“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話

太陽凝視を一生涯の“行”とし(現在、44年目)、実践し、その上で獲得した認識を述べています。

“日月神示”下つ巻 第十帖 Kellyさん的解釈



今回も“日月神示”下つ巻 第十帖を解釈しまんねん。
原文は以下の通り、

八月の十日には江戸に祭りて呉れよ。
アイウは縦ぞ、
アヤワは横ぞ、
縦横揃うて十となるぞ、
十は火と水ぞ、
縦横結びて力出るぞ。
何も心配ないからドシドシと神の申す通りに御用すすめて呉れよ。
臣民は静かに、神は烈しきときの世 近づいたぞ。
七月の十七日、一二 ローレンツ力と ○


冒頭の文、
“八月の十日には江戸に祭りて呉れよ。”
これは決して日付のことを言うてるのではなく、
“八”は、左右=砌(みぎり)と日足(ひたり)の極性。
そやから“八”と“月”=肉体。
“十”は、人(日止、霊止)の肉体が持つ縦の磁性と横の磁性、
そやからそれは、腹の段階の右往左往と左往右往=サイクロトロンから、
シンクロトロンに移行する様子を示したのが“十”であり、
ほんでからその時の心(靈)の発現って言うのんは、
自我の確立=固定化から、“慈悲”と“慈愛”になって行く。
そやから胸の磁性“十”と“日”・・・“上”の振動、
“日月神示”の表現ならば“ひむか”。
ほんでからこれも今までも何回も言うた事やけど、
“江戸”は、腹の段階=“江”、腹と胸の境界=“戸”。

そやからこの文章自体が人(日止、霊止)のこれからの進化である、
胸=アナハタチャクラの心(靈)の発現を言うてるし、
それは自己奉仕者の世界=自我の確立=固定化から自我の肥大になっている段階の心(靈)の進化過程から“上”に向かうことを示す。

ほんでから次の二つの言葉、
“アイウは縦ぞ、”
“アヤワは横ぞ、”

この文の“アイウ”のアは、
愛(炁)、アイのア、“亜”でもある。
これも何回もその解釈を述べたから敢えて説明しまへんねん。

ほんでから、イとウに付いては以前の記事、
“日月神示”上つ巻 第二十四帖 Kellyさん的解釈から、
コピペししときまんねん。

      

“「イ」”は、
丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現) + (たて棒、コン)
これも前に言うたけど、もう一回言うとけば、
“イ”は、神の思惑がこの世界に垂れた形を指し、
“「イ」”は、
息吹、伊吹、でも有り、
命(いのち)でも有り、
生きる、活きる、でもあり、
生きるって字そのものが、
丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)と乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現)でも有り、
(Kellyさんが、“日月神示”の解釈をして行くに当たって・・・考えた事。 参照)
ほんでから、“生”から、
丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)を外した残りの字は、
三 + (たて棒、コン)で、
この場合の(たて棒、コン)は“一”=智性=1番目のオーラの“上”から、
“下”に降りてる。
そやから、 頭より“上”って事でんねん。

息吹と命の“「イ」”は、 愛(炁)、アイ、のイでもある。
“道ひらき”の“風止麻邇言霊学(ふとまにことだまがく)”には、
生気生命の発生力って表現がされてる。
それはまさに、
“亜”“ア”が下に垂れる形が“イ”・・・
そう言う感じ(感じる磁性)を受ける。

ほんでから“「ウ」”は、
又、“風止麻邇言霊学(ふとまにことだまがく)”から引用すれば、
生物を生み出す力で、
産土(うぶすな)の“ウ”でもある。
そやから、
“「イ」「ウ」の身魂は介添えの御用ぞ”

“「イ」「ウ」”は、
“身魂” に備わった仕組みでもあるし、
それは、
霊的成長=神格化=幸福の意味。
それを指し示し、
それを成さしめる仕組みでもあるからこそ、
“介添えの御用ぞ”・・・と、言われてると思える。
そやからそれは、
心(靈)が、
時間の進行=儿部(じんぶ、にんにょう)を、
(心(靈)が)認識し、
そして心(靈)は“上”に向かい、成長をする。
要は、
“「イ」「ウ」”で事象の創造をする。
それが、
人(日止、霊止)と神の性質とも言い得る、
観察と認識でも有り、
それは、
発振、発信と受信によって成されるって事でもある。

そやからこそ人(日止、霊止)は、
神に近づく事そのものが、
“上”に向かう事そのものが、
良いカタチの現津(あきつ)=観察され得る事象を望み、
それは、
心(靈)の呼吸、息吹、気吹、生吹、によって成される。
その事を極めて地球人らしい言い方をすれば、
人は幸福を求めるって事で、誰もが幸せになりたいし、
それを、“日月神示”の表現で言えば、
“うれしうれし”でもあるけれど、
それは現状に対し、
相対的な観察でもあるな。

