“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話

太陽凝視を一生涯の“行”とし(現在、44年目)、実践し、その上で獲得した認識を述べています。

“日月神示” 水の巻 第十帖 Kellyさん的解釈 “その三”


 今回も、水の巻 第十帖の以下の文を解釈しまんねん。

雨の神とは
あめのみくまりの神、
くにのみくまりの神、
風の神とは
しなどひこの神、
しなどひめの神、
岩の神とは
いわなかひめの神、
いわとわけの神、
荒の神とは
大雷のをの神、
わきいかづちおの神、
地震の神とは
武甕槌(たけみかづち)神、
経津主(ふつぬし)神々様の御事で御座るぞ。
木の神とは
木花開耶姫(このはなさくやひめ)神、
金の神(かねのかみ)とは
金かつかねの神、
火の神とは
わかひめきみの神、
ひのでの神とは
彦火々出見(ひこほほでみ)神、
竜宮の乙姫殿とは
玉依姫(たまよりひめ)の神様
のおん事で御座るぞ。此の方の事 何れ判りて来るぞ。今はまだ知らしてならん事ぞ。知らす時節近づいたぞ。

 今回は上記本文の“岩の神とはいわなかひめの神、いわとわけの神”までの解釈を述べることとする。

 ここで述べられている神名、
“雨の神”“風の神”“岩の神”“荒の神”“地震の神”“木の神”“金の神”“火の神”“ひのでの神”“竜宮の乙姫”
これに似た表記は、以前解釈した、
日の出の巻 第十八帖にある。

“十柱とは火の神、木の神、金の神、日の出の神、竜宮の乙姫、雨の神、風の神、地震の神、荒の神、岩の神であるぞ”
これについて、以下のように解釈した。

“十柱”は胸の磁性“十”、やはり先に述べたこと(“奥山に祀り呉れ”の“奥山”は目下(めした)(大脳旧皮質と古皮質)(動物の心(靈)の段階)、心(靈)(ヒ)の発現と動きでいえば本能、情動、功名心、自我であり、それを“祀り呉れよ”であるから、これは“下”(低い心(靈))のエネルギーの引き上がり、またクンダリーニの上昇の意味もあり、自我以下の心を諌めよ(自省(胸の磁性“十”)、“十”は肉体(月(ツキ)の腕(水平磁場)と脊椎と脳などにより構成される縦の磁束とによるシンクロトロン放射(“十”の表記の意味合いの一つ)ということであるし、“日月神示”で一貫して述べられている“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”から(アセンション後に位置して行く今より霊的進化を果たした)奉仕者への進化のことを述べている)と同義。
そして“火の神”の火は荷電粒子の回転を示す点が二つの表記と丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)と乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現)、あるいは異物の取り込み、食べること、それをエネルギーに変換すること、“改”で述べた“臓腑”の“腑”の電磁誘導。
“木の神”の木は胸の磁性“十”と丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)と乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現)。
“金の神”は“力(ちから)の根(ね)”=肉体内の鉄分子、“カネ”の言霊。
“日の出の神”の日の出は、次の段階に移行すること、アセンション後。
“竜宮の乙姫”の“竜宮”は竜の如く“下”のエネルギーが“宮”に上っていく(昇り竜)、宮は宀(うかんむり、頭の意味)と“呂”で、これは頭と腹のエネルギーの回転を示す表記、頭と腹は、丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)によって結ばれている表記だが、この意味のこと、さらに“竜”の表記は呂と立つ、あるいは太陽に昇る竜、ちなみに月に昇る意味合いは龍。
“雨の神”はこれまで解釈してきたとおり“メグリ”(帀)と左右に分かれた点四つは“上”からの荷電粒子の取り込み。
“風の神”は空気の取り込みによる電磁誘導、いわゆる空気の呼吸。
“地震の神”は地が震える、地は“石”(帯電するミネラル)と土=肉体(月(ツキ))の意味合いで、震えるは振動を発するの意。
“荒の神”は低振動、“下”三つのチャクラの振動。
“岩の神”の岩は岩戸開き、“石”(帯電するミネラル)と“山”(脳の意味)で、“戸”(横隔膜)を開くことの岩。
よって“火の神、木の神、金の神、日の出の神、竜宮の乙姫、雨の神、風の神、地震の神、荒の神、岩の神”で、これらすべて“十柱”=胸の磁性“十”が立つ(柱)の表記にかかることであるし、“辛酉の日に祀りて呉れよ”の“辛酉”も、下つ巻 第三十帖で解釈した事をそのまま以下にコピペして示す事とする。 ↓

“辛酉(かのととり)”は、陰陽五行では、十干の辛は陰の金、十二支の酉は陰の金の意味がある。 そやからそれは陰の金、木火土金水の金、それは五臓で言えば肺=“悲しみ”でもある。 ほんでから“辛酉(かのととり)”は、陰の金って意味が二つ重なっている。それを五行思想では、比和(ひわ)って言い表されそれは、同じ気が重なると、その気は盛んになり、その結果が良い場合には益々良く、悪い場合には益々悪くなる。
そやから陰の金は肺=“悲しみ”であり、それは“慈悲”と“慈愛”を発現して行く(アナハタチャクラ、自省(胸の磁性“十”)の“行”)霊的進化過程でもあると思える。
自省(胸の磁性“十”)を果たさんならんからこそ、やってきたことがばれたり、恥をかいたりする事象が多くなってる。 それもフォトンベルト=加速された荷電粒子、白光する神の思惑、大日如来の条帛(じょうはく)、その影響を受けているから、自省(胸の磁性“十”)の“行”に入り、自分の在り方を考えんならん。 そやからその人たちが創り出してるその事象って言うのんは、例えば、うまい事やって儲けた人は、ばれて、恥をかかんならん。 そうやって自省(胸の磁性 “十”)をする。そして自分の人生を恥じ入り、その人の心(靈)は、肺=“悲しみ”でいっぱいになるやろ。
その過程を踏んで行かんと、自我より“上”の心(靈)である“慈悲”と“慈愛”は発現せん。 その意味のことを言うてると思えるな。 (引用終わり)

従って“辛酉の日”は自省(胸の磁性“十”)して自分の人生を恥じ入りそれから“慈悲”と“慈愛”という心の動きに移行することを指すものである。

 日の出の巻第十八帖からの引用終わり

 この“十柱”そして“辛酉”は、いうまでもなく自我から“慈悲”と“慈愛”への霊的成長のことを指す。
そして今回取り上げている文も、艮(うしとら)の金神を名乗る霊団は神名を引用しながら、平均的地球人が知らない霊的成長のことを説くことをしていると思う。
また、この“霊的成長のことを説く”、そのために“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)は、“下”(低い心(靈))である人間に、神名の表記で霊的成長の秘密を示唆していると思う。 
それはまた、“役員づら”の神職や神道研究家などがこのことに気づいていない、ただ神名に肖る、自分たちの権威を示そうとする程度の低いディスプレイ(動物の発情行動)くらいにしか神名を使っていない、それを一般の人にインプリンティング(刷り込み(すりこみ)、刻印付け)している、そしてご利益を強調する低い心(靈)、甘い(亜、魔、出ずる、泉。愛(炁)の間に魔が入った状態を指す)心(靈)の動きを助長するようなことをしているから、艮(うしとら)の金神を名乗る霊団はこのことを説いていると思える。

 上記のことを踏まえ本文の“岩の神とはいわなかひめの神、いわとわけの神”までの解釈を述べることとする。

 まず、“雨の神とはあめのみくまりの神、くにのみくまりの神”の、“みくまり”の表記は、水分り、の字が当てられ、稲作などの水の神とされているが、そうではなく、人間の肉体(月(ツキ))の液体成分、錯体(帯電するミネラルを含んだイオン化した液体)、のことであり、分り、これは分配の意、この表記は、“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意を、錯体に、分け、配る、の意であり、この錯体が肉体を循環することそのものが、新たな電磁誘導、生体内電流の励起となり、生きているという状態を保持するものであるし、常に人間はその肉体の錯体で、“上”からの荷電粒子、天意、を、自らの霊的成長度により止めている、ということを示唆する表記であると思う。

