“日月神示” 上つ巻 第七帖 Kellyさん的解釈
原文は以下の通り。
いくら金積んで神の御用さして呉れいと申しても、
因縁のある臣民でないと御用出来んぞ。
御用する人は、
何んなに苦しくても心は勇むぞ。
この神は小さい病直しや按摩の真似させんぞ、
大き病を直すのぞ。
神が開くから、人の考へで人を引張って呉れるなよ。
六月の十七日、一二のか三。
まず、今までの“日月神示”の文章を解釈を思いながら、
冒頭の文章を読むと、
“いくら金積んで神の御用さして呉れいと申しても、
因縁のある臣民でないと御用出来んぞ。”
“神の御用”・・・それは、
形骸の天皇制や、
霊的成長の理念を失った宗教団体や、
自己奉仕者の政治家や金持ちや大企業なんかに対する・・・
皮肉っぽい文章に聞こえるな。
霊的成長の理念を失った天皇制・・・
人(日止、霊止)が“上”に向かう為に(霊的成長する為に)、
“上”の思惑を受信する。
それは、天意を受ける事の出来る人=天皇。
それは、
受信出来る=感応共振出来る(相対的に高い振動で構成された)心(靈)の発現と、
高い振動の受信に耐え得る、強固な身体磁場を持った人(日止、霊止)、
それを、
天皇(天の白い王、クンダリーニの白光)と呼ぶべきなんやろ。
そやから、
ほんまの“上”の思惑としてのメッセージとして、
それを伝える為の詔勅(みことのり)・・・
これも、形骸になった言葉やな。
そやから、権力と象徴だけの天皇制、
それを利用してる政治家と、宗教団体、
その裏には自己奉仕者の金持ちがいる。
それは経済の発展・・・低い幸福の概念・・・その為にエネルギーを贖ってきた。
その事そのものが右往左往でもあるけれど、
そう言う形骸の価値感で人を率いている事そのものが、
この世界をダメなもんにしていった・・・
そう言う話を先生とくどいくらい話したけど、
この間言うた、
高い印鑑みたいな話・・・
ちょっと前のニュースの霊感商法・・・
そう言う事は沢山ある。
それは、誰もが苦痛から逃れたい・・・
自分に甘い(亜、魔、出ずる、泉)・・・自分の在り方を考えん。
楽になりたい、楽しい事だけしていたい、
Happyになりたいって言う甘い夢・・・
最近多なったアセンションのサイトでも、
そう言う心(靈)の動きで文章が書かれてる事が多いような感じを受ける。
ただ現状の苦痛や苦悩から逃れたいからこそ、
甘い夢を見たい。
話が逸れてるけど・・・
そやからこそ、低い幸福感を手に入れたい=目下(めした)の思い。
その心(靈)の発現由来の行動を=創造をする。
経済の発達の側面にはそういう事が多い。
金があれば幸福やと思う。
金があればなんでも手に入ると思う。
金があれば自分は偉いと思いたい。
(“下”三つのチャクラの覚醒段階で“下”に向かう心(靈)=低い功名心と自尊心)
そして形骸の美で、
(ファッション、宝石、化粧品=美肌と美白の価値感、ダイエット等、)
形骸の健康の価値感で、
(薬に依存しすぎる医療、サプリメント、癒しを強調するある種の療法等)
ほんでから、形骸の宗教で・・・
幸せになれると思わせる商法が多い。
“いくら金積んで”
・・・そやからこそ、
そんな人は“神の御用”はさせて貰えへんって事でんねん。
ほんでから、
“神の御用”・・・この言葉そのものの解釈でも、
心(靈)の発現の低い人が多いからこそ、
形骸の宗教やインチキ霊感商法や低い霊能力者や甘い夢を見させる占いや、
ヨガを形骸にして商売したり、
アセンションって言葉だけで人(日止、霊止)を引き付け、
