“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話

太陽凝視を一生涯の“行”とし(現在、44年目)、実践し、その上で獲得した認識を述べています。

Kellyさんが“日月神示”富士の巻の解釈を終えてから…感じた事。



前回で、富士の巻 全二十七帖の解釈を終えて、Kellyさん自身が富士の巻全体に感じた印象は、まず “創造”の法則性、それは“上”との感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)、霊的進化(霊的成長、神格化に向かうこと)と人の心(靈)の在り方。
それは、“上”の存在との感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)がなければならないこと。それ自体が“創造”の法則性であること。
そして進化(霊的成長、神格化に向かうこと)過程において、“創造”の段階は違う。
だからこそ、今、醜い事象になっていて、それは自己奉仕者の活躍による“創造”が中心。
そして自己奉仕者中心の“創造”の段階から次の段階は、当然、現津(あきつ)、観察され得る事象も進化(霊的成長、神格化に向かうこと)するべきであるからこそ、自己奉仕者の心(靈)の動きを顕現しない=内在する“悪(心の動きの本能化と低振動化)”に囚われることのない人(日止、霊止)が活躍する事象になるべきでもあるし、それが神の計画としてのアセンションでもある。
富士の巻は、そのことまで指摘している文章やったっていうのんがKellyさん的な感想でもあるけれど、その点で、富士の巻の中で印象に残った文を、以下に列挙しまんねん。

まず、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の法則性を示す表記として、第一帖の“元の道は一つぞ”“元の道は初めの道、神のなれる道、”“神のなかの ローレンツ力 なる初め、ローレンツ力  は光の真中 ローレンツ力と ○ は四の道、”って示されてた。
その詳細は、もう一度、富士の巻 第一帖のKellyさん的解釈を読んで欲しいねん。

ほんでから第四帖では、“一”=智性=1番目のオーラが発現した生命(生きる使命=存在理由)が、神の思惑を取り込んだ世界の“創造”を行っていく。そのことを示した文が、次の文、“一二三(ひふみ)の仕組が済みたら三四五(みよいづ)の仕組ぞと申してありたが、世の本の仕組は三四五の仕組から五六七(みろく)の仕組となるのぞ、”であると思える。この文の“一二三”は、1番目、2番目、3番目のオーラのことを指し示してる。

ほんでから、第五帖では、生命の進化(霊的成長、神格化に向かうこと)は、ローレンツ力による“上”からの荷電粒子の取り込みが無ければ、成しえないことを説明している。  
余談やけど、そのことを先生は、“改”で、進化に対する自分の解釈を説明している。そやけど、Kellyさんが主役のこのブログで生物の進化(霊的成長、神格化に向かうこと)過程にまで言及してたなら、とても長い文章になるから、それは省きまんねん。
そやから、第五帖の文の要点は、“ローレンツ力を持っていない霊=○、荷電粒子の場(フィールド)  ばかりでも何も出来ぬ、 ローレンツ力 ばかりでもこの世の事は何も成就せんのぞ、”…で、これは、この事象の“創造”は、“日止、霊止”の心(靈)=ローレンツ力を持っていない霊=○、荷電粒子の場(フィールド)  と、神の思惑の受信=ローレンツ力 ローレンツ力 によって成り立つってことを言うてる。
そして、同じく第五帖の文の中で、今後=アセンション後のことを指している表記、“それで神かかれるやうに早う大洗濯して呉れと申してゐるのぞ、神急(せ)けるぞ、この御用大切ぞ、神かかれる肉体 沢山要るのぞ。”って言われてる。
 そやからそれは、さっきも言うた様に“上”との感応共振をして、今後=アセンション後の事象を創造する。それを強調した言い方でんねん。
ほんでから同じく第五帖の次の文も、“身魂掃除”“身魂洗濯”=自分の心(靈)の中の“上”と“下”を自分の智性(神性)で見出して、そして“上”との感応共振を指すことを言うてる。
“今度の行は ローレンツ力を持っていない霊=○、荷電粒子の場(フィールド) を綺麗にする行ぞ、掃除出来た臣民から楽になるのぞ。どこに居りても掃除出来た臣民から、よき御用に使って、神から御礼申して、末代名の残る手柄立てさすぞ。”
 この文の表記の“よき御用”は、言うまでも無く、アセンション後(神の思惑が現時点より顕現する世界)の“創造”を担う資格を持った“日止、霊止”を指した表記でんねん。

