FC2ブログ

“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話

太陽凝視を一生涯の“行”とし(現在、46年目)、実践し、その上で獲得した認識を述べています。

“日月神示”下つ巻 第十四帖 Kellyさん的解釈



今回も“日月神示”下つ巻 第十四帖を解釈しまんねん。
原文は以下の通り、


臣民ばかりでないぞ、神々様にも知らせなならんから、なかなか大層と申すのぞ。
一二三(ひふみ)の仕組とは、永遠(とは)に動かぬ道のことぞ、
三四五(みよいづ)の仕組とは、みよいづの仕組ぞ、
御代出づとは神の御代になることぞ、この世を神の国にねり上げることぞ、
神祀りたら三四五の御用にかかるから、その積りで用意して置いて呉れよ。
この神は世界中の神と臣民と、
けだものも草木もかまはねばならんのざから、御役いくらでもあるぞ。
神様と臣民 同じ数だけあるぞ。
それぞれに神つけるから、早う身魂みがいて呉れよ、
みがけただけの神をつけて、天晴れ後の世に残る手柄立てさすぞ。
小さいことはそれぞれの神にきいて呉れよ、
一人ひとり、何でもききたいことは、病直すことも、それぞれの神がするから、サニワでお告うけて呉れよ、この方の家来の神が知らせるから何でもきけよ。
病も直してやるぞ、その神たよりたなら、身魂みがけただけの神徳あるぞ。
この世始まってない今度の岩戸開きざから、これからがいよいよぞ。
飛んだところに飛んだこと出来るぞ。
それはみな神がさしてあるのざから、よく気つけて居れば、
さきの事もよく分かるようになるぞ。
元の神代に返すと申すのは喩へでないぞ。
七から八から九から十から神烈しくなるぞ、
臣民の思う通りにはなるまいがな、それは逆立してゐるからぞ。
世界一度にキの国にかかりて来るから、一時は潰れたやうに、もうかなはんと云ふところまでになるから、神はこの世に居らんと臣民申すところまで、むごいことになるから、外国が勝ちたやうに見える時が来たら、神の代近づいたのぞ、
いよいよとなりて来ねば分らん様では御用出来んぞ。
七月の二十日、ひつ九のか三。


冒頭の文、

“臣民ばかりでないぞ、神々様にも知らせなならんから、なかなか大層と申すのぞ。”

この文の中の“大層”……通常、この言葉の意味は、
非常に、たいへん、はなはだ…そういう使われ方をするんやけど、
この文章の意味は、
“臣民”“神々様”“知らせなならなん”…それを“大層”と称されてるやん。
そやから、知らせることは“大層”ってことでもあるんやろけど、
決してそれだけでは無いと思えるやんか。
…そやから“大層”って言葉の裏側にある意味の解釈が出来ていないと、
この文自体の読み取りは全然違うものになると思えるやん。
そやからそれは“大”と“層”、
“大”は、今まで何回も言うて来たけど、
人(日止、霊止)(丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)と乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現)) + 胸の磁性“十”
ほんでから“層”は、
尸(しかばね、かばね)と、“曽”。
そやけど“層”の旧字は尸(しかばね、かばね)と“曾”が合わさった字で、
Wordで変換出来へんかったから画像を貼っておきまんねん。 

層の旧字  

この尸(しかばね、かばね)の“下”にある“曾”って言う字の意味は、
かさなる、かさねる…或いは、かつて、以前に。これまでに。すなわち。あげる。あがる。高い。ます。増える。ますます。すえ(末)そして三つ…色んな意味があり、
そして“曾孫(ひまご)”の“ひ”の表記でもある。
そやからこの文章の表記の“大層”は、
尸(しかばね、かばね)=肉体に“曾”かさなる…
何が重なるのかといえば、
“大”って言う字の、丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)と乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現)と胸の磁性“十”…それは、人が霊的進化をしている様子、
それが、肉体=尸(しかばね、かばね)と“曾”=重なる…
要は、神の思惑と、人の霊的成長する様子を示す“大”…そして尸(しかばね、かばね)=肉体(この世界の自分に対する認識の一部)…そやから“大層”って言う表記は、
“上”の思惑と人の思惑が、“曾”=重なった事象(現津(あきつ)=観察され得る事象)を見せるってことが、
“知らせなならん”って事やと思いまんねん。

