“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話

太陽凝視を一生涯の“行”とし(現在、44年目)、実践し、その上で獲得した認識を述べています。

“日月神示” 富士の巻 第二十一帖 Kellyさん的解釈



今回も、富士の巻 第二十一帖を解釈しまんねん。 原文は以下の通り。

神の申すこと何でも素直にきくやうになれば、神は何でも知らしてやるのぞ。
配給のことでも統制のことも、わけなく出来るのぞ、
臣民みな喜ぶやうに出来るのぞ、
何もかも神に供へてからと申してあろがな、
山にも川にも野(ぬ)にも里にも家にも、それぞれに神祀れと申してあろがな、
ここの道理よく分らんか。
神は知らしてやりたいなれど、今では猫に小判ぞ、
臣民 神にすがれば、神にまつはれば、その日からよくなると申してあろが、
何も六ヶ敷いことでないぞ、神は無理言はんぞ、
この神示読めば分る様にしてあるのざから役員早う知らして縁ある臣民から知らして呉れよ。
印刷出来んと申せば何もしないで居るが、印刷せいでも知らすこと出来るぞ、
よく考へて見よ、
今の臣民、学に囚へられて居ると、まだまだ苦しい事出来るぞ、
理屈ではますます分らんやうになるぞ、早う神まつれよ、
上も下も、上下揃えてまつりて呉れよ、
てんし様を拝めよ、てんし様にまつはれよ、その心が大和魂ぞ、
益人のます心ぞ、
ますとは弥栄のことぞ、
神の御心ぞ、
臣民の心も神の御心と同じことになって来るぞ、
世界中一度に唸(うな)る時が近づいて来たぞよ。
八月の二十八日、 ローレンツ力と ○ のひつ九のかみふで。


 まず、冒頭の文。

“神の申すこと何でも素直にきくやうになれば、神は何でも知らしてやるのぞ。
配給のことでも統制のことも、わけなく出来るのぞ、
臣民みな喜ぶやうに出来るのぞ、
何もかも神に供へてからと申してあろがな、
山にも川にも野(ぬ)にも里にも家にも、それぞれに神祀れと申してあろがな、
ここの道理よく分らんか。”

