“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話

太陽凝視を一生涯の“行”とし(現在、44年目)、実践し、その上で獲得した認識を述べています。

○○○大先生が、グリーンピア春日井の梅園で撮った写真。

表題の通り、グリーンピア春日井の梅園で撮った写真でんねん。



H21 2 グリーンピア春日井 梅園 1



H21 2 グリーンピア春日井 梅園 2



H21 2 グリーンピア春日井 梅園 3



H21 2 グリーンピア春日井 梅園 4



H21 2 グリーンピア春日井 梅園 5



H21 2 グリーンピア春日井 梅園 6



H21 2 グリーンピア春日井 梅園 7



アセビの花も咲いてましてん。

 H21 2 グリーンピア春日井 梅園 8


○○○大先生が、グリーンピア春日井の温室で撮った写真。



今日、先生は午前中、グリーンピア春日井に散歩に行きましてん。
そこの温室で撮った写真でんねん。

H21 2 グリーンピア春日井 温室 1


ストックとユキヤナギでんねん。


H21 2 グリーンピア春日井 温室 2 

水仙でんねん。

H21 2 グリーンピア春日井 温室 3



ルピナスでんねん。

H21 2 グリーンピア春日井 温室 4



H21 2 グリーンピア春日井 温室 5



H21 2 グリーンピア春日井 温室 6 


エリカ・コロランス  ホワイトデライトでんねん。

H21 2 グリーンピア春日井 温室 7


サンゴアブラギリでんねん。

H21 2 グリーンピア春日井 温室 8


カトレアのようでんねん。

H21 2 グリーンピア春日井 温室 9


デンドロビウム…品種名までは不明でんねん。


H21 2 グリーンピア春日井 温室 10



H21 2 グリーンピア春日井 温室 11


シンビジュウムでんねん。

H21 2 グリーンピア春日井 温室 12



H21 2 グリーンピア春日井 温室 13



H21 2 グリーンピア春日井 温室 14



H21 2 グリーンピア春日井 温室 15


カルセオラリアでんねん。

H21 2 グリーンピア春日井 温室 16


クリスマスローズでんねん。

H21 2 グリーンピア春日井 温室 17



“日月神示”下つ巻 第十六帖 Kellyさん的解釈



今回も、下つ巻 第十六帖を解釈しまんねん。
原文は以下の通り、


知恵でも学問でも、今度は金積んでも何うにもならんことになるから、
さうなりたら神をたよるより他に手はなくなるから、
さうなりてから助けて呉れと申しても間に合わんぞ、
イシヤの仕組にかかりて、まだ目さめん臣民ばかり。
日本精神と申して仏教の精神や基督教の精神ばかりぞ。
今度は神があるか、ないかを、ハッキリと神力みせてイシヤも改心さすのぞ。
神の国のお土に悪を渡らすことならんのであるが、
悪の神わたりて来てゐるから、
いつか悪の鬼ども上がるも知れんぞ。
神の国ぞと口先ばかりで申してゐるが、心の内は幽界人(がいこくじん)沢山あるぞ。
富士から流れ出た川には、
それぞれ名前の附いてゐる石置いてあるから縁ある人は一つづつ拾ひて来いよ、
お山まで行けぬ人は、その川で拾ふて来い、
みたま入れて守りの石と致してやるぞ。
これまでに申しても疑ふ臣民あるが、
うその事なら、こんなに、くどうは申さんぞ。
因縁の身魂には神から石与へて守護神の名つけてやるぞ。
江戸が元のすすき原になる日近づいたぞ。
てん四様を都に移さなならん時来たぞ。
江戸には人住めん様な時が一度は来るのぞ。
前のやうな世が来ると思うてゐたら大間違ひぞ。
江戸の仕組すみたらカイの御用あるぞ。
いまにさびしくなりて来るぞ。
この道栄えて世界の臣民みなたづねて来るやうになるぞ。
七月の二十一日の夜、ひつ九のか三。



冒頭の文章、

“知恵でも学問でも、今度は金積んでも何うにもならんことになるから、
さうなりたら神をたよるより他に手はなくなるから、
さうなりてから助けて呉れと申しても間に合わんぞ、”

これは、この間から取り上げてる“役員づら”してる人に対しての言い方としか思えへん。
形骸の“力”…知恵、知識…学問…能力、そして霊能力…今、活躍してる人のほとんどは、自分たちの利益を思い、自己奉仕者になり、そして、見せ掛けの言葉を使い、多くの人を…欺くとか騙すとか嘘をつくとか奪うとか…それゆえの“力”の使い方しかしていない。
その心(靈)の動きは、ほんまの人(日止、霊止)の進化っていう意味での、
“上”に向かう心(靈)、神格化を目的とする心(靈)の動きでは無いやん。
当たり前やん。
そやけどそういう人たちはそれを自分たちで認識出来へん。
それは、
その人たちの心(靈)の発現、霊的成長って意味での心(靈)の発現が、
自我中心でしかないからや。
そやからこそ、自分にとっての功名心や自尊心が、
自分で低いものやと認識出来へんし、そんな判断も出来へん。
“上”との感応共振が無いからや。
そやから…まったく、保身しかないみたいなもんやな。
極端な言い方をすれば、それがその人たちの認識のすべてでしかないからや。
そやから、自分たちがやって来た事の結果が、
アセンション(“上”のプログラム、この場合は自省(胸の磁性“十”)の“行”に入らせる事、右往左往)の影響で、今、たくさん暴かれたりしてるけど、
その進化程度の心(靈)の発現の人は、たいして自分が悪いとは思わへんやろ。
ほんでからにその段階の人は、
“悪”っていうのんは、心の動きの本能化と低振動化って概念もないやろ。
そやから、低い心(靈)の発現の人の認識っていうのんは、自分がすべてみたいなもんやから“上”から視点で自分の心(靈)の動きを観察出来へん。
(心(靈)の発現としての智性と“慈悲”と“慈愛”が無い、或いは、自分の中で無視しているという意味)
そやから、
冒頭の“知恵でも学問でも”……“力”を示すって言うのんは、“力”の存在意義って言うのんは、
自分たちの感じ(感じる磁性)取る、現津(あきつ)=観察され得る事象を、
自分たちでよいカタチにする為にあるもんや。
そやけど霊的進化過程の低い人は、自分の利益しか思わへん。
低い欲望と低い功名心と低い自尊心しか持ってないからや。
欲望を満たす為の利益の象徴が(通貨としての)金であり、
金の奴隷になり、ほんまに価値のある何かを薄っぺらい形骸のものにして、
もう充分、価値のあるものは、形骸の程度の低いものになってるけど、
それすら自分たちで判断出来んし、そんな認識を持つことも無い。
それは、生きてる間だけがすべてって思うてるからや。
そやからそれは、自分が生きてる理由なんて考えもせず、
死ぬまでにたくさん楽しんでおきたいって思うてるから、それが自分の人生に対する認識やからこそ、自分の欲望のためにしかエネルギーを贖わん。
ほんでから認識が低ければ=“上”の心(靈)が発現していなければ、
欺くとか騙すとか嘘をつくとか奪うとか…その心(靈)の動きを自分の中に見出しても、
それを自分で許してしまうんやろな。
ほんま…程度が低いっていうのんは、程度が低いとしか言いようが無い。
そやから薄っぺらい心(靈)の動きは形骸の言葉を発する……具体的な一例として、今、たくさん暴かれてる低い事象としてのなんやしらんみたいに…国民のためにとか…国民のために一生懸命頑張りますとか……
ほんでからに、見せ掛けの愛を語って霊的成長のための試練を忘れさせる言葉として、皆さん幸せになりましょうとか…笑って過しましょうとか…無限の愛とか、苦痛や苦悩の無い世界とか…そんな言葉を使ってる人も居てる。
今言うた中でも、とても程度の低いアホくさい言葉を使って、自分たちの利益中心で行動して来たとろくっさい政治家なんかは別にして、今、見せ掛けの言葉を使って雰囲気だけ楽しんでて、自分の低い功名心と自尊心を満足させ、そして、アセンションや“日月神示”や太陽凝視を甘い解釈にしてる人はとても多い…自分たちの心(靈)の発現の程度ってもんを自分で分析出来て無いからや。
そやから何でも程度の低いものにしてしまっている。
ほんまに人(日止、霊止)を“上”に導く為にある何かって言うのんは、
(政治でも宗教でもヨガでも天皇制でもオーラを知った事でも…)
自分たちの心(靈)の発現の程度、認識の程度により、
高いもんでもてんで低いもんになってしまい、
そして低いもんのほうが、今、
当たり前の概念になり、それは低い心(靈)の発現の人のほうが大多数やからや。
そやから“玉石混交(淆)”…霊的成長度の高い人は少数で、程度の低い人のほうが多いに決まってる。
そやからこの地球って場(フィールド)が霊的成長の“上”の段階に入るならば、
“玉石混交(淆)”の“石”は、付いて行かれへんから分ける。
それがアセンションの意義でもある。

ほんでから次の文章、

“イシヤの仕組にかかりて、まだ目さめん臣民ばかり。
日本精神と申して仏教の精神や基督教の精神ばかりぞ。
今度は神があるか、ないかを、ハッキリと神力みせてイシヤも改心さすのぞ。”


このカタカナの表記の“イシヤの仕組み”…これも、
このカタカナ一つ一つを解字していけば、以下のようになりまんねん。
イシヤの解字 



そやからカタカナ表記の“イシヤ”は、
“上”の思惑を受信して“上”に向かう心(靈)って事なんやけど、
進化過程が低すぎるから、自己奉仕者が大半の世界になってる。
そやからこの文章の表記として、
“イシヤの仕組にかかりて、まだ目さめん臣民ばかり。
日本精神と申して仏教の精神や基督教の精神ばかりぞ。”

この文章の“日本精神”が、“仏教の精神や基督教の精神”って言葉に対するものやと思われてるやろから、形骸になってしもてる神道とか天皇制とかって思うんやろけど、
そんな意味のこととはとても思えへん。
それは前にも言うたけど、
“日”“本”“精”“神”…画像を作ったから貼っておきまんねん。

日本精神の解字 


そやからこの文で言うてるのは、ただ進化程度が低いから、
認識が低いから“上”に向かう方向性を間違えてる。
そして間違えた方向性は、平仮名と漢字の表記での“石屋の仕組み”に表れてて、
それは、この平仮名と漢字の表記=こちら側、人から視点での認識では、
“イシヤ”と“石屋の仕組み”は意味合いが違ってくるから、
“石屋の仕組み”が出て来た時に解釈を述べまんねん。

ほんでから次の文章、

“神の国のお土に悪を渡らすことならんのであるが、
悪の神わたりて来てゐるから、
いつか悪の鬼ども上がるも知れんぞ。”

この表記の“お土”(=肉体の意味、“土”=2~3番目のオーラ)と、
“悪を渡らすこと”と“悪の神わたりて来てゐる”は、
“神の国”に対する言葉で、
そやから“神の国”っていうのんは、
“上”からの振動を取り込んで腹の中で日足(ひたり)回転させる様が“玉(ぎょく)”…
“玉(ぎょく)”って表記そのものが腹の中の荷電粒子の回転を示し、
そしてそれは心(靈)が“上”に向かうことやって前のブログ思惑と顕現で先生と話をした。
“玉(ぎょく)”って字そのものが人(日止、霊止)の霊的進化を示す字でもあり、
心(靈)の在り方を示す表記でもある。
これも、画像を作っておいたので貼っておきまんねん。

“玉(ぎょく)”の解字 

“玉(ぎょく)” + (囗)くにがまえ =国って表記で、
それは“悪(心の動きの本能化と低振動化)”を“渡らすこと”と、
“悪の神わたりて来てゐる”…今そうなっているってことを言うてるし、
生命の進化過程としては右往左往=行動してから考えるってことやから、
そしてその後は、左往右往=体験を教訓にして行動を決定する…
その過程として“悪(心の動きの本能化と低振動化)”がある。
自分の心(靈)の動きを“上”に向かわせたいのなら=神格化を目指すならば、
“身魂掃除”“身魂洗濯”をして、内省して自省(胸の磁性“十”)して、
“観自在”して“直日(なおひ)”して、自分の心(靈)の動き=発振、発信を、
智性(神性)由来のものにせんならん。
そんな肉体=“お土”にしてはアカンって言うてる…ほんでから、
“いつか悪の鬼ども上がるも知れんぞ。”って表記は、先生の“魔”の解釈でもある。
それは、广(まだれ)=頭骸骨、
左右の木部=腹の水(“江戸と尾張”の江)で得た振動を頭に吸い上げ、
自分の思想が、鬼=この世にあらざる存在、自分が位置してる場(フィールド)に居る、
低級な思惑の浮游霊の受信をして、
そして心(靈)と体が創り変る事そのものが、“魔”=マーラ(魔羅)って事やって、
先生は前のブログで言うたから、
思惑と顕現“その九”“魔”…梵語でマーラ(魔羅)を読んで欲しいねん。
要は、この世界が低級な浮游霊の思惑、貪、瞋、痴(とん、しん、ち、)の心(靈)で創りあげられ…もう充分そうなってるから恨みの連鎖の霊的干渉ばかり目立つんやけど、
もうこの文章が、自動書記により書かれたときに言われてて、
今…或いはこの先数年が、“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)の“思惑の顕現”=現象化の窮みになるんやろな。

ほんでから次の文章、

“神の国ぞと口先ばかりで申してゐるが、心の内は幽界人(がいこくじん)沢山あるぞ。”

“神の国ぞと口先ばかり”…“ 申してゐる”…形骸の認識で偉そうに言うてるだけの人は、
“幽界人(がいこくじん)”自分の心(靈)の内の“善悪”(神格化と、動物化=悪=亜の心=心の本能化)を見出さず、
外側(外国と幽界)の事象の“善悪”だけを批判して“役員づら”してるって事でんねん。

ほんでから次の文章、

“富士から流れ出た川には、
それぞれ名前の附いてゐる石置いてあるから縁ある人は一つづつ拾ひて来いよ、
お山まで行けぬ人は、その川で拾ふて来い、
みたま入れて守りの石と致してやるぞ。”

“富士から流れ出た川”…この表記も、ただ言葉だけ捉えていたなら何の事か解らへん。
そやから、“富士”は、宀(うかんむり)は頭の意味、
畐=“一”=智性=1番目のオーラ、口、田、田は思いって言う字の上半分、
心、靈、の四つの場(フィールド)、大脳の新皮質って事でんねん。
“富士”の“士”は、“一二三”のオーラの“一”と“二”に相当する。
“一”の“上”に(たて棒、コン)が突き出しているのは、
“上”からの受信を示す。
ほんでから“流れ出た川”って言う表記は、
“川”は、丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)と(たて棒、コン)が二つ、
そして丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)の向かって右、
神の思惑の顕現を示すローレンツ力  の向かって左下(その存在自身の砌(みぎり))=砌(みぎり)“下”(事象に顕現する意)に伸ばした表記でもある。
そしてそれは“上”から“下”に書くって事でもある。
要は“上”の“思惑の顕現”を示している字でもある。
そしてそれは、“波羅密”=高い振動を受けて視床下部は体を創り変えるホルモンを出す。
それが“気血栄衛(營)”の意味でもある。
自分が事象を観察して、生体内電流に変換する意味での、
受信した振動=感じ(感じる磁性)=電磁波は、
般若心経の“波羅密”に表されてる。
そやから“富士から流れ出た川”は、自分が獲得した振動で自分自身の心(靈)と体が創り変わり、それは“名前の附いてゐる石”=帯電するミネラルに高い振動を取り込み、
心(靈)は“上”の思惑を理解して、
肉体は、“上”の振動を受信する為の、
“宝=体=體=骨が豊か”にならんとアカン。
そやからこの文章の後半の、

“お山まで行けぬ人は、その川で拾ふて来い、
みたま入れて守りの石と致してやるぞ。”

“お山まで行けぬ人”って言うのんは、山=脳やから、
そこまで“行けぬ”ってことで、それは認識にいたらずとも、
高い振動を“その川で拾ふて来い”って事でんねん。
そうしていたならば、いずれそれは、
“お山まで”って事になり、認識の拡大になる。
それは肉体を伴った霊的成長を果たしたって事になりまんねん。
そうなって欲しいって思惑を感じまんねん。

ほんでから次の文章は、“日月神示”の文章は霊的成長の仕組みを言うてる事を、
強調している。

“これまでに申しても疑ふ臣民あるが、
うその事なら、こんなに、くどうは申さんぞ。”

ほんでからに次の文章は、帯電するミネラルの事を言うてる。

“因縁の身魂には神から石与へて守護神の名つけてやるぞ。”

身魂磨き=肉体組織の結晶化…それは般若心経の舎利子でも同じ意味やけど、
帯電するミネラルが結晶化して行かんと、
高い振動(電磁波)である“上”の思惑と感応共振せん…自分の心(靈)に取り込む事が出来ない。
これはさっきの文章の、
“みたま入れて守りの石と致してやる”でも、同義の事やと思えるし、
そやから“因縁の身魂”…“御用”“役員”って表記も“日月神示”にはよく出てくるけど、
すべて霊的成長をする人、或いは、霊的成長を目指す人を指している表記である。
そやから、
“神から石与へて守護神の名つけてやるぞ。”
これは、肉体が持つ帯電するミネラルに、“上”から=神から振動を与えて=思惑を送り、
“守護神の名つけて”
これは使命って言う意味での命名で、この場(フィールド)を護る、守る、その使命(氏名)をつけてやる。
要は、“上”が、結晶化した骨を持つ人(日止、霊止)に、
アセンション後の“創造”を託すって事としか思えへんねん。

