“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話

太陽凝視を一生涯の“行”とし(現在、44年目)、実践し、その上で獲得した認識を述べています。

“日月神示”上つ巻 第十二帖 Kellyさん的解釈

今回も、上つ巻 第十二帖の解釈をしまんねん。
原文は以下の通り。


大将を誰も行かれん所へ連れて行かれんやうに、
上の人、気をつけて呉れよ。
この道はちっとも心ゆるせんまことの神の道ぞ。
油断すると神は代りの身魂使うぞ。
六月の二十一日の朝、ひつくのか三。

この文章全体がそれは、大将=指導者とかの意味もあるやろけど・・・
それだけの事を言うてるとは思えへん。

そやからこの“大将”って言う表現が、
Kellyさん的にはとても重要に思えるやん。


それは、“大将”の、“将”、
この旧字は“將”って書きまんねん。
ほんでからこの字の意味は、
爿部(しょうぶ)と、
月部(げつぶ、にくづき)と、
この場合の寸って言うのんは、手の意味があるって辞書には書いてある。
そやから“將”は、
手で肉をささげるとか、すすめるとかの意味があるって事らいしいやんか。
そやからこそKellyさん的に思うんは、
“將”・・・これは、
両手の磁性による肉体のシンクロトロンの構造の事を言うてるとしか思えへん。

ほんでから順序が逆やけど
“大将”の“大”は、
人(日止、霊止)の発振、発信する様子でんねん。
これは先生と何回も話した事でんねん。
そやからそれは、人 + 十 = 大
人=丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)と乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現)
それに自省(胸の磁性“十”)を足した字が、
“大”っちゅう事でんねん。

ほんでから胸の磁性“十”は、
肉体の縦の磁性は(たて棒、コン)やろし、
それに対し、
“王”これは三つのオーラを縦に繋いだ字なんやけど、
その“三”の真ん中の横棒“一”は、
両手で構成される横の磁性でもある。
そやからこそ四足獣に比べ、手を使い出した人間は、
肉体のシンクロトロンの構造を持ち始めたとも言い得るやん。
そやからサイクロトロンとシンクロトロン、
サイクロトロンは自我の確立=固定化、
それは今の地球人の平均的な心(靈)の進化過程。
前に先生と話した事としては、
軍荼利明王、荼枳尼真天の“荼”=腹のエネルギー、
肝=“いきり立つ心(奴と心)”と、
脾=“思う、憂う”・・・
その右往左往と左往右往がサイクロトロンで、
その段階の心(靈)の発現が自我の確立=固定化・・・
そしてそのサイクロトロンの螺旋運動が、
本能と情動のチャクラ、
ムラダーラチャクラとスワディスターナチャクラの磁性で、
“下”に向かう事が、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”で、
それを“上”の視点=神さんの視点から見たら、
砌(みぎり)回転になる。

“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の回転 砌(みぎり)回り



そう言う人は、
本能、情動、功名心、自我、愛(炁)、創造、知恵、智慧、智性という振動の
本能と情動と功名心・・・その心(靈)の発現由来の行動をする。
その行動は、人の観察と認識で“悪”の行いって事になり、
その心(靈)の動きを表現した言葉が、
欺くとか騙すとか嘘をつくとか奪うとか・・・そういう事になるって事や。

ほんでから心(靈)が“上”に向かうって言うのんは、
下三つのチャクラの心(靈)の発現=自我の確立=固定化から、
今言うた両手の磁性と胸の磁性、
それは何度も言うたけど“十”に示され、
軍荼利明王、荼枳尼真天の“荼”のエネルギーが“上”に向かい、
その段階の心(靈)の発現が、悲しみ、慈しみ、愛しむになり、
そやからそれは、
自省(胸の磁性“十”)やし、
“観自在”やし“直日(なおひ)”でもあり、
自分に対する“厳しさ”にもなる。

そやからこそ今後、
アセンションを経て、次の世界の創造を担う人達は、
自省(胸の磁性“十”)を体験して、
そして自分に対する“厳しさ”を持ってへんとアカン。
それを持ってない人が多いからこそ、
今、自我の肥大で、自己奉仕者の行いで、
この世界はどんどんおかしくなっているやんか。

そやから、
“大将を誰も行かれん所へ連れて行かれんやうに”

今のKellyさん的解釈の“大将”、
それは、自省(胸の磁性“十”)をした人、
“慈悲”と“慈愛”の心(靈)の発現をした人、
そやから、
相対的に今の平均的地球人より、
“上”の心(靈)の発現をした人(日止、霊止)、
それがアミの本で表現されてる愛の度数って事やな。
ほんでからアミの本の中には、
その星が霊的進化のある段階を通り越す時に、
(第三密度から第四密度への移行)
壊滅的な事が起き=右往左往し=やって来た事の結果を体験し・・・
それが、
災害とか戦争とか動機が理解出来へん恨みの連鎖由来の犯罪とか・・・
そういう結果になり沢山の人が死ぬ。
その時にそれに巻き込まれないように、
愛(炁)の度数の高い人(日止、霊止)を一時的に避難させる。
その為にUFOで少しだけ霊的進化した人(日止、霊止)を拾い上げる。
そやから、
“誰も行かれん所へ”=地球以外の場(フィールド)と、
“連れて行かれんやうに”=救い上げて避難させる。

・・・その事を言うてると思えるやんか。

そやから、
“上の人、気をつけて呉れよ。”
この場合の“上の人”は、
今のこの形骸の価値感の世の中で、
力を示している人、
政財界のトップとか現世利益の宗教団体のトップとか・・・
例を挙げたらきりが無いけど、
この人達の心(靈)の発現って言うのんは、
自我の確立=固定化の段階やし、
砌(みぎり)の“行”をしてる人達やし、
ほんでから、
いくら立派な言葉や人を思いやるかのような言葉を、
使ってたとしても、
それは、只、自分の名誉とか利益とか保身とか・・・
その為の言葉でしか無いやん。
その事自体がたくさんの人を騙してるって事すら自覚が無い。

そやからそう言う人は、
“力”(力、知恵、知識・・・学問・・・能力、そして霊能力を含む)を、
自分の為に使う=自己奉仕者でもある。

・・・まあエエわ。
そんな低い事を指摘してても対して何の解決にもならへんし・・・

そやからこの場合の“上の人”に対し、
“この道はちっとも心ゆるせんまことの神の道ぞ。”
“油断すると神は代りの身魂使うぞ。”
こう言われてると思えるやん。

そやから、
“この道”=左往右往の進化過程は、
“ちっとも心ゆるせん”と“油断”で、
これは、言葉どおりやな。

ほんでから“まことの神の道ぞ。”
それは、人の神格化への道程でもあり、
“まこと”は、
真に固く止める真固止でもあり、
古神道の言葉の“修理固成”、
理=ことわり、霊的進化の法則性で、
修め=右往左往してから左往右往して認識を得て、
固め=結晶化して、
成す=完成する=神格化になる。
それを示してるのが“日月神示”の表現での、
○ 九 十でもあり、
○=荷電粒子で出来た場(フィールド)、靈、心でもあり、
それは卆=九と十、最後の仕事って事になる。

ほんでからその事自体が先生の表現の、
人(日止、霊止)が“宝玉(ほうぎょく)”になる・・・
でもあり、
それは結晶化した頭の骨、
天鈿女命(あめのうずめのみこと)の螺鈿の鈿でもあり、
その事そのものが“身魂磨き”の意味でもあると思えるやんか。
そやから頭の骨の結晶化、その為には、
天の岩屋戸の話・・・それも先生と話したんやけど、
それは、岩は、
山=脳、
石=帯電するミネラル、
屋は、
尸(しかばね、かばね)とム部(しぶ)と土、
その上にある横棒“一”は横隔膜、
そして土は2~3番目のオーラ、肉体のオーラやし、
肉体を持って生命が存在している理由は、
岩=脳と帯電するミネラル・・・その結晶化で、
普遍的に実在する創造主のオーラ(宇宙背景放射)の高い部分との感応共振をする。
その事を示してる言葉が、
天の岩屋戸で、
それを開いていくのが、
手の磁性=シンクロトロンの構造を示した言葉、
天手力男神(あめのたぢからおのみこと)で、
それが動物に比べての人の肉体の構造の違いでもあるし、
それが(時間の進行を認識した為の概念の)進化でもあると思えるやん。
ほんでから人(日止、霊止)の神格化には、
特別神憑り=太陽凝視が必要って解釈を先生はしてはる。
それが頭の骨の結晶化、螺鈿の鈿になり、
神さんのオーラ=普遍的に実在する創造主のオーラ(宇宙背景放射)との、
高い部分との感応共振と増幅と発振、発信、
その事そのものが“天意を受ける”って事になると思えるやん。
そやからこのことの詳細は、
エピローグ 神の思惑の顕現・・・神聖な事象
を、しっかり読んでほしいねんけど・・・
余談やけど、
今、太陽凝視のサイトはとても多なってるけど、
ほんまに頭の骨の結晶化って事をして行くのには、
朝日や夕日限定の数分の太陽凝視は、
太陽凝視ごっこでしかない。
ほんでからそれを低い功名心で喜んで、
ネットで公開し、
自分の低い自尊心を満足させてるのは、
“下”の心(靈)の発現由来の事でんねん。

又、何回も言うた事やけど、
朝日や夕日の太陽は赤の波長が強い。
そやからこそそれは、
下三つのチャクラの強化になり、
その結果が功名心由来の行動のディスプレイ(動物の発情行動)になり、
只目立ちたい・・・
大体、 なんか始めるとそう言う段階から始まるんやろけど、
それは、
高い事では無いって事をお知らせしときまんねん。
この事は先生の伝えたい事の一つでもあり、
前のブログを完結させてから、もう終わりにしようって先生は思うてたんやけど、
あまりにも現状がひどすぎる・・・
その為に今、“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話を、
立ち上げたって事でもありまんねん。

話を戻して・・・

“油断すると神は代りの身魂使うぞ。”
この言葉も今の“上の人”・・・
形骸の価値感でのし上がった、
自我の確立=固定化の進化過程で“力”を得た、
そやからそれは、
自分の為にエネルギーを贖った人に対しての言葉やな。
そんなもんでは、
次の創造は担えへんって事を言うてるって事やねんな。


今日はこれくらいにしときまんねん。

Kellyさん、チョ~ベッピンはんのA野はんとA野はん自身の霊的干渉に付いて、場当たり的に話す。


この間、先生が言うてはった様に、
(Kellyさん、チョ~極上ラブラブ中高年夫婦の御主人と、心(靈)の発現の段階に付いて・・・世間話をする。 参照)

先生から電話があって、
“A野さんが治療に来るから、Kellyの都合が良かったら話に来ない?”
・・・って事やったから、
○○○療院の待合室でA野はんに逢いましてん。

その時の事をかいつまんで紹介するつもりなんやけど・・・

その前に・・・
あらかじめ先生からA野さんに付いて聞いてた事・・・
それは・・・

A野はんは、二十歳くらいから風俗のお仕事をしてはって、
現在二十代後半・・・もう何年もこの仕事をしてはる。
ほんでからこの間先生が言うてはった様に、
A野はん自身が右往左往から左往右往に今入ろうとしている。
そやからKellyさん的にはその事を聞いただけで、
A野はんは沢山の因縁による、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の、
霊的干渉の影響を受けてるって思うたやん。
ほんでからにA野はんは、
その事を教訓にしてこれから自分の在り方を考えて行きはる。
まず・・・それを思うたやんか。

ほんでから、初めて先生と縁があったのは去年やそうやけど・・・
なんやしらん・・・最初の内は○○○療院に来るだけで怖い・・・
本人からそう言う感想を聞いたって話してらした。
そやけど、来てしまったらもうそんなに怖くない。
A野はんはそう言う事も言ってらしたそうでんねん。

それは先生の話によると、
○○○療院に来始めてた頃のA野はんが、
予約の電話をかけて来る時の様子は、
こんな感じやったそうでんねん。

「・・・先生・・・こんにちは・・・(*_*)ビクッ!(*_*;ビクッ!
今日、治療の予約したいんですが・・・((;゚Д゚)ガクガクブルブル・・・
何時が空いてますか・・・Y(>_<、)Y ヒェェ~!・・・・」

先生は、そのA野はんの喋り方で瞬時に理解したらしいやん。
沢山の浮游霊がA野はんの心に色んな通信を送ってる。
そして、浮游霊自身が自分が祓われるのがイヤ・・・
だからA野はん自身が怖いと思う。
しかしそれでもA野はんは、先生のところに行きたいと思ってた様で、
その両方の心(靈)の動き・・・

怖いと思う事と、先生の所に行きたいと思う事・・・

それは体の調子の事もあるけれど、
Kellyさん的に思うんは、その心(靈)の動きの分析が大事で、
怖いけど先生の治療を受けたいってA野はんの心(靈)の動き、
それは、
A野はんの良いカタチの霊的成長を望んで見守ってはる霊的存在は、
A野はんが先生の治療院に行ってA野はんに憑いてる、
低い浮游霊が祓われたなら、
自分達の通信が送りやすくなる。

そやからそれは、
沢山の浮游霊が憑いてれば憑いてるほど、
先生の主護霊はんが先生自身に、
S会=紫光会の交霊会で言わはったみたいに、
動きが取れない”・・・そうなってしまいよる。
(良い発振の為に 参照)

そやから、A野はんに憑いてはる存在にも“上”と“下”がある。
そしてA野さんの心(靈)の動きにも“上”と“下”があるやん。

“上”と“下”の霊的存在の通信と、
A野はんの、
“上”と“下”の心(靈)の動きによる感応共振があるって事でんねん。
そやからA野はん自身の心(靈)は、
“上”の受信と“下”の受信を両方して、
それがA野はんの心(靈)の動きになって、
A野はんがそれを混同してる。
そやけど、
混同してるとか、心(靈)と霊的存在の“上”とか“下”の概念は、
A野はん自身にあんまり無いやろな。
そやからそれは、
A野はんのお仕事由来の沢山の浮游霊がA野さんには取り憑いてて、
そしてA野はんの心(靈)の動きと、
浮游霊の心(靈)の動きが一緒になってて、
A野はん自身がその事を上手く区別出来へん。
そう言う事やと思いまんねん。

それはA野はん自身がこれから左往右往して、
自分のやってきた事を振り返り自省(胸の磁性“十”)して苦しんで、
心が痛み、
その上で自分の心(靈)の中の、
“善(神格化の方向性と智性の受信)”と、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”を認識して行く。
それを自分で見極める為には、
段々、
“慈悲”と“慈愛”の心(靈)の発現をして行く。
そやけどその為には、
苦しんで心が折れて悲しんで憂いて思わんならん。
その過程に入ったって言う事やろな。
そやから自分に“上”の心(靈)の発現が起き始めたなら、
そこで始めて自省(胸の磁性“十”)する。
それは・・・今も思うたけど、
苦しい思いをいっぱいせんならん。
ほんでから今現在のA野はんは、
自分の行動や心(靈)の動きに対し、
“上”の心(靈)の発現由来の自己観察をしにくい。
大体、たくさんの浮游霊に取り憑かれてる人って言うのんは、
自分の心(靈)の動きなのか、
憑依してる霊的存在の心(靈)の動きなのか、
その区別が出来へん。
それもやはり、“上”の心(靈)の発現が出来てないからこそ、
判らへんって思える。
そやからこそ先生は、
KellyさんがA野はんと話をする事自体に意味があるって思う。
それは、
A野はん自身の心(靈)の動きを、
A野はんが自分で見極める為に必要って事で、
その為に先生は、
A野はんに色んな話もしたんやろけど、
やはり男と女の会話って言うのんは、
話し難い事もあるって事やな。

ほんでから、
A野はん自身が自分の良い在り方を望む=“上”からの通信を受けてる。

大体・・・そう言う事やと思いまんねん。

ほんでから、
今Kellyさんが思うたみたいな事も、
先生は熟知してはると思うやん。
それは、先生の所に治療に来る人が、
左往右往・・・自分の在り方を振り返り、
その左往右往の状況に応じて、その自分自身の心(靈)の動きに応じて、
その人たちの霊的成長を望む存在との感応共振が始まりつつある人・・・
そう言う人しか○○○療院には来られへん。
そやからそれは、
ほんの少し心(靈)が“上”に向かい、
自己奉仕者では無い心(靈)の動きを持つようになった人(日止、霊止)で無いと、 先生と(霊)縁が無いし、
自己奉仕者の心(靈)の発現しかしてへん人(日止、霊止)は、
先生と段々縁がなくなっていく。
その事も先生は自分の仕事を通じてよく承知してはる。
そやからこれも、
アセンションの一側面やな。

それぞれの霊的成長度に応じて、
場(フィールド)を構築するって事が始まってるからやな。

そやから・・・先生は多分A野はんに色んな事を話し、
A野はん自身も、
先生に色んな事を話したり質問したりしたと思えるやん。
それに付いて先生が答えてるうちに、
色んな霊的干渉の話や、先生の認識の事も少し話した。
そやけど、
いきなりA野はん自身が理解出来へんって事やな。
ほんでからA野さんは前のブログも少し読んだ。
前のブログを印刷した物も先生から手渡された。
その上での疑問も持ってはると思えるし・・・

要は、先生とKellyさんとA野はんは、
そう言う霊縁あっての巡り逢いって事でんねん。

前置きが長くなったんやけど・・・
まず、Kellyさんが先生の所へお邪魔したところから紹介しまんねん。


☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀


Kellyさん、○○○療院に向かう途中・・・




ワンワンキャンキャンクウ~ンクウ~ン
ワンワンキャンキャンクウ~ンクウ~ン

ワンワンキャンキャンクウ~ンクウ~ン
ワンワンキャンキャンクウ~ンクウ~ン




・・・Kellyさん、○○○療院に到着。

「先生こんにちは。
なんじゃ~・・・犬の鳴き声がするやんか。」
「やあ、いらっしゃい。」
「沢山犬が居てまんな。
ここに居てる犬やったんやな。
鳴き声がエレベーター降りた時から聞こえてましたで~」
「うん、この犬達はA野さんの付き添いだよ。(笑)」
「そうでっか。」
「さてね、アタシはこの犬達と散歩に行って来る。
A野さんは待合室に居るから話をしてくれるかな。」
「はあい。」

先生、A野はんの愛犬と散歩中 
      ↓

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「はじめましてA野はん、Kellyって言いますねん。」

(およ~~~なかなかベッピンはんやな。
若い頃のKellyさんにはちょっと負けてるけどな・・・
ナンチャッテ~~~Kellyさんの負け惜しみやな。)

