先生の太陽凝視に付いて・・・メールで質問を貰ってまんねん・・・
太陽凝視に付いて、色々尋ねられる事がある・・・
それは、
興味本位の質問やったり、
正直・・・とろくさなってまって、
答えるのがタワケらしいって事もあったらしいやん。
そやけどその中で少数の人は、
太陽凝視に対して真剣に考え・・・
そう言う視点で訊かれる事もあったり・・・
それは、
質問する人により(質問する人の認識の程度=霊的成長度により)・・・
まちまちでんねん。
ほんでから、
メールだけや無く、直接会った人からもそう聞かれる事が多い・・・
いちいちそれに答えてたら、結構、手間が掛かるやん。
そやから・・・それにお答えしときまんねん。
質問は・・・大体、以下の内容やねんけど・・・
具体的に太陽凝視って言うのは何をするんですか?
太陽凝視の方法を教えてください。
どんな太陽凝視ですか?
一日どれ位してますか?
ほんでからさすがに・・・先生は不食ですか?・・・って質問は無かったけど・・・
これは、太陽凝視のやり方みたいな質問やな。
その意味とか意義とかは・・・訊ねられてない段階の質問やな。
そやから今回は、先生が今まで、
どんな風に太陽凝視をして来たのかをお伝えしときまんねん。
そやけど、
具体的な太陽凝視のやり方と、どれ位やっているのかは、
前のブログにも書いて有るんやけど・・・それは、
“あの長い文章を見てくれてないって事だね”・・・って、
先生は言うてて・・・
今、太陽凝視に興味を持ってはるなら、
ほんでから、
ほんまに自分自身が太陽凝視に対し、
価値のある何かを求めようとするなら、
せめて、
あの長いブログを全部読んでから質問してくれはったなら、
それは・・・
先生としても嬉しい事なんやろけど・・・
多分、
太陽凝視で検索して前のブログやこのブログに辿りついて、
そして、
質問やメールくれはる事自体が、
なんでも簡単に知識や知恵を得ようとする・・・
それは、インターネットの利便性でも有るんやけど、
それは・・・その事自体が、
“何かを真剣に・・・真摯に追求する姿勢を失って行く事だね”
・・・って、先生は嘆いてはった。
それでは価値のある何かを獲得するなんて出来へんやんか。
価値のある何かを獲得するのに、
どれ位自分のエネルギーを贖ったか・・・
自分達の霊的成長を望んではる存在は、
それをいつも見守ってて、
ほんでからに、よう頑張った人にしか、
通信を送るって事をせんし、
高い存在が持ってる“力”を加える事は、
せんって事でんねん。
それは簡単に言えば、
“上”からの許可が出ないって事でんねん。
ほんでからにローム太霊さんの言葉、
“苦に苦を重ね苦を求め更に苦を求めるのだ、楽を求めてはいかん。 ”
・・・でも、
そう言う意味の事を言うてるって事でんねん。
そやから先生と前に、“術”に付いて話をした。
その時に、
ローム太霊講話集の中のローム太霊さんの言葉でもある、
“法(のり)”とか“條(じょう)”・・・
それは“力”としての術の獲得の仕方と、
使い方の基準を獲得したって事でんねん。
それに付いては、とても大事な事やとKellyさんは思うから、
前のブログの記事、
思惑と顕現 “その六” 軍荼利明王と荼枳尼真天・・・
思惑と顕現 “その七” 軍荼利明王の“荼”・・・荼枳尼の“荼”・・・
・・・を、よく読んで欲しいねん。
繰り返すけど、
自分がどれくらいのエネルギーを、
どういうつもりで、
贖う(あがなう)のか・・・
それをせんと“上”との霊的干渉は起きへん。
そやから、一言で言えば、
簡単に価値のあるもんは得られへん・・・
それは当たり前の事やし・・・そう言う事を知って欲しいんやけど・・・
いきなりそんな事を頭ごなしに言うても、
霊的に幼い人にとっては、
只、厳しく感じたり、
突き放されたように思うたりするやろから、
しょうがないけど・・・Kellyさんが質問に答えまんねん。
