“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話

太陽凝視を一生涯の“行”とし(現在、44年目)、実践し、その上で獲得した認識を述べています。

“日月神示” 水の巻 第十三帖 Kellyさん的解釈 


  今回も、水の巻 第十三帖を解釈しまんねん。 原文は以下の通り。

火と水と申してあろがな。火つづくぞ。雨つづくぞ。火の災(わざわい)あるぞ。水の災あるぞ。火のおかげあるぞ、水の災 気つけよ。火と水 入り乱れての災あるぞ、近ふなりたぞ。火と水の御恵みあるぞ。
一度は神の事も大き声して云へん事あるぞ、それでも心配するでないぞ。富士晴れるぞ。家族幾人居ても金いらぬであろが。主人(あるぢ)どっしりと座りておれば治まっておろが。神国の型 残してあるのざぞ。国治めるに政治はいらぬぞ、経済いらぬぞ。神おろがめよ、神祭れよ、てんし様おろがめよ。
何もかも皆神に捧げよ、神からいただけよ。神国治まるぞ。戦もおさまるぞ。今の臣民 口先ばかりでまこと申してゐるが、口ばかりでは、なほ悪いぞ。言やめて仕へまつれ。でんぐり返るぞ。
六月十三日、みづのひつくのかみ。

 冒頭の“火と水と申してあろがな…中略…。火と水の御恵みあるぞ”までを解釈するにあたって、日月の巻 第三十二帖から以下に引用する。


“火あって水動くぞ。水あって火燃ゆるぞ。 火と水と申しておいたが、その他に隠れた火と水あるぞ。”

 この文の“火”は、(これまでも同様の解釈をしてきたように)肉体(月(ツキ))の“腑”で取り込んだものを酸素とともにエネルギーに変える肝臓のこと、そしてそれは肝=“いきり立つ心(奴と心)”であり、事象の“創造”=行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)のエネルギーとなるもの。
 そして“水”は体液、錯体のこと。
 それで“その他に隠れた火と水あるぞ”の文が示唆することは、自我を構成する肝臓と腹の水のことだけではなく、腹から“上”にも(思惑という情報を伝えるための)錯体である体液はあるしそれは循環しているのであり、そして自らの思想(思惑)を構築する目上(めうえ)の脳にも日足と砌(ひたりとみぎり)の極性があり、砌(みぎり)の極性(事象への顕現)は“いきり立つ心(奴と心)”であるということで、それは“思惑の顕現”=現象化をするということでもある。

 そしてこのことは以下の文に続いている。
“それを一二三と云ふぞ、一二三とは一二三と云ふ事ぞ、言波ぞ。言霊(コトタマ)ぞ、祓ひぞ、渦巻き 左回転 ぞ。スサナルの仕組ぞ。成り成る言葉ぞ、今の三み一たいは三み三たいぞ。”

 いうまでもなく“一二三(ひふみ)”は1番目、2番目、3番目のオーラで、それは思想を含んだ振動の発振、発信であるからこそ“言波”“言霊(コトタマ)”“成り成る言葉”という言い回しが使われており、そしてそれは“日月神示”解釈でこれまでに出てきた表記の“言”(コト)(事象に顕現され、(自己と他者に)観察された心(靈)の動き)と“光透(コト)”=光(自分の心(靈)が持つ振動より、相対的に高い電磁波が透過する意味、日月の巻 第十五帖)も共通の意味を持つものであるし、この文の“それを一二三と云ふぞ”は、先に解釈した“火と水と申しておいたが、その他に隠れた火と水あるぞ”にかかる言葉であるから、要は“思惑の顕現”=現象化をせよということ。 そしてそれは神の思惑に沿った“創造”が……以下略……


 引用終わり。

 この引用文で述べているのは、生命の活動、そして“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意、の取り込み、それを“畐”(“一”=智性=1番目のオーラ、吸収の意である“口”、“田”(心、靈、の四つの場(フィールド)、大脳の新皮質))となす、増幅といってもよいがそれが人間の肉体(月(ツキ))が持つ円形加速粒子機の構造であり、これが“一二三”のオーラの発振、発信の理由と根拠であることを今まで幾度となく述べてきている。
 それで冒頭の“火つづくぞ。雨つづくぞ”の“火”は引用した通りだが、“雨”の表記は以前使った(すでに解釈済みの)画像を以下に貼っておく。

雨の象形文字 解字

 これは“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意、日月の巻表記の“天津御空(あまつみそら)”=“上”からの振動=“創造”の“主(ヌシ)”の思惑を含んだ荷電粒子、これを取り込むことを示唆し、それには錯体、肉体内の水が、とても重要であることをも示している。

 これに続く、
“火の災(わざわい)あるぞ。水の災あるぞ。火のおかげあるぞ、水の災 気つけよ。火と水 入り乱れての災あるぞ、近ふなりたぞ。火と水の御恵みあるぞ”
これは今の人間が低いから、進化過程(霊的成長の過程=普遍的に実在する創造主のオーラとの感応共振の段階)には、“災(わざわい)”“おかげ”“御恵み”があるということを述べ、自我の確立=固定化から“慈悲”と“慈愛”の心、智性(神性)(“一”、1番目のオーラ)(日を知る性質)の発現に至るには、自我の肥大(“石屋の仕組み”)による間違いをする、それを“災(わざわい)”と称している。

 だが、どんなに間違った“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の考えを持ち、間違った行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)をしたとしても、(神の“思惑の顕現”=現象化としての)生命(生きる使命=存在理由)の行きつく先は、神格化であるから、神格化でしかないのだからこそ、必ず(先回のローム太霊講話集解釈で述べたとおり、死んでからでも)“善(神格化の方向性と智性の受信)”の方向に引き戻される。
 それは、自我の肥大ゆえの行動(右往左往の右往)の結果としての“神の咎め”であっても“正当な報酬”であり、“神の咎め”を通じて何が進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の法則性か学んでいく、認識していくことになるが、自分が進化の法則性を知り、その上で“行”なり生業(なりわい)などをするならば、“上”は援護射撃を行う、それを“おかげ”“御恵み”と称している。
それで前後するが、“上”が与える“正当な報酬”としての“神の咎め”をこの文では“火と水 入り乱れての災ある”=生命活動が“火”、取り込んだ荷電粒子は神の思惑であるから水、それが“入り乱れての災”は、“神の咎め”と認識しうるものである。

 ここまでのことを理解したなら、以下の文の解釈と理解は簡単であると思う。

“一度は神の事も大き声して云へん事あるぞ、それでも心配するでないぞ。富士晴れるぞ。家族幾人居ても金いらぬであろが。主人(あるぢ)どっしりと座りておれば治まっておろが。神国の型 残してあるのざぞ。国治めるに政治はいらぬぞ、経済いらぬぞ。”
 
 あえて述べるまでもなく政治や経済は“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”が程度の低い価値観で構築してきたものであるからそんなものは今後=アセンション後は不要になるし、この文の“神国”も、右翼が喜んで使うような意味合いのことではなく、神の思惑を止めた心(靈)(ヒ)、“国”((囗)くにがまえ)と“玉(ぎょく)”、“玉(ぎょく)”は自省(胸の磁性“十”)の心(靈)の動きを示す)のことであり、それを“神国の型 残してあるのざぞ”と称しているのは、“一二三”のオーラと、“一二三”のオーラの元となる円形加速粒子機の構造を持った肉体(月(ツキ))を持った心(靈)(ヒ)、そうやって作られている、これが神の“思惑の顕現”=現象化である生命であるということを示唆し、先に述べたように生命の行きつく先は神格化でしかないということ。
 それで前後するが、“神の事も大き声して云へん事あるぞ”は、今の事象、今の世界での神に対する認識はとても低いので、“ほんとう”の神の概念、認識(悟り、幸取=さとり)、そして神格化の“道”(時間の進行)“理(ミチ)”(法則性)を述べても、受け入れる素地を持つ人間は地球人自体がとても低いから受け入れる素地がほとんどないことを示している。
 だがそれも、アセンションの時期がきたならば、神の“思惑の顕現”=現象化として、人間の神に対する認識、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)に対する認識は今よりうんと変わるものである。
 それを揶揄している言い回しが“富士晴れるぞ”であり、“富士(二二)”は、肉体の二つの磁性、日足(ひたり)と砌(みぎり)、ヨガで言えばイダとピンガラ、太陽の気道と月の気道、すべて“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意、これを顕現すべく“富士(二二)”という構造があるということ、“神の咎め”中心の世の中が変わるという意味合いだけではなく、このこと、“富士(二二)”の秘密をも示唆している。

