“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話

太陽凝視を一生涯の“行”とし(現在、44年目)、実践し、その上で獲得した認識を述べています。

“日月神示”下つ巻 第二十四帖 Kellyさん的解釈



今回も下つ巻 第二十四帖を解釈しまんねん。
原文は以下の通り、


一が十にと申してありたが、
一が百に、
一が千に、
一が万になるとき いよいよ近づいたぞ。
秋立ちたらスクリと厳しきことになるから、
神の申すこと一分一厘ちがはんぞ。
改心と申すのは、何もかも神にお返しすることぞ、
臣民のものといふもの何一つもあるまいがな、
草の葉一枚でも神のものぞ。
七月の三十日、ひつくのか三。


この文章全体を見て感じられるのは、

“一”“十”“百”“千”“万”
これが何を示しているのか…この解釈がきちんと行われないと、何の事か解らへんし、
ほんでからこれは、前回の、下つ巻 第二十三帖の以下の文と関連があると思える。
それは、

“この方祀るのは天(あめ)のひつくの家ぞ、
祀りて秋立ちたら、神いよいよ烈しく、
臣民の性来(しょうらい)によって、
臣民の中に神と獣とハッキリ区別せねばならんことになりて来たぞ、
神急けるぞ。”

この文の、“祀りて秋立ちたら、神いよいよ烈しく、”は、
“上”の思惑である高振動の荷電粒子が“いよいよ烈しく、”なり、それそのものが、
フォトンベルトやと思える。
そしてそれと感応共振する人の心(靈)の進化過程は、
“慈悲”と“慈愛”、それは前回も言うたけどアナハタチャクラの覚醒、そやからそれは第三密度から第四密度、マニピューラチャクラの覚醒段階=自我の確立=固定化から、
“慈悲(いつくしむ、かなしむ、心(靈)が(非)いたむ)”と
“慈愛(いつくしみ、いつくしむ)”って心(靈)の動きになって行く。
又、その心(靈)の発現に応じた事象を観察して行く。
そやから人(日止、霊止)が感じ(感じる磁性)てる事象って言うのんは、
その事象の観察と認識って言うのんは、
心(靈)の発現の程度に応じてしか感じ取れない=受信出来へんって事でんねん。
ほんでから今の平均的地球人の心(靈)の発現は、自我の確立=固定化の段階で、
その自我の強化の為に自己奉仕者の心(靈)の動きを顕している人がほとんどでもある。
ほんでから、その自我の確立=固定化と自我の強化の為のこの事象を、自己奉仕者の創造した醜い事象…それを、共有してるのは、共有して観察させらてるのは、地球人の中でも霊的に高い存在であろうが低い存在であろうが、
それを言い換えれば、
あまり智性を持ってない自我の確立=固定化の段階の成長の人であろうが、
ある程度、智性と“慈悲”と“慈愛”って心(靈)の発現をしてて、この世界を観て嘆き、憂いていようが…今の地球人の霊的進化過程が、独り神(ひとりがみ、日取り神)では無いからやねん。
そやからこそそれは、前のブログで言うた“玉石混交(淆)”って事でもある。
又、それは、人(日止、霊止)の心(靈)の進化程度の“上”“下”を知る為に必要であり、
その自己奉仕者の“下”の心(靈)の動きをよく思い知る事が、次の創造を担う人には必要で、それは“下”の心(靈)の動きを知ったなら、
そして“下”の心(靈)の動きがこの世界の崩壊や不幸な事象の創造になる事を知ったなら、智性(“一”=1番目のオーラ)を持った人は、自分が持っている“下”の心(靈)の動きを自分で制御出来得る。
ほんでから自分の心(靈)の動きの“上”と“下”を自分で見極め、そしてそれは、自分の心(靈)の動きの“善(神格化の方向性と智性の受信)”と“悪(心の動きの本能化と低振動化)”を知る事になる。
それが“日月神示”の表記の“身魂掃除”“身魂洗濯”って事でんねん。

人は、動物の心(靈)から“上”に向っていると言い得るから、本能や情動や自我ってもんは、智性によって支配され、“慈悲”と“慈愛”の心(靈)の動きを顕していく…そうなっていくのが神格化への“道”でんねん。