ほんでから次の文章、

“江戸が元のすすき原になる日近づいたぞ。
てん四様を都に移さなならん時来たぞ。
江戸には人住めん様な時が一度は来るのぞ。
前のやうな世が来ると思うてゐたら大間違ひぞ。”

これは江戸=東京って言う意味もあるやろな。
東京からダメになるってことでもあるやろな。
まあ…これは先生の私見やけど、東京や大阪、神戸、横浜…だめになってる場(フィールド)は、もう右往左往の色んな現象が出だすやろ。
そやけどそんな事だけ言うてるのではなく、
“てん四様を都に移さなならん時来たぞ。”……“てん”と“四”は、
“四”は発振、発信の意味があり、息吹の意味がある。
それは、
Kellyさんが、“日月神示”の解釈をして行くに当たって・・・考えた事。
の、四の象形文字のところを読んで欲しいねん。
そやからこの言い回しそのものが、
天意を受けた人のオーラの発振、発信という意味があると思える。
天意を受け=“上”との感応共振をした心(靈)の発振、発信は、
良いカタチの“創造”を目指すのが当然でんねん。
それが“人”って言う字を構成する、丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)と、
乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現)なんやからやねん。
ほんでから古神道で使われる表記の、“日止、霊止”って言うのんは、
日止は、太陽の振動を止める。
霊止は、“上”からの振動を自分の中で回転させる様子でもある。
これに付いては前のブログ、思惑と顕現“その十”“上”の“思惑の顕現”…“天の御目”を、読んで欲しいねん。
一部言うとけば、“メグリ”(帀)って部首に示されてまんねん。
ほんでから“都”って言うのんは、単なる首都って言う意味ではなく、
この表記も都には港がありそしてそれも含めて表す表記は、
“津”って、先生と話をした事がある。
それは前のブログのエピローグから、コピペしときまんねん。

     ↓

“津”って言う字そのものは、都とか港とかの意味を持ってる。
港は都にあり、それは、
水・・・腹の水、放射線を吸収する水と、帯電するミネラルが固まっていない状態、
イオン化したミネラル・・・それを集めるのが港と都=“津”。
東洋医学にも、“津液”って考え方があるって言うてましてん。
ほんでからにそれは、軍荼利明王、荼枳尼真天の“荼”でもあるし、
“日月神示”の中の、“江戸と尾張”の、“江”でもある。

     ↑
以上でんねん。

ほんでから次の文章、

“江戸の仕組すみたらカイの御用あるぞ。
いまにさびしくなりて来るぞ。
この道栄えて世界の臣民みなたづねて来るやうになるぞ。”

この文章の、
“さびしくなりて来る”“この道栄えて世界の臣民みなたづねて来る”
これは現状に対しての相対的な表記でもある。
ほんでから、さっきの文章の表記の、
“江戸には人住めん様な時が一度は来るのぞ。
前のやうな世が来ると思うてゐたら大間違ひぞ。”
……これも同様の意味でんねん。
そやから、今までと違う価値感が支配する場(フィールド)になるからこそ、
この星が、今より高い霊的成長の場(フィールド)になるからこそ、
薄っぺらい低い心(靈)の動きの形骸の価値感で出来上がったものは崩壊し、
違う価値感を求めて行かんならん。
その事を言うてるだけやねんな。
ほんでから、
“江戸の仕組み”…“江戸と尾張”に付いては何回も言うたから、敢えて説明しませんねん。
ほんでから“カイの御用”…これに付いては前のブログの、
思惑と顕現“その五” “慈愛”…いつくしみ…いつくしむ
から、先生と話した事を抜粋してコピペしときまんねん。

     ↓

「普遍的に実在する創造主のオーラ(宇宙背景放射)=愛(炁)=究極微粒子の振動・・・
その低振動化の事象が物質世界=三次元。
アタシ達が今持っている心の動き=神の要素の低い部分より相対的に高い要素・・・
それを取り込まなくては、進化した上での創造は出来ない。
当たり前だが・・・
それを三次元に現す事=創造。そしてそれは、時間の進行の概念があるからこそ進化であり、いきなり良いカタチになる訳が無い。だから低い創造から始まり・・・その中で“善悪”(神格化&動物化=悪=亜の心=心の本能化)を、見出していく。」
「低い創造・・・腹の右往左往と左往右往・・・でんな。」
「そう。そしてそれは、“日月神示”の中の表現で“カイの御用”・・・って言葉があるんだが・・・これは胸より下って事でも有り、霊的なものより下=物質って事でもある。
霊 > 物質って事だ。下の位って事だ。
そしてもう一つ“カイ”=“櫂(かい)”・・・舟を漕ぐ時の“櫂(かい)”の意味もあると思う。“櫂(かい)”の動きは、水の中で動く。腹は、水でもある。(江戸の江)
但し、今話した、“カイの御用”の解釈は、アタシの私見だという事を断っておく。
もっと違う解釈もあるだろう。」
「カイ=下位も、“櫂(かい)”も、下の位相・・・胸より下・・・腹。
腹=水・・・ほんでからに水の中の動き・・・腹の右往左往と左往右往って事でんな。
それはどういう言葉で表現されてるんでっか?」
「うん。それはこの言葉、

“カイの御用はキの御用であるぞ。
臣民はミの御用つとめてくれよ。
キとミの御用であるぞ。
ミの御用とは体の御用であるぞ。
身養う正しき道開いて伝えてくれよ。
今までの神示読めば判るようにしてあるぞ。”

そして、

“食い物大切に、
家の中キチンとしておくのがカイの御用ざぞ、
始めの行ざぞ”

そしてもう一つ、

“家の中キチンと食物大切がカイの御用ともうしてあろうがな”

この“家の中”って言う表現は、場(フィールド)でもあり、独り神でもあると思うし、
“日月神示”の○って言う表現でもあるし、
家って言う字そのものが“宮”って言う字の(宀)うかんむり、でもあると思う。
そして、漢字で表現されているものとして他にも、(囗)くにがまえ・・・なんかもそうだと思うんだが・・・他にも漢字には、一個体とか場(フィールド)を示す事があるんだが・・・
そしてそれらは、人(日止、霊止)の事そのものだと思う。」
「“宮”って言う字は、特別な意味を持ってるんやな。」
「うん・・・呂がエネルギーの回転を示している事は話したんだが・・・」
(霊的干渉 “目上(めうえ)と目下(めした)” “その六”)
「・・・要は、“カイの御用”って言うのんは、“キとミの御用であるぞ。ミの御用とは体の御用”・・・“キの御用”は、Kellyさん的に思うんは、胸の磁性・・・“天の御目”の獲得・・・気の御用、又は、炁の御用・・・愛(炁)やな。
それは、“身養う正しき道”やから・・・それは下位・・・下の位相・・・ほんでからに“櫂(かい)”・・・船を進める時の左右の動きって事でんな。ほんでからに、

“食い物大切に、家の中キチンとしておくのがカイの御用”

“家の中キチンと食物大切”・・・って、言うのんは、
食い物=振動の吸収=悟る・・・心(靈)は五つの口を持ってる。
そういう事でんな。
どういう振動の吸収の仕方をするのか・・・そういう事を言うてる感じやな。
ほんでからに何を食ったのか=どういう振動を吸収して心の構築をして行くのか・・・
それがカイの御用=下位の御用=三次元の事象の創造って事やな。
ほんでからにそれは、“櫂(かい)”・・・やから、
右往左往と左往右往せんならん。
良いカタチの創造を願ってるから“家の中キチンと”・・・って、言うてはるんやな。
そやから“食物”“食い物”・・・吸収する電磁波って事でんな。それは生体内電流になって脳を介して心(靈)で食う。(吸収と受信)
それが、自分の心の構築になって行くって事を言うてる感じやな。
結果それは、神さんに近づいて行くとするならば、“天の御目”の獲得になる。
しかし・・・“天の御目”か・・・
色んな事を考えされられる言葉でんな・・・
前にKellyさんが思うた事からは、随分違う印象にもなってるし・・・
(天の御目の大神 参照)

この言葉自体も、
深いものを感じるようになって来てるってるって言うのんか・・・

その事もKellyさんの認識が変容して言ったって事でんな。
そやから前のKellyさんは、
何かの言葉を見ても高い認識は得られへんかった。
少しずつ変わって来てる自分を感じ(感じる磁性)まんな。」
「そうだね。」
「言葉から何かを感じる・・・
今の地球人の平均的認識としたら・・・認識の低い事しか思い当たらへん・・・
言葉が形骸になってる。
言葉の使い方もヘタクソな感じやし・・・前に先生がそういう言い方してはったんを思い出しまんな。
そやから、今迄の先生との話でも、随分、言葉に対しての、解釈=認識の違う話をしてきたやん。
そやからそれは、一般的に、高い存在よりの言葉から、高い認識を得られへん・・・
振動を持っていないから・・・そやからこそ認識出来へん・・・高い振動を感じ(感じる磁性)取る事が出来へん・・・霊的成長度が低い・・・」

    ↑
…ここでも言うてるけど、
自分が感じ(感じる磁性)て行く事象って言うのんは、自分の霊的成長度に応じてしか、目の前にやってこない。
それが又“創造”って事でもあるし、自分の“思惑の顕現”…それは想像から現実になるって言う意味で、自分の心(靈)が“創造”をするって事でもある。
そしてそれは自分以外とのオーラの相互干渉の結果でもある。
そして自分の想像が時間の進行に妨げられず一瞬にして現津(あきつ)=観察され得る事象になる段階に必ず人(日止、霊止)は到達する。
それが自分の感じ(感じる磁性)る“時空の結晶化”でもある…そやけどこれは、
先生しか持ってへん概念やと思う。
そうなれば、自分が感じ(感じる磁性)る現津(あきつ)=観察され得る事象は、
何もかもが自分の理想になるし、そしてそこにはもう低い欲望由来の“創造”はない。
それを古事記の表記の独り神(ひとりがみ)やて先生は解釈してる。
そしてこの場(フィールド)も、独り神(ひとりがみ)の中の現津(あきつ)=観察され得る事象の一つであるって先生は確信している。
そやから今、その独り神の中の事象は、右往左往から左往右往に入り、
それが大日如来の条帛(じょうはく)に示され、
独り神そのものが、“玉(ぎょく)”になって行く…これに付いては説明するととても長くなるから、前のブログの“思惑と顕現”の後半をよく読んで欲しいねん。

そやからそういう点で地球人は、
まだ独り神(ひとりがみ)からは程遠いからこそ、
他の心(靈)と…要は他者とか、低い霊的存在とか…たくさんの存在が、
共通の事象を共有している。
そやからこそアセンションは、
その心(靈)の発現の程度=“上”と“下”を分ける為に起きる。
自分の心(靈)の発現が“上”に向かっている…或いは、もう“上”の心(靈)の発現をしているならそれは、
次の世界の“創造”を担う事が出来得るやん。

“上”の心(靈)の発現は、今までも言うて来たけど、例えば、
天意を受けるとか、
自分に対しての身近な“上”の存在、真の意味での主護霊の通信を受けるとか、
(そのためにローム太霊はS会=紫光会で主護霊の定義と存在意義を述べた)
神の思惑を直接受信して、
自分の心(靈)と体を時間の進行と共に創り変える(“気血栄衛(營)”、振動の受信による心(靈)と体の構築)、
(本当の意味での)太陽凝視とか、
それは“日月神示”内の表記なら“特別神憑り”なんやけど、
そやから今、“日月神示”の言葉を使って、
今の事象を批判だけしてる心(靈)の動きはとても低く、
それはこの下つ巻 第十六帖の冒頭の言葉のように、
知識と知恵を振りかざすだけに等しく、
自分自身の心(靈)も、
自分の心(靈)が観察して受信している現津(あきつ)=観察され得る事象も、
何の良いカタチにもならず、自分の低い功名心と自尊心の刺激にしかなって行かない。
そんな人が多すぎるし、ネット上ではそんなサイトばかりやし…もっと程度の低い、言葉だけを弄んでいるだけ、ただ目立ちたいだけのディスプレイ(動物の発情行動)の心(靈)の動きだけのものも多いし、
ほんでから“日月神示”の解釈本は、解釈した人が霊的成長に対しての認識が低いからこそ、それは言い換えれば、たいした“行”をしてないからこそ、
“上”との感応共振が無いからこそ、
ただ、言葉や文章を解釈してるだけに過ぎない。
ほんま、低いっていうのんは低いとしか言いようがない。
…そやけど、それに対し、
たとえ不食を目指すって言う程度の低い段階の太陽凝視でも、
そやからそれは、太陽凝視の価値を低いものにしてしまっている“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)の“思惑の顕現”=現象化であってすらも、
それはいずれ、
“身魂磨き”=肉体組織の結晶化に結びつく可能性はあるやん。
心(靈)って言うのんは、時間の進行と共に、段々、認識は変わって行くんやから…
そやけど“上”の心(靈)の発現は、
自分の心に高い振動を取り込むための具体的な手段を取らんとアカンし、
それを意識して=発振、発信して太陽凝視をせんならん。
ほんま…先生は…それを期待してるんやろけど……
今回もそんな事を強く思うたから、敢えて言うときまっせ。

そやから…これくらいにしときまんねん。

“日月神示”下つ巻 第十五帖Kellyさん的解釈



今回も“日月神示”下つ巻 第十五帖を解釈しまんねん。
いつもの通り原文の紹介でんねん。 
 
この方祀りて神示(ふで)書かすのは一所なれど、
いくらでも分け霊(みたま)するから、
ひとりひとり祀りてサニワ作りてもよいぞ。
祀る時は先づ鎮守様によくお願いしてから祀れよ、
鎮守様は御苦労な神様ぞ、忘れてはならんぞ、
この神には鳥居と注連(しめ)は要らんぞ。
追ひ追ひ分かりて来るぞ、
一二七七七七七わすれてはならんぞ、次の世の仕組であるぞ。
身魂みがけば何事も分りて来ると申してあろがな、
黙ってゐても分るやうに早うなって下されよ、
神の国近づいたぞ。
七月の二十一日、ひつ九のか三。


冒頭の文章、

“この方祀りて神示(ふで)書かすのは一所なれど、
いくらでも分け霊(みたま)するから、
ひとりひとり祀りてサニワ作りてもよいぞ。”

“一所”は、
“日月神示”を書かせてる霊団、その立場から岡本天明はんを指した言い回しで、
そやから“上”からの通信は、何も“日月神示”だけではなく、
その人、個人々々の霊的成長度と、心(靈)の方向性…“上”か“下”か…それは、“善(神格化の方向性と智性の受信)”か“悪(心の動きの本能化と低振動化)”か…それによって霊的干渉は起きるし、“上”からの通信は、自分の心(靈)の在り方次第やからこそ、
“ひとりひとり祀りてサニワ作りてもよい”…これは自分の心の動きを観察せんならんって事でんねん。
ほんでから自分自身としては、神の“思惑の顕現”=現象化の一端を担うなら、
自分の心(靈)の方向性、動き、
それが“善悪”(神格化と、動物化=悪=亜の心=心の本能化)…なのか、
その心(靈)の発振、発信は=息吹は、
“上”に向いてるのか“下”に向いてるのか…それを知らんならんからこそ、
“サニワ”って言い表されてる。
そやから“サニワ”は、前回の下つ巻 第十四帖でも言うた通り、
それぞれの進化程度に応じた“上”の霊的干渉がある。
それは自分の心(靈)が“上”に向かわんと感応共振出来へん。
それは“日月神示”の表記なら右回転と左回転に表れてる。
自分の心(靈)が“上”に向かう仕組みは、
“玉(ぎょく)”って言う字に表され、ほんでから腹のエネルギーの日足(ひたり)回転って話を何回も先生としたから、
前のブログ、“思惑と顕現”のシリーズを読んで欲しいねん。
補足として画像を貼っておきまんねん。

腹の日足(ひたり)回転と砌(みぎり)回転  

ほんでから“祭り”と“祀り”の違いは、前にも言うたけど、
(上つ巻 第四帖)
“上”から“下”に降りる振動、人の認識(悟り、幸取=さとり)での天意を受ける事が、
“祭り”で、
それに対し、 人(日止、霊止)が“上”を認識して心が“上”に向かおうとするとか、
段々自分の持っている振動が“上”に向かう事そのものが、
“祀り”って言う意味でもあると思いまんねん。

ほんでから次の文章、

“祀る時は先づ鎮守様によくお願いしてから祀れよ、
鎮守様は御苦労な神様ぞ、忘れてはならんぞ、”

この文の“鎮守様”は言うまでもなく、地域を守護する神って言う意味がある。
そやからその場(フィールド)を管轄してる“上”の存在で、
それは、そこで生まれた人(肉体を持った心(靈))の管轄である、
産土之大神(うぶすなのおおかみ)=氏神(うじがみ)とはちょっと意味合いが違うけど、
要は、その場(フィールド)を神の思惑と人の思惑を足した、
段々“上”に向かうようにして行く。
それそのものが神の思惑であると確信してる。
そやからもうすぐアセンションと認識され得る事象を体験せんならん。
アセンションって言葉も形骸になり、
甘い夢を見させ、ひどい例はただの商売になり下がってるけど、
次元上昇の意味は、心(靈)が創造する事象(現津(あきつ)=観察され得る事象)が、その存在が認識する次元なんやから、
自分が霊的成長してなくて、心(靈)が上に向いていなければ、
今と同程度か、或いは今より“下”の世界に、
心(靈)が位置して行くだけの事でんねん。

