“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話

太陽凝視を一生涯の“行”とし(現在、44年目)、実践し、その上で獲得した認識を述べています。

Kellyさん、爆睡中に、A野さんの愛犬たち登場!…夢の中で、人間に見られる習性について、犬たちと論じる。 “その十五”(人間じゅんいち君、“ほんとう”について鑑(かんが)みる)

Kelly 会話中例によってKellyさん爆睡中なんやけど、今回のKellyさんの夢は、じゅんいち君が一人でいろいろ考えてるっちゅうありがちな展開でんねん。 これを読んではる人にはあしからずご了承くださいでんねん。

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犬じゅんいち君 人間になって会話中 前回“ほんとう”について○○○大先生やKellyさんが語ってくれたこと、僕たち人間(僕はもともと犬だけど)が、事象を観察して“ほんとう”や“ほんとう”では無いと感じること、そう認識しうること、それ事態が相対的なことだってKellyさんは言っていた。 それは僕もそう思う。

そして、先回僕が述べた“ほんとう”に対する対義語の“うそ、ごまかし、にせもの、いつわり、まちがい”これが台頭しているのが、例えばセブンちゃんに出会った頃の僕、あるいはそれ以前の僕、自分の低い欲望を充たそうとしているから“うそ、ごまかし”みたいなことを言ったし、また“にせもの、いつわり、まちがい”の価値観が自分の心を占めていた…そしてそれは、今の大半の人間もそうなんだろう。
 
それは“ブタのけつを見ているアホ”であるし“ブタのけつ”に価値があると思う“アホ”だからだ…。 
また“ブタのけつ”が“ほんとう”だと思い込んでいるからだ。 

そして自分が“ほんとう”だと錯覚している“ブタのけつ”以外に“ほんとう”を探さない、求めない、見出そうとしない“アホ”…それは○○○大先生が言っていたことの

“上”の思惑を真に固く止めるのが霊的成長度の高さを示すものであるし、また、真実=真固止、そして古神道の“修理固成”(しゅうりこせい)というのも、霊的成長して真実の世界を顕現せよという意味を感じ取れる

この言い回しの中の“霊的成長度の高さを示す”という言い方、これは人間が神に近くなる、近くなったならば…ということと同義なんだろう。 
だからこそ思うこと…人間が今より相対的に神に近くならなければ“ほんとう”と感じることを知らず、“ほんとう”だと認識しうる行動をとらない…そうとも思えるものだ。 

それで、“霊的成長度の高さを示す”…このことを○○○大先生流に言えば、真固止の人間って言い方もできる…。

それで“真固止の人間”というのは“うそ、ごまかし、にせもの、いつわり、まちがい”ということが無い、こういった行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)が無い。
当然“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”でも無い。

また“うそ、ごまかし、にせもの、いつわり、まちがい”っていうのは、心の動きに由来することだし、その心の動きの理由と根拠は自らの低い欲望に由来しているからこそ、悪と認識されうる事象を生み出すものなのだろう…。
 
こんなことは僕が人間になる前、犬の時にでも解りそうなことだけれども、以前の僕は低い心(靈)の動き中心だったから解らなかった…真剣に考えていなかった…いわゆる“善悪”の認識が低いからだといい得る。

それで…今考えていた“真固止の人間”、こういう霊的成長度ならば“うそ、ごまかし、にせもの、いつわり、まちがい”が無いのだから、それを(平均的地球人の霊的成長度の)他者が観たなら、堅苦しいほど誠実だと思うだろうし、また不誠実ではないから真実を顕現する行動をとる…そういうものだろう。 当たり前のことだ。

そして…そういった行動をとる人のその言動や行動は、絶対に信用できるものとなる…。 

さらにそういう人ばかりの世界では、その事象では、欺くとか騙すとか嘘をつくとか奪うとかも無いだろうから、悪の無い世界、悪が存在しえない世界だろう。

そういった世界を創る人を、神は求めているのだろう…とも思える…。
そう考えるのが極めて妥当なことだと、今の僕自身は確信できるし、さらにそれはエリナのセリフを思い起こさせる…。

次の段階は簡単なことではないわ。 偉大な“光の波”が起こるのを助けるという仕事よ。 わたしたちはすべての人類が、あるいは“決定的な多数”と呼べるほどの人々が、同時に前向きな考え方に光を送るように仕向ける必要があるの。 これが達成されれば、私たち人類のエネルギーの“偉大な跳躍”を始めることができる。 すると、同時に、崇高な現実の一部になることが許される

…この“崇高な現実”というのも、相対的な言い回しだから、今の世界、今の現実が崇高な現実ではないという意味のことを述べているとすぐ分かる。
そいてその“一部になることが許される”というのは、間違いなく“ほんとう”を求める人間、不誠実ではない人間、真実を顕現する人間、“真固止の人間”ってことになるのだろう。
またそれが“前向きな考え方”をする人間ということなんだろう。
さらにその“前向き”というのは、霊的成長度の高さ、“上”の思惑を止める“日止、霊止”、真実=真固止の事象を“創造”する人であり、それはまた○○○大先生の言い回しを引用すれば“霊的成長して真実の世界を顕現せよ”であり““修理固成”(しゅうりこせい)”ということでもあるのだろう。

…それに対する後ろ向きの考えというのを考えればそれは、“うそ、ごまかし、にせもの、いつわり、まちがい”が台頭し、“ブタのけつ”を“アホ”に刷り込ませて自分の利益にしている人間や、それが“ほんとう”であると錯覚している人間…そんな人ばかりの世界は当然“崇高な現実”とはいえないし、また“同時に、崇高な現実の一部になることが許される”のでもないことはすぐ分かることだ。

そして今の世界は“うそ、ごまかし、にせもの、いつわり、まちがい”が台頭しているものでもある…“ブタのけつ”を“ほんとう”と思い、あるいは“ブタのけつ”を信じ込ませ“ほんとう”を見出させない手法が、
いつか犬○○○大先生と犬Nominyanさんと犬Senyapooさんと話したインプリンティング(刷り込み(すりこみ)、刻印付け)の手法でもあるんだろう。 