 次の“風の神とはしなどひこの神、しなどひめの神”、この“しなど”の表記は、志那戸、が当てられ、これは神話に登場する風の神、古事記の表記の志那都比古神(しなつひこのかみ)、日本書紀の級長津彦命(しなつひこのみこと)と同義と思える。
 この神名の“しな”は、息が長い、の意があり、よって風の神とされているが、やはりこれは空気の取り込みによる“臓腑”の電磁誘導による生体内電流の励起であると思う。
 そして“しなど”の“ど”は、戸であるから、岩戸、岩戸開き、“石”(帯電するミネラル)と“山”(脳の意味)で、“戸”(横隔膜)を開く、のそれである。
 “ひこ”“ひめ”は、男と女の意を示すから、日足と砌(ひたりとみぎり)、それは空気の取り込みが主に肺でなされ、肺は左右に二つあり、肉体を構成する“臓腑”の臓(左右の大脳半球を含むのでこの表記は今一つの感があるが…)は、人間が左右相称動物であるから、日足と砌(ひたりとみぎり)、左右に配置され、それはまたコンデンサーでもあり、これらそのものが“上”からの荷電粒子や天意、そして自らの心(靈)(ヒ)が対峙した時に思うことにより励起された生体内電流を保持し、これがまた肉体(月(ツキ))の磁性を構成するものである。
 
 次の“岩の神とはいわなかひめの神、いわとわけの神”は、岩戸開き、“石”(帯電するミネラル)と“山”(脳の意味)で、“戸”(横隔膜)を開く、ということを何回も述べているが、平均的地球人の進化過程(霊的成長の過程=普遍的に実在する創造主のオーラとの感応共振の段階)の次の段階は、第四密度、マニピューラチャクラからアナハタチャクラ、“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”から(アセンション後に位置して行く今より霊的進化を果たした)奉仕者、自我の確立=固定化、自我の肥大(“石屋の仕組み”)から“慈悲”と“慈愛”、“身魂掃除”“身魂洗濯”“改心”そして“秋立つ”、この進化(霊的成長、神格化に向かうこと)のことを述べている。

それで“いわなかひめ”は、帯電するミネラル=“いわ”の中の、“ひめ”=砌(みぎり)の極性(事象への顕現)、これは“創造”の“主(ヌシ)”が現津(あきつ)、観察され得る事象を創造しようとする思惑、その振動のことであり、それを止めるのが進化(霊的成長、神格化に向かうこと)でもある。
 “いわとわけ”は、帯電するミネラルで止まる“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意を、分ける、分けることが事象の“創造”そのものであるの意であると思える。
 
 これまで何回も述べてきたことであるが、人の進化(霊的成長、神格化に向かうこと)は、“身魂磨き”=(生体内電流による)肉体組織の結晶化により、肉体(月(ツキ))の磁性の変容をして、“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意を止める、それが“日止、霊止”の表記であり、今腹中心=“江戸と尾張”の進化過程だから、自我の肥大をしやすく、“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”になるが、それではダメで、これより“上”の進化が先に述べた、
第四密度、マニピューラチャクラからアナハタチャクラ、“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”から(アセンション後に位置して行く今より霊的進化を果たした)奉仕者、自我の確立=固定化、自我の肥大(“石屋の仕組み”)から“慈悲”と“慈愛”、“身魂掃除”“身魂洗濯”“改心”そして“秋立つ”
である。


 今回はこれくらいにしときまんねん。




“日月神示” 水の巻 第十帖 Kellyさん的解釈 “その二”


 今回は、水の巻 第十帖の以下の文を解釈しまんねん。 

今の臣民に判る様に申すならば御三体の大神様とは、
天之御中主神様、
高皇産霊神様、
神皇産霊神様、
伊邪那岐神様、
伊邪那美神様、
つきさかきむかつひめの神様
で御座るぞ。

 さて、この文は冒頭で“今の臣民に判る様に申すならば”と述べられている。 
 これは、今の地球人の霊的成長度で判る説明をしてやる、という言い回しである。
 そして“判る様に申す”は、解る、あるいは分る、ではなく、理解できないだろうが判断はできるであろう、という意味合いのことである。
 さらに“御三体の大神様とは”と述べられているが、ここで列挙されている神名は六つである。 
 今回は、これらについて解釈を述べる。
 
 古事記では“天之御中主神”が、天地開闢(てんちかいびゃく)の際に高天原に最初に出現した神であるとされ、その後“高皇産霊神”“神皇産霊神”が現れ、すぐに姿を隠したとされており、この三柱の神を造化三神と呼称し、またそれぞれが“独神”(ひとりがみ)であるとされ、別天津神(ことあまつかみ)であるとされている。 
(このあたりのことは、○○○大先生の著書の<1>の後半で述べられている)

 それで前回述べたように第十帖は、こちら側、“上”に対して“下”である人間の認識、“創造”の“主(ヌシ)”に対して被造物である人間の視点、を、述べている言い回しである。

 よって“天地開闢の際に高天原に最初に出現した神”である“天之御中主神”は、事象の“創造”をする、“創造”を行っていく思惑(日足(ひたり)の極性)であると解釈できる。
またそれは、“創造”の“主(ヌシ)”の“主(ヌシ)”の字、これは、“一二三”のオーラと|(たてぼう、こん、縦の磁性))、そして丶部(ちゅぶ)、いわゆる“日月神示”表記の であり、ローレンツ力ローレンツ力 をも示す。
 これは生命(生きる使命=存在理由)、そして靈、それは心(靈)(ヒ)、そのものといい得るのであるが、この進化、ダーウィンの進化論のようにただ生物を分類したのではない“ほんとう”の進化(霊的成長、神格化に向かうこと)として、心(靈)(ヒ)が育つことを説明しているとても重要な意味を持つ。

主(ヌシ)の解字

 この画像は、ローム太霊が伝えた“主護霊”という表記を意味も考えずに、守る護る霊、守護霊と書き換えて商売している霊的成長度の低い人間、いわゆる“役員づら”、そしてその程度の低い解釈を信じ込んでいる程度の低い人間に、“ほんとう”のことを教えるために以前作った画像であるのだが、まったくこの意味が一般には伝わっていないし、御利益しか求めない自分に甘い人間は、守護霊、自分を守ってくれる存在などという勝手な解釈を信じたがるが、これは“ブタのけつを見ているアホ”である。

 話を戻し、人が“日止、霊止”になるというのは、独り神(ひとりがみ、日取り神)になるためのステップであるし、だからこそ心(靈)(ヒ)は肉体(月(ツキ))を持って生きる体験をして、その肉体の磁性、ローレンツ力で“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意、“天津御空(あまつみそら)”=“上”からの振動=“創造”の“主(ヌシ)”の思惑を含んだ荷電粒子、を、自らに止める、それが進化(霊的成長、神格化に向かうこと)であり、古神道の“日止、霊止”の表記の意味合いである。

 そしてこれに続く“高皇産霊神”と“神皇産霊神”、この“産霊”という表記の意味が、神道研究家の解釈では、生産、生成、いわゆる“創造”の意味合いのことであるが、これも狭い視点での解釈であるとの思いを禁じ得ない、いわゆる神の“創造”が生命とこの事象、人をはじめとするすべての生命である心(靈)(ヒ)が観察しうる事象、その両方の“創造”に関与しているのが“産霊”である。
 その“産霊”、それは物質が持ちうる電荷による磁性で、“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意を止め、天意が“上”から注がれるからこそ現津(あきつ)、観察され得る事象、そして生命があるのだ、という解釈を、さきの「生産、生成、」という言葉では感じ取れない。
悪口みたいなことを述べたが、この「生産、生成、」を前提に、“高皇産霊神”と“神皇産霊神”の神名を見たら“ほんとう”の意味は通じないと思うからである。
 