ほんでからその、腹から胸へのエネルギーラインは、大日如来の条帛(じょうはく)に示され、又、そのエネルギーの上昇する様は“玉(ぎょく)”の中の点に示され、
前のブログでもこのブログでも言うた事なんやけど、
人の心(靈)の発現=霊的進化過程は、
本能、情動、功名心、自我、愛(炁)、創造、知恵、智慧、智性って、
何回も言うてるけど、
自我から愛(炁)…愛(炁)がより高い心(靈)の動きになって行くには、
砌(みぎり)のエネルギー=“いきり立つ心(奴と心)”(肝)から、
日足(ひたり)のエネルギー=“思う、憂う”(脾)…腹のエネルギーの回転が、日足(ひたり)回りにならんとアカンし、それを示してる字そのものが、“玉(ぎょく)”で、
“玉(ぎょく)”には翡翠(ヒスイ)の意味があり、翡翠の翠は翆とも書き、それは羽=胸と腕の磁性を示し、その磁性を高める心(靈)の動きが、自省(胸の磁性“十”)の“行”、閻魔の庁の浄玻璃の鏡(えんまのちょうのじょうはりのかがみ)、自分の人生を振り返る段階の心(靈)の動き、それをせんならんから右往左往から左往右往の心(靈)の動きになり、心(靈)ってもんを持ってる生命(生きる使命=存在理由)は、心(靈)の持っている性質とも言い得る観察と認識…それそのものが神の性質でもあり、
その心(靈)の成長の段階には右往左往と左往右往って心(靈)の動きがあり、それをローム太霊さんはS会=紫光会の最後のローム霊訓講話で伝えたと思える。
(ウエサク祭を通じてローム太霊が伝えたかった事 参照)
ほんでから左右、日足と砌(ひたりとみぎり)って言うのんは、心(靈)だけではなく、
すべての事象の極性で、それはすべての創造に関るものやし、
そやからそれは、日足と砌(ひたりとみぎり)は神の極性とも言い得る。
ほんでから補足として言うとけば、
すべての事象って言うのんは、心(靈)ってもんが常に行っている“思惑の顕現”=現象化でもある。

ほんでからこの下つ巻 二十四帖の冒頭の文の、
“一”“十”“百”“千”“万”は、
“一”は、今まで何回も言うて来たように、“創造”の“主(ヌシ)”…“亜”が出ずる、泉、そしてそれは、“亜”を事象の最初として点で顕し、それがこちら側から観れば、日足(ひたり)から砌(みぎり)、
“創造”の“主(ヌシ)”の視点では砌(みぎり)から日足(ひたり)に、最初の状態の“亜”が移行する。
移行する事そのものが時間の進行でもある。

“十”は、縦の磁性と横の磁性、胸の磁性“十”でもある。
これは現状より相対的に良いカタチの事象の創造そのものに関る磁性でもあり、人(日止、霊止)の心(靈)の発現から言えば、自己奉仕者の段階、自我の確立=固定化の段階から“上”に向かう心(靈)である“慈悲”と“慈愛”の発現に関わる。
ほんでから胸の磁性“十”の発現は、動物は四足獣から直立して、人(日止、霊止)になって行く。更に手を使うことそのものが、指の神経の発達になり、両腕の磁性は、指先に向かうほど神経のコイル状の構造が密になるからこそ、“十”の横の磁性は強固になった。
それが人(日止、霊止)と動物の心の発現の違いでもある。
それを言葉で言い表すなら、“自省”“観自在”“直日(なおひ)”…ほんでからローム太霊さんが言うた“左往右往”でもある。
そやから簡単に言えば、四足獣の進化は“下”三つのチャクラの進化過程であり、
そこから“上”の心(靈)、チャクラの覚醒段階は、直立して腰の骨を刺激し両腕を使い…これを細かく説明すると長くなるから、それは先生が“改”でいずれ詳しく説明するとして、人(日止、霊止)の霊的進化=心(靈)の進化って言うのんは、
動物と比較すると、その違いを見出す事が出来る。

そやけど現状の地球人の大半は、まだ動物の心(靈)の発現に近い人が多いし、
動物の心(靈)の発現に近いからこそ(地球で死んだ恨みの連鎖にかかわっている)動物霊の憑依=低い心(靈)同士の感応共振があり、それは、(飢餓貧困で死んだ)子供の浮游霊も智性があまり無いって点から同様でもある。
ほんでから、この星の大半の人の心(靈)の成長度が低いからこそ、恨みの連鎖に関わり現象化させている動物霊と子供の浮游霊…そして、恨みの連鎖に巻き込まれて死んだ大人の霊、自縛霊とか貪、瞋、痴(とん、しん、ち、)の心(靈)の動きの霊とか…地球は今そんな霊的干渉でいっぱいになっていて、その霊的干渉を起こしているのは自分達の低い心(靈)の動きって認識があまりにも無さすぎる。
そやからその低い心(靈)の動きの結果=“下”三つのチャクラの心(靈)の動きの“思惑の顕現”=現象化…それを知らんならんからこそ、
アセンションに伴う醜い事象を、今、見せられている…観させられている。