ここまでのことを鑑みれば、今の世界には、“ほんとう”ってことはあまり無いともいえ、“ほんとう”に対する認識も低すぎると指摘できる。 

それで今の僕が思うのは、(神の子である)人間は“ほんとう”を求め、“ほんとう”を基準とし、それを理念として行動しなければならないし、結果それが“うそ、ごまかし、にせもの、いつわり、まちがい”の無い世界、そういった言葉や概念の無い世界、“ほんとう”の世界の“創造”をする…それが(神の子である)人間の在るべきカタチなのだと思う。

そして大半の人間が“(神の子である)人間の在るべきカタチ”を知らないからこそ、エリナのセリフの“自己知識ということ”そして“自分は何もので、なんのために存在し、ほんとうの自分というものに近づくためには何をするべきか”を考えなければならないのだと、今の僕はこのことを強く思ってしまう…。

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Kelly 会話中…ちゅうことで、じゅんいち君の考えもだいぶまとまったようやから、次回のこのカテゴリーは前回○○○大先生が言うたとおり“自己知識”についてじゅんいち君と○○○大先生とKellyさんが話すことを告知して、今回はこれくらいにしときまんねん。



facebookに寄せられた質問に対する○○○大先生の回答

昨年から○○○大先生はfacebookをやってるけど、最近、○○○大先生の著書の熱心な読者が疑問に感じたことをコメントしはった。 その質問の要旨は大体以下の通り。


● 靈って、靈止のひですよね? 靈は一番目のオーラという解釈は大雑把すぎですか?

 この質問はその前後の書き込みにもかかわっているけど、この質問の要旨に対する回答は、
心(靈)(ヒ)とは何か、
“一”=智性=1番目のオーラって何か、
“日止、霊止”の表記の意味は何か、
進化(霊的成長、神格化に向かうこと)と何か、
神と人間の関係とは何か、
これらのことを含んでる。 
その回答の内容っていうのんは、たとえば検索でこのブログにたどり着いた方、ブログや著書を読んでも先のことがよく理解できなかった方、疑問に感じてもどうやって質問したらよいのか躊躇してはる方、そういった方たちに説明するには要点がある程度まとまっている解答になったので、今回その回答に多少の編集を加えてアップすることとさせてもらいまんねん。

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まず、心(靈)(ヒ)について述べます。
“続”でたびたび引用している“風止麻邇言霊学(ふとまにことだまがく)”では
“ヒ”は その音霊こそすべての物の根、ヒフミヨイムナヤコト=一二三四五六七八九十のヒ、心(靈)(ヒ)、日、火、と述べられています。
 
 ご質問の表記、靈(霊の旧字)は、心と同義であり、すべての生命(生きる使命=存在理由)は心(靈)(ヒ)であるし、肉体(月(ツキ))を持って進化(霊的成長、神格化に向かうこと)している心(靈)は、肉体が持つがゆえにその磁極性によるローレンツ力で“上”からの荷電粒子(例えば太陽の日、日は“創造”の“主(ヌシ)”の表記である“一”(亜から出ずる、アイ)の場(フィールド))を止め、その磁極性の変容が、地球人が観察している(人を含めた)動物の進化の一側面でもあります。 またその磁極性の変容で心(靈)の発現や心の動きも下等な生物と動物と人間の違いが見られるものですし、“上”からの荷電粒子をどう止めているのかが心(靈)の進化、本当の進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の意味合いでもあります。 
それが古神道の表記の“日止、霊止”(太陽の振動を止める、“上”からの荷電粒子を止める)の意味合いでもあるし、霊の旧字、靈は、お渡しした未刊行の原稿の<7>の
思惑と顕現 “その十一”“上”の“思惑の顕現”…天の御目(あめのおめ) に、解釈を述べておりますのでご覧ください。
“続”で使っている靈の解字を貼っておきます。

靈の解字


 それで、神の思惑を顕現するべき生物である人(日止、霊止)は、“一”=智性(神性)=1番目のオーラを大きくする進化過程(霊的成長の過程=普遍的に実在する創造主のオーラとの感応共振の段階)ですし、“日月神示”表記の ○ 九 十 は、霊=○、荷電粒子の場(フィールド)と、“九”は“一”=智性=1番目のオーラと丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)と乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現)で構成されており、“十”は胸の磁性“十”、縦の磁束と水平磁場、シンクロトロン放射、心の動きなら自省、またそれは“観自在”“直日”(神道の表記)も同義、これらを兼ね備えた生物が人間であるということです。

それでここまでお読みいただければご質問の答えは大体お分かりだと思いますが、どんな下等な生物でも、本能という心は発現しており、それも心(靈)(ヒ)には違いないのですが、それは“下”(低い心(靈))であり、それに対し進化した生物である人間は、本能、情動、功名心、自我、愛(炁)、創造、知恵、智慧、智性、という心の動きを持っており、そして著書の<3>を中心に述べた目上(めうえ)の脳の進化、これは人間の進化といい得ることですし、目上(めうえ)の脳(大脳新皮質、“田”(心、靈、の四つの場(フィールド))で発現する荷電粒子の回転とその増幅が“一”=智性=1番目のオーラとなるものです。
また、先の“風止麻邇言霊学(ふとまにことだまがく)”の“心(靈)(ヒ)、日、火、”の表記の意味は、心(靈)(ヒ)に関しては今述べたとおり、日は“創造”の“主(ヌシ)”の場(フィールド)、火は、人と点が二つなのは回転を示す表記、ローレンツ力とチャクラ(荷電粒子の回転を示す)の意味合いであると思います。

 よってご質問の“靈は一番目のオーラという解釈”は、間違いではないですが、“一”=智性=1番目のオーラをもつ生命は人間であり、それは動物よりも進化した心(靈)(ヒ)である。 また“一”=智性=1番目のオーラがあるからこそ、“創造”の“主(ヌシ)”の表記“一”(亜から出ずる、アイ)=神の思惑を、顕現出来得る生命が、“日止、霊止”であるのだということを御理解くだされば幸甚です。 

“日月神示” 磐戸の巻 第十二帖 Kellyさん的解釈


今回も、磐戸の巻 第十二帖を解釈しまんねん。 原文は以下の通り。

マコトの者は千人に一人ざぞ、向ふの国にはまだまだドエライ仕組してゐるから今の内に神の申すこと聞いて、神国は神国のやりかたにして呉れよ。
人の殺し合ひ許りではケリつかんのざぞ、今度のまけかちはそんなチョロコイことではないのざぞ、トコトンの処まで行くのざから神も総活動ざぞ、臣民 石にかじりついてもやらねばならんぞ、そのかわり今後は万劫末代のことざから何時迄もかわらんマコトの神徳あたへるぞ。云はれぬこと、神示に出せぬことも知らすことあるぞ。
一月十三日、 ローレンツ力と ○ の一二か三。