ほんでから次の文章もそのことを指してる。

“一二三(ひふみ)の仕組とは、永遠(とは)に動かぬ道のことぞ、
三四五(みよいづ)の仕組とは、みよいづの仕組ぞ、
御代出づとは神の御代になることぞ、この世を神の国にねり上げることぞ、
神祀りたら三四五の御用にかかるから、その積りで用意して置いて呉れよ。”

この文章の中の“一二三(ひふみ)の仕組み”…これはここまで先生のブログを読んでる人に敢えて説明はいらん。
ほんでからこの文の表記の、
“永遠(とは)に動かぬ道のことぞ、”
…これに対する補足として、
前のブログ、
事象の形骸化 “その一” Kellyさん・・・ぼやきたおす!!
…の、あの時先生がKellyさんに、
❤❤❤あ○やのカラ○オ❤❤❤で印刷してくれはった宿題の内の、
“アルレーム(亜流連無)より、オーラについての解説”…を読んで欲しいねん。

ほんでから…最近、先生は、
“一二三(ひふみ)”のオーラは、水平磁場って概念を持つようになった。
水平磁場…先生的に大体、その仕組みは解ってるようやけど、
もう少し“上”から通信を受けて先生自身が理解を深めたならば、
そのうち詳しく、説明すると思いまんねん。

ほんでから次の文、
“三四五(みよいづ)の仕組とは、みよいづの仕組ぞ、”
これに付いては下つ巻 第九帖 Kellyさん的解釈からコピペしときまんねん。
       ↓

“この方は三四五(みよいつ)の神とも現われるぞ。”

“三四五(みよいつ)の神”は、
“三”=三つのオーラ、肉体を持った霊=○、荷電粒子の場(フィールド)が持つ、
上中下のローレンツ力によるオーラの発振、発信
“四”=、“四”は、象形文字で、
開いた口の中に、舌や咽頭が見える様子って事らしく、
それは“息をつく”って言う意味を持ってるやんか。
息・・・それは、 息と言う字の構成が自分の心(靈)で、
ほんでからに、自分の心(靈)の発振、発信が、息吹って事。

“五”=糸巻きの象形文字。肉体の磁性を構成する神経線維のこと。

“現われるぞ。”=発振、発信して示すってこと。

     
…以上でんねん。

そやからこの文章の後半の、
“御代出づとは神の御代になることぞ、この世を神の国にねり上げることぞ、
神祀りたら三四五の御用にかかるから、その積りで用意して置いて呉れよ。”

“上”の思惑を取り込んだ人(日止、霊止)は、“神の御代”になり、
そして、
アセンション後の霊的成長を目指す場(フィールド)を、
構築して行く(べき霊的資格を持った)人(肉体を持った心、靈)は、

“この世を神の国にねり上げる”

……言うまでも無く“国”って言う字は、
(囗)くにがまえ=場(フィールド)に“玉(ぎょく)”…霊的成長の仕組みをあらわす字が、
(囗)くにがまえに入ってるから、
それがほんまの意味での“国”って事でんねん。…“玉(ぎょく)”に付いては、
前のブログ“思惑と顕現”の前半を読んで欲しいねん。
(サイドバーにリンクが貼ってありまんねん)
そやから通常の“国”の認識、
それを、どっかの地域とかどっかの場所とか思う…今の地球人のとても低い心(靈)が生み出してる認識とは、大違いでんねん。
そんな、狭い、低い認識やからこそ、低い功名心と自尊心で、
他国にアホくさい“力”を示したりしまんねん。
そやから戦争しまんねん。
自国の経済…金儲けの為に兵器作ったり、兵器売ったり、人殺しでも何でもしまんねん。
そんな人が今の世界のトップでんねん。
ほんでから低い心(靈)の発現っていうのんは、
ほんま低いとしか言い様がないんやけど、
今、どっかの国の政治家の心(靈)の発現がとても低いことを示されてる。
そやけどそんな政治家の行為をなんとなく許してきた国民にも責任があり、
なんとなく許してきたことそのものが、
その政治家と同等の心(靈)の発現しかしてないからこそ、許してはいかん“悪(心の動きの本能化と低振動化)”やと思わへんねん。