…そやから、“鎮守様”であろうが、産土之大神(うぶすなのおおかみ)=氏神(うじがみ)であろうが、個人の“上”としての(本当の意味での)主護霊であろうが、
それよりもっと“上”の存在であろうが、
人は常に“上”の存在を意識していなければならない。
それはチャンネルを合わせる=同調ってことでもある。
そやからこそローム太霊さんが伝えた主護霊って言う言葉を、守護霊と書き換えることの功罪は、何回も述べたやん。

そやから、自分が天意を受け“上”と感応共振するには、
自分の心(靈)の在り方が、
今現在の心(靈)の動きは、本能、情動、功名心、自我、愛(炁)、創造、知恵、智慧、智性という振動のどの部分なのか…それを常に観察する(“観自在”“直日(なおひ)”自省(胸の磁性“十”)の“行”)…そして自我から“下”に向かわんようにする。
そやから自分の本能、情動、功名心、自我っていうのんは、
智性と“慈悲”と“慈愛”で、統括されるべきやねん。
それ由来の行動(心(靈)の付属物としての肉体を動かす事)をして、
それが又、
“日月神示”内の表現、“身魂掃除”“身魂洗濯”でもありまんねん。
ほんでから“上”の振動は、
相対的に高い振動やからこそ、高い電磁波やからこそ、
自分が感応共振するには、肉体組織の結晶化=“身魂磨き”をせんならん。
ほんでから肉体組織の結晶化には骨が大事。
そして骨の結晶化には太陽光線が大事。
そやから先生は“上”の思惑の取り込みと肉体組織の結晶化のために、
長時間の太陽凝視をしてはるって事でんねん。

ほんでから次の文章…

“この神には鳥居と注連(しめ)は要らんぞ。
追ひ追ひ分かりて来るぞ、”

これも“日月神示”内の表記の、
“江戸と尾張”の意味を持つ“鳥居”って言葉が使われてる。
これも、下つ巻 第一帖で言うたから、コピペしときまんねん。
     

“鳥居はいらぬぞ、鳥居とは水のことぞ、海の水ある それ鳥居ぞ。”

大体、“鳥居”っちゅうのんは、 俗なる人=“下”の段階と、相対的に“上”=神社とか神域を示す一種の門とか、 “上”と“下”の境界って事でんねん。
そやけどこの場合の“鳥居”って言うのんは、
腹の水=“石”=自我以下の心(靈)の動き・・・情動中心、目下(めした)の心(靈)、
それと、
思想=“山”、大脳新皮質、目上(めうえ)の心(靈)の、
境界やと思う。
それは“日月神示”内の表現“江戸と尾張”の“戸”に相当するし、
それは又“天の岩屋戸”の“戸”にも相当すると思える。
“戸”に付いては前のブログ、
“エピローグ 神の思惑と顕現・・・神聖な事象”を読んで欲しいし、
このブログでも、
“上つ巻 第二十帖 Kellyさん的解釈”で、
“理(みち)”を解釈した時に言うたから、そこを読んで欲しいねん。

     
…どうしても“日月神示”には、何度も同じ表記が出てくるから、理解したいなら何度も読んで欲しいねん。
そやから普通“鳥居”と“注連(しめ)”は、俗界と神域…要は“上”と“下”…結界のことやと思うやろけど…その意味もあるやろけど、
先生とKellyさん的には、“江戸と尾張”のように、肉体の電気容量の違いを作っているものやと思う。(“呂”が示す様に。)
そやから“江戸と尾張”は、腹の水と戸=横隔膜と仙骨の意味を持つ“尾張”…ほんでから“注連(しめ)”…これは横の磁性を示してると思える。
ほんでから横の磁性…それもそのうち、先生が、太陽凝視を行っている鍼灸師の話“改”で説明するやろ…いつになるか分からへんけど……。

ほんでから次の文章、

“一二七七七七七わすれてはならんぞ、次の世の仕組であるぞ。”

これは、この漢数字の羅列が解釈出来ないと何のことか判らへん文章やな。
この漢数字に付いては、今までに何回も言うたけど、
“一”=智性=1番目のオーラ、
“二”=肉体、完成された人(日止、霊止)のカタチを示す“王”から、
縦の磁性である(たて棒、コン)と“一”=智性=1番目のオーラを外した様。
ほんでから“七”が四回書かれてるのは、
七は“一”=智性=1番目のオーラと乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現)が合わさった表記でもある。
そやから“七”は、
“一”=智性=1番目のオーラで、
智性の支配した行動=思惑の顕現が、人(日止、霊止)の行動になる。
そやけどそれは、“上”の思惑の受信装置ともいいうる大脳の新皮質(目上(めうえ)の脳)は、四つに分かれてる。
これに付いては前のブログ、霊的干渉“目上(めうえ)と目下(めした)”を読んで欲しいねん。
そやからこの文章自体が“上”からの受信をして、“一”=智性=1番目のオーラを(今より相対的に)大きくし、智性由来の行動をする。
それが“七”と言う字を構成する、乚部(いんぶ)に表され、
乚部(いんぶ)は人の思惑の顕現で、乙と同義で、それは、
向かって左から右に筆を動かして、 右から左下に動いて、左から右に動いて、 最後は上にはねる。“思惑の顕現”=現象化のカタチでもある。
前後するけどKellyさんの漢数字の解釈に付いては、
Kellyさんが、“日月神示”の解釈をして行くに当たって・・・考えた事。
を読んで欲しいねん。

ほんでから次の文章は、

“身魂みがけば何事も分りて来ると申してあろがな、
黙ってゐても分るやうに早うなって下されよ、
神の国近づいたぞ。”

“身魂みがけば”は、これも今まで何回も言うて来たし、さっきも言うたばかりやけど、
肉体組織の結晶化で、それは先生の言葉の、
“人(日止、霊止)が“宝玉(ほうぎょく)”になる。
“上”からの振動を受信して生体内電流にして肉体に磁性を発現させ、
そして、新たな密度の骨を創らんと“上”との感応共振は起きない。
そやから骨がダメな人は“上”の思惑が解らへん。
ほんでから人(日止、霊止)の進化=神格化を阻みたい存在の思惑は、
人(日止、霊止)の骨の結晶化を妨げる事をさせる。
少し例を挙げれば、飲酒、喫煙、美白(骨の結晶化に結び付かない価値感)とか、
苦痛や苦悩を避ける鎮痛薬の多用とか見せ掛けの癒しとか…
これは、生体内電流の強化にならへんって事でんねん。そやからそれらは、
一言で言えば甘い(亜、魔、出ずる、泉)って心(靈)の動きでもある。

ほんでから人の肉体を構成する肉と骨は、
骨が駄目なら肉由来の発想しかしない。
肉中心の霊的干渉しかない。
肉中心の事象の観察が、外側(外国と幽界)しか判らへんようになってしまいよる。
ほんでから肉中心の心(靈)の動きは、智性を持っていない進化過程の低い霊的存在と感応共振する。
言い換えれば、“上”との感応共振は出来ず、
自分より“下”の存在、低級な浮游霊とか悪意を持っている動物霊とか、
殺された事を恨んでいる家畜の霊とか…具体的に上げるとキリがない。
しかしそこには“上”と“下”って分類が出来得る。
霊的干渉っていうのんは、心(靈)の“上”と“下”で分類をするべきや。
言い換えれば、
肉中心の思想、マニピューラチャクラが中心の思い、それは、
帯電するミネラルが固まっていない(真固止では無い)……そやから、
その進化過程の人の行動は、本能、情動、功名心、自我、…それが中心の心(靈)で、
“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”で、
その人たちの行動は“一二七七七七七”では無いから、
自分の低い欲望の表れ…経済の為なら、
人が不幸になろうが死んでしまおうが、
そんな事は意に介さん今の社会の仕組みとも言い得る、
“石屋の仕組み”になる。

そやからこそ“身魂みがけば何事も分りて来ると申してあろがな”は、
“上”との感応共振をしてすべての事象のよいカタチを創造する心の動きをするようになって行く。
“上”が、神が、人に望んでいるのはそれでんねん。
そやからもうすぐ“玉(ぎょく)”と“石”は、分けんならん。
それがアセンションでんねん。
そして、その時期が近いからこそ、
“神の国近づいたぞ。”
(示すへん + “呂” + (囗)くにがまえ、場(フィールド) + “玉(ぎょく)”(一二三のオーラと、縦の磁性と、ローレンツ力 ローレンツ力 がその存在の向かって右、その存在の腹の左=日足(ひたり)にある))
…って事でんねん。

…今回はこれくらいにしときまんねん。

前回と前々回の水仙の撮影のセッティングの紹介でんねん。

H21、2月、水仙撮影セッティング 1


水仙のバックの幕の裏側の様子でんねん。
ほんでからこんな感じで水仙に光を当ててまんねん。

H21、2月、水仙撮影セッティング 2

レンブラントライティングでんねん。

H21、2月、水仙撮影セッティング 3

背景の幕を足した様子でんねん。

H21、2月、水仙撮影セッティング 4

H21、2月、水仙撮影セッティング 5

H21、2月、水仙撮影セッティング 6


手作りのレフ板と、¥100ショップで買ったイーゼルでんねん。
レフ板の調整には中々重宝しまんねん。





○○○大先生が撮った、けったいなライティングの水仙の写真。

前回の水仙に、照明用フィルターでライティングして、色をつけてまんねん。
妖しい雰囲気を…お楽しみくださいでんねん(笑)

H21、2月、けったいなライティング水仙 1

H21、2月、けったいなライティング水仙 2

H21、2月、けったいなライティング水仙 3

H21、2月、けったいなライティング水仙 4

H21、2月、けったいなライティング水仙 5

H21、2月、けったいなライティング水仙 6

H21、2月、けったいなライティング水仙 7

H21、2月、けったいなライティング水仙 8

H21、2月、けったいなライティング水仙 9

H21、2月、けったいなライティング水仙 10

H21、2月、けったいなライティング水仙 11

H21、2月、けったいなライティング水仙 12

H21、2月、けったいなライティング水仙 13

H21、2月、けったいなライティング水仙 14

H21、2月、けったいなライティング水仙 15

H21、2月、けったいなライティング水仙 16













○○○大先生が撮った、比較的まともな水仙の写真

年末から正月まで、原稿の加筆訂正に追われてた先生は、 その間、
カメラに触れることもなく…今日、気分転換に水仙の写真を撮りましてんな。
そやからこの写真は、今年初めての撮影でんねん。

そやけど…比較的まともな写真ってタイトルやけど、
主被写体の水仙に当たってる光の色温度が太陽光に近いだけで、
背景は、まともな感じではなくなってるやん。
ほんでからに今回の撮影も、
例によって、けったいな写真に続きまんねん。(笑)


H21、2月、水仙 1


H21、2月、水仙 2

H21、2月、水仙 3

H21、2月、水仙 4

H21、2月、水仙 5

H21、2月、水仙 6

H21、2月、水仙 7





“日月神示”下つ巻 第十四帖 Kellyさん的解釈



今回も“日月神示”下つ巻 第十四帖を解釈しまんねん。
原文は以下の通り、


臣民ばかりでないぞ、神々様にも知らせなならんから、なかなか大層と申すのぞ。
一二三(ひふみ)の仕組とは、永遠(とは)に動かぬ道のことぞ、
三四五(みよいづ)の仕組とは、みよいづの仕組ぞ、
御代出づとは神の御代になることぞ、この世を神の国にねり上げることぞ、
神祀りたら三四五の御用にかかるから、その積りで用意して置いて呉れよ。
この神は世界中の神と臣民と、
けだものも草木もかまはねばならんのざから、御役いくらでもあるぞ。
神様と臣民 同じ数だけあるぞ。
それぞれに神つけるから、早う身魂みがいて呉れよ、
みがけただけの神をつけて、天晴れ後の世に残る手柄立てさすぞ。
小さいことはそれぞれの神にきいて呉れよ、
一人ひとり、何でもききたいことは、病直すことも、それぞれの神がするから、サニワでお告うけて呉れよ、この方の家来の神が知らせるから何でもきけよ。
病も直してやるぞ、その神たよりたなら、身魂みがけただけの神徳あるぞ。
この世始まってない今度の岩戸開きざから、これからがいよいよぞ。
飛んだところに飛んだこと出来るぞ。
それはみな神がさしてあるのざから、よく気つけて居れば、
さきの事もよく分かるようになるぞ。
元の神代に返すと申すのは喩へでないぞ。
七から八から九から十から神烈しくなるぞ、
臣民の思う通りにはなるまいがな、それは逆立してゐるからぞ。
世界一度にキの国にかかりて来るから、一時は潰れたやうに、もうかなはんと云ふところまでになるから、神はこの世に居らんと臣民申すところまで、むごいことになるから、外国が勝ちたやうに見える時が来たら、神の代近づいたのぞ、
いよいよとなりて来ねば分らん様では御用出来んぞ。
七月の二十日、ひつ九のか三。


冒頭の文、

“臣民ばかりでないぞ、神々様にも知らせなならんから、なかなか大層と申すのぞ。”

この文の中の“大層”……通常、この言葉の意味は、
非常に、たいへん、はなはだ…そういう使われ方をするんやけど、
この文章の意味は、
“臣民”“神々様”“知らせなならなん”…それを“大層”と称されてるやん。
そやから、知らせることは“大層”ってことでもあるんやろけど、
決してそれだけでは無いと思えるやんか。
…そやから“大層”って言葉の裏側にある意味の解釈が出来ていないと、
この文自体の読み取りは全然違うものになると思えるやん。
そやからそれは“大”と“層”、
“大”は、今まで何回も言うて来たけど、
人(日止、霊止)(丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)と乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現)) + 胸の磁性“十”
ほんでから“層”は、
尸(しかばね、かばね)と、“曽”。
そやけど“層”の旧字は尸(しかばね、かばね)と“曾”が合わさった字で、
Wordで変換出来へんかったから画像を貼っておきまんねん。 

層の旧字  

この尸(しかばね、かばね)の“下”にある“曾”って言う字の意味は、
かさなる、かさねる…或いは、かつて、以前に。これまでに。すなわち。あげる。あがる。高い。ます。増える。ますます。すえ(末)そして三つ…色んな意味があり、
そして“曾孫(ひまご)”の“ひ”の表記でもある。
そやからこの文章の表記の“大層”は、
尸(しかばね、かばね)=肉体に“曾”かさなる…
何が重なるのかといえば、
“大”って言う字の、丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)と乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現)と胸の磁性“十”…それは、人が霊的進化をしている様子、
それが、肉体=尸(しかばね、かばね)と“曾”=重なる…
要は、神の思惑と、人の霊的成長する様子を示す“大”…そして尸(しかばね、かばね)=肉体(この世界の自分に対する認識の一部)…そやから“大層”って言う表記は、
“上”の思惑と人の思惑が、“曾”=重なった事象(現津(あきつ)=観察され得る事象)を見せるってことが、
“知らせなならん”って事やと思いまんねん。

ほんでから次の文章もそのことを指してる。

“一二三(ひふみ)の仕組とは、永遠(とは)に動かぬ道のことぞ、
三四五(みよいづ)の仕組とは、みよいづの仕組ぞ、
御代出づとは神の御代になることぞ、この世を神の国にねり上げることぞ、
神祀りたら三四五の御用にかかるから、その積りで用意して置いて呉れよ。”

この文章の中の“一二三(ひふみ)の仕組み”…これはここまで先生のブログを読んでる人に敢えて説明はいらん。
ほんでからこの文の表記の、
“永遠(とは)に動かぬ道のことぞ、”
…これに対する補足として、
前のブログ、
事象の形骸化 “その一” Kellyさん・・・ぼやきたおす!!
…の、あの時先生がKellyさんに、
❤❤❤あ○やのカラ○オ❤❤❤で印刷してくれはった宿題の内の、
“アルレーム(亜流連無)より、オーラについての解説”…を読んで欲しいねん。

ほんでから…最近、先生は、
“一二三(ひふみ)”のオーラは、水平磁場って概念を持つようになった。
水平磁場…先生的に大体、その仕組みは解ってるようやけど、
もう少し“上”から通信を受けて先生自身が理解を深めたならば、
そのうち詳しく、説明すると思いまんねん。

ほんでから次の文、
“三四五(みよいづ)の仕組とは、みよいづの仕組ぞ、”
これに付いては下つ巻 第九帖 Kellyさん的解釈からコピペしときまんねん。
       ↓

“この方は三四五(みよいつ)の神とも現われるぞ。”

“三四五(みよいつ)の神”は、
“三”=三つのオーラ、肉体を持った霊=○、荷電粒子の場(フィールド)が持つ、
上中下のローレンツ力によるオーラの発振、発信
“四”=、“四”は、象形文字で、
開いた口の中に、舌や咽頭が見える様子って事らしく、
それは“息をつく”って言う意味を持ってるやんか。
息・・・それは、 息と言う字の構成が自分の心(靈)で、
ほんでからに、自分の心(靈)の発振、発信が、息吹って事。

“五”=糸巻きの象形文字。肉体の磁性を構成する神経線維のこと。

“現われるぞ。”=発振、発信して示すってこと。

     
…以上でんねん。

そやからこの文章の後半の、
“御代出づとは神の御代になることぞ、この世を神の国にねり上げることぞ、
神祀りたら三四五の御用にかかるから、その積りで用意して置いて呉れよ。”

“上”の思惑を取り込んだ人(日止、霊止)は、“神の御代”になり、
そして、
アセンション後の霊的成長を目指す場(フィールド)を、
構築して行く(べき霊的資格を持った)人(肉体を持った心、靈)は、

