“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話

太陽凝視を一生涯の“行”とし(現在、44年目)、実践し、その上で獲得した認識を述べています。

“日月神示” 上つ巻 第五帖 Kellyさん的解釈

今回も、“日月神示”上つ巻 第五帖の解釈をしまんねん。
原文は以下の通り。



富士とは神の山のことぞ。
神の山はみな富士(二二)といふのぞ。
見晴らし台とは身を張らすとこぞ、
身を張らすとは、身のなかを神にて張ることぞ。
臣民の身の中に一杯に神の力を張らすことぞ。
大庭の富士を探して見よ、
神の米が出て来るから、それを大切にせよ。
富士を開くとは心に神を満たすことぞ。
ひむかとは神を迎えることぞ、ひむかはその使ひぞ。
ひむかは神の使ひざから、九の道を早う開ひて呉れよ、
早う伝へて呉れよ、
ひむかのお役は人の病をなほして神の方へ向けさすお役ぞ、
この理をよく心得て間違ひないやうに伝へて呉れよ。
六月十四日、ひつくのか三。


この冒頭の文章の、
“富士とは神の山のことぞ。”

この言葉は一言で言えば脳の事でしかないやん。

それはまず、
“富士”・・・これは、宀(うかんむり)・・・その意味は、
これも先生と前に話した事が有るんやけど、
宀(うかんむり)の意味は、
交差して覆う屋根の形に象り、家屋を意味する・・・
そやからそれは、
宀(うかんむり)=頭の場(フィールド)やって言う事やねん。

ほんでからに“神の山”、

神=示すへんと申、
ほんでからに、
申=“呂”=回転。
神って言う字そのものが、
“上”の振動の回転・・・それを示す。

そして“山”、
この山って言う字自体が、
向かってまず真ん中の棒を書き、
それは“メグリ”(帀)の中心のラインでもあり、
そして向かって日足(ひたり)“上”から“下”に降ろし、
向かって砌(みぎり)横に書き、
そして最後に、
砌(みぎり)“上”から砌(みぎり)“下”に書き、
止める。
それは、振動が高ければ、
α、β、γ、・・・放射線とか宇宙線とか・・・そう言う分類になるんやけど、
振動の高い低いに関わらず、
粒子には粒子の共通の法則性があり、
それは、プラス、マイナス、中性の粒子って事でんねん。
ほんでからにそれは、
すべての事象の法則性でもありまんねん。

ほんでから、
山=脳って言うのが先生の解釈でもある。
(霊的干渉 “目上(めうえ)と目下(めした)”“その六” 参照)

そやからこの言葉は“富士”って書かれてるけど、
それは“二二”・・・
砌(みぎり)の行と日足(ひたり)の行で認識を得て=左右の極性で、
育っていく=霊的成長して行く事でしかない。
それは、
心(靈)の入れ物としての脳が、
霊的進化に伴って動物と違っている事でもあるし、
動物より相対的に霊的進化した生命が、
人、日止、霊止・・・って事でもある。
そやから心(靈)の発現は、
“下”から“上”に行くものでもあるやん。
それが進化って事でんねん。法則性って事でんねん。

進化の概念も、
心(靈)の発現って観察が無いから、
地球人にはよく解ってないって事でんねん。
そやからそれは、心(靈)の構造としての言葉、
本能、情動、功名心、自我、愛(炁)、創造、知恵、智慧、智性という振動って事を、
何回も言ったけど、
本能と智性と、
どっちが動物に近く、
どっちが神に近いのかって事でしかない。
それが又、先生の概念、
“目上(めうえ)と目下(めした)”そのものでもある。
そしてそれは人(日止、霊止)の認識でもある、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”と、
“善(神格化の方向性と智性の受信)”でもある。

そしてそれはこの後の言葉を見ても解る。

“神の山はみな富士(二二)といふのぞ。
見晴らし台とは身を張らすとこぞ、
身を張らすとは、身のなかを神にて張ることぞ。
臣民の身の中に一杯に神の力を張らすことぞ。”