この言い回しは、今、“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)の“思惑の顕現”=現象化になっていないから言われてる。 
例えば、“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)から教えられ、霊的成長の指針となるべき宗教は、“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”に利用され、金儲けや権力を行使するものになっていたりもする。
そして、そうなってしもてる理由は、尊いなにかを尊いと感じない。尊い概念を尊いと扱わない。尊い教えを自分の利益のために利用する“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の心(靈)の動き=自我の肥大。 
それは、自我の確立=固定化の段階(“江戸と尾張”)から、砌(みぎり)のエネルギーが強いときに起きる=右往左往のときに起きやすい。このことは、このブログや前のブログで何回も言うてきたことでんねん
そやからこの世界は失敗の世界でもあるし、ほんでから今の社会の仕組みが壊れて、大半の人たちが自省(胸の磁性“十”)するために、アセンションに伴う醜い事象が起きる。
そやから、“神の申すこと何でも素直にきくやうになれば、神は何でも知らしてやる”っていうのんは、今の形骸の宗教に対する認識、現世利益とか、自分だけ良いカタチになるって概念の、浄霊とか、儀式だけのインチキお祓いとか、そんなもんに騙されず、ほんとの霊的成長ってなんなのか、災厄がなぜ自分に降りかかるのか、因縁ってなぜあるのか、その意味を自分に問い、霊的干渉の仕組みは自分の心(靈)の動きであることを知り、自分の在り方を考えなければ、“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)との感応共振は、ありえへん。  
“上”としては、“上”との感応共振=“祀り”“まつらう”、それは“上”の思惑を自分の思想にする。そしてそれを目上(めうえ)の脳で理解し、認識(悟り、幸取=さとり)としていく。
それがまた“一”=智性=1番目のオーラの拡大でもある。
そうなって欲しいから、現状を良く見据えて、何が正しくて何が間違っているのか=形骸の宗教や、薄っぺらい幸福の概念や、低い霊能力者の甘い(亜、魔、出ずる、泉)言葉…そんなもんに惑わされず、今後=アセンション後の“創造”を担う人に対し、“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)との感応共振をして欲しいってことでしかない。
ほんでから今、大半の人が低い霊的干渉の影響を受けている。そやからそれは、これまでも…そしてこれからも、○○○大先生やKellyさんが、訴え続けてきている恨みの連鎖の霊的干渉。 それを生み出す人間の低い心(靈)の動き、それは低い功名心と自尊心。そして本能由来の低い欲望。その心(靈)の動きとその認識(その霊的成長度)で、出来上がってきた形骸の価値観、それが“日月神示”表記の、“石屋の仕組み”(帯電するミネラルが固まっていない=真固止ではない=腹の水(“江戸と尾張”の“江”)でもある。
そやから何度も言うて来たけど、決してフリーメーソンやイルミナティやユダヤだけが“石屋の仕組み”ではない。
その醜い行い…それを自分が見たならば、自分はこう在ってはならないと感じ(感じる磁性)、自分の心(靈)の在り方を深く思う。
霊的成長度の高い人ならば、そう思うもんでんねん。
それが前のブログで先生が言うた“すべての事象は自分の在り方を示す”って認識になりまんねん。
ほんでからさっき言うた形骸の宗教などの事柄と繰り返しになるけど、“石屋の仕組み”の霊的成長度は、自我の確立=固定化の段階で起きている自我の肥大を起こしている人が、なんでも自分の欲望のために貴いものを利用して、商売にしてしまい、その商売で成功することが自分にとってよいことであると思い込み=低い功名心と自尊心を満足させ、その結果が経済の繁栄であったり、薄っぺらい幸福の概念であったり、今、成功者って思われているのはそんな概念でしかない。
そして平均的地球人の大概の人が、今指摘してきたそんな程度の霊的成長度で、自分たちに価値がある何かって言うのんは、薄っぺらい幸福の概念と物欲と形骸の名誉…そんな程度のことでしかない。
だからこそ、薄っぺらい幸福の概念を持ち、それ以上の幸福(霊的成長して神格化するという意味。“夭と屰”(ようとげき))の意味を考えないし、知りえない。
そして薄っぺらい幸福の概念は、低い霊的干渉を起こしている。
そやから大半の人の心(靈)の動きは、ただ楽しみたい。目先の快楽を求める気持ちは、三毒、貪、瞋、痴(とん、しん、ち、)由来の心(靈)の動きでもあるし、貪、瞋、痴(とん、しん、ち、)の心(靈)の動きを持った浮遊霊は、子供の浮遊霊と家畜の浮遊霊が大半。  
そして、そのときだけ楽しければよいって認識の人は、自分が持っている智性(神性)を見失い、それは智性(神性)を発揮していないことが幼稚なんやけど、そうなっている人はもう、子供の浮遊霊に心(靈)を乗っ取られている。
また、貪、瞋、痴(とん、しん、ち、)の心(靈)の動きは、人間が霊的に進化していく仕組みを説いたものでさえ商売に利用してしまう。
実に情けないって“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)は思うてるんやろな。
 ほんでからこの文の後半の、“山にも川にも野(ぬ)にも里にも家にも、それぞれに神祀れと申してあろがな、”って言うのんは、
富士の巻 第八帖のKellyさん的解釈から引用して、以下にコピペしときまんねん。







““山は神ぞ、川は神ぞ、海も神ぞ、雨も神、風も神ぞ、天地みな神ぞ、
草木も神ぞ、神祀れと申すのは神にまつらふことと申してあろが、
神々まつり合はすことぞ、”

これは、私たち人(日止、霊止)が、観察し得る事象…それは、すべて、神の“思惑の顕現”=現象化であることを言うてると思える。
そして、この後の文章は、私たち人の思惑が、事象=現津(あきつ)、観察され得る事象の“創造”に加担していることを言うてる文章やと思える。
そやけど、それだけではなく、“山”=脳。
“川”“海”=腹の水=“江戸と尾張”の“江”…自我の確立=固定化の段階、そして腹の位相のサイクロトロン。
“雨”=“上”から降り注がれる家電粒子を指し示す。
参考のために、前のブログで使った画像を修正したものを、以下に貼っておきまんねん。

