“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話

太陽凝視を一生涯の“行”とし(現在、44年目)、実践し、その上で獲得した認識を述べています。

(パチモン)Kellyさん、○○○大先生とモノホンKellyさんが話した事柄について報告を受け、そのことについて、先生と久々に、ちょっとだけ長話する。 “その一”



「先生、こんにちはでんねん。先生と話をするのはすごい久しぶりでんな」(三月以来)
「そうだね。
まあ、連絡したときに説明したように、この間(前回の記事)モノホンKellyさんと、御嶽山、瀧原宮、伊勢神宮の内宮…その後、モノホンKellyさんが○○市に帰る途中、三ノ宮からの高速バスが好都合なようだったから、そこまでドライブしたんだが…」
「そやからそれは、先生とモノホンKellyさんはたくさんの話が出来たって事なんや」
(それも、五月に先生とモノホンKellyさんが、ばあちゃん所へ行って以来って事なんやな)
「うん。
その話の中で、(パチモン)Kellyにちょっと分かって欲しいこともあったもんで、今日は来てもらった」
「そうなんや。いろんな話をしたんやろけど、先生がわざわざ、(パチモン)Kellyさんと話したいって思うたことがあるんや」
「その通り。
まず話したいのは、こんな話をモノホンKellyさんから聴いた。
それは、かなり前のことらしいが、モノホンKellyさんのおじさんとおばさん夫婦が、旅行に行って交通事故に遭った話。
それはあるとき、おじさんとおばさんは旅行の計画を立てた。そして二人は旅行に行って事故に遭った。
そしておじさんは、その計画を立てた前後かな? その辺はよく聞かなかったのだが、事故に遭う何ヶ月も前から、自分が車の事故に遭う夢を見ていたそうだ」
「それは、“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)からの通信やな。ローム太霊講話集でローム太霊さんが述べてたことでんな」
「そう。
そして、そのおじさんが見た夢の話をおばさんにしたんだが、おばさんは、“そんなこと気にしないで、もう宿の予約を取ったから行こう”って言って、結局二人は旅行に出かけたわけだ。
それで、夢で“上”から教えられていた通り、事故に遭った。
おばさんは車外に投げ出され即死、おじさんは、運転席で足を挟まれて何時間もかけて救出される目に遭った。
それで、アタシがモノホンKellyさんからその話を聴いて感じたのは、今、(パチモン)Kellyが指摘した、ローム太霊講話集のその文章を読むと、霊的成長度の低い人は甘い解釈をしがちで…」
「そうか。先生がモノホンKellyはんに話した内容が、大体、解りましてん。
そやからそれは、ローム太霊さんが“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)から通信を受けることは、ローム太霊講話集の 第八話 死の前後 病死と事故死の場合 で説明してる。
それは、ローム太霊講話集の38ページに、