 それで“高皇産霊神”は、高い=“上”、皇=白はシンクロトロン放射、王は、“一二三”のオーラの完成形と|(たてぼう、こん、縦の磁性))、これで“産霊”=霊を産む、というよりも新たな要素を取り込んで心(靈)(ヒ)を構成するのが“産霊”であり、それは示す偏(へん)と呂、神であり、呂は荷電粒子の回転の意である。
 同様に“神皇産霊神”の冒頭の表記の神は、“上”としての神、以下の意味は同じであると思う。
要は、“産霊”というのは、“創造”の“主(ヌシ)”の思惑である“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意を止める、感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)する、そして進化(霊的成長、神格化に向かうこと)していくならば、産みだすが如く心(靈)は成長するという意味合いであると思うし、この三体は、性別の無い独り神とされているが“神皇産霊神”は女神とされているので、“思惑の顕現”=現象化、砌(みぎり)の極性のことである。

 ここまでのことを鑑みて“伊邪那岐神”を解釈すればこれは“創造”の“主(ヌシ)”に対して被造物である生命(生きる使命=存在理由)の日足(ひたり)の極性であり、“伊邪那美神”は、その被造物としての生命が事象の“創造”をするの意、いわゆる砌(みぎり)の極性である。
 それで“つきさかきむかつひめの神”であるが、これに近い神名は、撞榊厳魂天疎向津姫命(つきさかきいつみたまあまさかるむかつひめ)であり、天照皇大神の荒魂(あらみたま)とされている。
荒魂は、神の荒々しい側面、荒ぶる魂とか、天変地異を引き起こし、病を流行らせ、人の心を荒廃させて争いへ駆り立てる神の働きであるとか、神の祟りは荒魂の表れ、と解釈されているようであるが、この解釈も重要な認識が足らず、これらすべて“神の采配”と人を諌める“神の咎め”であるという認識(悟り、幸取=さとり)を感じさせない。
 よってこれは霊的成長度の低い人が解釈した荒魂の説明である。

 それで先に述べたように、天照皇大神の荒魂というのは、“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意、が、低い事象である今の地球に注がれ、顕現する、それは高い振動に比べれば荒いのであり、低い振動であるから、荒魂と表現されているとの解釈を以前から持っており、それは、神の“思惑の顕現”=現象化であり、ただそれは今の地球では、“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”が活躍しているからこそ、“神の咎め”の事例が多いのである。

 それで第十帖では、“つきさかきむかつひめの神”と述べられている。
 これを先の、撞榊厳魂天疎向津姫命(つきさかきいつみたまあまさかるむかつひめ)の漢字をあてると、“撞榊向津姫神”となり、“撞”は、つく、つきあたる、さしさわる(差し障る)の意があり、“榊”は、神棚に供える植物であるが、神と人間との境界、境木(さかき)という意味があり、“向津”は、津が中心の意を持ちそれに向かうの意であり、“姫”は、女を指すから砌(みぎり)の極性である。
これらのことを鑑みると、神と人間の境界をつく、つきあたる、打が進化(霊的成長、神格化に向かうこと)というのは中心と認識され得る“創造”の“主(ヌシ)”に向かうことであり、それに向かいつつあるのが、神の“思惑の顕現”=現象化である、“創造”の“主(ヌシ)”の砌(みぎり)の極性(事象への顕現)としての、生命(生きる使命=存在理由)としての人間であるとの解釈が成り立つ。
それで第十帖の表記の“つきさかきむかつひめの神”、先の撞榊厳魂天疎向津姫に対し、この抜けている部分の“厳魂天疎”(いつみたまあまさかる)は、“天”=“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意が、“疎”=まばらになる、低振動化、先の荒魂と同義だが、これが進化したならば、自分に“厳”心(靈)=“魂”となるとの意を感じさせるが、現時点、自分に厳しい、“(“慈悲”と“慈愛”由来の)厳しさ”を持つ人間は少なすぎるので=“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”と、ケダモノの進化過程(霊的成長の過程=普遍的に実在する創造主のオーラとの感応共振の段階)の人が多いので、この漢字に当たるひらがなの表記を抜いて、地球人の進化程度を示唆している言い回しであるとの私見を持つものである。

 今回取り上げた文を要約すれば、“創造”の“主(ヌシ)”の思惑は、生命(生きる使命=存在理由)の“創造”、そして事象の“創造”であり、それが“産霊”と呼称される。
そしてそれは“創造”の“主(ヌシ)”の“思惑の顕現”=現象化であるから、日足と砌(ひたりとみぎり)の極性があり、被造物である生命も日足と砌(ひたりとみぎり)の極性を持つ。

 そして、現時点の地球人は低いのだ、ということを、地球人自らがよく判断しろ、判ったならもっと進化(霊的成長、神格化に向かうこと)に対する理解を深めろ、ということに成り得る。

今回はこれくらいにしときまんねん。



“日月神示” 水の巻 第十帖 Kellyさん的解釈 “その一”


 今回から、水の巻 第十帖を解釈しまんねん。 原文は以下の通り。

五大洲 引繰り返って居ることまだ判らぬか。肝腎要(かんじんかなめ)の事ざぞ。七大洲となるぞ。八大洲となるぞ。今の臣民に判る様に申すならば御三体の大神様とは、
天之御中主神様、
高皇産霊神様、
神皇産霊神様、
伊邪那岐神様、
伊邪那美神様、
つきさかきむかつひめの神様
で御座るぞ。
雨の神とは
あめのみくまりの神、
くにのみくまりの神、
風の神とは
しなどひこの神、
しなどひめの神、
岩の神とは
いわなかひめの神、
いわとわけの神、
荒の神とは
大雷のをの神、
わきいかづちおの神、
地震の神とは
武甕槌(たけみかづち)神、
経津主(ふつぬし)神々様の御事で御座るぞ。
木の神とは
木花開耶姫(このはなさくやひめ)神、
金の神(かねのかみ)とは
金かつかねの神、
火の神とは
わかひめきみの神、
ひのでの神とは
彦火々出見(ひこほほでみ)神、
竜宮の乙姫殿とは
玉依姫(たまよりひめ)の神様
のおん事で御座るぞ。此の方の事 何れ判りて来るぞ。今はまだ知らしてならん事ぞ。知らす時節近づいたぞ。
六月十一日、みづの一二 ローレンツ力と ○

 それで、第十帖は人の進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の、とても重要なことを述べているので、数回に分けて解釈することとして、今回は、
“五大洲 引繰り返って居ることまだ判らぬか。肝腎要(かんじんかなめ)の事ざぞ。七大洲となるぞ。八大洲となるぞ”
を取り上げる。

 今述べたことと関連して、ここまで水の巻を解釈してきて思うのは、第一帖の“三ローレンツ力と ○ (みず)”の表記の意味、それは、“三”が“一二三”のオーラ、1番目、2番目、3番目のオーラのこと、そして〇は、霊、荷電粒子の場(フィールド)であり、〇と ローレンツ力 ローレンツ力 が合わさった表記は、“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意を、肉体(月(ツキ))の|(たてぼう、こん、縦の磁性))と横棒━(よこぼう、水平磁場)で止め、それを円形加速粒子機の構造で発振、発信する仕組み、よって、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の法則性に則った“行”をする=“身魂磨き”=(生体内電流による)肉体組織の結晶化をして、肉体(月(ツキ))のローレンツ力ローレンツ力 を増し、“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意、“天津御空(あまつみそら)”、“上”からの振動、“創造”の“主(ヌシ)”の思惑を含んだ荷電粒子、を、自らに止め(“日止、霊止”の表記の意味)、それを息吹け=“一二三”のオーラで発振、発信せよ、換言すれば霊的成長した心(靈)で“思惑の顕現”=現象化をせよ、そのためのことを、水の巻で、“日月神示”を岡本天明に書かせた艮(うしとら)の金神を名乗る霊団は述べている、という感がある。

 それで、第十帖はすべて漢字とひらがなの表記であり、これは、こちら側、“上”に対して“下”である人間の認識、“創造”の“主(ヌシ)”に対して被造物である人間の視点、を、述べている言い回しであるし、“下”である人間がなすべきこと、それが“ほんとう”の意味での、進化=霊的成長、神格化に向かうこと、である。

