“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話

太陽凝視を一生涯の“行”とし(現在、44年目)、実践し、その上で獲得した認識を述べています。

“ローム太霊講話集”第十六話 死後の種々相 断食と餓死の場合 Kellyさん的解釈“その三”


 先回の記事の終わりに“恨みに対する願いの場合…以下略…”について詳細に解釈すると述べた。

これは太霊が述べておられる以下の文言、

欲のために術を得ようとする…中略…求めた力によって世のために役立つことが出来なければ…中略…物欲、名誉欲という網の目の中の一つを求めて蠢(うごめ)いているに過ぎない…中略…私利私欲に執着するならば

この場合に、

神が与えられた人間本来の力も使命も全くその意義を失って潰(つい)え去る…中略…その者の地上の存在は不必要となってその生命が元の所へ戻される…以下略…

ということになるのだ、と説明されており、この説明に対して“所が恨みに対する願いの場合”と述べておられる。

 これには、霊的成長度の低い人間が間違えやすい項目、それがたくさん含まれているものでもある。

 それで、この“所が”は、

悪霊達(俗に幽鬼などと言われる者)がその肉欲を断って苦行している人間の力を利用して、ある程度その目的を遂げさせることがたまたま…中略…こういう例は行者衆の間に割合多い

ということがあるから、これを説明するから、という意味合いで述べられているものである。

 この文言で重要なのは、

肉欲を断って苦行している人間の力を利用”それがあって“目的を遂げさせる

そうなったならば、

その者が自分の力の範囲を超えた場合は、それに対して死を以ての贖(あがな)いを予(あらかじ)め覚悟しなければならない

このことをよく承知しておけ、という意味合いのことである。

 ○○○大先生の著書をしっかり読んだ人ならば、これは、低い心(靈)の息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)による感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)であることがすぐ判るし、“下”(人の霊的成長を望んでいない存在)との感応、それが起きて現象を成したならばそれは、悪魔(“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅))の傀儡に成り下がっている者であることが理解できるし、これについても太霊は“分るであろう”と括っておられる。

 さらに、

その行為にも善悪はあるが、その念ずる方向は一つの道…中略…その幽体は背後霊の指導の下に自分に当てられた城郭の中に閉じ込められて、長い間無自覚のまま肉体の時と同じ行を続けさせられる…中略…しかもこの自分の小さな城郭に入れられるということは、普通の生活をして死んだ人間の状態と少しも変らない

と説明しておられ、“普通の生活をして死んだ人間の状態と少しも変らない”のだから、

これをもっても名誉欲などのために不思議の出来る人間になりたいというような考えは、決して起こすべきではない

自らの低い功名心と自尊心を諌めよ、と括っておられることに気付かねばならない。

 だが、大概の(霊的成長度の低い)人間は、“不思議の出来る人間”に憧れたり、肖ったりする。
 このこと事態がとても程度の低いことなのだと気付くべきであるし、先回も述べたとおり(“役員づら”)、こういった程度の低い人間を利用して金儲けをしたり信者集めをして自分の低い功名心と自尊心を満たしたりする者が多いからでもある。

 そして“不思議の出来る人間”に自分を見せかけて人を騙している輩、自称霊能力者などはほとんどこの類であり、霊的な事柄に無知な人間、霊的な事柄を分析できない人間、御利益だけを求める程度の低い人間、これらを騙す、それは、何のため、“どういうつもり”=思惑、によって、自称霊能力者などのその詐欺行為を行っているのか、それすら見抜けない“ブタのけつを見ているアホ”は多すぎる。

 この騙す人間、騙されている人間、この両方が第十六話で述べられている、

真に行ずる者は、それが天の使命であるかないかは別として…中略…自然に引かれる方向に向って一段一段と自分の業行を積み上げてゆくことが、自分に負わされた務めであるという自覚を確(しっか)りと持っていることが必要

これに相当しないのだ、ということを読み取るべきでもある。

 さらに、上記のような類の人間、その低い思惑、“私利私欲に執着する”程度の低い人間については、第五十七話 行業一致の一途の努力 で、

世間には真心(まごころ)がなくただ巧言を持って人を籠絡している者も沢山いる

と教えておられることを付け加えておく。


 さらに、第十六話で太霊が述べたことを理解したならば、第六話 四方の祈り 北 で述べられている以下の文言、

完全なる人間の運営

ということが理解でき、それは、

人間にも人間のために尽さして下さいと願う所と思えばよいのである。これは人間としては自分の使命を完成さしてもらう元

であり、

北神の祈りは言葉にすれば、どうか今日も世のため人のために役立たせていただきたい

という人間の在り方、これを深く理解するに至っていくと思う。

 次回は“次の乞食の場合であるが…以下略…” と太霊が説明しておられる文言について、詳細に解釈することとする。
 
今回はこれくらいにしときまんねん。




“ローム太霊講話集”第十六話 死後の種々相 断食と餓死の場合 Kellyさん的解釈“その二”