 冒頭の“マコトの者は千人に一人”は、敢えて述べるまでなく今後=アセンション後に移行出来得る人は少ないの意。 そして“向ふの国”というのは、霊的成長した心(靈)(ヒ)(“国”)が“創造”した場(フィールド)の意。
それで“マコトの者”という表記の意味が大事で、自らの心が真実=真固止の事象を“創造”しているのか、あるいはじゅんいち君の記事で述べたように“うそ、ごまかし、にせもの、いつわり、まちがい…”と感じさせる事象を“創造”しているのか、これは相対的に霊的成長度が高いか低いか、“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”か(アセンション後に位置して行く今より霊的進化を果たした)奉仕者か、このことをとても解りやすいローム太霊の言葉を引用すれば“世為人為”(S会=紫光会の経文、四空経録の中の言葉)を理念と出来るのかによる。 
当然のことながら自我が肥大した(“石屋の仕組み”)“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の場合、自分たちの低い心(靈)の息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)が腐った世界を“創造”していたことに気付くまで、第十帖表記の“女(砌(みぎり)の極性、外側(外国と幽界)の事象への顕現)のメグリ”(因縁、恨みの連鎖の霊的干渉)により、ひどい目にあわされるものである。 それが第十二帖では“人の殺し合ひ許りではケリつかんのざぞ、今度のまけかちはそんなチョロコイことではないのざぞ、トコトンの処まで行くのざ”と称されているものである。
だがこれらのことに実感を得ない、恨みの連鎖の霊的干渉の増大を真摯に考えている人はとても少ない(○○○大先生の著書に触れ、直接連絡をくれた読者相対して得た実感)。 
それで“マコト”の表記の意味は、例によって“風止麻邇言霊学(ふとまにことだまがく)”から引用すれば
“マ”の行は、有形生命、または正しき生命の音意の音根
“コ”は停滞して働く意と細分の音義、物の凝り集まりに固まる意
“ト”は、止まると云う心
ということであるから、有形生命(マ)としての肉体を持った心(靈)(ヒ)である人間は、“上”からの荷電粒子、“創造”の“主(ヌシ)”の思惑、ア(“亜”)から、イ(出る(いずる)、泉)を、“日止、霊止”の止め(ト)、それが凝集(コ)した心(靈)(ヒ)ならば、その人の行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)は誠実さや律義さ、真実=真固止を感じ得るということになっていくものであり、それは“絶対の善”の“創造”ということになっていくのだということを思うべき。 
それを第十二帖では“今後は万劫末代のことざから何時迄もかわらんマコトの神徳あたへる”と称されており、またそれは“ドエライ仕組してゐる”=今の平均的地球人には到底理解できない“絶対の善”が顕現した場(フィールド)であり、これは当然のことながら“マコトの者”を対象にいわれていることであるし、誠実さ、律義さ、真実を求めそれを実現する心ならば“上”は認めるからこそ“何時迄もかわらんマコトの神徳あたへる”=与えられる資格を有するからだということ。 
そしてあえて述べるまでもないようなことだが、霊的成長度の低い人、“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”、自我の肥大した人、その人たちの行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)の根拠は目下(めした)(動物の心(靈)の段階)の心(靈)(ヒ)の動きだから、欺くとか騙すとか嘘をつくとか奪うとかが台頭し、“力”と(智慧(日を知る事=智性の恵み=慧)ではない)知恵を使いそんなふうに感じさせないで自分たちの利益を増すということをするものであるし、また目下(めした)(動物の心(靈)の段階)中心の心は体裁の良いディスプレイ(動物の発情行動)が習性だから形骸の権威を示したりもする。 それらが今の腐った事象における実力者とか成功者とかであるが、このことに気付く人もあまりいないし当の本人たちは自我が肥大しているから自分たちが間違っているなんて認めようとしない=自省(胸の磁性“十”)しない…実に低い心(靈)の動きというものはくだらないものでもあるが、これも当の本人達の霊的成長度ではしっかり理解しえないものであるし、だからこそ“マコトの者は千人に一人”といわれている。(おそらく実際はもっと少ないと思うのだが…)

それで第十二帖の要は、自分たちが“マコトの者”にならなければならない、それは“今の内に神の申すこと聞いて”
(“聞いて”=神の思惑の受信、その具体的なことが自省(胸の磁性“十”)の“行”、“上”から注がれる振動が腹より“上”で感応するようになること(岩戸開き、“石”(帯電するミネラル)と“山”(脳の意味)で、“戸”(横隔膜)を開くの意)、
それと“ひつく”“日津久”=太陽凝視を“行”として行うこと)
“神国は神国のやりかたにして呉れ”
(神国の“神”は、智性(神性)(“一”、1番目のオーラ)(日を知る性質))、
“国”の表記は((囗)くにがまえ)と“玉(ぎょく)”、
“玉(ぎょく)”は自省(胸の磁性“十”)の心(靈)の動きを示す)の表記は智性(神性)を持った心(靈)(ヒ))”
この()内の注釈を理解し、実践して霊的成長したならば“万劫末代のことざから何時迄もかわらんマコトの神徳あたへるぞ”ということになる。 
だが、自分たちがそうなるには簡単なことではないし、自分の自我の肥大を諌めるのはとても難しいことでもある。 だからこそ“臣民 石にかじりついてもやらねばならん”といわれ、“ほんとう”という意味での“まけかち”は、アセンション後に移行できるかできないか、そのどちらかでしかないということが“マコトの神徳”=“上”に認められる霊的成長度か、あるいはそうではない“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”か、ということである。

それで、その霊的成長度の“上”“下”を示そうとする“上”の“思惑の顕現”=現象化は、今も盛んに起きているが、これからもっと激しくなる=“トコトンの処まで行くのざから神も総活動ざぞ”でもあり、またそれは“日月神示”の文言=言葉だけでなく、今起きている醜い事象で人の心(靈)(ヒ)の低さを示すことをするから“云はれぬこと、神示に出せぬことも知らすことあるぞ”と称されているが、ただ“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”が行動して創られた醜い事象を批判するだけとか、自分たちに直接関係が無いと思い見過ごすならば、それは“マコトの者”に到底程遠いのだということをあえて述べ、今回はこれくらいにしときまんねん。

