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“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話

太陽凝視を一生涯の“行”とし(現在、46年目)、実践し、その上で獲得した認識を述べています。

“日月神示”下つ巻 第九帖 Kellyさん的解釈



今回も、下つ巻 第九帖を解釈しまんねん。
原文は以下の通り、

今度の戦は
ローレンツ力と ○  とローレンツ力を持っていない霊=○、荷電粒子の場(フィールド)  との大戦ぞ。
神様にも分らん仕組が世の元の神がなされてゐるのざから、
下(しも)の神々様にも分らんぞ。
何が何だか誰も分らんやうになりて、どちらも丸潰れと云ふ所になりた折、
大神のみことによりて この方らが神徳出して、
九分九厘という所で、
神の力が何んなにえらいものかと云ふこと知らして、
悪のかみも改心せなならんやうに仕組みてあるから、
神の国は神の力で世界の親国になるのぞ。
ローレンツ力と ○ とローレンツ力を持っていない霊=○、荷電粒子の場(フィールド)  とは心の中に「 ローレンツ力 」があるか「ローレンツ力  」がないかの違ひであるぞ。
この方は三四五(みよいつ)の神とも現われるぞ。
江戸の御社(みやしろ)は誰でも気楽に来て拝める様にして置いて呉れよ、
この方の神示(ふで)書く役員、
神示うつす役員、
神示説いてきかす役員要るぞ、
役員は人の後について便所を掃除するだけの心掛ないとつとまらんぞ、
役員づらしたら直ぐ替身魂使ふぞ。
七月の十七日、一二のか三。


この文章の中で大事なのは以下の二つの文で、これが解釈が出来へんと、
下つ巻 第九帖は、何の事か解らへんと思える。

“今度の戦は
ローレンツ力と ○ローレンツ力を持っていない霊=○、荷電粒子の場(フィールド) との大戦ぞ。”

ローレンツ力と ○ローレンツ力を持っていない霊=○、荷電粒子の場(フィールド) とは心の中に「 ローレンツ力 」があるか「 ローレンツ力 」がないかの違ひであるぞ。”

ローレンツ力と ○ と ローレンツ力を持っていない霊=○、荷電粒子の場(フィールド) の違いをKellyさん的に説明すれば、
今までも述べてきたように、
 
ローレンツ力を持っていない霊=○、荷電粒子の場(フィールド) は霊、そして心(靈)、それは荷電粒子の場(フィールド)で、
それは肉体を持っていようがいまいが、
生命(生きる使命=存在理由)でもあり、生命=靈=心であり、
ほんでから心(靈)って言うのんは、事象の観察をして認識をしている。
ほんでから、観察と認識って言うのんは、
神さんと共通の行いって事を、前のブログで先生と話した。
ほんでから生命は、霊的進化を果たす為に存在しているし、
神さんに近付く為に存在しているとも言い得る。
そして人は、霊的進化したならば、
“上”の思惑を自分達が創造する事象に顕現し、
それは、“日月神示”内の表現ならば“うれしうれし”“大歓喜”で、
先生の表現ならば自分が観察し得るすべての事象が神聖なものになって行く。
ほんでからにそれは、Kellyさんの幼稚な表現ならば、
前のブログで、天国の創造って事を先生と話しながら思ったやんか。

そやから人間と動物の違い、
それは幸福の概念を持ち、
自分たちより“上”の存在として神さんの認識をし始めた事。
そやからこそ人は自分達の幸福を求めてるし、良いカタチの創造をしようとしている。
そやけど今、間違えてる。
良いカタチの創造、神聖な世界の創造をするためには、
当然、智性(日を知った上で獲得した性質)=神性を持って無いとアカンのやけど、
どれ位、智性を取り込んだのかは“一”=智性=1番目のオーラに示されるんやけど、
それは自分の心(靈)が“上”に向かうローレンツ力
ローレンツ力 を持って無いと、
自分より“上”の思惑を取り込めない。

ほんでから、“上”の思惑を取り込むためのローレンツ力
ローレンツ力  は、
その要素として二種類が考えられ、
その二種類って言うのんは、
オーラの質と、大きさ=量やと思える。
(質量って言うのんは、この世界=三次元の物質世界の法則性の表れやと思う。)

