“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話

太陽凝視を一生涯の“行”とし(現在、44年目)、実践し、その上で獲得した認識を述べています。

“日月神示” 富士の巻 第二十六帖 Kellyさん的解釈



今回も富士の巻 第二十六帖を解釈しまんねん。原文は以下の通り。

戦は一度おさまる様に見えるが、その時が一番気つけねばならぬ時ぞ、
向ふの悪神は今度は ローレンツ力と ○ の元の神を根こそぎに無きものにして仕まふ計画であるから、
その積りでフンドシ締めて呉れよ、
誰も知れんやうに悪の仕組してゐること、神にはよく分りてゐるから心配ないなれど、
臣民助けたいから、神はじっとこらへてゐるのざぞ。
八月の三十日、 ローレンツ力と ○ のひつ九のローレンツ力と ○  。

冒頭の文。

“戦は一度おさまる様に見えるが、その時が一番気つけねばならぬ時ぞ、”

これは、“日月神示”が戦争中に自動書記で書かれてるから言われてるのでもあるやろけど、そんなことだけではなく、今の比較的穏やかな状況、それは、嵐の前の静けさみたいなもんで、今後=アセンション後に移行する際に、天変地異や戦争や訳の分からへんことがいろいろ起きる。大事の前の小事として、恨みの連鎖の霊的干渉によるわけの分からへん事件はたくさん起きだしてるけど、それは世界的な規模ではないし、まだまだ一日に何千人も何万人も死んでいるわけではない。
そやけど、飢餓貧困で死んでる子どもたちは単純に計算して一日平均28800人になるけれど、本当はこのことも問題にすべきなんやけど…。
 要は、何事も起きてないかのように大半の人が錯覚してるから、こんな言い方で言われてるだけやねんな。

 ほんでから次の文。

“向ふの悪神は今度は ローレンツ力と ○ の元の神を根こそぎに無きものにして仕まふ計画であるから、
その積りでフンドシ締めて呉れよ、”

 この文の“ ローレンツ力と ○ の元の神”○は、縦の磁性で構成されてる荷電粒子の集合体。そしてそれは、霊=○、荷電粒子の場(フィールド)。 は、縦の磁性によるローレンツ力ローレンツ力 、そして、“元”は、肉体を示す“二”。
それに時間の進行の意味を持つ儿部(じんぶ、にんにょう)。
要は、“ ローレンツ力と ○ の元”って言うのんは、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の仕組みを言っているし、それは神の思惑、“創造”の“主(ヌシ)”の思惑でもある。
神さんは人(日止、霊止)に何を望んでいるのか、それは言うまでも無く神格化。
ほんでから神さんの思惑そのものが“亜”が出ずる、泉、であり、それがアイであり、愛(炁)であり、“一”の書き方、左から右に筆を動かして書くのは、そのことを示しているって何回も言うて来た。
そやけど甘い(亜、魔、出ずる、泉。愛(炁)の間に魔が入った状態を指す)って言うのんは、すべての生命の行動の動機である愛(炁)アイ、“亜”が出ずる、泉、の間に、“魔”=マーラ(魔羅)が入り込む。
その思想になってしまうことが進化(霊的成長、神格化に向かうこと)を阻むことになる。
ほんでから“魔”=マーラ(魔羅)が入り込みやすい場(フィールド)、それがこの文の“向ふの悪神は今度は”“根こそぎに無きものにして仕まふ計画”と称されていると思え、それは具体的には、たくさんの浮遊霊を増やす。
たくさんの浮遊霊を増やす仕組みは“石屋の仕組み”でもある。
“石屋の仕組み”は、帯電するミネラルが固まっていない=真固止ではない=腹の水(“江戸と尾張”の“江”)、その段階の心(靈)の発現と動き、簡単に言えば自我の肥大で、どうでもエエこと(進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の道筋とは関係の無い形骸の美、形骸の地位や名誉など)に付加価値を付け、経済を動かし、地球上の一部の人間だけが低い功名心と自尊心を満たし、その裏で、三秒に一人子供が死に、家畜は殺され、それらすべてが貪、瞋、痴(とん、しん、ち、)の心(靈)の動きを持った浮遊霊になる。
ほんでからこの世界に執着を持ってる浮遊霊は、貪、瞋、痴(とん、しん、ち、)の心(靈)の動きを持っているから、それは心(靈)が“下”に向かう=“悪(心の動きの本能化と低振動化)”やから、“日月神示”表記の右回転になる。
以下に、“善(神格化の方向性と智性の受信)”の回転と“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の回転、日足(ひたり)回りと砌(みぎり)回りの解釈の画像を貼っておきまんねん。

腹の日足(ひたり)(“善”)回転と、砌(みぎり)(“悪”)回転 


ほんでからこの文の“その積りでフンドシ締めて呉れよ、”って言うのんは、フンドシは、腹の縦の磁性と横の磁性を示すと思われる。
要は、臍(へそ)から下のチャクラ、ムラダーラチャクラ、スワディスターナチャクラだと思われ、それは平均的地球人の進化過程である自我の確立=固定化、マニピューラチャクラのエネルギーに昇華されるものである。さらにマニピューラチャクラ、腹の段階の同位相のサイクロトロン、それは胸の磁性“十”で、シンクロトロンに移行していく。
そのこと自体が、自我の確立=固定化から、“慈悲”と“慈愛”の心(靈)の動きになっていくものでもあるし、それが神格化の“道”“理(ミチ)”でもある。
 要は、“フンドシ”って言うのんは、腹のエネルギーであり、その意味のことだと思われ、それは古事記の天照大神が天の岩屋戸から出てくる時の表記にも表れてるって言うのが先生の説。それは前のブログのエピローグから引用しまんねん。

“天照大神が天の岩屋戸から出てくる時の天の宇受売の命(あめのうずめのみこと)…その時の様子は古事記では、“胸乳(むなち)を掛き出で、裳緒(もひも)を番登(ほと)に忍(お)し垂(た)れき。爾に高天の原動(とよ)みて、八百万の神共に咲(わら)ひき。” …って書かれてる。それは、天の宇受売の命(あめのうずめのみこと)が、陰部をさらけ出して踊ったっていうのとは違う…って、先生は思うてる。それは、“胸乳(むなち)”は、胸の磁性“十”で、“裳緒(もひも)”は、腰と腹の横の磁性(水平磁場)、それは、腹の段階のサイクロトロンの荷電粒子の回転も示してるし、ほんでからにそれは、3番目のオーラでんねん。
ほんでからに、“裳緒(もひも)を番登(ほと)に忍(お)し垂(た)れき。”…っていうのんは、下三つのチャクラで構成される縦の磁性…それを表現してるっていうのんが、先生の説でんねん”

引用終わり。ほんでから次の文。

“誰も知れんやうに悪の仕組してゐること、神にはよく分りてゐるから心配ないなれど、
臣民助けたいから、神はじっとこらへてゐるのざぞ。”

 これも、誰かに教えられることなく、自分たちの“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の行為の源とか原因って言うのんは、自我の確立=固定化のときに起きやすい自我の肥大って心(靈)の動きが、この世界を腐らせているってことに気づけってことを言うてる。
 それに気づくために、自分の心(靈)の動きって言うのんを自分の智性(神性)で判断する。
要は、自分自身の心(靈)の動きが“上”か“下”か、“善(神格化の方向性と智性の受信)”か“悪(心の動きの本能化と低振動化)”かってことを自分で知る。自我の肥大が起きていたなら自分の都合の良い考え方をするってことでもある。それは言い換えれば、今まで何回も言うてきたように“(“慈悲”と“慈愛”由来の)厳しさ”を持ってへんって事でもある。自分に対する“(“慈悲”と“慈愛”由来の)厳しさ”が無ければ、内在する悪に囚われるってことでもあるし、繰り返すけど、自分の心(靈)を自己観察して“上”と“下”、“善”と“悪”を見出すのが“日月神示”表記の“身魂掃除”“身魂洗濯”でもある。
 そして智性(神性)を顕現するために“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)との感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)をしなければならないのだけれども、“上”の振動を自分に取り込むためには、これも“日月神示”表記の“身魂磨き”=(生体内電流による)肉体組織の結晶化をしなければならない。
(そのために高い振動を取り込む苦しい“行”としての“ひつく”=太陽凝視を“行”として行うことがある)
そやから、この文の“臣民助けたいから、神はじっとこらへてゐる”って言うのんは、自分たちの認識の高まりが、自分たちの神格化につながるからこそ、神はあえて何も言わんって言い回しでんねん。

今回はこれくらいにしときまんねん。

Kellyさん、爆睡中に、A野さんの愛犬たち登場!…夢の中で、人間に見られる習性について、犬たちと論じる。 “その二”


…Kelly…爆睡中…
(今回は、ネタがありませんので、Kellyさんが寝ている場面の画像は、省略)

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 …また夢を見てるな…いつもの公園にむかってる最中やな。 おっ!! 犬たち待ってはるやんか。待たせてしもたから、犬目線で走ったりましょ。
 お~~い。バティはん、ミュウミュウはん、コロンはん、アズキはん、キナコはん。 
お待たせでんがな~~~。

ワ○ワ○スタイルで犬たちに近づくKelly 



Kellyさんだ! Kellyさんだ! Kellyさんだ! Kellyさんだ! Kellyさんだ!


わんわんわんわんわんばんこ!!

Kellyさんを待っていた犬 




Kelly 会話中 「お待たせでんがな。今夜は何の話をしたらええやろか」

バティ  「今夜は、変なコマーシャルについて教えて欲しいです」
ミュウミュウ 「それは、ママ(A野 顔 )とテレビを見ていたときのことです」
コロン 「そのとき、変なコマーシャルをみて、僕たちとママはびっくりしたんです」
アズキ 「その前に、どんなふうにママと僕たちがテレビを見ていたのか…」

キナコ Kellyお手製ブラジャー(ちちふんどし)装着バージョン 「まず、そのときの状況を、以下の画像で示します」

 

テレビ鑑賞中のA野さんと犬たち 




Kelly 会話中 「和気あいあいの雰囲気でんな。そうやってあんたらは、A野はんとテレビを見て、人間のことを勉強しようとしてるんやな。なるほど」

バティ  「そうなんです。それで…」
ミュウミュウ 「そのときに…唐突に…」
コロン 「変なコマーシャルが放送されて…」
アズキ 「ビックリしたんです」」
キナコ Kellyお手製ブラジャー(ちちふんどし)装着バージョン 「ビックリした状況を、以下に画像で示します」

 

テレビ鑑賞中 CMにコケたA野さんと犬たち 




Kelly ドン引き中 「……そうでっか…」

バティ  「そのコマーシャルは、お薬のコマーシャルなんですが…」
ミュウミュウ 「なんで中年のおばさんがこんな行動をとるのか…」
コロン 「その理由がわかりません」
アズキ 「そうだ。そうだ」
キナコ Kellyお手製ブラジャー(ちちふんどし)装着バージョン 「そうよ。そうよ」

Kelly 会話中 「そうでっか。そやけどそのコマーシャルがどんなもんやったか…それが分からんとなんにも話ができへんやんか」

バティ  「その通りですね。でも、そのコマーシャルを詳細に説明するには…」
ミュウミュウ 「私たちの言葉や知恵では、限界があります」
コロン 「だから、そのコマーシャルを、今からバティがまねをして、それをKellyさんに見てもらいます。ビックリしないでください」
アズキ 「ちなみに僕は、そのコマーシャルをみて、すごくビックリしました。
それはいつか、Kellyさんにスネション攻撃を仕掛けて、ママにすごぉ~~く怒られたときみたいに、○ン○ンが縮み上がりました。 Kellyさんも、びっくりして縮み上がらないようにしてください」

キナコ Kellyお手製ブラジャー(ちちふんどし)装着バージョン 「私もビックリして、思わずお漏らししそうになりました。だからKellyさん、ビックリしてお漏らししないでください。
 では、バティ(実はキナコとアズキのパパ)が、そのコマーシャルのまねをしますので、心の準備をしてください。
それでは、以下の画像をご覧ください」

 

バティ あるわけよ!これが!のマネをする Kellyあっちょんぶりけ 大サイズ





バティ  「Kellyさん…」
ミュウミュウ 「変な顔…」
コロン 「ママのブタ顔(A野はん 豚顔  )よりすごい」
アズキ 「そうだ。そうだ」
キナコ Kellyお手製ブラジャー(ちちふんどし)装着バージョン 「そうよ。そうよ」

Kelly 仰天中 「そやけどビックリしまんがな。あんたらやA野はんがコケるのもよう分かりまっせ」

バティ  「でも僕たちは、僕たちやママがビックリしてコケたことを問題にしてるのではありません」
ミュウミュウ 「この薬のコマーシャルは、どうしてこんなコマーシャルになったのか…」
コロン 「どうしてこのおばさんは、こんな行動をとったのか…」
アズキ 「その理由を知りたいのです」
キナコ Kellyお手製ブラジャー(ちちふんどし)装着バージョン 「訳が分かりません…」

Kelly 会話中 「そうか…あんたらの着眼点はなかなか鋭いな。そやからそれは、なぜ大げさなコマーシャルになってるのか?ほんでからにこのおばさんの行動は、薬の効能を示しているとしても、ちょっと訳が分からん…あんたらはその理由を知りたいってことやな」

バティ  「そうです」
ミュウミュウ 「その通りです」
コロン 「薬のコマーシャルなら、本来、大げさに宣伝する必要など無いと思うのですが…」
アズキ 「薬が必要な人は、薬を買うに決まってます」
キナコ Kellyお手製ブラジャー(ちちふんどし)装着バージョン 「必要なものは必要だからです」

Kelly 会話中 「その通りやな。 
そやけど、同じような薬がたくさんあるから、テレビ見てる人に、自分のところの製品だけを買って欲しい。そやから大げさなコマーシャルを作るんやけど、今キナコはんが言ったみたいに、“必要なものは必要”…そんなことを思うてたら、自分ところの薬は売り上げがあがらへん。
そやから薬メーカーは、広告代理店にコマーシャルの作成を頼んで、広告代理店はタレントを使ったコマーシャルを作るんやけど…ほんでから、印象に残るコマーシャルでないと、薬のことを覚えてくれへんって思うてるから、広告代理店の人たちは、大げさなキャッチコピーや、大げさな演出なんかを考える。
 そやけどそれは、薬の効用を示すものって感じではなくなっている。そやからあんたらは、このコマーシャルに違和感を覚えた」

バティ  「今Kellyさんがおっしゃっていただいたこと…」
ミュウミュウ 「私たちは、人間ではないから、上手く言葉を使って表現できませんけど…」
コロン 「今のKellyさんの言い回しは、僕たちが思ってたことを正確に代弁してくれたと思います」
アズキ 「さすがです!!」
キナコ Kellyお手製ブラジャー(ちちふんどし)装着バージョン 「勉強になります!!」

Kelly 会話中 「そんな褒めてもろたら恐縮でんねん。
 そやから、本来、コマーシャルって言うのんはどうあるべきなのか。 
それは、人間が定めた“放送基準”ってもんがありまんねん。
その第13章に、“広告の責任”って項目がありまんねん。それはこんなことが謳ってありまんねん。

“広告は、真実を伝え、視聴者に利益をもたらすものでなければならない。”

“広告は、視聴者に対して真実を伝え、責任の持てる取り扱いをしなければならない。”

“事実を偽ったり必要以上に誇張するなどして視聴者に誤認を起こさせること はもちろん、一方的な自己主張に偏り、例えば消費者の心身に悪影響を及ぼしたり、経済的損失を与えたりするような広告は取り扱ってはならない。”

“広告は、常に視聴者に利益をもたらし、健全な社会生活に役立ち、広く社会の信頼をかち得るように努めなければならない。”

バティ  「あのおばさんの行動は、“真実を伝え”って項目に当たるんだろうか」
ミュウミュウ 「あのコマーシャル自体は“責任の持てる取り扱いをしなければならない”…はたしてそうなんでしょうか」
コロン 「“事実を偽ったり必要以上に誇張するなどして視聴者に誤認を起こさせる”って項目に、該当するのではないのだろうか」
アズキ 「“一方的な自己主張に偏り”…これに該当するのではないのだろうか」
キナコ Kellyお手製ブラジャー(ちちふんどし)装着バージョン 「そしてあのコマーシャルは“広く社会の信頼をかち得るように努めなければならない”…はたしてそうなのでしょうか」

Kelly 会話中 「あんたらの言うとおりでんな。確かに矛盾を感じまんな。
ほんでからこのコマーシャルに限らず、コマーシャルって言うのんは、大体、大げさでっしゃろ。
そやからあんたらの疑問って言うのんは、何でこんな大げさなことをするのか、それが知りたいってことやと思うけど、それは一言で言えばこのあいだの話の、○○歌合戦に出場した人や、N○Kのキャッチコピーに共通する“ただ目立ちたい”って心(靈)の動きでんねん。
そやから、目立って目立って印象深いものにしたい…そやけどKellyさん的には、あのコマーシャル内でのおばさんの行為は覚えてるけど、どのメーカーの薬やったのか、どんなときに使ったらエエのかは、あんまり印象に残ってへん感じやな」

バティ  「やっぱり変だ」
ミュウミュウ 「なにかおかしいわ」
コロン 「それはやはり、このあいだ僕たちが思ったみたいに、ただ目立ちたいって思いは、(通貨としての)金が絡んでいるからだ。
仮にさっきキナコが言ったみたいに、“必要なものは必要”…そんな認識であったならば、効果を誇張したり、大げさな演出のコマーシャルを作る理由なんてないはずだ」
アズキ 「コロンの言うとおりだ」
キナコ Kellyお手製ブラジャー(ちちふんどし)装着バージョン 「目立ちたいって思いが、大げさなコマーシャルを作り、コマーシャルの作成に(通貨としての)金をかけ、タレントを雇うのに金をかけ、そんなことをするから、なおいっそう儲けなければならなくなるのではないのでしょうか」

Kelly 会話中 「あんたらの言うとおり、大げさなコマーシャルを作る理由はやっぱり儲けたいからでんな。
大体あの薬は、絶対に必要な薬では無いやん。使わへんかったなら、ちょっとかゆいかもしれへんけど、そんなもんは人の生死に関わることではないし、無ければ無いで、それですんでしまうもんやと思いまんねん。
そやからそれはたいして必要なものではないけど、それを売ってまで儲けたいと思うのも、言うまでもなく(通貨としての)金が絡んでいるからでんねん。
 そやからそれは、このあいだと同じような話になるけれど、人間の幸福の概念は、ちょっと間違えてて、(通貨としての)金がたくさん欲しい。ほんでから物欲が満たされることが幸せやと思うてる人はとても多い。
そんなこんなが理由で、そやから広告代理店は、視聴者の印象に残るコマーシャルを作ろうとする。ほんでからタレントを起用する。
さっきキナコはんが“なおいっそう儲けなければならなくなる”って指摘したみたいに、すごく(通貨としての)金がかかる。
こんなことをせんならん理由は、やはり(通貨としての)金や物欲って価値観と、その価値観が前提になってる幸福の概念がある。
それは、あんたら動物より少し進化した人間が持ってる“力”(力、知恵、知識…学問…能力、そして霊能力を含む)のうちの、知恵と知識と学問と能力を、どんなふうに使うのか。
“どういうつもり”で使うのか。
そこに問題があり、(通貨としての)金と物欲のために知恵と知識と学問と能力を使うってことでんねん。
ほんでからに人間が思ってることとして、(通貨としての)金と物がたくさんあると名誉やと思ったりもする。
そやから金儲けに走り、物欲由来の幸福の概念を持ったりもする。
そやからこの間も言うたけど、形骸の価値、それは自我の肥大に由来することでもある。自我が肥大するから、ほんまの幸福って言うのが分からんようになるもんでんねん。
ほんでからこの世界はそんな人間がたくさんでんねん。
そやから、今夜、あんたらが問題にしたコマーシャルでもそうやけど、大体テレビは、目立つ番組、センセーショナルな話題、視聴率を稼ぐための番組作り…いちいち例を挙げるときりが無いけど、それはすべて人の心(靈)が生み出してきたものであることは理解できまっしゃろ。
それを生み出してきた人の心(靈)には、金儲けと物欲由来の幸福の概念があり、そやからさっきあんたらが指摘したコマーシャルみたいに、放送基準の第13章、“広告の責任”に照らし合わせるとなんとなくおかしいって結果になるって思いまんねん。
ほんでからそれは、自我の肥大(と言う、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の過程)による幸福の概念の間違い、勘違いがあると思いまんねん。
それに比べ、あんたらはまだ自我の肥大ってことがあんまり無いし、そして人間ほど、知恵や知識や学問や能力ってもんを獲得していない。
だからこそあんたらの人間の観察は、人間の心(靈)の醜さってことを指摘できるんやろし…ほんでからあんたらの幸福の概念は…人ほど穢れて(けがれて)いないってKellyさん的には、思えるやんか」

バティ  「僕たちは、ママと一緒に暮らして、ママと仲良くするのがうれしい。それとたまにKellyさんとママと公園で遊ぶのがうれしい」
ミュウミュウ 「私たちの欲望や幸福の概念は、その程度だわ」
コロン 「それと、ドッグフードが毎日食べられればいい。
でも、たまにはウルチョラスーパーベリベリデリシャスドッグフードも食べたいけど、それは、僕たちがママやKellyさんに芸を見せたときだけでいい。
だからそれは、僕たちの芸に対する正当な報酬だ」
アズキ 「そうだ。そうだ。人間は正当な報酬以上の何かを求めるから大げさになるんだ」

キナコ Kellyお手製ブラジャー(ちちふんどし)装着バージョン 「そうよ。そうよ。人間は欲張りすぎよ。分相応ってことを忘れてるのよ」

Kelly 会話中 「まったくそうでんな。

(この犬たちのセリフは前回の記事のコピペやな。キナコはんの画像がブラジャー(ちちふんどし)付きになってるだけやんか。 …○○○大先生、手抜きでっせ!!)

