“日月神示” 上つ巻 第六帖 Kellyさん的解釈
今回も、“日月神示”上つ巻 第六帖 の解釈をしまんねん。
原文は以下の通り。
第六帖
外国の飛行機が来るとさわいでゐるが、まだまだ花道ぞ、
九、十となりたらボツボツはっきりするぞ。
臣民は目のさきばかりより見えんから、
可哀さうなから気をつけてゐるのに何してゐるのか。
大切なことを忘れてゐるのに気がつかんか。
この知らせをよく読みて呉れよ。
十月まで待て。
それまでは、このままで居れよ。
六月十七日。ひつくのか三。
冒頭の文章の、
“外国の飛行機が来るとさわいでゐるが、まだまだ花道ぞ、”
これが書かれたのは昭和19年、
第二次世界大戦の真っ只中やから、そう言う言われ方をしただけやと思うけど、
以下の文章は、
その時代背景の事だけ言うてるのとは、
少し違うと思えるやん。
それは・・・
“九、十となりたらボツボツはっきりするぞ。”
“九”・・・○ 九 十 (まこと)の、九、
それは神の思惑の顕現でもある、
創造主の最後の仕事でもある、“卆”。
人(日止、霊止)の創造による事象・・・
この世界の創造の事を言うてると思うやん。
ほんでからに“十”・・・これは、胸の磁性“十”、
それは、
頭、脊椎、骨盤、足・・・
それぞれの骨と神経で構成される磁束。
これは縦の磁束。
それと、
手と手の指、そして肋骨、鎖骨、胸骨で構成される磁束。
これは横の磁束。
その二つの磁束が重なった表現が“十”・・・
そして横の磁束があるからこそ、
腹の段階の軍荼利明王、荼枳尼真天の“荼”のエネルギーが、
上昇する。
その時の心(靈)の発現が、
貪、瞋、痴(とん、しん、ち、)から“慈悲”と“慈愛”になり、
それによってシンクロトロン放射が可能になり、
そのシンクロトロン放射の強化が結果として、
クンダリーニの白光になる。
更に、補足として、
シンクロトロン放射の強化の為には、
頭の磁性の強化=1番目のオーラの拡大、
腕と胸の磁性の強化=2番目のオーラの拡大、
骨盤と足の磁性の強化=3番目のオーラの拡大、
そやからこそそれを、
一二三(ひふみ)と表現されてると思う。
その具体的な方法が、
“日月神示”内の表現でもある、
特別神憑り=太陽凝視って事になるんやろけど・・・
先生と前に話したとおりそれは、
“九部通りしくじる”・・・
そうやって“日月神示”の中にも書かれてはる。
(思惑と顕現“その十一”“上”の思惑の顕現・・・“天の御目” 参照)
そやから、ほんまの事を教えたくない、
“悪”の存在の思惑の受信をしてはる人の方が多い・・・
それが太陽凝視=不食・・・
結果として太陽凝視のほんまの意味と意義に付いて、
あんまり考えへんと、時間だけ過ごさせて間に合わんようにする。
ほんでからに不食を追求するあまり、そう言う心(靈)の発振、発信は、
低い霊的干渉しか起きへん。
それが引き起こす事として一例を挙げれば、
アセンションに対する認識でも、
それは、時間が来れば・・・その時期になれば、
たいして“行と修行”せんでも、
又、
心(靈)の在り方が変わらんでも、
誰でも苦しまんとアセンション出来るっていう甘い認識・・・
その後は只、
何の苦しみもない世界がやってくると思いたい・・・
自分達の創造する場(フィールド)って言うのんは、
自分達の心(靈)の発振、発信由来の事象・・・
その観察と認識、その概念がない。
甘い認識・・・
こう言う事を思う自分の心(靈)の動きって言うのんを、
自分で自己観察出来へん。
それは低い霊的干渉による自我の肥大でしかない・・・
話が逸れてしもた。
ほんでからに、
シンクロトロン放射は相対的に高い波長の発振、発信になる。
それは白い光を放つ。
そして、そう言う霊的成長を極めた人(日止、霊止)を、
天の白い王=天皇って事やと思う。
ほんでからにそう言う霊的成長をしたからこそ、
“上”の思惑と感応共振して=天意を受けて、
そして自分より霊的成長度が“下”の人を率いて行く。
それがほんまの天皇って事やと先生は思うてる。
ほんでからに、