 先回取り上げた、

名誉欲などのために不思議の出来る人間になりたいというような考えは、決して起こすべきではない

これは“自分から食物を断って命を捨てる行者のような場合”として述べられてはいる。 

 だがこれを太霊は、

欲のために術を得ようとするのと、人を指導するために力を得ようとするのとは、実に紙一重であって…中略…心はその表裏を往来(いきき)している

と指摘されており、その上で、

若しその者がその求めた力によって世のために役立つことが出来なければ…中略…肉体は消滅に近付きつつあることを自覚させる現象が…以下略…

もうひとつ、

私利私欲に執着するならば、神が与えられた人間本来の力も使命も全くその意義を失って潰(つい)え去る

と述べておられる。
 
 これは幾度となく述べてきている“世為人為”(S会=紫光会の経文、四空経録の中の言葉)でなければ、でもあるし、第六話 四方の祈り 北 で太霊が述べておられる通り、

北神の祈りは言葉にすれば、どうか今日も世のため人のために役立たせていただきたい

これに相当しない、ということでもある。

 言うまでもなくこれは“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)に認められていない、神の思惑に反する、その神の思惑は第二話で太霊が述べておられる通り、

何とかしてこの地球を、凡ての人間が不幸から救われて愉快にたのしく暮らせる楽土にしたいという、神自身の本当の気持ち

であるが、

欲のために術を得ようとする”“名誉欲などのために不思議の出来る人間になりたい

これは先回も指摘した通り、目下(めした)(大脳旧皮質と古皮質)(動物の心(靈)の段階)、自我の確立=固定化の進化過程(霊的成長の過程=普遍的に実在する創造主のオーラとの感応共振の段階)に起きる自我の肥大ゆえのことでもある。 また、“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の心(靈)の動きである。

 それで太霊は、こういった人間に対し、

世間から聖者として崇(あが)められようとも、一つ間違えば、神によってその存在すら地上から消されてしまう

世為人為”ではないならば、神の思惑に沿っていないならば…ということを説明しておられる。

このことを大概の人間は知らない、真剣に考えたことも無い、それは神と人間の関係についてあまりにも無知といい得る。
 また逆に、こういった人間を褒めそやし、それにあこがれる、肖ったりする程度の低い心(靈)の持ち主の方が、圧倒的に多いものでもあり、
=“世間から聖者として崇(あが)められ…”。
これは、程度の低い者が程度の低い者を褒めそやし賞賛しているということでもあり、その両者において価値観や幸福感が一致しているからでもあるのだが、これがたった今の事象の状況である。

 それは“日月神示”にも“役員づら”という表記が幾度となく出て来るが、これをしっかり解釈できている人間は実に少ないと思えるし、しっかり解釈できないことがその人間の心(靈)の低さ、霊的成長度の段階を示唆しているものである。

 その証拠として、現世利益中心で賽銭を集める宗教、そして、あなたは救われます、災厄から逃れられます、大難が小難になります、幸福になります、などの似非スピリチュアル、これらすべて悪魔の傀儡であり、人を進化(霊的成長、神格化に向かうこと)に導かない手法でもあり、この手法を使って金を得たり(程度の低い人間が褒めそやした結果としての)名声を得たりしている人間はとても多い。

 それで、自分が“ほんとう”に進化=霊的成長、神格化に向かうこと、を求めるならば、上記の事柄に気付くのが当たりまえであるともいえるが、そういった人間はとても少ないので“自分から食物を断って命を捨てる行者のような場合”を例に挙げて、自分がどう頑張るべきなのか、何を意図して頑張るべきなのかを、この第十六話で太霊は示しておられるものである。

 次回は、“恨みに対する願いの場合…以下略…”と太霊が説明しておられる文言について、詳細に解釈することとする。
 
今回はこれくらいにしときまんねん。




“ローム太霊講話集”第十六話 死後の種々相 断食と餓死の場合 Kellyさん的解釈“その一”


 今回から第十六話の解釈に入ることとする。

 この第十六話も「死後の種々相 断食と餓死の場合」との副題が付けられており、

自分から食物を断って命を捨てる行者のような場合

自分は喉から手の出るほど食べたいが誰も与えてくれないので死んでゆく乞食のような場合

について述べられてはいるのだが、一つ目の項目で人の心(靈)の在り方について述べられており、第十六話の最も重要な要旨はそこにあると思え、本来はそのことも示唆するような副題にするのが妥当だといい得る。