甘い事を言うて商売したり、
そんな人やからこそ=自己奉仕者やからこそ、
それは、
アセンション出来へんって事やけど、
そんな事すら考えてない=気が付いてへん・・・
只々自分の利益になるもんは、
何でも利用せんと気がすまへん・・・
それは、
目先の損得しか判らん心(靈)の発現の段階でしかない。
そやからその心(靈)の進化程度、
それは平均的地球人の霊的成長の段階=下三つのチャクラの覚醒の段階、
そしてそれが“上”に向わへんから、
貪、瞋、痴(とん、しん、ち、)の心(靈)になる。
ほんでから、死んでからも、
その程度の心(靈)の振動しか持ってへん。
(浮游霊の事)
そやからこそ何でも金で物が動き、
人に憑く浮游霊もおんなじ心(靈)の発現しかしていない。
それが自分の心(靈)の振動との感応共振でもあるやん。
そやからこそ、
人も浮游霊も、
人(日止、霊止)の生活に憧れ人を恨んでる動物霊も、
金に靡き(なびき)、
おんなじ程度の(霊的成長度の)心(靈)の発現の場(フィールド)を作る。
この星(地球)は、そうなってしもてる。
そんな事ばっかりの世界でもあるやん。
そやからこそ金では無いって事を言うてる。
そやけど今、
ほとんどの人がそう言う心の発現しかしてない・・・
情けないって事でんねん。
そう言う人の心(靈)の発現で、
その価値感で行動した結果が、
飢餓貧困災害戦争・・・そして貪、瞋、痴(とん、しん、ち、)由来の心(靈)の動きの、
浮游霊が多なった=恨みの連鎖の低振動の想念の星になってきた。
そやからそれは、
左往右往して壊さんと、
自分達の心の成長度と、
その上の心(靈)の発現って言うのんが解らへん。
ほんでからに甘い人に限ってそう言う現状を知っていても、
自分のせいやと思わへん。
そんなの関係ないって思う。
他者の痛みや苦しみは自分と無関係・・・
只々自分だけが(低い概念の)幸福であればいい。
そう言う人が多いからこそ、
壊さんならんって言うよりも、
それは必然として、
(霊的)進化の法則性として、
自滅するって事でんねん。
ほんでからに今後、壊れるし、
その時に“神の御用”をする人の事を言うてる。
それは、
“神の御用”に対し“因縁のある臣民でないと御用出来ん”・・・と表現されてる、
次の世界の創造(アセンション後)を託されてる人(日止、霊止)は、
以下の言葉のように、
“御用する人は、
何んなに苦しくても心は勇むぞ。”
それは、
形骸の価値感に振り回されてないって事でもあるし、
そして今現在、
左往右往の段階に入り、そう言う人生を送り、
そう言う人生になって行く為にその人の主護霊は、
右往左往の人生を送らせる事もある。
それは、善悪に関わらず、
仕事が上手く行ったり、
なんでも頑張れば手に入ったり、
エネルギーを贖った分だけなんでも思い通りになり、
それは、
その人をエエ気にさせる事もある。
“いきり立つ心(奴と心)”=砌(みぎり)の行でもあるやん。
ほんでからにそれだけでは、
右往左往だけでは、
沢山の認識を生きている間に獲得出来へんから、
失敗させて、
左往右往させる為に試練を与えるって事が多い。
それは、
この間先生と瀧原宮に行く途中に話したYAはんの事でもそうやし、
先生自身でもそうやし、
Kellyさんでも・・・沢山そういう事はあった。
その時の心(靈)の変化って言うのんは、
自省(胸の磁性“十”)やし、
“直日(なおひ)”やし、
“観自在”やし、
その心(靈)の発現に伴う肉体の変化が、
ゲホゲホ!!ゴホン!!ゲホゲホ!!ゴホン!!
