“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話

太陽凝視を一生涯の“行”とし(現在、44年目)、実践し、その上で獲得した認識を述べています。

“日月神示”日月の巻 第七帖 Kellyさん的解釈

 今回も、日月の巻 第七帖を解釈しまんねん。 原文は以下の通り。

ツギ、タカミムスビ、ツギ、カミムスビノミコトトナリタマイキ、コノミハシラ スニナリマシテ スミキリタマイキ。
岩戸ひらく道、神々苦むなり、弥ひらき苦む道ぞ、苦しみてなりなり、なりゑむ道ぞ、
神諸々なり、世は勇むなり、新しき道、ことごとなる世、神諸々(もろもろ)四方(よも)にひらく、なる世の道、ことごとくの道、みいづぞ。
十月二十四日、一二 ローレンツ力と ○

 まず、冒頭のカタカナ表記。

“ツギ、タカミムスビ、ツギ、カミムスビノミコトトナリタマイキ、コノミハシラ スニナリマシテ スミキリタマイキ。”

この第七帖の冒頭も、前回の第六帖と同様にカタカナ表記で始まっているので、古事記を参考に漢字とひらがなをあててから解釈する事とする。 そうすると以下のようになる。

次、高御産巣日神(たかみむすび)、次、神産巣日神(かみむすび)之命(の“実言(みこと)”)と成りたまいき、この三柱 素(す)に成りまして 巣(す)見切りたまいき。

まず、“高御産巣日神(たかみむすび)”、これは、高=“上”、そして御を使うのは、相手や第三者に対する敬意とともに、相手のもの、相手に関するものであることを表すし、また和らげた命令表現のときにも使う(御黙り、御入り(おはいり)など)、よってこれは、第六帖で解釈したこと、それは、事象の“創造”を“上”が思い(想い)、そのことを使命とした(命、“実言(みこと)”)、言い換えれば“創造”の“主(ヌシ)”の思惑を、顕現=現象化として、生命(生きる使命=存在理由)が感じうる(“観察と認識”)、事象の“創造”を、命としたことを指し示すことだと思う。 
そして、産む=“創造”そのもののこと。 
巣については後述する。 
日=太陽、これは大極の天意(“創造”の“主(ヌシ)”の思惑を送る)として個々の生命(生きる使命=存在理由)は、認識し、太陽は“上”の思惑を荷電粒子として送信しているし、地球の場合は地球と人と地球上の生命すべてに送信する存在。
神=示す偏(へん)と呂、その意味は、荷電粒子の回転(神格化のプロセス 目上(めうえ)と目下(めした) “その六”(129ページ)で、簡単に述べたことでもある)。
そして、神産巣日神(かみむすび)之命(“実言(みこと)”)は、神=荷電粒子の回転、産む=“創造”。
巣については後述する。
日=太陽、神=荷電粒子の回転。
“之”は、これ(此れ、是、維、惟など)、そして、行く(時間の進行)の意、また“これすなわち”の意もあり、だから“之”は、“命(“実言(みこと)”)と成りたまいき”にかかるから使われている。
よってここまでのカタカナ表記は、独り神(ひとりがみ、日取り神)である“上”(“創造”の“主(ヌシ)”)は、天地初発の時、唯一神であるからこそ一つの意識でしかなく(独り神(ひとりがみ))、だから自分以外、自分と他の存在、自分と他の場(フィールド)を想像し(思惑)“創造”することを、命(“実言(みこと)”)とした。 
このことは、ローム太霊との出会い おめでとう 天の御目(あめのおめ)の太神 の72ページ以降ですこし述べた内容でもある。
またそれは、すべての事象の成り立ちは、第六帖の“アノアニナリマシキ”=“亜”の“あ”(愛(炁)の“あ”=ア(“亜”)から、イ(出る(いずる)、泉)、そしてそれは“創造”の“主(ヌシ)”の表記である“一”)に成り増しき という表記のように、アイ、愛(炁)、“亜”が出(いずる、泉)で成されていることでもある。
そして生命(生きる使命=存在理由)が感じ(感じる磁性)るのは、“創造”の“主(ヌシ)”の思惑(天意)で、それは普遍的に実在する創造主のオーラ(宇宙背景放射)でもあり、その大極からの思惑を受け止め増幅して送るのが、日=太陽である。
さらに、“カミムスビノミコトトナリタマイキ”= 神産巣日神之命(“実言(みこと)”)と成たまいき は、大極の荷電粒子の回転(“上”)(神)は、巣を創造(産)し、太陽(日)を介して“上”の思惑を送り、そして神産巣日神之命の後半三文字の神之命は、個々の生命(生きる使命=存在理由)を神(荷電粒子の回転)とすることを、命(“実言(みこと)”)としたと読み取れる。
そして“コノミハシラ スニナリマシテ スミキリタマイキ”=“この三柱 素(す)に成りまして 巣(す)見切りたまいき。”
まず、この文の“コノミハシラ”“この三柱”は、第六帖の天之御中主(あめのみなかぬし)と第七帖の高御産巣日神(たかみむすび)と神産巣日神(かみむすび)之命(の“実言(みこと)”)のこと。
そして“スニナリマシテ スミキリタマイキ”の“ス”には、素(す、もと、原材料の意)と巣(すみかの意、何々の巣、愛の巣など、場(フィールド)を示す意味とも解釈も出来る)を、あてることとした。
そう思ったその根拠は、前回の第六帖のカタカナ表記の部分の纏め(まとめ)として、次のように述べたことによる。 
以下に第六帖から引用する事とする。

“事象の“創造”の始まりを指し示し、それは神(“創造”の“主(ヌシ)”)の思惑で、その顕現=現象化を、“上”も“下”も=神もあらゆる生命も、“観察と認識”をしている事と、“創造”の“主(ヌシ)”の“創造”の始まりと根拠=“どういうつもり”を述べている文である”。(引用終わり)

それで第七帖では、“創造”の“主(ヌシ)”に対しての被造物としての人(日止、霊止)が見る視点、見方が述べられているのだと思うし、それゆえ、第七帖では事象の始まりの原因、根拠、そして材料というこちら側としての認識を示す事が述べられているのであると思える。 
それを思った根拠としては、“風止麻邇言霊学(ふとまにことだまがく)”から引用すれば、“ス”の音根は生命発現の基(もと)、すなわち真澄(ますみ)の素(もと) 巣の意の音根 こう称されているからでもある。 
よってこの文の“ス”に素(す)と巣(す)をあてるのが妥当だと思う。
またこの“ス”は統一(みすまる)の“ス”でもあると“風止麻邇言霊学(ふとまにことだまがく)”には書かれてある。 
また、統一(みすまる)は、“男(日足(ひたり)の極性の現れ)が知るべきみずから統一すべ治(し)らすの言霊”、こう記載されている。
それだからこそ伊耶那岐(いざなぎ)(男)の“岐”は、思想=山(脳の意)と支(ささえ、えだ、わけるの意)で構成されていて、思想のわかれ、支えっていう意味で伊耶那岐(いざなぎ)の“岐”があてられているものでもある。
よってすべての事象の成り立ちは、伊耶那岐(いざなぎ)の“岐”、それは日足(ひたり)=思惑、その顕現(事象として観察され認識されうること)は、砌(みぎり)(女の極性)であることが、事象の“創造”そのものでもあるのだけれど、古事記に書かれているように伊耶那美(いざなみ)のほうから伊耶那岐(いざなぎ)に声をかけた(“言”(事象に顕現され、(自己と他者に)観察された心(靈)の動き))ことが、この事象の“創造”の失敗。 
そしてそれはローム太霊が伝えた、右往左往と左往右往でもあると思う。
(右往左往=やってみてから失敗を体験し、左往右往=失敗を体験し、それを教訓として“力”の顕現(砌(みぎり)の行)をする)
だから“素(す)に成りまして 巣(す)見切りたまいき”は、“創造”の材料、“亜”=素(す、もと)は、場(フィールド)としての巣(す)を“創造”するが、それはよいカタチの“創造”は“見切りたまいき”でなければならないことを述べており、当然のことながらその事象の“創造”は“日月神示”表記の“うれしうれし”“大歓喜”の場(フィールド)でなければならないし、それは“善(神格化の方向性と智性の受信)”でもあるし、また、このことそのものが神(“創造”の“主(ヌシ)”)の“思惑の顕現”=現象化でもある。
これが、第七帖のカタカナ表記の纏め(まとめ)であると思う。

そして次の文。

“岩戸ひらく道、神々苦むなり、弥ひらき苦む道ぞ、苦しみてなりなり、なりゑむ道ぞ、
神諸々なり、世は勇むなり、新しき道、ことごとなる世、神諸々(もろもろ)四方(よも)にひらく、なる世の道、ことごとくの道、みいづぞ。”

これは、“うれしうれし”“大歓喜”の場(フィールド)の“創造”に関する事が書かれてあると思う。
“岩戸”は、古事記の岩戸開き、それは“石”(帯電するミネラル)と“山”(脳の意味)で、“戸”(横隔膜)を開く。 これはチャクラでいえば、マニピューラチャクラからアナハタチャクラの覚醒にいたること、心(靈)の動きでいえば、自我の確立=固定化から“慈悲”と“慈愛”の発現。 これは脊椎動物の進化の順番でもあり、心(靈)の発現が“上”に向かうことでもある。
またその過程が、右往左往(自我の肥大による行動で失敗をする)から左往右往(失敗を教訓として今後の創造をする)ことを示唆している。 
そしてそれは“道”(時間の進行、生命の進化)であるといわれ、だから個々の生命(生きる使命=存在理由)、それは神の素(す、もと)であり、それが進化するには“苦しむなり、弥ひらき苦む道ぞ、苦しみてなりなり、なりゑむ道ぞ、”であるし、この文で使われている弥栄(いやさか)の“弥”は、画像で意味を示す事とする。
彌栄弥栄(いやさか) 弥の旧字 

弓と璽(しるし) 彌の旧字の解字



そして“神諸々なり、世は勇むなり、新しき道、ことごとなる世、神諸々(もろもろ)四方(よも)にひらく、なる世の道、ことごとくの道、みいづぞ”は、この文の“神諸々”は、荷電粒子の回転、もろもろの生命=独り神(ひとりがみ、日取り神)の素(す、もと)は進化して創造をする。 
それが“世は勇むなり、新しき道、ことごとなる世、神諸々(もろもろ)四方(よも)にひらく、なる世の道”っていう文で示され、それは先ほどのカタカナ表記の“神産巣日神之命(“実言(みこと)”)”の“神之命(“実言(みこと)”)”と同義で、それは個々の生命の進化の目的が独り神(ひとりがみ、日取り神)である事を示唆する。 だから個々の生命の進化(霊的成長、神格化に向かうこと)は“世は勇むなり、新しき道、ことごとなる世、神諸々(もろもろ)四方(よも)にひらく”と成りうるものであり“神諸々(もろもろ)四方(よも)にひらく、なる世の道”は、個々の生命の発振、発信(四、“四五十”“善言(よごと)”=“善(神格化の方向性と智性の受信)”の発振、発信の“四”)は、“上”と“下”、日足(ひたり)と砌(みぎり)の四方に開くものである事を示す。 
だからそれは、個々の生命が進化して行けば(“道”=時間の進行)、それは、“なる世の道”で、生命の完成=独り神(ひとりがみ、日取り神)になることであるって言われている。
それでこの文の最後の“みいづ”は、上つ巻 第二帖の“神のやり方は日の光、臣民ばかりでなく、草木も喜ぶやり方ぞ、日の光は神のこころ、稜威ぞ。”の“稜威”で、この言葉そのものの意味としては、神霊の威力、天子の威光、類義語として、威霊って表現もあるが、天子の威光、これは天意を受けた人のオーラの事で進化して神格化した生命の息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)=“四”であることを(今まで何回もいうたことでもあるけれど)今さらながらあえて指摘して、今回はこれくらいにしときまんねん。

“日月神示”日月の巻 第六帖 Kellyさん的解釈


今回も、日月の巻 第六帖を解釈しまんねん。 原文は以下の通り。

アメツチノトキ、アメミナカヌシノミコト、アノアニナリマシキ、タカアマハラニ ミコトトナリタマヒキ。
今の経済は悪の経済と申してあろがな、もの殺すのぞ。 神の国の経済はもの生む経済ぞ。今の政治はもの毀(こわ)す政治ぞ、神の政治は与へる政治と申してあろが。
配給は配給、統制は統制ぞ。 一度は何もかも天地に引上げと申してあるが、次の四(よ)の種だけは地に埋めておかねばならんのざぞ。 それで神がくどう申してゐるのぞ。
種は落ちぶれてゐなさる方(かた)で守られてゐるぞ。
上下に引繰り返ると申してある事近づいて来たぞ。
種は百姓に与へてあるぞ。種蒔くのは百姓ぞ。
十月の二十二日、ひつ九かみ。

まず、カタカナ表記の冒頭の文。 

“アメツチノトキ、アメミナカヌシノミコト、アノアニナリマシキ、タカアマハラニ ミコトトナリタマヒキ。”