そして第八帖にも、“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)との感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)を示した表記がある。 それは、“神祀れと申すのは神にまつらふことと申してあろが、神々まつり合はすことぞ、皆何もかも祭りあった姿が神の姿、神の心ぞ。”
この文にもある“祀り”と“祭り…この表記が出てくるたびに毎回のように思うことやけど、“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)との感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)を示した表記の“祀り”、そして“上”の思惑を取り込み、自分の思想として、その上で行動することの意味である“祭り”、これはとても重要な意味を持つ。

“祭り”と“祀り”の解字と意味の違い 




そやから“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)の思惑=上から注がれる荷電粒子を生命が取り込んで進化するって言うのんは、生命が神さんに近づいていくことでもあるし、神さんに近づき、神さんの思惑を自分の思想に出来る資格は“一”=智性=1番目のオーラの大きさによるし、そして今、自我の肥大=土=2~3番目のオーラの進化過程だからこそ、ある程度智性(神性)を発現した人がこの世界を観れば、おかしくなっていると、感じ(感じる磁性)る。
ほんでから進化(霊的成長、神格化に向かうこと)は、“上”の荷電粒子との反応と取り込みっていえるからこそ、何回も言うて来た肉体組織の結晶化、それは骨が重要でもあり、だからこそ、体の旧字である體は、骨が豊かで、それは、宝のアナグラムでもある。
そのことを示す文章として、第十二帖では、“身魂磨き”=(生体内電流による)肉体組織の結晶化の事を言うてる。 それは、“いよいよとなりたら神が臣民にうつりて手柄さすなれど、 今では軽石のような臣民ばかりで神かかれんぞ。”…この“軽石”って表記がとても大事で、そやから軽石のような骨って言うのんは、高い振動と感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)できない。
だから、“軽石”の進化程度の人は、骨がダメで、それは生体内電流の強化=“行”と“修行”による灰分(かいぶん)(Ca(カルシウム)P(リン)Mg(マグネシウム)K(カリウム) 微量のAl(アルミニウム)Fe(鉄)Zn(亜鉛)Si(珪素)Na(ナトリウム)それらの化合物)の、結晶化=真固止(まこと)ではなく、真固止の骨になっていない人は、“誠”(言葉成る、意味は、自分が発振、発信した振動(言葉)が完成する)ではない。
その霊的成長度の人は、低い霊的存在との感応共振をして、自己奉仕者になる。そして低い霊的存在って感じ(感じる磁性)る霊は、低い進化過程のまま死んだ浮遊霊でもある。だから、同じ心(靈)の程度同士は、感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)し合うってことなんやけど、その分析が一般に無さ過ぎるな。
まあエエわ。このブログをしっかり読んではる人は、なんとなくそのことは理解できるやろから。

ほんでから第十七帖でも、ここまで言うたことと同様の意味、“上”との感応共振をすることが大事って強調している。
“臣民の身も神の宮となりて神まつれ、祭祀(まつり)の仕方 知らしてあろう、”

ほんでから、今現在の地球人の進化過程=霊的成長度=愛(炁)の顕現の程度が、創造の法則から外れていることを指摘している文や表記もたくさんあった。
言うまでもなくそれは、今後=アセンション後の“創造”を神さんから託される霊的資格を得られないことでもあり、それは言い方を変えれば、人(日止、霊止)の心(靈)の在り方が間違ってまっせ~~って言われてまんねん。
さらに、今後=アセンション後に移行できない“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”に対するメッセージ、その自己奉仕者の行いを、よく観て、認識しておけよって感じに受け取られる表記も多かった。
それらの表記も、以下に列挙しまんねん。

まず、第一帖の“どんなことしても我さへたてばよいように申してゐるが、それが悪の深き腹の一厘ぞ。”
この“腹”って表記がとても重要。
言うまでもなくそれは、下三つのチャクラ、腹の水=“江戸と尾張”の“江”…自我の確立=固定化の段階、そして腹の位相のサイクロトロン、チャクラ(荷電粒子の回転を示す)としては、ムラダーラチャクラ、スワディスターナチャクラ、マニピューラチャクラのことでもあり、そこまでのチャクラの覚醒段階は、自我の確立=固定化であり、自我の肥大が“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”になる。

