“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話

太陽凝視を一生涯の“行”とし(現在、44年目)、実践し、その上で獲得した認識を述べています。

“日月神示”富士の巻 第二帖 Kellyさん的解釈 



今回も、富士の巻 第二帖を解釈しまんねん。
原文は以下の通り、

か一の八マに立ちて、一(ひ)れ二(ふ)りて祓ひて呉れよ、
ひつくの神に仕へている臣民、代る代るこの御役つとめて呉れよ。
今は分かるまいなれど結構な御役ぞ。
この神示(ふで)腹の中に入れて置いてくれと申すに、
言ふ事きく臣民少ないが、
今に後悔するのが、よく分りてゐるから神はくどう気つけて置くのぞ、
読めば読むほど神徳あるぞ、どんな事でも分かる様にしてあるぞ、
言ふこときかねば一度は種だけにして、
根も葉も枯らして仕まうて、
この世の大掃除せねばならんから、
種のある内に気つけて居れど、
気つかねば気の毒出来るぞ。
今度の祭典(まつり)御苦労でありたぞ、
神界では神々様 大変の御喜びぞ、
雨の神、風の神殿ことに御喜びになりたぞ。
此の大掃除一応やんだと安緒する。
この時、富士(二二)鳴門がひっくり返るぞ、早やう改心して呉れよ。
八月の十一日、ローレンツ力と ○ のひつくのローレンツ力と ○


まず、大概の人は解釈できないと思う冒頭の文、

“か一の八マに立ちて、一(ひ)れ二(ふ)りて祓ひて呉れよ、
ひつくの神に仕へている臣民、代る代るこの御役つとめて呉れよ。
今は分かるまいなれど結構な御役ぞ。”

この“か一”…これは多分、カイと読ませ、ほんでからこの“か”は、ひらがな表記やから、こちら側、“創造”の“主(ヌシ)”に対し被造物としての人から視点の、“か”と“一”。
ほんでから“カイの御用”って言うのんは前のブログやこのブログで、“櫂(かい)”(舟を漕ぐ櫂)の御用、下位の御用の意味があると思われ、それは腹の水=“江戸と尾張”の“江”…自我の確立=固定化の段階、その心(靈)の発現と動きを示し、そして腹の中の縦の磁性と、腹の位相のサイクロトロン、そやからそれは、腹の中の磁性の右往左往と左往右往やからこそ、舟を漕ぐ“櫂(かい)”と思われ、そして“一”=智性=1番目のオーラより“下”やから下位と思われるって解釈してきた。
ほんでから“八マ”、この“八”は、左右の磁性、日足(ひたり)と砌(みぎり)、ヨガならイダとピンガラ。要は、左右のエネルギーラインが“マ”に“立ちて”=上昇していく様子が、“立ちて”と示されてると思えるし、いままでも“八”に対してその解釈をしてきた。
そしてそれは、後述する“富士(二二)”と同義の表記でもある。
ほんでから“マ”は、“風止麻邇言霊学(ふとまにことだまがく)”から引用すれば、まことの神の意(ココロ)。そして、裏問いすれば、禍根(まがね)。その意味があると示されてる。これらはすべて自分たちの心(靈)が観察する事象を示す意味やと思われる。
ほんでから、さらに、“風止麻邇言霊学(ふとまにことだまがく)”には、正しきと、醜げきとの意味を含むもて…って示されてて、そやからそれはすべての事象に“上”と“下”、“善(神格化の方向性と智性の受信)”と“悪(心の動きの本能化と低振動化)”、“美”と“醜”を感じ取ることが出来るのが人(日止、霊止)の智性(神性)でもあるし、それは動物より“上”の進化(霊的成長、神格化に向かうこと)を“日止、霊止”が果たしたからこそ理解できる言葉と概念でもある。
ほんでから、この“禍根(まがね)”は、自分の心の発振、発信が帰ってくる様子を示し、それは“曲霊(まがつひ)”でもあり、アミの本の引用ならブーメランの法則であり、カルマでもある。
やってきたことの結果は、“善悪”(神格化と、動物化=心の本能化)問わず、自分が観察する事象になる。
それが自分の、認識由来の発振、発信による。認識の程度って言うのんは、自己奉仕者と(アセンション後に位置して行く今より霊的進化を果たした)奉仕者では違う。それは後述するとして、その意味での次の表記、“一(ひ)れ二(ふ)りて”。
“一”は、自分の認識由来の思想でもあり、“二”は、肉体の意味を持ち、また、肉体を持った心(靈)が観察する、現津(あきつ)、観察され得る事象でもある。
そやから自分の“一”、認識(悟り、幸取=さとり)と思想は、“一”=智性=1番目のオーラの大きさになる。それを、時間の進行=儿部(じんぶ、にんにょう)で、顕現していくのが、“創造”でもある。

