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“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話

太陽凝視を一生涯の“行”とし(現在、46年目)、実践し、その上で獲得した認識を述べています。

“日月神示” 上つ巻 第四帖 Kellyさん的解釈

今回も、“日月神示”上つ巻 第四帖の解釈でんねん。

原文は以下の通り。
 
急ぐなれど、臣民なかなかに言ふこときかぬから、
言ふこときかねば、きく様にしてきかす。
神には何もかも出来てゐるが、臣民まだ眼覚めぬか、
金(かね)のいらぬ楽の世になるぞ。
早く神祀りて呉れよ、神祀らねば何も出来ぬぞ。
表の裏は裏、裏の裏がある世ぞ。
神をだしにして、今の上の人がゐるから、神の力出ないのぞ。
お上に大神を祀りて政事(まつりごと)をせねば治まらん。
この神をまつるのは、みはらし台ぞ、
富士みはらし台ぞ、
早く祀りてみつげを世に広めて呉れよ。
早く知らさねば日本がつぶれる様なことになるから、早う祀りて神の申す様にして呉れ。神急けるよ。
上ばかりよくてもならぬ、下ばかりよくてもならぬ、
上下揃ふたよき世が神の世ぞ。
卍も一十もあてにならぬ、世界中一つになりて の国に寄せて来るぞ。
それなのに今のやり方でよいと思うてゐるのか、
分らねば神にたづねて政事(まつりごと)せねばならぬと云ふことまだ分らぬか。
神と人とが交流(まつり)合はして この世のことが、さしてあるのぞ。
人がきかねば神ばかりで始めるぞ。
神ばかりで洗濯するのは早いなれど、それでは臣民が可哀そうなから、
臣民みなやり直さねばならぬから、気をつけてゐるのに何してゐるのざ、
いつ何んなことあっても知らんぞ、
神祭第一、神祭結構。
二三の木ノ花咲耶姫の神様を祀りて呉れよ。
コハナサクヤ姫様も祀りて呉れよ。
六月十三の日、ひつくのか三。



まず、冒頭の文章の、

“急ぐなれど、臣民なかなかに言ふこときかぬから、
言ふこときかねば、きく様にしてきかす。
神には何もかも出来てゐるが、臣民まだ眼覚めぬか、”

これはもう、時期が決まってるって事を言うてる。
そやからこそ“急ぐなれど”って言うてはる。

地球の(生命としての)霊的進化、その時期(磁気)・・・
こんな事は今まで何度も先生と話したから、
敢えて説明する事でも無いし、
ほんでからそれは、
それに相応した霊的進化の人(日止、霊止)しか、
今後の地球には残れへんから、
それやからこそこういう言い方をされてるやん。

そやからこの文章は、
それに間に合えよ!!って事でしかない。

ほんでからにこの事は、
もう随分前から“上”の存在が人に教えようとしている。
(霊的干渉を理解する為に・・・ 参照)

ほんでから最近使われるようになったアセンションって言葉も、
今後の地球と、
それに相応する人(日止、霊止)の進化と変容を言うてるに過ぎへん。
その霊的資格を獲得しろって事を言うてる。
それは“玉璽”って言葉に示されてる事やねん。
(思惑と顕現 “その十一” “上”の思惑と顕現・・・“天の御目” 参照)

霊的資格・・・それは、
“行と修行”して、
人が“宝玉(ほうぎょく)”になって、
或はその方向性に向いていくって事やけど・・・
それは、
肉体も心(靈)も変化してって事やけど・・・

そやから、ほんまに自分の心(靈)が“玉(ぎょく)”になって、
その上で“上”の存在に認められた“璽”、
これは“しるし”=印って事で、
この後“日月神示”の文章の中にも“彌栄(いやさか)”って言葉は出てくる。
それに付いては、前に先生と話した事があった。
(思惑と顕現 “その十一”
“上”の思惑と顕現・・・“天の御目” 参照)
ほんでからに“しるし”・・・印。
それは新約聖書の黙示録の中にもそう言う表現があり、
それは、額の御印って表現されてて、
それは、
前回の記事での鏡って事やねん。

今は“日月神示”の解釈をしてるからその事には触れへんけど・・・
黙示録の中の表現、
額の御印(みしるし)と獣の刻印・・・
これも獲得する振動の種類の事で、
そやからこそ機会が有ったなら黙示録の解釈もして行きたいと思うてる・・・

そやから、
“しるし”・・・“上”に認められた“しるし”・・・

その“しるし”を獲得する・・・
それは、
“上”に認められた心(靈)の在り方。
今後の創造を“上”が託すのに値する心(靈)の動きを持った人(日止、霊止)。
それは、自分の心(靈)の在り方・・・
“観自在”、自省(胸の磁性“十”)の行、“直日(なおひ)”。
それは、
自分の心(靈)の動きが“上”に向かってる人(日止、霊止)。
それをよく認識して欲しいって言うのんが先生の思惑。
楽屋落ち的言い方やけど、
前のブログもこのブログもその為に立ち上げたって事でんねん。
ほんでからにこれは特殊なケースとして、
アセンション後、
“上”の意思を受信する為に・・・それは、
その後の人に、“上”の思惑を伝える為に、
高い存在との感応共振をする為に、
その為の、高い心(靈)の発現をする為の太陽凝視・・・
その為に、
太陽凝視を教えてくれたKさんの家族と先生は、
条件が良ければ、
時間の許す限りの太陽凝視と、
受信する振動を高め、
そして増幅して発振、発信する為に、電気行をして来た・・・
特にKさんは、
自分の人生の中で、この期間は行をする為の期間なんだって言う自覚を持ち、
そして、仕事を投げ打ってでも極貧になってでも、
太陽凝視をした期間があった。
そういう事を先生は見て知ってはる。
それは行の為に様々な何かを贖った。
エネルギーを費やした。
それはとても厳しい・・・行の期間やった。

