“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話

太陽凝視を一生涯の“行”とし(現在、44年目)、実践し、その上で獲得した認識を述べています。

“日月神示”下つ巻 第十七帖 Kellyさん的解釈



今回も、下つ巻 第十七帖を解釈しまんねん。
原文は以下の通り、


学や知恵では外国にかなうまいがな、
神たよれば神の力出るぞ、
善いこと言へば善くなるし、
わるきこと思へばわるくなる道理分らんか。
今の臣民 口先ばかり、こんなことでは神の民とは申されんぞ。
天明は神示書かす役ぞ。
神の心取り次ぐ役ざが、慢心すると誰かれの別なく、代へ身魂使ふぞ。
因縁のある身魂はこの神示(ふで)見れば心勇んで来るぞ。
一人で七人づつ道伝へて呉れよ、その御用が先づ初めの御用ぞ。
この神示通り伝へて呉れればよいのぞ、自分ごころで説くと間違ふぞ。
神示通りに知らして呉れよ。
我を張ってはならぬぞ、我がなくてもならぬぞ、
この道六ヶしいなれど縁ある人は勇んで出来るぞ。
七月の二十一日、一二のローレンツ力と ○  。


冒頭の文章、これも言葉どおりの解釈では意味が通じへん。
それは、

“学や知恵では外国にかなうまいがな、”

この文の“かなうまい”…これを、
勝てないとか負けているとかの解釈をしていると、後の文章と繫がらへんやんか。
そやからKellyさん的に思うんは“かなうまい”…これは、
思いが叶うって言うことで、
そやからそれは“思惑の顕現”=現象化でもあり、
すべての“創造”や行動(発振、発信)の動機でもある。
ほんでから、創造主の“思惑の顕現”=現象化を示す意味での、
愛(炁)(“亜”から出る、泉、)でも、あると思うやんか。
そやから“外国”…これも、普通(普通の認識=低い霊的成長度)は、
“外国”を自分の外側(外国と幽界)の場(フィールド)と認識せず、
只、低い縄張り意識(自我の確立=固定化、下三つのチャクラの覚醒段階)で思う、
(低い認識の)国の概念、日本に対しての外国って意味にしか捉えへんやろな。
そやから“学や知恵では外国にかなうまい”…“力”(力、知恵、知識・・・学問・・・能力、そして霊能力を含む)では、自分の外側(外国と幽界)の事象に、
自分の思惑を顕現出来ない。
そやからどうすれば良いカタチの顕現が出来るのかは、
次の文章で言われてる。

“神たよれば神の力出るぞ、
善いこと言へば善くなるし、
わるきこと思へばわるくなる道理分らんか。
今の臣民 口先ばかり、こんなことでは神の民とは申されんぞ。”

