“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話

太陽凝視を一生涯の“行”とし(現在、44年目)、実践し、その上で獲得した認識を述べています。

Kellyさん、爆睡中に、A野さんの愛犬たち登場!…夢の中で、人間に見られる習性について、犬たちと論じる。 “その二十五” (アズキ君、じゅんいち君に会いたいとの意向をKellyさんに伝える)


…例によってKellyさん爆睡中…

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アズキ 成犬 「Kellyさん…Kellyさん…Kellyさん…」

Kelly 会話中 「…なんやねん…誰かがKellyさんを呼んでる…その声は…アズキはんでっか? 
 アズキはんが
前回登場したのは約四年前やな。
 や~とかめ…ではなくて、久しぶりやな。 元気にしてはったでっか。

 ほんでからアズキはん、頭の毛増えて来はったな、変わるもんやな、」

アズキ 成犬 「はい、僕はこの四年の間に、子犬からほんの少しだけ大人になり、頭の毛が増えて来たようです。

 それでKellyさん、今夜はお願いがあって来ました」

Kelly 会話中 「それは多分、じゅんいち君と会ってみたいってことやろ」

アズキ 成犬 「その通りです。
 それは
以前、人間になったセブンちゃん 人間になったセブン 会話中 が、じゅんいちさんと話していたように…


いつかお話しした通り、じゅんいちさんの心の変容というのは、私にはよく解っているつもりです。
 だからこそ私はじゅんいちさんのことを“ほんとう”の友人だと思いました。 
ですから、過去のいきさつ(犬じゅんいち君が犬セブンちゃんをナンパして、自分の気持ちを示すためにエロい行動をとったこと)については、なにも気にしてたりはしてません。
 それとアズキ君のことですが、アズキ君と私は、私がじゅんいちさんと話したことを話題にしてDiscussionしていたりもします。
 それは、じゅんいちさんの心の変容、認識の深まり、その考え方、などは、若いカップルである私たちには、とてもためになる重要な事柄だと思うからです


そして、

いつかじゅんいちさんがつぶやいていらっしゃったこと、

“僕はセブンちゃんに二人(犬だから二匹)が感じている神聖な深いつながりのある彼氏のアズキ君がいることを教えてもらったにもかかわらず、自分のエロさ丸出しの発言をしたり行動をとった。
 その発言や行動をとったその根拠は、その時の僕の価値観、僕の幸福感由来のことだし、それを言い換えれば僕は“ブタのけつを見ているアホ”であったからだ。 
そしてこのことはセブンちゃんにとってとても不快なことだったろうし、きっとまだ会ったことのないアズキ君にとっては…とても怒りを買うことであったに違いない。 
だからチョ~ベッピンはんのA野さんのおうちの犬の方々と話をした時にアズキ君は来てくれなかったのだろうから、いつか僕はアズキ君に会ってセブンちゃんをナンパしたことを謝罪しなければならない”


 このじゅんいちさんのつぶやきの裏にあるじゅんいちさんの心の動きを、アズキ君は十分承知しているように思います。 たびたび私とアズキ君は、このことを話題にしましたから
 
 こうやって人間セブンちゃんと人間じゅんいちさんが話したこと、そしてじゅんいちさんの心(靈)の変容…ことにじゅんいちさんの自省(胸の磁性“十”)の心、そしてじゅんいちさん自身の“観察と認識”による認識の変容…これはとても貴い心(靈)の動きだと思えます。

 それと、随分前のことですが、僕の同居犬、

 バティ ミュウミュウコロン キナコ Kellyお手製ブラジャー(ちちふんどし)パレオ(おこし)装着バージョン

じゅんいちさんと話した時僕は…じゅんいちさんがセブンちゃんをナンパしたという事実にいやな思いを持ち、じゅんいちさんと話すのを嫌がり欠席しました。

 これはじゅんいちさんにとっては不快なことだったと思えますし、あのときの僕の態度はじゅんいちさんに失礼であったと思います。

 ですから…」

Kelly 会話中 「アズキはん、そんなふうにじゅんいち君の心境を考えることが出来るようになってきたこと事態が、アズキはんが大人にならはったという証明みたいなもんやな。 

  そやからそれは、若い時っていうのんは、自分の感情主体にしかものを考えへん傾向があるけど(自我の肥大ということ)、今のアズキはんみたいに、自分の心の動きと他者の心(靈)の動きを同じ重さで考える、自分と同じように他者のことを大切に思うことが出来るようになる…これも、“慈悲”と“慈愛”の一側面でもあるやん。

ほんでから、自分の感情を諌める…じゅんいち君がセブンちゃんをナンパしたこと事態はアズキはんにとってとても嫌なことやったろうけど、その気持ちにとらわれず、じゅんいち君の心(靈)の動きをしっかり観ることが出来ているし、そやからアズキはんは、じゅんいち君に会いたいと思う。

 そうやって思うこと事態が立派な心(靈)の動きやと思いまんがな。

 ほんでから人間セブンちゃんが指摘してたように、じゅんいち君も、
“いつか僕はアズキ君に会ってセブンちゃんをナンパしたことを謝罪しなければならない”
と思うてる。

 これも、過去の自分が低い心(靈)の動きに囚われていることを自分で解り、それを諌めた上で思いはったことや」

アズキ 成犬 「はい、じゅんいちさんは立派な心(靈)の持ち主であると思えます」

Kelly 会話中 「よう分からしてもらいましてんな。 
 そやから今度じゅんいち君がKellyさんの夢に登場した時…多分それは、○○○大先生と話をするときやろけど、その時にタイミングを見計らってアズキ君が登場するようにKellyさんが思う…そうしたら、アズキ君とじゅんいち君があって話をすることが出来るやろ」

アズキ 成犬 「はい、よろしくお願いします。 それでは今夜はこれで失礼させていただきます」

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Kelly 会話中
…ちゅうことで、次回のこのカテゴリーでは、アズキ君とじゅんいち君がお互いの気持ち、お互いの心(靈)の動きを大切に思うからこそ、出会うことが出来る…そして多分、アズキはんとじゅんいち君も“ほんとう”の友人になることが出来る。 

 そういった話になりそうやな…。

それは、
四年前に初登場したじゅんいち君、


 その時、セブンちゃんをナンパしてセブンちゃんに諌められ…それをじゅんいち君自身が自分の良くない点だと思いはった。

 その苦悩、自分の心を諌めてきたこと、それによる認識の変容、それはじゅんいち君の心(靈)が育ってきた過程でもある。

 その心(靈)が育ったことで、じゅんいち君は“ほんとう”の友人と巡り会える…。

 それは“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)の采配により、換言すれば霊縁により、自分の心の動きに相応しい他者の心と出会え、そして、出会えたこと事態が、お互いがお互いの成長のためになる…。

 これも、じゅんいち君が長い間苦悩してきて、自分の在り方を考えてきた、そのことに対する“正当な報酬”といえる…。

 そやからそれは、霊的成長度の低い“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の人達には、“ほんとう”の友人と縁が出来ない、お互いがお互いの霊的成長のための縁を“上”が許可しない…ちゅうことでもあるんやな。

 そやから、今度、じゅんいち君と○○○大先生、そしてアズキ君が登場する夢を楽しみにして…今回はこれくらいにしときまんねん。




“ローム太霊講話集” 第十話 死の前後 天災、戦争による集団死の場合 Kellyさん的解釈“その一”


 さて、今回から第十話の解釈に入るのだが、第九話同様、「死の前後 天災、戦争による集団死の場合」という副題のつけ方に疑問を覚える。


 それで、第十話で最も重要なことは、第十話の最後に述べられている以下の文、

汝等に行をせよ行をせよと言っている…中略…寿命は百年とは続かない…中略…その短い間に何か一つ自分の出来る仕事をすればよい…中略…名や富を得る必要はなく、その採点は必ず神によって為される

そして、

人間の中には、今の世が本当でその後(あと)には何も無いと思っている者が多いが、真実はそうでなく、人間の間は幼稚園のようなものであるから、それを永遠の生命に目覚めさせるために、ロームはここに出て教えている

である。

 そして、
永遠の生命に目覚めさせる
という言い回しは、今の人間が“永遠の生命”ということに対し、深い認識を持っていないし、それどころかこのこと事態を真剣に考えている人間が少ない

