“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話

太陽凝視を一生涯の“行”とし(現在、44年目)、実践し、その上で獲得した認識を述べています。

Kellyさん、農業好きの社長婦人、K地M美さんと、“術”(“力”の顕現)と霊的成長度について、場当たり的な話をする。




 この間、先生から連絡があって“また、Kellyと話をしたいって人が現れたんだけど…良かったらその人と待ち合わせて話をしてくれないかな”ってことやったから、その人と連絡を取り合って話をしましてんな。
その人は、毎週先生が治療する人で、K地M美はんって方でんねん。先生とほぼ同年代の人でんねん。
ほんでからK地はんは、建設会社の社長婦人なんやけど、趣味で農業をしていらっしゃって、先生はたくさんの野菜をK地はんからいただいてる。ビンボーな先生にとっては、大助かりでんねん。
ほんでからにK地はんは、先生のブログの読者で、先生は前のブログを印刷したものをその人に渡してはって、それを全部読んだ人でもあり、このブログも“改”も時々見てはるようでんねん。ほんでからにこのブログにも、コメントしてくれはったこともありまんねん。
そやからそんなふうで、K地はんとしては、ブログを読んで先生の思想に触れ、さらに先生の考えを直接聴いてたりする…そやからそれは、毎週先生と治療中に話し、先生の屁理屈を治療のたびごとに聞かされてるってことなんやろけど、そやけど多分、治療中に先生が話す先生の屁理屈は、ただ話をするだけやから、話が長くなって途中で飛躍していろんなことを説明してるうちに逸脱してしもたり、結果として説明が足らんかったり、さらに難しい言葉が多すぎたり…先生のながぁぁぁ~~い話のアカンところが多々あったりもして、そやからK地はんは、いろんな疑問を持ってはるのかもしれへんから、Kellyさんと話したいって思うたんかもしれへんな。
…前置きが長くなってしもてるけど、そのときに話したことを、今回は、紹介しまんねん。

 

 


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「初めましてKellyさん。K地M美です」
「こちらこそ初めましてでんねん。いつもビンボーな先生がたくさんお野菜をもらってお世話になってまんねん。あの人は結構大喰らいやから、K地はんのような奇特な人が居てはらへんかったなら、先生は飢え死にしまんねん」
「ホホホ~~、そうかもしれませんけど、ちょっと大げさですね。
それで、今回、Kellyさんと話したいって思ったのは、娘のことなんですけど…」
「何ぞお母さんが困ってらっしゃる問題でもあるんでっか?」
「いいえ、そんなたいしたことではなくって、問題にするほどのことではないと思うんですけど……」
「お話をうかがう前に、K地はんには、お子さんは何人居てらっしゃるんでっか?」
「三人です。娘が二人と息子一人です。
それでうちの娘なんですが、この二人は全然タイプが違うんですよ」
「それは、性格とかってことなんやろか」
「それもありますけど、興味の対象っていうのか…やることが全然違うんですね。
特に下の娘、まだ二十代前半なんですけど、ちょっと変わった子で…」
「そうでっか。それはどんな感じ(感じる磁性)なんでっか?」
「興味を持つ何かとか、やることがちょっと奇抜(きばつ)って感じで、ちょっと前まではストリートダンスに夢中で、毎晩遅くまで練習したり、他にも、友達と外食して初めて食べたものを真似して自分で作ってみたり…たとえば、何日もうちの食卓にタコライスが並んでちょっと困ったことがあったりもしたんですよ」
「タコライスってなんでんねん」
「タコライスは、Wikipediaから引用すれば、タコスの具である挽肉・チーズ・レタス・トマトを米飯の上に載せた沖縄料理で、辛みをつけたサルサ(スペイン語で「ソース」の意)を乗せて食べる。それがタコライス (Taco-Rice)なんですよ」
「蛸(たこ)が入ってる炊き込みご飯かと思いましたがな」
「それは、たこ飯ですね」
「そうでっか。勉強になりましてんな。
今の話、下の娘はんは、お料理好きなんでっか?」
「そうですね…作ることに興味を持ち始めたのは最近だと思うんですけど、最初は、うどんを作ったりすることから始まり、そのうち、出来合いの麺つゆでは満足できないようになったりもして、自分で鰹節や昆布や椎茸からだしをとった麺つゆを作ったり…下の娘が作ったうどんに椎茸が浮かんでいて、ちょっとびっくりもしたんですけどね」
「それは創意工夫があってなかなかよろしいんやおまへんか。ほんでから中々ほほえましい話やおまへんか。
そうやって自分で興味を持ったことを実現する。自分が興味を持った何かを実現しようとした。それも、娘はんの心(靈)の成長の過程でんな。
そやから、ストリートダンスでもタコライスでも麺つゆでも、それ自体に興味を持ち、実現しようと求めたから、言い換えればよいカタチの“創造”をしようと思ったからこそ、行動に移したってことでんな。
そやからそれは、先生の言い方なら“思惑の顕現”=現象化でんな。
ほんでからそのために努力する=エネルギーを贖う(あがなう)のが、“行”みたいなもんやし、その結果が“術”(“力”の顕現)ってことになる。
その“行”と、“術”(“力”の顕現)…“力”の顕現が、霊的成長の過程でもありまんねん。
このことを、分かりやすい言い方をしたならば、何かをやってみたいと思う。興味を持ったことを実現したいと思い、そのために頑張る(元の気を張る)。
そしてそれは、その心(靈)の動きは、すべての行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)の動機で、それがまた、愛(炁)で、“亜”が出ずる、泉、で、“一”でんな。
それが、前のブログで先生とよく話をした、すべての行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)の動機は、愛(炁)ってことでんねん」
「それは、“創造”の“主(ヌシ)”を示す“一”って言う字に現れているって前のブログに書かれてましたね」
「そうでんねん。 
補足としてちょっと説明させてもろたならば、“創造”の“主(ヌシ)”を表す“一”って言うのんは、こちら側=人から見たなら、向かって左=日足(ひたり)から、右=砌(みぎり)に筆を動かして書きまっしゃろ。そやからこそ、向かって左=日足(ひたり)は、“創造”の“主(ヌシ)”の思惑である(究極微粒子と認識されうる)“亜”が、右=砌(みぎり)に移行して、それを“亜”が出ずる、泉、って先生は認識してて、そやから“創造”の“主(ヌシ)”の“創造”は、愛、アイって称されてる。
そやから、日足(ひたり)は思惑とも言えるし、砌(みぎり)は(心が観察し得る事象に対しての)顕現で、そやからそれは“思惑の顕現”=現象化でもありまんねん。
ほんでからに先生の一冊目の本(ローム太霊との出会い 199ページ)に、こう書いてありまっしゃろ。