ほんでから次の文、

“ひつくの神に仕へている臣民、代る代るこの御役つとめて呉れよ。
今は分かるまいなれど結構な御役ぞ。”

この文の中の“御役”はさっき説明したとおり、“一”=智性=1番目のオーラの大きい人、そして“一”=智性=1番目のオーラを大きくするのは、“ひつく”=太陽凝視。
そやからそれは、太陽凝視は何のための“行”なのか、これも何回も言うてきたことなので敢えて説明しませんねん。
問題は、太陽凝視を低い価値観で、観られ、解釈され、それを一般に広め、本当のことを教えたくない=認識(悟り、幸取=さとり)させたくない存在の思惑を知るべきでんねん。

 …そやから富士の巻 第二帖の、冒頭の文の解釈は、複雑な言い回しとわかりにくい解説やったけど、要は、自分の心(靈)の発振、発信による事象の観察をするってことでんねん。
ほんでからまたまた、敢えて言うとくけど、今後=アセンション後って言うのんは、霊的進化を果たすべく場(フィールド)なんやから、自分の心(靈)の動きに、“上”を目指す心がないとアセンション後の事象には位置できん。それは、自分の心(靈)に“上”の要素が無い人=“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”は、観察できないってことでもありまんねん。

ほんでから次の文、

“この神示(ふで)腹の中に入れて置いてくれと申すに、
言ふ事きく臣民少ないが、
今に後悔するのが、よく分りてゐるから神はくどう気つけて置くのぞ、
読めば読むほど神徳あるぞ、どんな事でも分かる様にしてあるぞ、”

この文を見て、アホみたいな解釈をしてる人は、“読めば読むほど神徳あるぞ、どんな事でも分かる様にしてあるぞ、”…これについて、現世利益のご利益みたいなことしか思わへん。
大体、“読む”は、字を見るのではなく、自分の認識(悟り、幸取=さとり)にすることでんねん。アホな人は、それすら解らへん。
そやからそれは自分の心(靈)の動きである自我、“腹の中”に入れんならん。ほんでから、“神示(ふで)”は、画像を貼っておきまんねん。

“神示(ふで)”の解字 

そやからこの文は、自分の“一”、智性(神性)由来の認識(悟り、幸取=さとり)を自分の腹の心(靈)の発現である自我に入れろって言うてる。言い換えれば、自我を智性(神性)でコントロールせよってことでんねん。そやからそれは“上”から“下”(低い心(靈))への順番を敢えて言うとけば、智性(神性)、智慧(日を知る事=智性の恵み=慧)、“創造”、ほんでから“慈悲”と“慈愛”ゆえの自分に対する“厳しさ”でんねん。
それは“観自在”“直日”自省(胸の磁性“十”)の“行”で芽生えていく。それが“上”の心(靈)の発現と強化でもありまんねん
ほんでから、前にも説明したことを簡単に補足として言うとけば、自我の確立=固定化は、脊椎動物の進化(霊的成長、神格化に向かうこと)過程で、それは独り神(ひとりがみ、日取り神)になる過程で絶対に必要な要素でもある。
そやからそれは神格化の道筋ということでんねん。


ほんでから次の文、

“言ふこときかねば一度は種だけにして、
根も葉も枯らして仕まうて、
この世の大掃除せねばならんから、
種のある内に気つけて居れど、
気つかねば気の毒出来るぞ。”