 そやからアズキはんが今言った“正当な報酬”、そしてキナコはんが言った“分相応”これを忘れさせてしまうのが自我の肥大で、自我を肥大させる理由は、薄っぺらい幸福の概念で、薄っぺらい幸福の概念を構築したのは(通貨としての)金に対する執着と物欲でんねん。
ほんでから、目立ちたいって思いはあんたらでも分かると思うけど、あんたらが今まで、犬芸をしてウルチョラスーパーベリベリデリシャスドッグフードをもらったとき、嬉しかったやろ。
そやけどそれは、ウルチョラスーパーベリベリデリシャスドッグフードをもらったから嬉しかっただけではなく、自分たちの芸に対する評価に対しても、嬉しかったと思いまんねん。
そやからそれは、あんたらが工夫して頑張って(元の気を張って)、自分たちの芸を自分たちで獲得してきたやん。
 それは、あんたら自身が思う自分たちの“力”の示し方でもあるし、“力”を示したからこそ、正当な報酬として、ウルチョラスーパーベリベリデリシャスドッグフードをもらえたんだってあんたら自身が自覚を持ってはるやんか。 
そやからそれは、あんたらが自分の在り方ってことをしっかり分かってて、そやからこそ、あんたらには、人間よりも“正当な報酬”とか“分相応”ってことがよく分かってるみたいにKellyさんは見えまんがな。
そやから今夜のコマーシャルの話は、たいして必要でもない薬を、法外なギャラを取るタレントを起用して…大体タレントの報酬なんて高すぎると思うし…ほんでから、大げさな演出をする。広告代理店や薬メーカーは、そんなことまでしてたくさん売ろうって思惑を持ってるってことでんな。 
それが、一般の地球人の心(靈)の発現と動きって言うのんを如実に表してて、そこには自我の肥大ゆえの薄っぺらい幸福の概念があり、ほんでからテレビ見てる人も同じような心(靈)の発言と動きを持ってはる人が大半やから、たいしてあのコマーシャルがおかしいとか変とかの意識を持たんのやろな。
 …大体こんな説明でエエんやろかな」

バティ  「大体分かりました」
ミュウミュウ 「人間って、欲張りなのね」
コロン 「僕たちにも欲はあるけど、自分の欲望を満たしたいなら、それなりに頑張らなければならない。僕たちはそう在るべきだと思うし、だからこそ僕たちは、僕たちの犬芸を、ママやKellyさんに見せてきたんだ。
そしてそれは、○○○大先生の言い方を真似すれば、エネルギーを贖う(あがなう)ってことなんだな。そして僕たちの犬芸は、“術”(“力”の顕現)ってことなんだな」
アズキ 「そうだそうだ! 僕たちは人間のような大げさなことをして、たくさんの(通貨としての)金や、たくさんのエサが欲しいなんて思わない」

キナコ Kellyお手製ブラジャー(ちちふんどし)装着バージョン 「そうよ。エサの摂り過ぎはメタボ犬になるからいけないのよ。メタボ犬になって、スタイルが悪くなって、Kellyさんにもらったブラジャー(ちちふんどし)が似合わなくなってもいけないのよ」

Kelly 会話中 「わかってくれはったようでんな」(キナコはん…ちょっとボケてるけど…)

バティ  「分かりやすい話をしてくれてありがとう。Kellyさん」
ミュウミュウ 「これからも寝てるときに、話をしたいです」
コロン 「今夜の話題以外にも、人間のやることにたくさんの疑問を感じてます」
アズキ 「お願いします」
キナコ Kellyお手製ブラジャー(ちちふんどし)装着バージョン 「お願いします」

Kelly 会話中 「承知しましてんな。夢の中ならいつでも話できまんがな。遠慮せんといつでも登場してくださいでんねん」(また…前回のセリフを少し編集しただけのコピペや…)


バティ  「それじゃ~今夜は失礼します」
ミュウミュウ 「また、お邪魔します」
コロン 「この次も、僕たちに分かりやすい話をお願いします」
アズキ 「じゃあね~~」
キナコ Kellyお手製ブラジャー(ちちふんどし)装着バージョン 「さようなら~~」

 

犬後退 キナコリボン付き 



Kelly 会話中 「帰っていきはった。おっ!!キナコはんだけ戻ってきたやんか」
(またまたコピペやな。すごい手抜きでっせ)

キナコだけ戻る 


キナコ Kellyお手製ブラジャー(ちちふんどし)装着バージョン 「Kellyさん。
実は、このあいだキナコは、前回の記事にコメントいただいた、fumiさん顔  さんのところに、暖かいコメントをいただいたお礼を言いたくて、おじゃましました。
 そのときに fumiさん顔 さんに、こんな提案をしてもらいました。

“あのね、キナコちゃん。
人間の女性がつけるブラジャーはインナー、下着なの。
下着姿を人前にさらすのはお行儀悪いかも…。
でもね、Kellyさんお手製のブラジャーはとってもおしゃれだし、下着にはもったいない。Kellyさんに同じ布でアウター用ショーツ (^o^)を作ってもらって、ちょっぴり挑発的で可愛い水着にしちゃったらどうかしら?キナコちゃん、きっと似合うわよ~真夏のビーチで踊ったら拍手喝采間違いなし…うん!”

 それでKellyさんにお願いがあります。 もともと私たち犬には、全裸で恥ずかしいとかの認識は無いのですが、ブラジャー(ちちふんどし)とピンクのリボンだけ着けているのは、なんとなく変だと思います。
だから、 fumiさん顔 さんが提案してくださった“アウター用ショーツ (^o^)”に相当するものを作って欲しいんですけど、お願いできますか」

Kelly 会話中 「作ったげるのはかまわへんけど…そやけどキナコはん、“アウター用ショーツ (^o^)”には、ちょっと問題を感じまっせ。 あんたら犬には、人間には無い大事な習性がありまんがな」

キナコ Kellyお手製ブラジャー(ちちふんどし)装着バージョン 「マーキング(犬のおしっこ)ですね。マーキング(犬のおしっこ)のたびに“アウター用ショーツ (^o^)”を脱がなければならない。それと私たちは、人間同様、小もするし、大もする。 そのたびごとにママに迷惑をかけることになります。
だから…Kellyさん。
fumiさん顔 さんの意見も尊重していただいて、キナコの下半身にちょうど良いなにかを考えて欲しいのです」

Kelly 会話中 「承知しましてんな。
そやったならじっくり考えて、キナコはんにちょうどエエなにかを今度までに作っときまんがな。それでエエやろか」

キナコ うれしい顔 「うん!!やった~~!!楽しみにしています。それじゃ〰失礼します」

Kelly 会話中 「気をつけて帰りなはれ。ほなさいなら」



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 セリフを引用させていただき、ネタにさせていただいた、fumi fumiさん顔 さんに、感謝です。
 ちょっと引っ張りますけど、次回、犬たちが登場したとき、キナコキナコ Kellyお手製ブラジャー(ちちふんどし)装着バージョン は、なにかを着用する予定です。

 乞うご期待です(爆)。  by ○○○大先生

 

Kellyさん、ややメタボ内科医のYっちゃん先生と、躁(そう)と鬱(うつ)は、心(靈)の動きの極性の一側面であるという話をする。 “その三”



「Kellyさん、お呼び出ししてすみません。
今日は、この間、僕が一人で考えたことを聞いてもらって、Kellyさんの意見をうかがおうと思います。よろしいでしょうか?」
「承知しましてんな。ぜひ、お聞かせくださいでんねん」



…斯々然々(かくかくしかじか)…
Yっちゃん先生〔 ´゚Д゚`〕、この間一人で考えて導き出した結論と、
その結論を導き出した過程で考えたことを、
詳細に説明中……



「……人が智性を発揮しない。そして今の地球人はたいして智性(神性)を持っていない。そして霊的存在も智性を発揮していない。
さらに目上(めうえ)の脳内の生体内電流の弱体化…それを引き起こす、タバコ、飲酒、薬物など。
そして心(靈)の動きとしての自我の肥大。
その結果は、“一”=智性=1番目のオーラが弱まるって言うのか…どう言い表していいのかよく分からないのですが、その状態の人は、同じように智性(神性)を発揮していない霊的存在との感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)を起こす。
だから、躁(そう)と鬱(うつ)は発症する。
 だからそれは、頭の磁性の弱まりを起こし、その状態の人は智性(神性)を発揮した心(靈)の動きになりにくいし、それに感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)する霊的存在は、目下(めした)の心、本能、情動、功名心、自我、低い愛(炁)、そんな心(靈)の構成になるだろうからこそ、その人の心(靈)が“下”に向かいやすいのかもしれない」
「…よう考えはったな。さすがでんなッ!お見事ッ!勉強になりまっせッ!」
J´艸`し ムププププププププププププププププププ!!

「Kellyさん…茶化してるでしょう…」
「その通りでんねん。すんまへんな。そやけどほんま、よう考えはったと思いまっせ。
そやからそれは、自分自身がほんまのことを知るには、自分がエネルギーを贖う(あがなう)ことをせんとアカンやん。
ほんでからYっちゃん先生が頭使って考えたのは、言うまでもなくYっちゃん先生の脳内の生体内電流の強化にもなるし、ほんでからにしっかり分析して結論を導き出したって言うのんは、目上(めうえ)の脳で考えはったことやおまへんか。
そやからそれは、Yっちゃん先生の智性(神性)の行使ってことでんがな。それはとても尊いことでっせ」
「はあ、それはそうですね」
「Yっちゃん先生が智性の行使をして考えはった。(それは本当のことを見出そうとする心(靈)の動きって言うてもエエんやけど)
そやからこそYっちゃん先生は、躁(そう)と鬱(うつ)のことを考え、自分なりの結論を導き出した。
そやからそれは、この間話をしたように、鬱(うつ)や躁(そう)に付いての命名って言うのんは、同義反復みたいな言い方をすることが多いやん。
それは物事を分析する視点って言うことから言えば、ちょっと問題ありって感じがする。
この間Yっちゃん先生と話したときにもそのことを言うたし…」
「そうですね。ただ症状名を付けて呼称してるだけのことが多いですね。しかしそれは、その人の心(靈)の動きと行動を観察して名称を付けただけ。その心(靈)の動きと行動の根拠をうかがい知ることはできない感じですね」
「そうでんな。
そやから今の話、症状名を付け、そしてその呼び方で分類をする。それではほんまの原因を追究することができないって言う言い方は、ちょっと乱暴でもあると思うけど、今いろんなことが単なる同義反復になってることが多いと思いまんねん。
ほんでから、同義反復の分析を見てるだけで、それ以上のことを追求しない。
そやからそれは本当のことを追求しようとしている心(靈)の動きを持っている人はとても少ない。こんなことはどんな分野でも見られることやと思いまんねん。
そやけど、この話を具体例を挙げてYっちゃん先生と話していくと、とても長い話になりそうやから…そやから、“同義反復のものの見方”ってことが、今一般に多いってことを、忘れんようにするって事が大事」
「そうですね。覚えておきます」
「ほんでから今回Yっちゃん先生が考えてきはったこと。
それはあえて言うまでもないと思うんやけど、Yっちゃん先生の智性って心(靈)の動きに感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)した霊的存在がいてる。それは判りまっしゃろ」
「ええ、それは理解できます。霊的干渉と無縁の事象なんて無いって前のブログで○○○大先生が言ってらした。またそのことが、今回の僕なりの結論を導き出したことでもありますね。
でも普段、そのことをあまり意識していない。一般にもその認識はありませんよね。
それと大体、一般の通念として、霊ってことにたいしての認識が低すぎる。
だからこそ、霊のことを吹聴して金儲けしている人がいる。インチキ霊能力者や、法外な料金を請求するスピリチュアルカウンセリング、何の“行”もやってなくて、霊的成長なんてことをしていないと思われる占い師なんかが霊のことを語ったりもして、こんな馬鹿げたことが横行してますけど、一般の人たちが霊に対しての認識がとても低いし、無知でもある。
そんな認識が低い人に対して、霊って言葉を利用して金儲けしてる人は、霊的なことを自分勝手な解釈をして、たいして何の分析も無く、ただただ知識を吹聴したり憶測をえらそうに言うだけだったりもするって感じですね。
それは、霊や、霊的干渉を分析する視点が無い。また、神仏を観る視点も低い。だからご利益だけ求めたりもするし、悪霊祓いや浄霊を商売にしてる人もいて、そんな商売が成り立っていたりもする。
それは、霊的干渉に付いてもただただ興味本位とか、それと、そんな現象を見ると面白がったり怖がったりするだけ。
そんな人たちは、智性(神性)由来の“観察と認識”をしていない。それはいえますね」
「まったくそうでんな」
「今、躁(そう)と鬱(うつ)のこととは、違う話になってますけど、この間から僕が思っている、何か恫喝するような言葉や言い回しで(通貨としての)金をとるってことが多すぎるような気がする。
それはスピリチュアルカウンセリングでも占いでもお祓い屋でもインチキ霊能力者でも…そして、医者でもそうですよね。
なんとか病の疑いがあります…そして、検査検査検査…そしてたくさんの薬をだす。そんなことも考えたんです」
「そうでっか。
今Yっちゃん先生が言わはったこと。今Yっちゃん先生が指摘した人たちの行動の根拠って言うのんは、低い欲望でっしゃろ」
「その通りですね。自分だけ良い目を見たいってことですね。それは明白ですよね。そしてその心(靈)の動きをする人は、たいして霊的成長を果たしていない。
言い換えればそれは、智性由来の考えではない。
そして自分の医者としての立場として思うのは、医者の知識を利用して、相手を恫喝したりして診療報酬をとったりもする医者が多い。そんな傾向はありますよね。
しかし、今の話でも、さっきの“同義反復のものの見方”って概念を当てはめて言い換えれば、その人たちの行動を観察して問題があるって指摘するだけでは、単なる同義反復でしかない。
その人たちの行動の根拠、それが今Kellyさんが言った“低い欲望”…その視点が大事で、低い欲望由来の行動をとる人は、自分たちの仕事を神聖に感じていない」
「そうでんな。その一例として、これは恫喝ってことではないけど…この間先生が少しぼやいてたことで、ちょっとひどい話があったやん。
それは先生の治療院にときどきいらっしゃる人の話なんやけど、その人は前立腺肥大で泌尿器科に通院していらっしゃる60歳ちょっと過ぎの人なんやけど、診察中に、自分は性的にだめになったなんて一言も言っていないのに、バイアグラを処方され、8000円近く払ったなんて話を聞いたそうでんねん。 
これはどういうことでっかって思いまっしゃろ。
ほんでからに最近発覚したこととして、とある接骨院の保険水増し請求とか、こんなことはどんな心(靈)の動きで行われてることなのか、言うまでもないことでんな」
「そうですね。
だからそれは、Kellyさん的“日月神示”解釈の表記を引用すれば、“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”ですけど…しかしひどい話ですね」
「そやけどこんなことは単なる一例に過ぎない。
今、どんなことでも自己奉仕者の霊的成長度の人が活躍してて、その心(靈)の動きのまま死んでしまう。 
これがとても大事な視点でもある。
自己奉仕者の心(靈)の動きをする人には、自己奉仕者の心(靈)の動きを持った霊的存在が憑依する。感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)でんな」
「そうですね」
「そやから一般に多い霊的干渉って言うのんは、一般の人たちの心(靈)の動きに感応共振する霊的干渉が多い。これも理解できまっしゃろ」
「そうですね。
今、Kellyさんがおっしゃったこと、それは自己奉仕者の心(靈)の動きをする人に、自己奉仕者のまま死んだ浮遊霊たちが憑依する。
そしてそれは、智性を持った人、智性を行使して死んだ人、そんな霊の憑依ではない。
霊的存在自身が、智性の行使をする存在であるなら、ちょっと表現が適切ではないかもしれないですが、何か祟ったり(たたったり)はしないですよね」
「そうでんな。
そやから、進化した=霊的成長した霊的存在は、肉体を持っていようがいまいが、自分の在り方を考える。こんな行動をしていて良いのだろうかとか、今、自分が行っていることはどんな意味と意義があるのかとか、常に考えるもんでんねん。
そやから自分自身に対し、そんなものの見方が出来得るならば、自分以外の他者、回りくどい言い方をしたけど、誰かに害を及ぼすなんてことはせんもんでんねん。
ほんでからYっちゃん先生にあえて言うまでも無いことやけど、このことは、霊、対、霊、であろうが、人、対、霊、であろうが、肉体って物質をまとった心(靈)=人、対、肉体って物質をまとった心(靈)、であろうが…」
「おっしゃる意味はよく分かります。
だから悪霊、霊現象、霊の種類とか…何か霊障って影響を及ぼすと思われる因縁霊とか浮遊霊とか自縛霊とか。
こういう呼び方もその霊的存在の心(靈)の動きを言い表した適切な呼び方ではないし、そして、どうして悪霊って感じられる霊的存在になったのかって言う根拠を示した呼び方でもない。
今のKellyさんの言い方は、そのことまで指摘している言い方ですね。
だから結局、心(靈)の動きの根拠って視点が無い」
「そうでんな。
そやから、今回、Yっちゃん先生が考えてきはったのは、智性の無い心(靈)の動きってことで、それは人だろうが、霊的存在だろうが、その両者に言えることでっしゃろ」
「そうですね。それはいえると思います」
「そやからそれは、如何にこの世界が進化していないのかの証明になることでもありまんねん」
「そうですね。
○○○大先生とKellyさんの概念の、進化は、霊的成長、神格化に向かうこと、だから神格化って言うのは智性(神性)の発現と行使、そして“一”=智性=1番目のオーラの拡大。
今、話していた、低い行動をする人と霊的存在は、智性を持っていないか、智性を発現していないか、自分の心(靈)の中の智性由来の考えを無視している。
そしてこの世界は、人だろうが霊だろうが、そんな存在でいっぱいの世界なんだ」
「そうでんねん。そやから、低い行動をする人、同様に低い心の霊的存在は、今後=アセンション後の事象の“創造”に参加できん。
そやから分けんならん。それが神さんの計画でもある。
言うまでもなくその計画は、相対的に良い世界の“創造”をしていく人をより分ける。
そやけどほんまは、より分けられのではなく、自分の心(靈)の動きと、それまで(アセンションの時期)に、どんな霊的成長をしたのかによる。
自己奉仕者の人と、自己奉仕者の心(靈)の動きを持った霊的存在は、次の段階の“創造”を担うことは出来ない。仮にその存在たちが次の段階に移行したなら、今と同じ程度の世界にしかならへん。
今Kellyさんが言うたことを検証するために…仮に、この世界が智性(神性)を行使する存在だけの世界になったなら、自分が何かの因縁や、恨みの連鎖の霊的干渉の結果として突然死しても、それは悪霊にはならないと思えるやないですか。
智性を持った霊的存在は、自分がなぜ突然死したのかその理由を考える。その意味と意義を考える。
例えば、自分の生きてきたときの行動に問題があれば、自省(胸の磁性“十”)する。
因縁を背負っていて突然死したなら、その因縁がなぜ起きたのか考える。
恨みの連鎖の霊的干渉の影響を受けたとしたなら、自分がなぜその霊的干渉の影響を受けたのか=どんな心(靈)の動きをしていたのか、自分なりに分析する。
そやからそんな考えがあったとするなら、自分が悪霊や因縁霊、恨みの連鎖の霊的干渉に加担する存在になるなんてことを、自分に許さんようになる」
「そうか。だから、智性を発現していない人が突然死したら、突然死したことしか考えず、その理由を考えない。
ですからそれは、長患いの病人でも同じことが言え、自分の行動の結果としての病気、いつだったか糖尿病の話もしましたけど、結果それは、自分が悪いんだって思っていない。自分の生活の結果が病気なんだって自覚が無い。そして病気が、自分にとっての正当な報酬だって考えもしない。
そしてその人が死んだなら、子孫に自分の苦しみを分かって欲しい因縁霊になる……って言うよりも、因縁霊に成り下がるって言うのが妥当ですね。
そうなってしまうのはその存在の心(靈)の在り方に問題がある。
だから仏教では、自省(胸の磁性“十”)をする地獄、閻魔の庁の浄玻璃の鏡(えんまのちょうのじょうはりのかがみ)って地獄があるって説かれてるけど、お坊さんはただ地獄があるとしか言ってないみたいなものですね。糖尿病や通風や…そんなお坊さんも多いから」
「そうでんな。そやからそれは、自分の心(靈)が低い欲望に支配されてるって認識が無い。だから生きてたことのうちの、なんとなく楽しかったって思っていたことに執着するから悪霊になるってことでんねん。
言うまでもなく“なんとなく楽しかったって思っていたこと”は、食う、やる(性的なこと)、など、本能に由来することや、物欲が満たされてたときとか…他にもあるけれど、そやからそれは、下の心(靈)の動き、本能って心(靈)の動き、その上の情動、そしてその上の、自我、低い功名心と自尊心、その心(靈)の動きしか持っていない霊的存在は、同じ進化程度の人と感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)をする。
今回Yっちゃん先生が導き出した結論は、このことを示してまんな」
「そうかもしれません。
だから、智性(神性)を持った存在だけの世界になったとしたらば、低い霊的干渉は無くなっていく。
そしてそれは、因縁霊由来の霊的干渉とか、恨みの連鎖の霊的干渉とか、現象から言えば突然死とか、自分に甘い(亜、魔、出ずる、泉)から発症する病気とか、他にも殺人…殺したから殺すなんて霊的干渉も無くなっていく。それは考えれますね」
「そうでんな。
そやから躁(そう)と鬱(うつ)、これも、発症した人が智性をしっかり持っていたとするなら、自分で自分の在り方を考え、低い霊的存在=智性(神性)を持たない霊的存在との感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)はおき得ないもんでんねん。
そやけど、躁(そう)と鬱(うつ)はこの間も話したとおり、人生においての右往左往と左往右往って側面もあるもんでんねん。それをちょっと大げさに扱いすぎる傾向もある。
それはいつやったか、ヤフーニュースにこんなことが書かれてた。

