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“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話

太陽凝視を一生涯の“行”とし(現在、46年目)、実践し、その上で獲得した認識を述べています。

“日月神示”下つ巻 第七帖 Kellyさん的解釈


今回も、下つ巻 第七帖を解釈しまんねん。
原文は以下の通り、

この神示(ふで)読んでうれしかったら、人に知らしてやれよ、
しかし無理には引張って呉れるなよ。
この神は信者集めて喜ぶやうな神でないぞ、
世界中の民みな信者ぞ、
それで教会のやうなことするなと申すのぞ、
世界中大洗濯する神ざから、
小さいこと思うてゐると見当とれんことになるぞ。
一二三祝詞(ひふみのりと)するときは、
神の息に合はして宣(の)れよ、
神の息に合はすのは三五七、三五七に切って宣れよ。
しまひだけ節(ふし)長くよめよ、
それを三たびよみて宣りあげよ。天津祝詞の神ともこの方申すぞ。
七月十五日、一二 ローレンツ力と ○


冒頭の文、

“この神示(ふで)読んでうれしかったら、人に知らしてやれよ、
しかし無理には引張って呉れるなよ。”

これも、敢えて説明することではなく、霊的成長って言うのんは個人的な作業でしかない。
それは前のブログで先生が何回も言うた。
人が目指す何かって言うのんは、その道程が何種類もあって、
その中途の過程しか地球人は知らへんからこそ、目先の事しか解らへん。
そやから低い功名心で教団を作ったり教会を作ったり団体を作ったり・・・
そうやって自分の低い功名心と自尊心を満足させ、
なんやしらん起きた事に対し、批判だけして時間を過ごしたりしてエエ気分になったりとか・・・そう言う人は意外に多い。
そやけどそんな事は霊的成長には結び付かへん。
今の段階の地球人の霊的成長は自省(胸の磁性“十”)の行をすることで、
自分達がやってきた事に対し、
自分がどう感じ(感じる磁性)、どう思い(心、靈、の四つの場(フィールド)、大脳の新皮質)、今後、自分達は、どう行動するのか=どう、自分の思惑を発振、発信するのか=どう、事象を創っていくのか・・・それが重要って事でんねん。
そやからKellyさんは、前のブログで先生と話してて・・・何とかならへんのやろか・・・何とかする事・・・って何回も思うたけど、
それは自分の心(靈)の在り方って言う事と、
自分の心(靈)が対外的に観察してる、現津(あきつ)=観察され得る事象・・・
それを観て自分が思う事でしかない。
そやからそれは、
自分が進む道が霊的成長の早道なのか=“善(神格化の方向性と智性の受信)”の行動をとる事なのか、
或いは、
自分が相対的に霊的成長に向かわず、心(靈)の発現が“下”に向かい=“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の思惑を顕現するのか・・・
時間の進行により(儿部(じんぶ、にんにょう)の意味)、
そのどっちかしか方向性は二つしかない。
ほんでから、“・・・何とかならへんのやろか・・・何とかする事・・・”そう思う事そのものが、それは、“慈悲”と“慈愛”の心(靈)の発現でもある。
又、相対的に“慈悲”と“慈愛”の発現がないのが自己奉仕者でもある。
自己奉仕者の“創造”は“上”の思惑に沿っていないから、
それは示さんならんからこそ、
自己奉仕者の心(靈)の創造の結果は崩壊に向かうってことで、
それがアセンションに伴う不幸な事象になる。

ほんでから次の言葉もおんなじでんねん。

“この神は信者集めて喜ぶやうな神でないぞ、
世界中の民みな信者ぞ、
それで教会のやうなことするなと申すのぞ、”

敢えて説明するようなことでは無いな。前にもこういう言い方はあったし・・・

ほんでから次の文、

“世界中大洗濯する神ざから、
小さいこと思うてゐると見当とれんことになるぞ。”

これは、誰でもが通り越さんならんって事を言うてるだけでんねん。
ほんでから次の言葉は先生の概念がなければ本当の解釈が出来んと思えるな。

“一二三祝詞(ひふみのりと)するときは、
神の息に合はして宣(の)れよ、”