人間の中には、今の世が本当でその後(あと)には何も無いと思っている者が多い
のであり、だから、
ロームはここに出て教えている
とおっしゃっておられる。

  これはS会=紫光会の発足の理由と根拠のひとつであり、そのために太霊はT霊媒=竹内満朋先生の“力”で、交霊会を行った、このことを読み取らなければならないし、これが読み取れない、分からない人間は、霊的成長度が低すぎるといわざるおえない。

 そしてもうひとつ、
神によって為される”、“その採点”、
ローム太霊講話集を読んだ人なら、ローム太霊講話集に霊縁あった人ならば、このことをしっかり考えなくてはいけないし、これをしっかり考えよ、というのが、第十話の要点であると思うし、そのために太霊はローム霊訓講話を行い、人の在り方をも、説いたのである。

 それで、第十話では、自分の在り方と、自省(胸の磁性“十”)について以下のように述べられている。

人間はどのみち肉体を捨てなければならない…中略…幽体が完成すると自由行動が許され、先ず寂しい荒野の中に独りぽつねんと立たされるのである…中略…自分が肉体を持って生きてきた生涯の幻影(まぼろし)が走馬灯のように次々と現われて、あれは悪かったこれは善かったというふうに、自分の善悪の業(ごう)がしみじみと悟らされる…中略…そのうちに段々善い方のことは頭に浮かばなくなり悪い方のことばかりが思い出されてきて、終(つい)には悔恨の涙に咽ぶ…中略…中でも一番幽体にこたえるのは人を欺(あざむ)いたこと

この“一番幽体にこたえるのは人を欺(あざむ)いたこと”、
そしてこの文に続く、
同じ欺瞞(ぎまん)でも他人に見破られた場合はよいが、それが成功して名声を博したり巨富を積んだりして一生を終ったということになると、それが自分の心の癌(がん)となって、それを取り除くためには人間の貧困者や業病者に対してあらゆる援助をする役目を仰せ付かる
こんなふうになってはいけない、ことに今の人間=平均的地球人の霊的成長度では、“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”でしかない、また自我の肥大をして、“名声を博したり巨富を積んだり”のために、“人を欺(あざむ)いたこと”をする輩が多すぎる。

 また少々先走るが、第五十七話の「行業一致の一途の努力」で、太霊は、“真心(まごころ)がなくただ巧言を持って人を籠絡している者”という指摘もしていらっしゃる。
(ちなみに、第五十七話については、以前、
このカテゴリーで取り上げたことがある)

 だからこそ、
汝等に行をせよ行をせよと言っている…中略…名や富を得る必要はなく、その採点は必ず神によって為される
ということを教えておられるのだということを、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)を目指す人ならば、しっかり読み取り、自分の生き方の糧、認識(悟り、幸取=さとり)としなければらなければならないと思う。


 それで、副題の「死の前後 天災、戦争による集団死の場合」、
これは、
幽体が完成すると自由行動が許され、先ず寂しい荒野の中に独りぽつねんと立たされる
その前の段階として、「天災、戦争による集団死の場合」の際、“幽体”がどうやって育っていくのか、どういう育ち方をするのか=“幽体が完成する”ということを述べておられ、“完成”されていない“幽体”は、どういった事象の“観察と認識”をするのか、ということを、第十話の冒頭から具体的に述べておられる。

 以上、
自分の在り方、自省(胸の磁性“十”)
そして、
完成”されていない“幽体”は、どういった事象の“観察と認識”をするのか、
が、第十話の要旨である。

 次回は、“完成”されていない“幽体”が、“幽体が完成する”に至る、これも霊的成長の一環であり、今の地球人が知っておかねばならない重要なことなので、その過程について解釈を述べることとする。

 今回はこれくらいにしときまんねん。



Kellyさん、爆睡中に、A野さんの愛犬たち登場!…夢の中で、人間に見られる習性について、犬たちと論じる。 “その二十四” (人間じゅんいち君と○○○大先生との会話“その五”)


…例によってKellyさん爆睡中…

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○○○大先生会話中 「さて、前回約束した通り、
今の宗教やスピリチュアル、霊や神、神と人間の関係、オーラやチャクラ、こういう事柄に対する低い認識
…いわゆる“役員づら”の手法にはまる人が多すぎるということ。

 それは前回話した通り、

アタシは著書でもこのブログでも“役員づら”(形骸の宗教や、アセンションや霊的成長に対し、甘い夢を見させ偽の情報を流すたぐいの人たち…それは悪魔の傀儡(かいらい、くぐつ)ということを述べているが、これが解らない読者も多いし、そんな認識(悟り、幸取=さとり)、そんな霊的成長度では、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)を見いだせない

こういった人たちが大半なのが現状。
 
 それで、まず、“役員づら”の手法、そしてそれにはまってしまう人、それしか分からない、そういった出版物しか読まない人について話をして、それから、今、時々行っている読者会のメンバーの方々がどういった認識を持っていらっしゃるか、あるいは持ち始めていらっしゃるのか、
(それは、どういった生き方を求めていらっしゃるのか、ということなんだが…)
を、話そうと思う」

犬じゅんいち君 人間になって会話中 「はい、お願いします」

○○○大先生会話中 「以前、人間に変わる前の君とは、アタシとNominyanとSenyapooが犬になって登場し、
こんな話をしたね


 その話の要点として、
インプリンティング(刷り込み(すりこみ)、刻印付け)
ということ、そして、見せかけである、
自分に対するエサ=報酬みたいなこと”、
そしてそれを求める心は、
自らの低い功名心と自尊心を満たそうという心(靈)の動きが中心
であり、さらに、
霊的成長度が低いからこそ、低い認識を刷り込まれている
という話もしたね」

犬じゅんいち君 人間になって会話中 「はい、よく覚えてます」
 
○○○大先生会話中 「その際に犬おかん 犬Nominyan 会話中  がいくつか重要なことを語った。
まず取り上げたいのは、

アセンションの情報を利用して商売している人、その人たちの著書、それを鵜呑みにしている読者、この人たちすべてが霊的成長度が低い、それはアセンションに対し甘い(亜、魔、出ずる、泉。愛(炁)の間に魔が入った状態を指す)夢しか持っていない、時期が来ればみんな幸福になるとか救われるって思うのは悪魔のささやきであることに気が付かない、だからこういう人たちは言葉を駆使して言葉を刷り込ませ、そして甘い言葉とその甘い雰囲気に酔う読者…この両者はもうアセンションの時期が来たときに、その霊的成長度は手遅れであり、甘いアセンションの情報を流布した人とそれを信じ込んだ人、その双方はアセンション落第組である

この“その双方はアセンション落第組である”ということ。
 これについて犬Senyapoo 犬Senyapoo 会話中  は以下のように語った。

犬おかんが言った“手遅れ”、これはただただ霊的成長度が低いから間に合わないのだイモワン。
 そして霊的成長度が低いからこそ、低い認識を刷り込まれているのだイモワン。
それは自分に都合がよい(“日月神示”表記の“われよし”、アミ 小さな宇宙人シリーズの“愛(炁)の度数”が低い、テオドールから地球への“自己奉仕者”)だから、甘い情報を本当だと思いたい、見せかけのエサであることに気が付かないのだイモワンだプ~。
 そしてその両者はアセンションに伴う醜い事象に巻き込まれ、死んでから自省(胸の磁性“十”)をして、次のアセンションまでに転生できればいいのだけれど…それすら見込みがあるかどうか…○○○大先生はそのことまで憂いているのだイモワン。
 でもそれは、その双方の霊的成長度が低いから、甘い夢を見させた、あるいは甘い夢を信じた、その代償として苦痛を伴った死を体験し、死後の世界でも苦しまなければならないのだし、それは自らの甘さゆえの正当な報酬、真に自分が育つための報酬、今回の記事の表現ならば霊的成長のための報酬=エサであるというのが妥当なのだイモワン

 
 この時の話、今の(犬から人間になり、心(靈)が変わってきている)じゅんいち君には、よく理解できると思う」

犬じゅんいち君 人間になって会話中 「はい、それは、

今の宗教やスピリチュアル、霊や神、神と人間の関係、オーラやチャクラ、こういう事柄に対する低い認識

この低い認識をインプリンティング(刷り込み(すりこみ)、刻印付け)する理由、そして刷り込まれる理由がありますね。
このことについても僕は深く考えたことがある…


 刷り込む方としては、(通貨としての)金に対する執着がある。 だからアセンションの情報を一般に流布する、犬Senyapooさんがおっしゃった“甘い夢を見させた”ということで、それを流布しようとする=刷り込もうとする。
 そして刷り込まれる方は同じく犬Senyapooさんが言われた通り“甘い夢を信じた”。
この“甘い夢を信じた”こと、その根拠、理由たることが、“霊的成長度が低い”からであり、それは犬Nominyanさんがおっしゃったこと、
時期が来ればみんな幸福になるとか救われるって思う
…そういった見せかけの報酬みたいなことを思うからですね。

