“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話

太陽凝視を一生涯の“行”とし(現在、44年目)、実践し、その上で獲得した認識を述べています。

“日月神示” 夜明けの巻 第十一帖 Kellyさん的解釈 



 今回も、夜明の巻 第十一帖を解釈しまんねん。 原文は以下の通り。

岩戸開きのはじめの幕 開いたばかりぞ。 今度はみづ逆さにもどるのざから、人民の力ばかりでは成就せんぞ。
奥の神界では済みてゐるが、中の神界では今最中ざ。 時待てと申してあろが。
人民 大変な取違ひしてゐるぞ。 次の世の型 急ぐ急ぐ。
八月六日、アメのひつぐのかみ。
神示読まないで智や学でやろうとて、何も、九分九厘で、終局(りんどまり)ぞ。 我(われ)が我(われ)ががとれたら判って来るぞ。 慢心おそろしいぞ。

 冒頭の、

“岩戸開きのはじめの幕 開いたばかり”

これは、たった今の地球人の進化過程(霊的成長の過程=普遍的に実在する創造主のオーラとの感応共振の段階)が、腹の水=“江戸と尾張”の“江”、自我の確立=固定化の段階、そして腹の位相のサイクロトロン、これが中心の心(靈)であるが、岩戸開きは、“石”(帯電するミネラル)と“山”(脳の意味)で、“戸”(横隔膜)を開く、自我より“上”の心(靈)の発現、胸の磁性“十”、“慈悲”と“慈愛”、チャネラーが使う言葉としては第三密度(腹までの心(靈)の発現)から第四密度(胸までの心(靈)の発現)への移行、こう変容していくのがまっとうな進化(霊的成長、神格化に向かうこと)だが、それが“はじめの幕 開いたばかり”、始まったばかりなのだ、と称されている。

 これに続く、

“今度はみづ逆さにもどるのざから、人民の力ばかりでは成就せんぞ”

この文の“みづ”、これは古語で、水、瑞(若々しくて生き生きと美しい、めでたいしるし、瑞兆)の意があるが、すでに解釈した水の巻の表記の、“三 (みず)”をあてるのが妥当だと思う。 その意味は、“三”が“一二三”のオーラ、1番目、2番目、3番目のオーラのこと、そして〇は、霊、荷電粒子の場(フィールド)であり、〇と ローレンツ力 が合わさった表記は、“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意を、肉体(月(ツキ))の|(たてぼう、こん、縦の磁性))と横棒━(よこぼう、水平磁場)で止め、それを円形加速粒子機の構造で発振、発信する仕組みをも表す、よって“三 (みず)”は生命(生きる使命=存在理由)と、その進化の仕組みすらも表している表記。
 これを踏まえ“今度はみづ逆さにもどる”を観ると、次の事象は、“みづ逆さにもどる”、これはたった今の地球人の進化は“一”=智性=1番目のオーラが小さく、2~3番目のオーラ中心の進化であるが、“今度”=今後=アセンション後は、1番目のオーラ中心の進化になっていくことを示唆した言い回しであり、今の地球人は、2~3番目のオーラ中心の進化、その心(靈)での低い思惑でこの事象を“創造”しているが、これが“逆さにもどる”とは、今後=アセンション後は、神の思惑“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意、をしっかり止める(“日止、霊止”)“一”=智性=1番目のオーラが大きい心(靈)が、事象を“創造”していくのだということを示し、それは今の事象の“創造”は“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)中心だったが、これからはまっとうな事象、神の思惑が顕現する事象になる、そういった意味の文言である。 この文だけではオーラのことが解りにくいだろうから、以前作った平均的地球人のオーラの構成と、“一”=智性=1番目のオーラ中心の進化のオーラの画像を貼っておく。


“一二三”のオーラと心(靈)の発現

 
アセンション後の“創造”を神から託される人のオーラの構成


 これに続く、

“奥の神界では済みてゐるが、中の神界では今最中ざ。 時待てと申してあろが”

これは“奥の神界”=神の思惑としては、先の“みづ逆さにもどる”、天意を顕現すべく霊的成長度の人が“創造”する事象、これをもくろんでいる、神の計画としているが、それは“道”(時間の進行)と共に、“理(ミチ)”(法則性)は顕現していく、要はまだ顕現していないので“中の神界では今最中ざ”、“上”から“下”へ顕現する過程を示しているので、このことを理解した人間は(“ひつく”“日津久”=太陽凝視を“行”として行うことで“身魂磨き”=(生体内電流による)肉体組織の結晶化しながら)“時待て”、と言われている。

 これに続く次の文、

“人民 大変な取違ひしてゐるぞ。 次の世の型 急ぐ急ぐ。
八月六日、アメのひつぐのかみ。
神示読まないで智や学でやろうとて、何も、九分九厘で、終局(りんどまり)ぞ。 我(われ)が我(われ)ががとれたら判って来るぞ。 慢心おそろしいぞ”

