“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話

太陽凝視を一生涯の“行”とし(現在、44年目)、実践し、その上で獲得した認識を述べています。

Kellyさん、メタボ研修医のYっちゃん先生と、死を待つだけと思える入院患者の事に付いて、話す。

この間、
最近ちょっと疎遠になってる先生から珍しく電話があって、

“Kellyと話したいって人が又々出てきたんだけど・・・
話をしてくれるかな?”

・・・って、内容やった。

ほんでから、
今回先生から電話で紹介して貰った人は
現在30歳の内科の研修医で、
先生はその人の事をYっちゃんって呼んではるそうでんねん。

それは、先生とYっちゃんの付き合いって言うのんは、
最初に顔をあわせてからもう二十年近くになるらしく、
伊吹山や、桃の花見なんかも一緒に行った事があるらしいねん。
ほんでから・・・Yっちゃんが中学生の時に膝関節を痛め、
その症状に対し、先生が鍼をうって症状を軽くした。
それ以来Yっちゃん先生は、
鍼に興味を持ち、鍼が好きになったらしく、
調子が少しでも悪いと先生を呼ぶらしい。
ほんでからYっちゃんの家系は、代々チョ~有名な政治家で、
特にお祖父さんは、
既に故人やけど、誰でも名前くらいは知ってはる人でんねん。

そやからそれは、Yっちゃん先生の家系での右往左往と左往右往・・・
Yっちゃん先生の血筋としての場(フィールド)・・・○○家が、
○○家全体として霊的成長をして行かんならんから、
そういう事があるからこそ、
お祖父さんの一生が、右往左往で、
それは政治家として “力”を示してた期間が有ったって事でんねん。
ほんでからその後は・・・
息子さん・・・Yっちゃん先生のお父さんが政治家になり、
そして今は、Yっちゃん先生のお兄さんが政治家になったけど、
○○家が左往右往の段階に入ってるから・・・
これからはたいして活躍は出来へんやろって言うのが、
先生の見解でもある・・・
ある意味、チョ~失礼な見方でもあるけどな。

そう言う点でも・・・Yっちゃん先生を電話で紹介して貰った時、
Kellyさん的に一番最初に思うたんは・・・

今現在、先生と(霊)縁のある人(日止、霊止)って言うのんは、
心(靈)が“上”に向かってて、
ほんでから自省(胸の磁性“十”)の“行”をしてはる人が多く、
前のブログで紹介させて貰った、
元ソープ嬢のY子さんや、
このブログにも再度登場したチョ~極上ラブラブ中高年夫婦さんや、
チョ~ベッピンはんのA野はんや・・・

それは・・・今まで楽しく調子よく生活してきて、
金も物も入り、功名心や自尊心・・・腹の段階の心(靈)の発現を満足させてきた。
そやからその時は・・・比較的なんでも自分の思い通りになってて、
その事に付いてあまり何も考えずに生きてきた期間がある。
そやからそれも結果良好で・・・それは、一言で言えば右往左往何やけど・・・
ほんでから、
その右往左往の期間でも小さい左往右往はあったやろけど・・・
特にチョ~極上ラブラブ中高年夫婦さん御夫婦は、
お互いに結婚に失敗したりして、
それから巡り逢ったとか、
ご主人は一度、生死の境を彷徨った事が有ったそうで・・・
そう言う事でもそれは、
総体的な右往左往の中の、
小さい左往右往とも言える事なんやろけど・・・
そんな言い方したら御主人はんは・・・きっと気を悪くするやろな。
とてつもなく苦しかったって思うてはるやろから・・・
そやけど・・・
それを体験して今の奥さんと巡り逢い、
ほんでからチョ~極上ラブラブ中高年夫婦って呼ばれるような仲になった。
そう言う事も、本当の相手・・・見栄とか地位とか物欲とか・・・目先の愛欲とか・・・
結婚って言うのんはそんなものではなく、
お互いがそれを望んだからこそ、本当の結婚の意味を追求し始めた。
だからこそ、チョ~極上ラブラブ中高年夫婦は出逢った霊縁であると、
先生は思うてる。

・・・余談やった。

今その人達は、今現在感じてはる事象に付いて・・・
それはなんやしらん・・・
何事も今迄の様に調子よく上手くいかなくなってきてはる・・・
そやから、
自分達が今までやってきた事を、憂う(脾、日足(ひたり))事が多なってきた。
そやからこそ先生と話が出来る部分があるし、
先生は、その人たちに今起きてる事象、
その事自体・・・思うように行かん様になって来た左往右往の段階が、
その人達の霊的成長に必要な事象やって確信を持ってはる。
それは・・・先生自身がそうやからでもあるな。

そやからYっちゃん先生・・・
多分その人も、
そう言う人なんやろって思うたんやけど・・・ちょっと違ってましてんな。

それはまだ幼い・・・心(靈)が幼い段階でもある・・・
話をして、それを感じ(感じる磁性)たんやけど・・・

そやから・・・その話をした時の事を紹介しまんねん。


☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀


「Kellyさんはじめまして。○○ Y です。」
「こちらこそはじめまして、Kellyって言いますねん。
そやけど・・・いきなり失礼な事言わせて貰いますけど・・・
Yっちゃん先生・・・腹、でかいでんな。
チョ~メタボやおまへんか。」
「そうなんです・・・その事でいつも先生に罵られてイジメられますよ。」
「先生・・・口悪いから・・・
そやけど先生はただイジメてるだけや無い・・・
その事もYっちゃん先生は解ってはるんや無いんでっか?」
「そうですね・・・
先生は口が悪く、ふざけて傲慢な言い方をする事もある・・・
ですけどそれは先生自身が自分に厳しく、
それは・・・先生なりの基準と思想って言うのかな・・・
そう言う視点で何でも観るからでもありますね。
だから・・・僕の腹の事を観て先生が言った事、
例えば・・・新弟子検査とか、朝○龍の腹とか、
養豚場に仕事に来たとか、
仰向けのガマガエルとか・・・(笑)
そして・・・僕自身が自分に甘いからこそ、
Yっちゃんの心(靈)の甘さが皮下脂肪になったとか・・・
散々な事を言われましたけど、
それは、僕自身の良いカタチって事を先生は思っていらっしゃるから、
だからこそ先生はそう言う言い方をしてくれている・・・
それは理解してます。」
「・・・しかしひどい言い方してはるんやな。
先生は屁理屈も一流やけど、
皮肉や悪口も中々の物やから・・・時には傷付いたりしたんやないんでっか?」
「それは・・・不愉快に思った事も有りますけど、
不愉快に思う自分自身が自分に甘いからだって思いますから・・・」
「そうでっか・・・
それは先生の考えの影響を受けてるからYっちゃん先生はそう思うんやな。」
「そうかもしれませんね。
だから・・・僕にとっての先生は、
色んな事を皮肉交じりに、
親切に・・・時にはチョ~おせっかいに、
教えてくれてくれる人でもあるんですけど・・・
色んな質問をすると、厳しい返事が返ってきて、
なんか・・・結局、
僕自身の甘さを指摘される・・・
そう言う印象があって、最近あまり話が出来ないんですよ。」
「そうでっか・・・
そやから先生は、
KellyさんとYっちゃん先生が話をしたらエエやろって思うたんやろな。」
「そうですね。
何か・・・先生と直接話をするとちょっと怖い・・・
特にあの屁理屈混じりの話は、聴くととても疲れる感じだし・・・」
「それも霊的干渉の変圧の過程でんな。」
「変圧ってなんですか?」
「それはいきなり“上”の思惑を受信出来へんって事でんねん。
それを簡単に言うたなら・・・
先生はちょっと平均的地球人と考えがかけ離れてる。
それをいきなりYっちゃん先生が理解出来ん。
そやから、Yっちゃん先生が理解するには、
Yっちゃん先生の霊的成長度に近い人の話の方が、
Yっちゃん先生にとっては、
先生と直接話をするよりも難しくなく、
抵抗も少なく、
相対的に、簡単に理解出来るし、納得出来るって事でんねん。
ほんでから話をする事自体が、
霊的干渉そのもので、
それは又、
電磁誘導で、
Yっちゃん先生の肉体に先生の思惑=オーラで、
新たな生体内電流が生じ、それで肉体が創り変わる・・・
そやから霊的に高い人と話をすると疲れまんねん。
それは太陽凝視でもそう言う事でんねん。
太陽の振動=太陽の思惑を受信したら、
凄く疲れまんねん。
そやから“行と修行”って事なんやけど・・・

余談やけど・・・最近の夏の太陽の影響で先生は、
ちょっとこけてると思いまんねん。

大体いつも先生の顔は、
【<●><●>】・・・こんな感じやけど、
梅雨明けの頃の先生は、梅雨の間、
あまり太陽凝視をして無い体になってて、
梅雨明けでいきなり夏の太陽になり、
ほんでから、長時間の太陽凝視の影響で凄く日焼けして、
一時顔がむくみ、
【<-><->】・・・こんな感じになりまんねん。」
「そうなんですか・・・
変圧・・・覚えておきます。
しかし・・・いきなりKellyさんの話も先生のような難しい話ですね。
変圧・・・霊的成長の過程・・・程度の差って事ですね。
そして電磁誘導・・・それは、物理や電気の言葉ですね。」
「電気や物理や霊的な事って言うのんは、
結局同じ事でんねん。
その話は先生から聞いた事は無いんでっか?」
「いや・・・聞いたような聞いてないような・・・」
「今のYっちゃん先生の感想・・・
それが多分、変圧の過程って事でんねん。
先生の思惑がYっちゃん先生に伝わってなくって理解出来なかった。
そやけど今Kellyさんが言うた事、
電気や物理の事でんな。
それはとても重要な先生自身の認識やから、
言うて無いはずは無いと思いまんねん。」
「・・・そうかもしれませんね。
僕が理解出来なかったから、
僕自身が忘れたとか話してる時に注意して聞いてなかったとか・・・
そういう事になるんですね。
だからこそ変圧の過程で、
Kellyさんと話をしたなら僕自身の認識は変わっていく・・・
それは、
先生と直接話をするよりも、僕自身にとって良いカタチなのかも知れない・・・」
「多分そうでんねん・・・
ほんでから、Yっちゃん先生に対し、
KellyさんがKellyさんの認識を伝える事って言うのんは、
Kellyさんの為にもなりまんねん。
大体、Kellyさん自身の認識って言うのも、
先生と霊縁が有り、長い話をしたから構築出来た認識でんねん。
それをYっちゃん先生に解り易い様に話す・・・
それは大事な作業やと思いまんねん。」
「そうですか・・・そうですね・・・
解りました・・・よろしくお願いします。

・・・それで、
先生に訊いてみたかった事があるんですけど、
Kellyさんに訊いてもいいですか?」
「Kellyさんが判る範囲で答えまんねん。
それでYっちゃん先生がエエなら・・・言うてくれまっか?」

「最近・・・長い学生生活がやっと終わってやっと医師免許が取れ、
今、研修期間中なんですけど・・・
今行ってる病院では・・・大体どこでもそうだと思うんですが、
長期に入院して・・・只、命を長らえさせてるような患者さんがいる・・・
それは、半年も一年も寝たきりで・・・意識があるような無いような・・・
只、食事して排便して時々家族が見舞いに来て・・・
それもまるでお義理みたいな見舞いでしかない。

そういう事に意味があるのか無いのか・・・
それは、
その人の人生にとってその期間って言うのは、
意味があるのか無いのか・・・

医者が言うセリフでは無いですけど・・・疑問を感じるんです。
それは・・・
早く昇天したほうがいいんじゃないのか・・・
そういう事まで考えてしまう。
そのほうが本人も家族も楽なんだろうし・・・」
「Yっちゃん先生、それは違いまんねん。
そうやって意識があるような無いような時間を過ごす事そのものが、
自分の死を意識する事でんねん。
それもその人にとっては重要な期間でんねん。
そやからそれは、その逆を考えたら判りやすい事でんねん。
突然の死は、自分が死んだ事すら認識がないって事でんねん。
そやから彷徨う・・・
例えば、殺されて因縁霊になるとか・・・
相手に恨みを晴らすって霊でんな。

それは自分に対する認識が低いから・・・
死を認識してへんし、ほんでから自分が肉体を持ってた霊やったって認識を、
持ってへんからでんねん。
そやから生きてた事に執着するから、次の段階・・・
それは・・・ちょっと語弊のある言い方やけど、
霊の世界に、
死後の世界に行かれへんねん。」
「語弊のある言い方?霊の世界と死後の世界って言葉が・・・ですか?」
「そうでんねん。
自分が感じる事象って言うのんは自分の認識が生み出す物でんねん。
そやから霊の世界とか死後の世界って言う言葉そのものが、
幼稚な表現でんねん。

死っていうのは、心(靈)が感じる認識で言えば、
相対的な変化でしかない。
肉体を持ってる・・・肉体を捨てる・・・それが生死やけど、
そう認識されてるんやけど、
死んでからも自分は自分でんねん。」
「ハア・・・それはなんとなく判ります。
霊=心って事だからですね。
その事は先生はくどいほど言いますから・・・」
「そうでっか。
そやからその先生の言うた事を材料に考えれば、
エエ事でんねん。」
「この世界に迷う霊は、霊的成長をしてない。
そして生きてる人間の足を引っ張る結果になる。
そういう事があるからこそ自分の死を意識する事は大事って事ですね。」
「それ以外にも有りまっけど・・・
それは、
入院生活そのものが左往右往の段階で、
自省(胸の磁性“十”)の“行”でもありまんねん。
例えば、
飲酒や美食が過ぎて糖尿病になって、
心臓疾患や脳血管障害を併発して、
それで寝たきりになってはる人が居たとしますやんか。」
「そう言う人は多いですね。」
「そやからそれも自分がやってきた事の結果でんねん。
それは食事制限も進められたやろし、医者も周囲の人も忠告したやろし・・・
それでも自分のやる事って言うのんは自分で決めてやってきた。
そうでっしゃろ。」
「そうですね・・・言い訳めいた事は言いますけどね。
友達の誘いを断れずに食事したり酒飲んだりとか・・・
自分が悪いって思って無いからですね。」
「その通りでんねん。
自分が悪く無いと思いたいのは、
自我の確立=固定化の段階の霊的成長度でんねん。
それを如実に示してるからこそ、そう言うものの言い様をしまんねん。
そやけど・・・
自分のやってきた事そのものは色んな条件があったやろけど
結果それは自分で決めた事でんねん。
それを、誰かのせいにしたいって事でしかないって事でんねん。
言ってしまえば・・・自分に甘いって事でんねん。
そやけどその心(靈)のまま死んでしもたなら・・・」
「欲望に執着した浮游霊になるって事ですね。
あの時食べた物は美味かったな~とか、
あのときの酒は美味かったな~とか、
あのときの旅行は楽しかったな~とか・・・
結果そう言う人たちの言う事は昔の良かった事を思い出すだけ・・・」
「Yっちゃん先生、
そこにその言葉の裏にある心(靈)の動きを感じんとあきまへんで~。
それは、その言葉って言うのんは、
もうその時の自分には戻れないって言う、
自分に対する・・・寂しい認識が芽生えたからでもありまんねん。
大事な心(靈)の変化って言うのんはそこにあると思いまんねん。」
「そうか・・・そうかもしれませんね。」
「そやからそう言う人達にとっての入院生活って言うのんは、
過去の思いから執着を断ち切る・・・その過程の事でんねん。
それが、
死ぬ前に自分の死を意識する事で、
それはとても大事な事でんねん。
大体、突然死を迎えたなら、
さっきも言うた事やったけど・・・自分が死んだって認識すら無い事でんねん。
そやから、
長患いで入院し自分が段々弱り・・・
それを体験した霊=その人の心(靈)って言うのんは、
死を自覚出来るからこそ、
迷う事が少なくなりまんねん。
それに対し、死を意識しないうちに死ぬ場合は、
それはローム太霊講話集でも、ローム太霊さんが解説してて、
今の話に比べ、極端な例を挙げれば、
事故死や殺人や・・・そう言う事例までローム太霊さんは解説してまんねん。
それは必ず迷い、恨みの連鎖に加担する事になりまんねん。
ほんでから今Kellyさんが言うた先生の概念、
恨みの連鎖の霊的干渉って言うのんは、
先生がローム太霊講話集を読んで、
ほんでから、先生自身が自分の因縁を贖う(あがなう)事象も、
先生が体験した。
それは相当苦しかったらしいけど・・・それを通じて成長したからこそ、
認識は変容した。
そやからその結果、先生が持った概念の上での言葉、
それが、
恨みの連鎖でもありまんねん。