この文章の冒頭の“神たよれば神の力出る”…
“上”の思惑の受信をしなければ、
言い換えれば“身魂磨き”=肉体組織の結晶化をしなければ、
“上”の“思惑の顕現”=現象化をする人(日止、霊止)には、
決して成りえへん。
只、甘い思いで、
言い換えれば形骸の現世利益の宗教みたいに“神たよれば”って事ではなく、
“神の力出る”って言う人(日止、霊止)にならんとアカン。
ほんでから次の表記、
“善いこと言へば善くなるし、
わるきこと思へばわるくなる道理分らんか。”
これも、人(日止、霊止)の思いの発振、発信、
“善(神格化の方向性と智性の受信)”と“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の概念があり、自分の心(靈)の動きや行動は、“善悪”の区別を自分で出来る。
それを区別する心(靈)の動きは、智性=神性でしかない。
そして、自分が発振、発信した心(靈)の動きに応じてしか、
それのみでしか、事象は顕現しない。
それはブーメランの法則でもあり、“曲霊(まがつひ)”の意味でもある。
そやからこそ、
心(靈)が“上”に向かっている人(日止、霊止)と、“上”に向かう心(靈)の発現をしていない人を分けるアセンションって言う事象を、
これから体験して、
すべての存在(すべての心(靈)がという意味)が、それを観測して観察して認識(悟り、幸取=さとり)にして行く。
ほんでから“善悪”…それは人が思うことでもあり、
そやからこそ、自分の心(靈)の動きを自分で見極めるのが、
“身魂掃除”“身魂洗濯”でもある。
そやからこの文章の表記の“神たよれば神の力出るぞ、善いこと言へば善くなる”
これは、
“善(神格化の方向性と智性の受信)”の発振、発信が“善いこと言へば善くなる”と、
表現されてる。
そやからそれは、その人が発振、発信する思いっていうのんは、
発振されるオーラになり、
(心(靈)の動き=生体内電流やから)他の存在とのオーラの相互干渉で、
すべての事象は形成される。
ほんでから、事象の観察っていうのんは、
自分(の心(靈))が受ける電磁波の受信であり、それを肉体で言えば、
感覚器官で感じ(感じる磁性)、生体内電流に変換され、
そして脳を介して心(靈)が感じ(感じる磁性)る。
そのことすら今の地球人は、たいして認識が無いから、
自分が感じてる外側(外国と幽界)の事象がすべてやと思い込む。
言い換えれば自分が感じてる物質の振動だけが
すべての現津(あきつ)=観察され得る事象の大半やと錯覚し、
それのみが、現実で、真実やと思うてる。
そやからその認識の狭い観察の事象、
それ以外に(現津(あきつ)=観察され得る)事象なんてものは、
無いって思うから、
心を意識せず、霊を知らず、物質の観測しかしていない。
ほんまの事象っていうのんは、自分の外側(外国と幽界)にも自分の内にもあり、
外側(外国と幽界)って感じているのも、只、自分の心の中の観察でしかない。

解り難い説明なんやけど…

そやから、それだからこそ、物質だけに価値があると思い、
極端な言い方すれば、
物欲が自分にとっての最上級の価値感になり、
自分の価値感を顕現するために“力”(力、知恵、知識・・・学問・・・能力、そして霊能力を含む)を求め、その求めた心(靈)の動きに感応共振する低い霊的干渉があり、
それもある意味“行”なんやけど、
そうやって“力”を獲得して行使して、自分の(低い心(靈)の発現に応じた)思惑を、
(低い心(靈)が感じ取っているのみの、狭い事象に=物質世界に)顕現して行く。
そやからそれは、進化程度の低い愛(炁)の顕現でもある。
そやから自己奉仕者、“われよし”、自分に対する愛(炁)しか顕現して無い進化過程、
それは、本能、情動、功名心、自我、…それが中心の心(靈)でもある。
ほんまに価値のある世界、誰もが幸福=神格化を目指す世界は、
“力”…この下つ巻 第十七帖の表記の、
“学や知恵では外国にかなうまいがな、”…自分の外側(外国と幽界)の事象に、
“力”(力、知恵、知識・・・学問・・・能力、そして霊能力を含む)では、
今より相対的に、
高い場(フィールド)、霊的成長を目指す場(フィールド)、そして、
欺くとか騙すとか嘘をつくとか奪うとかの事象の無い世界は、
顕現出来はしないって意味にしか取れないんのやけど…通常(一般的な霊的成長度)では、
そんなふうに思わんやろな。

そやから今Kellyさんが言うた事等をしっかり解ってないからこそ、
“今の臣民 口先ばかり、こんなことでは神の民とは申されんぞ。”…って、
言われてまんねん。

話を戻し、次の文章、

“天明は神示書かす役ぞ。
神の心取り次ぐ役ざが、慢心すると誰かれの別なく、代へ身魂使ふぞ。”