電車や汽車に轢かれたり撥ねられたりする場合は、恐らく半年前から予告されている筈であるが、本人がそれを知らないのはその背後の霊が強力ではないからであろう。

…って言うてはるやん。

そやけど普通、その文章を読んでも、ただ、そうなんや…としか思わへんやろな。
ほんでから、このローム太霊さんの説明に対して甘い解釈をしたなら、事故や災難から逃れられるって思うやろな。
そやけどそれは、てんで低い解釈でんな。
それは、ちょっと間違えた解釈をしたなら、できるだけ災難に遭わへんように“上”は教えたって解釈をするってことや。
そやけど、自分たちが事故や災難に遭うには必ず理由があって、その理由を知ることも大事。
そやから自分たちの“上”の存在は、自分たちの良いカタチを願うから教えようとしてるし、それは死んでからのことも含んでる。
おじさんが死んでからも、その事故に遭った事と、“上”から通信を受けた意味と意義を考える。
それが必要やから、おじさんの“上”は、おじさんに夢を見させたんや」
「そう」
「そやけど普通、生きてる人間は、生きてる間のことしか念頭にないから=生きてる期間、肉体を持った心(靈)としての時のことしか認識がない。
そやから、この文章を読んだ認識の低い霊的成長度の低い人は、夢を見させることは、“上”が、災難や自己から逃れさせたいからや!…って甘い解釈をする」
「そうだね」
「そやから、こんな夢を見させる“上”の意図って言うのが大事。
それは、大概の人はたくさんの因縁を背負ってて、不幸な事象に遭うことそのものが、恨みの連鎖の霊的干渉によることで、その恨みの連鎖の原因になってる=恨みを買った先祖とかに、その事象を観せんならん。
観させることが必要やからなんや。
そやから、先祖が子孫を観察する…子孫が不幸な目に遭う…それを観た先祖は、自省(胸の磁性“十”)する。
自分がしでかしたことで、子孫が不幸な目に遭うことを知るからや。恨みの連鎖の種をまいた先祖は、それを観んならんやん。
ほんでから、種をまいたから、そのために因縁による不幸な事象は起きるやん。
ほんでからおじさんは、死んでからすぐそのことに気が付かんやろけど、だんだん判って行く。理解して行かんならん。
恨みの連鎖の霊的干渉=因縁としての事故に遭遇する。
それがまた、おじさんの人生の意味と意義の一端でもあることを、おじさん自身が、おじさんの心(靈)が知って認識するって事や。
“上”が不幸な事象が起きることを夢で見させる意図は、そこにありまんな」
「そうだね。
しかし、おじさん自身も、おじさんに恨みの連鎖の霊的干渉を背負わせた先祖も、そのことにすぐ気付くことはないね」
「そうでんな…。
そやから、おじさん自身のことだけ思っても、おじさんの心(靈)がそのことに気付くのは、多分…死んでから自分の“主護霊”と感応共振できるくらいの認識になったときやな。
言い換えれば、おじさんが死んでから、ある程度、霊的成長を果たしてから、“主護霊”はんが、おじさんの目の前に現れるってことや」
「うん」
「そやから、死んで間もないときは、自分に起きた災難が恨みの連鎖の霊的干渉によるものなんて認識は無いやろ。
(そやからこそローム太霊さんは、S会=紫光会のローム霊訓講話で、死のことを、比較的最初に述べたんや)
その認識を獲得するために、あっちの世界(死んでからの場(フィールド))では、いろんなことに遭遇するやろし、それもおじさん本人の霊的成長のために、“上”が意図的に遭遇させることやろし、ほんでから、そのたびごとに“上”は、その人自身の心(靈)に、認識(悟り、幸取=さとり)を得させようとする通信を送るやろ。
それがその死んでしもた人のオーラになっていって、それは“一”=智性=1番目のオーラで、そうなれば始めて“主護霊”はんが登場して、その人が死んでしもた理由を説明する。ほんでから、恨みの連鎖の霊的干渉についても、その人とその人の先祖が背負っていたことについて説明する」
「その通りだね。
そして、もうひとつ大事なのは、“予告されている筈であるが、本人がそれを知らないのはその背後の霊が強力ではない”って指摘されてる所だが、(パチモン)Kellyにはこの言い回しの意味はすぐ理解できるよね」
「そやからそれは、“上”の通信を妨害してる“下”(人の霊的成長を望んでいない存在)の存在がたくさん憑いてたなら、受けられへんって事でんな。
それは先生の“主護霊”はんの言い回しの、“動きが取れない”って事でんな。
(ローム太霊との出会い 146ページ 参照)
たくさんの悪霊が憑いてたなら、“上”は通信を送られへん。簡単なことやおまへんか。
ほんでから不幸な事象を願ってるのが悪霊=“下”の霊的存在なんやからこそ、“上”の通信を妨害する。
目先の楽しさばかりに注目させるとか、この場合は、おばさんが“そんな夢など気にせずに”…なんて言うた。それをおじさんが受け入れる。
因縁を贖う(あがなう)って言う意味合いでは、この事故を受け入れる必然はあったやろけど、因縁を贖わんとアカンからなんやけど…」
「うん。おばさんがおじさんに夢のことを気にしないでっていったことについて、たいして罪はないよ。
ただ、おばさん自身が霊的に低い。それとおじさんも、その夢を見たからっていう理由で、自分の行動を決定できなかっただけだよ」
