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“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話

太陽凝視を一生涯の“行”とし(現在、46年目)、実践し、その上で獲得した認識を述べています。

“日月神示”上つ巻 第二帖 Kellyさん的解釈


今回は、上つ巻 第二帖 ・・・を、解釈しまんねん。

原文は以下の通り。


親と子であるから、
臣民は可愛いから旅の苦をさしてあるのに、
苦に負けてよくもここまでおちぶれて仕まうたな。
鼠でも三日先のことを知るのに、
臣民は一寸先さへ分らぬほどに、よう曇りなされたな、
それでも神の国の臣民、天道人を殺さず、
食べ物がなくなっても死にはせぬ、ほんのしばらくぞ。
木の根でも食うて居れ。
闇のあとには夜明け来る。
神は見通しざから、心配するな。
手柄は千倍万倍にして返すから、人に知れたら帳引きとなるから、
人に知れんやうに、
人のため国のため働けよ、
それがまことの神の神民ぞ。
酒と煙草も勝手に作って暮らせる善き世になる、
それまで我慢出来ない臣民 沢山ある。
早く ローレンツ力と ○ (
モト)の神の申す通りにせねば、
世界を泥の海にせねばならぬから、
早うモトローレンツ力と ○ 心になりて呉れよ、
神頼むぞよ。
盲が盲を手を引いて何処へ行く積りやら、
気のついた人から、
まことの神の入れものになりて呉れよ、
悪の楽しみは先に行くほど苦しくなる、
神のやり方は先に行くほどだんだんよくなるから、
初めは辛いなれど、
さきを楽しみに辛抱して呉れよ。
配給は配給、
統制は統制のやり方、
神のやり方は日の光、
臣民ばかりでなく、草木も喜ぶやり方ぞ、
日の光は神のこころ、稜威ぞ。
人の知恵で一つでも善き事したか、何もかも出来損なひばかり、
にっちもさっちもならんことにしてゐて、まだ気がつかん、
盲には困る困る。
救はねばならず、助かる臣民はなく、泥海にするは易いなれど、
それでは元の神様にすまず、これだけにこと分けて知らしてあるに、
きかねばまだまだ痛い目をみせねばならん。
冬の先が春とは限らんぞ。
ローレンツ力と ○の国を八つに切って殺す悪の計画、
ローレンツ力と ○の国にも外国の臣が居り、外国にも神の子がゐる。
岩戸が明けたら一度に分かる。
六月の十日、書は、ひつくの神。てんめ御苦労ぞ。


・・・まず、Kellyさん的に思うんは、

“親と子であるから、
臣民は可愛いから旅の苦をさしてあるのに、
苦に負けてよくもここまでおちぶれて仕まうたな。
鼠でも三日先のことを知るのに、
臣民は一寸先さへ分らぬほどに、よう曇りなされたな、”

この文章の前半、
神と人間、創造主と人(日止、霊止)・・・
そう言う関係やって事やねん。
ほんでからに、
創造主って言葉から連想される、被造物=人(日止、霊止)って概念も、
ほんまはおかしいと思いまんねん。
そやから“親と子”って言うてはる。
生命はみんな(霊的)進化して(霊的)成長したなら、
それはみんな神さんと同等になりまんねん。
ほんでから、
意識・・・存在・・・生命・・・
神さんが生命って言い方はちょっと矛盾を感じる向きもあるけれど、
意識を持ってはるから、
観察行為があり認識があり・・・そやから創造って事をする。
ほんでからにそれは、
“ア”から砌(みぎり)方向に移行した“イ”=愛(炁)・・・
そやからこそそれが低振動化して、
心(靈)の動きにもなり、
本能、情動、功名心、自我、愛(炁)、創造、知恵、智慧、智性という振動にもなり、
ほんでからにそれは、アイが根元の振動やから、
アイは愛になり、
それは人(日止、霊止)としての愛(炁)の認識になり、
心(靈)が“慈(しげる)”・・・“慈悲”と“慈愛”になり、
自分でも他者でも良いカタチを求める・・・
ほんでから求める事・・・愛(炁)が動機の事。
これは、霊的成長度の程度の差って事を先生と何回も話したけど、
低すぎるから右往左往し、自滅し、その中で認識を得ていく。
今がそう言う世界やと思うけど・・・
ほんでから、
そう言う事を体験してでも、
もっと自分の良いカタチを望んでいく。
それは死んでからでもそうや。

そやからそう言う過程も含め、
多分そんな事を地球人は今まで何回もやって来てる。
それが輪廻転生とかの言葉(と認識)になってる。
そうやって得ていく認識、
それが、幸福=神格化の概念やと思うやん。

ほんでからに、
観察行為があり認識があり・・・事象の創造をして行く。
それは、
神さんと人(日止、霊止)と共通のもんやと思いまんねん。
そやから認識=受信。
それは人(日止、霊止)の科学が少し解き明かした電磁波の分類・・・
そう言うもんの(感覚器官での)受信で、
人(日止、霊止)は事象を認識する。
そして取り込んだ電磁波を増幅する道具が肉体。
そうやって行動し=発振、発信し、
事象を形成=創造して行く。

そして良いカタチを求める事・・・愛(炁)が動機の事。
それは(霊的)進化程度に応じた心(靈)の動きになり、
それには、
“上”と“下”の概念を持たんと、神さんに近付いて行く事は出来へん。
そやから神さんの立場から、
言い換えれば、
“上”から“下”を見たら、
それは、人(日止、霊止)を見たならば・・・(霊的に)育って欲しい

この言葉は、只それだけの事やと・・・思うけど・・・

只々、形骸になってしもた一般の宗教みたいに、
人(日止、霊止)に甘い思いを抱かせる宗教みたいに、
神頼みとか・・・現世利益とか・・・悪霊を祓うとか・・・
それは、目先の効能だけを求めるサプリメントとかと、
おんなじ発想でしかないやん。
そやから、神と人間の関係・・・
“臣民は可愛いから旅の苦をさしてある”

それは甘い事やない!!
・・・っていう事を、この言葉からも感じまんねん。

そやからそれは、S会での交霊会でよく言われた言葉、

神は乗り越えられない困難は与えない

・・・大体そんな認識は一般に無い。
色んな宗教の教義では言うてる事やろけど・・・

今の宗教を観てると・・・とてもそう言う考えが反映してるとは思えへんな。
お坊さんも神主さんも神父さんも・・・信者も、
みんな普通の=低レベルの神さんに対する認識しか、
持ってへんみたいに見える。
そやけどそれは、具体例を言わんと判らへん人が多いようで、
楽屋落ち的言い方やけど、
前のブログを読んではる人からの感想を先生が聞いた時に、
先生自身が感じた事でもあるやん。
そやから、
言葉では宗教が形骸になってる事を知ってても、
霊的成長って事や、
心(靈)が“上”に向かうって事が理解出来てへん人が多かった。
ひどい例は、先生のブログを印刷した物を読んではる人でも、
この間・・・自分が幸せになりたい一心から高い印鑑買わされてた人が居てたやん。
ちょっと家庭環境で悩んではるからやけど・・・
そやけど、印鑑買って開運・・・
自分が幸せになれるなんて言うのんは・・・カモ葱でんねん。
その事に気が付かへん・・・
自分を見失うって言うのんはそう言う事でんねん。
先生はその人に、
“事象の形骸化をよく読んでチョ~”
・・・って、言わはったらしいねん。