 そしてその時、犬になっていただいて○○○大先生 犬と化した○○○大先生 会話中  はこんなこともおっしゃっていらっしゃった。

売る側と買う側、これはその双方が霊的成長度が低く、売る側は買う側に何かを刷り込もうとしているし、買う側は刷り込まれていることに気が付かないか、深く考えないでいる。  
またそこには先にじゅんいち君が指摘したように見せかけのエサ=報酬があり、それが見せかけであることを考えない、また自分の心(靈)が育つためのエサに相当するものがない。 
そして平均的地球人は霊的成長度がとても低く、自らが育つ本当の意味でのエサを知らない=認識していない、補足していい換えれば、ほとんどの地球人が真に進化(霊的成長、神格化に向かうこと)するためのエサに相当するもの、試練、苦痛、苦難、苦悩、こういう“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)から課せられたことが、自らを育てるということを知識としてしか知らないか、あるいはほとんど認識(悟り、幸取=さとり)していないのだ


 このお話しで重要なのは“自分の心(靈)が育つため”の何かを、ほとんどの地球人は知らないから、あるいはそれを“ほんとう”に、求めようとしていない…求めていないから、分かっていないってことですね。

 そしてそれは、「まほう色の瞳」のエリナのセリフ、

私が言いたいのは、自己知識ということなの。 自分は何もので、なんのために存在し、ほんとうの自分というものに近づくためには何をするべきか。 そして、光の時間と場所の中で自分について理解できたら、次にわたしたちはそれぞれの自分の人生をどう生きるべきかという知識よ

 この“自己知識”これに対しエリナは“ということなの”という言い回しをしている。
 この言い回し自体が、このことをよく考えてくれ、意識して欲しい、その意図を感じさせますし、さらに、
自分は何もので、なんのために存在し、ほんとうの自分というものに近づくためには何をするべきか
…これが“自己知識”であるといっている。
 このことは以前、Kellyさんと○○○大先生、そして僕とで話をしたことがありましたね。
“その十六” )」


○○○大先生会話中 「そうだったね。
 それで君は“自分を観察する自分の確立”がある程度出来上がっている。
それだからこそ、“自己知識”について、平均的地球人より深い認識を持つことが出来る。
 そして君は、“真固止の人間”(“上”の思惑(荷電粒子)を真に固く止める人(日止、霊止))という発想をした。
“その十五”

 そして今話している“今の宗教やスピリチュアル、霊や神、神と人間の関係、オーラやチャクラ、こういう事柄に対する低い認識”。

 この“低い認識”、このこと自体を低いと判らない人間が多すぎる。

 まあ…出版する前にある程度分かっていたことではあった…このことをアタシは嘆いているんだが、これはどうしようもないことなのだ、ということを、アタシは出版を通じて痛感した。 

 それは冒頭で取り上げたとおり、

● “インプリンティング(刷り込み(すりこみ)、刻印付け)”
● 見せかけである“自分に対するエサ=報酬みたいなこと”
● それを求める心は“自らの低い功名心と自尊心を満たそうという心(靈)の動きが中心”
● “霊的成長度が低いからこそ、低い認識を刷り込まれている”

ということなんだ。

 これは例えば、某通販サイトの超心理学・心霊部門のベストセラーの上位を占めている本のタイトル、これをいくつかピックアップするとよく分かる。

災いから身を守る…思考は現実になる…あなたの呪縛を解く…幸運が向こうからやってくる簡単な…喜びから人生を…あなたのまわりに奇跡を起こす…引き寄せの教…見えないチカラを味方…〇〇から学んだ幸せの秘訣…神様につながった…あの世に聞いた…〇〇するだけで人生が変わる…神仏はこんな人が…意識と願望の超パワー…人体を調律する…超☆わくわく…宇宙の10倍返し…傷ついた人生をいやす生まれ変わり…etc.
 …きりがない…」

犬じゅんいち君 人間になって会話中 「これはまるでいつか人間セブンちゃん 人間になったセブン 会話中   が指摘したこと、
“その十八”

話題の酵素…リ○酸、L○ルニチンをW配合…甘いもの脂っぽいものも全部おまかせ…○ヶ月で-10kgのダイエット…成○率96.5%のダイエットとは?…○億4,000万食売れた人気ダイエット…ア○タの遺○子に合ったダイエット…ぽっ○ゃりから脱出したい…運動で効率良く燃○したいダイエットサプリ診断…ヤセ期で○効○ダイエット…脚ヤ○を実現したい…胃から全身に浸○する酵○の力…飲んだ後から体がポ○○カ、体の○からキレイに…お試し価格でどうぞ…既に○○○万人以上がご愛用…基礎化粧品が○点試せる肌改○セット! 通販限定!今なら送料無料でお届け…気になるお肌のタイプチェック&10秒ケア…クチコミで大人気の美白コスメ …私の中でNo.1!こんな透○明感初めて! リピ多数!…肌の奥から白く○く肌へと導く美○用 化粧品…日本女○向き美白…美白が効きにくいとお○みの方へ…理由は隠れ○○肌?○用美白で徹底○ア! …○白も美○もこれ1つ!…美白とエ○ジングどっちもオ○ケー……etc.

…これに近いものがありますね。

 そして人間セブンちゃんはこうも語っていた。

“効果効能を大げさに述べて、甘い(亜、魔、出ずる、泉。愛(炁)の間に魔が入った状態を指す)夢=さもすごい効果があるかのように連想させて購入させる、こういった類の言葉の使い方、これはとても誠実で真摯なこととはいえず、また、どうでもいいものに付加価値をつけ大げさに吹聴する手法でもありますね

 これは“役員づら”(形骸の宗教や、アセンションや霊的成長に対し、甘い夢を見させ偽の情報を流すたぐいの人たち…それは悪魔の傀儡(かいらい、くぐつ)の手法であり、
誠実で真摯なこととはいえず、また、どうでもいいものに付加価値をつけ大げさに吹聴する手法
というのは、“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の人達の行いだし、そこに“ほんとう”という要素は感じにくい」

○○○大先生会話中 「そうだね。
 こういったありがたそうなタイトル、雰囲気に酔わせるタイトル、これは
見せかけである“自分に対するエサ=報酬みたいなこと”
の要素が多分にあるし、マスメディアにおけるネームバリュー(こんなことに何の価値も無いのだ)を利用して、ゴーストライターにありがたそうな文章を作らせて本を売る、あるいは“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)からの情報を意図的に捻じ曲げて、甘い(亜、魔、出ずる、泉。愛(炁)の間に魔が入った状態を指す)夢を観させるコピーにしてしまう。

 その具体的な例として、ローム太霊が伝えた“主護霊”の概念を、守護霊と書き換えて甘い解釈を流布しているという現状は著書で述べたのだが、この真偽を考えようとする読者は、前回話した通りほとんどいなかった感がある。

 それどころか、恨みの連鎖の霊的干渉ということ、これが自分たちの因縁の“元”になっていることを考えもしない、ただただ悪いことが起きないようにとか、自分、あるいは自分の周りだけが幸せでありますように…自分にとって都合の良いことしか考えない、こういった発想が自分に降りかかる災いから身を守る、恨みの連鎖の霊的干渉は自分たちが作りだしたものだから贖う(あがなう)ことをしなければならないということも、アタシは著書で述べたが、その贖い(あがない)に伴うことを、生霊とか邪気とか邪念とか、悪霊とか悪魔とか波動大魔王とか、自分に対して起きていることが自分にとって都合が悪いとこんな発想をしがち…。
 こんな発想をするのは因縁を贖う(あがなう)ことの重大さを知らず、それによる試練をただ避けたいだけだ。 
 またその試練が自分を育てているということが全く分からない(“神の采配”ということ)。

