“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話

太陽凝視を一生涯の“行”とし(現在、44年目)、実践し、その上で獲得した認識を述べています。

“日月神示” 水の巻 第八帖 Kellyさん的解釈 


 今回も、水の巻 第八帖を解釈しまんねん。 原文は以下の通り。

鎮座は六月の十日であるぞ。 神示書かしてまる一年ぞ。 
神示で知らしてあろが、それからがいよいよの正念場ざぞ。 びっくり箱あくぞ。
五月四日、みづのひつ九のか三。

 冒頭の“六月の十日”は、いつも解釈している通り日付のことではなく、“六”は、爻部(こうぶ)=丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)と乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現)が重なった表記で、神の思惑と“日止、霊止”の思惑が交わるの意味、天意を顕現する、いわゆる“天詞様”になれよということ、そして月は肉体(月(ツキ))のこと。

(ちなみに“天詞様”は今の何の価値も見出せない天皇制のことなどではない)

 “十”は、胸の磁性“十”、シンクロトロンの構造、その強化、いわゆるアナハタチャクラ(チャクラは荷電粒子の回転)、そこにおける心(靈)の発現は、自省(胸の磁性“十”)と“慈悲(いつくしむ、かなしむ、心(靈)が(非)いたむ)”と、“慈愛(いつくしみ、いつくしむ)”、さらにその心(靈)の進化過程(霊的成長の過程=普遍的に実在する創造主のオーラとの感応共振の段階)で観察しうる事象は、第四密度と称されるものであり、第三密度である自我の確立=固定化の進化過程の息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)で“創造”しうる事象とは違ってくるものである。
 そして“日”は太陽のことであり、心(靈)(ヒ)の進化が“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意、その取り込み(“日止、霊止”の表記の意味)であることを示す。 
その心(靈)の発現をして進化(霊的成長、神格化に向かうこと)していくなれば、自分が“観察と認識”しうるすべての事象を慈しみ、すべての事象を大切に感じ(感じる磁性)、さらにすべての事象が“神の采配”によることを認識するから神聖さを感得しうるようになる、そして自らの息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)は、神聖な事象の“創造”をしようとする、そういった霊的成長度のことを指すもの。
 よって“鎮座は六月の十日である”というのは、今の地球人より進化(霊的成長、神格化に向かうこと)を果たした肉体(月(ツキ))と心(靈)(ヒ)には、“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)が“鎮座”するものであるということ。

 これに続く
“神示書かしてまる一年ぞ”
は、自動書記で“日月神示”を書いている岡本天明に対するねぎらいの言葉、それはこういった憑依現象は大変疲れるものであるからである。

 これに続く
“神示で知らしてあろが、それからがいよいよの正念場ざぞ。 びっくり箱あくぞ”
の“正念場”は、アセンションの時期のことと、アセンションに間に合う霊的成長度になれよ、自我を諌める霊的成長度くらいにはなっておけよ、という意味合いであり、“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”のままでは次の事象に移行できないから“正念場”といわれ、時期が近いから“いよいよ”であり、“神示で知らしてあろが”は、その時期に間に合うための心の在り方と、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)のための“行”のこと。
 この心(靈)の在り方のことを“日月神示”では“身魂掃除”“身魂洗濯”“改心”“秋立つ”と述べられ、“行”に関しては、“役員づら”(形骸の宗教や、アセンションや霊的成長に対し、甘い夢を見させ偽の情報を流すたぐいの人たち…それは悪魔の傀儡(かいらい、くぐつ)が一般の人にインプリンティング(刷り込み(すりこみ)、刻印付け)した形骸の行ごっこのことなどではなく、“身魂磨き”と称しており、それは、生体内電流による肉体組織の結晶化(“玉(ぎょく)”、タンパク質の高分子化)であり、今後=アセンション後に移行すべき智性(神性)(“一”、1番目のオーラ)(日を知る性質)を獲得するには、“ひつく”“日津久”=太陽凝視を“行”として行うことを、黒住教の時から艮(うしとら)の金神を名乗る霊団は教えているものである。

 その霊的成長度の人達の息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)で創られた事象は、今までの進化過程、今の平均的地球人が創ってきた事象、それと、平均的地球人=“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の価値観、幸福感とはまったく違うので、“びっくり箱あくぞ”と称されているし、今後=アセンション後の人達は、ローム太霊が教えた“世為人為”(S会=紫光会の経文、四空経録の中の言葉)を理念として、価値観と幸福感を鑑み、それを行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)の根拠とするものである。

今回はこれくらいにしときまんねん。



“ローム太霊講話集” 第九話 死の前後 殺人の場合 Kellyさん的解釈 第九話の総括

 ○○○大先生が著書で述べたように、恨みの連鎖の霊的干渉の現象化(戦争、災害、病気、犯罪、ことに最近多い理不尽な殺人、etc.)は、今、どんどん増え、悲惨なものになりつつある。