その結果がそれは、頭の骨の結晶化って結果になり、
(エピローグ 神の思惑の顕現・・・神聖な事象 参照)

普遍的に、
“上”から降り注がれてる高い存在の思惑と感応共振する。

太陽凝視を教えてくれたKさんの一生はそう言う事やったって・・・
先生は“上”から通信を受けてる。

そやから、しっかりとした目的を持った太陽凝視・・・
言い換えればそのつもりで太陽凝視をして来はった。
それは、
そう言う発振、発信による高い存在との霊的干渉をしながら、
太陽凝視して来たって事で、
それは今、少しでも太陽凝視してはる人に伝えたい事でんねん。
そやからそれは・・・この間も言うたけど、
太陽凝視やってまっせ~とか、
不食でっせ~とか、
心身浄化してまっせ~とか、
アセンションしまっせ~・・・そういう事しか言うてへんって言うのんは、
単なる目立ちたがり屋でしかなく=ディスプレイ(動物の発情行動)でしかなく、
それ以上の認識を持ってない。
そやからそう言う人って言うのんは、
心(靈)の発現が腹の段階=下三つのチャクラの覚醒段階=自我の確立=固定化の過程。
そやからこそ太陽が送ってくる“上”から“下”の振動の、
相対的に低い部分としか感応共振せんって事でもある。
そやから、相対的に低い功名心で行動する事は、
低い功名心しか持ってへん(霊的)存在との感応共振しかないって事でんねん。
太陽凝視しても、
自分が持ってる振動=その時点での心(靈)の発現の段階以上の振動とは、
変圧の過程ってもんがあるからこそ、
自分より極端に高い振動とは感応共振せんって事やねん。
誰でも高い存在の思惑を理解し、そして自分の認識に出来る・・・
太陽凝視にはそう言う意義があるけど・・・
そうなるには、
沢山のエネルギーを贖わんとアカンって事でんねん。

ほんでから、振動の変圧の過程・・・
前のブログを読んではる人のなかにも、
これがよう解らへんかった人が居てた様やから、
解り易い説明をすれば・・・
それは肉体を持った人と人の関係でもそうやねん。
おんなじ程度の振動を持った人同士は、
おんなじ程度の心の発現をした人同士は、
おんなじ様な心(靈)の動きをして、
それがある意味共通の価値感とか・・・共通の認識とか・・・
そう言う場(フィールド)を構成して行く。
もっと単純な解りやすい例を挙げれば、
自己奉仕者の政財界とか・・・全然“上”の心(靈)の発現をしてへんように見える。
自分達の財布の為にえらそうな言葉を使ってるだけやねん。
ほんでからにもう一つ例を挙げれば、
この間言うた、テレビ番組を作る方と視聴者の関係みたいなもんでんねん。

こんな事はいちいち例を挙げてたらどうにもならへんくらい多いやん。
そやけどそこには、
心(靈)の発現の段階の共通の法則性がある。
進化って言うのんが、心(靈)の発現と同義って言うのが、
先生の考えやし、
そやから、
“下”から“上”に向かうのが進化と霊的成長って事でんねん。
ほんでからに今・・・話が逸れてるけど・・・
上つ巻 第四帖の冒頭の言葉からもそれを感じまんねん。

ほんでからに上の心(靈)の発現って言うのんは、
例えば、
今抱えてる自分の問題と対処したり・・・すべての事象を観察して、
そして自分の在り方を考えていく人・・・
自分も他者も良いカタチを目指す為の事を考え、
そう言う発振、発信=行動=事象の創造をする。
その為の心(靈)の動きと言える事が、
繰り返すけど、
“観自在”=自省(胸の磁性“十”)の行= “直日(なおひ)”してはる人でないと、
“上”には行かれへんって事やねん。
それそのものが、修理固成って事やし、
そしてそれは、
真実=真固止って認識になりまんねん。
ほんでからに真固止=骨の結晶化。
心(靈)も体=“宝=体=體=骨が豊か”も創り変わっていくって事になりまんねん。
そやけど・・・
ほとんどの人がその事を考えてないし、知らんって事やねん。

そやから、その霊的資格って言うのんは、
次の世界の創造を担える心(靈)の発振、発信をしてへんと、
それは選り分けられるって事でしかない。
ほんでからにその資格=心(靈)の発現の段階とその上での心(靈)の動き・・・
それは、
このブログに霊縁の有った人に知って欲しい事でも有りまんねん。

そう言う点でも、
前のブログを詳細に読んではる人ならある程度理解出来てるのやろけど、
今、なんでも“上”の情報って言うのんは、
人(日止、霊止)の霊的成長の為の情報って言うのんは、
低い心(靈)の発現の人の解釈で、
ダメなもんになってる。
そやから大体、アセンションって言葉自体が、
(低い心(靈)の発現の)人に、
甘い夢を見させるもんになってしもてるんやけど・・・
それは、話にならへん事なんやけど・・・
(事象の形骸化 その“九~十” 参照)