    ↑
・・・以上でんねん。      


ほんでから同じ様に、“アヤワ”のヤとワに付いても、
“日月神示”上つ巻 第二十四帖 Kellyさん的解釈から、
コピペししときまんねん。

     

“「ヤ」”は、
“道ひらき”の“風止麻邇言霊学(ふとまにことだまがく)”から引用すれば、
“その心は高台(たかと)高き段に進む”って、
書いてあった。
これは先生の概念の、
アイ、愛(炁)“亜”が出(いずる)・・・
その心(靈)の動きって言うのんは、
自分の良い形を求める。
ほんでから、自分を含めた現津(あきつ)=観察され得る事象の、
すべての良いカタチを求める。
そして、霊的成長そのものを指す。
そやから、
高台(たかと)高き段・・・そう認識され得る何かを、
求める。
時間の進行と共に求め続けるのが人(日止、霊止)でもある。
日止、霊止は、“上”の振動を止めるって言う意味でもある。
人は、
丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)と、
乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現)でもある。
そやから“「ヤ」”は、
その心(靈)の動きそのもののような気がするし、
それは、
右、砌(みぎり)のエネルギー=“いきり立つ心(奴と心)”(肝)、
それは創造のエネルギーなのかも知れへんな。
多分そうやろ。

ほんでから、“「ワ」”は、
同じく“道ひらき”の“風止麻邇言霊学(ふとまにことだまがく)”に、

“物を生む、生まれしものを和合する意”・・・とか、
生命(生きる使命=存在理由)の調整の義・・・
そう言う表現がしてあり、
ほんでから、
Kellyさん的に思う“生まれしもの”・・・それは、
現津(あきつ)=観察され得る事象そのものであり、
事象の創造は自分の思惑の顕現でもある。
それを心(靈)が観察するからこそ事象を認識出来得る。
そやから、
自分の心(靈)の発振、発信=息でもあり、
呼吸、息吹、気吹、生吹、でも有る。
そやから“「ワ」”は生命(生きる使命=存在理由)調整義で、
和合で、
それは左往右往でもある。
良いカタチの創造でもある。
それをせんならんのが人(日止、霊止)の使命でもあるな。

     ↑
・・・以上でんねん

ほんでからもう一つ“日月神示”上つ巻 第二十六帖 Kellyさん的解釈から、
コピペしときまんねん。

      

“「や」とはその左の身魂、
「わ」とは右の身魂ぞ、
「や」には替へ身魂 や と ○=心(靈) あるぞ、
「わ」には替へ身魂 わ と ○=心(靈) あるぞ、”

この文章の中の、
“「あ」「や」「わ」”・・・と、“ や と ○=心(靈)わ と ○=心(靈) ”・・・
この上つ巻 第二十六帖の表現自体が、
右往左往の中の砌(みぎり)の心(靈)の動きと、
左往右往の中の砌(みぎり)の心(靈)の動きの違いって事やと、
思えるな。

ちょっと複雑やから・・・今言うた事を簡単に表現すれば、
失敗を失敗と判らへんと・・・そう認識して無い心(靈)の発現の儘行動する・・・
それにもエネルギーはいるし、
それは言うまでもなく、
砌(みぎり)のエネルギー=“いきり立つ心(奴と心)”(肝)やけど、
失敗を体験し、
そして自省(胸の磁性“十”)して、
“慈悲(いつくしむ、かなしむ、心(靈)が(非)いたむ)”と、
“慈愛(いつくしみ、いつくしむ)”の心(靈)の発現をして、
その心(靈)の発現をしたからこそ=自我より“上”の心(靈)の発現をしたからこそ、
そやからそれは、
霊的進化を少ししたからこそ、
よいカタチの創造を“上”から託される。
そやからそれは、
第二十四帖での表現でKellyさんが言うた事と反対やけど、
「あ」は、「ア」では無く、
こちら側からの観察の大極の根元での「あ」であるからこそ、
「や」は“その左の身魂、”って言われ、
それは、自分達が観察してる肉体と魂=身魂。
「わ」はその右の身魂で、
それは繰り返すけど、
左往右往の中の左と右、
只単純に右=砌(みぎり)のエネルギー=“いきり立つ心(奴と心)”(肝)と、
左=日足(ひたり)のエネルギー=“思う、憂う”(脾)・・・って事では、
なくなるって事でんねん。

    ↑
・・・以上でんねん。

ほんでから次の文、
“縦横揃うて十となるぞ、”
これは言うまでもなく、胸の磁性“十”のことを指している。

ほんでから次の言葉、
“十は火と水ぞ、縦横結びて力出るぞ。”

火=灬(よつてん、れっか、れんが)腹から“上”に向かうエネルギー。
水=腹=“江戸と尾張”の“江”。
ほんでからこの文の中の言葉、
“縦横結びて力出るぞ。”
それは動物=四足獣から直立して手を使い出した人間への進化を示す。
それは手と胸の磁性でシンクロトロンの構造になって行くって事でんねん。
補足として言うとけばそれは、
天=“一”=智性=1番目のオーラ+人(日止、霊止)+胸の磁性“十”。
シンクロトロン放射のオーラ=白。それに“王”=三つのオーラ、一二三のオーラを縦につないだカタチの字。

