“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話

太陽凝視を一生涯の“行”とし(現在、44年目)、実践し、その上で獲得した認識を述べています。

Kellyさん、爆睡中に、A野さんの愛犬たち登場!…夢の中で、人間に見られる習性について、犬たちと論じる。 “その十三”(人間じゅんいち君「まほう色の瞳」を読み考える) 

……例によって、Kellyさん爆睡中……


Kelly 会話中 さて、今回もじゅんいち君が(犬から人間になっているから)一人で「まほう色の瞳」のKellyさんが指摘した部分を読んでるところから始まりまんねん。 ほんでから前回と同じようにじゅんいち君が(今は犬から人間になっているから)一人でつぶやくところから始まりまんねん。

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犬じゅんいち君 人間になって会話中 前回、Kellyさんが僕に言ってくれたこと…

じゅんいち君は、自分の過去の思想や行動を振り返り、何が高く何が低いか、その時々の自分の心(靈)の動きの程度、いわゆる“どういうつもり”(思惑)、その高低、“上”と“下”を自らが判断できるようになってきていると思うし、このことについてKellyさん的老婆心としては、この“自分を観察する自分の確立”について「まほう色の瞳」の246~7ページにまたがっているエリナのセリフを読んで、それからじゅんいち君が考えると、より一層分かると思うやん

 それでKellyさんが教えてくれたエリナのセリフは…

私が言いたいのは、自己知識ということなの。 自分は何もので、なんのために存在し、ほんとうの自分というものに近づくためには何をするべきか。 そして、光の時間と場所の中で自分について理解できたら、次にわたしたちはそれぞれの自分の人生をどう生きるべきかという知識よ

…このセリフは一読しただけでは何のことなのか…何を述べようとしているのか…理解しづらい感がある…。 
それでKellyさんは“自分を観察する自分の確立”について…中略…より一層分かると思うやん”って言ってくれた。 
このことを頭においてこのエリナのセリフを読めば
自己知識ということ
そして
自分は何もので、なんのために存在し、ほんとうの自分というものに近づくためには何をするべきか
ことにこのセリフの中の“ほんとうの自分”…それに“近づく”…そして
それぞれの自分の人生をどう生きるべきか
…これらの文言についていろいろ考えることができると思うし…深く考え込んでしまうものだ…。

 改めて考えれば、僕は犬から人間になったばかりだけれども、多くの人間たちが、自分たちが“自分は何もの”なのか、“なんのために存在”しているのか、これについて深く考えたことがあまりないだろうし、当然のことながらその答えもよく分からない…。
 またその答えを示唆している言葉が“ほんとうの自分というものに近づく”であるような気がする。 
多分そうなんだろう。

 そしてそのためには僕たち(もともと僕は犬だけれども)人間は“何をするべきか”…僕たち人間は何をするべきなんだろうか…このページには特にこれをせよ、こうしたらいいという具体的なことは書かれていない…だが“光の時間と場所の中で自分について理解”という言葉、この言い回しも抽象的なんだけれど…これが前回○○○大先生が教えてくれたエリナのセリフの後に書かれていた○○○大先生のメモ書き…そこに答えがあるような気がする。  
 それで“自己知識ということなの。 自分は何もので、なんのために存在し、ほんとうの自分というもの”の、“本当の自分”ということを考え、この答えを見出すには、○○○大先生が言っていた“自分を観察する自分の確立”…これは必須だと思う。

 僕がそう思う根拠、それはこのセリフの少し後、248ページのエリナの“私たち地球人の起源は動物…中略…それ以上の存在になることはできないし、許されてもいない…中略…わたしたちには絶対に無理よ”というセリフで、ルーカスの自分に対する認識、人間に対する認識を下げさせた。 

 これは、ルーカスの心の振動を下げたのに等しい。
 
 そしてそれは○○○大先生のメモ書き“前向きな考え方の大きなオーラ! 太陽を見て育ったオーラ!”の“前向きな考え方”という心には相当しないことがすぐ分かる。
その振動が下がった様…それはこの言葉を聞いたルーカスの心の動きに表れているし、その状態をエリナは“自己知識の欠落が、どうエネルギーの水準、つまり振動を下げるか”と述べて指摘している。
 そして249ページでエリナは僕たち人間のことを“神の存在…中略…神の息子や娘たちなの”って述べている。 
さらにその言葉を聞いて自分と人間への認識を改めたルーカスに対し“自己知識によってそのようにエネルギーを高めることができる”って述べている。

 ここまでのことを読んで僕は、前にも思ったことだけれど…セブンちゃんが指摘してくれて僕を諌めたこと…それは、セブンちゃんに出会った頃の僕は欲望中心の心しか持っていなかったし、その欲望を充たすことが自分にとっての幸せ、自分にとっての価値であると思っていた…というよりもそれが僕の心の殆どだったっていってもいいくらいだ。 
それでこの時の僕はエリナの言葉の“自己知識ということ”そして“自分は何もので、なんのために存在し、ほんとうの自分というものに近づくためには何をするべきか”そして“それぞれの自分の人生をどう生きるべきか”なんて当然考えていないし、これが、ルーカスの自分と人間に対する認識を下げたエリナのセリフ“私たち地球人の起源は動物…中略…それ以上の存在になることはできないし、許されてもいない…中略…わたしたちには絶対に無理よ”…まさにこのセリフの言葉の意味に僕の心が相当している…っていうか、この言葉があの時の僕の心であった…そう言い表すのが妥当であるとも思える。 
 それでこれ自体が、僕自身が明らかに“ほんとうの自分というもの”が分かっているとは言い難いのだと思うし、分かろうともしていない…。
エリナのセリフを引用すればあの時の僕の心は“自己知識の欠落が、どうエネルギーの水準、つまり振動を下げる”=自分の心の振動が低い…それは“自分は何もので、なんのために存在し、ほんとうの自分というものに近づくためには何をするべきか”そして“それぞれの自分の人生をどう生きるべきか”なんて考えたこともない、そういった心の動きを持ったことが無い…このことも(自分自身、じゅんいちくん自身が)指摘できるのだと思う。

 だから僕は低かった…そしてその低い心(靈)ゆえの低い幸せの認識、低い価値観の達成のためにセブンちゃんをナンパし、そのこと自体をセブンちゃんは諌めてくれたのだった。

それもあって、僕は低い幸福感と低い価値観、それを低いのだということ、自分は低いのだということは散々考えた。 

また僕は低い心(靈)を持っているということを自分自身で分かったりもしたし、その低い心(靈)を観察している自分、低い心(靈)を低いと認識している自分は今までの僕とは違う心の動きだったし、それは低い心(靈)より“上”の心だといい得るのだろう。

それで、低い心(靈)所以の低い幸福感と価値観、犬になった○○○大先生が教えてくれた“ブタのけつを見ているアホ”…低い幸福感と低い価値観由来の“ブタのけつ”…これを広めている人間が多い、そしてそれに酔いしれている人間も多い…その低い何かが価値のあることのように刷り込まれている“アホ”…このことについても真剣に考えた。
そして以前の僕が“ブタのけつを見ているアホ”であるということを自分で理解した。 

今考えていた二点、自分の低い心の動きを低いと認識しうる自分、そして低い心(靈)が作り出して、この世界に蔓延している“ブタのけつ”、そしてそれを刷り込まれている“アホ”…これらを低い、価値が無いものだと僕自身が自分で理解できたのは、○○○大先生が指摘してくれたこと、それは“自分の低い心(靈)の部分を自分自身で低いと認識できるようになった”…いい換えれば“自分を観察する自分の確立”が出来上がりつつある…少しでき始めているからなのだろう。

さらに思うのは…エリナがルーカスの自分と人間に対しての認識を引き下げたセリフ“私たち地球人の起源は動物…中略…それ以上の存在になることはできないし、許されてもいない…中略…わたしたちには絶対に無理よ”…こういった断定的な言い回しも刷り込みに近い感がある。
また、自分たちのことをそういわれてしまったなら、自分たち人間は動物くらいの存在価値しかないって思ってしまう。 