太陽凝視って言うのは、字の如く、
太陽を見詰め、睨む事。
出来るだけ目を見開いて太陽を連続して睨み付ける事が、
凝視でんねん。
認識の低い人は、
只、
太陽の方に顔を向けて光を感じる事だって思うてる人もいてるようやけど・・・
それは太陽凝視とは言わへん。
それは単なる日光浴でんねん。
凝視って表現されてるんやから・・・
ほんでから先生は18歳のときから太陽凝視してはる。
現在52歳やから、
太陽凝視は35年目に入ったところでんねん。
ほんでから、一番最初の先生の太陽凝視は、
18歳の時、
太陽凝視を教えてくれたKさんから、
太陽凝視の事を聴いて、
Kさんのオーラを観測して・・・自分もこんな風に成りたいと思った。
そやから始めたんやけど・・・
そやけど一番最初の太陽凝視は、
4〜5分やったそうで、
それは、ヘタレで根性無しやったって事でんねん。(笑)
それから半年位してから・・・当時は学生って事もあり、
時間の制約があったから、昼間、自由になる時間があまり無く、
大体、一日、
2〜3時間の太陽凝視をしてはったそうでんねん。
ほんでから、
学校が休みの時は5〜6時間太陽凝視してはった時もあったそうやねん。
ほんでから段々長い時間の太陽凝視をするようになった。
そやけど若い時は、
遊びたいとかサボりたいとかの気持ちもあって、
途中・・・太陽凝視に対し・・・
“これは本当に自分にとって価値のある事なんだろうか?”
・・・って、疑問を感じたり・・・
色々迷った事もある。
その事も前のブログには書いてある。
そやけど今現在は、
先生自身にとって一番価値のある事やと思うてる。
そして・・・段々長時間の太陽凝視が出来るようになり、
そして、
太陽凝視が以前に比べ苦痛ではなくなってきてる。
今現在は、条件さえ良ければ、
それは、仕事などの用事がなく
更に、
高い振動が得られる空が青い時、
そう言う時は時間の許す限り、太陽凝視をしてはる。
今は、
一日中太陽凝視する事も良くあるそうでんねん。
ほんでから天気が悪いときは少しの仕事をして、
ブログの文章をパソコンに打ち込んだりしてまんねん。
そやからそれは、
先生が仕事をしながら、長時間太陽凝視する事を望み、
ずっとそれを望みつつ、生活してきはった。
それは、凄くエエ天気の時に仕事が忙しかったり、
仕事が無くってヒマな時に、天気が悪かったり・・・
なんでも最初から物事は上手く進まへん。
そういう時に、
自分の霊的成長と仕事の両立って事を考え、
今は、あんまり物も必要では無い。
金も沢山はいらへん。
そやから必要以上の収入を望んでない。
ほんでから、必要以上の金儲けは、
低い心(靈)の発現由来の事やって事も、先生は充分認識してはる。
そやから金儲け・・・そんな事にエネルギーを贖う(あがなう)ならば、
太陽凝視や電気行にエネルギーを贖うべきやと思い・・・
何年もそう思い・・・
それがある程度実現した=“上”から許可になった生活を、
今現在してはる。
そやから先生は今、たいして仕事をしてへん。
それでも食うのには困らへんくらいの収入はある。
それもさっき言うた通り、自分の生活の在り方を望んで、
“上”から許可が出て、
それと引き換えに沢山の金は入らんようになった。
それは、
自分の人生では、一体何を獲得するべきなのか?・・・の、
その答えと・・・良い形でもある。
ほんでから先生は、今のその状況にある程度満足してはる。
そやけど、話を戻すけど、
太陽凝視に比較的苦痛を感じなくなったとは言え、
大体3時間くらい連続で太陽凝視すると、
目を開けたまま失神する事があるようで、
その時に、
色んな存在との交流がある様やねん。
そうやって“上”からの通信を受けてるようでんねん。
それは、ここ数年で起き始めた事でんねん。
ほんでから、
先生は子供の頃から近眼で眼鏡をかけてはるんやけど、
必ず裸眼で太陽凝視をする。