“富士”の、士は、
三=三つのオーラの構成の一の“上”に(たて棒、コン)が突き出ている。

一二三のオーラの構成から考えてこの“士”は、
1番目のオーラ=“一”の“上”から“下”に(たて棒、コン)を書き、
そして、
二番目のオーラ=“二”の真ん中で止まっている。
これは、この事は、
霊的進化には、
手の磁性が関わっている事を示していると思えるやん。

動物と人間の違い(と、観察され、認識されてる事)は沢山あるけど、
今の話・・・手の機能でもあるし、
手の機能の発達が胸の磁性“十”の発現でもあるし、
それは、指を使うようになった事による、
両手の骨と神経が構成する磁場の強化でもあり、
両腕の磁束の強化に繋がり、
それは腹の段階のサイクロトロン、
軍荼利明王、荼枳尼真天の“荼”=腹の段階のエネルギーの螺旋の上昇に繋がり、
それが高じればシンクロトロン様の発振、発信になり、
そして“上”=頭と、
“下”=骨盤や尾骨の磁性の強化により、
クンダリーニの白光=シンクロトロン放射になる。

それが先生のクンダリーニに対する分析でもある。

そやけどそれは太陽凝視と電気行をかなり頑張らんと、
シンクロトロン様の発振、発信にはならへん。
その前段階としての手の機能の発達が、
平均的地球人の獲得した霊的成長の過程とも言える事でんねん。
・・・そう言う話も先生と前にしたな。

そやから、そう言う点でも次の言葉、

“見晴らし台”

前回の上つ巻 第四帖には、“みはらし台”って書かれてあった。
今度は漢字で書かれてはる。
それは、
以下の言葉をよく読んでみると、

“見晴らし台とは身を張らすとこぞ、
身を張らすとは、身のなかを神にて張ることぞ。
臣民の身の中に一杯に神の力を張らすことぞ。”

“見晴らし台”・・・見て晴らす台、
“晴”は、日と青、青の解釈は、
上つ巻第一帖での解釈をそのまま引用しまんねん。
それは以下の文

“晴れは、日と青。
青は、
三=三つのオーラと(たて棒、コン)と、月・・・
そやけどこれは辞書を見ると月部(げつぶ、にくづき)ではなく、
“丹”って言う字らしく、
それは地中にある鉱物って言う意味らしいやん。
そやからそれはストレートに帯電するミネラルって事を思わせる・・・
ほんでからに、“青”の上半分は、
生きるって言う字の、
丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)を外した物らしいやん。
ほんでからにその、“青”の上半分は、
芽生えるって言う意味でもあるって辞書に書いてあった。
ほんでからにこれも、
三つのオーラを縦に繋いで、
ほんでからにそれは“一”の上に出てる・・・
それは“上”に向かう意志やねん。“

ほんでから、

“身を張らすとこぞ”

・・・これは、
“とこぞ”って言うのんは場所を特定した言い方。
これもさっきの話と重複するんやけど、
体の構造である左右の極性=“二二”・・・その“上”と“下”の事やと思いまんねん。

そやからそれは、
“上”の振動をローレンツ力で獲得せよ=生体内電流の強化をせよ。
身体磁場の強化をせよ。
そやから、“見晴らし台”=心(靈)の発現がだんだん“上”に向かう。
そういう事を言うてると思いまんねん。

そして、“張らす”
・・・この表現は、弓(ゆみ)と長い。
弓(ゆみ)=背骨、それは“長い”に掛かってる。
人が感得し得る振動の種類と、
背骨の数は、
一致するって言うのんが先生の説やし、
そやからそれは、
“上”から“下”の振動を示す事でもあり、
その振動の種類の幅は長い。
そう言う事やと思いまんねん。