それで…僕が思うには…ほとんどの人間、僕自身も含めて、今僕が思ったように“自分たち人間は動物くらいの存在価値しかない”って低く決めつけている、あるいは自分で自分をインプリンティング(刷り込み(すりこみ)、刻印付け)しているのではないのだろうか…。
だからほとんどの人間たちは…自分たちの存在の意味や意義を考えない…それはエリナのセリフの“自己知識の欠落”ということでもあるだろうし、自分について考えようという発想もあまりないのだろう。
…そして低い心の行使で低い価値観と低い幸福感を持ちそれ由来の行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)をする…そういう心の人が当たり前、大多数、だから“ブタのけつを見ているアホ”ばかりの世界になっているって改めて思ってしまう…。

○○○大先生会話中 じゅんいち君、もうそれくらいでよいのではないかな。
犬じゅんいち君 人間になって会話中○○○大先生…いきなりの登場でびっくりしました…。

○○○大先生会話中うん、言い訳するのではないが、君はもう十分考えたと思う。 それで失礼を承知で唐突に登場することとなったのだ。 
もう一つ、アタシが登場したのは、君一人が一人で考えるよりも、次回、アタシと君がエリナのセリフの中にあった言葉、そして君が考えたことについていろいろ話をしようと思うのだが、どうだろうか。
犬じゅんいち君 人間になって会話中…承知しました。 ○○○大先生と話した方が僕の考えを纏め(まとめ)ることができる…○○○大先生がそう思われたから今その提案をなさったのですね。
 …よろしくお願いします。

○○○大先生会話中ということで、この夢を見ているKelly、もう事情は察しているだろうが、人間になったじゅんいち君は、自分の心の中の“上”と“下”を見出して自分の心の動きをよく“観察と認識”していると思う。 
よって、アタシやKellyがじゅんいち君に考えてくれという意図をこめて指摘した「まほう色の瞳」の中の文言について、じゅんいち君とアタシが議論して結論を導き出すに相当する心を、じゅんいち君自身が獲得したと思うのだよ。

Kelly 会話中そうでんな。 ほんでから次回、○○○大先生とじゅんいち君が話をするとき、よかったらKellyさんも参加したいんやけどどうやろかな?

犬じゅんいち君 人間になって会話中異存ありません。
○○○大先生会話中オッ○ー牧場おぱんつお~ほほほ!!

Kelly 会話中ありがとさんでんねん。 
そやったら次回のこのカテゴリーでは、じゅんいち君と○○○大先生、そしてKellyさんがKellyさんの夢に登場していろいろ話をする…そういう展開になるってことを告知して、今回はこれくらいにしときまんねん。

“日月神示” 磐戸の巻 第六帖 Kellyさん的解釈


今回も、磐戸の巻 第六帖を解釈しまんねん。 原文は以下の通り。

北、南、たから出す時近づいたぞ、世の元からの仕組であるからめったに間違ひないぞ、これから愈々臣民にはわからなくなれど仕上げ見て下されよ、何事も神の申すこと聞いて すなほになるのが一等ざぞ、神示(ふで)出ぬ時近ふなりたぞ、神示出なくなりたら口で知らすぞ、神示早う腹に入れぬと間に合はんことになりてくるぞ、西も東もみな宝あるぞ、北の宝はシホミツざぞ、南の宝はシホヒルざぞ、東西の宝も今にわかりてくるぞ、此の宝あっぱれ、この世の大洗濯の宝であるぞ。
一月四日、ローレンツ力と ○ のひつ九のか三。

 冒頭の“北、南、”の表記は、北、大極、N極と、それに相対する南、S極、よってこれは縦の磁束であり“上”と“下”とも言い得る。 
そして“たから出す時近づいた”の“たから”は当然“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”のとても低い認識由来の発想の金銀財宝のことではなく、真に価値のある宝=體(体の旧字、骨が豊か、そして、宝(たから)のアナグラム)の意味と、“玉(ぎょく)”=結晶化した肉体組織のことである。 これがまた進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の“道”(時間の進行)“理(ミチ)”(法則性)であり、それを裏付ける表記が“世の元からの仕組である”=“創造”の“主(ヌシ)”が決めた進化の理(ことわり、法則)であり、それは“めったに間違ひない”ということである。 

それで、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の順番として、まず、自分たちが生業(なりわい)の“行”を中心に、土=2~3番目のオーラを大きくし、右往左往=やってみてから失敗を体験し、左往右往=失敗を体験し、それを教訓として“力”の顕現(砌(みぎり)の行)をして、その過程で、自分たちの存在の意義、生き方の追及、人間と神の存在の真理を探り、自分たちの本当の価値を求め…そして最終的には智性(神性)(“一”、1番目のオーラ)(日を知る性質)の獲得の“行”である太陽凝視に入るのが神格化のプロセスでもあるのだが、それを“愈々臣民にはわからなくなれど”と称され、人間の完成は、肉体(月(ツキ))の健全な発達と精神、心(靈)(ヒ)の完成であるからこそ“仕上げ見て下され”といわれているし、またそれは“何事も神の申すこと聞いて すなほになるのが一等ざぞ”ということでもある。

今述べた人間の完成、それに必須なのが、今の進化過程(霊的成長の過程=普遍的に実在する創造主のオーラとの感応共振の段階)の自我の確立=固定化から“慈悲”と“慈愛”の心(靈)の発現に至る“身魂掃除”“身魂洗濯”“改心”であり、“行”そのものは“身魂磨き”=(生体内電流による)肉体組織の結晶化であり、智性(神性)の“行”は“ひつく”“日津久”=太陽凝視を“行”として行うことであり、最初に艮(うしとら)の金神が示したのは黒住教における朝日の日拝(にっぱい)(太陽凝視の入門、初心者向け)ということでもある。
(だが大半の“日月神示”の解説本やサイトなどにはこのことの指摘が無い。 智性(神性)(“一”、1番目のオーラ)(日を知る性質)の“行”が神格化へのプロセスであるという認識が無いからである)

 それで次に続く“神示(ふで)出ぬ時近ふなりたぞ、神示出なくなりたら口で知らすぞ、神示早う腹に入れぬと間に合はんことになりてくるぞ”は、“早う腹に入れぬと間に合はんことになりてくる”が要で、腹は“江戸と尾張”、自我の発現、自我の強化、自我の肥大=“石屋の仕組み”の意、要は腹における心(靈)の発現と動きであるが、それに“早う腹に入れぬと”は、先の“何事も神の申すこと聞いて すなほになるのが一等ざぞ”である神格化のプロセスを思え、認識せよ、そして体得せよ、ということ。
そして“日月神示”が自動書記で書かれていた段階が終わる、霊媒体質による低い憑依現象の自動書記で“上”が霊的成長を語る、神格化のプロセスを示す手段は“神示(ふで)出ぬ時近ふなりた”であり、これからは高い智性(神性)を持った人、“上”と感応する人、いわゆる霊的成長度が高まった表記の“天詞様”が“上”の思惑を語るようになる、その意味のことを述べているのであり、またこれが低い霊の入り込みやすい霊媒体質を利用したメッセージの伝え方よりも良いカタチであるから“神示出なくなりたら口で知らす”ということになる。

次の“西も東もみな宝あるぞ、北の宝はシホミツざぞ、南の宝はシホヒルざぞ、東西の宝も今にわかりてくるぞ”の“西”“東”の表記は、先の“北”“南”=“上”“下”に対する日足(ひたり)と砌(みぎり)という神の極性のことである。 そしてその極性の顕現も“宝”と称されているし、それはまた、日足(ひたり)=思惑、砌(みぎり)=事象への顕現、要は事象の“創造”ということであるし、人が神の代理として成さなければならないのはこの世界を神の思惑通りにする、それはローム太霊が述べた“何とかしてこの地球を、凡ての人間が不幸から救われて愉快にたのしく暮らせる楽土にしたいという、神自身の本当の気持ち”という文言に顕れているものでもある。