“三次元、物質世界の成り立ちは、思いのエネルギーは左回転、伊耶那岐之命に象徴され、現象化のエネルギーは右回転、伊耶那美之命に象徴される。思いの現象化でできた世界、次元と、いえると思う。…ということは、アタシたちの肉体と心が、位置している世界のことだよ。言うまでもないことだけどね。”

そやからそれは、人の観察する事象、簡単な言い方をすれば、自分がいてる世界と自分が感じている現実って言うのんは、何かを思い、行動して時間の進行とともに事象を観察し、そこには心(靈)の極性、それは神さんの極性でもあるんやけど、思惑と顕現、日足と砌(ひたりとみぎり)でんな。
その二つがあり、ほんでからにそこに自分の何かを求める気持ち…それは愛(炁)の一部分でもあり、その心(靈)の霊的成長度の置ける愛(炁)の顕現でもあるからこそ、“力”を求め、実現するって言うことでもありまんねん。
そやから“思惑の顕現”=現象化って言うのんは、人は“力”(力、知恵、知識…学問…能力、そして霊能力を含む)を求め、そのために個々の心(靈)は、エネルギーを贖い(あがない)ながら、(霊的に)成長していく。
今のK地はんの話、下の娘さんが、ストリートダンスに夢中な期間って言うのんは、やはり肉体の発達のためで、これも肉体の意味を持つ“土”って表記は、人が完成された表記の“王”から“一”=智性=1番目のオーラをはずした表記って何回も前のブログやこのブログで言うて来たんやけど、子供から大人になっていく過程は、最初から“一”=智性=1番目のオーラの拡大にはなっていかへん。
そやから、土=2~3番目のオーラの拡大の期間、それはストリートダンスに興味を持ち、ぶっ倒れるくらい頑張る(元の気を張る)。
その時に、肉体の強化のために動物霊の憑依もあり、感応共振=霊的干渉もあり、そやからそれは、ダンスで体を使い、下三つのチャクラの強化がある。
それは、腹から下でんな。
その部分の成長のための“行”が、下の娘はんの場合はストリートダンスってことになったと思いまんねん。
ほんでから多分、その期間は、肉を食べたりもする。それは動物の心(靈)は、土=2~3番目のオーラしか持っていないに等しいからでもある。そやけど土=2~3番目のオーラの発達のために、肉を食べたり、体を使うことに夢中になる期間があるってことで、誤解を招くとアカンからあえて細かく言うとけば、ダンスに夢中な期間は智性(神性)を獲得するための準備の期間みたいなもんでんねん。
補足として、前に紹介した画像を貼っておきまんねん。

