“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話

太陽凝視を一生涯の“行”とし(現在、44年目)、実践し、その上で獲得した認識を述べています。

“日月神示” 水の巻 第五帖 Kellyさん的解釈 


 今回も、水の巻 第五帖を解釈しまんねん。原文は以下の通り。

外国のコトは無くなるぞ。 江戸の仕組 旧五月五日迄に終りて呉れよ。 後はいよいよとなるぞ。
神が申した時にすぐ何事も致して呉れよ、時過ぎると成就せん事あるのざぞ。
桜花一時に散る事あるぞ、いよいよ松の世と成るぞ、万劫(まんごう)変らぬ松の世と成るぞ。 松の国 松の世 結構であるぞ。 
この神示 声出して読みあげてくれよ。 くどう申してあろがな。 言霊(ことだま)高く読みてさえおれば結構が来るのざぞ。 人間心出してはならんぞ。
五月一日、三(みづ)のひつ九のかみ。

 冒頭の“外国”は、外側(外国と幽界)の事象のことであり、カタカナ表記の“コト”は、
“コ”は停滞して働く意と細分の音義、物の凝り集まりに固まる意、
そして、
“ト”は、止まると云う心、
であるので、それは、(霊的成長度の高低を問わず)それぞれの心(靈)の息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)による外側(外国と幽界)の事象の遭遇のこと。
 換言すれば、心(靈)の動き=息吹の結果、“思惑の顕現”=現象化、“どういうつもり”で自分が何かをなそうとしたということ=“道”(時間の進行に伴う)外側(外国と幽界)の事象の遭遇、そのもののことで、それを“上”から観たならば、事象の遭遇は心(靈)(ヒ)の動きの結果であるという意味合いで“コト”である。
(“日月神示”のカタカナ表記は“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)から視点の言い回しであるという決まりがある)

 それで、ここまで解釈してきた“日月神示”の文言の中に登場してきた表記の、“コト”そして“言”、“言波”、“詞(ことば)”、“言霊”、これらは心(靈)(ヒ)が息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)することの意がある。
 またそれは、心(靈)の発振、発信が事象の“創造”となり、それはまた霊的成長度の高低(進化程度)における心(靈)の動きで、どんな事象に遭遇するのか、ということになる。

 このことを踏まえて、冒頭の文言を()内に注釈を入れて解釈する。

“外国(今までの平均的地球人の息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)による外側(外国と幽界)の事象)のコトは無くなるぞ。
(要約すれば、今までの価値観や幸福感で創られた今の腐った事象は無くなっていくの意) 
江戸の仕組(自我の確立=固定化の進化過程(霊的成長の過程=普遍的に実在する創造主のオーラとの感応共振の段階)は)
旧五月五日(五は糸巻の象形文字、神経のこと、神経の発達がローレンツ力であり、天意と感応するもの、そして月は肉体(月(ツキ))、日は心(靈)(ヒ)、よって今までの進化で創られた肉体(月(ツキ))のローレンツ力で感応している今の天意(“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意、“天津御空(あまつみそら)”=“上”からの振動=“創造”の“主(ヌシ)”の思惑を含んだ荷電粒子)は、古い=旧であり、その神経の発達も旧であるということ)迄に終りて呉れよ。 
後はいよいよとなるぞ(旧の進化過程(霊的成長の過程=普遍的に実在する創造主のオーラとの感応共振の段階)ではなくなるということ=今後=アセンション後に移行すべき進化(霊的成長、神格化に向かうこと)をせよということ)
 
 これに続く以下の文も()内に注釈を入れる形で解釈する。
“神が申した時(“上”の発振、発信)にすぐ何事も致して呉れよ、時(アセンションの時期)過ぎると成就せん事あるのざぞ。
(“上”の発振、発信に感応できない霊的成長度では“すぐ”に“上”の思想を自分の認識(悟り、幸取=さとり)に出来ないし、“上”の思惑に沿った“創造”が出来ない=“成就せん”、いわゆるアセンション後に移行出来ない平均的地球人の霊的成長度(“江戸と尾張”、腹の水=“江戸と尾張”の“江”、自我の確立=固定化の段階、そして腹の位相のサイクロトロン)では、次の“創造”は担えないということ)

 次の文。
“桜花一時に散る事あるぞ、いよいよ松の世と成るぞ、万劫(まんごう)変らぬ松の世と成るぞ。 松の国 松の世 結構であるぞ”