 これを踏まえ、
“五大洲 引繰り返って居ることまだ判らぬか。肝腎要(かんじんかなめ)の事ざぞ。七大洲となるぞ。八大洲となるぞ”
を見ると、この“五大洲”の表記、(氵)さんずいと州、ことに水の意味を含む(氵)さんずい、これは右翼傾向の強い人が思うであろう世界を地理学的に分けた5つの州の総称ではなく、“洲”の意味が、
「河川、湖、海の底に土砂がたまって高くなり水面上に現れたものを指し、河口付近などの比較的浅い場所にできる、中洲などを指す」
であり、これは“河川、湖、海”が、肉体を構成する水、錯体としての液体成分(血液、リンパ液など)のことを表し、その水の中で固まる“土砂”は、肉体を構成する灰分(かいぶん)、Ca(カルシウム)P(リン)Mg(マグネシウム)K(カリウム) 微量のAl(アルミニウム)Fe(鉄)Zn(亜鉛)Si(珪素)Na(ナトリウム)であり、これが“水面上に現れたもの”というのは、積み上がったタンパク質、タンパク質の高分子化のことである。

  それはまた、肉体(月(ツキ))のローレンツ力ローレンツ力 の強化と変容、いわゆる“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)との感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)を指すのであり、これが生物の肉体の変容、いわゆるダーウィンの進化論の裏側にある、心(靈)(ヒ)の進化の要であり、よってこの“洲”の表記そのものが、水と土で構成された肉体(月(ツキ))の秘密、そして進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の秘密を指した文であると思える。

 そして数字の表記、“五”“七”“八”には、それぞれ霊的成長の秘密がある。

 まず、冒頭の“五大洲”の“五”は糸巻の象形文字、これは神経、骨の周りを巻いているコイル状の神経(電磁石の構造)であり、“大”は、人間が手足を広げた様、の意味があり、“洲”は、前述した通りの意味。

 それで“五大洲 引繰り返って居る”は、人間が神経を発達させ、智性(神性)を発現させ得る“上”との感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)の組織、大脳新皮質、目上(めうえ)の脳を、人間が進化させてきた=神の思惑を顕現すべく進化させた動物が人間であるのにもかかわらず、腹の心(靈)、腹の水=“江戸と尾張”の“江”、自我の確立=固定化の段階、そして腹の位相のサイクロトロン、自我主体の心(靈)、いわゆる自我が肥大して本能中心の欲望で心(靈)(ヒ)を動かしている“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”のことを指す言い回しと思え、言うまでも無くこういった人たちは“上”の思惑に沿っていないので=(アセンション後に位置して行く今より霊的進化を果たした)奉仕者ではないので、神の思惑に沿っていないから、“引繰り返って居る”と指摘され、まずそれを自覚せよ、自分たちは自我中心であり本能主体の価値観や幸福感を持っており、それが理由と根拠で行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)をしている、事象の“創造”をしている、そういう息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)をしている、これは低いのである、ということを知れ=“引繰り返って居ることまだ判らぬか。肝腎要(かんじんかなめ)の事ざぞ”ということである。

 そしてこれに続く“七大洲となるぞ。八大洲となるぞ”は、“七”が、“一”=智性=1番目のオーラと乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現)で構成されているので、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)して、“ひつく”“日津久”=太陽凝視を“行”として行うことを行い、“一”=智性=1番目のオーラを大きくさせて“上”と感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)して息吹く、の意がある。
“八”は、“富士(二二)”=肉体の二つの磁性、日足(ひたり)と砌(みぎり)、ヨガで言えばイダとピンガラ、太陽の気道と月の気道と同義である。

 よって“七大洲”“八大洲”そういった人間=“大”になれ、先に述べたように肉体の水、錯体(イオン化した液体)の中で、タンパク質の高分子化、“洲”をして、“上”と感応し、思想(伊邪那岐(いざなぎ)の岐の意味)を構築して、その思惑を顕現せよ=事象を“創造”せよ、ということである。

今回はこれくらいにしときまんねん。



“ローム太霊講話集” 第十話 死の前後 天災、戦争による集団死の場合 Kellyさん的解釈“その三”

 今回は、前回の最後に述べた“何といっても一番困るのは戦争…”、これについて解釈を述べる。

 そもそも“一番困るのは戦争”なんてことをする人間というのは、自我の肥大した縄張り意識(進化程度の低い心、自我の確立=固定化の進化の段階の地球人の認識)所以のことでしかない。

 これを太霊は、
各々祖国のために尽したのではあるが、この地上や宇宙を創造された大本の神の意志には反している
と指摘されている。

 それで、この言い回しの中にも“大本の神の意志には反し”と指摘されているとおり、“一番困るのは戦争”なんてことをする人間は、以下に今、(程度の低い地球人の中で認められている)地位と名誉があろうが、いわゆる霊的成長度が低いということでしかないし、これもまた、恨みの連鎖の霊的干渉の現象化であるからこそ太霊は、

その憎念はどこまでも双方の国に付き纏う…中略…戦敗国の戦死者の霊団は固より、生き残っている多くの者の霊魂(俗にいう生霊(いきりょう))までが…中略…相手国の首脳や国民を永遠に恨む…中略…戦勝国の戦死者の霊達も…中略…相手国に憎悪の念を持ち続ける

の、
憎念…付き纏う” “永遠に恨む” “憎悪の念を持ち続ける
と強調して述べておられる。

 また、“一番困るのは戦争”が起きてしまう理由と根拠は、現時点の地球人の霊的成長度=自我中心の息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)、これは自分たちさえ幸福であればいいという心の動きであり、それが理由の行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)、これが“戦争”であり、それを“一番困る”と太霊が述べておられる、こういった言い回しをわざわざ使っていらっしゃることに気付かねばならないし、ここまでローム太霊講話集を読んでこのことに気付かないのであれば、読んだ人の認識は低い=霊的成長度は低いのだということを、あえて述べておく。
 
 それで、ここまでのローム太霊講話集、いわゆるS会=紫光会の交霊会としてのローム霊訓講話で、太霊は、
神自身の本当の気持ち”として、第二話で、

何とかしてこの地球を、凡ての人間が不幸から救われて愉快にたのしく暮らせる楽土にしたい

これを、“神自身の本当の気持ち
であると述べていらっしゃる。

 なぜ第二話の引用をしたのかについては、“一番困るのは戦争”、これを引き起こしている低い心(靈)について、これを読んだ方々に考えてもらいたい、自分の心をよく観察して分析して欲しいからである。

 いわゆる自我の肥大、自分たちさえ幸福であればよい、だから他国や他者の幸福など考えない、殺してもよい、という発想が、どれくらい“神自身の本当の気持ち”(第二話)に反しているか、そして“大本の神の意志には反し”(第十話)であるか、ということを自分の心を観て、鑑みよ、ということであるし、ほとんどの地球人は自我の肥大した“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”であると、前のブログからこれまで一貫して述べてきていることを、自分たちの心(靈)をよく観察して知り、それが“悪(心の動きの本能化と低振動化)”であることを、よく認識して欲しいからである。

 今回はこれくらいにしときまんねん。



Kellyさん、爆睡中に、A野さんの愛犬たち登場!…夢の中で、人間に見られる習性について、犬たちと論じる。 “その二十六” (じゅんいち君…“ほんとうの自分”を求めるため…ひとり旅立つ…)

Kelly 会話中 …例によってKellyさん爆睡中でんねん。 
 ほんでから今回の夢は、前々回、○○○大先生との会話を思い出しているじゅんいち君の独り言から始まりまんねん。

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犬じゅんいち君 人間になって会話中 「この間○○○大先生が語ってくれたこと、

マスメディアの功罪といえ、神や仏やスピリチュアルやオーラなど、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の指標となることをエンターテイメントにしてしまっているから、“ほんとう”の意味を追及するという心(靈)(ヒ)が芽生えないし、こういった人はただただスビリチュアルを感じさせる言葉に酔う傾向がある。
 このことを、物を売る人達、商売をする人たち、“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の人達、“役員づら”の人達は、よく知っているからこそ、“見せかけである“自分に対するエサ=報酬みたいなこと””を匂わせ、仄めかす(ほのめかす)


これは“役員づら”になっている人たち、そして“自分に対するエサ=報酬みたいなこと”を求める人、その心も、双方の程度が同じだからこの手法が当たり前に通用することなのだろうし、だからこそそれは、○○○大先生が語ったように、
ほんとう”の意味を追及するという心(靈)(ヒ)が芽生えない…
のだろう。
 このことはすごくよく分かる…。