話を戻し、この文の“北の宝はシホミツざぞ、南の宝はシホヒルざぞ”であるが、これも“風止麻邇言霊学(ふとまにことだまがく)”からそれぞれを引用すれば以下のようになる。

先ず“シホミツ”

“シ”は弱き光 と称され、それは次々に出る生命を育む(はぐくむ)意 “慈(しげる)”のシ。
“ホ”は 深き 高き 広き の意、それが備わったさま。(穂=禾(のぎへん)と恵)
“ミ”は生命の幹 その現実。
“ツ”はつづまる(約まる)集う(つどう) 物をまとめ次々その形を変えて次なる新たななる生命を咲かすの意。
 よって“シホミツ”は“創造”の“主(ヌシ)”の振動“シ”が生命(生きる使命=存在理由)と現津(あきつ)、観察され得る事象に止まるように降りるの意であると思う。
 
次に“シホヒル”

“シ”は弱き光 と称され、それは次々に出る生命を育む(はぐくむ)意 “慈(しげる)”のシ。
“ホ”は 深き 高き 広き の意、それが備わったさま。(穂=禾(のぎへん)と恵)
“ヒ”は その音霊こそすべての物の根、ヒフミヨイムナヤコト=一二三四五六七八九十のヒ、ヒト(“日止、霊止”のヒ)。 心(靈)(ヒ)、日、火。
“ル”はチカラの止まり 物の流れ 走る を表す音根 この音根を綴る言霊こそ悉にその終わり又は止まりを示す あるいは霊流凝(ひるこ)の如き生命素を集め凝らすの義。
 よって“シホヒル”は“創造”の“主(ヌシ)”の振動が生命に降りて凝る(自凝(おのころ))している様、またそれは神格化のプロセスの重要な要素のたんぱく質の高分子化による肉体(月(ツキ))の磁極性の強化と変容の結果である“上”との感応といい得る。

 それで第六帖で述べられている“宝”は先に述べたとおりであるし、それが人間にとって真に価値のある何かであるし、要は生命の進化(霊的成長、神格化に向かうこと)ということだが、それがまた“シホミツ”“シホヒル”というカタカナ表記(“上”から視点の表記)でもあるからこそ“此の宝あっぱれ”であり、それが次の事象であり、次の事象を“創造”する生命(生きる使命=存在理由)としての“日止、霊止”、日(太陽の振動)を止める、“上”からの荷電粒子を止める(靈)、でもあり、人=丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)+乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現)でもあるからこそ“この世の大洗濯の宝であるぞ”とも称されているものである。

 今回はこれくらいにしときまんねん。

“日月神示” 磐戸の巻 第五帖 Kellyさん的解釈


今回も、磐戸の巻 第五帖を解釈しまんねん。 原文は以下の通り。

天(あま)さかり地(くに)さかります御代となるぞ、臣民の心の中にいけおいた花火 愈々ひらくとききたぞ、赤い花火もあるぞ、青いのもあるぞ、黄なのもあるぞ、それぞれのミタマによりて、その色ちがふのざぞ、ミタマ通りの色出るのざぞ。 金は金ぞ、鉄は鉄ぞ、鉛は鉛として磨いてくれよ、金のまねするでないぞ。
地つちの軸 動くぞ、フニャフニャ腰がコンニャク腰になりて どうにもこうにもならんことになるぞ、其の時この神示、心棒に入れてくれよ、百人に一人位は何とか役に立つぞ、あとはコンニャクのお化けざぞ。
一月三日、 ローレンツ力と ○ のひつ九のか三。

冒頭の“天(あま)さかり地(くに)さかります御代となる”の“御代”(みよ)という表記は、第四帖にも使われていた。 ちなみに第四帖のその文は“早う洗濯せよ、掃除せよ、磐戸(ゐわと)いつでもあくのざぞ、善の御代来るぞ、悪の御代来るぞ”で、それを以下のように解釈した。

この文の“善の御代来るぞ、悪の御代来るぞ”の“御代”(御世)(みよ)の言葉の意味は、天皇の治世、また、その在位期間の意味がある。 いうまでもなくこの表記の意味は今の形骸の天皇制のことなどではなく、天意を受信してそれをこの世界に顕現する“天詞様”の意であり、その行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)であったりもするだろうが、それが平均的地球人には先に述べたように悪にもうつり善にもうつるものであるの意である。 それは物事の“観察と認識”はその心の霊的成長度により相対的なものである

 それで、この第五帖の文を見ても、“天(あま)さかり地(くに)さかります”との今後=アセンション後の様子を表す表記があるから、“御代”は第四帖と同義のことを示している。
 そして今後=アセンション後の人の様子を示唆したと思える次の文“臣民の心の中にいけおいた花火 愈々ひらくとききたぞ、赤い花火もあるぞ、青いのもあるぞ、黄なのもあるぞ、それぞれのミタマによりて、その色ちがふのざぞ、ミタマ通りの色出るのざぞ。 金は金ぞ、鉄は鉄ぞ、鉛は鉛として磨いてくれよ、金のまねするでないぞ”であるが、この文の“ミタマ”のカタカナ表記(“上”から視線のいい方)の一文字々々を“風止麻邇言霊学(ふとまにことだまがく)”から引用すれば、
“ミ”は、生命の幹 その現実 ヒフミのミ
“タ”は、生命が現れ立つ、建く(たけく)高く成長の音義、進化=霊的成長、神格化に向かうこと
“マ”の行は、有形生命、または正しき生命の音意の音根、まこと神のマ(真固止)
ということになり、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の“道”(時間の進行)“理(ミチ)”(法則性)に沿った心(靈)(ヒ)、生命が、観察する現実(“ミ”)(現津(あきつ)、観察され得る事象)という解釈が成り立つ。
 それでこの文の“花火”そしてそれぞれの色の表記、これは、花火の色を決定づけるのは炎色反応(アルカリ金属やアルカリ土類金属、銅などの塩を炎の中に入れると各金属元素特有の色を示す反応)。 よってでこの文では“臣民の心の中にいけおいた花火 愈々ひらくとききた”と記されており、“愈々ひらくとききた”は時期(時間の進行と宇宙の進行は神のプログラムであり、それを人(日止、霊止)の心(靈)が認識したなら、時期になり、それは電磁波の吸収であるからこそ、磁気でもある)を指した表記なので、今後=アセンション後は“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意が今とは(相対的に)変化して、それが次元上昇(アセンション)の意味合いでもあるが、その振動の違いを個々の心が感じ得るならば、感応するならば、今と違う事象を“創造”するものであるが、感じない、“上”の振動が素通りする低い肉体(月(ツキ))と心(靈)(ヒ)、要は感応しないならば、まったく今と同じ醜い事象を“創造”するもので、そこに霊的成長度の違いというものがある。
 話を戻し、炎色反応、その色の違いを指した文“赤い花火もあるぞ、青いのもあるぞ、黄なのもあるぞ、それぞれのミタマによりて、その色ちがふのざぞ、ミタマ通りの色出るのざぞ”は、個々の肉体(月(ツキ))に含まれている“石”(帯電するミネラル)の違いであり、また“石”(帯電するミネラル)を取り込んだタンパク質の高分子化の違いであり、自分がどう育ったか、どう進化したか、そのタンパク質の高分子化の違いは、自分の持てるエネルギーをどう使ったか、どう贖ったか、どうやって肉体(月(ツキ))を進化させてきたか、それは生業(なりわい)と“行”といえば分かりやすいが、生業(なりわい)と“行”、そして“腑”の電磁誘導=食事により取り込んだ“石”(帯電するミネラル)、その取り込み方、吸収の仕方、肉体組織の作り上げ方(タンパク質の高分子化)、これらの要素が肉体を変化させ“上”からの荷電粒子の取り込みも変化させるもので、また心(靈)(ヒ)の動きが“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)との感応か、“下”(人の霊的成長を望んでいない存在)との感応か、という要素もあるが、そうやって心(靈)(ヒ)は“道”(時間の進行)とともに育っていくものであり、当然そこには同一個体、同一の心(靈)(ヒ)というものは存在しないし、それがこの文の“それぞれのミタマによりて、その色ちがふのざぞ、ミタマ通りの色出るのざぞ”ということであるが、それがまた個々の生命(生きる使命=存在理由)の多様化という“創造”の“主(ヌシ)”の思惑の表れでもある。
(このことは<1>で、「増えることを見るのは喜びである」と、稚拙な表現で示した覚えがある)
(更に、“腑”の電磁誘導という要素が、肉体(月(ツキ))と心(靈)(ヒ)を作り変え、“上”からの荷電粒子との感応の違い、取り込みの違いになるということを鑑みれば、太陽凝視=不食という認識が、とても霊的成長度の低いものであることが分かり、またこの低い認識そのものがその人の霊的成長の妨げにもなる。
またその認識、不食という甘い(亜、魔、出ずる、泉。愛(炁)の間に魔が入った状態を指す)夢、そう思わせること自体が、その人の低い功名心と自尊心に感応する“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)の思惑であり、それはその人の進化(霊的成長、神格化に向かうこと)程度が低く=自我の肥大であるからこそ、感応するものである)
要はこの文の“花火”という表記が、“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)からの荷電粒子の取り込み、そしてアセンションの時期という変化により“上”から送られる振動は今とは変わり、育つということであるが、この言葉そのものがチャクラ(荷電粒子の回転を示す)の意味合いも示す表記でもあると思う。 
そしてこれに続く“金は金ぞ、鉄は鉄ぞ、鉛は鉛として磨いてくれよ、金のまねするでないぞ”も、個々の霊的成長度、個々の生命としての使命、役割、その違いがあるのだということを示唆した言い回しであると思える。