 

“一二三”のオーラと心(靈)の発現 


水平磁場 身体内の七つのチャクラ 構成器官 

 

 


このオーラの大きさの構成が平均的地球人の霊的成長度でんねん。
そやから下三つのチャクラの強化のために“気血栄衛(營)”(取り込んだ振動で心(靈)と体が創り変わる)するのは、食事としては動物の肉なんかは必要やったりもする」
「それはなんとなく分かります。
大体、下の娘は食べ物にあまり好き嫌いは無いようなんですけど、最近になって豆腐の味に目覚めたのか、“豆腐って美味しいね”なんて言うようになりましたし、この頃は、好んで肉を食べないようになってきたように思うんですよ」
「そやからそれも、体を使う期間からある程度、卒業し、そやからこそ興味の対象も変わってきたと思うし、心(靈)の動きも肉体を発達させる期間とは違ってきて、知識としての知恵を獲得し始めてるんやと思いまんねん。
あえて言うとけば、心(靈)の構造って言うのんは、本能、情動、功名心、自我、愛(炁)、創造、知恵、智慧、智性という振動で、生物の進化(霊的成長、神格化に向かうこと)を観ても、最初は本能って心(靈)の発現から始まり、人(日止、霊止)になってはじめて智性(神性)を持ち始め、そやから人(日止、霊止)は“一”=智性=1番目のオーラを発現しだした。
そやから娘はんは、成長の段階として=心(靈)の発現の段階として、まず肉体を使い、それから、だんだん知識としての知恵を獲得する。知識はそれは言うまでも無く、脳の機能でっしゃろ。
ほんでからそれは、動物と人間の違いでもありまんねんな。
ほんでからに、自分が獲得した知恵を、自分がどう扱い、どう行使するのか=行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)に活かしていくのかは、智性(神性)やおまへんか。
そやから地球上で一番進化している人(日止、霊止)って言う生物は、智性(神性)を持ち始めたことで、神さんの認識も持ち、そして自分たちの幸福を願うこともするようになった。それも動物と人間の違いでんな」
「目上(めうえ)と目下(めした)のちがいでもありますね」
「そうでんねん。
ほんでからに自分が獲得した知恵、知識としての知恵を良いカタチの“創造”に活かしていく。その過程が(霊的)成長の一端でもありまんねん」
「言われてみればそうですね。今Kellyさんがおっしゃったことは、良い世界の“創造”に結びつく過程なんですよね。
だから、人が霊的成長して智性(神性)を行使した行動をすれば、当然、この世界は良くなっていく。当たり前ですよね。
ですけど、相対的にまだ動物に近い心(靈)の動きの人が多い。
だからこの星は、“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”が活躍し、その活躍が連鎖の霊的干渉の結果としての“痛みと悲しみの星”…地球をそんな星にしてしまった。
だから今後、霊的成長度に於いて分けることが必要で、それがアセンション…先生のこの世界の観方と考えは、今私が言った先生のアセンションの概念に結びついている。
話がそれましたけど…ですから人は、子供から大人になる過程で最初は肉体の発達が大事、そして知識としての知恵を得る。そして知恵を使い、良い使い方をするからこそ知恵は智慧(日を知る事=智性の恵み=慧)になっていく。そうやって智性(神性)を発揮していくんですね。
ですから…うちの娘の場合、まだとても若い。
だから肉体の発達期間も重要、そして知恵も獲得し始め…そしてそのうち、その知恵を智慧に変えていく。そうやってだんだん大人になっていき、やることも考えることも変わってくる」
「そうでんねん。
そやから今の話、K地はんが娘はんを観て思ったように、霊的成長の段階でだんだんやることも変わるし、興味の対象も違ってくるし、ほんでから、豆腐の味が分かるようになるみたいに、だんだん感覚も変わってくる。自分が食べたいと思う何かも変化してくる。それは誰にでもありまんねん。
そやから分かりやすい例を挙げれば、今、屁理屈ばかり垂れて、頭をすごく使ってはるあの先生かて、若いときは、登山とサイクリングに夢中、ちょっと出かけてくるわ!って言うと、知多半島を自転車で一周してきたりしたそうでんねん。
ほんでからこれも下のチャクラの強化としてやろけど、飲み屋の若いネーチャンのケツを追っかけまわしてたときもある。前のブログに書いてありましたやおまへんか。