話を戻し、
“百”は、“一”と丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)と太陽の“日”。
太陽=“日”が、“創造”の“主(ヌシ)”の振動である“一”を受けていることを示し、
ほんでから“千”は、丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)と“十”。
胸の磁性“十”を持った人(日止、霊止)が“百”を受けられる=感応共振して、
“上”に向かう心(靈)の動きを持つって解釈出来る。
ほんでから“万”は、よろず、あまた、多数って意味があり、
そやから“一”から“万”は、事象がたくさんになり、多様化する事を示し、
それは生命(生きる使命=存在理由)、段々、心(靈)の発現が多様になり、
現津(あきつ)=観察され得る事象は、多様化した心(靈)に伴って、
良いカタチ=神の思惑と人(日止、霊止)の思惑が一体になり、
それが人(日止、霊止)の霊的進化の結果でもあり、
霊的進化した人(日止、霊止)の心(靈)の動きが創造して、“万”よろず、あまた、多数の事象を形成する事をこの下つ巻 第二十四帖の冒頭の文は、示していると思われる。

ほんでから、心(靈)の発現は、何度も言うけれど、生命(生きる使命=存在理由)の一番最初の心(靈)の発現は本能であり、そして、霊的進化過程は、本能、情動、功名心、自我、愛(炁)、創造、知恵、智慧、智性…人(日止、霊止)だけに心(靈)の発現を分類して認識する為の、言葉が出来た。
そやからこの“一”“十”“百”“千”“万”って表記は、
“上”の思惑を取り込んだ生命(生きる使命=存在理由)=人(日止、霊止)が、
霊的進化して行って、段々、感じ(感じる磁性)て行く事象そのものを示す表記やと思える。
そやからそれは“創造”の“主(ヌシ)”の高振動である“一”(亜から出ずる、アイ)が多様になる。
そやから人(日止、霊止)が感じ(感じる磁性)られる…感じ(感じる磁性)る事の出来る事象を形成する。
その事象って言うのんは丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)と乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現)の両方で作り上げられ、それが又“上”の思惑=“上”からの荷電粒子を止めるという意味での、古神道の表記“日止、霊止”って表記にもなると思える。

ほんでからすべての事象には“上”と“下”がある。
その“上”と“下”は、人(日止、霊止)が感じ(感じる磁性)て言葉にすると、
“善悪”であったり、“美と醜い”(振動の高い低い)であったり、智性(神性)と本能(物質を伴った心=生物の、一番初めの心(靈)の発現)であったりもする。
その比較、“上”と“下”の比較をするのは、動物には無い心(靈)の発現=智性によって行われ、そしてそれは“一二三”のオーラの“一”=1番目のオーラ、頭の磁性でもある。

そやから、宇宙的プログラムとしての人(日止、霊止)の進化は、
あまり高いもんと程度の低いものは別々の場(フィールド)に分かれ…それは自分達の心(靈)の発現と心(靈)の動きによって、自分達が行き先を決めると言い得るんやけど…それがアセンションでもある。

それはこの、下つ巻 第二十四帖の、

“秋立ちたらスクリと厳しきことになるから、
神の申すこと一分一厘ちがはんぞ。”