次の“地つちの軸 動くぞ、フニャフニャ腰がコンニャク腰になりて どうにもこうにもならんことになるぞ、其の時この神示、心棒に入れてくれよ、百人に一人位は何とか役に立つぞ、あとはコンニャクのお化けざぞ”の“フニャフニャ腰”“コンニャク腰”“コンニャクのお化け”は固くない物、真固止では無い何か、いい換えれば真実=真固止ではない事象、“誠”(言葉成る、意味は、自分が発振、発信した振動(言葉)が完成する)では無い人=不誠実な人の心(靈)(ヒ)の動きを感じ取れ、いい換えれば“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の心の動きとその進化過程における肉体(月(ツキ))は肉体組織が高分子化していない=“身魂磨き”、(生体内電流による)肉体組織の結晶化をしていないから、この文の冒頭の“地つちの軸 動くぞ”であると思われ、この文の“地つちの軸”は地球の地軸という解釈も成り立つが、やはり肉体(月(ツキ))の意味を持つ土だと思え、それが“軸 動くぞ”であるから、迷うとかそそのかされるとかの心(靈)の動きのことだと思えるし、それを前提に“フニャフニャ腰”“コンニャク腰”“コンニャクのお化け”の表記を見れば意味が分かりやすいと思うし、同様に今後=アセンション後に移行できる“身魂磨き”=(生体内電流による)肉体組織の結晶化した人の意味を感じさせる“この神示、心棒に入れてくれよ、百人に一人位は何とか役に立つぞ”の文の意味もよく理解できるものであると思う。
(ちなみに“心棒に入れてくれ”は、肉体(月(ツキ))の磁束の強化により“上”の振動を自分の心(靈)(ヒ)により取り込むことであり、“この神示”は、“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)からの荷電粒子そのもののことである)

 今回はこれくらいにしときまんねん。

Kellyさん、Nominyanと“憑き物が落ちた”ということについて論じながらSenyapooと歌いまくる!! “その二”


Kelly 会話中 この間KellyさんはNominyanはんとSenyapooはんの二人と例の公園で会い、Nominyanはんと“憑き物が落ちた”と認めうる変化について話し、そのあとSenyapooはんともいろいろ話をしましてんな。 今回はその時のことを紹介しまんねん。

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Nominyan 会話中 「こんにちはKellyさん」 
Senyapoo 会話中 「こんにちわわ ∪・ω・∪ なのだイモ」

Kelly 会話中「こんにちはでんねん」

Senyapoo 会話中「Kellyさん、前回Kellyさんと会ったときSenyapooは
おかんとKellyさんがSenyapooの理解を超えるむずかしい話をするときは、この公園の近所を自転車でうろうろすることにするのだイモ。 それで話が終わったらKellyさんとおかんとSenyapoo三人でまた歌を歌いたいのだプ~
って言ったとおり、今から自転車に乗って公園の周りを走り回るのだイモ。 
それでKellyさん、おかんとKellyさんの難しい話がすんだら、Senyapooの質問に答えて欲しいのだイモ」

Kelly 会話中「Senyapooはんの質問? …どんな質問でんねん」

Senyapoo 会話中「“どんな質問でんねん”って質問に答えるのは難しいのだイモ。 とにかく質問するから答えて欲しいのだイモ。 
それでは野生児Senyapooは歌を歌いながら自転車に乗って公園の周りを一周してくるのだプ~」



Senyapoo Kellyさんから遠ざかる


Nominyan 会話中「すみませんKellyさん、Senyapooはいろんなことを考えるようになってきているのです。 
前回、わたしとSenyapooが先生の影響を受けているって話をしましたよね。 
その時Senyapooが、
Senyapooだって先生のギャグ好きだけが似てきただけでなく、先生といろんなこと話して、一年生の時のSenyapooはこんなだったけど今はこんなだとか、良かったことや悪かったことを自分で考えることが出来るようになってきたのだイモ。
 それは先生流にいえばSenyapoo自身の自己観察で、もっとむずかしい言い方なら自省(胸の磁性“十”)の心(靈)の動きだってことなんだプ~

って言っていたように、一人でいろんなことを思ったりするようになってきているようなんですよ。 
それと、私のいない所で先生と二人っきりでいろんな話をしているようですし…多分それもあって、Senyapooとしては、先生と沢山の話をしたKellyさんにいろんなことを訊いてみたいと思ったりしたのかもしれませんし、また子供同士で話すようなこととは違う話を、身近な大人であるKellyさんとしたがっているのだと思うのです」

Kelly 会話中「そうでっか。 
そやからそれはSenyapooはんの成長に伴うことやし、ほんでから先生と話してるんやから普通の小学五年生とは違う考えを持ったりもするやろし…Senyapooはんの質問に答えるのはとても大事なことやな」

Nominyan 会話中「すみません、よろしくお願いします…っていっても、Senyapooが何を訊ねるのかは分からないのですが…」

Kelly 会話中「まあよろしいやおまへんか。 先生とSenyapooはんは大親友やって前に聞いたみたいにKellyさんもSenyapooはんと大親友になりたいやんか。 
そやからKellyさんはSenyapooはんといろんな話をしてみたいでんがな」

Nominyan 会話中「ありがとうございます。 

 それでは前回話していた続きみたいなことなんですが、“憑き物が落ちる、落ちた”って認めうる変化は相対的なことだって話をしましたよね。 
その相対的変化の観察を分析するには、まずは“憑き物が憑く”ってことの分析から始めるのが妥当だと思うのですがいかがでしょうか」