話が逸れましてん。

宗教・・・それが説いてる概念として、人の神格化・・・霊的成長・・・
それを“下”に垂れると戒律とか教義とかになり、
それは突き詰めて考えてしまえば、
“善”= 神格化の方向性と智性の受信って事にしかならへん。
その指針としての宗教って事なんやろけど、
今の宗教は、
ほんま儀式だけになってて、ほんでからに只の金儲けになってて、
そう言う宗教団体=場(フィールド)の構築をしてはる人の霊的成長度って言うのんは、
ほんまに低い・・・
それを具体的に言わんならん必要性も感じてるから、
それは又、別の機会に、
“Kellyさん的事象の観察と認識”で説明しまんねん。


又々話が逸れたやん。

親としての、創造の主としての神さんが、
子としての、人(日止、霊止)に望む事、
それは神さんに近付く事。
その成長過程で自分が“行と修行”し・・・段々それは、
人(日止、霊止)が神格化して行くんやろけど、
その段階があまりにも低すぎるのが地球人やって事で、
そう言う点でも、
色んな霊的存在や宇宙人や・・・霊的進化程度が少し“上”の存在は、
色んなメッセージをくれてはる。
“日月神示”でもそう言う事や。

そやから、そう言う少し“上”の存在から比較し、
今の平均的(霊的成長度の)地球人の認識って言うのんは、
やっと、
神さんと幸福の概念を持ち始めたって事でしかない。
それが・・・先生とKellyさんの感じてる事や。

そう言う点で、人は様々な事象を感じて行く=体験する。
例えば、今、現在(目先の事象)・・・
苦しんで生きてる事かて、
喜んでいる事かて、
自分の心の・・・心(靈)の動きの、
本能、情動、功名心、自我、愛(炁)、創造、知恵、智慧、智性という振動の中の、
どの部分の強化と受信と増幅=“行と修行”になってはるのか・・・
さっきの印鑑の話でもそうやけど、
それは自分の、或は自分達の回りだけの幸福を求める事が動機でんねん。
そやから苦難を=家庭環境が悪い事を、
自分達に問題があるなんて思いたくないから、
甘い言葉に乗ってしもて、印鑑買って・・・
何の解決にもならへんやん。

そやから、
霊的成長=愛(炁)の顕現の程度・・・
“上”に向かう心(靈)の動き・・・
それは自分に対する厳しさも持つようになる。
それが“慈悲”と“慈愛”でんねん。
そやから霊的成長・・・“上”の認識を獲得して行くと、
その過程で獲得する基準=“天の御目”・・・
それは段々、神さんと同等の基準を持つようになるやろ。
そうなって行くのが、霊的進化って事やろし、
その過程で、“苦”を感じていくから、
それは生体内電流の強化になり、
身体磁場の強化になり、
“行と修行”になり、
それそのものが、骨の結晶化になり、
段々、
普遍的に実在する創造主のオーラ(宇宙背景放射)の、
高い部分との感応共振になって行くやん。
そしてそれは自分の発振、発信するオーラにもなって行くし、
ほんでからに発振、発信に関わる肉体の構造、
そやからそれは、
骨が変容=結晶化して行く。
それが真固止って事やって言うのが先生の考えやねん。

その時の心境の変化って言うのんか・・・
それは、すべての事象は自分の在り方を示す=“観自在”。
そして自省(胸の磁性“十”)の行=“直日(なおひ)”。

ほんまはそう言う事を考えんならんのやろけど・・・

現状、今の地球人って言うのんは、
自我より“上”の心(靈)の発現があんまりない。
そやから失敗を体験させ、自省(胸の磁性“十”)させんならん。
そうやって人(日止、霊止)の心(靈)は“上”に向かい神格化して行く。
只、地球人は低すぎる・・・

そやから今Kellyさんが思うた認識・・・
そう言う分析が出来へん・・・
それだけの事なんやろけど・・・

そやからこの事を簡単に表現すれば、
現時点での平均的地球人の進化過程=“下”三つのチャクラの覚醒段階から、
“上”に向かうんは、
まず、自我=砌(みぎり)のエネルギーの強化。
そして、砌(みぎり)の行がある程度済むと、
日足(ひたり)の行に入り、
それは左往右往になり、
自省(胸の磁性“十”)し、“直日(なおひ)”する。
この事・・・それが先生の52年の人生で、
右往左往して左往右往して、
具体的に言えば、
若かった時は凄く仕事して少し金儲けして、
若いネーチャンとも付き合って、
それは、なんでも努力した結果が実ってた時もある。
砌(みぎり)の行=現象化の行でんねん。
そう言うエエ気分の時もあれば、その後・・・
凄く失敗して落ち込んだり・・・
騙されて人生の辛酸を舐めたり・・・
そう言う体験をしてはったらしいやん。
ほんでからに今は、ジジイになって来て、
自分の欲望の在り方も考え、必要な物以外は必要では無い・・・
そう言う考えになり、そこに低い功名心や自尊心は無い・・・
自分の人生は霊的成長の為にある・・・
そう言う自覚を持った。
それは左往右往の段階の思いやろけど・・・
ほんでからそう言う時には、精神的な糧って言うのんか・・・
そう言うもんを獲得している時やから、
物や金=砌(みぎり)の行で獲得する認識に関わる事・・・
そう言うもんはたいして手に入らん様になって来たらしいやん。
そやから、先生と話してると先生の決まり文句、
“うちはビンボ~”ってよく言わはる。

今の話は、先生の右往左往と左往右往・・・
ほんでからにその過程で、
太陽凝視や電気行もして、考えて考えて考えて・・・
今でも考え続けてはるけど、
そして得られたおぼろげながらの認識やけど・・・