ほんまに“上”に向かうって事は厳しい事でんねん。

ほんでからに今の地球って言うのんは、
低的進化程度の違う心(靈)がおんなじ場(フィールド)にいてるから、
何度も言うけど、“玉石混交(淆)”やから・・・

ほんでからに、
低い心の発現の人(日止、霊止)のほうが圧倒的多数やから、
色んなもんの価値が形骸になって、
それが又、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の存在・・・
人の進化を望んでへん存在の意図する所で、
それは人の心(靈)に入り込み(受信して)、
それが当たり前になってる。

その事も前に先生と沢山ぼやいたけど・・・

どうも・・・前のブログを読んではる人の中でも、
その事を理解出来へんかった人が多いやん。
そやからそれは又、
機会を新たにKellyさんがぼやくつもりやねん。

話が逸れたやん。

そやからこの、 上つ巻 第四帖の冒頭の言葉は、
もうこの世界は、
霊的成長度の違う存在を分けんならんとこまで来てる。
そやけど、
一人でも“上”に行って欲しいって事もこの言葉は言うてる。

次の世界の創造=アセンションと認識されてる事。
そこに自分(の心(靈))が位置する為には、
人(日止、霊止)の心(靈)が“上”に向かい、
その上で事象の創造をして行かんならん。

そう言う点でも次の言葉、

“金(かね)のいらぬ楽の世になるぞ。”

通貨としての“金”・・・
低い幸福の概念の象徴でもある“金”・・・
金が有れば幸せやと思う。
金を使う事が幸福やと思う。
通貨としての“金”があれば、
なんでも手に入れられると思う事自体が、
低い心(靈)の発現段階でしかないんやけど、
それを自覚して無い人が多い。
ほんでからに低い幸福の概念しか持ってないって事が、
甘い夢を見させる事ばかりが盛んになり、
本来の使い方・・・力としての金の使い方を忘れ、
自分達のどうでもエエ贅沢とか・・・
健康不安を煽り大して効果の無いものを買わせる通販番組とか、
形骸の美の概念で骨をダメにする美容の価値感とか・・・
特に、
美容なんて低い価値感が生み出してる低い認識として、
とんでもなく解り易い例を挙げれば、
煙草や酒で肌が荒れ、
その荒れた肌の角質だけ取り除ければ自分は綺麗になったと思い込み、
その為に金を使う・・・
ほんまに肌を綺麗にしたければ酒や煙草をやめるべきやねん。
そう言う発想にはならへん人が圧倒的に多く、
只、その場限りの形骸の美の為に美容が発達し、
それは、
人(日止、霊止)の在り方って事を忘れさせ、
そしてそう言うどうでもエエ事に金を使い、
その事自体が、
貪、瞋、痴(とん、しん、ち、)の心(靈)の、
子供の浮游霊の憧れになり、
自分が綺麗になりたいって思いが発振、発信に成り、
美容を体験出来へんかった女の子の霊的存在の憑依を招き、
通信を受け・・・
もっともっと自分が(外側だけ)綺麗になる事ばかり考える。
その心(靈)の動きで生み出されてるのが、
ファッションとか化粧品とかエステとか・・・

こう言う事でもそれは、形骸の美が本来の人の在り方を問わない・・・
そんな事を考えさせない。

今のは、形骸の美・・・美容って価値感が人をダメな方向性に向かわせる事やったけど・・・

それも、
自己奉仕者の世界=今の地球って言うのんは、
欺くとか騙すとか嘘をつくとか奪うとかで・・・
それを人によう分からんようにするのが、上手い商売みたいなもんで、
甘い事言うて“金”だけ取って、
結果として霊的成長の方向性からはずれ、
たいした認識を得ないまま死んでしまう事を望んでる存在の思惑やねん。
ほんでからにうわべだけ理屈並べ立てて甘い夢を見させて“金”を取る。
そう言う事を“力”って思い込んでる節もあるし、
その結果が、
一部の金持ちが経済を動かし、低い功名心や自尊心を高揚させてるやん。
ほんでからにほとんどの人は見せ掛けの価値感に酔いしれ、
その為に仕事をして・・・
心(靈)の発現の程度の低い人は、
自己奉仕者由来の行動、金持ちを見習い、
上手く・・・上手に・・・
欺くとか騙すとか嘘をつくとか奪うとか・・・
その為の“力”=知恵、知識・・・学問・・・能力、そして霊能力を得る。
そして結果として“金”の奴隷としての人生を送り、
高い心(靈)の発言をしないまま死に、
この世界に対し、貪、瞋、痴(とん、しん、ち、)の心(靈)しかもってない、
未練たらたらの浮游霊になる。

・・・アホでんねん。

ほんでからに金持ちの価値感って言うのんが、
結果として、
飢餓や貧困を生み出し、戦争も起き、
そしてこの星が恨みの連鎖で、
“痛みと悲しみの星”になってしもてるから、
低振動の想念でいっぱいの場(フィールド)になってるから、
それをほんまは、
自分達で=地球人が解決していかんならんのやけど、
その為に個人個人が自分の問題とか因縁とかに、
“上”の心(靈)の発現由来の思いを持ち、
そして自分と恨みの連鎖に関わる霊的存在と、
例えば因縁霊と・・・それだけではなく、
自分と霊縁有った存在すべてが、
“上”に向かうように、
発振、発信=行動と事象の創造をせんならん。