それが、この三次元での事象の分類からして、
物質と気体と光・・・
それを人(日止、霊止)は感じて=吸収して生きている。

物質の振動=腰椎五個=木火土金水、これは陰陽五行でもある。
この間言うた、
水=腹、
火=酸素と肝臓、
空=肺・・・これは生命活動=肉体の活動での分類って事になるんやけど、
ここまでは新陳代謝って生命活動を表した言葉を使うのがわかりやすいな。
それに対し、人(日止、霊止)の心(靈)の創造に関わる肉体の法則性は、
木部=自省(胸の磁性“十”)+丿部(へつぶ)と乚部(いんぶ)
金=帯電するミネラル・・・そう言う事やと思いまんねん。
そやからそれは、
物質の性質を持つ肉体の法則性でも有る事やし、
肉体を持っている意義=生きている間の霊的進化=認識の拡大と変容・・・
その事を感じさせる事でも有りまんねん。

ほんでから次は、
気体の振動=十二音階=胸椎十二個、

ほんでからにその“上”の振動は、
可視光線の振動=頚椎七個=赤 橙 黄 緑 青 藍 紫、

ほんでからにこの事も付け加えて起きたいんやけど・・・
可視光線以上の振動を人の(“力”としての)知恵としての、
科学では、
紫外線以上の振動・・・エックス線や放射線も宇宙線も含むんやけど・・・
きっとそれは、
“上”の振動の分類としては片手落ちな分類で、
振動が持ってる性質って事を人は理解していない。
振動が持っている性質・・・これもKellyさん的には良い説明の仕方では無く、
それは、振動=情報って認識が無い。

そやから、地球人の科学では、
只情報を伝える為に電磁波を利用しているからそう思い込む。
電磁波・・・機械で測定出来る振動だけに限り、
そう呼んでいる傾向があるって言うのんが、先生の考えでもある。
地球人が知らん振動の種類はまだ沢山あると思えるし、
ほんでからに、
“上”の思惑だろうが“下”の思惑だろうが、
それらはすべて荷電粒子で出来ていて、
それを人は感得する。
それが又、霊的干渉の意味でもある。

そう言う点で、
振動に情報や思想が含まれている事を学者は考えへん・・・
そやけど今Kellyさんが使った表現そのものが、
本末転倒な概念で、
それは、
こちら側からの見方やからしょうがないって先生は言うてるんやけど、
(物質の次元での観測)
そやから、一言で簡単に表現すれば、
思惑=振動って事やねん。

そもそもこの世界だろうが・・・
もっと高次元の世界だろうが・・・
すべては(“上”であろうが“下”であろうが)、
観察され得る事象って言うのんは、
思惑の顕現であり、
それを観察して認識する=受信と増幅する事そのものが、
生命って事やろ。
ほんでからにあらゆる振動を吸って吹く。
それを呼吸って言う。

こんな話はかなり常識はずれな事やろけど・・・
そんな事を学者さんは思いつきもせん。
それは、学者さんの心の発現が、
“上”に向いてない傾向があるって事やと思いまんねん。
功名心と自尊心・・・腹の段階の心(靈)の発現から、
その同位相でエネルギーを回転し増幅してはる。
(腹のサイクロトロンの段階=軍荼利明王、荼枳尼真天の“荼”=自我の確立と固定化)
そやからそれは、
自分達が獲得した“力”としての知恵や知識を、
“上”から受信した“力”とも言える知恵を、
自分達の低い愛(炁)の顕現の=自己奉仕者としての使い方しかしない。
結果それは、
傲慢な考えとか低い功名心とか自尊心中心の心(靈)の動きになる。
そやから地球人の科学なんてのは、
物質の段階の=腹の段階の心(靈)の発現由来の観察と認識でしかない。
余談やけど・・・例えば、
相対性理論なんかもこちら側からの観察と認識でしかないから、
それは本当の事を知る過程でしかなく、
まだ“上”の認識を獲得した訳ではなく、
先生がエピローグで言うてはったけど、
今、地球人が知ってる物理法則は、
この次元でしか通用しない事で、
そやから光速は一定ではなく、質量も不変ではなく、
時間の進行も、
場(フィールド)によっては同一ではなく、
多分、地球人が思うてる程、宇宙もそんなに物質に満ちてない。
しかし学者さんは、
低い心(靈)の認識に囚われてるから、
物質を基準とした観察と認識しか出来ない。