 これに続く次の文もここまで述べたことをよく解っていれば理解はたやすい。

“神おろがめよ、神祭れよ、てんし様おろがめよ。何もかも皆神に捧げよ、神からいただけよ。神国治まるぞ。戦もおさまるぞ。今の臣民 口先ばかりでまこと申してゐるが、口ばかりでは、なほ悪いぞ。言やめて仕へまつれ。でんぐり返るぞ。”

 “上”と感応せよ(“日止、霊止”の表記の意味)、それが、
“神おろがめよ、神祭れよ、てんし様おろがめよ。何もかも皆神に捧げよ、神からいただけよ”
であり、それが成されたなら、
“神国治まるぞ。戦もおさまるぞ”
進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の“道”(時間の進行)“理(ミチ)”(法則性)、に沿った心(靈)(ヒ)=“神国”になる、自我の肥大ゆえの“神の咎め”など無くなり、“神国治まる”と呼称できるほどの心になるならそれは、先に述べた“上”の援護があり、神の恩恵と換言してもいいが、これを得るには神の思惑に沿った進化(霊的成長、神格化に向かうこと)を成す、あるいは成そうとする、それが出来ねばならないし、その意味合いで次の言い回し、
“今の臣民 口先ばかりでまこと申してゐるが、口ばかりでは、なほ悪いぞ。言やめて仕へまつれ”
大半の地球人が“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”であり、不誠実であり、智性(神性)無き心だから経済のため政治のために“悪(心の動きの本能化と低振動化)”を容認するというバカげたことをしており、自分たちの心(靈)の動きにより恨みの連鎖の霊的干渉が増大して自分に降りかかって来ることすら理解できない…少々余談だったが、それを“口先ばかりでまこと申してゐる…以下略”と称されているに過ぎない。
 こういったことをしている人間の世界は壊滅する、そして“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”と(アセンション後に位置して行く今より霊的進化を果たした)奉仕者は分けられる、だから“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)である艮(うしとら)の金神は“日月神示”で神と人間の関係、生命(生きる使命=存在理由)である人間の進化、その心(靈)の在り方、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)のための具体的な“行”として“ひつく”“日津久”=太陽凝視を“行”として“身魂磨き”=(生体内電流による)肉体組織の結晶化せよということを教えている。
 これを解らない、生きている間に少しでも認識する、そしてある程度でも実践する、それをしないのであれば“でんぐり返るぞ”となる。

 今回はこれくらいにしときまんねん。




Kellyさん、爆睡中に、A野さんの愛犬たち登場!…夢の中で、人間に見られる習性について、犬たちと論じる。 “その二十七” (アズキ君とセブンちゃん、教育について疑問を持ち、心が育つということを鑑みる“その一”)


…例によってKellyさん爆睡中…

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アズキ 成犬     セブン 会話中 「Kellyさん…Kellyさん…Kellyさん…」

Kelly 会話中 「…なんやねん…誰かがKellyさんを呼んでる…その声は…アズキはんとセブンはんでっか?」

セブン 会話中 「はい、今夜はKellyさんにお願いがあってKellyさんの夢の中へお邪魔させてもらいました。
 そのお願いとは、簡単に言えば私たちが抱いた疑問の答えを知りたいということですが、今からアズキ君が、その疑問を持った過程と、疑問そのものについて話します」

アズキ 成犬 「Kellyさん、僕たちはこのブログにじゅんいちさんが登場して以来、じゅんいちさんのことを二人(犬だから二匹)で話題にしていました。
それで、じゅんいちさんの心(靈)の変遷、その変わりよう、これらのことを見て思ったのは…。

● 僕たち犬も人間も進化過程の違いこそあれ、生命(生きる使命=存在理由)には違いない。

● 生命というのは進化していくものである。

● また生命の進化は、○○○大先生の概念の通り霊的成長と神格化への道である。

● それは肉体(月(ツキ))の変容もあるけれど、大事なのは心(靈)の進化なのだということ。

…上記のようなこと思いました。

 それで「大事なのは心(靈)の進化なのだということ」に関してですが、じゅんいちさんはこのブログに登場して以来、ご自身の心の在り方ということを真剣に考えられた。
自我の肥大から自省(胸の磁性"十")に至る心(靈)を確立させた上で、“ほんとう”そして“ほんとうの自分に近付く”ということ、このことをじゅんいちさんは深く認識された。
 これは犬であろうが人間であろうが、心(靈)が育つ(進化(霊的成長、神格化に向かうこと))ために必須のことであると思いました。

 そこで、僕たちは疑問を持ちました…それは…。

 なぜ多くの人間は“ブタのけつを見ているアホ”なのでしょうか?
 なぜ“ほんとう”を求めず、“うそ、ごまかし、にせもの、いつわり、まちがい”を求め、それに満足する人が多いのでしょうか?

 …ということなのですが、そのひとつの答えとして…人間の進化過程(霊的成長の過程=普遍的に実在する創造主のオーラとの感応共振の段階)が自我の確立=固定化であり、自我の肥大に陥りやすいから…ということ。
 これについては、じゅんいちさんとKellyさんや○○○大先生、そして僕の同居犬、セブンちゃん、さらに犬になったKellyさんと○○○大先生とNominyanさんとSenyapooさんたちとの会話、そしてじゅんいちさんが一人でお考えになったこと、これらのことを僕たちはすべて知っていますので、ある程度理解しているつもりです。

 その自我の肥大に陥りやすい、見せかけの報酬に甘い期待を抱きそれを求めるから“ブタのけつを見ているアホ”であるということをおいといて…僕たちが思ったのは…。

 人間には教育というシステムがあるのを知っています。 
 人間は結構長い期間、学校に行ったりして勉強していることも少しだけ知っています。
 その教育のシステム、何のための教育なのか、人間は何を学んでいるのか、何を学ぼうとしているのか、その詳細について知る由もない…僕たちは犬だから、人間が学校に通っている程度のことを、単に知っているだけです。

 そして、その教育というシステムは…進化(霊的成長、神格化に向かうこと)に役立っているのかな…違うのかな…という疑問を持ちました。

 もし、教育というものが進化(霊的成長、神格化に向かうこと)に役立っているのなら、多くの人が“ブタのけつを見ているアホ”では無いんじゃないのかな…と、思った次第です」


Kelly 会話中 「そうやったんか…。

 今アズキはんが言うた、人間は何を学んでいるのか、何を学ぼうとしているのか…教育ということはおいといて…これは霊的成長の過程といい得ることや。

 ほんでからあんたら二人(二匹)は、アズキはんが箇条書きにして言うたとおり、大事なのは心(靈)の進化なのだということ、そして、あんたらがじゅんいち君の心(靈)の変わりようを見て、じゅんいち君の進化の過程を感じ取った。

 そして、じゅんいち君が登場した記事では、多くの人間が“ブタのけつを見ているアホ”であることを幾度となく指摘しているし、その具体的な手法と、なぜその手法をとっているのかについても述べられている。
 これについてもあんたらはある程度理解している。

 その上でのあんたらの疑問、はたして教育のシステムっちゅうのんは、人間の霊的成長に役立っているのか?
 仮に、教育が人間の霊的成長に役立っているならば“ブタのけつを見ているアホ”はもっと少ないのではないか?
 これがアズキはんとセブンはんの知りたいことでんな」

アズキ 成犬    セブン 会話中 「はい」

Kelly 会話中 「Kellyさん的に思うのは、あんたらのその疑問の裏にあるのは、結構深いことや。

 それは、さっきアズキはんが言うてたみたいに、生命は、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)し肉体(月(ツキ))も変容し心(靈)(ヒ)も変容する。