  その現象化に関わっているのが、第九話で太霊が述べられた“憎悪の霊団”である。

 そして、大概の地球人は、自我の確立=固定化の進化過程であるから、霊媒体質なので、同じように進化程度の低い霊的存在である“憎悪の霊団”の憑依があり、心を乗っ取られやすい。

 また、この醜い憑依現象の結果そのものが、霊的成長度の低い人間の息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)によるものである。

 換言すれば、程度の低い人と、程度の低い霊的存在の憑依現象による“思惑の顕現”であるが、恨みの連鎖の霊的干渉の現象化そのものが、低い心(靈)(目下(めした))の祈りが実った結果に付随するものでもあることを、○○○大先生は著書で述べている。

 そしてその低い祈りは、いうまでも無く、三毒、貪、瞋、痴(とん、しん、ち)

● 貪は、むさぼる、本能由来の行動。

● 瞋は、怒って目をかっと見はり、相手をにらみつける様子。例えば、瞋恚(しんい)は、自分の心に反するものを憎み怒り恨む憎悪の心の動き。

● 痴は、知恵が足りない、おろか、理性を失ったさま、夢中になることの意(痴の異体字は、癡(おろか)、仏教が教える煩悩のひとつ、無明ともいう、万の事物の理(法則性)にくらき心をさす。

この心の動きであり、その祈り、息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)に感応するのが、低い霊的存在であることをこれまで幾度となく述べてきている。

 それで、今後=アセンション後では、低い祈りをする人間がいなくなるものであることも、○○○大先生は著書で述べているが、次の世界の“創造”を担いたいならば、自分は何を思い、どういう心の動きをするべきか=どういった息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)をするべきか、これを個々の人達が鑑みる、そのために太霊はローム霊訓講話(ローム太霊講話集)で、人間の在り方についてたびたび述べておられる。

(さらに、S会=紫光会の交霊会では、今後=アセンション後に移行すべき人のことを“これからの人、明日の人”という言い回しをされたものである)

 これについて第九話解釈の“その一”で、以下の文言についてピックアップさせてもらった。

人間は確固とした信念を持っていて、それが如何に悪口雑言されようとも、少しも 傷(きづつ)けられないという立派な精神に…中略…誰に何と言われようと、大木の如くまた柳の如く、それを正面(まとも)に受けることも軽く逸らすことも出来る人間になるのが修行…中略…どんなに恨まれても決して恨まない心を造ることが大切…中略…仮令拷問(ごうもん)にかけられ…中略…堪え得るだけの精神の修養はロームが常に教えている筈…中略…絶えず向上を計りまた向上する人間は、心がそこへ行こうとも、本心は真の神を祈っている
そしてこれを、
一つの覚悟(さとり)を常に心に思い浮かべ”=このことを決して忘れるな、と述べておられる。
 さらに、
大きな御光(みひかり)の中の霊団、憎悪ではなく燃える太陽のような愛の霊団の一員となり
とも述べておられる。

 この文言だけではなく、例えばローム太霊講話集第二話の以下の文、
宇宙を照らす太陽が無限の愛と慈悲との象徴であることが分かってくるであろう。これが何とかしてこの地球を、凡ての人間が不幸から救われて愉快にたのしく暮らせる楽土にしたいという、神自身の本当の気持ちではないかと思う。この神の気持ちは人間の心の中にもありながら、それを出す時が余り少ないのであって、その半分も無理であろうが、自分のできる範囲でこの神の心を出せばよい
の、
神自身の本当の気持ち”、これを“自分のできる範囲でこの神の心を出せ”ともおっしゃられている。

 そして第五話では、
人間は自分のことばかりでなく、他の人々の精神と肉体との完成をも併せ祈るべきで、これが慈愛というものである
とおっしゃられている。

 さらに第六話で、
神が人間のために尽されるように、人間にも人間のために尽さして下さいと願う所と思えばよいのである。これは人間としては自分の使命を完成さしてもらう元であって、この北神の祈りは言葉にすれば、どうか今日も世のため人のために役立たせていただきたいということになる
この、
人間にも人間のために尽さして下さい”、
これが、
自分の使命を完成さしてもらう元”と述べられ、神に課せられている“使命”がどういったものなのか、自分たちは何を思って生きていくか=生業(なりわい)と“行”を行っていくのか、をも、示しておられる。

 また第八話で、今の人間の低さが恨みの連鎖の霊的干渉を作り出し増大させている具体例を述べておられ、それを知ったなら自分は何を思うべきか、についても以下の文言で示しておられる。
先祖の一人が人を殺して自分は見付からずにすんだが、相手の怨念の固まりが残っていてそれが子孫に祟るのであるから、これは凡て因縁によるものである。そこで北神の祈りにあったように、人間は生命のある限り世のため人のために尽すという気持を忘れないでいれば、どんな病気、原爆にも決して冒されることはないのであって、これはロームがはっきり言えるのであるから、この神の教えに従う汝等は、常にそういう心掛けで進んでいってもらいたい
これを要約したのが“世為人為”(S会=紫光会の経文、四空経録の中の言葉)である。