「こちらこそ、はじめまして。
いきなりでなんなんですけど、先生は動物好きなんですか?」
「いや・・・特にそうやないと思うんやけど、
先生は犬猫や小さい子供さんにはモテモテでんねん。
すぐにお友達になりまんねん。
それは・・・頭の程度がおんなじやからやねん。」(笑)
「キャハハ~~!!それはひどい!!」
「エエねん、
先生かてA野はんにKellyさんの事を言うたとしても、
どうせ・・・エエ事は言うてなかったんやないんでっか。」
「そうですね。
皮肉っぽく茶化して言う・・・そう言う話し方をする人ですね。」
「そうでんねん。
先生は人のエエ所を褒めるって事をせん人やし、
媚びへつらうとか、太鼓もちみたいな人とかは嫌いやし、
自分にそう言う部分も許さない人やし、
そやからこそ、
いつも皮肉っぽく混ぜっ返すところがあって、
ちょっとひねくれてまんねん。
ほんでからそう言うところがちょっと災いして、
一見、人を寄せ付けんところがあったりするんやけど、
ほんまは・・・」
「Kellyさんが先生の事をよく理解していらっしゃるのは、
今のKellyさんの言葉でよく解りますよ。
私も始めてここで先生に治療を受けた時、
いきなりこんな事を言われました。

“幸福の概念を間違えるから風俗なんかで仕事するんだ”

・・・って。」
「いきなりそんな言い方したんでっか・・・しょうもないオヤジやな。」
「それも良く解りますよ。
先生は只、沢山の仕事をしたいって訳では無いって事でしょ?
常に縁のあった人(日止、霊止)の良いカタチを考えるから、
だからこそちょっと乱暴な言い回しもしてしまう。
でもそれは先生の人間性の現れた事・・・人によってはチョ~おせっかいですけどね。
ですから、先生は厳しい所があるけれど、
それは先生の心の一部で、
仕事中の先生はそう言う所ばかりが目立つって感じですね。
でも先生は温厚で情に脆く、
人の面倒見のいいちょっと親分肌のところも有りますね。
だからそれは、
チョ~おせっかいって先生自身が言ってらしたけど、
そう言う受け取られ方をされて、
時にはそれで、
人間関係が上手く行かないところもあるようですけど、
先生はその事に関して意に介さずって所もある・・・
そう言う感じの人ですね。」
「そうでっか・・・そう思いまっか・・・
そやけど、
ただそれだけの会話でKellyさんが言おうとした事を理解しはったA野はんは、
ちょっと只者やおまへんな。」(笑)
「・・・職業柄、いろんな人に会いますからね。
ですから・・・お客さんとして巡り逢う男性って言うのは、
欲望むき出しか・・・色んな事を忘れたいとか・・・うさ晴らしとか・・・
寂しくって風俗に来るとか・・・色んな動機がありますよね。
そう言う色んな事を思いながら・・・
そして、仕事中にも仕事が終わってからも・・・
その事を考えますから・・・
そういう事を見極めて接客する・・・
そうしないと指名も取れませんしね。
だから、
人の心の動きには敏感になるのかもしれませんね。」
「そうやろな・・・
そやけど、A野はんの仕事は、
A野はん自身にとってエエカタチの仕事では無いやろけど・・・
今言うたみたいな人の心の動きを見極める事にはなりまんな。
いきなり失礼な事言うてしもたかもしれへんけど・・・
すんまへん。」
「いえ・・・それは自覚してます。
その事に付いても先生と沢山話をしましたし、
特に先生の所にお邪魔するようになってから、
余計に自分の今後の事を考えるようになりましたから・・・」
「そうやったんか・・・
それは失礼ついでに指摘すれば、
A野はんが左往右往の段階に入ったって事でんな。

そやからそれは、今までは沢山仕事もしたし、
儲かったり、
お店でモテモテやったり、
それはそれなりに楽しかったやろけど、
今のA野はんは自分の人生に疑問を感じてはる・・・
そういう事でっしゃろ。」
「その通りですね。
もうこの仕事はやめたい・・・そう言う気持ちが段々強くなってるんですけど、
母の乳がんが再発したり、
その入院費を自分が負担しなければならなくなったり・・・
だから中々やめられない感じですね。」
「それも恨みの連鎖の影響でんな。
Kellyさん的にはそう思いまんねん。
その事も先生と話をしはったんやないんでっか?」
「ええ・・・話を聞いて貰いました。
それで、先生が私の仕事に付いて・・・話してくださった事は、
今私がこういう仕事をしている事の理由・・・
その側面って言い方をしてらしたんですけど・・・」
「それは、先生が言うた事、指摘した事が、
100パーセントその原因では無いって事でんねん。
先生はよくそう言う言い回しをしまんねん。
それは、人は目先の事に囚われやすいからでんねん。
そやから、
それだけが原因では無いって言い方でんねん。
すんまへん・・・
話が逸れましてん。」
「いえ・・・だから、
私自身がこの仕事をしているのは、
自分で選んだって事もあるんですが、
先生の考えでもある恨みの連鎖、
だからそれは、
因縁の理由って事ですね。
それは、
私に限って言えば、私自身の父や祖父、
多分、女にだらしない人って先生は指摘してくださったんですけど、
まったくその通りで、
特に父は何もかもが自分勝手で、
母が今入院している状況でも意に介さず・・・
自分が楽しむ事しか考えてないし・・・
ろくに仕事もしないですし、当然母の入院費の負担もしないですし・・・
それでも遊ぶ事だけは一生懸命な感じですし・・・」
「そうでっか・・・
それはお父さんやお祖父さんが、いつか・・・
それは多分死んでからやろけど、
自分のやって来た事の結果を見せられる。
それを地獄の、
閻魔の庁の浄玻璃の鏡(えんまのちょうのじょうはりのかがみ)って、
言いますねん。
そやから女にだらしなかった男って言うのんは、
只、自分が楽しむ為に女を利用した。
そう言う低い心(靈)の発現由来の恋愛も有りまんねん。
それは低い愛(炁)の発現でんねん。
自分の事しか考えん恋愛でんねん。」
「そうかもしれませんね。」
「そうでんねん。
ほんまに相手を愛しいって思うのは・・・そんなもんや無いと思うんやけど、
話が逸れそうやから今話すのは見送りまんねん。」
「???」
「そやから結果、
低い心(靈)の発現由来の恋愛って言うのんは、
只楽しんだだけでんねん。
ほんでから本人はそれでエエと思うてる。
そやけどそれは、自分が楽しむ為だけに恋愛をしたとしたなら、
或は只単に、
相手の体だけが目当てってだけの事やったなら、
それは正しい事ではありまへんな。
そやからこそ、自分の娘や孫であるA野はんが、
男に弄ばれるところを見させられるって事が有りまんねん。
それを先生は指摘したんやと思いまんねん。
そやから父親や祖父は、
子孫、特に女の子に執着しカワイイと思うからこそ、
それを見せられるって言うのんが、
その人達の自省(胸の磁性“十”)に役立つって事が有りまんねん。
そうやってお父さんやお祖父さんは自省(胸の磁性“十”)しまんねん。
今まで自分がやって来た事に対する認識を変えて行きまんねん。
そやけどそれは・・・
それを知ったとしてもA野はんにとっておもろない事でんな。」
「そうですね。」
「話を戻しまんねん。
お母さんの入院費にしても、
結果、その費用はA野さんが負担せんならん。
そやからこそA野はんが仕事を変わりたいって思うても、
経済的理由で変わる事が出来へん。
それもちゃんとした理由があるって事を思いまんねん。」
「父や祖父に見せる為って事ですね。」
「そうでんねん。
そやけどその事も、
今、自分の仕事に疑問を感じてはるA野さんにとっては、
何でこんな目に遭わなアカンのやろって思いますやろ。」
「そうですね・・・もうやめたいのにやめさせて貰えない・・・
自分の思い通りにならない・・・」
「そやからそれも失礼ついでに言わせて貰えば、
A野はん自身が、
その仕事で得た報酬を吐き出さんならん。
それは、その仕事がA野はんにとって正しい事や無いからでんねん。
正当な報酬では無いって事でんねん。」
「正当な報酬・・・難しい言い回しですね。」
「そうでんねん。
正当な報酬を得るって事は難しい事でんねん。
それは自分の霊的成長度の水準から考えるべき事でんねん。」
「霊的成長度の水準・・・」
「解り難い事を言うてしまいましてん。
まるで先生みたいな言い方でんな。(ゲロゲロ←死語)

そやからそれは簡単に言えば、
自分がどれくらいの心(靈)の発現をしているのか・・・

その心(靈)の発現の段階って言うのんが、
先生自身の進化の概念なんやけど、
低い心(靈)の発現の人は、
その心(靈)の動きって言うのんは、
欺くとか騙すとか嘘をつくとか奪うとか・・・そういう事をしまんねん。」
「それは解ります。祖父や父がやって来た事でも有りますね。」
「そうかもしれませんな。
そやからそこには、
自分が“どういうつもり”で自分のエネルギーを贖ったのか?
自分の“力”(力、知恵、知識・・・学問・・・能力、そして霊能力を含む)を、
どう使ったのか?
そう言う要素が有りまっしゃろ。
それは、動機って事やねんけど・・・
それに応じた結果を獲得するのが正当な報酬でんねん。」
「はあ・・・なんとなく解る感じですね。」
「そやから低い心(靈)の発現って言うのんは、
極端な例を挙げれば、
それは動物を観るとよう判ると思いまんねん。
例えば肉食獣は、獲物を殺す事を恥じないでっしゃろ。」
「そうですね。」
「そやから自分にどれ位恥じるのか・・・それは人間やからでんな。
それも一つ、
人(日止、霊止)の心(靈)の部分やと思うたらエエねん。
ほんでから失礼ついでに言わせて貰えば、
A野はんのお父さんやお祖父さんは自分の快楽の為に女を利用した。
それを恥じてない。」
「そうですね。」
「そやから、恥じるって言うのんは、
自分の心(靈)の中の事でしかない事やし、
実際に今、
何にも恥ずかしく無いかの様に、
欺くとか騙すとか嘘をつくとか奪うとか・・・
例えば人の金をごまかしてる人達も居てるや無いですか。
自分達の利益の為に公然と人殺しをしてる人も居てるやないですか。
(戦争の事)

そやからKellyさん的に思うんは、
風俗で見せ掛けの快感を与えて金を取る事、
それもA野はんにとって正しい事ではない・・・そやけど、
こんな言い方は一般論でんな。
そやから一般諭では無くって、
A野はん的な仕事に対する認識って言うのが大事やと思いまんねん。
A野はんにとって恥ずかしい事・・・自分の仕事に疑問を感じ始めた事。
A野はんにそう言う心の動きが芽生えた。
そして、
今の風俗の仕事をしている自分の事が、
自分で段々許せんようになってくる。
そこから考えるのが本筋やし、
多分その事も、A野はんは理解してはるんでっしゃろ。」
「ええ・・・
解る様な・・・認めたくない様な・・・
・・・でも解ります。」

「そやからその心(靈)の動きが、
左往右往でんねん。
やってきた事を振り返る・・・
そして教訓にして行くって事でんねん。」
「そうですか・・・そうですね。」
「そやけど・・・
最近のKellyさんにはよう有る事なんやけど、
いきなり失礼な事をたくさん言うてしもてすんまへん。」
「いえ・・・自分はこんな仕事をしてるんだから、
どんな言われ方をしても仕方が無い事ですし、
ですから、
Kellyさんがそんな風におっしゃって頂く事は無いと思いますよ。
恥ずかしいのは私ですし・・・」
「いや・・・そんな思い方をされてはちょっと困りまんねん。」
「???」
「今、A野はんがやってはる事、それが自分にとって恥ずかしい事・・・
大事なのはその認識でんねん。
自分でそう思う事でんねん。
そやからA野はんがやってはる事自体を見て、
それは卑しいとか恥ずかしい事とか悪い事とか、
そんな風には思ってませんねん。
それは先生もそんな風には思うてないって思いまんねん。
そやからそれは、さっきも言うたみたいに一般論でんな。
一般にはそう言う見方をされがちですな。
そやけどそれは、
その人のすべてを観たって事ではありまへんねん。
うわべだけ見たからA野はんの仕事を卑下しまんねん。
ほんでからA野はん自身を卑下しまんねん。
そやけど先生やKellyさん的には、
そう言ううわべだけしか見てへん人の方が嫌いでんねん。
ほんでからそれは低い心(靈)の観察やと思いまんねん。
そやから一般論・・・
A野はんのやってはる事を頭ごなしに悪い!!
そんな事を言う資格の有る人は誰もいてへんねん。
そやから、恥ずかしいって認識はA野はんだけの認識でんねん。
そやからそれは形骸の善悪の事やなくって、
A野はんが今してはる事自体には、
今言うたみたいに恨みの連鎖の因縁の霊的干渉って理由があって、
それはお父さんもおじいさんもA野はん自身も、
心(靈)が“上”に向かう為の事でんねん。
只認識を獲得する為の過程に過ぎない・・・ほんでから、
間違える事は恥ずかしい事では無く、
間違いに気付き、
自分が恥ずかしいって思う心の動きそのものが、
貴いって事やと思いまんねん。」
「はあ・・・ですけど難しい話ですね。

今のお話の中でもKellyさんが言われた事、
“ほんまに相手を愛しいって思うのは・・・そんなもんや無いと思うんやけど”
・・・その話はしっかり聴きたいですね。
そして私自身の心境の変化に付いても疑問がありますし・・・
これからもKellyさんと色々お話させて貰ってもいいですか。」
「勿論でんねん。
喜んで~喜んで~喜んで~!!・・・でんねん。
居酒屋のオーダーみたいでんな。」
「キャッハハハ~~」
「そやからA野はんと話す事、
それ自体がKellyさんの為にもなる事でんねん。
Kellyさんの認識の整理にもなりまんねん。
そやからA野はんがKellyさんと話をする事自体を、
Kellyさんの負担になるとか、
そんな風に思わんでもエエ事やねん。
霊縁って言うのんは互いの霊的成長の為に必然としてある事でんねん。
そやから今後もよろしゅうに。」
「はい。解りました。
いっぱい聞きたい事がありますよ。
先生のブログの印刷された物を読んでも解らない事が多いし、
それを先生に直接訊くのもなんか・・・難しい話をされそうで・・・
だからKellyさんとは又お話したいですね。」
「そうでっか。
A野さんがそう思うんやったなら又お話しましょう・・・でんねん。
よかったら今度は、
Kellyさんの大好物、大盛りシ○○○―ルはどうでっか。」
「それもいいですね。
今度待ち合わせしましょう。

・・・そろそろ先生が散歩から帰ってきそうな時間ですね。」
「そうでんな。
おっ・・・A野はんの付き添いの声が聞こえてきましたで~~」


ワンワンキャンキャンクウ~ンクウ~ン
ワンワンキャンキャンクウ~ンクウ~ン
ワンワンキャンキャンクウ~ンクウ~ン
ワンワンキャンキャンクウ~ンクウ~ン

ε=ε=ε= (++ ) バテバテ・・・⊆^U)┬┬~...▼・。・▼」」」」ー ⊆^▼)┬┬~


A野はんの愛犬に遊んで貰ってはる先生
        ↓

          シッポフリフリ (^ェ^ U ))) オナラ3ブッーー
オテ!▽・_・;▽へ  【<●><×>】  へU^ェ^U オテ!

注 これは先生でんねん→【<●><●>



「・・・ただいま・・・疲れた・・・」
「先生、A野はんの犬にたくさん遊んで貰ったみたいでんな。
すっかりお友達になってるようでんな。」
「うん。
これこれ、そんなところを舐めたら感じるがね。アヘッアヘッ!!」
「・・・先生・・・いくら欲求不満でも、
そんな事くらいで感じてたらあきまへんで~~」
「A野さんと話は出来たかい。」
「それはもう、
そやけどいきなりA野はんにとっては難しい事を言うてしもたみたいで、
そやから又、
お話させて貰う約束をしましてんな。」
「そうか・・・それは良い事だね。」

「先生、Kellyさんとお話させて貰ってありがとうございました。
そろそろ失礼します。」
「気をつけてお帰りください。又お待ちしてます。」
「Kellyさんもそろそろ帰りまんねん。」
「うん。又ね。」




※ プライベートな事柄の公開を許可してくださったA野はんに、

感謝でんねん。(パチモンのKelly)


Kellyさん、この間のチョ~極上ラブラブ中高年夫婦の御主人との会話を、回想する。  そして・・・自省(胸の磁性“十”)する。



この間のチョ~極上ラブラブ中高年夫婦の御主人はんとの話・・・
思わず熱が入ってしもて、沢山話をさせて貰ったんやけど・・・
ほとんどチョ~極上ラブラブ中高年夫婦さんの御主人はんは、
相槌しか打たへんかったみたいなもんやな。
ほんでから話に熱が入ってしもた事、これも、
Kellyさんの砌(みぎり)のエネルギー、
肝=“いきり立つ心(奴と心)”やな。

ほんでから・・・
御主人はんには、小うるさいおばはんネーチャンやと思われたやろな。
・・・随分エラそうな口を利いたし・・・

そやけど・・・先生は、
“御主人はそんな事を問題にする人では無いよ。”

・・・そう言うてはったけど・・・

なんやしらんKellyさん的には、
思い出すとちょっと恥ずかしいやん。
ちょっと前のKellyさんは、
つつましやかな、おとなしい、女らしい、
喋ると❤ ❤ ❤ いっぱいなチョ~かわいいネーチャンやったのに・・・
元々、相手によってはよう喋るネーチャンやったけど、
うるさいくらいに喋るようになって来てるやんか・・・

それは、
年のせいか・・・先生の影響か・・・
口うるさいおばはんになってきたって感じやな。

そやけど・・・“昔はこうやったな~”・・・なんて思うようになったなら、
それは・・・人間としておしまいやな。

ほんでから・・・今、
ご主人はんとの会話を思い出して、ちょっと自分に恥じるって言うのんか・・・
そう思うてる事自体が、
やって来た事を振り返り自分の在り方や認識を改める・・・
閻魔の庁の浄玻璃の鏡みたいな事やな。
改めてそう言う事を思い出す事やな。
よう自省(胸の磁性“十”)しとかなアカンな。