“日月神示” 磐戸の巻 第十一帖 Kellyさん的解釈


今回も、磐戸の巻 第十一帖を解釈しまんねん。 原文は以下の通り。

心にメグリ積むと動物のイレモノとなるぞ、神のイレモノ、動物等に自由にされてゐて、それでマコトの神の臣民と申されるか、判らんと申してあまりであるぞ。 ゴモク吐き出せよ、其の儘にしておくと段々大きくなりて始末にゆかんことになりて、しまいには灰にするより、手なくなるぞ、石流れて、木の葉沈むと申してあろが、今がその世ざぞ。
改心してキレイに掃除出来たら、千里先にゐても、ひつきの神とたのめば何んなことでもさしてやるぞ、この神は世界中何処へでも届く鼻もってゐるのざぞ、この世つくりたこの神ざ、この世にわからんこと一つもないのざぞ、神の御用さへつとめて下されたら、心配ごとが嬉し嬉しのこととなる仕組ざぞ、日本臣民ばかりでないぞ、何処の国の民でも同様に助けてやるぞ、神にはエコがないのぞ。
一月十三日、ローレンツ力と ○ の一二か三。

 第十一帖は、前回の第十帖の
“悪の仕組は、日本魂をネコソギ抜いて了ふて、日本を外国同様にしておいて、一呑みにする計画”
そして
“メグリある金でも物でも持ちてゐたらよい様に思ふてゐるが、えらい取違ひである”
そして
“洗濯急げよ、掃除急げよ、家の中が治まらんのは女にメグリあるからぞ”
これが理解できていなければ読み解けない。 前回の記事から以下にコピペしておく。

“家”は、宀(うかんむり、頭の意味)と豕部(しぶ、ぶた、家畜の意味)、智性を持った進化した動物=人(日止、霊止)のことで、それが“治まらん”は、ととのって無い、間違っている、霊的成長の方向性(“理(ミチ)”)に向いていないの意であるし、それは外側(外国と幽界)の事象しか見ていない(自省(胸の磁性“十”)していない)霊的成長度の人間の価値観であるのが“メグリある金でも物でも持ちてゐたらよい様に思ふ”=(通貨としての)金があれば幸福、物欲が満たされれば幸福という薄っぺらい価値観のことを指し、それは“女”=砌(みぎり)の極性(事象への顕現)、いわゆる、霊的に高い理念なき行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)は、因縁を作り、恨みの連鎖の霊的干渉を増大するの意である

 それで先ず“心にメグリ積むと動物のイレモノとなるぞ”は、これまで幾度となく述べてきた目下(めした)(動物の心(靈)の段階)の心の動きによる低い霊的存在の感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)を指摘している。 またそれは動物霊に限ったことではなく、自省(胸の磁性“十”)せずに死んだ人間もいわゆる目下(めした)(動物の心(靈)の段階)の心(靈)(ヒ)の動きしか持ちえないからこそ悪霊になるものである。
それでその低い霊と感応して目下(めした)の心の動き中心なのが“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”であり、その心の動きは仏教でいう所の三毒、貪、瞋、痴(とん、しん、ち、)でもあり、さらに“役員づら”(形骸の宗教や、アセンションや霊的成長に対し、甘い夢を見させ偽の情報を流すたぐいの人たち…それは悪魔の傀儡(かいらい、くぐつ)でもあるが、これらは自我の確立=固定化の進化過程で、さらに自我が肥大しているから、自分が悪いとか間違っているとかの認識はあまりない。  
だからこそ“日月神示”では“身魂掃除”“身魂洗濯”“改心”ということが何度も述べられているものであり、それ出来ない人に対し“ゴモク吐き出せよ、其の儘にしておくと段々大きくなりて始末にゆかんこと”といわれているものである。 
それは“上”が認めるものではないし、今後=アセンション後に移行できる霊的成長度ではないからこそ“神のイレモノ、動物等に自由にされてゐて、それでマコトの神の臣民と申されるか、判らんと申してあまりであるぞ”と称され、先に指摘した霊的成長度の低い心(靈)はまったく救いようがないからこそアセンションに伴う醜い事象に巻き込まれ…というよりは、醜い事象を創ったのはその低い心(靈)の持ち主だからこそ(正当な報酬として)“上”は殺すしかしょうがない、死んでから自省(胸の磁性“十”)の“行”をするということで、その意味のことが“しまいには灰にするより、手なくなるぞ、石流れて、木の葉沈むと申してあろが、今がその世ざぞ”と称されており、アセンションは“創造”の“主(ヌシ)”の計画であることを“今がその世ざ”と強調して述べている。
 
要は、今後=アセンション後に移行できる霊的資格というのは、自省(胸の磁性“十”)が出来た心(靈)(ヒ)であり、それが出来る心でなければ“神のイレモノ”(“上”と感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)する心(靈)(ヒ)、智性(神性)の行使が行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)の根拠になっている人、“天詞様”)には成り得ないということだが、それは次の文に続いているし、その文に注釈を入れ、今回はこれくらいにしときまんねん。

“改心してキレイに掃除出来たら、千里先にゐても、ひつきの神(“ひつく”“日津久”=太陽凝視を“行”として行うこと)とたのめば(祈り、息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信))何んなことでもさしてやるぞ、
この神は世界中何処へでも届く鼻もってゐるのざぞ、この世つくりたこの神ざ、この世にわからんこと一つもないのざぞ(“創造”の“主(ヌシ)”だから)、
神の御用さへつとめて下されたら(先に述べた“上”と感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)する心(靈)(ヒ)ならば)、
心配ごとが嬉し嬉しのこととなる仕組ざぞ、
日本臣民ばかりでないぞ、何処の国の民でも同様に助けてやるぞ、神にはエコがないのぞ(縄張り意識(進化程度の低い心、自我の確立=固定化の進化の段階の地球人の認識)による国の概念ではなく、霊的成長度において個々の心が、現津(あきつ)、観察され得る事象を“創造”するのだから、その霊的成長度における事象しか観察しえず、自省(胸の磁性“十”)出来て“上”と感応する人は今後=アセンション後に移行するが、そうでない目下(めした)(動物の心(靈)の段階)中心の心(靈)(ヒ)の持ち主は死んで自省(胸の磁性“十”)するか、今の地球と同じような、欺くとか騙すとか嘘をつくとか奪うとかが横行する場(フィールド)に移行する。 それはそれぞれの霊的成長度における正当な場(フィールド)が与えられるということ)”。