そやけどそれでは間に合わん。
そう言う方法では、
それだけでは、
“上”に移行出来る人(日止、霊止)はあまりにも少ない・・・
それはさっきの冒頭の言葉のように時期(宇宙的な磁気)が決まってるから・・・
それを、その事を、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の存在=人の進化を阻む存在も、
知っているからこそ、
今、色んな事を、“悪”の存在なりに頑張って、
さっきの形骸の美でもそうやけど・・・“悪”の思惑の顕現をしようとしている。
そやけどそれも“悪”の存在自身の霊的な進化として、
認識を得る為の、成長する為の右往左往とも言える事なんやろけど・・・
“善(神格化の方向性と智性の受信)”の存在も、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の存在も、
どちらも、
“行と修行”=エネルギーを贖う(あがなう)事をして、
自分達の理想とする事象の創造を達成しようとしている。

そう言う事情も人は知っとかなアカンって先生は思うてはる・・・

そして、
その“善悪”(神格化と、動物化=心の本能化)の発振されてる想念の受信は、
人の體(からだ=骨が豊か)が持つ磁性による感応共振は、
どちらを選択するのも自由・・・
そやけど今、
見せ掛けの“善”もあるし見せ掛けの“悪”もある。
それを見抜く心(靈)の基準ってもんを持たんならんから、
先生はそれを、
“天の御目”と解釈しているやん。
ほんでからにKellyさんが“日月神示”を観て思った、
天意を伺うって事になりまんねん。

ほんでからに“悪”の存在の思惑の顕現・・・
その事を示してる事として、
前々回解釈した上つ巻第二帖の言葉、

“悪の楽しみは先に行くほど苦しくなる、”

“神のやり方は先に行くほどだんだんよくなるから、
初めは辛いなれど、
さきを楽しみに辛抱して呉れよ。”

・・・そう言う事でんねん。


・・・そやけど・・・この言葉・・・

“金(かね)のいらぬ楽の世になるぞ。”

この言葉を見て、
てんで程度の低い心(靈)の発言の人って言うのんは、
甘い事しか考えへんやろな。
誰も働かんと贅沢できる・・・そんな風に思うやろ。

それに対し、
心(靈)が“上”に向かってて、自分の在り方も考え、
そしてその上で、
自分の周りの事(自分の発振、発信による場(フィールド)=事象)も考える人は、
誰もが良いカタチになるように考え、行動し、
そう言う思いですべての事象を観察する。
それは例えば、仕事を取ってみても、金儲けの為の仕事ではなくなる。
金儲けの為の仕事ではなく、
人と人が縁があって巡り合い、そしてお互いの霊的成長の為の行動をする。
そこには低い功名心と自尊心は観られない。
そやから、
自分の心(靈)が“上”に向かう事由来の、
今より相対的に高い価値感と、その思いで仕事をするようになる。
そう言う人の多い場(フィールド)って言うのんは、
金の奴隷の場(フィールド)ではなくなる。

そやから奪い合いの経済を発展させてたのは、
人の心の低い部分って事も言えるし、
そんな奪い合いの為の金の使い方は、
もう止めんと、
どうしようの無いダメな世界になって行くやん。

もう・・・なってるって言えるし・・・

そやから、心の発現が低いからこそ、
“力”のね(根)って言う意味の、
(この事は、
思惑と顕現 “その二”
力(ちから)の根(ね)と、神の“しるし”を読んで欲しいねん。)

“金”の解釈を間違えて、
それは通貨としての“金”の事しか思わへん事自体が、
低い幸福の概念でしかない事やねん。
その為に生き方を間違えてる人も多い・・・
それは例えば、
低い概念の幸福の為に風俗で働いたりもする・・・
そして沢山の浮游霊に取り憑かれたりもして、
結果としてその人は大事なもんを失って行く。
そう言う話も先生としたな・・・

そやから・・・
生き方=霊的成長の為の体験・・・

それは間違えたらアカンし、
今後の世界って言うのんは、通貨としての“金”に振り回されて、
恨みの連鎖を創ってる場(フィールド)であっては、アカンから、
恨みの連鎖を生み出さんって事自体が、
何の不安も無い・・・飢餓や貧困や犯罪や事故や災害や・・・
それらを引き起こす低い霊的干渉の事象は無くなり、
“楽の世になるぞ”・・・って事やと思いまんねん。

ほんでからにさっき言た自分の仕事の事。
“上”の心(靈)の発現って言うのんは、
自己奉仕者に対し奉仕者やって事やねん。
そやから、
ある程度、霊的進化した人が構成する場(フィールド)って言うのんは、
そこに居てる人たちすべてが、
やって来た事は=どういうつもりで贖う(あがなう)のかって事は、
それは必ず結果になって帰ってくるって事をしっかり認識してる。
だからこそ、
欺くとか騙すとか嘘をつくとか奪うとか・・・って事は、
段々無くなっていくやろし、
当然、
(通貨としての)金なんてもんは、価値が無くなっていく。

そう言う点でも次の言葉、

“早く神祀りて呉れよ、神祀らねば何も出来ぬぞ。
表の裏は裏、裏の裏がある世ぞ。
神をだしにして、今の上の人がゐるから、神の力出ないのぞ。
お上に大神を祀りて政事(まつりごと)をせねば治まらん。”