そやから、オーラの質=“上”の心(靈)の発現。
それに付いて説明すれば、
前のブログでも、今までの“日月神示”Kellyさん的解釈でも何回も言うた事やけど、
人(日止、霊止)が動物と違い、心(靈)の発現が“上”に向かう、
それは自分が持っているローレンツ力
ローレンツ力 による荷電粒子の回転=チャクラ、
これを構成する振動が今までの進化過程より“上”でなければいけないし、
それは、動物よりも“上”のチャクラを覚醒して来た人(日止、霊止)、
人(日止、霊止)が持っている心(靈)の振動、
詳しく述べれば、
本能、情動、功名心、自我、愛(炁)、創造、知恵、智慧、智性という振動の、
愛(炁)=アナハタチャクラ以下の、
“下”三つのチャクラでの心(靈)の発現は、
本能、情動、功名心、自我、・・・それが中心の心(靈)。
そやから肉体の構造が、“一”“二”“三”、
言い換えれば“上”“中”“下”で違うから、
三つのオーラ、“一二三”のオーラの基底はそれぞれ違うし、
また、“一二三”のオーラの発振、発信をするのは、
頭、胸と手、腹と足、
それぞれ肉体を構成する器官の構造と電気特性は違う。
当然その部分々々で受信して増幅する振動も違うし、
発振、発信される振動も質が違う。
その質が心(靈)の発現とある意味同義でもある。
ほんでから、今までの地球での人(日止、霊止)の進化過程は、
腹の段階のオーラの発振、発信と、その心(靈)の発現で、
こんなことは何回も言うた事や。
そやから、
心臓=愛(炁)、アイ、アナハタチャクラのエネルギー循環が、
“下”三つのチャクラで行われてる心(靈)の発現とその心の動きが、
自我の確立=固定化で、
そして、その段階から“上”に向かうために、今、自我の肥大がおき、
そやから自己奉仕者の行いは失敗を体験する。
これも何回も言うた、右往左往から、左往右往に入るって事でんねん。
失敗せんと自省(胸の磁性“十”)して“上”に向わへんって事でんねん。
ほんでから、自分の心(靈)に対し、
“上”の心(靈)の発現に示されるその高い振動の取り込みは、
右往左往と左往右往の人生に於いて悩み苦しみ、
自省(胸の磁性“十”)の行をしながら、
段々、“慈悲”と“慈愛”と“智性”と、
智性由来の“力”の顕現と言い得る“智慧(日を知る事=智性の恵み=慧)”の、
心(靈)の発現に至る。
そやから、今後の進化は=アセンション後の人の進化は、
アナハタチャクラ=“慈悲”と“慈愛”の心(靈)の動きが中心になり、
それ由来の事象の“創造”=神の思惑と生命の思惑、
普遍的に実在する創造主のオーラ(宇宙背景放射)と、
人の肉体の磁性によるローレンツ力 により、
自分の心(靈)が今より相対的に“上”の電磁波(振動)との相互干渉をして行く。
そやからそれは、
今、とても多い心(靈)の動きの、欺くとか騙すとか嘘をつくとか奪うとか、
“下”三つのチャクラ由来の心(靈)の動き=自我の確立=固定化の段階に、
“魔”=マーラ(魔羅)が入り込み、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)の傀儡(かいらい、くぐつ、操り人形の意味)になるってことは、
アセンション後はなくなる。

そやからこそアセンション後の世界に位置できる霊的資格って言うのんは、
自分の心(靈)の動きを自分で観察し、その中に、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”と“善(神格化の方向性と智性の受信)”を、
見出せる人でもある。
それが又、“日月神示”の表現の“身魂掃除”“身魂洗濯”でもある。

ほんでからもう一つの要素、オーラの大きさ=量は、
肉体の磁性を構成する電圧の問題でもある。
それは生体内電流の強化でもあり、難行苦行でもある。
ほんでからそれは、又、
身に降りかかってる霊的干渉による因縁とか、
生きていく上で困難な事とか、苦難とかに遭遇し、
それらを自分に対する試練とする=そう捉えて生きる。
それらは自分の心(靈)の在り方でしかない。
そやからそれは、
心(靈)の在り方により“行と修行”って考え方もできるし、
霊的成長を果たしてくべき人は、
身に降りかかった因縁でも、“上”が自分を試しているテスト=試練って解釈をして、
しっかり向き合い、そこで頑張って(元の気を張って)対処する。
そう言う心(靈)の動きならば、“上”の存在は通信を送り、
その“行”と言える事をうまく乗り越すために手助けしようとする。
それが又、S会=紫光会の交霊会でよく言われた言葉、
神は乗り越えられない困難は与えない”の意味でもある。

