“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話

太陽凝視を一生涯の“行”とし(現在、44年目)、実践し、その上で獲得した認識を述べています。

“日月神示”下つ巻 第三十七帖 Kellyさん的解釈



今回も、下つ巻 第三十七帖を解釈しまんねん。
原文は以下の通り、

世が変りたら天地光り人も光り草も光り、石も物ごころに歌ふぞ、
雨もほしい時に降り、風もほしい時に吹くと雨の神、風の神 申して居られるぞ。
今の世では雨風を臣民がワヤにしているぞ、
降っても降れず、吹いても吹かん様になりてゐるのが分らんか。
盲つんぼの世の中ぞ。
神のゐる場所塞いで居りて お蔭ないと不足申すが、分らんと申しても余りであるぞ。
神ばかりでもならず、臣民ばかりではなおならず、
臣民は神の入れものと申してあろが、
あめのひつくの民と申すのは、世界治めるみたまの入れもののことぞ、
民草とは一人をまもる入れものぞ、
ひつくの臣民は神がとことん試しに試すのざから、可哀そうなれど我慢して呉れよ、
その代り御用つとめて呉れたら、末代名を残して、神からお礼申すぞ。
何事も神は帳面につけとめてゐるのざから間違ひないぞ、
この世ばかりでないぞ、生れ代り死に代り鍛へてゐるのぞ、
ひつくの臣民 落ちぶれてゐると申してあろがな、
今に上、下になるぞ、逆立ちがおん返りて、元のよき楽の姿になるのが近づいたぞ、
逆立ち苦しかろがな、
改心した者から楽にしてやるぞ、御用に使ふぞ。
八月三日、ひつ九のか三。


まず、下つ巻 第三十七帖の冒頭の文章は、これから起きる“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)との感応共振という意味での、電磁誘導のことを言うてると思える。それを言い表しているのが“光り”“歌う”…どちらも自分たちの心(靈)からの、発振、発信を表現したものやと思える。
そして人の肉体の構造としての、“雨”=水。それは腹でもあるし、“一二三”のオーラの“三”に相当する。錯体の荷電粒子の回転による発振、発信でもありまんねん。
同じように“風”=呼吸器官。“石”(帯電するミネラル)=真固止(まこと)の材料。それは、真に価値のある宝=體(体の旧字、骨が豊か、そして、宝(たから)のアナグラム)でもあるし、真固止の意味は、帯電するミネラルの結晶化、“日月神示”の表記なら、“身魂磨き”でもある。
そやから、神のプログラムとして、人(日止、霊止)の進化を次の段階に移行させるために、今後、地球に降り注がれる荷電粒子は、現時点よりも、相対的に、“上”の高い振動になる。
それがまた、宇宙の運行と観測されうることでもある。
それ自体を、地球人が認識している具体的な変化として、地球がフォトンベルトに入ることでもある。(本当はフォトンベルトに入ることだけが、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)のプログラムではない)