それは“旅の苦”・・・苦難と試練・・・
その一つが、先生自身が背負ってはった因縁・・・
ある程度仕事で頑張って金儲けした事も・・・(20年前の事やけど)
ほんでから他にも、
先祖の因縁由来の病気と、
先生の御父さんが沢山の女の人を軽く扱った事。
それは、女の人を自分の欲望の対象とした・・・
結果としてそう言う事になった事。
それは先生の御父さんの右往左往って事やし、
先生の御父さんは大して霊的成長せずに早く死んでしもた。
糖尿病やったのに食事制限をしなかった=自省(胸の磁性“十”)の行を、
せんかったって事になる。
そやから先生の御父さんは、今、
閻魔の丁の浄玻璃の鏡で、
先生の人生を観て・・・見せられて、
自分の人生を悔やみ、自省(胸の磁性“十”)の行に入ってるんやろ。
ほんでからに先生の病気の場合は、
病気で死んだ先祖の因縁霊の、
貪、瞋、痴(とん、しん、ち、)由来の心(靈)の動きやし、
先生の御父さんは、
貪、瞋、痴(とん、しん、ち、)より、
“上”の心(靈)の発現をあんまりしてへんかったから、
病気に負けてしもたって事やな。
そやからそれは、
因縁霊自身が思う自分が“かわいそう”・・・って、
心(靈)の動きしか持ってない。
そやから自分の苦しみを子孫に伝えたい・・・
そやけどそれは、“上”に向かう心(靈)では無いやん。
ほんでからに、
先生の御父さんが不幸にした女性の恨み・・・
御父さんが死んでしもてるから、
その恨みの連鎖由来の因縁・・・それを贖うのは、
男の兄弟は先生には居てへんから、
先生が贖う以外にないやん。

ほんでから、
その恨みの連鎖を先生は背負って、
ある程度、贖った。
因縁を贖う(あがなう)って事は、
ある意味、恨みの連鎖に加担している霊的存在の認識を変える事になるから、
それは奉仕の意義と意味を持ち・・・
他者と、自分以外の霊的存在と・・・そして、
自分自身の霊的成長って結果にもなる。
それが苦難と試練とも言える事やねん。

そやけど、一般にはそんな認識は無いな。
誰でも因縁を背負ってるんやけど・・・
只々、逃れたいって人ばっかりやん。

そやから“旅の苦”・・・って、言うてはるやん。
これは・・・只単に旅って事でなく、
存在するって言うのんは、そう認識するって言うのんは、
時間の認識が無いと、存在って実感が湧かんって言うのんか、
時間の進行を認識したからこそ、
事象の観察=認識って事がある。
進化(霊的成長=普遍的に実在する創造主のオーラとの感応共振の段階)って事も、
あるやんか。
そやからこの言葉、“旅”・・・
只、意識が感じる時間の事やろし、
その時間の中で自分は、霊的成長をして神格化して行く。

ほんでからに“苦”がある・・・
今言うた因縁を贖うって事でもそうやけど、
それは霊的にも未熟って事やし、
未熟って言葉(の認識)に、対し、完成って概念がある。
それも良い形を望むって言う、愛(炁)が動機の概念やろし、
ほんでからにそれは・・・
ほんまの完成って言うのんは、字を観ると、
宀(うかんむり)に、
“二”に、
儿部(じんぶ、にんにょう)・・・
そして、成す。

宀(うかんむり)=頭、
“二”=肉体のオーラ、或は肉体そのもの。
儿部(じんぶ、にんにょう)=人の歩く様に象る。
そう言う事やと思いまんねん。
そやからそれは、
頭の磁性を、
“二”=左右のエネルギーライン=日足と砌(ひたりとみぎり)によって、
高めて行く。
その結果が、頭の骨の結晶化・・・それは螺鈿の様に成って行く。
(エピローグ 神の思惑と顕現・・・神聖な事象 参照)
それが肉体を持ってはる人(日止、霊止)の存在意義でもありまんねん。
それが完成の“完”って言う字で、
そう成すのが完成って事やねん。

そやから苦難と試練・・・
認識を得る為の方法論とも言える事やけど、神さんと人間の関係・・・
なんでも自分の甘い考えで、
“棚からぼた餅”的発想で、
自分が困ったら、のび太君的発想で、
ドラえもんに常識はずれなアイテムを要求する。
そんな発想そのものが、甘い(亜、魔、出ずる、泉)思いの、
開運印鑑とか因縁を避けたいとか形骸の儀式だけの悪霊祓いとか、
たいして効果が無いのに、
重箱の隅をつつくようなデータをCMで流す、アホくさいサプリメントとかの発想なんやろけど、
そうやって人(日止、霊止)の肉体と心(靈)を、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の方向性に向かわしてる思惑が有る事すら、
誰も気が付かんって言うのんか・・・
真剣に思わへんやん。
そやからこの言葉自体が、そう言う霊的に鈍い人の事を言うてる。
霊的に鈍いって言うのんは、
言い換えれば、霊的進化って認識も、その概念すら無い。
そやからこそ、
只々霊的な現象を見ても、
感覚優先の物の見方で、
それをShowにしてしまいよる。
テレビでも、心霊とかUFO関係の本なんかでも、霊能力者でも、
そういう事を紹介しているサイトでも・・・
只々、感覚優先の低いものの見方ばかりの感じやな。
(事象の形骸化 “その七”~“その十” 参照)

そう言う霊的成長を示す為の事象・・・
その為に、
心霊現象やUFOや宇宙人の来訪やチャネラーの受信したメッセージや、
霊能力を示す事や・・・
そう言う事が起きだしてもう随分経って来ているんやけど・・・
それを見てそこに、
自分の霊的成長とか、自分の存在目的とか、
存在意義を見出す事が出来へんから、
それを見せる為の道具に使い、そして・・・その意味を形骸にして行きよる。
そやからそれも・・・具体例として先生と話した事もある。
その一例が、
S会に取材に来はった漫画家が、
“うしろの百太郎”を少年マガジンに連載し、
そして、
主護霊って言葉が一般に認知され、
死後の世界も認知され、
しかしそれは・・・幼稚な段階での認知でしかない。
それを知った人の大半が、
自我までの心(靈)の発現しかしていないからや。
ほんでからに死後の世界・・・
その知識を利用しただけのアホくさい映画が出来・・・
その映画を作った人を慕ってる人・・・低級な憑依現象で、
低級な解釈をしてはる人がテレビで持てはやされる。

そう言うもんが活躍する世界・・・
そやから先生は最近あんまりテレビを見んようになったらしい・・・
生身の人間を見てると心(靈)の発現があまりにも低いし、
テレビそのものが、
低い心(靈)の動きのディスプレイ(動物の発情行動)でしかない。
只、目立ちたい・・・そして金儲けしたい・・・
サプリメントの通販なんかでも、そう言う心(靈)の動きしかないやん。
そやからそれは、テレビって場(フィールド)を構成している人。
芸能人を見てるとそれはみんな自己奉仕者でしかなく、
そして番組を作ってはる人も、自己奉仕者でしかなく、
当然、スポンサーも自己奉仕者でしかなく・・・
そやから先生は、そんなものは見たくない。
テレビ見てると腹が立ってくるって言うてはった。