この文章の中の、
“神祀りて呉れよ”

この“祀”・・・示すへんに巳。
示すって言う字は、
“二”=2~3番目のオーラ=肉体と、
亅部(けつぶ こう かぎ)=“上”から下に降り、
そして日足(ひたり)斜め上にはねる。
良いカタチで“下”から日足(ひたり)“上”に現象化するっていう意味と、
ほんでからに亅部(けつぶ こう かぎ)の左右に点が二つ、
この二つの点は回転を示し、それは人のエネルギーを示し、
そのエネルギーそのものが砌(みぎり)と日足(ひたり)でもある。
そしてこの点の書き方自体が、
丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)と乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現)・・・
そう言う意味を持ってると思いまんねん。
示すの中の丿部(へつぶ)と乚部(いんぶ)


ほんでから“巳”・・・
これは十二支の六番目の巳でもあり、
それは陰陽五行として“火”に属す。
そやからこの“祀る”って言う意味は、
肉体の事そのものでもあり、
その良い形が、
神=示すと“呂”エネルギーの回転による発振、発信・・・
それは“上”から降り注がれるエネルギーって言ってもいいし、
普遍的に実在する創造主のオーラ(宇宙背景放射)を、
取り込んでるって事でもある。
そやからそれは、相対的に高い心(靈)の発現って事になって行く・・・
地球人の(霊的)進化程度から言って、
自我より“上”の心(靈)の発現、“慈悲”と“慈愛”の発現になって行く。
又、さっきも言うた事やけどそれは、天意を伺うって事やねん。
段々“上”の思惑を受信するようになるって事でんねん。
それそのものを示した言葉が、“神祀り”・・・
そう思えまんねん。

補足として、陰陽五行の火に付いて。
火や水や土っていう表現は、
S会の交霊会でも、“日月神示”の中にも出て来るんやけど、
火の事に付いて少し述べれば、
これは火=灬(よつてん、れっか、れんが)・・・
酸素が加わって変化するって言う意味らしいねん。
そやからそれは、(空気の)呼吸に関わる器官と、
取り込んだ物質=食べ物をエネルギーに変える器官=肝臓って意味がある・・・
そう先生は言うてはった。
食べたもんが肝臓で“いきり立つ心(奴と心)”になり、
そして、肺で、悲しむ=心がいたむ(非)になって行く。
その過程が“思う、憂う”・・・脾・・・
そう言う事やと思いまんねん。

ほんでから“肝”=“いきり立つ心(奴と心)”以前の段階が、
水で、
それは帯電するミネラルが固まってない状態を示し、
それは心(靈)の発現の段階として、
“幽”でもあり、
“日月神示”の中の表現の幽界=外国・・・
それは自分の外側の事象しか認識出来へん、
心(靈)の動きでもあると思いまんねん。
ほんでからにこれも前に言うた事やけど、
“日月神示”の中の“江戸”の江って言うのも
(氵)さんずいと二と(たて棒、コン)で構成された字。
この字そのものが大きな川って言う意味がある。
戸は、“一”と尸(しかばね、かばね)。
この場合の“一”は横隔膜って言うのが先生の解釈。
尸(しかばね、かばね)は肉体そのもの。
そやから心(靈)の発現の段階としては、
水から火・・・水=氵(さんずい)から火=灬(よつてん、れっか、れんが)、
そして横隔膜を超え、胸に移行して行く。
それは自省(胸の磁性“十”)の行をするって事やねん。
ほんでからに、“幽”・・・その山みたいな字が火=灬(よつてん、れっか、れんが)で、
それは、心(靈)の発現が、
幽か(かすか)って言う意味を持ってると思えるやん。
そやから、
チャクラの覚醒でも“下”から“上”に向かう。
そして、
腹のチャクラから=軍荼利明王、荼枳尼真天の“荼”から、
少し“上”に向かう心(靈)・・・それが、
心が非(いたむの意味がある)で、
その時に神経も密になるから、それを“慈悲”と呼ぶ。
それが先生の“慈悲”の解釈でもあるやん。

そやからそれは、
進化過程=心(靈)の発現の過程ってのは、
最初、
低い心の発現で頑張る事=右往左往して、
何でも自分のエネルギーを贖った事が結果になり=事象の創造になり・・・
ほんでからにそれは、
砌(みぎり)の行で喜んでる段階やけど、
若いってそう言う事やと思うけど・・・
(右にクサカンムリ、砌(みぎり)のエネルギーが芽生える事)
ほとんどの地球人の幸福の概念はそこに有るんやけど・・・

ほんまの幸福って言うのんは、そんなもんや無いから、
自分の欲望の為にエネルギーを贖い頑張った人(日止、霊止)は、
すべての存在の神格化=ほんまの幸福の実現の為の法則性ともいえる、
“神の咎め”“曲霊(まがつひ)”ブーメランの法則で、
簡単に言えば、
バチが当たり自省して“観自在”するようになる。
その事自体を“直日(なおひ)”って言い表されてると思うやん。
そうやって右往左往から左往右往して、
そして段々、
“上”の心(靈)の発現として認識出来る、
“慈悲”と“慈愛”を持つようになる。

