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“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話

太陽凝視を一生涯の“行”とし(現在、46年目)、実践し、その上で獲得した認識を述べています。

“日月神示”下つ巻 第二十帖 Kellyさん的解釈


今回も“日月神示”下つ巻 第二十帖を解釈しまんねん。
原文は以下の通り、


上(うえ)、中(なか)、下(しも)の三段に身魂をより分けてあるから、
神の世となりたら何事もきちりきちりと面白い様に出来て行くぞ。
神の世とは神の心のままの世ぞ、
今でも臣民 神ごころになりたら、何でも思ふ通りになるぞ。
臣民 近慾(ちかよく)なから、心曇りてゐるから分らんのぞ。
今度の戦は神力と学力のとどめの戦ぞ。
神力が九分九厘まで負けた様になったときに、
まことの神力出して、
ぐれんと引繰り返して、神の世にして、
日本のてんし様が世界まるめてしろしめす世と致して、
天地神々様にお目にかけるぞ。
てんし様の光が世界の隅々まで行きわたる仕組が三四五(みよいづ)の仕組ぞ、
岩戸開きぞ。
いくら学力強いと申しても百日の雨降らすこと出来まいがな。
百日雨降ると何んなことになるか、臣民には分るまい、
百日と申しても、神から云へば瞬きの間ぞ。
七月の二十三日、ひつ九の ローレンツ力と ○


まず、冒頭の文章、

“上(うえ)、中(なか)、下(しも)の三段に身魂をより分けてあるから、
神の世となりたら何事もきちりきちりと面白い様に出来て行くぞ。”

これは、ここまでこのブログや前のブログを読んではった人なら、すぐにピンと来る筈でんねん。そやから“上(うえ)、中(なか)、下(しも)”は“一二三”のオーラ、
それは、この文の表記を引用すれば、
“中(なか)”=胸のチャクラ=アナハタチャクラより“上”か“下”かでもある。
そして、“上(うえ)、中(なか)、下(しも)”は、
智性と愛(炁)と自我以下の心(靈)の動きとも言い得る。
それは、頭、胸、腹、それぞれの磁性があり、それぞれの心(靈)の発現と、
それぞれの心(靈)の動きがあるから“三段に身魂をより分けてある”って称されてる。
ほんでから三つのオーラの発振、発信は、それぞれの心(靈)の発現と心(靈)の動きが、
それぞれの、現津(あきつ)=観察され得る事象の創造をする。
そやからそれは…今の世界は、
自我以下の心(靈)の発現の世界で、自己奉仕者、“われよし”、自分に対する愛(炁)しか顕現して無い進化過程の心(靈)が創造してる世界でもある。
ほんでから“上(うえ)、中(なか)、下(しも)”…例えば、
“下(しも)”の心(靈)の創造は、
下つ巻に入ってからよく出てくる表記の“役員づら”…低い自尊心と功名心を言い表した表現って何回もこのブログで言うたけど、
今、最もそれが解り易いのは、TVで毎日のようにやっている低い心(靈)の発現の事象…保身、形骸の地位、それを守る為に言葉を弄んでるし、
そして自分の立場を守る為なら少々悪い事してもそれはそれでしょうがないとか……
そんなふうに思う事自体が、自分に対しての“厳しさ”がなく、
それは“慈悲”と“慈愛”の発現が無いって事なんやけど…そやからこんな程度の事は許されて当然とか、そんな程度の事を問題にするのがおかしいとか…そんな勝手な事ばかり言うてる。
その人達は、自分達の心(靈)の動きがアカンとか醜いとかの認識は、
あんまり無いように思える。
(これは言うまでもないけど、政治家の事でんねん)
そやからその人たちの心(靈)の構成は、この下つ巻 第二十帖の表記の、
“上(うえ)、中(なか)、下(しも)”の、
“下(しも)”中心の心(靈)の発現と心(靈)の動きでしかない。
そやからそれは“上(うえ)”=智性、
“一”=智性=1番目のオーラをたいして持ってへんねん。
言い換えれば、心(靈)が育ってなくって動物に近いって事でんねん。
ほんでからその人達の(心(靈)が)構成する場(フィールド)は、
そんな進化程度の心(靈)の人達だけやからこそ、
言い換えれば、
悪代官が悪代官を裁いて批判してる…悪徳貴族が悪徳貴族を批判してるみたいなもんやからこそ、自分たちは悪くないと思うやろし、
何かを暴かれたならそれは、運が悪かったとしか思えへんやろな。
そやからこそそんな人達は、これから自省(胸の磁性“十”)の“行”に入らんならん。
自省して自分の在り方を考え、今後自分達はどう生きるのか…どう存在するのか…それは死んでからも考えんならん。
それが心(靈)の進化過程=霊的成長の過程なんやから……。
自省(胸の磁性“十”)…それをして行かんと、
自分より“上”の存在との感応共振がないし、その思いが無ければ、
自分の身近な“上”の存在である真の意味での主護霊との感応共振が無いって事でんねん。
そやから主護霊はんの言い回しとしては、
その人がどんな悪人であろうがどんな大罪人であろうが、
死んでからも共に苦しみ共に霊的成長して行くからこそ、
S会=紫光会の交霊会で何回も言われた言葉…
共々にいく”…そういう言い回しをしまんねん。