 …僕は…これまで…“ほんとう”…そして「まほう色の瞳」で述べられていること、エリナのセリフの中の“ほんとうの自分”について考えてきた。

 でも…この世界の多くの人間は、“ほんとう”に対する認識が低く、当然のことながら“ほんとうの自分”ということをよく考えないだろうし、求めてもいない…求めなければいけないという考えにも、なっていないのだろう…。
 …そういった心(靈)の素地が足りなさすぎる…いい換えれば霊的成長度が低い…○○○大先生の言葉を借りれば、智性(神性)無き心である

自分の心をしっかり観察していない…分析もしていない…それ以前に“ほんとう”“ほんとうの自分”という言葉に何を感じるべきか…その価値は…自分にとっての価値は…そして自分の価値とは…このことに気づく人もほとんどいない…。

 これが…○○○大先生が憂いていたことなのだろう…ほとんどの人の智性(神性)は足らなさすぎる…ってことだ。

 それ以前に、物事の良し悪しをきちんと判断することも出来ていない…“ブタのけつを見ているアホ”であるし、この世界は“ブタのけつ”に満ちている…。
 それは大半の人が、目下(めした)(動物の心(靈)の段階)(大脳旧皮質と古皮質)の心しか持っていないからだ…。

 端的に言えば、この世界は、霊的成長度の低い人ばかりだからだ。

 だからさっき思ったように“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”が“役員づら”になり、“自分に対するエサ=報酬みたいなこと”を求める人との商売が成り立つ、それは双方の霊的成長度が低いからなのだ。

 …先回の○○○大先生との会話を要約すると、こういう要旨になる…それだから多くの人は“ただただスビリチュアルを感じさせる言葉に酔う傾向がある”のだろう。

 …だから…“ほんとう”は、自分の人生、自分の価値、何を成すべきか、何を考え生きていくべきか…を、感じ取らなければならないことに対し、ただただ雰囲気に酔う…そしてその低い心(靈)を利用して商売をする人間が多い…だから○○○大先生は、“ブタのけつ”“ブタのけつを見ているアホ”という言い回しをした…。

 この言葉自体に○○○大先生の憂い、多くの人の霊的成長度の低さを嘆いている…そしてこの世界に対し…怒っている…ということを、感じ得る。

 このことも今の僕ならよく解る…。

 しかし以前の僕が、この話を聞いてもよく解らなかったろう…。
 それは僕自身が“ブタのけつを見ているアホ”だったから…。
 僕は僕自身の自我の肥大を自分で容認していた…だから自分にとって都合の良いことを受け入れ、それを自分の理念のように思っていた…。
 
 それは錯覚していたと、今なら自分で過去の僕を見て判断できる。

 …何度も思い出すことだが…セブンちゃんと初対面の時、僕はこんな恥ずかしいことを言った…。

君の考えだと、僕たちは、人間のように人生をエンジョイできないのではないかな? 
僕は、人間でも犬でも、そのときそのとき一瞬々々を楽しむために生きていると思うんだ。 
きっと僕の飼い主のい○ださんだって、そう思っているから、たくさんの女性と仲良くしているのだろう。 
 それで、僕が君を見ると、君自身が君の彼のアズキ君に義理立てていて、君自身の人生(犬だけど)を楽しんでいないかのように見える


そして、

君が、アズキ君以外のオス犬とプレイした事が無いからそう思うのではないのかな。 
 だから僕には、君の言う“私がアズキ君に出会ったのはとても神聖な出会い”って言う理由が分からない。 
それは、人間が読んでいる本の中にも、多数の異性と交尾するような関係を多く持ったなら自分は神に近くなり、それが霊止だって内容のものもあるようだし、その本は多くの人間に支持されているようだけれども、僕はそれがもっともだと思う。
だから、今、自分たちの欲望に恭順でなければ、僕たちの生きていること、存在の意義っていうものを見出せないと思うけど…だからこそ僕は、君に“君の彼のアズキ君に義理立ていて、君自身の人生(犬だけど)を楽しんでいないかのように見える”と述べたのだ


 まったく…“ブタのけつを見ているアホ”だと思う。

 …しかし、自分を擁護するわけではないけれど…こういったバカげた考えや価値観にとらわれる…その過程が無ければ、“ほんとう”そして“ほんとうの自分”ということを考えることが出来ない…のだろう。
(ローム太霊の言葉、右往左往=やってみてから失敗を体験し、左往右往=失敗を体験し、それを教訓として“力”の顕現(砌(みぎり)の行)をする)

 また“ほんとう”と“ほんとうの自分”を考えること事態が、智性(神性)の行使だ…それは、○○○大先生が定義した心の構造の、
本能、情動、功名心、自我、愛(炁)、創造、知恵、智慧、智性、
人が発現しうる最も高い心を行使する…ということだ。

 それが…「まほう色の瞳」のエリナのセリフ、

私が言いたいのは、自己知識ということなの。 自分は何もので、なんのために存在し、ほんとうの自分というものに近づくためには何をするべきか。 そして、光の時間と場所の中で自分について理解できたら、次にわたしたちはそれぞれの自分の人生をどう生きるべきかという知識よ

この言い回しそのものが、智性(神性)を行使せよ、智性(神性)を行使して自分の存在意義を見出せ、それが、
自己知識” “自分は何もので、なんのために存在し、ほんとうの自分というものに近づくためには何をするべきか
ということであると思う。

 そして以前も考えたことだが、このセリフの少し後、248ページのエリナの、“私たち地球人の起源は動物…中略…それ以上の存在になることはできないし、許されてもいない…中略…わたしたちには絶対に無理よ”というセリフで、ルーカスの自分に対する認識、人間に対する認識を下げさせ、それは、ルーカスの心の振動を下げた。
その後エリナは
自己知識の欠落が、どうエネルギーの水準、つまり振動を下げるか
について言及している。

 これは、以前の僕…セブンちゃんに初めて会った時僕が言ってしまったこと、

人間でも犬でも、そのときそのとき一瞬々々を楽しむために生きていると思う

この言葉の裏にあること、この時の僕の心(靈)の動きに相当することであり、そして“ブタのけつを見ているアホ”であった僕が信じ込んでいたこと、

人間が読んでいる本の中にも、多数の異性と交尾するような関係を多く持ったなら自分は神に近くなり、それが霊止だって内容のものもあるようだ

これは僕自身の心(靈)の振動を下げているものである…ルーカスの心(靈)の振動が下がった状態と同様のことと思う。

 要は、この本事態が僕の低い欲望を助長する程度の低い内容といえるし、これに感化された低い心(靈)だったから、僕はこんな言い回しをした。

今、自分たちの欲望に恭順でなければ、僕たちの生きていること、存在の意義っていうものを見出せないと思う

 まったく“役員づら”の文章というのは、“自分に対するエサ=報酬みたいなこと”を、もっともらしく上手に、“ブタのけつを見ているアホ”に、インプリンティング(刷り込み(すりこみ)、刻印付け)させるものであると思う。

 それで、その後エリナは249ページで、人間のことを、
神の存在…中略…神の息子や娘たちなの
って述べ、その言葉を聞いて自分と人間への認識を改めたルーカスに対して、
自己知識によってそのようにエネルギーを高めることができる
って述べている。

 この“自己知識によってそのようにエネルギーを高める”このこと事態が○○○大先生の言い回し、“自分を観察する自分の確立”であると思うし、
智性(神性)の行使による自己観察(“観自在”“直日”自省(胸の磁性“十”)の“行”)をするならば、“ほんとう”と“ほんとうの自分”を見出そうとする…
これが進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の必然である…と、今の僕なら考えることが出来る。

 そして○○○大先生が言ってくれたこと、“アタシが指摘している文章、先走るがこれが君の求めている答えに相当する要素があるのだ”…その252ページのエリナのセリフ、

次の段階は簡単なことではないわ。 偉大な“光の波”が起こるのを助けるという仕事よ。 わたしたちはすべての人類が、あるいは“決定的な多数”と呼べるほどの人々が、同時に前向きな考え方に光を送るように仕向ける必要があるの。 これが達成されれば、私たち人類のエネルギーの“偉大な跳躍”を始めることができる。 すると、同時に、崇高な現実の一部になることが許される

 そしてこのセリフの後の○○○大先生のメモ書き、それは、

前向きな考え方の大きなオーラ! 太陽を見て育ったオーラ!