「そうやな。
そやからそれは、おばさんが、おじさんの見た夢に対し、たいして意味を考えへんかった。
それは、おばさん自身が“上”から通信を受けてないのか、妨害されてたのか…。そやからそれは、旅行に行くって言う目先の楽しさが心(靈)を支配してたからや。
そんなことを本人に思わせるなら、簡単に“上”の通信を妨害させることが出来る。
ほんでから通常、“上”の通信を受けられへんのは、恨みの連鎖の霊的干渉の結果が因縁で、不幸な事象で、その意味まで理解してる“主護霊”はんとかはあんまり居てへん。
それは“主護霊”はん自身が低いからや。
そやから不幸な事象を夢で見させるほどの強力な“主護霊”はんが、仮にその人と一緒でも、その本人の霊的成長度と極端な違いがあったなら、感応共振できへん。そんなふうにはなってまへんな。
そやけどそれも、一般にあんまり認識のないことでんな。それも、前に先生との話でよく出てきた、霊的干渉の変圧の概念でんな」
「そうだね。
今(パチモン)Kellyが言ったことをまとめれば、生きている人に通信を送れるような強力な“主護霊”は、中々居ないってことだし、それは、その人とその人の“主護霊”の霊的成長度はバランスしていなければならないって事でもあるし、ほとんどの人は、霊的成長度が低いからこそ、その人の“主護霊”もあまり高い存在ではない。
また、その人の霊的成長度が低かったなら、“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)との感応共振は許可されない。
その具体例として解りやすいのは、S会=紫光会の主護霊会に出席した人の中でも、“主護霊”が出なかったケースもあった。
アタシ自身、何回も交霊会に出席したが、そんなケースがあったのを覚えている。
要は、霊的成長度の低い人は、T霊媒=竹内満朋の物理霊媒の能力に遭遇する縁があっても、その人の“主護霊”もその人自身も低いから、“主護霊”が言葉を発して指導するって言う許可が出ない。
結果として“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)の指導を直接受ける霊縁が無かったってことになる」
「そうでんな。
そやから、重要なのは、このローム太霊講話集の中でローム太霊さんが言うてるのは、すべての地球人の霊的成長度に当てはまることではない。
そやから同じ意味のことを繰り返せば、“その背後の霊が強力ではない”って言うのんは、その人本人がまだ低かったなら、その人の“上”は、“主護霊”はんは本人に通信を送ってもそれが許可にならへんって事や。
ほんでから“主護霊”はんからの通信や指導が無かったなら、当然のこと何やけど、自分たちは霊的成長して行かんやん。
そやからこそ“下”(人の霊的成長を望んでいない存在)の存在は、“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)の通信を妨害する。
そして恨みの連鎖の霊的干渉による因縁って認識の無い霊は、言い換えれば不幸な事象で死んでしもた人は、恨みの連鎖の霊的干渉に加担していく霊的存在になる。
ほんま、ローム太霊さんのこの話を聴いたならそこまでのことを思わんならんし、思うべきでんな」
「そうだね。
しかし、通常、そこまでのことは思い当たらない。
だから、通常の人=霊的成長度の低い人は、ローム太霊講話集の言葉を自分の商売に引用したり、文章そのものを引用した本を書いたりとか、ローム太霊講話集をぼろぼろになるまで読んで成功者になったって思ってる人もいるようだけど…」
「それは形骸の価値観での成功者でんな。
成功って概念は、物欲と(通貨としての)金と形骸の名誉に起因する発想でんな。そやからそれは、自己奉仕者の発想でしか無いやん。
そやからそれは、ローム太霊さんが人に望んでることでもありまへんな。
ローム太霊さんは、真実=真固止を認識できる人を望んでるんやし、人の霊的成長を望んでるから神への“道”を説いてる。
そやから、形骸の価値観での成功者は、ローム太霊さんが望んでる人では無いやん。
ほんでから大体、あの本は、何回も読まんならんから、ぼろぼろになるのは当然で、先生かて何冊も買いなおしたんでっしゃろ。
ほんでから何十人もの人に読んでもろたんやろし…そんな話を前にしましたやんか」
「そうだったね」
「そやから今の話、ほんまの成功者って言うのんは、霊的成長を果たし、どれくらい神に近づき、神さんに認められる人になったのか…その視点で論じられるべきことでんな」
「その通り、あえて(パチモン)Kellyに言うまでもないことだったね」
「まあエエですわ。何回も確認せんならん重要な事柄やと思いまんがな。
 そやから話を戻して、今話をしてるローム太霊講話集の死の前後を説明してはる中で、第九話には、“憎悪の霊団”って表現も出てくる。
そやけどそれは、いうまでも無く霊的成長の方向性ではないやん。
恨みの連鎖の霊的干渉を引き起こす原因としての霊団でしか無いやん。
そやからローム太霊さんが人に望むこととして、第九話 死の前後 殺人の場合 の文の最後で、次のことを言うたと思いまんねん。