“抑うつなどの症状が続くうつ病の患者数(躁(そう)うつ病を含む)が、初めて100万人を超えたことが、厚生労働省が3年ごとに実施している患者調査でわかった。 長引く不況などが背景とみられる一方、新しい抗うつ薬の登場が患者増につながっていると指摘する声もある。 患者調査によると、うつ病が大半を占める「気分障害」の患者数は、1996年に43万3000人、99年は44万1000人とほぼ横ばいだったが、2002年調査から71万1000人と急増し、今回の08年調査では、104万1000人に達した。 10年足らずで2・4倍に急増していることについて、杏林大保健学部の田島治教授(精神科医)は、「うつ病の啓発が進み、軽症者の受診増も一因」と指摘する。
 うつ病患者の増加は、新しいタイプの抗うつ薬が国内でも相次いで発売された時期と重なる。パナソニック健康保険組合予防医療部の冨高辰一郎部長(精神科医)は、「軽症のうつは自然に治るものも多い。しかし日本ではうつを早く発見し、薬を飲めば治るという流れが続いており、本来必要がない人までが、薬物治療を受けている面があるのではないか」と話す”

 この記事は、鬱(うつ)病の増加と、そして鬱(うつ)病の啓発と新薬の開発、その問題点まで指摘してる」
「そうですね。軽症の鬱(うつ)に投薬する。軽症者の受診数の増加。これは、自分に起きたことを大げさに扱うって傾向があるのだろうし、自分が“かわいそう”って思いですね。
自分が“かわいそう”…これは苦難を試練としない考えですし、またそこには、自我の肥大もある。
そしてその思いに感応共振する霊的存在が多数いる。それは○○○大先生の一冊目の本の中でKellyさんが月の凝視をしていたときに考えいらっしゃったことでもありますよね。
(ローム太霊との出会い ウエサク際月の祭り “続き” 参照)
要は“自分がかわいそう”って言うのは、ちょっと甘い。そしてそれは、自分に起きたことに対し、智性(神性)由来の観察をしていない。だからそれは、多分、患者も薬を要求するし、医者も軽症の鬱(うつ)に投薬する。それを指摘しているニュースでもありますね」
「そうでんな。ちょっと問題でっしゃろ」
「そうですね。患者も医者も、物事の見方が低い感じですよね」
「それが判ったなら結構なことでんがな。
そやから、Yっちゃん先生にはそんな物事の見方をする人になって欲しくない。なんでも理由を考え、人の心(靈)の動きの根拠ってことを考える。
それは“思惑の顕現”=現象化を分析するにあたって、重要なことでんねん。
その考え方をする人は、言うまでも無く、智性(神性)由来の思想を持ち、自分の智性(神性)由来の考え=発振、発信は、“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)との霊的干渉が起き、“上”の通信を受け、それが自分の思想になっていく。そういう人との出会いを○○○大先生とKellyさんが望でいて、そういう霊縁を求めてまんねん。
そやから躁(そう)と鬱(うつ)から話が大幅にそれてるけど、けっかそれは、どれくらい智性(神性)を発揮しているのかによる。
そしてこの世界は、智性(神性)を持っている人と霊的存在は、少ないってことが判りまんねん。
ほんでからそのことが、因縁や、事故や災害などの突然死や、人を恨んでる霊的存在の通信を受けていて自殺する人や、殺したから殺すって言う思いを受けて人殺しをする人や、こんなこと具体的に例を挙げてたらきりが無いけど、その現象=事件の裏側には、人の心(靈)の動きと、その心(靈)の動きに感応共振する霊的存在が居てる。
今回Yっちゃん先生が導き出した結論には、そのことまで思わされるものやって、Kellyさんの感想を述べさせてもらいましてんな」
「そうでしたか…ですけど、難しい話になりましたね」
「そうでんな。
ほんでから今日は鬱(うつ)について感じたことをKellyさんはYっちゃん先生と話したかったけど、ちょっと長い話になったからくたびれましたやろ。そやから今回は見送りまんねん。この次に話しようやおまへんか」
「そうですね。今日話したことを、僕なりに整理したいですし…」
「そうしてくださいでんねん。
ほんでから、この間うちKellyさんは検索してて、頭から通電する治療があることを知ったやん」
「それは、mECTとか、TMS 、rTMSとかですか」
「そうやな。それについて思ったことがありまんねん。
次回にYっちゃん先生と話すとき、それについてもKellyさんの意見を聞いてもらおうと思ってるけど、エエですやろか」
「わかりました。
mECTとか、TMS 、 rTMSについては僕の専門外なので、自分なりに調べてきます。それからKellyさんと話した方がいいですよね」
「そうでんな。そやから今回はここまでにしようやおまへんか」
「承知しました。
それじゃ、また連絡させてもらいます。今日はこれで、失礼します」
「ほな、さいならでんねん」


Kellyさん、ややメタボ内科医のYっちゃん先生と、躁(そう)と鬱(うつ)は、心(靈)の動きの極性の一側面であるという話をする。 “その二”


……Yっちゃん先生 〔 ´゚Д゚`〕 …ぼやき中……


 …この間のKellyさんの話は…難しかった。 それと、Kellyさんはよくしゃべるおばさんだ。Kellyさんも○○○大先生同様、いろんなことを考えていて、たくさんの認識を持っていて、それを人に伝えようとすると、伝えたいことがたくさん出てきて止まらなくなってしまうんだろうな…きっと。

それはおいといて…この間の話の内容、とくに人の肉体にある左と右、日足(ひたり)と砌(みぎり)の極性の現れ…それによる荷電粒子の回転…生物が持つ縦の磁束に対し、ローレンツ力で荷電粒子が回転して場(フィールド)を構成し、それが心で、霊なんだってこと…その概念は、なんとなく分かる。
だから、その認識で考えれば、肉体の死は生体内電流の消失…この言い回しも正確な表現ではないんだ。 ただ単に、分かりやすい表現だな。この表現を使わなければ、生体内電流のことを認識しないからだ。

…人が死だって思ってること、それは、肉体内の生体内電流=荷電粒子の場(フィールド)が肉体内に無くなるから、その肉体という物質の中から、違うところへ移動するから、それを生きている人間が見ると…言い換えればその過程を観察して“死”って認識するんだな。
だから、それも、人(日止、霊止)って進化過程の心(靈)による“観察と認識”なんだ。
それだからこそ、人によって、死に対する認識の違いってことがあるんだな。
認識の低い人、極端に霊的成長度の低い人、死後の世界とか、霊的存在ってことに対し何も思わないとか、霊なんて無いって思ってる人は以外に多い。
特に医者の世界では、霊なんて概念はタブー視されてる傾向もある。
だから、霊や死後の世界に対して認識が無い人ってのは、自分自身が、物質をまとった心=霊って認識も無い。
肉体って言うのは、心(靈)が感じ(感じる磁性)ている物質なんだって認識が無い。
Kellyさんや○○○大先生の言い回しを引用すれば、そういう言い方にもなるな。

それに…うちの患者さんにもいろんな人がいる。
死んでしまって、はやく楽になりたいって言う人もいるし…死に対して、荷電粒子で出来た場(フィールド)の移動が、それが死なんだって認識ができていないから、死んだら終わりって低い考えを持つ人もいるんだ。
もっとも今、僕が思ったのは、これも○○○大先生とKellyさんの認識に由来することだし、それを通じて僕が思ったことだし、だからこそ“死と生”について僕自身が考えることができる。
だけれども…一般には、肉体から霊が抜け出ることが死なんだって言い回ししかないだろうし、その言い回しも、死を正確に言い表した言い方ではないかもしれない。
だから、今考えていた概念…死、生体内電流、霊が荷電粒子の回転によって構成されていること、そして心(靈)が行っている事象の“観察と認識”…これらのことはいちいち難しい言葉だが、妥当な表現だと思える。
そして、霊とか死後の世界とかに対して認識が低い、よく考えていないってのは、生きているってことと死に対する認識が低いってことになるのかもしれない。
生きていることは、やはり死を前提に考えるべきでもあるだろうし、死んでからだって自分自身って存在は無くなるわけではない。
それを考えるから、それだからこそ、自分の生き方、在り方ってことを深く思うこともできるのだろう。 そしてその考えを行うのは、大脳新皮質、○○○大先生の言い回しなら目上(めうえ)の脳だな。
…いいや、ちがうな。目上(めうえ)で発現した心(靈)だな。こういう言い方が正確な言い回しだな。
だからその心(靈)の発現と心(靈)の動き、それは智性(神性)だし、“死と生”を、きちんと認識できる…深く考えて、自分の生き方の指標にできる。
そのことを思うのは、智性(神性)でしかできないって言っても過言ではないな。
だからそれは、目上(めうえ)の脳をあまり持っていない動物には考える能力があるとは思えないし、ただただ本能中心の行動が多いだろうし、自我の確立=固定化の進化過程って“Kellyさんとの会話”(一本目のブログのこと)で何回も指摘されていたし、動物が進化して人になる。
それは、地球の場合、猿が人(日止、霊止)って段階に移行したみたいな言い回しだった。
だからこそ人しか言葉を使えない。
前のブログでは、茶化してワンワンニャ~ニャ~ブ~ブ~モ~モ~コケコッコ~って表記があったけど、動物の言葉ってのはその程度でしかないし、人間が鳴き声みたいにしか聞こえないことそのものが、人(日止、霊止)の観察による認識でもあり、だから動物は人間より下、“下”(低い心(靈))って感じられる。

今、僕は、違うこと考えてるけど、人って心(靈)はそうやって事象を観察し、自分の心(靈)なりの認識をする…それも、言葉によって認識をする。しかしそれは、人間と動物の違い、それは認識の違い、認識の違いは、霊的成長度の違い、それは“一”=智性=1番目のオーラに顕れる。
そんなことが前のブログには書いてあった。
だから…言葉って大事だな。

…でも、今考えていたこと、一般の認識としての霊って言葉に、生体内電流とか荷電粒子とかの認識は無い。そして、心が霊と同義なんて認識もあまり無いな。
だから霊なんて言葉はインチキ霊能力者が金儲けに利用するために相手を恫喝する言葉に成り下がっている。そして医者も、薬屋も、相手を恫喝するような言葉の使い方をすることが多い…そんなこともKellyさんは指摘してたし、僕自身もそう思うな。

…本題に戻ろう。

そして、動物から人(日止、霊止)、それも進化過程で、自我の確立=固定化から智性(神性)の発現、そして“慈悲”と“慈愛”の心(靈)の動きを持つようになる。
それがあまり無い人、心(靈)の動きとして観察されない…自分の行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)に表れない…自分の思惑として顕現できない…。
○○○大先生流の言い回しならこういう複雑な表現になるのだろうけど、要は、霊的成長度の低い人=愛(炁)の顕現の程度が低い人は、自分の欲望を満たすことしかしない。
仮に心(靈)の中に、“慈悲”と“慈愛”が少しあっても、そんな行動しか取らないってことだ。
だからそれは、“慈悲”と“慈愛”、そして智性(神性)由来の認識が自分の内面とか内側(心の中と感じている事)にあっても、外側(外国と幽界)の事象には顕すことができないって言い方もできる。

人って言うのは、誰でも多少なり智性を持っているだろうから、善悪も理解できるだろうし、自分たちのよいカタチである幸福って概念も持つだろうけど、智性(神性)や、“慈悲”と“慈愛”の心(靈)の動きを、自分の外側(外国と幽界)の事象に顕さないから、自己奉仕者になる。
だから自己奉仕者…結果それは、智性があまり無いとか、発揮できていない人って観察し得る。
それは、智性由来の思想を自分で持たない…智性由来の事象の観察をしない人だし、言い換えれば、自分の心の中にあると思われる心の動きとしての智性を、自分で無視してる人。
それは自分に甘い考えとも思えるし、自分の心(靈)の甘さが、自分の一生を左右し、そして病気って問題を自分がかかえたなら、それを排除できるとか、自分の甘さを克服するとか…その心(靈)の動きを持つまで苦しまなければならないだろう。
そして、智性があまり無い…“死と生”に対して認識があまり無い人は、病気って苦難を目の前にしても、自暴自棄になったり、やけくそなことを言ったり、極端な場合は自殺したりもするんだろう。
それも“死と生”に対する認識の低い人は、生きている間だけがすべてってことを前提に思うから、生きている間に楽しまなければ損だとか…糖尿病の食事制限ができない人みたいなものだな。
自分が好き勝手に生きてなぜ悪い、食べたいもの食べてなぜ悪い、飲みたい酒をなぜやめなければならないんだ、なぜタバコをやめなれればいけないんだ、自分が自分の思うように一生を過ごしてなぜ悪い、そんなこと誰にも指図されたくない…とか思うんだ。
まったく自我の肥大だな。
だからこそ、智性由来の考え方とか視点とかが無い…それは、自分の生き方とか在り方ってことを考えないし、この場合は、病気が自分に与えられた試練としての苦難なんて考えが無いからだな。
そういう死に方をした人は、きっとこの世界を彷徨う浮遊霊になるんだろう。
その心(靈)の動きを持った浮遊霊は、子孫に憑依して、自分の苦しみをわかって欲しいから子孫を病気にする…因縁霊って言うのは、そういうことをするものだろうけど、それは、その因縁霊自身が、生きていたときの認識しか持っていないからだな。
また、その霊的存在は霊的成長度が低いから、智性を持っていないからこそ自分自身の死の意味を考えず、死んだことを自省(胸の磁性“十”)の材料にもできず、因縁霊になるんだろう。
因縁霊と、因縁霊に憑依されている人、それを観たなら大概の人は、霊的存在だけが悪いように思うかもしれないけど、けっしてそうではないな。
結局、因縁霊と感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)をしなければいい。
そしたら自分は因縁霊の想念を受けない。影響されない。
だからそれは、さっき思ったみたいに、食べたいだけ食べ、飲みたいだけ酒を飲み、そのことに価値があるって程度の低い考えを持って生き続け、人生の価値はそこにあるなんて思い込み、そして病気になった人は、その飲み食いしたことに対する執着が強く、その後死んでしまって、もっと楽しみたいって思いを発する浮遊霊になったらば、同じ考えを持つ人に憑依する…って言うよりも、引き合うみたいなもんだな。
それが多分、肉体が持つ中心の磁束の周りを回転する荷電粒子の回転が、同じような傾向を持つと、(肉体を持った心(靈)である)人に、霊的存在は、抵抗無く憑依できるのではないのかな。
多分そうだろう。
だからKellyさんは、“日月神示”表記の悪の回転、右回転の話をしたんだろうし、またそれは、砌(みぎり)の極性、肝=“いきり立つ心(奴と心)”の顕れっていうのが、○○○大先生とKellyさんの概念なんだな。
そしてそれは、憑依される人=生きている人と、自我の肥大をしたまま死んだ浮遊霊、その霊的成長の段階の霊的存在との感応共振なんだろう。

…自我の肥大、肝=“いきり立つ心(奴と心)”の強化…その顕現、心(靈)の動きが行動に現れること…だからこそ考えが論理的ではなく、自分のやっていることに対しても自分が持つ低い欲望を満たすことだけ前提に考える。
たんてきに言えば、自分にとって都合の良い考えだし、そしてそれが絶対に正しいと思う。
この間Kellyさんと話していた躁(そう)状態の人みたいなもんだな。
そしてそれは、人にも霊的存在にも同様のことがあるから、同じ考え方をするから憑依しやすいってことになるんだろうな。
同じ心(靈)の動きだからだな。
だから、憑依される人と憑依する霊的存在、その両者は死に対する認識が低い。
それだからこそ、いろんな問題を感じさせる。
仮に“死と生”に対し、きちんとした認識を持っている霊的存在ならば、自分が不幸な死に方をしたとか、突然の死とかにも、恨みの連鎖の現象とか、因縁を贖って(あがなって)いる人生を送り、それを因縁の要因とも言える因縁霊自身に見せ、因縁霊が自省するためのこととか、あるいは、その人自分が右往左往のまま死んで、死んでから左往右往する=自省(胸の磁性“十”)するための死とか、そういう考えを持つことができるだろう。
それは、自分の死に対し深く考えていない。それ以前に死の意味も知らないから、考えることができないから、彷徨うんだな。多分。
だから、人って言うのは、人(日止、霊止)の心(靈)って言うのは、死んでからも認識の拡大はある。
それは、霊的存在が永遠の存在ってことから考えれば、当然のことと思えるし、だからこそ宗教では、天国と地獄の概念を説かれているんだろう。
例えば、死んでからの自省(胸の磁性“十”)の“行”を示す、閻魔の庁の浄玻璃の鏡(えんまのちょうのじょうはりのかがみ)、自分がやってきた行いを何百年でも何千年でも見せられる地獄…自省して考えを変えるためだ。
自省しなければその心(靈)は、成長しない=“上”に向かわないからだ。
それがチャクラに表れているんだな。
今の地球人の進化過程は、ムラダーラチャクラ、スワディスターナチャクラ、マニピューラチャクラ=腹のチャクラから、アナハタチャクラ=胸のチャクラの覚醒にいたろうとしている。
胸のチャクラの覚醒と称されていること、それが、自省(胸の磁性“十”)してから自分の心(靈)の中にできていく“慈悲”と“慈愛”なんだろう。
だから、平均的地球人の進化過程は、自我の確立=固定化の段階から少し“上”に向かってて、それだからこそ、その人が生きてきた期間での自分自身の生き方、生きて来た過程に対する認識の低さってのがある。さっきも思ったように、それだから死んでから彷徨うんだ。
なぜ自分は生きているのだろうかとか、生きているって何の意味があるのだろうとか…それを思わない人は、ただただ目先のことばかり思うとか、例えば仕事のことしか考えていない…ちょっと悪く言えば、仕事で金を儲けて自分の低い欲望の達成だけを願って生きてきたとか…右往左往だな。そして右往左往は、心(靈)の極性としての砌(みぎり)の現われなんだ。
だから自我の肥大になるんだな。
そしてその心のまま死んだなら、それは、自分のやってきたことは死んでからも考えなければいけない。
それは、その霊的存在の心(靈)の動きは、脾=“思う、憂う”になっているんだろうな。

