“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話

太陽凝視を一生涯の“行”とし(現在、44年目)、実践し、その上で獲得した認識を述べています。

“日月神示” 富士の巻 第二十二帖 Kellyさん的解釈


今回も、富士の巻 第二十二帖を解釈しまんねん。原文は以下の通り。


まつりまつりと、くどく申して知らしてあるが、
まつり合はしさへすれば、
何もかも、うれしうれしと栄える仕組で、悪も善もないのぞ、
まつれば悪も善ぞ、まつらねば善もないのぞ、この道理分りたか、
祭典と申して神ばかり拝んでゐるやうでは何も分らんぞ。
そんな我れよしでは神の臣民とは申せんぞ、
早うまつりて呉れと申すこと、よくきき分けて呉れよ。
われがわれがと思ふてゐるのは調和(まつり)てゐぬ証拠ぞ、
鼻高となればポキンと折れると申してある道理よく分らうがな、
この御道は鼻高と取りちがひが一番邪魔になるのぞと申すのは、
慢心と取りちがひは調和(まつり)の邪魔になるからぞ。
ここまでわけて申さばよく分かるであろう、
何事も真通理(まつり)が第一ぞ。
八月の二十九日、 ローレンツ力と ○ の一二ローレンツ力と ○  。


まず冒頭の文、これも、富士の巻に共通の言い回しの、“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)との感応共振を言い表している。

“まつりまつりと、くどく申して知らしてあるが、
まつり合はしさへすれば、
何もかも、うれしうれしと栄える仕組で、悪も善もないのぞ、”

 この文の、“まつり合はしさへすれば、何もかも、うれしうれしと栄える仕組で、悪も善もないのぞ”。 これは、智性(神性)を持つ心は、智性(神性)を行使する心(靈)は、“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)との感応共振をして、事象を観察し、善と悪を区別し、認識する。
そうすれば自分たちは、善を選択するのか、悪を選択するのか、当たり前のことを難しく言い表しているみたいなことをKellyさんは言っているけれど、善悪を言葉しか知らないで生きている人間はたくさんいる。
ほんまそんな人は、頭が悪いとしか思えへんけど、自分で、自分の持っている智性(神性)を行使していない人は意外に多い。
話を戻し、そやから善と悪、それは、人の行動の指標になるもんやけど、すべての事象は“思惑の顕現”=現象化であり、思惑を顕現するのは行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)である。そやから自分たちが喜ぶ世界を創るならば、“善”の世界にするのが当然。(先生が言うた善の定義は、“善(神格化の方向性と智性の受信)”でもある)
またまた当たり前のことを小難しく言うてるけど、そやからそれは、行動が思惑の顕現ってことを考えれば、またまたまた当然のことを言うけど、自分の心(靈)の動きをよく自己観察して(“観自在”“直日”自省(胸の磁性“十”)の“行”)、自分の心(靈)の“上”と“下”を自分で見出す。
それが“日月神示”表記の、“身魂掃除”“身魂洗濯”でもある。
そして心(靈)の動きの善と悪の違い、思惑の違い、行動の違い、そこには心(靈)の“上”と“下”としての目上(めうえ)と目下(めした)がある。
心(靈)の発現と動きは、霊的成長度によるし、脳の発達の過程からでも判断できるから、こんな分類を先生はした。
そやからそれは、動物と人間の進化(霊的成長、神格化に向かうこと)程度の違いでもある。
少し説明すれば、目上(めうえ)は大脳新皮質、“田”(心、靈、の四つの場(フィールド)で、智性(神性)の発現と行使をする。 目下(めした)は大脳旧皮質と古皮質で、その心(靈)の動きは、動物の心(靈)の段階、進化過程として動物と共通の心(靈)の発現と動きでもある。
そやから、人が人(日止、霊止)として在るべきならば、智性(神性)を活かした行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)をするべきや。
そやけど、智性(神性)をもってても使わへん人は、そのときだけよければいい。そのときだけ楽しければいい。(通貨としての)金や物欲に由来した幸福感を持つ。エネルギーを贖わないで良いカタチを求める。なんでも自分の都合のよい解釈をする。
そやからさっきの話、いかに言葉巧みに善と悪を語っている人が居ても、あなたの役に立ちますって言われても、その心(靈)の裏に自分の利益を追求する心(靈)の動きがあり、低い欲望があり、低い欲望由来の自我の働きでもある低い功名心と低い自尊心。それを満足させるために行動している人はとても多い。
…こんなことを具体的に指摘するとキリがないけど、今、そんな人ばっかりや。
 そやから、智性(神性)を持ち得ない、あるいは、智性を行使しない、動物に近い心(靈)の動きをしている人、それは自分に対する観察の視点も低く、それは言い換えれば自分に甘い(亜、魔、出ずる、泉)視点しか持っていない。 だからこそ、人を利用し、欺くとか騙すとか嘘をつくとか奪うとかで、(通貨としての)金を集めたり、形骸の名誉のために頑張ったり、尊い価値のある何かを商売に利用したりもする。宗教やヨガや“日月神示”やアセンションの情報や…人(日止、霊止)の霊的成長のための情報や、行法を、勝手に解釈して低いものにしてしまい、そして金儲けに利用したり、薄っぺらい功名心や自尊心を満足させる道具にする。太陽凝視=不食ってことでも大半がそうや。
それだから“日月神示”表記の“われよし”。
テオドールから地球へから引用した“自己奉仕者”。
先生の言い回しの“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の心(靈)になる。