Kelly 会話中「そうやな。 憑き物が憑くってことの分析がきちんとできていないとあきまへんな。 
そやからそれはこの間Nominyanはんが言うてたみたいに、
“憑き物が落ちる”あるいは“憑き物が落ちた”っていうのは、その人の心(靈)の動きや行動が変わってきたことを指す、そしてそれはその人以外の観察によるところの言い回しでもある
それと
この言い回しは、憑き物が憑いてその人の心(靈)の動きが変わったって印象を与えるけど、憑き物はいつも何かしら憑いているもの
それと
人の心(靈)の動きに応じて憑いたり離れたり、いい換えれば感応したりしなかったり…中略…いつでもどんな時にでも霊的干渉っていうのは起きている
ってことが大事やし、またそれは大概の人の既成概念にはない認識でもあるから=“一般の人の知らないこと”でもあるやん。
そやけど、前回Nominyanはんが話したことの一部をちょっと考えるだけでたくさんの分析が必要になってくると思いまんがな。 だいたいこのテーマ自体が心(靈)(ヒ)の動きの話になってくるやろし…そやからいろんな話をせんならん感じやな」

Nominyan 会話中「そうですね」

Kelly 会話中「ほんでから今言うてたみたいに、憑き物が憑く、それはその霊的存在、憑き物が憑くっていうのは、人の心の動きによるってことも一般にあまり認識されていない感がありまんな」

Nominyan 会話中「それはありますね。 
自分の心(靈)の動きや行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)に霊的干渉があること自体が平均的地球人の霊的成長度の人は…いわゆる一般の人たちはその認識があまりない。 
またそれ以前に、私たち人は肉体(月(ツキ))を持っっている心(靈)(ヒ)であるという認識も自覚もあまりない。
要は、ほとんどの人が霊って何か、どういうものなのか、それを知り得ないし、しっかり知ろうとする姿勢も足りない感がある…だから霊って言葉や霊的な事柄をもてあそぶインチキ霊能力者の商売のカモになったり、えせスピリチュアリストなどの言葉を信じたりもする。
話がそれてますが、これはいつも先生が腹を立てていることだし、私もこの“役員づら”(形骸の宗教や、アセンションや霊的成長に対し、甘い夢を見させ偽の情報を流すたぐいの人たち…それは悪魔の傀儡(かいらい、くぐつ)に相当するか、あるいは霊的成長度が低く、えせスピリチュアリストとかの話のパターンであるただ霊って言葉を使ったりオーラって言葉を使ったり…そういった“役員づら”に、だんだんなっていく人たちに対して不快に感じてますし…それはKellyさんもそうでしょうけど。
要は霊に対しても無知、自分たちが肉体を持った心(靈)(ヒ)であるということに対しても無知。 
また心(靈)(ヒ)が育っていく過程で私たちは肉体(月(ツキ))を持って生まれているなんて認識もないし、霊的成長なんて言葉もえせスピリチュアル本とか目立ちたいだけのサイトとかで使われてますが、本当のところどれくらい解っているのかも疑問ですね。
要は、ほとんどの人が霊的に低く、霊的なことに深い分析や認識を持っていない。
だから、何か良くないことが起きたりするとなんでも憑き物とか霊とかのせいにしたりっていう程度の低い自分に甘い(亜、魔、出ずる、泉。愛(炁)の間に魔が入った状態を指す)人も多いですね。

話を戻します。

それで“憑き物が落ちる、落ちた”って言い回しはその人の心の動きや行動を見てその人以外、要は他者がそう感じ(感じる磁性)うる変化であるということですけど、今Kellyさんがおっしゃった
霊的存在、憑き物が憑くっていうのは、人の心の動きによるってこと
それと、先生が今まで考え分析してきた憑き物が憑く仕組み、いい換えれば感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)の仕組み、その根拠みたいなこと、それは、肉体(月(ツキ))っていうのは物理的にコンデンサーの構造を持っていて、霊的存在は霊だから荷電粒子の回転であって、霊が空間に場(フィールド)を持っていて、当然電気容量を持っているから肉体に入り込まれるものでもある。 

だから憑き物が憑く、これは霊的干渉っていうことだけど、今言った入り込まれること、このことを理解するにとても分かりやすい例が、先回ちょっと話題になった犯罪を犯すケースでもありますよね」

Kelly 会話中「そのとおりでんな。 先ずその話をしてみたらエエかもしれん。

そやから犯罪っていうのんは悪霊の憑依があり、憑依された人が自らの善悪を判断する心の動きを見失うほど入り込まれるってケースがままある。 それは○○○大先生の著書にいくつか具体例を挙げて書かれていることやな。
ほんでからそのケースは、前回話題になったように霊媒体質でもあるし、さらに“一”=智性=1番目のオーラをあまり持った心(靈)(ヒ)ではないから、自分の良心由来の行動の選択も出来ていないっていえる。
そやから、犯罪を犯す過程で“善(神格化の方向性と智性の受信)”の存在である“上”からの通信も送られていたやろけど、それを見極めて自分の行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)の指標に出来なかったといえるやんか。 
さらにそれはすごく程度の低い右往左往=やってみてから失敗を体験したって認識するってことでもある。
その程度の低さ…そやからそこには霊的成長度における憑依、憑き物が憑くってことの分析が必須ってことでもありまんな」

Nominyan 会話中「そうですね。 
いわゆる霊的成長度、これは憑かれる方の人間と憑く方の霊の振動が違いすぎると感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)しにくく、双方が影響しにくいってことでもある。 このことを分かりやすい言い方をしたら、憑依する存在と憑依される人の心(靈)(ヒ)の動きが近い、同じような心(靈)の動きになっていなければ感応ってことにはなり得ないのだし…それで今話していた犯罪を犯すケースは、当然、犯罪者が智性(神性)をあまり持っていないか、智性(神性)を行使した心(靈)(ヒ)の動きをしていない。 
当たり前のことですが、智性は神性だから人を害するって行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)の根拠となる心(靈)の動きではない。 
これははっきり言えることですね。
だから智性(神性)(“一”、1番目のオーラ)(日を知る性質)を持った人、智性=神性由来の心(靈)の動きと行動をする人は“下”(人の霊的成長を望んでいない存在)と感応しにくいってことでもある。
また、人が進化(霊的成長、神格化に向かうこと)すればするほど犯罪なんてものは無くなり、その概念や言葉自体も消失するのでしょうし…そうなっていく…そういう世界になっていく…そういった世界を創っていく心(靈)(ヒ)の持ち主だけになっていく…そのステップを歩むのが、霊的成長度において区分けされること。 
それが霊的成長度に応じての“道”の違いってことになり、間もなく地球人が体験するアセンションって事象でもある」

Kelly 会話中「その通りやな」

Nominyan 会話中「ですけど、仮に、うんと高い振動を心(靈)(ヒ)に獲得(“日止、霊止”の止める)して、霊的成長してどんなに智性(神性)(“一”、1番目のオーラ)(日を知る性質)を持った人間でも、必ず目下(めした)(動物の心(靈)の段階)の心は持っているし、その低い振動で構成された心(靈)(ヒ)の動きもある。 
今Kellyさんがおっしゃっていらした“良心由来”の心(靈)の動きと““善(神格化の方向性と智性の受信)”の存在である“上”からの通信
を、自分の行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)の指標にしなかった。
 要は、目下(めした)(動物の心(靈)の段階)由来の心(靈)(ヒ)の動き、欲望とか情動、犯罪を犯すケースは恨みとか妬みとか…色々ですが、
これらの低い心の動きを自制する要素とかになるし、それがまた智性という高い振動で構成された心(靈)(ヒ)でもあるでしょうから。 
また、自らの良心を自分が無視していたとか、これは“上”からの通信を無視していたのに等しいことですね。 
 それは、その犯罪を達成させようとする存在の通信を自分が受け入れていることになっている分かりやすいケースですし、自分がその存在の通信を受け入れその通りにするのは自分の“どういうつもり”でもあるけれど、それは高い心(靈)の動きではありませんね。 
ですから、その受け入れ、いわゆる“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)からの通信を受け入れるか、“下”(人の霊的成長を望んでいない存在)からの通信を受け入れるか、これは自分(の心(靈)(ヒ)の動き)が決めることでもある。
またこのこと自体、自分の心(靈)(ヒ)に高い部分と低いそれがあることを知るってことにもなるのでしょうし。
でも、結局、犯罪っていうのは、右往左往=やってみてから失敗を体験し、左往右往=失敗を体験し、それを教訓として“力”の顕現(砌(みぎり)の行)をするってことになるし、この場合、失敗して、自らの犯罪が白日の下にさらされたりして、そのこと事態を自分が自省(胸の磁性“十”)してから、それから良心由来の思想や行動をするとか、いわゆる“善(神格化の方向性と智性の受信)”を意識することでしょうけど、これが智性(神性)の獲得ってことにもなり得るし…またそれは霊的成長の過程でもあるのでしょうけど、その心の動きに応じての憑き物の変化、憑き物の高低、“上”“下”の変化もあると思えますね。