今まで、前のブログでもこのブログでも、荷電粒子そのものが、生命の思惑そのものであると、何回も言うてきた。
ほんでからその荷電粒子=生命の思惑には、“上”と“下”がある。
その“上”“下”を人が感じ(感じる磁性)たなら、自分の心(靈)が認識(悟り、幸取=さとり)したなら、それを人が言葉にしたなら、神と悪魔やろ。
ほんでからそれは、“上”と“下”の言葉の認識(悟り、幸取=さとり)は、“善(神格化の方向性と智性の受信)”と“悪(心の動きの本能化と低振動化)”でもあるな。
そやからこそ、“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)の思惑を、人(が認識した言葉として)は、神と称し、“下”(人の霊的成長を望んでいない存在)の思惑を悪魔と称してるみたいなもんでんねん。
ほんでからちょっと話がそれるけど、とても大事なことやから言うとくんやけど、“下”の思惑は“日月神示”の表記の渦巻き 右 回転 …悪の回転と、“日月神示” 内で称されてること。
それは人の心(靈)と、右回転の荷電粒子の感応共振は、いうまでもなく、進化過程が低く、それは腹の水=“江戸と尾張”の“江”…自我の確立=固定化の段階、そして腹の位相のサイクロトロンの心(靈)の発現でしかなく、自我を発現している心(靈)が“下”に向かえば、右回転になり=右往左往の右往だけでしかなく、その心(靈)の動きは、“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”になる。
言うまでもなくその人たちは、胸の磁性“十”をたいして持っていない=“慈悲”と“慈愛”の心(靈)の発現を対していないからこそ、心(靈)が“下”に向かいやすい。
そやからそれは、時間の進行(儿部(じんぶ、にんにょう))に於いて、人の心(靈)は変化していく。
その変化は“上”に向かうのか“下”に向かうのか…そのどちらかでしかない。
それを人の言葉では、“善(神格化の方向性と智性の受信)”と“悪(心の動きの本能化と低振動化)”と認識されている。
そやから、心(靈)が“上”に向かうならば、それは、自我より“上”の心(靈)の発現になり、それはヨガのチャクラの概念で言えば、マニピューラチャクラからアナハタチャクラの覚醒にいたる。アミの本の言葉を引用すれば、愛(炁)の度数が上がる。
前のブログで先生と話したことを少し引用して説明すれば…“慈悲”と“慈愛”の心(靈)の発現は、腹のサイクロトロンは、胸の磁性“十”により、その左右の磁場により、荷電粒子の回転が安定し、サイクロトロンよりも、強力に、増幅、発信する、シンクロトロンに移行する。サイクロトロンからシンクロトロンへの粒子加速器の構造の変化そのものは、霊的進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の順番であり、そしてシンクロトロン放射は、白光と感じられ、それは、青方変移(観測者自身が、観測する波長を、相対的に、高く、細かく、感じること)でもある。それは、先生が18歳のとき、太陽凝視を教えてくれたKさんにはじめて会い、Kさんのオーラを観たときに観測した、クンダリーニの白光になる。
そしてそれは、先生の認識のために、クンダリーニの白光を見させられたとも言い得る。
そやから、先生はその白光を観たからこそ、肉体の磁性の構造を考え、思い、意味を追求し、その先生の心(靈)の動きそのものに感応共振する“上”の存在があり、通信を受け、その一部が先生のブログになっている。(そやけど…前のブログを始める少し前に、ようやくそれが先生自身に解ったとも言いうるな)
話を戻し、クンダリーニの白光…そこまでに至るには、相当、エネルギーを贖う(あがなう)太陽凝視が必要でもある。
アセンション後に位置する心(靈)は、そこまで行かんでもエエんやけど、せめて左往右往、自省(胸の磁性“十”)の“行”“観自在”“直日”の心(靈)の動きを持ってないとアカン。そして、その心(靈)の動きを持ち、宇宙的な“上”(人(日止、霊止)…その霊的干渉=電磁誘導でもある、今後、起きていく人の心(靈)とフォトンベルトとの反応で、当然、心(靈)の在り方は変わってくる。
そやからそれは、何回も言うてきたことなんやけど、自己奉仕者のいない世界になるってことでんねん。
自己奉仕者の心(靈)の動きが、低い進化過程って認識を持った人たちの世界になるってことでんねん。
そやから“慈悲”と“慈愛”の心(靈)の発現は、もっと進化していくならば、もっと高い存在との感応共振になり、神の思惑と自分の思惑が同等になっていく。
それが真の進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の意味でもある。そしてそれが、真の意味での、天=“一”=智性=1番目のオーラ+自省(胸の磁性“十”)+人(日止、霊止)の白い(シンクロトロン放射)、“王”(“一二三”のオーラを|(たてぼう、こん、縦の磁性))でつないだ表記、あるいは、縦の磁性と、三つの水平磁場)。
そやから天の白い王…それを縮めて天皇と称する。
現時点の地球人の進化過程、腹の段階の同位相のサイクロトロン。肝=“いきり立つ心(奴と心)”と脾=“思う、憂う”だけでは、自我の確立=固定化でしかない。その、腹の段階の心(靈)の動きの結果とも言える行動(発振、発信)を、具体的に言えば、目先の欲望にとらわれ、物欲や(通貨としての)金に執着し、低い幸福の概念を持ち、自分の欲望だけに恭順であり、自分の欲望や形骸の地位や自分の低い自尊心…それが一番大事って認識の人になる。 
そして、今は、その段階の人たちが活躍する事象でもある。
だからこそ、価値のある何かは、低い価値観で扱われ、価値のある何かそのものがとんでもなく低くなってしまった。何回も言うてきたことでんねん。
ほんでから、“日月神示”の表記の、悪については、右回転については、補足として、前に紹介した画像をはっておきまんねん。