“この世を神の国にねり上げる”

……言うまでも無く“国”って言う字は、
(囗)くにがまえ=場(フィールド)に“玉(ぎょく)”…霊的成長の仕組みをあらわす字が、
(囗)くにがまえに入ってるから、
それがほんまの意味での“国”って事でんねん。…“玉(ぎょく)”に付いては、
前のブログ“思惑と顕現”の前半を読んで欲しいねん。
(サイドバーにリンクが貼ってありまんねん)
そやから通常の“国”の認識、
それを、どっかの地域とかどっかの場所とか思う…今の地球人のとても低い心(靈)が生み出してる認識とは、大違いでんねん。
そんな、狭い、低い認識やからこそ、低い功名心と自尊心で、
他国にアホくさい“力”を示したりしまんねん。
そやから戦争しまんねん。
自国の経済…金儲けの為に兵器作ったり、兵器売ったり、人殺しでも何でもしまんねん。
そんな人が今の世界のトップでんねん。
ほんでから低い心(靈)の発現っていうのんは、
ほんま低いとしか言い様がないんやけど、
今、どっかの国の政治家の心(靈)の発現がとても低いことを示されてる。
そやけどそんな政治家の行為をなんとなく許してきた国民にも責任があり、
なんとなく許してきたことそのものが、
その政治家と同等の心(靈)の発現しかしてないからこそ、許してはいかん“悪(心の動きの本能化と低振動化)”やと思わへんねん。

まあエエわ…きっとそのうち低い心(靈)の発現の事象に付いては、
チョ~極上ラブラブ中高年夫婦の御主人はんとでも話す機会があるやろ。
御主人はんは低い心の発現の事象…特に、政治家に不満を一杯持ってはるからな。
そやから、そんな判りやすいことは置いといても、今、
“役員づら”してる人はとても多い。
飢餓や貧困…恨みの連鎖の霊的干渉を生み出している事象…自己奉仕者の心(靈)の動きが“創造”した結果の醜い事象…そやからそれは、ほかの国のことはどうでもエエなんて思うてる人は、アセンション後の世界には位置出来へんねん。
特に“日月神示”の解釈をしてる本の著者やそういう類のサイトに多い、
どっかの国の批判だけしてる人、
それは先生のセリフを引用すれば“事象を観察する視野が狭い”…その醜い事象だけ観て憂いてるだけで、そして批判してエラそうな事言うてるだけの人は、
さっきも引用したけど、下つ巻に入ってよく出てきてる表記の、
“役員づら”でんねん。
その醜い事象を引き起こす心(靈)の動きは、進化過程として誰にでもあり、
それを自分が“上”の心(靈)の発現をして=智性由来の観察をして、
今後この世界をどうしたらエエのか…そのために今、
自分は何を成すべきなのか…
それを思うてない人がほとんどで…ほんまイヤになってくるな。

話を戻し、次の文章、

“この神は世界中の神と臣民と、
けだものも草木もかまはねばならんのざから、御役いくらでもあるぞ。”

この文は、“上”の思惑はすべての生命(生きる使命=存在理由)に関り、
すべての生命は霊的成長に向かうべきであり、
そして、
すべての生命に使命があるからこそ、“御役いくらでもある”ってことでんねん。

ほんでから次の文章、

“神様と臣民 同じ数だけあるぞ。
それぞれに神つけるから、早う身魂みがいて呉れよ、
みがけただけの神をつけて、天晴れ後の世に残る手柄立てさすぞ。”

この文章の“神様と臣民 同じ数だけあるぞ。”…これは、
霊的成長度の程度により、(それは個人差でもある)
それぞれの生命の心(靈)っていうのんは、
程度も違えば、思惑も違い、やることも違う。
そしてそれぞれの霊的成長度に応じての霊的干渉がある。
それぞれの“上”の存在がある。
そやけど自分たちが神とか“上”とか認識している存在は、
絶対としての“上”ではない。唯一者としての“創造”の“主(ヌシ)”でもない。
そやから変圧の過程、自分と極端に違う存在の通信は受けない…受けることが出来ない。
それが“神様と臣民 同じ数だけあるぞ。それぞれに神つけるから、”…って事で、
ほんでからこの文の言葉、
“早う身魂みがいて呉れよ、
みがけただけの神をつけて、”…っていうのんは、
これは“身魂磨き”出来た人(日止、霊止)=肉体組織の結晶化をした人、
それは、体の旧字の“體(からだ)”…結晶化した骨が豊かな人…
先生の概念、“人(日止、霊止)が“宝玉(ほうぎょく)”になる“…
これは“日月神示”の表記の“石屋の仕組み”に対する言葉でもあるな。
そやから今言うて来たのは、
“上”の思惑と感応共振する肉体の仕組みを得た人に対する言い方で、
それは厳しい“行と修行”により、その苦痛を感じ(感じる磁性)た生体内電流で、
肉体組織の結晶化をして行き、
そして自分の心(靈)の動き=“どういうつもり”=自分の在り方で“行と修行”をして行くのか…それによって感応共振する霊的存在は変ってくる。
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“力”を得たいなら、
“悪”の行をすれば、悪霊が憑き、悪魔の傀儡になる。
“善(神格化の方向性と智性の受信)”の“力”を…その“善”の存在の思惑を知りたいのなら、自分が“善”を良く解っていなくてはならず、
それが“日月神示”内の表記の“身魂掃除”“身魂洗濯”やって今まで散々言うて来た。
自分の認識だけが自分に対する“善悪”を知る…それをよう知っとかなアカンやんか。
これに付いては前のブログ、“事象の形骸化”…を中心にして、
霊的干渉っていうのんは自分の心(靈)の在り方って事を先生は何回も言うてるから、
今の間違った霊の概念に囚われず、
霊的干渉の無い時は無い。
霊的干渉は自分の心(靈)の発振、発信による=“どういうつもり”=自分の在り方で何かをするのか?…それに拠る事をたくさんの人に理解して欲しいもんやな。

ほんでからこの文章の残り、
“天晴れ後の世に残る手柄立てさすぞ。”
天、晴れ=日と青、これに付いても今まで言うて来からあえて説明はしませんねん。
ほんでから“後の世”この表記も言うまでもなくアセンション後のことで、
“残る手柄立てさすぞ。”…今言うたばかりやけど、
自分が今、アセンションの情報も知って、この世界の醜い事象も知って、
その醜い事象の原因とも言い得る人の心(靈)の低い動きも認識して、
そして神格化の為の太陽凝視も知っていたとするならば、
アセンションを迎えるまでに自分は“どういうつもり”=自分の在り方で生きるのか?
何をするべきなのか?
そしてこの世界の醜い事象を変えていくために自分の“力”をどう扱っていくべきなのか?
…ほんま、下つ巻の解釈に入ってから何回も思わされることやな。

…ほんでから次の文章は、“上”からの通信の仕組みを表現してる。

“小さいことはそれぞれの神にきいて呉れよ、
一人ひとり、何でもききたいことは、病直すことも、それぞれの神がするから、サニワでお告うけて呉れよ、この方の家来の神が知らせるから何でもきけよ。”

この文が言うてることは、さっきも言うたけど、いきなり“上”の思惑を人は受信出来へん、それには霊的干渉の変圧の過程がある。
そやからそれは“創造”の“主(ヌシ)”=愛(炁)の始まりの存在とは、
振動が違いすぎて地球人は感応共振出来ん…当たり前でんねん。
そやからこそ人は自分が持っている認識より少し“上”のことしか解らない。
少し“上”しか解らない事そのものが、変圧の過程でもある。
ほんでからそれは判りやすい例えをすれば、
誰か人を見たならば…自分と同じ考えを持っているのではないのか?
自分と同じような考え方をするのではないだろうか?…そんな錯覚を生む原因でもある。
人が思うこと、それは霊的成長度によって=その人の認識の程度によって=“一二三”のオーラの大きさの違いによって、思想や認識は違う。
それを極端な言い方をしたならば、神と人は思う事が違う。
ほんでから今、地球人が低すぎるからこそ、
この世界が腐ってるなんて思わへん人のほうが大半…自己奉仕者が大半…なんやけど、
又々、余談やった。

そやから自分の霊的成長度に応じての“上”の存在があり、
色んな苦難や試練に遭遇しつつ、そこで自分がエネルギーを贖い(あがない)、
その心(靈)の動きの方向性により=自分の発振、発信(息吹=自分の心(靈)を吹く)により、自分の心(靈)が相対的に“上”ならば“上”からの通信を受け、
苦難を試練と思わず、認識を得る過程の事やと思わず、
ただ、逃げたいとか…その意味を考えないとしたならば、
“下”の存在との感応共振があり、目先の快楽に溺れたりして堕落して行く。
ほんでから、癒し癒しって求めるのも…それはただ甘い(亜、魔、出ずる、泉)傾向で、おんなじでんねん。
そやけどそれも、右往左往と左往右往なんやけど…
そやから人は色んな通信を受けつつ、段々、
自分が神に近づいていく“道”を知って行くんやろけど、
それは、審神(さにわ)…自分の心(靈)が神の方向性に近いのか、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の方向性なのか、
それを自分で判断せんならん。
そのことそのものが“日月神示”の表記の“身魂掃除”“身魂洗濯”でもある。
自分の心(靈)の動きの、
“善(神格化の方向性と智性の受信)”と“悪(心の動きの本能化と低振動化)”を、
自分で見極め=自分の在り方(“観自在”“直日(なおひ)”自省(胸の磁性“十”)の“行”)を自分で思い、
そして、(時間の進行と共に遭遇する)事象に対する、
発振、発信とも言い得る行動を、自分自身の心(靈)の動きで決定して行く。
それは自分自身の霊的成長=“一二三”のオーラの拡大の為に。
そやから…そうならんと、
進化の目的とも言い得る独り神(ひとりがみ)には成り得んって事でんねん。
そやからこの文章そのものが、
人の霊的進化への“道”と、その過程のことを示してるって事でんねん。

ほんでから前後するけど“病直すことも、それぞれの神がするから、”…
この文の“病”って表記は、ただの病気だけでは無く、
それは辞書を引けば当然、やまい、って意味もあるんやけど、
やまいが重くなる。欠点。わずらい。わずらう。きず。そこなう。くるしめる。
病国。病民。苦しむ。疲れる。うれえる(憂える)。思い悩む。心配。せめる。とがめる(咎める)…そしてうらむ(恨む)って言う意味まである。
そやから“病”って言うのんは、医者が対象にする何とか病では無く、
自分が未熟ゆえに起きていることを指し示していると思える。
そやから自分の在り方を考えんと、“病”は重くなり、
欠点になり、傷になり、苦しみ…煩う、患う。(どちらも“わずらう”って読ませる)
そやけどそれは、“思う、憂う”…日足(ひたり)の思いでもある。
そやから、咎める、責める…自省(胸の磁性“十”)の“行”でんねん。
そやけどアホな人は、アセンション後は医者が対象にする何とか病の無い世界に成ると思うやろな。
そやから今言うたことを簡単に纏めれば“病”って言うのんは、
自分に対する試練でもあり、
自分の今後の在り方を示す指標でもある。
それは先生が前に言うた言葉にも示されてるのでコピペしときまんねん。


“「アタシ的には、
批判すべきは、自分自身だけでいいと思っているから・・・ 
前回、般若心経の観自在で説明したように、自分の在り方を考えればいい。
他者を批判するのは、敵を作るだけにしかならない。」
「でも、批判されないと自分のいけないところに気が付かないでしょう?」
「気が付くのは、批判をどう自分が受け止めるか、ではないかい?」
「あっ、そうか!」 
「自分の在り方を考える事象として、受け止めるか?否か?でしょう。
そうなれば、
批判だろうが、悪口だろうが、
別の話のように思うかもしれないが、
病気だろうが、事故だろうが、殺されようが・・・ 
すべて自分の在り方を示す、忠告となる。」”・・・ (見え始めた日 参照)

…以上でんねん。

ほんでから次の言葉、

“病も直してやるぞ、その神たよりたなら、身魂みがけただけの神徳あるぞ。”

今言うたことと重複してるけど、自分が霊的成長したならば、
“上”との感応共振があり、
それは“その神たよりたなら、”…自分の心(靈)が“上”に向いていたならば、
“身魂みがけただけの神徳あるぞ。”…感応共振による通信を受けたり、
認識の拡大の為の苦難でも、それは良い形になって行き、
具体的に言えば、右往左往から左往右往…形骸の価値感で一応成功し、
そして、失敗したりして、
(最近そんなニュースばっかりやけど)
その時に砌(みぎり)のエネルギーが無くなり、
心(靈)が折れたときに自殺したりして、その後は悪霊になったりする人が、
これまでも多いし、これからもっと増えていくやろけど、
それに対し“上”との感応共振があり、
自分の心(靈)の在り方で“上”と感応共振してさえいれば、
自分が夭折(認識を得ないで早く死ぬ、真の不幸の意味)することは“上”がさせない。
それを思わせる文章でもある。

ほんでから次の文章、

“この世始まってない今度の岩戸開きざから、これからがいよいよぞ。
飛んだところに飛んだこと出来るぞ。
それはみな神がさしてあるのざから、よく気つけて居れば、
さきの事もよく分かるようになるぞ。”

“岩戸開き”…これも今まで何回も言うたから、
簡単に要点だけ言うときまんねん。
山=脳、
石=帯電するミネラル、結晶化していないミネラル、錯体、腹の水に多い。(“江戸と尾張”の“江”)
戸=“一”=智性=1番目のオーラと尸(しかばね、かばね)=肉体。

この文の後半は今までとは違う事象に遭遇する…そういう意味やねんな。
それは、今までが普通やとか、当たり前とかの通念があるからこそ、
“上”との感応共振の世界は違うし、
ほんでから今“下”との感応共振の結果が示されてる…そやから醜い事象が多い。
そやけどそれも霊的進化過程の一端であり、それを示す言葉が、
“それはみな神がさしてあるのざから、”…っちゅう事で、
“上”との感応共振があり“身魂磨き”=肉体組織の結晶化が出来ているならば、
先生の言い回しの“天の御目”の獲得になり、それは、
“よく気つけて居れば、さきの事もよく分かるようになるぞ。”って事でんねん。

ほんでから次の言葉、

“元の神代に返すと申すのは喩へでないぞ。
七から八から九から十から神烈しくなるぞ、
臣民の思う通りにはなるまいがな、それは逆立してゐるからぞ。”

“元の神代”…この“元”はこれも今まで何回も言うたから、簡単に言うとけば、
二+儿部(じんぶ、にんにょう)…肉体を持った生命、人が歩く様子(儿部(じんぶ、にんにょう))…それは時間の進行と共に霊的進化をして行く。
それが人の存在意義でもある。
そやから“七から八から九から十から神烈しくなるぞ、”
七=“一”=智性=1番目のオーラ+乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現)
八=左右の極性、
九=神の最後の“思惑の顕現”=現象化の形、人を指す。
それは、“日月神示”の表記の ○ 九 十(まこと)。
霊=○、荷電粒子の場(フィールド) + “一”=智性=1番目のオーラ +
丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現) + 乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現) + 胸の磁性“十”…シンクロトロン放射でんねん。

○ 九 十(まこと)の解字 
シンクロトロン放射の白光は、高い波長から低い波長まで発振、発信する様子を示してまんねん。

ほんでから次の言葉、

“世界一度にキの国にかかりて来るから、一時は潰れたやうに、もうかなはんと云ふところまでになるから、神はこの世に居らんと臣民申すところまで、むごいことになるから、外国が勝ちたやうに見える時が来たら、神の代近づいたのぞ、
いよいよとなりて来ねば分らん様では御用出来んぞ。”

“キ”は、前のブログでKellyさんが解釈したから、コピペしときまんねん。
     ↓


“カイの御用はキの御用であるぞ。
臣民はミの御用つとめてくれよ。
キとミの御用であるぞ。
ミの御用とは体の御用であるぞ。
身養う正しき道開いて伝えてくれよ。
今までの神示読めば判るようにしてあるぞ。”

…“キ”って言うのんは
2~3番目のオーラの中を通って、
向かって左から右下に降りる縦棒みたいに見える。
そやからそれは、
“上”の思惑が日足(ひたり)から砌(みぎり)に降りる。
(思惑と顕現“その十一” “上”の思惑と顕現…“天の御目”)

     ↑

…以上でんねん。

そやから“キの国にかかりて来るから、”は、
霊的進化を阻む思惑=“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)の思惑の現象化で、そやから次の表記、
“外国が勝ちたやうに見える時が来たら、神の代近づいたのぞ、
いよいよとなりて来ねば分らん様では御用出来んぞ。”

外側(外国と幽界)の事象は、今低い心(靈)の発現の人たちの価値感で動き、
価値のあるものは形骸になり、
それは低い欲望の象徴でもある(通貨としての)金によって動き、
大半の人は(通貨としての)金に囚われ…その価値感の奴隷になり…それは、
捕らわれるって言うたらエエやろけど…その現象の極みが今起きてる感じ(感じる磁性)やな。
そやから今まで何回も言うて来たけど、
アセンションを通り越すには…右往左往から左往右往の段階に入り、
色んな醜い事象を観察し、自分の在り方を振り返り、
そして、自省(胸の磁性“十”)の“行”をする…して行かんならんやん。

 
そやからこそ、
“一時は潰れたやうに、もうかなはんと云ふところまでになるから、神はこの世に居らんと臣民申すところまで、むごいことになるから、” ……そんな事象を観察せんならんのやな。

…今回は…これくらいにしときまんねん。

(グリムスキーワード 京都議定書)