 この“前向き”は、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)のことであり、
前向きな考え方”“は、自分の神格化を求める心であり
太陽を観て育ったオーラ”は、智性(神性)を行使しうる心(靈)のことだ。
 
 今の僕ならそれがはっきり解る。

 それで先回、○○○大先生が言ってらしたこと、
読者会のメンバーの方々がどういった認識を持っていらっしゃるか、あるいは持ち始めていらっしゃるのか、
(それは、どういった生き方を求めていらっしゃるのか、ということなんだが…)
を、話そう

これはおそらく、読者会の方々は、自分の人生を省みて、自分の在り方を見出そうとしていらっしゃるし、それ自体が、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の必然であることを認識していらっしゃる…。
だから○○○大先生は、この話を先延ばしにした…これは僕がこのことを自分で見出すその過程が大事だからだ…だと、思えてならない…」

○○○大先生会話中 「その通りだね」

犬じゅんいち君 人間になって会話中 「…○○○大先生…またまたいきなりの登場でびっくりしました。
失礼ながら登場の仕方が、犬の卒倒…ワンパタン…ワンパターンですね」

○○○大先生会話中 「うん…君はこれまでアタシと話をしていた時はとても緊張していたのだと思うけれど、そういったギャグを言えるようになった君は、自分自身に対する生き方を“ほんとう”に、見出したからから、余裕でギャグを言えるようになったのではないかな、それはまた、自分の認識(悟り、幸取=さとり)に強い自信を持ったからではないかな」

犬じゅんいち君 人間になって会話中 「…そうかもしれません…。
 僕はこのブログに登場して以来、たくさんの事柄を自分を諌めながら…自分の低い心(靈)を諌めながら…考えて来ました。
 そして僕は、僕自身の存在の在り方をある程度見出したかもしれない…」

○○○大先生会話中 「そうだね。
 そして蛇足ながら、アタシが文章を作っている理由と根拠は、多くの人に自分の存在の在り方を見出してほしい、それがエリナのセリフの、
崇高な現実の一部になることが許される
であり、
それは君が思った通り、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)していく、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)を求める心になるということだ。

 そしてその心(靈)(ヒ)ならば、その心(靈)の発振、発信ならば、その事象の“創造”というのは、今よりも“崇高な現実”となる」

Kelly 会話中 「それが、“その二十一”で○○○大先生が言葉にしなかった


“あらゆる事象の“創造”の“元”となる理由、根拠、要因たることが、心(靈)(ヒ)の動き、息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)の顕現であるからこそ、すべての事象の成り立ち、根拠、その事象が顕現した理由を見抜き、深く理解できるということでもある”

ちゅうことでんな」

犬じゅんいち君 人間になって会話中 「…Kellyさん…いきなりの登場ですね。

 それでこの下線の引いてある○○○大先生が言葉にしなかったことは、低い心(靈)は低い事象の“創造”をする、高い心は高い事象の“創造”をする、それは霊的成長度と換言しうるものである…。

 そうでしたか…○○○大先生は今Kellyさんがおっしゃられたことを僕に見つけさせようとしていらした…。

 それだから、多くの人=平均的地球人の霊的成長度=低い心(靈)のまま、“自分を観察する自分の確立”が出来ていない心(靈)のまま、エリナのセリフを引用するならば“自己知識”の無い心(靈)ならば、

崇高な現実の一部になることが許される

ということに成り得ない…。

 それがまた、○○○大先生が○○○大先生の著書と縁のあった多くの読者に望むことでもある…のでしょうね」

○○○大先生会話中 「うん、“崇高な現実”は、自分が“創造”しなければならないし、その資質たることが、
自己知識” “自分は何もので、なんのために存在し、ほんとうの自分というものに近づくためには何をするべきか
である。

 もう君はその資質を獲得しつつあると思えるね」

犬じゅんいち君 人間になって会話中 「…そうかもしれません…。

 でも、ここまでの僕自身の考えを確立させてくれたのは、セブンちゃんと出会い、チョ~ベッピンはんのA野さんのおうちの犬の方々たちと話し、そしてKellyさん、○○○大先生、犬Nominyanさん、犬Senyapooさん…みなさんと話してきたことによって、僕の考えは確立されてきたのであり…」

Kelly 会話中 「言葉を遮ってなんなんやけど、じゅんいち君が自分の考えを確立させてきたのは、自分の自我の肥大を諌めてきたからやな。
 ほんでからに多くの犬たちと人間になった犬と人間から犬になった…ややこしいな…要は多くの心(靈)と対峙したってことやけど、そこでじゅんいち君は常に自分はどう在るべきか考えてきたやんか。
 それはとても立派なことや。

 仮にこういった機会(“上”の采配として)に恵まれたとしても、程度の低い人間ほど自分にとって都合の良い考え方をするもんでんな。
 そしてその、自分にとって都合の良い考えを、変えようとしないもんでんな。
 そやから、“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)が課した試練、自分の考えを変えるチャンスを“上”は与える、それがS会=紫光会の交霊会でよく言われた言い回しの、

神は乗り越えられない試練は与えない

ちゅうことやねんけど、程度の低い人間ほど、自我の肥大した人間ほど、自分の低い考えに固執して考えを変えよとしないし、“上”が課した試練から逃げようとするとか、考えないでおこうとかするもんや。 

 こういった思い方をするのは、ただ単に、自分に甘い(亜、魔、出ずる、泉。愛(炁)の間に魔が入った状態を指す)ってことでしかないし、自分に甘い人間ほど他者の良くない点だけ批判して自分の心の低いところを容認する傾向もあるもんやな。

 余談やったけど、自分にとって都合の良い考えに固執する人には、さらに、“神の咎め”があって、これ自体も“神の采配”であるし、結局は考えを変えんならんもんなんやけど、大概の人はこのことを真剣に考えないか、無視してるってことやし、逃げる、固執する、無視する、ってことは、“上”の思惑を蔑ろ(ないがしろ)にしてるってことでしかないし、このこと事態“ほんとう”では無いってことやし、それを助長しているのが“役員づら”の手法でもあると思いまんねん。
 
 ほんでからこの世界は、こういった人間でいっぱいってことや。

 そやから人間の進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の指標になるべきことを、“役員づら”は自分たちの利益のため、低い功名心と低い自尊心のために、書き換えて利用するってことを、先生は訴えているんや。

 そやからそれは、多くの人に“ほんとう”を知って欲しい、そしてそれが出来たなら、“ほんとうの自分”を求めるステップになる。

 それを達成させたのは、ほかならぬじゅんいち君本人やと思いまっせ」

○○○大先生会話中 「その通りだね。 
 そしてそれを達成させた君は、時には迷うこともあるだろうけど、自分の“ほんとう”の在り方を、自分の行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)に活かしながら生きていくことが出来るだろう」

犬じゅんいち君 人間になって会話中 「…そうなのですか…そうかもしれません…ありがとうございます…。

 …それで今、僕は思ったのですが…僕の“ほんとう”の在り方は、すでに心の中に止めているものと思われます。
(“日止、霊止”の表記の意味合い、“上”の思惑=“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意、を止める、高い振動と感応する心(靈))
 
 だから僕は、もう人間でいる必要はないと思います…それは、本来の僕、本来の僕のあるべき姿、犬に戻りたいのですが、犬に戻ったからといっても、僕は僕自身の在り方を見失わず生きていく…それが僕の在り方であると思います」

Kelly 会話中 「…そうやな、それがまっとうなことかもしれへんな」

○○○大先生会話中 「そして君は、犬に戻ったらやることが一つ残っているね」

犬じゅんいち君 会話中  ← (注、すでに犬に戻ったじゅんいち君)
「以前僕が思ったように、アズキ君にセブンちゃんをナンパしたことを謝罪するのですね」

Kelly 会話中 「まあ、あまり固く考えんと、アズキはんに会ったらよろしいがな。
 それと、前回、アズキはんがじゅんいち君に会いたい、会いたがっているっていう意向をKellyさんに伝えてまんねん。
 そやからちょうどいい機会やから、アズキはんを呼ぼうと思ってるけど、よろしいでっか」