 そしてまた、恨みの連鎖の霊的干渉を生み出している自分ということをまったく考えていないし、ただただ悪いことだけ起きないのが幸福だと思いたい、これは“夭と屰”(ようとげき)の意味をまったく知らないといい得る。
 そして、その薄っぺらい幸福感の根拠となっているのは(通貨としての)金と物欲と本能由来の欲望、これらすべて目下(めした)(大脳旧皮質と古皮質))(動物の心(靈)の段階)の思いであることを述べたが、このことを理解してくれている読者もほとんどいなかった。
 実際、直接アタシに連絡をくれた読者の多くはこんな人がほとんど、実に情けない。

 しかし、ちょうど四年前、おかん Nominyan 会話中 が連絡をくれたころから、こういった状況は変わりつつあるがね。 
 それは段々手ごたえのある読者が現れ、突っ込んだ話をする機会に恵まれて来たってことだ。

 話を戻し、今列挙した本のタイトルを観るだけでも、災厄を避ける、自分の好き勝手な希望だけかなう人生を望む、恨みの連鎖の霊的干渉が理由の悪因縁を避けたい、簡単に幸福感を得たい、またそれが引き寄せだと勝手に思いたい、自分が苦労もしていないのに神さんが“力”を加えてくれているだろうという甘い(亜、魔、出ずる、泉。愛(炁)の間に魔が入った状態を指す)思い込み、こういったことを感じさせるものである。

 そしてこんな本のタイトル、これに
見せかけである“自分に対するエサ=報酬みたいなこと
を求めるのは、
それを求める心は“自らの低い功名心と自尊心を満たそうという心(靈)の動きが中心”
であることを著書でも述べたのだが、
これは“自分を観察する自分の確立”が出来ていなければ、分かるわけがない。

 またこの手法にはまる人は、“ほんとう”のことを知ろうとしていない、あいまいな概念…たとえば感謝を多用するとか、神や仏に肖る(あやかる)とか、ローム太霊に肖る…要は利用するということだが、こういった読者もいたし、そんな本を書いている著者も直接連絡をくれた読者の中にはいた。  
 その人たちと話をして、これも実に情けなかった思いがある。

 これらは御利益を求める心の動きであるし、また、ご利益を強調する商売、パワーストーンとかパワースポットとかオーラソーマとか…例を挙げるのもくだらないが、こんな商売はとても多い。 
 そして既成の宗教はそんなものに成り下がっているし、この傾向は出版物にも多く観られることだね。

 それでアタシとしては、多くの人にアタシが太陽凝視をして得た認識(悟り、幸取=さとり)を伝えたい、それは、神と人間の関係、アタシたちの低い心(靈)が恨みの連鎖の霊的干渉を生み出しているので、それを知ったなら自分たちは何を思いどう生きるべきか=神の思惑に沿った存在の仕方、これを伝えたかった。
 またこの認識を得るため18才の時から太陽凝視をしてきたともいい得るし、その認識の獲得の手助けをしてくれたのが、ローム太霊と、S会=紫光会の主護霊会であったりもする。

 それに対し、今売れているこのたぐいの本は、先も述べたようにゴーストライターが書いていたりもする、あるいは形骸になった宗教、“役員づら”がダメにしてしまった宗教の概念を引用して述べていたりもする。

 “ほんとう”の認識を述べる資格があるのは、ゴーストライターでもなく、行ごっこをしてきた既成宗教の“役員づら”でもなく、ただただ厳しく“行”をして、自分の人生を省み鑑みた人間でなければならないと思う。

 よって、悪口みたいなことを述べてきたが、これが“ほんとう”のことなのか、と、敢えて問いたい。
この思いが、あの文章(著書)と、今も続けている文章作成の動機のひとつでもある。

 またまた話を戻し、アタシとしては出版前に、こういった類の本を読む人は、もう少しまともではないかな…真偽を見抜けるのではないのか…という甘い期待があった…だが、先回話した通り、ほとんどの読者には失望した。

 それは、あいまいな言葉、はっきり説明できていない神や仏の概念、神や仏、オーラ、守護霊…そして祓い、祓いの本当の意味が分からないから除霊や浄霊なんていい加減な概念が台頭しているし、たとえば、悪霊は“本津宮”(もとつみや)へ帰る、これは自省(胸の磁性“十”)のことだし、自分が自省(胸の磁性“十”)の心をもっているなら、悪霊と感応しにくい、ということを全く解っていない。
 
 そして大概の人は、神や仏=“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)に対し、御利益を求める心しか持っていない、だからローム太霊の“苦に苦を重ね、苦を求め、更に苦を求めるのだ。楽を求めてはいかん
そして
神は乗り越えられない試練を与えない
なんて言葉の意味をまったく理解できない。

 また、高い存在との感応を意図してローム太霊がS会=紫光会の会員に教えた炁空無光眞奇力存(きくうむこうしんきりきぞん)の解釈を、ある本の解説、ゴーストライターがローム太霊講話集のあとがき、ローム太霊の言葉ではなく、ローム太霊講話集を編纂した人の意見があの本のあとがきなのだが、そこから引用して作ったきわめて適当な解釈の方を信じ込む…御利益しか求めない心だから、それを信じ込みたいのだな。 

 さらに“粘りとやせ我慢”というとても厳しい概念を、性的なことに結びつけ、文章を作成する。 
 これに関しては以前に記事にしたことがあるし、実際、ローム太霊講話集(第五十七話 行業一致の一途の努力)で、太霊は以下のように述べている。

自分を小さく見すぎている…中略…物であろうと心であろうと、神はその者の努力次第で億以上のものでも与え…中略…それがロームの常に言う「ねばりとやせがまん」であって、その力は必ず人間に奇跡を起こさせるものであるから、このことは常に心の中に縫い付けて置いてもらいたい
 これは頑張って(元の気を張って)“思惑の顕現”せよ、ということだが、これを「〇精を我慢せよ」と書き換えるその神経は、常軌を逸すると思うね。 
 だがこういった本はよく売れるものだ。

 それとアタシは著書とこのブログ、そして“改”で、霊の成り立ち、霊が荷電粒子の回転であること、肉体(月(ツキ))がコンデンサーの構造を持っていること、コイルの構造を持っていること、円形加速粒子機の構造を持っていること、これらの現象がオーラであることをも、説いてきているが、大概の人達はインチキなオーラの概念の方を受け入れる。  
 これはマスメディアの功罪といえ、神や仏やスピリチュアルやオーラなど、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の指標となることをエンターテイメントにしてしまっているから、“ほんとう”の意味を追及するという心(靈)(ヒ)が芽生えないし、こういった人はただただスビリチュアルを感じさせる言葉に酔う傾向がある。

 このことを、物を売る人達、商売をする人たち、“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の人達、“役員づら”の人達は、よく知っているからこそ、
“見せかけである“自分に対するエサ=報酬みたいなこと””
を匂わせ、仄めかす(ほのめかす)。

 これは“真固止の人間”(“上”の思惑(荷電粒子)を真に固く止める人(日止、霊止))のやることでない。 
こんなことは君にはすぐ分かるはずだ」

犬じゅんいち君 人間になって会話中   「…まったくそうですね。
 “見せかけである“自分に対するエサ=報酬みたいなこと””、これを強調して吹聴すること事態が、宗教やスピリチュアル、霊や神、神と人間の関係、オーラやチャクラなど、これらの意味と意義を“ほんとう”に考えさせない、そして強調して吹聴して商売に使えば使うほど、“うそ、ごまかし、にせもの、いつわり、まちがい”になっていく…。
 低い認識の人が低い認識の人に“うそ、ごまかし、にせもの、いつわり、まちがい”を刷り込ませるのだから…。
 そしてこれは、詐欺師の手法に近いと思いますね。 
 これにはまる人は、エリナの言い回し、
ほんとうの自分というものに近づくため
なんてことにならないし、考えもしないでしょうし…。
 それは結果として、人の進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の妨げにしかならない。
 だから○○○大先生は“役員づら”を悪魔の傀儡(かいらい、くぐつ、操り人形)と定義付けしたのですね」
 

○○○大先生会話中 「うん。 
それで“うそ、ごまかし、にせもの、いつわり、まちがい”、この解りやすい実例として、アタシのfacebookの書き込みから一つ挙げることとする。




☀ 2月11日の読者会の後、おかん ∥*σ_σ*∥ との会話
  
○○○大先生会話中 「日本で出版されてるバシャールの本に書いてある、
“波動がワクワクです。ワクワクすることをやって下さい”
の“ワクワク”っていうのは、英文をみると“excitement”で、英語ペラペラのおかんにあえていうことでもないが“excitement”の訳は、
興奮、 心の動揺、高揚、あるいは、興奮させるなにか、刺激するなにか、
ってことになるね」

