“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話

太陽凝視を一生涯の“行”とし(現在、44年目)、実践し、その上で獲得した認識を述べています。

“日月神示”下つ巻 第二十一帖 Kellyさん的解釈



今回も下つ巻 第二十一帖を解釈しまんねん。
原文は以下の通り、



 ローレンツ力  ばかりでもならぬ、 ローレンツ力を持っていない霊=○、荷電粒子の場(フィールド) ばかりでもならぬ。
ローレンツ力と ○がまことの神の元の国の姿ぞ。
元の神の国の臣民は ローレンツ力と ○でありたが、
 ローレンツ力が神国に残り  ローレンツ力を持っていない霊=○、荷電粒子の場(フィールド)が外国で栄へて、どちらも片輪となったのぞ。
 ローレンツ力もかたわ ローレンツ力を持っていない霊=○、荷電粒子の場(フィールド)もかたわ、 ローレンツ力と  ローレンツ力を持っていない霊=○、荷電粒子の場(フィールド)と合はせて まことの ローレンツ力と ○(かみ)の世に致すぞ。
今の戦は ローレンツ力ローレンツ力を持っていない霊=○、荷電粒子の場(フィールド) との戦ぞ、
神の最後の仕組と申すのは ローレンツ力を持っていない霊=○、荷電粒子の場(フィールド)  に ローレンツ力 入れることぞ。
 ローレンツ力を持っていない霊=○、荷電粒子の場(フィールド)も五ぞ   ローレンツ力も五ぞ、どちらも、このままでは立ちて行かんのぞ。
一厘の仕組とは ローレンツ力を持っていない霊=○、荷電粒子の場(フィールド)に神の国の  ローレンツ力を入れることぞ、
よく心にたたみておいて呉れよ。
神は十柱五十九柱のからだ待ちてゐるぞ。
五十と九柱のミタマの神々様お待ちかねであるから、
早うまゐりて呉れよ。
今度の御役大層であるが、末代残る結構な御役であるぞ。
七月の二十四日、一二のか三。



この文章全体に言える事は、
これは前に
下つ巻 第九帖 で解釈した、
肉体の磁性により発生するローレンツ力と、
肉体を持ってない状態の霊=○、荷電粒子の場(フィールド)の違い、
そしてもうひとつは、
せっかく肉体を持った霊として産まれ出た人であったとしても、
霊的成長のチャンスを与えられた人であったとしても、
“上”に向かう心(靈)=神格化を意識する心(靈)の動き=肉体の磁性の強化を意識した生き方…それらを考えん人=ローレンツ力を発生させない ローレンツ力を持っていない霊=○、荷電粒子の場(フィールド)でんねん。
そやから…人は肉体を持っているからこそ、
生体内電流による磁性=ローレンツ力ローレンツ力 があり、
ほんでから、生体内電流がたくさん流れ、それ由来のローレンツ力ローレンツ力 の強化が、
“行と修行”の意味と意義でもある。
それは又、ローム太霊さんが言うた、
苦に苦を重ね苦を求め更に苦を求めるのだ、楽を求めてはいかん”と“粘りとやせ我慢”…なぜローム太霊さんがその言葉を“下”に垂れたのか…その意味を考えんとアカンやんか。
そやから、ローレンツ力の強化そのものが段々“上”の思惑との感応共振になり、
“上”の思惑との感応共振は、“上”の思惑が下した試練と立ち向かう事にもなり、
更に、その試練と立ち向かって認識を獲得した人は、
霊的成長を果たす…こんな事は前のブログで何回も先生と話した。

そして自分の心(靈)の動き、
それには“上”と“下”がある。

そやからそれは、
自分の心(靈)の動きと、“上”との感応共振で自分の心(靈)の成長になる。
そやからこそ、自分で自分の心(靈)の“上”と“下”を見極めるのが、
“日月神示”の表記の“身魂掃除”“身魂洗濯”やってこのブログで何回も言うた。
又それは、
自分のやって来た事を振り返る…“観自在”“直日(なおひ)”自省(胸の磁性“十”)の“行”…その心(靈)の動きは“慈悲”と“慈愛”になるって話も先生とした。
そやから“身魂掃除”“身魂洗濯”が出来ないと、良い世界の“創造”が出来ない。
当たり前の事でんねん。