ほんでからに“慈悲”と“慈愛”は、
心(靈)の動きとしては自省、
そして肉体の構造としては、
胸の磁性“十”やからこそ、次の言葉、

“この神をまつるのは、みはらし台ぞ、
富士みはらし台ぞ、”

富士=“二二”やと思いまんねん。
日足と砌(ひたりとみぎり)の極性とエネルギーラインの事を、
“富士”“二二”って言うてると思いまんねん。
そやからそれは、“富士=二二”の、みはらし台。

富士の富って言う字でも、
宀(うかんむり)=頭、
ほんでからに“一”と口と田=四つの場(フィールド)。
それは“一”=アイを吸収した大脳新皮質って感じに見えるやんか。
そして大脳新皮質の機能そのものが“思う”で、
それは、心(靈)の四つの場(フィールド)でもあり、
一靈四魂でもあるって言うのんが先生の考えでんねん。

ほんでから“みはらし台”・・・
この言葉は、
ム部(しぶ)=自分自身と言う意味がある部首を使ってるし、
そやからこの、“みはらし台”
これは自分自身を現してる表現やと思いまんねん。

“台”って言うのは、ム部(しぶ)と口、
この字の位置関係からして、口は腹の事やねん。
前に先生と話した“苦”とおんなじ意味での“口”でんねん。
ほんでからにム部(しぶ)は、
砌(みぎり)“上”から日足(ひたり)下に降ろし、
そして向かって砌(みぎり)斜め上にほんの少し向かう。
ほんでからに最後に点のような字、
この点は、日足(ひたり)“上”から砌(みぎり)斜め下に降ろし、
止めるやん。
そやからこれは、
自分自身が“上”からの振動を取り込んで、
止めた=固めた様子やと思いまんねん。

そしてこの言葉そのものの、
“みはらし台”・・・これは何の台かって言えば、
霊的成長の為の台、
“上”に向かう為の台、
そう言う意味を感じまんねん。

そやから今の話、
腹=口、そしてム部(しぶ)、
“上”からの振動を取り込み、
大脳旧皮質と腹で増幅し、それは感情の発現でもあり、
動物から相対的に比較すれば判り易いから言うんやけど、
ミミズ、ヒル、ゴカイ君達には無い心(靈)の発現でもあり、
そして、
その感情としての生体内電流は、神経を伝わり、
心(靈)の観察行為で大脳新皮質により制御されたりもする。
それも、頭の磁性の強化になるやん。

今の話は・・・
感情以外・・・表現が妥当やないな・・・
そやから言い換えれば、
情動以外の、情動より“上”の、
心(靈)の構造の構築に関わって行くと思いまんねん。
そやからそれは、腹の段階の心(靈)の発現が、
本能、情動、功名心、自我で、
この場合は功名心以下の振動って事でんねん。
又、
心(靈)の発現=進化過程として情動ってエネルギーを持ってへんと、
“いきり立つ心(奴と心)”→“思う、憂う”→“慈悲”と“慈愛”→喜び、大歓喜。
それは 肝 → 脾 → 肺 → 心。
生命として、心(靈)の発現として一番最初とも言い得る本能って振動が、
段々高くなって“上”の心(靈)の発現をして行く。
それを意味してると思いまんねん。
ほんでからに取り込むべき“上”からの振動って言うのんは、
自分の心(靈)の発現が段々“上”に向かえば向かうほど、
普遍的に実在する創造主のオーラ(宇宙背景放射)とか、
太陽凝視で言えば、太陽の高い振動と感応共振する。
そして、
それを踏まえた心(靈)の発現をする。
それは、
地球人の認識の智慧(日を知る事=智性の恵み=慧)と智性(神性)って事に、
なりまんねん。
その為の“みはらし台”って事でんねん。

ほんでからに次の言葉、

“早く祀りてみつげを世に広めて呉れよ。
早く知らさねば日本がつぶれる様なことになるから、
早う祀りて神の申す様にして呉れ。
神急けるよ。
上ばかりよくてもならぬ、下ばかりよくてもならぬ、
上下揃ふたよき世が神の世ぞ。”

天意を受けた心(靈)の発現をして、
その為に“みはらし台”って言葉を使って、
その上で高い心(靈)の発現をして、
普遍的に実在する創造主のオーラ(宇宙背景放射)の高い部分と、
太陽凝視で言えば、
太陽の高い振動の獲得をして、
“みつげ”=発振、発信してくれって事でんねん。
ほんでからに、“みつげ”は、上つ巻 第三帖の、
“善言(よごと)”と同義やと思いまんねん。

それは自分達自身が発振、発信する振動が、
事象の創造をして行く。
それは相対的に、
段々高い事象を観察出来るようになるって事でもあるやん。
神聖な場(フィールド)の認識・・・創造は、
自分達の心(靈)が神聖でなければならない。

そやからこそそれは、
情報を只知らしただけではアカンからこそ、
それは単なる知識でしかないから、
高い振動を自分の認識にして=智慧と智性にして、
オーラの発振、発信にして、
事象の創造をして、
それが、
“早う祀りて神の申す様にして呉れ”

・・・そう言うてはるって事でんねん。

ほんでからに次の言葉は、
“上”と“下”=人の立場の違いを言うてはる。

“上ばかりよくてもならぬ、下ばかりよくてもならぬ、
上下揃ふたよき世が神の世ぞ”