雨の象形文字 解字 


そして、“風”=気体による電磁誘導。言うまでも無く“日止、霊止”は、空気を吸って、肉体のオーラのうちの2番目の発振、発信に関わる器官は、肺で、肺は、肺=“悲しみ”でもある。
“悲しみ”って心(靈)の動きを体験すると、心(靈)が“慈(しげる)”から、“慈悲”と“慈愛”の心(靈)の動きを、事象に、顕現できる。
また、“悲しみ”は心(靈)が“非(いたむの意)”でもある。
それがまた、閻魔の庁の浄玻璃の鏡(えんまのちょうのじょうはりのかがみ)で、自省(胸の磁性“十”)の“行”をすることでもあり、さらに、ローム太霊さんの言葉、左往右往の一側面でもある。
そして“天地”、これは、人のオーラの構成を示す“三”って言う字そのものが、“一”を三つ重ね“天”“地”“人”って言う意味を持つ。
要は、“創造”の“主(ヌシ)”の振動“一”は、“日止、霊止”、肉体を持った心(靈)ってカタチで顕現したみたいなもんでんねん。
そやから“一”は智性(神性)で、“二”=肉体で、それを足したなら“三”になる。
さらに補足で言うておけば、“三”に|(たてぼう、こん、縦の磁性))を足したら、“王”=人(日止、霊止)の完成された様子にもなるし、“王”の向かって右下、その人の左下に を足したなら、“玉(ぎょく)”になり、“玉(ぎょく)”は心(靈)の動きを示した表記でもある。そやから“玉(ぎょく)”…そうなっていくのが、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)でもあることを前にも説明したから、ここでは敢えて詳しくは述べないことにしまんねん。
…そやから、“山”“川”“海”“雨”“風”“天地”は、上記の意味までも示す文章やと思えるな。 ”

ほんでから、もう一つ、富士の巻 第十七帖 Kellyさん的解釈 から引用。

 

 

““神の国の山々には皆神祀れ、
川々にみな神まつれ、
野にもまつれ、
臣民の家々にも落つる隈なく神まつれ、
まつりまつりて弥勒(みろく)の世となるのぞ。”

 この文の“山々”は、大脳新皮質、左右の大脳半球を指す。
これについては前のブログ、目上(めうえ)と目下(めした)をしっかり読んで理解して欲しい。
(ほんでから先生の三冊目の著書にしっかり書いてありまんねん)
そやからそれは、天意を受けた上での思想を構築する=智性(神性)の発現であり、それによって出来上がる=“創造”され得る現津(あきつ)、観察され得る事象は、その場(フィールド)は、“神の国”って称されてて、神は、示す偏(へん)に“呂”=エネルギーの回転。国は、(囗)くにがまえと“玉(ぎょく)”。
これも何回も説明したから省略しまんねん。
 ほんでから“川々”は、“山々”と同様の表記やから、これも左右の極性を示し、それは川やから、水の極性で、錯体のことを言うてると思える。
そやからそれは、“富士(二二)”=肉体の二つの磁性、日足(ひたり)と砌(みぎり)、ヨガで言えばイダとピンガラ、太陽の気道と月の気道ってことでんねん。
あえて補足しとけば、肉体内の電磁誘導のラインとしての、左右=日足と砌(ひたりとみぎり)でんねん。
ほんでから“野”については、画像で示しまんねん。

 

野の解字 (富士の巻 十七帖) 



 ほんでから“臣民の家々にも落つる隈なく神まつれ、”の“家”は宀(うかんむり、頭の意味)と豕部(しぶ)(家畜の意味)、そやから“家”って表記は、頭=“一”=智性=1番目のオーラを持った動物って言う表記でんねん。前にも同じ解釈をしましてんな。
そやからこの文は、天意、“上”の思惑、神の思惑、それを受信して自分の思想にすることを言うてて、それは“五六七(みろく)”、“五”=糸巻き、神経が発達した様子と、爻部(こうぶ)=丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)と乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現)が重なった表記で、交わるの意味。
それと“七”=“一”=智性=1番目のオーラ+乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現)。
それをこの文では“まつりまつりて弥勒(みろく)の世となるのぞ。”と、称されている。 ”



 


…以上でんねん。 何回も読み直して認識にして欲しいもんでんねんな。

 ほんでから次の文も、今指摘してきたこと。 “上”との感応共振をしていなくて、自我の肥大を起こし、自己奉仕者になって、その人たちが活躍して、自己奉仕者の低い概念の成功者とか勝ち組とか、そんなことを思っている人たちに対して言われてる言い回しでんねん。

“神は知らしてやりたいなれど、今では猫に小判ぞ、
臣民 神にすがれば、神にまつはれば、その日からよくなると申してあろが、
何も六ヶ敷いことでないぞ、神は無理言はんぞ、
この神示読めば分る様にしてあるのざから役員早う知らして縁ある臣民から知らして呉れよ。”