人がその困難に対し頑張るからこそ、
“上”の霊的存在は、その人を導こうともするし手助けもする。
そやからそれは、教訓を得ようとする心(靈)の動きってことでもある。
教訓を得た心(靈)って言うのんは認識(悟り、幸取=さとり)を獲得し、
結果それはオーラの拡大って事になる。
又、智性の獲得により、段々神性の顕現って事にもなる。

そやけどそれに対し、頑張らんと逃げてる人には、
甘い囁きをするたくさんの悪霊が憑き、
目先の快楽とか、見せ掛けの愛(炁)の言葉に翻弄され、
癒しなんてことを求めたりもする。
ほんでから低い心(靈)の発現のまま“上”に向かわん人は、
生き方を間違えてあくどい金儲けしたり、人を食い物にしてまで金儲けしたり、
体を売ってまで金儲けしたり、そして(通貨としての)金を得ることが、
自分の幸福やと思い込む。
そやからそんな人は失敗して自省(胸の磁性“十”)せんならんし、
その時に自分の在り方を少し間違えると自殺したりもする。

話が逸れてもたけど、オーラの大きさと質を求めること自体が、
心(靈)の在り方、苦難を試練と捉える自分の心(靈)の動き、
そしてそれは、“上”の振動を取り込まんならん。
ほんでから敢えて言うまでもない事なんやけれど、
“上”の振動を取り込む事とその肉体の仕組みも、
一部、このブログで言うてるって事やねん。

そやからそれは、様々な宗教で説かれている“行と修行”・・・
今はこう言う事も形骸になってるけど、
単なる儀式や儀礼にしかなってないけど
苦しんだり苦痛を感じたり悩んだり行や修行をしたりすることそのものは、
すべて生体内電流の強化になる=ローレンツ力の強化にもなる。
その時の心(靈)の在り方をローム太霊さんは、
苦に苦を重ね苦を求め更に苦を求めるのだ、楽を求めてはいかん
それと“粘りとやせ我慢”って言うてはる。
そうやって頑張らんと肉体の磁性は強化されず、
当然、“身魂磨き”=肉体組織の結晶化にはならない。

ほんでから、今現在の“行と修行”の通念って言うのんは、
形骸の宗教のおかげで、てんで甘い(亜、魔、出ずる、泉)ものになってて、
そやからそれは、お経を読んだり祝詞を唱えたりシャワーみたいな滝に入ったり、
宗教の概念で説法をといたり・・・そんな程度の事が、
“行”やと思われてるふしがある。そやけどそれは“行”ごっこでしかない。
そんな程度の事で、自分が霊的成長を果たし、
“身魂掃除”“身魂洗濯”“身魂磨き”が出来るって錯覚を起こさせるのが、
又、“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)・・・
その存在の思惑と思える。
そやから今の形骸の宗教の認識の“行と修行”の通念は、
悪魔の思惑の顕現により、低いものになったと言える。
そして生体内電流の変容としての“行と修行”と、困難を自分の霊的成長に対する試練と思わない人、それを厳しく自分に行えない人は、悪魔の傀儡であると言い得る。
ほんでからに、
太陽凝視=不食って認識を与えようとしているのも、
“身魂掃除”“身魂洗濯”を身の回りの片付けとか思わせるのも、
アセンションに夢のような妄想を抱くことも、
すべて、
人の低い心(靈)の発現、低い自尊心と功名心をうまく利用している悪魔の囁きと言い得るし、
ほんでから、その囁きに心を取り込まれている人は、
低い自尊心と功名心=自我の肥大で、
自分が悪魔の傀儡になっているなんて考えもしない。
気が付かへんって事でんねん。