Nominyan 会話中 「“ワクワク”って翻訳は不適切ってことね。 
これはバシャールの本を読んだ人に対して、読者を引き付けようとしている、あるいは甘い(亜、魔、出ずる、泉。愛(炁)の間に魔が入った状態を指す)夢をみさせようとしている、そういった意図のある翻訳って感があるわね。 
で、“ワクワク”っていうのは、意味が正確に伝わってない、“excitement”って言葉に対し、何か違うことを期待させる…そんなふうに聞こえなくもない」


○○○大先生会話中 「うん、それでこの英文を自分なりの解釈で紹介しているサイトを見つけた。
 まず、原文は、
Excitement is the physical translation of the vibrational resonance that is your true, core natural being. Follow your excitement!
これを、
“あなたが本当の生き方をしているとき、心の奥底から自然な生き方をしているときは、特定の振動で共振しています。エキサイトメントとは、その共振状態を肉体的に翻訳したものです。エキサイトメントに従ってください!”
って訳されている。
 アタシは英語はよく解らないが、これは妥当な翻訳だと思える文言だね。

 それに対し、V〇〇〇E(バシャールの文言を紹介した本の日本での出版元)の訳は、
“あなたの「自分は誰か」という存在の表現、波動がワクワクです。ワクワクすることをやって下さい”
って書かれていて、これは大事なことが省かれていると思うし、とても不適切な感がある。

 例えば“the physical translation of the vibrational resonance”、これはアタシがよく使う感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)であるし、“気血栄衛(營)”(取り込んだ振動で心(靈)と体が創り変わる)を示唆することでもあるね。

 それともうひとつ、これは全く手抜きだと思うが、“true”(真実の、本当の、真の、あるいは、誠実な、うそ偽りのない)の訳が無いね。 
こんな大事なことを伝えていない翻訳は全く無意味だと思うね。

 そしてアタシがやってきたバシャール文言解釈で取り上げたように、
“和訳されている“波動”というのが意味があいまいだと思える。 これが仮に、振動、vibration、ならば適切な表記だと思うが、wave motion(波、動き)、あるいはundulation(波動、うねり、の意)と解釈されるならば、意味が通じにくいし、これは翻訳の問題があるのかもしれない。 それは、wave motion、undulation、という言葉ならば、高い振動という要素を感じにくいと思うからである”

の“vibrational”のこと。 
アタシは“波動”って言葉をあまり使わないけど、やはり“振動”って言い回しが適切だと思うから。
それできちんと確認はしていないが、バシャールは多分“vibration”という言葉しか使っていないと思うね。
 
 ここまでのことを鑑みて、出版物は売り上げを考えて作られているから、読者に甘い期待や甘い思いを抱かせて本を売ろうとする意図が見えるし、うちの待合室にあり、そしてそれを見てN先生が買ったV〇〇〇Eの本は、“役員づら”(形骸の宗教や、アセンションや霊的成長に対し、甘い夢を見させ偽の情報を流すたぐいの人たち…それは悪魔の傀儡(かいらい、くぐつ))の手法で作成されたものでしかない。
だからバシャール&バシャールの関係する霊団(ローム太霊が述べた概念)である“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)の思惑は、この翻訳本ではきちんと伝わっていないし、無責任であると思えるね」

Nominyan 会話中 「それは、出版社、翻訳をした人、などが、智性(神性)(“一”、1番目のオーラ)(日を知る性質)が無いからでしょ。 
いい換えればその人たちは“行”やってないし、出版を商売としか考えていないから、大事なメッセージに気付かない。
(“ほんとう”を知らないし“ほんとう”を求めてもいない。 自分の生業(なりわい)が“世為人為”(S会=紫光会の経文、四空経録の中の言葉)ではない) 

結果としては本の売り上げ優先ってことにしかならないけど、これは今の世界の既成概念で一般常識に沿ったことでもあるから、それが当たり前。

 それと以前、先生がfacebookの記事で取り上げたみたいに(10月20日のmini読者会を振り返って)、

“日本と他国における“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)からの情報の程度の違い、神道と他国の宗教を比べるとその情報の質と量はずいぶん違う、その根拠は、日本が地球の中で比較的霊的に高い場(フィールド)であるから、また日本人が地球全体を観れば一番霊的成長していること、“一”=智性=1番目のオーラの平均値が地球では一番であることを説明し、よってその霊的成長度における“上”との感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)は、その国を構成している人たちの平均的な霊的成長度における感応であるから、他国の宗教は神道に比べてやや低い…しかし、それは平均によることであって、他国の人たちの中にも平均的な日本人よりはるかに高い人もいるから、画一的なものの見方をされないように、どこかのアホな政治家のように日本は神国なのだ、と言いながら我欲に満ちたことをしているのは右傾向が強い自我の肥大した人である。
また過去に釈迦やキリストの生存時の“一”=智性=1番目のオーラは観測したことがあり、それは今から約二千年前のその国の霊的成長度における指導者としての役割があって輩出した、“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)がその国を構成する人たちにとって適切な人の在り方を示す役割の人を使命を持たせて生まれさせ活躍させたのであって、現時点その当時の釈迦やキリストの“一”=智性=1番目のオーラくらいの大きさを持っている人は、少数ではあるが。、それほど珍しくはないことを話し、だから人間は少しずつではあるが神格化の“道”(時間の進行)を歩んでいるのだという説明もした”
 
の“日本と他国における“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)からの情報の程度の違い”ってことも考えるべきね。

 このことも既成概念や一般常識にはないことだけど、日本人は地球の中でも比較的高い、それは日本と他国では、平均的な国民の霊的成長度における事象、それぞれの国民の息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)で“創造”されうる事象=現実っていうのは、程度の差があるってことで、それは、それぞれの国の環境、国民性、価値観の相違、習慣の違い、思想の違い…etc.っていうことでもある。

 それとこの日(10月20日のmini読者会)に、N川さんと話したことだけど、翻訳っていうのは物事が正確に伝わりにくいって側面もある」


○○○大先生会話中 「そうだね、そう思うね。

その一例として、アタシが著書で取り上げた“テオドールから地球へ”の内容、同性愛も愛のうち、って言い回しに対して、アタシは批判的だったってことがあるね。
(アメリカの現状、同性愛者が多いという現状に沿った言い回しであるということ)
このことも一般には受け入れがたいことだろうが、同性愛者は霊的に低い。 そしてほとんどの宗教で同性愛を戒めていることに関して追及されていない感がある。 同性愛っていうのは、低い憑依現象の結果であるし、またそれは、男の極性と女の極性である日足と砌(ひたりとみぎり)の極性を強めるってことになっていないからで、それは心(靈)(ヒ)が出来上がっていないって言い方もできるね。

それとおかんとN川さんが話した“翻訳っていうのは物事が正確に伝わりにくい”っていう問題、アタシ的に今思うのは、“テオドールから地球へ”の翻訳も、妥当なものだったのだろうか…って疑念を持つね。
バシャールの翻訳のように、さも読者を引き付ける演出という要素がある翻訳をされているのではないのだろうか…って思う」

Nominyan 会話中 「だから、日本以外=他国向けに“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)が伝えたメッセージを翻訳したものを、日本人が読んでも意味が通じにくいし、先に話したみたいに捻じ曲げられているという問題もある。
 
それと先に私が言ったみたいに“それぞれの国の環境、国民性、価値観の相違、習慣の違い、思想の違い…etc”ってこともあるから、他国=それぞれの国の状況に応じた“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)のメッセージを、日本人が読んでも誤解を招くケースがあるのも、知っておかなければならないってことね。
 
それは、私たち日本人は、日本人向けに“上”が伝えたメッセージを読み解くべきであり、また“役員づら”の手法で書かれた解釈や解説は、それ自体が不適切なものであるかもしれない…このことも念頭に置いておかねばならない…だから先生は今“日月神示”の解釈やローム太霊講話集の解釈をしているってことで、“行”やって智性(神性)(“一”、1番目のオーラ)(日を知る性質)が高まった人がこの仕事をする、それが妥当なことなのね」

…以下、エロジジイギャグが書かれているので省略。


…大体、以上だよ」

犬じゅんいち君 人間になって会話中 「ひどい…自分たちの都合のために大切な文言を書き換える…ひどすぎると思うけど、これが当たり前、商売のためには自分たちの都合の良い文章にしてしまえばいいんだ、というその感覚は、霊的成長度が低いのだろうし、そもそも商売しか考えていないというのが、“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”だからだ。
 それはよく解るのですが…」