さっき、躁(そう)状態の人は、自我の肥大した人と、自我の肥大のまま死んだ霊的存在との感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)だって思った。
それに対し、鬱(うつ)は、自我の肥大の人生を送ったあとの、左往右往のとき、その心(靈)の動きのとき、それは間違いなく、脾=“思う、憂う”、日足(ひたり)の極性の現われだろうから、その人に憑依して感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)する霊的存在も、脾=“思う、憂う”、日足(ひたり)の極性が現れた霊的存在と同調するんだろうな。

だからそれは…この間Kellyさんが言ってたこと。

“躁(そう)状態の人は、砌(みぎり)のエネルギーが日足(ひたり)のエネルギーより勝っていることが理解できると思うけど、その人に感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)する霊的存在は、同調なんやから、おんなじ回転の向きをしているってことでんねん。
 そやから憑依現象による感応共振は、おんなじ心(靈)の動きやから感応共振する。
そやから悪霊の心(靈)の荷電粒子の回転を“上”から観たならば、さっき示した“日月神示”表記の右回転でもあり、それと感応共振する人の心(靈)の動きは、今の地球人は、自我中心の心(靈)の構成になっているからこそ、東洋医学で言うところの肝と脾、足の厥陰肝経と、足の太陰脾経でんな。
ほんでからこの二つの経絡(ツボの流れ)は、腹を通ってる。
そしてそれは肉体における左右の極性でもあり、肝臓と脾臓は大きなコンデンサーの構造を持っているから、左右の極性の構成要素でもある”

…Kellyさんはこの話のときに、荷電粒子の回転のことを説明したんだ。 そしてそれは、憑依される人と、憑依する霊的存在に荷電粒子の回転が共通するから、感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)するんだ。
だから、心の極性が砌(みぎり)に傾いている場合、その心(靈)の動きに感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)する霊的存在も、砌(みぎり)の極性を持った存在が憑依する。
だから躁(そう)になるんだな。
その逆ともいえるけど、心(靈)の動きが日足(ひたり)に傾いているとき、脾=“思う、憂う”のときは、多少、自省(胸の磁性“十”)している霊的存在の憑依があるんだろう。
だから鬱(うつ)になるんだろう。
 そして、憑依される人と憑依する霊的存在の心(靈)の動きとしての智性が無い。智性を発揮していない。
“死と生”に対し、しっかりした認識を持っていない=霊的成長をしていない心(靈)同士の感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)なんだな。
だから、躁(そう)状態と鬱(うつ)状態になるってのは、その人と、霊的存在の“一”=智性=1番目のオーラが小さい。
あるいは、憑依される人の目上(めうえ)の脳の機能が落ちているってことなんだろう。

…その原因みたいなこととして、二つの要因があるな。

一つ目は、智性(神性)を発揮しない心(靈)の動きは、自我の肥大だろうし、その心(靈)の動きのときは、智性由来の考えを持たない。
だから智性(神性)を発揮した霊的存在の憑依が無いとか、“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)からの通信を受けにくいってことにもなるんだ
結果それは、その人の智性(神性)を発揮していないことだ。
そして二つ目は、智性(神性)を発現して智性(神性)由来の考えを持つと思われる目上(めうえ)の脳の機能が、酒、たばこ、薬物…etc そんなものの影響を受けてて、目上(めうえ)の脳内の電磁誘導が起きにくいとか、脳内の電流量が下がることがあるんだろうな。
そうならばそれは、その人が持っている、“一”=智性=1番目のオーラに相当する生体内電流の弱体化ってことになる。
だから、この二つの要因は、程度の低い霊的存在の影響を受ける。 そんな人だから、躁(そう)と鬱(うつ)は発症するのだろうな。

その人が智性由来の考えさえきちんと持っているなら、その人自身の持っている智性が発揮できてさえいれば、低い霊的存在との感応共振は無い…無くなるのだろうな。
 

…結論めいた考えになったけど、今度Kellyさんと話して、自分の考えをKellyさんに聞いてもらって、確認を取ることとしよう。



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…ということで、今回は、僕、ややメタボ内科医のYっちゃん先生 〔 ´゚Д゚`〕 が、一人でぼやきました。 これは、楽屋落ち的言い方をすれば、前のブログで○○○大先生がよく使った手法でもあります。

一人でいろんなことを考えているってのは、瞑想に近いことでもあり、そのときの自分自身の心(靈)の動きが“上”に向かっているならば=真実(真固止)を追究しようとしているならば、“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)との感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)がある。
要は“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)の通信を受けて自分の考えを構築するってことになります。
それに対し、自分が自分に都合のよいことばかり考えているならば、“下”(人の霊的成長を望んでいない存在)との感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)があります。

○○○大先生が使うこの手法は、そのことを表現した文章でもあると思います。 

そして今回の話は、次回に続きます。

by ややメタボ内科医のYっちゃん先生 〔 ´゚Д゚`〕 でした。

“日月神示” 富士の巻 第二十五帖 Kellyさん的解釈



今回も、富士の巻 第二十五帖を解釈しまんねん。原文は以下の通り。

世界中の臣民はみなこの方の臣民であるから、
殊に可愛い子には旅させねばならぬから、
どんなことあっても神の子ざから、神疑はぬ様になされよ、
神疑ふと気の毒出来るぞ。
いよいよとなりたら、どこの国の臣民といふことないぞ、
大神様の掟通りにせねばならんから、可愛い子ぢゃとて容赦出来んから、
気つけてゐるのざぞ、
大難を小難にまつりかへたいと思へども、今のやり方は、まるで逆様ざから、
何うにもならんから、いつ気の毒出来ても知らんぞよ。
外国から早く分りて、外国にこの方祀ると申す臣民 沢山出来る様になりて来るぞ。
それでは神の国の臣民 申し訳ないであろがな、
山にも川にも海にもまつれと申してあるのは、神の国の山川ばかりではないぞ、
この方 世界の神ぞと申してあろがな。
裸になりた人から、その時から善の方にまわしてやると申してあるが、
裸にならねば、なるやうにして見せるぞ、
いよいよとなりたら苦しいから今の内ざと申してあるのぞ。
凡てをてんし様に献げよと申すこと、日本の臣民ばかりでないぞ、
世界中の臣民みな てんし様に捧げなならんのざぞ。
八月の三十日、 ローレンツ力と ○ のひつ九のか三。


 まず、冒頭の文。

“世界中の臣民はみなこの方の臣民であるから、
殊に可愛い子には旅させねばならぬから、
どんなことあっても神の子ざから、神疑はぬ様になされよ、
神疑ふと気の毒出来るぞ。”

これはあえて解釈をせんでも理解できると思うけど、今後=アセンション後に移行する人に対し、その人たちの霊的成長を望み、これから起きていくこと…今もいろいろ現象化しているけど、アセンションに伴う醜い事象を体験し、そのつど、その時々に、自分たちの認識を高めてくれって言う“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)の思惑が述べられている。
とくに“この方の臣民”って言う言い回しについて、生命(生きる使命=存在理由)は、すべて=“世界中の臣民”は、神の子であり、神の子は神格化って目標があり、そのために私たちは肉体を持って生きている。 なぜ生きているのか、なぜ物質世界に心(靈)が位置しているのかは、生きている間=肉体の物質としての磁性を持っているうちに、普遍的に実在する創造主のオーラ(宇宙背景放射)と感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)し、自分の心(靈)が育ち=認識の拡大をする。それが、物質をまとった心(靈)=人が、肉体を持って生きている理由でもある。
そして、肉体を持って生きている間の認識の拡大、それが幸せの解字、“夭と屰”(ようとげき)の意味でもある。
認識の拡大のために人(日止、霊止)は、さまざまな事象に遭遇し、喜んだり苦しんだり悲しんだり…そのつどいろんな心(靈)の動きをするけど、それは結果としては“一”=智性=1番目のオーラの拡大になっていく。
また、“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)が見込んだ人には、たくさんの試練があるものでもある。
その逆として、生きているうちに認識の拡大が見込まれない霊的成長度の人は、ただ生きているだけとか、たいして苦難の無い人生とか…そんな人生を送るもんでんねん。
そやからそれはS会=紫光会の交霊会でよく出てきた言葉の、“神は乗り越えられない試練は与えない”…これは、その人(日止、霊止)の霊的成長度に応じて苦難や試練を与えるって言う意味で、この言葉自体にその意味が読み取れん人は、認識が薄っぺらいとも言いうる。
この星、地球は、現時点、人の霊的成長度の高低がある。相対的に霊的成長した人と、たいして霊的成長を見込まれない人もいる。
そして後者の方が大部分でもある。
だから前のブログで“玉石混交(淆)”って言い方もした。
自分が“玉(ぎょく)”の霊的成長度なのか、“石”の霊的成長度=自我の確立=固定化の段階なのか、また、自分の心(靈)の“上”“下”は、“玉(ぎょく)”に至る心(靈)の動き=“慈悲”と“慈愛”ゆえのものか、“石”=自我の肥大ゆえのものか、よく自己観察して見極めなければならない。
そのことを“日月神示”では、“身魂掃除”“身魂洗濯”と称されていると思う。
話を戻し、“一”=智性=1番目のオーラが大きくなれば、富士の巻での共通のテーマである“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)との感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)をして、だんだん神の思惑が自分の思想の一部になり、それは“天詞様”と呼ばれるべき、“上”から認められた霊的成長度の存在になり、今後=アセンション後は、その人たちが事象の創造をする。
それがこの文では“殊に可愛い子には旅させねばならぬから、どんなことあっても神の子ざから、”って、称されている。
その点でも“日月神示”によく出てくる表記の“因縁の身魂”、それは、今の事象で霊的成長を果たし、今後=アセンション後の創造を託されるべき霊的成長をする(肉体を持った)心(靈)を指しているだろうし、だからこそ、苦しい人生を送る。
それがまた、ローム太霊さんの言葉を借りるなら、右往左往=やってみてから失敗を体験し、左往右往=失敗を体験し、それを教訓として“力”の顕現(砌(みぎり)の行)をする。
そうやって次の段階の事象の“創造”に参加する霊的資格=自省(胸の磁性“十”)の“行”をした心(靈)になるってことでんねん。
 そのことに対し、今、とても多い、甘い夢を見させる何か、見せ掛けの幸福、見せ掛けの癒し、見せ掛けのご利益。 なんとかするとあなたは幸せになります、何とかに癒されて幸せになりましょう、アセンション後はだれもが幸せになりますとか、そんな類の何かって言うのんは今とても多いけど、それは、今、遭遇している苦難から逃げたい、自分の苦難が霊的成長のための試練とか、そんな認識を持ち得ない霊的成長度の低い人が選択するものでもある。
 そして人に甘い夢を見させ、甘い夢を見させる何かで商売をする人間を、“日月神示”の下つ巻では、“役員づら”と称されており、“役員づら”の情報や教えと称するもの、そんなもんに利用され金を払ってる人間に共通の心(靈)の動きは、自我の肥大であり、自我の肥大そのものが“石”(帯電するミネラル)の固まっていない心(靈)の発現で、それは、“江戸と尾張”で、補足しとけば、それは、腹の水の中のミネラルが構成する磁場、それによる荷電粒子の回転はマニピューラチャクラ、そして腹の水の意味が“江戸と尾張”の“江”、その段階の心(靈)の発現と心(靈)の動きは、自我の確立=固定化の段階でもある。
 その“役員づら”の情報に惑わされてる人に対し“神疑はぬ様になされよ、神疑ふと気の毒出来るぞ。”って言われている。
そやから、自分の苦難に意味を見出そうせず、苦難を神が自分に与えた試練と思わず、甘い夢を見たいとか、自分が自己奉仕者の行いをしているのにもかかわらず自分は悪くないとか思う。こういう心(靈)の動きは、政治家とか、建設業者とか、低級な娯楽で金儲けしている人とか、インチキ霊能力者とかインチキ占い師とか、高い印鑑業者とか、開運グッズで商売してる人とか…それと、人の低い本能を煽る(あおる)風俗関係とか…例を挙げるときりが無いけど、非常に分かりやすい自我の肥大の一例なので、あえて例を挙げておきまんねん。
 また自我の肥大は、自分の心(靈)の中の“善(神格化の方向性と智性の受信)”と“悪(心の動きの本能化と低振動化)”を言葉でしか理解できず=認識になっておらず、自分の内在する悪に心(靈)が囚われ…って言うよりも、その人の心(靈)の成長度が自我中心で、自我より“上”の心(靈)の発現、胸の磁性“十”があまり無いからでもある。
言うまでも無くそれは第四密度の振動でもありアナハタチャクラでもあり、“慈悲”と“慈愛”でもある。
そういう点でも、霊的成長、神格化の道程は、一本道だからこそ法則性があり、成長の法則性があるからこそ、“日月神示”では“道理”とか、“道”とか“理(ミチ)”とかって称されてる。
 その法則性にしたがって生きていないならば、やってきたことの結果は全部自分に返り、それが因縁とか、因果応報とかでもあるけど、それは霊的成長=認識の拡大のための方法論でもある。
そやから今、自我の肥大で甘い夢を見るとか、物欲由来の薄っぺらい幸福感で行動するとかもそうやし、また、自己奉仕者が自分の悪の行いを認めないのもまた、この文の“神疑はぬ様になされよ、神疑ふと気の毒出来るぞ。”って言葉を、よく噛みしめて欲しいもんやな。

 ほんでから次の文。これも、今、延べたことと同様のことを言うてる。

“いよいよとなりたら、どこの国の臣民といふことないぞ、
大神様の掟通りにせねばならんから、可愛い子ぢゃとて容赦出来んから、
気つけてゐるのざぞ、
大難を小難にまつりかへたいと思へども、今のやり方は、まるで逆様ざから、
何うにもならんから、いつ気の毒出来ても知らんぞよ。”

 とくにこの文の後半、“大難を小難にまつりかへたいと思へども、今のやり方は、まるで逆様”って言い回し、アセンションに伴う醜い事象、自己奉仕者に対する“神の咎め”、それをできるだけ小さく済ませ、たくさんの人に次の段階に移行して欲しいって“上”は思うけれども、そう思うから“日月神示”を上から“下”に垂れたりもしたんやろ。
 それとこの文の表記の“まつりかへたいと思へども”って言うのんは、今、大半の人が“下”(人の霊的成長を望んでいない存在)との感応共振をしている。そして自我の肥大=自己奉仕者に成り下がっている。ほんでからに“役員づら”の情報を信じ込んでいる人が大半でもある。
そやから“まつり”って表記そのものが、自分の心(靈)の動きと反応し、通信を送ってくる霊的存在の憑依そのものを指した言い回しでもある。
ほんでから霊的成長の仕組みまで説いてると思われる“日月神示”、その“日月神示”すら“役員づら”の人は金儲けに利用したり、自分の自我の肥大による低い功名心と自尊心を満足させるための道具にしている。
  それは“日月神示”以外にも、霊的成長度の低い人は貴い何かを利用して、自分の薄っぺらい利益にする。今そんなもんばっかりやな。
 そやからこのブログに霊縁があった人は、もしこのブログに霊縁を感じ(感じる磁性)、自分の認識の糧に成ると思った人は、“何うにもならんから、いつ気の毒出来ても知らんぞよ。”っていうようなことにならんようにして欲しいもんでんねん。

 ほんでから次の文。

“外国から早く分りて、外国にこの方祀ると申す臣民 沢山出来る様になりて来るぞ。
それでは神の国の臣民 申し訳ないであろがな、
山にも川にも海にもまつれと申してあるのは、神の国の山川ばかりではないぞ、
この方 世界の神ぞと申してあろがな。
裸になりた人から、その時から善の方にまわしてやると申してあるが、
裸にならねば、なるやうにして見せるぞ、
いよいよとなりたら苦しいから今の内ざと申してあるのぞ。”

 これも外側(外国と幽界)の事象の観察をして、自己の内面とか内側(心の中と感じている事)を振り返らない人のことを指摘している文やと思える。
そやからそれは、この文の“外国にこの方祀ると申す臣民 沢山出来る様になりて来る”…そとづらとか、体裁とか、それは見せ掛けの幸福とか、見せ掛けの価値とか、そんなもんに“この方祀ると申す”。
それは結果としてインチキの神さんとかってことで、自分たちの認識の中にある神さんの認識が薄っぺらいから、自分にとって都合のよい神さんのイメージを思ったりする。
現世利益、ご利益、家内安全商売繁盛、自分の生活を振り返らずにただ健康と長寿を願ったりもする程度の低い神さんの認識、それは自分を振り返らず、ただ多々そとづらの良いことばかり思い、それを願うことを指摘していると思える。ほんでからそれは間違いって言うてるだけでんねん。
そやからそれは、“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)の存在を利用して、金儲けしているとか低い功名心と自尊心を満足させてるとかの人たちは、“この方祀る”って言う意味を理解できていない。
さっきも言うたけど、貴い何か、自分たちの霊的成長の指針となる何か、それをただ利用しただけでんねん。
そやからこの文では、その“役員づら”の人たちに対し、“神の国の臣民 申し訳ないであろがな”って言われてて、少しは恥を知りなさいってことでんねん。
ほんでからこの文の“山にも川にも海にもまつれと申してあるのは、神の国の山川ばかりではないぞ、この方 世界の神ぞと申してあろがな。”これは“山”=脳、思想、“川”“海”は、肉体の液体成分、そこにあり、固まっていない(真固止ではない)帯電するミネラルで発現している心(靈)、それは腹の水=“江戸と尾張”の“江”…自我の確立=固定化の段階、そして腹の位相のサイクロトロンってことでんねん。
そやからその心(靈)の動きって言うのんは、これもさっき言うたばかりやけど、自我の肥大した人が求める何か…見せ掛け…見せ掛け…見せ掛け…そんなものばかりで人を誑かし(たぶらかし、)、そんなものばかり追い求める。
それは、今後=アセンション後の“創造”を担う人が求めるものではないのは一目瞭然でもあるし、そんなものを求める人、そんな霊的成長度の人を、“創造”の“主(ヌシ)”=神さんは欲しているのではない。
その見せ掛けの何かを求める自分の心(靈)の動きを捨てること、それは“身魂掃除”“身魂洗濯”でもあるけれど、それについてこの文では、次の言い回しをされてると思えるな。“裸になりた人から、その時から善の方にまわしてやると申してあるが、裸にならねば、なるやうにして見せるぞ、いよいよとなりたら苦しいから今の内ざと申してあるのぞ。”
 そやからそれは、見せ掛けの何かは見せ掛けであることを証明するってことでもあるし、
それを“裸”って称されてると思える。
そやからやってきたことは暴かれ、本当の意味を人に示すってことは、“上”の“思惑の顕現”でもあるけれど……その一例として、一昨年やったか、テレビに出てる霊能力者が死者からのメッセージを伝えた番組があったけど、あとからその死者が実は生きていたなんて滑稽なことがあった。 そやけどマスコミって言うのんは、経済優先の価値観しか持ってないから=自己奉仕者の集まりやから、そんなことはたいして問題にしなかった。物事の本質とか、本当のこととか、そんな認識は視聴率って言う見せ掛けの価値に流されているからでんねん。
ほんでから一般の人もそのことに対して問題意識ってもんを大して持ってへん。霊能力なんてそんなもんやとか、上手いこといって金儲けすればええんや…それくらいの認識しかもってへんからや。
 そやけどこの件は、このブログをしっかり読んでる人にあえて説明することでもないからまあエエわ。

 ほんでから次の文。

“凡てをてんし様に献げよと申すこと、日本の臣民ばかりでないぞ、
世界中の臣民みな てんし様に捧げなならんのざぞ。”