 この文の表記の“松の世”そして“松の国 松の世結構”の“松”の解釈が重要であると思う。
それは、今解釈している水の巻の次が、松の巻であり、水の巻の水が、三 ローレンツ力と ○ (みず)、これは“一二三”のオーラと霊=○、荷電粒子の場(フィールド)、そしてローレンツ力ローレンツ力 、の意味があるが、
松の巻は、 霊=○、荷電粒子の場(フィールド) つであり、霊=○、荷電粒子の場(フィールド)とひらがな(“創造”の“主(ヌシ)”に対して被造物である人間の視点)表記の、“つ”である。
 例によって“風止麻邇言霊学(ふとまにことだまがく)”では、“ツ”はつづまる(約まる)集う(つどう) 物をまとめ次々その形を変えて次なる新たななる生命を咲かすの意、があるので、 霊=○、荷電粒子の場(フィールド) つは、“上”の思惑、“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意、あるいは日月の巻の表記の“天津御空(あまつみそら)”=“上”からの振動=“創造”の“主(ヌシ)”の思惑を含んだ荷電粒子が、つづまる(約まる)集う(つどう)して、これまでの進化過程とは違う新たな生命となった心(靈)のことであるとの解釈をする。

 ちなみにこのことが解りやすいのが、松の巻の第三帖の以下の文であるが、先走りすぎるので解釈は見送る。
 だが、ここまで、ここでの“日月神示”解釈を読まれた方はなんとなく意味が解ると思う。

神烈しく、人民静かにせよ。云ふた事 必ず行はねばならんぞ。 天から声あるぞ、地から声あるぞ。 身魂磨けばよくわかるのざぞ。 旧九月八日までにきれいに掃除しておけよ。残る心 獣ぞ。 神とならば、食ふ事も着る事も住む家も心配なくなるぞ。 日本晴れとはその事ざぞ。

 話を戻し、先にピックアップした“松の世”そして“松の国 松の世結構”は、これまでとは違う進化過程(霊的成長の過程=普遍的に実在する創造主のオーラとの感応共振の段階)の心(靈)(ヒ)が“創造”しうる事象が“世”であり、またそれは“万劫(まんごう)変らぬ”のである。
そして“国”は、自省(胸の磁性“十”)して進化(霊的成長、神格化に向かうこと)した心(靈)(ヒ)なので、“結構”=“上”の思惑通りであるということ。
 先に述べた、“これまでの進化過程とは違う新たな生命となった心(靈)”のことである。
 そして、こういった今までとは違う進化過程における個々の心(靈)(ヒ)が持つ価値観や幸福感の息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)が台頭して、次の事象の“創造”をするから、これまでのもの、繁栄したものは、“桜花一時に散る事あるぞ”、崩れるということ。

 これに続く以下の文は、()内に注釈を入れる形で解釈を述べる。

“この神示(“上”の思惑) 声出して読みあげてくれよ(天意を自らの認識(悟り、幸取=さとり)とする“身魂磨き”=(生体内電流による)肉体組織の結晶化をして、自らの“一二三”のオーラとして発振、発信せよ)。 
くどう申してあろがな。 
(“上”の思惑と感応した心(靈)(ヒ)が息吹く=“言”という意味での)言霊(ことだま)高く読みてさえおれば結構が来るのざぞ。 
人間心(これは今、あるいは今までの進化過程における発振、発信のこと)出してはならんぞ”

 今回はこれくらいにしときまんねん。


“ローム太霊講話集” 第九話 死の前後 殺人の場合 Kellyさん的解釈“その一”

 今回から第九話の解釈に入るのだが、交霊会であるローム霊訓講話の記録のローム太霊講話集を編纂した寺見文夫氏のこの「死の前後 殺人の場合」という副題のつけ方に、やや疑問を覚える。

 それは、太霊は第九話の冒頭で“今日初めに取り上げるのは人間が殺されて死ぬ、殺人の場合であるが”とは、述べておられる。

 だが第九話の要は、
人間は確固とした信念を持っていて、それが如何に悪口雑言されようとも、少しも 傷(きづつ)けられないという立派な精神に…中略…誰に何と言われようと、大木の如くまた柳の如く、それを正面(まとも)に受けることも軽く逸らすことも出来る人間になるのが修行…中略…どんなに恨まれても決して恨まない心を造ることが大切…中略…仮令拷問(ごうもん)にかけられ…中略…堪え得るだけの精神の修養はロームが常に教えている筈…中略…絶えず向上を計りまた向上する人間は、心がそこへ行こうとも、本心は真の神を祈っている
であり、
またそれを、
一つの覚悟(さとり)を常に心に思い浮かべ”=このことを決して忘れるな、と述べておられる。
 そして第九話の最後で、
大きな御光(みひかり)の中の霊団、憎悪ではなく燃える太陽のような愛の霊団の一員となり
とも述べておられる。