これは言うまでもなく、霊的成長度に於いて、それぞれの心(靈)が、アセンションを体験し、“麦と毒麦は分けられる”という、聖書の言葉がわかりやすいから引用するけれど、“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”自我の肥大をして低い欲望のために行動する人、低い自尊心と功名心で智慧(日を知る事=智性の恵み=慧)ではない知恵を使い、力を示す人、それはアセンション後に位置できる霊的成長度では無い。アセンション後の“創造”を担える人、その資格がある霊的成長度は、“(“慈悲”と“慈愛”由来の)厳しさ“を持つ“日止、霊止”であり、それは(アセンション後に位置して行く今より霊的進化を果たした)奉仕者であるって何回も言ってきた。
そやけどそれは、アセンション後の霊的に成長した場(フィールド)になる地球に位置できる心(靈)は、“幾人も無い”(下つ巻 第三十四帖)……そやからそれは、今、大半の人は自己奉仕者で、自己奉仕者由来の価値観がこの世界の一般常識になってる。
実に情けないことでもある。
だからこそ“一度は種だけにして、”“この世の大掃除せねばならん”と示され、ほんでから自己奉仕者の心(靈)の動きをしている人に対し“種のある内に気つけて居れど、気つかねば気の毒出来るぞ。”と示されてる。ほんでから“気の毒”…これは前にも解釈したけど、かわいそうとかの意味ではなく、“気”=自分の息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)が低かったならそれは“毒出来るぞ。”ってことでんねん。
ほんでから敢えて言うとけば、“種”って表記は、“慈悲”と“慈愛”ゆえの自分に対する見方が出来る人。“力”(力、知恵、知識…学問…能力、そして霊能力を含む)の使い方を考える人。
それは自己奉仕者では無くなる。
そやからこそアセンション後の世界は、誰もが誰もの良いカタチ(真の幸福=神格化を目指すこと)を思い、考え、行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)していく。
そうなって行かなければ、アセンションの意義が無いってことでんねん。


“今度の祭典(まつり)御苦労でありたぞ、
神界では神々様 大変の御喜びぞ、
雨の神、風の神殿ことに御喜びになりたぞ。
此の大掃除一応やんだと安緒する。
この時、富士(二二)鳴門がひっくり返るぞ、早やう改心して呉れよ。”

この文の“祭典(まつり)”は“祀り”って表記ではないから、“上”の思惑を受け入れた肉体を持った心(靈)って言う意味。
ほんでから“雨の神、”“風の神殿”これは腹の水と、胸の臓器、肺を示す。
さっきも言うたけど、マニピューラチャクラ=腹の心(靈)、自我は、アナハタチャクラ=“(“慈悲”と“慈愛”由来の)厳しさ“によって支配されるべきでんねん。そういう心(靈)の進化過程の人は、自分の“力”を、決して、野放図には使わない。恨みの連鎖の種にはしないし、低い価値観で、欺くとか騙すとか嘘をつくとか奪うとかということに“力”(力、知恵、知識…学問…能力、そして霊能力を含む)を使わない。
そやから、今、活躍している人の大半は、自分の“力”を自分だけのものとして、自分の欲望を満たすために使ったり、自分の低い功名心と自尊心の満足のために使う。
そやからそれは、今までの価値観とそれ由来の創造は肉体の左右の磁性“富士(ニニ)”によって行われてきた。
そして“鳴門”の回転は、自己奉仕者の回転は“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の回転、砌(みぎり)回転で、(アセンション後に位置して行く今より霊的進化を果たした)奉仕者の回転は、“善(神格化の方向性と智性の受信)”の回転、日足(ひたり)回転になる。それが“ひっくり返るぞ、早やう改心して呉れよ。”は、言うまでも無く、自己奉仕者の価値観ではこの世界は自滅して崩壊するし、それを防ぎたかったなら、自分の心(靈)の動きの“上”と“下”を智性(神性)由来の心(靈)の動きで見出す=“身魂掃除”“身魂洗濯”をする。
何回も言うてきたことやし、“日月神示” 標記の右回転と左回転については、前にも紹介したけど、画像を貼っておきまんねん。

