“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話

太陽凝視を一生涯の“行”とし(現在、44年目)、実践し、その上で獲得した認識を述べています。

紫光会経文の文言 Kellyさん的解釈 三光道萬壽壽経文 第一巻より“その五”



 今回取り上げるのは三光道萬壽壽経文の 友愛母神 月明日發 閃光光明 彩瑳玉善 無盡自悟 従容陽樂 までとする。

 まず、友愛母神 月明日發 閃光光明 これは 太陽=日、その発振、発信=發、そして太陽は日足(ひたり)の極性、月の明かりは、砌(みぎり)の極性(事象への顕現)、これを指しており、これとほぼ同義なのが四空経録の日心月物でもある。 この文言は友愛母神と、閃光光明、にもかかり、太陽と月の振動は“上”からの振動であり、その思惑は友愛であり母神であるし、その振動は高い振動、短い波長と高振動数であるから閃光のようである、そしてそれは自分の生き方を悟っていく振動であるので、光明でもあるの意。ちなみに 閃光光明 この文言中の二つの光は、々でつながっていないので、別々の意であると判断した。
 
 これに続く 彩瑳玉善 これは“玉(ぎょく)”が結晶化の意、善は、神格化の方向性を指し示す心(靈)の中の指標、これを行使して外側(外国と幽界)の事象に顕現することが人間の在り方でもあるが、これを彩(いろどり)よく、瑳、これは、みがく、の意であり、玉と善を“上”から観て彩と瑳、彩りよく磨け、の意である。

 これに続く 無盡自悟 これは、自分を悟る、自分の存在意義を解っていく、これそのものが霊的成長に沿っていることであるし、自分の存在の意義を知ること事態が霊的成長でもある、その悟り、認識(悟り、幸取=さとり)の獲得、それは無盡であるの意、無盡は尽きることがないの意。

 これに続く 従容陽樂 これは陽、太陽の陽、“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意、これを受け入れる=容、これに従うならば(これに従うこと事態が進化(霊的成長、神格化に向かうこと)であるが)、それは“ほんとう”の樂(楽)“その四”で解釈を述べた 来樂個々 この樂と同義である。

 今回はこれくらいにしときまんねん。



紫光会経文の文言 Kellyさん的解釈 三光道萬壽壽経文 第一巻より“その四”



 今回取り上げるのは三光道萬壽壽経文の 常陽無盡 白砂平等 行目金扉 来樂個々 眞容白扇 常々非無 三振一握 までとする。

 まず、常陽無盡 白砂平等 これは“その二”で解釈した 砂平衰峻(高く険しい日足と砌(ひたりとみぎり)の極性の偏りはない) 平盡漠照(“上”からの振動は、陰影なく、一面の砂漠に降り注ぐ太陽のように一様に照る) と同様に、常に“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意=陽、太陽の陽は、つきることなく=無盡、であり、その振動を受け止め溜める場(フィールド)が、日足と砌(ひたりとみぎり)の極性に偏りが無ければ=平等、白く輝く砂のように見えるの意である。

 これに続く 行目金扉 来樂個々 冒頭の行は進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の為の“行”と生業(なりわい)を含んでおり、その目的は価値のあることだから、霊的成長、神格化に向かうこと、が生命にとって最も価値のあることだからこそ、金の扉と称され、それを為していくならば、個々の心(靈)には、真の樂(楽の旧字)、それは目先の喜びでもなく快楽でもなく物欲でもなく、自分が神の子であることを認識したうえでの喜び、これについてはローム太霊講話集の第二十二話、
苦に苦を重ねるということも、それが現在より更に安楽になるための修行
この文言の意味合いが解りやすい。

 これに続く 眞容白扇 眞(まこと)、進化における真実=真固止、本当とか本物とか偽物とかの意味ではなく、霊的成長して神の思惑を自分の認識としていくならば外側(外国と幽界)の事象にも内面とか内側(心の中と感じている事)にも、“ほんとう”のことしか求めないようになり、人を欺く、騙す、など、外側(外国と幽界)の事象に対するこういった行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)を自分に許さない、また内面とか内側(心の中と感じている事)においても、自分がどう在るべきか真摯に鑑みて、自分に不正を許さない、これが太霊がローム太霊講話集で述べていらっしゃる“真の人間”(まことのにんげん)の一側面でもあるが、その意を指しており、それを受け入れる=容、これは、いれる、許容する、の意味合い。 そして、白扇、これは何も書いていない白い扇の意だが、古くは贈答の品として使われ儀礼などで使われたが、これが“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)から贈られる、それは先の、眞、これを容、とするならば、の意味合いである。

