと、“一”=智性=1番目のオーラ由来の感応共振、天意を受けること、そのことを話したわけだよ」
「そうやったんか。
そやけど今回の話は、今後の、“日月神示”解釈にとても役立つ話でんな。
そやから今回紹介した画像と、先生の概念は、今後の“日月神示”解釈に使わせてもらいまっせ」
「うん。ぜひそうして欲しい」
「ほんでからさっき先生が言うてた水平磁場とアミノ酸結晶化は、“改”で述べていくことなんやな」
「うん、水平磁場によるアミノ酸結晶化、そしてたんぱく質の高分子化、それが心(靈)の発現と心(靈)の動きに関わることを述べようとしてるんだけれども、中々上手く表現できない。まあ、ゆっくり自分のペースでやっていくよ」
 


☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀



…と、まあ、こんな話を先生としましてんな。 
 話の中にも出てきたことなんやけど、今回モノホンKellyさんと先生が話したことで、先生は今までの文章の表現だけでは人に伝わりにくいことを感じ(感じる磁性)ましてん。
そやからそれは、今回紹介した画像もそのひとつでもある。ほんでから画像に関しては、“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)との感応共振と“下”(人の霊的成長を望んでいない存在)との感応共振、それは日足(ひたり)回転と砌(みぎり)回転って紹介してるけど、その画像も今後、新たに作った方がいいって思いましてん。
その画像は心(靈)の動きを示す分かりやすい画像になると思いまんねん。そのうち(パチモン)Kellyの“日月神示”解釈で紹介しまんねん。
 
 そやから今回は、これくらいにしときまんねん。

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 Kelly & ○○○大先生

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Kellyさんと○○○大先生は、
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同一人物で有る事を、
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四冊目&五冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈4〉
智性無き心は
悪を容認する


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈5〉
智性無き心は
アセンションを見誤る

 この二冊は、同時発売です。
太陽凝視を行っている鍼灸師の話 <4> 智性無き心は 悪を容認する & 太陽凝視を行っている鍼灸師の話 <5> 智性無き心は アセンションを見誤る サムネイル
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2010年 4月20日(火)ごろより、全国書店(紀伊國屋書店・三省堂書店・旭屋書店・ジュンク堂書店・ブックファースト・リブロ・丸善など)にて順次陳列。


発売中の三冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
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神格化のプロセス
目上(めうえ)と目下(めした)


神格化のプロセス 目上と目下 縮小版 ブログ用
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ローム太霊の教え
日足(ひたり)と砌(みぎり)


サムネイル太陽凝視を行っている鍼灸師の話〈2〉ローム太霊の教え 日足(ひたり)と砌(みぎり) 
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太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈1〉

ローム太霊との出会い


太陽凝視を行っている鍼灸師の話〈1〉ローム太霊との出会い
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2005年10月1日~2008年1月15日まで、
“Kellyさんとの会話”で、説明して来た事・・・
その内容・・・それは・・・その何年も前から、
何か自分の考えをある程度公表しなければならない・・・
そう言う通信を受け・・・その理由は・・・地球人が低い心(靈)の発現しかしていない・・・
それを自覚していない人が多い。
その事由来の太陽凝視に対する認識、
(太陽凝視=不食・・・としか、認識させない存在の思惑を、受信している事)
霊的成長に対する認識、
神に対する認識、
心=靈に対する認識、
オーラに対する認識、
そして、
高い認識の上での進化の意味と幸福の概念と神の概念・・・
進化=霊的成長=神格化=(相対的に)高い認識を獲得する事・・・
霊的成長=神に近づく事=真の幸福の意味。
霊的成長度は1番目のオーラに顕れる。
よって、宇宙的プログラムにより次の段階に移行する人(日止、霊止)は、 何を考えるべきなのか・・・
そして、人(日止、霊止)の進化を阻む存在の思惑、
その心=靈の動き、それらの意図・・・それが一般に認知されていない事。
それらを伝えなければ成らない・・・そして一応・・・完結はしたのですが・・・
解り難い・・・理解しがたい・・・具体例を示して欲しい・・・そう言う感想も頂き、
そして自分なりにも説明が足らなかった事・・・
更に、
“Kellyさんとの会話”が完結してからも通信を受けている事・・・そう云う事もあり・・・
よって、このブログを立ち上げる事としました。
従って、
“Kellyさんとの会話”が、
自分の意見を述べる上での、ローム太霊の言葉、
“右往左往”(“いきり立つ心(奴と心)”で行動してから考える)・・・と、 するならば、 このブログはアタシ自身の、
“左往右往”(“思う、憂う”・・・体験を教訓として考え行動する)の、
作業になって行くと思います。


太陽凝視を行っている鍼灸師の話 “総括編”
太陽凝視を行っている鍼灸師の話 “改”
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自分達の欲望を満たしたい… 
自分だけ幸福になりたい…
こういった進化程度の低い心(靈)の発現由来の思いが、
低い幸福の概念になり(目下(めした)の思い)
その結果が、飢餓貧困、戦争の原因になったりしています。
(子供の浮游霊の霊的干渉の影響を受け、 それがどんどん増して行く事等が、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)
の思惑だと 思えます)

恨みの連鎖による霊的干渉を増やさない為、
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