 それで、第九話の表題である「死の前後 殺人の場合」、これは今の地球人の進化程度が低いから、自我の肥大をしているから起きることであり、それぞれの心(靈)の在り方が大事であることを示されておられる。
 そしてもうひとつ大事なのは、殺人には“憎悪の霊団”の霊的干渉があり、この“憎悪の霊団”を作らない心(靈)の在り方、そして“憎悪の霊団”と感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)しない心(靈)の在り方、それが以下の文言、
悟らなければならないことは、汝等は常に心の鍛錬をしているが、人間は確固とした信念を持っていて、それが如何に悪口雑言されようとも、少しも 傷(きづつ)けられないという立派な精神になる…中略…どんなに恨まれても決して恨まない心を造る…中略…そんなもの恨んだところで何になる。絶えず向上を計りまた向上する人間は、心がそこへ行こうとも、本心は真の神を祈っている
の、
本心は真の神を祈っている”、
この文言に何を思うべきか、自分たちはどう在るべきか、ということをしっかり鑑みる、また鑑みる人間でなければ進化(霊的成長、神格化に向かうこと)はしない、ということを、太霊は示しておられるのだということを述べ、第九話の解釈の総括とする。
 
 次回のこのカテゴリーでは「第十話 死の前後 天災、戦争による集団死の場合」の解釈に入ることを告知して、今回はこれくらいにしときまんねん。



“日月神示” 水の巻 第七帖 Kellyさん的解釈 


 今回も、水の巻 第七帖を解釈しまんねん。 原文は以下の通り。

皆病気になりてゐること分らぬか。 一二三のりとで直してやれよ。 神示読みて直してやれよ。 自分でも分らぬ病になってゐるぞ、早ふ直さぬとどうにもならんことになって来るぞ。
この宮、仮であるぞ。真中に富士の山つくり、そのまわりに七つの山つくりて呉れよ。 拝殿つくり呉れよ。 神示書かす所作りてくれよ。 天明弥澄む所作りて呉れよ。 いづれも仮でよいぞ。 早ようなされよ。 
松の心にさへなりておれば、何事もすくすく行くぞ。
五月四日、みづのひつ九のか三。

 第七帖の“病気”“病”という表記の意味は、実際の病気も含め、恨みの連鎖の霊的干渉、そしてその現象化のことである。 
 その現象化の具体例は、戦争であったり事故や犯罪であったり、あるいは悪の回転、荷電粒子の右回転が、左回転で構成されて進化してきた(タンパク質の高分子化)遺伝子の崩壊をまねいたりして、癌になったり新種のウィルスになったりするとの私見を持つ。
 そして恨みの連鎖の霊的干渉の影響を受けるのは、感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)であり、“気血栄衛(營)”(取り込んだ振動で心(靈)と体が創り変わる)であるから、自分の心(靈)の動きそのものが、影響を受ける理由と根拠に成りうるものである。
 また自分の心(靈)の動きと憑依してくる霊的存在の心(靈)の動きは、幾度となく述べてきているように、目下(めした)(大脳旧皮質と古皮質)(動物の心(靈)の段階)、三毒、貪、瞋、痴(とん、しん、ち、)である。

 今の地球人の進化過程(霊的成長の過程=普遍的に実在する創造主のオーラとの感応共振の段階)は自我の確立=固定化の段階であり、自我の肥大(“石屋の仕組み”)に陥っているものである。
 それは、自分が間違っていても、そのことを自覚していても、突っ張ったりすることが自我の強化であったりもする、自分の非を認めないとか、自分は悪くないとか思いたい、こういった心(靈)の動きそのものが自省(胸の磁性“十”)が出来ていない、ということであり、霊的成長度が低いといい得るものであり、その心(靈)の動きの発振、発信、息吹(自分の心(靈)が吹く)が、自分の心(靈)の動きと同程度の心(靈)の動きを持った霊的存在の憑依をまねいているのだが、このことに気づく人はほとんどいない。 
 また自我の確立=固定化の進化過程は、霊媒体質であるから、三毒、貪、瞋、痴(とん、しん、ち、)の心の動きを持った低い霊的存在に自分の心(靈)を乗っ取られやすい、それは自分の心(靈)の中に入り込まれ、自分の心(靈)の動きか悪霊の心(靈)の動きか自分でそれが判断できない人が多いということ。

 またこのことは、前回の第六帖の、
“神国(進化(霊的成長、神格化に向かうこと)を目指す心(靈)(ヒ))負けると云ふ心、言葉(発振、発信)は悪魔ぞ、
本土(本は“本津宮”(もとつみや)の“本”、自省(胸の磁性“十”)の心、土は肉体(月(ツキ))のこと)上陸(進化(霊的成長、神格化に向かうこと)を果たそうとする心(靈)(ヒ)を阻むこと)と云ふキは悪魔ざぞ”
という文言で示されている。