そやけど・・・
この間の会話で重要な事は、無責任に対する認識やな。

無責任・・・自己奉仕者の特長とも言える事やな。
ほんでからにそれは霊的成長度も低いって言えるな。
自分が生きている事に対する認識・・・
それが低いからこそ、
たいした認識を持ってへんからこそ、
生きている間がすべてやと思う・・・

そう言う人が多数の星やから、
この星=現時点での地球は、自己奉仕者が活躍する。

そやけど・・・
チョ~極上ラブラブ中高年夫婦さんの御主人はんは、
そこまでの事は思わへんやろけど・・・
自分と比較して腹の立つ事が多いって話を先生にした。
この事も、
御主人はん=自分自身が、
自省(胸の磁性“十”)の人生を送って来たって認識が、
あまり無いやろからそう思うんやろな。

そやから、
霊的に生長して行き、体験を自分の教訓にして、
失敗の体験を、失敗と認識し、
生き方の糧にする。

・・・いいや、こういういい方では言葉が足らへんな。

自分が、自分自身が、
永遠の存在としての、
その認識の元に、
永遠に存在しつつ、
神さんの仕事を託される=事象の創造をして行く存在としての、
生命と心(靈)の在り方を考える。

そう言う視点を持ってるからこそ体験は教訓になる。
例えば、
誰かに腹の立つ事を言われたとしても・・・批判とか悪口とかでも、
前に先生はこういう言い方をした事がある。
それはこんな話やった。

“「アタシ的には、
批判すべきは、自分自身だけでいいと思っているから・・・ 
前回、般若心経の観自在で説明したように、自分の在り方を考えればいい。
他者を批判するのは、敵を作るだけにしかならない。」
「でも、批判されないと自分のいけないところに気が付かないでしょう?」
「気が付くのは、批判をどう自分が受け止めるか、ではないかい?」
「あっ、そうか!」 
「自分の在り方を考える事象として、受け止めるか?否か?でしょう。
そうなれば、
批判だろうが、悪口だろうが、
別の話のように思うかもしれないが、
病気だろうが、事故だろうが、殺されようが・・・ 
すべて自分の在り方を示す、忠告となる。」”・・・
(見え始めた日 参照)

そやからそれは左往右往って事なんやけど、
自分がどう在るべきなのか考えるから、
チョ~極上ラブラブ中高年夫婦の御主人みたいに、
無責任な人の行動を見ると腹が立つ。
そやけど・・・腹が立つのは自分と一緒やと思うからや。
誰でも自分と一緒って思いがちな傾向があるって事やな。
それは・・・そう思うてはアカン事やな。
錯覚に等しいし、先生の屁理屈でもある、
“事象を観察する視野が狭い”って事になる。

ほんでから先生は、
そんなもんは良い方向に向かう訳が無いって御主人はんに話した様やな。
それは、そう言う人たちは霊的に幼い・・・幼稚・・・
心(靈)の発現が“上”に向かっていないからこそ失敗する。
“神の咎め”を受ける・・・バチが当たる。
その事自体が、
霊的成長の法則性って事を言いたかったんやろな。
そやからそれは、
その霊的に低い人達自身に、
バチが当たるって認識が無い。
“神の咎め”の概念が無い。
只、自分の損得を考え、
利益を追求して生きる事が、
何が悪いって思うてるんやろな。

そう言う心(靈)の動きが生み出してる行動を、
少し“上”から観たなら、
それは無責任とか怠惰とか傲慢とか・・・
もっと程度の低いのは、
本能中心の心(靈)生きてはる人もいてるようやし・・・

そやから・・・霊的成長を果して行けば行く程、
心(靈)が“上”に向かえば向かう程、
責任を認識して行くって言うのんか・・・
先生的に言えば、観察する事象に対し・・・

事象・・・それは、
自分の肉体にも、
心(靈)の動きにも、
対外的な他者の存在にも、
それ以外の事象=場(フィールド)の構築にも・・・
責任を感じていくって言うのんか・・・

そう言う風になって行くって言うのんが霊的成長やな。
これは断言出来る事やな。

ほんでから、
チョ~極上ラブラブ中高年夫婦の御主人はんが思いはった事、
自分より、
低い心(靈)の発現の人=左往右往の段階に入って無い人に対し、
腹が立つ事・・・
それは、
御主人はん自身が心(靈)の“上”と“下”って概念を、
あまり持ってないからやな。
それは“玉石混交(淆)”って概念が無いって事やな。
そやから自分と一緒とか・・・
自分やったならこんな事は自分に許せへんとか・・・
そう言う考えになるんやな。

そやから・・・仮になんでも自分と一緒やったなら、
極端な事を言うたなら、
目の前に神さんと悪魔と・・・ほんでから自分がいて、
誰もが一緒って事になる。

・・・そんな極端な話は無いけど、
人対人では、そう言う事が有り勝ちって事はあるな。
そやから、
なんかの凶悪事件が起きて、
その犯人の知人とか友人とかのインタビューで、
“あの人はそんな事をする人には見えなかった”
・・・って言う人は沢山いてるけど、
それは人の外側しか見てへんからや。
心(靈)の動きなんて視点が無いし、
その事自体が心(靈)に対する認識が狭いって事やな。
そやから、心(靈)の動きなんて、
人対人の観察では、現時点、
とても低い観察しかしてへんって事なんやろな。
それは、
自分を観察する時にも言える事やろし・・・

そやからこそ、
低い欲望や自分の損得や低い自尊心や功名心や・・・
そう言う心(靈)の動きで創られてる事象・・・
形骸化した天皇制とか政治とか、
本来の意義を見失ったヨガとか、
現世利益の宗教とか、
程度の低い霊能力者とかインチキ霊感商法とか高い印鑑とか、
金儲け目的のスピリチュアルカウンセリングとかヒーラーとかオーラソーマとか、
アセンションセミナーとか・・・
色んな無責任な物が生み出されていくって事になるな。
そやけど、
それに関わってる人達には無責任って認識が無いって事やな。
そやからこそ色んなものが壊れて行くんやな。

そやからKellyさん的に思うんは、
無責任・・・
それを認識する事が霊的成長の一端でもあるな。

そやからそれは、何回も考えた事でもあるけれど、
自分の在り方って事を考えて行かんならん。
自己観察・・・“観自在”“直日(なおひ)”自省(胸の磁性“十”)の“行”、
それそのものが、
高度な心(靈)の動きの観察って言う事になって、
それ由来の心(靈)の構築と発振、発信になって行くんやろな。
ほんでからに、
その自己観察を通じて、霊的成長ってなんなのか・・・
ほんでからに、
地球が霊的成長度の人(日止、霊止)の構成する、
霊的に高い場(フィールド)になって行く・・・
そやからこそ、
自分(の心(靈))が次の場(フィールド)に移行する事、
それは・・・アセンションって何なのか・・・

今回、御主人はんとの会話を振り返って、
色んな事を思わされてるって言うのんか・・・
これから・・・
そう言う事を考えて行かんならん事やな。

・・・っちゅう事で、
今回は、Kellyさん的Kellyさん自身の自己観察の話でもありまんねん。

ほんでから今後は、
低い心(靈)の発現由来の事象、

例えば今回考えた、無責任についても 考える事にしまんねん。

今日はこれくらいにしときまんねん。

○○○大先生がH12年に撮った伊吹山の花の写真

今回の写真は、今から八年前、
伊吹山に先生が行った時の写真でんねん。
日付を見ると5月21日になってるから、
ちょうど今の時期に一致しまんねん。

何でこんな古い写真をアップしたかと言うと、
チョ~極上ラブラブ中高年夫婦さんのお二人が近々、
伊吹山に行くって言うてはるから、アップしたって事でんねん。

一輪しか花が付いて無いけどニリンソウ(二輪草)でんねん。

まだ咲きかけでんねん。↓

H12 伊吹山 ニリンソウ2


H12 伊吹山 ニリンソウ1


H12 伊吹山 ニリンソウ3


ヤマエンゴサク

H12 伊吹山 ヤマエンゴサク


 

斜面のショウジョウバカマ

H12 伊吹山 ショウジョウバカマ1

 

 

H12 伊吹山 ショウジョウバカマ2


 


イワキンバイの咲きかけでんねん。

H12 伊吹山 イワキンバイ


Kellyさん、チョ~極上ラブラブ中高年夫婦の御主人と、心(靈)の発現の段階に付いて・・・世間話をする。



・・・この間ちょっと思いつきで、
先生の顔見たりましょって思うて○○○療院に行きましてん。
そしたら先生は珍しく仕事中で、
その時、
チョ~極上ラブラブ中高年夫婦さんの奥さんの治療中でしてん。

チョ~極上ラブラブ中高年夫婦のお二人の事は、
思惑と顕現 “その十”
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔=マーラ(魔羅)”
・・・その思惑と顕現

・・・の、後半を読んで欲しいねん。

ほんでからに、
待合室で治療中の奥さんを待ってはった、
チョ~極上ラブラブ中高年夫婦の御主人に会いましてん。

その時に御主人と少し世間話をしましてん。
その時の事をかいつまんで紹介しまんねん。


☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀


「はじめまして、チョ~極上ラブラブ中高年夫婦さんの御主人はん、
Kellyって言いますねん。」

(およ~~~・・・ちょっと年食ってはるけど・・・エエ男やな。)

「こちらこそ、はじめまして。
Kellyさんのお噂はかねがね先生から伺ってますよ。」
「そうでっか・・・
どうせ、よう喋るとか売れ残りネーチャンとか男みたいな性格とか・・・
色んな所が垂れ下がってきたとか・・・
エエ事は言うてませんやろけど・・・」
「ハッハッハッ!!」
「チョ~極上ラブラブ中高年夫婦のお二人さんの事は、
前に先生と少し長い話をさせて貰った事がありまんねん。
それは、先生がお二人を観て、
お二人の事を、
心(靈)の発現が“上”に向かってはるって認識してはる。
そやからそれは、
お二人の人生が左往右往の段階に入ってるって先生は思うてる。
前に、
先生とそう言う事を中心に話をさせて貰いましてん。」
「そうでしたね。ブログを読みましたよ。」
「お二人の心(靈)の発現の段階って言うのんが、
人の進化過程=霊的成長って事でとても大事な事やから、
先生は話題にしたと思いまんねん。
ほんでからにお二人は互いの幸福を望んではる。
それは“上”の心(靈)の発現由来の関係でもあるって言う事で、
そやから先生は、
チョ~極上ラブラブ中高年夫婦ってお二人の事を呼んで茶化してはると思いまんねん。
(迷惑なこっちゃな・・・)

そやから、左往右往、
それは簡単に言えば、やってきた事を自分の認識=教訓にして、
今後の自分の在り方を考える・・・
それは、霊的成長の過程として必要な事でんねん。
そやからこそお二人の事を話題にした。
ほんでからにそれは、
先生もKellyさんも、今、そう言う段階の人生を送ってる。
そう言う点で、
先生とKellyさんとチョ~極上ラブラブ中高年夫婦のお二人はんは、
おんなじでんな。」
「・・・そうかもしれませんね。」
「そうでっせ。
そやからこそ先生は、お二人に小うるさい話をしはる。
それは共感を覚えてるって事でんねん。
ほんでからにそれは、Kellyさんもでんねん。
そやからKellyさんも、
機会が有ったらお二人と話をしてみたいと思ってましてん。

ほんでから、先生自身が勝手に思うてる事・・・
この○○○療院には、自分達の人生に付いて深く考えてない人は来ない・・・
左往右往の段階に入って無い人は先生と(霊)縁が無いって事で、
ほんでからそれは今言うた事ばかりの事やけど、
自分の人生に付いて深く考えていない・・・そう言う認識の人は自己奉仕者でんねん。

そやけどお二人は、そう言う人(日止、霊止)ではない。

それは、お二人の心(靈)は、自分達の人生から得られる認識・・・
今までの認識から、
違う認識を獲得し出してるって先生は思うてる。
そやから先生は根っからおせっかいやから・・・色んな話をする・・・
そうやおまへんか?」
「そうですね・・・随分説教されましたよ。」
「すんまへんな・・・
悪気は無いさかいに・・・大目に見てやってください・・・って、
別にKellyさんが、先生の肩を持つ事やおまへんのやけど・・・」
「それは、多分・・・
Kellyさんも私達と同じようにさんざん説教されたって事でしょう。」
「そうですねん、よう解りまんな・・・

そやから、先生のおせっかい・・・
先生は仕事柄色んな人に逢うんやけど、誰にでもおんなじ様な話をする訳や無い。
先生の認識が伝わらへん人には、
先生の認識自体を話す必要が無い・・・
それは、ちょっと傲慢ともいえる考えを持ってるとも言えるんやけど・・・

そやからチョ~極上ラブラブ中高年夫婦のお二人さんにも、
私、Kellyさんにも、
先生自身の認識のすべてって言うのんか・・・
先生が思うてる事のすべてを話していないって事なんやけど・・・
何でも話をしてる訳やないと思うんやけど・・・
先生は誰にでも良い方向に向かって欲しいと思う・・・
それは間違いのない事でんな。
そやから少しでも自分と霊縁の有ったと思える人(日止、霊止)には、
自分の考えを伝えたい。
そう言う気持ちでいると思いまんねん。
そやから人によっては、
チョ~おせっかいの小うるさいジジイって事になりまんねん。
小さな親切、大きなお世話でんねん。(笑)
ほんでからに、
チョ~極上ラブラブ中高年夫婦さんのお二人に、
そう言う話しをしたって言うのんは、
お二人と私は、
先生におんなじ様に扱われてるからって事でんねん。」
「そうですね・・・それは私も理解してますよ。
そして先生が、
お互いがお互いの幸福を望む・・・
その私達夫婦の中の良さを、
褒めてくれているって事を言葉の端々から感じる事はありますよ。
しかしそれは、
さっきKellyさんが指摘したみたいに、
茶化したり・・・皮肉っぽく言う事が多いですけどね。」
「重ね重ね・・・すんまへんな・・・
先生は元々へそ曲がりやけど、
ジジイになってきてどんどんひねくれてきてるから、
良い物を良いって表現する事を忘れてしもてる様でんねん。
そやから意固地な頑固ジジイになってきてまんねん。
そやけどさっきも言うたけど、
それは先生のお二人に対する評価でんねん。
ほんでからに、
先生がある程度お二人に心を開いてるからこそ、
茶化したり皮肉っぽく言うてると思いまんねん。

ほんでから先生は、
心(靈)の発現が“上”に向かっていない人(日止、霊止)とは、
口も聞きたく無いってところが有りまんねん。
そやから先生は、普通の心(靈)の発現の人が嫌いって事が有りまんねん。
チョ~極上ラブラブ中高年夫婦さんのお二人は、
そう言う扱いでは無いって事でんねん。」
「それはそう思いますよ。
時々、先生と、
今の政治家の不祥事や公務員の怠慢や・・・
今Kellyさんがおっしゃった普通の心(靈)の発現の人って事ですね。
そんな話をした事がありますが、
先生はそんな人なんか・・・
良い方向性に行く訳が無いって思ってるみたいですね。
自分も兄弟に公務員がいるから、
得に今の公務員の怠慢には腹が立つんですけどね。」
「それは今も言うた事やけど、
そう言う人(日止、霊止)の心(靈)の発現の段階は、
心(靈)の発現が“上”に向かっていない自己奉仕者って事やから・・・」
「話の腰を折って悪いんですが・・・
自己奉仕者って言うのは、あんまり聴いた事の無い言葉ですね。」
「自己奉仕者って言うのんは、
“テオドールから地球へ”って本があって、
それは、テオドールって呼ばれてる宇宙的存在が、
チャネラーを通して色んな事を言うた・・・そう言う内容の本でんねん。
その本の中に出てきた言葉なんやけど、
とても的を得た上手い表現やから、先生が引用してはる・・・
そう言う言葉でんねん。
そやから自己奉仕者って言うのんは、
自分にしか奉仕せん人、
自分の為にしかエネルギーを贖わん人って事でんねん。
それは低い愛(炁)の顕現って事でんねん。
自分しか愛せへんって事でんねん。
その時の自分達の行動の結果、
それが、
自分達の為だけの、
或は、自分の周囲だけの為だけの良いカタチを望む。
自己奉仕者って言うのんは全体の事を思わへん。
そやからそれは、
心(靈)の発現の段階が低いって事なんやけど・・・
先生と私が今まで話して来た事の中で、
重要なテーマの一つでんねん。」
「そうですか・・・それを説明して貰えますか?」
「そうでっか・・・
先生みたいに上手く屁理屈交えて話せへんかもしれへんけど・・・
私でよければお話させて貰いまんねん。

人がなんかするって言うのんは、
希望とか欲望とか・・・
自分にとっての良いカタチって言うのんか・・・
幸福を求めるとか・・・
色んな動機があって色んな行動を取るやないですか。」
「そうですね。それは良く解りますよ。」
「そやから、
何も望まんって事を仮定したとしたらそれは、
何の行動も取らへんって事になりますねん。

(実際にそんな生命(生きる使命=存在目的)・・・は、
無いと思うんやけど・・・
ほんでからに、
神が創造を始めた理由もそこにあると思うやけど・・・)

色んな動機で自分のエネルギーを使い、
その動機、それは、
“どういうつもり”って言えば解り易いかもしれへんけど、
何かをする為には心(靈)の動きって事が必ず有って、
(思惑の顕現)
動機=心(靈)の動きの無い行動は、
無いって事ですねん。

当たり前の事を言うてますな。

そやから自分のエネルギーを贖って、
それは例えば、プロスポーツなんか観ると解り易いんやけど、
頑張って(元の気を張って)努力して鍛錬せんと、
結果は残せへんって事でんねん。

そやけど、プロスポーツの場合は、
金銭と賞品とそして自分の名誉って結果やけど・・・
(それは低い功名心由来の幸福の概念なんやけど・・・いきなりそんな話は出来へんな。)