このことは以前も述べたけど、“日月神示”におけるカタカナ表記っていうのは“上”からの視点での言い回しであり、そして、ひらがなと漢字の表記は、こちら側、人から神に対しての視点だと思う。 だからそれは、神(“創造”の“主(ヌシ)”)と人って関係があり、それは大局的に見れば、“上”と“下”ってことになる。
さらにこのことを言い換えれば“上”=神の視点、神の観察、神の認識。 “下”=人、言い換えれば人(が進化して天意を受けることが出来る“日止、霊止”)の視点、観察と認識ってことになる。
このことを踏まえ、今回の日月の巻 第六帖から始まる古事記の文のようなカタカナ表記のそれは“上”の思惑を述べていると思うし、これにひらがなや漢字を当てはめると、(“下”である人に)意味が通じるものだと思うので、その手法で読み解いていく事とする。
まず“アメツチノトキ、アメミナカヌシノミコト”、これは、天地の時、天之御中主(あめのみなかぬし)の命(みこと)。
あるいはこの命(みこと)に関しては、地つ巻 第一帖の表記の“実言(みこと)”を当てはめるのが妥当だと思う。 “実言(みこと)”については地つ巻 第一帖を見てもらうこととして、まず、天地(アメツチ)は、“上”と“下”、“創造”の“主(ヌシ)”と被造物である人、あるいは“創造”の思惑と、顕現した事象。 また、“思惑の顕現”=現象化を、(心(靈)、霊=○、荷電粒子の場(フィールド)が=すべての生命が)観察行為により認識し始めた時といいうるし、重複する説明になるけれど“アメツチノトキ”の“ノ”(の)と“トキ”(時)は、観察をして認識をし始めた時、またこのこと自体が“創造”の始まりっていう意味を示すのだと思う。
それで、“アメノミナカヌシ”天之御中主(あめのみなかぬし)は、この“中”っていう表記が大事、それは場(フィールド)を示す、囗、に、|(たてぼう、こん、縦の磁性))が、“上”から“下”へ貫いている表記でもあり、それは天=“上”=“創造”の“主(ヌシ)”の思惑である事を示唆している。 そして“主(ヌシ)”っていう表記、これは以前作った画像で意味を示す事とする。
主(ヌシ)の解字
事象の“創造”、そして場(フィールド)の成り立ちは、この画像の縦の磁性と三つの水平磁場で構成されていると思うが、この解釈の詳細についてはとても長くなるので、別の機会に簡単に説明する事とする。
(また、S会=紫光会の経文、四空経録にも、このことを指し示す表記があるが、直接アタシに連絡をくれた方で、太陽凝視を真剣に行う姿勢のある人にしか述べないこととする。 by ○○○大先生)
また、“主(ヌシ)”という表記は、生命(生きる使命=存在理由)が霊的成長して独り神(ひとりがみ、日取り神)になり、この次元の宇宙とは違う事象を“創造”する心(靈)になるって言い換えてもいい。 
よって人は“主(ヌシ)”に成り得るし、その仕組みを育てて見守り、護る存在が“主護霊”=“主(ヌシ)”の仕組み(霊的成長と神格化)を護る“上”の霊という意味であるからこそ、ローム太霊は“主護霊”という表記を使え、こう書き記せ、と、述べた。 
…が、その言葉だけ利用して金儲けをした愚かな霊的成長度の人間(“役員づら”)は、“主護”って言う日本語がないから守護霊と書き換え、偽の情報を流布している。 また大半の人がこの事を知りえないのは、ありがたそうなことをただありがたるだけ、雰囲気を楽しんでいるだけの低すぎる人間ばかりの世界だからでもある。
話を戻し、次の“アノアニナリマシキ”は、“亜”の“あ”(愛(炁)の“あ”=ア(“亜”)から、イ(出る(いずる)、泉)、そしてそれは“創造”の“主(ヌシ)”の表記である“一”)に成り増しき と、ひらがなと漢字を当てることとする。 
それはまず、“ア”=“亜”“あ”から解釈を述べると、“一”って表記が“創造”の“主(ヌシ)”の“思惑の顕現”=現象化っていう意味があることを今までも述べてきた。 
また“一”は、“メグリ”(帀)や靈の雨の部分の上の表記でもあるし、第六帖の最後の“百姓”の“百”など、いろんな漢字に含まれているものでもある。
それで、“一”についてだが、これは、こちら側=人から視点での向かって日足(ひたり)から砌(みぎり)に筆を移行させて書くのが“一”でもあるし、先にも述べたけどそれは、“亜”が出ずる、泉、であり、アイ=愛(炁)でもある。 だからこれは“創造”の“主(ヌシ)”の“思惑の顕現”=現象化であり、“創造”そのものでもある。 またそれは“ナリマシキ”=成り(実現(実現は事象の“観察と認識”でもある)し、完成を目指すこと)増し(増える、弥栄(いやさか)と同義)気(電磁波、荷電粒子)で、それは、生命(生きる使命=存在理由)が発振、発信するオーラ=息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信))って事だと思う。
 次の“タカアマハラニ ミコトトナリタマヒキ。”は、高天原に、命(あるいは“実言(みこと)”)と、成りたまひき。
高天原は、“上”の場(フィールド)、よって“上”の場(フィールド)で、“上”の思惑が命(“実言(みこと)”)と成りたまひきってことは、実行せよ、顕現せよ、それを命とせよって事だと思う。
よってこの第六帖のカタカナ表記は、ひとことでいえば、事象の“創造”の始まりを指し示し、それは神(“創造”の“主(ヌシ)”)の思惑で、その顕現=現象化を、“上”も“下”も=神もあらゆる生命も、“観察と認識”をしている事と、“創造”の“主(ヌシ)”の“創造”の始まりと根拠=“どういうつもり”を述べている文であると確信する。

次の文。

“今の経済は悪の経済と申してあろがな、もの殺すのぞ。 神の国の経済はもの生む経済ぞ。今の政治はもの毀(こわ)す政治ぞ、神の政治は与へる政治と申してあろが。
配給は配給、統制は統制ぞ。 一度は何もかも天地に引上げと申してあるが、次の四(よ)の種だけは地に埋めておかねばならんのざぞ。 それで神がくどう申してゐるのぞ。
種は落ちぶれてゐなさる方(かた)で守られてゐるぞ。
上下に引繰り返ると申してある事近づいて来たぞ。
種は百姓に与へてあるぞ。種蒔くのは百姓ぞ。”

 この文の大半は、“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の行いを指摘しているものであり、それが“今の経済は悪の経済”“もの殺す”“今の政治はもの毀(こわ)す政治”ってことでもある。 しかし今後=アセンション後に位置する(アセンション後に位置して行く今より霊的進化を果たした)奉仕者は、“神の国の経済はもの生む経済”“神の政治は与へる政治”をするものであり、それは霊的成長して自我から“上”の“慈悲”と“慈愛”の心(靈)を発現しなら、必ずそうなっていくものであり、だから自我の肥大した人が“創造”している“石屋の仕組み”由来の事は、必ず壊れるものである。
 そして“次の四(よ)の種”=“四”は発振、発信の意味がある。 またそれは、上つ巻の表記の“よごと”=“善言(よごと)”これは、原文では“よごと=四五十”ではないかって思ったが、今はそのことについて確信を持っており、その意味は、“善(神格化の方向性と智性の受信)”の発振、発信、は、糸巻きの象形文字である“五”になる。 
それは肉体の進化(霊的成長、神格化に向かうこと)に伴い、神経が密になることを示す。 そして“十”は、胸の磁性“十”でシンクロトロン放射の構造でもある。
だから、その意味での“次の四(よ)の種”と解釈をするし、それは今が、“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”が活躍するダメな世界だからこそ、次のように述べられている。 

“次の四(よ)の種だけは地に埋めておかねばならんのざぞ。それで神がくどう申してゐるのぞ。種は落ちぶれてゐなさる方(かた)で守られてゐる”

これは、本当に真実=真固止を求め、この世界の良いカタチを追い求め顕現しようとする霊的成長度の人(日止、霊止)は、今、着目されていないからこそ“種は落ちぶれてゐなさる方(かた)で守られてゐる”のであって、今の世界はダメな物、神格化って視点で価値のないものばかりが流行る(インチキスピリチュアルやパワースポットなど、甘い夢を見させるなにか)し、霊的成長を示す何かは形骸に成り果てているってことを何度も指摘しているが、ほとんどの人はアセンションの真実を知りえず、霊的成長の厳しさを思わず、大体、大半の人は自分たちの存在の意義すら考えた事がない。 そんな人間が多数だからこそ、“役員づら”(形骸の宗教や、アセンションや霊的成長に対し、甘い夢を見させ偽の情報を流すたぐいの人たち…それは悪魔の傀儡(かいらい、くぐつ)が活躍し、甘い情報、偽の情報が氾濫し、それは本当の事を悟られたくない“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)の思惑である。
しかしそれは時期が来ると“上下に引繰り返ると申してある事近づいて来たぞ”ってことに、必ずなるものであり、それが、ひそかに真実=真固止を追い求め、自分の心(靈)の動きの在り方を見出そうとする人生を送り、霊的成長を目指す“行”を行ってきた人は、必ず“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)が見出し、世に出そうとするし、それが次の(アセンション後の)創造の要になる人(日止、霊止)でもあるし、これもアセンションに伴う神の計画であると確信する。
その意味で次の文の“種は百姓に与へてあるぞ。種蒔くのは百姓ぞ”は、この“百姓”は、農業に従事する人ってことではなく、“百”は、“一”(アイ、“亜”が出ずる、泉、愛(炁)、“創造”の“主(ヌシ)”の表記)の下に丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)が書かれ、その下に太陽=日が書かれていることが重要。 
そして“百姓”の姓っていう字の偏(へん)の女は、砌(みぎり)の極性、事象の顕現を指し示し、旁(つくり)の生きるは、丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)と“青人草”(あおひとくさ)の“青”の上半分で、乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現)と同様の意味を持つ。
それで以前紹介した、“百千万(ももちよろず)”の画像、この中で“百”の意味を述べてあるし、それと“女”と“青人草”(あおひとくさ)の解字を以下に貼って、今回はこれくらいにしときまんねん。

百 千 万 の解字と解釈
女の解字、丿部(へつぶ)乚部(いんぶ)“一”=智性=1番目のオーラ
“青人草”(あおひとくさ)の解字

Kellyさん、爆睡中に、A野さんの愛犬たち登場!…夢の中で、人間に見られる習性について、犬たちと論じる。 “その五”  (アズキ君とセブンちゃんの話)



……例によって、Kellyさん爆睡中……

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 また夢を見てるな…いつもの公園や。 今夜も犬たち待ってるかな。 
おっ、今回はセブンはんが一匹…いいや一人で待ってるやんか。 
そやけどセブンはん一人って状況は、どうしてなんやろか。 アズキはんは一緒やないんやろか…。 
あんなに仲良くなった二人なのに、何でセブンはんだけなんやろか…。 とにかくセブンはんと話してみたりましょ。 
 その前にKellyさんは、犬Kellyに変身しとかんとアカンな。 変身しときましょ。

Kelly 会話中  → 犬Kelly 会話中  
(Kellyさん、犬Kellyに変身)
犬Kelly 会話中「こんばんわんこ、セブンはん」
セブン 会話中 「こんばんわんわん犬Kellyさん。 この間は、私とアズキ君とのことで、犬○○○大先生ともども大変お手間を取らせてしまいました。 その節はありがとうございました。
   
(注 犬○○○大先生→ 犬と化した○○○大先生 会話中
 
それで今夜は、アズキ君と私のことでKellyさんに相談したいことがあるのですが…」

犬Kelly 会話中「アズキはんの事…なんでんねん、セブンはんとアズキはんは喧嘩でもしはったんでっか? そやから今夜は、セブンはん一人でここにいてるんでっか?」
セブン 会話中「そうではありませんが…今のKellyさんのお言葉、私たち二匹のことをとても気にかけていただいてるようで、私はとてもうれしいです」
セブン 会話中 笑顔

犬Kelly 会話中「当たり前でんがな。 アズキはんもセブンはんもKellyさんの大事な友達やし、ほんでから多分、○○○大先生かてKellyさんとおんなじように思うてるやろ。
そやから二匹…いいや、二人にたいしては、Kellyさんも○○○大先生もよいカタチになってもらいたいと思うてる。 
…ほんでからそんなふうに思うてしまうのは…Kellyさんも○○○大先生もいまだ独り者やし…そやから今まで相手に恵まれへんかった人生を送ってる。 それで、Kellyさんでも○○○大先生でもちょっとつっぱってて、一人が好きっていうてるけど、実はとても寂しがりやったりもするもんでんねん。 
…そやから…そんな気持ちをいつも持っているからこそ、アズキはんとセブンはんには幸せになってもらいたいって思いまんがな」
セブン 会話中「…ありがとうございます。 
それで、私とアズキ君のことを、そんなふうに言っていただいたばかりのKellyさんに、こんなことを相談するのは…とても気が引けるのですが…最近、アズキ君が私に冷たいのです」
犬Kelly 会話中「アズキはんが冷たい? それはどんなときにセブンはんはそんなふうに思うんでっか?」
セブン 会話中「そのことをお話しする前に…。
私たち二匹は、お互いのママ(*σ_σ*~ しσ_σし)がこの公園で待ち合わせをしたときにしか会えない…それは、Kellyさんもご存知ですよね。 それで、公園で会ったとき、私とアズキ君は一緒に遊んでました。 ちなみに私たちが遊ぶ前には、Kellyさんがアズキ君に指導して鍛えていただいた例のトレーニングを行ってからにしています。 その状況を以下に画像で示します。