この文の“秋立ちたらスクリと厳しきことになる”は、
自省(胸の磁性“十”)を示してる。
秋って言う字は、偏(へん)は、丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)と、胸の磁性“十”と、
儿部(じんぶ、にんにょう)、
ほんでから旁(つくり)は、人と回転を示す二つの点である事を今まで何回も言うた。
その“秋”が“立つ”んやから、それは、
胸の磁性“十”由来の自省、“観自在”“直日(なおひ)”“慈悲”と“慈愛”の心(靈)の発現が起きて行く事を示してる。
ほんでからさっきも言うたけど、胸の磁性“十”の発現があまり無い人は、自己奉仕者であり、
(相対的比較として)動物に近い進化過程=霊的成長度でもある。
そやから、そう言う“下”の心(靈)の発現は、
ディスプレイ(動物の発情行動)とか、低い功名心と自尊心、低い欲望由来の保身…それは自我の肥大に伴う行動でもある。
ほんでから前回も言うたけど、アセンションや“日月神示”の解釈本を書いてる人達の大半も、そんな心(靈)の発現が中心にしか見えへん。
そやからそれは、アセンションや“日月神示”や人(日止、霊止)の在り方を説いてる人達の大半が、自分の利益の為の本を出してるならそれは、アセンション後の創造を“上”から託されんって言う滑稽な事になってる。ほんでから大半の人はそれに気が付かん。
気が付かん人は同じ霊的成長度でしか無いからでもある。
ほんでからそれは、日本やアメリカのような比較的裕福な国の人達が、アセンションを、
地球って場(フィールド)全体を考えていない金持ちの道楽みたいな物にしてしまっているからでもある。
そやからアセンション…地球って場(フィールド)を霊的に高い場(フィールド)にするには、
自分達の持っている“力”や金をどう扱っていくのか…それを考えるのは、
智性であり、現状の恨みの連鎖の霊的干渉を何とかしようとする心(靈)の動きは、
“慈悲”と“慈愛”である。
そやから“秋立ちたらスクリと厳しきことになる”は、胸の磁性“十”の強化が起きていくことを指し示し、そしてそれは、フォトンベルトの接近により、地球人の中でも、智性(“一”、1番目のオーラ)と、胸の磁性“十”が、高くなっている人は、フォトンベルトの荷電粒子と感応共振する。
それは、より“一”と胸の磁性“十”の強化になり、それはフォトンベルトが“上”に向かっている人(日止、霊止)の霊的成長を高めていく“上”のプログラムであると思える。

そやから今まで言うた事を踏まえ、残りの文章を読んで欲しいもんやな。

“神の申すこと一分一厘ちがはんぞ。
改心と申すのは、何もかも神にお返しすることぞ、
臣民のものといふもの何一つもあるまいがな、
草の葉一枚でも神のものぞ。”

敢えて説明するような事でもないけれど、“上”の思惑=“神の申すこと”で、
それは“一分一厘ちがはんぞ。”…“上”の思惑通りに今後の事象は進んで行くし、
ほんでから今後、自己奉仕者が自省(胸の磁性“十”)の“行”をせんならんからこそ、

“改心と申すのは、何もかも神にお返しすることぞ、
臣民のものといふもの何一つもあるまいがな、
草の葉一枚でも神のものぞ。”

…って言われてまんねん。

今回はこれくらいにしときまんねん。


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2005年10月1日~2008年1月15日まで、
“Kellyさんとの会話”で、説明して来た事・・・
その内容・・・それは・・・その何年も前から、
何か自分の考えをある程度公表しなければならない・・・
そう言う通信を受け・・・その理由は・・・地球人が低い心(靈)の発現しかしていない・・・
それを自覚していない人が多い。
その事由来の太陽凝視に対する認識、
(太陽凝視=不食・・・としか、認識させない存在の思惑を、受信している事)
霊的成長に対する認識、
神に対する認識、
心=靈に対する認識、
オーラに対する認識、
そして、
高い認識の上での進化の意味と幸福の概念と神の概念・・・
進化=霊的成長=神格化=(相対的に)高い認識を獲得する事・・・
霊的成長=神に近づく事=真の幸福の意味。
霊的成長度は1番目のオーラに顕れる。
よって、宇宙的プログラムにより次の段階に移行する人(日止、霊止)は、 何を考えるべきなのか・・・
そして、人(日止、霊止)の進化を阻む存在の思惑、
その心=靈の動き、それらの意図・・・それが一般に認知されていない事。
それらを伝えなければ成らない・・・そして一応・・・完結はしたのですが・・・
解り難い・・・理解しがたい・・・具体例を示して欲しい・・・そう言う感想も頂き、
そして自分なりにも説明が足らなかった事・・・
更に、
“Kellyさんとの会話”が完結してからも通信を受けている事・・・そう云う事もあり・・・
よって、このブログを立ち上げる事としました。
従って、
“Kellyさんとの会話”が、
自分の意見を述べる上での、ローム太霊の言葉、
“右往左往”(“いきり立つ心(奴と心)”で行動してから考える)・・・と、 するならば、 このブログはアタシ自身の、
“左往右往”(“思う、憂う”・・・体験を教訓として考え行動する)の、
作業になって行くと思います。


太陽凝視を行っている鍼灸師の話 “総括編”
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こういった進化程度の低い心(靈)の発現由来の思いが、
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