 この文の“てんし様に献げよと申すこと”、これは、何を贖い(あがない)、どう生きるのか、それはアセンション後の“創造”を“上”から託されるべき霊的成長をする。
それが自分の霊的成長度の指標としての表記“てんし様”でもある。
またそれは冒頭で言うた様に、すべての人(日止、霊止)=“世界中の臣民みな てんし様に捧げなならん”、霊的成長は神格化への道程で一本道であるからこう言われてる。
そやから、今、地球がアセンションに向かい、その時間の進行の中=神のプログラムの中で、今後=アセンション後の“創造”を託されるべき人は、“上”との感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)をする心になれってことでんねん。
ほんでからそれは、一部の地球人が行った長時間の“ひつく”=太陽凝視を“行”として行うこと、それをこの文では“日本の臣民”と称されてると思える。 ほんでからあえて言うとけば、太陽凝視=不食なんて、ご利益を求める太陽凝視の概念の薄っぺらいことでは決して無い
それと、長時間の太陽凝視のできない霊的成長度の人は、せめて、自分の人生を振り返り=左往右往して、“観自在”“直日”自省(胸の磁性“十”)の“行”をして、“慈悲”と“慈愛”の心(靈)の発現をする。
以上の二点が、先生の概念の“宝玉の仕組み”でもある。
あえて言うとけば、宝は、體(体の旧字、骨が豊か、そして、宝(たから)のアナグラム)の意味でもあり、“玉(ぎょく)”は、腹の段階の心(靈)から“慈悲”と“慈愛”に成長する過程を示した表記であり、“玉石混交(淆)”の“玉(ぎょく)”でもあり、霊的成長を示した表記でもあり…このことは前のブログ、“思惑と顕現”の中で先生と話したことでもある。
そして“玉(ぎょく)”そのものがまた、“日月神示”表記の、“身魂磨き”=(生体内電流による)肉体組織の結晶化を指し示すものでもある。
そやから、何が“身魂磨き”なのか…このブログを真剣に読んではる人には、よく考え、よく認識して欲しいもんでんねん。

今回はこれくらいにしときまんねん。

“日月神示” 富士の巻 第二十四帖 Kellyさん的解釈



今回も富士の巻 第二十四帖を解釈しまんねん。原文は以下の通り。

富士(二二)を目ざして攻め寄する、大船小船あめの船、
赤鬼青鬼黒鬼や、おろち悪狐を先陣に、寄せ来る敵は空蔽(おお)ひ、
海を埋めて忽(たちま)ちに、天日(てんぢつ)暗くなりにけり、
折しもあれや日の国に、一つの光 現はれぬ、
これこそ救ひの大神と、救ひ求むる人々の、
目にうつれるは何事ぞ、
攻め来る敵の大将の、大き光と呼応して、一度にドッと雨ふらす、
火の雨何んぞたまるべき、まことの神はなきものか、
これはたまらぬ兎も角も、生命あっての物種と、
兜を脱がんとするものの、次から次にあらわれぬ、
折しもあれや時ならぬ、大風起こり雨来たり、
大海原には竜巻や、やがて火の雨 地(つち)震ひ、
山は火を吹きどよめきて、さしもの敵も悉く、この世の外にと失せにけり、
風やみ雨も収まりて、山川静まり国土の、
ところところに白衣(しろきぬ)の、神のいぶきに甦る、
御民の顔の白き色、岩戸ひらけぬしみじみと、大空仰ぎ神を拝み、
地に跪(ひざまづ)き御民らの、目にすがすがし富士の山、
富士は晴れたり日本晴れ、普字は晴れたり岩戸(一八十)あけたり。
八月の三十日、 ローレンツ力と ○ の一二のローレンツ力と ○  。

 今回の二十四帖は、全体を見回しても今までの富士の巻の文体とはちょっと違う。
冒頭の言葉の“富士(二二)”は、今までのKellyさんの解釈どおり、肉体の二つの磁性、日足(ひたり)と砌(みぎり)、ヨガで言えばイダとピンガラ、太陽の気道と月の気道であることは間違いないやろけど、その肉体の二つの磁性に対するさまざまな影響を揶揄(やゆ)して述べている言い方やと思える。
同時にこの二十四帖は、アセンションに向かう際、今とても多い甘い(亜、魔、出ずる、泉)解釈のアセンション、ただ夢を見るだけ、自分が努力して頑張って(元の気を張って)=自分のエネルギーを贖って(あがなって)霊的成長する人ではないケースまで指摘していると思える。
それを踏まえ、まず冒頭の文。

“富士(二二)を目ざして攻め寄する、大船小船あめの船、
赤鬼青鬼黒鬼や、おろち悪狐を先陣に、寄せ来る敵は空蔽(おお)ひ、
海を埋めて忽(たちま)ちに、天日(てんぢつ)暗くなりにけり、”

 この文の“大船小船あめの船”は、“日月神示”表記の“カイの御用”、これは前のブログで、肉体が持つ縦の磁束の右往左往と左往右往であり、カイは舟を漕ぐ意味の“櫂(かい)”、だからこそそれは、縦の磁束、肉体が持つ中心の磁束に対し、左=日足(ひたり)、右=砌(みぎり)の極性の影響を受ける。そういう解釈をした。
 人(日止、霊止)の肉体の左右の極性=日足と砌(ひたりとみぎり)は、現時点、自我中心の進化過程=霊的成長の過程だからこそ、脾=“思う、憂う”と肝=“いきり立つ心(奴と心)”が、一個体の中心の磁束に影響を与える。それは電磁誘導でもあり、その電磁誘導で発生する生体内電流は、“日月神示”表記の“ひふみゆらゆら”=“一”“二”“三”のオーラ、それぞれの左右の磁性の右往左往と左往右往でもある。
 そしてこの文は、自分の心(靈)に対して、霊的存在の憑依を指摘している。それが“赤鬼青鬼黒鬼や、おろち悪狐を先陣に、寄せ来る敵は空蔽(おお)ひ、”と、称されていると思える。 それは恨みの連鎖で起きている貪、瞋、痴(とん、しん、ち、)の心(靈)の動きを持った浮遊霊、そして動物霊、心(靈)が右回転している悪霊のたぐい。 それが人(日止、霊止)の肉体を構成する水の意味、自我の発現の部位、腹。“日月神示”表記の“江戸と尾張”の“江”…自我の確立=固定化の段階、そして腹の位相のサイクロトロン。その部分に影響を与える憑依現象を述べていると思える。 さらにそれが、この文の表記の“海を埋めて忽(たちま)ちに、天日(てんぢつ)暗くなりにけり”であると思える。
念のために補足しておけば、“海”=腹の水ってことでんねん。
そして“日月神示”表記の“江戸と尾張”、これは下三つのチャクラ、ムラダーラチャクラ、スワディスターナチャクラ、マニピューラチャクラ、でもある。
また、補足として“一二三”のオーラを構成する人(日止、霊止)の肉体の三つのコンデンサーの構造は、、3番目のオーラは、腹が水に満たされているから2番目と“一”=智性=1番目のオーラとは、振動の種類が違う。
だからこそそれは、心(靈)の構造、本能、情動、功名心、自我、愛(炁)、創造、知恵、智慧、智性という振動でもある。
話を戻し、今、薄っぺらい幸福感や、形骸の価値観がすばらしいと思っている人はとても多い。それはアセンション落第組みなんやけど、その人たちの心(靈)は、自我の肥大が起きている自己奉仕者であり、心(靈)が“日月神示”表記の右回転渦巻き 右 回転  している。
そして自己奉仕者が活躍する世界そのものが、それは、ローム太霊さんの言葉を引用すれば、右往左往=やってみてから失敗を体験する過程でもある。
そして“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の心(靈)の動きと感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)する悪霊のたぐいも、貪、瞋、痴(とん、しん、ち、)の心(靈)だからこそ、右回転 渦巻き 右 回転 であり、自己奉仕者と同調し、(通貨としての)金に執着したり物欲由来の幸福感を持ったり、低級な娯楽を楽しんだりもする。
低級な娯楽…これは子供の浮遊霊の影響でもあり、実際、そんなもんでのし上がった企業が、テレビのCMのスポンサーだったりもする。 
(この問題点については、いずれ、∪・ω・∪ ▼・。・▼ ▼・。・▽ U・。・U U。・ェ・。U たちと論じることとする…)
ほんでから今指摘したものよりもっと程度の低い者は、本能由来の行動をとる。それはあえて言うまでも無いことなんやけど、性の乱れ、異常なグルメ嗜好、自分の低い欲望を制御できない人。例えば血糖値を下げるサプリメントなんか利用する人間は、いかに本能主体の心(靈)しか持ってへんのかってことでんねん。
そやから人の心(靈)の本能化。
人(日止、霊止)として、ほんの少しだけ発現した智性(神性)を発揮しない心(靈)、それを前のブログで“悪(心の動きの本能化と低振動化)”と定義付けた。
そやからそれは自我から下への心(靈)の動き、本能、情動、功名心、自我の肥大…そんな心(靈)の発現しかしていない(霊的)進化過程の人が、悪霊に憑依されて起きていることでもある。そして今の世界は、薄っぺらい幸福感と形骸の価値観で満たされ、ほとんどの人が真実=真固止の認識を持たず、人(日止、霊止)の在り方、人の存在の意義=霊的成長=神格化、現時点、地球人がやるべきことは、智性由来の行動をすること、それが出来ていない=“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)との感応共振が出来ていないって言う意味で“天日(てんぢつ)暗くなりにけり”と称されている。

ほんでから次の文も、今指摘した、心(靈)が右回転して、自我の肥大している大半の人が信じ込んでいる何か。
それは、下つ巻によく出てきた表記の、“役員づら”、形骸の宗教や、アセンションや霊的成長に対し、甘い夢を見させ偽の情報を流すたぐいの人たち…それは悪魔の傀儡(かいらい、くぐつ)やと思えるけど、それを信じている人はとても多い。
その人たちのことを指摘した文章やと思える。

“折しもあれや日の国に、一つの光 現はれぬ、
これこそ救ひの大神と、救ひ求むる人々の、
目にうつれるは何事ぞ、
攻め来る敵の大将の、大き光と呼応して、一度にドッと雨ふらす、
火の雨何んぞたまるべき、まことの神はなきものか、
これはたまらぬ兎も角も、生命あっての物種と、
兜を脱がんとするものの、次から次にあらわれぬ、”

 この文の冒頭の、“日の国”は、この国である日本って言う意味もあるやろ。そやけどそれは、霊的成長を託された国って言う意味ではなく、経済大国である日本って意味やろ。
そやからこの文そのものが、霊的成長を託された日本って命名であるにもかかわらず、形骸の価値や薄っぺらい幸福感で満たされた人が多いことを指摘して揶揄(やゆ)した言い方やな。
そやからその薄っぺらい幸福感と形骸の価値観ゆえの解釈は“一つの光 現はれぬ、これこそ救ひの大神と、救ひ求むる人々の、目にうつれるは何事ぞ、”…信じ込んでいる何かが間違ってるって言われてるだけやねんな。
 ほんでからその薄っぺらいもんを信じ込んで、アセンション後は不幸の無い世界になるとか、何もしないでアセンションを迎えれば自分たちは成長するとか、そんなことを思っている大半の人たちに対し、“攻め来る敵の大将”は、悪霊の大将って言う意味やな。
そしてその影響を受けることを=感応共振することを次の言い回し“大き光と呼応して、”って称されてると思えるし、その後の文の“一度にドッと雨ふらす、火の雨何んぞたまるべき、まことの神はなきものか、これはたまらぬ兎も角も、生命あっての物種と、”って言うのんは、醜い事象を観察して思うことでもあるやろ。
そやから今“役員づら”…その人たちの情報を信じている人たち。それは“下”(人の霊的成長を望んでいない存在)の思惑であり、それはまた人(日止、霊止)が認識した言葉として、悪魔であり、悪魔は、“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)でもある。そやからその思惑にはまりこんでいる人たちは、アセンションに伴う“神の咎め”としての醜い事象を体験するからこそ、“一度にドッと雨ふらす、火の雨何んぞたまるべき、まことの神はなきものか、これはたまらぬ兎も角も、生命あっての物種と、兜を脱がんとするものの、次から次にあらわれぬ”ってことになり、この文の“まことの神はなきものか”って心底思わされる。
そして、“これはたまらぬ兎も角も、生命あっての物種と、兜を脱がんとするものの、次から次にあらわれぬ、”…この“兜を脱がんとするものの、”って言うのんは、思想、頭の機能、そして自己奉仕者の思想は形骸の価値観だからこそ、外側(外国と幽界)の事象のみを大切に思う。
その外側(外国と幽界)の事象を対象にした言い回しやから、頭の中身って言う意味ではなく“兜”と称されていると思える。
そしてその形骸の価値観を捨てても、もうこの世界は形骸の価値観に染まってて、何もかもが腐ってるから、“次から次にあらわれぬ、”って称されてると思える。
(この文の表記の“兎も角も”が読めん人のために、これは“ともかく”って読みまんねん。余談やけど、ローム太霊講話集にもよく出てくる表記でんねん)

 ほんでから次の文も、アセンションに伴う醜い事象を言い表していると思えるし、それ以外にも、人(日止、霊止)の心(靈)の構築に関わる肉体内の電磁誘導を指摘していると思える。

“折しもあれや時ならぬ、大風起こり雨来たり、
大海原には竜巻や、やがて火の雨 地(つち)震ひ、
山は火を吹きどよめきて、さしもの敵も悉く、この世の外にと失せにけり、”

 この文の“大風”は、空気による電磁誘導。(空気を吸ったりはいたりする意味で)呼吸器官による電磁誘導。
“雨来たり”は、腹の水。
“大海原には竜巻や、やがて火の雨 地(つち)震ひ、”は、腹の荷電粒子の回転を“竜巻”と称し、腹の段階の心(靈)の発現を示す外側(外国と幽界)の事象の観察、そやからそれは幽界の幽、それは、火の意味を持つ灬(よつてん、れっか、れんが)と糸二つ、糸二つは何回も言うてきたけど、左右の神経、神経を構成するたんぱく質には灰分(かいぶん)(Ca(カルシウム)P(リン)Mg(マグネシウム)K(カリウム) 微量のAl(アルミニウム)Fe(鉄)Zn(亜鉛)Si(珪素)Na(ナトリウム)それらの化合物)が含まれているから、“地(つち)”と称されていると思える。
そやから人(日止、霊止)の進化は、腹から“上”、自我から“上”の心(靈)の発現、“慈悲”と“慈愛”、それは神経が“慈(しげる)”って言う意味もある。そやからこの言い回しは神経の発達を示した言い回しでもあると思える。
そしてそれは、結果として脳=山に移行するものであり、そうなれば思想は自己奉仕者特有のものではなくなるからこそ、“さしもの敵も悉く、この世の外にと失せにけり、”となる。
そやけど“この世の外にと失せにけり”は、自己観察、自分の内面とか内側(心の中と感じている事)の心(靈)の動きをよく認識するって言う意味にも取れるな。

 ほんでから次の文。

“風やみ雨も収まりて、山川静まり国土の、
ところところに白衣(しろきぬ)の、神のいぶきに甦る、”

 この文の冒頭の“風やみ雨も収まりて、山川静まり国土の、”は、“風やみ”は胸の電磁誘導、自省(胸の磁性“十”)の“行”、“雨も収まりて”は、腹の水。そして“山川静まり国土”は、“山”は、脳、思想、“川”は、“江戸と尾張”の“江”と同義、“国土”は、“国”はm(囗)くにがまえと“玉(ぎょく)”…“玉(ぎょく)”は自省(胸の磁性“十”)の心(靈)の動きを示し、“土”は、さっきの表記の“地(つち)”=灰分(かいぶん)と同義。
そして“白衣(しろきぬ)” は、大日如来の条帛(じょうはく)と同義、左往右往して、自省(胸の磁性“十”)の“行”をして、腹のエネルギーが日足(ひたり)回転して上昇する様子。
そしてそれは、腹の段階の右往左往から左往右往=サイクロトロンから、シンクロトロン放射に移行する様子でもあると思える。そしてそれは天意を受ける意味での天の白い王を縮めた表記の天皇ってことになる。(今の天皇の事を指しているのではない)

ほんでから次の文。

“御民の顔の白き色、岩戸ひらけぬしみじみと、大空仰ぎ神を拝み、
地に跪(ひざまづ)き御民らの、目にすがすがし富士の山、
富士は晴れたり日本晴れ、普字は晴れたり岩戸(一八十)あけたり。”

 散々アセンションに伴う事象を体験し、自省(胸の磁性“十”)の“行”をしている様が、“御民の顔の白き色、岩戸ひらけぬしみじみと、大空仰ぎ神を拝み、地に跪(ひざまづ)き御民ら”と称されてると思える。
そやからそれは、さっき指摘した“役員づら”の情報を信じてる人、自分に甘ければ、霊的成長は見出せず、ただただ呆然とするだろうから、“大空仰ぎ神を拝み、地に跪(ひざまづ)き御民”と言われ、それに対し、アセンションの時期に間に合う霊的成長を果たした“慈悲”と“慈愛”の心(靈)の動き、それは自己奉仕者の思想では無いからこそ、“富士(二二)”=肉体の二つの磁性、日足(ひたり)と砌(みぎり)、ヨガで言えばイダとピンガラ、太陽の気道と月の気道が、しっかりした“山”=脳=思想と称されていると思える。
 そしてこの文の最後には“富士は晴れたり日本晴れ”と、“富士(二二)”=肉体の二つの磁性、日足(ひたり)と砌(みぎり)について強調されている。
“晴れたり日本晴れ”については、以前画像を作ったから以下に貼っておきまんねん。

“晴れたり日本晴れ”の解字 


 そしてこの文の続きの“普字は晴れたり岩戸(一八十)あけたり”の、“普”は、“あまねく”、そやからそれは、普遍って意味がある。そして“字”は、宀(うかんむり、頭の意味)と子。神に認められる思想の持ち主って表記やけど、まだまだ神さんから見たら幼稚やから“子”なんやろ。
 そやから、次の事象、今後=アセンション後の事象の“創造”を託されるには、智性(神性)由来の思想が大事。
そして日足と砌(ひたりとみぎり)のバランスが大事。
そのバランスを体得するのは、ローム太霊の説明した、右往左往=やってみてから失敗を体験し、左往右往=失敗を体験し、それを教訓として“力”の顕現(砌(みぎり)の行)をするのが大事。
今後=アセンション後の事象は、失敗を体験した人(日止、霊止)が創造し、二度と失敗の無い世界になるってことでんねん。
その失敗を豆居ている人の心(靈)の動きは、自我の肥大であり、右の極性の強化の段階でもあり、だからこそ“日月神示”表記の“富士(二二)”は、肉体内の左右の極性であり、左右の極性は、神の極性である日足と砌(ひたりとみぎり)であり、日足と砌(ひたりとみぎり)は、“思惑の顕現”=現象化でもある。
日足と砌(ひたりとみぎり)、左から右、思惑を行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)に移す。
そしてそれは、向かって左から右に筆を動かして書く“一”でもあり、この世界の根源の“創造”の“主(ヌシ)”の作業は、(すべての事象の根源の材料としての)“亜”が出ずる、泉、でもあり、だからこそ、アイ、愛(炁)でもある。
このことを認識しておかんと、次の事象=アセンション後の世界には移行できないと思われる。
そしてそれを強調する意味で“岩戸(一八十)”って表記が使われている。 
“岩戸”は、“山”=脳、特に目上(めうえ)の脳、“戸”は“江戸と尾張”の戸でもあり、腹から“上”に移行する関門としての戸でもある。
そして、“一八十”は、“一”=智性=1番目のオーラと“八”は、左右の極性、“十”は、胸の磁性“十”って表記だと思える。
要は、自我から“上”、“慈悲”と“慈愛”=アナハタチャクラの覚醒、それを宇宙的な存在は第四密度って表現を使ったりもする。そやからそれは“慈悲”と“慈愛”が発現した人の心(靈)の“思惑の顕現”=現象化でもある。
人(日止、霊止)の進化(霊的成長、神格化に向かうこと)って言うのんは、その事象を“創造”していくようになる。それがまた、“創造”の“主(ヌシ)”の思惑であり、“日月神示”表記の“天意”であり、“天意”を受信し、感応共振する人を、“天詞様”と呼ぶ。
それに対し、今の自己奉仕者の“創造”は、その行動の根拠として、自我の肥大による心(靈)の動きがあるから、欺くとか騙すとか嘘をつくとか奪うとかが横行する世界でもあり、それに卓越した人が、経済を発展させ、見せ掛けの価値、形骸の価値、薄っぺらい幸福、その概念を行使するから、恨みの連鎖の霊的干渉が盛んな星になった。そやから今後=アセンション後は、それを卒業する。
そして次の段階に移行するために、大半の人が自省(胸の磁性“十”)しなければならないからこそ、醜い事象を体験する。
冒頭でも言うたけど、この第二十四帖は、そのことを揶揄(やゆ)した文章の感があるな。

…今回はこれくらいにしときまんねん。

Kellyさん、ややメタボ内科医のYっちゃん先生と、躁(そう)と鬱(うつ)は、心(靈)の動きの極性の一側面であるという話をする。 “その一”