“Kelly's  Boot  Camp”&ヒンズースクワット アズキ君セブンちゃんバージョン


 そして私たち二匹は、公園の中を縦横無尽に走り回ったりしています。

公園を走り回るアズキとセブン

 そして、一緒にこんな事もしています。

アズキ&セブン ウルチョラジャンプ 


Kellyあっちょんぶりけ 文章用 「…すごいでんな。 
そやからそれは、アズキはんが、セブンはんの必殺技のウルチョラセブンキックをかわす技、ワンコ空中三回転を会得する過程で脚力を鍛え、ほんでからアズキはんとセブンはんは、ともにジャンプ力が甲乙つけがたいくらいになったからこそ出来ることやな。 
ほんでから二人はとても仲よう遊んでるやおまへんか」
セブン 会話中「そうなんですが…こんなふうに私たちは遊んでいるですが…ありていに言えば…ここから何の進展もないのです…。 
それは…私の口からは…ちょっと恥ずかしくて…言いにくいのですが…私はアズキ君と交尾して深く結ばれたいのです。 日に日にその思いが強くなっているのです。
 ですから私は、アズキ君にハグしたり、アズキ君の首筋に甘噛み(あまがみ)したりして、自分の気持ちを伝えようとしているのですが、アズキ君はキャウウゥゥゥ~~ン…人間のオスの言葉で言えば、アヘェェェ~~~って鳴くだけで、なにもしてくれないのです。 
だからアズキ君は、私の思いが分かってくれていない、私の気持ち、アズキ君と深く結ばれたいって言う気持ちが伝わってない…そんなふうに思うのです」
犬Kelly 会話中「…ちょっと待ってくれまへんか。 今、セブンはんが言うた“人間のオスの言葉で言えば、アヘェェェ~~~”…そんな事を言う人間はあまり居てないと思うんやけど…」
セブン 会話中「そうなんですか? 
お言葉を返すようで恐縮ですが、人間のオスが気持ちいいときに“アヘェェェ~~~”って言うって教えてくれたのは、アズキ君と同居しているアズキ君のお父さんバティ  (バティ)、そしてお母さん ミュウミュウ(ミュウミュウ)、そして コロン(コロン)、この三匹なんですよ。
それは、まだアズキ君とキナコちゃんが生まれていないときに、三匹のママ(*σ_σ*)が○○○大先生のはり(鍼)治療を受けに○○○療院に行って、そのときにKellyさんと三匹のママは、初めてお話をしたじゃありませんか。
Kellyさん、チョ~ベッピンはんのA野はんとA野はん自身の霊的干渉に付いて、場当たり的に話す。  参照)
それでお二人のお話の最中、三匹と○○○大先生は散歩に行って一緒に遊び、とても仲良くなって、その散歩のあと三匹が感謝の気持ちを表すために○○○大先生を舐めた…そのときの状況を聞いたから、私はそう思ったのです。 
しかし、今私が話した説明だけでは、今回の記事を読んでいる人には理解しにくいでしょうから、このブログの過去の記事から、そのときの様子を以下にコピペします。

“「…ただいま…疲れた…」
「先生、A野はんの犬にたくさん遊んで貰ったみたいでんな。すっかりお友達になってるようでんな」
「うん。 これこれ、そんなところを舐めたら感じるがね。アヘッアヘッ!!」
「…先生、いくら欲求不満でも、そんな事くらいで感じてたらあきまへんで~~」”
(引用終わり)

 このときKellyさんが○○○大先生に言った言葉、“いくら欲求不満でも、そんな事くらいで感じてたらあきまへんで~~”…これは、人間のオスは気持ちがいいって感じたら“アヘェェェ~~~”って言う事を前提にKellyさんは○○○大先生に話しておられると思うのですが、違うのでしょうか?
それと私は、私のママ(しσ_σし)が○○○大先生に治療をお願いしたとき、私は幾度か○○○大先生と遊んだ事があるのですが、そのとき○○○大先生は指先を立てて、私のわき腹や首筋を、やさしく“つんつん”してくれるのです。 
それで、その時にも○○○大先生は“ほ~~らセブンちゃん、アヘェェェ~~~って言ってごらん”って言いますし、当然私は犬ですから“アヘェェェ~~~”って言えないから、クゥゥゥゥ~~~ンって鳴いて、○○○大先生に甘噛み(あまがみ)するのですが、そのときにも○○○大先生は大きな声で“アヘェェェ~~~”って言うのです。
だから、人間のオスは気持ちがいいときに“アヘェェェ~~~”って言うのだと思っていました」
犬Kelly 会話中「…そうやったんか(まったくアホやな…先生は…)。 
そやけどさっきも言うたけど“アヘェェェ~~~”なんて言う男の人はあんまり居てへんと思いまんがな。 
そやからそれは、セブンはんがいろんな人間のオスを知らんし、ほんでからセブンはんが人間のオスと遊んだのは、○○○大先生くらいしかないからってことなんやろな。 
そやからセブンはんが人間のオスに対してそう思い込むのは、無理もないことかもしれへんな」 
セブン 会話中「…ということは、○○○大先生は人間のオスとしては、ちょっと変わった習性を有しているってことなんでしょうか?」
犬Kelly 会話中「そう思うて間違いないな(…ちょっと変わったなんて程度のことやないな)。
ひとことでいうたなら、あのお人はかなり変わりもんやから、あの人が人間のオスとしての標準やって思うてたらあきまへんで~~。
そやけどセブンはん、大幅に話がそれてまんな。
 今話してたのは、セブンはんの気持ちや思い、その心(靈)の動きが現れたセブンはんの行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)に対して、アズキはんの態度が冷たいってセブンはんが感じてるってことやった。
 そやけどセブンはん、
この間、アズキはんが言うてたこと。

“僕にとってのセブンちゃんは、かけがえのないとっても大事なメス犬なんだ”、そして“お互いに育っていったなら…だからそれは、僕もセブンちゃんもまだ子犬だし、もっともっとお互いがお互いのことをよく知り、よく理解し、そしてもっと大人になって心も成長してから、セブンちゃんが了解してくれたなら…番(つがい)になろうって思ってるんだ”。 

このアズキはんの言葉に、セブンはんはこう言うたやん。

“私たちが番(つがい)になるタイミングは、アズキ君に任せるわ。 もう私の心はアズキ君のものだから…キャッ!!セブン 目が❤

そやからそれは、二人の今後の成り行き、そして、すべてをアズキはんに任せてたらエエんとちゃいまっか? 
いうたらなんやけど、セブンはんとアズキはんはまだ子犬、○○○大先生の言い回しを引用すれば、ひよこ犬やから、アズキはんが言うたように“お互いがお互いのことをよく知り、よく理解し、そしてもっと大人になって心も成長してから”…そのときまでセブンはんは待ってたらよろしいんやないんでっか」
セブン 会話中「…お言葉ですがKellyさん、私はそのつもりだったのです。 
私としてはアズキ君と私が番(つがい)になるタイミングもアズキ君に任せていましたし、そうなれるその時期をじっと待つつもりでいました。
 そしてそれは、私がアズキ君に深い信頼を持っているから待つことが出来た…それはこの間、私が思わず口走ってしまったこと。

セブン 目が❤ アズキ君…私の体を好きにしてもいいわよ…キャッ!!”

…こんなふうに、私としてはアズキ君と早く結ばれたいって気持ちも強い…でも、私がアズキ君に感じている信頼で、私が強く持っているアズキ君と早く結ばれたい気持ちを抑える事が出来たのだと思います。
 でも、もうすぐアズキ君と私は、今までのように会えなくなるのです。 
それは、私のママ(しσ_σし)が、夏に水商売をやめたのです。 それでママは、もう名古屋にいる理由がなくなったので、私もママもお引越しをしてママの実家に行くことになったのです」
犬Kelly 会話中「そうなんでっか。 
Sはんがお引越しをする…○○○大先生のおせっかいな説教を受け入れて、Sはん自身が自分の生き方と在り方を見出したんかもしれへんな」
セブン 会話中「そうだと思いますし、もともと私のママは、ママ自身がクラブホステスって仕事に疑問を感じていた。 
そして○○○大先生は“Sさんは答えを知っている”って言ってくださった。 これは、ママの生き方に対しての○○○大先生のおせっかいでもあるけれど、それは、私のママのよいカタチの生き方ってことを、いつも○○○大先生は真剣に考えていてくださった…。 
それは憶測ですけど、私のママは、○○○大先生のチョ~タイプの戸田恵○香ちゃんにちょっと似ているけど、大人の女性に対する好意とは別の何かを感じていた。 それは、自分の娘のように感じていて、大事に思っていてくださった…多分そうだとおもいます。 
でも…余談でした。
だから、ママと私がお引越しをすると、今後、私は、アズキ君と会えなくなる…。 もう二度と会えないかもしれない…。 
…ですから…私は…アズキ君に愛された証(あかし)が欲しい…私の心(靈)にも体にも…アズキ君に強く深く愛された痕跡が欲しい…そんな思いを持っていて…その事を想像すると……キュゥゥゥゥ~~ン…………クゥゥゥゥゥ~~ン…………キャィィ~~~ン…………

§◕ェ◕§ た~か~ま~る~ぅぅぅ~~ん


セブン あせる …… はっ!! 

…失礼しました。 私としたことが、はしたなく取り乱してしまいました。 お見苦しいところをお見せして……恥ずかしいです…」

犬Kelly 会話中「…いや、そんなことは気にせんでもよろしいねん。 Kellyさんかて人間のメスやし、セブンはんの気持ちはよう分かりまんがな。 ほんでからセブンはんは、もう二度と会えなくなるかもしれないアズキはんの事がすごく好きやからこそ、そんなふうに思ってしまうってことや。 
そやけどセブンはん的には、アズキはんがセブンはんのその気持ちに気づいてくれてないって思うてる。 そやからそれは…セブンはんのハグや甘噛み(あまがみ)っていう行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)に対し、アズキはんのリアクションがないから、セブンはんは不安を感じたりもする。 
ほんでから引越しをしてこのままアズキはんとサヨナラしてしまうのは絶対にイヤ…これは、メス犬心…女心のあらわれやな。
 そやけどセブンはん、セブンはんは何か大事な事を見落としてるんとちゃうやろか」 
セブン 会話中「…“大事な事を見落としてる”…よく分かりませんが、Kellyさんが思ったことを教えていただいてもよろしいでしょうか」
犬Kelly 会話中「オッ○―牧場でんねん。 
まず、わかりきったことを言うけど、アズキはんは男の子や。 そやからそれは、オスとメス=男と女っていうのんは、それぞれの相手に対する気持ちの発現や行動っていうのが違ったりもするって思いましてん。 
そやからそれは、セブンはんは、引っ越す前にアズキはんと深く結ばれたいって思うけれど、アズキはんは違う思い方をしたのかもしれへん。 
ほんでから、さらに当たり前みたいなことをいうけれど、アズキはんのママ(チョ~ベッピンはんのA野さん *σ_σ*)とセブンはんのママ(和風のベッピンはんのSさん しσ_σし)は、連絡を取り合っているから、A野はんはSはんが引越しをする事を知っているやろし、そやからアズキはんかて、もうすぐセブンはんと会えなくなることくらい知ってるやろ。 
それを知ってて…知った上で、アズキはんはセブンはんのハグや甘噛み(あまがみ)に対してリアクションをとらんのかもしれへん」
セブン 会話中 半泣き 「…そうなんでしょうか…。
私にはよく分かりません…そして本音を言うと、そんなことは分かりたくない…信じたくないって感じです…。
…今Kellyさんが説明してくれたオスとメスの相手に対する気持ちの発現…そしてアズキ君がもうすぐ私と会えなくなることを承知していて、それだからこそ、私のハグや甘噛み(あまがみ)に対して、たいしたリアクションをとらない…交尾してくれない…。
今のKellyさんの説明では、アズキ君は、私の“どういうつもり”…私の行動の理由をよく分かっていて、さらにもう二度と会えなくなることを承知の上で、私との交尾を拒んでいるかのように聞こえてしまう…そんなのイヤです。 絶対イヤです。 …悲しいです。
セブン 会話中 泣き顔 ……グス……グス……グス……。 

私は…私は…アズキ君と結ばれたい…それしか思えません」

犬Kelly 会話中「…そうやろな…。
(セブンはん…泣いてはる…現実を受け入れられへんのやな) 