ほんでからにそれは、
スポーツだけや無くって、
仕事とか人間関係とか・・・それは自分が思う良いカタチ・・・
色んな事に自分自身がエネルギーを贖っていく。
それを望みながら行動する・・・そうやって人は生きてるやおまへんか。」
「そうですね。」
「良いカタチを望む。
そやからこそ人は、幸福って概念を持ってるとも言えますねん。
その幸福を求める心(靈)の動き・・・
それには程度があって、
それを先生は、
心(靈)の発現の段階って言い回しをしまんねん。
それは、極端な話をすれば、
自分だけの幸福を望むなら、騙して欺いて泥棒して人殺しして・・・
そやけどそう言う事でもエネルギーを贖う(あがなう)って事でんねん。
そやからそれは、
欲しい物はどんな手段を使ってでも手に入れる。
そやけどそれも、それなりにちゃんとした動機のある事でんねん。
それが、自分に対する程度の低い愛って事でんねん。」
「なるほど・・・」
「ほんでからにその低い心(靈)の発現での行動って言うのんは、
バチが当たりまんねん。
それが、やってみてから教訓を得る=右往左往でんねん。
ほんでから、バチが当たる理由って言うのんは、
それは、
創造って法則性に乗っ取っていないからでんねん。」
「難しい言葉をおっしゃりましたね。
創造の法則性ですか・・・それを説明して貰えますか?」
「そうでっか・・・
そうやったなら、又、極端な話をさせて貰えば、
自己奉仕者・・・そんな心(靈)の発現の生命(生きる使命=存在理由)では、
あっという間にこの世界は崩壊しまんねん。
もっと極端な言い方をしたなら、
そんな心(靈)の動きの生命で宇宙は構成されてないって事でんねん。
そやからそれは、自分達だけの幸福を望む=自己奉仕者だけの宇宙は、
成り立たんって事でんねん。
さっきも言うたけど、
自分達だけの望みの達成の為に、
騙し騙され
欺いて欺きあって、
奪い奪い合って、
最後には殺しあって、それは自滅しかありまへんねん。
そやけど・・・そう言う人もいてるけど、
人はそんな人ばっかりやないやないですか。
現にこの世界は崩壊していない・・・」
「そうですね。善人も悪人も居ますね。」
「“善”と“悪”、それですねん。
それが人が取るべき行動の指標って事でんねん。
そやから人(日止、霊止)は、バチが当たるって事を知ってる。
それは、
自己奉仕者由来の自分達だけの幸福の概念から、
“上”の心(靈)の発現由来の事でんねん。
そう言う事も今まで先生と話をして来ましてん。

そやから、
ご主人はんが不満に思ってはる政治家や公務員って言うのんは、
その職業を選択した理由を考えると解ると思いまんねん。
政治家は名誉欲と金銭欲、もっと低い欲望の達成って事も思うてる。
公務員は楽に生活して給料がいい・・・そう言う生活がしたかった。
すべての政治家や公務員がそう言う人やって事では無いんやろけど、
そう言う傾向は強い・・・
それが今どんどんバレてはるから、
報道されてそれを見るからご主人は腹が立つ・・・そう言う事でっしゃろ。」
「そうですね。」
「そやからそれは自己奉仕者でんねん。
自分達の為に税金を無駄遣いしたりする・・・
そやけどその動機は低い欲望に由来する事が多い。
そやから自分達だけ楽したい、自分達だけエエ目を見たい、
そやから国民に分からん様に税金や年金を誤魔化す。
その為に自分の獲得してきた能力・・・学歴とか地位とか名誉とか・・・
知恵や知識を使う。

でもそれはバレるって事でんねん。
バレなあきまへんって事でんねん。
その人達の霊的成長には必要って事でんねん。

そやから、バチが当たってからその人達は、
それを教訓にして行く=左往右往するって事でんねん。

ほんでからに沢山金を集めたい理由って言うのんは、
大体決まってて、
物欲とか・・・上手い物を食いたいとか、性欲を満たしたいとか・・・
それは“八戒”・・・西遊記の豚でんな。
それはその八戒や砂(沙)悟浄や孫悟空や三蔵が、
人の心(靈)の発現の段階を示してるって言う事も、
先生と話したんやけど・・・

八戒・・・企業のトップや政治家って言うのんは、
そういう事がしたくって自分の為にエネルギーを贖ってきた。
大体、人が地位や名誉や金を求める理由って言うのんは、
100パーセントそうや!!・・・とは言いまへんけど、
そう言う事が多い・・・
そやから今政治家や大企業のトップって言うのんは、
物欲や名誉欲や本能を満たす事が動機で地位や名誉を得た。
そやけどそれは右往左往でしかないし、
ほんでからにそれは自分の欲望をどう扱うのかって自己観察もない。
そやから社会的に地位を得たなら、金を得たなら、
そう言う人がやる事って言うのんはパターンが決まってまんねん。
その一部もバレてて、
どっかの大企業のトップのセクハラみたいな報道も有ったやないですか。
そんな事は多分、氷山の一角でんねん。
しょっちゅうやってまんねん。
ほんでからにそれを金で解決してると思いまんねん。

そやから・・・
それそのものが心(靈)の発現が低いって事でんねん。

ほんでからにそれに腹が立つのは、
御主人はんがその人達の良い在り方を望んでるからでんねん。」
「そうかもしれませんね。」
「それは、
ご主人はんが相対的にそう言う人達より、
“上”の心(靈)の発現をしてて、
それは自己奉仕者から奉仕者への道を歩いてまんねん。
ほんでから、
究極の奉仕者って言うのんが、
神さんやと思いまんねん。

神さんは生命にエネルギーの供給をしてる・・・
それが神って言う字に表れてて、
神って言う字は、
示すへんに“呂”=エネルギーの回転でんねん。
それは、霊的干渉 “目上(めうえ)と目下(めした)”“その六”で、
話をした事でんねん。

ほんでから神さんは、
人(日止、霊止)にこの世界の創造を託した。
そやからエネルギーを送り、何の代償も求めへん。
人(日止、霊止)が、
自分達の幸福な世界を創造する事を望んではる。
その中での良いカタチ=創造の法則性を認識して欲しいから、
創造の過程で人が法則性を知ったから、
バチが当たるとか“善悪”の概念とかを、
人(日止、霊止)自身の認識として得たって言うのんが、
先生の考えでんねん。

話が逸れましてん。

ご主人はそう言う人を見て腹立てる・・・それは、
その人(日止、霊止)の良い在り方を思う・・・
それが“慈悲”と“慈愛”でんねん。
低い欲望から発達した心(靈)・・・それを自我と認識したなら、
その“上”の心(靈)の発現は、“慈悲”と“慈愛”・・・
そやから、
自分と自分以外の自我の醜さを観察してからの、
心(靈)の動き・・・

それは、慈しみと・・・ちょっと説明が足りまへんな。

そやから、
程度の低い心(靈)の発現・・・
その自我って言う心(靈)の発現の程度の低さに、
悲しみ=心が痛み(非=いたむの意)、
そして、
良い在り方を望む=慈愛・・・いつくしみ、いつくしむって事になりまんねん。
又、それは、
自我の肥大を許さん“厳しさ”の概念にもなりまんねん。
そやから先生は、
“慈悲”と“慈愛”の心の発現をした人(日止、霊止)は、
“厳しさ”を獲得する・・・
そう言う言い方をした事がありまんねん。
ほんでからにKellyさんがちょっと功名心で言わせて貰うなら、
“厳しさは成長の法則性から得られた認識”って表現をした事がありまんねん。
心(靈)の発現の低い人は、
自分に対する“厳しさ”を持ってへんって事でんねん。

ほんでから余談ついでに話をすれば、
低い心(靈)の発現の程度の人同士は、
おんなじ程度の価値感になり、
それ由来の行動をとり、
それは“日月神示”の中の言葉でもある、
“盲が盲を率いて”って事でんねん。

そやからご主人は、
そう言う人に対して少し“上”の心(靈)の発現をしてはる。
“盲”やと感じるって事でんねん。
そやから腹が立つって事でんねん。
ほんでからにそれは、
ご主人の心(靈)の発現から見た認識って事でんねん。」
「それは・・・程度が違うって事ですね。」
「そうでんねん。
“玉石混交(淆)”でんねん。
それは“上”の心(靈)の発現をした人が、
“下”の心(靈)の発現由来の行動=創造を良く観察して、
自分の教訓にして行くって言う意味もありまんねん。

そやからそれは、
おんなじ程度の心(靈)の発現=霊的成長度なら、相手が無責任でも許せる・・・
ほんでから、無責任を無責任って思わへんって事でんねん。
それが当たり前の世界を構築した・・・
それが政治家とか公務員を選択した人の心(靈)の発現由来の創造でんねん。
それは、
自分の心(靈)の中の無責任を自分で許してるのとおんなじでんねん。
ほんでからご主人は無責任に腹が立ちまんねん。
それをご主人としては、
許せんって事でんねん。

そやから、
そう言う人同士はそう言う人同士お友達になったり、
話が合うとかウマが合うとかって事になりまんねん。
それを先生は、
場(フィールド)の構築って表現してまんねん。
ほんでから今後は、アセンション後は、
そう言う人同士一緒にしておいたなら良いカタチの創造は出来へん。
そやからこそ、
程度の低い心(靈)の発現由来の創造は、
バチが当たり、
バチが当たった事を認識して自分の心(靈)の在り方を考えていく・・・
そう言う人(日止、霊止)でないと、
今より良い世界は創られへん・・・

そやからバチが当たるって事でんねん。

でも、
そんなバチが当たらんでも自分の心(靈)の発現が“上”に向かってたなら、
自分がどう在るべきかなんて事は簡単に判る事でんねん。

そやから仮に、
御主人はんが世界的な地位や名誉や金を得ようとして、
人を欺くとか騙すとか嘘をつくとか奪うとか・・・そんな事はしませんやろ。」
「そうですね。」
「ほんでから仮に、
沢山の使いきれんくらいの金を得たとしても、
自分の欲望の達成を・・・それは少しは考えるやろけど・・・
低い心(靈)の発現由来の欲望・・・本能的な事でんな。
例えば、
女買ったり美食ばかりしたり・・・そんな事ばかりしませんやろ。」
「そうですね・・・そんな事はしないですね。
美味い物は食べたいと思いますが、それは程ほどにしておくべきですね。
食べる事に関しても先生から随分色んな事を言われましたし・・・
だから・・・
自分とかあちゃんの幸せを考える・・・まずそれを思いますね。
そして欲望ばかりには走らない・・・女買ったりはしないですね。
それは・・・今Kellyさんが言った通り、
少しはそう言う気持ちもありますけど・・・」
「それは誰もが、
本能から心(靈)の発現をして来たからでんねん。
心(靈)の構造の“上”と“下”は、
本能、情動、功名心、自我、愛(炁)、創造、知恵、智慧、智性という振動やからやねん。
本能と智性、
どっちが動物的でどっちが神さんに近いのかって事でんねん。」
「そうですね・・・
本能由来の行動・・・本能中心の行動って事ですね。
そんな事はしないでしょうね。
特にうちのかあちゃんはちょっと怖いし・・・(笑)」
「それは違いまっせ。
御主人はんが、かあちゃん=奥さんの事が怖いんや無くって、
御主人はん自身が自分の欲望の在り方を、
よく自分で観察してはるからやと思いまんねん。

そやからこそそれは、本能より、
“上”の心(靈)の発現をしてるって事でんねん。
そやけど、
その心(靈)の発現を持ってても・・・
言い換えれば、
自分の欲望の在り方を考えへんと、
人を利用してまで自分の利益を追求するのが、
自己奉仕者でんねん。
ほんでからにそれが先生の“悪”の概念、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”って事でんねん。
それは(霊的)進化の反対でもあるし、
人の心(靈)の動物化でもありまんねん。
ほんでからに御主人はんは、
自分の本能由来の行動を、今、選択せんかったやおまへんか。
その事自体が、
無責任を露呈してる人達とは、
心(靈)の発現の段階が違うって事でんねん。

それが霊的成長度の違いでもあるし、
自己奉仕者から奉仕者への道の段階の違いでもあるし、
愛(炁)の顕現の程度の違いでもありまんねん。

そやからKellyさん的に思うんは、

誰かが誰かを観たならそれは、自分と心(靈)の発現の段階が一緒やと思う。
そやから“下”の心(靈)の発現由来の行動を見ると、
腹が立ちまんねん。
自分やったならこんな行動は取とらへん・・・
そうは思うても、その認識は錯覚でんねん。
誰もが一緒の心(靈)の発現はしてへんねん。
心(靈)の発現の段階はそれぞれ違いまんねん。」
「そうかもしれませんね。」
「ほんでからにそれを人を卑下する材料にするとか、
差別するとかはアカン事でんねん。
只それは心(靈)の発現が低いって事で、
その行動由来のバチが当たる事自体が、
新しい認識を獲得する事でんねん。
そうやって心(靈)は育って行きまんねん。
幼い・・・霊的に幼いって認識を持つべきやと思いまんねん。

・・・そやけど、年上の人に向かって随分生意気な口をきいてまんな。」
「いいえ、そんな事は思いませんよ。」
「すんまへん・・・話に熱が入りすぎましてん。」
「先生みたいに上手く話せないかもしれないっておっしゃってましたが、
中々難しい言葉を使いこなしてて、
Kellyさんも屁理屈上手だと思いますよ。
これは、褒めてるんですよ。」

_(。_°/ ズルッ!・・・ズベッ(ノ_ _)ノ・・・(o;_ω_)oバタ・・・コケテモタ
(ノ_-;)ハァァァァァァァ・・・ ゚~~~(゚ω゚=)~~~゚ ポカ~~~ン

「・・・そろそろ奥さんの治療が終わる時間でんな。」
「そうみたいですね。」
「又お話させて貰ってもよろしいやろか?」
「それはもう・・・機会があったら、又、色々聞かせてください。」
「承知しましてんな。
こちらこそ今後もよろしゅうにでんねん。」

・・・チョ~極上ラブラブ中高年夫婦の奥さんの治療が終わりました。

「あら~~~Kellyさん~はじめまして~
名古屋市○区○○町界隈で有名な中高年バカップルの妻です~
よろしくね~
うちの主人と随分話が弾んでたようですね~治療室まで聞こえてましたよ~
先生からKellyさんの年齢を聞いてますけどKellyさんと私は同じ干支なんですよ~
私と一回りしか違わないとは思えないですね~
スタイルも中々ですし肌のツヤも中々ですし~とても元気そうな感じですし~
若く見えますね~
羨ましいわ~~私も若い頃に戻りたいわ~~」

(ウッ・・・よう喋る人やって先生から聞いてたけど・・・
句読点の無い会話をする人やな・・・)

「こちらこそはじめまして、奥さん。
Kellyって言いますねん。」

「さて~
主人を待たせてましたから~今日は失礼しますね~
今度機会があったら私もお話させてくださいね~」

「はあい・・・その時を楽しみにさせてもらいます。
今後もよろしゅうに。」



☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀



「やあ、いらっしゃい。
随分熱の入った会話をしてたみたいだね。」
「そうですねん。
ちょっと生意気な口を利いたかもしれんって、
思うてたところでんねん。」
「チョ~極上ラブラブ中高年夫婦の御主人はそんな事を問題にする人では無いよ。」
「そうかもしれへんな。謙虚な感じの人でんな。」
「そうだね。
その人の謙虚さって言うのも自省(胸の磁性“十”)の表れだからだよ。」
「そうやな。」
「さてね、ちょうどいいから話をしておくんだが・・・」
「なんでんねん。」
「Kellyと話をしたいって人が居るんだけれど、
勿論、
Kellyとその人との都合が合えばって事でもあるし、
Kellyがイヤだと思ったなら断ればいいだけの事なんだが・・・」
「イヤなんて事はないと思いまっせ。
先生がそう言う言い方をするんやから、チョ~極上ラブラブ中高年夫婦さんみたいに、
左往右往の段階に入ってる人ですやろ。」
「そう、
そしてその人はこれから自分の人生を憂いていく段階だと思うんだな。
今、右往左往から左往右往に入った・・・まさにその段階の人だね。」
「そうでっか・・・どんな人でんねん。」
「その人は二十代後半の女性で、風俗の仕事をしている。
今、自分の二十数年の人生を振り返る段階に入ろうとしている。
・・・で、色々アタシなりに話をしたんだが、
女同士話がしやすいって事もあると思うし、
その人の憑き物の程度が低いので、アタシの事が少し怖いらしい。」
「そうでっか・・・そやからその人の認識の為にKellyさんと話をする・・・
それが先生の意図でっか?」
「いや、そうじゃないけど、
その人自身Kellyと話しをしたがっていると思う。
別にアタシが何か仕組んだとかでは無いよ。
その人は、アタシ達のブログも読んだ人だしね。
きっと色んな疑問を持っているし、
アタシの説明だけでは納得してない事も多いと思う。
だからKellyと話すといいんじゃないかなって思ってるだけだよ。」
「そうでっか。承知しましてんな。」
「うん。今度その人が来たときに連絡させて貰う。
それでいいかな。」
「はあい。」
「・・・で、なんか今日はアタシに用事があったのかな?」
「いやそうやおまへんねん。
ちょっと寄っただけやから・・・
そやけど、
たくさん色んな話しが出来てよかったと思ってまんねん。
こう言う事はKellyさん自身の認識を確認する為にも大事な事でんな。」

「そうだね。
自分の認識を誰かに話すって言うのは自分の考えの整理にもなるね。
そしてその時に又“上”からの通信も受けるものだよ。」
「そうやな・・・そやからその女性との話も楽しみにしまんねん。
なんて名前の人でっか?」
「A野さんって人だよ。」
「そうでっか・・・
さて、先生の顔も見たし、沢山話をしてちょっと疲れたから、
今日は失礼しまんねん。」
「うん。それじゃまたね。」
「はあ~~い。」

“日月神示” 上つ巻 第十一帖 Kellyさん的解釈

今回も“日月神示”上つ巻 第十一帖を解釈しまんねん。
原文は以下の通り、


いづくも土にかへると申してあろうが、
東京も元の土に一ときはかえるから、
その積りでゐて呉れよ。
神の申したこと違はんぞ。
東京は元の土に一時はかへるぞ、
その積りで用意して呉れよ。
六月の十九日、一二のか三。


冒頭の言葉、

“いづくも土にかへると申してあろうが、”

・・・そやからそれは、
“いづくも”=すべて、ほとんど、“土にかへる”・・・

“土”=2~3番目のオーラの発振、発信の事象、物質的肉体のオーラでもある。
その心(靈)の発現で、
その発振、発信で、(そう言うつもりで、その価値感で、)
土=物質を作り変えてる・・・それがこの文明って事でもあると思えるやんか。

そやから、
物質を色々移動させたり形を変えたり・・・利用したり、
それが、
力を示す事やと思うてる心(靈)の発現の段階の人が多い。

ほんでからに物質の法則性を探る・・・物質だけを観察する・・・
それが科学とか、
(“力”としての)知識を得る為だけの学問とか・・・
そういう事が価値のある事やと思うてる場(フィールド)が、
この世界でもある。
そして、“力”って言うのんは、
権力を示す事やったり、
金持ちになる事やったり・・・でもある。