ズル〜ズル〜ズルル〜〜〜やった。
(霊的干渉 “目上(めうえ)と目下(めした)”“その二〜四”)
それは具体的に言うたなら、
物欲に囚われないとか、
自分の心(靈)の動きを良く観察する様になるとか、
そう言う心(靈)の発現をする様になるのは当然の事で、
そして自分の存在とか、
神とか、
ほんまの幸福とか・・・
左往右往で心が折れてるからこそ、
失敗したからこそ、
悲しんでいるからこそ、
(肺=“悲しみ”、脾=“思う、憂う”の心(靈)の発現)
そういう事を思うようになる。
それは心(靈)が“上”に向かう事になり、
それはその時より前の霊的干渉より、
それは、
相対的に右往左往の霊的干渉よりも、
“上”の霊的干渉も起きるようになり、
そしてそれは、
自分の霊的成長をほんまに望んでるほんまの意味での主護霊との通信を、
し易くなって行くって事にもなる。
そやけど・・・現状、主護霊の概念もてんで低い事になってて、
そんな事まで低い霊能力者は気が付いてへん。
そやけど・・・又、低い事象の事を考えてしもてる・・・
そう言う点でも、この間Kellyさんが解釈した、
上つ巻 第二帖の言葉、
“盲が盲を手を引いて何処へ行く積りやら、
気のついた人から、
まことの神の入れものになりて呉れよ、
悪の楽しみは先に行くほど苦しくなる、
神のやり方は先に行くほどだんだんよくなるから、
初めは辛いなれど、
さきを楽しみに辛抱して呉れよ。”
・・・この言葉にも示されてる事でんねん。
そやから自分たちは、
“盲”って認識を持たんとアカンって事でんねん。
それは、先生の言葉、
“事象を観察する視野が狭い”・・・でもあるし、
前にKellyさんがぼやいた言い方としては、
どんな貴い価値のあるもんでもその人の認識の程度の事しか理解出来へん。
簡単に言えば、アホはアホの解釈しかせんって事でんねん。
ほんでからどんなに霊的成長しても、
“上”には“上”があるって事もあるし、
今言うてるのはそう言う段階でなく、
只、普通の人は、
下三つのチャクラの覚醒段階やから、
自分の心(靈)が字が由来の心(靈)の動き=低い功名心や自尊心に
囚われやすい・・・っちゅうのんか・・・
それしか持ってないって事でんねん。
そやからやってる事自体がアホで、
自分でその事に気が付かんのは・・・アホでんねん。
それをよう自覚しとかんと、
自分より“上”の思惑って言うのんは理解出来へん。
それは、
先生が色々失敗の人生を送って得られた認識でもありまんねん。
又・・・話が逸れてるけど・・・
次の文章の、
“この神は小さい病直しや按摩の真似させんぞ、
大き病を直すのぞ。”
“小さい病直しや按摩の真似”・・・目先の癒しとか、
薬漬け医療は、人を進化の方向性から逸らす。
それは、形骸の美でもそうやけど、
人は生物学的に見てもダメな方向に向かってる。
そやけどそれをたいして誰も問題にせん。
商売したいからや。
そやからそれは、美白の価値感が骨をダメにし、
薬の多様が免疫機能の低下を招き、
神経の電気的導通を遮断する鎮痛剤とかは、
骨の結晶化の反対の事をさせる。
こんな事も先生と話をした事があった。
(事象の形骸化 & 思惑と顕現 “その十一” “上”の思惑と顕現・・・“天の御目”)
こんな事は例を挙げてたらきりがない。
そしてその裏には、
只々利益だけ上げたいって心(靈)の動きがある。
ほんまに地球人が問題にせんとアカンのは、
その心(靈)の動き・・・自分の利益の追求が人の進化を阻んでる。
それは、心(靈)の低振動化でもある。
(“悪(心の動きの本能化と低振動化)”)
・・・そしてそれが引き起こしてる事象・・・
“悪”の事象の創造が、結果として恨みの連鎖にもなり、
そして今後、
保身の心(靈)の発現由来の戦争も起きるやろ。
もう起きかかってる感じやな。
そやけどそれは、
それを体験せんと、
次の段階の心(靈)の発現に結び付かへん人が、多いって事でもある。
そやからそれは、
この後の“日月神示”の言葉にも出てくる“立替え”とか“立て直し”、
ほんでからにそれは、
“グレンと変わりて来るぞ”
“グレンとひっくりかえる”
・・・とか、表現されてると思えるやん。
ほんでからに、その後・・・地球規模の失敗をした後、
それを立て直すのは、
今までと違う価値感と基準を持った人でなければならないって事でんねん。
それは、
天意を受けた人(日止、霊止)の価値感や行動で立て直すからこそ、
以下の言葉、
“神が開くから、人の考へで人を引張って呉れるなよ。”
“上”の思惑を受信して、
今までの人の、
形骸の価値感や思想で人を導くな・・・って事でんねん。
その事も戒めてる文章やと思うし、
今、ほんの少し、
この世界がおかしいと思うてる人は、
それは、
ほんの少し“上”の思惑を受信し始めてる人(日止、霊止)は、
現状を良く観察し認識し理解して、
今後の創造=自分のエネルギーの発振、発信に活かして行く為に、
この醜いと感じる事象を、
(ほとんどの人はそう思うてないやろけど)
良く知っとかなあきまへんで〜・・・って事も、
窺い知れる文章でんねん。
ほんでから、
今回何回も言った低い心(靈)の発現に付いては、
近日中にKellyさんがその具体例を、
Kellyさん的事象の観察と認識でぼやく事にしまんねん。
きっとこの事を・・・何回もぼやかんならんような気がする・・・
そう言う感じもしまんねん・・・
・・・嬉しい事や無いんやけど・・・
今日はこれくらいにしときまんねん。
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