ほんでから次の文章も、“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)との感応共振による善の認識(悟り、幸取=さとり)を指摘してる。

“まつれば悪も善ぞ、まつらねば善もないのぞ、この道理分りたか、
祭典と申して神ばかり拝んでゐるやうでは何も分らんぞ。”

この文の“まつれば悪も善ぞ、”。これは一見すると理解不能やろけど、悪の事象がある理由を考えればよく解る。それは、悪が在るのは、悪の事象の存在理由は、善を見出すためでもあり、善を見出す過程は霊的成長の過程でしかない。
そやから、正しい認識を獲得するには、悪を体験する=間違えることは必要でもある。
間違え間違え道を踏み外し、そして自分に悪を許さない心(靈)って言うもんを作っていく。
それを心(靈)の動きで言い表せば、自我の肥大による目下(めした)の欲望が悪を生み出し、“(“慈悲”と“慈愛”由来の)厳しさ”が、善を見出して行き、結果それは“一”=智性=1番目のオーラの拡大になる。また“一”=智性=1番目のオーラが目上(めうえ)のオーラでもある。
ほんでから悪を見出し、善を見出すのは、“創造”の法則性を見出す。それは“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)との感応共振を指す表記の“祀り”でもあり、解りやすいのは政治の政、“政(まつりごと)”でもある。
そやからそれは、自我の発現=マニピューラチャクラ=腹の水=“江戸と尾張”の“江”…自我の確立=固定化の段階、そして腹の位相のサイクロトロン。
そこから心(靈)の発現と動きが、胸の磁性“十”になり、アナハタチャクラの覚醒になっていく。
それがまた、大日如来の衣をまとっている姿、その衣を条帛(じょうはく)と呼び、特に条帛(じょうはく)は、腹から“上”=マニピューラチャクラからアナハタチャクラに向かうエネルギーラインでもあり、大日如来がなぜ向かって右の腹から左肩にかかってる衣を着ているのかは、それを示しているって先生は見抜いた。
また条帛(じょうはく)の条は、その言葉そのものが法則性を指すものでもあり、さらにそれは、ローム太霊さんが伝えた“條”と、条は、同義でもある。
そやから法則性は事象の“創造”の良いカタチの指標になるものである。
その法則性を見出す過程をある意味ローム太霊さんは、右往左往と左往右往って言い回しをした。砌(みぎり)と日足(ひたり)は、真実=真固止の認識を獲得するために存在する事象の極性やからやな。
話を戻し、ほんでからこの文の表記の“道理”、それは今までの“日月神示”の文章にも“道”、“理(ミチ)”って表記や言い回しがあり、すべてそれは“創造”の法則性を示すものである。
そして自分が法則性に則った“創造”をする。それは自分の自我を支配する、“(“慈悲”と“慈愛”由来の)厳しさ”でもある。
そやからこの文は、それを言っている文章でもあり、“祭典と申して神ばかり拝んでゐるやうでは何も分らんぞ。”って言うて、形骸の宗教関係者を揶揄(やゆ)している。

そして次の文章も同様のことを言っている。

“そんな我れよしでは神の臣民とは申せんぞ、
早うまつりて呉れと申すこと、よくきき分けて呉れよ。”