ほんでからにそれは、
そんな低い心(靈)の発現の人の横暴を許してきた国民も責任のあることなんやけど……それは、ほとんどの人が“上”の心(靈)の発現をしていないからでもある。
そやから大半の人は、低い情動…そして低い…只低いと見受けられる本能由来の欲望……それ由来の低い幸福の概念…そやから低い欲望由来の仕事を選択したり、エネルギーを贖わないでたくさんの報酬を得る事が幸せやと思ったりもする。
ほんでからそこには物欲と金に対する執着があり、
それは、
飢餓貧困で死んだ浮游霊の通信を受けてて、表意されてる人と表意している霊的存在の感応共振が、その両者の心(靈)が“下(しも)”の感応共振でもある。
そやから、金の為なら、自分の欲望の為なら、他者の不幸はどうでもいい。
特に経済が発展したこの国とどっかの国はそんな人が大半の世界でもある。
そやから今後、
“上”の心(靈)との感応共振をして行かんならんのやからこそ、
今言うた“下”…その思いで自分のエネルギーを贖い“力”を獲得してきた人は、
今、それ自体が醜い事だとか、
心(靈)の発現として低い事だとか…それを示されてる。
ひとことで言えば、馬脚を現してるって事でんねん。
そやからそれは、下のチャクラの心(靈)の動き=3番目のオーラとも言い得る。
その点でも今後の人は=アセンション後に位置出来る心(靈)は、
“上”と“下”を区別出来るようにならんとアカンって、
当たり前の事でんねん。
そやから…そこまでの事をこの文章では言うてまんねん。
そやから自分が観察してる事象は、
智性って心(靈)の動きの事象なのか、
愛(炁)の事象なのか、
自我以下の心(靈)の動きの事象なのか…
今後、人(日止、霊止)が、
“上”の心(靈)の発現をしていったならば、
事象を観察する視野は段々広くなり、現時点と違うものの見方をする。
他者の行動や心(靈)の動き、そして自分の心(靈)の動きと行動にも、
“上”と“下”があることを認識するようになる。
そやからそれは、
すべての事象は“思惑の顕現”=現象化なんやから、
ここで言われてる“上(うえ)、中(なか)、下(しも)”の心(靈)の動きで、
事象を観察して自分の認識にして行かんとアカン。
もう一つ言うとけば……
今、とても多い、現象だけ見て批判するとか…“日月神示”の言葉の引用だけして今の世界の批判だけしてる“役員づら”の低い功名心と自尊心しか持ってへん人は、
霊的進化したとは言えず、それは、
自分の心(靈)の動きの“上”“下”の分析=“身魂掃除”“身魂洗濯”が出来ていない。
そやから、今より“上”の事象の“創造”=アセンション後の事象の創造をするならば、
自分の心(靈)の“上”と“下”を知り、
そのどちらの心(靈)の動きで事象の“創造”(神の思惑と生命の思惑、電磁波(振動)の相互干渉)をするのか…その点でもう一度、下つ巻 第十七帖の、

“学や知恵では外国にかなうまいがな、
神たよれば神の力出るぞ、
善いこと言へば善くなるし、
わるきこと思へばわるくなる道理分らんか。
今の臣民 口先ばかり、こんなことでは神の民とは申されんぞ。”

この“外国にかなうまい”これは、どう考えても自分が自分の外側(外国と幽界)と認識している事象に、
自分の“思惑の顕現”=現象化をする。
“上”の思惑か“下”の思惑か…それを言うてるからこそ、
“神たよれば神の力出るぞ、
善いこと言へば善くなるし、
わるきこと思へばわるくなる道理分らんか。”
これは、自分の思いの発振、発信でしか事象は顕現しないし、
それが、神格化の方向性ならば“善”やし、それを“上”は望んでる。
ほんでからその反対は、心(靈)が“下”に向かうことでしかなく、
それを観察して認識すれば“悪(心の動きの本能化と低振動化)”ってことになる。
そやから自分たち(の心(靈))は、
“善”の事象を創りたいのか、“悪”の事象を創りたいのか…
それを良く知る為に今、“下”の現象を観させられている。
ほんでから…これも何回も言うたことやけど、
今の事象は失敗の事象で、それは自分たちの心(靈)が、失敗を失敗として認識して、
失敗の事象を想像した理由は、“下”の心(靈)の発現であることを知る。
それを知ったならば、自分たちの“上”の心(靈)の発現も理解出来るし、
“上”の心(靈)の動き由来の創造をする事が出来るようになり、
それはアセンション後の事象の“創造”を担える心(靈)でもある。
そやけど…現時点、
アセンション後の“善”の事象を創造出来得る人は、とても少ないからこそ、
“上”の存在は色んなメッセージを伝えてる。
それは、多くの人に神格化=“善”の方向性を見出して欲しいからやねんな。