まあエエわ…きっとそのうち低い心(靈)の発現の事象に付いては、
チョ~極上ラブラブ中高年夫婦の御主人はんとでも話す機会があるやろ。
御主人はんは低い心の発現の事象…特に、政治家に不満を一杯持ってはるからな。
そやから、そんな判りやすいことは置いといても、今、
“役員づら”してる人はとても多い。
飢餓や貧困…恨みの連鎖の霊的干渉を生み出している事象…自己奉仕者の心(靈)の動きが“創造”した結果の醜い事象…そやからそれは、ほかの国のことはどうでもエエなんて思うてる人は、アセンション後の世界には位置出来へんねん。
特に“日月神示”の解釈をしてる本の著者やそういう類のサイトに多い、
どっかの国の批判だけしてる人、
それは先生のセリフを引用すれば“事象を観察する視野が狭い”…その醜い事象だけ観て憂いてるだけで、そして批判してエラそうな事言うてるだけの人は、
さっきも引用したけど、下つ巻に入ってよく出てきてる表記の、
“役員づら”でんねん。
その醜い事象を引き起こす心(靈)の動きは、進化過程として誰にでもあり、
それを自分が“上”の心(靈)の発現をして=智性由来の観察をして、
今後この世界をどうしたらエエのか…そのために今、
自分は何を成すべきなのか…
それを思うてない人がほとんどで…ほんまイヤになってくるな。

話を戻し、次の文章、

“この神は世界中の神と臣民と、
けだものも草木もかまはねばならんのざから、御役いくらでもあるぞ。”

この文は、“上”の思惑はすべての生命(生きる使命=存在理由)に関り、
すべての生命は霊的成長に向かうべきであり、
そして、
すべての生命に使命があるからこそ、“御役いくらでもある”ってことでんねん。

ほんでから次の文章、

“神様と臣民 同じ数だけあるぞ。
それぞれに神つけるから、早う身魂みがいて呉れよ、
みがけただけの神をつけて、天晴れ後の世に残る手柄立てさすぞ。”

この文章の“神様と臣民 同じ数だけあるぞ。”…これは、
霊的成長度の程度により、(それは個人差でもある)
それぞれの生命の心(靈)っていうのんは、
程度も違えば、思惑も違い、やることも違う。
そしてそれぞれの霊的成長度に応じての霊的干渉がある。
それぞれの“上”の存在がある。
そやけど自分たちが神とか“上”とか認識している存在は、
絶対としての“上”ではない。唯一者としての“創造”の“主(ヌシ)”でもない。
そやから変圧の過程、自分と極端に違う存在の通信は受けない…受けることが出来ない。
それが“神様と臣民 同じ数だけあるぞ。それぞれに神つけるから、”…って事で、
ほんでからこの文の言葉、
“早う身魂みがいて呉れよ、
みがけただけの神をつけて、”…っていうのんは、
これは“身魂磨き”出来た人(日止、霊止)=肉体組織の結晶化をした人、
それは、体の旧字の“體(からだ)”…結晶化した骨が豊かな人…
先生の概念、“人(日止、霊止)が“宝玉(ほうぎょく)”になる“…
これは“日月神示”の表記の“石屋の仕組み”に対する言葉でもあるな。
そやから今言うて来たのは、
“上”の思惑と感応共振する肉体の仕組みを得た人に対する言い方で、
それは厳しい“行と修行”により、その苦痛を感じ(感じる磁性)た生体内電流で、
肉体組織の結晶化をして行き、
そして自分の心(靈)の動き=“どういうつもり”=自分の在り方で“行と修行”をして行くのか…それによって感応共振する霊的存在は変ってくる。
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“力”を得たいなら、
“悪”の行をすれば、悪霊が憑き、悪魔の傀儡になる。
“善(神格化の方向性と智性の受信)”の“力”を…その“善”の存在の思惑を知りたいのなら、自分が“善”を良く解っていなくてはならず、
それが“日月神示”内の表記の“身魂掃除”“身魂洗濯”やって今まで散々言うて来た。
自分の認識だけが自分に対する“善悪”を知る…それをよう知っとかなアカンやんか。
これに付いては前のブログ、“事象の形骸化”…を中心にして、
霊的干渉っていうのんは自分の心(靈)の在り方って事を先生は何回も言うてるから、
今の間違った霊の概念に囚われず、
霊的干渉の無い時は無い。
霊的干渉は自分の心(靈)の発振、発信による=“どういうつもり”=自分の在り方で何かをするのか?…それに拠る事をたくさんの人に理解して欲しいもんやな。