ほんでから第二帖には、“言ふこときかねば一度は種だけにして、根も葉も枯らして仕まうて、この世の大掃除せねばならんから、種のある内に気つけて居れど、気つかねば気の毒出来るぞ。”
この文の要点は、現時点、人の心(靈)の在り方が間違っているからこそ、神の計画としてのアセンションが起きることを、強調されていると思える。
人の心(靈)の在り方の間違いを具体的に示した表記として、第三帖には、“学と神力との戦と申しておろがな、どこから何んなこと出来るか、臣民には分かるまいがな、一寸先も見えぬほど曇りて居りて、それで神の臣民と思うてゐるのか、畜生にも劣りてゐるぞ。まだまだわるくなって来るから、まだまだ落ち沈まねば本当の改心出来ん臣民 沢山あるぞ。”って表記もあり、この文の“学と神力”は、知恵と知識を、智性で使ってないことを指摘している。
智性(神性)が発揮できた人(日止、霊止)の、事象の“創造”は、失敗の世界ではない(右往左往ではない)。
今後=アセンション後は、そういう世界になるのが当然であり、それは下つ巻に良く出てきた表記の“役員づら”(形骸の宗教や、アセンションや霊的成長に対し、甘い夢を見させ偽の情報を流すたぐいの人たち…それは悪魔の傀儡(かいらい、くぐつ)も“学”を自分たちの低い欲望の達成のためにしか使わないって言う意味でもあるけれど、そんなふうに智性(神性)を活かさない“力”(力、知恵、知識…学問…能力、そして霊能力を含む)の使い方をするのは、言うまでもなく“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”であり、それは良い世界の“創造”をするべき“日止、霊止”の“道”“理(ミチ)”からはずれてるから、“理(ミチ)”を屈するという表記の“理屈”って表記もあった。
そやからそれは、自分の“力”(力、知恵、知識…学問…能力、そして霊能力を含む)の使い方を考えなければ、良い世界の“創造”は出来ないって、当たり前のことなんやけど、智性(神性)の行使ができていない自己奉仕者=自我の肥大をした人は、貴い何かを自分の低い欲望の達成のために使う。
それは第二十七帖のKellyさん的解釈の途中で先生が言うてたこととして、実際そんな人がアセンションを題材にした本を書いたりもしてて、そんな本が結構売れてたりして、本を書いた人もその本を読んだ人も、真剣にアセンションのことを考えていないし…そんな事例を見れば見るほどほんまこの世界は腐りきっているって感じてしまう。

…話を戻し、そやからアセンションで分けられる霊的成長度における心(靈)の動きを、第四帖では“獣と臣民とハッキリ判りたら、それぞれの本性出すのぞ、”って示されてる。
言うまでもなく“獣”って表記は、人(日止、霊止)の進化過程において動物と共通の脳、目下(めした)の脳(大脳旧皮質と古皮質)(動物の心(靈)の段階)であり、だからこそ、自我の確立=固定化、自我の肥大、それは、保身、本能と情動由来の低い幸福感、そして“役員づら”(形骸の宗教や、アセンションや霊的成長に対し、甘い夢を見させ偽の情報を流すたぐいの人たち…それは悪魔の傀儡(かいらい、くぐつ)にもなる。

ほんでから、第六帖には、現状の“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”が活躍してて、大概の人が霊的成長や神格化を見出していないって指摘されている。
そやからそれは、“今は善の神が善の力弱いから善の臣民苦しんでゐるが、今しばらくの辛抱ぞ、悪神総がかりで善の肉体に取りかからうとしてゐるからよほどフンドシしめてかからんと負けるぞ。”でもある。

また、今言うてたことと同様の意味で、第七帖にも、“悪の世であるから、悪の臣民 世に出てござるぞ、善の世にグレンと引繰り返ると申すのは善の臣民の世になることぞ。 今は悪が栄えてゐるのざが、この世では人間の世界が一番おくれてゐるのざぞ、”って言われてる。