その心(靈)の動きにあるのは、
自分の目先の欲望の達成・・・
自我の確立=固定化の心(靈)の動きでもある、
(低い)幸福の概念やったりもする。

ほんでからにその低い幸福の概念は、
(霊的)進化過程としてはとても低い。

自分だけ自分だけ・・・或は、自分の周りだけ・・・
それはボス猿の縄張り意識に近い。

物質の繁栄・・・その為に“力”を得てきた事、
そしてその裏にある霊的干渉・・・
科学の発展かて、何かの発明や発見かて、
“上”から許可が出たから、
“上”からの通信を受けて学者さんが発想する。
それをローム太霊さんは、“術”と表現したと思えるやんか。
それは、
先生とKellyさんがローム太霊講話集を読んで思う事なんやけど・・・
低い心(靈)の発現の人があの本を読んだなら、
天狗や仙人のローム太霊さんの説明を、
そう言う風には受けとらへんやろな。

話が逸れたやん・・・

物質の繁栄、科学・・・学問、文明の発展、
それは、
その為にエネルギーを贖った“行”をした結果でもあるけど・・・
それは、
先生やKellyさんが観たなら、
ローム太霊さんの言葉でもある右往左往でしかない。
そやからそれは失敗し、教訓を得る過程でもある。

その具体例が、
核エネルギーを発見した地球人はそれを兵器に利用した。
これは人間型生命の“力”の獲得のパターンでもあるって、
先生は“上”から通信を受けてる。

そこで今まで人間型の生命の文明が崩壊したケースは、
宇宙的には沢山あるし、
それは一部チャネラーも受け取ってるメッセージでもある。

そやから、今の話の核エネルギー・・・
それは、
“力”をどう扱うのか・・・それは試金石でもある。
地球人は試されてる。
ほんまの価値を知ってる人は、人殺しなんかに使わへん。

そやけど・・・低い心(靈)の発現の人が多いから、
きっとこれからもあるやろ。

そやから、
物質の繁栄・・・砌(みぎり)の“行”・・・右往左往・・・
それが現時点、この世界では力を示す事やし、
“力”(力、知恵、知識・・・学問・・・能力、そして霊能力を含む)は、
その為にあると思われてるし、
そやからこそ自己奉仕者が活躍する世界でもある。
そしてその為にエネルギーを贖ってきた人(日止、霊止)は、
右往左往から左往右往って霊的成長の法則性があるから、
必ず失敗し、
自省(胸の磁性“十”)の“行”に入り、
“観自在”・・・自分の心(靈)の在り方を観察し、
それそのものが、
神道の言葉でもある“直日(なおひ)”の意味でもある。


そやから・・・物質の繁栄・・・それらの事象は、
“すべて土にかへる”
土に戻すって意味でもあると思う。

そう言う意味で、次の言葉、

“東京も元の土に一ときはかえるから、
その積りでゐて呉れよ。”

“東京”・・・“東”と、“京”、

“東”・・・これは字の意味として、
物を入れ棒を通して両端をくくった袋を象った形が、
東って字になった。
そやから“東”は物質の繁栄を象徴してると思えるやんか。
大体“東”って言うのは物の繁栄に関わってる事が多いと思える。
それは、ローム太霊講話集の中でも、
東の方角の東照大権現大神は、
物質の神さんやってローム太霊さんは言うてる。

そう言う命名(使命、役割由来の名前)なんやろ。
ほんでからに、“京”・・・この漢字の意味は、
丘の上に立つ家の形、神殿や貴族の住む丘の上の住居の意味がある。

そやからなんやしらんこの文章の中の“東京”って言うのんは、
地名としての東京もあるけれど、
東京なんてもう心(靈)を失ってる場(フィールド)でもあるって事なんやろけど、
物質の繁栄だけをして来た創造の意味も、
あると思えるやん。

そやからこそそれは、

“元の土に一ときはかえるから、
その積りでゐて呉れよ。”

・・・“元の土”
これは、二=肉体のオーラと、
儿部(じんぶ、にんにょう)・・・人(日止、霊止)が認識する時間の進行と、
“土”=2~3番目のオーラが(たて棒、コン)で、
縦の磁性で繋がれてる様子・・・それが今までの進化過程って事でんねん。

そやからそれは、
日月神示内の表現でもある“江戸”の、
“江”・・・
(氵)さんずい=水と、エ=二に縦の磁性が足された字。
それが今までの人の進化過程って事で、
心(靈)の発現が“上”に向かって言ってない事を示してる。
そやからこれは、上つ巻 第六帖の、
“まだまだ花道ぞ”・・・と、言われてるのと同じで、
段々人は、“上”の心(靈)の発現の方向性を見失っていく。
そう言う意味でもあると思える言葉やな。
ほんでからに今、もう“花道”では無く、
どんどん自滅の方向に向かってるからこそ、

“東京は元の土に一時はかへるぞ、”
・・・って言い方になるやろし・・・

“その積りで用意して呉れよ。”
・・・ちゅうのんは、
その心積もり・・・教訓を得なさいよって事やと思う。

ほんでから “神の申したこと違はんぞ。”

神=“呂”を示す、エネルギーの回転、発振される振動が、
“下”=私達の心(靈)が肉体を伴って位置している場(フィールド)=地球に、
注がれてる・・・
それが、“申したこと”で、
“上”から“下”に垂れてる=発振、発信で、
それは霊的進化の法則性(右往左往と左往右往)を伴っているからこそ、
“申したこと”=神の思惑は、
“違はんぞ。”=必ず法則性通りになるって事でんねん。

そやからKellyさん的に思うんは、
今、観察され得る事象はほとんど物質でしかない。
外側の事象=外国とか幽界とか・・・
そう言う表現も“日月神示”内で使われてる。
そしてそれは、人、対、人でも、そう言う傾向はある。
誰かが誰かを見ても、その裏にある心(靈)の動きと、
霊的干渉に付いてはあまり誰も意識していない。
霊とか神とか愛とか・・・そう言う言葉を使っていてもそれは、
人(日止、霊止)の低い心(靈)の発現由来の、
低い自尊心や功名心由来の事が多い。

そのほんまの意味を、
S会=紫光会の交霊会での言葉を引用して、
これからの人(日止、霊止)、明日の人(日止、霊止)”=アセンションを経験した人は、
自省(胸の磁性“十”)の“行”をし、
“観自在”し、
“直日(なおひ)”する。

それは、
物質しか判らへん心(靈)の発現の人(日止、霊止)は進化過程が低いからこそ、
神や霊や愛やオーラや主護霊や・・・価値のある何かを形骸にする。

そこを良く見抜ける人(日止、霊止)=心(靈)の発現が“上”に向かっている人(日止、霊止)・・・

上つ巻 第十一帖は、
そう言う人(日止、霊止)を、
期待した言葉でもあると思いまんねん。

今日は、これくらいにしときまんねん。

○○○大先生が撮ったシランの写真

今回のシランの写真は、
前回のアヤメの写真とライティングと背景が共通でんねん。

先生が少しボケててアップし忘れた物でんねん。

シランのけったいな写真1


シランのけったいな写真2


シランのけったいな写真3


シランのけったいな写真4


シランのけったいな写真5


“日月神示” 上つ巻 第十帖 Kellyさん的解釈



今回も、“日月神示”上つ巻 第十帖 の、解釈をしまんねん。
原文は以下の通り、


神に目を向ければ神がうつり、
神に耳向ければ神がきこえ、
神に心向ければ心にうつる、
掃除の程度によりて神のうつりかた違うぞ。
掃除出来た方から神の姿うつるぞ、
それだけにうつるぞ。
六月十九日、ひつくのか三。

・・・短い文章やけど、感応共振の事を言うてる。
それは、
自分の心(靈)の受発信でもあるし、
霊的干渉でもある。

ほんでからに、

“神がうつり”
“神がきこえ”
“心にうつる”

それは“上”の認識を持って欲しいって事でもあるし、
ほんでから上つ巻 第九帖 の言葉、
“この世のやり方”の為に、
自分と神の認識を持って欲しいって事でもある。

ほんでから、
“掃除の程度によりて神のうつりかた違うぞ。
掃除出来た方から神の姿うつるぞ、
それだけにうつるぞ。”

これは心(靈)の発現の段階の事も言うてる。
低い心(靈)の発現の段階の人って言うのんは、
ほんまに価値の有る事を自分の利益の為の商売にしてしまう。
その事は前回も言うたし・・・何回も先生と一緒にぼやいた事でもあるけど、
その事そのものが、
自分達の心(靈)の発現の段階を示してるって言う自覚が無いのが、
自己奉仕者やな。
そやからこそ“上”の概念も、
只単に言葉を知っているだけでしかない。

そやから、

“掃除の程度によりて神のうつりかた違うぞ。”

これは、
心(靈)の発現が、どれ位“上”に向かっているのかと、
そして、
“上”と“下”の概念=変圧の事も言うてる。

そやからこそさっきも言うたけど、
低い霊的成長度の人は何を見ても、
低い、
甘い(亜、魔、出ずる、泉)解釈しかせん。

そやからこの文章は、
自分の心(靈)の発現の程度=霊的成長度に応じてしか、
感応共振せんって言う、
(すべての事象の成り立ちの法則性としての)
振動の事も言うてる。

それは“掃除の程度”・・・
掃除・・・どうもこの言葉が一般に誤解を招いてるようで、
何回も“日月神示”の中に出てくる言葉、
“身魂掃除”って言うのんは、
自分が場(フィールド)を構築して行く際に、
発振、発信する振動をよく考える。

それは心(靈)の動きって事でしかないと思うやん。

そやから“日月神示”では、


渦巻き 左回転 左回転=“善の回転=日足(ひたり)回り”
渦巻き 右 回転  右回り=“悪の回転=砌(みぎり)回り”

それは人が、
(霊的)進化して獲得して来た認識でもある、
“善(神格化の方向性と智性の受信)”と、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の概念でしか無いと思うし、
それは、
心(靈)が“上”に向かえば、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”を許さんようになる。
そやからそれは、
自分に厳しくなるって言ってもエエ事やな。
ほんでからに“悪”は、
自分の心(靈)の動きが“亜”=最初の状態に向かう。
そやからそれは、
出来上がって来た何かを、
崩すとか朽ちるとか腐らせる・・・
最初の状態に戻そうとする思惑が、悪=亜の心(靈)。

そやけど現時点、
善悪の認識は単なる道徳的な事でしか無い様に思う。
その言葉からほんまの進化の意味と意義を知る事、
それが出来へんのは、
只目先の善悪しか知らん。
それしか認識出来へんって事でんねん。

そやからそれは、
人(日止、霊止)が良いカタチを認識して=“上”から通信を受けて、
そして、
場(フィールド)の構築をして行く。
その反対は、単なる破壊・・・

それが善悪って事でもあるし、
良いカタチの構築が幸福の概念でもあるやん。
そやから今まで、
人(日止、霊止)と創造主は、
共に、
何を創り上げようとして来たのか・・・

それは完成してへんし、
完成してへんからこそ人は求める。
良いカタチを求める。

ほんでから出来上がってきた何かを、
崩す、朽ちさせる、腐らせる・・・
それを“悪”=“亜”の心(靈)に向わせると呼ぶべきやと思うやん。

良いカタチ、
そやからこそ人(日止、霊止)は、
“力”=(力、知恵、知識・・・学問・・・能力、そして霊能力を含む)を求め、
それを使い・・・その低い段階が自己奉仕者でもある。
そしてそれを使いつつ、
右往左往して=失敗して教訓を得て、自分の在り方を思うようになり、
自省し、胸の磁性“十”を獲得しつつ、
善悪の概念を持つようになるやんか。

そやけど、
自己奉仕者の段階の、
心(靈)(下三つのチャクラの覚醒段階、自我の確立=固定化の段階)の、
程度の人は、
自己奉仕者の霊的成長にふさわしい場(フィールド)で成長するべきやし、
それに対し、
少し“上”に心(靈)が向かい、
自分の中の“悪”を許さへん心(靈)・・・
それは、
“慈悲”と“慈愛”を発現し出した人(日止、霊止)は、
違う場(フィールド)の構築をして行く。
それは心(靈)の進化=霊的進化の段階でもあり、
愛(炁)の顕現の程度とも言えるし、
そやから、
あんまり進化程度の違う存在は、
それぞれ違う場(フィールド)を構成する。
それが、
アセンションの意味と意義やって言うのんが、
先生とKellyさんの認識でんねん。

ほんでからに余談やけど、
低い心(靈)の発現由来の解釈は、
部屋を掃除するとか鏡を磨くとか不用品を片付けるとか・・・
只、そう言う風に思うてる人が多いようやけど、
それは大事な事やけど当たり前の事でしかない。

身魂掃除は、
自分の心(靈)の動きによる行動=発振、発信が、
場(フィールド)の構築になり、
それを感得する事が、
前回の、上つ巻 第九帖の“この世”でもあり、
その創造を“上”の存在から託されてるのが、
人(日止、霊止)って事やから、
自分の心(靈)の在り方が場(フィールド)の構築になり、
ほんでから進化程度の違う人が多なったからこそ、
進化程度の違いを認識する為の場(フィールド)から、
(場(フィールド)=現在の地球の事、進化程度の違い=“玉石混交(淆)”)
より霊的進化を目指す場を創って行く。
そやから、“上”と“下”の認識、自分と創造主の認識、
人(日止、霊止)の存在意義と意味、
それを考え、その上で良いカタチの創造をする。
それをしっかりと、自分の心(靈)の基準とした人(日止、霊止)が、
次の場(フィールド)に移行する=今までとは違う創造をする。

そやからこそ分けんならんって事でんねん。

ほんでからにそれは、
鏡を磨く=八咫鏡(やたのかがみ)=眉間の事。
(エピローグ 神の思惑の顕現・・・神聖な事象 参照)
頭の骨の結晶化って事をせんならん。
結晶化した骨やから高い振動と感応共振し、
それを発振、発信する事が出来るし、
それを真に固く止める・・・
それを、真固止(まこと)と言う。
そうならんと“上”の思惑=天意は受信出来へん。
そやから、部屋の鏡を磨くのとは違いまんねん。

頭の骨の結晶化、
それは、
“掃除の程度によりて神のうつりかた違うぞ。
掃除出来た方から神の姿うつるぞ、
それだけにうつるぞ。”

人(日止、霊止)が霊的進化程度=チャクラの覚醒段階によって、
ローレンツ力  = ローレンツ力で感応共振する、 
普遍的に実在する創造主のオーラ(宇宙背景放射)の程度の違い、
それを言い表した言葉でもあるな。

そやからこの上つ巻 第十帖では、
鏡って言葉は使ってないけど、
“うつる”とか“うつりかた”とかって表現されてる。

そやから自分の鏡=眉間の骨=御鏡、八咫鏡(やたのかがみ)
それは感応共振の事でしかない。
それが今までKellyさん的に思ってきた、
天意を受けるとかでもあるやん。
そうやって心(靈)は“上”の振動を受信し、
心(靈)は成長し、
その心(靈)の発現は、
段々“上”に向かう。

何度も言うた事やけど、もう一度、
心(靈)の構造と認識されてる言葉を列挙すれば、
“下”から、
本能、情動、功名心、自我、愛(炁)、創造、知恵、智慧、智性という振動・・・
そう言う事になる。
ほんでからにそれは、
チャクラの覚醒の段階と同義でもある。

そやから極端な言い回しをすれば、
人が取る行動を観て、
本能中心の行動と、
智性由来の行動、
どっちが“善”と“悪”なのかって事やねん。

そやから自分の心(靈)の成長度が高くなったなら、
一般に言う善悪ではなく、
霊的進化って概念から先生が定義付けた、
“善(神格化の方向性と智性の受信)”と、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”。

それを認識せんと、
(相対的に今より)“上”には行かれへんって事が、
以下の言葉、

“掃除の程度によりて神のうつりかた違うぞ。
掃除出来た方から神の姿うつるぞ、
それだけにうつるぞ。”

・・・そう言う事やと思うやん。

そやからこそ、さっきも言うたけど、
善悪の認識も“力”の使い方も思惑の顕現も、
人の霊的成長度により違うけど、
あんまり違う程度の霊的成長度の人を一緒にして置く事が出来ん。
それが、アセンション=次元上昇・・・
次元=人(日止、霊止)が認識し得る事象、
古神道の言葉では、現津(あきつ)・・・これは、
“道ひらき”からの引用やけど、
自分の心(靈)が観察する事象と認識されてる事でもあるやん。

そやから今回は、これくらいにしときまんねん。

“日月神示” 上つ巻 第九帖 Kellyさん的解釈

今回も“日月神示”上つ巻 第九帖の解釈をしまんねん。
原文は以下の通り。


この世のやり方、わからなくなったら、
この神示録(しるし)をよまして呉れと云うて、
この知らせを取り合ふから、
その時になりて慌てん様にして呉れよ。
日本の国は一度つぶれた様になるのざぞ。
一度は神も仏もないものと皆が思う世が来るのぞ。
その時にお蔭を落さぬやう、
シッカリと神の申すこと腹に入れて置いて呉れよ。
六月の十七日、ひつくのか三。


冒頭の言葉、

“この世のやり方、わからなくなったら、”

“この世のやり方”・・・その言葉から受ける印象・・・
それこそ人(日止、霊止)の認識の程度=霊的成長度によって、
色々やろけど、
Kellyさん的には、
この世界の創造の仕方=自分の心(靈)の発振、発信する振動を見極め、
自分の心(靈)の在り方を深く考察するって言う風にしか思えへん。

そやから、“この世”・・・

すべての事象って言うのんは、
自分の観察行為で認識される。
ほんでから、
自分の心(靈)の発振、発信する振動によって、
場(フィールド)が構成されていく。

それをこの世界やと感得する。
それが、“この世”の観察と認識でもあるやんか。
そこに自分が居てる=存在すると思うやんか。

そやからそれは、
創造でもあるし、
発振、発信でもあるし、
行動でもあるし、
心(靈)の動きの顕現でもあるし、
それこそ程度の差こそあれ、“上”と“下”の差こそあれ、
思惑と顕現って事になる。

その創造の仕方、顕現の仕方、
それを、
“やり方”と表現され、
そしてそれが、
“わからなくなったら”・・・

それは、今の世界の事でしかない。
今、色んな事がおかしな方向に向かってる。
そやけどそれは、
人の低い心(靈)の発現由来の事でしかない。
自分達がやってきた事の結果・・・創造の結果でしかない。