 それは、

自分から食物を断って命を捨てる行者のような場合

これが、

その人間が一つの欲によって動いていることがはっきり分かる…中略…欲のために術を得ようとするのと、人を指導するために力を得ようとするのとは、実に紙一重

そして、

物欲、名誉欲という網の目の中の一つを求めて蠢(うごめ)いているに過ぎない

私利私欲に執着

さらに、

恨みに対する願いの場合

こういった動機=“どういうつもり”=低い思惑について太霊が指摘しておられるからである。

 これらは○○○大先生が著書で述べた目下(めした)(動物の心(靈)の段階)(大脳旧皮質と古皮質)中心の心(靈)の動きであり、“日月神示”で言えば“ケダモノ”“獣”の表記の意味でもあるし、“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の霊的成長度における行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)を指摘している言い回しであることに気付かねばならず、第十六話を読んでこの太霊の文言を読んでこのことに気付かないならばそれは、その人間の霊的成長度がこれに相当する低い霊的成長度であろうことを、はっきり述べておく。

 それで、上記の低い心(靈)の動きについて太霊は、

名誉欲などのために不思議の出来る人間になりたいというような考えは、決して起こすべきではない…中略…真に行ずる者は、それが天の使命であるかないかは別として…中略…自然に引かれる方向に向って一段一段と自分の業行を積み上げてゆくことが、自分に負わされた務めであるという自覚を確(しっか)りと持っていることが必要

と括っておられる。

 次回は、太霊が括ったこの文言までに述べられている今の人間、平均的地球人の霊的成長度の低い心(靈)、そしてそれを自覚したならば、という意味合いで述べておられる人間の在り方について、詳細を解釈することにする。

 今回はこれくらいにしときまんねん。




“日月神示” 夜明けの巻 第九帖 Kellyさん的解釈 



 今回も、夜明けの巻 第九帖を解釈しまんねん。 原文は以下の通り。

天詞様まつれと申してあろが。 天津日嗣皇尊大神様(あまつひつぎすめらみことおほかみさま)とまつり奉れ。 奥山には御社(みやしろ)造りて、いつき奉(まつ)れ。 皆のうちにも祀れ。 天津日嗣皇尊 弥栄ましませ、弥栄ましませとおろがめよ。 おろがみ奉れ、天照皇大神様、天照大神様、月の大神様、すさなるの大神様、大国主の大神様もあつくまつりたたえよ。 奥山の前の富士に産土の大神様 祀れよ、宮いるぞ。 清めて祭れよ、タマの宮はその前横に移せよ。 奥の富士に国常立大神、豊雲野大神 祀る日 近うなりたぞ。 宮の扉あけておけよ。 臣民の住居(すまい)も同様ぞ。 大難小難にまつりかへて下されとお願ひするのざぞ。 取違ひ、お詫び申せよ、楽にしてやるぞ。 天の異変 気付けよ。
八月の五日、アメのひつ九の神。

 第九帖の要は“天津日嗣皇尊”(あまつひつぎすめらみこと)である。 その意味は画像で示すこととする。

天津日嗣皇尊(あまつひつぎすめらみこと)の解字


 これが何を指すのか、“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意、を、自らの磁性によって、肉体(月(ツキ))と心(靈)(ヒ)に止める、止めるためには厳しい“行”(“身魂磨き”=(生体内電流による)肉体組織の結晶化)をする、それは古神道の表記の“日止、霊止”の意であるとたびたび述べているが、この表記の“日嗣”(ひつぎ、ひつぐ)というのは、神、“創造”の“主(ヌシ)”、に対して“下”である人間、自分たちが観察しうる事象に天意を顕現する、そのための太陽凝視、厳しい太陽凝視を行って神の“思惑の顕現”=現象化をする、そのことでしかない。 
そしてそれは、ネット上に今も増えつつある不食等のご利益を強調してディスプレイ(動物の発情行動)中心の書き込みを行い、コピペ編集などでサイトを運営し、厳しい太陽凝視など思いもよらない霊的成長度のてんで低い人間が思っているそれではないことを、あえて述べておく。

 これを踏まえて本文の解釈に入る。

 冒頭の文。
“天詞様まつれと申してあろが。 天津日嗣皇尊大神様(あまつひつぎすめらみことおほかみさま)とまつり奉れ”

 “天詞様”は“上”と感応する人間、その資質を持つ“日止、霊止”のこと、それ自体が今の“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”が創った事象においては“ほんとう”に尊い、また、先に述べたように厳しい太陽凝視をして“上”の思惑を顕現する、それ事態が、霊的成長度の高い事象を人間に作らせる“創造”の“主(ヌシ)”の思惑であるからこそ、神として“まつり奉れ”ということ。