さらに、第十八帖では、現状の自己奉仕者が活躍している世界が理想とか正しいとか思ってる人に対して、あんたら間違ってまっせ~って言う意味のこととして、それは霊的成長、神格化に向かうことの“道”(時間の進行)“理(ミチ)”(法則性)ではなく、正しい(“上”(“創造”の“主(ヌシ)”)と“下”(人)の思惑を取り込んだ事象)方向性を見出せって言われてて、そやからそれは、こんなふうに言われてる。 “物持たぬ人、物持てる人より強くなるぞ、泥棒が多くなれば泥棒が正しいと云ふことになるぞ、理屈は悪魔と知らしてあろが、保持(うけもち)の神様ひどくお怒りぞ、臣民の食ひ物、足りるやうに作らしてあるに、足らぬと申してゐるが、足らぬことないぞ、足らぬのは、やり方わるいのざぞ、食ひて生くべきもので人殺すとは何事ぞ。”
そやから進化程度の低い人、その心(靈)の動きとしての自我の肥大は、欺くとか騙すとか嘘をつくとか奪うとかで、自分だけの利益を増やす。そういう思いそのものが悪魔のささやきって認識が無い。
そしてその思いを助長するのは貪、瞋、痴(とん、しん、ち、)由来の浮遊霊との感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)で、それを示した漢字が广(まだれ)頭、思想の意味 + 左右の極性、木部、+ この世にあらざるもの、鬼で、それを縮めた表記が“魔”でもある。
このことは前のブログで先生と話したことでんねん。

そして進化程度の低い人を指摘した文として、第十九帖では、“四ツン這ひになりて着る物もなく、獣となりて、這ひ廻る人と、空飛ぶやうな人と、二つにハッキリ分かりて来るぞ、獣は獣の性来いよいよ出すのぞ、”とも言われてる。

ここまで列挙してきた富士の巻の文は、自己奉仕者は、アセンション後の“創造”を担うことは出来ない。アセンション後の“創造”を担うべき霊的進化程度は、真固止(まこと)、“誠”(言葉成る、意味は、自分が発振、発信した振動(言葉)が完成する)であり、富士の巻には出てこない表記やったけど、それは、神さんの最後の段階の生命の創造でもある ○ 九 十でもあり、だからこそそれは、“日止、霊止”、日を止める、靈をとめるって“日月神示”の表記に表されている。

 

○ 九 十(まこと)の解字 



さらに、富士の巻では、自分の思想、現時点での地球人の進化(霊的成長、神格化に向かうこと)過程としての自我の確立=固定化、マニピューラチャクラ、そこに“上”の思惑を取り込む意味で、第二十帖では“江戸に先ず神まつれと、くどう申してあることよく分かるであろがな。”この“江戸”は、“江戸と尾張”で、それは、腹の水、自我の確立=固定化の段階、そして腹の位相のサイクロトロンのことでもある。
ほんでから、第二十一帖では、“山にも川にも野(ぬ)にも里にも家にも、それぞれに神祀れと申してあろがな、ここの道理よく分らんか。”って言われてて、このときに解釈したけど“山”=脳、“川”=腹の水、“野(ぬ)”は、以下の画像で示しまんねん。

 

野の解字 (富士の巻 十七帖) 