 それで第七帖では、

“皆病気になりてゐること分らぬか”
“自分でも分らぬ病になってゐるぞ、早ふ直さぬとどうにもならんことになって来るぞ”

と述べられており、
そうならないようにするには、

“一二三のりとで直してやれよ。 神示読みて直してやれよ”

と、自らの心(靈)(ヒ)の発振、発信=“のりと”、それは“一二三”のオーラをしっかりさせよ、霊的成長せよ、“一”=智性=1番目のオーラを立派にする“行”を艮(うしとら)の金神は朝日の日拝(にっぱい)(太陽凝視の入門、初心者向け)を、黒住教で教えており、“ひつく”“日津久”=太陽凝視を“行”として行うことで“一”=智性=1番目のオーラが立派になったなら、“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意と感応し、天意を自らの思想とする=“神示”を自分の思想とする、そうなれば当然、自省(胸の磁性“十”)の出来た心になり、先に述べた程度の低い感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)は起きにくくなるものであるからこそ、“病気”“病”と称された恨みの連鎖の霊的干渉の影響を受けにくくなるし、今の地球人の進化は、土=2~3番目のオーラの進化過程(霊的成長の過程=普遍的に実在する創造主のオーラとの感応共振の段階)であることが多いから、“一二三”、“一”=智性=1番目のオーラをしっかりさせよ、という表記が“日月神示”にたびたび登場するし、“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)である艮(うしとら)の金神と名乗る霊団は、今の地球人のオーラの構成が“二三”であるから、そこから“ひつく”“日津久”=太陽凝視を“行”として行うことをして、“身魂磨き”=(生体内電流による)肉体組織の結晶化を太陽凝視で行い、“一”=智性=1番目のオーラを立派にせよ、このことを教えているのである。

 これに続く、

“この宮、仮であるぞ。 真中に富士の山つくり、そのまわりに七つの山つくりて呉れよ。 拝殿つくり呉れよ。 神示書かす所作りてくれよ。 天明弥澄む所作りて呉れよ。 いづれも仮でよいぞ。 早ようなされよ”


“この宮”“拝殿”“神示書かすところ”
というのは、
先に述べた天意と感応するべく“行”やって“一”=智性=1番目のオーラを立派にしようとする自分自身のことである。

 そして
“天明弥澄む所”
は、“日月神示”を自動書記で書いた岡本天明のことではなく、“天”は天意、“天津御空(あまつみそら)”=“上”からの振動=“創造”の“主(ヌシ)”の思惑を含んだ荷電粒子であり、“明”は、太陽と月であり、“弥”は弥栄(いやさか)、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)を目指すことそのものであり、“澄”は、恨みの連鎖の霊的干渉の影響を受けないようにすることの意であり、“所”は“行”やっていく自分のことであり、“真中に富士の山つくり、そのまわりに七つの山つくりて呉れ”は、“行”やって“富士(二二)”、肉体の二つの磁性、日足(ひたり)と砌(みぎり)、ヨガで言えばイダとピンガラ、太陽の気道と月の気道、これをしっかりさせて、“山”=高分子化したタンパク質で肉体を構成せよ、あるいは目上(めうえ)の脳(高い心霊は“山”という表記で脳のことを指し示す)をりっぱにせよ、またそれは“身魂磨き”=(生体内電流による)肉体組織の結晶化せよ、そしてそれは七つのチャクラ(荷電粒子の回転を示す)をしっかりすることであるから“七つの山”と称されているものである。
 そしてそれは、今の地球人に、“仮でよい”といわれ、いきなり天意と感応せよ、すぐに“一”=智性=1番目のオーラを立派にせよ、ではなく、それを目指せ、そうならば次の段階に移行する資格となるのだと、いわれているし、霊的成長度における区分け、その時期は近いから“早ようなされよ”である。


 これに続く、

“松の心にさへなりておれば、何事もすくすく行くぞ”

の“松”は、第五帖で解釈を述べた“〇つ”“であり、それは、霊=○、荷電粒子の場(フィールド) と、ひらがな表記の“つ”である。
 この表記の意味は、“上”の思惑、“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意、“天津御空(あまつみそら)”=“上”からの振動=“創造”の“主(ヌシ)”の思惑を含んだ荷電粒子が、つづまる(約まる)集う(つどう)して、これまでの進化過程とは違う新たな生命となった心(靈)=○であるから、今の地球人の恨みの連鎖の霊的干渉にまみれた現状とは違い、“何事もすくすく行く”といわれている。