そのときはたくさん酒も飲んでて、肉もたくさん食べてたそうで、ほんでから酒は、マニピューラチャクラを構成する臓器の刺激になる。
それと、先生のスケベ心の行使で、飲み屋のネーチャンを追っかけてたときは、ムラダーラチャクラの刺激になる。
K地はんは知ってはると思うけど、今の先生は、アルコールとは無縁やし、肉売り場の前を通ると動物の恨みの念を感じ(感じる磁性)てしまう。そやから肉を食べへんねん」
「今Kellyさんがおっしゃった、霊的成長度の違いで感覚も違ってくるってことですね」
「そうでんな。
ほんでから先生は、若いときでもその時々、いろいろ考えながら、また太陽凝視もしながらすごしてきた。
そやから今の先生のスケベ心は、智性(神性)に支配されてる。
そやからそれは、通常、智性(神性)をあまり持っていないスケベオヤジやスケベジジイは、性を貴いと思わないし、やることは本能主体でケダモノみたいになる。言うたならスケベ丸出しでんな。
そやからアホみたいな言い方すれば、本能と自我の肥大をしてるスケベオヤジとスケベジジイは、智性(神性)を行使したスケベ心(靈)の行使をしてないから霊的成長してへんと言えまんねん」
「ホホホ~~、分かりやすいですね。
ですから今のKellyさんの話、それも、先生の若いときの、土=2~3番目のオーラの“行”なんですね。その過程が無ければ今の先生は無かったとも言い得ることですね」
「そうでんねん。そやからそれは、土=2~3番目のオーラが大きくなければ、肉体の構造として、“一”=智性=1番目のオーラは、大きく成りえないってことでもありまんねん」
「それは、この間うち先生とKellyさんが話していた、すべての生命に存在する縦の磁性と、三つのコンデンサーの構造に由来することなんですね」
「そうですねん。
“下”から“上”へのコンデンサー、コンデンサーが直列に縦に並べば、だんだん高い振動しか“上”に行かん構造になってまんねん。
このことはちょっと電気に詳しければ理解できることでんねん。
そやから“一”=智性=1番目のオーラを大きくするには土=2~3番目のオーラが立派でなければならない。
そやから若いときは、肉体の発達が中心でもあるし、“一”=智性=1番目のオーラ由来の行動や考えって言うのんは、比較的少ないとも言える。
そやから通常の地球人の進化過程においては、土=2~3番目のオーラの発達の期間って言うのんは、いつまでも続けへん。
例えばスポーツ選手なんか解りやすいけど、体を激しく使い、土=2~3番目のオーラの“行”を一生続けるなんてことは出来へんねん。それは、どんなすごい活躍したスポーツ選手でも必ず引退しまっしゃろ。そやからそれも、ある程度の期間限定、それは、若いときでんな。
そやからそのときは、肉体の発達がとても重要でもあるし、土=2~3番目のオーラの拡大をしているときは、心(靈)の動きとしては自我中心でもある」
「自我中心、だから功名心とか名誉欲とか、金のためのスポーツ、プロスポーツなんかを選択するんですよね」
「その通りでんねん。そやからプロスポーツ選手は、引退してから自省(胸の磁性“十”)の“行”に入る。
若いときにたくさんの名誉や(通貨としての)金を得れば得るほど、自分のやってきたことをたくさん振り返らんならんやん」
「そうですね。でも一般の見方って言うのは、その選手が活躍しているところしか見ていない」
「そうでんな。人のやること、人の一生、人の霊的成長、そこに右往左往と左往右往があることをほとんどの人が見てないって言うのんか知らへんって言うのんか」
「そうですね。目先のことしか見ていない…先生の言葉を引用すれば、“事象を観察する視野が狭い”ってことになりますね。ただ見てるだけですね」
「そうでんな。
そやからこれまでの話、人間の心(靈)の成長って言うのんは、若いときと年取ったときでは違う。若いときどんなことをしてても、必ずいつか、智性(神性)、“一”=智性=1番目のオーラの発達に結びついて行く。
そやからちょっと話を戻させてもらって、プロスポーツで活躍している選手でも、右往左往と左往右往、絶好調のとき=右往のときと、スランプのとき=左往と、スランプを克服してまた活躍しだしたとき…それが右往左往と左往右往…そんな説明が分かりやすいやろけど、その左往のときに悩んだり落ち込んだりするのは、日足(ひたり)の極性、脾=“思う、憂う”の強化でもある。
それを画像で、以下に示しまんねん。