そやからそれらを足して天皇。天の白い“王”って事でんねん。

もう一つ補足として、“日月神示”上つ巻 第十六帖 Kellyさん的解釈から
コピペしときまんねん。

      

“水”=腹=“日月神示”内の表現、“江戸と尾張”の“江”、
そして、
“火”は肝であり“いきり立つ心(奴と心)”であり、
“火”と表現されるには、
酸素=肺の機能が必要で、
酸素が無いと物質は火に表される化学変化を起こさない。
そやから“日月神示”やS会=紫光会では、
“火”って言う表現を使った。
多分それは間違いの無い事やろし、そしてそれは、
肝と脾と肺、
肝=“いきり立つ心(奴と心)”と、
脾=“思う、憂う”と、
肺=“悲しい”・・・心が非(いたむの意)、
この三つの心(靈)の動きが、
霊的進化の=心(靈)が“上”に向かう事の、
具体的な事でもあるし、
その為に肉体を持って(霊的)進化しているのが、
人(日止、霊止)でもあるし、
今の地球人は右往左往から左往右往=失敗を体験し、
そして、
自省(胸の磁性“十”)して“観自在”して、
自分を振り返るの意味がある“直日(なおひ)”する。
そしてその心(靈)の動きを自分(の心(靈))は観察している。
そしてその観察による認識は、
教訓になり、
行動=創造の指針になり、
今後の事象の創造に役に立つ。
それが高じれば、
“日月神示”内の表現で言えば“天意”やし、
先生と太陽凝視を教えてくれたKさんの言葉の、
“天の御目”って事になり、
それは、
神の思惑の顕現になる。

そやからこそ、
“火水”=秘密って表現したんやろし・・・


     
・・・以上でんねん。


ほんでから次の文は、

“何も心配ないからドシドシと神の申す通りに御用すすめて呉れよ。
臣民は静かに、神は烈しきときの世 近づいたぞ。”
この文も敢えて説明はいらんと思うけど、今、形骸の価値感で世界は動いている。
だから失敗の世界なんやけど、今後アセンションと認識され得る事象を通り越し、
その後はそれと反対が来るから、
“上”の思惑の受信をした人(日止、霊止)が次の世界を構築して行くからこそ、
“上”の思惑の発振、発信を人(日止、霊止)が受信して顕現して行くと言う意味で、
“ドシドシと神の申す通りに御用すすめて呉れよ。”
ほんでから
“臣民は静かに、神は烈しきときの世”って事でんねん。
今の形骸の価値で動いてる世界とあべこべの事象になり、
それは、アセンション後の地球に残った人(日止、霊止)が、
“上”の思惑を受信しながら、段々、
神聖な事象を創っていくって事でんねん。

今回はこれくらいにしときまんねん。

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2005年10月1日~2008年1月15日まで、
“Kellyさんとの会話”で、説明して来た事・・・
その内容・・・それは・・・その何年も前から、
何か自分の考えをある程度公表しなければならない・・・
そう言う通信を受け・・・その理由は・・・地球人が低い心(靈)の発現しかしていない・・・
それを自覚していない人が多い。
その事由来の太陽凝視に対する認識、
(太陽凝視=不食・・・としか、認識させない存在の思惑を、受信している事)
霊的成長に対する認識、
神に対する認識、
心=靈に対する認識、
オーラに対する認識、
そして、
高い認識の上での進化の意味と幸福の概念と神の概念・・・
進化=霊的成長=神格化=(相対的に)高い認識を獲得する事・・・
霊的成長=神に近づく事=真の幸福の意味。
霊的成長度は1番目のオーラに顕れる。
よって、宇宙的プログラムにより次の段階に移行する人(日止、霊止)は、 何を考えるべきなのか・・・
そして、人(日止、霊止)の進化を阻む存在の思惑、
その心=靈の動き、それらの意図・・・それが一般に認知されていない事。
それらを伝えなければ成らない・・・そして一応・・・完結はしたのですが・・・
解り難い・・・理解しがたい・・・具体例を示して欲しい・・・そう言う感想も頂き、
そして自分なりにも説明が足らなかった事・・・
更に、
“Kellyさんとの会話”が完結してからも通信を受けている事・・・そう云う事もあり・・・
よって、このブログを立ち上げる事としました。
従って、
“Kellyさんとの会話”が、
自分の意見を述べる上での、ローム太霊の言葉、
“右往左往”(“いきり立つ心(奴と心)”で行動してから考える)・・・と、 するならば、 このブログはアタシ自身の、
“左往右往”(“思う、憂う”・・・体験を教訓として考え行動する)の、
作業になって行くと思います。


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