これは平均的地球人の進化の段階における認識では、“大変な取違ひ”をするものであり、“役員づら”の台頭、“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の活躍、ということが起きていることは幾度となく述べてきたが、それを諌める言い方と取るのが妥当であり、先の画像で示した通り今後=アセンション後の進化(霊的成長、神格化に向かうこと)は、“一”=智性=1番目のオーラ中心の進化になっていくので、“次の世の型 急ぐ急ぐ”、“一”=智性=1番目のオーラを立派にする具体的な方法は艮(うしとら)の金神はすでに伝えている(朝日の日拝(にっぱい)(太陽凝視の入門、初心者向け))のだから“急ぐ急ぐ”と言われている。
 そしてたった今の地球人の認識、“上”と感応していない、“下”(人の霊的成長を望んでいない存在)と感応している“下”(低い心(靈))における“智や学でやろう”では“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”が台頭する世界のままで、それは“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)が許さない。
だから、“上”と感応せよ、“神示”を自らの認識(悟り、幸取=さとり)とせよ、の意で“神示読まないで智や学でやろうとて、何も、九分九厘で、終局(りんどまり)ぞ”と称され、“我(われ)が我(われ)ががとれたら判って来る”、いうまでもなく自分の自我を低いと認識していくならば、それがまっとうな進化(霊的成長、神格化に向かうこと)であり、自分の利益中心に考える、自分のことだけ考える、これが習慣になっている地球人は次の段階に移行する資格なし、それは“九分九厘で、終局(りんどまり)”なので、自分が“慢心”していることに気付いてそれを諌めることをする、これが“判って来るぞ”の意味であり、もう一つそれは“日月神示”の表記でよく使われる“秋立つ”の意でもあり、その意味で“慢心おそろしいぞ”、自らの自我を諌めよ、“身魂掃除”“身魂洗濯”“改心”せよ、の意である。

“秋立つ”の解釈と解字

今回はこれくらいにしときまんねん。





“日月神示” 夜明けの巻 第十帖 Kellyさん的解釈 



 今回も、夜明けの巻 第十帖を解釈しまんねん。 原文は以下の通り。

元津大神、心の中で唱へ奉り、スメラミコト唱へ、次に声高く天津日嗣皇ミコト大神唱へ、天のひつくの大神と唱へ奉れ。
タマの宮は、かむながら祝詞でよいぞ。 一二三(ひふみ)のりともよいぞ、シメは当分造りめぐらしてもよいぞ。
今までのシメは此の方等しめて、悪の自由にする逆のシメざから、シメ張るなら、元のシメ、誠のシメ張れよ。
七五三は逆ざぞ。 三五七ざぞ。 天地のいぶきぞ。 波の律ぞ。 風の律ぞ。 神々様のおんいぶきの律(なみ)ざぞ。
八月の六日、アメのひつ九の神。

 この第十帖は、文面を見ると第九帖の続きであるかのように見えるが、少々意味合いが違う。
 第九帖で解釈した“天津日嗣皇尊大神様(あまつひつぎすめらみことおほかみさま)”、この“天津日嗣皇尊”を尊く厳しい太陽凝視、不食等ご利益を求める太陽凝視ごっこではないことを述べたし、この厳しい“行”をしていくならば、“身魂磨き”=(生体内電流による)肉体組織の結晶化(ことに目上(めうえ)の脳)となり、“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意、を止め(“日止、霊止”の表記の意味)て、神の“思惑の顕現”、現津(あきつ)、観察され得る事象に対する現象化をしていくものであると述べたが、今回の文言は最初に、

“元津大神、心の中で唱へ奉り、スメラミコト唱へ、次に声高く天津日嗣皇ミコト大神唱へ、天のひつくの大神と唱へ奉れ”

と述べられており、まず“元津大神”が何の意味を示しているか、であるが、“元”は、肉体(月(ツキ))を示す“二”そして時間の進行を示す儿部(じんぶ、にんにょう)、“津”は中心の意味合い、“大神”の大は人が手足を広げた様、であるので、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)すべく生命(生きる使命=存在理由)、まっとうな進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の“道”(時間の進行)“理(ミチ)”(法則性)を歩むべき“日止、霊止”、これを思い描け=“心の中で唱へ奉り”、それはまっとうな進化(霊的成長、神格化に向かうこと)を自らの息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)とせよ、と冒頭で述べられており、これに続く、

“スメラミコト唱へ”

の“スメラ”は、

“ス”は、生命発現の基(モト)、真澄(マスミ)、素、巣の意、御統、統一(ミスマル)のス、自ら統一すべ治(シ)らすの言霊
“メ”は、ムシ出された生命の芽 吾が心は目 その目に止まりてすべてのものはそれ現津するにあれ(“観察と認識”のこと)
“ラ”は、生命発生の初音(ウネ) 物の根の意