今、Kellyさんがいうたことは、当然セブンはんが納得するようなことではないな。 
ほんでから今Kellyさんが言うたのは、憶測に過ぎん。
 そやからアズキはんの心(靈)の動き、アズキはんがセブンはんに“どういうつもり”(思惑)で接しようとしているのか、それを知るには……。
そうや!!
今、ここでセブンはんと話をしている場(フィールド)は、Kellyさんの夢の中や。 
Kellyさんとセブンはんが強く念じたら、アズキはんの心(靈)の動きを理解できるようなイメージを見ることが出来るかもしれへん」
(このセリフは、前回の記事で多用したセリフのコピペや、ちょっと編集入ってるけど…例によってこれを書いている○○○大先生の手抜きやな) 

セブン 会話中 半泣き「お言葉ですがKellyさん…。 私は…あまり知りたいとは思えない…」
犬Kelly 会話中「そうやろな…。
そやけどセブンはん、セブンはん自身のアズキはんに対する気持ちが真摯なもので、そしてセブンはんがアズキはんに持っている好意が、セブンはんにとって神聖なものなら、アズキはんの心(靈)の動きを知っておく事が……」
セブン 会話中 半泣き「…Kellyさんがおっしゃりたい事はわかります…。 
すみません、私が感情的になっていました。 
…ダメですね…。 
私は…まだまだ、ひよこ犬ですね…」
犬Kelly 会話中「しょうがおまへん。 誰でも恋には悩むもんや。 
ほんでから恋に限らず、いろんなことに悩みながら心(靈)は育っていくもんや」
セブン 会話中 半泣き「…はい。 それは理解できます。
…それではKellyさん、先ほどKellyさんが提案してくださった事、Kellyさんと一緒にアズキ君のことを念じてイメージを見る…それを実行したいと思いますが、その前に私はちょっと冷静になりたいのです。
ですからKellyさん、私は公園を走り回って気分を変えたい…平静な私に戻りたい…。
ですから、少しお時間をいただけないでしょうか」
犬Kelly 会話中「もちろんオッ○―牧場でんがな。 思う存分走ってきたらよろしいやろ」

セブン アズキ君の名前を連呼して走る



セブン 会話中「お待たせしてすみません…少し落ち着きました」
犬Kelly 会話中「そうでっか。 そやったなら、一緒に念じましょうでんねん」

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犬Kelly 会話中「セブンはん、Kellyさんには少し見えてきたけど、見えてまっか?」
セブン 会話中「はい。 今、私たちがいる公園が見えます。 そして犬○○○大先生が一人でたたずんでいます…誰かを待っているようです。 
 あっ、バティさんやミュウミュウさんコロンさんキナコちゃんたちが犬○○○大先生に近づいていくのが見えてきました」
犬Kelly 会話中「そうでっか。 同じものが見えているようやな。 そやけどアズキはんがいてへんのが気がかりやな…。 
そのうちなんか分かるやろ。
 そやからセブンはん、しばらく見えてきたイメージを一緒に観察する事にしようやおまへんか」
セブン 会話中「…はい」

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犬たち アズキがいないバージョン 

犬○○○大先生! 犬○○○大先生! 犬○○○大先生! 犬○○○大先生!
わんわんわんわんばんこ!!



犬と化した○○○大先生 会話中「やあ、わんばんこ。 キナコちゃん、初めましてだね。 Kellyの作ったブラジャー(ちちふんどし)とパレオ(おこし)、なかなかお似合いだね。 そしてバティ、ミュウミュウ、コロン、君たち三匹は、犬に変身したアタシに会うのは初めてだね」
バティ  「はい、お久しぶりです。 そして犬○○○大先生におかれましては、初めましてです」
ミュウミュウ 「○○○大先生が、犬に変身できるってアズキに聞いて」
コロン「僕たちはぜひ、犬○○○大先生に会ってみたいと思っていました」
キナコ Kellyお手製ブラジャー(ちちふんどし)パレオ(おこし)装着バージョン 「いつぞやは、アズキ君とセブンちゃんの件で、とてもお手間を取らせてしまったようで、ありがとうございました」

犬と化した○○○大先生 会話中「いやいや、君たち同様、アズキ君もセブンちゃんもアタシの大事な友達なのだから…ところで、アズキ君の姿が見えないようだが、どうかしたのかね」
バティ 「そのことなんですが…アズキは、今、大ピンチなのです」
ミュウミュウ「それは、もうすぐセブンちゃんのママがお引越しをするのを、アズキが知って、アズキはもう、セブンちゃんに会えなくなることを、さとってしまったからです」
コロン 「それでアズキはものすごく悩んでいます。 …エサは食べないし、どんどん痩せ細っているのです」
キナコ Kellyお手製ブラジャー(ちちふんどし)パレオ(おこし)装着バージョン「それで今夜は、アズキ君ともども、今後のアズキ君とセブンちゃんのことについて犬○○○大先生にご相談に上がったのですが、今、コロンが言ったように、アズキ君はやせ細って体力を無くしていて、私たちの走るペースについてこれなかったのです。   
ちなみに今、アズキ君は、あそこにいます」



 遠くに見えるアズキ君。 小豆つぶくらいにしか見えない(爆))
犬と化した○○○大先生 会話中「そうだったのか。 Sさんが引越しをする…それはアタシも知らなかった(…ちょっと寂しくなるな)。 そしてアズキ君は、もう、セブンちゃんに会えなくなるのか…アズキ君の心中を察するに余りあることだね。 …そうか。 
そういうことならば、アタシはアズキ君と一対一で話をしたいと思うが、どうだろうか。 だからそれは、君たちが同席していると、アズキ君は腹を割って自分の心境を語ることがむずかしいかもしれない。 また、セブンちゃんとアズキ君のことについては、アズキ君にワンコ空中三回転を伝授して、その仲を取り持ったアタシにも責任があると思うから…」
バティ 「…そのとおりかもしれませんね」
ミュウミュウ「今、犬○○○大先生がおっしゃったことは、犬○○○大先生の責任感の現れた言葉です。 それと私たちは、アズキのピンチを救う知恵がありません」
コロン「それで、犬○○○大先生には、再度、お手間を取らせてしまうのですが…」
キナコ Kellyお手製ブラジャー(ちちふんどし)パレオ(おこし)装着バージョン「アズキ君とセブンちゃんのことを、くれぐれもよろしくお願いします。 
二匹とも私たちにとっては、かけがえのない犬なのです。
それでは私たち四匹は、この場から失礼させていただきます」


犬後退 アズキいないバージョン



……数十分後、アズキ君到着……


アズキ ふらふら~よろよろ~


アズキ 憔悴 会話中 「犬○○○大先生…わんばんこ…」
犬と化した○○○大先生 会話中「アズキ君…大丈夫かい。 大体の事情は、先ほど君の同居犬に聞いたから知っているが…」
アズキ 憔悴 会話中「大丈夫じゃないです…僕は…生きていく望みを失いました。 セブンちゃんに会えないなら…僕は…このままエサを食べずに飢えて死んでしまいたい…」
犬と化した○○○大先生 会話中「アズキ君の気持ちが分からないでもないが……そんなに自暴自棄になってはいけないよ。 だいいち、アズキ君がそんなふうに弱ってしまうと、誰が一番悲しむと思うんだ。 セブンちゃんに決まっているだろう」
アズキ 憔悴 会話中「…それは分かりますが…もうセブンちゃんに会えないのだったら、僕は死んでこのままいなくなり、そしてセブンちゃんは、僕のことを忘れて、僕以外のオス犬と縁があったほうがいいんじゃないんですか。 
そしてセブンちゃんは、僕以外のオス犬と幸せになればいいんだ…」
犬と化した○○○大先生 会話中「…アズキ君、君のセブンちゃんに対する気持ちはそんなに薄っぺらいものだったのか! 君のセブンちゃんに対する気持ちは、もっと高潔なものではなかったのか?
 アズキ君はこの間、セブンちゃんの技“初対面のメス犬に、いきなり服従のポーズや究極犬芸(ちんちん)をして、○ン○ンを見せてるんじゃないわよ!!キ~~クッ!!”を トッテンパーノ ワン パラリッ!!って、ひらりと見事にかわしたあと、こう言っていたじゃないか!

“僕は、初めてセブンちゃんに会ったとき、とても魅力的な素敵な智性豊かなメス犬だと思い、激しく恋に落ちてしまった。 
そしてこの出会いをとても神聖なものだとも思った。 だから僕にとってのセブンちゃんは、かけがえのないとっても大事なメス犬なんだ。 
それを感じたから僕は、セブンちゃんに自分が出来うる限りの親愛の情を示す行為をした。 でもそれは、結果として、セブンちゃんに僕の○ン○ンを見せたってことになったけど…決してセブンちゃんに本能むき出しで接しようとしたのではないんだ。 それは言い換えれば、ただ、セブンちゃんと交尾したいがために○ ン○ンを見せたんじゃないんだし、僕のすべてを知ってもらいたかったからなんだ”

だからこの言葉からも読み取れるのだが、アタシには、アズキ君のセブンちゃんに対する思いがとても誠実であり、真摯なものと感じ(感じる磁性)たからこそ、君にワンコ空中三回転を伝授しようと思ったのだ。
またそれは、君のセブンちゃんを思う気持ちに、アタシ自身が深く共感を覚えたからだったんだ。
でも今の君は、セブンちゃんのお引越しって状況に、君自身が負けている。 
アズキ君のセブンちゃんに対する思いはそんなものだったのか! 
君自身の心(靈)の中のセブンちゃんの思いは、仮に今、君がエサを食べなくて飢えて死んだら、消えてしまうものなのか? 
違うだろ!! そんなものではないだろ!!
仮に今、君が死んだとしたら、セブンちゃんに対して未練たらたらの浮遊霊になり、セブンちゃんにいろんな霊障を及ぼす貪、瞋、痴(とん、しん、ち、)由来の心(靈)の動きの悪霊になってしまんだぞ。
それでもいいのか!! そんなことでいいのか!! 
アズキ君、もっとしっかりしろ!!」