ほんでから今の世界に満足し、
自分達の低い欲望由来の幸福の達成の為に“力”を使い、
自分のエネルギーを贖っている人は、霊的成長度が低く、
そやからそれは、心(靈)の発現の段階が、アセンションに間に合わず、
そしてそれは、
自己奉仕者、“われよし”、自分に対する愛(炁)しか顕現して無い進化過程やから、
その人達の世界は自滅する。
自滅させる事が人の霊的進化を望まない存在の思惑であり、
その思惑と感応共振し人の心(靈)に入り込んだ時には、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)になるって、
前のブログで先生は言うた。
ほんでから今、ほとんどの人が悪魔の傀儡になっている。
特にこの国とアメリカ…経済が発展して見せ掛けの価値感に酔いしれ、
どうでもエエ事ばかりに金をつぎ込んできて、
それが前提の低い幸福感、自己奉仕者の認識の幸福感、
本能、情動、功名心、自我、…それが中心の心(靈)の人の見せ掛けの低い認識の幸福感は、
この星の恨みの連鎖の霊的干渉を盛んにしている。
そして、情けない事に…“上”からの霊的成長の為の情報すら、
自分達の利益の為の道具にしてしまっている。
アセンションや“日月神示”や霊能力やヨガやオーラを知ったことや…
それらの意味と意義を考えず、
仮にそれを題材にして本を出版したりしても、
ほんの少し知った知識を振りかざしてこの世界を批判して、
又、何とかをするとあなたは霊的成長し、アセンションを迎える事が出来ますとか…
そんなふうに、本を書いている人と本を読んでいる人の、
低い功名心と自尊心を満足させ、同じ程度の心(靈)の発現の場(フィールド)を作り、
その弊害として、同じ程度の心(靈)の動きの場(フィールド)では、
何かを観察して認識しようとしても、相対的に低いものの見方しか出来ず、
事象を観察する視野は狭くなり、
又、その程度の低い進化程度の心(靈)の強化に結びつき、
その進化程度の人が大多数やからこそ、この事象は低く…とても醜く、
そやけど心(靈)の進化程度が低い人はその醜さに気がつかん…或いは、
見ない様にして意識しないで、うわべの価値ばかり追い求めようとしている。
それは…低い人ほど甘い事を考える…甘い考えがその人のすべてって事でもある。
例えば…暖かい気持ちになりました…感謝して生きましょう…無限の愛を感じましょう…とても楽しい気分になりました…そんな甘い言葉を述べたりする。
そんな甘い言葉と雰囲気に酔っぱらってるだけでは、次の段階の“創造”を託される人になれず、当然、次の世に(“上”の“思惑の顕現”=現象化の為の事象に)、
移行出来る訳が無い。
そやから、今、アセンションに向かって自分たちがどう在るべきなのか…この事象を少しでも良い方向に向かわせるのは、
これも何回も言うたけど、恨みの連鎖の霊的干渉を減らして行く……。
その心(靈)の動きが無い人は、それを考えん人は、
心(靈)の発現が低く、事象を観察する視野も狭い。
そやけどそれがこの世界の人たちの平均的霊的成長度でしかなく、
そやから…一般に…
低い…甘い…只それだけの、その心(靈)の動きだけの、
形骸の夢と希望を見させるものばかり目に付く。

まったく話にならんくらいこの世界は、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)の思惑に染まっている。

話を戻し、
心(靈)の発現の低さを“上”に高めていくのは、
“行と修行”由来のローレンツ力由来の身体磁場で、
身体磁場による荷電粒子の回転がチャクラで、
荷電粒子の回転速度を高めていくのが、
縦の磁性、それが“日月神示”の表記なら、
“岩戸”…山=脳、石=帯電するミネラル。
そして、
“江戸と尾張”…“江”“腹の水、
“尾張”=尾骨の磁性、
そやからこそ縦の磁性はクンダリーニであり、
クンダリーニ=軍荼利明王で、
一つ一つ解字すれば、
軍=冖部(べきぶ)、覆いかぶさるの意…それと回転を示す車、
荼=マニピューラチャクラの発振、発信、血液中の鉄分、ビリルビン、
利=縦のつながりの意味を持つ字、
明=日と月、日足と砌(ひたりとみぎり)、左右の極性、イダとピンガラ、右往左往と左往右往…たくさんの意味を持つ、
王=“一二三”のオーラを縦の磁性でつないだ字……なんやけど、
さっきの話に戻るけど、縦の磁性の強化は、
荷電粒子の回転速度と、七つのチャクラの水平磁場の強化になり、
その両方で“上”から降り注がれる“上”の思惑=電磁波との感応共振の違いが出来る。
そやからチャクラの覚醒ってヨガで言われてるのは、
“上”の思惑との感応共振と、自分が発現した心(靈)の段階で、
自分の呼吸、息吹、気吹、生吹、=オーラの発振、発信により、
霊的成長度に応じた事象に遭遇し、その事象から認識を得る。
更にそれが、自分の認識=“一二三”のオーラになって行く。
更に補足としてそれは、前回の下つ巻 第二十帖の表記の、
“上(うえ)、中(なか)、下(しも)の三段に身魂をより分けてある”って事になる。