 それで、善悪の概念すら無い動物から進化してきた人間は、目上(めうえ)の脳を発達させて“一”=智性=1番目のオーラを大きくしようとしている。 
それが犯罪者の場合は、自分の犯した行為を恥じ、自省して悩み、もう二度と同じことはするまいって自分で決心するくらいの心境になる…ですけどこれは、死んでから地獄で閻魔の庁の浄玻璃の鏡(えんまのちょうのじょうはりのかがみ)を見て自省(胸の磁性“十”)するっていう今論じてることとは違うケースになり得ることも多いですけど…」

Kelly 会話中「そういうケースもありまんな。 
この世界で自省できなかった心(靈)は必ず自省(胸の磁性“十”)の“行”をさせられるっていうか、これは進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の必然でもあるってことやし、この具体例は今Kellyさんが解釈しているローム太霊講話集に書かれていることでもある」

Nominyan 会話中「そうでしたね。 
それで、死んでから自省(胸の磁性“十”)するケースは別にして、生きている間にしか、肉体(月(ツキ))っていうコンデンサーをまとった心(靈)(ヒ)にしか“憑き物が落ちる、落ちた”っていうケースは適用されないでしょうし…また死んで肉体が無いからこそ肉体(月(ツキ))に憑依するとか入り込むとかの影響はなくなっている。 それだからこそ自省(胸の磁性“十”)しやすいってこともいえますね。
それで、今話していた程度の低い左往右往=失敗を体験し、それを教訓として“力”の顕現(砌(みぎり)の行)をするってことになるのは、やはりKellyさんがおっしゃった“進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の必然”でもあり、自我の肥大から“慈悲”と“慈愛”の心(靈)の発現の過程ってことでもある」

Kelly 会話中「その左往右往がまた霊的成長の重要な過程でもありまんな。 
ほんでから何かをやってみようっていう心の動きは、右往左往右往で、肝=“いきり立つ心(奴と心)”で砌(みぎり)の極性(事象への顕現)をしようとする心(靈)(ヒ)の動きでもあり、またそれは“どういうつもり”で行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)をするのかってことでもある。 また自分の持っている“力”(力、知恵、知識…学問…能力、そして霊能力を含む)の行使ってことでもある。
 そやけど、“力”をあまり持っていない、これから“力”を獲得する、その過程っていうのも重要やな。 
それはその心が育っていく過程やし、また育っていく過程においての憑依現象っていうのもある。 
そやから自らが何かを志して何かをなそうとする。 これは“思惑の顕現”=現象化でんな。 
ほんでからその過程っていうのか、いわゆる心(靈)の動きの様子、そして行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)、それぞれについて、その時々の霊的干渉、憑依っていうのんは、今話していた犯罪とか、他にも具体例はたくさん考えられることでんな」 

Nominyan 会話中「そうですね。 
 犯罪だけではなく様々な具体例を挙げ、そこにおける心(靈)の動きと憑依、感応、これらを分析し、そして人の一生における進化のプログラムである右往左往と左往右往を知る。 
 このことは重要ですね。 
そしてそれ自体が霊的成長に伴う心(靈)(ヒ)の変化、そして心(靈)の変化に伴う肉体(月(ツキ))の変化を知ることでもある。
いい換えれば、どの部分のチャクラ(荷電粒子の回転を示す)の強化になっていくのかでもあるし、その行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)が2~3番目のオーラの獲得の“行”か、“一”=智性=1番目のオーラの獲得の“行”か、それを知っていくことにもなり得る…。

…話が佳境に入ってきましたが…もうすぐSenyapooが公園の周りを自転車で走ってきて帰ってきそうだから、次回、Kellyさんとこのことを話題にしたいですね」

Kelly 会話中「…そうでんな(深い話になっていきそうやな)。
ほんでから噂をしたらっていう感じで、Senyapooはんの元気な歌声が聞こえて来ましてんな」

♪♪♪イ~モを~~食べるSenyapoo~~♪♪♪
(注  Senyapoo 会話中 笑顔 この歌の元ネタはこれだイモ)



Kelly 仰天中「…ひねりのないそのまんまの歌やけど、一回聞いたら一生忘れそうもない替え歌でんな」

Senyapoo 会話中 笑顔 「Kellyさんに褒められたからもう一曲歌うのだイモ!!」

♪♪♪イ~モイモイモイモ娘♪♪♪
♪♪♪イモイモ~ ♪♪♪イモイモ~ イモ~娘~♪♪♪




Kelly ビックリギョ~~テン! 「…これまたそのまんまの替え歌やけど…これも一回聞いたら忘れられへん感じや…ほんでから今の二曲もSenyapooはんとKellyさんは一緒に歌わんとアカンのでっか?」

Senyapoo 会話中「当然なのだプ~。 
でもその前にさっき言ったみたいにSenyapooの質問に答えて欲しいのだイモ」

Kelly 会話中「承知しましてんな。 何でも質問してチョ~でんねん」

Senyapoo 会話中「実はこの間、友達と自転車に乗ってうちの近所の公園へ行き、そこで遊んでいた時、公園の近くに止めておいたSenyapooの自転車に付けていた取り外し可能のLEDサイクルライトを盗まれたのだイモ。 
そのことを先生に報告したら、先生は代わりのLEDサイクルライトを新しく買って用意してくれたのだけれど、そのとき先生は、
盗む奴は盗む奴の勝手な事情や心の動きで盗むのだ。 だから自転車を止めてそこからはなれて遊ぶときはLEDサイクルライトをはずしてSenyapooが持っていなければいけないよ
って言っていたのだイモ。 
それで先生が言ってた“盗む奴は盗む奴の勝手な事情や心の動きで盗むのだ”この言い方自体がSenyapooにはなんとなく分かるような分からないようなことなのだイモ。
なぜ悪いことをする人は悪いことをするのか、誰だって正しいとか悪いとかって知ってるはずなのになぜ盗むのだイモ。
それにテレビでニュースとか見ていると、悪いことをする人間はたくさんいるってSenyapooは思うのだイモ。
 Kellyさんに訊ねたいのは、それはなぜなのか、正しいとか悪いとか知っているはずなのになぜ悪いことをするのかってことだイモ…Senyapooには分からないのだプ~」

Kelly 会話中「そうでっか。 そやけど先生の言うた“盗む奴の勝手な事情”っていうのはSenyapooはんには分かるんやないかな」

Senyapoo 会話中「それはただ何かが欲しいから、自分の都合だけ考えて相手の迷惑なんか考えずに盗むってことなんだと思うのだイモ。
 それでSenyapooが分からないのは、盗んだ人が盗むときに盗むことが正しいのか間違っているのか、それを考えないのかってことなんだイモ」