これは岡本天明はんに対するメッセージやな。
通常、霊能力が発現すると、心(靈)の進化過程の低い人は、慢心する。
それは地球人の進化過程が“下”三つのチャクラの覚醒段階やから、
ある意味しょうがない…そやけど、
“日月神示”を書かせた存在は、そんな事も充分承知して、
人の低い心(靈)の動きも充分把握してる高い存在やから、
岡本天明はんに厳しく接した。それをうかがわせる文章でもある。
そやから、低い霊的干渉なら、その人の低い功名心や自尊心を煽る(あおる)。
あなたは選ばれた人ですとか…特別な存在ですとか…あなたはだれだれの生まれ変わりですとか…あなたの“力”でヒーリングして、(見せ掛けの)幸福の世界を作り上げましょうとか…
低い存在のメッセージには、その人の心(靈)の低い部分を煽る共通のパターンがある。
そして、自分の憑依現象を自慢して、そして金儲けに走ったりもする。
そやからそれは、
その人の(霊的な=心(靈)の動きの)堕落を目論だ、
低級な悪霊の霊的な罠でもある。
そしてそれは、その心(靈)の動きは、
自我より“上”に向かう心(靈)の動きではなく(日足(ひたり)回転では無く)、
自我より“下”に向かう心(靈)の動きになる(“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の回転、砌(みぎり)回転)。
それを“日月神示”ではウズ 右往左往、左往右往(サイクロトロン)   と示し、先生の解釈では、
以下の画像のようになる。

腹の日足(ひたり)回転と砌(みぎり)回転 



ほんでから次の文章、

“因縁のある身魂はこの神示(ふで)見れば心勇んで来るぞ。”

この“因縁ある身魂”は、次の世界の“創造”を託される資格のある人って言う意味でんねん。
何回も言うたから敢えて説明しませんねん。
ほんでから“この神示(ふで)見れば”…これを、
書いてあるものだけ見ればって解釈するのも、
とても低い解釈で、
“神示(ふで)”って言うのんは、
“神”と“示”にそれぞれの解釈があり、画像を作ったから貼っておきまんねん。

“神示(ふで)”の解字 
そやからこの“神示(ふで)”って表記は、
“上”の思惑を受信して、この世界に顕現することそのものであるやんか。
そやから、只、自動書記で書かれたものを指して言うてるのでは無く、
そこに書かれてる思惑を解釈して理解して認識(悟り、幸取=さとり)にして行く。
それは、書かれたものの意味を考えれば考えるほど、
“上”との感応共振になって行くからでもあるんやけど、
霊的成長度の低い人は、書かれたものから高い意味を見出すことが出来ない。
これは、先生が(現時点)35年太陽凝視をして、
自分の認識(悟り、幸取=さとり)が拡大して行く過程で判ったことでもある。
そやから自分より“上”の存在が書いた文章っていうのんは、
一回読んだくらいでは解らへんし、
自分が“行”して行って、“一”=智性=1番目のオーラが大きくなって行き、
(“一”=智性=1番目のオーラの大きい霊的存在の)“上”との、
感応共振がより出来るようになると、
より“上”の思惑を理解出来る様になる。
ほんでから一般の“日月神示”の解釈をしてる人は、たいした“行”なんてしてないからこそ、言葉しか理解出来ないって事でんねん。

ほんでから次の文章、

“一人で七人づつ道伝へて呉れよ、その御用が先づ初めの御用ぞ。”

これも(低い認識の)言葉の解釈では、意味が通じへん。
“一人”は、
“一”と“人”…それは丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)と乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現)で、
智性のオーラを“一”と示してる。
そして“七人”は、
“七”は、“一”と乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現)で、
智性由来の“思惑の顕現”=現象化を示す。
それは進化=霊的成長=愛(炁)の“創造”の進化=幸福の本当の意味である生命(生きる使命=存在理由)の神格化を言うてるからこそ、
それしかないからこそ、
“道”って言われてる。
そやからこの表記は、
さっきの“神示(ふで)”にかかってる文章って事でんねん。