犬じゅんいち君 会話中 「はい、お願いします」

Kelly 会話中 「アズキは~~ん、Kellyさんの夢に出ておいで~~」

アズキ 成犬 「初めましてじゅんいちさん。
 僕はこの四年間のじゅんいちさんの心(靈)の変容を知っています…何度かセブンちゃんとじゅんいちさんの心(靈)の変化について話をしましたし…このこと事態、例によってこれを書いている○○○大先生のまったく手抜きな都合の良い展開ですなのですが…。

 その、考えを変えていく過程のじゅんいちさんの心(靈)は貴く、そして今のじゅんいちさんの心(靈)は、尊敬に値すると思えます…。

 …ですが…なぜだろう…。
 僕は今、じゅんいちさんを見て…“ほんとう”では無いもの…形骸のもの…“うそ、ごまかし、にせもの、いつわり、まちがい”を感じている…。
 …初対面のじゅんいちさんにはとても失礼ですが…だんだん腹が立ってきた…なぜ腹を立てているのだろうか…そしてなぜか、この怒りを自分で抑えきれない……。

アズキ 893顔 ガウガウガウガウ…バウバウバウバウ…」


じゅんいち君びっくり 「あっ、それは多分、かつらのせいだと思うよ。
 これは失礼した。
 僕はかつらを取らなければまっとうな犬ではない…“ほんとうの自分”を追い求めることを決意した僕が、いつまでもかつらをかぶっているのはまっとうなことではない。
 アズキ君、今からかつらを取るよ」 

かつらのとれた犬じゅんいち君 会話中  ← (注、かつらをとったじゅんいち君)

 
アズキ 成犬 「…失礼しました。 怒りが収まりました」

かつらのとれた犬じゅんいち君 会話中 「僕の方こそ、いつまでも見せかけのものを身に着けていて失礼しました。

 そして、挨拶が遅れました、初めましてアズキ君。
 セブンちゃんと初対面の時のセブンちゃんに対するご無礼、そして君たち二人の深いつながりを理解しえなかった程度の低い心(靈)だった僕を許してほしい…です」

アズキ 成犬 「はい…でも、もう、そのことは何とも思っておりませんし、先も述べましたが、僕とセブンちゃんは、じゅんいちさんのことを尊敬に値する心(靈)(ヒ)であると思っており、これからは“ほんとう”の友人となっていただきたいと思っています」

かつらのとれた犬じゅんいち君 会話中 「ありがとう、今のアズキ君の言葉は僕にとって最上級の賛辞です。 これまでいろいろ悩み、苦しんできたかいがあったと思えるし、とてもうれしい言葉でした。

 ですが…僕はかなり長い期間、このブログに居続けた…。
 これからの僕は、一人で“ほんとうの自分”を考え、それを理念とした生き方をしたいです。
 よって一人で旅立つこととさせてもらいたい…でも、今後機会があれば、“ほんとう”の友人として話をして、互いの認識を高めていきたいと思います」

アズキ 成犬 「…そうなのですか…少し残念です…。 いつかお話しできる機会があることを願っています」

Kelly 会話中 「…そうやったなら、みんなでじゅんいち君の旅立ちを見送ろうやおまへんか。
 ほんでからまっとうな在り方、犬になったじゅんいち君を見送るんやから、人間も犬になって見送ろうやおまへんか」

犬と化した○○○大先生 会話中  ← (注、すでに犬になっている○○○大先生)
「それがいいね。 
それじゃあKelly、悪いけどチョ~ベッピンはんのA野さんのおうちの犬たちと、セブンちゃん、犬おかんと犬イモ娘を呼んでくれないかな」

犬Kelly 会話中   (注、犬になったKelly)
「お~~~い、バティはん、ミュウミュウはん、コロンはん、キナコはん、ほんでからセブンはん、ほんでから犬Nominyanはんと犬Senyapooはん、こっちへおいで~~」
   
   

 

「じゅんいちさん、これからも頑張って(元の気を張って)ください。 
 じゅんいちさんが霊的成長し、“ほんとうの自分”を顕現していくことを祈っています」



かつらのとれた犬じゅんいち君 会話中 「ありがとうみなさん、みなさんとお話したこと、お話しできたことは一生忘れません。
 みなさんがそれぞれ、とても大事な事柄を話してくれたことに、感謝しております。

 それでは、これでお別れします。 
 ありがとうみなさん。 そして…さようなら」

★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★

…Kelly…起床…

Kelly 会話中  …行ってしまいはった…。

 そやけど、夢の中で○○○大先生が言うてたように、じゅんいち君はもう自分を見失うことはない…そういった立派な心になったんや。
 少々さびしい気もするけど、これはこれでよかったんやろ。

 ほんでからこのカテゴリー、今後は、○○○大先生の著書の読者会で、読者の方々がいろいろ疑問に思ったりすることを取り上げていく…それを犬たちが論じる…場合によっては読者の方々も登場する…という展開になることを告知して、今回はこれくらいにしときまんねん。


 

“ローム太霊講話集” 第十話 死の前後 天災、戦争による集団死の場合 Kellyさん的解釈“その二”


 今回は、前回の最後に述べたように、

完成”されていない“幽体”が、“幽体が完成する”に至る、これも霊的成長の一環であり、今の地球人が知っておかねばならない重要なこと

これについて解釈を述べる。
 
 
 太霊は第十話で、
先ず地震の場合”そして“火山が爆発してその溶岩で麓の町が全滅したような場合”そして“戦争で弾丸を受け突然殺された場合”そして“船が津波などであっという間に沈んだ場合”について述べられ、
さらに
何といっても一番困るのは戦争
という言い回しをされ、こういったケースについて詳細に述べておられる。

 なぜこれらのことを詳細に述べる必要があったのかについては、太霊が述べていらっしゃる通り、大概の人間は、
誰も死んだとは思わない
そして、その心(靈)、その、現津(あきつ)、観察され得る事象の“観察と認識”は、
自分が生きているという観念によってなされる幽界での一つの現象…中略…
であり、またそれは、
生前と同じ状態が続いていて
であり、
「なるほど、死んでも生きているのだ」という状態は今話したのと変わらない
さらに、
死んだ後も戦争という意識や国を護るという観念が続いていて幽体同士で戦う
と述べられている。

 これを説明された後、“さて前に戻って”と前置きされてから、以下のように述べていらっしゃる。

これまでいくつかの変った死に方について話してきたが、人間はどのみち肉体を捨てなければならない。その肉体を離れた人間は幽体…中略…一定の間は主護霊や先輩達に囲まれて寝かされ…中略…幽体が完成すると自由行動が許され、先ず寂しい荒野の中に独りぽつねんと立たされる…中略…自分が肉体を持って生きてきた生涯の幻影(まぼろし)が走馬灯のように次々と現われて、あれは悪かったこれは善かったというふうに、自分の善悪の業(ごう)がしみじみと悟らされる…中略…自分は独りぽっちだと思う期間が相当続く。そのうちに段々善い方のことは頭に浮かばなくなり悪い方のことばかりが思い出され…中略…終(つい)には悔恨の涙に咽ぶ

 これは自省(胸の磁性“十”)の“行”であるし、だからこそ第十話を、「天災、戦争による集団死の場合」の“幽体が完成する”際の、状況や過程だけを述べていると思ってはいけない。

 たびたびこのカテゴリーで指摘している通り、“幽体”は自我主体の心(靈)である。 
 それで、平均的地球人の霊的成長度の段階が自我主体の心(靈)であるからこそ、自我の肥大(“石屋の仕組み”)をして、“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)をとる。

 これは、前回、
名声を博したり巨富を積んだり”のために、“人を欺(あざむ)いたこと”をする輩が多すぎる”
と述べたとおり、まっとうな人間のやることではない。

 これを換言すれば、“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)から観て正しくない、“善(神格化の方向性と智性の受信)”ではない、ということも、これまで幾度となく述べてきてはいるが、分からない人間が多すぎる…それは大概の人間がこういった霊的成長度の段階であり、自省(胸の磁性“十”)の心が足らなさすぎるからである。