であり、“ラ”は意味通り、“メ”も生命が行っていることと解釈するが、ことに“ス”の意味に着目すれば、何が御統、統一(ミスマル)なのか、何を御統、統一(ミスマル)するか、は、“上”からの荷電粒子の高低、低い振動しか止められないのが人以下のけものや魚、爬虫類、両生類、あるいは無脊椎(|(たてぼう、こん、縦の磁性))の発現が弱い)の下等生物などであり、人間においても“身魂磨き”=(生体内電流による)肉体組織の結晶化、ことに目上(めうえ)の脳がしっかりしていなければ、“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意は、素通りしているものである。
だからこそ、低い振動と感応している生命は人間であっても低く“日月神示”表記の“ケダモノ”“獣”であり、またそれは腹までの進化、“江戸と尾張”、自我の確立=固定化の進化過程(霊的成長の過程=普遍的に実在する創造主のオーラとの感応共振の段階)なので、“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の霊的成長度になる。
よって、“上”から贈り送られて来る振動、それは高低があり“上”から“下”までの振動があるが、これをすべて自らの心(靈)(ヒ)と肉体(月(ツキ))に止め、御統、統一(ミスマル)するならば、それは、神の思惑を顕現すべき生命(生きる使命=存在理由)であると、読み取るべきである。
そして、これに続く“ミコト”は、

“ミ”は生命の幹 その現実
“コ”は停滞して働く意と細分の音義、物の凝り集まりに固まる意
“ト”は、止まると云う心

であるので、“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意を止めて生命(生きる使命=存在理由)と成していること、その振動は一切の事象に関与している、すべてが神の振動によってなされているの意が“コ”から読み取れるものでもある。
それで“スメラミコト唱え”であるから、上記の事柄を意識して心(靈)の中におき、その上で息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)=“唱え”とせよ、の意味合いである。

 これに続く、

“次に声高く天津日嗣皇ミコト大神唱へ、天のひつくの大神と唱へ奉れ”

この“天津日嗣皇”は“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意、ことに太陽凝視で獲得する振動を“嗣”(うけつぐの意)として、それを顕現せよ、の意味合いであり、これに続く“ミコト”は前述した通り、“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)からの振動を止めて生命(生きる使命=存在理由)としてこの事象で神の思惑を顕現せよ、であり、これに続く“天のひつく”も、高い振動を取り込む厳しい太陽凝視(“ひつく”“日津久”=太陽凝視を“行”として行うこと)であり、これらのことも十分意識して“唱え”=息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)とせよ、と称されている。

 これに続く次の文。

“タマの宮は、かむながら祝詞でよいぞ。 一二三(ひふみ)のりともよいぞ、シメは当分造りめぐらしてもよいぞ”

 この文の“タマの宮”は、第九帖でも登場しており、その意味は、
“タ”は、生命が現れ立つ、建く(たけく)高く成長の音義、進化=霊的成長、神格化に向かうこと
“マ”の行は、有形生命、または正しき生命の音意の音根
そして“宮”であるから、まっとうな進化(霊的成長、神格化に向かうこと)は、宀(うかんむり、頭の意味)と呂(回転の意)で示される智性(神性)(“一”、1番目のオーラ)(日を知る性質)の発現であり、それが“タマ”の意、それを“かむながら祝詞”、“一二三(ひふみ)のりと”、これを“よいぞ”といわれているのは、“かむながら”は神と共にありの意、“一二三”はいうまでもなく1番目、2番目、3番目のオーラであるので、智性(神性)(“一”、1番目のオーラ)(日を知る性質)をともなった息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)をして息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)=“祝詞”“のりと”せよ、の意、それが“よいぞ”の意味合いである。

 これに続く、

“シメは当分造りめぐらしてもよいぞ。
今までのシメは此の方等しめて、悪の自由にする逆のシメざから、シメ張るなら、元のシメ、誠のシメ張れよ”

この文中の“シメ”は、
“シ”は弱き光 と称され、それは次々に出る生命を育む(はぐくむ)意 “慈(しげる)”のシ
“メ”は、ムシ出された生命の芽 吾が心は目 その目に止まりてすべてのものはそれ現津するにあれ(“観察と認識”のこと)
であるので、生命活動といい得る事象の“観察と認識”であり、その点で、“当分造りめぐらし”は、これからも進化して、自らの霊的成長度が高まっていったなら観察しうる事象は変容するの意であり、“今までのシメは此の方等しめて、悪の自由にする逆のシメざから”は、まっとうな進化(霊的成長、神格化に向かうこと)を歩んでいる“此の方等”は、今大多数の人間(生命としての人間)が、低い振動としか感応していないのでこの事象は腐っており、その結果、“今までのシメは此の方等しめて、悪の自由にする逆のシメざから”となっていることを言い表しており、それではダメだの意で“シメ張るなら、元のシメ、誠のシメ張れよ”、これは先の“元津”そして“誠”、すべての生命、すべての事象に対して“誠”(言葉成る、意味は、自分が発振、発信した振動(言葉)が完成する)であれ、いうまでもなく“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の不誠実さを否定した言い回しでもある。