“日月神示”下つ巻 第十三帖 Kellyさん的解釈



今回も“日月神示”下つ巻 第十三帖を解釈しまんねん。
原文は以下の通り、


逆立ちして歩くこと、なかなか上手になりたれど、そんなこと長う続かんぞ。
あたま下で手で歩くのは苦しかろうがな、
上にゐては足も苦しからうがな、
上下逆様と申してあるが、これでよく分るであろう、
足はやはり下の方が気楽ぞ、
あたま上でないと逆さに見えて苦しくて逆様ばかりうつるぞ、
この道理分りたか。
岩戸開くとは元の姿に返すことぞ、神の姿に返すことぞ。
三(みち)の役員は別として、あとの役員のおん役は手、足、目、鼻、口、耳などぞ。
人の姿見て役員よく神の心悟れよ、
もの動かすのは人のやうな組織でないと出来ぬぞ。
この道の役員はおのれが自分でおのづからなるのぞ、それが神の心ぞ。
人の心と行ひと神の心に融けたら、それが神の国のまことの御用の役員ぞ、
この道理分りたか。
この道は神の道ざから、神心になると直ぐ分るぞ、金銀要らぬ世となるぞ。
御用うれしくなりたら神の心に近づいたぞ、
手は手の役、うれしかろうがな、
足は足の役、うれしかろうがな、
足はいつまでも足ぞ、
手はいつまでも手ぞ、それがまことの姿ぞ、
逆立して手が足の代りしてゐたから よく分りたであろうがな。
いよいよ世の終りが来たから役員気つけて呉れよ。
神代近づいてうれしいぞよ。
日本は別として世界七つに分けるぞ、
今に分りて来るから、静かに神の申すこと聞いて置いて下されよ。
この道は初め苦しいが、だんだんよくなる仕組ぞ、
わかりた臣民から御用つくりて呉れよ、
御用はいくらでも、どんな臣民にでも、それぞれの御用あるから、
心配なくつとめて呉れよ。
七月の十八日の夜、ひつくのか三。


冒頭の文の、

“逆立ちして歩くこと、なかなか上手になりたれど、そんなこと長う続かんぞ。”

これは明らかに、
人(日止、霊止)の進化の方向性が、今、間違っていることを指摘してる言い方…敢えて言うまでもないことやな。
そやから人(日止、霊止)の進化…それは人間だけでは無く、
すべての生命の進化は、神格化でしかなく、
さらにそれは、生命(生きる使命=存在理由)の意味と意義でもある。
ただ、今の地球人は無知で、そのことをしっかり知らへんだけや。

ほんでからここ何百年…あるいは何千年…人の神に対する認識は、
進化=神格化の意味を見失っている。
そやからこそ“上”の存在は、進化の方向性を人が見出せるように、
特定の人を選び、憑依現象や通信を送ったりして宗教の開祖とした。
すべてそれは…“上”は、ただ人の霊的成長を望んでいる…それは、
“日月神示”でもそうでんねん。
S会=紫光会でも…ローム太霊さんの言うたことでもそうでんねん。
他にもたくさんありまんねん。
そやから“上”は“下”に教え、“下”の生命の霊的成長を望んでる。
そやけど…それすらしっかり認識してない人が多い…そやから既成宗教は、
形骸になった。
そやけど、今、形骸になってる宗教は、元々形骸では無かったやんか。
それは、日本の場合で言えば、
大化の改新より少し前くらいから、豪族が自分たちの権力のために天皇を利用した。
権力を得たいって心(靈)の動きは、言うまでもなく、
腹の段階の心(靈)の発現でもある。
“石屋の仕組み”…帯電するミネラルが固まってない進化過程でもある。
自我の確立=固定化の段階でもある。
マニピューラチャクラの心(靈)の発現でんねん。
そやから、
権力を得て低い功名心や自尊心を得たいって心(靈)の動きでもある。
そやけど一般にそんな見方はされてないし、そんな分析すら出来てへん。
それは分析する人の心(靈)の発現が低いからや。
学者さんの大半が、腹の段階の心(靈)の発現しかしてへんからや。
そやから天皇と豪族…そして今の天皇制…そこに霊的成長って要素が無いことを、
見抜けない。

…そやからKellyさんが言いたかったのは…天皇が形骸のものになって、
形骸のまま千何百年も経過してる。

先生の私見による、ほんまの意味での天皇は、
天の白い王を縮めて天皇…それを、さらに詳しく解字すれば、
“一”=智性=1番目のオーラ +
人(丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)+乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現)) +
白(クンダリーニの白光、胸の磁性“十”によるシンクロトロン放射…肉体が持つ縦の磁性と横の磁性による円形粒子加速器の構造) +
王(三つのオーラの基底、水平磁場、それを縦の磁性(たて棒、コン)、クンダリーニでつないだ様子、クンダリーニの覚醒は頭の水平磁場の強化無しでは有り得ない)

天皇の解字 

そやから天皇=天の白い王…水平磁場の強化が高い振動の“上”の思惑=高い振動の電磁波との感応共振をして自分の心(靈)の構築になり、
それは段々、“上”…最終的には神と同等の思想を持つようになって行く。
そして人々に“上”の思惑=詔勅(みことのり)を述べ、
天皇自身が“上”の思惑を取り込んだ思想を示し、行動を示し、
それは天意を受けた人(日止、霊止)ってことでもある。
ほんでから、“上”の思惑を受信する、自分の思想になる…それ由来の行動をとる。

ほんでからに、“上”の思惑、神の要素、
進化って言うのんはその取り込みの段階を示しているってのが、
先生の私見でもある。
ほんでから、進化=神格化…それは真の幸福の意味でもある。

だんだん話が逸れてきてしまってるけど、
進化の本当の意味、
そして、
神の思惑の顕現…誰もが神に近づくための世界を、人(日止、霊止)が構築して行く…
それはある意味、神の理想なんやろけど…
そやからそれは“創造”の“主(ヌシ)”が、人に託したことでもあると思える。
そやけど、地球人の低い心(靈)の発現って言うのんは、
価値のあるものを何でも形骸にして、自分たちの利益のためだけのものにして来た。
そやから今の地球人の認識や価値感や…それが“上”と“下”で入れ替わってる。
そやからこそ物質偏重で心を見失い、多くの人が金儲けのためにしか仕事をしていない。
そやからそれは、
今の世界は“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”が中心で、そんな文明…この世界の現津(あきつ)=観察され得る事象は、崩壊する。
崩壊することが教訓になる。
そやから、ほんまの幸福(神格化)を忘れ、
形骸のものばかりが“力”を示す世界がこの世界、
そやからそれは右往左往の世界、
失敗を体験して自分たちの在り方を認識する世界、
そして自省(胸の磁性“十”)して霊的成長する世界、
…今まで色んな言い方をして来た。
そやけどその体験が無いと人は、霊的成長を果たすことが出来ない。
そやから、心(靈)の発現=進化過程として、
“恨みの連鎖は必然”って言い方を先生は前のブログでしたことがある。
しかし…今そのことを知っておけば、自分の認識は随分違うものになり、
その認識所以の観察は、
自分の在り方を真に知っていくことに成り得ると思えるやんか。

…ほんでから以下の文章も同様の意味でんねん。

“あたま下で手で歩くのは苦しかろうがな、
上にゐては足も苦しからうがな、
上下逆様と申してあるが、これでよく分るであろう、
足はやはり下の方が気楽ぞ、
あたま上でないと逆さに見えて苦しくて逆様ばかりうつるぞ、
この道理分りたか。”

これはあたま=思惑
足=時間の進行、儿部(じんぶ、にんにょう)の意味でもある。
(人が歩く様を象る)
そやからそれは、心が時間の進行と共に事象を感じる。
生きているって認識していることでもある。
今Kellyさんが言うたことを詳しく述べるならば、
心(靈)が、時間=空間の回転による磁場=時期(磁気)の進行と認識され得る時間の認識、振動を受けながら受発信して、現津(あきつ)=観察され得る事象を心(靈)が感じ(感じる磁性)て行く。
心(靈)って言うのんは、磁性で出来ている。
荷電粒子を集めながら事象の認識をしている。
それが心(靈)の本質で、電磁波は思惑そのもので、
“上”の思惑を取り込まなければ神の思惑を理解出来んし、自分の思想にも出来んし、
神が人(日止、霊止)に託したことも理解出来んし、
神の理想と人(日止、霊止)の理想が一致するなんてことも理解出来ん。
そやから“上下逆様”とか言われてる。
ほんでから“苦しくて逆様ばかりうつる”…これは、さっき言うた、
神格化の方向性を見失った事象のことを言うてると思える。


ほんでから次の言葉、

“岩戸開くとは元の姿に返すことぞ、神の姿に返すことぞ。”

この文の“元の姿”元は“二”肉体のオーラと儿部(じんぶ、にんにょう)
“日月神示”でいわれてる““岩戸”=山(脳)+石(腹の水の中の帯電するミネラル)+“一”=智性=1番目のオーラ+尸(しかばね、かばね、肉体の事)開き”は、
“上”の思惑を受信して発振、発信する仕組みでもある。

ほんでから次の言葉、

“三(みち)の役員は別として、あとの役員のおん役は手、足、目、鼻、口、耳などぞ。”

この文の中の“三(みち)の役員”は、
“三(みち)”って言うのんは、人(日止、霊止)の完成された姿、
三つのオーラがすべて拡大した様を言うてると思える。
そやから、
そのために太陽凝視を教えてくれたKさんは、太陽凝視をしはった、
そのオーラの変化を観測した先生は、その真似をしてる…30年以上真似してる。
三つのオーラがすべて拡大したならば、それは、
神の思惑を顕現出来る生命(生きる使命=存在理由)と言い得る。

この文の後半の、
“あとの役員のおん役は手、足、目、鼻、口、耳などぞ。”…は、
“手、足、”は、2~3番目のオーラの発振、発信に関ってる。
物質世界の事象の創造に関わっている。
ほんでから“目、鼻、口、耳など”って言うのんは、五感やと思う。
そやからそれは、前のブログで先生と、
感覚って言うのんはすべて電磁波の受信やって話をした。
言い換えれば、究極微粒子で構成されている自分の心(靈)は、
物質っていう振動である肉体を介し、
自分の外側(外国と幽界)の認識を、
電磁波の受信によって観察して認識している。
それが感覚ってことでもある。
感覚があるからこそ、事象の観察が出来る。
事象の観察があるからこそ、認識の拡大がある。
認識の拡大は神格化と同義でもある。

そやから次の言葉は、今言うたことを含め、

“人の姿見て役員よく神の心悟れよ、
もの動かすのは人のやうな組織でないと出来ぬぞ。”

“人の姿”…人は人の心(靈)だけで行動を決定していない。
様々な霊的干渉を始終受けている。
自分の思惑に感応共振する霊的存在が居てる。
そしてその霊的存在には“上”と“下”がある。
自分が“下”の心(靈)しか発現して無かったら“上”との感応共振は有り得へん。
そやから“人の姿見て役員よく神の心悟れよ、”って言うのんは、
人の思惑の顕現…どういう動機で行動しているのか?…それをよく観察して、
神格化の方向性を見出していく…それが“役員”と称されてる。
ほんでからこの世界を良い世界にしたいって神の思惑があるからこそ、
“もの動かすのは”…物質の世界の事象は、
“人のやうな組織でないと出来ぬぞ。”…神の思惑だけでは出来ないってことでんねん。
物質世界にいてる生命やないと、物質世界の“創造”は出来へんってことでんねん。
そして“上”は、人に、
神の思惑を含んでいる荷電粒子で降り注ぎ、
人に受信させ、
人の思想にして…人(日止、霊止)自身が事象の“創造”をする。
ややこしい言い方をすれば、
日止、霊止…“上”からの振動を止める生命(生きる使命=存在理由)が、
“上”からの振動…高波長、高振動…を取り込んで、
心(靈)も体も創り変わり(高い振動での“気血栄衛(營)”)、
今より相対的に“上”の思想を顕現した世界を創っていく。

ほんでから“上”の高い思惑は、低い振動では伝えられへんから、
高い波長の電磁波、そやから光を食わんならん…太陽凝視せんならん。
太陽凝視=神格化のための“行”っていう認識を先生は持ってて、確信してはる。
そして“上”の思惑を取り込んだ人(日止、霊止)が、
次の世界の“創造”に関与する資格を持つ。
今、腹の段階の心(靈)の発現の人は=自己奉仕者の人は、
次の世界=アセンション後の“創造”を担う資格がない。

…ここまでの“日月神示”の文章には、それを感じさせるものが多いやん。

ほんでからに次の言葉、

“この道の役員はおのれが自分でおのづからなるのぞ、それが神の心ぞ。”

自分の認識、悟り、幸取=さとり、それは霊的成長度による違いがある。
心(靈)が“上”に向かっていないからこそ今の事象は、
“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の“創造”による、崩壊に向かう世界でもある。
自分たちが自分の存在意義を知り、存在の目的を知り、そして進化が神格化で、
真の幸福の意味は神格化で、
すべての生命のゴールは神格化で、
それを“この道”と称し、
神格化を理解して行く過程を、以下の言葉、
“この道の役員は”…神格化って認識を獲得した人は、
“おのれが自分でおのづからなるのぞ、それが神の心ぞ。”…自分で神格化への道を見出し、
“行”をする…そやから“おのづからなるのぞ、”…で、
言うまでもなく、人(日止、霊止)の存在意義は神格化だからこそ、
“それが神の心ぞ。”…神の思惑ってことでんねん。

ほんでから、次の文章、

“人の心と行ひと神の心に融けたら、それが神の国のまことの御用の役員ぞ、
この道理分りたか。”

この文は、人(日止、霊止)が霊的進化したなら、
神の思惑を取り込み、人の思想になる事を示している文章でんねん。
敢えてこの文章内の言葉で指摘しておくならば、
“人の心と行ひと”…心(靈)の発振、発信と
“神の心に融けたら、”…“上”の存在である神と“下”の存在であるである人が感応共振したならば、
次の言葉“神の国のまことの御用の役員”…神格化を自覚し“行”をして、
そのオーラの発振、発信で事象の“創造”を果たしていく。

ほんでから次の文章、

“この道は神の道ざから、神心になると直ぐ分るぞ、金銀要らぬ世となるぞ。”

さっきの豪族のことでもそうやけど、今の人が、
低い心(靈)の発現で“金”の奴隷になってるからこそ、
価値のある何かは形骸になった。
(通貨としての)金と権力…それが“力”やと思うてる。
それが一般的…それが社会通念…そして、
低い功名心と自尊心を満足させる権力と、
見せ掛けの幸福の象徴の(通貨としての)金は…本当のことを見失わせる。
人の“悪(心の動きの本能化と低振動化)”を促進してる。
敢えて説明することでもないな。

ほんでから、

“御用うれしくなりたら神の心に近づいたぞ、
手は手の役、うれしかろうがな、
足は足の役、うれしかろうがな、
足はいつまでも足ぞ、
手はいつまでも手ぞ、それがまことの姿ぞ、
逆立して手が足の代りしてゐたから よく分りたであろうがな。”

これは“手”と“足”
2~3番目のオーラの発現に関わる電磁誘導のラインが、
経絡(ツボの流れ)って概念を先生は持ってるけど、
それはいつか先生が、
太陽凝視を行っている鍼灸師の話“改”で説明するやろから、
ここでは省き、
やはり“手”と“足”は、物質世界の事象の創造に関わる意味ってことやと思える。

頭=思惑だけではこの世界の“創造”は出来ん。
そして“上”と“下”が逆転してる世界になってしもてるから、
“逆立して手が足の代りしてゐたから よく分りたであろうがな。”
…ってことやと思いまんねん。
そしてローム太霊さんが定義した主護霊と支配霊、
支配霊の“支”って言う字は、
“十”、縦の磁性と横の磁性と、
“又”…この字は手足を示す字でもある。
ほんでからそれは、
主護霊は人の霊的成長に関り=心(靈)の成長と心(靈)の在り方に関り、
支配霊は、心(靈)の動きで事象を創造する…自分の“思惑の顕現”=現象化に関わる存在でもある。
そやけど、
主護霊と支配霊…ローム太霊さんがそう定義付けた理由に付いて、
ここで述べると…とても長くなるから別の機会にしっかり解釈するとして、
要は、人の思惑=日足(ひたり)は、主護霊で、
“思惑の顕現”=現象化は砌(みぎり)で支配霊であるってことでんねん。

ほんでから次の文章は、アセンションのことを言うてる。

“いよいよ世の終りが来たから役員気つけて呉れよ。
神代近づいてうれしいぞよ。”

“世の終わり”…今の“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の世界は崩壊し、
人の心(靈)は自省(胸の磁性“十”)して、
それからその後、
“神代”……これは、アセンション後に位置出来る霊的成長を果たした人(日止、霊止)の、場(フィールド)を指している言葉でんねん。

ほんでから次の文章、

“日本は別として世界七つに分けるぞ、
今に分りて来るから、静かに神の申すこと聞いて置いて下されよ。
この道は初め苦しいが、だんだんよくなる仕組ぞ、
わかりた臣民から御用つくりて呉れよ、
御用はいくらでも、どんな臣民にでも、それぞれの御用あるから、
心配なくつとめて呉れよ。”

この文章の始めの、
“日本は別として世界七つに分けるぞ、”…これは、
場所とか地域とか国とかを分けるとかって思うやろけど、そんなことを言うてるとは、
とても思えへん。
それに付いてのKellyさん的解釈は後述するけど、その前に、
“日本”は、
太陽=日、
本=胸の磁性“十”と丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)と乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現)と根元に書かれてる“一”…これも水平磁場を示すと思うやんか。
そやから“本”に付いては上つ巻 第一帖で、前に解釈したことがあるから、
コピペしときまんねん。
     ↓