そやけど、段々、
人(日止、霊止)の認識が“上”に行くならば、
それ相応の知恵と知識と認識と・・・
智慧(日を知る事=智性の恵み=慧)を獲得するようになる。

そやから自分が認識している場(フィールド)・・・
それはほんの一部分でしかない。
全体を知る・・・
こういう言い方そのものが幼稚な表現やけど、
自分達より“上”の場(フィールド)や“上”の法則性を知りえない・・・
地球人は、まだそう言う段階では無いって事でんねん。

そやからそれは、例えば、
先生の振動に対する認識って言うのんは・・・

認識=思想・・・一言で言えば思惑・・・
色んな表現が有るんやけど、
意識活動そのものが発振する事を振動って言う・・・
それは吹くともいい、
息吹(自分の心(靈)が吹く)とか伊吹とか気吹きとか言う。
この間の“善言(よごと=四五十?)”でもそれは、
“上”からの発振、発信で、
それを感じる事が、
観察と認識と・・・受信と吸収と・・・
そやからその両方を纏めて、
“呼吸”って言う。
そして呼吸する事そのものが、
生命=生きている使命=存在の意義でもある。

それが先生の認識で、
そやから、地球人が分類し始めた地球人が知り得る限りの電磁波にも、
当然、
思惑があり、
そやからこそそれは、
意識、対、意識の、
相互干渉とか感応共振とか受信とか発振、発信とかが、
すべての事象を形成している事でもあり、
それを観察するのが生命で、
それには“上”と“下”があり、
それは何回も先生との話で言い尽くされた事でもあるけど、
人は自分の持っている認識以上の事は自分より少し“上”の事しか認識出来ない。
そやからこそ変圧って過程がある。
そして人(日止、霊止)が認識し得る進化って言うのんは、
ある意味霊的成長の人以下の事を認識したって事でんねん。


そやからそう言う点で、
物質の世界での認識で肉体を持った人間が感じ得る、
一番高い振動でもある光も含め、
それ以上の何か・・・それ以上の“上”の振動を、
ローム太霊さんは、
炁空無光眞奇力存(きくうむこうしんきりきぞん)と言い表したと思えるやん。

ほんでからに今、
次元の認識の事を少し言うたんやけど、
今は“日月神示”の解釈やから、
話が逸れるし・・・大分話が逸れてしもてるけど・・・

次元って認識に付いても・・・近々、Kellyさんが私見をぼやく事にしまんねん。

ほんでからに次の文章は、

“大庭の富士を探して見よ、
神の米が出て来るから、それを大切にせよ。
富士を開くとは心に神を満たすことぞ。”

この文章の中の、“大庭”

大=人+胸の磁性“十”・・・
“直日(なおひ)”自省(胸の磁性“十”)“観自在”・・・
左往右往してはる人の場(フィールド)=“庭”・・・
そう言う事やと思いまんねん。

そやからこそ、
“大庭の富士を探して見よ、”

自省(胸の磁性“十”)をしてはる人が発振、発信してる“富士”、
富士=宀(うかんむり)と畐・・・一と口と田。
“一”の振動を吸収してる意味が“口”・・・
そしてそれは田=四つの場(フィールド)でもあり、
それが、
動物には無い心(靈)の発現=思い(心、靈、の四つの場(フィールド)、大脳の新皮質)
これは人の大脳新皮質=目上(めうえ)の脳そのものでんねん。