そやから、これは何回も言わんならんのやけど、
只、“日月神示”の文章だけを解釈して知らせるだけが、
“御用”の本当の意味では無いし、そんなことしてるのは“役員づら”でんねん。

そういう意味でも次の文章、

“この神示通り伝へて呉れればよいのぞ、
自分ごころで説くと間違ふぞ。
神示通りに知らして呉れよ。”

“神示(ふで)”通りって事は、自分が霊的成長して、
“伝へて呉れれば”は、自分の心(靈)の発振、発信は、
良いカタチの事象を創っていく。それを言うてるだけでんねん。
そやから、
自分の心(靈)の発振、発信=息吹は、それは、
自分以外の存在とのオーラの相互干渉でんねん。
大体、創造の主(ヌシ)=神と、
自分(の心(靈))とのオーラの相互干渉が、
現津(あきつ)=観察され得る事象になってるって事なんやけど、
それすらも地球人は知らへんねん。

そやから進化程度の低い段階…今とても多い、
自我由来の心(靈)の動きで“日月神示”を解釈してるだけの人に対し、
現状を只批判して憂いているだけ(右往左往の左往、“思う、憂う”=脾)の、
心(靈)の動きを指し、
“自分ごころで説くと間違ふぞ。”と言われてる。
そやから、自我由来の心(靈)の動きでは“日月神示”のほんまの意味を理解出来んし、
そこに“行”の必要性とか、霊的成長の過程とか、
“上”の思惑の受信としての太陽凝視の意味を、
見出すことが出来ない。

そやけど…それを見出せるのは…極少数…しょうがないな。
“玉石混交(淆)”の場(フィールド)やから……

ほんでから次の文章は、
人(日止、霊止)の進化の目的、ある意味、生命(生きる使命=存在理由)のゴールとも言い得る、独り神(ひとりがみ)になる過程の、その意味での、
心(靈)の進化過程での自我の確立=固定化、下三つのチャクラの覚醒段階のことを言うてる。

“我を張ってはならぬぞ、我がなくてもならぬぞ、”

そやから自我だけではアカンし、
自分を認識する自我が無くてはアカンし、
自我由来の心(靈)の動きだけでは、自己奉仕者、“われよし”、自分に対する愛(炁)しか顕現して無い進化過程になる。
そやから、自我から“上”の心(靈)の発現は、
自省(胸の磁性“十”)の“行”をして行く…そこには苦痛や苦難や…様々な“苦”を体験せんならんし、その“苦”に対し、
自分がどう向き合うのか…そしてそれは、
ローム太霊さんが、S会=紫光会の交霊会で会員に述べた言葉、
苦に苦を重ね苦を求め更に苦を求めるのだ、楽を求めてはいかん”…に、
示されてるし、
そしてその時の心(靈)の姿勢は、
粘りとやせ我慢”でなければならない。

ほんでから…その意味も含め以下の表記、

“この道六ヶしいなれど縁ある人は勇んで出来るぞ。”

この文の“この道六ヶしいなれど”は、
上つ巻 第十五帖 第二十一帖に出てくる表記の“六ヶ敷い”(むつかしい)とは、
ちょっと意味が違う。

そやから下つ巻 第十七帖の“六ヶしい”は、
自分の心(靈)の在り方を言うてるし、
それに対し、上つ巻 第十五帖と第二十一帖の表記の“六ヶ敷い”は、
場(フィールド)の意味を含んでいるからこそ、“敷い”って表現されてると思う。
解り難いから言い換えれば、
良い形を想像する思惑を“六ヶしい”と書き表し、
良い形そのものを、その“創造”の結果の場(フィールド)を言い表す表記は、
“六ヶ敷い”と書き表されたとKellyさんは思いまんねん。
参考のために“日月神示”上つ巻 第十五帖 Kellyさん的解釈
から、
“六ヶ敷い”のKellyさん的解釈をコピペしときまんねん。
      