“晴れたり、日本晴れ”・・・は、
“日”=創造主の振動の場(フィールド)=太陽。
“日本晴れ”の“本”って言うのんは、
漢和辞典をみると、
木の太い根のところにつけた“一”は、
それは印って言う意味があって、
その場所を示していて、木の根もとの部分とか“もと”とか・・・の意味を持つ。
ほんでからに物事の根源とか中心になるものとかの意味もあるやん。
そやから本題とか本当とか本質とか・・・
そう言う表現に使われる字でもある。
それは、Kellyさん的に思うんは、
自省(胸の磁性“十”)に儿部(じんぶ、にんにょう)+“下”の右往左往。
それが“本”って言う字でもある。
そやからそれはちょっと解り難いけど、
自省、“直日(なおひ)”・・・胸の磁性“十”に、 
“下”の右往左往でもある“一”・・・これは位置から言って、
“三”の一番下の“一”。
ほんでからにそれを全部足して、日本晴れ。
これは文章どおり“二二(ふじ)”に掛かる言葉で、
人(日止、霊止)のあるべき肉体・・・神に近づくべく肉体の事を、
言うてると思いまんねん。

     ↑
以上でんねん。

要は“日本”っちゅうのんは、
霊的進化を果たして行く心(靈)のことなんやけど、
その進化した心(靈)の事象の観察は、
すべての事象は人の心(靈)の動きで出来ていることを知る…認識する。
そういう意味で“日本は別として世界七つに分けるぞ、”
世界は、事象は、七つのチャクラの心(靈)の動きで出来ている。
それを先生は、心(靈)の構造として、
本能、情動、功名心、自我、愛(炁)、創造、知恵、智慧、智性という振動って定義した。
それぞれ“下”から“上”のチャクラの心(靈)の発現でもある。
それに付いては“クンダリーニの白光”を読んで欲しいねんけど、
今の世界は“下”三つのチャクラの覚醒段階やからこそ、
本能と情動と功名心と自我…その心(靈)の動きで自己奉仕者が活躍している。
今後は=アセンション後は、
愛(炁)、
(良い形の)創造、
(人を神格化に結び付ける知識としての)知恵、
(知識としての知恵を智性で使いこなす意味での)智慧、
智性(神性)…
そういう心(靈)の発現が無ければいけないし、その心(靈)の発現をしたならば、
“上”から“下”を観ると、
すべての事象の形成の理由とも言い得る心(靈)の発現の段階を認識出来得るやんか。
そやから、現津(あきつ)=観察され得る事象って言うのんは、
人が感じてるこの世界は…人(日止、霊止)が感じ(感じる磁性)てるこの世界は、
自分たちの心(靈)と、“上”の思惑で構成されている。
それが“創造”…神の思惑と、生命の思惑、電磁波(振動)の相互干渉で、
神と人(日止、霊止)のオーラの相互干渉でもあり、
それは七つのチャクラ(肉体が持つ縦の磁性により回転させられている荷電粒子を示す)による心(靈)の発現で、創造されている。
そのことを示す字が、
人、日止、霊止、
“上”の思惑を止めるって言う字でもあり、
人は丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)と乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現)で構成され、
人が歩く様に象る儿部(じんぶ、にんにょう)は、時間の進行を示す。
時間の進行を認識しなければ“創造”は出来ない…当たり前のことでんねん。

そやから“日月神示”でよく使われてる表記の“日本”は、
霊的進化の根本みたいなことでんねん。
そして、人と神のオーラの相互干渉を示してる。
ほんでから、神の思惑を顕現するのは、
太陽=“日”を自分に取り込み、そして時間の進行と共に(本=胸の磁性“十”と儿部(じんぶ、にんにょう)=人が歩く様子に象る)行動して行く。

Kellyさん的にはこの文章を読んでそういう解釈しか出来へんのやけど…
そやけどこの文章も、右翼傾向の強い人なんかが読めば、
日本だけが神国で、日本人だけが素晴らしいなんて勝手な解釈をするんやろけど、
Kellyさんが言いたいのは、
神が評価する、神が求めてる人間って言うのんは、
どれ位、霊的成長したのか、
どれ位、“行と修行”をしたのか、
どれ位、神に近づいたのか、
どれ位、神の思惑を顕現してこの世界を霊的成長の場(フィールド)にしたのか、
そのためにオーラを大きくして=水平磁場を大きくして、
“上”からの荷電粒子=神の思惑を取り込めるのか、
言い換えれば、神の思惑をどれ位自分の思想にできるのか、
それがまた“日月神示”によく出てくる、
○とローレンツ力 ローレンツ力
○は、靈で、荷電粒子の場(フィールド)、
それを合わせて ローレンツ力と ○ って表記されてると思える。

ほんでからこの文章の後半、

“わかりた臣民から御用つくりて呉れよ、
御用はいくらでも、どんな臣民にでも、それぞれの御用あるから、
心配なくつとめて呉れよ。”

“御用”は霊的成長そのもののことでしかない。
御用を認識するのは神さんへ近づくことを認識するのと同義でんねん。
当たり前でんねん。
“御用”をしている人の世界は、神聖な事象になるに決まっている。
そやから、
自分たちの霊的成長=オーラの拡大をして“上”の思惑と感応共振して、
神の思惑を理解して自分の思想にして行動して…それが、“日月神示”内の表記では、
“役員”とか“御用”とか言われてる。

そやけど……“日月神示”の言葉を、
今の世界の批判だけに使い、“役員づら”して低い功名心や自尊心を満足させている人、
そういう類のサイトとか…そして、
“日月神示”の解釈本を売って自分の利益だけにしている人…そういう類の人たちは、
“わかりた臣民”とは言えへん。

ほんまに“役員”“御用”…それを考えるならば、
今、自分たちは何をせんならんのか…
この星の低振動化を阻むには何をするべきなのか…
それを考えんならんと思えるやんか。
このことは、下つ巻の解釈に入り…そのことを思わせる文章が多い。
そやから前にも言うたことやけど、
“役員づら”…そんな心の動きを持たんようにせんならん。
今回もそのことを強く思うたから、敢えて…言うときまっせ。

今回はこれくらいにしときまんねん。



真の意味での“主護霊”と、間違った解釈の“守護霊”…その違い。




今回は表題の通り、
何でローム太霊さんが、主護霊って書き記すようにS会=紫光会で言うたのか、
それについての先生の解釈を、説明したいと思いまんねん。
その前に、今、主護霊の概念はとんでもなく低いものになってる…そのことは前のブログで先生と何回も話したことやけど、
憑いている存在は自分を守ってくれている…護ってくれている…そう思うからこそ、
主護霊を守護霊って書き換えたりするんやろけど、
守る、護る、霊…そんな言葉の使い方を高い存在はしないと思うやんか。
ほんでからローム太霊さんが伝えた主護霊の定義と意味と意義…ほとんどの人がそのことを真剣に思うてない。
ほんでから“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の存在の思惑は、
ほんまの意味での主護霊と感応共振させたくないからこそ、
低い霊的干渉で“力”を示させたり、低い霊能力者を活躍させたりもする。
そんな事はいまさら詳しく説明はせんけど、せめてこのブログに霊縁あった人に知っておいて欲しいのは、
主護霊って情報を正確に詳しく伝えた存在は、ローム太霊さんだけで、
他にはいてへんねん。
ほんでからS会=紫光会に取材に来た漫画家が主護霊を題材にした漫画を書き(うしろの百太郎 つのだじろう)、
そして主護霊って言葉が一般に知られたんやろけど…それは、
言葉だけが知られたに過ぎないに等しい。
そやから、主護霊の字を観て、
霊的に低い人は、
主に、護る、霊…そんなふうにしか思わへんのやろ。

そやから“主”…この字のことをいま少し言うとけば、
“日月神示”下つ巻 第十二帖で、
Kellyさんが“十柱”って言葉を解釈した時に、
“柱”って言う字は木部と主…
そやから、その“主”って言う字は、
ローレンツ力 ローレンツ力 と、
三つのオーラと、
(たて棒、コン)…この解釈はすべて磁性の形の違いってことでんねん。

一つ一つ言うとけば、
ローレンツ力 ローレンツ力 は磁束が無いと発生しない力でんねん。
ほんでからローレンツ力 が“上”から降り注がれる荷電粒子を引き寄せ、
自分の場(フィールド)に取り込み(霊=○、荷電粒子の場(フィールド))
回転させる様子が、
“一二三”のオーラ、
“一”=智性=1番目のオーラと“二”2~3番目のオーラの表記になってる。
それが全部組み合わさると“三”になり、
それを縦の磁性でつないだカタチが“王”でんねん。

ほんでから今、縦の磁性のことを少し言うとけば、
先生は、下等な生物から高等な生物に進化して来た過程は、
蛋白質の結晶化により縦の磁性が出来始める…それが遺伝子やって、
太陽凝視を行っている鍼灸師の話“改”で説明してるつもりで、
そやから今、原生動物の…ゾウリムシとかアメーバとかホシズナとか単細胞生物を先生が観た視点で文章を書いてはる。
そやけど…中々原生動物から先に進まへん…先生、変な生き物好きやからな。

話を戻し、
原生動物から進化して軟体動物になり、段々進化って言うのんは骨を持つようになり、
そして背骨を持つようになる…それは魚とかでんな。
そうなると頭とシッポの縦の磁性の発現が強固になるってことで、
それが示されてるのが“王”の(たて棒、コン)やって先生は思うてる。
ほんでから魚から両生類、爬虫類、鳥類、哺乳類…人間…そうやって進化して来た過程って言うのんは、肉体の磁性の強化とその変容やって先生は思うてる。
ほんでから“三”…“一二三”のオーラ…
これは縦の磁性ありきで、
縦の磁性が無ければオーラは三つにならず、
そして縦の磁性のローレンツ力 ローレンツ力 で荷電粒子が回転し、
そして構成されている水平磁場が三つのオーラって考えを持ってはる。

主(ヌシ)の解字 
先生はそこまでのことを“改”で説明しようとしてはるんやけど…変な生き物好きの先生は中々ゾウリムシ君から先に行かれへん。

まあ先生の変な生き物好きは一部で有名やから…それはおいといて、
そやから、
主護霊の“主”…ヌシって言うのんは、
ただ、主に(おもに)護る霊なんて薄っぺらい意味ではなく、
人(日止、霊止)が独り神(ひとりがみ)になる仕組みを表してるとKellyさんは思いまんねん。
そやからこそオーラが大きくなり、オーラの質も高いものになれば、
“上”から降り注がれる荷電粒子…と反応をする。
当然…先生もそう思ってるに決まってまんねん。
そやからこそローム太霊さんは、
人が神格化する仕組みともいえる、今言うた要素、
ローレンツ力 ローレンツ力 と、
“一二三”のオーラと、
(たて棒、コン)=縦の磁性…
それを護る霊…そやから“主護霊”って表記で書き記せって交霊会で言うたと思いまんねん。

ほんでから…なんで今、こんな記事をアップしたのかって言うと、
主護霊と低い解釈の守護霊…その違いに付いていずれKellyさんは、
このブログで述べていくつもりやったし、今までも何回も先生とその話はした。
そやけど、
今度発売される先生の本、その著者のプロフィールに、
“主護霊”って表記があるんやけど、
何の手違いか… 守護霊って書き換えられてる。
先生は、たま出版のお偉いさんと電話で、
“しゅごれいは守護ではなく、主護霊と書き表すべきです…”って話をしたんやけど、
うまく通じて無かったかも知れへんし、
著者のプロフィールを先生自身がパソコンに打ち込んだときに、
ゲラと一緒に、
印刷したものを出版社に送っただけやった。
ほんまはWordの添付ファイルも送り、そして打ち合わせすべきやったって後悔してはる。


そやから、
太陽凝視を行っている鍼灸師の話《1》ローム太霊との出会い…の、
初版本の著者のプロフィールは、
誤植があることを知って欲しいからでんねん。

悪しからず御了承くださいでんねん。

そやからここで、先生が自分のプロフィールをどう書き記したのかを、
原文のまま公開しときまんねん。

“著者のプロフィール

1955年12月 愛知県名古屋市生まれ。名古屋市東区在住。
鍼(はり)灸(きゅう)マッサージ治療(予約制)児玉療院を一人で自営。
学歴も地位も名誉も金も無い…屁理屈の多い偏屈なただの鍼灸師。
本文中にもあるとおり、18歳の誕生日にあるきっかけで霊眼が覚醒し、その直後、霊縁により太陽凝視を知り、また、T霊媒=竹内満朋主催のS会=紫光会霊団に入会を許され、竹内満朋の稀有な能力により自身の主護霊との直接談話にて様々な指導を受ける機会に恵まれた。その後、様々な霊的存在やオーラを観測し、同時に“行”を行いつつ、神や霊や人(日止、霊止)の存在の意味と意義を追求し始め、そして33歳の時霊眼を消失し、その意味を自分に問いつつ、同時に“上”の霊的存在との交流をはかり、自分の在り方も考え、さらなる“行”を行いつつ…現在も時間の許す限り太陽凝視をして…この世界=事象に不満を抱きつつ…現在に至る。
著者の名前の児玉登は、本人曰く、漢字の音訓を読み替え並び替えると(アナグラム)、言霊(ことだま)の意味を持つ。
ちなみに本文中のKellyさんと○○○大先生は、著者の心の二面性(感情と論理)が表れているとのこと。”

…以上でんねん。

Kellyさん、チョ~極上ラブラブ中高年夫婦に“気血栄衛(營)”の話を少しだけして、それからお二人に…チョ~屁理屈交じりの説教を…垂れまくる。



いつものようにKellyさんは、近所のスーパーに食料品の買い物に行きましてん。
そしたらいつかみたいに…

“あら~~Kellyさん~~こんにチワワ ▼♡。♡▼」」」」~~~
ち~となり~や~とかめですね~~
今日は~❤❤❤○○ちゃん❤❤❤と一緒ですけど~~
また~す○きやラーメン行きませんか~~ちょっとお話したいんですけど~~”

……って、チョ~極上ラブラブ中高年夫婦の奥さんに、
ほんのちょっとおばはんギャグ交じりの挨拶をされましてん。
そやからその後、チョ~極上ラブラブ中高年夫婦のお二人はんと、
す○きやラーメンを啜りながら話をしましてんな。
その時のことを紹介するつもりなんやけど……その前に、今回は、
先生のブログ始まって以来の三人での会話やから、
ちょっと複雑になるかもしれへんので、登場人物を紹介しまんねん(笑)

ご存知Kellyさんでんねん→ Jo
チョ~極上ラブラブ中高年夫婦の御主人はんでんねん→ -| ̄◇ ̄|- 
チョ~極上ラブラブ中高年夫婦の奥さんでんねん→ ≁ξ*ο*ξ≁


☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀

ズルル~~ズルル~~チュルルルル~~~~~~ズルルルゥゥゥゥゥ~~~~~
す○きやラーメン啜りちゅうでんねん 
-| ̄◇ ̄|- 「実はKellyさん、
もう何年も前から先生に伊吹山に行けって言われてるんですが、
今年こそ、今年こそ、今年こそ…って思いながら、もう五年にもなるんですけど、
ちっとも行けない……。
先生にそう言われてから…行かなければ…行かなければって思うんですが…
行こうと思うと用事が出来たり、今日こそは行くぞ!…って思っていると、何か疲れてしまった感じで行く気にならなかったり…そんなふうで…いつのまにかシーズンが終わってたりするんですよ。
それを先生に話すと“上”から許可になっていないって言い方をするんですが…その言い方自体もちょっと意味不明ですし……どういう意味なんでしょうね。」
Joし「それを考える前に…
先生がなぜ伊吹山に行けって言うたのか…それはご主人はんは解ってはるんですやろ。」


-| ̄◇ ̄|-「ええ…今までと違う振動を受けて来い…そんな言い方をしたことがあるんですが、
自分たちにはその言い方自体も…ちょっと謎ですよね。」
≁ξ*ο*ξ≁「私にも~~今までと違う振動を受けたらいいとか~
だから~花を育てろ~~とか~野菜育てろ~~とか言うんですよ~~
でも~~今までそんな事したことも無いし~~
スーパーで買った葱(ねぎ)の根っこの部分を~~コップに活けて復活させたくらいしか無かったし~~
それから~~私のお誕生日とか~私たちの結婚記念日とかに~~鉢植えの花とか~洋蘭とか貰って~それを以前は~~枯らしてしまうことが多かったんですけど~~
でも~最近は~
先生に育て方を教えてもらって~~ちょっとうるさいくらいあれこれ教えてくれたんですけど~~
おせっかいですよね~~
それで~~デンドロビウムや胡蝶蘭は~
ここ2~3年~うちでも咲くようになったんですけど~~
その報告をしたら~~
それは大変結構~~よござんした~~とか~~茶化して言うんですよ~~~
なんか~チョ~らかされてる(からかわれているの意味、名古屋弁)みたいで~
そこはかとなく~~ムカつく感じですけど~~
悪気のないのは~~判るんですけどね~~」