そやから心(靈)の発現を分類した言葉の、
本能、情動、功名心、自我、愛(炁)、創造、知恵、智慧、智性という振動は、
七つのチャクラに表れていて、
そやからそれぞれの心(靈)の発現の段階=思惑により、
“上”の振動を取り込む=ローレンツ力により“上”から降り注がれる荷電粒子の向きを変える=自分の心(靈)と肉体が構成する場(フィールド)に影響を与え、感応共振したり増幅して発振、発信したりする。
それが肉体内の七つのチャクラに示されてるし、
それぞれのチャクラでの心(靈)の発現になっている。
そして七つのチャクラは水平磁場を構成している。
水平磁場は“上”から“下”への荷電粒子との反応が起き、
それが又、感応共振の意味を持つ。
そうやって肉体を持った心(靈)っていうのんは(“神の元の国”の“元”の“二=肉体の磁性、肉体そのもの”)、
この現津(あきつ)=観察され得る事象で、
時間の進行(“神の元の国”の“元”の“儿部(じんぶ、にんにょう)=人が歩く様に象るの意”)を認識しつつ、
霊的進化して行く。

それが又、“日月神示”の表記なら、
“ひふみゆらゆら”=“一”“二”“三”のオーラ、それぞれの左右の磁性の右往左往と左往右往でもあるし、
その心(靈)の動きっていうのんは前回の下つ巻 第二十帖の、
“上(うえ)、中(なか)、下(しも)の三段に身魂をより分けてある”ってことでも有るし、そやからこの二十一帖は二十帖の続きでもあるな。

ほんでからにKellyさんは、
下つ巻 第九帖でもこんな事を言うた…そやからコピペして示しておきまんねん。

 
      

……“行と修行”の通念が低くなってしまったことは、
宗教を形骸にした人にも責任があることなんやけど、
価値のあるものを形骸にした心(靈)の動きって言うのんは、
目先の欲、権力欲、(通貨としての)金、ほんでから低い功名心と自尊心、
そう言うことに囚われてる人を指して、下つ巻 第九帖では、
“役員づら”とか“替え身魂使ふ”って言われてると思う。
それは、形骸の価値感で形骸の地位と名誉を得たり、
又、形骸の地位と名誉を獲得しようとしたり、
ほんでから人に説法を説いたり・・・悪人の“悪(心の動きの本能化と低振動化)”を指摘して自分の低い功名心と自尊心を満足させ、
そんな事が素晴らしい事やって思われてる通念があるから、
そやから、今、只々現状を批判して、自分だけは違うって思うてる人は多い。

そんな事で霊的成長になる訳がない。

そう言う形骸の事に囚われてる自分の心(靈)の観察は、
自分の外側(外国と幽界)の観察由来の認識しか出来ず、
ほんでから、形骸の宗教に携わっている人とおんなじような事して、
自分が霊的成長して行くって思うてる人は、
言い換えれば錯覚してる人は、今、とても多い。
そやから“行と修行”=生体内電流の強化=オーラの拡大、
心(靈)の在り方=右往左往と左往右往。
“ひふみゆらゆら”=“一”“二”“三”のオーラ、それぞれの左右の磁性の右往左往と左往右往。
それが理解できてへん=ここまで言うて来た通念の認識しか無い人は、
アセンションの時期にまにあわへんって結果にしかならへん…

      