“行と修行”の通念が低くなってしまったことは、
宗教を形骸にした人にも責任があることなんやけど、
価値のあるものを形骸にした心(靈)の動きって言うのんは、
目先の欲、権力欲、(通貨としての)金、ほんでから低い功名心と自尊心、
そう言うことに囚われてる人を指して、下つ巻 第九帖では、
“役員づら”とか“替え身魂使ふ”って言われてると思う。
それは、形骸の価値感で形骸の地位と名誉を得たり、
又、形骸の地位と名誉を獲得しようとしたり、
ほんでから人に説法を説いたり・・・悪人の“悪(心の動きの本能化と低振動化)”を指摘して自分の低い功名心と自尊心を満足させ、
そんな事が素晴らしい事やって思われてる通念があるから、
そやから、今、只々現状を批判して、自分だけは違うって思うてる人は多い。

そんな事で霊的成長になる訳がない。

そう言う形骸の事に囚われてる自分の心(靈)の観察は、
自分の外側(外国と幽界)の観察由来の認識しか出来ず、
ほんでから、形骸の宗教に携わっている人とおんなじような事して、
自分が霊的成長して行くって思うてる人は、
言い換えれば錯覚してる人は、今、とても多い。
そやから“行と修行”=生体内電流の強化=オーラの拡大、
心(靈)の在り方=右往左往と左往右往。
“ひふみゆらゆら”=“一”“二”“三”のオーラ、それぞれの左右の磁性の右往左往と左往右往。
それが理解できてへん=ここまで言うて来た通念の認識しか無い人は、
アセンションの時期にまにあわへんって結果にしかならへん。

ほんでからさっきも言うた事やけど、心(靈)が観察する事象、
観察による認識=オーラの質と、大きさ=量によって個人々々の差があること。
そこに、今回解釈してる下つ巻 第九帖の表現、

ローレンツ力と ○ローレンツ力を持っていない霊=○、荷電粒子の場(フィールド)  とは心の中に「 ローレンツ力 」があるか「ローレンツ力  」がないかの違ひであるぞ。”

“上”に向かうローレンツ力
ローレンツ力 が加わってるからこそ、“上”の思惑を自分に取り込むことが出来る。
そしてそれは、現時点より相対的に“上”の心(靈)の発現になる。
それは先生の概念、
本能、情動、功名心、自我、愛(炁)、創造、知恵、智慧、智性という振動で、
人(日止、霊止)の心(靈)の動きを分類できるし、
人はこういう言葉を使って自分達の心(靈)の動きを観察出来得る。
動物に比べ人はそう言う知恵(智慧とは違うって言う意味)を持ったし、
自分の心(靈)の動きを観察してそして行動をする。
そこに智性が無いからこそ自我以下の振動が主体の人間が多い。
そやからそれは、“上”に向かうローレンツ力
ローレンツ力 の無い心(靈)、そう言う心(靈)の動きは、
先生の“悪”の概念でそれは神格化と反対でもある低い心(靈)の発現で、
それは又、人(日止、霊止)の動物化でもあり、
そやから先生は、“悪”を心(靈)の動きの本能化と低振動化って定義付けた。
ほんでから心(靈)に“上”に向かうローレンツ力
ローレンツ力 を持たず、
ただ目先の快楽とか見せ掛けの癒しを追い求める甘い(亜、魔、出ずる、泉)人と、
ほんでから現状の批判だけして自分だけ違うって思い込む事が、
それが悪魔の思惑で、
悪魔の思惑通りにする具体的な手段は、
人の低い心を少し煽れば、簡単に人は自分を落とし入れる方向に向かう。
ほんでからそれは何回も言うてるけど、
本能、情動、功名心、自我、・・・それが中心の心(靈)で、
自己奉仕者、“われよし”、自分に対する愛(炁)しか顕現して無い進化過程って事。
そやからこの世界は失敗の世界・・・失敗を体験して自省(胸の磁性“十”)の“行”をして行く世界でもある。
この世界そのものが今、自分達の自省(胸の磁性“十”)を促す為の、
閻魔の庁の浄玻璃の鏡(えんまのちょうのじょうはりのかがみ)みたいなもんやな。
そこで自分の心(靈)は“上”に向かわんと、
“上”の存在との感応共振は起きへんし、
“上”と感応共振せんと自分達の“創造”は、
神の思惑を取り込んだ事象にならん。
ほんでから、
と ・・・その違いって言うのんは、自分達が“行”して生体内電流の強化をして、
人(日止、霊止)として進化して来た、
横の、手と胸の磁性と、
頭と背骨と足で構成されてる縦の磁性、
その両者で構成されてるのが胸の磁性“十”で、
胸の心(靈)の発現=アナハタチャクラの覚醒、
“自省”、“観自在”、“直日(なおひ)”“慈悲”と“慈愛”自分の心(靈)を観察し、
良いカタチを求め、理想を求め、そしてそれは他者を害さないものになって行く。
ほんでからに“上”に向かうローレンツ力
ローレンツ力 を持っていない心(靈)の ローレンツ力を持っていない霊=○、荷電粒子の場(フィールド)  は、
霊的進化の方向性ではなく、
さっき具体的に言うた心(靈)の動きをしている人たちの事でんねん。