 これらが第九話の要であり、今の人間、平均的地球人が進化していくにあたって大事な認識を太霊は述べておられるのであり、よって副題の「死の前後 殺人の場合」だけを述べておられるのではないのだ、ということを、最初に述べておく。

 さて、“人間が殺されて死ぬ、殺人の場合”なんてことをする、それを行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)にうつす心(靈)の動きは、以下に大義名分があろうが、自分は正しいと思おうが、自分の都合しか考えていないからである。
 それは、いわゆる“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の心の動きであり、自分の都合しか考えないのは、自我の確立=固定化の進化過程(霊的成長の過程=普遍的に実在する創造主のオーラとの感応共振の段階)で、自我が肥大(“石屋の仕組み”)しているからである。
 
 よって今の平均的地球人の進化の程度が、多少進化(霊的成長、神格化に向かうこと)したならば、殺人なんてことは起きないものである。
 それは、人を含め、すべての生命(生きる使命=存在理由)が、神の“思惑の顕現”=現象化であるという認識(悟り、幸取=さとり)を持つからであり、だからこそ、他人の霊的成長の足を引っ張るようなことはしない=人殺しなどしないようになるものである。

 そして“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”が思う自分にとって都合の悪い事象に対し、それは“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)が課した試練だという認識(悟り、幸取=さとり)を持つから、そこで自分の在り方を鑑みることをする、また、自分に対し“(“慈悲”と“慈愛”由来の)厳しさ“由来の自己観察をする、それが今の地球人より、多少、進化した人であるといい得る。

 それとだいたい、殺人を犯すのは、恨みの連鎖の霊的干渉の増大にしかならないのであり、だからこそ太霊は、
執念(しゅうねん)のために自分は浮遊霊に成り下がる
そして、
相手の霊は、必ず自分が前に殺した者の霊と一団となってそこに再び二つの魂の争いが続けられる…中略…それらの魂は凡て同じ系統を引いた類魂(るいこん)によって、憎悪の霊団に入いりその一員となる仕組みになっている
と述べておられる。

 この相手に対する“憎悪”、そして“類魂(るいこん)によって、憎悪の霊団に入いり”は、心(靈)の動きが同じ、進化程度(心(靈)の発現の程度と心(靈)の動き)が同じ、そして感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)という法則により構成されるものであり、それだからこそ“憎悪の霊団”を構成するのだということを、読み取らなければならない。

 そのことを知ったならば、誰かを殺したいほど憎み、忌み嫌い存在を許さないほど嫌悪していたりしても、すべての事象には理由と根拠があり(偶然なんて認識は、程度の低い認識であるということ)、背負っている因縁、そして恨みの連鎖の霊的干渉そのものは、自分に対しての責任であることをよく自覚するものであるし、それがまた“上”が課した試練であることを知る。

 要は、すべての事象は、自分にとっての必然であり、すべての事象は神の“思惑の顕現”=現象化であり、その事象と遭遇するのは自分の霊的成長度と、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の段階によること、そして息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)で事象を“創造”している、よって出合った何かはすべて霊縁であり、そしてその事象には“神の采配”があるのだということを知る。

 これらの事柄が自分の認識(悟り、幸取=さとり)になっていたならば、自分を諌めることが出来るものであるし、仮に殺人を考えている人間が自分を諌め(出来ないから殺すのであるが)、冒頭で述べたように、ある程度進化した人間ならば、人殺しはしないし、そういった人間でこの世界が構成されたならば、人殺しなど無くなるものである。

 この点で第九話は、自分を諌める、自我を諌める、自分の在り方を鑑みる、それが、
絶えず向上を計りまた向上する人間
の一側面であることを読み取り、そしてそれが出来得るならば、
大きな御光(みひかり)の中の霊団…中略…燃える太陽のような愛の霊団”の“一員
に成りうるということを読み取らなければならないし、それが進化(霊的成長、神格化に向かうこと)のステップであることを、重ねて述べておく。

 次回は、第九話で述べられている“憎悪”と“憎念”、そして“幽体そのものが憎悪の固まりとなって”について解釈を述べることとする。

 今回はこれくらいにしときまんねん。

Kellyさん、爆睡中に、A野さんの愛犬たち登場!…夢の中で、人間に見られる習性について、犬たちと論じる。 “その二十三” (人間じゅんいち君と○○○大先生との会話“その四”)


  …例によってKellyさん爆睡中…

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犬じゅんいち君 人間になって会話中 「○○○大先生、僕は前回、人間セブンちゃんと“ほんとう”を顕現しない心ということについて話をしました。