「Yっちゃん先生、こんにちわでんねん」
「Kellyさん、今日もよろしくお願いします」
「こちらこそでんねん。 …それで、この間約束したように、躁(そう)と鬱(うつ)について少し検索してきましてんな。それで感じたことがあるんやけど」
「Kellyさんが感じたってのは、躁(そう)と鬱(うつ)のことを検索して、医学的なことがらから感じたってことですね。
だからそれは、Kellyさん的なものの見方は、霊的干渉とか、心(靈)の動きとか…その視点で感じたってことですね」
「もちろんそうでんねん。それを言うてもエエやろか」
「聴きたいですね。話してください」
「承知しましてんな。 
それで、Kellyさん的に思うたんは、躁(そう)と鬱(うつ)でもいろんな呼び方がある。この間Kellyさんがつかった、気分障害、双極性鬱(うつ)、それ以外にも、気分変調症、気分循環症、抑うつ気分を伴う適応障害、器質性気分障害、内科疾患に伴う気分障害…いろんな言い回しがありまんな」
「そうですね。ですけど、改めてこの呼び方を列挙してみると、この分類には、ちょっと意味が通じにくいものもある感じですね」
「そうでんな。そやからそれは、この呼び方そのものが、なんやしらん同義反復な言い回しやったりもする。
そやからそれは、原因を特定した言いまわしではありまへんな。
この間もちょっと話をしたように、結果を観察して認識した呼び方でんな。そやからそれは、症状を観察して分類された呼び方でんな。そやけどそれも“観察と認識”による命名、言葉による分類、それには違いない」
「“観察と認識”…ですか」
「そうでんねん。 
ちょっと話がそれまっけど、“観察と認識”って言うのんは、すべての生命に共通する行為って言うてもエエねん。
(ほんでからそれは、電磁波の受信と同義でもあるんやけど)
そやからそれは、下等な生物でも、生物の中で進化した人間でも、極端なこと言えば人間以外の存在…神さん(と認識され得る存在)でも、悪魔(と認識され得る存在)でもなんやけど、言うたなら、すべての生命と認識され得る存在には、“観察と認識”って行為がある。すべての存在に共通の行為でんねん。
ほんでから今、Yっちゃん先生と話そうと思うてることは、観察による認識は、霊的成長度によって違うってことでんねん。
そやからそれは、認識の程度って言うのんは、人によって違いまっしゃろ。たとえばそれは、幸福の概念とかがわかりやすいでんな。
ほんでから“力”の使い方、霊能力の扱い方、(通貨としての)金、これらは、自分の利益のため、自分の低い功名心と自尊心のために使割れてることが多い」
「それは例えば、宗教や霊能力を商売に利用した自己奉仕者とか…そういう愛(炁)の顕現の程度の低い進化程度の人と、宗教の中の概念を尊いと感じたり、自分の生き方とか、“行”に活かすとかが出来ない。また霊能力なんてのは、ほとんど商売にしかなっていない。ですからそれは、何が貴いのか判らないみたいなもんですね」
「そのとおりでんな。自己奉仕者は霊的成長していないから貴いものを利用する。ほんでから地球人の大半は自己奉仕者の霊的成長度やから、低い視点しか持ってへん。
ほんでからまた余談みたいやけど、低い視点で間違えてると思われる“宝”の概念。
宝って言うのんはアナグラムで、ほんまの意味は、體、体の旧字でもある。そしてそれは骨が豊かって表記でもある。前のブログで先生とそんな話をしたんやけど…こんなことはほとんどの地球人には理解出来ん」
「そうですね。
今Kellyさんがおっしゃったみたいに、大体一般の地球人は、低い視点しか持ってない。特に幸福、そして金…“カネ”の言霊、それは“力(ちから)の根(ね)”=肉体内の鉄分子、“カネ”の言霊って前のブログで述べられてましたよね。
それと、宗教を商売に利用した自己奉仕者とか…そういう愛(炁)の顕現の程度の低い進化程度の人と、宗教の中の概念を尊いと感じ、自分の生き方とか、“行”に活かすとか、その違いでもありますよね。
だから先生とKellyさんが前のブログで話していたことを引用すれば、宗教を形骸にしたその影響として、現世利益だけをありがたがる傾向がある。
そして、自分が努力して何かを獲得するとか、今起きている不幸は試練なんだとか、そんな認識を持たないようになる傾向がありますよね。だから、その認識はとても低くて、甘い。…甘い(亜、魔、出ずる、泉。愛(炁)の間に魔が入った状態を指す)ですね」
「その通りでんな。
そやから、観察する視点って言うのんは、霊的成長度の高低によるし、そやからこそ認識(悟り、幸取=さとり)って言うのんは霊的成長度による。
事象を観察して認識するのは、霊的成長度によるってことでんねん」
「はあ、おっしゃるとおりですね。だからそれは霊的成長度による、“観察の基準”みたいなことですね」
「そうでんな。そやから、人(日止、霊止)が進化する意義は、神さんと同じ視点を持つことでもあるんやけど…」
「それは前のブログの表現を引用すれば、天の御目(あめのおめ)ですね。
生命は、智性(神性)を増せば、“創造”の“主(ヌシ)”と同じ視点を持つことが出来るようになり、それが神格化でもあるんですよね」
「そうでんねん。そやから今Yっちゃん先生と話してるのは、平均的地球人のものの見方は低いって話をしてるし、結果を分類した呼び方は同義反復でしかないし、それは低い視点のものの見方ってことをKellyさんは言おうとしてまんねん。
ほんでから今Yっちゃん先生と話したことは、今後発売される先生の本の<4><5>を読めば理解できると思うんやけど、要は、共通の事象を観察してもその認識って言うのんは、霊的成長度によって相違がある。
平たく言えば、おんなじもんを見ても、感想とか、感じ方とかは違う。
だからこそ、個人々々の認識の程度に応じた扱いをして、本当に価値のあるものをダメにしたりもする。
…そやけど…ちょっと話がそれ過ぎでんな。
今言うてたのは、認識の程度は霊的成長度により高低があるってことや。ほんでからその認識って言うのんを、進化した生命である人間は、言葉で表現する。それは、先生の言い回しを引用すれば、“言葉は事象を認識する道具”ってことでんねん。この言い回しは前のブログ全体を見回しても、何回も出てくる言い回しでんねん」
「はあ、そうなんですか。何回も使った言い回しって言うのは、大事なことだってことを、今Kellyさんは強調してる…その意味で今、Kellyさんは、“観察と認識”について話してくれているんですね。
ですから今日話そうとしていること、鬱(うつ)と躁(そう)の呼び方。
これは原因を特定した言い方ではなく、症状を観察してから命名した言い方で、その呼び方そのものにKellyさんは問題を感じている。そういうことですか」
「そうでんねん。
そやから今回Yっちゃん先生と話をする躁(そう)と鬱(うつ)、これも人の認識(悟り、幸取=さとり)の程度=霊的成長度に於いての呼び方の相違があり、その呼び方は、躁(そう)と鬱(うつ)の病態の原因を示した表記ではないってことでんねん。
そうKellyさんが思うの根拠は、この間も少し話したけど、躁(そう)は砌(みぎり)の極性、鬱(うつ)は日足(ひたり)の極性の顕れやと思うからでんねん。
ほんでからそれは、心(靈)の極性でんねん」
「心(靈)の極性…先生の二冊目の本に日足と砌(ひたりとみぎり)の概念は説明してあると思うんですが…」
「あれは簡単に説明してあるだけでんねん。
ほんまは、日足と砌(ひたりとみぎり)は、すべての事象に共通のことでもあるし、もっと極論めいたことを言うならば、私たちが観察している事象は、“上”と“下”、日足と砌(ひたりとみぎり)、時間の進行、この三つの要素しかないってことでんねん」
「はあ…」
「必要な説明やと思うからもう少し話しまっけど、“上”と“下”は、“創造”の“主(ヌシ)”と、私たち生命。これがほんまの意味での上下で、上下が重なった字が“正”で、これは法則性を示す表記でもありまんねんけど、これについてはまだブログ内では説明してないことやな。
ほんでから生命が認識している時間の進行は、私たちの心(靈)の中で感じ(感じる磁性)ていることでんねん」
「はあ…」
「人が“観察と認識”をして、現実って思うてる=現津(あきつ)、観察され得る事象って言うのんは、その三つの要素で成り立っているってことでんねん。
 ちょっとわかりにくい説明やったかな…」
「そうですね。むずかしいですね」
「そう思いはるなら、今言った霊や心(靈)の極性や、“上”“下”、時間の進行、そういう概念から話しをするのではなく、現実的な話をしたほうが解りやすいやろな。
そやからようやく本題に入るけど、まず、躁(そう)状態から分析しましょやおまへんか」
「はあ、Kellyさんの分析を聴かせてください」
「そやから、躁(そう)状態って呼称されるんは、気分は爽快。勇猛多弁。人の話を聴かんと自分の言いたいことばっかり言う。ほんでから自分が話してる事柄が絶対正しいと思い込んだりもして、そのことに口出しすると、怒り出すようなケースもあるようでんな。ほんでからチョ~活発に行動して、疲れを知らん。ほんでからに自分は周囲から尊敬されている素晴らしい人間なんやって思い込んだりもする。誇大妄想でんな。
そやからそれは、憑依現象で心(靈)を乗っ取られてるか自分で分からへんのやな。ほんでから自我の肥大による心(靈)の動きもある。そやからそれは、マイペースで人の話しや考えを受け入れへんみたいなもんでんねん。
ほんでから憑依されてる霊的存在からたくさんの通信を受けてるからいろんな発想をする。これは感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)でんな。
それが良い方向に働いているときは、アイデア豊富とかって評価を受けたりもするけど、それも観察する視野が狭い評価ではある。
そやからこのことも、躁(そう)が、憑依現象と、心(靈)の動きによる霊的干渉って分析が無いからやな。
ほんでから今言うたこと、これは高い存在の憑依ではない。判りまっか?」
「はあ、なんとなく判るのは、自我の肥大は“上”に向かう心(靈)ではない。それは自己奉仕者の心(靈)の動きですよね。先生の言い回しならば、悪の事象を創造する心(靈)の動きですよね。
 …だから、明らかに“上”ではないとは思うんですが、もし僕が、誰かにこのことを訊ねられて、高い存在の憑依ではないことを説明しろって言われると、その根拠を証明しづらいですね」
「そうでっか。
 そやからそれは、今までこのブログで使った画像で示すと判りやすいと思いまんねん。
まず、霊って言うのんは、荷電粒子の回転で構成されている。 そして荷電粒子の回転は、縦の磁束由来のローレンツ力による。
そやからそれは、以前にこんな画像をアップしたことがある。

人(日止、霊止)の縦と横の電気特性 “一二三”のオーラ 

 この三つの円は、オーラの発振、発信を示したりもするけど、回転の方向がありまんねん。
その回転の方向を決定付ける要因は、人(日止、霊止)の進化過程っていうのんは、自我から、高い段階の愛(炁)の顕現である“慈悲”と“慈愛”でもある。
そやから現時点の地球人の心(靈)の構成は、自我中心、これも独り神(ひとりがみ、日取り神)になる重要な課程で、ほんでから自我は、腹の段階=マニピューラチャクラの心(靈)の発現でもある。
ほんでからマニピューラチャクラの構成要素として、肝臓と脾臓がある。
それは医者としてのYっちゃん先生に説明するまでもなく、腹の左右でんな。
ほんでからそれは大きなコンデンサーでもあるって言うのんが先生の解釈でもあるし、そしてそれは、腹の段階の日足と砌(ひたりとみぎり)でんな。
そやからそれは、生命って言うのんは、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)していくとき、必ず自我の確立=固定化の段階に入りまんねん。
そしてその段階で獲得する認識(悟り、幸取=さとり)は、自分は一個体の生命であること。
一個体の生命だから、自己と他者を認識できるし、さらに、自分より“上”の存在、そして自分より“下”の存在を認識できる。それがまた、神と悪魔の概念でもあるし、善と悪の概念でもある。
同時に自分たちのよいカタチ、幸福の概念を持ち始める。今Kellyさんが言うたことは、理解できまっしゃろ」
「ええ、自分なりに完全な理解とは言いがたいですけど…分かります」
「まあ、進化が神格化への道程なんて概念は、多分いろんな宗教で言われてるけど、今Kellyさんが言うた様な言い回しではないな。
そやからそれは、例えば即身成仏とか、ヨガの概念のアートマンとか、人は神の子だとかって表記は、みんな神格化を示す表記やと思いまんねん。
そやけど、宗教関係者が低いものの見方をしてるから、言葉の意味を見出せず、人の進化が神格化であるって言う“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)からの情報を、上手く説明できへん。
そやけど先生は、自分のほんのちょっと不幸な境遇や、散々ひどい目にあってきた体験から、自分の存在の意味を見出そうとした。
そやからこそ、神と悪魔、善と悪、“上”と“下”、低い認識ではない幸福の概念、幸福のほんまの意味は、生きている間の認識の拡大で、それは神格化につながるものである…そんな考えを持っている。
先生の54年ちょっとの人生は、そんなことばっかり考えてきてるし、Kellyさんはそんな先生の考えを聞いて、Kellyさんなりの認識を今Yっちゃん先生先生に述べているから、そやからそれはYっちゃん先生が今まで聴いたことの無い話やから、“完全な理解とは言いがたい”って言葉が出るんやと思いまんねん。
…まあ、エエですわ。 話を続けさせてもろてエエやろか」
「どうぞ、話してください」
「そやから霊的なものを画像で示せば、心(靈)の動きもよく判る。次に示す画像、これも前にこのブログにアップした画像やけど、心(靈)の構成って言うのんは生命が持っている縦の磁束由来のもので、そやからそれは荷電粒子の回転そのものが心(靈)の動きでもあり、ヨガで言うところのチャクラには、回転を示す車輪の意味がある。
 そして、心(靈)の発現は、オーラの大きさと関与する。人の神格化は、“一”=智性=1番目のオーラのオーラの大きさの程度によるって言うのんが先生が霊眼(視覚による霊能力)を持っていたときの結論でもある。
心(靈)の構造、本能、情動、功名心、自我、愛(炁)、創造、知恵、智慧、智性、は、どっちが“上”でどっちが“下”か。
 本能っていうのんは、最初の心(靈)の発現であり、進化した生命が持っている智性って言うのんは、人(日止、霊止)と呼称される生命しか持っていない。
そやからこそ、智性って言うのんは、神性の顕れやし、進化は、神格化への道程。
そしてそれは“一”=智性=1番目のオーラに顕れるって言うのも、先生が霊能力を行使していたときに得た結論で、要は先生の認識でんな。
 そのことを示した画像は、こんな感じでんねん。

“一二三”のオーラと心(靈)の発現 


 ちょっとまわりくどい言い回しをするけど、人間以下の進化過程の動物は、1番目のオーラの発現がほとんど無い。そやから簡単に言い直せば、進化=神格化って視点で観れば、動物の進化過程は、人間以下ってことでんな。
ほんでからそれは目上(めうえ)の脳=大脳新皮質の発達が人(日止、霊止)に比べ遅れてるからやねん。このことも先生が霊能力を発現していたからこそ得られた認識でもありまんねん。
 そやから動物霊は、土=2~3番目のオーラの進化過程であるし、心(靈)の構造として、本能、情動、功名心、発達過程の自我、低い愛(炁)の顕現、これくらいの進化でんねん。
 要は、動物の進化過程は、智性(神性)がない。
智慧(日を知る事=智性の恵み=慧)もない。間違えるアカンからあえて言うとくけど、智慧は、知識としての知恵ではなく、知識としての知恵は、“力”の顕れで、それをどう扱うのか、どう使いこなしていくのかは、智性(神性)によるものだからこそ、智慧(日を知る事=智性の恵み=慧)って表記を使うべきでんねん。
ほんでから浮遊霊、仏教で言うところの三毒、貪、瞋、痴(とん、しん、ち、)の心(靈)の動きを持っている霊的存在は、本能と情動の心(靈)の動きでっしゃろ」

(※ 貪、瞋、痴(とん、しん、ち、)について。
貪は、むさぼる。本能由来の行動。瞋は、目をむいて感情をあらわにする。痴は、白痴の意味。認識が足らないとか智慧(日を知る事=智性の恵み=慧)が足らないの意味)

「そうですね。それは理解できます」
「そやから人(日止、霊止)の心(靈)の“上”“下”は、智性(神性)に向かうのか=“一”=智性=1番目のオーラを大きくするようにするのか、あるいは今言うた、貪、瞋、痴(とん、しん、ち、)に向かうのか。
これを考えれば、どっちが“上”なのか“下”なのか、判りまっしゃろ」
「そうですね。智性の無い心(靈)は、動物であるし、そして一般に悪霊って思われてるのは、貪、瞋、痴(とん、しん、ち、)由来の心(靈)の動きを持っている霊的存在ですね。だから悪霊は智性が無い。簡単な言い回しをすればそういうことになりますね」
「その通りでんな。
そやから、躁(そう)状態の霊的干渉って言うのは、憑依されてる人(日止、霊止)の心(靈)の動きによるんやけど、そしてそれは砌(みぎり)の極性の現われって言うたんたんやけど、これは“日月神示”に示されてる画像を観るとよく解る。
以下の画像は、先生の注釈つきなんやけど、解りやすいから観てくださいでんねん。

腹の日足(ひたり)(“善”)回転と、砌(みぎり)(“悪”)回転  


そやからこれは、日足(ひたり)の極性と砌(みぎり)の極性のどっちかが強まったときに起きる荷電粒子の回転を示している。
ほんでからこの“日月神示”表記の右回転と左回転は、“上”から目線でんねん。
これを、人から目線で観ると、こんな感じになりまんねん。

平均的地球人のオーラの構成と、自我から下へ向かう心(靈)の動き、荷電粒子の回転 

そやから、この右回転を構成する右の極性って言うのんを、以下の画像で示しまんねん。

心(靈)の動きが砌(みぎり)の極性で下降する様子 

 そやからこの画像で示した心(靈)の動きを言葉で言い換えるならば、論理的ではなく感情中心、自分の在り方を考えん。そやから他者の意見も聴かん。自我中心、自我の肥大でんな」
「そうか…要は、智性(“一”、1番目のオーラ)が発揮できていない心(靈)ってことでもある。だから、さっきKellyさんが列挙した、“気分は爽快。勇猛多弁。人の話を聴かんと自分の言いたいことばっかり言う。ほんでから自分が話してる事柄が絶対正しいと思い込んだりもして、そのことに口出しすると、怒り出すようなケースもあるようでんな。ほんでからチョ~活発に行動して、疲れを知らん。ほんでからに自分は周囲から尊敬されている素晴らしい人間なんやって思い込んだりもする。誇大妄想でんな。
そやからそれは、憑依現象で心(靈)を乗っ取られてるか自分で分からへんのやな。ほんでから自我の肥大による心(靈)の動きもある。そやからそれは、マイペースで人の話しや考えを受け入れへんみたいなもんでんねん。
ほんでから憑依されてる霊的存在からたくさんの通信を受けてるからいろんな発想をする。これは感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)でんな。
それが良い方向に働いているときは、アイデア豊富とかって評価を受けたりもする”ってことになるんだ」
「そうでんな。
 そやからここまでの話で、躁(そう)状態の人は、砌(みぎり)のエネルギーが日足(ひたり)のエネルギーより勝っていることが理解できると思うけど、その人に感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)する霊的存在は、同調なんやから、おんなじ回転の向きをしているってことでんねん。
 そやから憑依現象による感応共振は、おんなじ心(靈)の動きやから感応共振する。
そやから悪霊の心(靈)の荷電粒子の回転を“上”から観たならば、さっき示した“日月神示”表記の右回転でもあり、それと感応共振する人の心(靈)の動きは、今の地球人は、自我中心の心(靈)の構成になっているからこそ、東洋医学で言うところの肝と脾、足の厥陰肝経と、足の太陰脾経でんな。
ほんでからこの二つの経絡(ツボの流れ)は、腹を通ってる。
そしてそれは肉体における左右の極性でもあり、肝臓と脾臓は大きなコンデンサーの構造を持っているから、左右の極性の構成要素でもある。
ほんでから人間は、進化した左右相称動物でもある。
このことは、なんで人間は左右対称の臓器の構成になっているのか?神経かて左右対称なのか?…の答えでもあるんやけど、この説明は先生の役割やから“続”では説明しませんねん。
 要は、肝=“いきり立つ心(奴と心)”と脾=“思う、憂う”は、自我の構成要素でもあり、人が進化してきて自我の確立=固定化をしてきた過程に関わっている。
ほんでから現時点、地球では、自我の確立=固定化の進化過程の心(靈)でいっぱいってことでんねん。
…そやけど、こんな言い方では説明が足らへんな。
今言うた自我の確立=固定化の進化過程の心(靈)って言うのんは、霊的存在であろうが、肉体を持った人(日止、霊止)であろうが、“日止、霊止”よりも少し自我の確立=固定化が遅れてる動物であろうが…ってことでんねん。
そやから、心(靈)が“下”に向かっている人、それは、心(靈)が“下”に向かっている人の霊と感応共振する。
ほんでから殺された動物霊は人間を恨んでる。恨むって言うのんは、自我から情動に移行する心(靈)の動きとも言い得る。…これは判りまっか」
「はあ、上手く言い表せないけれど、恨みは情動がなければあらわれないでしょうし…感情主体の心(靈)の動きってことなんでしょうし…」
「そうでんな。そやからそれはチャクラで言えば、マニピューラチャクラ(自我)から、スワディスターナチャクラ(情動)に移行する心(靈)の動きで、そしてそれは“下”に向かう荷電粒子の回転で、さらにそれは“上”から観ると右回転になるってことでんねん」
「…そうか。右回転…悪の回転…砌(みぎり)の極性…むずかしいですね」
「難しいでっか」
「そうですね。
今日のKellyさんの話を完全に理解するには、僕の認識やチャクラに対する知識が、足らないのかもしれません」
「そうでっか。 そやったなら今日の話を良く思い出してYっちゃん先生なりに考えたらエエねん。
大体、Kellyさんかて前のブログで先生の話をいっぺんに理解できたわけではないし、よく一人でぼやいてましたやろ」
「そうでしたね」
「そやからYっちゃん先生、ほんまは今日は、鬱(うつ)のことまで話したかったけど、今日の話はここまでにして、Yっちゃん先生なりに今日Kellyさんが話して感じたことを整理しはったらどないでっしゃろか」
「…そうですね。それがいいかもしれませんね。そうさせてもらいます。
それと、今日聴いたことから、鬱(うつ)のことも考えてきます」
「自分で考えること、そのこと自体がYっちゃん先生と“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)との感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)になることでんねん。
そやからそれは、Yっちゃん先生の認識はそういう過程を踏んで構築されていく。
そのこと自体がよいカタチでんな。そやから…また連絡くださいでんねん」
「分かりました。僕なりにいろいろ考えてきます。それでは失礼します」