“日月神示” 磐戸の巻 第十帖 Kellyさん的解釈

 今回も、磐戸の巻 第十帖を解釈しまんねん。 原文は以下の通り。

悪の仕組は、日本魂をネコソギ抜いて了ふて、日本を外国同様にしておいて、一呑みにする計画であるぞ。 日本の臣民、悪の計画通りになりて、尻の毛まで抜かれてゐても、まだキづかんか、上からやり方かへて貰はねば、下ばかりでは何うにもならんぞ。
上に立ちてゐる人、日に日に悪くなりてきてゐるぞ。 メグリある金でも物でも持ちてゐたらよい様に思ふてゐるが、えらい取違ひであるぞ。 早う神の申すことききて下されよ。世界の何処さがしても、今では九九(ここ)より他に、神のマコトの道知らす所ないのざぞ。 此の道の役員、上から見られん所によきことないと今度の御用、なかなかにつとまらんぞ、洗濯急げよ、掃除急げよ、家の中が治まらんのは女にメグリあるからぞ、このことよく気付けておくぞ、村も国々も同様ぞ。 女のメグリはコワイのざぞ。節分からは八回拍手うちて下されよ。神はげしくなるぞ。
一月十二日、 ローレンツ力と ○ のひつ九のローレンツ力と ○

 冒頭の文の“悪の仕組”の“悪”は、平均的地球人の進化過程における認識、いわゆる一般常識や既成概念の悪という意味合いではなく、人の進化(霊的成長、神格化に向かうこと)を妨げる思惑、悪魔=“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)、そして生命(生きる使命=存在理由)を進化(霊的成長、神格化に向かうこと)させない仕組みと解釈するのが妥当。 
そのことを示す根拠としては、“日本魂をネコソギ抜いて了ふ”それと“日本を外国同様にして”の“日本”の解釈が肝要であり、これは日本と諸外国という縄張り意識(進化程度の低い心、自我の確立=固定化の進化の段階の地球人の認識)ではない。
画像で意味を示すこととする。


日本の解字

 この“日本”という表記が、これまで幾度となく述べている進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の仕組みでもあるし、“日”=(囗)くにがまえと“一”(亜から出ずる、アイ)(“創造”の“主(ヌシ)”の表記、日足(ひたり)から砌(みぎり)=“思惑の顕現”)であることを知らないものは、自我の肥大(“石屋の仕組み”)による認識しか持ちえないからこそ、日本は神国だとか外国は悪だとしか解釈しえないものであるが、その解釈自体が低すぎることをあえて指摘しておく。 
 また“外国同様”というのは、外側(外国と幽界)の事象しか観察しえない低い霊的成長度の心と同様という意味、いわゆる自省(胸の磁性“十”)してない、自分の在り方を観ないし考えない、自我が肥大(“石屋の仕組み”)した価値観と幸福感しか持ちえないし、その心(靈)由来の行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)は“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”となるし、そういった類の人間は“自分を観察する自分の確立”という心の動きがあまりない=智性(神性)無き心だということ。
 それで霊的成長の仕組みとしては、“身魂磨き”=(生体内電流による)肉体組織の結晶化による肉体(月(ツキ))の電気特性と磁束の強化で“上”からの荷電粒子=神の思惑を止める、それが古神道の“日止、霊止”、太陽を止める(“ひつく”“日津久”=太陽凝視を“行”として行うこと)、靈を止める、の意味である。
だからこそ、“日本”は霊的成長の意であり、“日本魂”は霊的成長を目指す心(靈)と解釈するのが妥当。 霊の旧字の解字をしばらくアップしていなかったので以下に示す。

靈の解字

今述べたことを念頭において冒頭の文を読めば“悪の仕組は、日本魂をネコソギ抜いて了ふて、日本を外国同様にしておいて、一呑みにする計画であるぞ。 日本の臣民、悪の計画通りになりて、尻の毛まで抜かれてゐても、まだキづかんか”というのは、人間の存在意義、人が考えねばならない自分の使命(“完全なる人間の運営”“自分の使命を完成” “ローム太霊講話集”第六話 四方の祈り 北 Kellyさん的解釈 “その三”を参照のこと)、そして霊的成長の仕組み=“日本”、それを目指す心(靈)=“日本魂”“日本の臣民”、これらは自我の肥大(“石屋の仕組み”)由来の価値観や思想で、“ほんとうの自分というものに近づく”(「まほう色の瞳」の表記、前回のじゅんいち君の登場する記事を参照のこと)を見失わせる“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)の思惑どおりになっている様を“外国同様にしておいて、一呑みにする計画”“悪の計画通りになりて、尻の毛まで抜かれてゐても、まだキづかん”と称されているに過ぎない。

 そしてこれに続く“上からやり方かへて貰はねば、下ばかりでは何うにもならんぞ。上に立ちてゐる人、日に日に悪くなりてきてゐるぞ”は、形骸の権威、形骸の位(くらい)、そういう立場の人はもうアセンションに間に合う霊的成長度には変わりようがないとは思うが、それをこの文で“上からやり方かへて貰はねば”といわれており、先に述べたようにもう変わりようがないので“上に立ちてゐる人、日に日に悪くなりてきてゐる”と称されている。
 
 そしてこれに続く“メグリある金でも物でも持ちてゐたらよい様に思ふてゐるが、えらい取違ひであるぞ”の“メグリ”の意は、因縁、恨みの連鎖の霊的干渉の意と解釈するのが妥当、それで少し先走るがこの文の後の“家の中が治まらんのは女にメグリあるからぞ”の“家”は、宀(うかんむり、頭の意味)と豕部(しぶ、ぶた、家畜の意味)、智性を持った進化した動物=人(日止、霊止)のことで、それが“治まらん”は、ととのって無い、間違っている、霊的成長の方向性(“理(ミチ)”)に向いていないの意であるし、それは外側(外国と幽界)の事象しか見ていない(自省(胸の磁性“十”)していない)霊的成長度の人間の価値観であるのが“メグリある金でも物でも持ちてゐたらよい様に思ふ”=(通貨としての)金があれば幸福、物欲が満たされれば幸福という薄っぺらい価値観のことを指し、それは“女”=砌(みぎり)の極性(事象への顕現)、いわゆる、霊的に高い理念なき行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)は、因縁を作り、恨みの連鎖の霊的干渉を増大するの意であるし、そんなものに“上”は価値を認めないのは当然だからこそ“早う神の申すことききて下されよ。世界の何処さがしても、今では九九(ここ)より他に、神のマコトの道知らす所ないのざぞ”といわれ、この文の“九九(ここ)”は、二つ並んだ表記が日足と砌(ひたりとみぎり)を示し、それは“富士(二二)”と共通する表記でもあるし、“九”は○ 九 十の“九”であるから“一”=智性=1番目のオーラと丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)と乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現)、いわゆる神の思惑を顕現する最終の生命(“日止、霊止”)の意でもある。
 