そやから今言うたことを念頭において次の文を解釈すれば、 

“神様にも分らん仕組が世の元の神がなされてゐるのざから、
下(しも)の神々様にも分らんぞ。
何が何だか誰も分らんやうになりて、どちらも丸潰れと云ふ所になりた折、
大神のみことによりて この方らが神徳出して、
九分九厘という所で、
神の力が何んなにえらいものかと云ふこと知らして、
悪のかみも改心せなならんやうに仕組みてあるから、
神の国は神の力で世界の親国になるのぞ。”

この文の、
“神様にも分らん仕組が世の元の神がなされてゐる”
これは霊的進化の法則性でもある“上”の思惑を取り込む仕組み、
ローレンツ力
ローレンツ力 って事でんねん。
ほんでから人が神さんって認識してる霊的存在にも“上”と“下”がある。
それから・・・形骸の宗教で言われてる形骸の神様もある。
大体低い霊的成長度やと、本当の神の意味も判らへんし、
神さんに甘い夢を求めたりもする・・・そうやって今、形骸の宗教が成り立ってるし、
ほんでから現状の批判だけして、
自分は批判してる対象より“上”って錯覚してる人達の心、
例えば“日月神示”の解説本やら、
アセンションの事を話題にして心(靈)の在り方を考えましょう・・・
そやけどそう言う人たちでも所詮本を売って金儲けしてる。
それは一般の人に、
啓蒙や啓発って言う意味で神さんの事を述べたには違いないけれど、
それだけでは霊的成長にならず、
その人の価値はただ理屈を述べたに過ぎない。
それは自分の外側(外国と幽界)の事象の観察をして、
ただエラそうにした=低い功名心と自尊心を満足させたって事にしかならない。
ほんでから、今とても多い、
“日月神示”を扱ったサイト、太陽凝視を扱ったサイト、アセンションを扱ったサイト・・・そのサイトのほとんどに、そう言う低い心(靈)の動きが観られる。

そう言う意味の事も含め、以下の文、

ローレンツ力と ○ローレンツ力を持っていない霊=○、荷電粒子の場(フィールド) とは心の中に「 ローレンツ力 」があるか「 ローレンツ力 」がないかの違ひであるぞ。”

今Kellyさんが言うた事をよく考え、自分を振り返って欲しいもんやな。

ほんでから次の文、

“この方は三四五(みよいつ)の神とも現われるぞ。”

“三四五(みよいつ)の神”は、
“三”=三つのオーラ、肉体を持った霊=○、荷電粒子の場(フィールド)が持つ、
上中下のローレンツ力によるオーラの発振、発信
“四”=、“四”は、象形文字で、
開いた口の中に、舌や咽頭が見える様子って事らしく、
それは“息をつく”って言う意味を持ってるやんか。
息・・・それは、 息と言う字の構成が自分の心(靈)で、
ほんでからに、自分の心(靈)の発振、発信が、息吹って事。

“五”=糸巻きの象形文字。肉体の磁性を構成する神経線維のこと。

“現われるぞ。”=発振、発信して示すってこと。

ほんでから次の文、

“江戸の御社(みやしろ)は誰でも気楽に来て拝める様にして置いて呉れよ、”