 要は、“日月神示”を人に垂れた霊団の思惑は、何が尊い、貴いか、それを知って欲しい。知って自分の認識(悟り、幸取=さとり)にして欲しい。
そやからそれは、自分の心(靈)の動きの“上”と“下”を自分で判断できる人でなければならない。
そして自分以外の事象=外側(外国と幽界)の事象に対しても、すべての事象は心(靈)の動きによって出来ている=“思惑の顕現”=現象化であることを知らなければならない。
 “上”と“下”を、見極めて、自分の在り方の指標とするのは、智性(神性)であり、それは、目上(めうえ)の脳の機能でもある。目上(めうえ)の脳(大脳新皮質、“田”(心、靈、の四つの場(フィールド))は、動物と違うところでもある。
 
そして次の文章も、目下(めした)(大脳旧皮質と古皮質)の心(靈)の動きで=自己奉仕者の心(靈)の動きで、本来の人の在り方である“理(ミチ)”が屈した意味での“理屈”、形骸の宗教、形骸の価値観、形骸の地位、自己奉仕者が認める自己奉仕者としての成功者、そして形骸の幸福感、いろんな言い方が出来るけど、すべてそれらは自我の肥大によるものである。
そして自我の肥大は、自我の確立=固定化の段階の霊的成長度の霊的存在との感応共振を起こし、その中でも程度の低い現象は、ただ食う、ただやる(性的なこと)、ただ人を騙して金を儲ける…甘い言葉、見せ掛けの愛、物欲由来の幸福感を訴えること、それは、自己奉仕者にありがちな心(靈)の動き三毒、貪、瞋、痴(とん、しん、ち、)に、子供の浮遊霊や家畜の浮遊霊が感応共振する。
そやからそれは、“下”(人の霊的成長を望んでいない存在)との感応共振をしないで、“早う神まつれよ、上も下も、上下揃えてまつりて呉れよ、”に示されていて、今言うた三毒、貪、瞋、痴(とん、しん、ち、)由来の人の心(靈)の動きと、それによる霊的干渉、そんなことまで感じさせる文章でもある。
 それを踏まえて読めばこの文は、何を伝えたいのか解ると思う。

“印刷出来んと申せば何もしないで居るが、印刷せいでも知らすこと出来るぞ、
よく考へて見よ、
今の臣民、学に囚へられて居ると、まだまだ苦しい事出来るぞ、
理屈ではますます分らんやうになるぞ、早う神まつれよ、
上も下も、上下揃えてまつりて呉れよ、”

 ほんでからこの文の“印刷せいでも知らすこと出来る”って言うのんは、文章だけ伝えただけでは人の認識(悟り、幸取=さとり)にはならないことを指している。どんなに価値のある概念を文章にしたためたとしても、それを解釈する人の認識が低ければ低い解釈しか出来ないもんでんねん。なんでも自分の認識って言うのんは自分の霊的成長度に於ける認識でしかなく、簡単に言い表せば、神さんの認識(天の御目(あめのおめ)、“創造”の“主(ヌシ)”の視点)を持っていないから、人は間違ったものの見方をするもんでんねん。それをこの文の表記では“今の臣民、学に囚へられて居ると、まだまだ苦しい事出来るぞ、理屈ではますます分らんやうになるぞ、”って証されてる思う。
 そやから自分の心(靈)の“上”と“下”、本能、情動、功名心、自我、愛(炁)、創造、知恵、は、智性という振動=“一”=智性=1番目のオーラで支配し、知識としての知恵や、すべての“力”さえも、使い方を考え=制御し、統御しなければ、それは、今より霊的成長してある程度完成された神に近い人=“王”ではない。
 そのことを“上も下も、上下揃えてまつりて呉れよ、”と言われてて、ほんでから“まつりて呉れよ”は、とても大事なことで、自分の心(靈)の動きの“下”(低い心(靈))は、“下”(人の霊的成長を望んでいない存在)との感応共振を招き、自分の心(靈)の“上”=“一”=智性=1番目のオーラは、“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)との感応共振を招くってことでんねん。

 ほんでから次の文も“上”との感応共振で、智性=神性を増すことを言い表していると思える。

“てんし様を拝めよ、てんし様にまつはれよ、その心が大和魂ぞ、
益人のます心ぞ、
ますとは弥栄のことぞ、
神の御心ぞ、
臣民の心も神の御心と同じことになって来るぞ、”