 ほんでから“里にも家”の“里”は“田”(心、靈、の四つの場(フィールド)、大脳の新皮質)と肉体を示す意味の土でもあり、事象の“創造”をする2~3番目のオーラの発振、発信でもある。
ほんでから“家”は、宀(うかんむり、頭の意味)と豕部(しぶ、ぶた、家畜の意味)…智性を持った進化した動物=人(日止、霊止)って言う意味で、動物と共通の肉体の構造を持つ人(日止、霊止)には、頭がありまっせ~って言う意味の表記で、いうまでもなくそれは目上(めうえ)で、人(日止、霊止)の進化過程は、智性(神性)の獲得と行使で、“一”=智性=1番目のオーラを発揮しろってことでんねん。そやからこの“里にも家にも、それぞれに神祀れと申してあろがな、ここの道理よく分らんか。”って言うのも、“上”との感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)をして、智性(神性)由来の自分の思想を持ち、智性(神性)で“創造”をしろって言われてて、それが神の思惑としての創造の法則だからこそ“道”(時間の進行)“理(ミチ)”(法則性)って言われてる。
ほんでから今の話の“上”との感応共振を、第二十二帖でも“まつりまつりと、くどく申して知らしてあるが、まつり合はしさへすれば、何もかも、うれしうれしと栄える仕組で、悪も善もないのぞ、まつれば悪も善ぞ、まつらねば善もないのぞ、この道理分りたか、祭典と申して神ばかり拝んでゐるやうでは何も分らんぞ。”とも言われてて、この文は、自己奉仕者が宗教や政治(まつりごと)を形骸にしたことまで指摘している。ほんでから自己奉仕者の心(靈)の動きである自我の肥大についても“慢心と取りちがひは調和(まつり)の邪魔になるからぞ。”って言われてる。そやけどこれを読んだ自己奉仕者の心(靈)の動きの人には、ピンと来ない解釈やろな。
まあエエわ。
ほんでから、第二十三帖では、霊的成長度に於ける認識の違いと、生命の存在の意味と意義は、神格化であり、誰もが避けて通ることができない“道”(時間の進行)“理(ミチ)”(法則性)でもあるってことを言われてる。
そして今後=アセンション後に移行でき得る霊的成長度の人を指して“因縁のみたま”って称されている。
それは、この文、“因縁のみたまにはよく分るぞ、この神示読めばみたまの因縁よく分るのぞ、神の御用する身魂は選(よ)りぬいて引張りて居るぞ、おそし早しはあるなれど、いづれは何うしても、逃げてもイヤでも御用さすようになりて居るのぞ。”で、この文の“神の御用”は言うまでも無くアセンション後の“創造”であり、そのために、霊的成長度に於いて分けるから“選(よ)りぬいて引張りて居るぞ”って言われてまんねん。

 さらに二十三帖に、霊的成長の道筋=“道”(時間の進行)“理(ミチ)”(法則性)として以下のようにも言われてる。
“早う身魂みがけと申すことも、悪い心 洗濯せよと申すことも分かるであろう。”
言うまでもなく“身魂磨き”は、“行”と“修行”により、生体内電流による肉体組織の結晶化。それは“上”の存在との感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)を起こし、自分の思想が今後=アセンション後の“創造”に見合ったものになっていく。
それが“ひつく”=太陽凝視を“行”として行うことでもある。

 そして、第二十五帖に、現時点での霊的干渉、自分の心(靈)の動きに対する霊的存在の感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)が、良くないってことを以下の文で指摘されている。
“大難を小難にまつりかへたいと思へども、今のやり方は、まるで逆様ざから、何うにもならんから、いつ気の毒出来ても知らんぞよ。”
説明するまでもなくこれは、今、大半の人が“下”(人の霊的成長を望んでいない存在)との感応共振をしている。そして自我の肥大=自己奉仕者に成り下がっている。
また、第二十六帖にも“向ふの悪神は今度は
ローレンツ力と ○ の元の神を根こそぎに無きものにして仕まふ計画であるから、その積りでフンドシ締めて呉れよ、”と称され、人の進化(霊的成長、神格化に向かうこと)を阻む存在の思惑を良く知ってくれれば、またそれは、本当の意味での進化を認識することにもなり得る。

ほんでから第二十七帖でも、今までの自己奉仕者の価値観では、今後=アセンション後の世界の創造には成りえず、仮にアセンション後でそんな心(靈)の動きをしたならば、間違いはすぐに正されるって言う意味のことまで言うてる。
“神の堪忍袋 切れるぞよ、臣民の思ふやうにやれるなら、やりて見よれ、九分九厘でグレンと引繰り返ると申してあるが、これからはその場で引繰り返る様になるぞ。”

 要は、富士の巻は、“上”との感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)と、自我の肥大は(“江戸と尾張”)、今後=アセンション後の“創造”を担う資格を持ち得ないことを指摘している。そのことを、平均的地球人の進化(霊的成長、神格化に向かうこと)過程である、自我中心の心(靈)の動きの人に伝え、人の認識を改め、そしてその認識を“一”=智性=1番目のオーラにしていく。
“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)はそれを人(日止、霊止)に望み、そうなって欲しい…それを伝えた文章でもあると思えるし、そやから“富士”は、頭=宀(うかんむり、頭の意味)、“一”=智性=1番目のオーラ、口、“田”(心、靈、の四つの場(フィールド)、大脳の新皮質)が重なった表記が、富士の“富”であり、また“富士(二二)”は、肉体の二つの磁性、日足(ひたり)と砌(みぎり)、ヨガで言えばイダとピンガラ、太陽の気道と月の気道があることまで感じさせる文章やった。
そやからそれは、端的に言えば、“上”は人(日止、霊止)の霊的成長を望んでて、アセンションはそのために霊的成長度に於いて分ける作業であり、アセンション後に移行できる人(日止、霊止)を多くしたいから、富士の巻は書かれたのであり、“上”の“慈悲”と“慈愛”の心(靈)が表れた文章やとKellyさんは思いまんねん。