 

下のエネルギーが日足(ひたり)の極性により上昇する様子 




そうやってスポーツで活躍しているときにでも、多少なり“一”=智性=1番目のオーラの拡大に結びつく心(靈)の動きって言うのがあるんやけど、そのうち年をとって体が言うことをきかんようになり、引退を決意するのは、本格的に日足(ひたり)の“行”に入って、自省(胸の磁性“十”)する人生の期間とも言いうることでんねん。
またそのときは、活躍してたときと違い、体をあまり使わんから、土=2~3番目のオーラの行にはならへん。そやから引退後は、活躍してたときのことを振り返ったり、自分の人生を振り返る心(靈)の動きをするし、またその期間がないとその人の人生は霊的成長をした期間とは言えないし、そやからそれは、誰もが自省(胸の磁性“十”)ってことをせんと、“一”=智性=1番目のオーラの拡大にはつながって行かへん。
そやから今のK地はんの話、お母さんとして下の娘はんを見てはってなんとなく違和感を感じるって言うのんは、それはただ娘はんが若く、そやからこそいろんなことを試してみたいってことやと思いまんねん。
そやからそれは、ストリートダンスに夢中のとき=肉体の発達から、知恵の獲得の段階、そしてだんだん智性(神性)の発現の段階に向かってまんねん。
それは、心(靈)の構造として、本能、情動、功名心、自我、愛(炁)、創造、知恵、くらいでんな。
そやからそれは、まだまだ智性(神性)や知恵を智慧(日を知る事=智性の恵み=慧)に変えていくって成長の段階ではないだけで、ただそれは若いってことで、ストリートダンスに夢中だろうが、タコライスばっかり作るとか、椎茸の浮かんだ麺つゆを作るのかて、成長の過程ってだけで、なかなかほほえましいことやと思いまんがな」
「そうですかね…そうなんでしょうけどね…私が娘を観るのはやはり、母親の立場としてみるから、そんなふうな見方ができないのかもしれませんね」
「そやからお母さん的には、娘はんのやることとか価値観とかを観はって、ちょっと違和感を感じてはるのは、子供と大人の違いでもある。
それは、すでにお母さんが通り越した過程を見るからこそ幼く見えるし、そしてそれはさっきの話、土=2~3番目のオーラの“行”の期間と、“一”=智性=1番目のオーラの“行”の期間の違いでもあると思いまんねん。
お母さんとしてのK地はんは、今、K地はんが言わはったとおり“私が娘を観るのはやはり母親の立場としてみるから、そんなふうな見方ができないのかもしれません”…そうやと思いまんねん。
そやから今言わはったお母さんの立場としての言葉、もうK地はんには分かってらっしゃると思うけど、単に、娘さんを一人の人としてみていない。
言い方を変えれば、娘さんの(霊的)成長を、独り神(ひとりがみ、日取り神)になる過程として観てないって感じ(感じる磁性)ましてん」
「そうかもしれませんね。娘のやることに対して、親は、どうしても自分の子供としてしか見ない。それが現れているんですね」
「そうやと思いまんねんな。
そやから人が育っていく過程、それは霊的成長の過程でもあり、神格化=独り神(ひとりがみ、日取り神)になる過程とも言えまんねん」
「はあ、それは、先生の話や、ブログの文章でなんとなく理解しているつもりなんですけど、理解が足らないから、母親として娘の行動を見る…その視点しか持っていない…そういうことなんでしょうね」
「そこまでの言葉がK地はん自身から出るんやったなら、今Kellyさんが言ったことはもう理解していると思えるんやけど…もう少し、さっき言うてはったK地はんの娘さんに対する見方からKellyさんが感じたことを言うてもエエですやろか?」
「どうぞおっしゃってください。参考になると思いますから」
「人はいずれ神格化しまんねん。しかし今の地球人の段階は、神格化ってことからはとても程遠く、まだまだ動物に近いようにしか見えへん。欺くとか騙すとか嘘をつくとか奪うとか…そんな低い心(靈)の動きで大半の人は行動をしてる。
そやからそれは低級な欲の振動で出来た世界でんねん。その低い振動の世界でも、人はいずれ自省(胸の磁性“十”)し、日足(ひたり)の極性が顕れた心(靈)の動き、脾=“思う、憂う”中心の心(靈)の動きの期間に入り、肝=“いきり立つ心(奴と心)”は脾=“思う、憂う”になり、そして“慈悲”と“慈愛”って心(靈)の動きになる。
それが今後、地球人の大半が体験せんならん心(靈)の動きでんねん。
それは生命の神格化のステップで、自分の心(靈)の動きが“上”に向かうってことをせんと、神さんに近づいて行かん。心(靈)が“上”に向かうとき、日足(ひたり)の極性が増し、そして“上”から観たらそれは荷電粒子の左回転になる。
そやから“日月神示”の表記の左回転は、“善(神格化の方向性と智性の受信)”の回転って書いてありまんねん。