ほんでからこの文章の残り、
“天晴れ後の世に残る手柄立てさすぞ。”
天、晴れ=日と青、これに付いても今まで言うて来からあえて説明はしませんねん。
ほんでから“後の世”この表記も言うまでもなくアセンション後のことで、
“残る手柄立てさすぞ。”…今言うたばかりやけど、
自分が今、アセンションの情報も知って、この世界の醜い事象も知って、
その醜い事象の原因とも言い得る人の心(靈)の低い動きも認識して、
そして神格化の為の太陽凝視も知っていたとするならば、
アセンションを迎えるまでに自分は“どういうつもり”=自分の在り方で生きるのか?
何をするべきなのか?
そしてこの世界の醜い事象を変えていくために自分の“力”をどう扱っていくべきなのか?
…ほんま、下つ巻の解釈に入ってから何回も思わされることやな。

…ほんでから次の文章は、“上”からの通信の仕組みを表現してる。

“小さいことはそれぞれの神にきいて呉れよ、
一人ひとり、何でもききたいことは、病直すことも、それぞれの神がするから、サニワでお告うけて呉れよ、この方の家来の神が知らせるから何でもきけよ。”

この文が言うてることは、さっきも言うたけど、いきなり“上”の思惑を人は受信出来へん、それには霊的干渉の変圧の過程がある。
そやからそれは“創造”の“主(ヌシ)”=愛(炁)の始まりの存在とは、
振動が違いすぎて地球人は感応共振出来ん…当たり前でんねん。
そやからこそ人は自分が持っている認識より少し“上”のことしか解らない。
少し“上”しか解らない事そのものが、変圧の過程でもある。
ほんでからそれは判りやすい例えをすれば、
誰か人を見たならば…自分と同じ考えを持っているのではないのか?
自分と同じような考え方をするのではないだろうか?…そんな錯覚を生む原因でもある。
人が思うこと、それは霊的成長度によって=その人の認識の程度によって=“一二三”のオーラの大きさの違いによって、思想や認識は違う。
それを極端な言い方をしたならば、神と人は思う事が違う。
ほんでから今、地球人が低すぎるからこそ、
この世界が腐ってるなんて思わへん人のほうが大半…自己奉仕者が大半…なんやけど、
又々、余談やった。