そやけど・・・先生の話や無かったでんな。
話を戻しまんねん。

そやから、
恨みの連鎖って言うのんは低い心(靈)の事象でもある。
それは“日月神示”上つ巻 第二十帖の解釈で、
(前回の記事)
Kellyさんが考えた事でもありまんねん。

目先の損得って概念があるから=霊的に成長をして無いから、
奪われたら奪う・・・仕返ししたい・・・殺されたら殺す・・・
そう言う発想そのものが、
自我の確立=固定化の段階でんねん。

それに対し、
自分が“慈悲”と“慈愛”を持ってて、
さらに、
霊的干渉と、自分の心(靈)は永遠の実在って認識を持ってたなら、
自分がどんな目に遭ったとしても、
それは、
自分に起きた必然の事象であり、
その意味を考え、
今後の自分の在り方を考える材料にする。
それが、
先生の認識(悟り、幸取=さとり)から出た言葉、
“すべての事象は自分の在り方を示す”・・・でも有りまんねん。
ほんでから多分・・・
今後の世界は(アセンション後は)そう言う認識をしっかり持った人ばかりの、
世界に成りまんねん。」
「そうなんですか・・・」
「解り難いやろな。
要は、
今KellyさんがYっちゃん先生に言いたかった事は、
恨みの連鎖・・・
それを引き起こしてるのは心(靈)の低い段階・・・
心(靈)の低い部分っていうのが妥当かな?
それは心(靈)の構造と認識される言葉の、
本能、情動、功名心、自我、愛(炁)、創造、知恵、智慧、智性・・・
その言葉を考えたら判りまんねん。
それが又、進化の本当の意味でんねん。
進化=霊的成長=本能の心(靈)から発現し智性に至る=神格化でんねん。
そやから、人の認識(悟り、幸取=さとり)が、
幼い段階でこの世界に執着するから、
恨みの連鎖の霊的干渉が起きる・・・って思うてまんねん。」
「そうですか・・・心(靈)が幼いから恨む。
だから動物を食ってはいけない。
そういう事も有りますね。」
「それは先生から聴いたんでっしゃろ。」
「そうでした。受け売りでした。」
「Kellyさん的に今Yっちゃん先生に思うのは、
先生から聴いた事そのものがYっちゃん先生先生の認識そのものに成り得ていない。
そやから受け売りに成る。
失礼やけど・・・それを感じましてん。」
「・・・」
「余談でした。
死んでから・・・只単に死んだ後はこうなるって言うのでは無く、
死んだ後からも心(靈)って言うのんは、
認識は拡大して行くって事が重要な事やと思いまんねん。」
「そうなんですね・・・
認識の拡大・・・自分を振り返り自分のやってきた事を反省する・・・
それが先生のよく言う自省(胸の磁性“十”)の“行”って事ですね。」
「そうでんねん。
そやから生きてる期間・・・肉体を持ってるうちに、
自省(胸の磁性“十”)の “行”に、
入るって事が、
霊的成長にとって必要やと思うんやけど、
今、恨みの連鎖で起きてる事は、
それは、恨みの連鎖の具体的な事象って言う意味の事やけど・・・
戦争とか災害とか疫病とか、最近の理由の判らへん無差別殺人とか・・・
それに関わった人の心(靈)そのものが、
未熟なままの心(靈)での死になりまんねん。」
「そうですね。それは良く判ります。」
「そやから、
自省(胸の磁性“十”)させんと簡単に人に死を体験させる・・・
結果、彷徨う・・・
この世界は浮游霊でいっぱいでんねん。
ほんでからそう言う世界を望んできた存在が居てる・・・
それは人が持ってる心(靈)の低い部分と感応共振する。
それが、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)って、
先生は思うてる。

そやから・・・今Kellyさんが言いたかった事って言うのんは、
人は生き死にを通じて自分の認識を拡大する。
それが霊的成長の段階・・・多分それは、
生命(生きる使命=存在理由)としては低い段階の成長過程で、
平均的地球人はまだとても幼いから、
死の事をよう知らんし、
只、恐怖の対象でしかないって事も有りまんねん。
大事な事は、
死を通じて認識を拡大させて行く事で、
ほんでからそれは、
生きてる間に死を通じて得られる認識を獲得する事の方が、
霊的成長は早いって事でんねん。
そやからこそローム太霊さんは、
死んだ後の事をローム太霊講話集で説明した。
そしてローム太霊さんの意図としては、
死を通じての認識、その事を考えて欲しい。
先生は、
ローム太霊さんが比較的最初に死の事を説明した意図は、
そこにあるって思うてまんねん。」
「認識ですか・・・」
「そうでんねん。
ほんでから、自分の認識の分だけしか事象を感じる事が出来ん。
これも変圧の過程でんねん。

それが前のブログで先生が何回も言うた事、
“人は自分の持っている認識より少し“上”の事しか理解出来ない”
・・・でも有りまんねん。

そやから・・・霊的成長をすればするほど・・・

地球人の幼稚な言い方を引用すれば、
自分の意識は高次元に位置する事が出来る様になりまんねん。
自我の確立=固定化の段階の心(靈)は、
物質の世界しか認識出来ん。
それも変圧の概念でんねん。
そやからこの世界に執着のある霊的存在は、
物質の世界にしか位置出来ん。
それより“上”の世界には行かれへんって事でんねん。
行き先は自分の心(靈)の認識が決めているって事でんねん。
そやからそれは、解り難い一例を言えば、
先生は、
目を閉じた瞬間に違う場(フィールド)の情景を見たりする事が出来るらしいけど、
そんな事は先生自身の認識でしかないから、
誰にも証明出来ん・・・
そしてその世界で通信を受けたり認識を拡大させてまんねん。
ほんでから、そこでの情景を材料に、
先生はけったいな写真を撮りまんねん。

又、話が逸れましてん。

そやから、
認識の変容の為の死・・・状態の変化。
その事を大多数の人は気が付かへん。
そやから認識の低い人が=霊的成長度の低い人が、
死後の世界の事を(知識として)知ったならば、
霊の世界はある~とかの映画を作って、死後の世界を茶化したりしまんねん。
結果それも、
知識を金儲けに利用したに過ぎず、
ほんでから、
自分がエネルギーを贖って獲得した知識ではなく、
只、本に書いて有る事なんかを自分の利益の為に利用した。
そやからその人の認識=霊的成長度はその程度のものでしかなく、
そういう事を先生は、
エネルギーを贖って無い事から考え、
それは、盗んだに等しいって思うてまんねん。」
「・・・厳しい考えですね。」
「又々・・・話が逸れましてん。
話に熱が入りすぎでんな。最近のKellyさんの欠点でんねん。」
「いえ・・・どうぞお構いなくお話ください。」
「そうでっか。それでは遠慮なく話させて貰いまんねん。

そやから、自分が死ぬって言うのんは、
生きて来た事の結果でもあるし、
それを自分の心(靈)が観察して自省しまんねん。
そうやって死後の世界って認識されてる場(フィールド)では、
段々心(靈)が育っていく。
結果自分がどんな目に遭ったとしても、
心(靈)が育つ=認識の拡大をする。
それが“夭と屰”(ようとげき)でもあり、
“幸”って言う字を構成する部首でも有りまんねん。」
「・・・そうなんですか。」
「ちょっと話し足りんかったから話を蒸し返すんやけど、
死後の世界って言葉そのものが不適切って言うのんか、
きちんと表現されて無いっていうのんか、
生きてる間の世界、死んでからの世界・・・
すべては事象の認識であり、
生きてても死んでからも、
自分が得られる事は、
認識(悟り、幸取=さとり)で、
観察する対象って言うのんは、
現津(あきつ)=観察され得る事象であり、
ちょっとややこしい言い方したんやけど、
自分が感じ(感じる磁性)それを観察して、
認識する(受信)って言うのんは、
自分の心(靈)でしかないって事でんねん。
ローム太霊さんはその事を知って欲しいからこそ、
死後の世界の事を言うたと思いまんねん。

その事をYっちゃん先生にはよう覚えて欲しい・・・

おせっかいな言い方やけど・・・

大体・・・質問に対する答えはこれくらいでエエんやろか?」
「充分です。
長患いの意味はよく理解できました。
そしてその答えから得られた事・・・
人は認識するために存在する・・・そう言う言い方が正しいのか判りませんが、
そういう事も感じました。
ですから今後、
解り難い事があったなら又、
Kellyさんと話をさせて貰ってもいいですか?」
「さっきも言うた通り、
この会話自体がYっちゃん先生とKellyさんの為でんねん。
そやから今後もよろしゅうに。」
「わかりました。
今後もよろしくお願いします。

一言、今日の話の感想を述べてもいいですか?」
「どうぞ遠慮なく感じたまま言うて下さい。」
「Kellyさんと話をするのは、
先生と話をするより簡単かのように思ってた・・・
さっきも言いましたね。

ですが・・・自分はとても甘かった・・・

それは先生の屁理屈も凄いけど、
Kellyさんの屁理屈も凄い・・・それを感じましたよ。」

_(。_°/ ズルッ!・・・ズベッ(ノ_ _)ノ・・・(o;_ω_)oバタ・・・コケテモタ

「そうでっか・・・褒めて貰って恐縮でんねん。」
「そう言う皮肉っぽい言い回しも先生そっくりですね。」

_(。_°/ ズルッ!・・・ズベッ(ノ_ _)ノ・・・(o;_ω_)oバタ・・・コケテモタ

「・・・そうやって、Kellyさんの評価をするYっちゃん先生も、
かなりへそ曲がりで、
それは多分、
先生のイジメに鍛えられたからやと思いまっせ。」
「そうか・・・なるほど・・・鍛えられていたんだ。
だから先生の口汚いチョ~メタボの僕の腹に対する言い回しも、
僕自身の認識でどうにでも取れる。
それはさっきKellyさんが言った先生の言葉、

“すべての事象は自分の在り方を示す”

まさにその言葉どおりの事ですね。
勉強になりました。

今日はありがとうございました。
又よろしくお願いします。
それではこれくらいで失礼します。」
「承知しましてん。又の機会を楽しみにしてまっせ~」


“日月神示”上つ巻 第二十帖 Kellyさん的解釈



今回も、“日月神示”上つ巻 第二十帖を解釈しまんねん。
原文は以下の通り、


神がこの世にあるならば、
こんな乱れた世にはせぬ筈ぞと申す者沢山あるが、
神には人のいふ善も悪もないものぞ。
よく心に考へて見よ、何もかも分りて来るぞ。
表の裏は裏、
裏の表は表ぞと申してあろうが、
一枚の紙にも裏表、
ちと誤まれば分らんことになるぞ、
神心になれば何もかもハッキリ映りて来るのざ、
そこの道理分らずに理屈ばかり申してゐるが、
理屈のない世に、神の世にして見せるぞ。
言挙げせぬ国とはその事ぞ、
理屈は外国のやり方、
神の臣民 言挙げずに、理屈なくして何もかも分かるぞ、
それが神の真の民ぞ。
足許から鳥が立つぞ、
十理(トリ)たちてあわてても何んにもならんぞ、用意なされよ、
上下にグレンと引繰り返るぞ。
上の者 下に、落ちぶれた民 上になるぞ、
岩戸開けるぞ、
夜明け近づいたから、早う身魂のせんだくして呉れよ、
加実の申すこと千に一つもちがはんぞ。
六月二十七日、ひつくのか三。


冒頭の言葉の、

“神がこの世にあるならば、
こんな乱れた世にはせぬ筈ぞと申す者沢山あるが、
神には人のいふ善も悪もないものぞ。”

これは・・・
先生が中学生くらいの時に考えてた事みたいな事でんねん。

それは、例えば、
事件とか災害とか戦争とか病気とか・・・不幸な死や苦しまんならん事・・・
それに巻き込まれた人の人生には、何の意味があるのか?
神が実在するのなら・・・何故そんな事を見過ごすのか?
こういう事を考え・・・そやけどそれは、
只単に、
神に依存する甘い(亜、魔、出ずる、泉)考えなんやけど・・・

話を戻し、
そう言う事を考えつつその当時の先生は、
唯物論的な物の見方をしていた。
そしてそれは、自分自身に対してもそうやったらしい。

そやから・・・自分の人生に価値を見出せない・・・
何の為に自分は苦しんで生きているのか・・・
その思いに取り付かれ・・・それしか思わない自分が在り、
ほんでからにそれは・・・前に言うてたけど・・・
自分をもう終わりにしたい=自殺まで考えたようやねん。

そやから、自分の人生・・・
中学生やからたかだか15年くらいの事なんやけど・・・
それは・・・病弱で・・・友達もいなく・・・寂しい子供だったらしい・・・
余談やけど、
今の先生を見ると子供の頃・・・病弱だったなんて、
ほとんどの人が信じへんくらい丈夫そうなジジイなんやけど。