 

“善(神格化の方向性と智性の受信)”の回転 日足(ひたり)回り 





その中で個々の心(靈)は霊的成長度の差がある。比較的、神さんの“上”の要素とも言いうる智性(神性)を発揮している人も居れば、人殺しして自分の欲望を満たす程度の低い霊的成長度の人も居るし、その低い霊的成長度の人が大半なのが、この星でんな」
「それは、ほとんどの人が形骸の価値観で行動している。目先の幸福感…ファッション、ダイエット、美容、サプリメント、安易な金儲け、投機、アフィリエイトなんかもそうですね。自分のエネルギーを使わないで目先の幸福感を達成しようとする心(靈)の動き…ただそれは自分に甘い(亜、魔、出ずる、泉)心(靈)の動きですよね。
けっかそれは、恨みの連鎖の霊的干渉の増大と、自分たちが智性(神性)を獲得することにつながらない」
「言うたらなんやけど、甘い(亜、魔、出ずる、泉)思いが支配して、それが実現したとしても、必ず自省(胸の磁性“十”)の期間に入るもんでんねん。
そやから今K地はんが言わはった“自分たちが智性(神性)を獲得することにつながらない”ってことでは決してなく、そこにはただ、時間のギャップがあるってことでんねん」
「そうですね。ついつい誰もが同じ霊的成長度だと思うからいけないのですね。さっきのうちの下の娘の話のように、土=2~3番目のオーラの拡大の期間と“一”=智性=1番目のオーラの拡大の期間は違い、智性(神性)の獲得に至る前にまず、土=2~3番目のオーラの拡大の期間があるから目先の価値観や形骸のことを求めたりもする。
その視点が大事ですね」
「そうでんな。
そやからそれは、人が育っていく過程って言うのんはそれぞれ違う。それがまた霊的成長度の違いでもあり、個人個人が獲得して発揮している振動の違いでもありまんねん。
そやけど今のは一般の地球人の話で、そういう事例ならK地はんとしても理解しやすいと思うし、もう分かっていらっしゃるとは思うけど、お母さんが子供を見る視点は、親特有のものがありまんねん。 
そこには第三者を見るような視点はあんまり無いから、お母さんは自分の価値観で娘はんを観て、そしてお母さんの価値観由来のものの見方としての感想を持つ。
今回のK地はんの話はそういうことやと思いまんねん。
言うたならば、娘さんも息子さんも、ほんでからお母さんも、赤の他人も、それぞれ違う心(靈)とか魂とか、そうやって思うたならば理解できることやと思うんやけど。
そやからそれは、子供から大人になっていく過程でだんだん年を取り、いろんな局面に遭遇したりする。その時点時点で、自分は何をしたいのか?何を求めているのか? それは心(靈)の動きでっしゃろ。
そしてそれは価値観の差になったり、行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)に顕れたり、そうやって人は時間の進行とともに育っていく。
それを、お母さんとしての立場で娘はんを観たならってことを、K地はんは言うたんやな」
「…はぁ~~そうですね。
ですけど、Kellyさんの今の言葉の使いまわしは、中々複雑ですね。
行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)、時間の進行とともに育っていく…それは肉体が育つだけではなく、心(靈)が育つ。そして心は霊だから、死んでからでも育つ。産まれてくる前にも心(靈)が育ってきている過程はある。人間として産まれてくるのも、心(靈)が育つ過程で、何回も転生して、人の心(靈)は認識(悟り、幸取=さとり)を得てきている。
そして今の地球人の進化過程になった。
それは先生のブログと、先生の話を直接聴いてなんとなく理解しているつもりなんですけど、私が娘を見るのは、やはり、母親の立場として見るから、そんなふうな観方ができないのかもしれませんね」
「そやから今回のK地はんの話、下の娘はんを観てK地はんが思ったことは、母親としての見方もあるけれど、人(日止、霊止)の霊的成長の過程も感じ取ってると思いまんねん。
 そやけど通常、人が人を見るときは、生きてる期間のこととかしか認識があらへんねん。そやから人間を一つの霊としてみることが出来なかったり、そのときの一生が霊的成長の一端で、神格化の過程ってことを考えたりしまへんねん。
そもそも人(日止、霊止)が神の子で、いずれ時間の進行とともに神格化して、その間には、何回も生まれ変わったり、今の地球人の認識ではとても理解できないくらい長い時間の進行を体験する。
そうやって個々の心(靈)はたくさんの事象を観察して、その事象々々に遭遇して自分がどう在るべきなのか考える。
その時々に、個々の心(靈)は肉体を持ったり、幽界、霊界、とても霊的に成長したなら、神界にも出入りできるようになるってローム太霊講話集でもローム太霊さんが説明してはるけど、死んでいようが生きていようが、親子の関係であろうが、すべてそれは事象の“観察と認識”ってことが言えまんねん。
“観察と認識”…これは先生の言い回しでもある。そやけど霊的成長度においての観察行為しかしてないってこと、それはその個々の心(靈)の視点って言うのんは、神さんの視点ではないからこそ、目先のことしか分からないし、目先の観察で得られた認識で判断をしてしまう。
そやから、お母さんが娘はんを観るときは、娘はんが生まれてきて、今に至ってる過程しか知らへんからこそ、人の神格化って概念を当てはめてみることが出来へん。
そやけどそれは、言うたらちょっと失礼やけど、観方が浅い…事象を観察する視野が狭い。そやけどそのことを母さん自身が自覚したなら、それは、お母さん自身の勉強になるからエエと思いまんねん」
「そうですね。なんとなく解った様な気がします。
今日の話、私は娘を育てながら認識を拡大していく。娘も多分、私を観察しながら成長していく。
それは個々の心(靈)であり、私と娘は霊縁があったからこそ、親子として存在しているって言い方も出来ますね」
「そうでんねん。そう思えたこと自体が今までと違う観察の視点を獲得したことやと思いまんねん。
そやからあえて例を挙げませんけど、親子の関係って言うのんは、何かと自我の肥大が表れやすい。
そやから自分の娘だからとか、お母さんなんだからとか、そんな見方をしたり、そんなことを思ったりもする。
そこには個々の心(靈)に対する尊厳って言うのんがちょっと足らんように思いまんねん」
「そうですね。中々勉強になりました。
娘を観る自分の視点に、母親としての自我の肥大があること…それをよく考えるようにしますね。
それと…またKellyさんとお話させてもらってもいいですか」
「もちろんでんねん」
「それではまた疑問がわいたら、連絡させてもらいますね。今日はこれくらいで失礼しますね。」
「承知しましてんな。また、お話できるときを楽しみにしてまんねん。
ほな、さいなら」