Jo・゚し「すんまへんな。
あの御人はなんでも茶化す癖があって、良いことを良いって中々素直に言いませんねん。へそ曲がってるし……。
…ほんでから、ご主人はんが言うてたことから感じるのは……先生はその人たちにとって悪いことをはっきり悪いって言わん時もありまんねん。
それはこの間、Kellyさんが年末に、
チョ~ベッピンはんのA野はんと話したときにも感じたんやけど…
(Kellyさん、チョ~ベッピンはんのA野はんが語る風俗引退の決意報告を受け、そして少しだけ“正当な報酬”って話をする。 参照)
A野はんの逆流性食道炎の原因はA野はん自身が“上”からの通信を受けている……それ由来の症状って先生はすぐ判ったんやろけど、そやけど先生はそのこと自体を、
A野はんにしっかり理解して欲しかった。
そやからたったひとこと、霊的干渉って言うただけやった。
そやけど…A野はんはもう少し詳しく説明して欲しかったみたいやけど…
ただ説明を聴くのと、自分で気付くのとでは大変な違いがありまんねん。
先生としてはA野はんの在り方をA野はん自身に深く考えて欲しかったと思いまんねん。
そやからそういう先生の態度からも、先生の心の動きを感じたんやけど…
A野はんにとって重要なことはA野はん自身に気が付いて欲しい…
自分で気が付くことって言うのんは、“上”からの通信を受けて自分の認識(悟り、幸取=さとり)にすることでんねん。
自分で考えて考えて考えて…その思いを発振、発信して、
それが、自分たちの霊的成長を見守っている“上”の霊的存在に届く……“上”は通信を送る…そうやって答えを得る。
ほんでからそれは、自分のエネルギーを贖う(あがなう)ことでもありまんねん。
そうやって自分の良い方向性を認識する……
良い方向性って言うのんは、霊的成長の方向性ってことなんやけど、
それを自分自身で納得して認識する。
そやからこそ“上”の霊的存在からの通信を受ければ受けるほど、その人(日止、霊止)と“上”の霊的存在との関係は密になるやん。
そやけど…長いこと風俗をしてはったA野はんは、
“下”の存在…“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の存在、特に子供の浮游霊の想念を受けてはった。
そやから、楽しんで仕事したいとか、たくさん(通貨としての)金だけ得ればエエとか、今だけ良ければエエとか…そんな心(靈)の動きもあったやろけど、
それではA野はん自身が(霊的に)堕落するだけでんねん。
言うたらなんやけど…A野はんは、そんな心(靈)とそんな体になってはったと思いまんねん。
そやから…それではあきませんやんか。
“上”からの通信を受けんと霊的成長の方向性って言うのんは自分で判らへん。
“下”の存在…悪霊と認識される存在との感応共振しかしてへんのやったなら、
それは悪霊の貪、瞋、痴(とん、しん、ち、)の思いも受信するし、
悪霊としては取り憑いてる人を利用だけしてるだけやから、ほんでから嫉んでる(ねたんで)から、
その人のよい形…真の幸福…神格化に向かう方向性…そんな事は望む訳が無いですやろ。
そやから悪霊っていうのは取り付いた人を利用だけする…その人の心(靈)や体がどうなろうとも悪霊には関係の無いことでんねん。
そやからこそ風俗嬢やAV嬢は比較的早く死ぬ…自殺も多いやん。
ほんでからそれは、
水商売の人かて程度の差こそあれ、同じような傾向があると思いまんねん。」

-| ̄◇ ̄|- ≁ξ*ο*ξ≁「……」「……」

Joし「…そやから先生としては、自分で良く解って欲しいからこそ、
A野はんにたったひとことしか言わへんかったと思いまんねん。
なんでも自分たちで気が付いて欲しい…
常に先生は、そう思うてるから、
今、ご主人はんが言うたみたいに、
なんとなく遠まわしな、訳分からんような言い回しをしたりもする。
…ほんでから先生は、お二人さんと相対してるのは、仕事をする相手っていう前提があるから、あまり色んなことをズケズケと言えん…それもあるのかもしれへん。」

≁ξ*ο*ξ≁「そうですか~~なんでも遠慮なく言ってる感じですけどね~~~
ですけど~それは~私たちは○○○療院を利用してるお客って前提で~先生を~観てるから~そう思うのかもしれませんよね~~~」

Joし「そうやと思いまっせ。
先生は、自分と霊縁があった人は…っちゅうよりも、先生が霊縁を感じた人は、仕事上での出会いでも、それは、ただのお客扱いはしてへん。
そやからこそ、その霊縁あった人に霊的成長の方向性に向いて欲しいから、説教を垂れたり小うるさいことを言うたりしまんねん。
それはよう解ってはるんやないんでっか?」

-| ̄◇ ̄|-「…そうですね…先生の仕事には先生の理念がある。それは一番最初に出会ったときから感じてましたよ。
小うるさいけど、ある意味とても真面目で…そしてチョ~頑固ですね。」
≁ξ*ο*ξ≁「私も~そう思いますよ~~
だから~~なんでも小うるさい人になってるんですよね~~
おかげで~私も~❤❤❤○○ちゃん❤❤❤も~~煙草をやめることが出来た~~先生の説教なしでは禁煙を決心できなかったかもしれませんし~~~
ですけど~~
親切にアドバイスだけしてればいいのに~~時々皮肉言ったり~ジジギャグ交じりのことを言ったりするから~~へんに誤解されたりするんですよね~~~
へんなジジイですよね~~」

Joし「…まったくそうでんな。そんなんは自分でも分かってると思うんやけど…直さへんやろな……困ったオッサンでっせ。
そやから今Kellyさんが言いたかったのは、
自分たちの発振、発信で…言い換えれば心(靈)の動きで伊吹山に行く許可が“上”から出る。
先生はそういう意味のことを言うたんやろけど、そやけど……それは、
許可になるって言うよりも、
お二人がそういう思いを強く持たへんと、お二人に伊吹山と霊縁は、
出来へんってことやと思いまんねん。
そやからそれは、お二人さんが今までどんな心(靈)の構築をして来たのか…それによることやと思いまんねん。
それをKellyさん的に今思うたし…それを言いたいんやけど、
その前に敢えて確認させてもらうんやけど…山登りなんてしたことは、
今まで無いんでっしゃろ?」

-| ̄◇ ̄|- ≁ξ*ο*ξ≁「そうですね。」「そうですね~」

Joし(うッ…ハモってはる…)「そやからこそ先生の言うた、今までお二人が感じてきたのとは違う振動を得る…それがお二人の霊的成長には必要やと先生は思うたからこそ、
伊吹山に行けとか花やお野菜を育てなさいとか言うたと思いまんねん。ほんでから花見にも行けって言うたんでっしゃろ?」

-| ̄◇ ̄|- ≁ξ*ο*ξ≁「そうですね。」「そうですね~」

Joし(またもや…ハモってはる…)「そやからお二人の心(靈)と体って言うのんは、
長年の水商売の影響を受けてる。水商売の場(フィールド)って言うのんは敢えて言うまでも無いんやけど、酒飲んでうまいもん食って…歌ったり…スケベなこと思って…低い快楽の場(フィールド)でっしゃろ。
真剣に物事を考える場(フィールド)ではありまへんやろ。
そやから、当然そういう場(フィールド)には、
低い快楽を求めてる…あるいは、低い快楽に執着してる霊的存在が居てまんねん。
そんな霊的存在が集まってきて、場(フィールド)を構築してる。
そやから…言うたらなんやけど、
お二人の人生って言う時間の大半は、その影響を受けてきたってことでんねん。」

-| ̄◇ ̄|-「酔っ払いの浮游霊とか…酒を飲むことに憧れてた子供の霊とか…うちの店にいらっしゃるお客…特に風俗ネーチャンの憑き物とか…そういう存在ですね。」

Joし「そうなんやけど……
問題は、今、ご主人はんが言うた霊的存在の種類や無くって、
それらはどういう心(靈)の動きの存在なのか……
そういう分析の仕方が、本質を見失わん事象の観察やと思いまんねん。
そやから今ご主人はんが言うた自分たちを堕落の方向に向かわせる霊的存在…そればかり思うてたなら、
自分たちの心(靈)の動きのことを思わんようになる。
それは、なんでも悪霊のせいにする幼稚な考えでんねん。
自分に原因が無いって思いたくないとか…そやからそれは…自分は悪くないって発想にもなりまんねん。
ほんでからに重要なことは、
自分の心(靈)の動きと関係の無い霊的干渉は、有り得へんってことでんねん。
それは先生と何回も話をしてKellyさん的にしっかり認識したことでんねん。
そやから…誰にでも快楽を求める心(靈)の動きはありまんねん……それは、生命って言うのんは、本能から発現して来たからやと思いまんねん。
本能って心(靈)の動きが、一番低い段階の心(靈)の発現でんねん。
そやから先生は、
心(靈)の動きと、
心(靈)の“上”“下”を、
本能、情動、功名心、自我、愛(炁)、創造、知恵、智慧、智性という振動…って、
言い方で定義づけた。
これは心…霊…生命の本質の“上”“下”で、
そして進化過程を示してる言葉でんねん。
本能と智性、どっちが神さんに近い心(靈)の動きかってことでんねん。
この世界が本能って心(靈)の動きだけで出来てるんやったなら、
食い合い奪い合い殺し合い…存続なんて出来へんやんか。
……そういえば一番最初に御主人はんと話させてもろた時、
今言うたことに近いような話をしましたやんか。」

-| ̄◇ ̄|- 「自己奉仕者だけの世界は存続しないって話ですね。」

Joし「そうでんねん。
…ほんでから、今…ちょっと話が逸れてしもてるけど、
お二人の今までの心(靈)と体の構築って言うのんは、お世辞にも良い成長とは言われへんねん。
それをお二人さん自身がしっかり自覚してない…自分たちに認識(悟り、幸取=さとり)のないことは自分たちの認識よりほんの少し“上”のことしか解らない…これは、
霊的干渉の変圧の概念なんやけど…
そやからこそお二人に今までより“上”の振動を獲得して欲しい…
先生が思うてるのは多分…そういうことやねんな。」

-| ̄◇ ̄|- ≁ξ*ο*ξ≁「そうなんですかね。」「そうなんですかね~」

Joし(またもや…ハモってはるやん…エエこっちゃな)
「そやから…ちょっと難しい言い方をすれば、
自分たちの発振、発信、自分たちの思い、
それによる事象の顕現…それを人(日止、霊止)の心(靈)は感じていく。
心(靈)が感じるから現実やって思いまんねん。
(自分の外側の)事象って感じまんねん。
そやからこそ現実を創造するのは自分たちの心(靈)の動きでんねん。

…何をKellyさんは言いたいのかと言うと…
そやから今言うたみたいに、今までのお二人さんの心(靈)と体は、
水商売の場(フィールド)での霊的存在との感応共振で出来上がってきた心(靈)と体しか無いんやったなら、すぐ堕落の方向に向かう可能性かてありまんねん。
そやからこそ伊吹山に行くことの重要性にも今ひとつピンとこないのかも知れへんし…
それはお二人の心(靈)の中にまで、
水商売の場(フィールド)で影響させられた振動…その霊的干渉…
それで一杯やからやねんな。

そやからこそ、今までと違う振動を心(靈)に獲得せんならん。

言うたならば…水商売の場(フィールド)で出来た心(靈)と体は、
酒飲むとか快楽を追求することは喜んでするやろけど…さっきご主人はんが言うたみたいに伊吹山に5年も行けへん…それは、
自分たちが思い切って何かに挑戦するとか、今までと変わりたいとか、
それを強く思わんと(そういう念=今の心(靈)…を発振、発信せんと)“上”は縁をつけてくれへんって思いまんねん。
凄い決心をして何があっても行く…それくらい思わへんとアカンのかもしれへんな。
それもエネルギーを贖う(あがなう)ってことやし、
それが出来たなら、
お二人さんとお二人さん自身の“上”の存在との感応共振も密になって行く。
そやから…そういう意味で先生は“許可にならん”って言うたと思いまんねん。
そやからお二人の心(靈)と体は、
お二人の低い心(靈)の動きとその心(靈)の動きに感応共振して来た霊的存在の影響で出来上がってる。」

-| ̄◇ ̄|- ≁ξ*ο*ξ≁「……」「……」

Joし「ほんでから…自分たちの心(靈)を、
自分が観るならば、
低い心(靈)の動きしか持ってない人が自分の心(靈)を観たならば、
自分の心(靈)の振動が持っている以上の振動で判断は出来んやん。」

-| ̄◇ ̄|- ≁ξ*ο*ξ≁「…解り難い説明ですね。」「…解り難い説明ですね~」

Joし(またや…ゲロゲロ←死語)
「今Kellyさんが言うたことを具体的に言えば、
自分が自分を観るならば…それは心(靈)の発現の程度による自己観察しか出来へんってことでんねん。
そやから例えば、ちょっと極端な言い方をしまっけど…本能と自我しか持ってない人の価値感は、人が死んでも自分の利益しか考えん。
ほんでからそれを自分で“悪(心の動きの本能化と低振動化)”やと思わへん。
それは、心(靈)の発現の程度に応じてしか、
心(靈)の進化程度=霊的成長度に応じてしか“善悪”の認識は出来へん。
そう言うたかて、この事例がお二人に当てはまるって事や無いんやけど、
今までのお二人が感じてきた喜びや苦しみ…お二人に色んな心の動きを、
感じ(感じる磁性)させてきた事象って言うのんは、
今までは、水商売の場(フィールド)が中心ってことでんねん。
そやから、水商売の場(フィールド)にいてる霊的存在との感応共振が起きて、
それでお二人の心(靈)と体は出来上がってきたやんか。
それも“気血栄衛(營)”ってことでんねん。
自分が受けてきた振動で心(靈)と体は、
時間(空間の回転による磁場=時)の進行と共に、出来ていく。
そやけどさっきも言うたように、
水商売の場(フィールド)、その霊的干渉…それだけではあきまへんやん……。
そやからこそ、違う振動を受けて来いって先生は言うたと思いまんねん。
奥さんに言うた花を育てたり野菜を育てたりって言うのも、
そういう意味やと思いまんねん。
…そやけど、あからさまにそんな言い方をしたら…
先生とお二人さんは、
鍼灸師と○○○療院を利用する立場って違いがあるやん…
そやから、多分、先生は茶化したりしまんねん。
先生の立場上…失礼に当たるって思うから、遠まわしに言うたり…茶化したりしまんねん。
…そやけど、ほんまは…もっとはっきり言いたいと思いまんねん。」

-| ̄◇ ̄|- ≁ξ*ο*ξ≁「……」「……」

Joし「今のお二人の心(靈)と体が、今までの儘では、
違う段階に行くことが出来へん……。
それを先生は懸念してると思いまんねん。
今後、お二人の“上”の存在は、お二人の霊的成長を望んではるからこそ、
今までとは違う新たな試練とかを下したりするやろけど…
仮にお二人が、そのままの心(靈)の動きやったなら、それに対応出来んようになる……。
なんとなく無気力になるとか…そんなことせんでも今さえ良ければエエとか…そんなふうになるのかもしれへん。
そやからこそ今後のお二人は、
水商売の場(フィールド)に居てる霊的存在とは違う影響を受けんならん。
違う振動を取り込むことをせんと自分たちの心の動きも変化して行かへんねん。
もういっぺん言えば、
今までは低い心(靈)の動きの霊的存在…例えば解りやすいのは酔っ払いの浮游霊とかやけど…その想念で心(靈)と体の構築をして来たようなもんでんねん。
そやから今までのお二人は、水商売の場(フィールド)で得た振動しか認識出来へんから、
遊びに行くとしてもその水商売の場(フィールド)の振動に近いところを選択したりもしたのかもしれへん。」

-| ̄◇ ̄|- 「そうかもしれませんね…カラオケとかフルコースの料理とか…遊びに行こうって思ったらまずそういうことを考えますしね。」

Joし「自分たちが楽しく遊びたいとかは、大体、霊的干渉の影響も大きい。
…それは、自分がやりたいこととか好きなことって言うのんは、憑き物の影響も大きいやん…それを統括してるのが支配霊やけど、
その“上”の存在が主護霊でんねん。
主護霊って言うのんは、ほんまにその人の霊的成長を見守ってて、
支配霊や支配霊の眷属のことも“上”から観てまんねん。
言うたならば今までのお二人さんの支配霊と支配霊の眷属は、
水商売関係の存在でんねん。
…そやけど御主人はんは、最近お店に行くと“ここは自分の居るべき場所ではない”…そう思うようにならはったって先生から聞いてまんねん。
(思惑と顕現“その十” “悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)…その思惑と顕現 参照)
それはご主人はんが判断することやからエエんやけど、
Kellyさん的の思うんは、それも支配霊より“上”の存在からの通信で、
当然そこには御主人はんの心境の変化って言うのもある…そやから、
御主人はん自身がそう思いはったならば、違う段階にすすまんならんやんか。
そやから先生は、色んなところへ行ってきたらどうでっか?…って言うと思いまんねん。
そうやって今までと違う振動で心と体の作り替えをしたらエエと思いまんねん。
それがまた“気血栄衛(營)”でんねん。
違う段階の“気血栄衛(營)”でんねん。
ほんでからそれは、
花の妖精の影響や、山に居てる自然霊、あるいはあまり悪意のない動物霊、そういう存在を憑けてくるとか、その影響を受けるとかして来たらエエと思いまんねん。
そういうところへ行けば、そこの場(フィールド)の振動も受けまんねん。
それに付いては前のブログの(タイトルがチョ~かっこよすぎる)“愛の息吹く山”を、
読んで貰たらエエと思いまんねん。」
(ほんでから“愛の息吹く山”は、出版される本の二冊目になりまんねん)