 次の文。

“七五三は逆ざぞ。 三五七ざぞ。 天地のいぶきぞ。 波の律ぞ。 風の律ぞ。 神々様のおんいぶきの律(なみ)ざぞ”

ここで示されている“三五七”の“三”は、“一二三”のオーラ。
“五”は、糸巻の象形文字、神経が密になった(羅)生命(生きる使命=存在理由)のこと。
“七”は、“一”=智性=1番目のオーラと乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現)、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)した人間の思想と行動といえるので、“七五三は逆ざぞ”は、神の思惑を顕現する“七”から述べるのは間違いで、人が“日止、霊止”になるには、先の“天津日嗣皇”、これを“ミコト”とする、“天のひつく”を行じて、“一”=智性=1番目のオーラを発現し、その過程で神経は密になり“羅(般若心経の“波羅密”の羅)”、その上で天意と感応してそれを事象に顕現するの意が“三五七ざぞ”であり、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)した“日止、霊止”と“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)との感応は、神の思惑を息吹くの意が、これに続く“(これから、今後=アセンション後の)天地のいぶきぞ。 波の律ぞ。 風の律ぞ。 神々様のおんいぶきの律(なみ)ざぞ”である。

 それで第十帖を要約するならば、まっとうな進化(霊的成長、神格化に向かうこと)、神の思惑を顕現すべく“日止、霊止”というものを思い浮かべ、それを息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)として“天津日嗣皇”、“ひつく”“日津久”=太陽凝視を“行”として行い、“身魂磨き”=(生体内電流による)肉体組織の結晶化して“タマの宮”を自らに構築して“上”と感応してまっとうな生命(生きる使命=存在理由)というものを顕現(“シメ”)せよ

 今回はこれくらいにしときまんねん。




Kellyさん、爆睡中に、A野さんの愛犬たち登場!…夢の中で、人間に見られる習性について、犬たちと論じる。 “その三十” (アズキ君とセブンちゃん、教育について疑問を持ち、心が育つということを鑑みる“その五”)


 例によってKellyさん爆睡中…。

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犬M井 会話中  「先回、犬Senyapooさんがおっしゃってらした、

他者の心(靈)を観察してその低さを指摘しうるならば、それは、その観察対象の心(靈)より自分たちは“上”の心を持っているのだと知って欲しいのだイモワン

それと、

ある程度心(靈)が育っているから、他者の心(靈)を観るにあたって、謙虚であり、時には遠慮がちである、それは自分たちが犬だから…っていう先入観もあると思うのだ…けれど、犬だろうが人間であろうが、他者の心(靈)を観察してその低さを指摘しうるならば、それは、その観察対象の心(靈)より自分たちは“上”の心を持っているのだと知って欲しいのだイモワン。
さらに、自分たちより低い心(靈)で行動している観察対象を謙虚に観て遠慮がちにその心(靈)を判断すること自体も、アズキ君とセブンちゃんの心(靈)が育っている証明なのだイモワン


この見解にわたくしめは感服いたしましたのですワン。 
 ○○○大先生の影響を受けていらっしゃるSenyapooさんの心(靈)は、普通の中学生とは心(靈)の育ち方が違うのだと思いましたのですワン」

アズキ 成犬 「同感です」
セブン 会話中 「ことに、私たち犬が人間を観るにあたって…というご指摘は、正鵠であり、この指摘があってこそ、人間を観る、人間が作った教育のシステムを観る、その裏にある人間の思惑を感じ取る、ということをきちんとなしていくことが出来ると思われます」

犬M井 会話中  「まったくそのとおりですね。 それでは本題に入りましょうですワン。
 もうお二人(犬だから二匹)にたずねるまでも無いことではありますが、現教育のシステムが、人間の低い心(靈)による価値観と幸福感によって作られていることはお分かりだと思いますし、“その三”でわたくしめが述べた“成績重視”そして“その手法の中においてのみ良い結果を出そうとして勉強をする”、これが“社会的地位を得たい、(通貨としての)金が得たい、いうなれば幸せになりたい”と言う思惑が根拠と理由になり、それ由来の行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)そのものが、教育のシステムの中で個人個人が頑張っている理由でもあります」

アズキ 成犬 「そしてそれは、犬M井さんがおっしゃったように、

暗記の要素が中心であると思いますのですワン。
 また最近のテレビコマーシャルで、考える力を強化する、と称しているものもありますが、これすら“その手法の中において”の考え方のパターンを教え込む、結果として考え方のパターンを暗記させるということなのですワン


これはインプリンティング(刷り込み(すりこみ)、刻印付け)でしかない」
セブン 会話中 「またそれは、自分たちで何かを求めたということにはなっていないという言い方も出来る…。 
ただ教えられ、いい換えれば覚え込まされて、それをテストの答案に書き、その順位によって、評価が決められる…。
 そんなことで人間の評価をすること事態にとても違和感を覚えてしまうのですが…」