 今回はこれくらいにしときまんねん。



“日月神示” 水の巻 第六帖 Kellyさん的解釈 


 今回も、水の巻 第六帖を解釈しまんねん。 原文は以下の通り。

キが元ぞと申してあろがな。
神国負けると云ふ心、言葉は悪魔ぞ、本土上陸と云ふキは悪魔ざぞ。
キ大きく持ちて下されよ。 島国日本にとらはれて呉れるなよ。 小さい事思ふてゐると見当取れん事になるぞ。
一たべよ、二たべよ、食べるには噛むことぞ、噛むとはかみざぞ、神にそなへてからかむのざぞ、かめばかむほど神となるぞ、神国ぞ、神ながらの国ぞ。 かみながら仕事してもよいぞ。 
青山も泣き枯る時あると申してあろが。 日に千人食い殺されたら千五百の産屋(うぶや)建てよ。 かむいざなぎの神のおん教ぞ。 神きらふ身魂は臣民も厭ふぞ。
五月二日、三のひつくのか三。

 冒頭の文の、“キが元ぞと申してあろがな”。

この“キ”、そして“元”の表記、これは進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の“道”(時間の進行)“理(ミチ)”(法則性)を指し示し、そこにおいて自らが“観察と認識”しうる事象(外側(外国と幽界)の事象も内面とか内側(心の中と感じている事)、その両方のこと)を指す表記である。 
ちなみに“キ”については、磐戸の巻 第二十一帖で以下のように解釈した。

“キ”の音根はモノの現れを示す、その音根に現わし得ざる心の素幸霊(スサノオ)(生物)自ら明津(アキツ)させんにぞかし(ぞかし という表記は、…だぞ、…だよ、…である、強く念 を押して断定する意)と記されているので、この事象に顕現した生命=現わし得ざる心の素幸霊(スサノオ)(生物)が、観察しうる事象を自分の心の動き、息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)により、より良いカタチにする=自ら明(太陽と月、日足と砌(ひたりとみぎり))津(ツ、中心の意)させんにぞかし という解釈が成り立ち、先に述べたように文末に“ぞかし”と述べられているのは、生命(心の素幸霊(スサノオ)(生物))が、自ら観察しうる事象を自分の心の顕現とするということであり、それがまた神の子としての生命(生きる使命=存在理由)であるということを強調して述べられている

 そして“元”という表記は、肉体(月(ツキ))を表す“二”と、時間の進行の意味がある儿部(じんぶ、にんにょう)、で構成されているので肉体(月(ツキ))をともなった心(靈)(ヒ)が時間の進行(“道”)とともに、神の思惑に沿った(“理(ミチ)”)、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)を果たしていくのだという意味合いがある。

 次の文。
“神国負けると云ふ心、言葉は悪魔ぞ、本土上陸と云ふキは悪魔ざぞ。
キ大きく持ちて下されよ。 島国日本にとらはれて呉れるなよ。 小さい事思ふてゐると見当取れん事になるぞ”

 この文の“神国”“本土”“島国日本”“神ながらの国”の解釈、右翼傾向の強い人たちが間違えるであろうこの表記の解釈が大事であり、これらはすべて、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)を目指さなければならない自分たち(“日止、霊止”という生命(生きる使命=存在理由))のことである。
 少々蛇足になるが、これまで述べている通り“国”というのは、平均的地球人の霊的成長度における認識(自我中心の認識)が生み出している縄張りのことではなく、“国”という字を構成している(囗)くにがまえ、は、場(フィールド)であり、“玉(ぎょく)”は自省(胸の磁性“十”)の心(靈)の動きを示し、それは自我より“上”の心(智性(神性)、智慧(日を知る事=智性の恵み=慧)、“創造”、“慈悲”と“慈愛”ゆえの自分に対する“厳しさ”)を発現しうる霊的成長度の人が、“玉(ぎょく)”と呼ばれるに値する、“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)がそう評価する人間であり、また“玉(ぎょく)”は結晶化を指し、“ほんとう”の“行”やっていけば、苦痛や苦悩は、神経(“日月神示”でよく使われる表記としては“五”
(五は糸巻(神経で構成されるコイルのこと)の象形文字)、あるいは“五月”=神経と肉体(月(ツキ)))
を流れる生体内電流の強化と変容であるからこそ、タンパク質の高分子化、肉体組織の結晶化が起きていき、その結果として、“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意、あるいは、“天津御空(あまつみそら)”=“上”からの振動=“創造”の“主(ヌシ)”の思惑を含んだ荷電粒子、との感応をして、肉体(月(ツキ))と心(靈)(ヒ)は、“気血栄衛(營)”(取り込んだ振動で心(靈)と体が創り変わる)して変わりうる、それが進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の具体的な説明となるが、それを“日月神示”では、“身魂磨き”=(生体内電流による)肉体組織の結晶化と称されている。
 要は、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)を果たすべき心(靈)(ヒ)は、“行”やって結晶化した肉体組織にならねばならず、“行”の意義はそこにあるが、このことも“役員づら”(形骸の宗教や、アセンションや霊的成長に対し、甘い夢を見させ偽の情報を流すたぐいの人たち…それは悪魔の傀儡(かいらい、くぐつ)が流布した既成概念によって大概の地球人には理解不能なことに成り果てている。 それは霊的成長、神格化に向かうこと、を阻む存在、悪魔の思惑であるが、その思惑自体も発振、発信であり、“キ”であるので、
“神国(進化(霊的成長、神格化に向かうこと)を目指す心(靈)(ヒ))負けると云ふ心、言葉(発振、発信)は悪魔ぞ、
本土(本は“本津宮”(もとつみや)の“本”、自省(胸の磁性“十”)の心、土は肉体(月(ツキ))のこと)
上陸(進化(霊的成長、神格化に向かうこと)を果たそうとする心(靈)(ヒ)を阻むこと)と云ふキは悪魔ざぞ”
と称されている。