 それで、僕がこのブログに登場して以来考え続けてきたこと…それは、今の世界に“ほんとう”が無い、大多数の人間は“ほんとう”の“創造”をしていない、そしてそれは、低い功名心と自尊心という心の動き由来のことである。 

 だから多くの人間は、“ブタのけつを見ているアホ”であり、さらに自分の“力”(力、知恵、知識…学問…能力、そして霊能力を含む)を、“ほんとう”に人の役に立つものとせず、“ブタのけつ”にして、それを“ブタのけつを見ているアホ”に、さも価値があるかのようにインプリンティング(刷り込み(すりこみ)、刻印付け)している傾向がある…。
 
 結果それは“うそ、ごまかし、にせもの、いつわり、まちがい”ではあるが、それを、多くの人(平均的地球人の霊的成長度では)容認しているものである…。
 その容認する心の動きの裏には、(通貨としての)金に対する執着、低い自尊心と功名心、本能由来の欲望、低い幸福感がある…。
 また、“ほんとう”に価値のあることを、“ブタのけつ”にしてしまうその理由は、やはり(通貨としての)金に対する執着、低い自尊心と功名心、本能由来の欲望、低い幸福感由来のことでもある。

 僕はそのことに気づき…このことをはっきり知った。
 そしてそれを知ってしまった僕は、孤独になり寂しい気持ちになり…憂いていた…。

 でもその憂いは、“ほんとう”を導き出す過程である…それを前回、人間セブンちゃんに指摘してもらったのでした」

○○○大先生会話中 「うん。 そうだったね。
 じゅんいち君が憂い苦しんで考えてきたことは、“ほんとう”と、そうでは無い何かを認識する過程でもあったと思うよ。
 この二つ、“ほんとう”のこと、そして“ほんとう”では無いこと、どちらが人間にとって価値のあることなのか、誰にでも解りそうなことなのだが、実はこのことが分かっている人間はとても少ないと思えるね。
 それは、多くの人(平均的地球人の霊的成長度、自我の確立=固定化における進化過程(霊的成長の過程=普遍的に実在する創造主のオーラとの感応共振の段階))の心(靈)が、
低い自尊人と功名心中心で構成されているし、
その心(靈)の動きで行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)している、その心(靈)の動きが根拠と理由になっているからであるね。
 このこともじゅんいち君はよく理解していると思う」

犬じゅんいち君 人間になって会話中 「はい、僕自身がそうだったから…」

○○○大先生会話中 「うん…(そうだったのだけれども、今の君は、あの時とは違う心になっているね)。

 それで、自分の心(靈)(ヒ)が低い功名心と自尊心で動いており、低い幸福感しか持っていないこと事態に気付く、これが実は今の地球人にとってとても大事なことである。
またそれに気付かなければ、まほう色の瞳に書かれている“ほんとうの自分というものに近づく”ということになっていかない。

 それは、自分の心(靈)(ヒ)の低さに気づき、心(靈)(ヒ)の動きに“上”と“下”があることを知る。
このことが“観自在”“直日”自省(胸の磁性“十”)の“行”であり“自分を観察する自分の確立”の過程となるものであり、自分の行動と思想がまっとうか、神の思惑に沿っているのか、を、自分で判断する(自己観察)。

 その判断する過程で、自分には低い心(靈)とそうではない心(靈)があることをはっきり認識する。
 
 これが出来なければ、自分の低い心(靈)を諌めることが出来ない。
 また、自分の低い心(靈)、目下(めした)(動物の心(靈)の段階)(大脳旧皮質と古皮質)の心(靈)の動きを、自分で諌めなければ、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)のステップを歩んでいくことにはならないのだし、低い霊的成長度であるからこそまた、自分が持たなければならない、発現させなければならない高い心で、自分の低い心(靈)を指摘することすら出来ない。
 さらに、低い心(靈)を諌めることすらできないならば、“ほんとうの自分”なんてことを理解するに値しないし、それすら考える資格のない霊的成長度といい得る。
 
 これらのことは、すでにアタシが著書で述べたことだが、これを理解できる読者はほとんどいない…というのが、今の時点で平均的地球人に対してアタシが思うことでもある」

犬じゅんいち君 人間になって会話中 「“これを理解できる読者はほとんどいない…”…そうだったのですか。
 ○○○大先生は出版を通じて平均的地球人の心(靈)(ヒ)の低さを知ったのですね。
 …それが、前回、人間セブンちゃんと僕が話をして、人間セブンちゃんが少し語った○○○大先生の憂いであった。
 そしてそれは今の僕と共通…少し烏滸がましい(おこがましい)ですが、○○○大先生の憂いと僕の憂いには、共通する点があると思います」