アズキ 憔悴 会話中「…そんな、三毒、貪、瞋、痴(とん、しん、ち、)なんて、むずかしい話をされても、僕には理解できない…大体、僕自身、今、どうやって生きたらいいのか分からない…。
…だけど、今の犬○○○大先生の話にあったように、僕のセブンちゃんに対する思いは、決して消えないっていうのは、理解できる…」
犬と化した○○○大先生 会話中「…うん。 きつい言い方をしてすまなかった。
それで、今の話で思ったのはそれだけかい?」
アズキ 憔悴 会話中「…僕のセブンちゃんに対する気持ちは、自分にとってとても神聖なものだ。 僕自身にとっても一番貴く扱いたい心(靈)の動きだ。 だから僕はセブンちゃんに自分のことを分かって欲しくて、お手して、服従のポーズをとって、究極犬芸(ちんちん)をしたんだ。 
でも…僕は、今、なにをしたらいいのか分からないんだ。 
それはこの間、公園でセブンちゃんと遊んだとき、セブンちゃんは僕にハグしたし、やさしく甘噛み(あまがみ)もしてくれた。 とてもうれしかったけど…僕にはそれがどういうことか分かっている。 
セブンちゃんは、セブンちゃんのママがお引越しをして、もう僕と会う機会が無くなるから、僕と交尾をしたいって思っていると思う。 
でも僕は、その気持ちに応える事が出来ない。 応えられるわけがない。 二度と会えなくなるのだから…」
犬と化した○○○大先生 会話中「そうだ。 君はセブンちゃんをとても大事に思っている。そして、君のセブンちゃんに対する気持ちに対しても、君自身がとても貴く感じているし、それは、とても重いものだ。 
だから君は安易にセブンちゃんと交尾できない。 それは君自身がセブンちゃんの今後を考えるからだ。 
 でもアズキ君、今の君は自分を見失っている。 セブンちゃんがいなくなっても、二度と会えなくなっても君は君だ。 それを忘れているのではないのか」
アズキ 憔悴 会話中「…そうかもしれない。 でも、僕は、僕自身の心(靈)の動きでいっぱいいっぱいなんだ。 これ以上何かを考える事が出来ない」
犬と化した○○○大先生 会話中「そうか…。
それならば、アタシがよく知っている“ある人”の恋の話をしようか。 それは“ある人”が、ある女性をとても貴く思ったって話だが、今のアズキ君にその話を聞く意思はあるかい?」
アズキ 憔悴 会話中「…犬○○○大先生が今の言い方をされるのは、僕の事を心配して、憂いていて、さらによいカタチを思ってくれている…それは、子犬の僕でも分かる。 
だから聞かせてください」
犬と化した○○○大先生 会話中「うむ、承知したがね。
 その“ある人”は、大体アタシと年齢が同じくらいの男の人なんだ。 ちなみにアタシは今月55歳になった。 
 この話は今から6年前にさかのぼる。 
この“ある人”が49歳の時、24歳年下の女性を好きになった。 その女性と“ある人”はちょっとしたことから出会い、年齢が離れているにもかかわらず最初からわりと意気投合して、いろんな話をして、けっこう親密になり、その後“ある人”はその女性の恋人の話を聞かされた。 
その女性とその恋人、彼氏とは、いわゆる不倫関係で、20歳くらい年が離れていて、その彼氏が広告関係の会社をおこしたばかりで、その女性はその会社の仕事を手伝っていた。 
それである日、某大企業から仕事をもらうために営業に行き、そこの重役と会った。 そのときその彼氏はその重役に、“その女をよこせ、俺に味あわせてくれたら仕事をくれてやる”って言われたらしい」
アズキ 憔悴 会話中「ひどい話だ…“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(助h)しか発現していない人”の典型だ。 当然、断ったのでしょうね」
犬と化した○○○大先生 会話中「それが違うのだな。 その彼氏はその場で何も言わなかったのだ。 その重役に対しても自分の彼女に対しても…成り行きに任せようという、ずるい心(靈)の動きがあったのだと思うし、彼氏も“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(助h)しか発現していない人”の典型だからだ。 
それは、彼氏を慕っているその年下の女性は、自分の仕事のためなら体を提供するのではないか…という、実に都合のよいずるい発想を持った。
さらに、そう仕向けようとして、営業の最中にその重役と彼女を二人きりにしたりした。 それで彼女は、胸を触られたりスカートの中に手を入れられたりしたのだが、それに耐えて我慢した。 
それは、彼女自身が彼氏のことを思い、今、自分が文句を言ったら仕事がもらえなくなるって思ったからだ。 
 でも、その重役の行為に不満を持った彼女は、当然のことながら不倫相手の彼氏に相談をした。 しかしその彼氏は彼女の訴えを話半分で聞いて、彼女が納得のいく態度をとらなかった。 
いわゆる無視したってことだ。 
 そんな事があって、当然、彼女は不倫相手の彼氏に対しての信頼を失っていく。 自分はただもてあそばれているのではないのかって、そこで確信をもったのだ。
 当然、その思いは、彼氏に対する恨みに変わっていった。 
それで“ある人”は、その話も詳細に聞き、彼女の心境も知り、相談にも乗ったりしていた。 
それは“ある人”が、その彼女に恋をしてしまっていたからだし、だから親身に話を聞いていたってこともあり、その不倫の彼氏に対し、猛然と怒ったりもした。
そして、その“ある人”のアドバイスもあって、彼女は、自分がただもてあそばれているのだとはっきり自覚もしたようだ。 
まあ、当時彼女は25歳だったから、その不倫の彼氏に結婚をエサにただ騙されていたなんてことにすぐ気がつかなかったってことだけれども、付き合いが年数を重ねると、だんだん分かり始めてくるものだ。 
また、それが分かり始めてきたからこそ、いろんな相談をする相手として“ある人”を選んだって経緯もあったんだろう。
それでその後、彼女はその彼氏と別れ、それから嫌がらせの電話を彼氏のうちにかけたりしたり、恨む感情が高じてきて、包丁で彼氏を刺しにいくことまで考えるようになった。
それで話が前後するが、“ある人”は、彼女のことをとても好きになったが、付き合おうとは思わず、ただ、彼女のよいカタチを願った。 
だから彼女が、その不倫の彼氏と別れた後に行った、嫌がらせの電話とか、包丁で刺す事を考えたとかってことに対し、そんな事をすれば自分を落とし入れるだけだから…たのむからやめてくれって何回も話した。 それは彼女の話を聞き、それに意見を言うっていう作業で、会うたびに何時間も、そして何日もかけて話したらしい。 
その過程で彼女は、だんだん“ある人”に好意を持ち始めた…っていうよりも、それは依存に近いね。 
彼女は、男にもてあそばれたって自覚した直後だったし、それで“ある人”が、自分のことを大切に思ってくれているって感じ(感じる磁性)ていた。 彼女にとってその違いは、当然のことながら大きなものだったのだろう。
そしてその彼女は、“ある人”に、自分に好意を持っているのだったら私のことを抱いてくれって言ったらしい。
しかし“ある人”は断った。 
“ある人”は彼女に対し、こう言ったそうだ。
今の君は傷ついているし、その傷の痛みに心(靈)がとらわれているし、君の心(靈)の中はその感情でいっぱいいっぱいで、君自身が自分のことを見失っているように見える…だから、前の彼のことを忘れたいから、自分がもてあそばれていたことを知り、自分(“ある人”自身)がそういう態度で接していないから、そう思う気持ちが強いのだと、あえてそのことまで指摘した。 
だが、彼女はその指摘に対し、苛立ち、不快感を覚え、ムキになったりもした。 
それは、“ある人”の気持ち、“どういうつもり”で彼女に接するべきかっていうことを彼女自身が深く理解できなかったのだと思うし、仮に少し理解できていても、ただ自分は今の苦痛から逃れたいからこそ、“ある人”に抱かれてみたかった。 
また、彼女自身のそこまでの心境を“ある人”は思ったからこそ、彼女の申し出を断った。 普通、こんな申し出を断る男はあまりいないだろう。
だからそれは“ある人”の、彼女に対する気持ちはとても貴く、ただ肉体関係を持つって思いではなく、ひたすら相手のよいカタチってことを願ったのだと思う」
アズキ 憔悴 会話中「そうなんだ…。
犬○○○大先生の知り合い“ある人”は、その彼女に対しての気持ちがとても貴いって感じていたんだ。 だから交尾しなかった。 当然のことながら“ある人”だって、好きな相手と交尾したい気持ちは強くあったろうに。
そしてさらに彼女のよいカタチ、今後の彼女の事を深く思いやった。 
“ある人”はとても強い意志を持っていた人なんだな。 だから彼女の申し出を断り、目先の薄っぺらい付き合いを避けたんだ。
 それでその後、“ある人”とその彼女は、どうなったのですか」
犬と化した○○○大先生 会話中「ちょっと話が重複するが、所詮、この二人は考え方や価値観が違うし、年齢もずいぶん離れている。 当然、男と女の関係にはなりにくい。 
それと“ある人”が思ったのは、彼女のその時点での苦しみ、不倫相手に裏切られ、もてあそばれた自分自身を卑下し、そのことに囚われていたし、その苦痛を忘れたかったから“ある人”と関係を持とうとしたっていう、彼女自身の心(靈)の動きをよく分かっていた。
それで“ある人”は、そんなことは彼女自身のよいカタチではないって思ったからこそ、その後、あえて連絡を取らなかったそうだ。
そしてその後、二人は会ってはいないが、“ある人”は、彼女を好きになった自分の心(靈)の動きを貴いと思い、ひたすら彼女の幸福を願っているようだ。 
 
幸福 (“夭と庶A”(ようとげき)、示す偏(へん)と“女T”) の解字

 …大体以上だ」

アズキ 憔悴 会話中「そうか…。
今の犬○○○大先生の話、“ある人”自身の、自分が好きになった相手に対する貴い思い、それは僕と共通するところがあったようにも思う。
 そして“ある人”は、とても強い意志で、彼女を見守ったともいえるんですね。 
それは、ただ愛しい(いとしい)と思い、慈しんだ(いつくしんだ)ってことだ。 
そして、彼女を抱きたいって思う自分の心(靈)の動きを自制したんだ。 でも“ある人”にとってはとても辛く、そして…ある意味、悲しいことだと思うけど、相手を貴いと思う心、それを貫いたんだ。
それでその“ある人”は、今どうしていらっしゃるのですか?」
犬と化した○○○大先生 会話中「今、6年ぶりの恋をしているようだよ」
アズキ 憔悴 会話中「そうなんだ、それはよかった。 
今の話は“ある人”にとって、ただ相手を気遣った。 結局“ある人”にとって、相手を気遣ったその思いが貴かったから、相手と結ばれなかった。 それは“ある人”にとってきっと満足のいくことではなかったと思う。
 “ある人”の6年ぶりの恋は、実るといいですね」
犬と化した○○○大先生 会話中「…そうだね」
  アズキ 憔悴 会話中「…そして今の話を聞いた僕…僕は今、自分の苦しみに囚われている。 僕自身がセブンちゃんを好きになった気持ちの貴さを僕自身が見失っている。 だから自暴自棄になっている。  
それで犬○○○大先生は“ある人”の6年前の恋の話をしてくれて、僕自身の心(靈)の動きのことを指摘してくれたって思う。 
だから僕は、このままじゃいけない。 
僕はセブンちゃんと出会えたことを貴く思い、今後二度と会えなくなっても、僕自身のセブンちゃんに対する気持ちと、セブンちゃんが僕を好きになってくれたことを重く受け止め、そしてその上で、僕は、セブンちゃんの幸せを願う…だから僕は、飢えて死んでしまおうなんてバカなことも思ったけど、僕とセブンちゃんの心(靈)は永遠だし、僕とセブンちゃんの二つの心(靈)の出会いは、僕自身が貴いと感じる僕の心(靈)の動きそのものを獲得した。
犬○○○大先生は、僕にそのことを気づかせようとしてくれたんだ。 
今夜、僕はおうちに帰ったら、ママの前で究極犬芸(ちんちん)をして、ウルチョラスーパーベリベリデリシャスドッグフードをねだり、たくさん食べてもとの体力を取り戻す事にします。
ありがとう、犬○○○大先生」

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セブン 会話中 半泣き「…アズキ君…アズキ君…アズキ君…。 私…こんなにも強くアズキ君に思われていた…セブン 会話中 泣き顔
犬Kelly 会話中「セブンはん、こんなふうにアズキはんに思われてたこと、それはやはりオスとメスの心(靈)の動きの違いやな。
 そやからオスとメス、男と女っていうのんは、神の極性、日足(ひたり)と砌(みぎり)の違いでもあるんや。 
 そやからこそ心(靈)の動きの違いってこともあるし、相手に対する思い方の違いってもんもある。
 セブンはんはその辺のところが少し分かってなかっただけや」
セブン 会話中 半泣き「…はい。 少し分かりました。 でも…私は寂しい…アズキ君とはなれるのはイヤ…」
犬Kelly 会話中「それなんやけどセブンはん、Kellyさんが、今夜、セブンはんとアズキはんの深いつながりを示す夢を見たやん。
そやからアズキはんのママ(A野さん)とセブンはんのママ(Sさん)に、この夢の内容を伝え、二人(二匹)が出会えるように提案しようと思いまんがな。 ちなみにセブンはんのママの引越し先はどこでんねん」
セブン 会話中 半泣き「G県のO市です」
犬Kelly 会話中「なんやねん!! アズキはんのママ(A野さん)のおうちは、A県I市の西のはずれやから、車で2~30分もかからへんような距離やんか。 全然遠くないやんか」
セブン 会話中「そうだったんだ。 だったら私とアズキ君は、また会えるかもしれませんね」
犬Kelly 会話中「そうでっせ。 
そやからKellyさんは、目が覚めたら今夜の夢の事をお互いのママに伝え、何とかセブンはんとアズキはんが会えるように言うときまんがな。
(そやからそれは、犬たちには距離っていうのが分からんから、永遠の別れみたいに思うたのかもしれへん…ちょっとだけアホくさなってきた)
 ほんでからあんたら二人は、いつでもKellyさんの夢の中で会えるやんか。 
今後も遠慮なく二人一緒にKellyさんの夢に登場したらエエし、そのときに二人は仲良くしたらエエやろ。 そのときにもまた、Kellyさんといっぱい話をしようやおまへんか」
セブン 会話中 笑顔 「はい、そうさせていただきます。 これからもよろしくお願いします。
 それでは今夜は失礼します。 ありがとう、Kellyさん」 
セブン 会話中 笑顔 ノ~~ マタネー♪ ❤ ❤ ❤


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…Kellyさん、起床…

Kelly 会話中「ふ~~今回も長い夢やった。 
そやけど犬○○○大先生がアズキはんに話してた“ある人”って誰なんやろか。 ○○○大先生との付き合いは長いけど、そんな知り合いがいるって話は聞いたことがないやん。  
 …ちょっと気になるな。

おっ、うわさをすれば…ってやつやな。 ○○○大先生から電話かかってきたやん」

○○○大先生会話中 「やあ、Kelly、や~~とかめだね」

Kelly 会話中「ほんまでんな。 ほんでから55歳にならはっておめでとさんでんがな」

○○○大先生会話中「ありがとう。 Kellyが贈ってくれたお誕生日プレゼントのエキスパンダー、チョ~愛用しとるよ。 背筋もりもりを目指しとるがね。

それで今日電話したのは、Kellyと話がしたいって人がまた現れたんだ」

Kelly 会話中「それは、どんな人でんねん」

○○○大先生会話中「その人はKellyより二歳半年齢が下、バツイチの女性で、チョ~かわいい女の子が一人いる。 

それでその人は、たくさんの因縁を背負っていて、それはある意味アタシが背負ってるものに近い因縁でもある。 その辺の具体的なことは彼女のプライバシーだから、詳細に話すのは避けたい。

 しかし、彼女が背負っている因縁に、彼女自身が立ち向い、彼女自身がたくさんの認識を獲得した。 そういう人生を送ってきた人なんだな。

それで、アタシの一冊目の本(ローム太霊との出会い)の中の文、本当に“かわいそう”っていったいなんなのかってことに彼女は感銘を受けたようだ。 

それで彼女はアタシに会ってみたいと強く思った。 …が、散々迷ったようだ。 そんな経緯があり、9月のはじめ、彼女はうちに来院した。 

それからその後、アタシと彼女はたくさんの会話をしたし、何万文字もメールのやり取りをした。 まだ、出会ってから三ヶ月ちょっとだが、急速に仲良くなり、出会って二週目に一緒にお嬢さんを伴って伊吹山に行ったり、それから彼岸花を見に行ったり、その後もときどき○○○療院にお嬢さんと一緒に遊びに来て、アタシが作るジジメシ(先生がお料理して作ったご飯のこと)を二人にご馳走したりもしている。

さらにお互いに好意が芽生え、今、アタシは彼女に恋をしている。 6年ぶりの恋だね」

Kelly 仰天中 「ギョエ~~、そうなんでっか!! 