“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の回転と“善(神格化の方向性と智性の受信)”の回転
そやからこれも、今まで何回も言うたことなんやけど、要は、自我より“下”に向かう心の動きが、右回転で、“上”に向かうのが日足(ひたり)回転である。
そやからそれは、解りやすい一例を挙げて於けば、(通貨としての)金儲けしか頭に無い、低い心(靈)の動きの政治家や経済界のトップや、貴い概念である“主護霊”やオーラや双子の魂って言葉を低い概念にして商売する自称霊能力者や、高名な霊能力者の弟子と称し、その考えや認識(悟り、幸取=さとり)を吹聴してる人や、甘い言葉で“皆さん感謝して生きましょう”って当たり前のことを言うて、日めくりカレンダーの格言程度のことを言って信者集めをする人や、そんな本を売って印税を儲けてたり…話にならへん。
そんなものがもてはやされる世界がこの世界であり、それはさっきも言うたけどこの世界は自己奉仕者が大半で自分に甘い人が大半で、そやから低い心(靈)は、低い心(靈)の動きと、反応し、感応共振するからこそもてはやされる。
それは、ローム太霊が最後のローム霊訓講話で言うたとおり、“自分自身に合ったるものだけを、完う(まっとう)すべく、合わせているだけである。そんなものでは、眞(真固止 まこと)なる自分と言う者を、悟れないのである。”(ローム太霊との出会い ローム太霊の教え 日足(ひたり)と砌(みぎり) 参照)…ってことになる。
そやからそれは、自分の心(靈)の動きに対し、甘い(すべての行動の由来になる、愛(炁)の中に、魔が入り込んだ表記)思いを持たず、“苦に苦を重ね、苦を求め、更に苦を求めるのだ。楽を求めてはいかん。”の、ローム太霊の言葉を指標にして、“粘りとやせ我慢”で、“ひつく”=太陽凝視の“行”を頑張って(元の気を張って)行かなければ、“一”=智性=1番目のオーラは、大きくならず、“一”の大きさと質(心の在り方)によってしか、“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)との感応共振はない。
それは真の意味での“王”=“一二三”のオーラを|(たてぼう、こん、縦の磁性)でつないだカタチで、そのことを、敢えて強調しときまんねん。


今回はこれくらいにしときまんねん。

« Kellyさん、チョ~ベッピンはんのA野さんに、真実=真固止の“美”…その認識(悟り、幸取=さとり)を獲得し、本当のチョ~ベッピンはんを目指して欲しい…って、真剣に話をする。|Top|“日月神示” 富士の巻 第一帖 Kellyさん的解釈  »

コメント

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

http://tuyukusanotuyu.blog45.fc2.com/tb.php/185-52e30277

Top

HOME

tuyukusanotuyu




 Kelly & ○○○大先生

Author: Kelly & ○○○大先生
FC2ブログへようこそ!


Kellyさんと○○○大先生は、
このブログを書いている○○○の、
心(靈)の二面性であり、
同一人物で有る事を、
お断りしておきます。

出版の告知

四冊目&五冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈4〉
智性無き心は
悪を容認する


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈5〉
智性無き心は
アセンションを見誤る

 この二冊は、同時発売です。
太陽凝視を行っている鍼灸師の話 <4> 智性無き心は 悪を容認する & 太陽凝視を行っている鍼灸師の話 <5> 智性無き心は アセンションを見誤る サムネイル
(クリックで拡大)

2010年 4月20日(火)ごろより、全国書店(紀伊國屋書店・三省堂書店・旭屋書店・ジュンク堂書店・ブックファースト・リブロ・丸善など)にて順次陳列。


発売中の三冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈3〉

神格化のプロセス
目上(めうえ)と目下(めした)


神格化のプロセス 目上と目下 縮小版 ブログ用
(クリックで拡大)


発売中の二冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈2〉

ローム太霊の教え
日足(ひたり)と砌(みぎり)


サムネイル太陽凝視を行っている鍼灸師の話〈2〉ローム太霊の教え 日足(ひたり)と砌(みぎり) 
(クリックで拡大) 

お近くの書店にない場合は
たま出版のサイトでお買い求めください。

発売中の一冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈1〉

ローム太霊との出会い


太陽凝視を行っている鍼灸師の話〈1〉ローム太霊との出会い
(クリックで拡大)

お近くの書店に無いときは
たま出版のサイトでお買い求めください。

この本に付いてはこちらを御覧下さい。


       




初めての方は、
・・・その後の事と・・・これからの事。
からお読みください。

それぞれのカテゴリーをクリックすると
古い順に、記事が閲覧できます。

        