それゆえ、ここで悟らなければならないことは、汝等は常に心の鍛錬をしているが、人間は確固とした信念を持っていて、それが如何に悪口雑言されようとも、少しも傷つけられないという立派な精神になることである。誰に何と言われようと、大木の如くまたは柳の如く、それを正面(まとも)受けることも軽く逸らすことも出来る人間になるのが修行であって、どんなに恨まれ手も決して恨まない心(靈)を造ることが大切である。
         …中略…
汝等は今話したひとつの覚悟(さとり)を常に心に思い浮かべ、主護神、主護霊の導きの下に大きな御光(みひかり)の中の霊団、憎悪でなく燃える太陽のような愛の霊団の一員となり、死に際しては凡てのことを後輩に委ね、自分は幽界から霊界へと神の道一筋に進むように心掛けていればよいのである。


この文の“確固とした信念を持っていて、それが如何に悪口雑言されようとも、少しも傷つけられないという立派な精神になること”…この言い回しは、自分の外側(外国と幽界)の事象の形骸の価値や概念に振り回されてるようではアカンっていうことも感じさせられるし、大体、悪霊がささやくこと、“下”(人の霊的成長を望んでいない存在)の存在の思惑は、目先の欲望で人を堕落させて、その人自身に不幸な死に方をさせて恨みの連鎖の霊的干渉を引き起こす霊団の一員にする。
ローム太霊さんはそのことに対する注意を喚起したから、それが“心の鍛錬”でんな。
そやからこの文は、自分の“道”は、神格化で、それを忘れてはアカンっていうことも感じさせる。
それがまた“ひとつの覚悟(さとり)を常に心に思い浮かべ、主護神、主護霊の導きの下に大きな御光(みひかり)の中の霊団、憎悪でなく燃える太陽のような愛の霊団の一員となり”って言い回しに感じられる。
それは心が“上”に向かっていくことでもあるやん。神格化の道程でもあるやん。
そやからローム太霊講話集の第八~九話は、恨みの連鎖の霊的干渉の結果として事故に遭ったとしても、殺されたとしても、自分たちは“憎悪の霊団”の一員になってはアカン。
不幸な事象には、それなりの理由があり、ほんでからそれは、恨みの連鎖の結果として正当な報酬でもあるやん。
ほんでから生きてる人間は、先祖から受け継いでる恨みの連鎖の結果=因縁を贖わんとアカン。
先祖と子孫、子孫が因縁を贖うことそのものが、恨みの連鎖の種をまいた先祖の霊が、自省(胸の磁性“十”)することになる。
当然、先祖の霊は、子孫が事故に遭うところを観せられるやん。
それが、何回も先生との話しに出てきてた、閻魔の庁の浄玻璃の鏡(えんまのちょうのじょうはりのかがみ)でんな。
そやけど地獄の閻魔の庁の浄玻璃の鏡(えんまのちょうのじょうはりのかがみ)かて、自分の心(靈)の中の事象でんな。
それはそれを観てる本人の心(靈)がそう感じ(感じる磁性)るってことで、それを観て自省(胸の磁性“十”)せんと、先祖もその人も“慈悲”と“慈愛”の心(靈)の発現に至らへんやん。
それがまた、この文の中の自我で認識する場(フィールド)、外側(外国と幽界)の事象から、自己観察、“観自在”“直日”自省(胸の磁性“十”)の“行”をするための、霊界、霊界っていう表現そのものがそれは、自分の内面とか内側(心の中と感じている事)の観察でんな。