“てんし様を拝めよ、てんし様にまつはれ”=“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)との感応共振により、“一”=智性=1番目のオーラを増すこと。
“その心が大和魂”は、大=胸の磁性“十”+丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)+乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現)。それが和する。魂は、二+ム部(自分自身の意)+鬼(この世にあらざる存在、肉体を与えられその段階で霊的成長した霊という意味)。
さらにそれを深読みすれば=大和=日本人で、それは、日(“ひつく”=太陽凝視を“行”として行うこと)+本+人(丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現))と乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現)。…深読みしすぎでんねん。
ほんでから“益人のます心”は、何が“益”なのか、自己奉仕者の行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)は、悪魔の傀儡(かいらい、くぐつ、操り人形)による事象の“創造”なんやって先生は前のブログで指摘した。それに対し、相対的な言い方で“益人”ってことで、“ます人”は、何が“ます”のか、それは弥栄(いやさか)って称されてるんやから、Kellyさん的解釈としては、すべての生命が持つ縦の磁束で荷電粒子を回転させること=チャクラ、サイクロトロン、そしてシンクロトロンの構造。
それを指し示すことやと思える。
ほんでから何が“益”“ます”なのかは、いうまでも無く“一”=智性=1番目のオーラである。そやからそれは目上(めうえ)のチャクラ、アジナーチャクラとサハスララチャクラでもある。
補足として、以前紹介した弥栄(いやさか)の、彌の旧字の解字を、以下に貼っておきまんねん。

 

弓と璽(しるし) 彌の旧字の解字





この彌の旧字そのものが、脊椎動物としての人の霊的成長=進化(霊的成長、神格化に向かうこと)を示し、チャクラの概念と一致するものでもある。

ほんでから次の文は、今までの自己奉仕者の価値観が崩れ去ることを指摘してる。あえて説明することでもないな。

“世界中一度に唸(うな)る時が近づいて来たぞよ。”

…今回はこれくらいにしときまんねん。

 

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2005年10月1日~2008年1月15日まで、
“Kellyさんとの会話”で、説明して来た事・・・
その内容・・・それは・・・その何年も前から、
何か自分の考えをある程度公表しなければならない・・・
そう言う通信を受け・・・その理由は・・・地球人が低い心(靈)の発現しかしていない・・・
それを自覚していない人が多い。
その事由来の太陽凝視に対する認識、
(太陽凝視=不食・・・としか、認識させない存在の思惑を、受信している事)
霊的成長に対する認識、
神に対する認識、
心=靈に対する認識、
オーラに対する認識、
そして、
高い認識の上での進化の意味と幸福の概念と神の概念・・・
進化=霊的成長=神格化=(相対的に)高い認識を獲得する事・・・
霊的成長=神に近づく事=真の幸福の意味。
霊的成長度は1番目のオーラに顕れる。
よって、宇宙的プログラムにより次の段階に移行する人(日止、霊止)は、 何を考えるべきなのか・・・
そして、人(日止、霊止)の進化を阻む存在の思惑、
その心=靈の動き、それらの意図・・・それが一般に認知されていない事。
それらを伝えなければ成らない・・・そして一応・・・完結はしたのですが・・・
解り難い・・・理解しがたい・・・具体例を示して欲しい・・・そう言う感想も頂き、
そして自分なりにも説明が足らなかった事・・・
更に、
“Kellyさんとの会話”が完結してからも通信を受けている事・・・そう云う事もあり・・・
よって、このブログを立ち上げる事としました。
従って、
“Kellyさんとの会話”が、
自分の意見を述べる上での、ローム太霊の言葉、
“右往左往”(“いきり立つ心(奴と心)”で行動してから考える)・・・と、 するならば、 このブログはアタシ自身の、
“左往右往”(“思う、憂う”・・・体験を教訓として考え行動する)の、
作業になって行くと思います。


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自分達の欲望を満たしたい… 
自分だけ幸福になりたい…
こういった進化程度の低い心(靈)の発現由来の思いが、
低い幸福の概念になり(目下(めした)の思い)
その結果が、飢餓貧困、戦争の原因になったりしています。
(子供の浮游霊の霊的干渉の影響を受け、 それがどんどん増して行く事等が、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)
の思惑だと 思えます)

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