又々々、話が逸れたやん・・・

そやから次の言葉でも、今Kellyさんが思うた事とおんなじやな。

“苦に負けてよくもここまでおちぶれて仕まうたな。
鼠でも三日先のことを知るのに、
臣民は一寸先さへ分らぬほどに、よう曇りなされたな、
それでも神の国の臣民、天道人を殺さず、
食べ物がなくなっても死にはせぬ、ほんのしばらくぞ。
木の根でも食うて居れ。
闇のあとには夜明け来る。
神は見通しざから、心配するな。
手柄は千倍万倍にして返すから、人に知れたら帳引きとなるから、
人に知れんやうに、
人のため国のため働けよ、
それがまことの神の神民ぞ。”

・・・そやからこの言葉も、
自分の在り方を考え、
自分より“上”の事を信じて行けって事でしかないねん。
目先の苦労を自分の試練と考えへんから、
“苦に負けてよくもここまでおちぶれて仕まうたな。
鼠でも三日先のことを知るのに、
臣民は一寸先さへ分らぬほどに、よう曇りなされたな、”

・・・ほんま、
情けない事になってるな・・・って、言い方やねん。

ほんでからに
“鼠でも三日先のことを知るのに、
臣民は一寸先さへ分らぬほどに、よう曇りなされたな、”

鼠の予知能力・・・そう言う言い方をされる事もあるようやけど、
それも甘い期待を持った言い方でしかなく、
只単に地磁気に敏感・・・
それは、
人(日止、霊止)と鼠を相対的に比較したらって事でしかなくって、
現状の人は只、
“上”の存在との霊的感応に鈍感になってしもたって事やねん。
それは
“下”の霊的存在としか感応共振せんって事になってしもてるのが、
今現在の、価値のあるもんが形骸化した世界でんねん。
霊的感応って言うのんは、誰にでも起きてる事で、
只、そう言う自覚が無いって事で、
力を示すとかなんか発明するとか考えが閃くとか・・・
盗むとか奪うとか殺すとか・・・
そういう事かて現象として観察されるまでには、
沢山の霊的干渉と自分がエネルギーを贖い、
そして、
自分の心(靈)の発振、発信の結果でしかない。

現象として観察される・・・創造って事やろけど、
今言うた事かて、そこには一般に言う善悪もあるやん。
そう言う“善悪”って概念を持ち始める事そのものが、
“上”に向かう基準で、
その事を少し知ってるけど、先生の言う“善悪”・・・
神格化と、動物化=心の本能化って認識は無いな。

そやから、
心(靈)の動きが“下”に向かってはるから、
自分より相対的に高い存在=“上”の霊的存在からの思惑の受信が出来へん。
それは“上”と感応共振せんって事やねん。
そやからそれは、
自分の心を見失ったって言う下世話な表現も出来るけど・・・
これはその現状を正確に言い表した表現では無いな。
その言葉には、
心=靈って概念が無いし、
ほんでからに心(靈)は、
自分の外側の振動=事象の観察によって育って行くって事を知らん・・・
その上での表現が、
“心を見失った”・・・とか、“心無い”・・・とかって言い方になるんやな。
そやからそれは、
“慈悲”と“慈愛”って方向に心が向いてない。
自省(胸の磁性“十”)の行をした人(日止、霊止)が、
少ないって事でしかないやん。

そやからそれは少し“上”の事を考えれば判り易い。
自省(胸の磁性“十”)をした人(日止、霊止)なら、
それは、
愛(炁)の顕現の程度が違い、
自分の思想や行動にそれが現れ、
他者を利用するとか害するとかの振動を発しない・・・
それは、自己奉仕者では無い。
そう言う人(日止、霊止)になって行く。
“下”の心(靈)の発現、或は自分の心(靈)が“下”に向かってる。
そやからこそ自分より“上”の存在の思惑を受信せん。
“慈悲”と“慈愛”を持ってないから感応共振せん。
ほんの少し“慈悲”と“慈愛”を持ってても、
心(靈)が本能化してたなら、“悪”・・・
思いが“下”に向かってたら、
目先の苦難を、(霊的成長の為の)試練と考えんって事やねん。

人(日止、霊止)は肉体を持った心(靈)やから、
いつでも霊的干渉=電磁波の受信をしてはるし、
それを取り込んで霊的成長するんやけど・・・
その為にチャクラの覚醒って概念も有るんやろ。
それも“上”と“下”を知る為の事やねん。

ほんでからにチャクラの存在意義・・・
それは、発振、発信やから、
自分が苦難と試練に遭遇し、その中で考え考え考え・・・
更に思い続け、発振、発信し、
ほんでからそれによる霊的干渉がある・・・自分の心(靈)との感応共振がある。
その霊的干渉ってもんが、
自分自身の霊的成長って方向性の受信やったならそれは、
ほんまの意味での主護霊って存在からの通信で、
或は、その眷属からの通信を受信する。
そやけど、今言うたみたいに、
その人の心が“下”に向かってはったなら、
具体的に言えば、
逃れたい・・・避けたい・・・甘い(亜、魔、出ずる、泉)夢を見たい・・・
苦痛は感じたくない・・・
試練なんて真っ平ゴメンでっせ!!・・・みたいな発想・・・
それがインチキ宗教や霊感商法や甘い夢を見させる占いや・・・高い印鑑や・・・
或はもっと本能的になるとしたら・・・
風俗行くとか、酒飲むとか、美食を追い求めるとか、博打でうさを晴らすとか・・・
それは、八戒やな。
そうやって、
もっと恨みの連鎖を増して行く、
悪魔=“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の、
“魔”=マーラ(魔羅)の、
霊的存在の、傀儡の・・・その霊団の仲間になって・・・
死んでからも未練たらたらの浮游霊になって、
そして、
貪、瞋、痴(とん、しん、ち、)の場(フィールド)を構築して行く。
もうこの世界の人はそう言う霊的干渉ばかりの人やから、
貪、瞋、痴(とん、しん、ち、)の心(靈)の動きの場(フィールド)になってる・・・
そやからそれは、前回言うた事、
天意を伺う事を忘れてしもてる・・・
そう言う心(靈)の動きを忘れてしもてる。
それは、何度も言うけど、
自分の心(靈)が本能化する方向性に向かってる事やねん。
そう言う事を言うてるだけやと思いまんねん。

纏めれば、
鼠の場合は自分の身を守る為に、地磁気の異常を感得するんやろけど、
人の場合は、
自分自身の良い形を願ってはる主護霊って存在がいて、
それは自分(の心=靈)にとって、
一番身近な“上”の存在でんねん。
ほんでからに蛇足やけど、
主護霊って言うのんはその人の死ぬ時期まで知ってはって、
その人が死ぬ一ヶ月前には何らかの形で知らせてくれてはるんやけど、
・・・こう言う事はローム太霊講話集に書いて有るんやけど・・・
その意味をあの本を読んだ人は・・・考えた事が有るんやろか?
その人の死ぬ時期まで知ってはるって事は、
それを避けようという考えではなく、
その死の体験が、その人の霊的成長にとって必要って認識を持ってはるから、
通信を送る。
今の人って言うのんは目先の事ばかり見てはるから、
その事に気が付かへん。
死に付いても意味があるに決まってるけど、
それも因縁とか恨みの連鎖とかの事を考えんならん。
そやからこの事も別の機会に、
Kellyさん的事象の観察と認識で考える事にして・・・