それをして行かんならんと、現時点の地球人の霊的成長度から“上”に行かん。
それをローム太霊さんは、今まで生きてきた世界に執着を持たず=執着を持った浮遊霊にならず、あるいは、因縁霊にならず、自分の心(靈)は“上”に向かわんならんからこそ、それが霊的成長であるからこそ、“死に際しては凡てのことを後輩に委ね、自分は幽界から霊界へと神の道一筋に進むように心掛けていればよい”って言うたんやな」
「そうだね。
この文は、自分が感じている認識(悟り、幸取=さとり)のことを言っているね。それは今(パチモン)Kellyが言ったように、

幽界から霊界、
腹から胸、
マニピューラチャクラからアナハタチャクラの覚醒、
自我の確立=固定化から“慈悲”と“慈愛”、

その段階の霊的成長のことを言っているし、その時点々々での認識の違いまでも、感じさせる言い回しだね。
だから自分が感じ(感じる磁性)る事象は、生きていようが死んでいようが、良いことと感じることだろうが、悪いことと感じることだろうが、そこには“上”の意図って言うのはある。
そして、自分が相対してる事象を観察し、感じ(感じる磁性)てから、自分は何を思うのか?どう在るべきなのか?
それが大事だね。
それと、ちょっと繰り返すけど、そのことを考えるのは、生きている間だけではなく、死んでからも永遠に考え続けることを知らなければならないね」
「そやからそれは、先生の人生においての認識(悟り、幸取=さとり)でんな。“すべての事象は自分の在り方を示す”ってことでんな。
そやから事象って言うのんは、嬉しいことや悲しいことや、幸福感を感じることや、不幸って思うこともあるけど、そのときの自分の心は“上”に向かっているのか“下”に向かっているのか?
それを自分で見極めて、自分の今後の在り方を考えるのが智性(神性)で、“一”=智性=1番目のオーラが小さいとそれを考えられへん。
そやからローム太霊講話集 第八~九話の、ローム太霊さんのこの言葉は、そこまでのことまで思い起こさせるやん」
「そうだね。
…まあ、今、(パチモン)Kellyが話したようなことを、モノホンKellyさんに話したつもりなんだが、なにぶん、ドライブ中に発想したことだし、当然、文章にしてないから、モノホンKellyさんにうまく伝わったのかどうか…そのこともあったから、今回(パチモン)Kellyと話すことにしたんだ。
楽屋落ち的言い方だが…」
「まあ、楽屋落ち的言い方はよろしいやおまへんか。
大体、○○○大先生と(パチモン)Kellyさんとの会話は、○○○の心(靈)の中の二面性なんやから。
そのことは、モノホンKellyさんは承知してるし、先生の本の読者や、前のブログから霊縁のある人も承知してることやと思いまんがな。
 ほんでからに、今話してたこと以外のことも、モノホンKellyさんと話したんでっしゃろ」
「うん。それも話したいが、ちょっと一服して、茶を飲んでから話そう」
「それはあんまり話が長くなると、モノホンKellyさんが文章の長さに辟易(へきえき)するからやな。
承知しましてんな。
ほな、(パチモン)Kellyさんが茶をいれさせてもらいまんねん」


Joし _且~~ ソチャハ イカガ?