シンクロトロン放射する為に、
それが人(日止、霊止)の神格化への道って事を証明する為に、
もう少し補足説明すれば・・・
動物から人への進化って言うのんは、
四足獣が直立するようになった。
手を使うようになった。
同時に大脳の新皮質の発達があった。
それは、
大脳の進化=1番目のオーラ、
直立して手を使うようになった=2番目のオーラの質の変化、
そやからこそ腹の段階のサイクロトロンから、
シンクロトロンに移行する構造を持つようになったとも言い得るやん。
そしてそれに伴い、
段々心(靈)の発現の段階も変化してきている。
それは、人(日止、霊止)の心(靈)の動きともいえる・・・構造とも言える、
本能、情動、功名心、自我、愛(炁)、創造、知恵、智慧、智性という振動を、
顕す様になって来た。
そやからこそ人間を見ても、
霊的成長度の違い=心(靈)の動きの分析って事が出来るようになってきた。
本能や情動や低い功名心や低い自尊心や縄張り意識や・・・
それは進化した心(靈)の顕現では無いやん。
そやから、
(霊的)進化程度の低い人ほど自己奉仕者となり、
自分の利益の為なら他者を害しても構わないって心(靈)の動きになる。
こんな事は今まで何回も先生と話して来た。
只、
学者さんの進化論にはそう言う概念は無いって事でんねん。
今後、
次の世界の創造を担える進化程度の人(日止、霊止)は、
それをよう理解しとかんとあきまへんで〜って事でんねん。
そやけど・・・強固なシンクロトロン放射=クンダリーニの白光、
次の世界に移行する人のほとんどは、そこまで行かんでもエエんやろけど・・・
それは特別な使命を持った人(日止、霊止)が、
そうならんとアカンって事でんねん。
話を“日月神示”の文章に戻しまんねん。
この場合の“九”と“十”・・・
そう表現されてるのは、
それは、
人の創造が“九”で示され、
その霊的進化の仕組みが“十”で示されてる文章やと思う。
そやからこそ、
“ボツボツはっきりするぞ。”・・・って事やし、
それは、
“まだまだ花道ぞ”・・・って言葉に掛かり、
それはまだ、見失っていない段階って事を思わせるし、
そして、段々・・・
方向性を見失って行くって事を思わせる文章でんねん。
そやからそれは・・・今現在は見失ってる。
形骸の価値感で世界は動いてる。
この世界は腐ってる・・・そう言う話を先生と沢山した。
そやから・・・そう言う事も言うてると思える。
そやからそれは、もういっぺんおんなじ様な事を言うんやけど・・・
今の世界の事象で目立ってるんは、
“十”・・・自省(胸の磁性“十”)の心(靈)の発現の、
あんまり無い人の創造する世界とも言える事で、
それは簡単に言うたなら、
自己奉仕者の低い幸福の概念で動いてる世界・・・
自分だけ幸せになる、物欲を満たすことが幸福やと思う。
この世界はたのしまな損やって思い込む。
そう言う霊的進化程度の低い人が中心に、
この世界を動かしてる。
(“玉石混交(淆)”)
そやからそれは崩壊する=失敗を体験してから自省する。
その体験の結果、
生きてても死んでからでも、自分の存在の意味や意義を考えるようになる・・・
それは、
霊的成長度の低い人が“上”に向かう為の事とは言え、
考えを変えれば、
回避出来る事やと思いまんねん。
そういう事を“日月神示”ではたくさん言われてる。
そやから、
誰も無駄な失敗をする必要は無いって事やけど、
この世界は、
恨みの連鎖の霊的干渉に満ちていて、
大多数の人は貪、瞋、痴(とん、しん、ち、)の心(靈)の発現段階で、
そやから、
醜い事象ばかり起きるやん。
・・・今後もどんどん増えるやろ。
恨みの連鎖・・・その霊的干渉の仕組みを誰も説き明かさん・・・
解き明かす必要があるからこそ先生は、
前のブログを立ち上げた・・・そう言う事もありまんねん。
今起きてる醜い事象・・・観察され得る事象・・・
それが恨みの連鎖由来の霊的干渉の現象が多いし、
その仕組みや霊的干渉を認識して理解して行く為に、
それを、
“下”である人(進化程度の低い地球人)に示す為に、