○○○大先生会話中 「確かにそうだ。 そして君が烏滸がましく思うことも無いよ。 今の人間の低さを知ることは、自分の中の低い心(靈)を見出すことと同義でもある。
 先に述べたように、これはとても大事なことだよ」

犬じゅんいち君 人間になって会話中 「…」

○○○大先生会話中 「まあ…人間の心の低さを知ったのは出版を通じてだけではないのだけれど…それは若いころ…子供のころからかな、アタシは人間の心の低さというものをなんとなく感じてはいた。 

 その対象は、同級生であったり両親であったり…あるいは自分自身であったりもした。
 それは、皆、それぞれ自分の都合や利益を優先するという心の動きを持っている。
 こんなことはじゅんいち君にはよく解るし、あえて説明を要することでもない。
 
 いわゆる“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の心の動きだが、この心(靈)の動き、息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)が、自分たちにとって都合の良い“力”(力、知恵、知識…学問…能力、そして霊能力を含む)の使い方をしているものでもある。
そして低い幸福感しか持ちえない、本能由来の欲望を持ち、(通貨としての)金に執着し、その心(靈)の動きが価値のあるものをダメにしている。
 このことも著書やここまでのブログで幾度となく述べてきたことだ。

 しかしアタシに直接連絡をくれた読者の大多数は、このことがほとんど解っていない。

 こういった低い心(靈)の動きで“創造”したものは、必ず崩れる、それは“神の咎め”であり、アセンションに伴う醜い事象である。
 そして“神の咎め”がある理由は、低い心(靈)の“創造”が“創造”の“主(ヌシ)”の思惑通りではないからである、ということも述べたが、こういった事柄を真剣に考える素地を持った人間は極端に少ない…本を出版する前にある程度分かっていたつもりだったのだが、<4><5>を出版し、一年くらいたったとき、それまでに100人以上の読者から電話、メール、手紙、あるいは直接○○○療院に来院されたり…いろんな人と話をしたが、そのほとんどが先に述べたような“このことがほとんど解っていない”に相当する方たちだった」

犬じゅんいち君 人間になって会話中 「そうだったのですか…」

○○○大先生会話中 「アタシとしては、先回セブンちゃんが語ったように、
自分の考えや認識を世に問うということをし始めた”のだし、そして、
その手ごたえの無さを○○○大先生は感じ、この世界には“ブタのけつを見ているアホ”ばかりなのだ、ということを嘆いて…”こういった思いにとらわれていた。 
 
 この世界の低さ、もうほとんどが手遅れなこと、そしてそのことに気が付かない大多数の人間…情けないな…という感があった。
 また、出版ということに手を染め始めた時から、○○○療院の古い顧客がはなれて行ったりもした。 多分、その人たちは、著書のタイトルだけ見て、金もうけのための本だとか、売名行為だとか、変な宗教にかぶれている、とか、勝手な憶測をして遠ざかったのだと思うし、そういったことを思った人もいるということを知っている。

 だがアタシはそんなつもりで文章を作ったのではない。
 アタシと縁のあった人の進化(霊的成長、神格化に向かうこと)を望む、その指標として、多くの人にいろんなことを考えて欲しかった、という思いがあるし、アタシ自身がこうやって思うこと事態が、自分にとってまっとうなことであるという確信がある。
 だからこそアタシは憂いに捉われていた。

 それで今年の3月22日の読者会において、出席していただいたメンバーの中で当時のアタシを知っている人が数人いて、その方たちによれば、
あの時の先生は投げやりだった”とか“グレていた”とか指摘してもらった。 

 きっと当時のアタシはこんなふうだったのだろう」

投げやりでグレていた○○○大先生

犬じゅんいち君 人間になって会話中 「…」

○○○大先生会話中 「これはアタシが出来た人間ではないということでもあり、よって、その指摘自体がありがたく思えたりもした。
 それは今は状況が少し違うからだ。 数人だが手ごたえのある読者が集まったからね。

 それでじゅんいち君にはよく解っていることだが、この世界の大多数の人は“ブタのけつを見ているアホ”である。
 だから“ほんとう”を見いだせない、“ほんとう”を言葉でしか知らない。 要は認識(悟り、幸取=さとり)が低い、足りない、また事象を観察する視野が狭い、“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の心とその価値観ですべての事象を観るからだ。
 だからそういった霊的成長度の人に“ほんとう”を説いても解るはずがない。 アタシとしては出版を通じて、身に染みてこのことを実感した…それが前回セブンちゃんが君に語った当時のアタシの状況でもある。
 それで今では先に述べたとおり手ごたえのある読者が少し集まって、読者会を行ったりもしている。参加している人たちの認識のたかまりにとても期待している」