(そやけどそんな事まで明け透けに話さんでもエエやろに)

 それはいろんな意味で興味津々でんな。 その人のお名前はなんていうんでっか」

○○○大先生会話中「○○○○さん、お嬢さんは○○ちゃん、とても読みの難しい名前なので、よく間違えられるそうだ。 それでちょっと楽屋落ち的言い方だが、このブログ内での彼女とお嬢さんの呼び方は、間違えられる方の名前の読み方を引用して、Nominyan(のみにゃん)とSenyapoo(せにゃぷー)とさせてもらう。

 それでこのあと電話を切ってから、彼女の連絡先と、10月に一緒に彼岸花を見に行ったときの写真を添付してメールするから、待ち合わせて話をしてくれないかな」

Kelly 会話中「承知しましてんな。 チョ~楽しみやな。 どこで待ち合わせるのがエエやろか」

○○○大先生会話中Kellyが、A野さんとSさん、そして夢の中で犬たちと待ち合わせた、あの公園がいいんじゃないかな」

Kelly 会話中「そうでっか。 そやったらそうさせてもらいまんがな」

○○○大先生会話中「うん。 それでは失礼する」

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Kelly 会話中「…そうか、先生は6年ぶりに恋してはるのか…どんな人やろ。 因縁を背負いそれに立ち向かってきたって言うてはったから、きっといろんな認識を持ってる人やろな。 

 うん? ちょっと待てよ。 …夢のなかで犬○○○大先生が言うてた“ある人”も、6年ぶりに恋してるって言うてたけど…誰の事やねんな。 

…ひょっとして……まあエエか。 

Kellyさん的には、そんな細かい事にこだわらんと、NominyanはんとSenyapooはんに会うのを楽しみにしときましょ。 

…っていうことで、今回はこれくらいにしときまんねん」

  
 

“日月神示”日月の巻 第五帖 Kellyさん的解釈



 今回も、日月の巻 第五帖を解釈しまんねん。 原文は以下の通り。

神の国には神も人も無いのざぞ。忠も孝もないのざぞ。
神は人であるぞ。山であるぞ。川であるぞ。
めである。野である。草である。木である。動物であるぞ。
為すこと皆忠となり孝とながれるのぞ。死も無く生も無いのぞ。神心あるのみぞ。
やがては降らん雨霰(あめあられ)、役員 気つけて呉れよ。神の用意は出来てゐるのざぞ。何事からでも早よう始めて呉れよ。神の心に叶ふものは どしどしとらち明くぞ。
十月二十一日、一二 ローレンツ力と ○

 冒頭に出てくる言葉の“神の国”は、やはり智性(神性)が発現した心(靈)。 決して右翼傾向の強い人が使う薄っぺらい言葉の“神国”ってことではない。 大体、今の日本人は、形骸の価値観(“石屋の仕組み”)に酔いしれてる人ばかりなので、とても“神国”の人間とはいえず、悪魔の傀儡(かいらい、くぐつ、操り人形)でしかない。
ほんでから前にも述べたけど、領土に縄張りを主張するような心(靈)の進化過程、それは自国の利益しか考えない発想であるからこそ、それは、地球全体や、現津(あきつ)、観察され得る事象全体のよいカタチを考える発想ではない。 だからそれは、自我の肥大であり、その霊的成長度の認識が、縄張り意識(進化程度の低い心、自我の確立=固定化の進化の段階の地球人の認識)を持つものである…って、いきなり余談やった。
そしてこの第五帖に出てくる“忠”と”考”、それは忠義の忠と親孝行の考っていえば分かりやすい。 またこの二つは、儒教では、徳目とされている。 
まあ、“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の心(靈)には、形骸の忠義と形骸の孝行しかないけれど、この二つは人の行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)にとってはどちらも重要な事であり、それはまた、自分の心(靈)に(“誠”(言葉成る、意味は、自分が発振、発信した振動(言葉)が完成する)っていう字が含まれている)誠実さってことがないと、実践できない事でもある。
そやけど忠と考、それは他者に対することや外側(外国と幽界)の事象に対する事が多い。 
しかしこの文は“神の国には神も人も無いのざぞ。忠も孝もないのざぞ。”って言われているから、自分の内面とか内側(心の中と感じている事)におけることって思うし、それは、智性(神性)を得ようとする心(靈)の中、自分の心を自分で観るときには、自分自身を自分が観るのであるからこそ、神も人も無く、忠も考も関係がないってことだと思うし、ひたすら霊的成長を求める心の動きには、ただただ自分との戦いであるからこそ、外側(外国と幽界)の事象に対する忠と考などということは、考えないものでもあるし、これは形骸の“行”ごっこではなく、もうこのまま死ぬのではないかと思うくらいのぶっ倒れるほどの“行”をやった人間でないと理解できない事だと思う。
そして、その後の文で、“為すこと皆忠となり孝とながれるのぞ”って言われているのは、霊的成長して智性(神性)の発現した心(靈)=“神の国”が、天意を受信して(“天詞様”)その思想はまたこの文で“神心”っていわれていると思うし、そうなればそれは、誠実さを、外側(外国と幽界)の事象に顕すことが自然になるって言い回しだと思える。 そやからそれは、霊的成長した人は忠と考が本当に(まことに)行動に現れるっていう、至極当たり前のことやな。
ほんでからこの第五帖の“神は人であるぞ。”は、神の思惑を顕現する役目は人であり、人っていう字は丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)と乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現)であるって解釈をしてきているし、そして天意(“上”からの荷電粒子)を受け、自分の身魂=肉体と心に止める意味の表記が“日止、霊止”でもある。
そして“山であるぞ。”は、山=目上(めうえ)の脳、“川であるぞ。”は、腹の水=“江戸と尾張”の“江”…自我の確立=固定化の段階、そして腹の位相のサイクロトロンのこと。
“めである。”は、目が“神国”(智性(神性)が発現した心(靈))を高める器官である事を示すし、現津(あきつ)、観察され得る事象に対するもっとも高度な観察は、視覚によってなされるものでもあるという意味。 それは“ひつく”“日津久”=太陽凝視を“行”として行うことは、日足と砌(ひたりとみぎり)の極性を持つ両眼で、“上”の思惑=太陽からの電磁波を食い、吸収して、そして両眼から視神経を流れる生体内電流は、脳内で電磁誘導を起こし、左右の大脳半球で水平磁場を構成して、その水平磁場と縦の磁束で、たんぱく質の高分子化を起こし、だからこそ長年の太陽凝視は、(腹のエネルギーの一部でもある)精液の減少ってことが診られ、それは脳内の高分子化したたんぱく質に変換されているものである(ヨガでいうところのオージャス)との私見を(○○○大先生自身が、自分の体験に基づいて)持っている。
だからこの文では、“山”“川”“め”って順番で述べられ、次に述べられている“野である。”については、以前画像を作ったから画像で意味を示す事とする。
野の解字 (富士の巻 十七帖)


そして次の“草である。”は、艸部(そうぶ)艹、クサカンムリ(芽生えるの意)と、太陽である“日”そして“十”(胸の磁性“十”、シンクロトロン放射)を示した表記である。このことも何回も述べてきたのであえて詳しく述べないことにする。  
ほんでから次の“木である。”は、胸の磁性“十”と丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)と乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現)が重なった表記である。 
その次の“動物であるぞ。”は、人の肉体は、動物と共通であることを示すし、だから自我から“下”の心(靈)ばかりになると人は“ケダモノ”のような行動をとるものでもある。 
そしてそれは以前、下つ巻で何回か解釈した“家”の意味、それは宀(うかんむり、頭の意味)と豕(しぶ、ぶた、家畜の意味)智性(目上(めうえ)の脳の働き)を発現する人の(動物と共通する)肉体っていう意味だと思う。 しかし人間でも、所詮先祖は猿ってことで、自我の肥大した人に限りこのことを忘れているからこそ“動物”って表記が使われ、少し揶揄(やゆ)されている感があるな。
そして“為すこと皆忠となり孝とながれるのぞ。”は、先ほど解釈したとおり。 
次の“死も無く生も無いのぞ。神心あるのみぞ。”は、自分の内面とか内側(心の中と感じている事)のこと、意識は永遠の実在であり、それを観察している自分も永遠であるからこそ、生きる死ぬなんてことは(自分の内面とか内側(心の中と感じている事)において)、状態の変化でしかないってことを言っている。
ほんでから“やがては降らん雨霰(あめあられ)、役員 気つけて呉れよ。神の用意は出来てゐるのざぞ。”は、アセンションのことを言っている。 
あえて解釈する事でもないけれど、アセンション後に移行出来うる、次の段階の“創造”を担うことが神から認められる霊的成長度の人=“役員”に対して“気つけて呉れよ。神の用意は出来てゐる”って言われ、だからこそ“神の用意”以外のことは、人間の霊的成長の問題でしかない事を言っている。 
その意味でも今の人間は“何事からでも早よう始めて呉れよ。神の心に叶ふものは どしどしとらち明くぞ。”っていうこの文の意味をよくかみ締め、自分が外側(外国と幽界)の事象に対し、忠と考を実践するくらいになり、それはまた“神の心に叶ふもの”でもあるだろうし、またそれは、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の“道理”(“道”(時間の進行)“理(ミチ)”(法則性))に沿った生命は“どしどしとらち明く”ものであり、その反対は、今いろんなことが暴かれている“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”や、これから自滅の方向に向かう自我の肥大した人であることを(今更ながら)あえて指摘して、今回はこれくらいにしときまんねん。

“日月神示”日月の巻 第四帖 Kellyさん的解釈



 今回も、日月の巻 第四帖を解釈しまんねん。 原文は以下の通り。

戦済みても後の紛糾なかなかに済まんぞ。人民いよいよ苦しくなるぞ。
三四五(みよいづ)の仕組出来ないで、一二三(ひふみ)の御用はやめられんぞ。
此の神示読んで三四五の世の仕組よく腹の中に入れておいて上(かみ)の人に知らしてやりて下されよ。
三四五とはてんし様の稜威(みいづ)出づことぞ。
十月二十日、ひつ九のか三。

まず、冒頭の文。

“戦済みても後の紛糾なかなかに済まんぞ。人民いよいよ苦しくなるぞ。”

この文も、“日月神示”が書かれた当時のこと、単なる戦争のことを言うているのではなく、自分の心(靈)の中の葛藤、自省にいたるため、自我の肥大と、自分に内在する悪を自分で認めるその辛さ、その戦いを述べていると思う。 
だからそれは、自分が思っていること、やっていることが正しい、そう思いたい、そういう思いは誰にでもある。 
そして“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”は、自分の行為における悪を認めないし、保身の気持ちが強いからただつっぱるだけ、しかし、それでは進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の順番である自我から“慈悲”と“慈愛”の心(靈)の発現に至らない。 
だから“上”は神の咎め=バチを当て、間違っている事を間違っていると示し、自省させるし、それがローム太霊が伝えた右往左往から左往右往の意味の一部でもある。
そして自分の心(靈)の動きを自己観察(“観自在”“直日”自省(胸の磁性“十”)の“行”)して、自分の心(靈)の動きの“上”と“下”、“善悪”(神格化と、動物化=心の本能化)を見出していく。 そうすれば、みずから霊的進化の法則性、道理(“道”(時間の進行)“理(ミチ)”(法則性))を見出していき、自分にとっての“善(神格化の方向性と智性の受信)”は、なんなのかってことを自分で認識していくようになる。
そしてその過程が“日月神示”表記の“身魂掃除”“身魂洗濯”という表記から感じ取れる事でもある。

次の文。 

“三四五(みよいづ)の仕組出来ないで、一二三(ひふみ)の御用はやめられんぞ。
此の神示読んで三四五の世の仕組よく腹の中に入れておいて上(かみ)の人に知らしてやりて下されよ。
三四五とはてんし様の稜威(みいづ)出づことぞ。”

 この文の“三四五(みよいづ)”は、今まで何回も解釈したとおり、まず“三”は、“一”=智性=1番目のオーラと、“二”=肉体。
“四”は発振、発信。
“五”は糸巻きの象形文字で神経が密になる様子。 
そしてそれは、生物の進化を見ても神経の発達があり、神経が密になれば、だんだん心の発現が多様になる。 それは、ミミズ、ヒル、ゴカイ君は、下等な本能って心(靈)の発現しか持っていないことを、“目上(めうえ)と目下(めした)”を説明したときに何回も引用した。
また、生物の進化は、心(靈)の発現そのものでもあるし、心(靈)の発現のために肉体の電気特性の変容(神経や骨で電磁石の構造を持ったり、高分子化したたんぱく質は、低分子のたんぱく質より複雑な磁束を発生させる)があり、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の過程で、神経は多く“慈(しげる)”ものである。(“慈悲”と“慈愛”の“慈(しげる)”)
そして、“慈(しげる)”という字の下半分に、心(靈)が書かれているところに着目して欲しい。
画像で“慈(しげる)”の意味を示す事とする。
“慈(しげる)”の解字