 これに続く以下の文も()内に注釈を入れる形で解釈を述べる。

“キ大きく持ちて下されよ(“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の自我の肥大した心は矮小で脆弱で、憑依現象で心を乗っ取られることが多いので、自分の思惑、“どういうつもり”、心(靈)の動きの発振、発信=“キ”の在り方を鑑みよの意)。 
島国日本にとらはれて呉れるなよ(タンパク質がより集まり組織を構成していくことを“島”という表記で表すと日月の巻 第三十帖で解釈したが、それは進化の最初の段階でしかなく、“身魂磨き”=(生体内電流による)肉体組織の結晶化には程遠い、現状の地球人の進化過程(霊的成長の過程=普遍的に実在する創造主のオーラとの感応共振の段階)は、先に述べたように矮小で脆弱で憑依現象で心を乗っ取られやすいので、“島国日本”と揶揄されている)。 
小さい事思ふてゐると見当取れん事になるぞ(自我の確立=固定化、結晶化していない=“行”やってない肉体(月(ツキ))で発現している心(靈)は“小さい事思ふてゐる”のであり、人間の存在の意義、生命の存在理由を考えること出来ないので“見当取れん”ということ)

 これに続く“一たべよ、二たべよ、食べるには噛むことぞ、噛むとはかみざぞ、神にそなへてからかむのざぞ、かめばかむほど神となるぞ、神国ぞ、神ながらの国ぞ。 かみながら仕事してもよいぞ”の、“一たべよ、二たべよ”は、“一二三”のオーラの“一”=智性=1番目のオーラと、手の磁束で構成される二番目のオーラ、これはシンクロトロンの基本構造といえ、脊椎動物が進化して手が発達したからこそ自省(胸の磁性“十”)の心を持つことを今まで述べてきているが、その意味合いのことであると思う。 
 そして“食べるには噛むことぞ、噛むとはかみざぞ”は、噛むことによる圧電、これはローム太霊の言葉である“粘りとやせ我慢”の意味のひとつであり、自分に課せられた人生における因縁、生業(なりわい)の“行”、そして進化(霊的成長、神格化に向かうこと)のための“行”には、“粘りとやせ我慢”が必須であり、その際には歯を食いしばり…という言い回しがよく解るだろうが、我慢することは“間断なき行”であり、進化に必須なので“かめばかむほど神となる”こういう言い回しがされ、それは自分が頑張る(元の気を張る)、我慢する、すべて“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)の思惑に自らが自らを照らし合わせて、自分自身が頑張らなければならないから“神にそなへてからかむ”といわれている。 
 そうやって“粘りとやせ我慢”“間断なき行”、頑張る(元の気を張る)ことをしていくならばそれは、進化を目指す心(靈)(ヒ)=“神国ぞ、神ながらの国ぞ”といえ、ことに“神ながら”という表記は、“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)との感応共振をさすものである。
 これに続く“かみながら仕事してもよいぞ”は、“上”と感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)しながら生業(なりわい)をなせよ、という意味合い。

 次の
“青山も泣き枯る時あると申してあろが”
は、いうまでもなく“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の“キ”の結果、その事象は崩れるの意味合いであり、これに続く
“日に千人食い殺されたら千五百の産屋(うぶや)建てよ。 かむいざなぎの神のおん教ぞ”
は、恨みの連鎖の霊的干渉による人間の死は悪魔の思惑であるのだが、神の思惑として存在している生命(生きる使命=存在理由)は恨みの連鎖の霊的干渉を受けるのは自己責任であり多くの死者が出るのは当然だが、必ずそれ以上の生命を生み出すものであるという言い回し。
 そしてこれは古事記の引用であり、黄泉の国に落ち、腐り果てた伊邪那美(いざなみ)=腐り果てた砌(みぎり)の極性(事象への顕現)と、それを知った伊邪那岐(いざなぎ)の思惑(日足(ひたり)の極性)を指すものである。

 要は進化(霊的成長、神格化に向かうこと)を果たそうとする生命(生きる使命=存在理由)は、滅びない、廃れない、のであり、その理由と根拠は生命(生きる使命=存在理由)が神の“思惑の顕現”であるからであるし、それが“かむいざなぎの神のおん教”と称されている。