そやから・・・先生が子供の頃思うてた事は、
何で自分がこんな境遇に生まれてしもたんやろか・・・とか、
自分の運命を呪うとか・・・

そやけど、
そんな事で自分の人生を嘆くなんてのは、
それは、只単に、事象を観察する視野が狭い。

これは・・・もう少し小うるさい表現をすれば、
現津(あきつ)=観察され得る事象を、
観察する・・・
観察して認識するって言うのんは、
自分が持ってる認識(悟り、幸取=さとり)の程度=視野。
そやから、
自分自身の認識が幼かったなら、
観察して得られる認識も、
幼い・・・幼稚なものになる。

只、それが霊的に幼いから・・・
これは年を取っているとか若いとかはあまり関係の無い事やし・・・
最も、
先生がこういう考えに囚われてた時は、
子供やったって事もあったんやろけど・・・

ほんでから・・・これも、
先生の言葉の引用でもあるけれど・・・

自分が、
その時持っている心(靈)の発現の程度と、
それまでの体験による認識(悟り、幸取=さとり)・・・
何かを観察して感じ取り、
それが自分の人生での体験やったりもするんやけど、
そして・・・その上で自分が思う=認識って言うのんは、
その、時点、時点の事でしかない。
そやからそれは、目先の観察でしかないとも言い得る事やし、
そやからそれは、
(霊的に)幼稚なら、幼稚な認識しか出来ん。

それは、相対的に、
“上”の心(靈)が発現していないって事でもあるな。

そやから、
心(靈)の成長過程、
霊的進化の過程を考えれば、
動物から人(日止、霊止)への進化過程でもあると感じられる、
集合意識から“個”の意識に成り、
それは、
独り神になる過程で有り、
そやからこそ地球人は、
自分達のより良いカタチを求め始める為、
動物には無い幸福の概念を持ちだした。

余談やけど・・・何回も言うけど・・・
今、幸福の概念はとても間違ってると思うけれども・・・
それは先生やKellyさん・・・そして一部の人(日止、霊止)の、
物の見方でしかないとは・・・思うんやけど・・・

話を戻して、

ほんでから、自分達より“上”とか“下”の概念、
それは、
霊的な“上”“下”の概念を感じ取り、
それが、
自分より“上”でもある、
神さんや創造主の概念やったりもする。
ほんでから、
自分達より“下”の存在や、
自分達を堕落させようとする悪魔の概念を、
感じ取ったりする。

今言うた概念・・・そやからそれは、
自我の確立=固定化の過程やからこそ、
認識出来た・・・認識し始めた、
まだまだ幼稚な概念でもあると思えるやん。

それが良く判っていない段階の人が思う事そのものが、
この、上つ巻 第二十帖の冒頭の言葉でもあるな。

そやから先生の言葉、
前のブログで一番最初に先生から聞いた言葉でもある、

“事象を観察する視野が狭い”・・・

先生は、
今言うたみたいに色々苦しみ、
その後、色々な体験をして、又苦しみ・・・
そう言う境遇で色々考えたからこそ“上”からの通信もあり、
様々な霊縁もあり、
そやからこそ今の先生は、今の認識を得たとも言える。
そやからローム太霊さんは18歳の先生に、
苦に苦を重ね苦を求め更に苦を求めるのだ、楽を求めてはいかん。
・・・って言うた。
(ローム太霊 参照)

そやから・・・
現津(あきつ)=観察され得る事象の観察の程度・・・それが、
低い認識の上での観察やったなら、
なんでも都合よく考えたり間違えて考えたりする・・・
ほんでからそこに付け込むのが、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)でもあるやんか。

そやから・・・
自分の境遇とか不幸な事象とか因縁とか・・・
すべてに理由がある事=必然である事=霊縁である事=“上”の思惑がある事。
それらすべてが自分自身の霊的成長の為の、
苦難と試練であり、
S会=紫光会の交霊会で使われた言葉、
神は乗り越えられない困難は与えない”・・・でもあるけれど、
その事を理解出来る人はとても少ない。
そやから目先の苦難と戦わず、
そやからこそ、自分がイヤになり、自分の人生がイヤになり・・・
逃げる事ばかり考えてる人は意外に多い。
大体そう言う人がする事って言うのんはパターンがあり、
例えば、酒飲むとか美食するとか目先の快楽で苦痛を忘れたいと思う。
ほんでからそう言う人は・・・もう自分は死んでもエエわ・・・とか、
強がるんやけど・・・
それも自我の肥大ゆえの言葉であり、
ほんまは自分自身の事を憂いて、
左往右往して・・・
そやけどそれは、
自省(胸の磁性“十”)して無い心(靈)の動きでもある。

そやからそう言う人、それも・・・
今言うた事を理解出来ない事そのものが、
霊的成長度が低い認識ゆえの、
現津(あきつ)=観察され得る事象の、
観察と認識でもあり、
自分に甘いとかも自分で判断できず、
そやから、自分が“かわいそう”・・・とか、
そんな発想くらいしか出来ん。

それは、恨みの連鎖とか試練とか・・・
それを低い認識で表現すれば、不幸な因縁とかって言い方になるんやけど、
それらが、
自分達の贖わなければならない事とか、自分の認識の拡大の為の事象であり、
それを通じ、
自分の霊的成長を果す=認識(悟り、幸取=さとり)の拡大=オーラの拡大。
その認識が有れば、例えば・・・

騙されたら騙し返す、
奪われたら奪う、
殺されたら殺す・・・それをせんと自分が損やと思う。
そんな事をせんようになる。

そやから、
その発想そのものが、
右=砌(みぎり)=肝=“いきり立つ心(奴と心)”でもあり、
その人の心(靈)の発現は相対的に日足(ひたり)が無く、
“いきり立つ心(奴と心)”しかない発想でもあり、
それも自我の確立=固定化で起きる自我の肥大であり、
自己奉仕者の発想でもある。

そやけど・・・今言うた事は極端な話でもあるし、
こんな事は考えられへん・・・そう受け取られるのが、
平均的地球人の霊的成長度でもある。

今言うた、
殺されても相手を恨まないなんてのは、
今の地球人の心(靈)の進化過程では、考えられへん非常識な事やろけど、
自分は、自分と言う存在は、
現時点、肉体を纏っているだけであり、
肉体を纏っているからこそ様々な体験があり、
その機会を与えられた・・・
或は、自分で選択してここに生まれた。
そして地球は、
恨みの連鎖の想念でいっぱいであり、
自分が因縁を背負っている事そのものが、
その恨みの念を発振している低い心(靈)の発現の存在の認識を、
変えて行く事に繋がる・・・

それもある意味、生きている事の意味でもあるんやけど・・・

・・・そんな発想は出来へんやろな。

只々、
自分の損得しか考えへん心(靈)の発現の程度の存在が、圧倒的多数の星やし・・・

そやから・・・もう一度言えば、
目先の不幸と感じる事象・・・それもある意味、
低い心(靈)の発現の存在の認識を変えて行く事に繋がるのやから、
それは、奉仕になり、
心(靈)が“上”に向かう人の場(フィールド)を構成する事になり、
恨みの連鎖を解消するという結果に繋がり、
そやからこそ、
それを済ました人(日止、霊止)の居てる場(フィールド)は、
その場(フィールド)に居てるすべての存在の霊的成長だけを、
望む存在になり、それだけになり、
そう言う心(靈)の存在が構成する場(フィールド)は、
当然の事ながら、
欺くとか騙すとか嘘をつくとか奪うとか由来の、
行動=創造は、有り得へん。
そう言う世界を創る事そのものが、
アセンション=事象の高次元化=それを構成する人の心(靈)の動きの変容・・・
本能、情動、功名心、自我、愛(炁)、創造、知恵、智慧、智性という振動から言って、
自我より“上”の心(靈)の発現由来の創造=発振、発信の結果・・・
呼吸、息吹、気吹、生吹、って言ってもエエ事やし、
それは、
自分の霊的成長度による観察由来の事象の創造って事になる。
程度の低い人は今までと同じ場(フィールド)に移行し、
“上”の心(靈)を発現した人は、
現状と違う世界を事象として感じて行く。

それがアセンションでもある。

そやから分ける事・・・その為に今、
低い心(靈)の発現で何かをなした人は、
失敗して自省(胸の磁性“十”)の“行”に入り、
自分自身に対する認識を変えていく・・・
それは生きている死んでいるに関わらずって事なんやけど、
これも受け入れがたい認識(悟り、幸取=さとり)やろな。


そやから、
善悪の認識も、それを考える人自身の認識が幼い・・・言い換えれば、
認識(悟り、幸取=さとり)が幼い=霊的成長してへんと、
自分の目先の損得とか、目先の善悪しか解らへん。

そやからこそ、次の言葉のように言うてる。

“神には人のいふ善も悪もないものぞ。”

善悪の認識も、
その人自身のものでしかなく、
目先の“悪”を試練と捉えられへん人は多い。
因縁解消とか悪霊払いとか浄霊とか・・・
その発想自体がとても幼いって事を知らんならん。
そして、
その言葉を利用している自己奉仕者はとても多い。
話にならんくらい多い。

ほんでから、
太陽凝視に対してもアセンションに対しても、
そう言うものの見方しかしていない人も圧倒的に多い。
太陽凝視には何とかの効果があります・・・とか、
アセンションすると不安の無い世界になります・・・とか、
まるで、
只無駄に金を使わせる通販番組や、
たいして効果の無いお茶のCMみたいな言葉の使い回しをする。

そやから、これも先生と話した事、

幼い霊的成長度の人ほど、
感覚優先の物の見方をしたり、
現象だけをありがたがり、
結果、目先の簡単な事しか思わへん事になる。

そやけど今のこの世界は、
そう言う心(靈)の発現の低い人ばかりの世界とも言い得る。
そやからこそ、今、
形骸の何かしか目立たへんともいえる。

そして・・・価値のある何か・・・
太陽凝視やアセンションの意味と意義・・・

今まで、
人の低い心(靈)の発現で価値がとんでもなく間違った物になった事は沢山ある。
こんな事は何回も言うた事なんやけど・・・
宗教、ヨガ、政治、天皇制、オーラソーマ、宝石(結晶化を示す事)・・・etc

せめて・・・太陽凝視くらい、
本当の事を知って欲しいって言うのんが、
前のブログとこのブログの目的でもある。
それは・・・先生が最近憂いている事でもある。
ほんでから先生がパソコンを始めた動機は、
“上”から通信を受け、
一部の人に先生の太陽凝視に対する認識(悟り、幸取=さとり)を伝える。
多分その為だった・・・楽屋落ち的言い方やけど・・・

話を戻して・・・

“よく心に考へて見よ、何もかも分りて来るぞ。”

今Kellyさんが言うた認識の低い“悪”・・・
それは形骸の善悪ではなく、
すべての事象は自分の在り方を示す・・・
これも先生の認識で、
只、目先の損得とか自分が害されたとか・・・
そう言う思い方に問題が有る事を示す事でもあり、
心(靈)が“上”に向かっているなら、
自分に起きた事すべてが自分を結果として高めて行く事に繫がって行く事を、
理解し、
そして最終的には自分は神格化する。
その為に今、
低い事象から学習しているって事を認識(悟り、幸取=さとり)とする。
この言葉は、
そうなってくれって事でんねん。

ほんでから次の言葉、

“表の裏は裏、
裏の表は表ぞと申してあろうが、
一枚の紙にも裏表、
ちと誤まれば分らんことになるぞ、”

これも、
形骸の見せ掛けの概念に囚われるな。
ほんまの霊的成長って言うのんは、自分の心(靈)の動きの観察をして、
その中に、
“悪”=“悪(心の動きの本能化と低振動化)”と、
“善”=“善(神格化の方向性と智性の受信)”を見出し、
時間の進行と共に思い考え発振し=呼吸、息吹、気吹、生吹、して、
創造=現津(あきつ)=観察され得る事象の中での自分の在り方を、
自分が・・・自分自身が見出す。
それが“上”の思惑に沿った物なら、
不幸な事象はなくなり、
それを“上”は人(日止、霊止)に託し期待しているからこそ、
今苦難を体験せんならん。

そやから次の言葉、

“神心になれば何もかもハッキリ映りて来るのざ、”

これも、
天意を受けた人、上の思惑を受信した人(日止、霊止)を指す言葉やけど、
いきなり地球人はそんな進化過程に入らん。
まず、“善悪”(神格化と動物化=心の本能化)の意味から考えて、
自分たちの心(靈)の動きが、
現津(あきつ)=観察され得る事象になる事を知らんならん。
そやからこそ、
今もこれからも、
醜い事は起きていく。

そしてそれを体験し、
そして自省(胸の磁性“十”)し、
自分の在り方を考える人(日止、霊止)であるなら、
次の世界の創造を託される。
何回も言うけど・・・それがアセンションの意義でもある。

そしてその世界では、

“そこの道理分らずに理屈ばかり申してゐるが、
理屈のない世に、神の世にして見せるぞ。”

さっきも言うた天意が伝わる事、
“上”からの通信をストレートに受け、
それが自分の思想になるからこそ、
“理屈のない世”になり、
今現在、
理屈だけで形骸の“善悪”の概念に囚われてて、
何も、
“善悪”(神格化と、動物化=心の本能化)を、
自分の心(靈)の動き=発振、発信にしてないからこそ、
こういう言われ方をすると思えるやんか。

そやからこれは、
今の世界に比べ、相対的なものの言い様でもあるな。

これはやってエエ事でっせ~とか、
あきまへんで~とか、
そう言う心(靈)の動きは自分に許してはあきまへんで~とか・・・
そやからそれは、“善悪”(神格化と、動物化=心の本能化)の事でんねん。
そやから、
こうすると霊的成長しまっせ~とか、
霊的成長が・・・それが生きてはる目的でっせ~とか・・・
そんな事は、
次の世界・・・そこに居てる誰もが、
自分の認識(悟り、幸取=さとり)になる世界になるって事でんねん。
そんな事を理屈で示さんならん世界は、
この程度の低い・・・
アホが活躍する世界って事でんねん。
それは、
この世界そのものが霊的にとても低い世界やからって事でんねん。


ほんでから次の言葉も、
発振、発信=“言挙げ”で、
それが出来て無い“国”=(囗)くにがまえと“玉(ぎょく)”
そう言う意味があると思えるやんか。

“言挙げせぬ国とはその事ぞ、”