そやから“行と修行”…それに対する認識って言うのんが今、
とても低くなっていて、
そやから下つ巻 第九帖とこの第二十一帖でローレンツ力の事を言うてるのは、
誰もが今、エネルギーを贖って“上”の心(靈)の発現をして行く=霊的成長して行くことが“行”やって思ってないからこそ言われてると思える。
肉体内の生体内電流の強化は、肉体の磁場の強化になり、
“身魂磨き(肉体組織の結晶化)”になり、
そして、
よりローレンツ力を強くして、
そして自分の心(靈)の動きに自我から“上”の心(靈)の発現があればこそ、
“上”の心(靈)の発現をした霊的存在との感応共振がある。
そうやって自分自身の心の中の認識って言うのんは高まっていく。
ややこしい言い方をすれば、
自分の肉体のローレンツ力の強化と自我より“上”の心(靈)の発現をして、
自分が自分の心(靈)の発現として持っている、
本能、情動、功名心、自我、愛(炁)、創造、知恵、智慧、智性という振動の比率が、
今の地球人はそれぞれの心(靈)の部分としての“上”の振動が低いからこそ、
その自分の心(靈)の振動より、言い換えれば(相対的に)自我より“上”の振動を持っている霊的存在との、感応共振=オーラの相互干渉をして、
そしてその“上”の霊的存在の思惑=荷電粒子を自分に取り込み、
そうやって自分の心(靈)は影響を受けていき、
それが又、肉体内の生体内電流に反映し、
更に“上”の霊的存在の思惑との感応共振をするようになって行く。
それが、霊的成長の為の具体的手段である“行と修行”である。
ほんでから今、既成宗教に関わっている人がやっている“行”は、
単なる儀式でしかなく、
只、僧侶とか神主とか…その形骸の資格を得る為にしか執り行われていない。

そやから認識の拡大=オーラの拡大としての“行と修行”っていうのんは、
ほんまのことを求め、
苦しみ…生きているうちに様々な苦難に遭遇し、
それに立ち向かい…目先の苦難の意味を考え…
そうやって行かんと“上”との霊的存在の感応共振はない。
そやから今の坊さんや神主さん霊的成長を果たした人はほとんどいない。
それは先生がオーラが観えてた時に観測した結果でもある。

そやから“行と修行”の意味と意義は、霊的成長でしかなく、神格化でしかなく、
本当の事を追い求める心(靈)の動きが、
真(真固止、○ 九 十、誠=言葉成る、言葉の意味は自分が発振、発信した振動が完成する)を求める心(靈)の動きが、
自分の背負った因縁や苦難や苦痛を、自分の試練と認識して行くし、
その心(靈)の動きが有るからこそその意味を“上”は教えようとする。
その反対の、
さっき言うた甘い言葉や雰囲気に酔っぱらっている人は、
苦難を避ける苦痛を避ける…その甘い思いは、
只、甘い(亜、魔、出ずる、泉)からこそ、
じぶんより“下”の霊的存在=自我より“下”の心(靈)の動きの霊的存在との感応共振になる。
自分が持っている心(靈)の動きより相対的に“下”の心(靈)…その発振、発信と、
感応共振は…それは今まで、貪、瞋、痴(とん、しん、ち、)とか、
感覚優先の物の見方とか、色んな事を言うて来たけど、
自分の心(靈)の動きを自分で判断するっていうのんは、
誰もが自尊心と功名心って言う自我特有の心(靈)の動きを持っているからこそ、
自分の心(靈)の動きを自分で判断する時に贔屓目(ひいきめ)で観たりする。
そやから今の自分の心(靈)が低いとか、
恨みの連鎖の霊的干渉の影響を受けているとかの判断が出来てない。

ほんでからこれも何回も言うたことなんやけど…この星は、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)の“思惑の顕現”=現象化による(通貨としての)金によって外側(外国と幽界)の事象は形成されてる。
その結果、たくさんの恨みの連鎖に加担する霊的存在が増えている。
飢餓や貧困で今、三秒に一人増えている子供の浮游霊、
肉食の結果による家畜の霊、
それは心(靈)の動きが低いからこそ、
それと感応共振して影響を受け自分の心(靈)が霊的干渉の影響を受けたなら、
やる事成す事幼稚になり、動物的になり…元々持っていたほんの少しの智性ってものを見失っていく。
ほんの少しだけでも、子供の浮游霊との感応共振を考えたならば、
苦難を試練と思わないからこそ、
その場限りの幼稚な娯楽を求めたり…パチンコとかお笑い番組とかグルメ志向とか…風俗の流行とか…目先の楽しそうなことばかりを求めたりする。
そやから、その人の認識を高めていくのには程遠いものばかりが流行り、
そんなものが経済を動かし、ほんでから大半の金持ちは、
食う事とやる事(性的な事)しか思ってない。
まったく八戒の段階でしかない。
八戒の心(靈)の動き…その欲望の達成の溜めに仕事をして、
形骸の地位を得て大会社を作ったり…そんな価値感が素晴らしいと思ったりそれが今までの人生の目的って人も多い。
そやからこの世界は低い欲望で出来ている事象でもある…なんやけど、
まあエエわ。