“一二三”は、人の心と肉体のオーラって事でんねん。
そやから“一二三祝詞”の“祝詞”・・・
大体“祝詞”って言うのんは、人間が神に対して自分の理想を延べ祈願するとか、
これは愛(炁)が動機の事やし、
ほんでから、神を称え崇敬する意思を表現する為に記した文章って事になってる。
ほんでからそれを声を出して奏上することが、
祝詞の語源、宣之言、宣処言、宣呪言(のりとごと)で、それは宣り聞かせる(のりきかせる)って事でんねん。
そやからそれは、“祝詞”っていう表現は、
自分の気持ち、心(靈)の動きの発振、発信、それは三つのオーラの発振、発信っていう事でんねん。
ほんでから“日月神示”では、先生自身がオーラの観測で得た三つのオーラの基底の事も何回も表現されていて、それは今後の文章でも出てくるんやけど・・・要は、
人の心と肉体の発振、発信は、“一二三”であるし、
霊的成長の仕組みは“ひふみゆらゆら”=“一”“二”“三”のオーラ、それぞれの左右の磁性の右往左往と左往右往って事でんねん。

ほんでからこの文の“神の息”は、
神の息吹で、神の発振、発信で、創造主のオーラでもある。
そやから人(日止、霊止)が“創造”をする。
それは、神の思惑と生命の思惑、電磁波(振動)の相互干渉って事でんねん。
そやからそれは、普遍的に実在する創造主のオーラ(宇宙背景放射)との相互干渉で自分の心(靈)と、心が観察する(受信する)、
現津(あきつ)=観察され得る事象を創っていくって事でんねん。

ほんでから次の言葉、

“神の息に合はすのは三五七、三五七に切って宣れよ。
しまひだけ節(ふし)長くよめよ、”

“三五七”は、
“三”は人のオーラの構成、“一二三”と同義で、
“五”は糸巻き、人(日止、霊止)として進化した神経の構造、
“七”は、
“一”=智性=1番目のオーラ、あるいは創造主のオーラの受信、感応共振って事で、それに乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現)が加わった字が“七”でもある。
そやからそれは、又、神の思惑を受信して感応共振して自分の思想にした人(日止、霊止)って事で、それは只、人の神格化の方向性を示すって事でんねん。
そやからそれを強調してるから、
“しまひだけ節(ふし)長くよめよ、”
それは人(日止、霊止)の在るべき姿、
人(日止、霊止)の進化の最終段階の神格化=完成の領域を示すからこそ、
こういう言い方をされてると思いまんねん。

ほんでから次の文、

“それを三たびよみて宣りあげよ。”

この“三たび”は、
霊的成長の仕組み、右往左往して失敗して教訓を得て、認識して、左往右往に入る。
そやから似たような言葉の連続で解りづらいかもしれへんけど、
右往左往は智性のない創造で、そやから失敗して考える。
アセンション前の・・・今の世界やな。
そこには程度の低い創造=右往と、
自省(胸の磁性“十”)の“行”=左往がある。
ほんでから自省(胸の磁性“十”)の“行”をして智性を獲得した人(日止、霊止)は、
“上”の思惑を顕現できるようになるからこそ、
左往右往=智性(日を知った上で獲得した性質)由来の創造をするようになる。
そやから“三たび”は、人(日止、霊止)の創造には、
心(靈)の発現の段階=霊的進化過程で、三段階あるって事でんねん。
このことを言い換えれば、最初は低い心(靈)の発現で、
自己奉仕者、“われよし”、自分に対する愛(炁)しか顕現して無い進化過程になり、
ほんでからそれは、
神さんの“創造”の法則性に則って(のっとって)いないから、
“神の咎め”=ローレンツ力による“曲霊(まがつひ)”による失敗の事象を体験し、
ほんでからその体験で、自分の認識を高めていき、
同時に“慈悲”と“慈愛”の心(靈)の発現をして行き、
ほんでからその後は、神さんの思惑と自分の思惑が一体になった“創造”をして行く。
・・・そう言う事でんねん。
そやから“よみて宣りあげよ。”は、発振、発信していけ!でもあるし、
左往右往=智性(日を知った上で獲得した性質)由来の思惑の顕現=創造をしていけって事やと思いまんねん。