 次の文。
“奥山には御社(みやしろ)造りて、いつき奉(まつ)れ。 皆のうちにも祀れ”

“奥山”は大脳古皮質、本能や情動など低い心(靈)の中枢。
そこで発現するその心(靈)の動きは低い存在と感応しやすいが、ここに“上”の思惑を入れよ、の意が“奥山には御社(みやしろ)造りて”であり、自分が持っている本能や情動よりも高い心(靈)でその低い心(靈)を諌めよ、の意であることが感じ取れ、それは“上”との感応がとても価値があり尊いからこそ“いつき奉(まつ)れ”であり、この表記の“いつき”とは、“斎”、意味は、心身を清めて神に仕えること、あるいはそれをする人、または神を祭る所(斎場)、であるので、“上”と感応して低い心(靈)を諌めるのが霊的成長した“日止、霊止”であるとの意。 

 次の文。
“天津日嗣皇尊 弥栄ましませ、弥栄ましませとおろがめよ。 おろがみ奉れ、天照皇大神様、天照大神様、月の大神様、すさなるの大神様、大国主の大神様もあつくまつりたたえよ。 奥山の前の富士に産土の大神様 祀れよ、宮いるぞ”

冒頭の“天津日嗣皇尊 弥栄ましませ、弥栄ましませとおろがめよ”は、“上”の思惑を顕現すべく太陽凝視は、弥栄(いやさか)であるとの意だが、弥栄(いやさか)の“弥”この旧字“彌”については、以前画像を作ったのでそれで意味を示す。

弓と璽(しるし) 彌の旧字の解字


 
要は、“日止、霊止”の進化の仕組みである、弓、背骨、その磁性によるローレンツ力 ローレンツ力 で、“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意を止める、それが“身魂磨き”=(生体内電流による)肉体組織の結晶化できた“玉(ぎょく)”であり、それ自体が神の“思惑の顕現”と人の“思惑の顕現”であるとの意、それが栄えるのが、進化そのものであり、たった今の腐った事象とは異なるからこそ“弥栄ましませ、弥栄ましませ”の“ましませ”、必ずそう成してくれ、の意であり、それ自体が貴いからこそ“おろがめよ”である。
 またそれには“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意の取り込みが必須であるので“天照皇大神様、天照大神様、月の大神様”、これは太陽と月のことであるが、それを取り込む具体的な方法をあえて述べるまでも無い。 
なお、“天照皇大神様、天照大神様”の“皇”のあるなしは、振動の高低を示しており、太陽が送って来る振動にも、本能、情動、功名心、自我、を構成する振動もあるし、それより“上”の、愛(炁)、創造、知恵、智慧、智性、そして自省(胸の磁性“十”)を促す振動、その違いを指したものであると思われる。
 これに続く“すさなるの大神様、大国主の大神様”というのは、“すさなる”が、“上”の振動を取り込む仕組みそのもの、これについても以前画像を作ったのでそれで意味を示す。

“素盞鳴(スサナル)”(日月の巻 第二十九帖の表記)の解字



 そして“大国主の大神様もあつくまつりたたえよ”の“大国主”は、神名というよりも、人間が手足を広げた様を指す“大”そして“国”、(囗)くにがまえ)と“玉(ぎょく)”、“玉(ぎょく)”は自省(胸の磁性“十”)の心(靈)の動きを示し、“主(ヌシ)”は“主護霊”のそれでもあるが、“一二三”のオーラと縦の磁性(|(たてぼう、こん、縦の磁性)))とローレンツ力 ローレンツ力 を示し、それは個々の生命が独り神(ひとりがみ、日取り神)になる仕組みを指すものでもある。

主(ヌシ)の解字

 よって“すさなるの大神様、大国主の大神様”とは、“上”からの振動を指す“天照皇大神様、天照大神様、月の大神様”を顕現する資質を指すものであると結論付けることが出来得るし、それは次の“奥山の前の富士に産土の大神様 祀れよ、宮いるぞ”に続いており、“奥山の前の富士”とは、大脳古皮質の前であり、その“富士(二二)”=肉体の二つの磁性、日足(ひたり)と砌(みぎり)、ヨガで言えばイダとピンガラ、太陽の気道と月の気道であるので、肉体の正面の“富士(二二)”であるといい得るし、これに続く“産土の大神様 祀れよ、宮いるぞ”は、“産土”(氏神)が生まれてから死ぬまでの肉体の管理をしているものであるし、“宮”の表記は、宀(うかんむり、頭の意味)と“呂”であるから、“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意を取り込んで=感応した上での、智性(神性)(“一”、1番目のオーラ)(日を知る性質)の発現を示しており、智性(神性)が発現すべく肉体(月(ツキ))になってくれの意が“宮いるぞ”である。