 これは換言すれば、肉体を通じて心が何を認識していくのか…ということでもある。

 それであんたら二人(二匹)は、自分たちが肉体(月(ツキ))を持った心(靈)(ヒ)であるということを認識してはる。
そやからこそじゅんいち君の心(靈)の変容をあんたらは理解し、自分たちの認識の糧としているし、これからもあんたらの認識っちゅうのんは広がっていく。

 それが、心(靈)が育つということの一側面でもあるやんか。

 そして今回あんたらが抱いた疑問は、今の人間…それは平均的地球人の霊的成長度における価値観や幸福感の程度を知る結構深い疑問でもあると思いまんがな。

 また、霊的成長度の程度ってことを認識するのは、自分たちの心(靈)の程度に当てはめて考えることが出来るから、より自分の心をしっかり観察できるようにもなる」

アズキ 成犬    セブン 会話中 「それは、“自分を観察する自分の確立”に成りうる、ということなのですね」

Kelly 会話中 「そうでんな。 

 ほんでからあんたらは、このブログに登場した時は子犬やったけど、今は大人になりつつある。 
そやから考えることも変わってきたやん。
今回のあんたらの疑問は、あんたらの心(靈)の成長をうかがい知ることも出来るやんか」


アズキ 成犬   セブン 会話中 「過分なお言葉、おそれいります」

Kelly 会話中 「それでやな、教育ということと、それが人間の霊的成長に役立っているのかについてなんやけど…。

 ○○○大先生の読者会のメンバーで、長年家庭教師をしていらっしゃるM井さんていう女性の方がいらっしゃる。 
 ほんでからM井さんは、自分のお仕事について自分なりの理念を持ってはる人や。
 その人と話をするとよろしいんではないんやろか」


M井 会話中 「わたくしめの名前が出たところでさっそく登場させていただきます!! 

 初めましてKellyさん、アズキ君、セブンちゃん、わたくしがM井でございます。
 さっそくですが、今までこのカテゴリーに登場された方に倣い、犬にならせていただきます」


M井さん犬と化す

 
犬M井 会話中  「無事犬になることが出来ました。 それではあらためてよろしくお願いいたします」

Kelly 会話中  アズキ 成犬   セブン 会話中 「よろしくお願いします」

犬M井 会話中  「それでは、わたくしめが何を考えて家庭教師を行っているのかについて説明させていただこうと思います。
 それが多分、アズキ君とセブンちゃんの疑問に対し、答えを導き出す…といういい方は適切ではないと思いますが、ヒントくらいにはなると思いますので。

 それで、わたくしめが、初めて○○○大先生の読者会に参加させていただいたときに、○○○大先生がfacebookに以下のような書き込みをされました」


2013年10月3日の読者会で話題になったこと

“ほんとう”に教えるべきこと

  
 今回初参加のM井さんは、長年にわたり、家庭教師をしていらっしゃる。
 それでM井さんいわく、家庭教師を雇って子供の成績を上げることは一体何が目的なのか、それは子供の(“ほんとう”の)成長に役立っているのか、ということを疑問に思ったからこそM井さんは「楽に金がもうかる」家庭教師の団体から抜けたのだとおっしゃられた。
 これは家庭教師仲間からすれば非常識なことでもあるだろう。
 だが、M井さん自身は、家庭教師という職(生業(なりわい)の“行”)を通じて、平均的地球人の心(靈)(ヒ)の低さを認識し始めていらっしゃるからこそ、今の家庭教師の在り方がおかしいのではないか、その理不尽さを自分に許してはいけないのではないか、そう思われたのだと思う。
 読者会に出席している人にあえて説明するようなことではないが、親が家庭教師を雇い子供の成績を上げて、子供の将来の幸福を願う…これは低い幸福の概念であり、“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の発想である。
 そしてそこには低い功名心と自尊心という程度の低い心(靈)の動きも垣間見られる。
 また、学歴や学校の成績の善し悪しは、直接、霊的成長度とはかかわりのないもの。 
 
 “ほんとう”に人が育つ、成長する、というのは、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)でしかなく、学校の成績を上げる、高い学歴を獲得するのは、やはり人より秀でた自分になりたい、あるいは子供を秀でた人にしたい、という発想ではあるが、それは“ほんとう”に秀でているのか、については、M井さんが思われた通り、そこに“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の発想、形骸の地位、形骸の名誉、低い幸福の概念、があることを見出していくべきである。
 それでM井さんは、自分が教えている子供たちに、今日は何を勉強したいか、何を学習したいか、これを子ども自身に選択させるということをおっしゃられた。 
 このことは換言すれば、自分たちの心(靈)(ヒ)の息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)による事象の“創造”は、すべて自分の意志による選択であり、その“観察と認識”した事象はどんな善し悪しがあろうが、すべて自分の心(靈)の発振、発信によるものだから、それは“創造”の法則性としての、自己責任という要素であるということを、M井さんは教えていらっしゃるのではないですか?…というお話をさせてもらった。



犬M井 会話中  「この書き込みの中での○○○大先生の指摘、

家庭教師を雇って子供の成績を上げることは一体何が目的なのか、それは子供の(“ほんとう”の)成長に役立っているのか、ということを疑問に思った

そして、

親が家庭教師を雇い子供の成績を上げて、子供の将来の幸福を願う…これは低い幸福の概念であり、“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の発想である。
 そしてそこには低い功名心と自尊心という程度の低い心(靈)の動きも垣間見られる


これが、アズキ君とセブンちゃんに分かって欲しいことです。

 そして、わたくしめの理念としては、

自分が教えている子供たちに、今日は何を勉強したいか、何を学習したいか、これを子ども自身に選択させる…中略…換言すれば、自分たちの心(靈)(ヒ)の息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)による事象の“創造”は、すべて自分の意志による選択であり、その“観察と認識”した事象はどんな善し悪しがあろうが、すべて自分の心(靈)の発振、発信によるものだから、それは“創造”の法則性としての、自己責任という要素であるということを、M井さんは教えていらっしゃる

この、“子ども自身に選択させる”これを大事に思って家庭教師をしておる次第です」


アズキ 成犬 「なるほど…低い幸福の概念が元になって教育というシステムが成り立っている、ですがM井さんはそのこと事態に疑問を感じられた」

セブン 会話中 「そしてこの○○○大先生の書き込みの副題、

“ほんとう”に教えるべきこと

これについて○○○大先生の意見が現れた言い回しが、

ほんとう”に人が育つ、成長する、というのは、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)でしかなく、学校の成績を上げる、高い学歴を獲得するのは、やはり人より秀でた自分になりたい、あるいは子供を秀でた人にしたい、という発想ではあるが、それは“ほんとう”に秀でているのか、については、M井さんが思われた通り、そこに“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の発想、形骸の地位、形骸の名誉、低い幸福の概念、があることを見出していくべきである

この文章の、
ほんとう”に人が育つ、成長する、というのは、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)でしかなく
というのが大事…だから私たち二人(二匹)は、教育ということに対し、疑問を持ったのかもしれません」

Kelly 会話中 「そやけどこの書き込みは、
ほんとう”に人が育つ、成長する、というのは、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)でしかなく
について、○○○大先生が具体的に意見を述べてない感がある…まあ、この書き込み自体がM井さんに対してのもので、M井さんがご自身の理念をご自身なりに固めていくための書き込みの感がある」

犬M井 会話中  「そうなのかもしれません。 
 それで、わたくしめも、○○○大先生が副題に使われた表記の、

“ほんとう”に教えるべきこと
そして、書き込みの中の、
“創造”の法則性としての、自己責任という要素

これについては直接お話をうかがいたいと思っています。

 そこで提案です。

 次回、アズキ君セブンちゃん、そしてKellyさんのご都合がよろしければ、○○○大先生をお呼びして、お話をうかがいたいと思っておりますがいかがでしょうか?」
 
アズキ 成犬  セブン 会話中 「賛成です」
Kelly 会話中 「そうやな、Kellyさんも賛成でんねん。
ほんでからに…多分、○○○大先生は、““ほんとう”に教えるべきこと”という表記を使ったことに対し、教育という人間が作り上げたシステムのことではなく、神と人間の関係を見出していると思う。
 それは…神は人間を育てている、ということなんやけど、それについて意見を述べるやろ」

