FC2ブログ

“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話

太陽凝視を一生涯の“行”とし(現在、46年目)、実践し、その上で獲得した認識を述べています。

“日月神示”下つ巻 第五帖 Kellyさん的解釈



今回も下つ巻 第五帖の解釈をしまんねん。
原文は以下の通り、


江戸に神と人との集まる宮建てよ、
建てると申しても家は型でよいぞ、
仮のものざから人の住んでゐる家でよいぞ。
の石まつりて、神人祭りて呉れよ。
それが出来たら、そこでお告げ書かすぞ。
淋しくなった人は集まりて その神示(ふで)見てよ、神示見れば誰でも甦るぞ。
この神示うつす役要るぞ、この神示 印刷してはならんぞ。
神の民の言葉は神たたえるものと思へ、
てんし様たたえるものと思へ、
人ほめるものと思へ、
それで言霊(ことたま)幸(さき)はふぞ、
それが臣民の言葉ぞ。
わるき言葉は言ってはならんぞ。
言葉はよき事のために神が与へてゐるのざから忘れん様にな。
七月の十五日、ひつくのかみのふで。


冒頭の言葉、
“江戸に神と人との集まる宮建てよ、
建てると申しても家は型でよいぞ、
仮のものざから人の住んでゐる家でよいぞ。”
この文の中の“江戸”と“神”と“人”、
この解釈が出来て無いとこの下つ巻第五帖は意味が通じへんな。
そやから今までも何回も言うた事やけど、
江戸の“江”は、(氵)さんずいと2~3番目のオーラのオーラを示す二、
“二”は、腹と胸のオーラでもあるし、
“江”そのものが腹の水って言う意味があると思える。
ほんでから“二”は、それは又、肉体のオーラでもあるし、
ほんでから、“戸”は一と尸(しかばね、かばね)、
尸(しかばね、かばね)も肉体の意味を持つ。
そやから、人(日止、霊止)から心(靈)を差し引いたなら、
肉体=尸(しかばね、かばね)って言い方も出来るし、
死んでから=肉体を土に還してから、自分自身の心(靈)が持っていく何かって言うのんは、
戸の一で、それは“一”=智性=1番目のオーラで、
自分が獲得した認識(悟り、幸取=さとり)でしかないって事でんねん。

ほんでからこの文の中の“神”は、
示すへんと、申=“呂”、エネルギーの回転を示す。

ほんでからこの文の“人の集まる宮”の“人(日止、霊止)”は、
丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)と乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現)と、
“宮”は宀(うかんむり)と“呂”
そやからそれは、神の思惑を受け=天意を受け、人の思惑の顕現をする。
“上”である神と、“下”である人(日止、霊止)と、その両方で、
事象の“創造”をする。
そやから、今言うた事を細かく説明すれば、
現津(あきつ)=観察され得る事象を、
“創造”=神の思惑と生命の思惑、電磁波(振動)の相互干渉で、
人(日止、霊止)は時間の進行(儿部(じんぶ、にんにょう)の意味、人が歩く様に象る)と共に、良い世界を創ろうとする。
それが人=丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)と乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現)の、
集まる=肉体の磁性で“上”の振動、天意、神の思惑を集めるからこそ、
人は“宮”って表現され得ると思いまんねん。
ほんでから“宮建てよ”は、現在建ってないって事を言うてるし、
今の人が、(相対的に)
宀(うかんむり)=頭と“呂”=エネルギーの回転・・・そう言う“宮”の構造に、
なっていない進化過程って事でんねん。
そやからこう言われてまんねん。
早くそうなってくれでもあるし、それが又神格化のひな型でんねん。

・・・っちゅう事ことから考えて、
この文の中の表現の“家”っちゅうのんは、人(日止、霊止)の肉体って事やと、
思いまんねん。
そやから人の肉体=“家”の中には、
人(日止、霊止)=丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)と乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現)があり、それは人(日止、霊止)の心(靈)って事でんねん。
ほんでからそれは、
“型でよいぞ、仮のものざから人の住んでゐる家”って言う表現のこの言葉は、
人の肉体の構造が神格化の仕組みを持っている。
神格化のひな型っていう事を言うてると思いまんねん。
それは、肉体の磁性により荷電粒子を取り込み回転させ増幅し発振、発信する。
そしてその荷電粒子は情報を持っている。
その情報には神の思惑もあれば、“魔”=マーラ(魔羅)の思惑もある。
そうやって人(日止、霊止)の心(靈)は、
何かの荷電粒子を取り込み、
時間と共に(時間の進行を心(靈)が認識して)、
心(靈)が変わり肉体も変わり、その事そのものが、
“気血栄衛(營)”の意味やと先生は思うてる。
そして荷電粒子の取り込みと増幅と発振、発信の肉体の仕組み、
それはチャクラそのものでもあり、ほんでからそれは“日月神示”の表現の、
“弥栄”→“彌栄(いやさか)”の“彌”の旧字、
弓(ゆみ)へん+璽・・・その字の意味やと先生は思うてる。