そやから・・・“この世”の観察と認識・・・
心(靈)の発現と創造される事象・・・

自分と、この世の概念・・・

自分の存在の認識と自分以外の事象の認識、
それを言い換えれば、
自分と“この世”なんやろけど、
ほんまは自分と“この世”を観察してる自分の心(靈)がある・・・
そう言う言い方が正解やな。

ほんでから、観察したなら何でも良いカタチを望むようになる。
そやからこそ、“やり方”を考えんならん。
それは・・・(進化の概念を含め)自然な事でもあり、
愛(炁)が動機の事でもある。

そやけど、
その時の心(靈)の発現の程度により、
現状の地球人の心(靈)の発現は、進化程度が低いから・・・
腹の段階の右往左往やから、自己奉仕者が多い。
そやから、
宗教でも天皇制でも政治でもヨガでもアセンションに対する認識でも、
自分の体に対する良い在り方でも、
自分の心(靈)の方向性でも・・・
いろんな事が形骸になり、
商売に利用されて、本当の価値を見失って・・・
今、ほとんどのものが偽者になり、
ほんでから、
形骸のものほど力を示す世界になってる。

そやから失敗してる事が多い・・・
そう観えるけど、
それが失敗やって認識を大多数の人は持ってない。

その事に・・・
失敗やって事に段々気が付く人が増えてくるから、
それは相対的に、
心の発現が今より“上”の観察やから、
“わからなくなったら”・・・って、言われてると思うやん。

そやけど、低い心(靈)の発現段階の人は、
解らんまま時間を過ごして時期を過ごす。
アセンションの意味も形骸のまま認識して、
そのまま過ごす。

そう言う人を増やしたい・・・それが人(日止、霊止)の進化を阻む存在の、
思惑でもある。
それは、
今までの地球の段階と同じ場(フィールド)に移行する霊=心って事でんねん。

そやから失敗の認識・・・それを誤魔化してる人が、
圧倒的多数やって事をKellyさん的には思うやん。
多分・・・先生も同じ事を・・・
そう言う事を感じてるからこそ、
この世界が大っ嫌いになったやん。

そやからこそ、
“この世のやり方、わからなくなったら、”・・・で、
自分達のやって来た事が間違ってるって認識を持ったなら、
それは、
左往右往に入ったなら、


その現象としては、
心(靈)の進化過程としての=自我の確立=固定化の右往左往の結果としての、
経済が崩壊するとか、
それに関わる事として政治家の嘘とか欺瞞とか、
こんな事はどんどんバレていく。
他にも、
災害とか戦争とか病気とか犯罪とか・・・それは、
恨みの連鎖による低い浮游霊の思惑の現象化。
自分達が低い幸福の概念で使うべきところに金を使わんかった。
自分達だけ幸福になりたいって思うからこそ金に執着し、
その為に誰かが犠牲になっても知らん顔をして来た。
それが飢餓や貧困を生み出し戦争の原因にもなる。
そして自我の確立=固定化の段階やから、
やられたらやり返す・・・それが当たり前の世界でもあるやん。
そうやって沢山の浮游霊の場(フィールド)になってしもてるのがこの世界。

そやから大多数の人は、
この世界に執着のある浮游霊に妬まれ、
憑依され、
憑依された人はその浮游霊と同程度の心(靈)の発現をして行く。
それは感応共振やからやねん。
霊的成長度が浮游霊と同程度やからやねん。
そやから金に執着し、物に執着し、目先の快楽に執着し・・・
その為にエネルギーを贖う(あがなう)・・・
そして、自我の確立=固定化の段階の心(靈)やから、
勝ち負けの概念だけが自分の心(靈)を支配する。
そやからこそ、誰かを犠牲にするとも言い得るな。
そうやって一部の人は薄っぺらい幸福を得て来たやん。
その裏側では貪、瞋、痴(とん、しん、ち、)の心(靈)の浮游霊を増やしてきた。
地球って場(フィールド)を構成して来た人間は、
そう言う霊的成長をして来たって事でんねん。

そやからそれを観て、
ほんまに自分達が考えんならん事や、やらんならん事を真剣に思わんとアカン。
それが、
地球人が体験せんならん霊的成長でもあり、
それは、
心(靈)が腹から“上”に向かう事でもあり、
心(靈)の動きで言い表せば、
本能、情動、自我・・・自我の確立=固定化から、
“慈悲”と“慈愛”に心(靈)の動きが変化して行く。

そやけど・・・もう結果は出さんならんから、
今更こんな事を言うてもたいして解決にはならん。
体験して自分の認識にして、
そして、
今後の(アセンション)在り方を考える人、
S会=紫光会での言葉を引用すれば、
これからの人(日止、霊止)、明日の人”になるって事が、
大事やと思うやん。

そやから以下の言葉、

“この神示録(しるし)をよまして呉れと云うて、
この知らせを取り合ふから、”


“取り合ふから、”は、
自分が右往左往の今までの失敗を認識して、
左往右往に入り、
心(靈)が折れ、
砌(みぎり)のエネルギー=肝=“いきり立つ心(奴と心)”が無くなり、
日足(ひたり)のエネルギー=脾=“思う、憂う”の心(靈)の動きになり、
そして腹のエネルギー=軍荼利明王、荼枳尼真天の“荼”は、
心が痛み・・・肺=“悲しむ”(心(靈)と非、非は痛むの意味がある)、
その心(靈)の動き=感情の発現で、上昇して行く。
(大日如来の条帛(じょうはく)、この空間で言えば、それはフォトンベルトに相当する。)

その時に、
“上”からの通信をするから=“取り合ふから、”・・・って、
事でんねん。

その時に初めて、
自分が右往左往してた事に気が付き、
自分がエエ気になってるって事に気が付き、
物欲由来の行動とか自分の心(靈)の傲慢さとか・・・
自分の心(靈)の低さ(目下(めした))を、
目上(めうえ)の心(靈)で認識する。
そして自分の心(靈)の動きの基準とするようになる。

そやから、左往右往に入る時・・・
大体その時に、
失望したり厭世観に囚われたり、鬱になったり、
それが自殺に繋がったりもする。
それは結果として悪霊を増やすって事にしかならない。
そやからこそ人の霊的進化って事を知らんならん。
そやからこそ、以下の言葉、

“その時になりて慌てん様にして呉れよ。”

自分を見失うな。
これから色んな醜い事象は起きる・・・もういっぱい起きてるけど、
その意味に付いて考えてる人はとても少ない。
只、
なんか起きて世の中大変な事になってるって騒いでるだけでしかない。

騒いでるだけでは自分の心(靈)の方向性は見出せんやん。

ほんでから何回も言うた事やけど、
相対的に今より心(靈)の発現が“上”になった人(日止、霊止)や、
“上”に向かいつつある人(日止、霊止)でないと、
次の地球上での創造を担う事は出来ん。
そやからそれは分けられる・・・
その事もアセンションの意味の一つでもある。

そやけど、
アセンションって言うのんは、
もっと心(靈)の事でしかないと思えるやんか。
そやからそれは、観察される外側の事象の事を言うてるんや無い。
自分の心(靈)の変容=心(靈)が“上”に向かわんと、
次の場(フィールド)に移行する事が出来へんし、
どんな場(フィールド)に移行するのも、
自分の心(靈)の成長度と、
心(靈)の方向性でしかないって事でんねん。
ほんでからにそれは“自由”やって事でんねん。
このことも何回も先生と話した。
自分の心(靈)の位置する場(フィールド)は、
自分の心(靈)次第で選択するって言う意味での自由でんねん。

ほんでから今後の世界は、
それは今より相対的に、
天意を受け、神の思惑の顕現をして行かんならん。
この事に付いては何回も説明した。

そやから“日月神示”でもそれ以外のメッセージでも、
“上”の思惑の受信をして=天意を受けて、
そして、
場(フィールド)の創造をする人(日止、霊止)を、
期待してはるって事やねん。

ちょっと話を進めすぎたやん。

そやからその前段階として以下の言葉、

“日本の国は一度つぶれた様になるのざぞ。
一度は神も仏もないものと皆が思う世が来るのぞ。”

これは心(靈)が折れた状態でんねん。
“いきり立つ心(奴と心)”が無くなると、
誰もがこうなりまんねん。
これは霊的成長の法則性でんねん。

そやから、

“その時にお蔭を落さぬやう、”

自分の霊的成長の過程を忘れんように、
それはそこまで育って来んやから=“お蔭”、
言い換えれば何回も転生して、
地球人は平均800回転生してるって情報を先生は受信してはる。
そやから、そこまで霊的成長して来たんやから、
左往右往に入った時・・・
それはもう、
自分なんかどうでも良くなるくらい心(靈)は折れるやろけど、
自分の存在の意味とか意義とか・・・霊的成長とか、
その事を知る為に・・・その為に苦難や試練はある。
そやから、
神は乗り越えられない困難は与えない”、
これはS会=紫光会の交霊会での言葉。
それを忘れんようにして、
自暴自棄になったり自殺したりする事が、
それそのものが、
貪、瞋、痴(とん、しん、ち、)の場(フィールド)の構築になるから、
そやからそれが、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の思惑やろから、
そうならんようにして欲しいって事でんねん。

そやからこれは次の言葉に掛かり、

“シッカリと神の申すこと腹に入れて置いて呉れよ。”

これも、上つ巻 第八帖、
“縁ある方から、
この知らせをよく読んで腹の中に入れて置いて呉れよ。”
これと同じでんねん。
敢えて説明する事では無いな。


そやから今日は、これくらいにしときまんねん。


“日月神示” 上つ巻 第八帖 Kellyさん的解釈

今回も“日月神示”の上つ巻 第八帖を解釈しまんねん。
原文は以下の通り。


秋が立ちたち、
この道ひらくかた出て来るから、
それまでは神の仕組書かして置くから、
よく読んで腹の中によく入れて置いて呉れよ。
その時になりて、あわてて何も知らんといふ様ではならんぞ、
それまでに何もかにも知らして置くから、
縁ある方から、
この知らせをよく読んで腹の中に入れて置いて呉れよ。
六月の十七日、ひつくのか三。


まず、冒頭の言葉、

“秋が立ちたち、”
これは上つ巻 第六帖と同じで、
単なる時代背景の事を言うてるとはとても思えへん。

Kellyさんがそう思う根拠は、
“秋”・・・禾(のぎへん)と、火で構成された字やからや。

そやからそれは、
禾(のぎへん)が、
丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)と木部で構成されてる。
木部って言うのんは、
胸の磁性“十”の下に、儿部(じんぶ、にんにょう)を足した字やって言う事で、
そやからそれは、禾(のぎへん)自体が、
丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現) + 胸の磁性“十” + 儿部(じんぶ、にんにょう、人が歩く様子に象るの意味=時間の進行)で、
それは時間を伴う霊的進化そのものを表してる。
言い換えれば、
時間って言う振動の変化を吸収しながら、
(時間の認識を持ち)心(靈)は育っていく。
そういう事を表してるように思えるやん。
ほんでからにそれは、禾(のぎへん)と、
火=灬(よつてん、れっか、れんが)と共に書かれてるから、
火=灬(よつてん、れっか、れんが)は、
幽界の“幽”、
幽か(かすか)の左右の糸を外した山みたいな字と、
火=灬(よつてん、れっか、れんが)は同じで、
人(日止、霊止)の心(靈)の発現が、
(“上”から観て相対的に)幽かな時は、
自分の外側しか見ないって事でもある。
ほんでから、“日月神示”内の表現としては、
幽界=外国で、
そやからそれは自我の確立=固定化の進化過程やし、
その時の心(靈)の動きは、
本能、情動、功名心、自我、愛(炁)、創造、知恵、智慧、智性という振動の、
本能、情動、功名心、自我・・・迄やから、
目先の欲望や低い自尊心や功名心や・・・それが中心の心(靈)になる。
そしてその心(靈)の動き由来の行動=発振、発信をする。
そう言う創造をして来たのが今の世界でもあるやん。

ほんでから“幽”の左右の糸、
左右の極性、砌(みぎり)と日足(ひたり)、
その砌(みぎり)と日足(ひたり)の極性で、
心(靈)は・・・(霊的)進化過程の心(靈)の発現って言うのんは、
腹=下三つのチャクラから、
胸=アナハタチャクラの覚醒って事になる。
そやからそれは一言で言えば、
心(靈)が“上”に向かって行く。
段々、アナハタチャクラ由来の心(靈)の発現をして、
“慈悲”と“慈愛”を発現して行く。
この事が解り難かったなら、
前のブログ、
思惑と顕現 “その三~八”までを読んで欲しいねん。
その中で特に“摩多羅神”の所は、
人(日止、霊止)の心(靈)の発現の進化過程が、
解り易いと思いまんねん。

心(靈)の発現・・・
“上”に向かうから、
段々神さんに近付いて行こうとするから、“慈悲”と“慈愛”を自分の心(靈)に持つ。
そう言う意味で、禾(のぎへん)と火になり、
それは丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)=“上”の振動を獲得し、
胸の磁性“十”をしっかり構成する為の事でもあると思えるやん。
又、別の表現をすれば、
それは心(靈)が“慈(しげる)”・・・
そしてそれは自省=左右の磁性でもある。
帯電するミネラルが固まっていく様が、
心(靈)が“慈(しげる)”事でもあり、
固まってない=水の中の帯電するミネラルの段階が、
腹=水=江戸の“江”の段階の心(靈)の発現ゆえの価値感、
“石屋の仕組み”でもあると思えるやん。

そやから丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)=“上”から垂れた振動を、
人(日止、の振動を取り込み、
胸の磁性“十”をしっかり作って行き、
その時の心(靈)の発現が、
“慈悲(いつくしみ、かなしむ)”と、
“慈愛(いつくしみ、いつくしむ)”になって行く。

そやからそれは“秋”と書かれてると思う。

そしてもう一つ、
“秋が立ちたち”・・・立ちたちって二回立つって言うてる。
これも、
左右の極性の事としか思えへんって事でんねん。
そしてこの間先生と行った、
瀧原宮の瀧原竝宮(たきはらならびのみや)の、
“竝(ならぶ)”と同義やと思える。

そやから動物から人(日止、霊止)への進化って言うのんは、
心(靈)の発現が段々“上”に行く。
その為に、その時に、
前足が手になったとも言い得るやん。

手が構成する磁束は、
肉体のシンクロトロンの構造を持つ土台みたいなもんや。
それは、進化って言うのんは、
“上”の振動を取り込まんならんのやし、
より“上”の振動と感応共振する為の変化=ほんまの進化の意味、
神格化への道程でもあると思えるやん。
そやからこそ現時点、地球上で起きてる事象でその具体的な事としては、
失敗を体験して自省する=右往左往から左往右往でもあるし、
その時点時点で感応共振する霊的干渉でもあるし、
特に、左往右往=自省・・・その時の霊的干渉の中心になるのは、
やはり、
一番身近な霊的成長度の先輩としての主護霊って事になるやろ。
そやからそれは、
どんなに失敗してどん底であろうが、
その結果が不幸な死であろうが、
共々にいく”って事になる。

ほんでから、
左往右往に入る前に、
自分自身の低い心の発現由来の思惑の顕現をしようとする。
それが砌(みぎり)の“行”、右往左往やけど、
その時に起きる霊的干渉は、
目先の欲望とか甘い思いとかの発振、発信に感応共振する霊的存在やし、
それは左往右往の時期に入るまで主護霊は見守る・・・
それは、自分が間違った事をしてるって自分で気が付く為には、
失敗の体験は必要って事になる。
そやから自省する・・・自省(胸の磁性“十”)の“行”でもあるし、
“直日(なおひ)”=自分を振り返る事でもあるし、
“観自在”=自分の在り方を観察するって事になる。

そう言う意味でも、
“秋が立ちたち”・・・
腹の段階の心(靈)の発現から、
左右の神経を使い、
それは心(靈)が“慈(しげる)”・・・
この字の構成は
茲(やしないそだてる、いつくしみ)と心(靈)で、
ほんでからに茲(やしないそだてる、いつくしみ)の左右の糸の“上”にあるのは、
クサカンムリやし、
それは芽生えるって事でんねん。

そやからこれは以下の言葉に掛かる、


“この道ひらくかた出て来るから、
それまでは神の仕組書かして置くから、
よく読んで腹の中によく入れて置いて呉れよ。”

“道ひらくかた”

それは、進化の方向性が、“道ひらく”
そして“かた”は、方でもあるやろし、
そう言う進化した人(日止、霊止)が出てくるって事でもあるし、
ほんでから、
型・・・進化のテンプレートでもあると思える。

これは自己奉仕者では無い人=“慈悲”と“慈愛”の発現をした人(日止、霊止)。
それと、
人(日止、霊止)の心(靈)が“上”に向かう構造、
それは“慈悲”と“慈愛”の発現の為の、
型としての腕の磁束でもあると思えるやん。
そしてそれは、胸の磁性“十”であるって事やねん。
そしてそれを示してるのが上つ巻 第六帖の、
“まだまだ花道ぞ、
九、十となりたらボツボツはっきりするぞ。”
それと、“十月まで待て。”って事やと思いまんねん。
ほんでから、
手の機能と大脳新皮質の前頭葉の機能とは、
密接な関係がある。
そして、
動物の脳と人の脳の違いは大脳新皮質でもあるし、
それは“目上(めうえ)と目下(めした)”でもあるやん。
そう言う話も先生とした。

そう言う意味での“型”=進化のテンプレート=神格化へのテンプレート、
それを、
“それまでは神の仕組書かして置く”・・・
それは、“日月神示”は進化のテンプレートの事を言うてまっせ~!!
・・・って事を、言うてると思いまんねん。
そやからそれは、
ここまでの上つ巻の解釈をKellyさん的にしてても、
人の肉体の事と、
心(靈)の発現の事を言うてると思えるし、
それは、
人(日止、霊止)の神格化の事を言うてるとしか思えへんし、
先生の結論でもある、
太陽凝視=特別神憑りって事から考えても、
それは、
“神の仕組み”=人(日止、霊止)の進化=人(日止、霊止)の神格化でしかないと、
思えるやん。

ほんでから、
相対的に今の進化過程から、
次の段階に入るのがアセンションって認識されてる事やし、
そやから、
アセンションの時期を指して、次の言葉、

“その時になりて、あわてて何も知らんといふ様ではならんぞ、
それまでに何もかにも知らして置くから、
縁ある方から、
この知らせをよく読んで腹の中に入れて置いて呉れよ。”