そやから自分の霊的成長度に応じての“上”の存在があり、
色んな苦難や試練に遭遇しつつ、そこで自分がエネルギーを贖い(あがない)、
その心(靈)の動きの方向性により=自分の発振、発信(息吹=自分の心(靈)を吹く)により、自分の心(靈)が相対的に“上”ならば“上”からの通信を受け、
苦難を試練と思わず、認識を得る過程の事やと思わず、
ただ、逃げたいとか…その意味を考えないとしたならば、
“下”の存在との感応共振があり、目先の快楽に溺れたりして堕落して行く。
ほんでから、癒し癒しって求めるのも…それはただ甘い(亜、魔、出ずる、泉)傾向で、おんなじでんねん。
そやけどそれも、右往左往と左往右往なんやけど…
そやから人は色んな通信を受けつつ、段々、
自分が神に近づいていく“道”を知って行くんやろけど、
それは、審神(さにわ)…自分の心(靈)が神の方向性に近いのか、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の方向性なのか、
それを自分で判断せんならん。
そのことそのものが“日月神示”の表記の“身魂掃除”“身魂洗濯”でもある。
自分の心(靈)の動きの、
“善(神格化の方向性と智性の受信)”と“悪(心の動きの本能化と低振動化)”を、
自分で見極め=自分の在り方(“観自在”“直日(なおひ)”自省(胸の磁性“十”)の“行”)を自分で思い、
そして、(時間の進行と共に遭遇する)事象に対する、
発振、発信とも言い得る行動を、自分自身の心(靈)の動きで決定して行く。
それは自分自身の霊的成長=“一二三”のオーラの拡大の為に。
そやから…そうならんと、
進化の目的とも言い得る独り神(ひとりがみ)には成り得んって事でんねん。
そやからこの文章そのものが、
人の霊的進化への“道”と、その過程のことを示してるって事でんねん。

ほんでから前後するけど“病直すことも、それぞれの神がするから、”…
この文の“病”って表記は、ただの病気だけでは無く、
それは辞書を引けば当然、やまい、って意味もあるんやけど、
やまいが重くなる。欠点。わずらい。わずらう。きず。そこなう。くるしめる。
病国。病民。苦しむ。疲れる。うれえる(憂える)。思い悩む。心配。せめる。とがめる(咎める)…そしてうらむ(恨む)って言う意味まである。
そやから“病”って言うのんは、医者が対象にする何とか病では無く、
自分が未熟ゆえに起きていることを指し示していると思える。
そやから自分の在り方を考えんと、“病”は重くなり、
欠点になり、傷になり、苦しみ…煩う、患う。(どちらも“わずらう”って読ませる)
そやけどそれは、“思う、憂う”…日足(ひたり)の思いでもある。
そやから、咎める、責める…自省(胸の磁性“十”)の“行”でんねん。
そやけどアホな人は、アセンション後は医者が対象にする何とか病の無い世界に成ると思うやろな。
そやから今言うたことを簡単に纏めれば“病”って言うのんは、
自分に対する試練でもあり、
自分の今後の在り方を示す指標でもある。
それは先生が前に言うた言葉にも示されてるのでコピペしときまんねん。


“「アタシ的には、
批判すべきは、自分自身だけでいいと思っているから・・・ 
前回、般若心経の観自在で説明したように、自分の在り方を考えればいい。
他者を批判するのは、敵を作るだけにしかならない。」
「でも、批判されないと自分のいけないところに気が付かないでしょう?」
「気が付くのは、批判をどう自分が受け止めるか、ではないかい?」
「あっ、そうか!」 
「自分の在り方を考える事象として、受け止めるか?否か?でしょう。
そうなれば、
批判だろうが、悪口だろうが、
別の話のように思うかもしれないが、
病気だろうが、事故だろうが、殺されようが・・・ 
すべて自分の在り方を示す、忠告となる。」”・・・ (見え始めた日 参照)

…以上でんねん。

ほんでから次の言葉、

“病も直してやるぞ、その神たよりたなら、身魂みがけただけの神徳あるぞ。”

今言うたことと重複してるけど、自分が霊的成長したならば、
“上”との感応共振があり、
それは“その神たよりたなら、”…自分の心(靈)が“上”に向いていたならば、
“身魂みがけただけの神徳あるぞ。”…感応共振による通信を受けたり、
認識の拡大の為の苦難でも、それは良い形になって行き、
具体的に言えば、右往左往から左往右往…形骸の価値感で一応成功し、
そして、失敗したりして、
(最近そんなニュースばっかりやけど)
その時に砌(みぎり)のエネルギーが無くなり、
心(靈)が折れたときに自殺したりして、その後は悪霊になったりする人が、
これまでも多いし、これからもっと増えていくやろけど、
それに対し“上”との感応共振があり、
自分の心(靈)の在り方で“上”と感応共振してさえいれば、
自分が夭折(認識を得ないで早く死ぬ、真の不幸の意味)することは“上”がさせない。
それを思わせる文章でもある。