 これに続く“神きらふ身魂は臣民も厭ふぞ”は、第六帖の文頭の“神国負けると云ふ心、言葉は悪魔”にかかる言い回しであり、自我の確立=固定化の進化過程(霊的成長の過程=普遍的に実在する創造主のオーラとの感応共振の段階)、自我の肥大、自分の心(靈)を憑依現象によって見失っている多くの地球人、形骸の価値や薄っぺらい幸福感に酔いしれている多くの人は神の思惑通りの生命ではないから“神きらふ身魂”であり、それは今後=アセンション後における“臣民”が“厭ふ”ものなのだということを、述べている。

 今回はこれくらいにしときまんねん。



“ローム太霊講話集” 第九話 死の前後 殺人の場合 Kellyさん的解釈“その二”


 先回の終わりで述べた第九話本文の表記、“幽体そのものが憎悪の固まりとなって”そして“憎悪”と“憎念”、これは霊的成長度を示す表記である。

 まず、“幽体”での心(靈)の発現というのは、○○○大先生が著書の<3>を中心に述べた心(靈)の構造である、本能、情動、功名心、自我、愛(炁)、創造、知恵、智慧、智性、の、自我までであり、よって、先回述べた殺人を犯そうとする心の動き、
“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”が思う自分にとって都合の悪い事象
を、自分がどう思うのか、そこに個々の心(靈)(ヒ)の霊的成長度、

● どれくらい自分の心(靈)が神に近付いているのか
● どれくらい自分の心(靈)が悪魔に近いのか、換言すれば“日月神示”表記の“獣”“ケダモノ”なのか

の程度が、自分が自分の心(靈)の動きを観て(“観自在”“直日”自省(胸の磁性“十”)の“行”)、判るものである。 

 またこれが自ら判らないならば、それは、智性(神性)無き心、自我より“上”の心(靈)の発現が無いといい得るものである。 
 よって先回述べたように、目前の事象、自分が殺されたとしても、そこで自分は何を思うべきか、それは、

“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)が課した試練だという認識(悟り、幸取=さとり)を持つから、そこで自分の在り方を鑑みることをする、また、自分に対し“(“慈悲”と“慈愛”由来の)厳しさ“由来の自己観察をする、それが今の地球人より、多少、進化した人であるといい得る

ということになる。

 大概の地球人の進化過程は、現時点、自我中心の心(靈)なので、自分の都合しか考えない。
 だからこそ太霊は、第九話で、低い心(靈)の動きが殺人を犯すのだということと、恨みの連鎖の霊的干渉を増大させる“憎悪の霊団”を構成するのも、低い心(靈)の動き、自我由来のそれである“憎悪”と“憎念”であることを、以下のように述べておられる。
 
その憎念が肉体を離れて自然に固(かた)まる幽体と一緒に固まってゆき、終(つい)には幽体そのものが憎悪の固まりとなって相手の体にこびりつく

相手に喰らいついてこれを倒そうとするのは当然と思われないでもないが、この執念(しゅうねん)のために自分は浮遊霊に成り下がる

その者の手にかかるか 公(おおやけ)の裁(さば)きによるかして殺される相手の霊は、必ず自分が前に殺した者の霊と一団となってそこに再び二つの魂の争いが続けられる…中略…それらの魂は凡て同じ系統を引いた類魂(るいこん)によって、憎悪の霊団に入いりその一員となる仕組みになっている

毒殺の場合…中略…相手がはっきり分っていれば、その者に対する憎念は前と同じ…中略…いずれにしても憎悪の一念はその波動に乗ってその目的を達する

合意の心中のような場合…中略…片方が生き残ると、死んだ方の霊は必ず相手に取り付いて直ぐにも連れて行こうとする。 この憎悪の念は、人間で言えば憎悪ではないかも知れないが、相手をそのように思い込むことは、自分が死んだのだから相手を死なしても相子(あいこ)であるということにはならないで、やはり悪の波動を引き受けて人を殺した者と同じ波動の中に導かれて行く

心中をして一緒に死んだとしても、その霊は直ぐには幽界に行けず、ある期間無意識のまま浮遊霊となって混沌とした現幽の間を 漂(ただよ)いながら、同じように死のうとする人間に憑依して同じ状態を再現させるのであるが、これらの魂もやはり憎悪の中に入いって行く

 ことに、死んだあと“幽体”が出来上がっていく際、
憎念が肉体を離れて自然に固(かた)まる幽体と一緒に固まってゆき、終(つい)には幽体そのものが憎悪の固まりとなって相手の体にこびりつく
の、
幽体そのものが憎悪の固まり
という言い回しが、“幽体”が自我中心の心(靈)であることを示唆している。
(“幽体”が出来上がっていく過程は、第七~八話で説かれている)