・・・そやけどこれは・・・
縁がある方は少ないやろって事も・・・言うてるな。

ほんでから、上つ巻 第八帖は、

“よく読んで腹の中によく入れて置いて呉れよ。”
“この知らせをよく読んで腹の中に入れて置いて呉れよ。”

同じ表現の言葉を二回言うてるやん。

その“腹の中”って言うのんは、
“上”の振動を取り込んだ腹の水の中の錯体=“上”の思惑=情報を含んだ荷電粒子で、
電磁誘導=生命を営んで行けって事やと思いまんねん。
それは腹=消化器官、肉体の材料って言う意味もありまんねん。
ほんでからにそれは、“日月神示”内の表現でもある、
尾張と江戸・・・
尾張=尾骨の極性と、
腹の磁性=江戸の江の事やと思いまんねん。

ほんでから今は、進化過程が低いから、
あんまり“上”の存在の思惑と感応共振してないって事で、
そやからこそ、
“この知らせをよく読んで”
“よく読んで腹の中によく入れて”って事でんねん。
それは只“読む”って事ではなく、
これも強調して二回言うてるけど、
吸収して腹の中に入れて、
“置いて呉れよ。”って事でんねん。

ほんでから生命=電磁誘導って言葉も、
ほんまは生命活動のすべてを表してるとは思えへんけど、
さしあたって地球人の科学の言葉として解り易い表現が、
電磁誘導で、
それは、
普遍的に実在する創造主のオーラ(宇宙背景放射)との感応共振、
“上”の思惑との感応共振が、
生きているって事で、
その証明が、
動物でも人(日止、霊止)でも、
死んでしもたならそれは、
生体内電流は観測出来へんって事でんねん。

ちょっと話が横道に逸れたけど・・・
今日はこれくらいにしときまんねん。

○○○大先生が撮った、アヤメの写真

写真の花は、アヤメ、
学名:Iris sanguinea

・・・なんやけど、

アヤメ、カキツバタ、ショウブ・・・中々、しっかりその区別が、
覚えられへん花やから、
最近、先生が調べた事を紹介しときまんねん。

アヤメ科アヤメ属に付いては、約220種が北半球の温帯に分布。
ちなみに、
属名 Iris(アイリス、イリス)の由来は、
花色が変化に富む事から、
ギリシャ神話の虹の精であり、
また神の言葉を伝える女神の名にちなむ・・・との事。

日本に自生する、
アヤメ科アヤメ属の花は、
アヤメ(希少種として戸畑アヤメ、愛媛アヤメ等もある)、
カキツバタ、ハナショウブ、ノハナショウブ、
ヒオウギアヤメ、キショウブ、シャガ、ヒメシャガ・・・等が有り、
その中の、キショウブ(黄菖蒲)は帰化植物との事。
(ヨーロッパ原産)

アヤメ、カキツバタ、ショウブの特徴として、

アヤメは、やや乾燥した場所を好む。
カキツバタは、水際~根元が水に浸されるような場所に生える。
ハナショウブは、
アヤメの自生する乾燥地では育たず、
又、カキツバタのように、
根元が水に浸されるところでもないやや湿地を好む。
ハナショウブは江戸時代の中頃より、
各地に自生するノハナショウブの変わり咲きを元に改良された。

花の特徴としては、
アヤメは花弁の付け根あたりに網目状の模様が入り、
カキツバタでは白い模様、
ハナショウブでは黄色い模様が入る。

開花時期の違い、
アヤメ→カキツバタ→ハナショウブの順で開花。

ちなみに、
端午の節句の菖蒲湯や、菖蒲葺き、菖蒲酒などの菖蒲は、
アヤメ科アヤメ属の植物では無く、
サトイモ科の植物で、
菖蒲の花は、ガマの穂みたいな黄色い穂状のもの。

ほんでから、ヨーロッパ原産のアヤメ科アヤメ属で、
よく見かけるのは、

ジャーマン・アイリス (ドイツアヤメ、独逸菖蒲)
学名:Iris Germania

ほんでから、
球根で売られているアイリス (オランダアヤメ、阿蘭陀菖蒲)
学名:Dutch iris, Iris hollandica

どちらも原産地は地中海沿岸との事。

大体これくらいの事を知っておけば、見分けが付くと思いまんねん。


あやめ けったいな写真 2008 2


あやめ けったいな写真 2008 1


あやめ けったいな写真 2008 5


あやめ けったいな写真 2008 3


あやめ けったいな写真 2008 4


あやめ けったいな写真 2008 6


あやめ けったいな写真 2008 8


あやめ けったいな写真 2008 7


先生の太陽凝視に付いて・・・メールで質問を貰ってまんねん・・・

前のブログの時にもあった事やけど・・・
太陽凝視に付いて、色々尋ねられる事がある・・・

それは、
興味本位の質問やったり、
正直・・・とろくさなってまって、
答えるのがタワケらしいって事もあったらしいやん。

そやけどその中で少数の人は、
太陽凝視に対して真剣に考え・・・
そう言う視点で訊かれる事もあったり・・・
それは、
質問する人により(質問する人の認識の程度=霊的成長度により)・・・
まちまちでんねん。

ほんでから、
メールだけや無く、直接会った人からもそう聞かれる事が多い・・・
いちいちそれに答えてたら、結構、手間が掛かるやん。

そやから・・・それにお答えしときまんねん。

質問は・・・大体、以下の内容やねんけど・・・

具体的に太陽凝視って言うのは何をするんですか?
太陽凝視の方法を教えてください。
どんな太陽凝視ですか?
一日どれ位してますか?

ほんでからさすがに・・・先生は不食ですか?・・・って質問は無かったけど・・・

これは、太陽凝視のやり方みたいな質問やな。
その意味とか意義とかは・・・訊ねられてない段階の質問やな。

そやから今回は、先生が今まで、
どんな風に太陽凝視をして来たのかをお伝えしときまんねん。

そやけど、
具体的な太陽凝視のやり方と、どれ位やっているのかは、
前のブログにも書いて有るんやけど・・・それは、

“あの長い文章を見てくれてないって事だね”・・・って、
先生は言うてて・・・

今、太陽凝視に興味を持ってはるなら、
ほんでから、
ほんまに自分自身が太陽凝視に対し、
価値のある何かを求めようとするなら、
せめて、
あの長いブログを全部読んでから質問してくれはったなら、
それは・・・
先生としても嬉しい事なんやろけど・・・

多分、
太陽凝視で検索して前のブログやこのブログに辿りついて、
そして、
質問やメールくれはる事自体が、
なんでも簡単に知識や知恵を得ようとする・・・
それは、インターネットの利便性でも有るんやけど、
それは・・・その事自体が、

“何かを真剣に・・・真摯に追求する姿勢を失って行く事だね”

・・・って、先生は嘆いてはった。

それでは価値のある何かを獲得するなんて出来へんやんか。

価値のある何かを獲得するのに、
どれ位自分のエネルギーを贖ったか・・・

自分達の霊的成長を望んではる存在は、
それをいつも見守ってて、
ほんでからに、よう頑張った人にしか、
通信を送るって事をせんし、
高い存在が持ってる“力”を加える事は、
せんって事でんねん。

それは簡単に言えば、
“上”からの許可が出ないって事でんねん。
ほんでからにローム太霊さんの言葉、

苦に苦を重ね苦を求め更に苦を求めるのだ、楽を求めてはいかん。 ”
・・・でも、

そう言う意味の事を言うてるって事でんねん。

そやから先生と前に、“術”に付いて話をした。

その時に、
ローム太霊講話集の中のローム太霊さんの言葉でもある、
“法(のり)”とか“條(じょう)”・・・
それは“力”としての術の獲得の仕方と、
使い方の基準を獲得したって事でんねん。
それに付いては、とても大事な事やとKellyさんは思うから、
前のブログの記事、

思惑と顕現 “その六” 軍荼利明王と荼枳尼真天・・・
思惑と顕現 “その七” 軍荼利明王の“荼”・・・荼枳尼の“荼”・・・

・・・を、よく読んで欲しいねん。

繰り返すけど、

自分がどれくらいのエネルギーを、
どういうつもりで、
贖う(あがなう)のか・・・

それをせんと“上”との霊的干渉は起きへん。

そやから、一言で言えば、
簡単に価値のあるもんは得られへん・・・
それは当たり前の事やし・・・そう言う事を知って欲しいんやけど・・・

いきなりそんな事を頭ごなしに言うても、
霊的に幼い人にとっては、
只、厳しく感じたり、
突き放されたように思うたりするやろから、
しょうがないけど・・・Kellyさんが質問に答えまんねん。

太陽凝視って言うのは、字の如く、
太陽を見詰め、睨む事。
出来るだけ目を見開いて太陽を連続して睨み付ける事が、
凝視でんねん。

認識の低い人は、
只、
太陽の方に顔を向けて光を感じる事だって思うてる人もいてるようやけど・・・
それは太陽凝視とは言わへん。
それは単なる日光浴でんねん。
凝視って表現されてるんやから・・・

ほんでから先生は18歳のときから太陽凝視してはる。
現在52歳やから、
太陽凝視は35年目に入ったところでんねん。
ほんでから、一番最初の先生の太陽凝視は、
18歳の時、
太陽凝視を教えてくれたKさんから、
太陽凝視の事を聴いて、
Kさんのオーラを観測して・・・自分もこんな風に成りたいと思った。

そやから始めたんやけど・・・

そやけど一番最初の太陽凝視は、
4~5分やったそうで、
それは、ヘタレで根性無しやったって事でんねん。(笑)
それから半年位してから・・・当時は学生って事もあり、
時間の制約があったから、昼間、自由になる時間があまり無く、
大体、一日、
2~3時間の太陽凝視をしてはったそうでんねん。

ほんでから、
学校が休みの時は5~6時間太陽凝視してはった時もあったそうやねん。

ほんでから段々長い時間の太陽凝視をするようになった。
そやけど若い時は、
遊びたいとかサボりたいとかの気持ちもあって、
途中・・・太陽凝視に対し・・・
“これは本当に自分にとって価値のある事なんだろうか?”
・・・って、疑問を感じたり・・・
色々迷った事もある。
その事も前のブログには書いてある。

そやけど今現在は、
先生自身にとって一番価値のある事やと思うてる。

そして・・・段々長時間の太陽凝視が出来るようになり、
そして、
太陽凝視が以前に比べ苦痛ではなくなってきてる。

今現在は、条件さえ良ければ、
それは、仕事などの用事がなく
更に、
高い振動が得られる空が青い時、
そう言う時は時間の許す限り、太陽凝視をしてはる。
今は、
一日中太陽凝視する事も良くあるそうでんねん。
ほんでから天気が悪いときは少しの仕事をして、
ブログの文章をパソコンに打ち込んだりしてまんねん。

そやからそれは、
先生が仕事をしながら、長時間太陽凝視する事を望み、
ずっとそれを望みつつ、生活してきはった。

それは、凄くエエ天気の時に仕事が忙しかったり、
仕事が無くってヒマな時に、天気が悪かったり・・・

なんでも最初から物事は上手く進まへん。

そういう時に、
自分の霊的成長と仕事の両立って事を考え、
今は、あんまり物も必要では無い。
金も沢山はいらへん。
そやから必要以上の収入を望んでない。
ほんでから、必要以上の金儲けは、
低い心(靈)の発現由来の事やって事も、先生は充分認識してはる。
そやから金儲け・・・そんな事にエネルギーを贖う(あがなう)ならば、
太陽凝視や電気行にエネルギーを贖うべきやと思い・・・
何年もそう思い・・・
それがある程度実現した=“上”から許可になった生活を、
今現在してはる。

そやから先生は今、たいして仕事をしてへん。
それでも食うのには困らへんくらいの収入はある。
それもさっき言うた通り、自分の生活の在り方を望んで、
“上”から許可が出て、
それと引き換えに沢山の金は入らんようになった。
それは、
自分の人生では、一体何を獲得するべきなのか?・・・の、
その答えと・・・良い形でもある。
ほんでから先生は、今のその状況にある程度満足してはる。

そやけど、話を戻すけど、
太陽凝視に比較的苦痛を感じなくなったとは言え、
大体3時間くらい連続で太陽凝視すると、
目を開けたまま失神する事があるようで、
その時に、
色んな存在との交流がある様やねん。
そうやって“上”からの通信を受けてるようでんねん。
それは、ここ数年で起き始めた事でんねん。

ほんでから、
先生は子供の頃から近眼で眼鏡をかけてはるんやけど、
必ず裸眼で太陽凝視をする。
それもお伝えしときまんねん。
それは、
眼鏡やコンタクトは一部の太陽の振動を遮蔽するからで、
ガラス越しの太陽凝視にも同じ事が言える・・・
それも知っておいて欲しい事でんねん。

ほんでからに、朝日や夕日だけの太陽凝視は、
太陽が送ってきている振動を、
地球の大気でフィルターをかけてる状態で、
そやから空は赤く見える。
そやからそれは、
人が感じる太陽の色そのものは、
空気の層が厚くなる事によって、
自分が獲得する振動の波長は、赤中心になる。
そやからそれは、
地球で獲得出来る太陽凝視の振動の一部しか感得しない。
太陽は、“上”から“下”まで、
色んな振動を送っているって事を、
理解して欲しい・・・って、
先生は言うてましてん。

そやからそう言う点で、
朝日と夕日の太陽凝視って言うのんは、
赤 橙 黄 緑 青 藍 紫の振動から言ったなら、
赤 橙 黄色・・・下三つのチャクラの強化になるとも言える。
そやから、
太陽凝視し始めの時はそれでもエエかも知れへんけど、
太陽凝視が進んだなら、
必ず真昼の白い光の時にもして欲しい。

先生はそう言うてはった。

そうやなかったならそれは、
心(靈)が獲得する振動が“上”の振動では無いって言うのは、
言い過ぎかもしれへんのやけど・・・
自分が“上”の振動を獲得したかったなら、
真昼の太陽凝視をするべきだ・・・って、
先生は重ねて言うてましてん。

そして、
春夏秋冬・・・その季節による太陽の振動の違い・・・
それぞれ送られてくる振動が違う事も認識して、
太陽凝視して欲しい。
一例を挙げれば、
春は、大体肉体を構成する為の振動・・・赤外線の波長が強い時で、
その時は、秋の太陽に比べ、
精神的な糧を得られる時では無く、
それは、
季節としての砌(みぎり)と日足(ひたり)があるって事でんねん。
それも何年か太陽凝視をして行くと、
段々、感じて行くものだって先生は言うてましてん。

ほんでから、
そう言う長い時間の太陽凝視の結果、
いつでも先生の顔は真っ黒やし、
先生の両眼は、
充血した血管が発達し、ほんでからに、
瞳の両側に黄班変性がある。
そやけど、別に物が見えん様になったとか、
見難くなったとかは無い。
ジジイになって最近は老眼が出始めてるけど・・・

そやからそれは、
前のブログに少し書かれてるけど、
長時間の太陽凝視をするって言うのんは、
それに伴う、
霊的資格が必要な事でもある。

極端な事を言えば、
霊的成長度が低い人は、太陽の光に当たっただけで皮膚癌になる。
そやから太陽凝視でも何でもそうなんやけど、
分相応って事を考えんならん。
その中で一歩一歩進んで行ったなら、
長時間の太陽凝視も出来るように成るやろから、
少しずつ時間を増やして、
そして、
自分の肉体の条件も良く観察して行って欲しい・・・とも、
言うてはった。

ほんでから、
太陽凝視を始めた当時は、
太陽の残像が残ってた事もあったけど、
今はまったくそんな事は無いって言うてはった。

それくらいの事はあるに決まってるやん。
“行と修行”なんやから・・・

そやから・・・先生の太陽凝視は、
具体的にはこんなところやけど・・・今回は冒頭にも言ったとおり、
具体的にどんな風にやって来たのかをKellyさんが話したんやけど・・・
それ以外にも、
太陽凝視をやっていく過程で色々疑問が湧いてくるもんやろ。

そやから何を言いたいかと言えば・・・

真剣に太陽凝視の価値を見出そうとする人(日止、霊止)は、
多分・・・先生の永遠の友人って事やろから、
そやから、
真剣に太陽凝視を追及したくって、
その上で何か疑問が湧いた人(日止、霊止)は、
メールなりコメントなりで質問して下さい・・・って、先生は言うてはったやん。

その事も、お伝えしときまんねん。

○○○大先生が撮った、シャガとシランの写真

今回のモデルさんは、
シャガ(著莪、射干、)と、
シラン(紫蘭)でんねん。



シャガ けったいな写真1


シャガ けったいな写真2


シラン けったいな写真2


シラン けったいな写真1


シラン けったいな写真3



○○○大先生が撮った、黄菖蒲(キショウブ)と深山苧環(ミヤマオダマキ)の写真

今回のモデルさんは、
黄菖蒲(キショウブ、ヨーロッパ原産の帰化植物)と、
深山苧環(ミヤマオダマキ)でんねん。

背景は、ラッピング用の不織紙でんねん。

黄菖蒲 けったいな写真2


黄菖蒲 けったいな写真3


黄菖蒲 けったいな写真1


深山苧環 けったいな写真

“日月神示” 上つ巻 第七帖 Kellyさん的解釈

今回も“日月神示”上つ巻 第七帖の解釈をしまんねん。
原文は以下の通り。


いくら金積んで神の御用さして呉れいと申しても、
因縁のある臣民でないと御用出来んぞ。
御用する人は、
何んなに苦しくても心は勇むぞ。
この神は小さい病直しや按摩の真似させんぞ、
大き病を直すのぞ。
神が開くから、人の考へで人を引張って呉れるなよ。
六月の十七日、一二のか三。


まず、今までの“日月神示”の文章を解釈を思いながら、
冒頭の文章を読むと、

“いくら金積んで神の御用さして呉れいと申しても、
因縁のある臣民でないと御用出来んぞ。”

“神の御用”・・・それは、

形骸の天皇制や、
霊的成長の理念を失った宗教団体や、
自己奉仕者の政治家や金持ちや大企業なんかに対する・・・
皮肉っぽい文章に聞こえるな。

霊的成長の理念を失った天皇制・・・
人(日止、霊止)が“上”に向かう為に(霊的成長する為に)、
“上”の思惑を受信する。
それは、天意を受ける事の出来る人=天皇。
それは、
受信出来る=感応共振出来る(相対的に高い振動で構成された)心(靈)の発現と、
高い振動の受信に耐え得る、強固な身体磁場を持った人(日止、霊止)、
それを、
天皇(天の白い王、クンダリーニの白光)と呼ぶべきなんやろ。