犬M井 会話中  「それはぜひ、うかがってみたいですね」

アズキ 成犬 「僕たちの疑問の答えも、そこにあるのかもしれません」
セブン 会話中 「それは、“ほんとう”に心が育つ、ということを私たちが知っていくことになる…のかもしれませんね」

Kelly 会話中 「そうやな、もうすでに教育のシステムのことでは無い話になってるけど、次回の話の内容如何では、今の教育が先のfacebookの書き込みのように、

親が家庭教師を雇い子供の成績を上げて、子供の将来の幸福を願う…これは低い幸福の概念であり、“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の発想である。
 そしてそこには低い功名心と自尊心という程度の低い心(靈)の動きも垣間見られる


このことがはっきりしていくことになると思う。

 そやけどこれは問題にしていくべきことでもあると思いまんがな。

 そやから今夜はこれくらいでお開きにして、次回○○○大先生を呼び、Discussionしようやおまへんか」

犬M井 会話中   アズキ 成犬  セブン 会話中 「異存ありません。よろしくお願いします」

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Kelly 会話中 「ちゅうことで次回からのこのカテゴリーの話は、“ほんとう”に心が育つ、ということを理解していく話になると思いまんねん。
 このことを告知して、今回はこれくらいにしときまんねん」




“ローム太霊講話集”第十一話 死後の種々相 正常死の場合 Kellyさん的解釈“その二”


 第十一話を詳細に読み、その上で思うこととしては、先回と重複するが「死後の種々相」を説明しているということだけではなく、現地球人、平均的地球人の霊的成長度においての「正常死の場合」に、どの程度自分たちの幽体が育っているか=“一番大切な、人間の幽体の発育の状態について話そう”、そしてその段階における幽体の成長に何が必要であるのか、ということを知れ、それは今生きている自分たちの在り方を示すものであるのだ、という太霊の本意を見出すべきである。

 それで幽体というのは、自我中心の心(靈)であることを述べてきている。
 そして自我が育ったなら、次の霊的成長の段階に至る、これについても幾度となく述べてきているので詳細を述べるのは避けるが、そこに至るのに必須なのが、自省(胸の磁性“十”)である。

  これについて述べられている第十一話の太霊の言い回しを、以下にピックアップする

この幽体がある場所に安置される…中略…人間が生まれてから死ぬまでの凡ての思想や行為のプラスとマイナスの通計によって下される神の審判(さばき)に従い、それと同じ波動の城郭に進ませられる…中略…幽体が更に固められるのであるが、それが完成すると一定の法則に従って動けるようになり、その第一歩が茫漠とした荒野での自己反省となる…中略…その人間が一生の間に積んだ善悪の業の力と先祖の因縁の力とによってその者の行く先が定められる…中略…そうなると善いことは少しも頭に浮かばず悪いことばかりがその幽体の周囲に展開されて、終には悲観のどん底に落ちてしまう。これが釈迦の教えている閻魔の庁の浄玻璃(じょうはり)の鏡で、この自身の悪業に対する悔恨を如何に処理すべきかが幽体自身の使命である

 ここまでは自省(胸の磁性“十”)を中心に説いておられる。

 そして、

自身の悪業に対する悔恨を如何に処理すべきかが幽体自身の使命であるが、 多くの者はそれに感付かず、 どうせばれてしまったからはとことんまでやってやれという気持になる。この場合、その主護霊、支配霊、指導霊達は黙って自由にやらせておくが、その方がよいのであって、こうしてあらゆる辛酸(しんさん)を嘗(な)めさせ呆(あき)れ返らしてから、その者を正しい道即ち大道に引戻してくるのである

 この、
どうせばれてしまったからはとことんまでやってやれという気持になる
これは自我の肥大であり、こういった発想をすること、自分自身に許すこと事態が霊的成長度が低い、それはまた、自我の強化という成長の段階でもある。
 その自我の強化の成長の段階は、平均的地球人としても、低いと言え、だからこそ太霊は、

人間が生まれてから死ぬまでの凡ての思想や行為のプラスとマイナスの通計によって下される神の審判(さばき)
人間が一生の間に積んだ善悪の業
如何に欺瞞に成功して名を挙げ産を成しても、そんなものは現界にしか通用しないで、その者の審判は必ず幽界で下される

という言い回しをされておられるし、例えば証拠が出そろっていて、どう見てもその人間が犯罪を犯したことが明白な場合であっても、自分は無実だ、やってないのだ、と訴える、これも自我の強化の最中であると見受けられるし、そのために自身のエネルギーを贖う(あがなう)ことをしている(人間として実に情けないことであるとは思う)。 この具体例を述べれば、○○カレー事件とか、〇―〇真理教の教祖とか、(コロッと心境が変わり罪を認めたような報道があるが)最近のシアン化合物を使った連続殺人犯とか…きりがないが、自我の肥大ゆえに突っ張る、罪を認めない、自分が悪いのに自分は悪くないと思いたい…という心の成長の過程というのがあるのだということと、どんなに突っ張ったとしても正しくないものは正しくないのであるから、いつか=死んでからでも必ず認めねばならないので、重複するが、

自身の悪業に対する悔恨を如何に処理すべきかが(自我中心である)幽体自身の使命…中略…どうせばれてしまったからはとことんまでやってやれという気持になる(自我の肥大)…中略…黙って自由にやらせておくが、その方がよい…中略…あらゆる辛酸(しんさん)を嘗(な)めさせ呆(あき)れ返らして

ということが必須であり、さらに、正しくないもの、正しくないことを自分で認める、これが自我の成長に必須である。

 また、自身の心を、正しい方に向ける、正しいこと以外許さない、言い方を変えるなら、“善悪”(神格化と、動物化=心の本能化)をしっかり認識せねばならない、それが進化(霊的成長、神格化に向かうこと)にとって必須であることを、

殺人犯が如何に言葉巧みに人々を騙(だま)しても、本人の心が常に譫(うわ)言(ごと)を言うのは自身の内にある崇高な神の叫びである。それゆえ、自分の犯した欺瞞は生きている間に発表して世の人に批判を受けるべき

と、太霊は述べておられるし、この言い回しに自分の在り方というものを見出すことをする、それがローム太霊がT霊媒=竹内満朋を介して伝えたかったことの一つであると確信するし、この言い回しの中の、

本人の心が常に譫(うわ)言(ごと)を言うのは自身の内にある崇高な神の叫び

これが、地球上で一番進化(霊的成長、神格化に向かうこと)した動物である人間が持つ、目上(めうえ)(大脳新皮質、“田”(心、靈、の四つの場(フィールド))の心であり、換言すれば、“上”との感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)、“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意を止めて発現する智性(神性)(“一”、1番目のオーラ)(日を知る性質)である。

 今回はこれくらいにしときまんねん。



 

“ローム太霊講話集”第十一話 死後の種々相 正常死の場合 Kellyさん的解釈“その一”


 今回から解釈する第十一話、この冒頭で太霊は、
一番大切な、人間の幽体の発育の状態について話そう”
と述べておられる。

 それで、第十一話では「正常死の場合」の「死後の種々相」も述べられてはいる。

 だが、
人間の幽体の発育の状態”、
これが“一番大切な
と述べられていることに、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)を自分の人生に見出した、あるいは見い出そうとしている人は、着目すべきであると思うし、太霊の本意は、「正常死の場合」の「死後の種々相」だけを述べているのではないと、読み取るべきである。

 またこれが読み取れないならば、単に霊的成長度が低いという言い方もできるが、ただ心霊のことを知っているだけ、あるいは神や霊やオーラなどの言葉を多用するだけ、こういった雰囲気に酔っぱらっているだけの人間、またそれは“役員づら”の手法にはまりやすい人間、ともいい得る。