ほんでから次の文章は、人の心(靈)が…現時点の地球人の心(靈)の進化過程が、
如何に神に近づいていないのか…それを前提に言われてる事でんねん。

“神の世とは神の心のままの世ぞ、
今でも臣民 神ごころになりたら、何でも思ふ通りになるぞ。
臣民 近慾(ちかよく)なから、心曇りてゐるから分らんのぞ。”

この文章の冒頭の表記の“神の世とは神の心のままの世”は、
(今より相対的に)“上”の思惑を顕現した世界に移行するからでもあるし、
言うまでもなくそれは、アセンション後の事象を言うてる。
そやからこの文では、“上”の思惑の受信の意味で、
“今でも臣民 神ごころになりたら、何でも思ふ通りになるぞ。”…人(日止、霊止)の進化は神格化でしかなく、
神格化は“上”の思惑を受信出来る人(日止、霊止)=“身魂磨き”(肉体組織の結晶化)をする人(日止、霊止)でしかなく、
今、その方向性を見失っているからこそ、
恨みの連鎖の霊的干渉で不幸な死や病気や災害や戦争や…それらはすべて、
“下(しも)”の心(靈)の動きの現象化でもある。
言うまでもなく自己奉仕者の世界は崩壊の方向にしか向かって行かん…そやから、
“臣民 近慾(ちかよく)なから、心曇りてゐるから分らんのぞ。”って言われてまんねん。


ほんでから次の文章、

“今度の戦は神力と学力のとどめの戦ぞ。
神力が九分九厘まで負けた様になったときに、
まことの神力出して、
ぐれんと引繰り返して、神の世にして、
日本のてんし様が世界まるめてしろしめす世と致して、
天地神々様にお目にかけるぞ。”

“神力と学力”…これは、“力”(力、知恵、知識・・・学問・・・能力、そして霊能力を含む)と智性=“一”=智性=1番目のオーラって事でんねん。
すべての“力”は智性由来の心(靈)の動きで使われんと“善”の方向に向かないってことでしかないし、ほんでから“神力が九分九厘まで負けた様になったとき”は、
今の世界で、
人(日止、霊止)の霊的成長のために“上”から示された様々な何かは、
その価値はすべて形骸になり、
自己奉仕者、“われよし”、自分に対する愛(炁)しか顕現して無い進化過程=“下(しも)”の心(靈)の動きにより、
金儲けとか、低い功名心や自尊心を満たすものに成り下がってる。

ほんでから、
“まことの神力出して、
ぐれんと引繰り返して、神の世にして、
日本のてんし様が世界まるめてしろしめす世と致して、
天地神々様にお目にかけるぞ。”…この文の中の“日本のてんし様”…
これが国としての日本って言う意味ではなく、
日の本は…もう何回も言うたから敢えて説明しませんねん。

ほんでから次の文、

“てんし様の光が世界の隅々まで行きわたる仕組が三四五(みよいづ)の仕組ぞ、
岩戸開きぞ。”

“てんし様の光”=“一”=智性=1番目のオーラでんねん。
“三四五(みよいづ)の仕組”=これも下つ巻 第九帖の解釈で言うたから、
コピペしときまんねん。
      

“この方は三四五(みよいつ)の神とも現われるぞ。”

“三四五(みよいつ)の神”は、
“三”=三つのオーラ、肉体を持った霊=○、荷電粒子の場(フィールド)が持つ、
上中下のローレンツ力によるオーラの発振、発信
“四”=、“四”は、象形文字で、
開いた口の中に、舌や咽頭が見える様子って事らしく、
それは“息をつく”って言う意味を持ってるやんか。
息・・・それは、 息と言う字の構成が自分の心(靈)で、
ほんでからに、自分の心(靈)の発振、発信が、息吹って事。

“五”=糸巻きの象形文字。肉体の磁性を構成する神経線維のこと。

“現われるぞ。”=発振、発信して示すってこと。

     
そやから“三四五(みよいづ)の仕組”と、
“岩戸開きぞ。”…“岩戸”の山は、大脳で、それは“上(うえ)”で“一”=智性=1番目のオーラで、その下に“石”=帯電するミネラルが有り、それは“日月神示”の表記の“石屋の仕組み”の“石”で有り、
その帯電するミネラルに“上”の思惑を生かした行動をせんならん。
それが無ければ“下(しも)”の心(靈)の発現でしかなく、
それは、心(靈)の進化過程としては低いって言うだけの事で、
そやからアセンションは、心(靈)の進化過程の“上”“下”を分ける。