-| ̄◇ ̄|- 「…そういう意味合いがあるんですね。」
≁ξ*ο*ξ≁「…そういう意味合いがあるんですね~」

Joし(…なんやしらん…あんまりおんなじリアクションやと…そこはかとなくムカついてくるやんか…J`´し)
「ほんでから今住んでいらっしゃるお二人のお住まいを思うても…今までは、
部屋にも酔っ払いの浮游霊を取り込んでまんねん。お仕事に行かはったならたくさん憑けて来まっしゃろ。そやから帰って来たなら祓わんならんやん。
それは先生の仕事にも同じことが言えるからこそ、
先生の主護霊はんは、これも、前のブログ“良い発振の為に”で、
説明してるみたいなことを、S会=紫光会の主護霊会で先生に言うた。
禊ぎの祓いを唱えること自体が“上”との感応共振でんねん。段々“上”と自分との関係が密になる事でもありまんねん。

話が逸れましてんな…そやから今までのお二人さんは、
お仕事でもお住まいでも同じ種類の霊的干渉を受けてまんねん。
そやからこそ、
人を害さない振動を発する…一番身近なのは花やろな…そやから先生は、奥さんに花を育てたらどうでっか?って言うたと思いまんねん。
ほんでからさっきも言うたけど、
今年は伊吹山に行く決心を、強く持ったらどないでっか?」

-| ̄◇ ̄|- 「そうですか…よく考えてみることにします。」
≁ξ*ο*ξ≁「そうですね~よく考えてみることにしますね~~」

Joし(……)「解ってもろたやろか……
そやけど年上の人に向かって、またもやKellyさんは生意気な口をきいてしまいましてんな。
すんまへんでした。」

-| ̄◇ ̄|- 「そんなふうには思いませんよ。ありがとうございます。」
≁ξ*ο*ξ≁「そんなふうには思いませんよ~ありがとうございます~~」

J・o・し(もう…仲の良過ぎるのも…なんやしらんイラついてくるな…Jー'`ー;し)

-| ̄◇ ̄|- 「また…解らないことがあったらKellyさんに意見を伺いますよ。
色々教えてください。」

Joし「承知しましてんな。いつでもお話させてもらいまっせ。
ほな、さいなら。」

≁ξ*ο*ξ≁「ちょっと待って~~Kellyさん~~
たくさんお話してくださったから~~おなか空いたんじゃありません~~
デザートはいかがですか~~ご馳走させてもらいますよ~~」

J´`し(ジュル~~ジュル~ジュルルルル~~~よだれが出てしもたやん)
「ありがとさんでんねん。
そうやったならKellyさんは大盛りクリームぜんざいを、
遠慮なくご馳走になりまんねん。」

バクバクバクバクバクバクバクバクバクバク

大盛りクリームぜんざいを食してる音でんねん。

Joし「…ふ~~お腹一杯でんねん。どうもご馳走様でした。」

-| ̄◇ ̄|- 「それじゃ、またお話させてください。」
≁ξ*ο*ξ≁「またね~Kellyさん~~」

Joし「ほな、さいならでんねん。」


おまけ…大盛りクリームぜんざいを食べ過ぎ、数日後太ってしまった、チョ~極上ラブラブ中高年夫婦さんの奥さんと、Kellyさん(笑)
                                              

 奥さんとKelly 食べすぎてデブい顔

 

“日月神示”下つ巻 第十二帖 Kellyさん的解釈


今回も、下つ巻 第十二帖の解釈をしまんねん。
原文は以下の通り、

この神は日本人のみの神でないぞ。
自分で岩戸開いて居れば、どんな世になりても楽にゆける様に神がしてあるのに、
臣民といふものは慾が深いから、
自分で岩戸しめて、それでお蔭ないと申してゐるが困ったものぞ。
早う気づかんと気の毒出来るぞ。
初めの役員十柱集めるぞ。
早うこの神示写して置いて呉れよ、神急けるぞ。
七月の十八日、ひつ九のローレンツ力と ○  。

冒頭の文、
“この神は日本人のみの神でないぞ。”
この場合の“日本人のみ”って言う表記は、全地求人っていう意味やろな。
“日月神示”の“日本”日の本っていう表現は今まで何回も解釈したけど、
(前の記事を読んでくださいでんねん)
この場合の言い方は“日本人のみ”っていうてるから、
全地求人すべてに対し言うてることや。
そして、全地求人の心(靈)の発現、霊的進化の程度が平均的に低いからこそ、
次の言葉、
“自分で岩戸開いて居れば、どんな世になりても楽にゆける様に神がしてあるのに、
臣民といふものは慾が深いから、
自分で岩戸しめて、それでお蔭ないと申してゐるが困ったものぞ。”

この文の“岩戸”これも今まで何回も言うたことやけど……岩は、
山=脳、石は帯電するミネラル、“石屋の仕組み”の“石”でもある。
戸は、
尸(しかばね、かばね)=肉体と“一”=智性=1番目のオーラ、
“上”からの思惑を取り込む。認識の拡大をする。霊的成長をする。
ほんでから、
“お蔭ないと申してゐるが困ったものぞ。”…“上”の思惑を取り込んで無くって、自己奉仕者の人が文句ばっかり言うてるってことでんねん。

しかし…これまでも言うたけど、
認識の拡大=“一”=智性=1番目のオーラを大きくするのは、
ただ“日月神示”を読んでればエエとか、形骸の“行と修行”ごっこをするとかでは無い。
苦痛を感じ(感じる磁性)苦難を乗り越え、自分の試練とし、
生体内電流の強化をして、
自分の肉体の磁性、一二三のオーラを立派にして、
そうなってから“上”の存在との感応共振=霊的干渉をする。
そやからそれは“上”の霊的存在、“上”の心(靈)との感応共振が、
必然になるってことでもある。
ほんでからにそれは、天意を受けるってことでもある。
そやから、今、そういう人がてんで少ない場(フィールド)が、この世界でもある。
だからこそこの世界はダメになりかかってる…そのことを指した文章でもあるな。
ほんでからその意味を早く解れって意味で次の言葉、

“早う気づかんと気の毒出来るぞ。”

…っちゅうことでんねん。


ほんでから次の言葉は、

“初めの役員十柱集めるぞ。”

…なんやけど、
これは“役員”を“十柱”…十人っていうことでは無く、
“日月神示”内で言われてる“役員”の意味は、
これも“日月神示”内でよく使われる表記“神の御用”をする人(日止、霊止)でなくてはいけない。
その“神の御用”をする人を指し“十柱”と表現されてると思える。
そやからそれは“十”と“柱”…それは、
胸の磁性“十”と、
木部と、
ローレンツ力 ローレンツ力 と、
“王”……

そやからそれは“土”=2~3番目のオーラの進化過程から霊的成長を果たし、
“一”=智性=1番目のオーラを獲得するからこそ、“土”から“王”になり、
そやから“日月神示”では“一二三”とか、
“ひふみゆらゆら”=“一”“二”“三”のオーラ、それぞれの左右の磁性の右往左往と左往右往って表現されてると思う。
ほんでから“主”は“王”の“上”にローレンツ力 ローレンツ力 があり、
“上”の思惑を取り込む様であると思える。

ほんでから“主”って言う字の向かって左…そやからそれは、
“柱”っていう字を人に見立てたなら、その人の右に木部がある。
右は砌(みぎり)で現象化で“思惑の顕現”でもある。
さらに細かく言うて置けば、木部は、
胸の磁性“十”と丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)と乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現)でもある。
そういう現津(あきつ)=観察され得る事象を“創造”(神の思惑と生命の思惑、電磁波(振動)の相互干渉)するようになって行くのが、
霊的成長をして“上”に向かう人でもある。
それがまた、
“玉(ぎょく)”と“石”を分けるアセンションの意味と意義でもあるな。

ほんでから次の言葉、

“早うこの神示写して置いて呉れよ、神急けるぞ。”

この文の“神示写して”…
“神”は“呂”を示す

“示”は、“二”=肉体と、下降して向かって左にはねる亅部(けつぶ こう かぎ)と、
丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)と乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現)で構成されてる。
“上”の思惑を取り込んだ心(靈)の付属物=肉体“二”で、顕現する様子でもあり、
そやからそれは、“上”の振動(思惑)を降ろす様は、
亅部(けつぶ こう かぎ)は“上”から“下”に降ろし、
向かって左上にはね、
それを人に見立てればその人の右=砌(みぎり)=現象化になり、
同時に上にはねてるから“上”に向かう心(靈)の発現を示す。
そやからそれは“示”っていう表記は、
“上”の思惑を取り込んで行動し(発振、発信し)事象の創造をする。
ほんでからに“写して”…自分に取り込む。自分の心(靈)の振動にする。
“上”の思惑を取り込む“行”をせんとアカンってことでんねん。

ほんでから…“行”…それを先生的には、
自分が子供の頃から思っていた疑問の答えを求めようとして、
太陽凝視を教えてくれたKさんやローム太霊さんや“ダキニホンテン”はんと霊縁があった。
そして色んなものを観て…観させられたって先生は思うてるようやけど…その過程で、
色々なことを考え、そして…“行”やって答えを求め続けてる……。
そうやって先生自身は霊的成長してきたし、今後も成長し続ける。

話がそれたけど、この文の表記の“神示写して”…っちゅうのんは、
“上”の振動、思惑、電磁波、それを取り込んで、
現津(あきつ)=観察され得る事象に顕現する。
それが“神の御用”…Kellyさん的にはそういう意味にしか取れへん。
…そやけどこの表記も、
認識の低い人はただ文章を写すくらいの発想しか無いやろけど、
そんな程度の事ではオーラは大きくならんし、
それは先生が霊眼を持っていたときにいろんな人を観測した。
はっきり言うとくけど宗教関係者のオーラはたいしたことはない。
“行と修行”の概念が、形骸になってるからやねん。
祓いが儀式にしかなってへんし、修行も形骸になってるからやねん。
シャワーみたいな滝に入ったり、ただ経文を読んだりすることが“行”やと思われてる。
そんな程度のことでは何の霊的成長にもならへんからやねん。
ほんでからに、
そんな程度のことが人間の霊的成長になるって錯覚を起こさせてるのが、
悪魔の傀儡になった現世利益の既成宗教に従事する人たちの考え…形骸になった既成宗教でもあるな。
そやからこそ既成宗教の関係者は、ただ金儲けの仕事しかしてへん。

まあエエわ。

そやから下つ巻の解釈に入ってからKellyさんが何回も思うことなんやけど、
“役員づら”…こんな人は今とても多い。
“日月神示”の解釈を一生懸命解釈してる人も中には居てるけど、文章の解釈だけしかしてないのはそれはてんで低い。
それだけでは“日月神示”内に書かれてる霊的成長の仕組みまで読み取ることが出来ん。
そして特にネット上では、
“日月神示”の解釈やアセンションの解釈がとんでもなく低いものもあり、
そんなんは“役員づら”以下の単なる目立ちたがり屋が多すぎる。
そやからそれは低い心(靈)の発現由来のディスプレイ(動物の発情行動)でしかない。
まだ、動物の進化過程に近いってことでんねん。
ほんでから低い心(靈)の発現しかしてない人は、それ以上のことが分からん。
そやから…ほんまこの世界は“玉石混交(淆)”で…しょうもない世界ってことを思うねんけど……そやから…そんなことではアカンから“神急けるぞ。”…で、もう時期(空間の回転による磁気)も迫ってる……。
そやから“上”は、今、
人(日止、霊止)に何をして欲しいのか…そこまで読み取るべきやと思いまんねん。

今回はこれくらいにしときまんねん。

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 Kelly & ○○○大先生

Author: Kelly & ○○○大先生
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Kellyさんと○○○大先生は、
このブログを書いている○○○の、
心(靈)の二面性であり、
同一人物で有る事を、
お断りしておきます。

出版の告知

四冊目&五冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈4〉
智性無き心は
悪を容認する


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈5〉
智性無き心は
アセンションを見誤る

 この二冊は、同時発売です。
太陽凝視を行っている鍼灸師の話 <4> 智性無き心は 悪を容認する & 太陽凝視を行っている鍼灸師の話 <5> 智性無き心は アセンションを見誤る サムネイル
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2010年 4月20日(火)ごろより、全国書店(紀伊國屋書店・三省堂書店・旭屋書店・ジュンク堂書店・ブックファースト・リブロ・丸善など)にて順次陳列。


発売中の三冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈3〉

神格化のプロセス
目上(めうえ)と目下(めした)


神格化のプロセス 目上と目下 縮小版 ブログ用
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発売中の二冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈2〉

ローム太霊の教え
日足(ひたり)と砌(みぎり)


サムネイル太陽凝視を行っている鍼灸師の話〈2〉ローム太霊の教え 日足(ひたり)と砌(みぎり) 
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お近くの書店にない場合は
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発売中の一冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈1〉

ローム太霊との出会い


太陽凝視を行っている鍼灸師の話〈1〉ローム太霊との出会い
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この本に付いてはこちらを御覧下さい。


       




初めての方は、
・・・その後の事と・・・これからの事。
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☆ Kellyさん的事象の観察と認識 (104)
Kellyさんがこのブログに霊縁あった人(日止、霊止)に伝えたい事 (22)
Kellyさんと○○○大先生との会話 (7)
Kellyさんとチョ~極上ラブラブ中高年夫婦はんとの会話 (6)
Kellyさんとチョ~ベッピンはんのA野はんとの会話 (7)
Kellyさんと∪・ω・∪ ▼・。・▼ ▼・。・▽ U・。・U U。・ェ・。U たちとの会話 (33)
Kellyさんとメタボ研修医のYっちゃん先生との会話 (2)
Kellyさんとややメタボ内科医のYっちゃん先生との会話 (7)
Kellyさんと和風のベッピンはんのSはんとの会話 (2)
Kellyさんと農業好きの社長婦人K地M美はんとの会話 (12)
KellyさんとNominyan ∥*σ_σ*∥&Senyapoo λ*゜ο゜*λ との会話 (6)
☆ Kellyさん的“日月神示”解釈 (480)
Kellyさんが、“日月神示”の解釈をして行くに当たって・・・考えた事。 (16)
“日月神示” 上つ巻 (42)
“日月神示” 下つ巻 (38)
“日月神示” 富士の巻 (26)
“日月神示” 天つ巻 (30)
“日月神示” 地つ巻 (36)
“日月神示” 日月の巻 (68)
“日月神示” 日の出の巻 (23)
“日月神示” 磐戸の巻 (21)
“日月神示” キの巻 (17)
“日月神示” 水の巻 (36)
“日月神示” 松の巻 (30)
“日月神示” 夜明けの巻 (26)
“日月神示” 雨の巻 (18)
“日月神示” 風の巻 (15)
“日月神示” 岩の巻 (11)
“日月神示” 荒の巻 (27)
☆ Kellyさん的“ローム太霊講話集”解釈 (107)
☆ 紫光会経文の文言 Kellyさん的解釈 (18)
☆ ○○○大先生的バシャールの文言解釈 (9)
☆ 先生が撮るけったいな花の写真 (22)
☆ 先生が撮る比較的まともな写真 (32)
☆先生が室内で写真を撮るときのセッティング (6)
その他 お知らせ (3)



fxwill.com


2005年10月1日~2008年1月15日まで、
“Kellyさんとの会話”で、説明して来た事・・・
その内容・・・それは・・・その何年も前から、
何か自分の考えをある程度公表しなければならない・・・
そう言う通信を受け・・・その理由は・・・地球人が低い心(靈)の発現しかしていない・・・
それを自覚していない人が多い。
その事由来の太陽凝視に対する認識、
(太陽凝視=不食・・・としか、認識させない存在の思惑を、受信している事)
霊的成長に対する認識、
神に対する認識、
心=靈に対する認識、
オーラに対する認識、
そして、
高い認識の上での進化の意味と幸福の概念と神の概念・・・
進化=霊的成長=神格化=(相対的に)高い認識を獲得する事・・・
霊的成長=神に近づく事=真の幸福の意味。
霊的成長度は1番目のオーラに顕れる。
よって、宇宙的プログラムにより次の段階に移行する人(日止、霊止)は、 何を考えるべきなのか・・・
そして、人(日止、霊止)の進化を阻む存在の思惑、
その心=靈の動き、それらの意図・・・それが一般に認知されていない事。
それらを伝えなければ成らない・・・そして一応・・・完結はしたのですが・・・
解り難い・・・理解しがたい・・・具体例を示して欲しい・・・そう言う感想も頂き、
そして自分なりにも説明が足らなかった事・・・
更に、
“Kellyさんとの会話”が完結してからも通信を受けている事・・・そう云う事もあり・・・
よって、このブログを立ち上げる事としました。
従って、
“Kellyさんとの会話”が、
自分の意見を述べる上での、ローム太霊の言葉、
“右往左往”(“いきり立つ心(奴と心)”で行動してから考える)・・・と、 するならば、 このブログはアタシ自身の、
“左往右往”(“思う、憂う”・・・体験を教訓として考え行動する)の、
作業になって行くと思います。


太陽凝視を行っている鍼灸師の話 “総括編”
太陽凝視を行っている鍼灸師の話 “改”
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自分達の欲望を満たしたい… 
自分だけ幸福になりたい…
こういった進化程度の低い心(靈)の発現由来の思いが、
低い幸福の概念になり(目下(めした)の思い)
その結果が、飢餓貧困、戦争の原因になったりしています。
(子供の浮游霊の霊的干渉の影響を受け、 それがどんどん増して行く事等が、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)
の思惑だと 思えます)

恨みの連鎖による霊的干渉を増やさない為、
その解消の為にも、(この趣旨に反する類の物もありますが) クリックをお願いします。
クリックした人に、お金の負担はありません。 ↓↓




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