そして“神の米”、

この事は前のブログには書いてない事やけど、
米って言うのは固めの芽でもあるって先生は言うてはった。
そう先生が思う根拠は、

“コ”=凝り固まる、凝集する。
それは真固止の固でもある。
“メ”=蒸し出された生命の芽。
そしてそれは目、心の目・・・
それは、観察と認識って事やって先生は思った。
(現津(あきつ)=観察され得る事象)

それは、この間、
先生のところに太陽凝視を教えてくれたKさんの長男、
現役神主のYAはんが来はって、
先生に、
“風止麻邇(ふとまに)言霊学 道ひらき”の本を渡して行かはった。
同時に荒深道斉さんの本も沢山渡して行かはった。
その本の中の今の、
“コ”と、
“メ”の話・・・大体そんな表現やった。

今後この本からの引用もして行きまんねん。

先生的には道ひらきとか荒深道斉さんとかは、
その言葉と名前くらいしか知らんかったんやけど・・・
そこに書かれてある事は、先生の考えと一致する事が多かった。
それは段々、
人(日止、霊止)が“上”に向かうと、
共通の認識を得て行くって事でもあるやん。
“上”に行けば行く程、それは答えは一緒になって行く。
認識の程度=霊的成長度の段階=愛(炁)の顕現の程度。
それは同義やから、その時点時点での進化過程では共通の認識をして行く。
そしてその事そのものが霊的世界の階層でもあり、
それを肉体を持った地球人が認識しやすい事として、
大脳の旧皮質=目下(めした)、
大脳の新皮質=目上(めうえ)って事やねん。

そやけど・・・もの凄ぉぉぉぉぉく・・・話が逸れてる・・・

振動の話に戻りまんねん。

人(日止、霊止)に限らず、
生命の(霊的)成長・・・進化って言うのんは、
段々“上”の振動を感得し、獲得して行く事でもある。
そやからそれは米の象形文字を見ると解るやん。

米の象形文字に見られる振動の三つの性質



プラス、マイナス、中性の粒子、
砌(みぎり)と日足(ひたり)・・・そして背骨。
その極性の事を言うてる字でんねん。
ほんでから、この字そのものが、
地球人の心(靈)の発現の段階を示している事でもあるし、
それは“下”の極性と“上”の極性を持っている事でもある。
ほんでから今地球人の心(靈)の発現は、
米の象形文字の下半分の段階って事でもあるし、
そやからこそ固めの芽=コメ、
それは真固止に通じ、米を食わんと骨の結晶化には繋がり難い事も示してると思うけど、
ほんまはそんな事だけではなく、
すべての現津(あきつ)=観察され得る事象の良いカタチの在り方を望み、
そして段々心(靈)の発現の段階が変容することそのものが、
“上”の振動を真に固く止める=真固止って事でもあり、
それが段々神さんに近付いて行くって事になる。

そやから次の言葉もそういう事を言うてる。

“富士を開くとは心に神を満たすことぞ。”

脳の機能=思い(心、靈、の四つの場(フィールド)、大脳の新皮質)で、
開く=“上”に向かう思想を持つ・・・自省して“直日(なおひ)”して“観自在”して、
心(靈)が“上”に向かう=更なるよい形を求める。
それは神格化に向かう思想・・・
そうなるには、
心(靈)に神=“上”の振動の回転による発振された振動を受信する=満たす。
そう言う事でんねん。

そやからそれは次の言葉に掛かり、

“ひむかとは神を迎えることぞ、ひむかはその使ひぞ。
ひむかは神の使ひざから、九の道を早う開ひて呉れよ、
早う伝へて呉れよ、”


“ひむか”=日向で、
これは祝詞なんかでもよく出てくる言葉でんねん。
そやから、
太陽が、創造主の思惑を仲介してくる生命って言うのんが先生の認識で、
それを受信する=吸収する=食う事が、
太陽凝視そのものであり、
それはそう言うつもりで太陽凝視することが大事。
(心(靈)の発振、発信)
そやから先生の太陽凝視に対する概念は、
神格化の為の具体的な手段であるって事でんねん。