 それで、ローム太霊講話集のこの項目を読んだ人は、第九話の「死の前後 殺人の場合」、この副題だけにとらわれず、殺人を犯すのは霊的成長度の低い心(靈)、自我の肥大であり、殺人が起きるのは自我の肥大という進化過程のまま死んだ霊が霊団(ローム太霊が述べた概念)を構成して恨みの連鎖の霊的干渉を増大させている、その恨みの連鎖の霊的干渉の結果、どんどん理不尽な死は増えていく、その具体的な原因の一つが“憎悪の霊団”であるということ、このことを読み取り、自分はどんな死に方をしても、太霊が述べておられるように、

若しその者が死というものを覚悟し、死後のことをも知っていたなら、その相手に取り付く代りに自分の霊の向上を神に祈ったであろう

こういった心(靈)でなければならないものである。

 そして、こういった心(靈)の人達のみで構成された世界になるならば=霊的成長度による区分け、今後(アセンション後)の世界ならば、先回述べたように、

人を含め、すべての生命(生きる使命=存在理由)が、神の“思惑の顕現”=現象化であるという認識(悟り、幸取=さとり)を持つ…中略…他人の霊的成長の足を引っ張るようなことはしない=人殺しなどしないようになる

これが進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の一側面であること、そしてこういった世界を構成し得る心(靈)になるには、自分がいかなる事象に遭遇しようが、先に述べたように、

“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)が課した試練だという認識(悟り、幸取=さとり)を持つから、そこで自分の在り方を鑑みることをする、また、自分に対し“(“慈悲”と“慈愛”由来の)厳しさ“由来の自己観察をする

という心(靈)の動きを行使する。
 それは自分に“憎悪”と“憎念”を許さない、自我を諌める、ということであり、そういう人ならば、どんな死に方をしても“憎悪の霊団に入いりその一員となる”にはならない。

 だからこそ、そういった人たちばかりの世界では、恨みの連鎖の霊的干渉の消失につながっていくものであり、自分たちは「殺人」のない世界を構成していく、“他人の霊的成長の足を引っ張るようなことはしない”という心(靈)にならなければならない、ということを述べ、今回はこれくらいにしときまんねん。




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 Kelly & ○○○大先生

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このブログを書いている○○○の、
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太陽凝視を行っている鍼灸師の話
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智性無き心は
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太陽凝視を行っている鍼灸師の話
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 この二冊は、同時発売です。
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2005年10月1日~2008年1月15日まで、
“Kellyさんとの会話”で、説明して来た事・・・
その内容・・・それは・・・その何年も前から、
何か自分の考えをある程度公表しなければならない・・・
そう言う通信を受け・・・その理由は・・・地球人が低い心(靈)の発現しかしていない・・・
それを自覚していない人が多い。
その事由来の太陽凝視に対する認識、
(太陽凝視=不食・・・としか、認識させない存在の思惑を、受信している事)
霊的成長に対する認識、
神に対する認識、
心=靈に対する認識、
オーラに対する認識、
そして、
高い認識の上での進化の意味と幸福の概念と神の概念・・・
進化=霊的成長=神格化=(相対的に)高い認識を獲得する事・・・
霊的成長=神に近づく事=真の幸福の意味。
霊的成長度は1番目のオーラに顕れる。
よって、宇宙的プログラムにより次の段階に移行する人(日止、霊止)は、 何を考えるべきなのか・・・
そして、人(日止、霊止)の進化を阻む存在の思惑、
その心=靈の動き、それらの意図・・・それが一般に認知されていない事。
それらを伝えなければ成らない・・・そして一応・・・完結はしたのですが・・・
解り難い・・・理解しがたい・・・具体例を示して欲しい・・・そう言う感想も頂き、
そして自分なりにも説明が足らなかった事・・・
更に、
“Kellyさんとの会話”が完結してからも通信を受けている事・・・そう云う事もあり・・・
よって、このブログを立ち上げる事としました。
従って、
“Kellyさんとの会話”が、
自分の意見を述べる上での、ローム太霊の言葉、
“右往左往”(“いきり立つ心(奴と心)”で行動してから考える)・・・と、 するならば、 このブログはアタシ自身の、
“左往右往”(“思う、憂う”・・・体験を教訓として考え行動する)の、
作業になって行くと思います。


太陽凝視を行っている鍼灸師の話 “総括編”
太陽凝視を行っている鍼灸師の話 “改”
予約制 鍼(はり) 灸(きゅう) マッサージ治療 児玉療院
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自分達の欲望を満たしたい… 
自分だけ幸福になりたい…
こういった進化程度の低い心(靈)の発現由来の思いが、
低い幸福の概念になり(目下(めした)の思い)
その結果が、飢餓貧困、戦争の原因になったりしています。
(子供の浮游霊の霊的干渉の影響を受け、 それがどんどん増して行く事等が、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)
の思惑だと 思えます)

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