まったく、こんな事一つ一つ言うてたらキリがない。
そやから、下つ巻 第二十一帖の解釈に話を戻しまんねん。

冒頭の文章、

ローレンツ力  ばかりでもならぬ、 ローレンツ力を持っていない霊=○、荷電粒子の場(フィールド) ばかりでもならぬ。
ローレンツ力と ○がまことの神の元の国の姿ぞ。”

さっき言うた通りの事でんねん。
補足として、“神の元の国”は、
“元”の“儿部(じんぶ、にんにょう)=人が歩く様に象るの意、
時間の進行の事であり、
“元”の“二”は、肉体の事でんねん。

次は、

“元の神の国の臣民は ローレンツ力と ○ でありたが、
 ローレンツ力 が神国に残り  ローレンツ力を持っていない霊=○、荷電粒子の場(フィールド)が外国で栄へて、どちらも片輪となったのぞ。”

この文の表記の“片輪”…これは障害者とかの意味ではなく、
片方の輪、荷電粒子の回転が二種類ある事を示す言葉でんねん。
そやからローレンツ力= ローレンツ力
ほんでから荷電粒子の場(フィールド)= ローレンツ力を持っていない霊=○、荷電粒子の場(フィールド) 
その両方が揃わんと人の霊的成長になって行かへん。
そやから“ ローレンツ力  (ローレンツ力)が神国に残り”…この文の“神国”って言うのんは、
神=示すへんと呂、
国=(囗)くにがまえと“玉(ぎょく)”
“上”からの荷電粒子=神の思惑を受信して人は“玉(ぎょく)”になり、
そして霊的成長を示す意味で先生は、
“人(日止、霊止)が“宝玉(ほうぎょく)”になる“って言うた。
これは腹の段階の心の発現の“石屋の仕組み”に対する言葉でもある。
これに付いては前のブログの“思惑と顕現”を、よく読んでほしいねん。
その“玉(ぎょく)”になっている人(日止、霊止)、その心(靈)の動きを発現している人が構築している場(フィールド)そのものが、
“国”って表記の本当の意味でんねん。

ほんでから“ ローレンツ力を持っていない霊=○、荷電粒子の場(フィールド) が外側(外国と幽界)で栄え”って言うのんは、
外側(外国と幽界)の事象だけって事で、
神国って言う場(フィールド)と、
外国=外側(外国と幽界)の事象っていうのんは、
言うまでも泣くどちらも自分の心の中の認識でんねん。
そやからこそほんまに神格化に向かう為の表記としての、
“元の神の国の臣民”であるには、
その“片輪”だけではアカンって言うてるだけやねん。

そやけど次の文章は、
その片方だけではアカンって言う意味で“かたわ”って言うてる。
そやからそれは、“上”の“思惑の顕現”=現象化としての人(日止、霊止)ではない形って言う意味でんねん。

“  ローレンツ力 もかたわ ローレンツ力を持っていない霊=○、荷電粒子の場(フィールド)もかたわ、 ローレンツ力 と  ローレンツ力を持っていない霊=○、荷電粒子の場(フィールド)と合はせて まことの ローレンツ力と ○ (かみ)の世に致すぞ。”


…ほんでから次の文、

“今の戦は  ローレンツ力 と  ローレンツ力を持っていない霊=○、荷電粒子の場(フィールド)との戦ぞ、
神の最後の仕組と申すのは   ローレンツ力を持っていない霊=○、荷電粒子の場(フィールド)に  ローレンツ力 入れることぞ。”