ほんでから次の文章、

“この世始まってない今度の岩戸開きざから、これからがいよいよぞ。
飛んだところに飛んだこと出来るぞ。
それはみな神がさしてあるのざから、よく気つけて居れば、
さきの事もよく分かるようになるぞ。”

“岩戸開き”…これも今まで何回も言うたから、
簡単に要点だけ言うときまんねん。
山=脳、
石=帯電するミネラル、結晶化していないミネラル、錯体、腹の水に多い。(“江戸と尾張”の“江”)
戸=“一”=智性=1番目のオーラと尸(しかばね、かばね)=肉体。

この文の後半は今までとは違う事象に遭遇する…そういう意味やねんな。
それは、今までが普通やとか、当たり前とかの通念があるからこそ、
“上”との感応共振の世界は違うし、
ほんでから今“下”との感応共振の結果が示されてる…そやから醜い事象が多い。
そやけどそれも霊的進化過程の一端であり、それを示す言葉が、
“それはみな神がさしてあるのざから、”…っちゅう事で、
“上”との感応共振があり“身魂磨き”=肉体組織の結晶化が出来ているならば、
先生の言い回しの“天の御目”の獲得になり、それは、
“よく気つけて居れば、さきの事もよく分かるようになるぞ。”って事でんねん。

ほんでから次の言葉、

“元の神代に返すと申すのは喩へでないぞ。
七から八から九から十から神烈しくなるぞ、
臣民の思う通りにはなるまいがな、それは逆立してゐるからぞ。”

“元の神代”…この“元”はこれも今まで何回も言うたから、簡単に言うとけば、
二+儿部(じんぶ、にんにょう)…肉体を持った生命、人が歩く様子(儿部(じんぶ、にんにょう))…それは時間の進行と共に霊的進化をして行く。
それが人の存在意義でもある。
そやから“七から八から九から十から神烈しくなるぞ、”
七=“一”=智性=1番目のオーラ+乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現)
八=左右の極性、
九=神の最後の“思惑の顕現”=現象化の形、人を指す。
それは、“日月神示”の表記の ○ 九 十(まこと)。
霊=○、荷電粒子の場(フィールド) + “一”=智性=1番目のオーラ +
丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現) + 乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現) + 胸の磁性“十”…シンクロトロン放射でんねん。

○ 九 十(まこと)の解字 
シンクロトロン放射の白光は、高い波長から低い波長まで発振、発信する様子を示してまんねん。

ほんでから次の言葉、

“世界一度にキの国にかかりて来るから、一時は潰れたやうに、もうかなはんと云ふところまでになるから、神はこの世に居らんと臣民申すところまで、むごいことになるから、外国が勝ちたやうに見える時が来たら、神の代近づいたのぞ、
いよいよとなりて来ねば分らん様では御用出来んぞ。”

“キ”は、前のブログでKellyさんが解釈したから、コピペしときまんねん。
     ↓


“カイの御用はキの御用であるぞ。
臣民はミの御用つとめてくれよ。
キとミの御用であるぞ。
ミの御用とは体の御用であるぞ。
身養う正しき道開いて伝えてくれよ。
今までの神示読めば判るようにしてあるぞ。”

…“キ”って言うのんは
2~3番目のオーラの中を通って、
向かって左から右下に降りる縦棒みたいに見える。
そやからそれは、
“上”の思惑が日足(ひたり)から砌(みぎり)に降りる。
(思惑と顕現“その十一” “上”の思惑と顕現…“天の御目”)

     ↑

…以上でんねん。

そやから“キの国にかかりて来るから、”は、
霊的進化を阻む思惑=“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)の思惑の現象化で、そやから次の表記、
“外国が勝ちたやうに見える時が来たら、神の代近づいたのぞ、
いよいよとなりて来ねば分らん様では御用出来んぞ。”