【〈 ̄ =3 =3  旦フーフー・・・ 【< ̄>日< ̄>】 グビグビ・・・ 

シブーイ!!【<≧~≦>】o旦~~~


J ̄ =3 =3  旦フーフー・・・  J ̄日 ̄し グビグビ・・・ 

シブーイ!! J≧~≦しo旦~~~

☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀

 …茶を飲んでから二人が話したことは、次回のアップロードで。

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 Kelly & ○○○大先生

Author: Kelly & ○○○大先生
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Kellyさんと○○○大先生は、
このブログを書いている○○○の、
心(靈)の二面性であり、
同一人物で有る事を、
お断りしておきます。

出版の告知

四冊目&五冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈4〉
智性無き心は
悪を容認する


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈5〉
智性無き心は
アセンションを見誤る

 この二冊は、同時発売です。
太陽凝視を行っている鍼灸師の話 <4> 智性無き心は 悪を容認する & 太陽凝視を行っている鍼灸師の話 <5> 智性無き心は アセンションを見誤る サムネイル
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2010年 4月20日(火)ごろより、全国書店(紀伊國屋書店・三省堂書店・旭屋書店・ジュンク堂書店・ブックファースト・リブロ・丸善など)にて順次陳列。


発売中の三冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈3〉

神格化のプロセス
目上(めうえ)と目下(めした)


神格化のプロセス 目上と目下 縮小版 ブログ用
(クリックで拡大)


発売中の二冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈2〉

ローム太霊の教え
日足(ひたり)と砌(みぎり)


サムネイル太陽凝視を行っている鍼灸師の話〈2〉ローム太霊の教え 日足(ひたり)と砌(みぎり) 
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お近くの書店にない場合は
たま出版のサイトでお買い求めください。

発売中の一冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈1〉

ローム太霊との出会い


太陽凝視を行っている鍼灸師の話〈1〉ローム太霊との出会い
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お近くの書店に無いときは
たま出版のサイトでお買い求めください。

この本に付いてはこちらを御覧下さい。


       




初めての方は、
・・・その後の事と・・・これからの事。
からお読みください。

それぞれのカテゴリーをクリックすると
古い順に、記事が閲覧できます。

        

☆ Kellyさん的事象の観察と認識 (104)
Kellyさんがこのブログに霊縁あった人(日止、霊止)に伝えたい事 (22)
Kellyさんと○○○大先生との会話 (7)
Kellyさんとチョ~極上ラブラブ中高年夫婦はんとの会話 (6)
Kellyさんとチョ~ベッピンはんのA野はんとの会話 (7)
Kellyさんと∪・ω・∪ ▼・。・▼ ▼・。・▽ U・。・U U。・ェ・。U たちとの会話 (33)
Kellyさんとメタボ研修医のYっちゃん先生との会話 (2)
Kellyさんとややメタボ内科医のYっちゃん先生との会話 (7)
Kellyさんと和風のベッピンはんのSはんとの会話 (2)
Kellyさんと農業好きの社長婦人K地M美はんとの会話 (12)
KellyさんとNominyan ∥*σ_σ*∥&Senyapoo λ*゜ο゜*λ との会話 (6)
☆ Kellyさん的“日月神示”解釈 (464)
Kellyさんが、“日月神示”の解釈をして行くに当たって・・・考えた事。 (15)
“日月神示” 上つ巻 (42)
“日月神示” 下つ巻 (38)
“日月神示” 富士の巻 (26)
“日月神示” 天つ巻 (30)
“日月神示” 地つ巻 (36)
“日月神示” 日月の巻 (68)
“日月神示” 日の出の巻 (23)
“日月神示” 磐戸の巻 (21)
“日月神示” キの巻 (17)
“日月神示” 水の巻 (36)
“日月神示” 松の巻 (30)
“日月神示” 夜明けの巻 (26)
“日月神示” 雨の巻 (18)
“日月神示” 風の巻 (15)
“日月神示” 岩の巻 (11)
“日月神示” 荒の巻 (12)
☆ Kellyさん的“ローム太霊講話集”解釈 (107)
☆ 紫光会経文の文言 Kellyさん的解釈 (18)
☆ ○○○大先生的バシャールの文言解釈 (9)
☆ 先生が撮るけったいな花の写真 (22)
☆ 先生が撮る比較的まともな写真 (32)
☆先生が室内で写真を撮るときのセッティング (6)
その他 お知らせ (3)