弥の旧字 


これに付いては前のブログ、
思惑と顕現“その十一” “上”の思惑と顕現・・・“天の御目”・・・で、先生は説明したから、このブログに霊縁があった人(日止、霊止)は是非読んで欲しいねん。

ほんでから“仮のものざから人の住んでゐる家”、
この言葉の“人の住んでゐる家”は、
家=肉体=心(靈)の入れ物って事で、
肉体を持っていると認識しながら心(靈)は成長する=神格化を認識して、
生きていくって段階に入る。
それが今後の人(日止、霊止)=アセンション後に位置する心(靈)っていうことでもあると思いまんねん。

ほんでから次の言葉、

○ ローレンツ力 の石まつりて、神人祭りて呉れよ。”
この言葉も“ ○ ローレンツ力 の石”が解らへんと、何のことか全然理解出来へんと思うけれど、
霊=○、荷電粒子の場(フィールド)とローレンツ力 ローレンツ力  は、
人の霊的進化の構造を示す表記でもあるし、肉体の磁性を示すものでもある。
そやからローレンツ力でどれくらいの“上”の思惑と感応共振するのか、
言い換えれば、どれ位高い振動を獲得するのか。
そして自分の心(靈)は、
(現時点より相対的に)創られていく=“上”に向かっていくって事なんやけど、
感応共振する存在が自分より“上”ならば、
それは“上”のチャクラとの感応共振であり、
“下”の存在ならば“下”のチャクラでの感応共振ってことで、
その時の自分の心(靈)の中での認識は、
“上”ならば“善(神格化の方向性と智性の受信)”であり、
“下”ならば“悪(心の動きの本能化と低振動化)”って事でもあり、
その“上”と“下”との感応共振を選ぶのは、
自分の心(靈)の動き=“どういうつもり”=自分の在り方でしかない。
そやから自分の心(靈)の中の“上”と“下”の心(靈)の動き、
自分の心(靈)の中の“善(神格化の方向性と智性の受信)”と“悪(心の動きの本能化と低振動化)”を見極める=“身魂掃除”“身魂洗濯”が必要であるって事でんねん。

そやからそれはこの言葉の後半の言葉、
“神人祭りて呉れよ。”
“祭り”は前のブログでKellyさんが調べたみたいに、
月部(げつぶ、にくづき)と又=手足と、示す。
そやからこの“祭り”は“祀”りと違い、
肉体の中に祭るっていう意味で、そしてそれは“上”の思惑を取り込んだカタチが、
祭りって言う字に示されると思える。
それに対し読みが同じの“祀り”は、
“日月神示” 上つ巻 第四帖 Kellyさん的解釈で言うたからコピペしときまんねん。
     
“この“祀”・・・示すへんに巳。
示すって言う字は、
“二”=2~3番目のオーラ=肉体と、
亅部(けつぶ こう かぎ)=“上”から下に降り、
そして日足(ひたり)斜め上にはねる。
良いカタチで“下”から日足(ひたり)“上”に現象化するっていう意味と、
ほんでからに亅部(けつぶ こう かぎ)の左右に点が二つ、
この二つの点は回転を示し、それは人のエネルギーを示し、
そのエネルギーそのものが砌(みぎり)と日足(ひたり)でもある。
そしてこの点の書き方自体が、
丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)と乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現)・・・
そう言う意味を持ってると思いまんねん。

示すの中の丿部(へつぶ)と乚部(いんぶ) 