 これに続く 常々非無 これは先の 常陽無盡 白砂平等 にかかり、“上”からの振動は無に非ず(あらず)、それは休まず常に“上”から降り注ぐの意。

 これに続く 三振一握 三振は、右往左往と左往右往、自らの心(靈)の動きと行動、そして日足と砌(ひたりとみぎり)の極性、この三つの行使で得る認識(悟り、幸取=さとり)、これは自らと日足と砌(ひたりとみぎり)=三に対して、認識(悟り、幸取=さとり)は一と称され、またこの一は、“一”=智性=1番目のオーラの意である。

今回はこれくらいにしときまんねん。



紫光会経文の文言 Kellyさん的解釈 三光道萬壽壽経文 第一巻より“その三”



 今回取り上げるのは三光道萬壽壽経文の 黄駄理利 無盡赤心 一點せき 三光道萬壽壽経文 小  (せき) までとする。

 まず 黄駄理利 この黄は、軍荼利明王、荼枳尼真天の“荼”、いわゆる腹以下のオーラ、腹で発現する心(靈)の動きの息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)、心(靈)の動きとしては、肝の“いきり立つ心(奴と心)”、脾の“思う、憂う”である。 それで黄駄というのは、駄が、価値の低い何か(駄作、無駄)、あるいは荷物を載せる意(駄馬、荷駄)あるいは履物(下駄、雪駄)の意があり、この黄で示された心(靈)の動きは進化の段階としては“上”から観たら神格化には程遠いのだが、それに乗り、それを下にして時間の進行を歩むならば、理、これはことわり、法則性、ローム太霊講話集での“法(のり)”、進化に伴う絶対の法則性、それを認識したら考えることが出来る自分の在り方、自分の存在の意義、それを得る=利、利得の利、という意味合いである。

 これに続く 無盡赤心 この無盡は、絶え間ない、尽きない、尽きるところがない、の意があり 赤心 は、一番低い心(靈)の動き、波長の長い赤い光、赤いオーラ、この赤いオーラが肉体の磁性により上に引き上げられ(進化(霊的成長、神格化に向かうこと)を果たし)て、赤が、橙 黄 緑 青 藍 紫 そして銀 金 さらにクンダリーニの白光(シンクロトロン放射)となるが、この文言は、赤心自体は、存在ある限り、生きていても死んでいてもという意味合いだがが、それは尽きることがない、の意である。

 これに続く
 一點泉
せき 三光道萬壽壽経文 小  (せき) 
この
せき 三光道萬壽壽経文 小  (せき)、

せき 三光道萬壽壽経文 小 

この字に関しては○○○大先生の読者会のメンバーのお二人、中国語に堪能な方と書道に詳しい方におたずねして分ったこととして、(氵)さんずいと四、辰、そして四の下の字は辰の書写体、これで構成された字そのものが日本にも中国にも無いようである(お二人にはご助力に感謝です)。 
 それでこの字の解釈としては、浱と四、こう見做すこととし、浱は、水辺、あるいは水辺の岸、の意、四は発振、発信、息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)と解し、一點は、點は点の旧字だが、小さな黒いしるし、区切りなどにつけるもの、つける、ともす、場所や位置を示す、の意があり、泉は先の と併せて、水辺に泉のように、四=発振、発信している様、その場所、そしてそれは特定の振動、さきの黄と駄、いわゆる腹の水、“日月神示”表記なら“江戸と尾張”の“江”、心(靈)の進化過程(霊的成長の過程=普遍的に実在する創造主のオーラとの感応共振の段階)としては、自我の確立=固定化の段階、そして腹の位相のサイクロトロン、さらにこれは自分が観察している事象に対し実際に行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)を起こす心(靈)の動き、さらにそれは先の赤心、が引きあがったものであり、それは泉のように一點、これは一か所の意であるし、自らが“観察と認識”する事象に対し、行動を起こしていく心(靈)の動きが、今回取り上げた文言である。

今回はこれくらいにしときまんねん。



紫光会経文の文言 Kellyさん的解釈 三光道萬壽壽経文 第一巻より“その二”