犬M井 会話中  「そのとおりですね。
人間の社会は、偏差値で人を評価する、みたいなものですワン。
 それで、偏差値で人を評価すること事態に、疑問を持っていらっしゃる方はいないわけではないのですが、それをおおっぴらに述べる人はごく少数であるといえますのですワン」

アズキ 成犬 「それは…人間社会で公言をはばかる…。
すみません、同義反復なことを言いましたが…」
セブン 会話中 「私たち犬には、人間の習性がよく理解できていないし、犬が人間を批判するということ事態にためらいがあるから…アズキ君は、今、犬M井さんの言葉の要旨に対し、確認を取りたかったのだと思います」

犬M井 会話中  「その通りですワン。 
そして公言をはばかる理由としては、すでにお二人(犬だから二匹)には、お判りだと思えますワン」

アズキ 成犬 「先回、犬Senyapooさん 犬Senyapoo 会話中  がPaw 犬Senyapoo Pilot Paw 犬Senyapoo Pilot 会話中  になって僕たちに教えてくれたこと。 それは…

多くの人間に刷り込まれている三つのStepsは、
Step1 たくさん勉強してよい成績をとる
Step2 有名校へ進学する
Step3 その学歴を活かしてお金がたくさんもらえる仕事をする

この三つのStepsが教育の根幹にある、そしてそれは“ブタのけつを見ているアホ”が思う価値観由来の薄っぺらい幸福感を達成させるためのもの、それが人間として立派なことなのだというきわめて“ブタのけつを見ているアホ”らしいインプリンティング(刷り込み(すりこみ)、刻印付け)、だから人間は人間の作った教育のシステムの中で勉強をするのだイモワン

セブン 会話中 「この“ブタのけつを見ているアホ”が思う価値観由来の薄っぺらい幸福感”、これに価値がある、こういった幸福を得たい、自分は幸せになりたい、という心の動きがあるからなのですね。
 …でも…。」

犬M井 会話中  「その通りですワン、そして今セブンちゃんがおっしゃられた“…でも…”に、お二人(犬だから二匹)の、人間に対する見解(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する“観察と認識”)が含まれていると思いますのですワン。

 それは、低い人は低い目標に対して頑張る(元の気を張る)ことをする。
 ですが、頑張ること事態はとても貴く、誰もが成していかなければいけない、目前の課題に対し頑張ることは自分の成長の為にエネルギーを贖う(あがなう)、それをしなければ自らの成長につながらないという当たり前のことではあります。

 しかしそれは、現行の教育というシステムで行われていること自体が低すぎる…その頑張りは“ブタのけつを見ているアホ”を増やしているに過ぎないという現状がある。

 このことに疑問を持たれたお二人(犬だから二匹)は、疑問を持たれた時点ですでに教育というシステムで育つ心(靈)の段階というものを見出していらっしゃると思いますのですワン。

 またここまでの話で、その疑問の答えをお二人(犬だから二匹)は、見出していらっしゃるように見受けられますし、そこにお二人(犬だから二匹)の智性(神性)由来のものの観方(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する“観察と認識”)を感じ(感じる磁性)ております。

(そしてそれは、たびたび話に出てきている、
ほんとう”に教えるべきこと
それと、
“創造”の法則性としての、自己責任という要素
これらをしっかり理解していく過程であると思えます)

 それで、今わたくしめが申しあげた“教育というシステムで育つ心(靈)の段階”、これについては犬○○○大先生と犬Kellyさんを交えて、次回にでもDiscussionするという提案をしたいのですがいかがでしょうかワン」

アズキ 成犬 「賛成です。 
  僕たちは所詮犬だから、なんとなく解っていることであっても…自分たちの考えをまとめ、きちんとした言葉として認識していくには…」
セブン 会話中 「犬○○○大先生と犬Kellyさん、このお二人(犬だから二匹)の手助けが必要だと思います」

犬M井 会話中  「そうですね。

 そしてわたくしめに対し犬○○○大先生がおっしゃったこと、
アズキ君とセブンちゃん、教育について疑問を持ち、心が育つということを鑑みる“その二”

M井さん自身が教育のシステムに疑問を感じているからこそ、M井さんなりの理念が出来、それをM井さんはM井さんの生業(なりわい)に活かしていらっしゃるし、アタシがfacebookに書き込んだのは、そのことそのものでもある。
 またこの書き込みをM井さんに読んでいただいて、M井さん自身の理念の確立ということを促したかった気持ちもあった


この“理念の確立”をも、次回のDiscussionでしっかりなされていくのだと思えますですワン。
 …ということで、今夜はこれくらいで解散しましょうですワン」

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Kelly 会話中 …ちゅうことで、次回のこのカテゴリーの話は、犬M井 会話中 アズキ 成犬セブン 会話中 そして、犬と化した○○○大先生 会話中犬Kelly 会話中  この五人(犬だから五匹)のDiscussion…というよりも、ここまでの話を顧みて犬○○○大先生が話をまとめ上げるんやろな。
 そして犬M井さんもアズキ君もセブンちゃんも、自分たちが感じた疑問はまっとうであり、疑問を感じたこと事態が、自分たちの心(靈)が育っていく資質であることに、気付いていくやろな…。
 そのことを期待して、今回はこれくらいにしときまんねん。