“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の回転 砌(みぎり)回り


そやからこれまでも言うてきたように、今後=アセンション後は、霊的進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の次の段階に入るんやから、当然、“上”からの荷電粒子=“上”の思惑は、現状よりも高いものになる。
そして、人の心(靈)も左回転=日足(ひたり)回転をして、自我より“上”に向かうようになる。それは、人だけではなく、地球上に存在する生命すべて、“上”の荷電粒子の影響を受けるからこそ=フォトンベルトの影響を受けるからこそ、その一個体とか、心(靈)は、電磁誘導が起きる。
“光り”“歌う”は、それを言い表した表現やと思うし、そしてその“上”の荷電粒子との感応共振は、自分のオーラに現れていき、そして今後=アセンション後は、誰もが何らかのカタチで他者のオーラを感じていくからこそ、それは他者の心(靈)の動きを一瞬で理解できるくらいになるための進化過程やし、その意味でも、今回の下つ巻 第三十七帖の冒頭で、

“世が変りたら天地光り人も光り草も光り、石も物ごころに歌ふぞ、
雨もほしい時に降り、風もほしい時に吹くと雨の神、風の神 申して居られるぞ。”

こう言われてると思えるし、そしてそれは前回の、三十六帖の、

“一にも神、二にも神、三にも神ぞ、
一にも天詞様、二にも天詞様、三にも天詞様ぞ。”

この文章の解釈をしたときにKellyさんは、“一二三”のオーラを、天とつなげって言われてる…って言うた。
ほんでから補足として、この文の、“降り”“吹き”は、発振、発信を示していると思われる。そやからそれは、自分の心(靈)からの発振、発信なんやけど、心(靈)からの発振、発信そのものが“一二三”のオーラやし、それは“三”と“二”と“一”=智性=1番目のオーラがある。今まで言うてきたように、肉体を示している表記としての“土”は、2~3番目のオーラを縦の磁性でつないだ表記でもあり、そして腹=水と、胸=空気は、2~3番目のオーラを発信する際のそれぞれ種類の違う電磁誘導でもある。
そして、言うまでも無く“一”=智性=1番目のオーラを発信する頭は、帯電するミネラル“石”(帯電するミネラル)の結晶化した部分でもある。
そやから前回の三十六帖では、“一二三”のオーラを上とつなげって言われ、今回の三十七帖では、“上”の思惑を取り込んだ“一二三”のオーラを発振、発信せよ…そう言われてると思いまんねん。

ほんでから次の文章は、今述べてきたことが“上”の思惑通りになっていないからこそ、述べられている文やな。

“今の世では雨風を臣民がワヤにしているぞ、
降っても降れず、吹いても吹かん様になりてゐるのが分らんか。
盲つんぼの世の中ぞ。”

“上”の思惑は、人(日止、霊止)に喜んでもらいたい…そのために人は試練を体験し、認識を獲得し、霊的成長を果たしながら…何回も生まれ変わりながら神格化していく。
そのための“上”の思惑を“上”から“下”に垂れているんやけど、人(日止、霊止)は自我の確立=固定化の心(靈)の動きで、自我が肥大し、自省(胸の磁性“十”)をしないから、“上”と感応共振していない人が大多数…それを憂いている文章でんねん。
 補足として“盲つんぼ”は、敢えて言うまでもないこと何やけど、“上”の思惑を受信していないって表記でんねん。
それは“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の回転、右回転の心(靈)になっているって言うてもエエな。