 そしてそのことを指し示したのが、以下の太霊の言葉、

中でも一番幽体にこたえるのは人を欺(あざむ)いたことで、同じ欺瞞(ぎまん)でも他人に見破られた場合はよいが、それが成功して名声を博したり巨富を積んだりして一生を終ったということになると、それが自分の心の癌(がん)となって、それを取り除くためには人間の貧困者や業病者に対してあらゆる援助をする役目を仰せ付かるのである

 これ自体が、自省(胸の磁性“十”)の“行”であることに気付かねばならないし、まっとうな人の在り方と、心(靈)の進化=霊的成長、神格化に向かうこと、を、指摘している言い回しである。

 また自省(胸の磁性“十”)を促す“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)の配慮が、
先ず寂しい荒野の中に独りぽつねんと立たされ
そして、
自分は独りぽっちだと思う期間が相当続く
そして、
悪い方のことばかりが思い出され…中略…終(つい)には悔恨の涙に咽ぶ
であり、こういったことをさせること事態、自分で自我を諌める心(靈)になるという過程であり、それが“幽体が完成する”過程であることを読み取るべきである。

 次回は、“何といっても一番困るのは戦争…”、これについて解釈を述べることとする。

 今回はこれくらいにしときまんねん。



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 Kelly & ○○○大先生

Author: Kelly & ○○○大先生
FC2ブログへようこそ!


Kellyさんと○○○大先生は、
このブログを書いている○○○の、
心(靈)の二面性であり、
同一人物で有る事を、
お断りしておきます。

出版の告知

四冊目&五冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈4〉
智性無き心は
悪を容認する


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈5〉
智性無き心は
アセンションを見誤る

 この二冊は、同時発売です。
太陽凝視を行っている鍼灸師の話 <4> 智性無き心は 悪を容認する & 太陽凝視を行っている鍼灸師の話 <5> 智性無き心は アセンションを見誤る サムネイル
(クリックで拡大)

2010年 4月20日(火)ごろより、全国書店(紀伊國屋書店・三省堂書店・旭屋書店・ジュンク堂書店・ブックファースト・リブロ・丸善など)にて順次陳列。


発売中の三冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈3〉

神格化のプロセス
目上(めうえ)と目下(めした)


神格化のプロセス 目上と目下 縮小版 ブログ用
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発売中の二冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈2〉

ローム太霊の教え
日足(ひたり)と砌(みぎり)


サムネイル太陽凝視を行っている鍼灸師の話〈2〉ローム太霊の教え 日足(ひたり)と砌(みぎり) 
(クリックで拡大) 

お近くの書店にない場合は
たま出版のサイトでお買い求めください。

発売中の一冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈1〉

ローム太霊との出会い


太陽凝視を行っている鍼灸師の話〈1〉ローム太霊との出会い
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お近くの書店に無いときは
たま出版のサイトでお買い求めください。

この本に付いてはこちらを御覧下さい。


       




初めての方は、
・・・その後の事と・・・これからの事。
からお読みください。

それぞれのカテゴリーをクリックすると
古い順に、記事が閲覧できます。

        

☆ Kellyさん的事象の観察と認識 (104)
Kellyさんがこのブログに霊縁あった人(日止、霊止)に伝えたい事 (22)
Kellyさんと○○○大先生との会話 (7)
Kellyさんとチョ~極上ラブラブ中高年夫婦はんとの会話 (6)
Kellyさんとチョ~ベッピンはんのA野はんとの会話 (7)
Kellyさんと∪・ω・∪ ▼・。・▼ ▼・。・▽ U・。・U U。・ェ・。U たちとの会話 (33)
Kellyさんとメタボ研修医のYっちゃん先生との会話 (2)
Kellyさんとややメタボ内科医のYっちゃん先生との会話 (7)
Kellyさんと和風のベッピンはんのSはんとの会話 (2)
Kellyさんと農業好きの社長婦人K地M美はんとの会話 (12)
KellyさんとNominyan ∥*σ_σ*∥&Senyapoo λ*゜ο゜*λ との会話 (6)
☆ Kellyさん的“日月神示”解釈 (480)
Kellyさんが、“日月神示”の解釈をして行くに当たって・・・考えた事。 (16)
“日月神示” 上つ巻 (42)
“日月神示” 下つ巻 (38)
“日月神示” 富士の巻 (26)
“日月神示” 天つ巻 (30)
“日月神示” 地つ巻 (36)
“日月神示” 日月の巻 (68)
“日月神示” 日の出の巻 (23)
“日月神示” 磐戸の巻 (21)
“日月神示” キの巻 (17)
“日月神示” 水の巻 (36)
“日月神示” 松の巻 (30)
“日月神示” 夜明けの巻 (26)
“日月神示” 雨の巻 (18)
“日月神示” 風の巻 (15)
“日月神示” 岩の巻 (11)
“日月神示” 荒の巻 (27)
☆ Kellyさん的“ローム太霊講話集”解釈 (107)
☆ 紫光会経文の文言 Kellyさん的解釈 (18)
☆ ○○○大先生的バシャールの文言解釈 (9)
☆ 先生が撮るけったいな花の写真 (22)
☆ 先生が撮る比較的まともな写真 (32)
☆先生が室内で写真を撮るときのセッティング (6)
その他 お知らせ (3)



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2005年10月1日~2008年1月15日まで、
“Kellyさんとの会話”で、説明して来た事・・・
その内容・・・それは・・・その何年も前から、
何か自分の考えをある程度公表しなければならない・・・
そう言う通信を受け・・・その理由は・・・地球人が低い心(靈)の発現しかしていない・・・
それを自覚していない人が多い。
その事由来の太陽凝視に対する認識、
(太陽凝視=不食・・・としか、認識させない存在の思惑を、受信している事)
霊的成長に対する認識、
神に対する認識、
心=靈に対する認識、
オーラに対する認識、
そして、
高い認識の上での進化の意味と幸福の概念と神の概念・・・
進化=霊的成長=神格化=(相対的に)高い認識を獲得する事・・・
霊的成長=神に近づく事=真の幸福の意味。
霊的成長度は1番目のオーラに顕れる。
よって、宇宙的プログラムにより次の段階に移行する人(日止、霊止)は、 何を考えるべきなのか・・・
そして、人(日止、霊止)の進化を阻む存在の思惑、
その心=靈の動き、それらの意図・・・それが一般に認知されていない事。
それらを伝えなければ成らない・・・そして一応・・・完結はしたのですが・・・
解り難い・・・理解しがたい・・・具体例を示して欲しい・・・そう言う感想も頂き、
そして自分なりにも説明が足らなかった事・・・
更に、
“Kellyさんとの会話”が完結してからも通信を受けている事・・・そう云う事もあり・・・
よって、このブログを立ち上げる事としました。
従って、
“Kellyさんとの会話”が、
自分の意見を述べる上での、ローム太霊の言葉、
“右往左往”(“いきり立つ心(奴と心)”で行動してから考える)・・・と、 するならば、 このブログはアタシ自身の、
“左往右往”(“思う、憂う”・・・体験を教訓として考え行動する)の、
作業になって行くと思います。


太陽凝視を行っている鍼灸師の話 “総括編”
太陽凝視を行っている鍼灸師の話 “改”
予約制 鍼(はり) 灸(きゅう) マッサージ治療 児玉療院
写真部の○○○大先生のページ
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○○○大先生の水草水槽記録
facebook 児玉登







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自分達の欲望を満たしたい… 
自分だけ幸福になりたい…
こういった進化程度の低い心(靈)の発現由来の思いが、
低い幸福の概念になり(目下(めした)の思い)
その結果が、飢餓貧困、戦争の原因になったりしています。
(子供の浮游霊の霊的干渉の影響を受け、 それがどんどん増して行く事等が、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)
の思惑だと 思えます)

恨みの連鎖による霊的干渉を増やさない為、
その解消の為にも、(この趣旨に反する類の物もありますが) クリックをお願いします。
クリックした人に、お金の負担はありません。 ↓↓




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