 次の文。
“清めて祭れよ、タマの宮はその前横に移せよ”

 この文の“タマ”は、
“タ”は、生命が現れ立つ、建く(たけく)高く成長の音義、進化=霊的成長、神格化に向かうこと
“マ”の行は、有形生命、または正しき生命の音意の音根
であるから、まっとうな進化(霊的成長、神格化に向かうこと)をする生命(生きる使命=存在理由)であり、“その前横に”は、先の“奥山の前の富士”であるので、“奥山の前の富士”が進化の秘訣であるならば“その前横”とは、そこに台頭せよ、顕現せよ、そういった生命(生きる使命=存在理由)になれよ、さらに前述した“宮”の意であると思える。

 次の文。
“奥の富士に国常立大神、豊雲野大神 祀る日 近うなりたぞ。 宮の扉あけておけよ。 臣民の住居(すまい)も同様ぞ”

 この文の“奥の富士”に関しては前述した通り、そして“国常立大神、豊雲野大神”の“国常立”と“豊雲野”は、以前、“日月神示
”日月の巻 第十帖で詳細に解釈したので簡単に述べるが、“国”が“常”に“立”は、自省(胸の磁性“十”)の心(靈)が常であるの意だし、“豊”“雲”“野”は、“雲”が“上”からの振動を指す“雨”と肉体を指す“二”、それを取り込む厶部(しぶ)(物を囲い込んで自分のものとする様子に象る。手を「伸ばす、伸びる」の意がある)で構成され、“野”は、画像で意味を示すこととする。

野の解字 (富士の巻 十七帖)

 よって“奥の富士に国常立大神、豊雲野大神 祀る日 近うなりたぞ”は、やはり進化(霊的成長、神格化に向かうこと)を果たした生命(生きる使命=存在理由)は…という説明であり、これに続く“宮の扉あけておけよ。 臣民の住居(すまい)も同様ぞ”は、“上”からの振動を取り込むための用意をせよ、心構えをせよ、その心構えは“身魂掃除”“身魂洗濯”“改心”であるのだ、の意をくみ取れるし、“上”からの振動を取り込める肉体の意が“宮”と“臣民の住居(すまい)”であると思える。

 最後の文。
“大難小難にまつりかへて下されとお願ひするのざぞ。 取違ひ、お詫び申せよ、楽にしてやるぞ。 天の異変 気付けよ”
 
 これまでの“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”が“創造”してきたたった今の事象は“大難”だらけであるが、人が進化(霊的成長、神格化に向かうこと)して“上”と感応するならば“小難”になる、そして自我の肥大(“石屋の仕組み”)をしている人間は“取違ひ、お詫び申せよ”=“改心”せよ、であるし、これに続く“天の異変 気付けよ”は、“上”の思惑に気付け、“上”からの振動の降り注ぎに気付け、それはこれから“神烈しく(はげしく)”となる、それがあって“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”はどんどん馬脚を露呈し、さらに程度の低い人間の行動による結果としての恨みの連鎖の霊的干渉の現象化は進み、それを見た個々の心(靈)(ヒ)は何を思うべきなのか、今後の自分はどう在るべきか鑑みよ、の意であると思える。

 今回はこれくらいにしときまんねん。

Kellyさん、爆睡中に、A野さんの愛犬たち登場!…夢の中で、人間に見られる習性について、犬たちと論じる。 “その二十九” (アズキ君とセブンちゃん、教育について疑問を持ち、心が育つということを鑑みる“その四”)


Kelly 会話中 …例によってKellyさん爆睡中でんねん。 
 ほんでから今回の夢は、 犬M井 会話中  アズキ 成犬 セブン 会話中 三人(犬だから三匹)のDiscussion…それは
“その三”犬M井 会話中  さんが言うてはったこと、


学校の勉強、教育のシステムにおけるインプリンティング(刷り込み(すりこみ)、刻印付け)、これがどういった人間を育てているのか、について、Discussionすることは、私たちの心(靈)が“ほんとう”に育っていくことを見出していく作業になっていく…
…中略…
 アズキ君とセブンちゃんは人間ではありません。 当然のことながらお二人(犬だから二匹)は学校で勉強したという経験も無く、勉強を刷り込まれたということも無いですね。
よってお二人(犬だから二匹)は、今の人間に対しての評価を人間とは違う観方で行うことが出来ると思いますのですワン。 次回はそれをお二人にうかがいたい、その上でまた、Discussionさせていただこうと思っておるのですが、いかがでしょうかワン


のはずやったんやけど、
この間Senyapooはんが言うたとおり、Senyapooはんがアズキ君とセブンちゃんにアドバイスする夢でんねん。

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犬Senyapoo 会話中 「アズキ君とセブンちゃん、こんばんイモワンなのだプ~」