“上ばかり”=“上”の思惑。
“下ばかり”=現象化、事象の創造と認識。
その両方がいいカタチにならんとアカンって事でんねん。
神さんの思惑を取り込んで=天意を受けて心(靈)の創造をして、
そしてその価値感で現象化させて行くって事やねん。
そうせなアカンって事でんねん。

ほんでからに次の言葉は、

“卍も一十もあてにならぬ、
世界中一つになりて
ローレンツ力と ○の国に寄せて来るぞ。
それなのに今のやり方でよいと思うてゐるのか、
分らねば神にたづねて政事(まつりごと)せねばならぬと云ふことまだ分らぬか。
神と人とが交流(まつり)合はして この世のことが、さしてあるのぞ。
人がきかねば神ばかりで始めるぞ。”

“卍も一十もあてにならぬ”

これは日足(ひたり)発振、発信の卍、
一十は、人(日止、霊止)って事やと思う。
一=一二三、ひふみのヒ、
それを止める=十・・・そう言う意味での人。

ほんでからこの文章は、
“卍”と“一十”=人(日止、霊止)、
それは良い形の事を言うてるけど、
それを観察するだけ=それが認識した知識だけでは、
アカンって事を言うてると思うやん。
言い換えれば、
自分の外側の事象やからこそ、
只、知識を観察してるだけではアカンって事で、
そやからこそ“あてにはならぬ”・・・そう言う事やと思いまんねん。
ほんでからにこの事は次の言葉に掛かる。

“世界中一つになりて
ローレンツ力と ○ の国に寄せて来るぞ。”

○=靈、
ローレンツ力=ローレンツ力、
国=(囗)くにがまえと“玉(ぎょく)”
そやから、
宇宙的プログラムによる“上”からの振動による変容が、
アセンションで、
そやから“
ローレンツ力と ○の国に寄せて来るぞ。”・・・でんねん。
それは、
フォトンベルトに地球が入りつつあるって事で、
そやからそれは“世界中一つになりて”・・・逃れられへんって事でもある。
そやからそれは、
先生の解釈の大日如来の条帛(じょうはく)=フォトンベルトで、
それは・・・
そうなったら自省(胸の磁性“十”)の行に入るからこそ、
今色んな事を振りかえらなアカンからこそ、
やってきた愚かな行為は、どんどんバレて、
愚かさ=心(靈)の発現の低さ由来の事象の創造が・・・
示されて観察され認識されてる。

それは今の地球人が、
ほんまの“上”と“下”を知る為の事でもあるやん。

ほんでからにこの文章の後半も、
天意を受ける心(靈)の事を言うてるだけでんねん。
天意を受けてない心(靈)の発現由来の創造が、
今までの地球やったって事でしかない。
それは今更言うまでもない事やし、
敢えて説明する事ではないと思いまんねん。
そう言う点でも以下の言葉、


“神ばかりで洗濯するのは早いなれど、それでは臣民が可哀そうなから、
臣民みなやり直さねばならぬから、気をつけてゐるのに何してゐるのざ、
いつ何んなことあっても知らんぞ、”

これも、“上”の思惑通りに事を進めるのは簡単って事を言うてるんやけど、
何の為に肉体を持った心(靈)として、
地球人が地球にいてるのか・・・
それをよう考えて欲しい・・・それは、
アンタらしっかりせなアカンで~って事やねん。

ほんでからに次の言葉は、

“神祭第一、神祭結構。”

さっきの“神祀り”に対し、
今度は、“神祭り”って言うてはる。
この違いは、
祭りって言うのんは、月部(げつぶ、にくづき)と又と示す。
これは肉体そのものの事を言うてる・・・
この字の意味はKellyさんが前に調べた事がありまんねん。
(個人々々の振動の違い 参照)

そやからこれは、
肉体と、神さんの思惑が一体になった事を言うてると思いまんねん。
そう言う行動をとる=事象の創造をする。
そう成らんと、あきまへんで~って事でんねん。


ほんでからに次の言葉、

“二三の木ノ花咲耶姫の神様を祀りて呉れよ。”

“二三”=2~3番目のオーラ、そして肉体。

“木”=胸の磁性“十”と、丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)と乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現)。
カタカナの“ノ”は丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)と同義、
花は、チャクラの事。
咲くは、チャクラの覚醒、開く事。
そやから“二三の木ノ花咲”、
これは、肉体のチャクラから発振される様子やと思いまんねん。
それはさっきの言葉、
“神祭り”に掛かってる言葉でんねん。
ほんでからに“耶”は、
耳=空気の振動を受信する器官と(阝)おおざと=邑(むら)って事で、
それは場(フィールド)の構成と受信でんねん。
そやからこそ“二三”・・・肉体で受信する振動の相対的に高いものとして、
空気の振動=耳で、
これは空の行でもありまんねん。
ほんでからに、“姫”は、
女=現象化、事象の顕現の事やと思いまんねん。

ほんでからに次のカタカナで書かれた言葉、

“コハナサクヤ姫様も祀りて呉れよ。”

“コ”は、
向かって日足(ひたり)から砌(みぎり)に移行し、
それはアイでもあり、
そのまま砌(みぎり)“下”に降ろし=現象化して、
そして最後に日足(ひたり)“下”から砌(みぎり)“下”に移行する。