この文の“我れよしでは神の臣民とは申せん”…あえて説明すれば、宗教を自分の欲望を満たすものとして利用する。神さんを利用して商売する。アセンションの情報を曲げて(“道”“理(ミチ)”を屈する=“理屈”)利用する。その類…それを指摘しているだけや。
そやからそれは、下つ巻に良く出てきた表記の“役員づら”形骸の宗教や、アセンションや霊的成長に対し、甘い夢を見させ偽の情報を流すたぐいの人たち…それは悪魔の傀儡(かいらい、くぐつ)にもなっているし、聖書の言葉を引用すれば、偽預言者ってことにもなる。
そして偽預言者の言うことを信じる人のほうが圧倒的多数、それは霊的に成長していない人のほうが多数。
地球は霊的成長度の低い人が圧倒的多数の“玉石混交(淆)”だからや。実に情けない世界でもある。
そんな人たちを対象に、以下の文。

“われがわれがと思ふてゐるのは調和(まつり)てゐぬ証拠ぞ、
鼻高となればポキンと折れると申してある道理よく分らうがな、
この御道は鼻高と取りちがひが一番邪魔になるのぞと申すのは、
慢心と取りちがひは調和(まつり)の邪魔になるからぞ。
ここまでわけて申さばよく分かるであろう、
何事も真通理(まつり)が第一ぞ。”

“われがわれがと思ふてゐる”=自我の肥大。
“調和(まつり)てゐぬ証拠”=“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)との感応共振をしていない。智性(神性)を行使していない。
“鼻高となればポキンと折れると申してある道理”=自我の肥大が生み出す悪の行為は、“神の咎め”がある。それがアセンションに伴う醜い事象でもある。
“この御道は鼻高と取りちがひが一番邪魔になるのぞと申すのは、慢心と取りちがひは調和(まつり)の邪魔になる”=自我の肥大で“下”(人の霊的成長を望んでいない存在)との感応共振をする人は、“役員づら”(形骸の宗教や、アセンションや霊的成長に対し、甘い夢を見させ偽の情報を流すたぐいの人たち…それは悪魔の傀儡(かいらい、くぐつ)、そして偽の情報を流し、人の霊的成長の足を引っ張り、さらに甘い夢を見させる。それらすべて偽預言者っていってもエエな。

そやから最後の言葉“何事も真通理(まつり)が第一”=真に、“理(ミチ)”(法則性と自分の在り方の指標)を通し(時間の進行を認識して(儿部(じんぶ、にんにょう)人(日止、霊止)が歩く様に象る))、すべての事象に=“何事も”。
 それを強調して言うてるし、言うまでも無くそれは、アセンション後の“創造”に参加出来るギリギリの霊的成長度の人に言うてる言葉やねんな。

…今回はこれくらいにしときまんねん。

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2005年10月1日~2008年1月15日まで、
“Kellyさんとの会話”で、説明して来た事・・・
その内容・・・それは・・・その何年も前から、
何か自分の考えをある程度公表しなければならない・・・
そう言う通信を受け・・・その理由は・・・地球人が低い心(靈)の発現しかしていない・・・
それを自覚していない人が多い。
その事由来の太陽凝視に対する認識、
(太陽凝視=不食・・・としか、認識させない存在の思惑を、受信している事)
霊的成長に対する認識、
神に対する認識、
心=靈に対する認識、
オーラに対する認識、
そして、
高い認識の上での進化の意味と幸福の概念と神の概念・・・
進化=霊的成長=神格化=(相対的に)高い認識を獲得する事・・・
霊的成長=神に近づく事=真の幸福の意味。
霊的成長度は1番目のオーラに顕れる。
よって、宇宙的プログラムにより次の段階に移行する人(日止、霊止)は、 何を考えるべきなのか・・・
そして、人(日止、霊止)の進化を阻む存在の思惑、
その心=靈の動き、それらの意図・・・それが一般に認知されていない事。
それらを伝えなければ成らない・・・そして一応・・・完結はしたのですが・・・
解り難い・・・理解しがたい・・・具体例を示して欲しい・・・そう言う感想も頂き、
そして自分なりにも説明が足らなかった事・・・
更に、
“Kellyさんとの会話”が完結してからも通信を受けている事・・・そう云う事もあり・・・
よって、このブログを立ち上げる事としました。
従って、
“Kellyさんとの会話”が、
自分の意見を述べる上での、ローム太霊の言葉、
“右往左往”(“いきり立つ心(奴と心)”で行動してから考える)・・・と、 するならば、 このブログはアタシ自身の、
“左往右往”(“思う、憂う”・・・体験を教訓として考え行動する)の、
作業になって行くと思います。


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こういった進化程度の低い心(靈)の発現由来の思いが、
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