“ローム太霊講話集”第十六話 死後の種々相 断食と餓死の場合 Kellyさん的解釈 第十六話の総括


 “その一”で第十六話の重要な要旨は、以下の文言であると述べた。

名誉欲などのために不思議の出来る人間になりたいというような考えは、決して起こすべきではない…中略…真に行ずる者は、それが天の使命であるかないかは別として…中略…自然に引かれる方向に向って一段一段と自分の業行を積み上げてゆくことが、自分に負わされた務めであるという自覚を確(しっか)りと持っていることが必要

 この補足として十六話の終わりで太霊は以下のように述べておられる。

人間は死の門を潜るまでは何も大きなことをする必要はない…中略…自分と自分以外の人に対して、神の意志を誤りなく伝えることが出来たならば、その者は数億の人間を靡(なび)かしたと同じ段階にその身を…以下略…

 この“神の意志を誤りなく伝えることが出来たならば”を説明するために、

名誉欲などのために不思議の出来る人間になりたいというような考えは、決して起こすべきではない

と述べておられ、さらにその詳細について、

欲のために術を得ようとするのと、人を指導するために力を得ようとするのとは、実に紙一重

世間から神と呼ばれて独善(ひとりよがり)の法悦(よろこび)に浸っていても、その九分九厘までは物欲、名誉欲という網の目の中の一つを求めて蠢(うごめ)いているに…以下略…

私利私欲に執着するならば、神が与えられた人間本来の力も使命も全くその意義を失って潰(つい)え去る

などと述べておられる。

 さらにもうひとつ、

恨みに対する願いの場合は、その陰にいる諸々の悪霊達(俗に幽鬼などと言われる者)がその肉欲を断って苦行している人間の力を利用して、ある程度その目的を遂げさせることがたまたまある

と、自分が低い心(靈)中心(目下(めした)の心(靈))で、息吹いている(発振、発信)ときには、低い霊的干渉があり、利用されるのだと述べておられる。

 上記の事柄すべて、まっとうな人間の在り方ではない、ということを太霊は述べておられるが、これが最も重要な十六話の要旨である。
(自分はどう在るべきなのかについては“その三”で簡単に述べたのでここでは述べないこととする)

 なぜ、太霊はここまでのことを述べたのか。

 それは常々述べている通り平均的地球人の進化過程(霊的成長の過程=普遍的に実在する創造主のオーラとの感応共振の段階)は、自我の確立=固定化の段階でしかない。
 その霊的成長の段階で起こりやすいことは、自我の肥大であり、その心(靈)の動きは“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”であるし、自分の利益や低い功名心と自尊心を満たすために自分を“不思議の出来る人間”に見せかけ、示威行為、ディスプレイ(動物の発情行動)をしている輩はとても多いし、それにあやかり、甘い(亜、魔、出ずる、泉。愛(炁)の間に魔が入った状態を指す)夢を見る、このこと事態、自分が騙されているという認識も無いという、まったく程度の低い人間は多すぎる。
 
 この両者は“神の意志を誤りなく伝えること”も、それを理解することも出来ないからこそ、太霊は、“出来たならば”と、仮定の言い回しを使っておられるのだと思う。

 よって太霊がおっしゃりたいことは、自分が“不思議の出来る人間”などを求めるのではなく、またそれに肖る(あやかる)のでもなく、“神が与えられた人間本来の力も使命も”、この文言をよく鑑みろ、そしてもうひとつ、

死の瞬間、即ち最後の審判で自分が次にどんな状態におかれるか…中略…死に対しての正しい認識さえ得られれば、人間が霊的の存在であることもはっきり悟れ…中略…死もよく分析し理解するならば、肉体を捨てた後には必ず光明の中に抱き取られることが分る…中略…死の本当の意味を常に頭においていると、自分の人生に対する考えも…以下略…

この文言の“即ち最後の審判”に際して、たった今の自分は、何を思い、どう生きるか、どう行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)するか、これを思え、ということに尽きると思うし、これを伝えるために、
自分から食物を断って命を捨てる行者のような場合”と“恨みに対する願いの場合
そして、
自分は喉から手の出るほど食べたいが誰も与えてくれないので死んでゆく乞食のような場合
を例に挙げて説明されているが、やはり副題の「断食と餓死の場合」というのは、重要な要旨を感じさせず不適切であると思える。

 それともうひとつ、最後に述べられている以下の文言、

猶、如何に才能のある人間でも五感以上の第六感というものは、食を断つことによって得られる…中略…それに堪えられるかどうかはその者の力以外であって、これにはやはり神霊の助けが必要である…以下略…