要は、
自分より“上”の霊的存在の通信を受けるって事が、
出来んようになって来た・・・
そやからそれは、
低レベル化=悪の方向性・・・心の動きの本能化と低振動化って事を言うてはる。
それそのものが先生と話した、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)・・・
自分達の心の中の事やねん。
そう言う人やからそれは、低い心(靈)の動きとしか感応共振せんやん。
それが、
自分の心(靈)の動きの、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”って事を認識せんと、
身魂掃除って事にならへんやんか。

そやからこの間も言うたけど、何を掃除するのか・・・
それは、自分の心(靈)の動き=発振、発信・・・
それを区別して行く事が“上”に向かう心(靈)の発現になって行くんやろな。
高度な自己観察・・・そしてそれは、
創造=事象の認識に繫がって行く。
そやからここまでの第二帖の言葉はそう言う事も言うてると思うし、
この言葉を読んだならそう言う事も考えるべきやな。

そやから、目先の事象で心(靈)が、
“悪”に向かわんようにって言う意味で、
次の様に言うてるように思うやん。

“それでも神の国の臣民、天道人を殺さず、
食べ物がなくなっても死にはせぬ、ほんのしばらくぞ。
木の根でも食うて居れ。
闇のあとには夜明け来る。
神は見通しざから、心配するな。
手柄は千倍万倍にして返すから、人に知れたら帳引きとなるから、
人に知れんやうに、
人のため国のため働けよ、
それがまことの神の神民ぞ。”

この後半の言葉、

“神は見通しざから、心配するな。
手柄は千倍万倍にして返すから、人に知れたら帳引きとなるから、
人に知れんやうに、
人のため国のため働けよ、
それがまことの神の神民ぞ。”

やって来た事の結果は全部自分の心(靈)の中にある。
認識って、そう言う事でもあるし、
そしてその努力=エネルギーを贖った事。

今の時代では、
自己奉仕者の場(フィールド)では、
神さんの腹の段階の心の発現の次元では、
右往左往=失敗を体験させる為の次元では、
ほんまに価値の有る事・・・それを現象化させる事は出来へん。
ほんまの事って言うのんは、
多くの人には判らへん・・・理解出来へん・・・
それやからこそ価値が有るともいえる事やし、
それは“玉石混交(淆)”って言葉が示している通りやし・・・
そう言う事も感じさせる言葉やな。
そやから、
ほんまに価値の有るもん=神格化への指標とかって言うのんは、
現時点、力を示す事が出来ん=顕現出来へんって事や。
価値の有るもんはなんでも形骸になってて、
その理由は、
大半の人の心(靈)の発現が自我までの進化過程やから、
そやからそれは、
失敗を認識せんならん事象=今の時代やからって事やねんな。
そやけどそれも、
段々・・・馬脚を現すっていうのんか・・・それは、この間も少しぼやいたけど・・・

人を欺いて利用して、
自分の欲望を満たす為の砌(みぎり)の行をした人達は、
日足(ひたり)の行に入らんならんから、
やって来た事がバレてきてるやん。
そやから、ほんまのアセンションって言うのんは、
そう言う心(靈)の動きの変化やって思うし、
その為に“上”はバチを当てる。
“神の咎め”があるやん。
ほんでからに自分が、
“善(神格化の方向性と智性の受信)”の行い=発振、発信をして来てる人は、
それもいずれ、結果になるって事を言うてる。
それを示してる言葉が、

“闇のあとには夜明け来る。
神は見通しざから、心配するな。”

・・・って事やな。


ほんでからに、以下の言葉、

“酒と煙草も勝手に作って暮らせる善き世になる、
それまで我慢出来ない臣民 沢山ある。”

これは・・・例え話やな。
なんでも自分の創造した事は結果になって帰ってくるって事やな。
ほんでからに自分の霊的成長度が高まり、
それが、
事象の構築に関わって来るって言うのんが、
先生が思う・・・霊的進化の高くなった概念・・・

“時空の結晶化”・・・すべての想像は創造に繫がって行く。
それが極まれば、
なんでも思い通りの場(フィールド)を創って行く事が可能やろし、
可能とか不可能って言葉自体が死語になるやろし、
そやからそれは、
事象って言うのんは自分の心(靈)の中の認識に過ぎない・・・
それを共有してる、今の段階の心(靈)の進化過程って言うのんは、
まだ、動物の集合意識に近いのかもしれへんな。
物質の次元の認識を、
沢山の人で共有してるだけやな。

そやから人は“独り神”になったなら、
自分の場(フィールド)=自分の宇宙を構築出来る。
そこまで行かんと神格化って事にはならへん。
そう言う話も先生としたけど、
観察され得る事象そのものが、自分の内面の=心の中で感じている事って事。
大体そう言う認識すら無いけど・・・そんな事、
誰も考えた事は無いやろな。

その考えに基づいて今の世界を見たなら、
進化過程の、霊的成長度の低い、
心(靈)の発現由来の存在の場(フィールド)・・・
自己奉仕者の奪い合う世界になり、
それが当たり前になってる。
それは、人の霊的成長を望む世界になんか、
絶対にならへんって事を考えさせる事やな。

又々々々、大幅に話が逸れたけど、
この言葉を見てアホな人は、低い認識しか持ってへん人は、
酒と煙草の事しか考えへんやろけどな。

そやけど、酒や煙草、
そんなもんを思い通りにしても霊的成長出来へん。
ほんでからにこの言葉は時代背景もあっての事やろし・・・
そやから人(日止、霊止)って存在はいずれ、
どんな事でも自分の思い通りにする事が出来るようになる。
それまでは試練を体験して、
“行と修行”をして霊的成長して行かんならん。
その認識を持たん・・・それが出来へん人を指して、
“それまで我慢出来ない臣民 沢山ある。”
・・・って事やろし・・・

そやけど・・・随分色んな事考えてしもたやんか。

ほんでからに次の言葉、

“早く ローレンツ力と ○ (
モト)の神の申す通りにせねば、
世界を泥の海にせねばならぬから、
早うモトローレンツ力と ○ 心になりて呉れよ、
神頼むぞよ。”