 このことを踏まえこれに続く文“此の道の役員、上から見られん所によきことないと今度の御用、なかなかにつとまらんぞ、洗濯急げよ、掃除急げよ、家の中が治まらんのは女にメグリあるからぞ、このことよく気付けておくぞ、村も国々も同様ぞ。 女のメグリはコワイのざぞ。節分からは八回拍手うちて下されよ。神はげしくなるぞ”を読めば、“此の道の役員”は今後=アセンション後の“創造”を担う人の意であり、それは形骸の価値や権威を目指すのではないから“(形骸の)上から見られん所によきことないと”と称され、もしそうなるならば、今の形骸の価値観由来の見方ではなく自分の内面とか内側(心の中と感じている事)に神の思惑を理解して自省(胸の磁性“十”)して、いわゆる智性(神性)(“一”、1番目のオーラ)(日を知る性質)と胸の磁性“十”を兼ね備えるならば“今度の御用”は“つとまらん”といわれ、そして意味が重複するが“洗濯急げよ、掃除急げよ”は“身魂掃除”“身魂洗濯”“改心”=“観自在”“直日”自省(胸の磁性“十”)の“行”“自分を観察する自分の確立”であり、それが出来れば先に述べた“家”=進化(霊的成長、神格化に向かうこと)した動物、智性(神性)を持った動物である人は現時点の平均的地球人の心(靈)(ヒ)よりは治まるものである。 そして“村も国々も”のくだりは、一個人に対して集団という意味合いのこと。 霊的成長した人の集まりは、今の事象とは違い、治まるの意。
 
 最後の“節分からは八回拍手うちて下されよ。神はげしくなるぞ”の“節分”は年が改まる=アセンション後の事象を指し、“八回拍手うちて下され”は伊勢の内宮、天照大神(現界の太陽)特有の作法であり、太陽を意識せよという意味であるし、今後=アセンション後の事象は目下(めした)の心を行使したケダモノが活躍する場(フィールド)ではなく、“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)と感応した心(靈)(ヒ)の持ち主が台頭して神の思惑を顕現する時期(時間の進行と宇宙の進行は神のプログラムであり、それを人(日止、霊止)の心(靈)が認識したなら、時期になり、それは電磁波の吸収であるからこそ、磁気でもある)となるから“神はげしく”である。

今回はこれくらいにしときまんねん。

Kellyさん、爆睡中に、A野さんの愛犬たち登場!…夢の中で、人間に見られる習性について、犬たちと論じる。 “その十四”(人間じゅんいち君と○○○大先生とKelly、“ほんとうの自分”についてディスカッションする) 


お断り


 この時期(人が霊的成長度の高低を見出さなければならない時期)に、今回の記事を書かせている“上”の思惑、それは同時進行の、
ローム太霊講話集解釈と“日月神示” 磐戸の巻の解釈、
それとこの記事で訴えたいことには、共通の項目があり、
それは今後=アセンション後に移行する人間の在り方ということがテーマなのですが、
お読みになられる方はこのことを念頭におかれまして、自分の在り方を観る=“観自在”をお考えいただければ、幸甚です。 
ちなみに今回も犬は一匹も登場しません。まったくタイトルにそぐわないものになっています(爆)。 
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★


○○○大先生会話中 「さて、前回約束した通り三人で話をしよう。 

それでそのテーマとしては、じゅんいち君が考えたこと
多くの人間たちが、自分たちが“自分は何もの”なのか、“なんのために存在”しているのか、これについて深く考えたことがあまりないだろうし、当然のことながらその答えもよく分からない…。
 またその答えを示唆している言葉が“ほんとうの自分というものに近づく”であるような気がする

 これについて三人で話そうと思うがどうだろうか?」

犬じゅんいち君 人間になって会話中 「はい、それでお願いします。 Kellyさんはいかがでしょうか?」
Kelly 会話中 「そうやな、じゅんいち君が今までいろいろ考えてきたことの纏め(まとめ)や、じゅんいち君が追及してきたことの疑問に対する結論の一つ一つが出て来そうな議題やろから、○○○大先生の提案は妥当やな」

○○○大先生会話中「賛同してくれてありがとう。

それではまず“ほんとうの自分というものに近づく”を考えるにあたって、じゅんいち君もつぶやいていたように“自分は何もの”なのか、“なんのために存在”しているのかを考えるべきであると思う。
 そして“ほんとうの自分
というものに近づく”という言い回しは、今現在の自分が“ほんとうの自分”からは程遠いのだということを前提に言っているし、それに気が付かねばならないと思うのだよ」

Kelly 会話中 「そのとおりやな。 そのことに気が付かないで読み飛ばしてしまう人は、このことをあまり考えたことがないのやろな。
(程度の低い霊的成長度の人は自我が肥大してるってことやろから、客観的に自分のことを観察できん、そやからこの言葉に対して何も感じない…そうともいえるやろな)
 
ほんでから、この「まほう色の瞳」かて、著者が平均的地球人の霊的成長度で霊媒体質やろから、その著者の心の動きに感応する憑依現象があって“上”からの通信を受けて書かれた文章やと思うやん。
そやから、この言い回しそのものが“上”、人の霊的成長を望む存在から目線のいい方でもある。 
先ずそれに気付かねばならんと思うやんか」

犬じゅんいち君 人間になって会話中「憑依現象…そうなんですか…100パーセント著者本人の認識由来の文章ではないということでもあるのですね。
そして“上”から目線のいい方…これは納得できることです。 
それと今、○○○大先生がおっしゃられたように、僕を含め人間たちは、自分たちが“ほんとうの自分”からほど遠い、または、意識していない、見出そうともしていない、前回僕が一人で考えていた時、なんとなくこのことに気が付いていた…」