 今回取り上げるのは 三光道萬壽壽経文の 振動水平 秒魔堆散 根元兩翼 天辺良地 砂平衰峻 平盡漠照 までとする。

 まず、振動水平 これは先回の 水域模索 にかかり、人生においての右往左往と左往右往、これをこなしていきながら“神の咎め”と“神の采配”を認識していき、心(靈)が育っていくならば善(“善(神格化の方向性と智性の受信)”)い形の“力”(力、知恵、知識…学問…能力、そして霊能力を含む)の顕現をするのだが、その際の心(靈)の動き=息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)は、善い形の“思惑の顕現”=現象化そのものが、日足と砌(ひたりとみぎり)の調和、和合、と言いうる、それは日足(ひたり)の極性だけ強いならば思うだけで実行に移せず、砌(みぎり)の極性だけ強いならば考えなしで行動するみたいなもので、その両方の極性があいまった形を、息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)=振動、極性の偏りがないことを水平と称されている。
 
 次の 秒魔堆散 これは、日足と砌(ひたりとみぎり)の極性の偏りが心(靈)の動きみたいなものだが、それに感応する魔、一瞬の心の隙、秒 を狙って悪霊は入り込もうとする、その心(靈)を支配しようとするものだが、先の 振動水平 ならば、その魔は、近づけない=感応しないので、堆 これは堆積の堆で、字の意味は、高くつみあげてある、うずたかい、うずたかくなっているもの、であり、そう称されている一瞬の心(靈)の隙を狙って感応してうずたかく積みあがったかのような魔は、散ってしまうのだ、の意である。
 
 次の 根元兩翼 この両翼は、人生において、その時間の進行とともに“神の咎め”と“神の采配”を認識しながら心(靈)が育って日足と砌(ひたりとみぎり)の極性を悟っていくことを指しており、この極性が一切の事象、外側(外国と幽界)の事象にも内面とか内側(心の中と感じている事)にもあり、それが又、一切の根元なのだ、の意。
 
 次の 天辺良地 天は“上”の意、心はいつどんな時でも“上”を求め“上”を目指し、時間を歩んで、“上”の事象、良い形の地を求め、顕現しようとしている。 またこれが進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の一側面でもある。

 これに続く 砂平衰峻 これは、天辺良地 には日足と砌(ひたりとみぎり)の極性の偏りがないので、峻 これは、山などが高く険しい、高く険しい場所、あるいは心(靈)の動きとして 態度などが厳格、の意があるが、これが平らになる、それは人生において心(靈)が育つならば、高く険しい日足と砌(ひたりとみぎり)の極性の偏りはなくなる、また他者にだけ厳しい、という態度もなくなる、それを衰峻と称され、心(靈)の動きが砂地のように平らになるの意。

 これに続く 平盡漠照 心(靈)が育ち 砂平衰峻 となったなら、先の平ら、と、盡、これは、つきる、なくなる、つくす、きわめる、ことごとく、全部、すべて、の意があるが、そこに“上”からの振動は、陰影なく、一面の砂漠に降り注ぐ太陽のように一様に照る、“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意、この一切を受け、止める、溜める、の意味合いを感じさせる表記が先の 天辺良地 であり、砂平衰峻 平盡漠照 は、その良地=日足(ひたり)と砌(みぎり)の極性の偏りのない事象の顕現、これを説明している文言である。

今回はこれくらいにしときまんねん。



紫光会経文の文言 Kellyさん的解釈 三光道萬壽壽経文 第一巻より“その一”


 今回からS会=紫光会の経文、三光道萬壽壽経文(さんこうどうますずきょうもん)の解釈を行うこととする。
まず、第一巻の 無音東辺 陸々陵々 洋碧左舷 赤壁右現 雲運龍昇 水域模索 
ここまでの解釈を行う。

 さて、今回取り上げる文言は、船の進みゆくさま、これを人生における時間の進行、そして時間の進行に伴う心(靈)の進化(霊的成長、神格化に向かうこと)ということを謳っている感がある。 そう思う根拠としては今回取り上げる文言中に、洋碧左舷 という文言があるからである。

 これを踏まえて冒頭の 無音東辺 これは何も無いかのような穏やかな(無音)東のあたり(辺)への進行、東は太陽が昇る日の出の方角であり、これは進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の方向性を指すものと解する。