犬じゅんいち君 人間になって会話中 「…僕は…今の○○○大先生の話を聞いて、読者会の人達が何を考えていらっしゃるのか興味を持ちました。 よろしければそのお話を聞かせていただきたい…」

○○○大先生会話中 「それは構わない。 だがその前に、今の、霊や神などを取り上げている出版物の程度の低さやくだらなさを指摘しなければならない。

 これまでじゅんいち君は、“ブタのけつを見ているアホ”に関して、(通貨としての)金に対する執着、“見せかけの報酬”、そして“うそ、ごまかし、にせもの、いつわり、まちがい”という要素を考えてきた。

 そしてアタシは、著書でもこのブログでも“役員づら”(形骸の宗教や、アセンションや霊的成長に対し、甘い夢を見させ偽の情報を流すたぐいの人たち…それは悪魔の傀儡(かいらい、くぐつ)ということを述べているが、これが解らない読者も多いし、そんな認識(悟り、幸取=さとり)、そんな霊的成長度では、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)を見いだせないと思う。
よって、今の宗教やスピリチュアル、霊や神、神と人間の関係、オーラやチャクラ、こういう事柄に対する低い認識というのを指摘する、次回君と会って話をするとき、このことを話題にしようと思うがどうだろうか?」

犬じゅんいち君 人間になって会話中 「それで結構です。 よろしくお願いします」

○○○大先生会話中 「承知した、また話が出来るのを楽しみにしているよ。 今日はこれくらいで失礼するね」

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Kelly 会話中 「…先生は、
“その二十一”で言葉にしなかった


あらゆる事象の“創造”の“元”となる理由、根拠、要因たることが、心(靈)(ヒ)の動き、息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)の顕現であるからこそ、すべての事象の成り立ち、根拠、その事象が顕現した理由を見抜き、深く理解できるということでもある

を、じゅんいち君に説明しようとしているんやな…それはよう分かる。
 ほんでからこの下線の引いてある文章を観たなら、霊的成長度に高低があるからこそ、遭遇する事象の高低というものがあること、それが理解できるもんや。

 このことはもうじゅんいち君には解っていることなんやろけど、じゅんいち君が自分の思想を固め、それを根拠に行動する、要は今後どう生きていくかってことなんやけど、その指標になることを○○○大先生は語ろうとしているんやな。

 次回の○○○大先生と人間じゅんいち君の話を楽しみにしときましょ。

 …っちゅうことで、今回はこれくらいにしときまんねん。



“日月神示” 水の巻 第三帖の解釈の総括 & 第四帖 Kellyさん的解釈

 まず、第三帖の総括として。
 
 冒頭で“神の子は神としての自分養ふことも、つとめの一つであるぞ”と述べられては、いるが、なぜこういう言い回しをしているのか、を、考えるならば、今の人間、そして今の神道が、“神の子は神としての自分養ふこと”をしていないからである。
  その“神としての自分養ふ”、本来なら、人の霊的成長と神格化の手助け、指標になるべきはずの宗教、僧侶や神職などが宗教を金儲けにしているから、既成の宗教は腐り果てている。
そして、仏教や神道など既成の宗教は、学校を卒業しただけで僧侶、神主、神職など、になることが出来るというシステムが既におかしいのだが、これについて論じている人間はあまりいない。
そしてこういった人間と、僧侶、神主、神職などは、普通の人生を歩んでいるだけであり、よって、たいして霊的成長をしていない、当然のことながら霊的成長のための“行”をしていない、霊的成長のための“行”に入るまでの苦痛や苦悩に満ちた人生を送っていない(“ほんとう”に神を求めるという段階に入っていない)。

 大体、霊的成長という概念も“役員づら”(形骸の宗教や、アセンションや霊的成長に対し、甘い夢を見させ偽の情報を流すたぐいの人たち…それは悪魔の傀儡(かいらい、くぐつ)である僧侶、神主や神職などには無いし、よって自分の霊的成長と神格化のための“行”という概念も無い。 

 それ以前に、既成概念、一般常識において、御利益で金を集め、権威をひけらかして形骸の地位を保っているだけの僧侶や神主や神職たちが、“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)が人の霊的成長の指標として作らせた宗教をダメにしているという、そういったものの見方が無さすぎるし、大概の人間はこのことに気づくことすらない。 
 そして、神道の権威の代表である天皇制、体外受精しなければお世継ぎが生まれない今の皇室、この天皇制そのものが、にせものであるという見方が無いし、こういった行為そのものが、
“捧ぐるものの絶間無く(ササぐるもののタママナく)、子孫の(ウミノコの)弥栄継ぎに(イヤサカツぎに)栄えしめ給へと(サカえしめタマへと)”