○○○大先生会話中「そうだね。 それは前回、じゅんいち君が一人でつぶやいていたように“僕は低い心(靈)を持っているということを自分自身で分かったりもしたし、その低い心(靈)を観察している自分、低い心(靈)を低いと認識している自分は今までの僕とは違う心の動きだったし、それは低い心(靈)より“上”の心だといい得るのだろう
この言い回しの
低い心(靈)を低いと認識している自分は今までの僕とは違う心の動きだ
というのが大事。 敢えて指摘するまでもないことだったね。
それでじゅんいち君にはちょっと失礼になるのだが、前回のじゅんいち君の言い回しを再び引用させてもらう。 

セブンちゃんに出会った頃の僕は欲望中心の心しか持っていなかったし、その欲望を充たすことが自分にとっての幸せ、自分にとっての価値であると思っていた…というよりもそれが僕の心の殆どだったっていってもいいくらいだ。 
それでこの時の僕はエリナの言葉の“自己知識ということ”そして“自分は何もので、なんのために存在し、ほんとうの自分というものに近づくためには何をするべきか”そして“それぞれの自分の人生をどう生きるべきか”なんて当然考えていないし、これが、ルーカスの自分と人間に対する認識を下げたエリナのセリフ“私たち地球人の起源は動物…中略…それ以上の存在になることはできないし、許されてもいない…中略…わたしたちには絶対に無理よ”…まさにこのセリフの言葉の意味に僕の心が相当している…っていうか、この言葉があの時の僕の心であった…そう言い表すのが妥当であるとも思える。 
 それでこれ自体が、僕自身が明らかに“ほんとうの自分というもの”が分かっているとは言い難いのだと思うし、分かろうともしていない…


 この言い回しの中には二つの重要なポイントがある。
 それは今回のテーマ“ほんとうの自分”そしてもう一つは“自己知識ということ”ということだが、まず“ほんとう”というのはどういうことなのかを三人で話せば“ほんとうの自分というものに近づく”ということが理解できると思うのだが…」

Kelly 会話中「そうやな。 
 そやからそれは“ほんとう”っていう表現は、相対的なことや。 
 そやけど先生が今それを言うた理由と根拠っていうのんは、一般の人たちの既成概念における“ほんとう”っていうことに対する認識が低すぎるってことが言いたいんやろな」

犬じゅんいち君 人間になって会話中「…相対的なこと…その言葉に対する認識が低すぎる…そんな気がしますが、あまり考えたことがありませんでした…。 でも…そうなのかもしれない…」

○○○大先生会話中「さすがアタシと沢山の話をしたKellyには、アタシの意図していることはすぐに分かってしまう。
 それはおいといてじゅんいち君、“ほんとう”っていうのはどういうことなのか、まず考えてみようじゃないか。
 幼稚な質問かもしれないが“ほんとう”の意味と、その反対は何かな」
犬じゅんいち君 人間になって会話中「ほんとう…事実…あるいは真なる何か…真実…そんなところでしょうか。
それに対する対義語は、うそ、ごまかし、にせもの、いつわり、まちがい…。
ちょっと飛躍しているかもしれませんが、誤解、思い過ごし、妄想…。 これらは事実に反するっていう意味合いのニュアンスがあるのだろうけど…」

Kelly 会話中「そうやな。 大体、既成概念とか一般常識における“ほんとう”っていうのんはそういう意味やと思うやん。

そやけど先生が今説明したいこと、ほんまはその“ほんとう”っていう言葉そのものに、もっと高いっていうのんか、深い意味合いがあるってことを説明しようとしてる。

 それは○○○大先生の著書で先生とKellyさんが話した真実=真固止ってことでもあるし、このブログでも(高い振動、電磁波として認識されている)“上”の思惑を、真に固く止める(“日止、霊止”の表記の意味)、それは肉体(月(ツキ))の磁性によるローレンツ力に由来することであり、そのローレンツ力の強化と変容が、肉体組織の結晶化(“玉(ぎょく)”)であり、それがほんまの“行”(“日月神示”表記の“身魂磨き”=(生体内電流による)肉体組織の結晶化)の意義であり、それから派生するのが、チャクラ(荷電粒子の回転を示す)のことでもあったりする。

ものすごくおおっぱに今述べたことの意味は、心(靈)(ヒ)は“上”の思惑=宇宙の中心から注がれれる“創造”の“主(ヌシ)”の思惑を自分の進化過程と進化程度によって止める。 それ事態が進化(霊的成長、神格化に向かうこと)ってことやし、それが理由で心=靈は構成されているっていうのが、○○○大先生の認識(悟り、幸取=さとり)や。

ほんでから人の心(靈)(ヒ)の進化っていうのは誰でも一緒ではない。 それは進化程度が違うからや。
そやからこそ価値観や幸福感も、その進化程度、いわゆる霊的成長度の高低で違うし、ほんでから今先生が今言わんとする所の“ほんとう”ってことに対する認識っていうのも違うもんや。 

ほんでからその進化過程と進化程度、いわゆる霊的成長度ってことがあるからこそ、心の“上”“下”があるもんや。

そやからほんまの“ほんとう”っていうのんはさっきも言うたけど、個々の霊的成長度の高低によって認識の程度の差があるものや。 

ほんでからに(たいして霊的成長していない)一般の人が持ってる“ほんとう”って言葉に対する認識は、今じゅんいち君が言うた、事実に反するっていう意味合いのことが中心やろな。 まあ、多少は、真実っていうのんは貴いとか、ほんまに価値があることとかっていう認識もあるやろけどな。

ほんでから今Kellyさんが言った“創造”の“主(ヌシ)”の思惑、ア(“亜”)から、イ(出る(いずる)、ってことでもあるんやけど、それを真に固く止める、真固止、っていうことを分かってる人間は居てへんもんや。 
そやからそれが解ってるっていうのんは高い霊的成長度でもあり、“日止、霊止”っていう表記の意味を理解してるってことでもあり、また、神と人間の関係をよく理解してて、その認識が行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)の理念になってるから、さっきじゅんいち君が言うてた“ほんとう”という意味合いの対義語、“うそ、ごまかし、にせもの、いつわり、まちがい”なんてことは無くなっていくものやろ」