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 Kelly & ○○○大先生

Author: Kelly & ○○○大先生
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Kellyさんと○○○大先生は、
このブログを書いている○○○の、
心(靈)の二面性であり、
同一人物で有る事を、
お断りしておきます。

出版の告知

四冊目&五冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈4〉
智性無き心は
悪を容認する


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈5〉
智性無き心は
アセンションを見誤る

 この二冊は、同時発売です。
太陽凝視を行っている鍼灸師の話 <4> 智性無き心は 悪を容認する & 太陽凝視を行っている鍼灸師の話 <5> 智性無き心は アセンションを見誤る サムネイル
(クリックで拡大)

2010年 4月20日(火)ごろより、全国書店(紀伊國屋書店・三省堂書店・旭屋書店・ジュンク堂書店・ブックファースト・リブロ・丸善など)にて順次陳列。


発売中の三冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈3〉

神格化のプロセス
目上(めうえ)と目下(めした)


神格化のプロセス 目上と目下 縮小版 ブログ用
(クリックで拡大)


発売中の二冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈2〉

ローム太霊の教え
日足(ひたり)と砌(みぎり)


サムネイル太陽凝視を行っている鍼灸師の話〈2〉ローム太霊の教え 日足(ひたり)と砌(みぎり) 
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太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈1〉