Kelly 会話中「そうやな、問題はそこにありまんな。 
要は、善悪とか正しいとか悪いこととかの区別を知っていても、それを実際の行動に活かさない人間が多いってことなんやけど、そこにSenyapooはんの疑問があるってことなんやな。 
 この答えはちょっと難しいことを説明せんならんな…。
そやから人間っていうのは誰もが一緒ではない、考えること、思うこと、やること、それぞれ違うやんか。 
ほんでから人によっては、これは悪いことだって知っていても悪いことをする。 
それは、自分が悪いことをしてもそれはそれでよいのだとか勝手なことを思ったりする。 それが先生が言うた“盗む奴の勝手な事情”ってことなんやけど、そこには今Senyapooはんが言うたように“盗むときに盗むことが正しいのか間違っているのか、それを考えないのか”ってことがあり、結局それは自分の勝手な都合が勝って正しいとか悪いとかの考えを自分で抑え込んでしまうから、盗んだりするってことになりまんねんな。
ほんでからSenyapooはんがこのことを疑問に思うのは、Senyapooはんが誰もが正しいことをするって思うからってことなんやけど、実際はそうではなく、悪いことが分かっていてもそれをやってしまう人間は多い。 
それは、その人の心が善悪を言葉でしか知らんってことやし、またこのことはSenyapooはんが先生の本を読めるようになると分かるやろけど、人(日止、霊止)としてある程度、神さんに近いか、まだ動物的なのかっていう違いがありまんねん。
そやからそれは、動物っていうのんは善悪が分からん。 そやけど人間は善悪を知っている。 
その善悪を知ったこと自体が、人が神さんへの道を歩んでるステップってことなんやけど、そこに程度の差があるってことでんねん。 
またそれは動物と人間の違いともいえるし、ほんでから同じ人間でも、さっきいうたみたいに悪いことと知っていながら悪いことをする人もいてるもんでんねん。 
それが神さんへの道のステップ、どれくらいの段階の違いってことなんやけど…そうやな…Senyapooはんに分かりやすい説明をするならば、その程度の差っていうのんは、幼稚園と小学生くらいの差があるってことでんねん。 そやから自分が“善悪”(神格化と、動物化=心の本能化)ってことを知ってても悪いことをする人間はいてるっていうことなんやけど…Kellyさんは説明が下手でんな…すんまへんな」

Senyapoo 会話中「…分かったような分からないような…人間のやること思うことにいろんな違いがあるってことは理解したのだプ~。 こういったことは、Senyapooがもう少し野生児から女の子になり大人になったら分かるのかもしれないのだイモ。
 また疑問がわいたらKellyさんにいろいろ聞くからこれからもよろしくなのだイモなんだプ~」

Kelly 会話中「そうやな。 そやけどLEDサイクルライト盗まれて腹立ったやろ」

Senyapoo 会話中「Senyapooはとても良い子だからそんなことで自分を見失うほど怒ったりはしないのだイモ。 
それに大体、SenyapooがLEDサイクルライトをはずさなかったのもいけないのだし、 だから盗まれたってことも分かるのだイモ。 
これからは先生に言われた通り自転車を止めた時LEDサイクルライトは外してポケットにでも入れておくのだイモ。 
それでSenyapooは、こういう自省(胸の磁性“十”)の心をちゃんと持っているのだプ~。
 それとSenyapooは、ものすごく腹が立ったときとか、悲しいときとか、悩んでいる時とか、そういう時には先生に教えてもらった歌を歌うのだイモ。 
今からその歌をKellyさんに教えるから、おかんとSenyapoo、Kellyさんの三人で歌うのだイモ」
(Senyapoo、Kellyさんにゴニョゴニョゴニョと内緒話をして歌を説明する)

Kelly 会話中「…なかなか結構な替え歌でんな。

(平静を装っているKellyさんではあるが、本当はこの歌を歌わなければいけないKellyさんの心境はこんな感じ Kellyあっちょんぶりけ 文章用 ) 

…それでは三人で歌いまっか」

Senyapoo 会話中 笑顔  Kelly ニコニコ顔 Nominyan 会話中 ウィンク
   

♪♪♪苦しくったって~~悲しくったって~~♪♪♪
♪♪♪イモさ~え食べれば 平気~だもん♪♪♪
♪♪♪エロジジイが~♪♪♪台所でイモ料理を始めると~♪♪♪
♪♪♪むねがはずんで~おなかがすいちゃう~わ~♪♪♪
♪♪♪じゃがいも♪♪♪サトイモ♪♪♪サツマイモ♪♪♪
♪♪♪イモイモイモイモイモ娘~~♪♪♪

(セリフ)

だけど…おならがでちゃう…イモ娘だもん


(この替え歌の元ネタ)



Kelly 仰天中 (いつものことやけど…疲れてしもたわ…)

Senyapoo 会話中 笑顔 「Kellyさん歌ってくれてありがとう」
Nominyan 会話中「それと、Senyapooの質問に丁寧な説明をしてくださってありがとうございました。 
それで…Senyapoo、Kellyさんは今の歌でとても疲れた様子だから、さっきSenyapooが歌っていた二曲を歌うのはまたの機会にしたらどうかな?」
Senyapoo 会話中「分かったのだイモ。 SenyapooはKellyさんのことを気遣いおかんのいうことも素直に聞くとても良い子なのだイモ。
だからKellyさん、また今度会った時に歌を歌ってねなのだプ~」

Kelly ドン引き中 「…承知しましてんな。 そやったなら今日はこれくらいにしときましょか」

Nominyan 会話中「そうですね。 それでは失礼しますね」 Senyapoo 会話中 「またね~だイモ」

“日月神示” 磐戸の巻 第四帖 Kellyさん的解釈


 今回も、磐戸の巻 第四帖を解釈しまんねん。 原文は以下の通り。

この方この世のあく神とも現はれるぞ、閻魔とも現はれるぞ、アクと申しても臣民の申す悪ではないぞ、善も悪もないのざぞ、審判(さばき)の時来てゐるのにキづかぬか、其の日 其の時さばかれてゐるのざぞ、早う洗濯せよ、掃除せよ、磐戸(ゐわと)いつでもあくのざぞ、善の御代来るぞ、悪の御代来るぞ。
悪と善とたてわけて、どちらも生かすのざぞ、生かすとは神のイキに合すことぞ、イキに合へば悪は悪でないのざぞ。この道理よく肚に入れて、神の心 早うくみとれよ、それが洗濯ざぞ。
一月二日、ローレンツ力と ○ のひつ九のか三。

 冒頭の“この方”という表記については“上”と感応した心(靈)(ヒ)、あるいは天意が顕れた行動や思想であると今まで解釈してきた。 
それが今の事象では“この世のあく神とも現はれる”=今までの平均的地球人の価値観や幸福感を打破する役目を担っているの意であるし、それを強調する意味で“審判(さばき)”をする役目の“閻魔とも現はれる”であり、また“アクと申しても臣民の申す悪ではない”ということになるし、さらに、“審判(さばき)の時来てゐるのにキづかぬか、其の日 其の時さばかれてゐるのざぞ”と述べられ、これはどんな時も何をしていても“上”は必ず人間を観察して認識している(天の御目(あめのおめ))という意味合いのことも感じるものである。
今述べたことを思う根拠として、これまで述べてきたとおり平均的地球人の霊的成長度は自我の確立=固定化であり、その心の動きは自我の肥大中心であり、それが“石屋の仕組み”であり、その価値観や幸福感由来の行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)は、恨みの連鎖の霊的干渉を生み出したり増大させたりしているし、それが普通、それが当たり前、そういった既成概念を大半の人が持っているものであり、自分たちがいかに神の“創造”から外れた心(靈)の動きをしているのかについて考えていないし気づきもしないか、あるいは神の思惑に沿っていないことを知っていても多少の“善悪”(神格化と、動物化=心の本能化)は無視するっていうのが一般的、だからそれはぶち壊されるものであるし、低い価値観で作り上げられた物は今崩壊しかかっているものでもある。 
またこのことを体験しなければ、“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の進化過程の人間は自省(胸の磁性“十”)しない。 だから“神の咎め”として今の文明は崩壊するということである。
 
ちなみに“この方”という表記で印象に残っているのは、天つ巻 第二十六帖で、それは以下の文である。

“この方はオホカムツミノ神とも現はれるのざぞ、時により所によりてはオホカムツミノ神として祀りて呉れよ、青人草の苦瀬(うきせ)なほしてやるぞ”