ほんでから次の文、

“神のゐる場所塞いで居りて お蔭ないと不足申すが、分らんと申しても余りであるぞ。”

そやからこの文も、自分の心(靈)の動きと、高い自己観察が出来ていない進化過程の低い心(靈)の中のことを言うてる。そやからそれは、自分の中の神性、智性、それを行動(事象に対する発振、発信)に活かしていない。
自分の心(靈)の動きには“上”と“下”、“善(神格化の方向性と智性の受信)”と“悪(心の動きの本能化と低振動化)”、そして現津(あきつ)、観察され得る事象を観て自分が思う(増幅=“畐”)するのは、“美”と“醜”…すべて振動の高低と“上”と“下”の概念でもある。
(今、Kellyさんが言うた“美”と“醜”は、カタチのことではない。カタチの“美”は、自己奉仕者の“美”の概念で、具体的に言えば、ファッションとかブランドとか宝石とか化粧とか美白(骨の結晶化に結び付かない価値観)とか…今まで何回も言うてきたことでんねん。それを真実=真固止の“美”とは、言わへんねん。すべて動物的な心(靈)の発振、発信の結果で、ディスプレイ(動物の発情行動)でんねん)
それをより分け、分類して認識するのは、智性(神性)であり、より分ける作業が“日月神示”では“身魂掃除”“身魂洗濯”と称され、より分けるべき智性(神性)を自分に獲得する作業は“身魂磨き”=(生体内電流による)肉体組織の結晶化による、“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)の存在との感応共振=通信を受けること=天意を受けること。
それと同義のことを“日月神示”内の表記で、一部挙げて於けば、
“てんし様”(上つ巻 第一帖)
“善言(よごと)は神”(上つ巻 第三帖)
“早く神祀りて呉れよ、神祀らねば何も出来ぬぞ”(上つ巻 第五帖)
他にも“てんし”“天子様”…前回の三十六帖の“天詞様” 天を司(嗣つぐ)って
言われてる。
そやから、列挙すると、たくさんできりが無いから、これくらいにしとくけど、要は、自分の心(靈)と“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)との感応共振で、自分の思惑を“上”の意に沿ったものとなる。それが進化(霊的成長、神格化に向かうこと)でもある。

そしてその意味で次の文、

“神ばかりでもならず、臣民ばかりではなおならず、
臣民は神の入れものと申してあろが、”

“上”の思惑を自分の思想とした心(靈)は、“上”の思惑に沿った現津(あきつ)、観察され得る事象を構築するってことでんねん。

ほんでから次の文は、太陽凝視のことを言うてる。

“あめのひつくの民と申すのは、世界治めるみたまの入れもののことぞ、
民草とは一人をまもる入れものぞ、
ひつくの臣民は神がとことん試しに試すのざから、可哀そうなれど我慢して呉れよ、
その代り御用つとめて呉れたら、末代名を残して、神からお礼申すぞ。”

“どういうつもり”で太陽凝視をするのか…それに付いては今まで言うてきたから敢えて詳しくは説明しないけど、一言で言うとけば、太陽凝視は智性(神性)の獲得の具体的な“行”であり、その“行”は、今とても多い“太陽凝視ごっこ”ではない。そして自分の智性(神性)が増した人、“一”=智性=1番目のオーラが大きい人が、今後=アセンション後の事象の“創造”の基準になるべく人って認識を先生は持ってる。
それが“ひつくの民”でんねん。
ほんでから“民草”は、民は人、草は、日=太陽と胸の磁性“十”、それが芽生えると言う意味で、“くさかんむり”が付いている。
そして、“ひつくの民”は、今の事象を憂いている。
それは試されているってことを言うてる文章でんねん。
そやけど、今後=アセンション後は、霊的進化した事象なんやから、“ひつくの民”=太陽凝視を“行”として行い、智性(神性)ゆえの認識を獲得した人が活躍する場(フィールド)になるからこそ言われてる。そして“一”=智性=1番目のオーラ(神性)の獲得由来の行動(事象に対する心(靈)の発振、発信)は、“御用”そのものでんねん。