ほんでから“巳”・・・
これは十二支の六番目の巳でもあり、
それは陰陽五行として“火”に属す。
そやからこの“祀る”って言う意味は、
肉体の事そのものでもあり、
その良い形が、
神=示すと“呂”エネルギーの回転による発振、発信・・・
それは“上”から降り注がれるエネルギーって言ってもいいし、
普遍的に実在する創造主のオーラ(宇宙背景放射)を、
取り込んでるって事でもある。
そやからそれは、相対的に高い心(靈)の発現って事になって行く・・・
地球人の(霊的)進化程度から言って、
自我より“上”の心(靈)の発現、“慈悲”と“慈愛”の発現になって行く。
又、さっきも言うた事やけどそれは、天意を伺うって事やねん。
段々“上”の思惑を受信するようになるって事でんねん。
それそのものを示した言葉が、“神祀り”・・・
そう思えまんねん。”

     
以上でんねん。


そやから“祭り”と“祀り”の違いは、
“上”から“下”に降りる振動、人の認識(悟り、幸取=さとり)での天意を受ける事が、
“祭り”で、
それに対し、
人(日止、霊止)が“上”を認識して心が“上”に向かおうとするとか、
段々自分の持っている振動が“上”に向かう事そのものが、
“祀り”って言う意味でもあると思いまんねん。

そやから、下つ巻 第五帖は、肉体と心(靈)、その霊的進化の事を言うてるから、
次の言葉、
“それが出来たら、そこでお告げ書かすぞ。”
“お告げ書かすぞ”は、先生の言い方なら通信を受けるって事でもある。
ほんでからそれは、“それが出来たら、”・・・それが出来たならって事でんねん。
そやから人(日止、霊止)が“上”の思惑を自分の心が感じ=感応共振し、
それは反応したと言ってもいいし、
その結果“上”の思惑を自分の思想にするって事でんねん。
それを“お告げ”と表現され、
“上”の思惑を自分の心(靈)の動きにした人(日止、霊止)でなければ次の“創造”を託されんって事を言うてるって事でんねん。

ほんでから次の言葉、
“淋しくなった人は集まりて その神示(ふで)見てよ、神示見れば誰でも甦るぞ。”
この言葉の中の“淋しくなった人” は祀りの意味を言うてる。
“淋”は、(氵)さんずいと木部が二つ=左右の磁性で、
胸の段階=アナハタチャクラの心(靈)の発現をする事でんねん。
腹の段階の心(靈)の発現が“上”に向かう=両手の磁束と胸の磁性で、
引き上がるって事でんねん。
サイクロトロンからシンクロトロンの最初の段階に移行することでもあるし、
それは心(靈)の動きとしては“慈悲”と“慈愛”の発言って事でんねん。

ほんでから次の言葉、

“この神示うつす役要るぞ、この神示 印刷してはならんぞ。”
“この神示うつす役”=“上”の思惑を取り込んで自分の思想にする。
そやからそれは印刷物なんかではダメってことでもある。
それは、同じ文章を読んでも、同じ言葉を使っていても、
人の認識によってその解釈はと使い方は“上”と“下”がある。
言い換えれば“善悪”(神格化&動物化=悪=亜の心=心の本能化)がある。
(“善悪”を認識出来るが、使っている当事者が解っていないって事)
その事の極端な例を挙げれば、
正義を振りかざして戦争をする某大国とか、
主護霊の解釈をてんで低いものにして金儲けした某霊能力者とか、
程度の低い人(日止、霊止)は程度の低い解釈しか出来ないし、
挙句の果てに、
尊い言葉を自分の都合で道具に使い自己奉仕する。
・・・アホでんねん。

そやからこの表現“この神示うつす役”は、
“上”からの通信を自分の心(靈)の動きに出来る人(日止、霊止)っていう、
意味でんねん。

ほんでから、以下の言葉も同じ意味でんねん。

“神の民の言葉は神たたえるものと思へ、
てんし様たたえるものと思へ、
人ほめるものと思へ、
それで言霊(ことたま)幸(さき)はふぞ、
それが臣民の言葉ぞ。”

“言霊(ことたま)幸(さき)はふぞ、”
言葉はそう使わんとアカンって事でんねん。
そして人の行動は誠(言葉成る、言葉の意味は自分が発振、発信した振動が完成する)でなければならないし、
そやからこそ言葉の意味=言霊(ことたま)は、
“幸(さき)はふ”=“夭と屰”(ようとげき)で“幸”やから、
(“夭と屰”(ようとげき)の意味は前のブログ、
個人々々の振動の違い を読んでほしいねん)
沢山の認識(悟り、幸取=さとり)を生きている間に獲得せよって事やと思いまんねん。