これは、
霊的進化の為の肉体の法則性って言うのんが、
身体磁場の強化によるローレンツ力で、
それが、
ローレンツ力と ○(モト)の神”って言われてる。

○=靈、荷電粒子で出来た心(靈)。
ほんでからに、
神=示すと“呂”、エネルギーの回転。
それを受信して感応共振する事が心(靈)の発現。
この事はもう説明はいらへんやろ。
そやから“モト”って言うてはる。
“モト”って言うのんは、
“モ”は、
“二” + 乚部(いんぶ)。
肉体の磁性とも言える2~3番目のオーラで、
乚部(いんぶ)=人の思惑の顕現をして行けって事やと思いまんねん。
ほんでからにそれは、“一”+乚部(いんぶ)であるなら、
・・・そうも見えるんやけど・・・
“一”=アイ=創造主の振動を切り分けて、
(七の象形文字の意味)
砌(みぎり)“下”に降ろす=現象化って事やねん。
“ト”は、
(たて棒、コン)と日足(ひたり)“上”から砌(みぎり)“下”に止める点。
“上”の思惑が降り、砌(みぎり)=現象化したカタチやと思いまんねん。

ほんでからにこれはカタカナで書かれてるけど、
もし、“モト”が、“元”やったなら、
これは、
“二” + 儿部(じんぶ、にんにょう)で、
肉体の磁性=2~3番目のオーラと、
丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)と、
乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現)やろし、
ほんでから儿部(じんぶ、にんにょう)は、
人の時間の進行を表してるから、人の創造・・・
そう言う意味になって行くやんか。

ほんでからに次の言葉は、
認識の低い人の事を言うてるし、
そして、今の指導者的立場の人の事を言うてる。
さっきも言うた、今、馬脚を表してる人だけや無くって、
ほんまに価値の有る事を形骸にしてしもてる人すべての事やねん。
甘い夢を見させる宗教も、
権力だけの天皇制も、
霊的成長の概念を捨ててしもたヨガも、
処置だけ考える医療も・・・例を挙げてたらきりが無いやんか。
ほんでからに、“上”のメッセージを低い解釈してる人も・・・
只単に、低い心の発現由来の認識でしかないから、
“盲”って表現されてる。
ほんでからに、それではアカンって事も言うてるやん。
それは以下の言葉、

“盲が盲を手を引いて何処へ行く積りやら、
気のついた人から、
まことの神の入れものになりて呉れよ、”

“まことの神の入れもの”
これを先生的解釈を交えて換言すれば、
まこと=○ 九 十 神さんの最後の仕事としての人の肉体の創造。
(創造主の)思惑と顕現って事で、
それは真実=真固止の認識、
そしてそれは真に固く止める=骨の結晶化。
そうなって行かんと高い振動との感応共振が起きん=神さんの思惑を受信出来へん。
そう言う事でんねん。
その具体的方法が太陽凝視でんねん。
そやけど、どういうつもりで=発振、発信で、
太陽凝視して行くのかが・・・
言い換えれば、
神さんのオーラとの感応共振としての太陽凝視・・・
それが大事な事でんねん。

ほんでからに、
認識の低い心(靈)の発現の低い霊的成長度の人が、
活躍してる世界やから、
“盲が盲を手を引いて何処へ行く積りやら”って言い方になるし、
その結果が次の言葉で示されてる。

“悪の楽しみは先に行くほど苦しくなる、”
・・・今の世界そのものやねん。

それではアカンから、
“気のついた人”・・・に、対して、

“神のやり方は先に行くほどだんだんよくなるから、
初めは辛いなれど、
さきを楽しみに辛抱して呉れよ。”

そう言うてはる。

ほんでからに、次の言葉は、
“配給は配給、
統制は統制のやり方、
神のやり方は日の光、
臣民ばかりでなく、草木も喜ぶやり方ぞ、
日の光は神のこころ、稜威ぞ。”

配給とか統制って言うのんは、
低い心(靈)の発現の人が考える事でんねん。
こんな事は説明する事自体アホくさい事でんねん。
物を制限して金儲けする・・・
そやから、
なんでも必要な物は手に入るって場(フィールド)を壊してしもて、
霊的に高い世界では物に困るって事はあらへんねん。
(通貨としての)金なんか無いねん。
そやから自分達の低い愛(炁)の顕現の為に奪い合って・・・
そやからこそ、それが間違いやから、
沢山の物を与えられんようになった世界が、
この世界でんねん。
それが“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の仕組み・・・
物質しか認識の無い心(靈)の発現の“石屋の仕組み”・・・
帯電するミネラルが固まっていない段階の心(靈)の発現、
その段階での愛(炁)の顕現の程度。
そやからそれは、腹の段階の心(靈)の発現でしか無い事やねん。
(事象の形骸化“その十一”
 事象を形骸にする仕組み・・・そして、真実=真固止の無い世界 参照)


大事な事は、
“神のやり方は日の光”
“稜威ぞ”
・・・この言葉は、“イツ”古代日本語で、“イチ”が変化した言い方、
それは、激しい雷光のような威力って事らしいやん。
ほんでからに、
“稜威”を辞書で見ると、威稜とも言われ、
その意味は、
神霊の威力。みいつ。天子の威光。
類義語として、威霊って表現もある。
Kellyさん的に思うんは、
天子の威光・・・これは天意を受けた人のオーラの事やと思いまんねん。
それを言い表した言葉が“稜威”やと思うし、
ほんでからにそう言う高くなった霊的存在を、
“威霊”・・・そう呼ぶと思いまんねん。
そやからそれは、
大体、神さんや天皇の権威を示す言葉として使われてるんやけど、
ほんまの天皇って言うのんは、
天=“一” + 胸の磁性“十” + 人・・・
ほんでからに“白”と“王”。
この言葉そのものが霊的進化したオーラを示す事でんねん。
この場合の“白”って言うのんは、
クンダリーニの白光で、
白い光は、
波長の短い高い振動を相対的に観察した時の色でもあるし、
それは、
身体内のシンクロトロンの構造に由来するって言うのんが、
先生の説でんねん。
肉体がシンクロトロン様の構造を持つには、
胸の磁性“十”の強化と、
手足の神経(電磁石として)の発達と、
頭の磁性の強化が必要で、
“行と修行”による、
生体内電流の質の変化と、
量を獲得せんならん。

そやからそれは、
自省(胸の磁性“十”)の行と、
電気行と、
太陽凝視による高い振動=神さんの思惑の取り込みって言うのんが、
必要でんねん。
そやから低い心(靈)の発現由来の太陽凝視って言うのんは、
腹のエネルギーの強化、
それが中心の心(靈)やから、功名心と自尊心、
そやから目立ちたい・・・ディスプレイ(動物の発情行動)の言葉にもなり、
ほんの少し太陽凝視しても、
太陽凝視やってまっせ~とか、
不食でっせ~とか、
心身浄化してまっせ~とか、
アセンションしまっせ~とか・・・そんな言葉になるんやろ。
ほんでからに腹の段階の心(靈)の発言由来の太陽凝視は、
内蔵機能の強化=不食って事にしかならへんし、
そう言う進化過程やからこそ、“日月神示”の中の表現、
特別神憑り=太陽凝視・・・
これは先生の解釈でしかないけど、
それは“九部どおりしくじる”・・・そう言う事になると思いまんねん。
(思惑と顕現“その十” “上”の思惑の顕現・・・“天の御目” 参照)