ほんでからに人(日止、霊止)の進化=神格化に向かう事。
それを阻む存在の思惑を受信してるのが、
太陽凝視=不食・・・

人(日止、霊止)は進化して行ったなら、
そんなに物を食わんでもよくなるんやろけど・・・
現に先生も、
初秋から初冬まではあんまり食事を摂らへんのやけど、
太陽凝視をする動機・・・
どういうつもりで太陽凝視するのか=心(靈)の発振、発信。

そやから、
不食不食って事ばかり注目させるのが、
人(日止、霊止)に太陽凝視の真の意味を教えたくない存在の思惑って言うのんが、
先生の解釈でもある。
当然そう言う霊的干渉しか起きない=あんまり物を食わん動物霊の憑依って結果になる。

そやから、
人が求めるもんって言うのんはそれぞれ自由やけど、
それは、
心(靈)の発現の段階がどれ位“上”に向かっているのか、
それは、霊的成長の程度で、
求める事は違ってくる。

そやからこそ、
太陽凝視でも、
幸福の概念でも、
神さんに対する認識でも・・・
心霊現象でも、チャネラーのメッセージでも、オーラに対する認識でも・・・
その解釈は霊的成長度により人それぞれ違う・・・
大事な事はそこに自分達の心(靈)の発現の段階を知る事で、
それは自分の心の動き、
本能、情動、功名心、自我、愛(炁)、創造、知恵、智慧、智性という振動の、
どの部分が顕れているのか・・・
それを自分で観察し分析する事・・・その心(靈)の動きが、
“上”に向かう為の基準=“天の御目”の獲得に繫がって行く。

そういう事を意識して行かんと、自分なりの基準は獲得出来へんって事やねん。
ほんでからにそれは神さんとしての最後の思惑の顕現=“九”、
○ 九 十 の、“九”でもあり、
それは人を示す儿部(じんぶ、にんにょう)に、
“一”=創造主の思惑=智性=1番目のオーラが、
加わった字でもある。

そやから次の言葉、

“ひむかは神の使ひざから、九の道を早う開ひて呉れよ、”

“九の道”は、
人(日止、霊止)が霊的成長し、
自分なりの基準を獲得し=“天の御目”を獲得し、
今より神聖な事象の創造をして行く。
それは人(日止、霊止)自身の完成に至る為の道でもあるって事やねん。
それが人の完成って概念やし、それは神格化でしかない。

そやからそれは次の言葉に掛かる、

“ひむかのお役は人の病をなほして神の方へ向けさすお役ぞ、
この理をよく心得て間違ひないやうに伝へて呉れよ。”

この文章の中の、
“病をなほして神の方へ向けさす”

この場合の“病”は、
当然病気の事も含めて言うてるけど、
それだけや無くって、
人(日止、霊止)の心(靈)の動きの低い部分が生み出した何か、
それを“病”って表現されてると思えるやん。

人の自我の発言の段階で、低い幸福の概念で、
そして恨みの連鎖が拡大し、今現在そう言う事象ばかりになってる。
病気かてそういう事に過ぎへんって事でんねん。

それは、
人の低い心(靈)の発振、発信がそう言う結果になってる。
こんな事はいまさら説明せんならん事でもないな。

そやからそれは、
“神の方に向けさす”=“上”の心(靈)の発現に向かう。

そうならんとアカンって事でんねん。


ほんでから“病”に付いても調べたんやけど、
病は、
疒部(だくぶ)と、丙(へい、ひのえ)で構成された字で、
疒部(だくぶ)は、
爿部(しょうぶ)と横棒で構成されていると辞書に書いてある。
ほんでからに、爿部(しょうぶ)の意味として、
爿の字は木を裂いて二つにしたものの左半分を意味する。