ローム太霊との出会い


太陽凝視を行っている鍼灸師の話〈1〉ローム太霊との出会い
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初めての方は、
・・・その後の事と・・・これからの事。
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☆ Kellyさん的事象の観察と認識 (104)
Kellyさんがこのブログに霊縁あった人(日止、霊止)に伝えたい事 (22)
Kellyさんと○○○大先生との会話 (7)
Kellyさんとチョ~極上ラブラブ中高年夫婦はんとの会話 (6)
Kellyさんとチョ~ベッピンはんのA野はんとの会話 (7)
Kellyさんと∪・ω・∪ ▼・。・▼ ▼・。・▽ U・。・U U。・ェ・。U たちとの会話 (33)
Kellyさんとメタボ研修医のYっちゃん先生との会話 (2)
Kellyさんとややメタボ内科医のYっちゃん先生との会話 (7)
Kellyさんと和風のベッピンはんのSはんとの会話 (2)
Kellyさんと農業好きの社長婦人K地M美はんとの会話 (12)
KellyさんとNominyan ∥*σ_σ*∥&Senyapoo λ*゜ο゜*λ との会話 (6)
☆ Kellyさん的“日月神示”解釈 (465)
Kellyさんが、“日月神示”の解釈をして行くに当たって・・・考えた事。 (15)
“日月神示” 上つ巻 (42)
“日月神示” 下つ巻 (38)
“日月神示” 富士の巻 (26)
“日月神示” 天つ巻 (30)
“日月神示” 地つ巻 (36)
“日月神示” 日月の巻 (68)
“日月神示” 日の出の巻 (23)
“日月神示” 磐戸の巻 (21)
“日月神示” キの巻 (17)
“日月神示” 水の巻 (36)
“日月神示” 松の巻 (30)
“日月神示” 夜明けの巻 (26)
“日月神示” 雨の巻 (18)
“日月神示” 風の巻 (15)
“日月神示” 岩の巻 (11)
“日月神示” 荒の巻 (13)
☆ Kellyさん的“ローム太霊講話集”解釈 (107)
☆ 紫光会経文の文言 Kellyさん的解釈 (18)
☆ ○○○大先生的バシャールの文言解釈 (9)
☆ 先生が撮るけったいな花の写真 (22)
☆ 先生が撮る比較的まともな写真 (32)
☆先生が室内で写真を撮るときのセッティング (6)
その他 お知らせ (3)



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2005年10月1日~2008年1月15日まで、
“Kellyさんとの会話”で、説明して来た事・・・
その内容・・・それは・・・その何年も前から、
何か自分の考えをある程度公表しなければならない・・・
そう言う通信を受け・・・その理由は・・・地球人が低い心(靈)の発現しかしていない・・・
それを自覚していない人が多い。
その事由来の太陽凝視に対する認識、
(太陽凝視=不食・・・としか、認識させない存在の思惑を、受信している事)
霊的成長に対する認識、
神に対する認識、
心=靈に対する認識、
オーラに対する認識、
そして、
高い認識の上での進化の意味と幸福の概念と神の概念・・・
進化=霊的成長=神格化=(相対的に)高い認識を獲得する事・・・
霊的成長=神に近づく事=真の幸福の意味。
霊的成長度は1番目のオーラに顕れる。
よって、宇宙的プログラムにより次の段階に移行する人(日止、霊止)は、 何を考えるべきなのか・・・
そして、人(日止、霊止)の進化を阻む存在の思惑、
その心=靈の動き、それらの意図・・・それが一般に認知されていない事。
それらを伝えなければ成らない・・・そして一応・・・完結はしたのですが・・・
解り難い・・・理解しがたい・・・具体例を示して欲しい・・・そう言う感想も頂き、
そして自分なりにも説明が足らなかった事・・・
更に、
“Kellyさんとの会話”が完結してからも通信を受けている事・・・そう云う事もあり・・・
よって、このブログを立ち上げる事としました。
従って、
“Kellyさんとの会話”が、
自分の意見を述べる上での、ローム太霊の言葉、
“右往左往”(“いきり立つ心(奴と心)”で行動してから考える)・・・と、 するならば、 このブログはアタシ自身の、
“左往右往”(“思う、憂う”・・・体験を教訓として考え行動する)の、
作業になって行くと思います。


太陽凝視を行っている鍼灸師の話 “総括編”
太陽凝視を行っている鍼灸師の話 “改”
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自分達の欲望を満たしたい… 
自分だけ幸福になりたい…
こういった進化程度の低い心(靈)の発現由来の思いが、
低い幸福の概念になり(目下(めした)の思い)
その結果が、飢餓貧困、戦争の原因になったりしています。
(子供の浮游霊の霊的干渉の影響を受け、 それがどんどん増して行く事等が、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)
の思惑だと 思えます)

恨みの連鎖による霊的干渉を増やさない為、
その解消の為にも、(この趣旨に反する類の物もありますが) クリックをお願いします。
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