 この文の意富加牟豆美神(オホカムツミノカミ)と“青人草”(あおひとくさ)についてはすでに説明済みだが、平均的地球人の進化から“上”に向かう表記の意味を示されておりとても重要なのでその意味を示した画像を以下に貼る。


“青人草”(あおひとくさ)の解字



意富加牟豆美(オホカムツミ)の解字



  この二つの言葉に、人の進化(霊的成長、神格化に向かうこと)、神の思惑の顕現、天意の受信の秘密、その仕組み、などを読み取って欲しいものである。

 それで次は“早う洗濯せよ、掃除せよ、磐戸(ゐわと)いつでもあくのざぞ、善の御代来るぞ、悪の御代来るぞ”であるが、この文の“善の御代来るぞ、悪の御代来るぞ”の“御代”(御世)(みよ)の言葉の意味は、天皇の治世、また、その在位期間の意味がある。 
いうまでもなくこの表記の意味は今の形骸の天皇制のことなどではなく、天意を受信してそれをこの世界に顕現する“天詞様”の意であり、その行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)であったりもするだろうが、それが平均的地球人には先に述べたように悪にもうつり善にもうつるものであるの意である。 それは物事の“観察と認識”はその心の霊的成長度により相対的なものである。
だから“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)の“思惑の顕現”=現象化は程度の低い人には悪に見えたり善に見えたりするっていうことだが、それは“創造”の“主(ヌシ)”の計画だから絶対に顕現されるべきことであり、その意味で次の文の“悪と善とたてわけて、どちらも生かすのざぞ、生かすとは神のイキに合すことぞ、イキに合へば悪は悪でないのざぞ。この道理よく肚に入れて、神の心 早うくみとれよ、それが洗濯ざぞ”の“どちらも生かすのざぞ、生かすとは神のイキに合すことぞ、イキに合へば悪は悪でないのざぞ”に示されている通り、“上”と感応すれば程度の低い人間が“神の咎め”を受け、そのことを悪だと都合の良い解釈をしようがそれはその程度の低い人間が自省(胸の磁性“十”)して進化(霊的成長、神格化に向かうこと)するには必須のことであるし、程度の低い人間には“神の咎め”を受け自省(胸の磁性“十”)する過程は成長のための試練であり、どうやっても避けられないことであることを、蛇足になるが強調しておくし、このことが理解できていれば“神のイキに合す”と“イキに合へば悪は悪でない”の意味は天意、あるいは“創造”の“主(ヌシ)”の発振、発信であると理解できると思う。 
そしてその“イキ”に“合す”“合へば”になるには、“神の心 早うくみとれよ、それが洗濯ざぞ”の文に示されている通り、今までの価値観や幸福感を低いものと認識し、“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の心の動きを“下”(低い心(靈))と認識する“身魂掃除”“身魂洗濯”“改心”が必須。 
またそうなっていけば“磐戸(ゐわと)いつでもあくのざぞ”といわれている通り、今までの“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”が創りあげた恨みの連鎖の霊的干渉に満ち満ちた闇の世界が、日の出の巻の日の出の表記の意味であるアセンションにより、神の思惑が顕現されうる事象に移っていくの意であるが、それには重複するが“早う洗濯せよ、掃除せよ、磐戸(ゐわと)いつでもあくのざぞ”の“身魂掃除”“身魂洗濯”“改心”が必須である。

今回はこれくらいにしときまんねん。

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 Kelly & ○○○大先生

Author: Kelly & ○○○大先生
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Kellyさんと○○○大先生は、
このブログを書いている○○○の、
心(靈)の二面性であり、
同一人物で有る事を、
お断りしておきます。

出版の告知

四冊目&五冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈4〉
智性無き心は
悪を容認する


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈5〉
智性無き心は
アセンションを見誤る

 この二冊は、同時発売です。
太陽凝視を行っている鍼灸師の話 <4> 智性無き心は 悪を容認する & 太陽凝視を行っている鍼灸師の話 <5> 智性無き心は アセンションを見誤る サムネイル
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2010年 4月20日(火)ごろより、全国書店(紀伊國屋書店・三省堂書店・旭屋書店・ジュンク堂書店・ブックファースト・リブロ・丸善など)にて順次陳列。


発売中の三冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈3〉

神格化のプロセス
目上(めうえ)と目下(めした)


神格化のプロセス 目上と目下 縮小版 ブログ用
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発売中の二冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈2〉

ローム太霊の教え
日足(ひたり)と砌(みぎり)


サムネイル太陽凝視を行っている鍼灸師の話〈2〉ローム太霊の教え 日足(ひたり)と砌(みぎり) 
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発売中の一冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈1〉

ローム太霊との出会い


太陽凝視を行っている鍼灸師の話〈1〉ローム太霊との出会い
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“日月神示” 上つ巻 (42)
“日月神示” 下つ巻 (38)
“日月神示” 富士の巻 (26)
“日月神示” 天つ巻 (30)
“日月神示” 地つ巻 (36)
“日月神示” 日月の巻 (68)
“日月神示” 日の出の巻 (23)
“日月神示” 磐戸の巻 (21)
“日月神示” キの巻 (17)
“日月神示” 水の巻 (36)
“日月神示” 松の巻 (30)
“日月神示” 夜明けの巻 (26)
“日月神示” 雨の巻 (18)
“日月神示” 風の巻 (15)
“日月神示” 岩の巻 (11)
“日月神示” 荒の巻 (27)
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2005年10月1日~2008年1月15日まで、
“Kellyさんとの会話”で、説明して来た事・・・
その内容・・・それは・・・その何年も前から、
何か自分の考えをある程度公表しなければならない・・・
そう言う通信を受け・・・その理由は・・・地球人が低い心(靈)の発現しかしていない・・・
それを自覚していない人が多い。
その事由来の太陽凝視に対する認識、
(太陽凝視=不食・・・としか、認識させない存在の思惑を、受信している事)
霊的成長に対する認識、
神に対する認識、
心=靈に対する認識、
オーラに対する認識、
そして、
高い認識の上での進化の意味と幸福の概念と神の概念・・・
進化=霊的成長=神格化=(相対的に)高い認識を獲得する事・・・
霊的成長=神に近づく事=真の幸福の意味。
霊的成長度は1番目のオーラに顕れる。
よって、宇宙的プログラムにより次の段階に移行する人(日止、霊止)は、 何を考えるべきなのか・・・
そして、人(日止、霊止)の進化を阻む存在の思惑、
その心=靈の動き、それらの意図・・・それが一般に認知されていない事。
それらを伝えなければ成らない・・・そして一応・・・完結はしたのですが・・・
解り難い・・・理解しがたい・・・具体例を示して欲しい・・・そう言う感想も頂き、
そして自分なりにも説明が足らなかった事・・・
更に、
“Kellyさんとの会話”が完結してからも通信を受けている事・・・そう云う事もあり・・・
よって、このブログを立ち上げる事としました。
従って、
“Kellyさんとの会話”が、
自分の意見を述べる上での、ローム太霊の言葉、
“右往左往”(“いきり立つ心(奴と心)”で行動してから考える)・・・と、 するならば、 このブログはアタシ自身の、
“左往右往”(“思う、憂う”・・・体験を教訓として考え行動する)の、
作業になって行くと思います。


太陽凝視を行っている鍼灸師の話 “総括編”
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自分達の欲望を満たしたい… 
自分だけ幸福になりたい…
こういった進化程度の低い心(靈)の発現由来の思いが、
低い幸福の概念になり(目下(めした)の思い)
その結果が、飢餓貧困、戦争の原因になったりしています。
(子供の浮游霊の霊的干渉の影響を受け、 それがどんどん増して行く事等が、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)
の思惑だと 思えます)

恨みの連鎖による霊的干渉を増やさない為、
その解消の為にも、(この趣旨に反する類の物もありますが) クリックをお願いします。
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