 次の 陸々陵々 これは進行方向=時間の進行とともに“観察と認識”しうる事象のことを陸々と称され、陵々の陵は、天皇や皇后の墓所の意があるので、霊的成長したうえでの貴い事象と解する。

 次の 洋碧左舷 赤壁右現 これは左の船べり(左舷)にはふかく青い(碧)海原、右には赤い壁が現われると称されているが、碧は短い波長で赤は長い波長なので、“上”と“下”、“上”(碧)が下す霊的成長のための現実においての試練(赤壁)と解し、この事象においての試練を受け止め進みゆくならば、神の極性である日足と砌(ひたりとみぎり)、それはまた、思惑と顕現、精神性と現実、心と物質、ということを深く認識していく。要約すれば、心が時間の進行を感じながら事象の“観察と認識”をしていくならば、この二つの極性を感じ、神の極性、一切の事象の極性というものを認識(悟り、幸取=さとり)としていくと解する。

 次の 雲運龍昇 雲のように湧き立つ運というのは、人生の時間の進行における不運=“神の咎め”、そして自分が努力した、苦心した、その結果得られる幸運=“神の采配”による認識(悟り、幸取=さとり)の獲得、これを 雲運 と称し、それはまたローム太霊講話集で解釈した“法(のり)”、進化における絶対の法則性、これを生きている間の時間の進行において獲得し自分の認識として、龍
(この字は月に立つ、月に昇る、という意味合いで月は砌(みぎり)の極性(事象への顕現)である)
のごとく昇れ=霊的成長を果たして行けよ、と解する。

 次の 水域模索 これは船が進みゆく(水域)=人生において、目の前の事象の“神の咎め”と“神の采配”を認識しうる過程、いわゆる右往左往=やってみてから失敗を体験し、左往右往=失敗を体験し、それを教訓として“力”の顕現(砌(みぎり)の行)をする、これを認識する過程=模索ということである。
 
今回はこれくらいにしときまんねん。



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 Kelly & ○○○大先生

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太陽凝視を行っている鍼灸師の話
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2005年10月1日~2008年1月15日まで、
“Kellyさんとの会話”で、説明して来た事・・・
その内容・・・それは・・・その何年も前から、
何か自分の考えをある程度公表しなければならない・・・
そう言う通信を受け・・・その理由は・・・地球人が低い心(靈)の発現しかしていない・・・
それを自覚していない人が多い。
その事由来の太陽凝視に対する認識、
(太陽凝視=不食・・・としか、認識させない存在の思惑を、受信している事)
霊的成長に対する認識、
神に対する認識、
心=靈に対する認識、
オーラに対する認識、
そして、
高い認識の上での進化の意味と幸福の概念と神の概念・・・
進化=霊的成長=神格化=(相対的に)高い認識を獲得する事・・・
霊的成長=神に近づく事=真の幸福の意味。
霊的成長度は1番目のオーラに顕れる。
よって、宇宙的プログラムにより次の段階に移行する人(日止、霊止)は、 何を考えるべきなのか・・・
そして、人(日止、霊止)の進化を阻む存在の思惑、
その心=靈の動き、それらの意図・・・それが一般に認知されていない事。
それらを伝えなければ成らない・・・そして一応・・・完結はしたのですが・・・
解り難い・・・理解しがたい・・・具体例を示して欲しい・・・そう言う感想も頂き、
そして自分なりにも説明が足らなかった事・・・
更に、
“Kellyさんとの会話”が完結してからも通信を受けている事・・・そう云う事もあり・・・
よって、このブログを立ち上げる事としました。
従って、
“Kellyさんとの会話”が、
自分の意見を述べる上での、ローム太霊の言葉、
“右往左往”(“いきり立つ心(奴と心)”で行動してから考える)・・・と、 するならば、 このブログはアタシ自身の、
“左往右往”(“思う、憂う”・・・体験を教訓として考え行動する)の、
作業になって行くと思います。


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自分達の欲望を満たしたい… 
自分だけ幸福になりたい…
こういった進化程度の低い心(靈)の発現由来の思いが、
低い幸福の概念になり(目下(めした)の思い)
その結果が、飢餓貧困、戦争の原因になったりしています。
(子供の浮游霊の霊的干渉の影響を受け、 それがどんどん増して行く事等が、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)
の思惑だと 思えます)

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