外側(外国と幽界)の事象は、今低い心(靈)の発現の人たちの価値感で動き、
価値のあるものは形骸になり、
それは低い欲望の象徴でもある(通貨としての)金によって動き、
大半の人は(通貨としての)金に囚われ…その価値感の奴隷になり…それは、
捕らわれるって言うたらエエやろけど…その現象の極みが今起きてる感じ(感じる磁性)やな。
そやから今まで何回も言うて来たけど、
アセンションを通り越すには…右往左往から左往右往の段階に入り、
色んな醜い事象を観察し、自分の在り方を振り返り、
そして、自省(胸の磁性“十”)の“行”をする…して行かんならんやん。

 
そやからこそ、
“一時は潰れたやうに、もうかなはんと云ふところまでになるから、神はこの世に居らんと臣民申すところまで、むごいことになるから、” ……そんな事象を観察せんならんのやな。

…今回は…これくらいにしときまんねん。

(グリムスキーワード 京都議定書)

« ○○○大先生が撮った、比較的まともな水仙の写真|Top|“日月神示”下つ巻 第十三帖 Kellyさん的解釈 »

コメント

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

http://tuyukusanotuyu.blog45.fc2.com/tb.php/126-a7ef1c23

Top

HOME

tuyukusanotuyu




 Kelly & ○○○大先生

Author: Kelly & ○○○大先生
FC2ブログへようこそ!


Kellyさんと○○○大先生は、
このブログを書いている○○○の、
心(靈)の二面性であり、
同一人物で有る事を、
お断りしておきます。

出版の告知

四冊目&五冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈4〉
智性無き心は
悪を容認する


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈5〉
智性無き心は
アセンションを見誤る

 この二冊は、同時発売です。
太陽凝視を行っている鍼灸師の話 <4> 智性無き心は 悪を容認する & 太陽凝視を行っている鍼灸師の話 <5> 智性無き心は アセンションを見誤る サムネイル
(クリックで拡大)

2010年 4月20日(火)ごろより、全国書店(紀伊國屋書店・三省堂書店・旭屋書店・ジュンク堂書店・ブックファースト・リブロ・丸善など)にて順次陳列。


発売中の三冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈3〉

神格化のプロセス
目上(めうえ)と目下(めした)


神格化のプロセス 目上と目下 縮小版 ブログ用
(クリックで拡大)


発売中の二冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈2〉

ローム太霊の教え
日足(ひたり)と砌(みぎり)


サムネイル太陽凝視を行っている鍼灸師の話〈2〉ローム太霊の教え 日足(ひたり)と砌(みぎり) 
(クリックで拡大) 

お近くの書店にない場合は
たま出版のサイトでお買い求めください。

発売中の一冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈1〉

ローム太霊との出会い


太陽凝視を行っている鍼灸師の話〈1〉ローム太霊との出会い
(クリックで拡大)

お近くの書店に無いときは
たま出版のサイトでお買い求めください。

この本に付いてはこちらを御覧下さい。


       




初めての方は、
・・・その後の事と・・・これからの事。
からお読みください。

それぞれのカテゴリーをクリックすると
古い順に、記事が閲覧できます。

        