“江戸の御社(みやしろ)”の“江戸”は、
江は腹、戸は、腹の“上”に対する境界、
ほんでから“御社”は、
示す偏(へん)と“土”=肉体でんねん。
そやから、腹の段階の心(靈)の発現は“上”に向かわんと、
胸の心(靈)の発現“慈悲”と“慈愛”にはならん。
それを示しているのが古事記の天の岩屋戸の話で、
天照大神を引っ張り出したのは、
手の磁性を示す天手力男神(あめのたぢからおのみこと)で、
それは、腹の右往左往と左往右往、サイクロトロンの段階から、
シンクロトロンに移行する肉体の磁性の変化でもあるし、
手を使い出した四足の動物とは違う人間の進化過程でもある。
そうやって動物とは違う人の心(靈)の発現は、
自我から“上”の“慈悲”と“慈愛”になり、
同時に、
智性(日を知った上で獲得した性質)の振動を取り込む肉体の磁性の強化にもなって行く。
ほんでからにこの事は、こんな程度の説明では解り難いやろから、
前のブログの、“エピローグ 神の思惑と顕現・・・神聖な事象”・・・を、
よく読んでもらって、
ほんでから、
肉体の組織の結晶化に付いては、“思惑と顕現”ってタイトルが付いてる記事を、
よく読んで欲しいねん。

ほんでから次の文、

“この方の神示(ふで)書く役員、
神示うつす役員、
神示説いてきかす役員要るぞ、”

“この方の神示(ふで)書く役員、”=知識で理解すること。
“神示うつす役員、”=相対的に“上”の心(靈)の発現で、
それは智性(日を知った上で獲得した性質)と“慈悲”と“慈愛”で認識し、
“神示説いてきかす役員要るぞ、”=説いて聞かすって言うのんは、
相手に解らせる=認識させるっていう意味で、
神示(ふで)=神の思惑と、“上”の思惑を受信して現象化した肉体=示す、
示すは、二=肉体と亅部(けつぶ こう かぎ)これは“上”から“下”に書き、
“上”から“下”は(たて棒、コン)で表されてるけど、
亅部(けつぶ こう かぎ)は“下”から向かって左上にはねる。
“下”に降りた“上”からの振動は日足(ひたり)“上”に向かうからこそ、
良い“創造”=神の“思惑の顕現”=現象化が出来ていく。
そしてその亅部(けつぶ こう かぎ)の両側には、
丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)と乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現)を示す、
二つの点があり、これは又先生の解釈としては回転を示しているって事になる。


そう言うオーラの発振、発信をするって事でんねん。
それが・・・そういう霊的進化を果たした人(日止、霊止)を指して、
“この方”と言い表され、
その行動=発振、発信=事象の創造が、今Kellyさんが説明したとおりの、
この事象に書き記すって言う意味で、
“神示(ふで)”って事でんねん。

ほんでから次の文、

“役員は人の後について便所を掃除するだけの心掛ないとつとまらんぞ、
役員づらしたら直ぐ替身魂使ふぞ。”

この文の中の“役員づら”はさっきも言うた事で、
形骸の認識しか持っていない人すべてを指し、
そう言う人は低い功名心と自尊心で心(靈)の動きが構成され、
ほんまに苦難や試練を“行”と捉えられないからこそ、
“人の後について便所を掃除するだけの心掛ないとつとまらんぞ、”って言われ、
それに対し、
自省(胸の磁性“十”)の“行”をしている人=左往右往に入っている人は、
“役員づらしたら”・・・なんて事はしないって事でもあり、
ほんでからに、
形骸の認識で批判だけして自分だけえらそうに振舞う人を対象にしている言葉が、
“役員づらしたら直ぐ替身魂使ふぞ。”でもある。
そしてこの言葉は、
本当の意味での“行と修行”をした人が、
形骸の認識で地位や名誉を獲得した今の宗教関係者や政治家やら、
アセンションや“日月神示”を自分なりの解釈で説明しただけの人、
その人たちの共通する点は低い功名心と自尊心、
それゆえの行動が、
それゆえの心(靈)の状態が“上”に向かうローレンツ力
ローレンツ力  の無い心の、
 