何回も言うた事でんねん。

ほんでから次の文、

“いくら学力強いと申しても百日の雨降らすこと出来まいがな。
百日雨降ると何んなことになるか、臣民には分るまい、
百日と申しても、神から云へば瞬きの間ぞ。”

この文の冒頭の“いくら学力強いと申しても”は、
やはり“上”の思惑の受信が出来ていない事を指しているとしか思えへん。
それは、下つ巻 第十七帖の“学や知恵では外国にかなうまいがな、”
これはさっきも言うた事やけど“上”の思惑を顕現した事象でなければ、
それは、良い世界では無いって事でしかない。
ほんでからそれ以下の文は、人の認識の低さを言うてると思える。
それは“百日の日照には飽かぬが三日の雨に飽く”って諺がある。
程度が低い進化過程の時間の認識やからこそ“神から云へば瞬きの間ぞ。”と、
言われてる。
すべての事象は、神の思惑=人の神格化であり、
その為に今、“神の咎め”の事象を体験しているとも言い得るし、
そやから“まことの神力出して、
ぐれんと引繰り返して、神の世にして、”…今の失敗の事象が、
極みになったときにしか“上”の思惑は一般に広まらない。
ほんでから“上”の存在が思う、
人(日止、霊止)の進化のプログラム=神格化は、
“下”の心(靈)の発現の人には理解出来ない…そやから今の失敗の事象が、
人の認識を改める為の事象で、右往左往から左往右往に移行する。
そして“下(しも)”の心(靈)しかない人は、
今の事象に対してそれほど問題意識も無く、
低い事象を観ても自分がどう在るべきなのか大して考えもせず、
見せ掛けの幸福感に酔いしれ…そんなふうに思ってる事自体が、
事象を観察する視野が狭く、このままでは地球全体での恨みの連鎖の霊的干渉の事象が、
もっと多くなり、そして大半の人が次の世界の創造を担えない結果になる。
それが“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)の、
“思惑の顕現”=現象化って事でんねん。

今回はこれくらいにしときまんねん。

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 Kelly & ○○○大先生

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Kellyさんと○○○大先生は、
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心(靈)の二面性であり、
同一人物で有る事を、
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2005年10月1日~2008年1月15日まで、
“Kellyさんとの会話”で、説明して来た事・・・
その内容・・・それは・・・その何年も前から、
何か自分の考えをある程度公表しなければならない・・・
そう言う通信を受け・・・その理由は・・・地球人が低い心(靈)の発現しかしていない・・・
それを自覚していない人が多い。
その事由来の太陽凝視に対する認識、
(太陽凝視=不食・・・としか、認識させない存在の思惑を、受信している事)
霊的成長に対する認識、
神に対する認識、
心=靈に対する認識、
オーラに対する認識、
そして、
高い認識の上での進化の意味と幸福の概念と神の概念・・・
進化=霊的成長=神格化=(相対的に)高い認識を獲得する事・・・
霊的成長=神に近づく事=真の幸福の意味。
霊的成長度は1番目のオーラに顕れる。
よって、宇宙的プログラムにより次の段階に移行する人(日止、霊止)は、 何を考えるべきなのか・・・
そして、人(日止、霊止)の進化を阻む存在の思惑、
その心=靈の動き、それらの意図・・・それが一般に認知されていない事。
それらを伝えなければ成らない・・・そして一応・・・完結はしたのですが・・・
解り難い・・・理解しがたい・・・具体例を示して欲しい・・・そう言う感想も頂き、
そして自分なりにも説明が足らなかった事・・・
更に、
“Kellyさんとの会話”が完結してからも通信を受けている事・・・そう云う事もあり・・・
よって、このブログを立ち上げる事としました。
従って、
“Kellyさんとの会話”が、
自分の意見を述べる上での、ローム太霊の言葉、
“右往左往”(“いきり立つ心(奴と心)”で行動してから考える)・・・と、 するならば、 このブログはアタシ自身の、
“左往右往”(“思う、憂う”・・・体験を教訓として考え行動する)の、
作業になって行くと思います。



自分達の欲望を満たしたい… 
自分だけ幸福になりたい…
こういった進化程度の低い心(靈)の発現由来の思いが、
低い幸福の概念になり(目下(めした)の思い)
その結果が、飢餓貧困、戦争の原因になったりしています。
(子供の浮游霊の霊的干渉の影響を受け、 それがどんどん増して行く事等が、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)
の思惑だと 思えます)

恨みの連鎖による霊的干渉を増やさない為、
その解消の為にも、(この趣旨に反する類の物もありますが) クリックをお願いします。
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