ほんでから最後の文、

“天津祝詞の神ともこの方申すぞ。”

“天津祝詞の”
これは、天の中心=津って事でんねん。津には中心って言う意味がありまんねん。
そやから“天津祝詞の神ともこの方申すぞ。”は、
創造主の思惑の発振、発信=“祝詞”って事でんねん。
そやから下つ巻 第七帖は、“天津祝詞”=創造主の思惑と、
感応共振して行け=霊的成長を果たして行け・・・
とりあえず自己奉仕者の思いから“慈悲”と“慈愛”の発現をして、
少しでも今の不幸な事象を取り除く努力をして行く心(靈)に、
なって欲しいって事やろけど・・・不幸な事象は多分避けられへんな。
そやからそれも、
やってきた事の結果=ローレンツ力由来の“曲霊(まがつひ)”の事象=ブーメランの法則・・・の結果やろし・・・そやから避けられへん事は別にして、
一人でも多くその事を知って欲しいって言うのんが、下つ巻 第七帖を読んだ、
Kellyさんの感想でんねん。

今回はこれくらいにしときまんねん。

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 Kelly & ○○○大先生

Author: Kelly & ○○○大先生
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Kellyさんと○○○大先生は、
このブログを書いている○○○の、
心(靈)の二面性であり、
同一人物で有る事を、
お断りしておきます。

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四冊目&五冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈4〉
智性無き心は
悪を容認する


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2005年10月1日~2008年1月15日まで、
“Kellyさんとの会話”で、説明して来た事・・・
その内容・・・それは・・・その何年も前から、
何か自分の考えをある程度公表しなければならない・・・
そう言う通信を受け・・・その理由は・・・地球人が低い心(靈)の発現しかしていない・・・
それを自覚していない人が多い。
その事由来の太陽凝視に対する認識、
(太陽凝視=不食・・・としか、認識させない存在の思惑を、受信している事)
霊的成長に対する認識、
神に対する認識、
心=靈に対する認識、
オーラに対する認識、
そして、
高い認識の上での進化の意味と幸福の概念と神の概念・・・
進化=霊的成長=神格化=(相対的に)高い認識を獲得する事・・・
霊的成長=神に近づく事=真の幸福の意味。
霊的成長度は1番目のオーラに顕れる。
よって、宇宙的プログラムにより次の段階に移行する人(日止、霊止)は、 何を考えるべきなのか・・・
そして、人(日止、霊止)の進化を阻む存在の思惑、
その心=靈の動き、それらの意図・・・それが一般に認知されていない事。
それらを伝えなければ成らない・・・そして一応・・・完結はしたのですが・・・
解り難い・・・理解しがたい・・・具体例を示して欲しい・・・そう言う感想も頂き、
そして自分なりにも説明が足らなかった事・・・
更に、
“Kellyさんとの会話”が完結してからも通信を受けている事・・・そう云う事もあり・・・
よって、このブログを立ち上げる事としました。
従って、
“Kellyさんとの会話”が、
自分の意見を述べる上での、ローム太霊の言葉、
“右往左往”(“いきり立つ心(奴と心)”で行動してから考える)・・・と、 するならば、 このブログはアタシ自身の、
“左往右往”(“思う、憂う”・・・体験を教訓として考え行動する)の、
作業になって行くと思います。



自分達の欲望を満たしたい… 
自分だけ幸福になりたい…
こういった進化程度の低い心(靈)の発現由来の思いが、
低い幸福の概念になり(目下(めした)の思い)
その結果が、飢餓貧困、戦争の原因になったりしています。
(子供の浮游霊の霊的干渉の影響を受け、 それがどんどん増して行く事等が、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)
の思惑だと 思えます)

恨みの連鎖による霊的干渉を増やさない為、
その解消の為にも、(この趣旨に反する類の物もありますが) クリックをお願いします。
クリックした人に、お金の負担はありません。 ↓↓




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