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2005年10月1日~2008年1月15日まで、
“Kellyさんとの会話”で、説明して来た事・・・
その内容・・・それは・・・その何年も前から、
何か自分の考えをある程度公表しなければならない・・・
そう言う通信を受け・・・その理由は・・・地球人が低い心(靈)の発現しかしていない・・・
それを自覚していない人が多い。
その事由来の太陽凝視に対する認識、
(太陽凝視=不食・・・としか、認識させない存在の思惑を、受信している事)
霊的成長に対する認識、
神に対する認識、
心=靈に対する認識、
オーラに対する認識、
そして、
高い認識の上での進化の意味と幸福の概念と神の概念・・・
進化=霊的成長=神格化=(相対的に)高い認識を獲得する事・・・
霊的成長=神に近づく事=真の幸福の意味。
霊的成長度は1番目のオーラに顕れる。
よって、宇宙的プログラムにより次の段階に移行する人(日止、霊止)は、 何を考えるべきなのか・・・
そして、人(日止、霊止)の進化を阻む存在の思惑、
その心=靈の動き、それらの意図・・・それが一般に認知されていない事。
それらを伝えなければ成らない・・・そして一応・・・完結はしたのですが・・・
解り難い・・・理解しがたい・・・具体例を示して欲しい・・・そう言う感想も頂き、
そして自分なりにも説明が足らなかった事・・・
更に、
“Kellyさんとの会話”が完結してからも通信を受けている事・・・そう云う事もあり・・・
よって、このブログを立ち上げる事としました。
従って、
“Kellyさんとの会話”が、
自分の意見を述べる上での、ローム太霊の言葉、
“右往左往”(“いきり立つ心(奴と心)”で行動してから考える)・・・と、 するならば、 このブログはアタシ自身の、
“左往右往”(“思う、憂う”・・・体験を教訓として考え行動する)の、
作業になって行くと思います。


太陽凝視を行っている鍼灸師の話 “総括編”
太陽凝視を行っている鍼灸師の話 “改”
予約制 鍼(はり) 灸(きゅう) マッサージ治療 児玉療院
写真部の○○○大先生のページ
写真部に投稿した最新の写真
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○○○大先生の水草水槽記録
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自分達の欲望を満たしたい… 
自分だけ幸福になりたい…
こういった進化程度の低い心(靈)の発現由来の思いが、
低い幸福の概念になり(目下(めした)の思い)
その結果が、飢餓貧困、戦争の原因になったりしています。
(子供の浮游霊の霊的干渉の影響を受け、 それがどんどん増して行く事等が、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)
の思惑だと 思えます)

恨みの連鎖による霊的干渉を増やさない為、
その解消の為にも、(この趣旨に反する類の物もありますが) クリックをお願いします。
クリックした人に、お金の負担はありません。 ↓↓




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