要は“三四五(みよいづ)の仕組み”は、肉体の進化、神経が密になること、そしてそれは高い振動との感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)で神経が密になる意味で、般若心経の“波羅密”を思い起こさせるものでもある。 
また、すべての生命は、“上”からの荷電粒子=神の思惑、普遍的に実在する創造主のオーラ(宇宙背景放射)と、それを仲介する太陽、そこからの電磁波の影響で進化し続けているものであるし、その秘訣が、肉体に発現する磁束によるローレンツ力  ローレンツ力  でもある。
そしてローレンツ力の強化が、“行”の意味と意義であり、“日月神示”表記ならば“身魂磨き”=(生体内電流による)肉体組織の結晶化でもある。
このことを理解していれば“三四五(みよいづ)の仕組出来ないで、一二三(ひふみ)の御用はやめられんぞ。”の意味はすぐわかる。 
いうまでも無く“一二三(ひふみ)”は、頭、胸、腹、三つのオーラの事で、それを言い換えれば、智性(神性)、“慈悲”と“慈愛”、そして事象の“創造”のエネルギーは、腹にあり、それは“江戸と尾張”でもある。
 要は高い思惑=“上”との感応共振をして、“上”の思惑を取り込んだ思想、それは“慈悲”と“慈愛”に満ちた心(靈)の動きになり、そうなれば自己奉仕者の腹の段階だけの心(靈)の動きによる事象の“創造”ではなくなるから“御用”=人としての使命(神の“思惑の顕現”)と称されている。
 だからそれは、次の文のように、腹に入れておけとも言われているし、腹の心(靈)の発現=自我は、智性(神性)(“一”、1番目のオーラ)(日を知る性質)と、“慈悲”と“慈愛”によって支配されるのが、進化=霊的成長、神格化に向かうことの順番でもある。

“此の神示読んで三四五の世の仕組よく腹の中に入れておいて上(かみ)の人に知らしてやりて下されよ。”

そして次の文。

“三四五とはてんし様の稜威(みいづ)出づことぞ。”

 あえていうまでもなく、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)は“三四五(みよいづ)”だから、そして神経が密になればなるほど、ローレンツ力の強化により“上”からの荷電粒子=神の思惑と感応共振する。
 そしてそれはより高いオーラの発振、発信になるものでもある。
 そして今述べたことは、上つ巻 第二帖の表記“日の光は神のこころ、稜威ぞ”の意味でもある。 そやから“稜威(みいづ)”については、上つ巻 第二帖 Kellyさん的解釈からコピペして、以下に貼って示す事として、今回はこれくらいにしときまんねん。

大事な事は、“神のやり方は日の光”と、“稜威ぞ”で、この言葉は、“イツ”古代日本語で、“イチ”が変化した言い方で、それは、激しい雷光のような威力って事らしいやん。 ほんでからに、“稜威”を辞書で見ると、威稜とも言われ、その意味は、神霊の威力。みいつ。天子の威光。 類義語として、威霊って表現もある。
 そやから、Kellyさん的に思うんは、天子の威光、これは天意を受けた人のオーラの事やと思いまんねん。 それを言い表した言葉が“稜威”やと思うし、ほんでからにそう言う高くなった霊的存在を“威霊”…そう呼ぶと思いまんねん。
 そやからそれは、この言葉は大体、神さんや天皇の権威を示す言葉として使われてるんやけど、ほんまの天皇っていうのんは、天=“一” + 胸の磁性“十” + 人、ほんでからに“白”と“王”。 この言葉そのものが霊的進化したオーラを示す事でんねん。 この場合の“白”っていうのんは、クンダリーニの白光で、白い光は、波長の短い高い振動を相対的に観察した時の色でもあるし、それは、身体内のシンクロトロンの構造に由来するっていうのんが、先生の説で、先生が太陽凝視を教えてくれたKさんのオーラを観測し30年以上考えて得られた結論のひとつでもありまんねん。
ほんでから、肉体がシンクロトロン様の構造を持つには、胸の磁性“十”の強化と、手足の神経(電磁石として)の発達と、頭の磁性の強化が必要で、“行と修行”による生体内電流の質の変化と、量を獲得せんならん。 そやからそれは、心(靈)の動きとしての自省(胸の磁性“十”)の行と、電気行と、太陽凝視による高い振動=神さんの思惑の取り込みっていうのんが必要でんねん。

(引用終わり)

“日月神示”日月の巻 第三帖 Kellyさん的解釈

 今回も、日月の巻 第三帖を解釈しまんねん。 原文は以下の通り。

此の神示 声立てて読みて下されと申してあろがな。臣民ばかりに聞かすのでないぞ。守護神殿、神々様にも聞かすのぞ、声出して読みてさへおればよくなるのざぞよ。
じゃと申して、仕事休むでないぞ。仕事は行であるから務め務めた上にも精出して呉れよ。それがまことの行であるぞ。
滝に打たれ断食する様な行は幽界(がいこく)の行ぞ。
神の国のお土踏み、神国の光いきして、神国から生れる食物(たべもの)頂きて、神国のおん仕事してゐる臣民には行は要らぬのざぞ。
此の事よく心得よ。
十月十九日、一二 ローレンツ力と ○

冒頭の文。

“此の神示 声立てて読みて下されと申してあろがな。臣民ばかりに聞かすのでないぞ。守護神殿、神々様にも聞かすのぞ、声出して読みてさへおればよくなるのざぞよ。”

 この文の言い回しも、地つ巻で何回も指摘したとおり、ただ、声を出して“日月神示”の文を読むなんてことではなく“神示 声立てて読みて下され”は、“言”(事象に顕現され、(自己と他者に)観察された心(靈)の動き)を、よく観て、そして自分が思うよいカタチのことを思い、自分が霊的に高ければ、高い息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)になり、低ければ=自己奉仕者ならば低い欲望で出来た今の世界のような創造をする事を指し示しているし、その心の動き=息吹は、“声”もその一部であるし、それを“臣民ばかりに聞かすのでないぞ。守護神殿、神々様にも聞かす”なんて称されているが、すべての存在が観ている=“観察と認識”をしている事をよく自覚せよって事だと思う。
 だからこの文の冒頭と末尾の言葉をつなげばすぐその意味はわかるものでもある。 
それは“此の神示”=神が示した意味、それを認識(悟り、幸取=さとり)して“声出して読みてさへおればよくなる”=自分の息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)として、事象に顕現せよってことでもある。

 次の文。

“じゃと申して、仕事休むでないぞ。仕事は行であるから務め務めた上にも精出して呉れよ。それがまことの行であるぞ。”
  
 これはローム太霊の指し示した“行業一致”と、世為人為これと同様の意味を感じさせる。
すべての事象に自分の心(靈)の動きを顕現すること(事象の“創造”)、それは、業務の業であろうが“行”であろうが、その区別をしているのは人の立場でしかなく、すべてエネルギーを贖う(あがなう)事であるから、生体内電流の増幅と発振、発信になるし、どの部分のチャクラ(荷電粒子の回転を示す)=どの心(靈)(本能、情動、功名心、自我、愛(炁)、創造、知恵、智慧、智性という振動)を使っているのかによるものである。
しかし霊的成長は ○ 九 十、真実=真固止、“誠”(言葉成る、意味は、自分が発振、発信した振動(言葉)が完成する)であるし、そう感じられるものでなければならないからこそ、心(靈)の動きには“上”と“下”があり=“善悪”(神格化と、動物化=心の本能化)があり、それを基準にして自分が自分の心(靈)の動きを見極める=“身魂掃除”“身魂洗濯”して、どんな業務だろうが“行”だろうが人は頑張らなければならず=“仕事は行であるから務め務め”と言われ、さらに“精出して呉れよ。それがまことの行である”と言われていると思う。
その意味で次の文。

“滝に打たれ断食する様な行は幽界(がいこく)の行ぞ。”
 
 この文の“幽界(がいこく)”は、腹の段階の心(靈)、マニピューラチャクラ、腹の水=“江戸と尾張”の“江”…自我の確立=固定化の段階、そして腹の位相のサイクロトロンを指す。 
 脊椎動物は、脊椎を持たない段階の生命から進化して、自我を持ち、自我を持つことそのものが自己と他者を認識することであり、それは独り神(ひとりがみ、日取り神)になるためにどうしても必要な進化過程でもある。 
 そして自分の内面とか内側(心の中と感じている事)と外側(外国と幽界)の事象の区別も、自我が無ければ認識しうるものではないと思う。
 そして、滝行も断食も、ムラダーラチャクラ、スワディスターナチャクラ、マニピューラチャクラ、腹から下のチャクラ(荷電粒子の回転を示す)の刺激が中心の“行”であるし、今後=アセンション後は、それだけではダメで、本当に、これからの人間が行わなければならない“行”は“ひつく”“日津久”=太陽凝視を“行”として行うことであり、それは天意の受信、天意を=“上”からの荷電粒子、電磁波、神の思惑を自分の心(靈)と肉体(身魂)に、真に固く止める=真固止の人(日止、霊止)にならなければならないし、“日月神示”は“ひつく”“日津久”=太陽凝視を“行”として行うことを説いているのだから、それを意識せよって事だと思う。

 次の文。

“神の国のお土踏み、神国の光いきして、神国から生れる食物(たべもの)頂きて、神国のおん仕事してゐる臣民には行は要らぬのざぞ。
此の事よく心得よ。”

 この文の冒頭“神の国のお土踏み”は、“神の国”は神性が発現した心(靈)、そして“お土踏み”は、肉体=土を下にする意。
だからそれは“一二三”のオーラに縦の磁束、(たてぼう、こん、縦の磁性))を足した表記が“王”であり、それは人(日止、霊止)の完成を示す表記であり、“王”から“一”=智性=1番目のオーラをはずすと、土って表記になる。
 そして今までの地球人の進化過程は、土=2~3番目のオーラの進化であり、土=2~3番目のオーラを“一”=智性=1番目のオーラに“行”で昇華させることが、目上(めうえ)の脳内で電磁誘導を起こし、脳内に高分子化したたんぱく質を増やす太陽凝視でもある。
(しかし、太陽凝視の初心者は、いきなりこの段階には入れない。 太陽凝視をやり始めた当初は、下のチャクラから刺激されるから=太陽の低い振動としか、感応共振しないから、腹の“行”=不食のような状態になるが、これは過渡期であるし、太陽凝視は智性(神性)の“行”であるからこそ、このこと(不食)事態にたいした意義は無いと思っている)
 そして“神国の光いきして”は、神性を発現した心(靈)(“国”((囗)くにがまえ)と“玉(ぎょく)”…“玉(ぎょく)”は自省(胸の磁性“十”)の心(靈)の動きを示す))は、“光いきして”=光を吸収して、“神国から生れる食物(たべもの)頂き”=これは少し揶揄(やゆ)した表記で、この文の“食物(たべもの)”を、普通の食事と解釈するとこの文の意味は通らないし、要は、“神国”=智性(神性)が発現した心(靈)から発信される息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)、それは振動であり(普通の食事でも物質という低い振動ってことでもあるが)、その振動を食え=吸収せよって事だと思うし、それがまた、天意の受信という事と同義。
 そして“神国のおん仕事してゐる臣民には行は要らぬ”は、“行業一致”の業務の業でも、すべて生体内電流に変換されそれをまた発振、発信することであることを先ほど述べたが、それは低い“思惑の顕現”=現象化、低い事象の“創造”でしかない。
 またその低い思惑しか持っていない心(靈)の“思惑の顕現”=事象の“創造”は、“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”が生み出し、増大させている恨みの連鎖の霊的干渉に満ち満ちた今の事象であり、そこに居る大半の人は、仏教でいうところの、三毒、貪、瞋、痴(とん、しん、ち、)の動きになっている。

(貪は、むさぼる。本能由来の行動。 瞋は、目をむいて感情をあらわにする。 そして智性(神性)を無視する意味で白痴の痴)

 だからこの文は、もういい加減その段階を卒業せよ、自分が行う“業行”(生業(なりわい)と“行”)は、どんな意味があるのか、その“業行”(生業(なりわい)と“行”)で得た“力”(力、知恵、知識…学問…能力、そして霊能力を含む)はどう扱うべきなのか、それを考えるべき、そのことを示唆しており、そうなれば“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”から(アセンション後に位置して行く今より霊的進化を果たした)奉仕者になりうるし、そのこと、奉仕者になることが霊的進化の一側面でもある。
 その意味で低い行、先ほどの文の“じゃと申して、仕事休むでないぞ。仕事は行である”という段階から、だんだん進化すれば“神国のおん仕事してゐる臣民には行は要らぬ”の、“仕事”における生体内電流の獲得という“行”は、必要ではなくなるってことを述べていると思うし、今の地球人は、自我の確立=固定化から自我の肥大という腹の“行”をしているから、物欲の奴隷、(通貨としての)金の奴隷、自分の低い心(靈)の動きの顕現(低い功名心と自尊心、縄張り意識、ディスプレイ(動物の発情行動)(自分を認めてもらいたい心(靈)の動き)が中心の心(靈)の動きになっている。
今述べた心(靈)の動きは、腹の水=“江戸と尾張”の“江”…自我の確立=固定化の段階、そして腹の位相のサイクロトロン、マニピューラチャクラの心(靈)の動き)しか、していないものだけれど、今後、(アセンション後に移行できるごく少数の)人は、“日止、霊止”になる過程を歩むのだから、“神国のおん仕事してゐる臣民には行は要らぬ”=智性(神性)を発現し、それを行使し、事象の顕現に活かし=“おん仕事してゐる臣民”は、“(低い段階の)行は要らぬ”ってことを述べているのだと思う。