“ハ”は、
これは象形文字の八と同義やろ。
日足と砌(ひたりとみぎり)のエネルギーラインって事でんねん。

“ナ”は、
“一”の真ん中に交差してる丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)。

“サ”は、
“一”とその向かって日足(ひたり)に(たて棒、コン)と、
向かって砌(みぎり)に丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)。

“ク”は、
丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)+“一”+丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)。

“ヤ”は、
日足(ひたり)から砌(みぎり)に移行して、
そして日足(ひたり)“下”にはねる。
最後の斜めの棒は、
日足(ひたり)“上”から砌(みぎり)下に降ろして止める。

すべて“上”の思惑=日足(ひたり)の思いが、
現象化した=砌(みぎり)に移行するって事やと思いまんねん。
ほんでからに、
“コハナサクヤ姫”・・・姫だけ漢字で書かれてる。
これも、
女=現象化を示している事やと思いまんねん。

更に、ここでも、
“祀りて呉れよ”って言うてはる。

“祀り”・・・腹のエネルギーが火=灬(よつてん、れっか、れんが)によって、
変化する事を示す。
そやからそれは、
軍荼利明王、荼枳尼真天の“荼”が、
“慈悲”と“慈愛”になって行く。
心(靈)が“上”に向かう事でんねん。

そやからこの言葉の違い、
“二三の木ノ花咲耶姫”は
肉体を持った人の、事象の創造、顕現って言う意味があり、
それに対し、
“コハナサクヤ姫”は、
神さんの思惑が顕現したカタチを言うてると思いまんねん。
ほんでからにそれは、“上”の思惑=神さんの思惑と、
“下”の顕現=人(日止、霊止)の発振、発信による事象の創造って事で、
そやからこそ“上”と“下”の意味を言うてる文章、

“上ばかりよくてもならぬ、下ばかりよくてもならぬ、
上下揃ふたよき世が神の世ぞ。”

そして、

“分らねば神にたづねて政事(まつりごと)せねばならぬと云ふことまだ分らぬか。
神と人とが交流(まつり)合はして この世のことが、さしてあるのぞ。”

そやからこそそれは、
“交流(まつり)合はして”
“祀り”
“祭り”って言う意味がありまんねん。
その事を良く知っておけって事でんねん。

そやからこの、上つ巻 第四帖は、
もう時期が迫っているって事と、
そしてアセンション・・・霊的資格を得る為には、
自分の心(靈)の在り方と、
今までの価値感を捨てんとアカンって事と、
次の場(フィールド)って言うのんは今までの価値感では通用しないって事と、
そうなる為には“上”に向かう心(靈)が必要やし、
そやからこそ、
腹の段階のエネルギーを変化させる事を“神祀り”と称し、
ほんでからそれが進めば、
“神祭り”=“上”の思惑を受信して、
それが“交流(まつり)合はして”・・・
自分の心(靈)の創造と、
心(靈)の発振、発信をして、
その上での認識し得る事象の創造をして行かんならん。

そういう事を言うてる文章やと思いまんねん。

今日はこれくらいにしときまんねん。

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2005年10月1日~2008年1月15日まで、
“Kellyさんとの会話”で、説明して来た事・・・
その内容・・・それは・・・その何年も前から、
何か自分の考えをある程度公表しなければならない・・・
そう言う通信を受け・・・その理由は・・・地球人が低い心(靈)の発現しかしていない・・・
それを自覚していない人が多い。
その事由来の太陽凝視に対する認識、
(太陽凝視=不食・・・としか、認識させない存在の思惑を、受信している事)
霊的成長に対する認識、
神に対する認識、
心=靈に対する認識、
オーラに対する認識、
そして、
高い認識の上での進化の意味と幸福の概念と神の概念・・・
進化=霊的成長=神格化=(相対的に)高い認識を獲得する事・・・
霊的成長=神に近づく事=真の幸福の意味。
霊的成長度は1番目のオーラに顕れる。
よって、宇宙的プログラムにより次の段階に移行する人(日止、霊止)は、 何を考えるべきなのか・・・
そして、人(日止、霊止)の進化を阻む存在の思惑、
その心=靈の動き、それらの意図・・・それが一般に認知されていない事。
それらを伝えなければ成らない・・・そして一応・・・完結はしたのですが・・・
解り難い・・・理解しがたい・・・具体例を示して欲しい・・・そう言う感想も頂き、
そして自分なりにも説明が足らなかった事・・・
更に、
“Kellyさんとの会話”が完結してからも通信を受けている事・・・そう云う事もあり・・・
よって、このブログを立ち上げる事としました。
従って、
“Kellyさんとの会話”が、
自分の意見を述べる上での、ローム太霊の言葉、
“右往左往”(“いきり立つ心(奴と心)”で行動してから考える)・・・と、 するならば、 このブログはアタシ自身の、
“左往右往”(“思う、憂う”・・・体験を教訓として考え行動する)の、
作業になって行くと思います。



自分達の欲望を満たしたい… 
自分だけ幸福になりたい…
こういった進化程度の低い心(靈)の発現由来の思いが、
低い幸福の概念になり(目下(めした)の思い)
その結果が、飢餓貧困、戦争の原因になったりしています。
(子供の浮游霊の霊的干渉の影響を受け、 それがどんどん増して行く事等が、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)
の思惑だと 思えます)

恨みの連鎖による霊的干渉を増やさない為、
その解消の為にも、(この趣旨に反する類の物もありますが) クリックをお願いします。
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