 そんな程度の低い人のことはおいといて、先に取り上げた太霊の意図、“一番大切な、人間の幽体の発育の状態について”、これを以下にピックアップする。

● “幽体がある場所に安置され…中略…人間が生まれてから死ぬまでの凡ての思想や行為のプラスとマイナスの通計によって下される神の審判(さばき)に従い

● “主護霊、支配霊それに幽界に行くと付けられる指導霊の保護の下にその幽体が更に固められる…中略…それが完成すると…中略…動けるようになり、その第一歩が茫漠とした荒野での自己反省となる

● “人間が一生の間に積んだ善悪の業の力と先祖の因縁の力とによってその者の行く先が定められる…中略…善いことは少しも頭に浮かばず悪いことばかりがその幽体の周囲に展開されて、終には悲観のどん底に落ち…中略…これが釈迦の教えている閻魔の庁の浄玻璃(じょうはり)の鏡で、この自身の悪業に対する悔恨を如何に処理すべきかが幽体自身の使命である

● “普通の者は悪が千善が千で差引零で幽界に入いれれば、人間として立派に生きてきたと言ってよい…中略…如何に欺瞞に成功して名を挙げ産を成しても、そんなものは現界にしか通用しない…中略…その者の審判は必ず幽界で下される

● “本人の心が常に譫(うわ)言(ごと)を言うのは自身の内にある崇高な神の叫び

● “汝等は自らを欺いてはならない…中略…自らを欺くことは先祖を欺くことになる…中略…これに対する純真な自分を確立してこそ、将来汝等の幽体に光あらしめる

 これら第十一話で述べられている太霊の文言自体(ことに下線を引いた部分)に、現地球人の霊的成長度、平均的地球人がどんな心(靈)の発現をしていて、本能、情動、功名心、自我、愛(炁)、創造、知恵、智慧、智性という、心の動きのどの部分の強化、どういった進化過程(霊的成長の過程=普遍的に実在する創造主のオーラとの感応共振の段階)であるかを見出すべきであると思う。

 そして太霊は、現地球人の霊的成長度における心(靈)の動きについても指摘されておられるものである。

 よって、霊縁あってローム太霊講話集を読み、第十一話を読んだ人が自分の生き方に何を見出すべきなのか、について、次回から解釈を詳細に述べたいと思う。

 今回はこれくらいにしときまんねん。



“日月神示” 水の巻 第十二帖 Kellyさん的解釈 


 今回も、水の巻 第十二帖を解釈しまんねん。 原文は以下の通り。

人間心には我(が)があるぞ。神心には我がないぞ。我がなくてもならんぞ、我があってはならんぞ。我がなくてはならず、あってはならん道理分りたか。
神にとけ入れよ。てんし様にとけ入れよ。我なくせ、我出せよ。建替と申すのは、神界、幽界、顕界にある今までの事をきれいに塵一つ残らぬ様に洗濯することざぞ。今度と云ふ今度は何処までもきれいさっぱりと建替するのざぞ。
建直しと申すのは、世の元の大神様の御心のままにする事ぞ。御光の世にすることぞ。てんし様の御稜威(みいつ)輝く御代とする事ぞ。政治も経済も何もかもなくなるぞ。食べるものも一時は無くなって仕舞ふぞ。覚悟なされよ。
正しくひらく道道鳴り出づ、はじめ苦し、展きゐて、月鳴る道は弥栄、地ひらき、世ひらき、世むすび、天地栄ゆ、はじめ和の道、世界の臣民、てん詞様おろがむ時来るのざぞ。邪魔せずに見物いたされよ、御用はせなならんぞ。この神示読めよ、声高く。この神示血とせよ、益人となるぞ。天地まぜこぜとなるぞ。
六月十二日、みづのひつ九の ローレンツ力と ○

 “日月神示”でたびたび説かれている“身魂掃除”“身魂洗濯”“改心”は、自分の高い心、目上(めうえ)の心、智性(神性)由来の自分の心の“観察と認識”で、自分の低い心(靈)を諌めることである。 
これが今の地球人には必須、また、自我の肥大に気付かない“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の人達にとっての進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の筋道であることを、今まで幾度となく述べてきており、今の地球人の心(靈)(ヒ)が、腹の水=“江戸と尾張”の“江”、自我の確立=固定化の段階、腹の位相のサイクロトロン、であり、その心(靈)が生み出している事象が“石屋の仕組み”、自我の肥大という息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)で創り上げている事象といえ、その事象では恨みの連鎖の霊的干渉が増大しているからこそ、この世界は“建て替え”しなければならないし、それが今後=アセンション後の事象、第十二帖の表記の“建直し”でもある。

 今述べたことを理解しているならば、この第十二帖はよく解るものと思う。

 まず冒頭の文。

“人間心には我(が)があるぞ。神心には我がないぞ。我がなくてもならんぞ、我があってはならんぞ。我がなくてはならず、あってはならん道理分りたか”

 この言い回しは、自分にとっての自我という心を自分自身がどう扱うべきか(“観自在”“直日”自省(胸の磁性“十”)の“行”)を示唆している。 
 先に述べたように、自分の心が自我主体ならば、その息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)由来の行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)ならば、この世界を恨みの連鎖の霊的干渉により腐らせてダメにする、それが“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の行いである。
 そして、霊的成長度の低い人は自我主体の心(靈)しか発現していないし、それ由来の行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)しかしないからこそ、“人間心には我(が)がある”こういう言われ方をされているし、それに相対する言い回しとして“神心には我がない”=自我を諌める心(靈)を持っている、“我(が)”を出さない自我主体の心(靈)だとどうなるのかよく認識している、ということである。
 ちなみにこの“神心”は、神の心という意味合いではなく、神の心を理解する、“上”と感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)する人間の心(靈)、いわゆる智性(神性)(“一”、1番目のオーラ)(日を知る性質)のことを指摘しているものである。
 それで自我という心の発現と強化は、進化過程(霊的成長の過程=普遍的に実在する創造主のオーラとの感応共振の段階)で必須の要綱、それは自分を自分と認識するための心であり、集合意識(多くの動物や植物の意識)から、個の意識となる、それが生命の進化の果てにある独り神(ひとりがみ、日取り神)になる過程でもある。
 重複するが、今の地球人は自我主体の心(靈)の人がほとんど、特に今の世界でトップだと思われている人間ほどこの傾向が強く、形骸の名誉や地位に執着し経済の発展ばかり考える人間が多いが、それは低いのだ、“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”なのだ、ということを知るべきである。
 よって自我を諌めることが出来る人間、自我より“上”の心を持ち、それを行使した黄道をする人は、“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”では無く、(アセンション後に位置して行く今より霊的進化を果たした)奉仕者、これはS会=紫光会の経文の“世為人為”と同義のことであり、ここまでのことを踏まえて次のように述べられている。
“我がなくてもならんぞ、我があってはならんぞ。我がなくてはならず、あってはならん道理分りたか”


次の文。

“神にとけ入れよ。てんし様にとけ入れよ。我なくせ、我出せよ。建替と申すのは、神界、幽界、顕界にある今までの事をきれいに塵一つ残らぬ様に洗濯することざぞ。今度と云ふ今度は何処までもきれいさっぱりと建替するのざぞ”

 冒頭の“神にとけ入れよ。てんし様にとけ入れよ”は、“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)との感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)を示唆している。 それがあってこそ、“我なくせ、我出せよ”であり、自我主体の心(靈)であってはならないが、自我が無ければ自分が自分であるという認識もないし、自分と神の関係も理解できず、自分が幸福になりたいという思いも派生しないので、自分で諌めた自我であるならば、それは出してよい、その心(靈)由来の行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)をせよ、という言い回し。
 これに続く“建替と申すのは”については、先に述べたとおり“自我の肥大という息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)で創り上げている事象といえ、その事象では恨みの連鎖の霊的干渉が増大している”、これを“建替”する、それは“顕界”=自分たちが観ている現実と、“幽界”=腹中心の心(靈)で創られる自分の内面とか内側(心の中と感じている事)、そして今現在の事象と今現在の人間の心には“神の咎め”ばかりが働いているので、今後“建替”がすむならば、神の働き掛けは、“神の咎め”中心ではなくなるという意味合いであると思う。