丙(へい、ひのえ)は、これも辞書を見ると、
神への生贄を供える台を象ったとされてて、
ほんでからこの、
丙(へい、ひのえ)は、
陰陽五行説では木火土金水の火性の陽に割り当てられており、
ここから日本では「ひのえ」(火の兄)ともいう。

そこから得られたKellyさんの認識は、
地球人の心(靈)の発現が今現在、
自我の確立=固定化の段階を示してて、
そやからそれは“下”から見ると、
水=腹=帯電するミネラルが固まってない段階=“石屋”
火=肝、“いきり立つ心(奴と心)”、砌(みぎり)、
それは空気を吸って酸素を取り込んで物質を変容させていく様でもあり、
その過程の=振動の吸収過程としての、
その心(靈)の発現の段階を、
幽か(かすか)って言う。
それは“上”から観たら、たいして立派な心(靈)の発現になってない。
やっと自我の確立=固定化の段階でしかない。
そう言う事やと思いまんねん。

そう言う点でも、
人(日止、霊止)の心(靈)の発現は、
更に“上”に向かわんならんから、
自省(胸の磁性“十”)の行をして、
その前段階が、脾=“思う、憂う”・・・
そして肺=“悲しむ”・・・更に“慈悲”と“慈愛”になる。
そうなっていくのが霊的成長の過程でもある。

そやからこの世界は失敗を体験し・・・神さんの右往左往の段階でもあるし、
現にこの世界は、失敗だらけの世界やし、
先生はその事でこの世界が大嫌いになってる・・・
そやから永遠の実在としての人(日止、霊止)の意識って言うのんは、
ひどい目にあって失敗を体験し、ほんでから、
自省(胸の磁性“十”)して行かんならんけど、
その失敗を今回の上つ巻 
第五帖では“病”って表現されてて、
ほんでからに心(靈)の進化は、“上”の振動に向かい、
それを取り込む事、そやからそれは、
“ひむか”って事になりまんねん。

そやから“上”の心(靈)の発現・・・そう言うつもりの太陽凝視。
そういう事も意識して欲しいって言うのんが、
今回の、
上つ巻 第五帖を読んだKellyさん的感想でもありまんねん。

今日は、これくらいにしときまんねん。

« Kellyさん、先生と瀧原宮に行き、場当たり的な会話をする。|Top|○○○大先生が撮った、ミニバラとアルストロメニア »

コメント

ありがとうございます。

今日は、お花の名前を教えてくださってありがとうございます。
○○○大先生が撮られたお花の写真を見せていただきました。
素晴らしいです。

..Air様。

ご来訪ありがとうございます。

ジジイのおせっかいが役に立ったようでよかったです。
そして、
過分な褒め言葉を頂きありがとうございました。
宜しければ、又、
おいでください。

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 Kelly & ○○○大先生

Author: Kelly & ○○○大先生
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Kellyさんと○○○大先生は、
このブログを書いている○○○の、
心(靈)の二面性であり、
同一人物で有る事を、
お断りしておきます。

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太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈1〉