もう敢えて説明するような事ではなく、
人(日止、霊止)の在るべき姿っていうのんは、
心(靈)は“上”を求め、自分の神格化を求め、
その為に自分の在り方を求め、考え思い、
その思い(心、靈、の四つの場(フィールド)、大脳の新皮質)は、
“一”=智性=1番目のオーラの発振、発信になり、
自分より相対的に“上”の霊的存在との感応共振になり、
そして段々“上”の思惑を受信して自分と“上”との感応共振した心(靈)の発振、発信で事象の構築をして行く。
それが神の最後の仕事、卆って言う意味での、
○ 九 十って表記になる。

ほんでから次は、

ローレンツ力を持っていない霊=○、荷電粒子の場(フィールド)も五ぞ ローレンツ力 も五ぞ、どちらも、このままでは立ちて行かんのぞ。”

この文章の表記の“五”は、
Kellyさんが、“日月神示”の解釈をして行くに当たって・・・考えた事。…で言うた通り、
糸巻きを象る象形文字、そやから神経が構成する肉体の磁性でんねん。
結局、ローレンツ力の事を言うてまんねん。

ほんでから次の文、

“一厘の仕組とは ローレンツ力を持っていない霊=○、荷電粒子の場(フィールド)に神の国の  ローレンツ力 を入れることぞ、
よく心にたたみておいて呉れよ。”

“一厘”は、大きさの単位ではなく、
“一”は“一二三”のオーラの“一”=智性=1番目のオーラで、
“厘”の厂(がんだれ)と、
里って言うのんは、
厂部は「がけ」や「いわお」を意符としてもつ、そやから岩戸の岩と同じ意味。
ほんでから“里”は、
“田”と“土”、
この内の“田”は、思い(心、靈、の四つの場(フィールド)、大脳の新皮質)“一靈四魂”の意味を持つ。
“土”は言うまでもなく肉体の意味と、“一二三”のオーラの2~3番目のオーラの事でんねん。
ほんでから“土”=2~3番目は、この世界の“創造”に関る、外側(外国と幽界)って自分が認識してる事象の“創造”に関わるって事でんねん。
そやから“一厘の仕組”って言うのんは、
“上”の思惑と人(日止、霊止)の霊的進化した思惑が作り出す事象、
その仕組って言う意味でんねん。

ほんでから次の文、

“神は十柱五十九柱のからだ待ちてゐるぞ。
五十と九柱のミタマの神々様お待ちかねであるから、
早うまゐりて呉れよ。”

この文の表記に出てくる漢数字は、その意味は今まで何回も言うたから、
簡単に説明しときまんねん。

“十柱”は、心(靈)の動きとしての自省と、
腹の心(靈)の動き=サイクロトロンを螺旋にして、シンクロトロン放射に近づけて行く仕組みとしての、胸の磁性“十”。
“柱”は、“十”と丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)と乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現)で、“柱”の偏になり、
旁(つくり)の主は、
S会=紫光会でローム太霊さんが教えた(本当の意味での)主護霊って表記の、
“主(ヌシ)”であり、
それは“一二三”のオーラとローレンツ力と縦の磁性を示す表記であり、
独り神(ひとりがみ、日取り神)になる仕組みを示した表記でもある。
ちょっと前に作った画像をはっておきまんねん。

主(ヌシ)の解字 


ほんでから“五十九柱”は、
“五”はさっきも言うたけど、糸巻きの象形文字としての“五”そやから神経、
“波羅密”の“羅(目の下の錐体状の神経)”とそれが密になる…それが又、
下等生物から高等な生物への進化過程でもある。
生物は進化して、神経が“慈(しげる)”って様相を示す。
そやから心(靈)の発現は“上”に向かう…そして“上”との感応共振をするから、
それは、要は、
神の思惑を取り込める段階に入ったって言う意味での、
日止=太陽の振動を止める。
霊止=普遍的に実在する創造主のオーラ(宇宙背景放射)を止めるって言う意味でんねん。

“十”も敢えて言うまでもないけれど、今言うたばかりでもあるけれど、
自省(胸の磁性“十”)…“慈悲”と“慈愛”の心(靈)の発現って言うときまんねん。

“九”も、何回も言うたけど、丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)+“一”=智性=1番目のオーラ+乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現)…神の“思惑の顕現”=現象化としての最後の仕事、最後の仕事っていう意味での“九”は卆の上半分であり、
それは“玉(ぎょく)”って言う意味で翡翠(ヒスイ)の翠のもうひとつの表記での翆であり、そしてそれは腕の磁性を示す羽と卆で構成され、そしてこの字の読みはミドリでもある。
それはアナハタチャクラ内奥の色でもある。