ローレンツ力を持っていない霊=○、荷電粒子の場(フィールド) でもあり、
ほんでから今後はそう言う“行と修行”をしない人にとって代わり、
相対的に今と違う心(靈)の発現による価値感で次の世界の構築を、
果たして行くからこそ、

“大神のみことによりて この方らが神徳出して、
九分九厘という所で、
神の力が何んなにえらいものかと云ふこと知らして、
悪のかみも改心せなならんやうに仕組みてあるから、”

これは、次の世界=アセンション後の事象の“創造”、
それは、神の思惑と生命の思惑、電磁波(振動)の相互干渉をして行く。
“上”の心(靈)の発現をして行動し、
事象の“創造”を時間の進行と共にして、段々、神さんの思惑を顕現して行く。
そう言う言葉やと思いまんねん。

その使命ある人が“大神のみことによりて”と示され、
それは霊的資格を示し、使命=“大神のみこと”を示し、
“上”の思惑を取り込んだ心(靈)の動き=発振、発信=行動をする人(日止、霊止)が
“この方らが神徳出して、”って事でんねん。

ほんでから・・・今でもそうやけど、今後どんどん醜い事象は増えていく。
それは、
 
ローレンツ力を持っていない霊=○、荷電粒子の場(フィールド) の心(靈)の人たちはどんどん失敗を体験して、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の思惑に嵌まってしまった人は、
自省(胸の磁性“十”)もしない・・・自分の在り方を考えんからこそ、
自分より“上”の霊的存在の通信を受けず、
ちょっと浮游霊が囁いたなら、間違えて自殺したりもして、
ほんでから死んでしもたその人の心(靈)は、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の霊団に入り、
恨みの連鎖の霊的干渉に加担することになる。
そやから恨みの連鎖の霊的干渉も悪魔の思惑の顕現で、
今、自分たちが“上”に向かう世界を構築しようとするならば、
少しでもそう言うことを思うならば、
この事象の恨みの連鎖の霊的干渉を解決するように自分の“力”を使う・・・
そうして行くことそのものが、そう言う心(靈)の動きが又、
“上”の思惑を取り込んだ人(日止、霊止)の在り方でもあると思えるんやけど、
それでも・・・やってきたことの結果は出るやろうけど・・・

・・・今回はこれくらいにしときまんねん。

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このブログを書いている○○○の、
心(靈)の二面性であり、
同一人物で有る事を、
お断りしておきます。

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四冊目&五冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈4〉
智性無き心は
悪を容認する


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈5〉
智性無き心は
アセンションを見誤る

 この二冊は、同時発売です。
太陽凝視を行っている鍼灸師の話 <4> 智性無き心は 悪を容認する & 太陽凝視を行っている鍼灸師の話 <5> 智性無き心は アセンションを見誤る サムネイル
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2010年 4月20日(火)ごろより、全国書店(紀伊國屋書店・三省堂書店・旭屋書店・ジュンク堂書店・ブックファースト・リブロ・丸善など)にて順次陳列。


発売中の三冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈3〉

神格化のプロセス
目上(めうえ)と目下(めした)


神格化のプロセス 目上と目下 縮小版 ブログ用
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発売中の二冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈2〉

ローム太霊の教え
日足(ひたり)と砌(みぎり)


サムネイル太陽凝視を行っている鍼灸師の話〈2〉ローム太霊の教え 日足(ひたり)と砌(みぎり) 
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お近くの書店にない場合は
たま出版のサイトでお買い求めください。

発売中の一冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈1〉

ローム太霊との出会い


太陽凝視を行っている鍼灸師の話〈1〉ローム太霊との出会い
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たま出版のサイトでお買い求めください。

この本に付いてはこちらを御覧下さい。


       