それもお伝えしときまんねん。
それは、
眼鏡やコンタクトは一部の太陽の振動を遮蔽するからで、
ガラス越しの太陽凝視にも同じ事が言える・・・
それも知っておいて欲しい事でんねん。
ほんでからに、朝日や夕日だけの太陽凝視は、
太陽が送ってきている振動を、
地球の大気でフィルターをかけてる状態で、
そやから空は赤く見える。
そやからそれは、
人が感じる太陽の色そのものは、
空気の層が厚くなる事によって、
自分が獲得する振動の波長は、赤中心になる。
そやからそれは、
地球で獲得出来る太陽凝視の振動の一部しか感得しない。
太陽は、“上”から“下”まで、
色んな振動を送っているって事を、
理解して欲しい・・・って、
先生は言うてましてん。
そやからそう言う点で、
朝日と夕日の太陽凝視って言うのんは、
赤 橙 黄 緑 青 藍 紫の振動から言ったなら、
赤 橙 黄色・・・下三つのチャクラの強化になるとも言える。
そやから、
太陽凝視し始めの時はそれでもエエかも知れへんけど、
太陽凝視が進んだなら、
必ず真昼の白い光の時にもして欲しい。
先生はそう言うてはった。
そうやなかったならそれは、
心(靈)が獲得する振動が“上”の振動では無いって言うのは、
言い過ぎかもしれへんのやけど・・・
自分が“上”の振動を獲得したかったなら、
真昼の太陽凝視をするべきだ・・・って、
先生は重ねて言うてましてん。
そして、
春夏秋冬・・・その季節による太陽の振動の違い・・・
それぞれ送られてくる振動が違う事も認識して、
太陽凝視して欲しい。
一例を挙げれば、
春は、大体肉体を構成する為の振動・・・赤外線の波長が強い時で、
その時は、秋の太陽に比べ、
精神的な糧を得られる時では無く、
それは、
季節としての砌(みぎり)と日足(ひたり)があるって事でんねん。
それも何年か太陽凝視をして行くと、
段々、感じて行くものだって先生は言うてましてん。
ほんでから、
そう言う長い時間の太陽凝視の結果、
いつでも先生の顔は真っ黒やし、
先生の両眼は、
充血した血管が発達し、ほんでからに、
瞳の両側に黄班変性がある。
そやけど、別に物が見えん様になったとか、
見難くなったとかは無い。
ジジイになって最近は老眼が出始めてるけど・・・
そやからそれは、
前のブログに少し書かれてるけど、
長時間の太陽凝視をするって言うのんは、
それに伴う、
霊的資格が必要な事でもある。
極端な事を言えば、
霊的成長度が低い人は、太陽の光に当たっただけで皮膚癌になる。
そやから太陽凝視でも何でもそうなんやけど、
分相応って事を考えんならん。
その中で一歩一歩進んで行ったなら、
長時間の太陽凝視も出来るように成るやろから、
少しずつ時間を増やして、
そして、
自分の肉体の条件も良く観察して行って欲しい・・・とも、
言うてはった。
ほんでから、
太陽凝視を始めた当時は、
太陽の残像が残ってた事もあったけど、
今はまったくそんな事は無いって言うてはった。
それくらいの事はあるに決まってるやん。
“行と修行”なんやから・・・
そやから・・・先生の太陽凝視は、
具体的にはこんなところやけど・・・今回は冒頭にも言ったとおり、
具体的にどんな風にやって来たのかをKellyさんが話したんやけど・・・
それ以外にも、
太陽凝視をやっていく過程で色々疑問が湧いてくるもんやろ。
そやから何を言いたいかと言えば・・・
真剣に太陽凝視の価値を見出そうとする人(日止、霊止)は、
多分・・・先生の永遠の友人って事やろから、
そやから、
真剣に太陽凝視を追及したくって、
その上で何か疑問が湧いた人(日止、霊止)は、
メールなりコメントなりで質問して下さい・・・って、先生は言うてはったやん。
その事も、お伝えしときまんねん。
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