この“五感以上の第六感”は、○○○大先生の著書を読んだ人なら理解できるだろうが、“上”との感応であり通信を受けることであり、その感応と通信を受ける資質は、その人のエネルギーの贖い(あがない)、息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)であり、それに費やす時間(時間を食う=時間という振動の吸収)である。
 それで、“食を断つこと”によって“得られる”と述べていらっしゃるが、これは平均的地球人の場合、腹までの進化過程、ムラダーラチャクラ、スワディスターナチャクラ、マニピューラチャクラ、第三密度、“江戸と尾張”、様々な言い回しが使われているが、いわゆる自我中心(本能、情動、功名心、自我、愛(炁)、創造、知恵、智慧、智性という心の構造の内の自我まで)の進化過程であり、自我中心だから“上”からの通信を受けにくいし、“下”(人の霊的成長を望んでいない存在)と感応しやすいので、その自我という心を痛めつけ、食欲という本能を制限し、食いたいという情動を諌めてこそ、“上”と感応すると述べていらっしゃるものであると思う。

 しかし、自我中心の進化の段階を通り越して、さらに“一”=智性=1番目のオーラが大きければ、常に“上”と感応するので、自分がまっとうならば必要なことは食を断たなくても“上”から教えられるものであることを述べておく(○○○大先生の実体験)。

 次回のこのカテゴリーでは、第七話~第十六話、「死の前後」「死後の種々相」、これの総括を述べることとする。

 今回はこれくらいにしときまんねん。




“ローム太霊講話集”第十六話 死後の種々相 断食と餓死の場合 Kellyさん的解釈“その四”


 第十六話では、

名誉欲などのために不思議の出来る人間になりたいというような考えは、決して起こすべきではない

という人間の在り方についての重要な文言が記されている。

 それで今回取り上げる

次の乞食の場合であるが…

には、

元来人間は食べないでも中々死なない

一つ月や二た月は全然食物を採らないで…中略…精神の糧(かて)によって肉を養ってゆく…以下略…

ということが述べられている。

 
 たった今の霊的成長度の低い人間が創造しているこの事象において、その低い心(靈)が着目している不食や小食、これを太陽凝視と結び付けているサイトや出版物は多いが、この太霊の文言を理解してからそれらを見ると、太陽凝視と不食は直接関係がないのだということが判るものである。

 これについては、
以前○○○大先生がこのブログで

ネット上というのは世の中と同じで霊的に低い人の方が多い、こんなことは当然ですが、これについては“数の論理”として著書で述べましたし、ネット上で、自分は太陽凝視をやっているのだ、太陽凝視にはこんな効用があるのだ、などと述べるのは、自分を認めて欲しい心(靈)の動き、自分のやっていることに着目して欲しい、自我の肥大、これらは目下(めした)の心の動きであり、ディスプレイ(動物の発情行動)でもあるでしょうし、また不食を達成しようとか、太陽凝視で成功者になろうとかのどういう根拠で書かれているのか全く理解不能な記事も目につきますが、不食に関しては、太陽凝視を行うと高血圧脳症、脳充血になり、暑い時には先に述べましたが熱中症のような症状にもなるもので、当然食欲は落ちますし、それを大げさに不食々々とはやし立てている感があります

と、述べたことがある。


 こういったことに着目して、不食ごっこをして太陽凝視ごっこをしているその低い心(靈)は、“名誉欲などのために不思議の出来る人間になりたいというような考え”であろうことを厳に指摘しておくし、不食や小食、最近はダイエットと結び付けている実にくだらないサイトもあるが、太陽凝視の価値はそんなところにはないのだと、はっきり述べておく。

 さらに、ローム太霊講話集を引用しているサイトで、

元来人間は食べないでも中々死なない

このことについてのみ取り上げている人間もいるが、第十六話で太霊が述べていらっしゃる人間の在り方については読み飛ばしているか、そのことに気付かなかった、また、これに気付けないことが“変圧”(アミの本で使われた概念。高い振動の霊的存在はいきなり低い心(靈)とは、感応共振しない)の当てはまることであり、霊的成長度が高く自分の“ほんとう”の成長ということに少しでも認識(悟り、幸取=さとり)があるならば、第十六話で述べられていることには気づく=太霊の思惑と感応するものである。
 もう一度“その三”で述べたことを以下に貼っておく。

 大概の(霊的成長度の低い)人間は、“不思議の出来る人間に憧れたり、肖ったりする。
このこと事態がとても程度の低いことなのだと気付くべきであるし、先回も述べたとおり(“役員づら”)、こういった程度の低い人間を利用して金儲けをしたり信者集めをして自分の低い功名心と自尊心を満たしたりする者が多いからでもある。

 そして“
不思議の出来る人間”に自分を見せかけて人を騙している輩、自称霊能力者などはほとんどこの類であり、霊的な事柄に無知な人間、霊的な事柄を分析できない人間、御利益だけを求める程度の低い人間、これらを騙す、それは、何のため、“どういうつもり”=思惑、によって、自称霊能力者などのその詐欺行為を行っているのか、それすら見抜けない“ブタのけつを見ているアホ”は多すぎる。