ほんでからに次の言葉も、
只々“上”の存在が憂いてる言葉で、
それはKellyさんが思うた事、
“・・・何とかならへんのやろか・・・何とかする事・・・”
それとおんなじでんねん。

“人の知恵で一つでも善き事したか、何もかも出来損なひばかり、
にっちもさっちもならんことにしてゐて、まだ気がつかん、
盲には困る困る。
救はねばならず、助かる臣民はなく、泥海にするは易いなれど、
それでは元の神様にすまず、これだけにこと分けて知らしてあるに、
きかねばまだまだ痛い目をみせねばならん。
冬の先が春とは限らんぞ。”

そやから、
自分達の立場って言うのんか・・・
自分達は成長過程で低すぎる事を知らんから、
“盲”って表現されてるやんか。
それは先生のチョ~ややこやしい言い方と共通でんねん。
“事象を観察する視野が狭い”・・・

・・・よう覚えとかなアカン事でんな。

ほんでからに次の言葉は、

ローレンツ力と ○の国を八つに切って殺す悪の計画、
ローレンツ力と ○の国にも外国の臣が居り、外国にも神の子がゐる。
岩戸が明けたら一度に分かる。”

ローレンツ力と ○の国を八つに切って”
これは“上”からの振動の受信を、左右に分けてる事で、
それは、
砌(みぎり)の行と、
日足(ひたり)の行・・・それが一緒になってへんって事でんねん。
調和が取れて無いって事でんねん。
そやから、八つ=八個って事とちょっと違うと思いまんねん。
“八”に対してのKellyさんの解釈は、
Kellyさんが、“日月神示”の解釈をして行くに当たって・・・考えた事。
・・・を読んで欲しいねん。

そやからそう言う点で、今の事象、
砌(みぎり)の行に傾いてる世界が、
今の自己奉仕者の世界で、
それは失敗して壊滅して自滅して崩壊するに決まってるやん。
ほんでからにそれそのものが
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の計画って事でしかない。
そしてそれは、
自分達の心(靈)の動きで創造して来た結果でもあるやん。
その自分達の心(靈)の動きに感応共振している霊的存在は、
目先の観察では低級な悪霊やけど、
その悪霊を増やした仕組みを作らせたのは、
その存在の思惑って言うのんは、人の甘さに付け入る事でしか無いやん。
そやからそれは、
甘い夢、
自分だけ幸福になりたい、
物質欲=物質しか認識の無い心(靈)の動きによる愛(炁)の顕現、
今の事象って言うのんは、
その心(靈)の発振、発信による事象って事や。
ほんでからにそれは、
砌(みぎり)ばっかりの行=失敗を体験せんならん行って事でしかない。
そやからそこには、人の進化を遅らせたい・・・
自省させない・・・人生を振り返らない・・・苦難を試練と考えたくない・・・
そういう事そのものがアセンションの振動の受信を遅らせる事で、
それは大日如来の条帛(じょうはく)に象徴されてて、
腹のエネルギーが、
日足(ひたり)回りになる事をさせないって事になるやん。
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”は、
砌(みぎり)回転やから、
心を“下”に向かわせる事やから、
心(靈)の本能化って事やから、
それそのものを悪の計画っていうてると思いまんねん。
もう一度言えばそれは、
やってきた事を振り返る心(靈)の動きを持たせたくない。
自省(胸の磁性“十”)の行をさせない。
自分の心(靈)の動きの分析をさせない。
心(靈)の動きの中の“悪(心の動きの本能化と低振動化)”を、
“悪”と思わせない=掃除身魂出来へんって事やねん。
ほんでからにそれが、
先生の解釈の、
“悪”=亜の心(靈)=心の動きの本能化と低振動化の概念やねん。

それは、
ローレンツ力と ○ の国”って言うのんを解析したら解りまんねん。
○=心(靈)、 
ローレンツ力=ローレンツ力、
国=“玉(ぎょく)”になった人の構築する場(フィールド)、
人(日止、霊止)が“宝玉(ほうぎょく)”になる。
これは先生の認識やけど、
霊的進化の仕組みを示してる字が、“玉(ぎょく)”で、
それは、
普遍的に実在する創造主のオーラ(宇宙背景放射)としての、
荷電粒子の取り込みをも、示し、
ほんでからにそれは
“善の回転=日足(ひたり)回り”をせんならんって事やねん。
そやから、この言葉自体が、
“上”からの振動を取り込んで霊的成長をして行く過程を言うてる。
そやから、
○=心(靈)の場(フィールド)と、
ローレンツ力=ローレンツ力、
荷電粒子の影響を受け、○=心(靈)の発現をして行く。
それは、物質を伴った心(靈)=人=丿部(へつぶ)と乚部(いんぶ)、
神さんの思惑の顕現と人の思惑の顕現、
それが又、日止、霊止って表現出来るやん。
ほんでからにそれは心(靈)と物質=肉体やから、
卆・・・○ 九 十 の、九と十・・・最後の仕事、
神さんの思惑の顕現の最後の仕事。
この九って言う字でも、
丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)+“一”+ 乚部(いんぶ)
“一”=アイ、愛(炁)が、
人(日止、霊止)=丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)+乚部(いんぶ)に、
影響を与える事を示している字でもあるやん。

そやけど、自分達の心(靈)って言うのんは、
なんかの“苦”に遭遇すれば、
肉体を持ってるからこそ、
本能って振動を心(靈)に持ってるからこそ、
すぐ“下”に向かう傾向がある。
その事そのものが、外側の事象の観察=外国って事で、
目先の事に囚われやすくなってしまう心(靈)の動きやな。
ほんでからにそれは、
自分の心(靈)の動きの中の、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”を見出す事が、
出来ないって事やろし、
次の言葉はその事を言うてると思いまんねん。

ローレンツ力と ○の国にも外国の臣が居り、外国にも神の子がゐる。”

“外国の臣”=外側の事象の形成の為に場(フィールド)=(囗)くにがまえを、
構築している人、
その仕組みが“玉(ぎょく)”で、それは“上”の思惑の顕現でもある。
ほんでからにそれは、外=砌(みぎり)の行=現象化をしてる人って事やろし、
人(日止、霊止)はなんらかの“苦”に遭遇したら、
自分の心(靈)の動きを観察する事が出来へんようになり、
外側の事象のエエとこばっかり見るようになるやん。
そやから、
“外国にも神の子がゐる。”・・・
外側の事象の観察でも・・・それを成し得た人って言うのんは、
エネルギーを贖ってるし、
ほんでからにそれは、
“神の子”・・・この言葉が示してると思いまんねん。