ほんでから次の文は、

“わるき言葉は言ってはならんぞ。
言葉はよき事のために神が与へてゐるのざから忘れん様にな。”

言葉って言うのんは“事象の認識をする為の道具”って言い方を、
先生が前のブログで言うたけど、言葉そのものが発振、発信の意味もある。
それは誠=言葉成る、言葉の意味は自分が発振、発信した振動が完成するって事でもある。

そやからこの下つ巻 第五帖の終わりの言葉を、
先生流に言い換えれば、
“悪き言葉”=“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の認識の発振、発信。
“言ってはならんぞ”=発振、発信するな。行動に移すな。
“言葉はよき事のために”=“よき事”は神聖な事象の“創造”の為にって事で、
そのための言葉=発振、発信は、
“神が与へてゐるのざから”=“上”から降り注いでいる(瀧原宮の滝の様に)荷電粒子を“上”から“下”へと、天から天意として、
“上”の思惑として、
人(日止、霊止)に与えているって事でんねん。

今回はこれくらいにしときまんねん。

« “日月神示”下つ巻 第六帖 Kellyさん的解釈|Top|“日月神示”下つ巻 第四帖  Kellyさん的解釈 »

コメント

キの大切さ。
一二三の大切さ。
重要な帖の解釈拝見させていただきました。
人とは神の入れ物でございます。
感謝感謝でございます。

>それは誠=言葉成る、言葉の意味は自分が発振、発信した振動が完成するって事でもある。

躾も身に美しい。
身が美しいということは内面からの響き現われ。

勉強になりました。
ありがとうございました。

>自分の治療院兼自宅マンションのベランダで、野菜を栽培してる。

おいしそうな野菜です。
白菜漬けをしようと思っております。


弥栄ましませ。
拝礼

田舎様へ

上つ巻から下つ巻に入り、そしてこれ以降の“日月神示”の文章は、
段々、人の神格化のための記述が増えていく感があります。

又、感想を述べてください。

コメントありがとうございました。

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

http://tuyukusanotuyu.blog45.fc2.com/tb.php/102-0a191fa0

Top

HOME

tuyukusanotuyu




 Kelly & ○○○大先生

Author: Kelly & ○○○大先生
FC2ブログへようこそ!


Kellyさんと○○○大先生は、
このブログを書いている○○○の、
心(靈)の二面性であり、
同一人物で有る事を、
お断りしておきます。

出版の告知

四冊目&五冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈4〉
智性無き心は
悪を容認する


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈5〉
智性無き心は
アセンションを見誤る

 この二冊は、同時発売です。
太陽凝視を行っている鍼灸師の話 <4> 智性無き心は 悪を容認する & 太陽凝視を行っている鍼灸師の話 <5> 智性無き心は アセンションを見誤る サムネイル
(クリックで拡大)

2010年 4月20日(火)ごろより、全国書店(紀伊國屋書店・三省堂書店・旭屋書店・ジュンク堂書店・ブックファースト・リブロ・丸善など)にて順次陳列。


発売中の三冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈3〉

神格化のプロセス
目上(めうえ)と目下(めした)


神格化のプロセス 目上と目下 縮小版 ブログ用
(クリックで拡大)


発売中の二冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈2〉

ローム太霊の教え
日足(ひたり)と砌(みぎり)


サムネイル太陽凝視を行っている鍼灸師の話〈2〉ローム太霊の教え 日足(ひたり)と砌(みぎり) 
(クリックで拡大) 

お近くの書店にない場合は
たま出版のサイトでお買い求めください。

発売中の一冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈1〉

ローム太霊との出会い


太陽凝視を行っている鍼灸師の話〈1〉ローム太霊との出会い
(クリックで拡大)

お近くの書店に無いときは
たま出版のサイトでお買い求めください。

この本に付いてはこちらを御覧下さい。


       




初めての方は、
・・・その後の事と・・・これからの事。
からお読みください。

それぞれのカテゴリーをクリックすると
古い順に、記事が閲覧できます。

        

