“ローム太霊講話集”第三十六話 背後霊と眠りの利用法 Kellyさん的解釈“その二”
今回は、先回取り上げた文言に続く以下の文言を解釈する。
“人間は誰しも、この現界に在っては金と物との力が必要であるが、その大本はやはり大気の上の炁である…中略…炁の力の無限の所有者である神というものを自分の心の中に据えておけば、そのおかれた神は必ず現世の福をもたらすものと考えてよい…以下略…”
冒頭で述べられている
“人間は誰しも、この現界に在っては金と物との力が必要である”
これは至極当然のことであるし、“金と物”しか分らない人間の方が圧倒的多数、しかしながらここで太霊は
“が、その大本はやはり大気の上の炁である”
と述べておられる。
これの“大本”と称されている“大気の上の炁”に関して太霊は、第三十三話 滝壺の精とその洞窟 Kellyさん的解釈“その四” において
“第一は自分の理想を固める室、第二は神の命を自分が媒体となって受入れる室、第三はこの神の命と自分の理想とを纏めて根本の針路を定める室、第四は術を学ぶ室、第五は道を学ぶ室、第六は命を学ぶ室、第七は光の波動、例えば現界より細かい幽界の波動を受入れるための室、それ以上は非常にむずかしくなるから名前だけを並べると、第八は光の上の空に対する室、第九はその上の無に対する室、第十はその上のあらゆる創造の根源となる炁に対する室、第十一は以上の修行を綜合して行人が神として行動を起こす力を与えられる室、第十二はそれらのものが完成して、自分の与えられた理想があらゆる所で実現出来る最高の境地を顕わす室”
という詳細な説明をされておられる。
それで上記の文言中の
“あらゆる創造の根源となる炁”
そして先の“大気の上の炁”、この“大気の”とは、先のリンク先の画像の意味合い、“炁空無光眞奇力存(きくうむこうしんきりきぞん)”の振動の意味合いとしての“空無光”がこれに該当するものである。
さらに振動の分類を理解するために、第三十四話の
“光以下のものは凡て物質に譬えられるとしても、光以上のものは物でないから簡単な言葉で表わすとすれば波動というよりない”
この“光以下”とは、可視光線をも含むそれ以下なので、物質を“観察と認識”する振動であり、これに相対し“光以上”、これは先の第三十三話の“第七は光の波動、例えば現界より細かい幽界の波動”、それよりも“以上”ということである。
これらが“大気の上の炁”という文言から、しっかり読み取らなければならない重要な事柄である。
前後するが先の第三十四話の“光以上のものは物でないから簡単な言葉で表わすとすれば波動というよりない”に続く以下の文言。
“この地球の上の粟粒にも過ぎない人間の心が、地球そのもの以上の力を持つことの出来るのは、物質でないこの無限に存在する波動を受け入れる”
この“波動を受け入れる”を念頭において、今回取り上げている文言の
“炁の力の無限の所有者である神というものを自分の心の中に据えておけば、そのおかれた神は必ず現世の福をもたらす”
上記の“炁の力の無限の所有者である神”これは、“創造”の“主(ヌシ)”であると○○○大先生は解釈しているし、そう思う根拠として太霊の言葉を引用すれば先の
“あらゆる創造の根源となる炁”
“炁の力の無限の所有者である神”
この言葉が“創造”の“主(ヌシ)”の“創造”を指し示していることが理解できる。
以下にこのブログで多用している画像、これはまた“創造”の“主(ヌシ)”が“一”という表記に表わされるが、これを貼っておく。
それで、今回取り上げている文言の冒頭の“人間…中略…現界に在っては金と物との力が必要”ではあるが、“大気の上の炁”をお前たちは知らないから教えておく、という意味合いと、第三十三話の“あらゆる創造の根源となる炁”、また今回取り上げている“その大本はやはり大気の上の炁”“創造”の“主(ヌシ)”の息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)である愛(炁)が低振動化して一切の事象が“創造”されているのだということを知り
“炁の力の無限の所有者である神というもの”、
これを
“自分の心の中に据え”、
まずこれをせよ、であるが、この“心の中に据え”とは、まず、“創造”の“主(ヌシ)”の息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)が愛(炁)であり、その低振動化により一切の事象は“創造”されているし、事象はこの心(靈)の中に“映像”されているという、“日月神示”地震の巻の表記を知り、この“映像”=“観察と認識”は、振動によってなされていることもしっかり知らねばならない。
話を戻し、“心の中に据え”そうするならば
“おかれた神は必ず現世の福をもたらす”
と称されている。
この“現世の福”は先の“金と物との力”をも、含めてはいるが、それ以上、先の三十四話の
“粟粒にも過ぎない人間の心が、地球そのもの以上の力を持つことの出来るのは、物質でないこの無限に存在する波動を受け入れる”
この文言の“心が、地球そのもの以上の力を持つことの出来る”、これも“現世の福”にあたり、次回、この文言の詳細な解釈をするが、その前に“福”は、神を示す意のある示す偏(へん)と、旁(つくり)は“創造”の“主(ヌシ)”を示す“一”(亜から出ずる、アイ)と、それを“無限に存在する波動を受け入れる”に当たる“口”と、目上(めうえ)の脳、“田”(心、靈、の四つの場(フィールド)、大脳の新皮質)、これが重なった表記が“畐”であることを述べておく。
今回はこれくらいにしときまんねん。