この“神の子”って言うのんは、
“神”=示すへんと“呂”、エネルギーの回転、
それは普遍的に実在する創造主のオーラ(宇宙背景放射)でもある。
それが“下”に降りたのが、
“子”・・・日足(ひたり)から砌(みぎり)端に向かい、
そして日足(ひたり)斜め下に下ろし、
次に
亅部(けつぶ こう かぎ)・・・“上”から“下”に降ろし、
日足(ひたり)上にはねる=日足(ひたり)の上昇って事やねん。
それそのものが、良いカタチの創造の為に、
“下”のエネルギーを日足(ひたり)“上”にはねる。
それを示してると思いまんねん。
ほんでからにその真ん中に“一”・・・アイがある。
この“一”は、“上”と“下”を区分けしてまんねん。
チョ~ややこやしい言い方してしもたけど、
“子”って言う字は、
第二帖の冒頭の言葉としての、
“親と子”・・・それは、
神さんの思惑の顕現って事でんねん。


そやからそれは、
“外国にも神の子がゐる。”
外側の事象の構築でも、
神さんの思惑があり、
そして神さんの思惑通り=“上”の心(靈)の発現の上で、
創造して行かんならんって事でんねん。

ほんでからに次の言葉は、
“岩戸が明けたら一度に分かる。”

岩戸=山+石+“一”+尸(しかばね、かばね)
これは、
脳=山の発達を示した言葉で、
それは、
戸=“一”、イチ、イツ、稜威、+ 尸(しかばね、かばね)肉体。
肉体を使って“行と修行”して、
普遍的に実在する創造主のオーラ(宇宙背景放射)と、
感応共振するからこそそれは、
“天の岩屋戸”って言われるやろし、
それは1番目のオーラに顕れるから“稜威”って事になる。
それやからこそ、
その砌(みぎり)の行と日足(ひたり)の行の仕組みって言うのんが、
“明けたら一度に分かる。”・・・で、
それは、
日と月、
日足と砌(ひたりとみぎり)、
そのエネルギーはイダとピンガラでもあるやろし、
“八”やろし、
そうやって日足と砌(ひたりとみぎり)の行を繰り返し、
岩戸=腹のエネルギーと脳を繋ぐ事、
そうやって人は神格化して行く・・・
そして神さんの基準でもある“天の御目”を獲得する。
そやからこそ、
“一度に分かる”って事になるんやろ。

そしてこれはチョ~我田引水な解釈やけど、
“明けたら”って言うのんは、
日、月、気、多、羅、で、
太陽凝視と月の凝視で、
沢山の振動=目で獲得した生体内電流を、
“羅(目の下の錐体状の神経)”に流すって事でも、
あると思いまんねん。
そやからそれは“波羅密”と同義でんねん。

以上・・・第二帖は、
神さんと人間の関係、
ほんでからに霊的成長の仕組み、
ほんでからに今その方向性から外れてまっせ!!
大体、そう言う事を言うてると思いまんねん。

今日はこれくらいにしときまんねん。

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 Kelly & ○○○大先生

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Kellyさんと○○○大先生は、
このブログを書いている○○○の、
心(靈)の二面性であり、
同一人物で有る事を、
お断りしておきます。

出版の告知

四冊目&五冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈4〉
智性無き心は
悪を容認する


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈5〉
智性無き心は
アセンションを見誤る

 この二冊は、同時発売です。
太陽凝視を行っている鍼灸師の話 <4> 智性無き心は 悪を容認する & 太陽凝視を行っている鍼灸師の話 <5> 智性無き心は アセンションを見誤る サムネイル
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2010年 4月20日(火)ごろより、全国書店(紀伊國屋書店・三省堂書店・旭屋書店・ジュンク堂書店・ブックファースト・リブロ・丸善など)にて順次陳列。


発売中の三冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈3〉

神格化のプロセス
目上(めうえ)と目下(めした)


神格化のプロセス 目上と目下 縮小版 ブログ用
(クリックで拡大)


発売中の二冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈2〉

ローム太霊の教え
日足(ひたり)と砌(みぎり)


サムネイル太陽凝視を行っている鍼灸師の話〈2〉ローム太霊の教え 日足(ひたり)と砌(みぎり) 
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発売中の一冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈1〉

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太陽凝視を行っている鍼灸師の話〈1〉ローム太霊との出会い
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2005年10月1日~2008年1月15日まで、
“Kellyさんとの会話”で、説明して来た事・・・
その内容・・・それは・・・その何年も前から、
何か自分の考えをある程度公表しなければならない・・・
そう言う通信を受け・・・その理由は・・・地球人が低い心(靈)の発現しかしていない・・・
それを自覚していない人が多い。
その事由来の太陽凝視に対する認識、
(太陽凝視=不食・・・としか、認識させない存在の思惑を、受信している事)
霊的成長に対する認識、
神に対する認識、
心=靈に対する認識、
オーラに対する認識、
そして、
高い認識の上での進化の意味と幸福の概念と神の概念・・・
進化=霊的成長=神格化=(相対的に)高い認識を獲得する事・・・
霊的成長=神に近づく事=真の幸福の意味。
霊的成長度は1番目のオーラに顕れる。
よって、宇宙的プログラムにより次の段階に移行する人(日止、霊止)は、 何を考えるべきなのか・・・
そして、人(日止、霊止)の進化を阻む存在の思惑、
その心=靈の動き、それらの意図・・・それが一般に認知されていない事。
それらを伝えなければ成らない・・・そして一応・・・完結はしたのですが・・・
解り難い・・・理解しがたい・・・具体例を示して欲しい・・・そう言う感想も頂き、
そして自分なりにも説明が足らなかった事・・・
更に、
“Kellyさんとの会話”が完結してからも通信を受けている事・・・そう云う事もあり・・・
よって、このブログを立ち上げる事としました。
従って、
“Kellyさんとの会話”が、
自分の意見を述べる上での、ローム太霊の言葉、
“右往左往”(“いきり立つ心(奴と心)”で行動してから考える)・・・と、 するならば、 このブログはアタシ自身の、
“左往右往”(“思う、憂う”・・・体験を教訓として考え行動する)の、
作業になって行くと思います。



自分達の欲望を満たしたい… 
自分だけ幸福になりたい…
こういった進化程度の低い心(靈)の発現由来の思いが、
低い幸福の概念になり(目下(めした)の思い)
その結果が、飢餓貧困、戦争の原因になったりしています。
(子供の浮游霊の霊的干渉の影響を受け、 それがどんどん増して行く事等が、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)
の思惑だと 思えます)

恨みの連鎖による霊的干渉を増やさない為、
その解消の為にも、(この趣旨に反する類の物もありますが) クリックをお願いします。
クリックした人に、お金の負担はありません。 ↓↓




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