ほんでから“日月神示”の解釈、アセンションの情報を引用した本、サイト、そんなものはとても多いけど、自分の智性(神性)がしっかりしていれば、その真贋を自分で判断できるし、そのために“上”との感応共振をして智性(神性)由来の見方(“観察と認識”)をして欲しい…そのことまでかんじさせる文もあり、そやから、その“上”の思惑を、多くの人(日止、霊止)に解って欲しいもんでんな。

次回からの“日月神示”のKellyさん的解釈は、天つ巻に入りまんねん。
 今回はこれくらいにしときまんねん。

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 Kelly & ○○○大先生

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このブログを書いている○○○の、
心(靈)の二面性であり、
同一人物で有る事を、
お断りしておきます。

出版の告知

四冊目&五冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈4〉
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目上(めうえ)と目下(めした)


神格化のプロセス 目上と目下 縮小版 ブログ用
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その他 お知らせ (3)



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2005年10月1日~2008年1月15日まで、
“Kellyさんとの会話”で、説明して来た事・・・
その内容・・・それは・・・その何年も前から、
何か自分の考えをある程度公表しなければならない・・・
そう言う通信を受け・・・その理由は・・・地球人が低い心(靈)の発現しかしていない・・・
それを自覚していない人が多い。
その事由来の太陽凝視に対する認識、
(太陽凝視=不食・・・としか、認識させない存在の思惑を、受信している事)
霊的成長に対する認識、
神に対する認識、
心=靈に対する認識、
オーラに対する認識、
そして、
高い認識の上での進化の意味と幸福の概念と神の概念・・・
進化=霊的成長=神格化=(相対的に)高い認識を獲得する事・・・
霊的成長=神に近づく事=真の幸福の意味。
霊的成長度は1番目のオーラに顕れる。
よって、宇宙的プログラムにより次の段階に移行する人(日止、霊止)は、 何を考えるべきなのか・・・
そして、人(日止、霊止)の進化を阻む存在の思惑、
その心=靈の動き、それらの意図・・・それが一般に認知されていない事。
それらを伝えなければ成らない・・・そして一応・・・完結はしたのですが・・・
解り難い・・・理解しがたい・・・具体例を示して欲しい・・・そう言う感想も頂き、
そして自分なりにも説明が足らなかった事・・・
更に、
“Kellyさんとの会話”が完結してからも通信を受けている事・・・そう云う事もあり・・・
よって、このブログを立ち上げる事としました。
従って、
“Kellyさんとの会話”が、
自分の意見を述べる上での、ローム太霊の言葉、
“右往左往”(“いきり立つ心(奴と心)”で行動してから考える)・・・と、 するならば、 このブログはアタシ自身の、
“左往右往”(“思う、憂う”・・・体験を教訓として考え行動する)の、
作業になって行くと思います。


太陽凝視を行っている鍼灸師の話 “総括編”
太陽凝視を行っている鍼灸師の話 “改”
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○○○大先生の水草水槽記録
facebook 児玉登







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自分達の欲望を満たしたい… 
自分だけ幸福になりたい…
こういった進化程度の低い心(靈)の発現由来の思いが、
低い幸福の概念になり(目下(めした)の思い)
その結果が、飢餓貧困、戦争の原因になったりしています。
(子供の浮游霊の霊的干渉の影響を受け、 それがどんどん増して行く事等が、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)
の思惑だと 思えます)

恨みの連鎖による霊的干渉を増やさない為、
その解消の為にも、(この趣旨に反する類の物もありますが) クリックをお願いします。
クリックした人に、お金の負担はありません。 ↓↓




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