理屈だけ、形骸の事だけ、
外側(外国と幽界)にしか善悪を見出さん人が多い世界、
自分の心(靈)の動きに、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”と“善(神格化の方向性と智性の受信)”を、
見出さん事そのものが、
外側(外国と幽界)の事象の観察でしかなく、
それは、
自分の心(靈)の動きにより、
現津(あきつ)=観察され得る事象が形成され、
そしてそれを認識する・・・
それが又、生命(生きる使命=存在理由)って事でも有るんやろけど・・・
只々その認識(悟り、幸取=さとり)が無いのが、
今の地球人の心(靈)の段階。
そう言う事でんねん。

そやから本当に目覚めたって思える人は、
ほんまの事とかほんまの幸福とかほんまの価値のある事って言うのんは、
自分の中にしかなく、
戦うべき“悪”や敵・・・霊的成長を阻む何かって言うのんは自分の中に存在し、
今言うた事を、
それを、
自分の外側(外国と幽界)に求めたり、
認識したり・・・
その事そのものが、
認識の低い=“一”=智性=1番目のオーラの小さい段階って事なんやけど・・・

今言うた事を思いつつ次の文章を読んで欲しいものやな。

“理屈は外国のやり方、
神の臣民言挙げずに、理屈なくして何もかも分かるぞ、
それが神の真の民ぞ。”

ほんでから次の言葉、

“足許から鳥が立つぞ、
十理(トリ)たちてあわてても何んにもならんぞ、用意なされよ、
上下にグレンと引繰り返るぞ。”

この、
“足許から鳥が立つ”・・・この言葉は諺(ことわざ)で、
その意味は、
身近で思いもよらなかったことが起こる事・・・とか、
急に思い付いたように慌てて物事をし始める様子の事・・・も、
言い表すようで、
似た意味の言葉としては、
“寝耳に水”“晴天の霹靂”“藪から棒”・・・とかが、あるやん。

そやからこそそれは、
“用意なされよ、
上下にグレンと引繰り返るぞ。”

・・・でも有り、それはこの言葉に掛かる。

“十理(トリ)たちてあわてても何んにもならんぞ、”

“十理(トリ)”・・・この言葉の解釈としては、
胸の磁性“十”と、
ことわり=理・・・そしてこの字は、
“王”と“里”で、
“里”って言う字は、
“田”=四つの場(フィールド)・・・大脳でも有り、
“思う”から心(靈)をはずした字でもあり、
そしてそれは、
“一靈四魂”をも示すって言うのんが先生の説でもある。

ほんでから田の“下”に、
“土”=2~3番目のオーラを構成する意味での肉体がある。
それは“日月神示”内の表現の“江戸と尾張”・・・
腹の水=“江”が、
“戸”・・・天の岩屋戸の“戸”で隔てられ、
天の岩屋戸が開かんと=天意を受け、それは、
心(靈)の発現が“上”に行く。

補足として、

岩屋は、
山=脳と、
帯電するミネラル=“石”・・・“石屋の仕組み”の“石”と、
それを隔てられてる戸・・・
現時点、
次の心(靈)の発現の為に強化されていると思える、
マニピューラチャクラ・・・
そやから腹の磁性やろし・・・
それは多分、横隔膜って言うのんが先生の解釈でもある。
その腹の段階の右往左往と左往右往=サイクロトロンの構造を、
その発振、発信を、
“上”に引き上げるのは、
シンクロトロンの構造でもある胸の磁性“十”であり、
その時の心(靈)の動きが、
心(靈)が茲(やしないそだてる、いつくしみ)故の、
慈しみ悲しみ愛しむでもある。

そやからその段階に入る・・・

それ以前の腹の段階の心(靈)の発現が、
自我の確立=固定化でも有り、
特に、右往左往=肝=砌(みぎり)中心の心(靈)の発現は、
それによる行動=創造は、
右=砌(みぎり)回転になるし、
それを“日月神示”では、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”= 渦巻き 右 回転
と、称されていると思えるやんか。

“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の回転 砌(みぎり)回り 


そやから、上つ巻 二十帖の言葉、
“十理(トリ)たちてあわてても何んにもならんぞ、”

胸の磁性“十”由来の発想をして、
現時点と違う認識を持って、
間に合ってくれって事でもある。
ほんでから又、補足として言うて於けば、
胸の磁性の心(靈)の動きをを表した言葉は、
“慈悲”と“慈愛”。

そやから“十理(トリ)”は、
動物より相対的に、
“上”の磁性でもある、両手の磁性を獲得した・・・
そやから、
人(日止、霊止)としては、
動物より相対的に“上”=神の思惑を受信出来、
それを、
認識(悟り、幸取=さとり)に出来る。
そやから簡単に言えば、人と動物は違うって事でんねん。
当たり前のチョ~簡潔な説明何やけど・・・
それを意識して欲しいもんやな。

ほんでから次の言葉は、
現状、
砌(みぎり)の“行”ばかりが注目されてる今の世界を指して、
そして自己奉仕者も指して=自分の為にしか“力”を使わん人を指して、
次のように言われてると思えるやんか。

“上の者 下に、落ちぶれた民 上になるぞ、
岩戸開けるぞ、
夜明け近づいたから、早う身魂のせんだくして呉れよ、”

この、

“早う身魂のせんだくして呉れよ、”

これも、自己観察して、
自分の心(靈)の中の“善悪”(神格化と、動物化=心の本能化)を、
よく認識して、
在るべき自分をこれからどう確立して行くのか?
・・・を、問うてる言葉やと思うし、
それは、
自分の思想になるからこそ、
“岩戸開けるぞ、”・・・やと思えるやんか。

そしてこれから、形骸の価値感で自分の力を示した人は、
“上の者 下に、”・・・に、なり、
ほんまに霊的成長の為にエネルギーを贖い・・・
そう言う生活をして来た人は、
心(靈)の糧を得てる時は物や金は入らへん・・・
それは相対的にビンボーになる。
そやから、人が獲得して認識(悟り、幸取=さとり)して行く何かって言うのんは、
砌(みぎり)の“行”か、
日足(ひたり)の“行”か・・・
そのどちらかしか得られへんのがこの世界やからこそ、
そう言う相対的なものの言い様で、

“落ちぶれた民 上になるぞ、”

・・・でも有り、
これから・・・今も起きてるけど、
今、形骸の価値感で構成されたこの世界で、
それに準じつつ力を示した人は、
左往右往に入り、失敗し、
それに対し、
現時点あまり力を示して無い人が、
今後、霊的生長の為に、ほんまの人の価値とも言える事の為に、
力を示すようになる。

・・・それを暗示してる言葉やな。

そやから今後、
色々慌てるような事象は増える。
今かてとても多い・・・
毎日のように訳の判らん事ばかり起きる。
そやけど、訳が解らへんって言うのんは、
それは、
霊的干渉って事を知らんからでもあり、
そやからこそ、上つ巻 二十帖の中で言われた言葉、

“こんな乱れた世”
“表の裏は裏、
裏の表は表ぞ”
“道理分らずに理屈ばかり申してゐる”

・・・でもあるな。

ほんでから次の言葉、

“加実の申すこと千に一つもちがはんぞ。”

この中の言葉、
“加実”は、
前にも言うたからそのままコピペしときまんねん。
(“日月神示” 上つ巻 第一帖  Kellyさん的解釈 参照)
          
            


“加実が世界の王になる、てんし様が神と分らん臣民ばかり、”

“加実”は、
場(フィールド)を示す(囗)くにがまえ・・・ただ単に口でもエエやろけど、
その日足(ひたり)に“力”・・・
さっきから何回も言ったカタカナのカと“力”、
創造主の思惑の顕現を示す字・・・
そやからこそ、“実”・・・
宀(うかんむり)に、
“三”=三つのオーラ・・・人(日止、霊止)のオーラの構成に、
人=丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)と乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現)・・・
この場合宀(うかんむり)=頭って事でそう言う思想って言うのんか、
それは、
神さんの思惑を受信した様子が“加実”って事やと思いまんねん。
そやからこそそれは、
“世界の王になる”・・・そうならんとアカンって事やねん。
いうまでもない事やけど、“王”って言うのんは、
“三”を(たて棒、コン)で繋いだ様子で、
それは自省(胸の磁性“十”)の行もして、
“一”=智性=1番目のオーラを構成している様でんねん。


・・・以上でんねん。・・・ほんでから、

“加実の申すこと千に一つもちがはんぞ。”

の、“千”は、
丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)と胸の磁性“十”でもある。
それは“加実の申すこと”=“上”からの発振、発信で、
天意を受けた人を指す言葉でもあり、
そやからこそそれは、
今後色んな事が起きるやろけど・・・
今よりもっと醜い事象でいっぱいになるやろけど・・・

それは右往左往で起きるべくして起きる・・・

そして、
次の世界に位置する人(日止、霊止)は、
(心(靈)の発現の段階で次の世界に位置する資格を獲得するという意味で)
なるべくしてなるからこそ、

“一つもちがはんぞ。”
・・・って言われてると思えるやんか。

今日はこれくらいにしときまんねん。


“日月神示”上つ巻 第十九帖 Kellyさん的解釈




今回も、上つ巻 第十九帖を解釈しまんねん。
原文は以下の通り、


神の国 ローレンツ力と ○の山に ローレンツ力と ○祭りて呉れよ、
祭るとは神にまつらふことぞ、
土にまつらふことぞ、
人にまつらふことぞ、
祭り祭りて嬉し嬉しの世となるのぞ、
祭るには先づ掃除せねばならんぞ、
掃除すれば誰にでも神かかるやうに、
日本の臣民なりて居るぞ、
神州清潔の民とは掃除してキレイになった臣民のことぞ。
六月二十七日、一二 ローレンツ力と ○
 



冒頭の言葉の、

“神の国 ローレンツ力と ○の山に ローレンツ力と ○
祭りて呉れよ、”

“神の国”は“上”からの振動を受け、
“国”は、
(囗)くにがまえと“玉(ぎょく)”で、
自分の発振した振動で構成される場(フィールド)が、
“国”って事で・・・
それは、人の腹のエネルギーが上昇する様を表す、
“玉(ぎょく)”構成された場(フィールド)でもある。
ほんでから人(日止、霊止)は、
霊的成長し、
自身の完成を目指す事そのものが、
自分に対する崇高な愛(炁)でもあり、
(自己奉仕者の低級な愛の発現とは違い・・・って事でんねん。)
そやからそれは、
“上”の思惑を取り込む脳・・・それが、
ローレンツ力と ○ の山”・・・

山は脳を示し、思想を示す。
こんな事は前にも何回も言うた事やねんな。

そしてそれは・・・今言うた事を理解する為には、


ローレンツ力と ○・・・この解釈が出来て無いと意味が通じんと思うんやけど・・・

そやからそれは、
前のブログでもこのブログを始める時にも言うたんやけど、
は、
○ 九 十(まこと)ので、
それは荷電粒子で構成された場(フィールド)でも有り、
それが霊でもあり、心(靈)でもある。
ローレンツ力 は、ローレンツ力を示し、
それは“曲霊(まがつひ)”でも有り、
それは=心(靈)の中での回転も示す。

心(靈)が感じ(感じる磁性)る何かって言うのんは、
荷電粒子の振動であり、
それが感覚になり、
認識になる。
感覚器官から脳に伝わり、
脳を介して心(靈)が感じ(感じる磁性)る過程は、
只、
生体内電流でしかないとも言い得るし、
それは現時点の医学で説明が出来る事でも有るんやけど・・・

要は、
現津(あきつ)=観察され得る事象そのものは、
自分の認識って事をあまり意識して無い。
言い換えれば、
自分の心(靈)の中で認識されてるって事なんやけど・・・
このブログに縁のあった人(日止、霊止)は、
その事を良く考えて欲しいもんやな。

話を戻して・・・

そしてその荷電粒子には“上”から“下”が有り、
神の思惑も有り、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)の、
思惑も有り、
それを自分が、感じ(感じる磁性)る事は、
霊的成長度と心(靈)の方向性により、
チャンネルを合わせ、
振動=思惑を取り込んで、
荷電粒子の粒子加速器の構造を持つ肉体で、
自分の取り込んだ振動=電磁波=様々な存在の思惑を、
自分の認識や思想や・・・そう言う心(靈)の動きにして行き、
そして、発振され、
現津(あきつ)=観察され得る事象を構成するのが、
ある意味、オーラでもある。

それが先生のオーラに対する考えでもある。

そして荷電粒子を取り込み、
場(フィールド)==心(靈)を構成する・・・
それは現津(あきつ)=観察され得る事象=場(フィールド)を認識するには、
磁性が必要でもあり、
その磁性の変化が、生物の進化でもあり、
一足飛びに飛躍した結論を言えば、
磁性の強化が、
神格化への“道”でもあるっていうのが先生の考えでもある。

そやからこそ、生体内電流の強化と高振動化で、
肉体の磁性を増して行く事そのものが、
“行と修行”でもある。

そして、取り込むべき荷電粒子・・・
神の思惑を仲介して送ってくる太陽からの振動・・・それを取り込む。
それが太陽凝視でもある。
しかし・・・

太陽凝視をどういうつもりでするのか?
どういう認識を太陽凝視自体に持つのか?

それが、
自分の心(靈)の発振、発信でもあり、
太陽から送られてくる“上”から“下”の振動の、
どの部分に、
自分のチャンネルを合わせるのか=どういうつもりで太陽凝視するのか。
この事は何回も言うた事やし、先生が懸念してる事でもある。

また話が逸れたけど、

思惑=電磁波・・・荷電粒子の振動。
それを取り込み、そしてそれは、
自分の心(靈)の中で回転をするからこそ、

それは、
ローレンツ力と ○・・・=心(靈)とローレンツ力でもある。

そやから・・・こういう物理学の言葉でも、
それは、

自分達の存在って何なのか?
霊って何なのか?
心(靈)って何なのか?
神って何なのか?
事象=次元って何なのか?