 次の文。

“建直しと申すのは、世の元の大神様の御心のままにする事ぞ。御光の世にすることぞ。てんし様の御稜威(みいつ)輝く御代とする事ぞ。政治も経済も何もかもなくなるぞ。食べるものも一時は無くなって仕舞ふぞ。覚悟なされよ”

 “建直し”は、“建替”の後、“替”の後の“直し”であるから、先に述べたように今後=アセンション後の事象と、そこに位置する人間の心(靈)(ヒ)を指す。
 それが“世の元からの生神”=進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の“道”(時間の進行)“理(ミチ)”(法則性)に、沿っていることであるという意味合いが、
“世の元の大神様の御心のままにする事ぞ。御光の世にすることぞ。てんし様の御稜威(みいつ)輝く御代とする事ぞ”
であり、“御光”と稜威(“イツ” 古代日本語で、“イチ”が変化した言い方、意味は、神霊の威力、みいつ、天子の威光、 類義語として、威霊)は、智性(神性)(“一”、1番目のオーラ)(日を知る性質)を強化獲得した心(靈)(ヒ)、“ひつく”“日津久”=太陽凝視を“行”として行うことを果たした人間と解釈してもよいと思う。
 そしてその事象では、“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”が創りあげた政治や経済なんてものは消滅する、そして何もかもが変わる、変わらねばならない、という意味合いのことをそのまま“政治も経済も何もかもなくなるぞ。食べるものも一時は無くなって仕舞ふぞ。覚悟なされよ”と述べられている。


 次の文。
 
“正しくひらく道道鳴り出づ、はじめ苦し、展きゐて、月鳴る道は弥栄、地ひらき、世ひらき、世むすび、天地栄ゆ、はじめ和の道、世界の臣民、てん詞様おろがむ時来るのざぞ。邪魔せずに見物いたされよ、御用はせなならんぞ。この神示読めよ、声高く。この神示血とせよ、益人となるぞ。天地まぜこぜとなるぞ”

 冒頭の“道場”を、武芸などのなんとか道場そのものと解釈するのは見識が浅く、これは、“正しくひらく”= “建替”“建直し”された、“道”(時間の進行)、“場”(フィールド)、現津(あきつ)、観察され得る事象、ということ。
 だからこそ、その“道”と“場”は、神の“思惑の顕現”=現象化であり、人が進化(霊的成長、神格化に向かうこと)した結果であるからこそ“鳴り出づ”=人の心(靈)(ヒ)にも現津(あきつ)、観察され得る事象にも、しっかり示す、という言い回しがされている。
 またそれは、第十二帖冒頭の言い回し、“神心”を持った人が、“創造”し、認識しうる事象ということでもある。
 そして、そこに至るまで、あるいは最初のうち=“はじめ”、は、“苦し”、これまでの既成概念や価値観幸福感は一変するからこう感じるものであるが、それは神の“思惑の顕現”=現象化と、進化した心(靈)(ヒ)の息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)による事象の“創造”であるから“展きゐて、月鳴る道は弥栄”、この“展”は、のびる、ひろがる、展開するの意、“月鳴る”は、砌(みぎり)の極性(事象への顕現)を“月”で示し、先に述べたようにその“思惑の顕現”=現象化というのは、神の思惑であり進化した人の思惑=“神心”であるということ、それが真の意味での“弥栄”であり、弥栄(いやさか)の弥の表記そのものには、霊的成長の秘密があることを以前画像で示したので、以下に貼っておく。

彌栄弥栄(いやさか) 弥の旧字

弓と璽(しるし) 彌の旧字の解字

 そして、そうなるならば、という意味合いで“地ひらき、世ひらき、世むすび、天地栄ゆ、はじめ和の道、世界の臣民、てん詞様おろがむ時来る”、“上”と感応した事象になるという意味合い、それは、“ほんとう”の“地”、“ほんとう”の“世”、であり、“上”と感応するからこそ“天地栄ゆ、はじめ和の道”となる。
 それで、これに続く“てん詞様おろがむ時来る”は、今“上”と感応していない、“ほんとう”の“てん詞さま”はいないからこそ、今後は、“上”と感応すること事態を“おろがむ時来る”のだと称されている。
 これに続く“邪魔せずに見物いたされよ、御用はせなならんぞ”は、“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の霊的成長度の人に対して述べられており、その変化変容を“邪魔せずに見物”そして霊的成長のためのことと、自省(胸の磁性“十”)をせよ、という意味合いで“御用はせなならん”と述べられている。
 次の、“この神示読めよ、声高く。この神示血とせよ、益人となるぞ。天地まぜこぜとなるぞ”は、自らの息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)を高いものにせよ、“神示”を理解して息吹け=“読めよ、声高く。この神示血とせよ”、そうなるならば、“益人となる”=(アセンション後に位置して行く今より霊的進化を果たした)奉仕者となる、“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”では無いということ。
 そして今“上”と“下”は切り離されている事象だが、神の思惑を顕現する、“上”と感応する、先の“世の元の大神様の御心のままにする事ぞ。御光の世にすることぞ。てんし様の御稜威(みいつ)輝く御代とする事ぞ”となるのだから、今と比べ“天地まぜこぜとなる”、それは“上”=神と、“下”=人間が、“まぜこぜ”となる事象になるということ。

 今回はこれくらいにしときまんねん。




“日月神示” 水の巻 第十一帖 Kellyさん的解釈 


 今回も、水の巻 第十一帖を解釈しまんねん。 原文は以下の通り。

神第一とすれば神となり、悪魔第一とすれば悪魔となるぞ。何事も神第一結構。カイの言霊(かへし)キざぞ。
キが元ぞと知らしてあろが、カイの御用にかかりてくれよ。何と云ふ結構なことであったかと、始めは苦しいなれど、皆が喜ぶ様になって来るのざぞ。先楽しみに苦しめよ。ぎゅうぎゅうと、しめつけて目の玉がとび出る事あるのざぞ、そこまでに曇りて居るのざぞ、はげしく洗濯するぞ。可愛い子、谷底に突き落さなならんかも知れんぞ、いよいよ神が表に現はれて神の国に手柄立てさすぞ、神国光り輝くぞ。日本にはまだまだ何事あるか判らんぞ。早く一人でも多く知らしてやれよ。
タマ磨けば磨いただけ先が見えすくぞ。先見える神徳与へるぞ。
いくらえらい役人頑張りても今迄の事は何も役に立たんぞ。新しき光の世となるのぞ。古きもの脱ぎすてよ、と申してあろがな。
まこと心になりたならば自分でも判らん程の結構出て来るぞ。手柄立てさすぞ。いくら我張りても我では通らんぞ。我折りて素直になりて下されよ、これでよいと云ふことないぞ。いくらつとめても、これでよいと云ふことはないのざぞ。神の一厘のしぐみわかりたら世界一列一平になるぞ。ますかけひいて、世界の臣民、人民 勇みに勇むぞ。勇む事 此の方 嬉しきぞ。富士は何時爆発するのざ、何処へ逃げたら助かるのぞと云ふ心 我れよしぞ。何処に居ても救ふ者は救ふと申してあろが。悪き待つキは悪魔のキざぞ。結構が結構生むのざぞ。
六月十一日、みづのひつ九か三。

 先回までの第十帖の要旨が、アセンション後の指導者たる資質(“此の方の事 何れ判りて来るぞ。今はまだ知らしてならん事ぞ”)を持ちうる人(日止、霊止)、その霊的成長の秘密と秘訣を要約されたものであった。
 それで今回の第十一帖は、一読すると、その心構え、心(靈)の在り方、ということを感じさせる言い回しの感がある。

 まず冒頭の文。

“神第一とすれば神となり、悪魔第一とすれば悪魔となるぞ。 何事も神第一結構。カイの言霊(かへし)キざぞ”