ローム太霊との出会い


太陽凝視を行っている鍼灸師の話〈1〉ローム太霊との出会い
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初めての方は、
・・・その後の事と・・・これからの事。
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☆ Kellyさん的事象の観察と認識 (104)
Kellyさんがこのブログに霊縁あった人(日止、霊止)に伝えたい事 (22)
Kellyさんと○○○大先生との会話 (7)
Kellyさんとチョ~極上ラブラブ中高年夫婦はんとの会話 (6)
Kellyさんとチョ~ベッピンはんのA野はんとの会話 (7)
Kellyさんと∪・ω・∪ ▼・。・▼ ▼・。・▽ U・。・U U。・ェ・。U たちとの会話 (33)
Kellyさんとメタボ研修医のYっちゃん先生との会話 (2)
Kellyさんとややメタボ内科医のYっちゃん先生との会話 (7)
Kellyさんと和風のベッピンはんのSはんとの会話 (2)
Kellyさんと農業好きの社長婦人K地M美はんとの会話 (12)
KellyさんとNominyan ∥*σ_σ*∥&Senyapoo λ*゜ο゜*λ との会話 (6)
☆ Kellyさん的“日月神示”解釈 (480)
Kellyさんが、“日月神示”の解釈をして行くに当たって・・・考えた事。 (16)
“日月神示” 上つ巻 (42)
“日月神示” 下つ巻 (38)
“日月神示” 富士の巻 (26)
“日月神示” 天つ巻 (30)
“日月神示” 地つ巻 (36)
“日月神示” 日月の巻 (68)
“日月神示” 日の出の巻 (23)
“日月神示” 磐戸の巻 (21)
“日月神示” キの巻 (17)
“日月神示” 水の巻 (36)
“日月神示” 松の巻 (30)
“日月神示” 夜明けの巻 (26)
“日月神示” 雨の巻 (18)
“日月神示” 風の巻 (15)
“日月神示” 岩の巻 (11)
“日月神示” 荒の巻 (27)
☆ Kellyさん的“ローム太霊講話集”解釈 (108)
☆ 紫光会経文の文言 Kellyさん的解釈 (18)
☆ ○○○大先生的バシャールの文言解釈 (9)
☆ 先生が撮るけったいな花の写真 (22)
☆ 先生が撮る比較的まともな写真 (32)
☆先生が室内で写真を撮るときのセッティング (6)
その他 お知らせ (3)



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2005年10月1日~2008年1月15日まで、
“Kellyさんとの会話”で、説明して来た事・・・
その内容・・・それは・・・その何年も前から、
何か自分の考えをある程度公表しなければならない・・・
そう言う通信を受け・・・その理由は・・・地球人が低い心(靈)の発現しかしていない・・・
それを自覚していない人が多い。
その事由来の太陽凝視に対する認識、
(太陽凝視=不食・・・としか、認識させない存在の思惑を、受信している事)
霊的成長に対する認識、
神に対する認識、
心=靈に対する認識、
オーラに対する認識、
そして、
高い認識の上での進化の意味と幸福の概念と神の概念・・・
進化=霊的成長=神格化=(相対的に)高い認識を獲得する事・・・
霊的成長=神に近づく事=真の幸福の意味。
霊的成長度は1番目のオーラに顕れる。
よって、宇宙的プログラムにより次の段階に移行する人(日止、霊止)は、 何を考えるべきなのか・・・
そして、人(日止、霊止)の進化を阻む存在の思惑、
その心=靈の動き、それらの意図・・・それが一般に認知されていない事。
それらを伝えなければ成らない・・・そして一応・・・完結はしたのですが・・・
解り難い・・・理解しがたい・・・具体例を示して欲しい・・・そう言う感想も頂き、
そして自分なりにも説明が足らなかった事・・・
更に、
“Kellyさんとの会話”が完結してからも通信を受けている事・・・そう云う事もあり・・・
よって、このブログを立ち上げる事としました。
従って、
“Kellyさんとの会話”が、
自分の意見を述べる上での、ローム太霊の言葉、
“右往左往”(“いきり立つ心(奴と心)”で行動してから考える)・・・と、 するならば、 このブログはアタシ自身の、
“左往右往”(“思う、憂う”・・・体験を教訓として考え行動する)の、
作業になって行くと思います。


太陽凝視を行っている鍼灸師の話 “総括編”
太陽凝視を行っている鍼灸師の話 “改”
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自分達の欲望を満たしたい… 
自分だけ幸福になりたい…
こういった進化程度の低い心(靈)の発現由来の思いが、
低い幸福の概念になり(目下(めした)の思い)
その結果が、飢餓貧困、戦争の原因になったりしています。
(子供の浮游霊の霊的干渉の影響を受け、 それがどんどん増して行く事等が、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)
の思惑だと 思えます)

恨みの連鎖による霊的干渉を増やさない為、
その解消の為にも、(この趣旨に反する類の物もありますが) クリックをお願いします。
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