・・・そういう事を認識する為の、
智慧(日を知る事=智性の恵み=慧)の受信でもあると思うんやけど、
大概の人は、
只、霊とか神とか騒いでるだけに等しい。
何の意味も意義も感じて無い。
それは言葉を知っただけに等しい。

そやから・・・
すべての事象が神と自分達の創造の結果なんやから、
自分達が神の子であったなら、
それは、
自分達の思いついた=“上”から受信した、
智慧(日を知る事=智性の恵み=慧)とか“力”とかで、
分析と判断が出来る様にならんとアカンのやけど・・・
その事そのものが、
自分を知り、
神を知り、
そして自分達はどう在るべきなのかを考えて行く事になる。
“上”はそれを、強く期待していると・・・思えるやん。

又々話が逸れたやん。

そやから・・・ひと昔前は科学もそんなに発達してなかった。
そして、
物理も段々、物質の構成を探るようになった。
素粒子を発見したり、量子論も人は理解しだしたとも言い得る。
それは、それを知る為に、
エネルギーを贖った人が獲得した=“上”から受信した、
“力”(力、知恵、知識・・・学問・・・能力、そして霊能力を含む)でもある。

そやけど・・・“上”からの受信・・・
その分析も一般には無い。

誰でも自分が思いついたならそれは、
自分の利益の為にしか使いたくない
そう言う心(靈)の発現の段階が、
地球人の進化過程の低さを示している事なんやけど・・・

まあエエわ・・・そんな事は・・・

話がどんどん違う方向に言ってしまいよるから、
別の機会に考える事として・・・

次の言葉は、受信の事を言うてる。

“祭るとは神にまつらふことぞ、”
“人にまつらふことぞ、”
“祭り祭りて嬉し嬉しの世となるのぞ、”

この言葉、
“祭り”と“まつらふこと”・・・

“祭り”って言うのんは前にも言った事があるけど、
“上”の思惑と、
肉体(月部(げつぶ、にくづき)と又=四肢)を持った自分自身(の、心(靈))が、
一体になった様を示している字でんねん。
前の記事で詳細に説明してまんねん。
(“日月神示” 上つ巻 第四帖 Kellyさん的解釈 参照)

そやから“まつらふこと”は、
思惑の受信でもあり、その思惑の受信の選択は、
自分の(心(靈)の)在り方でしかない。

そやから、

“神にまつらふこと”
“人にまつらふこと”

その受信は=心(靈)の在り方は、

自分の(心(靈)の)中の、
“善(神格化の方向性と智性の受信)”と、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の、
(時間の進行による)両方の方向性があるからこそ、
次の言葉、
今とてつもなく低い解釈をされてる言葉、

“祭るには先づ掃除せねばならんぞ、”

身魂掃除は、
自己観察し、自分の心(靈)の動きに、
“善悪”(神格化と、動物化=心の本能化)が有る事を知り、
その方向性は、
自分で選択している事を知り、
それゆえの行動と創造をするべき・・・

そうやないと、

“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の心(靈)には、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の霊の憑依があり、

“善(神格化の方向性と智性の受信)”の発振、発信には、
人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在の憑依が有り、

それぞれ通信を受ける。
これも“祭り”でんねん。

そやからこそ、
霊=心(靈)の動きの事を知ったなら、
それが理解出来んとアカンし、
すべての事象には複雑な霊的干渉がある事が理解出来たなら、
この言葉自体にそう言う意味が有る事を、
見抜ける人(日止、霊止)にならんと、次の創造は任されん。

それが見抜けん人こそ、“日月神示”内の表現で言えば、
“身魂の曇った人”でもあるな。

そやから“上”から観て、
次の創造をする資格を持たんならん・・・
持って欲しいって事でんねん

そして、
身魂掃除=心(靈)の善悪を知り、
自分の在り方を考える人は、
そう言う発振、発信をするからこそ、

“掃除すれば誰にでも神かかるやうに、日本の臣民なりて居るぞ、”

この“日本の臣民”は只単に日本人って言う意味の事ではなく、
日の本の臣民、
太陽を自分の胸の磁性“十”に取り込み、
そして儿部(じんぶ、にんにょう)と、“十”の下に横棒を書く。
これも前に言うた事やな。

そう言う行い=“行”をすると良いって事でんねん。

それが、
“日本の臣民なりて居るぞ、”やと思いまんねん。

決して、日本人だから・・・って、事やおまへんねん。
それは程度の低い物の見方でんねん。

そして、次の言葉、

“神州清潔の民とは掃除してキレイになった臣民のことぞ。”

只単に、
外側(外国と幽界)をキレイにしたって事ではなく、
仮に、
外側(外国と幽界)と認識する事象だけキレイにする事が、
アセンションならば、
お掃除を生業にして商売してる人は、
とっくにアセンションしてる=次の創造を担える人(日止、霊止)の、
霊的成長度を獲得してるって事になる。

こんな・・・アホくさい言い方をせんならん様な事を、
敢えて言いたくは無いけど・・・
あまりにも最近そう言うサイトが多いので言わせて貰いまんがな。


そやから、この文の中の、
“神州清潔”の“州”は、
辞書を見ると中州や国っていう意味がある。
中州って言うのんは川の中にある陸地、
それはKellyさん的に解釈すれば、
“上”から“下”に流れてる振動で固まった自分・・・
それは州の象形文字を見ると理解出来る・・・けど、
ちょっと我田引水かな?

“州”の象形文字


ほんでからに川の流れって言うのんは、
“日月神示”の表現、“江戸と尾張”の“江”でもある。
腹の段階の心(靈)=軍荼利明王、荼枳尼真天の“荼”でもあり、
同位相の右往左往と左往右往=サイクロトロンの構造でもある。

そやからそれは、(物質の世界の)創造のエネルギーでもある。
これも先生と前に話した事でんねん。
そしてもう一つ前に話した事を言うとけば、
腹の段階だけの心(靈)の発現が、
帯電したミネラルが固まっていなくて、
それは“玉(ぎょく)”になっていなくて、
その段階の心(靈)の創造が、
“石屋の仕組み”でもありまんねん。
そやからそれは、自我の肥大って事でんねん。
そやからそれは、現時点での地球人の心(靈)でもある。
そして“国”って言うのんは、
何回も言った(囗)くにがまえと“玉(ぎょく)”でもある。
ほんでから・・・
人(日止、霊止)が“宝玉(ほうぎょく)”になる・・・

これは先生の言い回しやけど、
太陽凝視を少しでもしてはる人は、
前のブログも読んで貰ってこの事も考えて欲しいもんやな。

そやから、“神州清潔”は、
神=“上”から“下”に垂れた思惑=振動で、
=心(靈)が出来上がった。
今後、その(現時点、程度の低い)心(靈)=は、
“神にまつらふこと”で、
事象を創造する=アセンション後の世界を自分達で構築する。
そう言う事やと思いまんねん。

・・・ちゅう事で、
せめてこのブログに霊縁有った人には、
今多なった、
程度の低い解釈に流されんようにして欲しいもんでんねん。

今日はこれくらいにしときまんねん。


“日月神示”上つ巻 第十八帖 Kellyさん的解釈


今回も、上つ巻 第十八帖の解釈をしまんねん。
原文は以下の通り、


岩戸開く役と岩戸しめる役とあるぞ。
一旦世界は言ふに言はれんことが出来るぞ、
シッカリ身魂みがいて置いて呉れよ、
身魂みがき第一ぞ。
この道開けて来ると、
世の中のえらい人が出て来るから、
どんなえらい人でも分らん神の道ざから、
よくこの神示読んで置いて何んな事でも教へてやれよ、
何でも分らんこと無いやうに、
この神示で知らして置くから、
この神示よく読めと申すのぞ。
この道はスメラが道ざ、
すめるみ民の道ぞ。
みそぎせよ、はらひせよ、
臣民 早くせねば間に合はんぞ。
岩戸開くまでに、まだ一苦労あるぞ、
この世はまだまだ悪くなるから、
神も仏もこの世には居らぬのざといふところまで、
とことんまで落ちて行くぞ。
九月に気をつけよ、九月が大切の時ぞ。
臣民の心の鏡凹(くぼ)んでゐるから、
よきことわるく映り、
わるきことよく映るぞ。
今の上に立つ人、一つも真の善い事致しては居らん、
これで世が治まると思ふてか、
あまりと申せばあまりぞ。
神は今まで見て見んふりしてゐたが、
これからは厳しくどしどしと神の道に照らして神の世に致すぞ、
その積りでゐて呉れよ。
神の申すこと、ちっともちがはんぞ。
今の世に落ちてゐる臣民、
高い所へ土持ちばかり、
それで苦しんでゐるのざ。
早う身魂洗濯せよ、
何事もハッキリと映るぞ。
六月二十六日、ひつくのかみ。



冒頭の、

“岩戸開く役と岩戸しめる役とあるぞ。”

“岩戸”・・・この解釈。
これは、先生の我田引水な意見・・・先生の認識(悟り、幸取=さとり)。
“岩戸”という言葉そのものに、
霊的進化と、
霊的進化を早める意味での太陽凝視と、
(不食=太陽凝視という認識ではなく・・・との意味。)
もう一つ、アセンションの意味とその解釈・・・

先生とKellyさん的解釈は、
自分達の霊的進化により、
自分達が位置する場(フィールド)を創造し、
自分達の心(靈)の発現が、言い換えれば、霊的進化程度が、
自分達の創造する場(フィールド)の高低を、
(自分達で)決めて行く。

そう言う解釈が無いと、
さっぱり意味不明になるんや無いんかいな。

そやからそれは、前のブログ、
“エピローグ 神の思惑の顕現・・・神聖な事象”
・・・に、
先生の“岩戸”・・・“天の岩屋戸”の解釈は説明してある。
それを読んで貰わんと、
それは“岩戸”の解釈が出来てへんと、
理解不能って事になるし・・・

ちょっとだけ説明しとくなら、
人(日止、霊止)の霊的進化=心(靈)が成長して、
神に近付く為の、肉体の構造って言うのんは、
岩は、
山=脳と、
石=帯電するミネラルを指す。

そやから帯電するミネラルは、
肉体内の水、
“日月神示”の表現なら、“江戸と尾張”の“江”
これまで何回も“水”の事は言うたから、
この解釈を知りたい人は、前の記事を読んで欲しいねん。

そやから、
“岩戸開く役”
“岩戸しめる役”

この二つの、現津(あきつ)=観察され得る事象・・・
そう言う人達・・・
今ここに居てる人すべてが、
そのどちらかでしかないって事なんやけど・・・

そやから、
アセンションに向かい、
やる事や考える事が違う人が出て来て、
その結果の事象が、
今起きだしてる醜い事象やからこそ、
“岩戸しめる役”=心(靈)が“上”に向かわん人、
自我と情動と本能の心(靈)の発現でこの世界の創造をしてる人、
いわゆる自分に対する愛しか持ってない低い愛(炁)の顕現の人、
こんな事も何回も言うた。
そやから敢えて説明せんけど・・・

そう言う人達の創造の結果、それがもう出始めてて、
それがもっと今後はっきりして行く。
そやから、次の言葉、

“一旦世界は言ふに言はれんことが出来るぞ、”


霊的成長度の低い=心(靈)の発現の段階の低い人、
自我までしか発現して無い人。
心(靈)の発現が低いからこそ、
経済優先とか、物欲とか、自分だけ良ければいいとか、
そやから、
欺くとか騙すとか嘘をつくとか奪うとか・・・
そう言う事を上手くやる。

又、それを・・・
自分でその心(靈)の動きが低いって自覚を持ったとしても、
その事に付いて、
自省(胸の磁性“十”)をせんとか、
目先の欲望に負けてしもてるとか・・・
今さえ良ければいいとか・・・
そう言う考え方をする人、
それは、心(靈)が“下”に向かってる人やな。

そやから、今まで何回も言うた、
心(靈)の発現の低い人が創った結果、
それが戦争や無差別殺人や・・・飢餓貧困や・・・
恨みの念の現象化の災害とかになる。
それらには霊的干渉って事があり、
その霊的干渉を知る・・・絶対に知っとかな、
次の創造は出来へん。

そやから、自分達は、
肉体=物質を纏った心(靈)であり、
生きていようが死んでいようが、
自分達は永遠の存在であり、
そやからそれは、心(靈)は不滅で有り、
その心(靈)の動きに自分の霊的進化程度を知る。
自分で自分の心(靈)の動きの高低を認識する。
それらを理解せんと、
今より相対的に良い世界の創造は出来ん。

そやからこそ、
“一旦世界は言ふに言はれんことが出来るぞ、”

醜い事象・・・それを観んならんやん。
人の心(靈)の低さ・・・その心(靈)の動きが引き起こす、
醜さと、
結果を、
知らんならんやん。


そやからこそ、今、
(一般的な視点で)どんどん訳の解らん事が起きていく。
訳が解らん様ではアカンって事でもあるけれど、
その醜い事象の裏に、
“下”の霊的干渉があるって事を見抜ける人(日止、霊止)は、
ごく小数でしか無いな。

そやからこそ、次の言葉、

“シッカリ身魂みがいて置いて呉れよ、
身魂みがき第一ぞ。”

身魂磨き=心(靈)と体の結晶化、
そうせんと“上”の存在は、
その人に憑依出来んし、通信も送れない。
そやからこそ自分の肉体の磁性を強化して、
それは、
生体内電流の強化=“行と修行”を求め、
肉体のどの部分が結晶化して行く事が霊的成長に結びついて行くのか・・・
それに付いては前のブログで先生が言うたから、
敢えて説明しませんねん。
その具体的方法としては、
自分に“上”の心(靈)の発現を求める・・・
そのつもりで=その心(靈)の動きで=その発振、発信で、
太陽凝視をする。
その事を知っておいて欲しいもんやな。


そやから、次の言葉

“身魂みがき第一ぞ。”

“上”の思惑を理解する為の、
自分の認識(悟り、幸取=さとり)にする為の、
“身魂磨き”=結晶化であり、
“上”=天意を受けた自分達は、
自分の持っている基準や行動の指標が、
“上”の思惑に沿ったものになる。

そうならんとそれは、アセンションでは無い。

そうなってくれ・・・それは、
今までの“日月神示”の文章には出てない言葉やけど、
特別神憑り=太陽凝視。
これも先生は・・・その解釈以外に無いって思うてる。
そして肉体の・・・特に骨の結晶化をして行く。
同時に神経も発達する=“波羅密”でもある。

そやから、
“身魂磨き”が、
お掃除や片づけや部屋の鏡を磨く事と、
“上”の思惑を受信する肉体と心(靈)の変容と・・・
どっちがほんまの“身魂磨き”なのか・・・
よう考えて欲しいねん。

ほんでから次の言葉、

“この道開けて来ると、
世の中のえらい人が出て来るから、
どんなえらい人でも分らん神の道ざから、
よくこの神示読んで置いて何んな事でも教へてやれよ、”

これは霊的成長度の高い人が出てくる事を言うてる。
それが、
“この道開けて来ると、
世の中のえらい人が出て来る”

・・・でも有り、
それは今までの形骸の価値感でのし上がった人を指す次の言葉、
“どんなえらい人でも分らん神の道”
・・・でも、あるやん。

ほんでから、上つ巻は、
“日月神示”としてはまだ最初の部分やからこそ、
次の言葉、

“何でも分らんこと無いやうに、
この神示で知らして置くから、
この神示よく読めと申すのぞ。”

・・・でもあると思うやんか。

ほんでから、次の言葉、

“この道はスメラが道ざ、
すめるみ民の道ぞ。”

“スメラ”