そやから、
ほんまの“上”の思惑としてのメッセージとして、
それを伝える為の詔勅(みことのり)・・・
これも、形骸になった言葉やな。

そやから、権力と象徴だけの天皇制、
それを利用してる政治家と、宗教団体、
その裏には自己奉仕者の金持ちがいる。

それは経済の発展・・・低い幸福の概念・・・その為にエネルギーを贖ってきた。
その事そのものが右往左往でもあるけれど、
そう言う形骸の価値感で人を率いている事そのものが、
この世界をダメなもんにしていった・・・
そう言う話を先生とくどいくらい話したけど、
この間言うた、
高い印鑑みたいな話・・・
ちょっと前のニュースの霊感商法・・・
そう言う事は沢山ある。
それは、誰もが苦痛から逃れたい・・・
自分に甘い(亜、魔、出ずる、泉)・・・自分の在り方を考えん。
楽になりたい、楽しい事だけしていたい、
Happyになりたいって言う甘い夢・・・

最近多なったアセンションのサイトでも、
そう言う心(靈)の動きで文章が書かれてる事が多いような感じを受ける。
ただ現状の苦痛や苦悩から逃れたいからこそ、
甘い夢を見たい。

話が逸れてるけど・・・

そやからこそ、低い幸福感を手に入れたい=目下(めした)の思い。
その心(靈)の発現由来の行動を=創造をする。
経済の発達の側面にはそういう事が多い。

金があれば幸福やと思う。
金があればなんでも手に入ると思う。
金があれば自分は偉いと思いたい。
(“下”三つのチャクラの覚醒段階で“下”に向かう心(靈)=低い功名心と自尊心)

そして形骸の美で、
(ファッション、宝石、化粧品=美肌と美白の価値感、ダイエット等、)
形骸の健康の価値感で、
(薬に依存しすぎる医療、サプリメント、癒しを強調するある種の療法等)
ほんでから、形骸の宗教で・・・
幸せになれると思わせる商法が多い。

“いくら金積んで”

・・・そやからこそ、
そんな人は“神の御用”はさせて貰えへんって事でんねん。

ほんでから、
“神の御用”・・・この言葉そのものの解釈でも、
心(靈)の発現の低い人が多いからこそ、
形骸の宗教やインチキ霊感商法や低い霊能力者や甘い夢を見させる占いや、
ヨガを形骸にして商売したり、
アセンションって言葉だけで人(日止、霊止)を引き付け、
甘い事を言うて商売したり、
そんな人やからこそ=自己奉仕者やからこそ、
それは、
アセンション出来へんって事やけど、
そんな事すら考えてない=気が付いてへん・・・
只々自分の利益になるもんは、
何でも利用せんと気がすまへん・・・
それは、
目先の損得しか判らん心(靈)の発現の段階でしかない。

そやからその心(靈)の進化程度、
それは平均的地球人の霊的成長の段階=下三つのチャクラの覚醒の段階、
そしてそれが“上”に向わへんから、
貪、瞋、痴(とん、しん、ち、)の心(靈)になる。
ほんでから、死んでからも、
その程度の心(靈)の振動しか持ってへん。
(浮游霊の事)
そやからこそ何でも金で物が動き、
人に憑く浮游霊もおんなじ心(靈)の発現しかしていない。
それが自分の心(靈)の振動との感応共振でもあるやん。
そやからこそ、
人も浮游霊も、
人(日止、霊止)の生活に憧れ人を恨んでる動物霊も、
金に靡き(なびき)、
おんなじ程度の(霊的成長度の)心(靈)の発現の場(フィールド)を作る。
この星(地球)は、そうなってしもてる。

そんな事ばっかりの世界でもあるやん。
そやからこそ金では無いって事を言うてる。

そやけど今、
ほとんどの人がそう言う心の発現しかしてない・・・
情けないって事でんねん。

そう言う人の心(靈)の発現で、
その価値感で行動した結果が、
飢餓貧困災害戦争・・・そして貪、瞋、痴(とん、しん、ち、)由来の心(靈)の動きの、
浮游霊が多なった=恨みの連鎖の低振動の想念の星になってきた。

そやからそれは、
左往右往して壊さんと、
自分達の心の成長度と、
その上の心(靈)の発現って言うのんが解らへん。

ほんでからに甘い人に限ってそう言う現状を知っていても、
自分のせいやと思わへん。
そんなの関係ないって思う。
他者の痛みや苦しみは自分と無関係・・・
只々自分だけが(低い概念の)幸福であればいい。
そう言う人が多いからこそ、
壊さんならんって言うよりも、
それは必然として、
(霊的)進化の法則性として、
自滅するって事でんねん。

ほんでからに今後、壊れるし、
その時に“神の御用”をする人の事を言うてる。
それは、
“神の御用”に対し“因縁のある臣民でないと御用出来ん”・・・と表現されてる、
次の世界の創造(アセンション後)を託されてる人(日止、霊止)は、
以下の言葉のように、

“御用する人は、
何んなに苦しくても心は勇むぞ。”

それは、
形骸の価値感に振り回されてないって事でもあるし、
そして今現在、
左往右往の段階に入り、そう言う人生を送り、
そう言う人生になって行く為にその人の主護霊は、
右往左往の人生を送らせる事もある。
それは、善悪に関わらず、
仕事が上手く行ったり、
なんでも頑張れば手に入ったり、
エネルギーを贖った分だけなんでも思い通りになり、
それは、
その人をエエ気にさせる事もある。
“いきり立つ心(奴と心)”=砌(みぎり)の行でもあるやん。

ほんでからにそれだけでは、
右往左往だけでは、
沢山の認識を生きている間に獲得出来へんから、
失敗させて、
左往右往させる為に試練を与えるって事が多い。
それは、
この間先生と瀧原宮に行く途中に話したYAはんの事でもそうやし、
先生自身でもそうやし、
Kellyさんでも・・・沢山そういう事はあった。

その時の心(靈)の変化って言うのんは、
自省(胸の磁性“十”)やし、
“直日(なおひ)”やし、
“観自在”やし、
その心(靈)の発現に伴う肉体の変化が、
ゲホゲホ!!ゴホン!!ゲホゲホ!!ゴホン!!
ズル~ズル~ズルル~~~やった。
(霊的干渉 “目上(めうえ)と目下(めした)”“その二~四”)

それは具体的に言うたなら、
物欲に囚われないとか、
自分の心(靈)の動きを良く観察する様になるとか、
そう言う心(靈)の発現をする様になるのは当然の事で、
そして自分の存在とか、
神とか、
ほんまの幸福とか・・・

左往右往で心が折れてるからこそ、
失敗したからこそ、
悲しんでいるからこそ、
(肺=“悲しみ”、脾=“思う、憂う”の心(靈)の発現)
そういう事を思うようになる。

それは心(靈)が“上”に向かう事になり、
それはその時より前の霊的干渉より、
それは、
相対的に右往左往の霊的干渉よりも、
“上”の霊的干渉も起きるようになり、
そしてそれは、
自分の霊的成長をほんまに望んでるほんまの意味での主護霊との通信を、
し易くなって行くって事にもなる。
そやけど・・・現状、主護霊の概念もてんで低い事になってて、
そんな事まで低い霊能力者は気が付いてへん。

そやけど・・・又、低い事象の事を考えてしもてる・・・

そう言う点でも、この間Kellyさんが解釈した、
上つ巻 第二帖の言葉、

“盲が盲を手を引いて何処へ行く積りやら、
気のついた人から、
まことの神の入れものになりて呉れよ、
悪の楽しみは先に行くほど苦しくなる、
神のやり方は先に行くほどだんだんよくなるから、
初めは辛いなれど、
さきを楽しみに辛抱して呉れよ。”

・・・この言葉にも示されてる事でんねん。

そやから自分たちは、
“盲”って認識を持たんとアカンって事でんねん。
それは、先生の言葉、
“事象を観察する視野が狭い”・・・でもあるし、
前にKellyさんがぼやいた言い方としては、
どんな貴い価値のあるもんでもその人の認識の程度の事しか理解出来へん。
簡単に言えば、アホはアホの解釈しかせんって事でんねん。

ほんでからどんなに霊的成長しても、
“上”には“上”があるって事もあるし、
今言うてるのはそう言う段階でなく、

只、普通の人は、
下三つのチャクラの覚醒段階やから、
自分の心(靈)が字が由来の心(靈)の動き=低い功名心や自尊心に
囚われやすい・・・っちゅうのんか・・・
それしか持ってないって事でんねん。
そやからやってる事自体がアホで、
自分でその事に気が付かんのは・・・アホでんねん。

それをよう自覚しとかんと、
自分より“上”の思惑って言うのんは理解出来へん。
それは、
先生が色々失敗の人生を送って得られた認識でもありまんねん。

又・・・話が逸れてるけど・・・

次の文章の、

“この神は小さい病直しや按摩の真似させんぞ、
大き病を直すのぞ。”

“小さい病直しや按摩の真似”・・・目先の癒しとか、
薬漬け医療は、人を進化の方向性から逸らす。
それは、形骸の美でもそうやけど、
人は生物学的に見てもダメな方向に向かってる。
そやけどそれをたいして誰も問題にせん。
商売したいからや。
そやからそれは、美白の価値感が骨をダメにし、
薬の多様が免疫機能の低下を招き、
神経の電気的導通を遮断する鎮痛剤とかは、
骨の結晶化の反対の事をさせる。
こんな事も先生と話をした事があった。
(事象の形骸化 & 思惑と顕現 “その十一” “上”の思惑と顕現・・・“天の御目”)

こんな事は例を挙げてたらきりがない。
そしてその裏には、
只々利益だけ上げたいって心(靈)の動きがある。

ほんまに地球人が問題にせんとアカンのは、
その心(靈)の動き・・・自分の利益の追求が人の進化を阻んでる。
それは、心(靈)の低振動化でもある。
(“悪(心の動きの本能化と低振動化)”)

・・・そしてそれが引き起こしてる事象・・・
“悪”の事象の創造が、結果として恨みの連鎖にもなり、
そして今後、
保身の心(靈)の発現由来の戦争も起きるやろ。
もう起きかかってる感じやな。

そやけどそれは、
それを体験せんと、
次の段階の心(靈)の発現に結び付かへん人が、多いって事でもある。

そやからそれは、
この後の“日月神示”の言葉にも出てくる“立替え”とか“立て直し”、
ほんでからにそれは、

“グレンと変わりて来るぞ”
“グレンとひっくりかえる”
・・・とか、表現されてると思えるやん。

ほんでからに、その後・・・地球規模の失敗をした後、
それを立て直すのは、
今までと違う価値感と基準を持った人でなければならないって事でんねん。
それは、
天意を受けた人(日止、霊止)の価値感や行動で立て直すからこそ、
以下の言葉、

“神が開くから、人の考へで人を引張って呉れるなよ。”

“上”の思惑を受信して、
今までの人の、
形骸の価値感や思想で人を導くな・・・って事でんねん。
その事も戒めてる文章やと思うし、

今、ほんの少し、
この世界がおかしいと思うてる人は、
それは、
ほんの少し“上”の思惑を受信し始めてる人(日止、霊止)は、
現状を良く観察し認識し理解して、
今後の創造=自分のエネルギーの発振、発信に活かして行く為に、
この醜いと感じる事象を、
(ほとんどの人はそう思うてないやろけど)
良く知っとかなあきまへんで~・・・って事も、
窺い知れる文章でんねん。


ほんでから、
今回何回も言った低い心(靈)の発現に付いては、
近日中にKellyさんがその具体例を、
Kellyさん的事象の観察と認識でぼやく事にしまんねん。

きっとこの事を・・・何回もぼやかんならんような気がする・・・
そう言う感じもしまんねん・・・

・・・嬉しい事や無いんやけど・・・

今日はこれくらいにしときまんねん。

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 Kelly & ○○○大先生

Author: Kelly & ○○○大先生
FC2ブログへようこそ!


Kellyさんと○○○大先生は、
このブログを書いている○○○の、
心(靈)の二面性であり、
同一人物で有る事を、
お断りしておきます。

出版の告知

四冊目&五冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈4〉
智性無き心は
悪を容認する


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈5〉
智性無き心は
アセンションを見誤る

 この二冊は、同時発売です。
太陽凝視を行っている鍼灸師の話 <4> 智性無き心は 悪を容認する & 太陽凝視を行っている鍼灸師の話 <5> 智性無き心は アセンションを見誤る サムネイル
(クリックで拡大)

2010年 4月20日(火)ごろより、全国書店(紀伊國屋書店・三省堂書店・旭屋書店・ジュンク堂書店・ブックファースト・リブロ・丸善など)にて順次陳列。


発売中の三冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈3〉

神格化のプロセス
目上(めうえ)と目下(めした)


神格化のプロセス 目上と目下 縮小版 ブログ用
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発売中の二冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈2〉

ローム太霊の教え
日足(ひたり)と砌(みぎり)


サムネイル太陽凝視を行っている鍼灸師の話〈2〉ローム太霊の教え 日足(ひたり)と砌(みぎり) 
(クリックで拡大) 

お近くの書店にない場合は
たま出版のサイトでお買い求めください。

発売中の一冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈1〉

ローム太霊との出会い


太陽凝視を行っている鍼灸師の話〈1〉ローム太霊との出会い
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お近くの書店に無いときは
たま出版のサイトでお買い求めください。

この本に付いてはこちらを御覧下さい。


       




初めての方は、
・・・その後の事と・・・これからの事。
からお読みください。

それぞれのカテゴリーをクリックすると
古い順に、記事が閲覧できます。

        

☆ Kellyさん的事象の観察と認識 (104)
Kellyさんがこのブログに霊縁あった人(日止、霊止)に伝えたい事 (22)
Kellyさんと○○○大先生との会話 (7)
Kellyさんとチョ~極上ラブラブ中高年夫婦はんとの会話 (6)
Kellyさんとチョ~ベッピンはんのA野はんとの会話 (7)
Kellyさんと∪・ω・∪ ▼・。・▼ ▼・。・▽ U・。・U U。・ェ・。U たちとの会話 (33)
Kellyさんとメタボ研修医のYっちゃん先生との会話 (2)
Kellyさんとややメタボ内科医のYっちゃん先生との会話 (7)
Kellyさんと和風のベッピンはんのSはんとの会話 (2)
Kellyさんと農業好きの社長婦人K地M美はんとの会話 (12)
KellyさんとNominyan ∥*σ_σ*∥&Senyapoo λ*゜ο゜*λ との会話 (6)
☆ Kellyさん的“日月神示”解釈 (464)
Kellyさんが、“日月神示”の解釈をして行くに当たって・・・考えた事。 (15)
“日月神示” 上つ巻 (42)
“日月神示” 下つ巻 (38)
“日月神示” 富士の巻 (26)
“日月神示” 天つ巻 (30)
“日月神示” 地つ巻 (36)
“日月神示” 日月の巻 (68)
“日月神示” 日の出の巻 (23)
“日月神示” 磐戸の巻 (21)
“日月神示” キの巻 (17)
“日月神示” 水の巻 (36)
“日月神示” 松の巻 (30)
“日月神示” 夜明けの巻 (26)
“日月神示” 雨の巻 (18)
“日月神示” 風の巻 (15)
“日月神示” 岩の巻 (11)
“日月神示” 荒の巻 (12)
☆ Kellyさん的“ローム太霊講話集”解釈 (107)
☆ 紫光会経文の文言 Kellyさん的解釈 (18)
☆ ○○○大先生的バシャールの文言解釈 (9)
☆ 先生が撮るけったいな花の写真 (22)
☆ 先生が撮る比較的まともな写真 (32)
☆先生が室内で写真を撮るときのセッティング (6)
その他 お知らせ (3)



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2005年10月1日~2008年1月15日まで、
“Kellyさんとの会話”で、説明して来た事・・・
その内容・・・それは・・・その何年も前から、
何か自分の考えをある程度公表しなければならない・・・
そう言う通信を受け・・・その理由は・・・地球人が低い心(靈)の発現しかしていない・・・
それを自覚していない人が多い。
その事由来の太陽凝視に対する認識、
(太陽凝視=不食・・・としか、認識させない存在の思惑を、受信している事)
霊的成長に対する認識、
神に対する認識、
心=靈に対する認識、
オーラに対する認識、
そして、
高い認識の上での進化の意味と幸福の概念と神の概念・・・
進化=霊的成長=神格化=(相対的に)高い認識を獲得する事・・・
霊的成長=神に近づく事=真の幸福の意味。
霊的成長度は1番目のオーラに顕れる。
よって、宇宙的プログラムにより次の段階に移行する人(日止、霊止)は、 何を考えるべきなのか・・・
そして、人(日止、霊止)の進化を阻む存在の思惑、
その心=靈の動き、それらの意図・・・それが一般に認知されていない事。
それらを伝えなければ成らない・・・そして一応・・・完結はしたのですが・・・
解り難い・・・理解しがたい・・・具体例を示して欲しい・・・そう言う感想も頂き、
そして自分なりにも説明が足らなかった事・・・
更に、
“Kellyさんとの会話”が完結してからも通信を受けている事・・・そう云う事もあり・・・
よって、このブログを立ち上げる事としました。
従って、
“Kellyさんとの会話”が、
自分の意見を述べる上での、ローム太霊の言葉、
“右往左往”(“いきり立つ心(奴と心)”で行動してから考える)・・・と、 するならば、 このブログはアタシ自身の、
“左往右往”(“思う、憂う”・・・体験を教訓として考え行動する)の、
作業になって行くと思います。


太陽凝視を行っている鍼灸師の話 “総括編”
太陽凝視を行っている鍼灸師の話 “改”
予約制 鍼(はり) 灸(きゅう) マッサージ治療 児玉療院
写真部の○○○大先生のページ
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○○○大先生の水草水槽記録
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自分達の欲望を満たしたい… 
自分だけ幸福になりたい…
こういった進化程度の低い心(靈)の発現由来の思いが、
低い幸福の概念になり(目下(めした)の思い)
その結果が、飢餓貧困、戦争の原因になったりしています。
(子供の浮游霊の霊的干渉の影響を受け、 それがどんどん増して行く事等が、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)
の思惑だと 思えます)

恨みの連鎖による霊的干渉を増やさない為、
その解消の為にも、(この趣旨に反する類の物もありますが) クリックをお願いします。
クリックした人に、お金の負担はありません。 ↓↓




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