 
“六ヶ敷い”は、
落語や講談によく出てくる言葉らしく、
“むつかしい”って読ませるらしいやん。
そやけどこの言葉をKellyさん的に観たなら、
六=陰爻=神の思惑と人(日止、霊止)の思惑、その両方の顕現・・・
“六”についてのKellyさん的解釈は、
“Kellyさんが、“日月神示”を解釈して行くに当たって・・・考えた事。”
・・・を読んで欲しいねん。
そして、
“敷い”・・・これは場(フィールド)の構築としか思えへん。
神さんの思惑を受信し、
そして、
自分達が思想を構築し、その上で行動し・・・
場(フィールド)の構築をして行く。
それが事象=現津(あきつ)=観察され得る事象って事になり、
結果、
観察している何かって言うのんは、心(靈)の中の事なんやけど・・・
その創造って言うのんは“上”からの思惑を顕現していかんと、
貴いとか美しいとか価値があるとか・・・
そう言う色んな事を思わせる・・・感じさせる場(フィールド)を構築して行こうとするのが、
人(日止、霊止)としての生命(生きる使命=存在理由)やろし、
そやからこそ人(日止、霊止)は、
神の子なんやろし、
そして良い形の創造の概念が、
幸福って概念やし・・・ そやけど現状、幸福の概念が低いから、
欺くとか騙すとか嘘をつくとか奪うとかって事をして、
自分達の利益の追求をする人が多い・・・多すぎる。 多すぎるから失敗するんやけど、
それも、 事象=現津(あきつ)=観察され得る事象でもあり、
そやからそこには、失敗を通じ、 霊的成長の為の法則性=“道”が出来、
そやからこそ、
“六ヶ敷い”=むつかしい法則性を認識して行くのには、
困難を伴い、 そして獲得した認識は霊的成長の為の認識やからこそ、
“道(おしへ)”って言葉で示される・・・ こういう表現になってると思えるやん。

      


…以上でんねん。

今回はこれくらいにしときまんねん。

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2005年10月1日~2008年1月15日まで、
“Kellyさんとの会話”で、説明して来た事・・・
その内容・・・それは・・・その何年も前から、
何か自分の考えをある程度公表しなければならない・・・
そう言う通信を受け・・・その理由は・・・地球人が低い心(靈)の発現しかしていない・・・
それを自覚していない人が多い。
その事由来の太陽凝視に対する認識、
(太陽凝視=不食・・・としか、認識させない存在の思惑を、受信している事)
霊的成長に対する認識、
神に対する認識、
心=靈に対する認識、
オーラに対する認識、
そして、
高い認識の上での進化の意味と幸福の概念と神の概念・・・
進化=霊的成長=神格化=(相対的に)高い認識を獲得する事・・・
霊的成長=神に近づく事=真の幸福の意味。
霊的成長度は1番目のオーラに顕れる。
よって、宇宙的プログラムにより次の段階に移行する人(日止、霊止)は、 何を考えるべきなのか・・・
そして、人(日止、霊止)の進化を阻む存在の思惑、
その心=靈の動き、それらの意図・・・それが一般に認知されていない事。
それらを伝えなければ成らない・・・そして一応・・・完結はしたのですが・・・
解り難い・・・理解しがたい・・・具体例を示して欲しい・・・そう言う感想も頂き、
そして自分なりにも説明が足らなかった事・・・
更に、
“Kellyさんとの会話”が完結してからも通信を受けている事・・・そう云う事もあり・・・
よって、このブログを立ち上げる事としました。
従って、
“Kellyさんとの会話”が、
自分の意見を述べる上での、ローム太霊の言葉、
“右往左往”(“いきり立つ心(奴と心)”で行動してから考える)・・・と、 するならば、 このブログはアタシ自身の、
“左往右往”(“思う、憂う”・・・体験を教訓として考え行動する)の、
作業になって行くと思います。


太陽凝視を行っている鍼灸師の話 “総括編”
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