○○○大先生会話中 「一度にたくさんの話をしすぎたかな?」

犬じゅんいち君 人間になって会話中 「はい…すみません。
 僕は今日、○○○大先生から聴いた話を自分なりに考えたいです。 少しお時間をいただけますでしょうか?」
 
○○○大先生会話中 「それは構わないよ。
 それで、さっき約束した、

読者会のメンバーの方々がどういった認識を持っていらっしゃるか、あるいは持ち始めていらっしゃるのか、
(それは、どういった生き方を求めていらっしゃるのか、ということなんだが…)
を、話そう


これについては、次回話をしようか。
(もう君にはよく解っていると思うけどね)」

犬じゅんいち君 人間になって会話中 「はい、そうさせてください。 それでは今夜は失礼します」

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Kelly 会話中 「今日は、人の進化(霊的成長、神格化に向かうこと)のための貴いものを“ブタのけつ”にしてしまっている話しやったし、それをありがたがる“ブタのけつを見ているアホ”が多すぎるってこと…いわゆる先生の愚痴みたいなことやったんやろけど、こんなことをあえて文章にせなアカンっていうこと事態が、アホみたいなことなんや。
 その辺のところを、これを読んではる方には理解いただきたいもんでんな。

 ほんでから、じゅんいち君にとって今回の話は、今までじゅんいち君が考えてきたことの反芻みたいなことやったけど、これを考えんと、前回Kellyさんがつぶやいた、
じゅんいち君が自分の思想を固め、それを根拠に行動する、要は今後どう生きていくかってことなんやけど、その指標になること
にはなって行かへん。
 けど、もう、じゅんいち君の思想はかなり固まってきている感があるな。

 次回、じゅんいち君が何を考えるか、それを楽しみにして、今回はこれくらいにしときまんねん。



“日月神示” 水の巻 第九帖 Kellyさん的解釈 

 今回も、水の巻 第九帖を解釈しまんねん。 原文は以下の通り。

富士は晴れたり日本晴れ、いよいよ岩戸開けるぞ。 お山開きまこと結構。 松の国 松の御代となるぞ。
旧九月八日から大祓ひのりとに天津祝詞の太のりと「一二三(ひふみ)のりとコト」入れてのれよ。 忘れずにのれよ。 
その日からいよいよ神は神、けものはけものとなるぞ。江戸道場やめるでないぞ、お山へ移してよいぞ、役員一度やめてよいぞ。 またつとめてよいぞ。 
めぐりあるから心配あるのぞ。 めぐり無くなれば心配なくなるぞ。 心配ないのが富士は晴れたりぞ、富士晴れ結構ぞ。
日津久の御民 何時も富士晴れ心でおりて下されよ。 肉体ちっとの間であるが、魂は限りなく栄へるのざぞ。
金に難渋して負けぬ様にして下されよ。金 馬鹿にしてはならんぞ。 あせるでないぞ。あせると心配事出来るぞ。 神が仕組みてあること、臣民がしようとて出来はせんぞ。 細工はりうりう滅多に間違ひないのざぞ。 見物して御座れ、見事して見せるぞ。 
不和の家、不調和(ふわ)の国のささげもの神は要らんぞ。 喜びの捧げもの米一粒でもよいぞ。 神はうれしいぞ。 
旧九月八日とどめぞ。
六月二日、みづのひつ九のか三。

 第九帖には“富士”と“日本晴れ”“晴れ”の表記がいくつか登場する。 
 また“ひつく”“日津久”=太陽凝視を“行”として行うこと、それを“行”として行う“日津久の臣民”の表記もある。

 これまで解釈してきている通り“日月神示”表記の“富士(二二)”は、肉体の二つの磁性、日足(ひたり)と砌(みぎり)、ヨガで言えばイダとピンガラ、太陽の気道と月の気道のこと。 人が進化(霊的成長、神格化に向かうこと)していくと、日足(ひたり)の極性と砌(みぎり)の極性がたかまる。
それは個々の思想が“日津久”=太陽凝視で“上”と感応していく、これが、進化していくべき人間の日足(ひたり)の極性のたかまりであり、それを現津(あきつ)、観察され得る事象に顕現する、顕現すること事態が砌(みぎり)の極性であるし、本来、このこと事態が人間の存在の意義であり、進化した生命である人間、“一”=智性=1番目のオーラがたかまった、あるいはたかまっていくべき人間のことを、古神道の表記の“日止、霊止”と呼称すべきである。 

 それと、“お山開き”“お山へ移してよい”の“お山”は、“一”=智性=1番目のオーラのたかまりによって進化していく目上(めうえ)(大脳新皮質、“田”(心、靈、の四つの場(フィールド))の脳のことである。

 説明が前後するが“日止、霊止”の表記、これは、“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意、あるいは日月の巻の表記の“天津御空(あまつみそら)”これも“上”からの振動の意であり、“創造”の“主(ヌシ)”の思惑を含んだ荷電粒子を、肉体(月(ツキ))の磁束、ローレンツ力で止める、それが“日止、霊止”の表記の意味であり、肉体(月(ツキ))が持つ円形加速粒子機の構造(サイクロトロン、サイクロトロンに水平磁場が加わるとシンクロトロン)で、“一二三”のオーラとして発振、発信することが、息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)であり、息吹はまた、“日月神示”表記の“言”“コト”(事象に顕現され、(自己と他者に)観察された心(靈)の動き)でもある。

 それで、“日本晴れ”“晴れ”に関しては、過去に幾度か使った画像で意味を示すこととする。

“晴れたり日本晴れ”の解字

 これも太陽の意味と自省(胸の磁性“十”)の意味、そして心(靈)(ヒ)が育つ過程の右往左往と左往右往、そして育った心(靈)(ヒ)、進化した心(靈)(ヒ)の“思惑の顕現”=現象化の意味合いがあることを今まで述べてきている。

 そしてまた、第五帖と第七帖で登場した“松”(〇つ)の表記があり、この表記の意味は、“上”の思惑、“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意、“天津御空(あまつみそら)”=“上”からの振動、“創造”の“主(ヌシ)”の思惑を含んだ荷電粒子が、つづまる(約まる)集う(つどう)して、これまでの進化過程とは違う新たな生命となった心(靈)=○である。

 これらのことを踏まえ、第九帖の本文の解釈に入る。

まず、
“富士は晴れたり日本晴れ、いよいよ岩戸開けるぞ”
というのは、進化した生命、日足と砌(ひたりとみぎり)の極性が高まった人は、自省(胸の磁性“十”)の心を持つ、それは自我より“上”の心(靈)の発現なので、岩戸開きをする、この岩戸を開くの意味は、岩を構成する字、“石”(帯電するミネラル)と“山”(脳の意味)で、“戸”(横隔膜)を開く、それはヨガでいうところのアナハタチャクラ、その心(靈)の発現は、“慈悲”と“慈愛”、そして重複するが、自省(胸の磁性“十”)の心である。

 これに続く、
“お山開きまこと結構。 松の国 松の御代となるぞ”
は、山=目上(めうえ)の脳が開く、これは“一”=智性=1番目のオーラのたかまりであり、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)を望んでいる“上”としての立場の言葉として“結構”であり、そうなれば先に説明した“松”〇つ、という生命、“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意と感応する“日止、霊止”になる、そういった心(靈)(ヒ)の持ち主(“国”)と、その人たちが“創造”する時代になるという言い回しが“松の国 松の御代となる”ということで、いうまでもなく霊的成長度における区分け、アセンション後のことである。