○○○大先生会話中「そのとおりだ。 “上”の思惑を真に固く止めるのが霊的成長度の高さを示すものであるし、また、真実=真固止、そして古神道の“修理固成”(しゅうりこせい)というのも、霊的成長して真実の世界を顕現せよという意味を感じ取れるものだ。
さらに“日月神示”の表記の ○ 九 十、これは神の雛形の意味合いがあり、それを認識させる言葉がエリナのセリフの“自己知識”でもあるのだし、今Kellyはそのことにも少し触れたが、ちょっと今回のテーマから飛躍しているので、それについては次回にでもテーマにしたらいいね。
 
それで、じゅんいち君が前回つぶやいていたように
低い心の行使で低い価値観と低い幸福感を持ちそれ由来の行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)をする…そういう心の人が当たり前、大多数、だから“ブタのけつを見ているアホ”ばかりの世界になっている
これは明らかに“ほんとう”ではないし、真実を顕現させようという心でもない。
換言すれば、霊的成長度の高い=“上”の思惑を真固止としている人間が行っていることではないといい得る」

犬じゅんいち君 人間になって会話中「…なるほど…。
 今、○○○大先生とKellyさんがおっしゃられたことを要約すれば、霊的成長度の低い人間は“ほんとう”っていうことに対しての認識が低い、そして“ほんとう”を自分の考えに活かしていないし行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)にも活きていない…だから“ブタのけつ”が台頭し、それに価値があるとかって勘違いしている“アホ”が多い。
 そしてこの世界は“ほんとうの自分”ってことが解ってる人は少ない。 真実ってことに対する一般の人の認識が低いというのか、真に固く止めるという霊的成長の仕組みすら知り得ない人が大半ということでもある。
だからこそこの世界には“ほんとう”って思えることがあまりない。 当然ですね。

…重複しますが“ほんとうの自分というものに近づく”ってことを考えている人は少ない、それは“ブタのけつを見ているアホ”が大多数の世界、だから真実を軽視しているのかもしれないし(“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の行い)、その真実という言葉自体に深い認識があまり無いっていえますね。

 そして人間が目指すべきものが“ほんとう”であるって、○○○大先生とKellyさんの話を聞いて思いましたよ」

○○○大先生会話中「うん、それが理解できたなら今度テーマにしようとしている“自己知識”の議論がしやすいと思う。
 今回はこれくらいにしといたらどうかな」

Kelly 会話中「そやな」
犬じゅんいち君 人間になって会話中「承知しました。 次回もよろしくお願いします」



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 Kelly & ○○○大先生

Author: Kelly & ○○○大先生
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Kellyさんと○○○大先生は、
このブログを書いている○○○の、
心(靈)の二面性であり、
同一人物で有る事を、
お断りしておきます。

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四冊目&五冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈4〉
智性無き心は
悪を容認する


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈5〉
智性無き心は
アセンションを見誤る

 この二冊は、同時発売です。
太陽凝視を行っている鍼灸師の話 <4> 智性無き心は 悪を容認する & 太陽凝視を行っている鍼灸師の話 <5> 智性無き心は アセンションを見誤る サムネイル
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2010年 4月20日(火)ごろより、全国書店(紀伊國屋書店・三省堂書店・旭屋書店・ジュンク堂書店・ブックファースト・リブロ・丸善など)にて順次陳列。


発売中の三冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈3〉

神格化のプロセス
目上(めうえ)と目下(めした)


神格化のプロセス 目上と目下 縮小版 ブログ用
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太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈2〉

ローム太霊の教え
日足(ひたり)と砌(みぎり)


サムネイル太陽凝視を行っている鍼灸師の話〈2〉ローム太霊の教え 日足(ひたり)と砌(みぎり) 
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発売中の一冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈1〉

ローム太霊との出会い


太陽凝視を行っている鍼灸師の話〈1〉ローム太霊との出会い
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2005年10月1日~2008年1月15日まで、
“Kellyさんとの会話”で、説明して来た事・・・
その内容・・・それは・・・その何年も前から、
何か自分の考えをある程度公表しなければならない・・・
そう言う通信を受け・・・その理由は・・・地球人が低い心(靈)の発現しかしていない・・・
それを自覚していない人が多い。
その事由来の太陽凝視に対する認識、
(太陽凝視=不食・・・としか、認識させない存在の思惑を、受信している事)
霊的成長に対する認識、
神に対する認識、
心=靈に対する認識、
オーラに対する認識、
そして、
高い認識の上での進化の意味と幸福の概念と神の概念・・・
進化=霊的成長=神格化=(相対的に)高い認識を獲得する事・・・
霊的成長=神に近づく事=真の幸福の意味。
霊的成長度は1番目のオーラに顕れる。
よって、宇宙的プログラムにより次の段階に移行する人(日止、霊止)は、 何を考えるべきなのか・・・
そして、人(日止、霊止)の進化を阻む存在の思惑、
その心=靈の動き、それらの意図・・・それが一般に認知されていない事。
それらを伝えなければ成らない・・・そして一応・・・完結はしたのですが・・・
解り難い・・・理解しがたい・・・具体例を示して欲しい・・・そう言う感想も頂き、
そして自分なりにも説明が足らなかった事・・・
更に、
“Kellyさんとの会話”が完結してからも通信を受けている事・・・そう云う事もあり・・・
よって、このブログを立ち上げる事としました。
従って、
“Kellyさんとの会話”が、
自分の意見を述べる上での、ローム太霊の言葉、
“右往左往”(“いきり立つ心(奴と心)”で行動してから考える)・・・と、 するならば、 このブログはアタシ自身の、
“左往右往”(“思う、憂う”・・・体験を教訓として考え行動する)の、
作業になって行くと思います。


太陽凝視を行っている鍼灸師の話 “総括編”
太陽凝視を行っている鍼灸師の話 “改”
予約制 鍼(はり) 灸(きゅう) マッサージ治療 児玉療院
写真部の○○○大先生のページ
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○○○大先生の水草水槽記録
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自分達の欲望を満たしたい… 
自分だけ幸福になりたい…
こういった進化程度の低い心(靈)の発現由来の思いが、
低い幸福の概念になり(目下(めした)の思い)
その結果が、飢餓貧困、戦争の原因になったりしています。
(子供の浮游霊の霊的干渉の影響を受け、 それがどんどん増して行く事等が、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)
の思惑だと 思えます)

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