霊能力の発現が、(“上”の存在から)ある種の“術”として、
許されてると思うけど・・・
今言うたみたいに、
程度の低い自己奉仕者の心(靈)の霊能力者ばかりが、
活躍する世界でもあるやん。
そやから、
甘い言葉だけ言うて、オーラの解釈もとても低く、
狭い観察での霊的干渉を脚色して、
見てはる人の情動に訴え、そしてテレビで数字を取り、
ほんでから、主護霊の認識を低いもんにして、
それを一般に広めてる。
ほんでからに、
低い功名心由来のディスプレイ(動物の発情行動)の心(靈)の動きの、
ただ目立ちたいだけのアセンションのサイトかて、
そう言う事でしかない。
それが・・・太陽凝視してまっせ〜とか、
ちょっと汗をかいたとか下痢をした程度の事で心身浄化しまっせ〜とか・・・
これはイン○キデ○ックスの情報しか知らんからやな。
只々、認識が低いとしか言いようの無い事でんねん。
そう言う点でも、
このブログでKellyさんが思うたみたいに“日月神示”で言うてる、
身魂掃除とか、
鏡を磨くって言うのんは、
結果、心(靈)の在り方を変える事でしかないし、
それは発振、発信に繋がる事でしかないし、
それに伴う、
肉体と心(靈)の創造をして行かんならんやん。
そやから、
心(靈)の在り方が変わり、
それに伴い、
(自分の心(靈)の創造の結果でもある=顕現でもある)肉体も変わり、
それが宝の意味でもある“宝=体=體=骨が豊か”・・・
そして骨の結晶化って事になり、
より“上”の思惑を受信するようになり、
それは“上”の存在と協調して世界の創造をして行く。
その霊的資格を持つ人(日止、霊止)だけが、
アセンション後の創造に関わる事が出来る。
先生はそう思うてるし、Kellyさんもそう思う。
そやから、“日月神示”内の言葉でもある、
身魂掃除、
鏡を磨く、
身魂磨き・・・
それは、
自分の心(靈)の動きの中の、
“上”と“下”を自分で見極める事と同義やろし、
“上”の思惑である高い振動との感応共振を示す言葉でもある。
そやからそう言う人(日止、霊止)の肉体は、
宝のほんまの意味でもある、
“宝=体=體=骨が豊か”って事になる。
そして、
“善(神格化の方向性と智性の受信)”と、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”を、
しっかり認識する・・・そうなれば、
心(靈)の進化=霊的進化=心(靈)が“上”に向かう・・・
そういう事が理解出来る様になるやろし、
沢山の人がそうならんとこの世界は、
良くならへんって事でんねん。
ほんでからに今言うた事は、
進化のほんまの意味でもある神格化。
それは“天の御目”の獲得でも有るんやろけど、
その心(靈)の基準を獲得する為には、
苦難を試練として・・・
それは右往左往でもあるし、生体内電流の強化でもある。
その強化法として、
人生の体験で起きる苦難と試練を乗り越える事と、
もう一つ、“行と修行”でもある。
この二つはちょっとニュアンスが違いまんねん。
そこには、エネルギーを贖い、
自分の肉体の磁性の強化をして行くって事は、
共通やけど、
獲得する振動と、
増幅する振動=心(靈)の動きって言うのんは、
種類の違い=質の違いって事がありまんねん。
そやけどその両方をして行かんと、
人(日止、霊止)は、
“力”(力、知恵、知識・・・学問・・・能力、そして霊能力を含む)も、
ある種の“術”も、
ほんでから、
“力”を使う為の基準も=“天の御目”も、
獲得出来へん。
その“力”と、
“力”を使う為の基準の獲得は、
“力”=砌(みぎり)と、
基準である“天の御目”=日足(ひたり)でもあり、
それは、
事象の創造と、
精神性って事でもあり、
思惑と顕現でもあるやん。
そやから、良いカタチの創造を果たして行くのには、
その為には、
自分の在り方を考えて行かんならん。
(“直日(なおひ)” 自省(胸の磁性“十”) “観自在”)
それは自分の心(靈)の動きより、
相対的に、