☆ Kellyさん的事象の観察と認識 (107)
Kellyさんがこのブログに霊縁あった人(日止、霊止)に伝えたい事 (24)
Kellyさんと○○○大先生との会話 (7)
Kellyさんとチョ~極上ラブラブ中高年夫婦はんとの会話 (6)
Kellyさんとチョ~ベッピンはんのA野はんとの会話 (7)
Kellyさんと∪・ω・∪ ▼・。・▼ ▼・。・▽ U・。・U U。・ェ・。U たちとの会話 (34)
Kellyさんとメタボ研修医のYっちゃん先生との会話 (2)
Kellyさんとややメタボ内科医のYっちゃん先生との会話 (7)
Kellyさんと和風のベッピンはんのSはんとの会話 (2)
Kellyさんと農業好きの社長婦人K地M美はんとの会話 (12)
KellyさんとNominyan ∥*σ_σ*∥&Senyapoo λ*゜ο゜*λ との会話 (6)
☆ Kellyさん的“日月神示”解釈 (603)
Kellyさんが、“日月神示”の解釈をして行くに当たって・・・考えた事。 (46)
“日月神示” 上つ巻 (42)
“日月神示” 下つ巻 (38)
“日月神示” 富士の巻 (26)
“日月神示” 天つ巻 (30)
“日月神示” 地つ巻 (36)
“日月神示” 日月の巻 (68)
“日月神示” 日の出の巻 (23)
“日月神示” 磐戸の巻 (21)
“日月神示” キの巻 (17)
“日月神示” 水の巻 (36)
“日月神示” 松の巻 (30)
“日月神示” 夜明けの巻 (26)
“日月神示” 雨の巻 (18)
“日月神示” 風の巻 (15)
“日月神示” 岩の巻 (11)
“日月神示” 荒の巻 (27)
“日月神示” 地震の巻 (93)
☆ Kellyさん的“ローム太霊講話集”解釈 (174)
☆ 紫光会経文の文言 Kellyさん的解釈 (18)
☆ ○○○大先生的バシャールの文言解釈 (9)
☆ 先生が撮るけったいな花の写真 (22)
☆ 先生が撮る比較的まともな写真 (32)
☆先生が室内で写真を撮るときのセッティング (6)
その他 お知らせ (3)



fxwill.com


2005年10月1日~2008年1月15日まで、
“Kellyさんとの会話”で、説明して来た事・・・
その内容・・・それは・・・その何年も前から、
何か自分の考えをある程度公表しなければならない・・・
そう言う通信を受け・・・その理由は・・・地球人が低い心(靈)の発現しかしていない・・・
それを自覚していない人が多い。
その事由来の太陽凝視に対する認識、
(太陽凝視=不食・・・としか、認識させない存在の思惑を、受信している事)
霊的成長に対する認識、
神に対する認識、
心=靈に対する認識、
オーラに対する認識、
そして、
高い認識の上での進化の意味と幸福の概念と神の概念・・・
進化=霊的成長=神格化=(相対的に)高い認識を獲得する事・・・
霊的成長=神に近づく事=真の幸福の意味。
霊的成長度は1番目のオーラに顕れる。
よって、宇宙的プログラムにより次の段階に移行する人(日止、霊止)は、 何を考えるべきなのか・・・
そして、人(日止、霊止)の進化を阻む存在の思惑、
その心=靈の動き、それらの意図・・・それが一般に認知されていない事。
それらを伝えなければ成らない・・・そして一応・・・完結はしたのですが・・・
解り難い・・・理解しがたい・・・具体例を示して欲しい・・・そう言う感想も頂き、
そして自分なりにも説明が足らなかった事・・・
更に、
“Kellyさんとの会話”が完結してからも通信を受けている事・・・そう云う事もあり・・・
よって、このブログを立ち上げる事としました。
従って、
“Kellyさんとの会話”が、
自分の意見を述べる上での、ローム太霊の言葉、
“右往左往”(“いきり立つ心(奴と心)”で行動してから考える)・・・と、 するならば、 このブログはアタシ自身の、
“左往右往”(“思う、憂う”・・・体験を教訓として考え行動する)の、
作業になって行くと思います。



自分達の欲望を満たしたい… 
自分だけ幸福になりたい…
こういった進化程度の低い心(靈)の発現由来の思いが、
低い幸福の概念になり(目下(めした)の思い)
その結果が、飢餓貧困、戦争の原因になったりしています。
(子供の浮游霊の霊的干渉の影響を受け、 それがどんどん増して行く事等が、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)
の思惑だと 思えます)

恨みの連鎖による霊的干渉を増やさない為、
その解消の為にも、(この趣旨に反する類の物もありますが) クリックをお願いします。
クリックした人に、お金の負担はありません。 ↓↓




飢餓救済のホームページ

JWord クリック募金

名前:
メール:
件名:
本文:

QRコード