栄え発展する生命、そしてそれは、神の“思惑の顕現”=現象化として生命が現れ立ち、建く(たけく)高く成長、進化=霊的成長、神格化に向かうことをするし、それが、有形生命、または正しき生命、と認識されうるし、“創造”の“主(ヌシ)”の思惑と計画に沿っているからこそ、この事象における有形生命、正しき生命であり、それそのものが、生命の殖え栄ひ進展であり、“創造”の“主(ヌシ)”の思惑と計画が、生物を生み出す力、であり、顕現された思惑と計画は、生命の幹 その現実、であり、それは、延びていくのであり、“創造”の“主(ヌシ)”の振動=“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意、を、停滞させ、生命(生きる使命=存在理由)として働く、それは個々の生命が進化(霊的成長、神格化に向かうこと)して、“創造”の“主(ヌシ)”の思惑を細分して顕現していき、事象の“創造”をする、これが神の“思惑の顕現”=現象化そのものであり、ことに“弥栄継ぎ”は、生気生命の発生力、これは生命(生きる使命=存在理由)の進化(霊的成長、神格化に向かうこと)のためのエネルギー、活力(肝=“いきり立つ心(奴と心)”)という意味合いが感じられ、だからこそその生命は、その心(靈)(ヒ)は高台(たかと)高き段に進む=進化(霊的成長、神格化に向かうこと)を目指すのであり、それはまた、栄え発展する生命であり、そのエネルギーや活力そのものが、幽れたる(かくれたる)生命と力(ちから)であり、生命(生きる使命=存在理由)の進化(霊的成長、神格化に向かうこと)そのものが、“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意を、“身魂磨き”=(生体内電流による)肉体組織の結晶化により、つづまる(約まる)集う(つどう)ということをさせ、天意を止めることのできる肉体(月(ツキ))と心(靈)(ヒ)を創るのが生命、生きている者の使命であるし、それは、栄え発展する生命であり、それには“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意を、幽れたる(かくれたる)生命と力(ちから)、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の活力とする、そうなれば、神の“思惑の顕現”=現象化として生命が現れ立ち、建く(たけく)高く成長、進化=霊的成長、神格化に向かうことをするし、それが、有形生命、または正しき生命、と認識しうるものである
ということではない。

 それは、まっとうな形で子供を作れない、“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)が子供を与えない、許可されていない、それは低いから子供を与えられない、ということをあえて指摘しておくが、こんな形骸になった天皇制をありがたがり、その腐った権威に肖り(あやかり)、蠅のようにたかる神主や神職は、どういった人間なのかということをよく認識すべきであるとは思う。
 それでこのことを指摘した文言が、
“取違ひすると大層な事になるから、気つけておくぞ”
であるだろうし、既成の宗教は人の役に立っておらず、“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の金儲けの道具に成り下がっているのだということを指し示す文言である。

 こういったダメな実態を知っている“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)、“日月神示”を書かせた艮(うしとら)の金神の霊団は、今の“役員づら”の僧侶や神主や神職たちの思想や行動そのものが間違っている、それを知れ、そして“ほんとう”の進化(霊的成長、神格化に向かうこと)を知れ、という意味合いで、
“祓え祝詞書き知らすぞ”、
“「うけひ」の言葉しらすぞ”、
“御先祖様の拝詞しらすぞ”、
に続く文言で、霊的成長、神格化、“創造”の“主(ヌシ)”と被造物である生命、生命の存在の意義と使命(神の“思惑の顕現”)、を説いているのであるし、形骸に成り果て腐り果てている今の既成宗教では、神の思惑は何も伝わっていない、ただありがたそうな言葉をもてあそんで甘い(亜、魔、出ずる、泉。愛(炁)の間に魔が入った状態を指す)夢を見る人間を増やしている結果に成り下がっているから、“ほんとう”のことを示す、その文言が第三帖の要であったと思える。

 上記のことを踏まえ、水の巻 第四帖の本文。
お宮も土足にされる時が来る、おかげ落さん様に気付けよ。
勲章も何んにもならん時が来る、まこと一つに頼れ人々。
二十四日、三の一二のか三。

 これを見るならば、その意味はすぐ解る。 
 ()内に注釈を入れる形で解釈を述べることとする。

“お宮も土足にされる時が来る、おかげ落さん様に気付けよ”
(霊的成長のための指標となるべき宗教、“宮”は、“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の金儲けに利用されているので、“上”から観れば“土足にされる”ということであり、霊的成長の指標になっていないので“おかげ落さん様に気付け”、“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)が人に示した宗教の意義をきちんと見出す人間を期待した言い回しである)