 これは感応の法則性、“善(神格化の方向性と智性の受信)”の発振、発信をすれば、“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)と感応し、“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の発振、発信をすれば、“下”(人の霊的成長を望んでいない存在)と感応するということを述べており、今現在は“神第一結構”ではなく、悪魔の傀儡(かいらい、くぐつ、操り人形)となっている人が大多数=“悪魔第一”であり、だからこそ恨みの連鎖の霊的干渉の現象は増しており、その現象の原因も解らず、自分たちの死の理由もよく理解しないまま死んでいき、そして浮遊霊となるという死に方をする人がどんどん増えているが、これが悪魔の思惑であり、またその思惑を現象化させるにあたって自我の肥大(“石屋の仕組み”)をさせると、“下”(人の霊的成長を望んでいない存在)と感応しやすいのであることを、○○○大先生の著書を読んだ人にはよく理解してもらいたい…のであるが、平均的地球人の霊的成長度ではこのこと事態をほとんど理解しえない…それくらい低い…(○○○大先生が出版に関わってから得られた感想)。

 そして、
“カイの言霊(かへし)キざぞ”
というのは、“言”(事象に顕現され、(自己と他者に)観察された心(靈)の動き)と、心(靈)、それは息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)であり、“キ”(気、愛(炁)、炁空無光眞奇力存(きくうむこうしんきりきぞん)の炁であることを、キの巻で述べた)であり、その息吹に応じて、現津(あきつ)、観察され得る事象の遭遇があるということを“(かへし)”と称され、それは、因果応報、ブーメランの法則、“曲霊(まがつひ)”と同義であるし、この場合の“カイ”は、“風止麻邇言霊学(ふとまにことだまがく)”の引用が分かりやすいので以下に述べる。

“カ”は、幽れたる(かくれたる)生命と力(ちから)の音意
“イ”は、生気生命の発生力

 生命(生きる使命=存在理由)というのは、思惑を顕現するものである。 心(靈)というのは、“創造”の“主(ヌシ)”から悪魔、人間であろうがどんな下等生物であろうがどんな悪霊であろうが、そういうものである。
 その意で“カ”=生命と力、といえ、生命=その心(靈)がなそうとすること事態を“イ”と称していると思う。


 それでこれに続く次の文は、よく意味を深読みしないといけないと思う。

“キが元ぞと知らしてあろが、カイの御用にかかりてくれよ”

 冒頭の“キが元”は、先に述べたとおり自らの息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)が事象となって顕現するの意であるが、“カイの御用にかかりてくれよ”は、これをやってくれ、という意味合いではなく、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の法則性である“善(神格化の方向性と智性の受信)”の“カイ”をしていくなれば、高い存在が感応する、その“気血栄衛(營)”(取り込んだ振動で心(靈)と体が創り変わる)があるので“かかりてくれよ”=“上”の憑依をする心(靈)となれ、と、述べられていると確信する。
 それが“神第一とすれば神となり”=進化(霊的成長、神格化に向かうこと)していくという言い回しに掛かる言い方である。

 そしてこれに続く文は、アセンション後、霊的成長度の高低において行われる区分けがすんだならば、という言い回しである。

“何と云ふ結構なことであったかと、始めは苦しいなれど、皆が喜ぶ様になって来るのざぞ。先楽しみに苦しめよ。ぎゅうぎゅうと、しめつけて目の玉がとび出る事あるのざぞ、そこまでに曇りて居るのざぞ、はげしく洗濯するぞ。可愛い子、谷底に突き落さなならんかも知れんぞ、いよいよ神が表に現はれて神の国に手柄立てさすぞ、神国光り輝くぞ。日本にはまだまだ何事あるか判らんぞ。早く一人でも多く知らしてやれよ”
 
 これは“身魂掃除”“身魂洗濯”“改心”しろ、自我の肥大(“石屋の仕組み”)を諌めよ、ということと、もうひとつ、“上”が感応する心(靈)(ヒ)ならば、“神が表に現はれて神の国に手柄立てさすぞ、神国光り輝くぞ”であり、この“国”の表記は、これまで述べてきたとおり自省(胸の磁性“十”)した心(靈)(ヒ)であり、右翼傾向の強い人が解釈する神国では決してないのだということを付け加えておく。


 次の文。

“タマ磨けば磨いただけ先が見えすくぞ。先見える神徳与へるぞ”

 これは“行”やって“身魂磨き”=(生体内電流による)肉体組織の結晶化、“玉(ぎょく)”となった“日止、霊止”(太陽を止める、“上”からの振動を止める=靈)ならば、“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)と感応する、そして“力”を顕現させる、それはまた、“上”の思惑の顕現の代行者と成りうる者であり、“ほんとう”の生命の使命は、そこにあるのだということを指し示す、よって“磨けば磨いただけ先が見えすく”“先見える神徳与へる”と述べられているものである。
 さらに“風止麻邇言霊学(ふとまにことだまがく)”から引用すれば、
“タ”は、生命が現れ立つ、建く(たけく)高く成長の音義、進化=霊的成長、神格化に向かうこと
“マ”の行は、有形生命、または正しき生命の音意の音根
であるから、“タマ”は、正しく進化(霊的成長、神格化に向かうこと)した生命を指す表記であることが解り、これに漢字を当てるならば“玉(ぎょく)”である。


 次の文。

“いくらえらい役人頑張りても今迄の事は何も役に立たんぞ。新しき光の世となるのぞ。古きもの脱ぎすてよ、と申してあろがな。まこと心になりたならば自分でも判らん程の結構出て来るぞ。手柄立てさすぞ。いくら我張りても我では通らんぞ。我折りて素直になりて下されよ、これでよいと云ふことないぞ。いくらつとめても、これでよいと云ふことはないのざぞ”

 特に解釈の要を感じないが、これは今現在の事、“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”が活躍して、大概の人が低い幸福感と価値観しか持っていないから言われているし、この文の“役人”は、政治家そのものを指すのではなく、人を霊的成長に導く役をする人を指している。
(政治家なんてものは今現在人(日止、霊止)の霊的成長の足を引っ張るだけのものに成り下がっている)
 その霊的成長のために“上”が感応して宗教などが派生したのであるが、宗教は腐り果てており、更に程度の低い感応しかないから程度の低い霊能力者やインチキ霊能力者が台頭したり、霊や神やオーラなどの言葉を使い商売をしている“役員づら”がほとんどであるからいわれており、今後=アセンション後は相対的に高い存在が地球に存在する、高振動、高波長だからこそ“光の世となる”といわれている。
 また今現在の多くの人は“まこと心になりたならば”、“まこと心”では無いといわれており、平均的地球人の霊的成長度では、真実、真固止、“誠”(言葉成る、意味は、自分が発振、発信した振動(言葉)が完成する)、幾度となく画像で意味を示した ○ 九 十、そしてじゅんいち君の記事で述べた“ほんとう”、“ほんとうの自分に近付く”これらの意味をしっかり理解できていないし、この言葉を使うこと事態が形骸になっていることを自分たちで判っていないものである。
 それでその意味が解り、それを理念として存在する=生きていくならば、
“自分でも判らん程の結構出て来るぞ。手柄立てさすぞ”
といわれ、今現在の地球人のことを指して、
“いくら我張りても我では通らんぞ。我折りて素直になりて下されよ、これでよいと云ふことないぞ。いくらつとめても、これでよいと云ふことはないのざぞ”
と述べられ、自我の肥大を諌めよということを強調している。


 次の文。

“神の一厘のしぐみわかりたら世界一列一平になるぞ。ますかけひいて、世界の臣民、人民 勇みに勇むぞ。勇む事 此の方 嬉しきぞ”

 冒頭の“神一厘”というのは、荷電粒子の大きさを指すものであるとキの巻で解釈をした。
 その“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意、それを止めるための“行”が太陽凝視といえ(“ひつく”“日津久”)、その“しぐみ”というのは、霊的成長の具体的な方法と、そこにおける進化の法則性(条帛(じょうはく)の条)を指す言い回し、そしてこれは先の“タマ”=“身魂磨き”、(生体内電流による)肉体組織の結晶化、“玉(ぎょく)”、にかかる言い回しであり、それが理解できたならば=“しぐみわかりたら”、今のような“玉石混交(淆)”の事象、“善(神格化の方向性と智性の受信)”の事象はきわめて少なく“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の事象が台頭する世界ではなくなるので“世界一列一平になる”=“善(神格化の方向性と智性の受信)”が台頭する事象になり、“ますかけひいて”の“ますかけ”というのは、枡(ます)で穀類などを量るとき、盛り上がった部分を平らにならすのに使う短い棒、ますかき、のことであり、アセンションが霊的成長度の高低により区分けされる事象であるからこそ、枡からこぼれ落ちるな、そのために“神一厘のしぐみ”を解り、実践せよ、このことを“勇みに勇むぞ。勇む事 此の方(アセンション後の指導者たる資質をもつ者) 嬉しきぞ”ということである。