 今回はこれくらいにしときまんねん。

“日月神示”日月の巻 第二帖 Kellyさん的解釈


今回も、日月の巻 第二帖を解釈しまんねん。 原文は以下の通り。

三千年三千世界乱れたる、罪やけがれを身において、
此の世の裏に隠(か)れしまま、此の世構ひし大神の、
みこと畏み此の度の、岩戸開きの御用する、
身魂は何れも生きかはり、死にかはりして練りに練り、鍛へに鍛へし神国の、
まことの身魂 天駈けり、国駈けります元の種、昔の元のおん種ぞ、
今 落ちぶれてゐるとても、軈(やが)ては神の御民とし、
天地(あめつち)駈けり神国の、救ひの神と現はれる、時近づきぬ御民等よ。
今一苦労二苦労、とことん苦しき事あれど、
堪へ忍びてぞ次の世の、まこと神代の礎と、磨きて呉れよ神身魂、
いやさかつきに栄えなむ。
みたまさちはへましまさむ。
旧九月二日、ひつ九のか三。

まず冒頭の、“三千年三千世界乱れたる、罪やけがれを身において、”についてやけど、“三千世界”は、地つ巻 第四帖にも出てきた言葉で、そのときに、「三千世界は、“上”から“下”、霊的成長度の高い低いにかかわらず、神だろうが人(日止、霊止)だろうが下等生物だろうが肉体を持っていようがいまいが、“善(神格化の方向性と智性の受信)”の行いの霊的存在だろうが、悪魔だろうが、悪魔の傀儡(かいらい、くぐつ、操り人形)であろうが、すべてをひとつの事象とみなした概念が、三千世界」って解釈をした。 そやからこの文は、人がたくさんの恨みの連鎖の霊的干渉を創り出し、“乱れたる”世界にしてしまったことを指摘している。

 次、“此の世の裏に隠(か)れしまま、此の世構ひし大神の、みこと畏み此の度の、岩戸開きの御用する”
この文は“岩戸開き”が解釈できないと読み解けない。 そやから“岩戸開き”は、“石”(帯電するミネラル)と“山”(脳の意味)で、“戸”(横隔膜)を開くって今までも解釈をしてきているけど、要は、目上(めうえ)の脳の心(靈)の発現と行使である智性(神性)(日を知る性質)(“一”、1番目のオーラ)で、今までの地球人の進化過程である自我(腹の水=“江戸と尾張”の“江”…自我の確立=固定化の段階、そして腹の位相のサイクロトロン)から、“慈悲”と“慈愛”の心(靈)の発現にいたるのが、心(靈)が“上”に向かう事=第三密度から第四密度(宇宙的存在がよく使う表記)で、そしてそれは、腹のエネルギーが横隔膜(“日月神示”表記の“戸”、マニピューラチャクラからアナハタチャクラへの関門)から“上”に上がることで、またそれを示したのが大日如来の条帛(じょうはく)でもある。
そしてこの文の“此の世の裏に隠(か)れしまま、此の世構ひし大神の、みこと畏み此の度の”っていうのんは、今の腐りきった“三千世界”においても、“太神の、みこと”=人の使命である神格化、“創造”の“主(ヌシ)”の計画、それが進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の意味と意義でもあるし、貴いからこそ“畏み”と称され、“上”はちゃんと(アセンションとして)意図しているってことを指し示しているからこそ“此の世構ひし大神”と称され、そして腐った世界の中でもちゃんと進行しているっていう意味合いで“此の世の裏に隠(か)れしまま”って言われていて、そしてそれは進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の計画であるからこそ、(霊的成長度において心(靈)を分ける=神格化に向かうレベルの程度において分けるための)アセンションの意義だからこそ、“みこと畏み此の度の”って言われている。

 そして次、“身魂は何れも生きかはり、死にかはりして練りに練り、鍛へに鍛へし神国の、まことの身魂 天駈けり、国駈けります元の種、昔の元のおん種ぞ、”。
 この文の“神国”は、地つ巻に何度も出てきた表記であり、神性を発現した心(靈)っていう解釈を何回もしてきたし、それは神格化に向かう心(靈)であるし、そして“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”から少し“上”である(アセンション後に位置して行く今より霊的進化を果たした)奉仕者は、自我の肥大から“慈悲”と“慈愛”の心の発現をするって何回もいうてきているけど、そうやって人は、“日止、霊止”になっていく=“上”からの荷電粒子の高い部分と感応共振をする=“天詞様”に成りうる者である。 またそれが、人の完成であり、完成って概念そのものが、“完”は宀(うかんむり、頭の意味)と“二”=肉体、そして時間の進行を示す儿部(じんぶ、にんにょう)の重なった表記であり、それを“成す”ことは、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)を成すこと=“日月神示”表記の ○ 九 十 の、“九 十”(卆(そつ、卒業の卒の異体字))であり、今の段階からの卒業とか、完成に至る次の段階の意味でもある。 
それを踏まえてこの文を読めば“身魂は何れも生きかはり、死にかはりして練りに練り、鍛へに鍛へし”の意味はあえて解説はいらんと思うけど、何度も何度もこの世界に肉体を持って死んで、平均的地球陣は八百回転生をしているけど、いまだ自我の確立=固定化の進化過程であるし、とても神格化なんて段階からは程遠い。 だから艮(うしとら)の金神は黒住教で朝日の日拝(にっぱい)(太陽凝視の入門、初心者向け)を教えたのだとも言いうる。 また、それを教えなければ=“ひつく”“日津久”=太陽凝視を“行”として行うことを教えなければ、“鍛へに鍛へし神国”=神格化を実践する心(靈)には成りえない。
そして、“まことの身魂”=人が完成された肉体と心(靈)になることは、神の計画であるからこそ“元の種、昔の元のおん種”であり、また、完成された様を“天駈けり、国駈けります”と称されていると思う。

 次、“今 落ちぶれてゐるとても、軈(やが)ては神の御民とし、天地(あめつち)駈けり神国の、救ひの神と現はれる、時近づきぬ御民等よ。 今一苦労二苦労、とことん苦しき事あれど、堪へ忍びてぞ次の世の、まこと神代の礎と、磨きて呉れよ神身魂、いやさかつきに栄えなむ。 みたまさちはへましまさむ。”
 この文で述べられていることは、今、粛々と神格化へのプロセスを歩んでいる人は、物からも(通貨としての)金からも(形骸の)名誉からも見放されている=“落ちぶれてゐる”ものでもある。 それは、自分の追い求める何かは、“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”のそれとは、違うからであり、それは息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)の違いって言い方をしてもエエと思う。
 そやから“今 落ちぶれてゐるとても、軈(やが)ては神の御民とし”は、先ほどの“岩戸開きの御用”する人は、この腐った世界では活躍できず、たいして着目もされていないものであり、それに反し、(この世界は腐っているからこそ)金持ちは(通貨としての)金の執着と低い欲望の達成っていう息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)で活躍し、また霊的なことやアセンションのことを利用して金を儲け自分の低い功名心と自尊心を満たしている“役員づら”(形骸の宗教や、アセンションや霊的成長に対し、甘い夢を見させ偽の情報を流すたぐいの人たち…それは悪魔の傀儡(かいらい、くぐつ)は、活躍して、大半の人に偽の情報を提供しているものでもあるし、このことを皮肉っぽくいえば、甘いうそを述べたほうが、この世界では活躍できるってことでもある。
 しかし本当の事を見出し、自分の霊的成長、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)ってことをきちんと認識した人間は“今一苦労二苦労、とことん苦しき事あれど、堪へ忍びてぞ次の世の、まこと神代の礎と、磨きて呉れよ神身魂”っていわれており、この文の“神身魂”は、智性(神性)の発現した肉体と魂=心(靈)ってことでもあるし、“まこと神代の礎と、磨きて呉れ”は、真実=真固止、何を真に固く止めるなんてことはこれまでも何回も延べたからあえて言わんけど、そうなるためには“磨きてくれ”、それは“身魂磨き”=(生体内電流による)肉体組織の結晶化してくれってことでしかない。
 そして“いやさかつきに栄えなむ。 みたまさちはへましまさむ。”は、大半がひらがな表記で、ひらがな表記は人の視点での事象の観察であろうから、これを漢字に変換すれば
弥栄(いやさか)月(肉体の意味)に栄えなむ。 身魂 幸(“夭と屰”(ようとげき)、肉体を持っている間にたくさんの認識(悟り、幸取=さとり)を獲得する意味) はへ(栄えあるの“はへ”) ましまさむ(増して進む)ってことになるのやろ。
 ほんでから弥栄(いやさか)の“弥”については、画像で意味を示し、今回はこれくらいにしときまんねん。

弥の旧字 

弓と璽(しるし) 彌の旧字の解字

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 Kelly & ○○○大先生

Author: Kelly & ○○○大先生
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Kellyさんと○○○大先生は、
このブログを書いている○○○の、
心(靈)の二面性であり、
同一人物で有る事を、
お断りしておきます。

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四冊目&五冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈4〉
智性無き心は
悪を容認する


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈5〉
智性無き心は
アセンションを見誤る

 この二冊は、同時発売です。
太陽凝視を行っている鍼灸師の話 <4> 智性無き心は 悪を容認する & 太陽凝視を行っている鍼灸師の話 <5> 智性無き心は アセンションを見誤る サムネイル
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2010年 4月20日(火)ごろより、全国書店(紀伊國屋書店・三省堂書店・旭屋書店・ジュンク堂書店・ブックファースト・リブロ・丸善など)にて順次陳列。


発売中の三冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
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神格化のプロセス
目上(めうえ)と目下(めした)


神格化のプロセス 目上と目下 縮小版 ブログ用
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太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈2〉

ローム太霊の教え
日足(ひたり)と砌(みぎり)


サムネイル太陽凝視を行っている鍼灸師の話〈2〉ローム太霊の教え 日足(ひたり)と砌(みぎり) 
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太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈1〉

ローム太霊との出会い


太陽凝視を行っている鍼灸師の話〈1〉ローム太霊との出会い
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2005年10月1日~2008年1月15日まで、
“Kellyさんとの会話”で、説明して来た事・・・
その内容・・・それは・・・その何年も前から、
何か自分の考えをある程度公表しなければならない・・・
そう言う通信を受け・・・その理由は・・・地球人が低い心(靈)の発現しかしていない・・・
それを自覚していない人が多い。
その事由来の太陽凝視に対する認識、
(太陽凝視=不食・・・としか、認識させない存在の思惑を、受信している事)
霊的成長に対する認識、
神に対する認識、
心=靈に対する認識、
オーラに対する認識、
そして、
高い認識の上での進化の意味と幸福の概念と神の概念・・・
進化=霊的成長=神格化=(相対的に)高い認識を獲得する事・・・
霊的成長=神に近づく事=真の幸福の意味。
霊的成長度は1番目のオーラに顕れる。
よって、宇宙的プログラムにより次の段階に移行する人(日止、霊止)は、 何を考えるべきなのか・・・
そして、人(日止、霊止)の進化を阻む存在の思惑、
その心=靈の動き、それらの意図・・・それが一般に認知されていない事。
それらを伝えなければ成らない・・・そして一応・・・完結はしたのですが・・・
解り難い・・・理解しがたい・・・具体例を示して欲しい・・・そう言う感想も頂き、
そして自分なりにも説明が足らなかった事・・・
更に、
“Kellyさんとの会話”が完結してからも通信を受けている事・・・そう云う事もあり・・・
よって、このブログを立ち上げる事としました。
従って、
“Kellyさんとの会話”が、
自分の意見を述べる上での、ローム太霊の言葉、
“右往左往”(“いきり立つ心(奴と心)”で行動してから考える)・・・と、 するならば、 このブログはアタシ自身の、
“左往右往”(“思う、憂う”・・・体験を教訓として考え行動する)の、
作業になって行くと思います。


太陽凝視を行っている鍼灸師の話 “総括編”
太陽凝視を行っている鍼灸師の話 “改”
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○○○大先生の水草水槽記録
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自分達の欲望を満たしたい… 
自分だけ幸福になりたい…
こういった進化程度の低い心(靈)の発現由来の思いが、
低い幸福の概念になり(目下(めした)の思い)
その結果が、飢餓貧困、戦争の原因になったりしています。
(子供の浮游霊の霊的干渉の影響を受け、 それがどんどん増して行く事等が、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)
の思惑だと 思えます)

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