 次の、
“旧九月八日から大祓ひのりとに天津祝詞の太のりと「一二三(ひふみ)のりとコト」入れてのれよ。 忘れずにのれよ”
の“九月八日”も日付のことではなく、“九”は“一”=智性=1番目のオーラ+丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)+乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現)であり、現地球人より“一”=智性=1番目のオーラがたかまった状態を指すものである。 そして月は肉体(月(ツキ))のこと。 
そして“八”文字の構成が、丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)と乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現)であり、そしてこれは“富士(二二)”=肉体の二つの磁性、日足(ひたり)と砌(みぎり)、ヨガで言えばイダとピンガラ、太陽の気道と月の気道と同じ意味を持つ。 そして“日”は、太陽のことであり、日足と砌(ひたりとみぎり)の極性がたかまった“日止、霊止”は、“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意、と感応するというのが“八日”の意味であり、さらに“旧”の表記は、「古い」の意味ではなく、|(たてぼう、こん、縦の磁性))と太陽を示す“日”、あるいは、太陽の振動が下降する、それを|(たてぼう、こん、縦の磁性))で示していると思える。
 よって“旧九月八日”も、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)をある程度果たした肉体(月(ツキ))を持った心(靈)(ヒ)、“日止、霊止”を指す表記であり、これに続く“大祓ひのりとに天津祝詞の太のりと「一二三(ひふみ)のりとコト」入れてのれ”は、元々、
大祓祝詞、(中臣祝詞、中臣祓ともいう)の「天つ祝詞の太祝詞を宣れ 此く宣らば」で、太祝詞(ふとのりと)を唱えるべきものであり、一昔前は“役員づら”の神職などに多額の(通貨としての)金を払わなければ教えてもらえなかった「ヒフミヨイムナヤコト モチロラネ シキル ユイツ ワヌソ オタハクメカ ウオエニ サリエテ ノマス アセエ ホレケ ウイエ」、これは、“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)との感応のための文言であり、これを唱えること事態が“上”との感応になる。 それで第九帖の文言は、そのことを指す意味合いもあるが、“一二三(ひふみ)のりとコト”と述べられているので、“一二三”のオーラを“のる”=発振、発信せよ、それは、“コト”、
“コ”は停滞して働く意と細分の音義、物の凝り集まりに固まる意、
と、
“ト”は、止まると云う心、
要は“上”の思惑、“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意、“天津御空(あまつみそら)”=“上”からの振動、“創造”の“主(ヌシ)”の思惑を含んだ荷電粒子、これを自らに止め、息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)とせよ、という意味合いであり“忘れずにのれよ”は、その発振、発信が出来得る進化(霊的成長、神格化に向かうこと)を果たせ、そして“上”との感応を忘れるな、という意味合いである。

 これに続く、
“その日からいよいよ神は神、けものはけものとなるぞ。 江戸道場やめるでないぞ、お山へ移してよいぞ、役員一度やめてよいぞ。 またつとめてよいぞ”
は、“その日”=進化(霊的成長、神格化に向かうこと)を果たし“一二三”のオーラをきちんと発信しうる、“一”=智性=1番目のオーラがしっかりした進化過程(霊的成長の過程=普遍的に実在する創造主のオーラとの感応共振の段階)の人が現れることにより、その人たちは、“上”と感応し、神の思惑を顕現しようとするから“神は神”と称され、そうではない今までの地球人は目下(めした)(動物の心(靈)の段階)(大脳旧皮質と古皮質)の心(靈)の進化過程であるから“けものはけもの”と分類される、それが霊的成長度の高低において区分けされるアセンションの意義であるが、現時点、この認識が一般になさすぎることを示唆しているのであえて“その日からいよいよ”と述べられている。 
 そして“江戸道場やめるでないぞ、お山へ移してよいぞ”の“江戸”は、“江戸と尾張”腹の水、(“江戸と尾張”の“江”)、それは自我の進化、自我の発達、腹の位相のサイクロトロン、三番めのオーラの強化のことで、それを“道場”と称されており、その三番めのオーラを“上”に引き上げる、本文の“山へ移してよいぞ”は、“山”=目上(めうえ)(大脳新皮質、“田”(心、靈、の四つの場(フィールド))の“行”をする、それをするなれば、三番めのオーラは胸のシンクロトロンの構造で“上”に引き上がり“一”=智性=1番目のオーラに変換されていくことを○○○大先生は著書で述べた(条帛(じょうはく)のこと)が、これが“ひつく”“日津久”=太陽凝視を“行”として行うことの秘密でもあるし、“ほんとう”の意味での進化(霊的成長、神格化に向かうこと)は、これが必須であることをあえて述べておく。
 これに続く“役員一度やめてよいぞ。 またつとめてよいぞ”は、“ほんとう”の意味合いの“役員”は、程度の低い人を進化(霊的成長、神格化に向かうこと)に導くものであるが、今は“役員づら”が台頭しているので、活躍する条件に無いことを述べられているが、先の“その日からいよいよ”=進化(霊的成長、神格化に向かうこと)をある程度果たした人が台頭する時代になれば、進化程度の低い人を導く役割を行使することが出来得る、という意味合いにとれる。
 だが、そういった時代になれば現地球人の大半である“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の進化過程の人達はいない、ある程度自省(胸の磁性“十”)をした人でなければ、次の段階に移行しえないことを述べておく。

次の、
“めぐりあるから心配あるのぞ。 めぐり無くなれば心配なくなるぞ。 心配ないのが富士は晴れたりぞ、富士晴れ結構ぞ”
の“めぐり”は、恨みの連鎖の霊的干渉、平均的地球人の息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)、“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の心の動きが生み出している因縁のことであるが、それが無くなるのが次の段階、アセンション後の事象であることを今まで幾度となく述べているが、そのことを指しているに過ぎず、“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”に対して(アセンション後に位置して行く今より霊的進化を果たした)奉仕者、“世為人為”(S会=紫光会の経文、四空経録の中の言葉)を理念とした人たちは恨みの連鎖の霊的干渉を生み出さず、当然のことながらローム太霊がローム太霊講話集の第九話で述べられた“憎悪の霊団”とも感応しないものである。
 それを示す文言、ある程度進化して(アセンション後に位置して行く今より霊的進化を果たした)奉仕者となった人たちは、“富士(二二)”=肉体の二つの磁性、日足(ひたり)と砌(みぎり)、ヨガで言えばイダとピンガラ、太陽の気道と月の気道、がしっかりしており、先に画像で示した“晴れたり”になっており、“めぐり”を生みださない、創らない、増大させない、今の状況とは変わって来ることを“めぐりあるから心配あるのぞ。 めぐり無くなれば心配なくなる”と述べられ、自分たちが進化(霊的成長、神格化に向かうこと)したならば、恨みの連鎖の霊的干渉は減少し、いつか消失するので“心配ないのが富士は晴れたりぞ、富士晴れ結構ぞ”と述べられている。
 またこういった世界を人間に創らせるのが神の思惑であり、それをローム太霊は、ローム太霊講話集の第二話で、
何とかしてこの地球を、凡ての人間が不幸から救われて愉快にたのしく暮らせる楽土にしたいという、神自身の本当の気持ちではないかと思う
という言い回しで、神の思惑について述べておられる。

 これに続く、
“日津久の御民 何時も富士晴れ心でおりて下されよ。 肉体ちっとの間であるが、魂は限りなく栄へるのざぞ”は、太陽凝視を“行”として行って自省(胸の磁性“十”)の心を発現させている人、現状を憂いている人たちに対するメッセージである。
 それは以前解釈した、
下つ巻 第三十七帖で、以下のように述べられているからである。
“あめのひつくの民と申すのは、世界治めるみたまの入れもののことぞ”
これは“上”との感応、神の“思惑の顕現”をすべく生命(生きる使命=存在理由)が、“あめのひつくの民”=太陽凝視を“行”として捉え真剣に行っている人を指す表記である。 
そして、
“ひつくの臣民は神がとことん試しに試すのざから、可哀そうなれど我慢して呉れよ、その代り御用つとめて呉れたら、末代名を残して、神からお礼申すぞ”
これは今後=アセンション後の事象を創造するという意味合いであり、今後=アセンション後の事象が神の“思惑の顕現”となっていくからこそ、“末代名を残して、神からお礼申す”と述べられている。
 さらに“ひつくの臣民”は今、“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の“創造”による事象では、たいして活躍できないことを示す文言が以下の文、
“何事も神は帳面につけとめてゐるのざから間違ひないぞ、この世ばかりでないぞ、生れ代り死に代り鍛へてゐるのぞ、ひつくの臣民 落ちぶれてゐると申してあろがな、今に上、下になるぞ”
この文の“神は帳面につけとめてゐるのざから間違ひない”は、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の“道”(時間の進行)“理(ミチ)”(法則性)は絶対のものであり、それに沿っていない人間と、沿っている“ひつくの臣民”は、それぞれ、それなりの、“上”からの評価があり、やってきたことが“道”(時間の進行)“理(ミチ)”(法則性)に沿っているかいないかで、この文の“今に上、下になる”=程度の低い人は活躍できない時代になるし、“ひつく”“日津久”=太陽凝視を“行”として行うことをしてきた人が、今後=アセンション後の事象の“創造”の要になることを示すものである。
 また“何事も神は帳面につけとめてゐるのざから間違ひないぞ、この世ばかりでないぞ、生れ代り死に代り鍛へてゐるのぞ”
と、第九帖本文の、
“肉体ちっとの間であるが、魂は限りなく栄へるのざぞ”
は、同じ意味のことを述べている。