アズキ 成犬 「こんばんわです、犬Senyapooさん」
セブン 会話中 「犬Senyapooさんが今回登場された理由は、例によってこれを書いている○○○大先生の手抜きによって、私とアズキ君はその事情を了承していることになっております。
 それで犬M井さんにはご遠慮いただいていますが、あちらで様子をうかがっていらっしゃいます」

茂み隠れ 犬M井

犬Senyapoo 会話中 「犬M井さんには、Kellyさんの前説にあった
お二人(犬だから二匹)は、今の人間に対しての評価を人間とは違う観方で行うことが出来ると思いますのですワン
これについて 次の機会にでも話してもらいたいのだイモワン。

 それで犬Senyapooとしては、アズキ君とセブンちゃんにこの動画を持てもらいたいのだイモワン」

Special Agent OSO's Three Healthy Steps - Play Mini Golf


アズキ 成犬 「…これは、ゴルフのおもちゃ…なのかな…その遊び方、ボールを置いてホールを狙ってパットする…」
セブン 会話中 「それを…Three Steps…三つに分けて説明している…のね」

犬Senyapoo 会話中 「もう一つ見て欲しいのだイモワン」



アズキ 成犬 「これは…」
セブン 会話中 「Three Steps…
Step1 氷のトレーにジュースを入れる
Step2 つまようじを刺す
Step3 ジュースを凍らせる
…アイスキャンディーの作り方かしら…。
分りやすいけど…幼稚な教え方…そんなふうに思ってしまうわ」

犬Senyapoo 会話中 「この“Special Agent OSO”、日本では“きんきゅうしゅつどう隊 OSO”って訳されているアニメは、未就学児、幼稚園以下の人たちを対象に作られているのだと思うのだイモワン」

アズキ 成犬 「未就学児を対象にしている…だから分りやすい、分りやすく作られている」
セブン 会話中 「そして目的のため、その達成のために、Three Steps…三つのステップ、三つの過程なのかしら…それをPaw Pilotってキャラクターが説明している…でも、幼稚すぎるわね」

犬Senyapoo 会話中 「そうなのだ、幼稚なのだイモワン。 ちなみにThree Stepsは、三つのじゅんばん、と訳されているのだイモワン。

 今見た動画以外にも、例えば

Step1 野菜を洗う
Step2 野菜を切る
Step3 切った野菜をまぜる

Step1 電池を探す
Step2 懐中電灯に電池を入れる
Step3 懐中電灯をつける

Step1 包み紙を探す
Step2 プレゼントを包んでテープで留める
Step3 プレゼントにリボンをつける

Step1 なわを足の後ろに置く
Step2 なわを前に回して、足元に来たときジャンプする
Step3 なわを回して跳び続ける

Step1 カメラのスイッチを入れる
Step2 カメラを向ける
Step3 シャッターを押して写真を撮る

Step1 マリーゴールドの種を見つける  
Step2 種を土に蒔く
Step3 蒔いた種に水をやる

Step1 鎖をしっかり握る
Step2 後ろに歩く
Step3 ブランコに座って足でこぐ

Step1 本に貼るテープを探す
Step2 破れたページを合わせる
Step3 テープを貼る

Step1 転ばないように立つ
Step2 足を動かして氷の上を滑る
Step3 たくさんたくさん練習する

Step1 歯ブラシに歯磨き粉をつける
Step2 円を描くようにして磨く
Step3 お水で口をすすぐ

Step1 フラフープを探す
Step2 フラフープを回す
Step3 腰を動かしてフラフープを回し続ける

Step1 お皿をゴシゴシする
Step2 すすいで洗剤を落とす
Step3 お皿を乾かす

Step1 パンを2枚用意する
Step2 ピーナツバターとジャムを塗る
Step3 2つのパンを1つに合わせる

…などがあって、これらのStep1~3を見ると何をしようとしているのか分かるくらい単純で幼稚といえるのだイモワン。 ちなみにこれはWikipediaから引用したのだイモワン。

 それで、これを書いている○○○大先生は、

● Colors Royale 色を混ぜる、絵の具セットに無い色を絵の具を混ぜ合わせて作る話

それと、

● Cleanfingers 汚れてしまった手を洗い手をきれいにする話

これを例に挙げたかったのだけれど、Youtubeから動画が削除されてしまっていてちょっと残念がっていたのだイモワン。

 話を戻すのだイモワン。

 アズキ君とセブンちゃんは、すでにインプリンティング(刷り込み(すりこみ)、刻印付け)について知っている、そして多くの人間が“ブタのけつを見ているアホ”であることも知っているのだイモワン。
だからこそ“その一”で
教育というものが進化(霊的成長、神格化に向かうこと)に役立っているのなら、多くの人が“ブタのけつを見ているアホ”では無いんじゃないのかな…
という疑問をKellyさんに投げかけたのだイモワン。
 それで犬Senyapooとしては、今話していた三つのStepsみたいなことが、実は多くの人間に刷り込まれているのではないかと思うのだイモワンだプ~」

アズキ 成犬  セブン 会話中 「その三つのStepとはなんですか?」

犬Senyapoo 会話中 「その前に犬Senyapooは、Paw 犬Senyapoo Pilotにならなければならないのだイモワン!!