ほんでから次の文、

“今度の御役大層であるが、末代残る結構な御役であるぞ。”

この文の“大層”に付いては、
下つ巻 第十四帖を読んで欲しいねん。

ほんでから第十四帖でもKellyさんは言うてるけど、
“末代残る結構な御役”って言うのんは、
“上”の“思惑の顕現”は、人(日止、霊止)の仕事であり、
それを“日月神示”では“御用”“役員”って言い表され、
それをなすには“一二三”のオーラの拡大=認識の拡大をして行かんならん。
“一二三”のオーラを立派にするには、
“行と修行”…生体内電流の強化、ローレンツ力の強化、
そして自分の心(靈)が“上”に向かう事=自我中心の心(靈)から、
“慈悲”と“慈愛”の心(靈)の発現になる。
その為に今、この世界は、
右往左往=失敗の事象から、
左往右往=自分の在り方を思い、自省(胸の磁性“十”)の“行”に入ってる最中でんねん。

今回はこれくらいにしときまんねん。


« ○○○大先生が撮った、比較的まともなカラスノエンドウの写真。|Top|“日月神示”下つ巻 第二十帖 Kellyさん的解釈 »

コメント

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

http://tuyukusanotuyu.blog45.fc2.com/tb.php/143-a3cb9fb6

Top

HOME

tuyukusanotuyu




 Kelly & ○○○大先生

Author: Kelly & ○○○大先生
FC2ブログへようこそ!


Kellyさんと○○○大先生は、
このブログを書いている○○○の、
心(靈)の二面性であり、
同一人物で有る事を、
お断りしておきます。

出版の告知

四冊目&五冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈4〉
智性無き心は
悪を容認する


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈5〉
智性無き心は
アセンションを見誤る

 この二冊は、同時発売です。
太陽凝視を行っている鍼灸師の話 <4> 智性無き心は 悪を容認する & 太陽凝視を行っている鍼灸師の話 <5> 智性無き心は アセンションを見誤る サムネイル
(クリックで拡大)

2010年 4月20日(火)ごろより、全国書店(紀伊國屋書店・三省堂書店・旭屋書店・ジュンク堂書店・ブックファースト・リブロ・丸善など)にて順次陳列。


発売中の三冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈3〉

神格化のプロセス
目上(めうえ)と目下(めした)


神格化のプロセス 目上と目下 縮小版 ブログ用
(クリックで拡大)


発売中の二冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈2〉

ローム太霊の教え
日足(ひたり)と砌(みぎり)


サムネイル太陽凝視を行っている鍼灸師の話〈2〉ローム太霊の教え 日足(ひたり)と砌(みぎり) 
(クリックで拡大) 

お近くの書店にない場合は
たま出版のサイトでお買い求めください。

発売中の一冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈1〉

ローム太霊との出会い


太陽凝視を行っている鍼灸師の話〈1〉ローム太霊との出会い
(クリックで拡大)

お近くの書店に無いときは
たま出版のサイトでお買い求めください。

この本に付いてはこちらを御覧下さい。


       




初めての方は、
・・・その後の事と・・・これからの事。
からお読みください。

それぞれのカテゴリーをクリックすると
古い順に、記事が閲覧できます。

        