この言葉は、
“道ひらき”の“風止麻邇言霊学(ふとまにことだまがく)”から引用すれば、
統一の意味がある。
何に統一するのかって言うのんは、
創造の法則性、
高い愛(炁)の顕現ゆえの創造、
そやから今後、現状に比べ、
自己奉仕者はいなくなる。

ほんでから低い心(靈)の動き由来の言葉、

(数分の)太陽凝視してまっせ~とか、
自分は不食を目指しまっせ~とか、
程度の低い霊的干渉でも、
五次元のハイヤーセルフでっせ~とか、
お掃除して片付けて鏡磨いて水かぶって、
身魂磨きしてまっせ~とか、
そんな程度の低い解釈をする人も、
そやからアセンション後は、
そんな程度の事をアッピールする人もいなくなる。

今言うた事は・・・悪口みたいに聞こえるやろけど、
自分達の心(靈)の動きがどんな程度なのか?
それを自分で判断出来へんのは、
只、霊的に幼い・・・

そやから敢えて指摘させて貰いましてん。

話を戻して・・・

“スメラ”=皇(すめら)は、
天皇の皇、
天皇は天の白い“王”、
これも何回も言うたけど、
ひふみ=“一”“二”“三”・・・
人(日止、霊止)が持ってる三つの磁性、
それを(たて棒、コン)で繋ぐ。
そやから、
(たて棒、コン)は、縦の磁性、
それは、頭の磁性と、
もう一つ、“日月神示”内の表現なら、
“尾張”=尾骨の磁性、
そして、
手と胸の磁性で構成される横の磁性、
そして“上”から“下”への磁性は、
強固な物になり、
そしてサイクロトロンやシンクロトロン、
肉体の粒子加速器の構造の強化にもなり、
高い振動の発振、発信に成る。
その結果、当然オーラは大きくなり、
振動も高い物になって行く。

先生は霊眼が発現してた時、
それを、その事を、
太陽凝視を教えてくれたKさんに見出した。
そして、
先生自身の認識(悟り、幸取=さとり)としたからこそ、
34年半、長時間の太陽凝視をしてる。
多分・・・死ぬまでやるつもりやろ。
そやから今、太陽凝視をしてるって言う人なら、
それくらいの事なんや!!
・・・って、思うて欲しい事やな。

話が逸れてるから・・・戻して・・・

身魂磨き=結晶化、
そして、
“上”の思惑=高い振動の受発信をする。
それは感応共振の法則があるからでもある。
簡単に言えば、
高い心(靈)の発現をしていない人は、
高い存在と感応共振出来ん。
これも振動の法則でもある。

現時点、高い存在と感応共振出来る人(日止、霊止)はいないから、
色んな宗教や宗教の言葉なんかが形骸になってる。
その事も先生と話したんやけど・・・
そやから低い心(靈)の発現の人が、
“上”から“下”に垂れた価値のある言葉を観ても、
その意味が理解出来ない=“上”との感応共振が無い。
そやから大半の人は、
言葉だけしか知らんって事になる。

それは言い換えれば、
自分の持ってる基準でしか理解出来ん。
自分の今まで獲得した認識(悟り、幸取=さとり)の範囲でしか、
解釈が出来ん。
そやからお経も祝詞も真言も・・・“上”から“下”に垂れた言葉を、
その意味を解釈出来ん。
特に、
先生と太陽凝視を教えてくれたKさんの解釈の、
般若心経の言葉、
“波羅密”は、霊的進化そのものの事を言うてる。
そやけど程度の低い人は、
般若心経の写経をすればその気を吸い取りエネルギーを頂くなんて思い込む。
それも多少あるやろけど・・・程度の低い霊的干渉もあるやろけど、
そんな事ではたいした霊的進化にはならん。

“波羅密”は写経によるそんな程度の事を言うてる訳では無いし・・・
特に両眼の事を言うてる訳やし、
そやから、
“波羅密”
光を、振動を吸収して、
生体内電流に変換し、その結果、
自分の磁性にし、
そして心(靈)と肉体が造り変わっていく。
結果それは、
振動の強弱と振動の種類により、
“上”を求めれば、
苦痛と試練・・・ローム太霊さんの言葉、


苦に苦を重ね苦を求め更に苦を求めるのだ、楽を求めてはいかん。

・・・で頑張れば、
“上”の思惑の受信になる。
そやから“上”の思惑を受信出来るって言うのんは、
霊的進化した証明であり、
そやからこそ様々な事象を観て感じる事って言うのんは、
その人の霊的成長度によって相違がある。
話が飛躍したけど・・・それが神格化への道でもある。

そして現時点、
横の磁性を持ち出したのが地球人の進化過程でもある。
それに呼応して、“一”=智性=1番目のオーラのオーラが発現しだした段階が、
地球人でもある。
そやから・・・その程度やからこそ地球人は、
何にも“上”の思惑を理解していない。

それを今後、
“上”の思惑に、
“スメラ”=皇(すめら)・・・統一するって事やねん。

そやからそれまでは、
言い換えれば、今までは・・・って事やけど、
失敗を体験させる事をせんと、
人(日止、霊止)の認識(悟り、幸取=さとり)って言うのんは、
霊的成長の方向性を知らん。
ぜんぜん解ってへん。
そやからこそ、
右往左往で醜い事象がおき、
それを観察して、
自省(胸の磁性“十”)する人が、次の世界の創造を担う資格を持つ。
それだけの事やねん。

そやから、次の言葉、

“みそぎせよ、はらひせよ、
臣民 早くせねば間に合はんぞ。”

禊ぎも祓いも単なる宗教儀式になってるけど、
そんな儀式の事や無く、
自分の発振、発信=呼吸、息吹、気吹、生吹、が、
現津(あきつ)=観察され得る事象の創造に関わる事を知って、
そやからこそ、
自分の心(靈)の在り方を自分で知る。

そして、
自分の心(靈)の動きに応じての霊的干渉がある。
言い換えれば自分の心(靈)の発現の程度と、
心(靈)の方向性が、
“上”に向かってるのか=“慈悲”と“慈愛”に向かってるのか、
“下”に向かってるのか=本能化して、目先の欲望の為に生き・・・、
それと平行して自我より“下”の、
“情動”で何でも見てしまう・・・
そやから感謝とかありがとうとか・・・
永遠の幸福とか無限の愛とか・・・
そんな甘い(亜、魔、出ずる、泉)言葉ばかり使う。
又、それを吹聴する=低い功名心の発現でもある。

そやから、今言うた事は、
自分の心(靈)に応じてしか霊的干渉は無いって事になる。
ほんでから、
自分の心(靈)が“下”に向かい・・・今、大半の人がそうなんやけど、
低い霊的存在・・・貪、瞋、痴(とん、しん、ち、)の心(靈)の浮游霊とか、
(進化程度の低い)動物霊が、
沢山憑けば憑くほど、
それを・・・その事自体を、
“罪(つみ)”と言い、その意味は、
罪=積み=何層も低い霊に取り付かれ、
自分の心(靈)が“上”から通信を受けない事でもある。
それは、先生の主護霊の言葉を引用すれば、

動きが取れない

・・・でもある。
(良い発振の為に 参照)

そやから自分の心(靈)の動きを自分で判断する。
それが“観自在”でもあるし、
自省(胸の磁性“十”)やし、
“直日(なおひ)”でもある。
そやからそれが、
“観自在”“直日(なおひ)”自省(胸の磁性“十”)の“行”が、
自分の心(靈)の動きになり、
貪、瞋、痴(とん、しん、ち、)の低級な浮游霊の憑依を招かないし、
それは“下”の心(靈)の発振、発信=呼吸、息吹、気吹、生吹、
・・・では無いし、
そやからアセンション後=今後の世界は、
自分の在り方を考える人ばかりやからこそ、
自分を観察しても、
貪、瞋、痴(とん、しん、ち、)の心は、
進化過程で誰でも持ってる心(靈)の動きやって事を、
充分知ってるし、
それを自分で観察し、智性で制御出来るから、
そう言う人は、
死んでもその心(靈)の動きで彷徨ったりしない。
それは、
そんな浮游霊は存在出来ない場(フィールド)になるって事で、
そやから低い霊的干渉による事件なんかは無くなる。
精神病なんかも無くなる。
そやから、そう言う世界は、
自分達の心(靈)の動きで創って行かんならんって事でもあるな。

もう少し補足説明しておけば、
心(靈)の発現の進化程度の低い動物を殺せば、
家畜の恨みの連鎖を招く事も今後の世界では、
常識になるから、肉を食わんようになる。
そんな事は当たり前の事になるって事でんねん。

そやから低い心(靈)の動き・・・それは自分自身も、
自分の外側(外国と幽界)の事象にも無い・・・
そういう世界になる事も示してる言葉やし、
それを、
その事を知らんと、現状の心(靈)の動きの儘行けば、

“間に合わんぞ”・・・って言うてる。

そやからそれは、
必ず、宇宙的プログラムで、
時間の進行と共に決められてる事やからこそ、

“間に合わんぞ”・・・は、
間に合ってくれ!!・・・って事でもある。
これは“上”の思惑の愛(炁)の顕れた言葉でもあるって事でんねん。


そして、アセンション後の世界を構築するまでの事を、

“岩戸開くまでに、まだ一苦労あるぞ、
この世はまだまだ悪くなるから、
神も仏もこの世には居らぬのざといふところまで、
とことんまで落ちて行くぞ。”

これもさっき言うた、
心(靈)の発現の低い人(日止、霊止)の創造した事象=結果の事を、
強調して言うてる。

ほんでから、次の言葉、

“九月に気をつけよ、九月が大切の時ぞ。”

この“九月”の解釈も、
只、季節の九月ではなく、
“九”と“月”=肉体。

神さんの最後の仕事である、
神さんの創造の最終段階としての九、
それは、人(日止、霊止)の事でしかない。
何回も言うたけど、
九は、翡翠の翆の羽と卒=卆、
それを○ 九 十と言い表してる。

神の思惑の最終段階=九月・・・
それは、神の器と成り得る人(日止、霊止)が現れたって事でんねん。
そうなってくれ・・・って事でんねん。

ほんでから次の言葉、

“臣民の心の鏡凹(くぼ)んでゐるから、
よきことわるく映り、
わるきことよく映るぞ。”

この“鏡”の解釈も、
“メグリ”(帀)の真ん中のラインでしかない。
これも、前のブログ、
“エピローグ 神の思惑の顕現・・・神聖な事象”
・・・を、読んでもらって、
八咫鏡(やたのかがみ)の事を良く理解して欲しいねん。


ほんでから、形骸の価値で動いてる世界やからこそ、
“よきことわるく映り、
わるきことよく映るぞ。”・・・って言うてる。

それは、
惑わされてる人が多いし・・・間違ってる人も多い。
その自覚が無いって事でもある。

それに対し・・・
例えば先生の解釈・・・それは、
先生の34年半の太陽凝視で得られた認識で、
太陽凝視を教えてくれたKさんの家族を除いたら、
30年以上の太陽凝視をした地球人って言うのんは、
多分、地球史初の事でんねん。
そやから、前のブログやこのブログでも、
一般には、あまりにも受け入れがたい解釈が多いと思うんやけど、
それが・・・この言葉の意味でもあったり・・・も、するな。

そやから・・・
形骸の価値感しか持って無い人には、あまりにも高い事は理解出来ん。
そやけど先生は、公開出来そうな事しか言うて無い。
そやからネットで公開出来る事って言うのんは、
先生の認識(悟り、幸取=さとり)の一部でしかない。
もっと突拍子も無い認識もあるけれど・・・

今言うてる事かて、まあ・・・人(日止、霊止)の見方によっては、
単なるキチガイやけど、
あまりにも“気”が違いすぎると・・・
何かの見方=観察と認識って言うのんは、相対的なもんやし、
誰でも、自分の理解出来る範囲内の事からしか解らへん。
自分の心(靈)の発現と自分が獲得して来た認識(悟り、幸取=さとり)でしか、
何かを観察して認識=受信する事しか出来ん。
その事も先生は、
今まで色んな人と話をして身に染みてる。

そやから、先生の言葉、
“人(日止、霊止)は、
自分の持っている認識より、
少し“上”の事しか理解出来ない。”

それは、
受信と感応共振出来へん変圧の過程があるからでもあり、
誰でも理解出来んって言うのんは、
認識(悟り、幸取=さとり)の違い=霊的成長度の違いでもあり・・・
ほんでから今、いきなり高い世界には移行出来へんからこそ、
心(靈)の発現の程度の低い人と、
次の創造を担える人(日止、霊止)は、
分けられ始めてる。

何回も言うけど、それがアセンションでもある。


ほんでから次の言葉、

“今の上に立つ人、一つも真の善い事致しては居らん、
これで世が治まると思ふてか、
あまりと申せばあまりぞ。”

これはさっき言うた事と重複してるから、
敢えて説明しませんねん。

ほんでから次の言葉、

“神は今まで見て見んふりしてゐたが、
これからは厳しくどしどしと神の道に照らして神の世に致すぞ、
その積りでゐて呉れよ。”

・・・と、

“神の申すこと、ちっともちがはんぞ。”


この文章二つは、
神の思惑通りの世界になるって事を言うてるし、
それに適う人(日止、霊止)・・・
そう言う霊的成長を目指す人(日止、霊止)に成って欲しいって事でんねん。
そやからこそ、次の言葉、

“今の世に落ちてゐる臣民、
高い所へ土持ちばかり、
それで苦しんでゐるのざ。”

“高い所へ土持ちばかり、”・・・この言葉、
それは、“土”=2~3番目のオーラの価値感だけで生きてる・・・
そう言う心(靈)の発現しかしていない。
そやからそこには、
“一”=智性=1番目のオーラの大きい人が無いからこそ、
その程度の霊的成長度の人が、
“高い所へ”・・・“上”と思い込んでいるって事やし、
権力や物欲や目下(めした)の思いで行動し、
そして“力”を得て、示す事が、
勝利とか幸福とか思う。
その・・・(神格化に対し)程度の低い認識の人達を指して、
“土持ち”・・・
“王”から“一”=智性=1番目のオーラを外した、
現時点での霊的成長度の人達、
神から見れば、2~3番目のオーラの拡大は、
動物の進化過程でしかないから、
それが、
“それで苦しんでゐるのざ。”
・・・っていう結果になる。

そやからそれは、
自分が獲得した“力”(力、知恵、知識・・・学問・・・能力、そして霊能力を含む)を、
自分達がどう使って行くのか・・・
そこには“一”=智性=1番目のオーラが無いと、
創造の法則性に則った行動は取られへんって事でも有り、
その事を言うてると思えるな。

そやからこそ次の言葉、

“早う身魂洗濯せよ、
何事もハッキリと映るぞ。”