犬Senyapoo Paw Pilot

Paw 犬Senyapoo Pilot 会話中 多くの人間に刷り込まれている三つのStepsは、

Step1 たくさん勉強してよい成績をとる
Step2 有名校へ進学する
Step3 その学歴を活かしてお金がたくさんもらえる仕事をする

この三つのStepsが教育の根幹にある、そしてそれは“ブタのけつを見ているアホ”が思う価値観由来の薄っぺらい幸福感を達成させるためのもの、それが人間として立派なことなのだというきわめて“ブタのけつを見ているアホ”らしいインプリンティング(刷り込み(すりこみ)、刻印付け)、だから人間は人間の作った教育のシステムの中で勉強をするのだイモワン」

アズキ 成犬 「…そんなに幼稚で単純なのでしょうか…でも、そんなような気がする…」
セブン 会話中 「アズキ君が言ったこと…私たちは犬だから、人間をそんなふうに見ることが出来ない…犬の分際で人間を単純で幼稚だって見ること自体が何か恐れ多いような気がする」

犬Senyapoo 会話中 「そこなのだイモワン(Paw 犬Senyapoo Pilotから犬Senyapooに戻っています)。
問題は、犬だから、人間だからってことではないのだイモワン。 
アズキ君とセブンちゃんが持った疑問、
教育というものが進化(霊的成長、神格化に向かうこと)に役立っているのなら、多くの人が“ブタのけつを見ているアホ”では無いんじゃないのかな…
これそのものが、今の人間の低さを指摘しているのだイモワン。

そしてその低さを判る、アズキ君とセブンちゃんが、今、Paw 犬Senyapoo Pilotが言った三つのStepsで人間が動いていることを知り、それが幼稚で単純であると認識しうるなら、その三つのStepsで行動している人間の心(靈)の低さを観察しているのと同じなのだイモワン。

また、アズキ君とセブンちゃんは今の人間よりもある程度心(靈)が育っているから、他者の心(靈)を観るにあたって、謙虚であり、時には遠慮がちである、それは自分たちが犬だから…っていう先入観もあると思うのだ…けれど、犬だろうが人間であろうが、他者の心(靈)を観察してその低さを指摘しうるならば、それは、その観察対象の心(靈)より自分たちは“上”の心を持っているのだと知って欲しいのだイモワン。
さらに、自分たちより低い心(靈)で行動している観察対象を謙虚に観て遠慮がちにその心(靈)を判断すること自体も、アズキ君とセブンちゃんの心(靈)が育っている証明なのだイモワン。
犬Senyapooは、このことをアズキ君とセブンちゃんに伝えたかったのだイモワン」

アズキ 成犬 「…観察対象の心(靈)の低さを判別できたなら…判別できたこと事態が観察対象より“上”の心(靈)で観ている…そういうことなのですね。」
セブン 会話中 「そして私たちは犬という立場上、人間に対しての遠慮がある…これは、私たちが私たちの心(靈)を自分で観ていない…だからこそ犬だから人間だからって先入観があり…観察対象の心(靈)の低さ、その低さを判別しうる心(靈)の高さ、言うなれば心(靈)の“上”と“下”、これを判別しにくい…時には見誤ることがありうる…」
アズキ 成犬 「犬Senyapooさんの指摘は、僕たちにとってとても参考になります」
セブン 会話中 「そしてそれは、私たちは犬であっても高い心(靈)を持っていることを知ることが出来る、これもまた“自分を観察する自分の確立”の一側面である。
このことも解ります。
…今夜はわざわざおいでいただき、とても有意義なアドバイスをしていただいてありがとうございました」

犬Senyapoo 会話中 「どうやら犬Senyapooの役割は終わったようなのだイモワン。 
 アズキ君とセブンちゃんには、これからも犬M井さん、あるいはほかの心(靈)の方々と沢山会話していただき、どんどん認識(悟り、幸取=さとり)を高めていってもらいたいのだイモワン。
 それでは犬Senyapooは失礼するのだイモワン」