☆ Kellyさん的事象の観察と認識 (107)
Kellyさんがこのブログに霊縁あった人(日止、霊止)に伝えたい事 (24)
Kellyさんと○○○大先生との会話 (7)
Kellyさんとチョ~極上ラブラブ中高年夫婦はんとの会話 (6)
Kellyさんとチョ~ベッピンはんのA野はんとの会話 (7)
Kellyさんと∪・ω・∪ ▼・。・▼ ▼・。・▽ U・。・U U。・ェ・。U たちとの会話 (34)
Kellyさんとメタボ研修医のYっちゃん先生との会話 (2)
Kellyさんとややメタボ内科医のYっちゃん先生との会話 (7)
Kellyさんと和風のベッピンはんのSはんとの会話 (2)
Kellyさんと農業好きの社長婦人K地M美はんとの会話 (12)
KellyさんとNominyan ∥*σ_σ*∥&Senyapoo λ*゜ο゜*λ との会話 (6)
☆ Kellyさん的“日月神示”解釈 (603)
Kellyさんが、“日月神示”の解釈をして行くに当たって・・・考えた事。 (46)
“日月神示” 上つ巻 (42)
“日月神示” 下つ巻 (38)
“日月神示” 富士の巻 (26)
“日月神示” 天つ巻 (30)
“日月神示” 地つ巻 (36)
“日月神示” 日月の巻 (68)
“日月神示” 日の出の巻 (23)
“日月神示” 磐戸の巻 (21)
“日月神示” キの巻 (17)
“日月神示” 水の巻 (36)
“日月神示” 松の巻 (30)
“日月神示” 夜明けの巻 (26)
“日月神示” 雨の巻 (18)
“日月神示” 風の巻 (15)
“日月神示” 岩の巻 (11)
“日月神示” 荒の巻 (27)
“日月神示” 地震の巻 (93)
☆ Kellyさん的“ローム太霊講話集”解釈 (174)
☆ 紫光会経文の文言 Kellyさん的解釈 (18)
☆ ○○○大先生的バシャールの文言解釈 (9)
☆ 先生が撮るけったいな花の写真 (22)
☆ 先生が撮る比較的まともな写真 (32)
☆先生が室内で写真を撮るときのセッティング (6)
その他 お知らせ (3)



fxwill.com


2005年10月1日~2008年1月15日まで、
“Kellyさんとの会話”で、説明して来た事・・・
その内容・・・それは・・・その何年も前から、
何か自分の考えをある程度公表しなければならない・・・
そう言う通信を受け・・・その理由は・・・地球人が低い心(靈)の発現しかしていない・・・
それを自覚していない人が多い。
その事由来の太陽凝視に対する認識、
(太陽凝視=不食・・・としか、認識させない存在の思惑を、受信している事)
霊的成長に対する認識、
神に対する認識、
心=靈に対する認識、
オーラに対する認識、
そして、
高い認識の上での進化の意味と幸福の概念と神の概念・・・
進化=霊的成長=神格化=(相対的に)高い認識を獲得する事・・・
霊的成長=神に近づく事=真の幸福の意味。
霊的成長度は1番目のオーラに顕れる。
よって、宇宙的プログラムにより次の段階に移行する人(日止、霊止)は、 何を考えるべきなのか・・・
そして、人(日止、霊止)の進化を阻む存在の思惑、
その心=靈の動き、それらの意図・・・それが一般に認知されていない事。
それらを伝えなければ成らない・・・そして一応・・・完結はしたのですが・・・
解り難い・・・理解しがたい・・・具体例を示して欲しい・・・そう言う感想も頂き、
そして自分なりにも説明が足らなかった事・・・
更に、
“Kellyさんとの会話”が完結してからも通信を受けている事・・・そう云う事もあり・・・
よって、このブログを立ち上げる事としました。
従って、
“Kellyさんとの会話”が、
自分の意見を述べる上での、ローム太霊の言葉、
“右往左往”(“いきり立つ心(奴と心)”で行動してから考える)・・・と、 するならば、 このブログはアタシ自身の、
“左往右往”(“思う、憂う”・・・体験を教訓として考え行動する)の、
作業になって行くと思います。



自分達の欲望を満たしたい… 
自分だけ幸福になりたい…
こういった進化程度の低い心(靈)の発現由来の思いが、
低い幸福の概念になり(目下(めした)の思い)
その結果が、飢餓貧困、戦争の原因になったりしています。
(子供の浮游霊の霊的干渉の影響を受け、 それがどんどん増して行く事等が、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)
の思惑だと 思えます)

恨みの連鎖による霊的干渉を増やさない為、
その解消の為にも、(この趣旨に反する類の物もありますが) クリックをお願いします。
クリックした人に、お金の負担はありません。 ↓↓




飢餓救済のホームページ

JWord クリック募金

名前:
メール:
件名:
本文:

QRコード