初めての方は、
・・・その後の事と・・・これからの事。
からお読みください。

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☆ Kellyさん的事象の観察と認識 (107)
Kellyさんがこのブログに霊縁あった人(日止、霊止)に伝えたい事 (24)
Kellyさんと○○○大先生との会話 (7)
Kellyさんとチョ~極上ラブラブ中高年夫婦はんとの会話 (6)
Kellyさんとチョ~ベッピンはんのA野はんとの会話 (7)
Kellyさんと∪・ω・∪ ▼・。・▼ ▼・。・▽ U・。・U U。・ェ・。U たちとの会話 (34)
Kellyさんとメタボ研修医のYっちゃん先生との会話 (2)
Kellyさんとややメタボ内科医のYっちゃん先生との会話 (7)
Kellyさんと和風のベッピンはんのSはんとの会話 (2)
Kellyさんと農業好きの社長婦人K地M美はんとの会話 (12)
KellyさんとNominyan ∥*σ_σ*∥&Senyapoo λ*゜ο゜*λ との会話 (6)
☆ Kellyさん的“日月神示”解釈 (603)
Kellyさんが、“日月神示”の解釈をして行くに当たって・・・考えた事。 (46)
“日月神示” 上つ巻 (42)
“日月神示” 下つ巻 (38)
“日月神示” 富士の巻 (26)
“日月神示” 天つ巻 (30)
“日月神示” 地つ巻 (36)
“日月神示” 日月の巻 (68)
“日月神示” 日の出の巻 (23)
“日月神示” 磐戸の巻 (21)
“日月神示” キの巻 (17)
“日月神示” 水の巻 (36)
“日月神示” 松の巻 (30)
“日月神示” 夜明けの巻 (26)
“日月神示” 雨の巻 (18)
“日月神示” 風の巻 (15)
“日月神示” 岩の巻 (11)
“日月神示” 荒の巻 (27)
“日月神示” 地震の巻 (93)
☆ Kellyさん的“ローム太霊講話集”解釈 (149)
☆ 紫光会経文の文言 Kellyさん的解釈 (18)
☆ ○○○大先生的バシャールの文言解釈 (9)
☆ 先生が撮るけったいな花の写真 (22)
☆ 先生が撮る比較的まともな写真 (32)
☆先生が室内で写真を撮るときのセッティング (6)
その他 お知らせ (3)



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2005年10月1日~2008年1月15日まで、
“Kellyさんとの会話”で、説明して来た事・・・
その内容・・・それは・・・その何年も前から、
何か自分の考えをある程度公表しなければならない・・・
そう言う通信を受け・・・その理由は・・・地球人が低い心(靈)の発現しかしていない・・・
それを自覚していない人が多い。
その事由来の太陽凝視に対する認識、
(太陽凝視=不食・・・としか、認識させない存在の思惑を、受信している事)
霊的成長に対する認識、
神に対する認識、
心=靈に対する認識、
オーラに対する認識、
そして、
高い認識の上での進化の意味と幸福の概念と神の概念・・・
進化=霊的成長=神格化=(相対的に)高い認識を獲得する事・・・
霊的成長=神に近づく事=真の幸福の意味。
霊的成長度は1番目のオーラに顕れる。
よって、宇宙的プログラムにより次の段階に移行する人(日止、霊止)は、 何を考えるべきなのか・・・
そして、人(日止、霊止)の進化を阻む存在の思惑、
その心=靈の動き、それらの意図・・・それが一般に認知されていない事。
それらを伝えなければ成らない・・・そして一応・・・完結はしたのですが・・・
解り難い・・・理解しがたい・・・具体例を示して欲しい・・・そう言う感想も頂き、
そして自分なりにも説明が足らなかった事・・・
更に、
“Kellyさんとの会話”が完結してからも通信を受けている事・・・そう云う事もあり・・・
よって、このブログを立ち上げる事としました。
従って、
“Kellyさんとの会話”が、
自分の意見を述べる上での、ローム太霊の言葉、
“右往左往”(“いきり立つ心(奴と心)”で行動してから考える)・・・と、 するならば、 このブログはアタシ自身の、
“左往右往”(“思う、憂う”・・・体験を教訓として考え行動する)の、
作業になって行くと思います。



自分達の欲望を満たしたい… 
自分だけ幸福になりたい…
こういった進化程度の低い心(靈)の発現由来の思いが、
低い幸福の概念になり(目下(めした)の思い)
その結果が、飢餓貧困、戦争の原因になったりしています。
(子供の浮游霊の霊的干渉の影響を受け、 それがどんどん増して行く事等が、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)
の思惑だと 思えます)

恨みの連鎖による霊的干渉を増やさない為、
その解消の為にも、(この趣旨に反する類の物もありますが) クリックをお願いします。
クリックした人に、お金の負担はありません。 ↓↓




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