“日月神示” 富士の巻 第二十三帖 Kellyさん的解釈



今回も、富士の巻 第二十三帖を解釈しまんねん。原文は以下の通り。

世界は一つになったぞ、
一つになって神の国に攻め寄せて来ると申してあることが出て来たぞ。
臣民にはまだ分るまいなれど、今に分りて来るぞ、
くどう気つけて置いたことのいよいよが来たぞ。
覚悟はよいか、臣民一人一人の心も同じになりて居ろがな、
学と神の力との大戦ぞ、
神国(かみぐに)の神の力あらはす時が近うなりたぞ。
今あらはすと、助かる臣民 殆んどないから、神は待てるだけ待ちてゐるのぞ、
臣民もかあいいが、元をつぶすことならんから、
いよいよとなりたら、何んなことありても、ここまでしらしてあるのざから、
神に手落ちあるまいがな。
いよいよとなれば、分っていることなれば、なぜ知らさぬのぞと申すが、
今では何馬鹿なと申して取り上げぬことよく分ってゐるぞ。
因縁のみたまにはよく分るぞ、この神示読めばみたまの因縁よく分るのぞ、
神の御用する身魂は選(よ)りぬいて引張りて居るぞ、
おそし早しはあるなれど、
いづれは何うしても、逃げてもイヤでも御用さすようになりて居るのぞ。
北に気つけよ、東も西も南も何うする積りか、
神だけの力では臣民に気の毒出来るのぞ、
神と人との和のはたらきこそ神喜ぶのぞ、
早う身魂みがけと申すことも、悪い心 洗濯せよと申すことも分かるであろう。
八月三十日、ローレンツ力と ○  の一二か三。

 まず、冒頭の文。

“世界は一つになったぞ、
一つになって神の国に攻め寄せて来ると申してあることが出て来たぞ。
臣民にはまだ分るまいなれど、今に分りて来るぞ、
くどう気つけて置いたことのいよいよが来たぞ。”

冒頭の“世界は一つになった”、それと“一つになって神の国に攻め寄せて来る”って言う言い回しは、進化程度においての認識が一定の基準になったということを指していると思われる。ほんでから“神の国”って表記は、今より“上”の場(フィールド)ってことやろ。それは今が、低すぎるし、醜いから、使われた表記やと思えるな。
そやから“世界は一つになった”=一定の認識を持つようになる。それは、今後=アセンション後は、今までとは違う基準を持つようになる。
今の社会通念とか、常識とか呼ばれてる認識の中には、正義、善悪、人を殺してはいけない、人から奪うのは悪…こんなことは常識。
それに比べ、キリストや釈迦が現れた時代は、今より、盗む、奪う、傷つける、殺す…って言うのんが横行してた。
もっと極端な例を挙げれば、進化程度の低い生命の行動は、人間以下の動物を見ると解りやすいけど、肉食獣が草食獣を食らい、その両者は、ムラダーラチャクラとスワディスターナチャクラの刺激をしている。
要は、弱肉強食の世界は下三つのチャクラの刺激、その進化程度の“行”でもある。
それは、人(日止、霊止)が知識としての知恵を獲得して、自分の心(靈)を観察し、言葉として認識している、本能、情動、功名心、自我、愛(炁)、創造、知恵、智慧、智性、そのうちの、本能=ムラダーラチャクラ、情動=スワディスターナチャクラ、そして自分の身を守る行動は(保身)、自我の確立=固定化の進化過程に移行する段階でもある。
動物から人間への霊的成長、進化程度のことから話を戻し、そやからキリストや釈迦が現れた時代は、“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)の“思惑の顕現”=現象化として、キリストや釈迦を選び、使命を与え、キリストや釈迦に“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)の存在の憑依があり、通信を受け、汝の隣人を愛せよ…とか、天国と地獄の概念を説いたりとか、“慈悲”と“慈愛”を説いたりして、良くないことを良くないと指摘し、その時代の人たちの平均的な認識を“上”に、引き上げてきた。
人の行動=現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現に、低い幸福の概念があるから…ちょっと複雑な言い回しになったから言い換えると、低い幸福の概念で行動するから、程度の低い霊的進化程度の人は、盗む、奪う、傷つける、殺す…そうやって自分の欲望を満たすことがうれしかったり喜びだったり、それが達成されれば幸福だと思う。
それはさっき説明したチャクラの覚醒の概念を当てはめて考えても、よく理解出来る。盗む、奪う、傷つける、殺すは、下三つのチャクラ、特に、ムラダーラチャクラ、スワディスターナチャクラの強化になる。
それを心(靈)の動きで言い換えれば、本能と情動、そして、自分の利益のためにその行動を起こすのだから、マニピューラチャクラの覚醒の段階=自我の確立=固定化の段階でもある。
しかし、キリストや釈迦が現れてから二千年たっても、現状、地球人がやってることは、そんなに変わらへん。
そやからそれは、その時代に比べれば知識としての知恵を獲得したんやけど、やることが大々的になったり(経済で奪う、戦争で奪う)、大義名分を振りかざしてまで自分は正しいと思い込む。そして地球は、恨みの連鎖の霊的干渉でいっぱいの星になった。恨みの連鎖の霊的干渉の結果としての“痛みと悲しみの星”になった。
言うまでも無く、そうしたのは、自我の肥大した自己奉仕者の行いやし、その行いを起こす心(靈)の動きは、マニピューラチャクラの覚醒段階でもあるし、“石屋の仕組み”(帯電するミネラルが固まっていない=真固止ではない=腹の水(“江戸と尾張”の“江”)…その段階の心(靈)の動きでもある。
それが現状の地球…日本人やアメリカ人など、経済大国の人たちは、目先の幸福感に酔っぱらってるから真剣にこんなことを考えん。
また、話を戻し、このことも何回も言うて来てることなんやけど、進化程度の違いすぎる人同士が混在していては、霊的成長をする場(フィールド)として、良いカタチではない。
そやから今言うた、目先の幸福感によっている人たちの認識=霊的成長度では、アセンション後の“創造”を担うことは出来ない。そんな人たちがアセンション後に移行したなら、今の世界とたいして変わらへん。
そして今、甘い解釈をしている人が広めてるアセンションの情報は、ただ甘い(亜、魔、出ずる、泉)し、誰にでも受け入れられる…だからそれは霊的成長度に於いてアセンション後の“創造”を担える人って概念は無く=霊的成長度に於いて分けられると言う認識は無く、広めてる人が低い功名心や自尊心を満足させ、あるいは商売に利用されているだけでしかない(自己奉仕者の行い)。
このブログでは、アセンション後の“創造”を担える人については何回も言うてきた。その大事な要素としてひとつは、自分の心(靈)の中を自分で見極めること。
それが“日月神示”表記の“身魂掃除”“身魂洗濯”。
それだからこそ、アセンションと言う事象を体験して、言い換えれば人の醜い行いを観察して認識する。それは外側(外国と幽界)の事象の観察でもあるけれど、そこで自分自身の心(靈)の動きが“上”なのか“下”(低い心(靈))なのかを、重ねて言うけど、自分自身で認識する。
そしてアセンション事態が、神の“思惑の顕現”=現象化でもあり、霊的成長度に於いて分けられる。…と、言うより、自分の霊的成長度と心(靈)の在り方で、行き先が“上”か“下”か。 言い換えれば自分の(肉体を伴った)心(靈)が、観察し得る事象は、自分の心(靈)が選択するってことでもある。
簡単に言えば、行き先(観察出来得る事象)は、自分で決めるってことで、それがまた、(霊的成長に向かう=神格化に向かう)生命すべてが認識する法則性でもあり、その法則性を“日月神示”の言い回しでは、“道”“理(ミチ)”と表現されていると思える。
そして今現在、アセンションに向かっているのにタイムスケジュールがある。
しかし、たくさんの人が“上”と“下”、“善(神格化の方向性と智性の受信)”と“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の区別が出来ないから、この星、地球は、霊的成長度の低い人とアセンション後に以降出来得る資格を持った“慈悲”と“慈愛”と智性(神性)を行使する人(日止、霊止)が混在しているからこそ、“玉(ぎょく)”と“石”の進化程度の人が同一の場(フィールド)に居て、霊的成長度に於ける行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)の違いについて勉強させられてるみたいなもんでんねん。
その意味で次の文。

“覚悟はよいか、臣民一人一人の心も同じになりて居ろがな、
学と神の力との大戦ぞ、
神国(かみぐに)の神の力あらはす時が近うなりたぞ。”

 この文の最初はさっき説明したように、だんだん地球人の認識が“上”に向かい、それが当たり前になることが“臣民一人一人の心も同じになりて”と称されている。
そして“学”って表記は、富士の巻にたびたび表れる、“理(ミチ)”をまげると言う言い回しの“理屈”やと思える。さっきも指摘したとおり、大義名分を振りかざして戦争したり、甘い(亜、魔、出ずる、泉)アセンションの情報を流して多くの人を目先の幸福感に酔わせて商売をしたり、Kellyさん的にはそれが“理(ミチ)”をまげる、屈する、ことやと思われる。
そして“神国(かみぐに)の神の力あらはす時が近うなりたぞ。”って言うのんは、今より“上”の基準が、当たり前の世界になることを強調していると思える。
言うまでもなくその世界は、欺くとか騙すとか嘘をつくとか奪うとかなどの行動や、概念は、消失し、その場(フィールド)に位置する心(靈)は、肉体を持っていようがいまいが、ただただ自分と他者の霊的成長を望み、それはまた富士の巻 第二十一帖に登場した表記の“益人のます心ぞ”やろ。

 ほんでから次の文。

“今あらはすと、助かる臣民 殆んどないから、神は待てるだけ待ちてゐるのぞ、
臣民もかあいいが、元をつぶすことならんから、
いよいよとなりたら、何んなことありても、ここまでしらしてあるのざから、
神に手落ちあるまいがな。”

 これは、現状、地球人の認識が低すぎることを指摘している。そやから“助かる臣民 殆んど(ほとんど)ない”って称されてる。
ほんでから“元をつぶすことならん”って言うのんは、“二”=肉体と儿部(じんぶ、にんにょう)これは、人の歩く様子を象るって何回も説明してきた。
用は肉体を持った心(靈)=人(日止、霊止)が、時間の進行を認識して、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)してきてるし、現状、低いから、神さんの目に適う(かなう)霊的成長度ではないから、“神は待てるだけ待ちてゐる”“今あらはすと、助かる臣民 殆んどない”ってことでんねん。
 ほんでから“上”は、アセンションが霊的成長度で分けられることを情報として知らしているって言う意味で“いよいよとなりたら、何んなことありても、ここまでしらしてあるのざから、神に手落ちあるまいがな。”って言われてる。
そやけどそれに気がつく人はごく少数、アセンション後の事象の“創造”を託される人は、その霊的成長度の人は、少ないって言う意味合いのことを、次の文章で指摘されてる。

“いよいよとなれば、分っていることなれば、なぜ知らさぬのぞと申すが、
今では何馬鹿なと申して取り上げぬことよく分ってゐるぞ。
因縁のみたまにはよく分るぞ、この神示読めばみたまの因縁よく分るのぞ、
神の御用する身魂は選(よ)りぬいて引張りて居るぞ、
おそし早しはあるなれど、
いづれは何うしても、逃げてもイヤでも御用さすようになりて居るのぞ。”
  
 さっき指摘した、甘い(亜、魔、出ずる、泉)アセンションの解釈を信じ、目先の幸福感に酔っぱらっている人たちは、その時期がきたならば、“分っていることなれば、なぜ知らさぬのぞと申すが、今では何馬鹿なと申して取り上げぬことよく分ってゐるぞ”ってことになるんやろな。
 そして、霊的成長をしてきている人は、ある意味、次の世界の“創造”を託されているからこそ“因縁のみたま”って称されてる。そして“因縁のみたま”にしか、“日月神示”の本当の意味は理解できん。それを“この神示読めばみたまの因縁よく分るのぞ、神の御用する身魂は選(よ)りぬいて引張りて居る”って言われてる。
それは“ひつく”=太陽凝視を“行”として行うことが理解できてないと、“一”=智性=1番目のオーラが大きくないと、本当のアセンションは理解できん。

ほんでから次の文。


“北に気つけよ、東も西も南も何うする積りか、
神だけの力では臣民に気の毒出来るのぞ、
神と人との和のはたらきこそ神喜ぶのぞ、
早う身魂みがけと申すことも、悪い心 洗濯せよと申すことも分かるであろう。”
 
 “北に気つけよ”、これは、北=大極=N極、これは後々先生が“改”で説明することでもあるけれど、磁極の周りを回転する荷電粒子の回転を、心(靈)=霊、○、荷電粒子の場(フィールド)が感じ(感じる磁性)るから、事象が在ると(心(靈)が)認識する。
 それは、心(靈)が、北=大極=N極に対し、正面を向くと、右=砌(みぎり)は、東になり、西は、左=日足(ひたり)になる。それは事象の極性でもある。そして南は、自分自身、自分の心(靈)そのもの、事象を観察している自分そのものでもある。
事象を観察し認識するから事象と自分は存在を確認出来得る。
そやからこの文は、富士の巻で共通のテーマでもある“上”との感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)、それを証した言い方でもあると思える。
そやから事象の“創造”は、神=“創造”の“主(ヌシ)”、“上”の思惑、それを人が取り込み、“上”を認識し、“上”の思惑と自分の思惑による思想をもち=霊的成長し=“一”=智性=1番目のオーラを大きくした人が、今後=アセンション後の“創造”をする。
そのことを言い方を変えて述べられているのが“神だけの力では臣民に気の毒出来るのぞ、
神と人との和のはたらきこそ神喜ぶのぞ、”って言われてる。
ほんでから“臣民に気の毒出来る”って言う言い回しは、現時点、低すぎることを指摘されてて、今、“上”の思惑通りのことが起きたなら=たった今、霊的成長度に於いて分ける作業を行ったなら、大半の人は霊的成長できないまま死を迎える。
そしてそれは、自分の霊的成長度が低いから起きることなので“臣民に気の毒出来る”って言い表されてる。
繰り返すけど、アセンションは自分の霊的成長度に於いて行き先を自分で決めるってことを、この文でも言われてる。
そして最後に、“早う身魂みがけと申すことも、悪い心 洗濯せよと申すことも分かるであろう”…、これは“身魂磨き”=(生体内電流による)肉体組織の結晶化を指摘して、さらに心(靈)の在り方として、“身魂掃除”“身魂洗濯”を指摘している。
タイムスケジュールのあるアセンションという事象に間に合う霊的成長度になって欲しいという、“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)の“慈悲”と“慈愛”が現れた文章でもあると思える。

今回はこれくらいにしときまんねん。

Kellyさん、爆睡中に、A野さんの愛犬たち登場!…夢の中で、人間に見られる習性について犬たちと論じる。 “その一”



 今回の記事は、Kellyさんとチョ~ベッピンはんのA野はんとの会話をよく読んでもらってないと、判別しにくいキャラクターが出てくるから、最初にキャラクターの画像の紹介をしまんねん。

犬 Kelly キャラクター紹介  

 以下、本文でんねん。


         ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★


                    ……Kellyさん…爆睡中……

Kelly爆睡中 2 



 …また夢を観てるな。 
ここは、前に見た夢みたいに、いつもA野はんと待ち合わせする公園やな。
おっ!犬たち現れたやんか。 いつもみたいに勢いよく走ってきたで~~。

犬突進 キナコ リボンバージョン 

犬停止 2


        Kellyさん! Kellyさん! Kellyさん! Kellyさん! Kellyさん!

バティ  「今日は人間のことで教えて欲しいことがあるんです」
ミュウミュウ 「なんか、人間って変なんです」
コロン 「意味の無いことやってるみたいなんです」
アズキ 「そうだ!そうだ!」
キナコ 「そうよ!そうよ!」

Kelly 会話中 「そうでっか。Kellyさんは人間やから、あんたらの分からへんかったことならなんでも訊いてチョ~~でんねん。どんな疑問があるんでっか?」

バティ  「ママ(*σ_σ*)とテレビを見ていると、変な番組が多いんです」
ミュウミュウ 「へんなコマーシャルも多いんです」
コロン 「どっちも変です」
アズキ 「そうだ!そうだ!」
キナコ 「そうよ!そうよ!」

バティ  「一例を挙げると、大晦日に○○歌合戦見てたら、変な人が出たんです」
ミュウミュウ 「ステージに大きな仏さんが出てきて、その手のひらの上で歌ってる人が居たんです。あれは一体、何なんですか?」
コロン 「それと、“歌の力無○大”って何なんですか? 
さっぱり意味が分かりません」
アズキ 「そうだ!そうだ!」
キナコ 「そうよ!そうよ!」

バティ  「それと、何で年末年始は、お笑い番組ばっかりなんですか?」
ミュウミュウ 「お笑い番組見てて人間はうれしいんですか」
コロン 「おんなじような芸人さんばっかり出てるし、おんなじようなタレントさんばっかり出てるし、おんなじようなことばっかり言ってるし、ほんとうに面白いって思ってるんですか?」
アズキ 「そうだ!そうだ!」
キナコ 「そうよ!そうよ!」

バティ  「それと、何で化粧品のコマーシャルが多いんですか?」
ミュウミュウ 「人間ってたくさん化粧しないと人前に出られないんですか?」
コロン 「人間ってそんなに醜いんですか?そんなふうには見えないけど」
アズキ 「そうだ!そうだ!」
キナコ 「そうよ!そうよ!」

バティ  「それと、何で健康食品のコマーシャルや、通販番組が多いんですか?」
ミュウミュウ 「人間ってそんなに不健康なんですか? そんなふうに思えないし…」
コロン 「病気の犬や、病気の人が薬を飲むなら理由は分かるけど、健康食品って必要なんですか? 大体、健康食品って命名の意味がよく分からない」
アズキ 「そうだ!そうだ!」
キナコ 「そうよ!そうよ!」

Kelly 会話中 「……あんたら、いっぱい疑問を感じてるんやな。そやけどようテレビ見てまんな」

バティ  「僕たちは室内で飼われてますから」
ミュウミュウ 「時々、ママ(*σ_σ*)が散歩に連れてってくれるけど、散歩中は犬目線で、下から上を見上げるからあんまり人間の観察が出来ないし…部屋ではママしか観察できないし…」
コロン 「だから、ママと一緒にテレビ見れば、たくさんの人間を見れるし、人間のことを知ることが出来るんじゃないですか」
アズキ 「そうだ!そうだ!」
キナコ 「そうよ!そうよ!」