☆ Kellyさん的事象の観察と認識 (104)
Kellyさんがこのブログに霊縁あった人(日止、霊止)に伝えたい事 (22)
Kellyさんと○○○大先生との会話 (7)
Kellyさんとチョ~極上ラブラブ中高年夫婦はんとの会話 (6)
Kellyさんとチョ~ベッピンはんのA野はんとの会話 (7)
Kellyさんと∪・ω・∪ ▼・。・▼ ▼・。・▽ U・。・U U。・ェ・。U たちとの会話 (33)
Kellyさんとメタボ研修医のYっちゃん先生との会話 (2)
Kellyさんとややメタボ内科医のYっちゃん先生との会話 (7)
Kellyさんと和風のベッピンはんのSはんとの会話 (2)
Kellyさんと農業好きの社長婦人K地M美はんとの会話 (12)
KellyさんとNominyan ∥*σ_σ*∥&Senyapoo λ*゜ο゜*λ との会話 (6)
☆ Kellyさん的“日月神示”解釈 (480)
Kellyさんが、“日月神示”の解釈をして行くに当たって・・・考えた事。 (16)
“日月神示” 上つ巻 (42)
“日月神示” 下つ巻 (38)
“日月神示” 富士の巻 (26)
“日月神示” 天つ巻 (30)
“日月神示” 地つ巻 (36)
“日月神示” 日月の巻 (68)
“日月神示” 日の出の巻 (23)
“日月神示” 磐戸の巻 (21)
“日月神示” キの巻 (17)
“日月神示” 水の巻 (36)
“日月神示” 松の巻 (30)
“日月神示” 夜明けの巻 (26)
“日月神示” 雨の巻 (18)
“日月神示” 風の巻 (15)
“日月神示” 岩の巻 (11)
“日月神示” 荒の巻 (27)
☆ Kellyさん的“ローム太霊講話集”解釈 (108)
☆ 紫光会経文の文言 Kellyさん的解釈 (18)
☆ ○○○大先生的バシャールの文言解釈 (9)
☆ 先生が撮るけったいな花の写真 (22)
☆ 先生が撮る比較的まともな写真 (32)
☆先生が室内で写真を撮るときのセッティング (6)
その他 お知らせ (3)



fxwill.com


2005年10月1日~2008年1月15日まで、
“Kellyさんとの会話”で、説明して来た事・・・
その内容・・・それは・・・その何年も前から、
何か自分の考えをある程度公表しなければならない・・・
そう言う通信を受け・・・その理由は・・・地球人が低い心(靈)の発現しかしていない・・・
それを自覚していない人が多い。
その事由来の太陽凝視に対する認識、
(太陽凝視=不食・・・としか、認識させない存在の思惑を、受信している事)
霊的成長に対する認識、
神に対する認識、
心=靈に対する認識、
オーラに対する認識、
そして、
高い認識の上での進化の意味と幸福の概念と神の概念・・・
進化=霊的成長=神格化=(相対的に)高い認識を獲得する事・・・
霊的成長=神に近づく事=真の幸福の意味。
霊的成長度は1番目のオーラに顕れる。
よって、宇宙的プログラムにより次の段階に移行する人(日止、霊止)は、 何を考えるべきなのか・・・
そして、人(日止、霊止)の進化を阻む存在の思惑、
その心=靈の動き、それらの意図・・・それが一般に認知されていない事。
それらを伝えなければ成らない・・・そして一応・・・完結はしたのですが・・・
解り難い・・・理解しがたい・・・具体例を示して欲しい・・・そう言う感想も頂き、
そして自分なりにも説明が足らなかった事・・・
更に、
“Kellyさんとの会話”が完結してからも通信を受けている事・・・そう云う事もあり・・・
よって、このブログを立ち上げる事としました。
従って、
“Kellyさんとの会話”が、
自分の意見を述べる上での、ローム太霊の言葉、
“右往左往”(“いきり立つ心(奴と心)”で行動してから考える)・・・と、 するならば、 このブログはアタシ自身の、
“左往右往”(“思う、憂う”・・・体験を教訓として考え行動する)の、
作業になって行くと思います。


太陽凝視を行っている鍼灸師の話 “総括編”
太陽凝視を行っている鍼灸師の話 “改”
予約制 鍼(はり) 灸(きゅう) マッサージ治療 児玉療院
写真部の○○○大先生のページ
写真部に投稿した最新の写真
 ↓


powered by 写真部









○○○大先生の水草水槽記録
facebook 児玉登







このブログをリンクに追加する


自分達の欲望を満たしたい… 
自分だけ幸福になりたい…
こういった進化程度の低い心(靈)の発現由来の思いが、
低い幸福の概念になり(目下(めした)の思い)
その結果が、飢餓貧困、戦争の原因になったりしています。
(子供の浮游霊の霊的干渉の影響を受け、 それがどんどん増して行く事等が、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)
の思惑だと 思えます)

恨みの連鎖による霊的干渉を増やさない為、
その解消の為にも、(この趣旨に反する類の物もありますが) クリックをお願いします。
クリックした人に、お金の負担はありません。 ↓↓




飢餓救済のホームページ

JWord クリック募金

名前:
メール:
件名:
本文:

QRコード