 次の文。
 
“富士は何時爆発するのざ、何処へ逃げたら助かるのぞと云ふ心 我れよしぞ。 何処に居ても救ふ者は救ふと申してあろが。 悪き待つキは悪魔のキざぞ。結構が結構生むのざぞ”

 やや揶揄(やゆ)した言い回しの“富士は何時爆発するのざ”であるが、自分たちが先の“神一厘のしぐみ”を解り実践して、今後=アセンション後に備えるならば、アセンションに伴う天変地異や恨みの連鎖の霊的干渉の現象に大した影響を受けない、その意味で、
“何処に居ても救ふ者は救ふと申してあろが”
であり、カテゴリーが違うがローム太霊講話集解釈の第十話の、
生かされる者は生かされ滅びる者は滅びる”これは、“ 採点は必ず神によって為される”のだということを理解しておけ、ということと同義であり、最後にまた感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)のことを以下の言い回しで強調している。
 
“悪き待つキは悪魔のキざぞ。結構が結構生むのざぞ”

 今回はこれくらいにしときまんねん。




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 Kelly & ○○○大先生

Author: Kelly & ○○○大先生
FC2ブログへようこそ!


Kellyさんと○○○大先生は、
このブログを書いている○○○の、
心(靈)の二面性であり、
同一人物で有る事を、
お断りしておきます。

出版の告知

四冊目&五冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈4〉
智性無き心は
悪を容認する


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈5〉
智性無き心は
アセンションを見誤る

 この二冊は、同時発売です。
太陽凝視を行っている鍼灸師の話 <4> 智性無き心は 悪を容認する & 太陽凝視を行っている鍼灸師の話 <5> 智性無き心は アセンションを見誤る サムネイル
(クリックで拡大)

2010年 4月20日(火)ごろより、全国書店(紀伊國屋書店・三省堂書店・旭屋書店・ジュンク堂書店・ブックファースト・リブロ・丸善など)にて順次陳列。


発売中の三冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈3〉

神格化のプロセス
目上(めうえ)と目下(めした)


神格化のプロセス 目上と目下 縮小版 ブログ用
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発売中の二冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈2〉

ローム太霊の教え
日足(ひたり)と砌(みぎり)


サムネイル太陽凝視を行っている鍼灸師の話〈2〉ローム太霊の教え 日足(ひたり)と砌(みぎり) 
(クリックで拡大) 

お近くの書店にない場合は
たま出版のサイトでお買い求めください。

発売中の一冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈1〉

ローム太霊との出会い


太陽凝視を行っている鍼灸師の話〈1〉ローム太霊との出会い
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お近くの書店に無いときは
たま出版のサイトでお買い求めください。

この本に付いてはこちらを御覧下さい。


       




初めての方は、
・・・その後の事と・・・これからの事。
からお読みください。

それぞれのカテゴリーをクリックすると
古い順に、記事が閲覧できます。

        

☆ Kellyさん的事象の観察と認識 (104)
Kellyさんがこのブログに霊縁あった人(日止、霊止)に伝えたい事 (22)
Kellyさんと○○○大先生との会話 (7)
Kellyさんとチョ~極上ラブラブ中高年夫婦はんとの会話 (6)
Kellyさんとチョ~ベッピンはんのA野はんとの会話 (7)
Kellyさんと∪・ω・∪ ▼・。・▼ ▼・。・▽ U・。・U U。・ェ・。U たちとの会話 (33)
Kellyさんとメタボ研修医のYっちゃん先生との会話 (2)
Kellyさんとややメタボ内科医のYっちゃん先生との会話 (7)
Kellyさんと和風のベッピンはんのSはんとの会話 (2)
Kellyさんと農業好きの社長婦人K地M美はんとの会話 (12)
KellyさんとNominyan ∥*σ_σ*∥&Senyapoo λ*゜ο゜*λ との会話 (6)
☆ Kellyさん的“日月神示”解釈 (464)
Kellyさんが、“日月神示”の解釈をして行くに当たって・・・考えた事。 (15)
“日月神示” 上つ巻 (42)
“日月神示” 下つ巻 (38)
“日月神示” 富士の巻 (26)
“日月神示” 天つ巻 (30)
“日月神示” 地つ巻 (36)
“日月神示” 日月の巻 (68)
“日月神示” 日の出の巻 (23)
“日月神示” 磐戸の巻 (21)
“日月神示” キの巻 (17)
“日月神示” 水の巻 (36)
“日月神示” 松の巻 (30)
“日月神示” 夜明けの巻 (26)
“日月神示” 雨の巻 (18)
“日月神示” 風の巻 (15)
“日月神示” 岩の巻 (11)
“日月神示” 荒の巻 (12)
☆ Kellyさん的“ローム太霊講話集”解釈 (107)
☆ 紫光会経文の文言 Kellyさん的解釈 (18)
☆ ○○○大先生的バシャールの文言解釈 (9)
☆ 先生が撮るけったいな花の写真 (22)
☆ 先生が撮る比較的まともな写真 (32)
☆先生が室内で写真を撮るときのセッティング (6)
その他 お知らせ (3)



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2005年10月1日~2008年1月15日まで、
“Kellyさんとの会話”で、説明して来た事・・・
その内容・・・それは・・・その何年も前から、
何か自分の考えをある程度公表しなければならない・・・
そう言う通信を受け・・・その理由は・・・地球人が低い心(靈)の発現しかしていない・・・
それを自覚していない人が多い。
その事由来の太陽凝視に対する認識、
(太陽凝視=不食・・・としか、認識させない存在の思惑を、受信している事)
霊的成長に対する認識、
神に対する認識、
心=靈に対する認識、
オーラに対する認識、
そして、
高い認識の上での進化の意味と幸福の概念と神の概念・・・
進化=霊的成長=神格化=(相対的に)高い認識を獲得する事・・・
霊的成長=神に近づく事=真の幸福の意味。
霊的成長度は1番目のオーラに顕れる。
よって、宇宙的プログラムにより次の段階に移行する人(日止、霊止)は、 何を考えるべきなのか・・・
そして、人(日止、霊止)の進化を阻む存在の思惑、
その心=靈の動き、それらの意図・・・それが一般に認知されていない事。
それらを伝えなければ成らない・・・そして一応・・・完結はしたのですが・・・
解り難い・・・理解しがたい・・・具体例を示して欲しい・・・そう言う感想も頂き、
そして自分なりにも説明が足らなかった事・・・
更に、
“Kellyさんとの会話”が完結してからも通信を受けている事・・・そう云う事もあり・・・
よって、このブログを立ち上げる事としました。
従って、
“Kellyさんとの会話”が、
自分の意見を述べる上での、ローム太霊の言葉、
“右往左往”(“いきり立つ心(奴と心)”で行動してから考える)・・・と、 するならば、 このブログはアタシ自身の、
“左往右往”(“思う、憂う”・・・体験を教訓として考え行動する)の、
作業になって行くと思います。


太陽凝視を行っている鍼灸師の話 “総括編”
太陽凝視を行っている鍼灸師の話 “改”
予約制 鍼(はり) 灸(きゅう) マッサージ治療 児玉療院
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○○○大先生の水草水槽記録
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自分達の欲望を満たしたい… 
自分だけ幸福になりたい…
こういった進化程度の低い心(靈)の発現由来の思いが、
低い幸福の概念になり(目下(めした)の思い)
その結果が、飢餓貧困、戦争の原因になったりしています。
(子供の浮游霊の霊的干渉の影響を受け、 それがどんどん増して行く事等が、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)
の思惑だと 思えます)

恨みの連鎖による霊的干渉を増やさない為、
その解消の為にも、(この趣旨に反する類の物もありますが) クリックをお願いします。
クリックした人に、お金の負担はありません。 ↓↓




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