Kelly 会話中 「そうか…あんたら人間のことを勉強したいんやな。よう分からしてもらいましてんな。そやったなら一つ一つKellyさんが解説しまんがな」

バティ  「教えてください」
ミュウミュウ 「でも、あんまりたくさんのことを説明してもらうと、私たちの頭では理解できません」
コロン 「だから今夜は、さっきバティが言った○○歌合戦に、何で変な人が出るのか、それと、僕(コロン)の疑問、“歌の力無○大”って訳の分からない言葉について教えてください」
アズキ 「それがいい、それがいい」
キナコ 「そうね、そうね」

Kelly 会話中 「承知しましてんな。
そやったならまず、○○歌合戦についてKellyさんが知ってることを述べまんねん。 
○○歌合戦は、毎年、大晦日恒例の番組でんねん。たくさんの歌手が出まんねん。ほんでから歌手にとってはそれが名誉やと思われてる。そやから演出にも気合が入るんやと思いまんねん。
そやけどあんたらが知りたいことって言うのんは、今の話、人間の心(靈)の動き、そんな演出をした動機や理由やな。
それは一言で言えば目立ちたいからでんねん」

バティ  「何でそんなことまでして目立ちたいんですか」
ミュウミュウ 「テレビに出るだけで、十分だと思うけど」
コロン 「目立ちすぎだよ!!」
アズキ 「そうだ!そうだ!」
キナコ 「そうよ!そうよ!」

Kelly 会話中 「コロンはんの言うとおりでんな。目立ちすぎでんな。
…それについて、この間、ヤフーニュースでこんなことが書かれてた。某国民的アイドルの人が、その演出を見てこう言ったそうでんねん。

「ふざけてるでしょ? いい歌を歌うのに笑わせようとしてる」(爆笑)

ほんでからその演出をした本人は、某国民的アイドルの反応がどんなだったのか気になってたらしく…「さっき○○君なんて言ってた?」って報道陣に訊いた。
そしてその反応を知らされると「それはあります。さっき女性審査員の方も手を叩いて笑っていたから、やった!って思った」…そう言うてたそうでんねん。

バティ  「フ~~ン…」
ミュウミュウ 「…変」
コロン 「何で、歌、歌うのに、そんなことしなければならないのかな。
爆笑されてたら、歌が台無しなんじゃないのかな。
そんなことで注目を集めるのが、Kellyさんがさっき言ってた歌手にとっての名誉なのかな…疑問だ」
アズキ 「そうだ。疑問だ」
キナコ 「そうよ。分からないわ」

Kelly 会話中 「コロンはん、今コロンはんが言うたことは的を得た言い方でんねん。そやからこの場合、ただ目立てばエエってことでんねん。
そやからちょっと言うたなら、歌手って言うのんは誰でもなれるわけではない。それなりに努力もするし、たくさんのエネルギーも贖った(あがなった)やろ。
それをあんたらに解りやすく言い換えれば、それなりの苦労もあったってことでんねん。そやからそれは、本人にとっては貴いことやろ。
それは、歌うって言う“力”(力、知恵、知識…学問…能力、そして霊能力を含む)を獲得した“術”(“力”の顕現)でんねん。
そやけど、歌うのは、所詮、歌を歌うだけでんねん。それ以上でもそれ以下でもない。
それに付加価値をつけてるから、歌手やってることが名誉やって思うやろし、ほんでからたくさん目立てば、毎年、大晦日の○○歌合戦に出演できる。
その意図があるから、豪華な、金のかかる演出をして、そしてそれと引き換えにもっと金(着目され、知名度が上がることによるギャラ)をもらう。それを目論んでまんねん。

バティ  「そうなんだ」
ミュウミュウ 「そうなのね」
コロン 「でも、それって歌の上手い下手とは関係ないじゃん」
アズキ 「そうだ!そうだ!」
キナコ 「そうよ!そうよ!」

Kelly 会話中 「そうでんな。
歌の上手い下手とか、どれくらいの人を歌で感動させたのかとか、その技量にどれくらいの価値があるのか、この場合は関係ないことでんな。
そやけど一般国民はそんなこと考えずに楽しんで見てる。歌ってる本人も、歌が上手いのは当たり前やから、どれくらい注目を集めるのかしか考えてないように見えまんな」

バティ  「やっぱり変だ」
ミュウミュウ 「何かおかしいわ」
コロン 「(通貨としての)金が絡んでるからだ。だから目立ちたいって心(靈)の動きに支配されてるからだ。だから爆笑されても受ければいいって思ってるんだ。それと、“歌の力無○大”って言葉だって、目立ちたいから考えた言葉なんだ」
アズキ 「そうだ!そうだ!」
キナコ 「そうよ!そうよ!」

Kelly 会話中 「あんたらの言うとおりやな。
たくさんの(通貨としての)金を得たいがために、目立つことをする。そして歌も歌うけど、目立つことばかり考える。爆笑されても目立ちたいって思い込んでいる。
ほんでからそれを見てる人(視聴者)も、そのことについて深く考えん。
 おかしいでっしゃろ。
そやから、N○Kのキャッチコピーの“歌の力無○大”にしたって“勇気や、癒やし、励ましなど、歌が持つ様々な力を感じてほしい”ってN○Kのホームページで言うてるけど、その力は無限大なんでっか?ってことでんねんな。
所詮、歌は歌でしかない。
ほんでから、キャッチコピーなんてのは、大げさになるからや。短い言葉で人を引き付けようとするからや。そやから大げさになる。
大げさになったキャッチコピーは、その言葉自体にたいした意味を感じさせへん。
無限大ってなんやねん。無限大の力ってなんでんねん。
極端なこと言えば、歌の力で今の地球の不幸な事象が解決するんでっか?
歌番組見てる人間のほとんどは、今の地球の現状なんて考えもせず、ただそのときだけ楽しければいいだけで、ほんま、無限大の力って神さんに近い“力”ってもんが仮にあるとするなら、いま、地球で起きてる不幸な事象を解決するってことが先決やろ。
そやけどそんなふうには絶対に思うてへんな。
自分たちの獲得した“力”(力、知恵、知識…学問…能力、そして霊能力を含む)は自分たちの欲望の達成のためだけにある…通常の人間の概念はそんなもんでしかないから、そやから無限大の力なんて言葉を使っていても、そんな言葉は形骸でしかない。“力”の在り方を思わへんからやねんな。
そやからそんなもん、芸能人と芸能界関係者と視聴者が、言葉に酔ってるだけでんねん。
そやからすごい演出でも、大げさなキャッチコピーでも、ただ人を引き付けたいし、目立ちたいし、その裏には、(通貨としての)金が絡んでて、金を得ることが名誉やって思うてる人が居てる。
その心(靈)の動きで、すごい演出や大げさなキャッチコピーを思いつく。
そやからそれも“思惑の顕現”=現象化で、“力”の顕現やからこそ、ある種の“術”でもあるけれど、結果それはたくさんの錯覚を生み出しているやんか。
錯覚ではほんまのことは分からへんって言うのんは、当たり前のことなんやけど、そやからそれは、歌手は名誉ある価値のある仕事だとか、たくさんの(通貨としての)金を得る事が名誉やとか、歌手をやってる人も歌手を見てる人たちもそんなふうに思い込んでいる。
それをあんたらは、何かおかしいって感じ(感じる磁性)たんやな。
…大概の人間って言うのんは、そんなものの見方をしない。ただテレビ見て一喜一憂してるだけ。そこに人間の心(靈)の動きの問題点なんて思いつきもしないし、そんな観点も無い。
そやから、あんたらが言うてるその視点はすごく大事でっせ。」

バティ  「…少し分かったような気がする」
ミュウミュウ 「なんとなく、人間の習性が分かったわ」
コロン 「目立ちたいのは、欲があるからだ。欲を満たしたいからだ。だから目立ってたくさんの(通貨としての)金や名誉が欲しいんだ。その結果が、すごい演出や、意味の無いキャッチコピーになるんだ。でもそれは、本質を見失うって話を、今、Kellyさんが話してくれたんだ」
アズキ 「人間って、僕たちより賢いくせに…」
キナコ 「なんか変よ」

Kelly 会話中 「そうやな。変やな。
そやから、たいして価値の無いものに付加価値つけて自分の欲望の達成のために利用する。その心(靈)の動きは、自我の確立=固定化の進化過程で、自我の肥大が目立ったときに良く顕れる心(靈)の動きでんねん。
そやから、たいして価値の無いものを大げさに取り扱って自分が目立とうとする。それは先生の解釈の“石屋の仕組み”の一側面でもあるけど、あんたらには説明がむずかしいな」

バティ  「“石屋の仕組み”…」
ミュウミュウ 「自我なら少し分かるけど…」
コロン 「自我の肥大は、自分だけいい目を見たいって心(靈)の動きになるんだ」
アズキ 「それは理解できる」
キナコ 「そうよ。なんとなく分かる。私たちにも欲があるから」

Kelly 会話中 「あんたらが今話してる人間の変なところを理解できるのは、自我の確立=固定化の進化過程の生命やからやねんな。
そやから、人間と共通の心(靈)の動きって言うのんは、言葉で説明するよりも感覚として理解できる。そやからあんたらは疑問を感じたんやと思いまんねん。
ほんでからあんたらには、自我の肥大ってことがあんまり無くって、人間のような欲望ってもんがない。
人間の欲望って言うのんは、幸福の概念を追い求めるためにあるみたいなもんやけど、人間にはまだほんまの幸福って認識(悟り、幸取=さとり)があんまり無い。
そやから形骸の名誉や(通貨としての)金を追い求め、本能に由来することを満たしたい。それは、食う、やる(性的なこと)、そんな程度のことがあるから(通貨としての)金を求めたり、仕事で頑張ったりもする。
ほんでから人間特有の物欲、そんなもんのために頑張る。
それとさっきも言うたけど、形骸の名誉、人に誉めそやされたい…自我の肥大でんな。そんな心(靈)の動きを持ってまんねん。それにひきかえ、あんたらの思うことは…」

バティ  「僕たちは、ママと一緒に暮らして、ママと仲良くするのがうれしい。それとたまにKellyさんとママと公園で遊ぶのがうれしい」
ミュウミュウ 「私たちの欲望や幸福の概念は、その程度だわ」
コロン 「それと、ドッグフードが毎日食べられればいい。
でも、たまにはウルチョラスーパーベリベリデリシャスドッグフードも食べたいけど、それは、僕たちがママやKellyさんに芸を見せたときだけでいい。
だからそれは、僕たちの芸に対する正当な報酬だ」
アズキ 「そうだ。そうだ。人間は正当な報酬以上の何かを求めるから大げさになるんだ」
キナコ 「そうよ。そうよ。人間は欲張りすぎよ。分相応ってことを忘れてるのよ」

Kelly 会話中 「まったくそうでんな。
でも、そうやって欲張って頑張って(元の気を張って)、自分の思惑を実行に移して失敗を体験せんと、自分が間違っているってことに気が付かへんねん。
そやからそれは、右往左往=やってみてから失敗を体験し、左往右往=失敗を体験し、それを教訓として“力”の顕現(砌(みぎり)の行)をするってことでもありまんねん。
それがまた人間って言う生命の進化過程でもありまんねん。
そやからそれは、欲張って欲張って間違えてからでないと、自分の欲望の在り方を思わへんねん。
言うてしまえば、欲望って言うのんは、事象の“創造”のためにありまんねん。
そやからそれは愛(炁)の顕現でもありまんねん。
すべての行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)の動機でもありまんねん。
そやけど自分の欲望の在り方を判断するのは智性(神性)でんねん。そやからこそ愛(炁)の顕現の程度が低かったなら欲望の在り方を間違えまんねん。
そやから進化(霊的成長、神格化に向かうこと)って言うのんは、智性(神性)を獲得してよい世界の“創造”をしていくことと同義でもありまんねん。
話を戻しまんねん。
そやから間違えることは、自分の中にしっかりとした基準を作る。その基準を持った人は、二度と間違ったことをせんようにつとめるもんでんねん。失敗をしないような行動をとるようになりまんねん。
そやからそれは、あんたらの体験したこととして一例を挙げれば、あんたらがいつか、お布団にスネションして、あんたらのママのA野はんを泣かしたことがありまっしゃろ。
Kellyさん、チョ~ベッピンはんのA野はんが語る風俗引退の決意報告を受け、そして少しだけ“正当な報酬”って話をする。


ほんでからKellyさんとA野はんが話してたとき、A野はんが泣いたのを見てKellyさんが泣かしたんだって勘違いしてKellyさんにスネション攻撃を仕掛けたときに、A野はんに怒られたことがありまっしゃろ。
Kellyさん、チョ~ベッピンはんのA野はんから、風俗を引退したその後の体の変化と心境の変化の報告を受け、A野さん自身の霊的干渉と心(靈)の動きに付いて話す。



それかて、あんたらが良いカタチを求めて失敗したことの顕れでんねん。そうやって学習して行きまんねん」

バティ  「そうか。僕たちも進化してるんだ」
ミュウミュウ 「そうだったのね」
コロン 「納得した。分かりやすい説明だ」
アズキ 「そうだ。マーキング(犬のおしっこ)は、時と場合を考えなければいけないんだ」
キナコ 「そうよ。人間に迷惑をかけてはいけないのよ。お布団や人間におしっこかけてもいけないのよ」

Kelly 会話中 「分かってくれはったようでんな」(ちょっと違うけど…)

バティ  「分かりやすい話をしてくれてありがとう。Kellyさん」
ミュウミュウ 「これからも寝てるときに、話をしたいです」
コロン 「さっきも言ったように、人間のやることにたくさんの疑問を感じてます」
アズキ 「お願いします」
キナコ 「お願いします」

Kelly 会話中 「承知しましてんな。夢の中ならいつでも話できまんがな。遠慮せんといつでも登場してくださいでんねん」


バティ  「それじゃ~今夜は失礼します」
ミュウミュウ 「また、お邪魔します」
コロン 「この次も、僕たちに分かりやすい話をお願いします」
アズキ 「じゃあね~~」
キナコ 「さようなら~~」

 


犬後退 キナコリボン付き



Kelly 会話中 「帰っていきはった。そやけど…たくさん話したな……。
 おっ!!キナコはんだけ戻ってきたやんか」

 

キナコだけ戻る

 

キナコ 「Kellyさん、Kellyさん手作りのブラジャー欲しい!!」

Kelly 会話中 「そやったな。もう出来てまんねん。これでんねん。

Kellyさんお手製 貧乳キナコ専用ブラジャー(ちちふんどし) 




キナコはん、ブラジャー着けて帰りまっか」

キナコ うれしい顔 「うん!!Kellyさん、ブラジャー着けて! やった~~ぴったりだわ」

ブラジャーつけて跳ね回るキナコ  

キナコ、Kelly手作りブラジャー装着、究極犬芸をする 


Kelly 会話中 「よかったでんな。 気をつけて帰りなはれ。 ほなさいなら」


         ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★

                    ……Kelly、起床……

Kelly 会話中 「ふ~~…長い夢を見てたな。そやけど今の夢は、Kellyさんの認識がどれくらいなのか“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)が試してたみたいな夢やな。
そやから“上”の霊的存在は、A野はんの愛犬の姿を借りてKellyさんに質問してきた。
そんな感じの夢やったな…

 おっ!!A野はんから電話かかってきたやんか」

A野 顔 「Kellyさん。おはようございます。突然の電話すみません…実は、うちのキナコが、見たことも無いブラジャー着けてうれしそうにしてるんですよ。…謎ですね」

Kelly 仰天中 「!! …それは多分…Kellyさん手作りのブラジャーでんねん。実はゆうべ、こんな夢を見ましてんな。

 

……Kellyさん、A野さんに夢の中で犬たちに話したことや、キナコにブラジャーを着けたことを説明中……



A野 顔 「まあ、そうだったんですか。キナコのためにありがとうございます」

Kelly ドン引き中 「A野はん、びっくりしないんでっか!!」

A野 顔 「まあ、細かいことは気にしててもしょうがないじゃないですか。
だから、キナコは、夕べ夢の中でKellyさんと会って話をして、そしてブラジャー着けてもらった。そしてそのブラジャーが気に入ったから、朝になってブラジャーを着けたまま目が覚めた。
楽屋落ち的言い方ですけど、たまには、そんなオチを取り入れた話も、この難しい文章のブログには必要じゃないんですか」

Kelly ドン引き中 「…そうかもしれまへんな」

A野 顔「キナコのブラジャーのことが分かってよかったです。ありがとう、Kellyさん。近々また待ち合わせしましょうね」

Kelly 仰天中 「…承知しましてんな。ほな、そういうことで。失礼しまんねん」

(注 本文にもあるとおり、キナコが夢の中でブラジャーを持ち帰った件(くだり)は、フィクションです。 by ○○○大先生)

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Author: Kelly & ○○○大先生
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Kellyさんと○○○大先生は、
このブログを書いている○○○の、
心(靈)の二面性であり、
同一人物で有る事を、
お断りしておきます。

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四冊目&五冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈4〉
智性無き心は
悪を容認する


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈5〉
智性無き心は
アセンションを見誤る

 この二冊は、同時発売です。
太陽凝視を行っている鍼灸師の話 <4> 智性無き心は 悪を容認する & 太陽凝視を行っている鍼灸師の話 <5> 智性無き心は アセンションを見誤る サムネイル
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2010年 4月20日(火)ごろより、全国書店(紀伊國屋書店・三省堂書店・旭屋書店・ジュンク堂書店・ブックファースト・リブロ・丸善など)にて順次陳列。


発売中の三冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈3〉

神格化のプロセス
目上(めうえ)と目下(めした)


神格化のプロセス 目上と目下 縮小版 ブログ用
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太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈2〉

ローム太霊の教え
日足(ひたり)と砌(みぎり)


サムネイル太陽凝視を行っている鍼灸師の話〈2〉ローム太霊の教え 日足(ひたり)と砌(みぎり) 
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発売中の一冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈1〉

ローム太霊との出会い


太陽凝視を行っている鍼灸師の話〈1〉ローム太霊との出会い
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初めての方は、
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“日月神示” 富士の巻 (26)
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“日月神示” 雨の巻 (18)
“日月神示” 風の巻 (15)
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☆ 紫光会経文の文言 Kellyさん的解釈 (18)
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2005年10月1日~2008年1月15日まで、
“Kellyさんとの会話”で、説明して来た事・・・
その内容・・・それは・・・その何年も前から、
何か自分の考えをある程度公表しなければならない・・・
そう言う通信を受け・・・その理由は・・・地球人が低い心(靈)の発現しかしていない・・・
それを自覚していない人が多い。
その事由来の太陽凝視に対する認識、
(太陽凝視=不食・・・としか、認識させない存在の思惑を、受信している事)
霊的成長に対する認識、
神に対する認識、
心=靈に対する認識、
オーラに対する認識、
そして、
高い認識の上での進化の意味と幸福の概念と神の概念・・・
進化=霊的成長=神格化=(相対的に)高い認識を獲得する事・・・
霊的成長=神に近づく事=真の幸福の意味。
霊的成長度は1番目のオーラに顕れる。
よって、宇宙的プログラムにより次の段階に移行する人(日止、霊止)は、 何を考えるべきなのか・・・
そして、人(日止、霊止)の進化を阻む存在の思惑、
その心=靈の動き、それらの意図・・・それが一般に認知されていない事。
それらを伝えなければ成らない・・・そして一応・・・完結はしたのですが・・・
解り難い・・・理解しがたい・・・具体例を示して欲しい・・・そう言う感想も頂き、
そして自分なりにも説明が足らなかった事・・・
更に、
“Kellyさんとの会話”が完結してからも通信を受けている事・・・そう云う事もあり・・・
よって、このブログを立ち上げる事としました。
従って、
“Kellyさんとの会話”が、
自分の意見を述べる上での、ローム太霊の言葉、
“右往左往”(“いきり立つ心(奴と心)”で行動してから考える)・・・と、 するならば、 このブログはアタシ自身の、
“左往右往”(“思う、憂う”・・・体験を教訓として考え行動する)の、
作業になって行くと思います。


太陽凝視を行っている鍼灸師の話 “総括編”
太陽凝視を行っている鍼灸師の話 “改”
予約制 鍼(はり) 灸(きゅう) マッサージ治療 児玉療院
写真部の○○○大先生のページ
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○○○大先生の水草水槽記録
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自分達の欲望を満たしたい… 
自分だけ幸福になりたい…
こういった進化程度の低い心(靈)の発現由来の思いが、
低い幸福の概念になり(目下(めした)の思い)
その結果が、飢餓貧困、戦争の原因になったりしています。
(子供の浮游霊の霊的干渉の影響を受け、 それがどんどん増して行く事等が、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)
の思惑だと 思えます)

恨みの連鎖による霊的干渉を増やさない為、
その解消の為にも、(この趣旨に反する類の物もありますが) クリックをお願いします。
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