 それで次の、
“金に難渋して負けぬ様にして下されよ。 金 馬鹿にしてはならんぞ。 あせるでないぞ。 あせると心配事出来るぞ。 神が仕組みてあること、臣民がしようとて出来はせんぞ。 細工はりうりう滅多に間違ひないのざぞ。 見物して御座れ、見事して見せるぞ”
これは、下つ巻 第三十七帖の“ひつくの臣民 落ちぶれてゐる”にかかる言葉でもあり、先に述べたように“ひつくの臣民”は、今、“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”に比べれば“金に難渋”しているものであるが、○○○大先生が著書で述べたように“必要なもの以外は必要ではない”という悟りを持つ、そうすれば自分は落ちぶれているとも思わないし、自分の外側(外国と幽界)の事象ばかり見るから“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”を羨んだりすることもあろうが、それは“あせるでないぞ。 あせると心配事出来るぞ”といわれている通りであるし、“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”が集めている(通貨としての)金は、汚い金であるからこそ“金 馬鹿にしてはならん”のであり、“世為人為”を理念として仕事をするならきれいな金しか集まらないが、きれいな金は汚い金より少ないという現状を指し示す文言でもあり、この文を読んだなら自分はきれいな金を集める生業(なりわい)をすべきであると悟らなければならない。
 そしてこれに続く“神が仕組みてあること、臣民がしようとて出来はせんぞ。 細工はりうりう滅多に間違ひないのざ”
は、今後=アセンション後の事象の“創造”、そしてそれを担う(アセンション後に位置して行く今より霊的進化を果たした)奉仕者、“世為人為”を理念とする人、こういった人達の世になるが、たった今の現状は“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”が活躍する時代であり、それは“神が仕組みてあること”=神の思惑ではないのだということであり、今はどうであれ、必ず“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の人達は“めぐり”により活躍できなくなり、自分で自分の首を絞めるという結果になり、その時に“世為人為”を理念とした(アセンション後に位置して行く今より霊的進化を果たした)奉仕者が、台頭するようになるものであることを示す文言で、そのことを最後に強調した形で“細工はりうりう滅多に間違ひないのざぞ。 見物して御座れ、見事して見せるぞ”と述べられている。

 次の“不和の家、不調和(ふわ)の国のささげもの神は要らんぞ。 喜びの捧げもの米一粒でもよいぞ。 神はうれしいぞ”
これは“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の“創造”した何かを“不和の家、不調和(ふわ)の国(“国”は心の意味)のささげもの”と称されているに過ぎない。
 それに対し“上”が観て“ほんとう”に価値を認めるものを“喜びの捧げもの米一粒でもよい”と称され、何度も言うが“世為人為”を理念とした人の行動は、“上”が評価するものであるという意味合いの文言である。

 最後の、
“旧九月八日とどめぞ”
は、先に述べたとおり、
“よって“旧九月八日”も、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)をある程度果たした肉体(月(ツキ))を持った心(靈)(ヒ)、“日止、霊止”を指す表記”
のことであり、この文の“とどめ”は、同義語として、佳境を迎える、クライマックスを迎える、ピークに達する、 絶頂に達する、 最大の見せ場、山場を迎える、天王山、極めつけ、などの意味合いであり、これが次の事象、今後=アセンション後に入るための“とどめ”であることを述べ、今回はこれくらいにしときまんねん。



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 Kelly & ○○○大先生

Author: Kelly & ○○○大先生
FC2ブログへようこそ!


Kellyさんと○○○大先生は、
このブログを書いている○○○の、
心(靈)の二面性であり、
同一人物で有る事を、
お断りしておきます。

出版の告知

四冊目&五冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈4〉
智性無き心は
悪を容認する


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈5〉
智性無き心は
アセンションを見誤る

 この二冊は、同時発売です。
太陽凝視を行っている鍼灸師の話 <4> 智性無き心は 悪を容認する & 太陽凝視を行っている鍼灸師の話 <5> 智性無き心は アセンションを見誤る サムネイル
(クリックで拡大)

2010年 4月20日(火)ごろより、全国書店(紀伊國屋書店・三省堂書店・旭屋書店・ジュンク堂書店・ブックファースト・リブロ・丸善など)にて順次陳列。


発売中の三冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈3〉

神格化のプロセス
目上(めうえ)と目下(めした)


神格化のプロセス 目上と目下 縮小版 ブログ用
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発売中の二冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈2〉

ローム太霊の教え
日足(ひたり)と砌(みぎり)


サムネイル太陽凝視を行っている鍼灸師の話〈2〉ローム太霊の教え 日足(ひたり)と砌(みぎり) 
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お近くの書店にない場合は
たま出版のサイトでお買い求めください。

発売中の一冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈1〉

ローム太霊との出会い


太陽凝視を行っている鍼灸師の話〈1〉ローム太霊との出会い
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この本に付いてはこちらを御覧下さい。


       




初めての方は、
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☆ Kellyさん的事象の観察と認識 (104)
Kellyさんがこのブログに霊縁あった人(日止、霊止)に伝えたい事 (22)
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Kellyさんとチョ~極上ラブラブ中高年夫婦はんとの会話 (6)
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Kellyさんが、“日月神示”の解釈をして行くに当たって・・・考えた事。 (16)
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“日月神示” 雨の巻 (18)
“日月神示” 風の巻 (15)
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☆ 紫光会経文の文言 Kellyさん的解釈 (18)
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2005年10月1日~2008年1月15日まで、
“Kellyさんとの会話”で、説明して来た事・・・
その内容・・・それは・・・その何年も前から、
何か自分の考えをある程度公表しなければならない・・・
そう言う通信を受け・・・その理由は・・・地球人が低い心(靈)の発現しかしていない・・・
それを自覚していない人が多い。
その事由来の太陽凝視に対する認識、
(太陽凝視=不食・・・としか、認識させない存在の思惑を、受信している事)
霊的成長に対する認識、
神に対する認識、
心=靈に対する認識、
オーラに対する認識、
そして、
高い認識の上での進化の意味と幸福の概念と神の概念・・・
進化=霊的成長=神格化=(相対的に)高い認識を獲得する事・・・
霊的成長=神に近づく事=真の幸福の意味。
霊的成長度は1番目のオーラに顕れる。
よって、宇宙的プログラムにより次の段階に移行する人(日止、霊止)は、 何を考えるべきなのか・・・
そして、人(日止、霊止)の進化を阻む存在の思惑、
その心=靈の動き、それらの意図・・・それが一般に認知されていない事。
それらを伝えなければ成らない・・・そして一応・・・完結はしたのですが・・・
解り難い・・・理解しがたい・・・具体例を示して欲しい・・・そう言う感想も頂き、
そして自分なりにも説明が足らなかった事・・・
更に、
“Kellyさんとの会話”が完結してからも通信を受けている事・・・そう云う事もあり・・・
よって、このブログを立ち上げる事としました。
従って、
“Kellyさんとの会話”が、
自分の意見を述べる上での、ローム太霊の言葉、
“右往左往”(“いきり立つ心(奴と心)”で行動してから考える)・・・と、 するならば、 このブログはアタシ自身の、
“左往右往”(“思う、憂う”・・・体験を教訓として考え行動する)の、
作業になって行くと思います。


太陽凝視を行っている鍼灸師の話 “総括編”
太陽凝視を行っている鍼灸師の話 “改”
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○○○大先生の水草水槽記録
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自分達の欲望を満たしたい… 
自分だけ幸福になりたい…
こういった進化程度の低い心(靈)の発現由来の思いが、
低い幸福の概念になり(目下(めした)の思い)
その結果が、飢餓貧困、戦争の原因になったりしています。
(子供の浮游霊の霊的干渉の影響を受け、 それがどんどん増して行く事等が、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)
の思惑だと 思えます)

恨みの連鎖による霊的干渉を増やさない為、
その解消の為にも、(この趣旨に反する類の物もありますが) クリックをお願いします。
クリックした人に、お金の負担はありません。 ↓↓




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