身魂掃除でも身魂洗濯でも、
それは自分の心(靈)の動きであるし、
それは、
本能、情動、功名心、自我、愛(炁)、創造、知恵、智慧、智性という振動と、
認識され得る言葉を考えていけばエエ事やし、
それで自分の心(靈)の動きや行動を判断し、
それが、“上”か“下”か、
“善(神格化の方向性と智性の受信)”か、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”か・・・

自分の心(靈)を対象に観察し、
自分の心(靈)の動きそのものを、
判断し、
認識する人(日止、霊止)を望んでる。

そやからこそ前のブログでも今のブログでも・・・
先生とKellyさんがいいたい事。

進化とか神とか霊とかオーラとか、
幸福とか愛とか・・・

その事が理解出来てへん人が多い・・・
そやからこそ、
太陽凝視とかアセンションとか、
五次元とかハイヤーセルフとか、
身魂磨きや身魂掃除・・・
言葉だけ使ってても、何にも解ってない人ばかりって事やねん。

ほんでから・・・今言うた事に関連して、
先生は、
○○○療院のホームページに次の文章を追加しましてん。
それは、
あまりにも心(靈)の発言が低い人が目立つ・・・
ほんでから、
心(靈)の発現が低い人が、
太陽凝視やアセンションって言葉を使ってるからこそ、
先生自身がそう言う見方をされ、
先生は業を煮やし・・・その結果が次の文章でんねん。

そのままコピペしときまんねん。  ↓




最近、
太陽凝視や霊的干渉等に付いて訊ねられる事も多くなってきました。
これは結構な事だと思います。

人(日止、霊止)の進化は、
心(靈)を意識し出し、
意識し始め、
現状、一般的にようやく霊を認識し始めた段階だと思います。

霊を認識しだした・・・
その上で、因縁や醜い事象や事件や災害や戦争・・・etcに、
霊的干渉が有る事を見出して行き、
それを観察し、
そしてそこから自分が感じた認識(悟り、幸取=さとり)として、
結果、自分の在り方を強く意識し、
(“観自在” 自省(胸の磁性“十”)の“行” “直日(なおひ)”)
段々心(靈)が“上”に向かい、
(“慈悲”と“慈愛”)
そして、神格化に結びついて行く・・・
それが、
“太陽凝視を行っている鍼灸師の話”の総括の一部でも有ります。

しかし・・・現時点、
低い功名心で、只、目立ちたいとか自分を褒めそやしたいとか・・・
自我の肥大による心(靈)の動きのサイト・・・
太陽凝視やアセンションや心霊現象や宇宙人の来訪や“日月神示”の解釈などに対しても、
只々、
そう言う低い心(靈)の発現由来の解釈が多く、
その下らない一例が、
テレビの興味本位の番組作り・・・霊能力バラエティや只々現象だけを紹介する。
そう言う類のものの影響で、
アタシのサイトに対してもそう言う見方しかされていない人が多く・・・
それは、
今まで色々質問を受けましたが、少数列挙すれば、
“太陽凝視にはどんなご利益がありますか?”
“先生の太陽凝視は何秒ですか?”
“犬が大好きで飼っていますが、私の主護霊は犬ですか?”
・・・とか、

自分が乗り越えなければいけないから与えられている試練に対し、
その事も何回も書いてはいるのですが、
“因縁から逃れるのはどうしたらいいのですか?” ・・・とか、

まるで、
ご利益で人を釣る現世利益の形骸の商売宗教のような事を求められたり、
又、
チャクラに対し、
それは人(日止、霊止)の霊的成長の為のものであり、
それは肉体内の生体内電流と磁性の現象であり、
その解説も沢山したのですが・・・
“先生はチャクラをご存知ですか?”・・・とか・・・


あまりにも程度の低い質問ばかり・・・
それは、
アタシのブログのタイトルしか見ていない・・・

そう云う事を感じましたので、
情けない事ではありますが、この文章を追加する事としました。

特に太陽凝視に関しては、
“太陽凝視”で検索し、すべて太陽凝視は同じだと思う・・・

これも、
人(日止、霊止)の進化程度により、解釈がまちまちになる。
認識の程度の低い人は=霊的成長度の低い人は、
何を観ても、
程度の低い解釈しかしない。

その事も強く伝えたい事では有ったのですが・・・
まったくそういう事を読み取っていらっしゃらない・・・
特に、太陽凝視に関し、
“日月神示”の、 春の巻 第二帖の言葉を引用すれば、
“誰でも霊かかりであるぞ。
石でも木でも土でも霊かかりぞ。
これは一般かみかかりであるぞ、
特別神かかりは神の御力を強く深く集める行がいるのぢゃ。
九分通りしくじるのぢゃ。
太陽の光集めること知っているであらうが。”

この一文の前の言葉として、
“自分のためばかりで祈れば迷信、
われよしの下の下ぞ。”

“われよし”・・・これは、
低い心(靈)の発現の自己奉仕者の事でも有り、
それは、
時期=アセンションが迫っているからこそ、
自己奉仕者の創造の程度の低さを示さなくてはいけない事でもあり、
そして、
程度の低い解釈のサイトが多くなる事も示しており、
低い自己奉仕者の霊能力者が活躍する事も示しており、
それは以下の言葉に示されています。

“世、迫って、
霊かかりがウヨウヨ出ると申してある時来ているのぢゃ。
悪かみかかりに迷ふでないぞ。”

・・・ですから、
自我の確立=固定化の段階の心(靈)の発現・・・
低い功名心と低い自尊心、
それに問題が有る事を示す言葉でもあり、
その事を理解する事も、
今後の世界の創造に関わる事なのですが・・・
そして、
今多くなってきた程度の低い太陽凝視・・・
太陽凝視は不食の為に行うとか・・・
朝日や夕日の太陽凝視だけ・・・とか、
それは、“九分通りしくじるのぢゃ。”でもあり、
そして、
アセンションを、自分達の都合の良い物に思ってしまう・・・
その一例は、“日月神示”内の表現、
“身魂掃除”や“身魂磨き”の解釈を、
部屋の片付けとか掃除とか部屋の鏡を磨くとか・・・
そんな程度の事にしてしまい、
そしてそれを、ネット上に広め、
大多数の人の、
太陽凝視やアセンションや霊的成長の概念を、
とてつもなく低いものにしてしまう・・・
それは、
人(日止、霊止)の進化を阻む、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)の、
思惑そのものだと思います。

アタシが現時点、34年半行ってきた太陽凝視は、
低い功名心と自尊心・・・そう言う動機のものでは無く、
自分の生き方を真剣に求め、
そして、何回も倒れ・・・
様々な苦難に遭遇し、自分の在り方を考え、
その上で行ってきた事でも有り、
そう言う低い心(靈)の動きのサイトと同一視されては困ります。
従って、
疑問があり、何かお訊ねになりたいのであれば、
基本的には答えたいと思っていますが、
今列挙した、程度の低い心(靈)の発現で、
太陽凝視や霊的な能力や心霊現象やアセンション等に対し・・・
低い解釈をしてそれを広めたい・・・そう言うサイト。

アタシ自身はアタシの太陽凝視や霊能力等に対し、
そんな考えを持っているのでは無く、
ブログを始めた動機は、
太陽凝視や霊に対する認識・・・特に主護霊に対する一般の認識が、
あまりにも低いからでもあり、
よって、
低い功名心や低い自尊心由来の物の見方をしておりません。

ですから・・・質問をされる方は、アタシの意図を理解してから・・・
それはせめて、ブログを読んでからお訊ねになってください。
それが又、本当の事を知りたいと思う姿勢でもあると思いますし、
質問をするには質問をする資格も必要である・・・
興味本位の質問はお断りしたいと言う事でもあります。

以下、
“日月神示”春の巻 第二帖の全文を紹介しておきます。

       ↓
“カミヒトと申すのは、
神の弥栄のため、
世の弥栄のため祈り、
実践する人のことであるぞ。
神のため祈れば神となり、
世のため祈れば世と一体となるのぢゃ。
自分のためばかりで祈れば迷信、
われよしの下の下ぞ。
誰でも霊かかりであるぞ。
石でも木でも土でも霊かかりぞ。
これは一般かみかかりであるぞ、
特別神かかりは神の御力を強く深く集める行がいるのぢゃ。
九分通りしくじるのぢゃ。
太陽の光集めること知っているであらうが。
神の理(ミチ)をよりよく、
より高く集める理(ミチ)がマコトの信仰であるぞ。
理(ミチ)であるぞ。
世、迫って、霊かかりがウヨウヨ出ると申してある時来ているのぢゃ。
悪かみかかりに迷ふでないぞ。
サニワせよ。
外はウソが多いぞ。
内の声ウソないぞ。

旧、元旦、
日月神。”

2008年7月2日 ○○○大先生


・・・ちゅう事でんねん・・・

今日はこれくらいにしときまんねん。

“日月神示”上つ巻 第十七帖 Kellyさん的解釈


今回も、上つ巻 第十七帖の解釈をしまんねん。
原文は以下の通り。


この世はみな神のものざから臣民のものと云ふもの一つもないぞ、
お土からとれた物、
みな先づ神に供へよ、
それを頂いて身魂を養ふ様になってゐるのに、
神には献げずに、
臣民ばかり喰べるから、いくら喰べても身魂ふとらぬのぞ、
何でも神に供へてから喰べると身魂ふとるぞ。
今の半分で足りるぞ、それが臣民の頂き方ぞ。
六月の二十五日、ひつくのか三。



冒頭の、

“この世はみな神のものざから臣民のものと云ふもの一つもないぞ、”

これも先生と話した事、

すべての事象は、
究極微粒子=“亜”と認識され得る何かの、低振動化であり、
(“亜”から“イ”、
愛(炁)アイ、
イは丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)が下降する様子)

それは、人が持っている振動、
現時点持ち得る振動って言う表現が解り易いと思うけど・・・
それは、
“下”から“上”=低周波振動から超高周波振動の荷電粒子が、
磁性により=ローレンツ力により、
集合して、
それは凝集する。
それが、

“お土からとれた物、”

“ニ”と“三”を(たて棒、コン)で繋いだ字が、
“土”=2~3番目のオーラでもあり、
肉体の磁性=ローレンツ力でもある。
そやから“とれた物”は、
自分の(肉体を持った)心(靈)の動きに、
感応共振した“上”からの振動の事。
それそのものが、
心(靈)の発現の段階になり、
それそのものが霊的進化程度の段階でもある。
ほんでから“上”から“下”に垂れる振動、
それが“靈”と言う字に示され、
(思惑と顕現“その十一”
“上”の思惑と顕現・・・“天の御目” 参照)
その事を、この間YAはんが先生の所に持って来はった、
“道ひらき”の“風止麻邇言霊学(ふとまにことだまがく)”から引用すれば、

“コ”は、
停滞して働く意と細分の音義を含む。
そやからその意味は
“凝る”=荷電粒子の凝集した場(フィールド)。
又、
心(靈)・・・こころの“コ”、
事・・・現津(あきつ)=観察され得る事象の“事”=コト、
それは、“コ”と、止める、留まるの“ト”。
そして真、誠・・・言葉成るの“誠”。
言葉成るは、
発振された振動=言の葉(ことのは)が、
現津(あきつ)=観察され得る事象になる事。
そして・・・真実・・・
これは、
真実=真固止の現津(あきつ)=観察され得る事象の固=“コ”でも有り、
ほんでから、“日月神示”の表現なら、
○ 九 十=マコトで、
それは“コ”=“九”・・・
“玉(ぎょく)”=翡翠(ヒスイ)の翠の翆、
その卆の“九”でも有りまんねん。
ほんでから、上つ巻に良く出て来た“九月”の“九”でもある。

そやから“上”の振動が、
今、私達の居てる場(フィールド)に垂れ、
それと私たち自身が、
“身”=肉体と、
“魂”=靈より下位に位置するとも言えるし、
靈の一部が魂とも言い得る。
そやから心(靈)の一部と付属物、
それは、魂と身、
それと感応共振する。
それが、自分達の場(フィールド)を構成して、
○=心(靈)となり・・・
それは言い換えれば、
現時点での地球人の霊的成長度、
認識(悟り、幸取=さとり)の程度、
自分の心(靈)に持ち得る振動で、
そやからこそ事象は、
認識=受信と増幅される。

そやから、
“この世はみな” ←すべての事象は、

“神のものざから” ←示すへんに“呂”で“神”、
相対的に高い振動の回転、
それは“上”からの発振、発信=神の思惑。

それを自分の認識=荷電粒子で構成された心(靈)で感応共振する。
それが受信=認識=悟り、幸取=さとり、でもある。

ほんでからこの中の表現、
“身魂ふとる”

これは、“お土からとれた物、”に、掛かる言葉やけど、
肉体の材料である物質としての食べ物の事だけ言うてるのでは、
決して無い。
“身”と“魂”って言うてるんやから。


そやから先に“魂”が太るから解釈していけば、
そやから、
魂を太らせるって言うこの表現は、
認識(悟り、幸取=さとり)の拡大=霊的成長でしか無く、
それは、
“ひふみゆらゆら”=“一”の磁性と“二”の磁性と“三”の磁性の、
右往左往と左往右往。
結果それは、
“一”=智性=1番目のオーラの拡大に繫がって行く。

補足として言うとけば・・・こんな事は前のブログで何回も言うたけど、
“一”=頭骸骨の磁性、
“二”=両腕と肋骨と肩甲骨と鎖骨の磁性=横の磁性、
“三”=骨盤と両足の骨の磁性。
それを縦に繋いだ状態を“王”と示される。


そやからこの事象で、現津(あきつ)で、
時間の進行と共に、様々な認識を得て行く事に遭遇する・・・
人生ってそう言うもんやけど・・・
肉体を持った心(靈)って言うのんは、そう言う機会を与えられた。
そやから、苦難や試練があればあるほど、
その人の心(靈)は、認識の拡大をする。
それは最初、
霊的に幼い自分の心(靈)の発現は低い段階から始まるから、
本能と欲望中心の行動=創造をする。
そして・・・今とても多い形骸の価値感で動く。
それは、(自分だけ)幸せに成りたいとか、
物欲とか、
感謝とかありがとうとか永遠の幸福とか無限の愛とかの、
言葉だけに酔う。
そやからそれは、
認識が低いからこそその過程で、
(相対的に低い)幸福の概念を持つ。
そして、その人達も右往左往でしかないから、
自分が間違った事をすれば=霊的成長の法則性に則った(のっとった)、
行動=創造をしなければ、
“神の咎め”=“上”からの通信を受けた事象を体験する。
その低い具体例は、今までやって来た事がバレたりもする。
最近はそんなニュースばっかりやな。
そんな事は・・・まあエエわ。