☆ Kellyさん的事象の観察と認識 (104)
Kellyさんがこのブログに霊縁あった人(日止、霊止)に伝えたい事 (22)
Kellyさんと○○○大先生との会話 (7)
Kellyさんとチョ~極上ラブラブ中高年夫婦はんとの会話 (6)
Kellyさんとチョ~ベッピンはんのA野はんとの会話 (7)
Kellyさんと∪・ω・∪ ▼・。・▼ ▼・。・▽ U・。・U U。・ェ・。U たちとの会話 (33)
Kellyさんとメタボ研修医のYっちゃん先生との会話 (2)
Kellyさんとややメタボ内科医のYっちゃん先生との会話 (7)
Kellyさんと和風のベッピンはんのSはんとの会話 (2)
Kellyさんと農業好きの社長婦人K地M美はんとの会話 (12)
KellyさんとNominyan ∥*σ_σ*∥&Senyapoo λ*゜ο゜*λ との会話 (6)
☆ Kellyさん的“日月神示”解釈 (465)
Kellyさんが、“日月神示”の解釈をして行くに当たって・・・考えた事。 (15)
“日月神示” 上つ巻 (42)
“日月神示” 下つ巻 (38)
“日月神示” 富士の巻 (26)
“日月神示” 天つ巻 (30)
“日月神示” 地つ巻 (36)
“日月神示” 日月の巻 (68)
“日月神示” 日の出の巻 (23)
“日月神示” 磐戸の巻 (21)
“日月神示” キの巻 (17)
“日月神示” 水の巻 (36)
“日月神示” 松の巻 (30)
“日月神示” 夜明けの巻 (26)
“日月神示” 雨の巻 (18)
“日月神示” 風の巻 (15)
“日月神示” 岩の巻 (11)
“日月神示” 荒の巻 (13)
☆ Kellyさん的“ローム太霊講話集”解釈 (107)
☆ 紫光会経文の文言 Kellyさん的解釈 (18)
☆ ○○○大先生的バシャールの文言解釈 (9)
☆ 先生が撮るけったいな花の写真 (22)
☆ 先生が撮る比較的まともな写真 (32)
☆先生が室内で写真を撮るときのセッティング (6)
その他 お知らせ (3)



fxwill.com


2005年10月1日~2008年1月15日まで、
“Kellyさんとの会話”で、説明して来た事・・・
その内容・・・それは・・・その何年も前から、
何か自分の考えをある程度公表しなければならない・・・
そう言う通信を受け・・・その理由は・・・地球人が低い心(靈)の発現しかしていない・・・
それを自覚していない人が多い。
その事由来の太陽凝視に対する認識、
(太陽凝視=不食・・・としか、認識させない存在の思惑を、受信している事)
霊的成長に対する認識、
神に対する認識、
心=靈に対する認識、
オーラに対する認識、
そして、
高い認識の上での進化の意味と幸福の概念と神の概念・・・
進化=霊的成長=神格化=(相対的に)高い認識を獲得する事・・・
霊的成長=神に近づく事=真の幸福の意味。
霊的成長度は1番目のオーラに顕れる。
よって、宇宙的プログラムにより次の段階に移行する人(日止、霊止)は、 何を考えるべきなのか・・・
そして、人(日止、霊止)の進化を阻む存在の思惑、
その心=靈の動き、それらの意図・・・それが一般に認知されていない事。
それらを伝えなければ成らない・・・そして一応・・・完結はしたのですが・・・
解り難い・・・理解しがたい・・・具体例を示して欲しい・・・そう言う感想も頂き、
そして自分なりにも説明が足らなかった事・・・
更に、
“Kellyさんとの会話”が完結してからも通信を受けている事・・・そう云う事もあり・・・
よって、このブログを立ち上げる事としました。
従って、
“Kellyさんとの会話”が、
自分の意見を述べる上での、ローム太霊の言葉、
“右往左往”(“いきり立つ心(奴と心)”で行動してから考える)・・・と、 するならば、 このブログはアタシ自身の、
“左往右往”(“思う、憂う”・・・体験を教訓として考え行動する)の、
作業になって行くと思います。


太陽凝視を行っている鍼灸師の話 “総括編”
太陽凝視を行っている鍼灸師の話 “改”
予約制 鍼(はり) 灸(きゅう) マッサージ治療 児玉療院
写真部の○○○大先生のページ
写真部に投稿した最新の写真
 ↓


powered by 写真部









○○○大先生の水草水槽記録
facebook 児玉登







このブログをリンクに追加する


自分達の欲望を満たしたい… 
自分だけ幸福になりたい…
こういった進化程度の低い心(靈)の発現由来の思いが、
低い幸福の概念になり(目下(めした)の思い)
その結果が、飢餓貧困、戦争の原因になったりしています。
(子供の浮游霊の霊的干渉の影響を受け、 それがどんどん増して行く事等が、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)
の思惑だと 思えます)

恨みの連鎖による霊的干渉を増やさない為、
その解消の為にも、(この趣旨に反する類の物もありますが) クリックをお願いします。
クリックした人に、お金の負担はありません。 ↓↓




飢餓救済のホームページ

JWord クリック募金

名前:
メール:
件名:
本文:

QRコード