“勲章も何んにもならん時が来る、まこと一つに頼れ人々”
(形骸の地位、程度の低い人間同士が褒めそやすこと、それを“勲章”と称し、そんなものは“何んにもならん”のであり、“時が来る”というのは、“役員づら”がその霊的成長度の低さを示す、馬脚を現す時が来るという言い回し。 そして“役員づら”が運用している宗教は“まこと”ではないから、“まこと一つに頼れ人々”といわれている)

 今回はこれくらいにしときまんねん。



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 Kelly & ○○○大先生

Author: Kelly & ○○○大先生
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Kellyさんと○○○大先生は、
このブログを書いている○○○の、
心(靈)の二面性であり、
同一人物で有る事を、
お断りしておきます。

出版の告知

四冊目&五冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈4〉
智性無き心は
悪を容認する


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈5〉
智性無き心は
アセンションを見誤る

 この二冊は、同時発売です。
太陽凝視を行っている鍼灸師の話 <4> 智性無き心は 悪を容認する & 太陽凝視を行っている鍼灸師の話 <5> 智性無き心は アセンションを見誤る サムネイル
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2010年 4月20日(火)ごろより、全国書店(紀伊國屋書店・三省堂書店・旭屋書店・ジュンク堂書店・ブックファースト・リブロ・丸善など)にて順次陳列。


発売中の三冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈3〉

神格化のプロセス
目上(めうえ)と目下(めした)


神格化のプロセス 目上と目下 縮小版 ブログ用
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発売中の二冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈2〉

ローム太霊の教え
日足(ひたり)と砌(みぎり)


サムネイル太陽凝視を行っている鍼灸師の話〈2〉ローム太霊の教え 日足(ひたり)と砌(みぎり) 
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太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈1〉

ローム太霊との出会い


太陽凝視を行っている鍼灸師の話〈1〉ローム太霊との出会い
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2005年10月1日~2008年1月15日まで、
“Kellyさんとの会話”で、説明して来た事・・・
その内容・・・それは・・・その何年も前から、
何か自分の考えをある程度公表しなければならない・・・
そう言う通信を受け・・・その理由は・・・地球人が低い心(靈)の発現しかしていない・・・
それを自覚していない人が多い。
その事由来の太陽凝視に対する認識、
(太陽凝視=不食・・・としか、認識させない存在の思惑を、受信している事)
霊的成長に対する認識、
神に対する認識、
心=靈に対する認識、
オーラに対する認識、
そして、
高い認識の上での進化の意味と幸福の概念と神の概念・・・
進化=霊的成長=神格化=(相対的に)高い認識を獲得する事・・・
霊的成長=神に近づく事=真の幸福の意味。
霊的成長度は1番目のオーラに顕れる。
よって、宇宙的プログラムにより次の段階に移行する人(日止、霊止)は、 何を考えるべきなのか・・・
そして、人(日止、霊止)の進化を阻む存在の思惑、
その心=靈の動き、それらの意図・・・それが一般に認知されていない事。
それらを伝えなければ成らない・・・そして一応・・・完結はしたのですが・・・
解り難い・・・理解しがたい・・・具体例を示して欲しい・・・そう言う感想も頂き、
そして自分なりにも説明が足らなかった事・・・
更に、
“Kellyさんとの会話”が完結してからも通信を受けている事・・・そう云う事もあり・・・
よって、このブログを立ち上げる事としました。
従って、
“Kellyさんとの会話”が、
自分の意見を述べる上での、ローム太霊の言葉、
“右往左往”(“いきり立つ心(奴と心)”で行動してから考える)・・・と、 するならば、 このブログはアタシ自身の、
“左往右往”(“思う、憂う”・・・体験を教訓として考え行動する)の、
作業になって行くと思います。


太陽凝視を行っている鍼灸師の話 “総括編”
太陽凝視を行っている鍼灸師の話 “改”
予約制 鍼(はり) 灸(きゅう) マッサージ治療 児玉療院
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○○○大先生の水草水槽記録
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自分達の欲望を満たしたい… 
自分だけ幸福になりたい…
こういった進化程度の低い心(靈)の発現由来の思いが、
低い幸福の概念になり(目下(めした)の思い)
その結果が、飢餓貧困、戦争の原因になったりしています。
(子供の浮游霊の霊的干渉の影響を受け、 それがどんどん増して行く事等が、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)
の思惑だと 思えます)

恨みの連鎖による霊的干渉を増やさない為、
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