“神の咎め”バチが当たり自省(胸の磁性“十”)する事。
それは、結果として自分自身が、真の幸福の概念・・・
いきなり突拍子も無い事を言えば、
神格化の概念に自分が気付き、
それ以前の段階として、
他者を害さないとか、
傷つけないとか・・・いわゆる外側(外国と幽界)の、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の概念を認識し、
“悪”の事象・・・それを引き起こしているのは、
自分達の心(靈)の動きだという事に気付き・・・
ほんまに“悪”って言うのんは、
自分の中にしかないって事に気付く。

話が逸れてるけど・・・

その段階から更に、幸福=神格化への道を求め、
それは、
肉体の磁性の強化と高い振動の受信に繋がる“行と修行”を求め、
更にその過程で、
自分の心(靈)に対し、
相対的に“上”に位置する、
神の概念を持つ・・・それは、より神を深く認識し、
(アイの)創造を理解して行く。
そして、
より“上”に近付こうとすれば、
“善(神格化の方向性と智性の受信)”を認識し、
その認識故の行動=創造をする。

そやから、行動=創造には、
“善悪”(神格化と、動物化=心の本能化)が有る事を、
しっかり認識し、
そこまで行けば、
自分がどう生きるのか=どうこの世界に位置して行くのかを、
自分で判断出来る様になる。
そして、
そう言う人たちで構成された場(フィールド)は、
相対的に外側(外国と幽界)の“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の行為は、
無くなって行く。
そう言う現津(あきつ)=観察され得る事象の創造の為に、
霊的成長度の違う人を分ける。

それがアセンションでもある。

そやけど・・・
アセンションの解釈を低いものにしてしまう霊的成長度の人って言うのんは、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の分析が足らんって言うのんか、
只単に、
“悪”を駆逐すれば解決するとか、汚い物は捨ててしまえばよいとか、
そんな程度の認識しか持ってないんやろな。
そして最も程度の低い解釈は、
お部屋のお掃除やお部屋の鏡を磨くとか・・・
そんなものでは、
“上”の心(靈)との感応共振は起きない=天意は伝わらん。
そやからそんな程度の低い解釈をする人って言うのんは、
相対的に、
人生に対して苦難や試練を感じてなくって、
自分の在り方なんて概念はあまり無い人なんやろな。
それは、
たいした体験が無い・・・その事を自分自身が知らん・・・
そやからそれは、
“上”から試練を与えられて無い程度の霊的成長度やからやな。
霊的に幼い・・・そやからそれは、
霊的成長度に応じた試練と苦難しか与えられん。
それが、
S会=紫光会の交霊会での言葉でもある、

神は乗り越えられない試練を与えない

の言葉から得られた認識でもあるやん。

そやから、霊的成長度が低いからこそ、
目先の価値感で一生安泰な高収入の仕事を選択したり
たいして苦難や試練の無い職業を選択したりもするんやろな。
それが、公務員とか銀行員とか・・・投機で儲けるとか・・・
その中でも自分の生きて行く意味を見出していく人も、
少数は居てるやろけど・・・大半はそんな感じやな。
そやからそれは、自分の“力”を増して行く職業ではない。
それはたいした“行”になってない。
ほんでから、
主護霊やオーラや双子の魂って言葉だけ利用する低級な霊能力者とか・・・
それは、
S会=紫光会のT霊媒の言葉を思い出すとよく判る事や。
それは・・・前のブログで先生が言うてはった事・・・
太陽凝視を教えてくれたKさんと先生だけに、
他の人に聞こえん様に、
T霊媒が、交霊会の会場でそっと小声で言わはった事・・・

“毎回、交霊会の度に死ぬ思いだ・・・”

それくらいの苦痛を贖って獲得した事が、
ローム太霊さんの言葉でもあるし、
ローム太霊さんが人に伝えた主護霊の定義と認識でもある。
そやから、
自分が苦痛を贖わんとその言葉だけ使って金儲けするのは、
それは“上”から観たら、
盗む事と等しい。
そやけど・・・今の世界はそれが当たり前になってる。
何でも上手い事利用して自分の利益にする・・・
そやからそれは、
耳心地の良い言葉だけ聴いて、
ありがたいって思う人に忠告したい事でもあるな。
その事自体が自分の基準を持ってない事を示しているんやけど・・・
ほとんどの人がその事を理解出来ない・・・
それくらいこの世界は、
低い心(靈)の発現の人の事象でいっぱいって事でもある。

話を戻して・・・そやから前回も言うたけど、

“ひふみゆらゆら”
それは、
“一”“二”“三”の肉体の磁性の右往左往と左往右往。
それはすべて認識の拡大、1番目のオーラの大きさに繋がる事でしかない。
そやから、
人(日止、霊止)が時間の進行を認識しながら存在してるって言うのんは、
砌(みぎり)と日足(ひたり)の極性、
思惑=日足(ひたり)と、
顕現=現津(あきつ)=観察され得る事象=砌(みぎり)。
それは、
自分の心(靈)がどういうつもりで発振、発信し、
(言の葉)
現象化=創造をして行き、
その時間の進行に伴う変化=現津(あきつ)=観察され得る事象とするのか?
その事が理解出来て無いと、
この上つ巻 第十七帖の言葉の解釈は、
てんで解らへんと思えるやん。

ほんでからこの言葉は、どの“日月神示”の解説書にも書いてある通り、
食べ物の事も言うてる。
それは、
“今の半分で足りるぞ、それが臣民の頂き方ぞ。”

一部の人間が食べ過ぎてるから飢餓と貧困が起きてるって言う事もある。
そして飢餓と貧困は恨みの連鎖の霊的干渉を招く。
心(靈)の発現の程度の低い霊能力者はその事に気が付かん。
或は無視してる。
そんなの関係ない・・・自分の功名心と自分の財布が最も大事やから、
テレビに出て金儲けする。

又・・・話が逸れたやん・・・

そやから物質としての食べ物
その事も言うてるけど・・・決してそれだけの事を言うてるのとは違う。

それが、次の言葉、

“お土からとれた物、
みな先づ神に供へよ、”

最初に言うた物質としての食べ物以外の事、
“土”=“二”“三”の肉体の磁性で獲得した振動を、
自分の霊的進化のための認識(悟り、幸取=さとり)とする事と、
もう一つ、
“上”の思惑の反映した現津(あきつ)=観察され得る事象を創造するには、
自分の内在する神性=智性によるところやから、
それが、
“先づ神に供へよ”
でもあると思えるし、
以下の言葉も同義やと思いまんねん。


“神には献げずに、
臣民ばかり喰べるから、いくら喰べても身魂ふとらぬのぞ、”

“何でも神に供へてから喰べると身魂ふとるぞ。”

自分の中の智性・・・心(靈)の発現として最も神に近い部分、
それを良く認識し、それ故の行動をとる・・・
それは、
太陽凝視を教えてくれたKさんと先生の認識でもある、
“天の御目”でもあるな。

今日はこれくらいにしときまんねん。



○○○大先生のけったいなライティングの撫子(なでしこ)の写真 

先生は迷って迷って・・・ 半年以上迷って・・・

キャッシュバックキャンペーンが終わらん内に
先日、CANNON EOS40Dを購入しましてん。


今回の写真は、EOS40D初撮り写真でんねん。

使用レンズは、
TS-E 90mm F2.8
EF 50mm F1.4 USM
EF-S 18-55mm F3.5-5.6 IS

それと、
ケンコーの中間リングを併用した写真も有りまんねん。
(注 ケンコーの中間リングはEF-Sレンズには、使えませんねん。)



けったいな撫子写真 EOS40D 初撮り写真1


けったいな撫子写真 EOS40D 初撮り写真2


けったいな撫子写真 EOS40D 初撮り写真3


けったいな撫子写真 EOS40D 初撮り写真4


けったいな撫子写真 EOS40D 初撮り写真5


けったいな撫子写真 EOS40D 初撮り写真6


けったいな撫子写真 EOS40D 初撮り写真7


けったいな撫子写真 EOS40D 初撮り写真8


けったいな撫子写真 EOS40D 初撮り写真9



ライティングの様子は、こんな感じでんねん。

けったいなライティング写真撮影の様子1


けったいなライティング写真撮影の様子2


けったいなライティング写真撮影の様子3




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 Kelly & ○○○大先生

Author: Kelly & ○○○大先生
FC2ブログへようこそ!


Kellyさんと○○○大先生は、
このブログを書いている○○○の、
心(靈)の二面性であり、
同一人物で有る事を、
お断りしておきます。

出版の告知

四冊目&五冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈4〉
智性無き心は
悪を容認する


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈5〉
智性無き心は
アセンションを見誤る

 この二冊は、同時発売です。
太陽凝視を行っている鍼灸師の話 <4> 智性無き心は 悪を容認する & 太陽凝視を行っている鍼灸師の話 <5> 智性無き心は アセンションを見誤る サムネイル
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2010年 4月20日(火)ごろより、全国書店(紀伊國屋書店・三省堂書店・旭屋書店・ジュンク堂書店・ブックファースト・リブロ・丸善など)にて順次陳列。


発売中の三冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈3〉

神格化のプロセス
目上(めうえ)と目下(めした)


神格化のプロセス 目上と目下 縮小版 ブログ用
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発売中の二冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈2〉

ローム太霊の教え
日足(ひたり)と砌(みぎり)


サムネイル太陽凝視を行っている鍼灸師の話〈2〉ローム太霊の教え 日足(ひたり)と砌(みぎり) 
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お近くの書店にない場合は
たま出版のサイトでお買い求めください。

発売中の一冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈1〉

ローム太霊との出会い


太陽凝視を行っている鍼灸師の話〈1〉ローム太霊との出会い
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お近くの書店に無いときは
たま出版のサイトでお買い求めください。

この本に付いてはこちらを御覧下さい。


       




初めての方は、
・・・その後の事と・・・これからの事。
からお読みください。

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古い順に、記事が閲覧できます。

        

☆ Kellyさん的事象の観察と認識 (104)
Kellyさんがこのブログに霊縁あった人(日止、霊止)に伝えたい事 (22)
Kellyさんと○○○大先生との会話 (7)
Kellyさんとチョ~極上ラブラブ中高年夫婦はんとの会話 (6)
Kellyさんとチョ~ベッピンはんのA野はんとの会話 (7)
Kellyさんと∪・ω・∪ ▼・。・▼ ▼・。・▽ U・。・U U。・ェ・。U たちとの会話 (33)
Kellyさんとメタボ研修医のYっちゃん先生との会話 (2)
Kellyさんとややメタボ内科医のYっちゃん先生との会話 (7)
Kellyさんと和風のベッピンはんのSはんとの会話 (2)
Kellyさんと農業好きの社長婦人K地M美はんとの会話 (12)
KellyさんとNominyan ∥*σ_σ*∥&Senyapoo λ*゜ο゜*λ との会話 (6)
☆ Kellyさん的“日月神示”解釈 (465)
Kellyさんが、“日月神示”の解釈をして行くに当たって・・・考えた事。 (15)
“日月神示” 上つ巻 (42)
“日月神示” 下つ巻 (38)
“日月神示” 富士の巻 (26)
“日月神示” 天つ巻 (30)
“日月神示” 地つ巻 (36)
“日月神示” 日月の巻 (68)
“日月神示” 日の出の巻 (23)
“日月神示” 磐戸の巻 (21)
“日月神示” キの巻 (17)
“日月神示” 水の巻 (36)
“日月神示” 松の巻 (30)
“日月神示” 夜明けの巻 (26)
“日月神示” 雨の巻 (18)
“日月神示” 風の巻 (15)
“日月神示” 岩の巻 (11)
“日月神示” 荒の巻 (13)
☆ Kellyさん的“ローム太霊講話集”解釈 (107)
☆ 紫光会経文の文言 Kellyさん的解釈 (18)
☆ ○○○大先生的バシャールの文言解釈 (9)
☆ 先生が撮るけったいな花の写真 (22)
☆ 先生が撮る比較的まともな写真 (32)
☆先生が室内で写真を撮るときのセッティング (6)
その他 お知らせ (3)



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2005年10月1日~2008年1月15日まで、
“Kellyさんとの会話”で、説明して来た事・・・
その内容・・・それは・・・その何年も前から、
何か自分の考えをある程度公表しなければならない・・・
そう言う通信を受け・・・その理由は・・・地球人が低い心(靈)の発現しかしていない・・・
それを自覚していない人が多い。
その事由来の太陽凝視に対する認識、
(太陽凝視=不食・・・としか、認識させない存在の思惑を、受信している事)
霊的成長に対する認識、
神に対する認識、
心=靈に対する認識、
オーラに対する認識、
そして、
高い認識の上での進化の意味と幸福の概念と神の概念・・・
進化=霊的成長=神格化=(相対的に)高い認識を獲得する事・・・
霊的成長=神に近づく事=真の幸福の意味。
霊的成長度は1番目のオーラに顕れる。
よって、宇宙的プログラムにより次の段階に移行する人(日止、霊止)は、 何を考えるべきなのか・・・
そして、人(日止、霊止)の進化を阻む存在の思惑、
その心=靈の動き、それらの意図・・・それが一般に認知されていない事。
それらを伝えなければ成らない・・・そして一応・・・完結はしたのですが・・・
解り難い・・・理解しがたい・・・具体例を示して欲しい・・・そう言う感想も頂き、
そして自分なりにも説明が足らなかった事・・・
更に、
“Kellyさんとの会話”が完結してからも通信を受けている事・・・そう云う事もあり・・・
よって、このブログを立ち上げる事としました。
従って、
“Kellyさんとの会話”が、
自分の意見を述べる上での、ローム太霊の言葉、
“右往左往”(“いきり立つ心(奴と心)”で行動してから考える)・・・と、 するならば、 このブログはアタシ自身の、
“左往右往”(“思う、憂う”・・・体験を教訓として考え行動する)の、
作業になって行くと思います。


太陽凝視を行っている鍼灸師の話 “総括編”
太陽凝視を行っている鍼灸師の話 “改”
予約制 鍼(はり) 灸(きゅう) マッサージ治療 児玉療院
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○○○大先生の水草水槽記録
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自分達の欲望を満たしたい… 
自分だけ幸福になりたい…
こういった進化程度の低い心(靈)の発現由来の思いが、
低い幸福の概念になり(目下(めした)の思い)
その結果が、飢餓貧困、戦争の原因になったりしています。
(子供の浮游霊の霊的干渉の影響を受け、 それがどんどん増して行く事等が、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)
の思惑だと 思えます)

恨みの連鎖による霊的干渉を増やさない為、
その解消の為にも、(この趣旨に反する類の物もありますが) クリックをお願いします。
クリックした人に、お金の負担はありません。 ↓↓




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