次の文も、今説明した、今、試されてる人たちに対して“上”は観ているって言う意味でんねん。

“何事も神は帳面につけとめてゐるのざから間違ひないぞ、
この世ばかりでないぞ、生れ代り死に代り鍛へてゐるのぞ、
ひつくの臣民 落ちぶれてゐると申してあろがな、”

ほんでから次の文、

“今に上、下になるぞ、逆立ちがおん返りて、元のよき楽の姿になるのが近づいたぞ、
逆立ち苦しかろがな、
改心した者から楽にしてやるぞ、御用に使ふぞ。”

今の形骸の価値観でこの事象が構成されていて、それがすばらしいかのように大半の人が思っている…それが、アセンション後は、真の価値観を見出していくからこそ、

“今に上、下になるぞ、逆立ちがおん返りて、元のよき楽の姿になるのが近づいたぞ、”

…と言われ、ほんでから、自分の心(靈)の中の“上”と“下”、“善(神格化の方向性と智性の受信)”と“悪(心の動きの本能化と低振動化)”を見出す智性(神性)を獲得した人、それが“日月神示”内の表記の“身魂掃除”“身魂洗濯”で、そやから自我の確立=固定化から、“上”に心(靈)が向かうことそのものを、“改心”と称されて、それは、今後=アセンション後の事象の“創造”に関わる人になるからこそ、“御用”と称されている。

今回はこれくらいにしときまんねん。

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2005年10月1日~2008年1月15日まで、
“Kellyさんとの会話”で、説明して来た事・・・
その内容・・・それは・・・その何年も前から、
何か自分の考えをある程度公表しなければならない・・・
そう言う通信を受け・・・その理由は・・・地球人が低い心(靈)の発現しかしていない・・・
それを自覚していない人が多い。
その事由来の太陽凝視に対する認識、
(太陽凝視=不食・・・としか、認識させない存在の思惑を、受信している事)
霊的成長に対する認識、
神に対する認識、
心=靈に対する認識、
オーラに対する認識、
そして、
高い認識の上での進化の意味と幸福の概念と神の概念・・・
進化=霊的成長=神格化=(相対的に)高い認識を獲得する事・・・
霊的成長=神に近づく事=真の幸福の意味。
霊的成長度は1番目のオーラに顕れる。
よって、宇宙的プログラムにより次の段階に移行する人(日止、霊止)は、 何を考えるべきなのか・・・
そして、人(日止、霊止)の進化を阻む存在の思惑、
その心=靈の動き、それらの意図・・・それが一般に認知されていない事。
それらを伝えなければ成らない・・・そして一応・・・完結はしたのですが・・・
解り難い・・・理解しがたい・・・具体例を示して欲しい・・・そう言う感想も頂き、
そして自分なりにも説明が足らなかった事・・・
更に、
“Kellyさんとの会話”が完結してからも通信を受けている事・・・そう云う事もあり・・・
よって、このブログを立ち上げる事としました。
従って、
“Kellyさんとの会話”が、
自分の意見を述べる上での、ローム太霊の言葉、
“右往左往”(“いきり立つ心(奴と心)”で行動してから考える)・・・と、 するならば、 このブログはアタシ自身の、
“左往右往”(“思う、憂う”・・・体験を教訓として考え行動する)の、
作業になって行くと思います。


太陽凝視を行っている鍼灸師の話 “総括編”
太陽凝視を行っている鍼灸師の話 “改”
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自分達の欲望を満たしたい… 
自分だけ幸福になりたい…
こういった進化程度の低い心(靈)の発現由来の思いが、
低い幸福の概念になり(目下(めした)の思い)
その結果が、飢餓貧困、戦争の原因になったりしています。
(子供の浮游霊の霊的干渉の影響を受け、 それがどんどん増して行く事等が、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)
の思惑だと 思えます)

恨みの連鎖による霊的干渉を増やさない為、
その解消の為にも、(この趣旨に反する類の物もありますが) クリックをお願いします。
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