★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
 
Kelly 会話中 「…そうか。
観察対象の心(靈)の低さを認識しうるならそれは、その観察対象の心(靈)より高い心(靈)を持っている…そして低い心(靈)しかない霊的成長度ならば、他者の心(靈)を観察してもその高低は判別できない…。
これは“ブタのけつを見ているアホ”が“ブタのけつを見ているアホ”を観ても、低いと思わない、そう思えない、ってことでもあるんやな。
 このことを理解したアズキ君とセブンちゃんは、次回、犬M井さんとどんな話をするやろか…それを期待して、今回はこれくらいにしときまんねん」





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 Kelly & ○○○大先生

Author: Kelly & ○○○大先生
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Kellyさんと○○○大先生は、
このブログを書いている○○○の、
心(靈)の二面性であり、
同一人物で有る事を、
お断りしておきます。

出版の告知

四冊目&五冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈4〉
智性無き心は
悪を容認する


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈5〉
智性無き心は
アセンションを見誤る

 この二冊は、同時発売です。
太陽凝視を行っている鍼灸師の話 <4> 智性無き心は 悪を容認する & 太陽凝視を行っている鍼灸師の話 <5> 智性無き心は アセンションを見誤る サムネイル
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2010年 4月20日(火)ごろより、全国書店(紀伊國屋書店・三省堂書店・旭屋書店・ジュンク堂書店・ブックファースト・リブロ・丸善など)にて順次陳列。


発売中の三冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈3〉

神格化のプロセス
目上(めうえ)と目下(めした)


神格化のプロセス 目上と目下 縮小版 ブログ用
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発売中の二冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈2〉

ローム太霊の教え
日足(ひたり)と砌(みぎり)


サムネイル太陽凝視を行っている鍼灸師の話〈2〉ローム太霊の教え 日足(ひたり)と砌(みぎり) 
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お近くの書店にない場合は
たま出版のサイトでお買い求めください。

発売中の一冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈1〉

ローム太霊との出会い


太陽凝視を行っている鍼灸師の話〈1〉ローム太霊との出会い
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初めての方は、
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☆ Kellyさん的事象の観察と認識 (104)
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2005年10月1日~2008年1月15日まで、
“Kellyさんとの会話”で、説明して来た事・・・
その内容・・・それは・・・その何年も前から、
何か自分の考えをある程度公表しなければならない・・・
そう言う通信を受け・・・その理由は・・・地球人が低い心(靈)の発現しかしていない・・・
それを自覚していない人が多い。
その事由来の太陽凝視に対する認識、
(太陽凝視=不食・・・としか、認識させない存在の思惑を、受信している事)
霊的成長に対する認識、
神に対する認識、
心=靈に対する認識、
オーラに対する認識、
そして、
高い認識の上での進化の意味と幸福の概念と神の概念・・・
進化=霊的成長=神格化=(相対的に)高い認識を獲得する事・・・
霊的成長=神に近づく事=真の幸福の意味。
霊的成長度は1番目のオーラに顕れる。
よって、宇宙的プログラムにより次の段階に移行する人(日止、霊止)は、 何を考えるべきなのか・・・
そして、人(日止、霊止)の進化を阻む存在の思惑、
その心=靈の動き、それらの意図・・・それが一般に認知されていない事。
それらを伝えなければ成らない・・・そして一応・・・完結はしたのですが・・・
解り難い・・・理解しがたい・・・具体例を示して欲しい・・・そう言う感想も頂き、
そして自分なりにも説明が足らなかった事・・・
更に、
“Kellyさんとの会話”が完結してからも通信を受けている事・・・そう云う事もあり・・・
よって、このブログを立ち上げる事としました。
従って、
“Kellyさんとの会話”が、
自分の意見を述べる上での、ローム太霊の言葉、
“右往左往”(“いきり立つ心(奴と心)”で行動してから考える)・・・と、 するならば、 このブログはアタシ自身の、
“左往右往”(“思う、憂う”・・・体験を教訓として考え行動する)の、
作業になって行くと思います。


太陽凝視を行っている鍼灸師の話 “総括編”
太陽凝視を行っている鍼灸師の話 “改”
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自分達の欲望を満たしたい… 
自分だけ幸福になりたい…
こういった進化程度の低い心(靈)の発現由来の思いが、
低い幸福の概念になり(目下(めした)の思い)
その結果が、飢餓貧困、戦争の原因になったりしています。
(子供の浮游霊の霊的干渉の影響を受け、 それがどんどん増して行く事等が、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)
の思惑だと 思えます)

恨みの連鎖による霊的干渉を増やさない為、
その解消の為にも、(この趣旨に反する類の物もありますが) クリックをお願いします。
クリックした人に、お金の負担はありません。 ↓↓




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