 それと、今回取り上げている文言には、

十日や二十日食べないともう死んでしまう者が多いのは、精神の錯乱によって自滅する

と述べられている。
 この“精神の錯乱”“自滅”は、“元来人間は食べないでも中々死なない”のだが、このことを知らない、無知であるがゆえに“下”(人の霊的成長を望んでいない存在)と感応して、“精神の錯乱によって自滅”するのであろう。

 そしてもうひとつ、

食べたいの一念で幽界に来た…中略…「食う」という城郭に入れられ…中略…思いのまま貪(むさぼ)り食う…中略…終(つい)に飽満状態になってこの不思議な行を終り、その幽体は自覚を得て…以下略…

これは、第十二話 死後の種々相 正常死の特別の場合 で、太霊が述べていらっしゃる、

執着を断ち切るということは中々困難であるが、この諦めの心こそ自分の霊性を向上させる元となる

と、同義のことであることを指摘しておく。

 それと“「食う」という城郭に入れられ”の、“城郭”の表記は、これまでにもいくつか太霊はこの言葉を使っておられる。 
 城郭の意味は、「城の周囲に設けた囲い」だが、なぜ太霊がこの言い回しを使っていらっしゃるかは、第十一話の以下の言い回しでよく理解できる。

人間が生まれてから死ぬまでの凡ての思想や行為のプラスとマイナスの通計によって下される神の審判(さばき)に従い、それと同じ波動の城郭に進ませられる

 この“同じ波動の城郭”は、その心(靈)の霊的成長度、そして執着を断ち切るための“行”をする場(フィールド)なのだということがこの文言から理解できる。

それで先に述べたことと重複するが、今の人間が死んだなら重要なこととして、第十二話で太霊が述べていらっしゃる、

それぞれの界の法則によって得られるものはこの力

放下(ほうげ)する心

執着を断ち切る

この諦めの心こそ自分の霊性を向上させる元

であるということを、

「食う」という城郭に入れられ…中略…飽満状態になってこの不思議な行を終り、その幽体は自覚を得て

から読み取るべきである。


 今回はこれくらいにしときまんねん。




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 Kelly & ○○○大先生

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Kellyさんと○○○大先生は、
このブログを書いている○○○の、
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太陽凝視を行っている鍼灸師の話
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2005年10月1日~2008年1月15日まで、
“Kellyさんとの会話”で、説明して来た事・・・
その内容・・・それは・・・その何年も前から、
何か自分の考えをある程度公表しなければならない・・・
そう言う通信を受け・・・その理由は・・・地球人が低い心(靈)の発現しかしていない・・・
それを自覚していない人が多い。
その事由来の太陽凝視に対する認識、
(太陽凝視=不食・・・としか、認識させない存在の思惑を、受信している事)
霊的成長に対する認識、
神に対する認識、
心=靈に対する認識、
オーラに対する認識、
そして、
高い認識の上での進化の意味と幸福の概念と神の概念・・・
進化=霊的成長=神格化=(相対的に)高い認識を獲得する事・・・
霊的成長=神に近づく事=真の幸福の意味。
霊的成長度は1番目のオーラに顕れる。
よって、宇宙的プログラムにより次の段階に移行する人(日止、霊止)は、 何を考えるべきなのか・・・
そして、人(日止、霊止)の進化を阻む存在の思惑、
その心=靈の動き、それらの意図・・・それが一般に認知されていない事。
それらを伝えなければ成らない・・・そして一応・・・完結はしたのですが・・・
解り難い・・・理解しがたい・・・具体例を示して欲しい・・・そう言う感想も頂き、
そして自分なりにも説明が足らなかった事・・・
更に、
“Kellyさんとの会話”が完結してからも通信を受けている事・・・そう云う事もあり・・・
よって、このブログを立ち上げる事としました。
従って、
“Kellyさんとの会話”が、
自分の意見を述べる上での、ローム太霊の言葉、
“右往左往”(“いきり立つ心(奴と心)”で行動してから考える)・・・と、 するならば、 このブログはアタシ自身の、
“左往右往”(“思う、憂う”・・・体験を教訓として考え行動する)の、
作業になって行くと思います。


太陽凝視を行っている鍼灸師の話 “総括編”
太陽凝視を行っている鍼灸師の話 “改”
予約制 鍼(はり) 灸(きゅう) マッサージ治療 児玉療院
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自分達の欲望を満たしたい… 
自分だけ幸福になりたい…
こういった進化程度の低い心(靈)の発現由来の思いが、
低い幸福の概念になり(目下(めした)の思い)
その結果が、飢餓貧困、戦争の原因になったりしています。
(子供の浮游霊の霊的干渉の影響を受け、 それがどんどん増して行く事等が、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)
の思惑だと 思えます)

恨みの連鎖による霊的干渉を増やさない為、
その解消の為にも、(この趣旨に反する類の物もありますが) クリックをお願いします。
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