“上”の心(靈)の振動を獲得せんならん。
その為に試練を与えられ、
成長を見込まれてるから試練を与えられ、
その中で自分の心(靈)の在り方を導いてくれはるのが、
ほんまの主護霊の存在意義でもある。
それは、
自分より霊的成長度の高い先輩って事でもあるやん。
ほんでから、
人生の中で“行”って事に目覚めてはったなら、
自分より“上”の振動を食わなアカン。
そして心身を作り変える・・・
人(日止、霊止)が“宝玉(ほうぎょく)”になる。
・・・それは先生の言葉でもある。
その為の“行”が、
一部の人に許された厳しい太陽凝視でもある。
更にそれが進めば、
骨の結晶化の具体的方法としての電気行の事を、
“上”から受信して、
そしてそれを行って更に高い振動の受発信をするようになる。
それは使命を持った人(日止、霊止)って事でんねん。
そやから太陽凝視でも、
今、太陽凝視をする人は増えてきてるようやけど、
その人の認識=霊的成長度によって、
それは、“行”の内容・・・随分程度が違う・・・
先生はその事を憂いてる。
・・・話が逸れてしもてるけど・・・
このブログを立ち上げてから何回も言うてる事やけど、
ただ太陽凝視って言うたならそれは、
みんなおんなじ事をするのでは無いって事で、
その程度って事を見極めて欲しいし・・・
太陽凝視=神格化への具体的な方法って認識を、
人に与えたくない存在の思惑って言うもんを、
良く理解して、
自分の心がそう言う存在と感応共振して欲しく無いって事でんねん。
話を戻しまんねん。
そやからそれは、
太陽凝視に限らずなんでも方向性を見失わせる。
この、上つ巻 第六帖の言葉はそういう事を言うてる感じがするやん。
そやからその事は、次の言葉に掛かる。
“臣民は目のさきばかりより見えんから、
可哀さうなから気をつけてゐるのに何してゐるのか。”
・・・でもあるし、
“大切なことを忘れてゐるのに気がつかんか。”
・・・でもあるやんか。
ほんでからに次の言葉、
“この知らせをよく読みて呉れよ。
十月まで待て。
それまでは、このままで居れよ。”
“十月まで待て。”
これは、自省(胸の磁性“十”)と月。
月=肉体の事でんねん。
心の発現と思惑の顕現としての肉体=月でんねん。
そやから肉体の“上”に“十”を書く。
(このブログは横書きやから解り難いかもしれへんけど、
大体日本語は、元々縦書きやったって事でんねん。)
そう言う点でその当時はまだ、その方向性を見失っていない・・・
物欲に支配されていない・・・
ほんでからに戦争が起きてるってこと自体が、
今までやってきた事の結果でもあるし、
それは右往左往から左往右往の段階に入る兆しとしての、
第二次世界大戦やったとも思えるやん。
それはそう言う意味の事やったって思うし、
多分それは、
その当時の日本人全体の霊的進化の為に、
第二次世界大戦を体験し、
そして戦争が終わり、
敗戦し、
一時的に左往右往に入り、
そして時間が過ぎて国力が増し、経済大国になり、
それは右往左往って事になり、
そして心(靈)の方向性を見失ったから、
今度、失敗して、
左往右往する=経済の崩壊や戦争や文明の消失・・・そう言う失敗の事象を体験する。
これは多分、
世界的にそう言う傾向があるって事でんねん。
ほんでから今がその時期やと思いまんねん。
そやからこの文章は、そう言う事を言うてると思うし、
当時、
今ほど低い心(靈)に囚われてる人(日止、霊止)はいなかった。
それが、
“まだまだ花道”
・・・って事でもあると思えるし、
それは今、
形骸の価値感に人は囚われてるからこそ、
今、全般に、自省(胸の磁性“十”)の心(靈)を、
忘れてるから、
失ってるから、
この世界は腐ってる・・・
そやから・・・
もうすぐやってくるアセンションの時期を指して、
“それまでは、このままで居れよ”
・・・そうやって言われてると思いまんねん。
今日は、これくらいにしときまんねん。
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