“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話

太陽凝視を一生涯の“行”とし(現在、44年目)、実践し、その上で獲得した認識を述べています。

Kellyさん、農業好きの社長婦人、K地M美さんと、形骸になった地鎮祭は、地鎮祭そのものに霊的な意義や神を見出していないっていう話を、場当たり的にする。

「Kellyさん、こんにちは。
このあいだは、人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在からのメッセージには、そのメッセージそのものに“上”“下”=高低があり、また、それを受け取る人の霊的成長度にも高低があるっていう、チョ~難しい話を、私にも分かりやすく説明していただいてありがとうございました」
「そんなふうに言うてもろたならチョ~恐縮でんねん」
「それで、今日もお訊ねしたいことがあるんですよ」
「なんでっか?」
「Kellyさんはご存知でしょが、私は、建設会社の社長婦人で、その立場だから、新たに工事を始めるところで地鎮祭に出席することが多いのですが、最近、地鎮祭を省略してしまう同業者が多くなってきているのですよ。
 これは問題なのではないのかなって思うんですが…」
「そうなんでっか。 それはいろんな問題を感じまんな。
ほんでから、K地はんが地鎮祭を省略してしまうことに対して問題を感じるのは、K地はんが信心深いやろからそう思うんやな」
「そうかもしれませんね。 
地鎮祭を省略してしまうこと事態が、地鎮祭に重要性を感じていないからだって私が感じている。 土地の神を蔑ろ(ないがしろ)にしている行為だって思うんですけどね。 
ですけど、今、Kellyさんは、私の心(靈)の動きを分析したんですね。 
やはり只者じゃないですね」(笑)
「またまたKellyさんを持ち上げてもろてチョ~恐縮でんねん。
そやから地鎮祭っていうのんは、土地の神さんに対する挨拶やし、その意味をK地はんは考えてはるし、そやから省略することに問題を感じてはる。
 まず、地鎮祭っていうのんは、どんな霊的存在に対するものなのか考えたらエエンやろけど、それをちょっと整理しようやおまへんか」
「そうですね。
 まず私が知っている範囲の地鎮祭は、Wikipediaで述べられていることくらいしか知らないんですけど、ちょっと説明させてもらいますね。

地鎮祭は、神を祀って工事の無事を祈る儀式と認識されており、安全祈願祭と呼ばれることもありますね。 それと、地鎮祭の呼び方もさまざまで、鎮地祭、土祭り、地祭り、地祝いって言う言い方もありますね。
でも、言い方は違っても、その意義は、地の神(氏神)を鎮め、土地を利用させてもらうことの許しを得る。
そして地鎮祭に相当することは、仏教にもあって、その場合は、地鎮法(じちんほう)、鎮宅法(ちんたくほう)、安鎮法(あんちんほう、安鎮国家不動法の略)、地天供(じてんく)、あるいは、地祭り、地堅めの法などとも言われるんですね。
それと、密教の場合は、不動明王を本尊として行う鎮宅不動法という儀式があり、堂宇(どうう、堂の軒、堂の建物のこと)や仏塔、墓碑を建立する前に、その土地を結界して、地天を本尊として、それを中心にして諸天の天神や、その土地で横死した霊魂なども含めて、それらを供養し鎮霊して、永久に障難が及ばないように修するとされている…なんて解説されてますね。

だから、その土地の場(フィールド)に存在すると思われる霊的存在に対することが、地鎮祭ですよね」
「さすが、お仕事柄っていうのんか、よくご存知でんな。 
今、K地はんが教えてくれはった地鎮祭の知識は、Kellyさんの知らんこともあったので、とても勉強になりましてんな。
 そやけど、今K地はんが言うたみたいに“土地の場(フィールド)に存在すると思われる霊的存在に対すること”、これも重要やけど、もっと“上”の存在も、人間のやることを見ている。 
それは、工事に限らず、人の行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)をすべて観ている。
このことは、今のWikipediaの解説を言うていただいたK地はんの説明には、無いことでんな」
「なるほど…地鎮祭ってことだけを考えると、やはり近視眼的な見方しかしないものですね。 だからそれは、私が思っていた地鎮祭、それは土地の場(フィールド)にいる霊的存在のことしか考えていない。
 でも、神の頂点とも言いうる“創造”の“主(ヌシ)”は、すべてを観察している。 
人間のやっていることすべてを観察している。 
その意味のことを今Kellyさんは私に言ったんですね」
「そうでんねん。
そやからほんまは、今回の話題の地鎮祭に限らず、いつも“創造”の“主(ヌシ)”の思惑があってこその、事象の“創造”ってことを考えるのが、神の子としての人の在り方やと思いまんねん。
それは…ちょっと解りやすい話をすれば、K地はんは農業がお好きやおまへんか。 
そやからK地はんが野菜作ってはる畑でも、今年はこれがたくさん取れた。これは駄目だったってことがありまっしゃろ」
「そうですね。 たまねぎやキャベツや白菜が取れすぎて困ったりもした時があったし、ほうれん草がたくさん取れたりとか、今年のほうれん草は出来が悪いとか…いろいろですね。
それと余談ですが、カリフラワーが豊作のときは、毎日食卓にたくさんのカリフラワーが登場して、その時、うちの娘たちは飽き飽きしていたらしいですし、それでうちの娘たちは、たくさん出来るからカリフラワーは安物だって思っていたらしいんですよ。
それで娘たちが料理を作り始めて、自分たちでカリフラワーを買いにいった時、カリフラワーってこんなに高いものだったの!って私に言ったことがありましたよ」
「キャッハハハ~~、それは微笑ましい話でんな」
「それ以外にも…冬瓜(とうがん)が大豊作の時、先生に何十個も持っていってもらったことがあったり、先生はその冬瓜をたくさんの人に分けたり、チョ~極上ラブラブ中高年夫婦 
-| ̄◇ ̄|-   ≁ξ*ο*ξ≁ 
にも、差し上げたりしたって聞いてますよ。

 そういえばその時に先生は、“冬瓜の神さんがK地さんの畑にやってきた”って言い方をしたことがある…思い出しました。
 ですからこの先生の言い方でも、畑の土地の神様、氏神を意識して作物を作らなければならないのでしょうし、もっと“上”の存在のことも考えねばならないのですね」
「そうでんな。
そやから今の話、農業に関していえば、畑で栽培する野菜は人間だけの力だけで出来ているのでは無いやおまへんやんか。
それを一つ一つ分析していけば、土地、肥料、日照、種を蒔いたり苗を植えたりの人間の作業、それを言い方を変えれば、土地の神さん、土地の土壌、そして、物質としての肥料、電磁誘導としての肥料、錯体としての肥料、肥料分っていうのんは水と反応してイオン化する。
それは“上”からの荷電粒子とも反応する。 人間の腹みたいなもんでんな。 “日月神示”の腹の水=“江戸と尾張”の“江”…自我の確立=固定化の段階、そして腹の位相のサイクロトロンみたいな作用もありまんな。
ほんでから言うまでもなく、日照は太陽やし、それは“上”からの荷電粒子でんな。
そして“上”からの荷電粒子そのものが、神さんの思惑でんな。
ほんでから人間が種を巻いたり苗を植えたりしながら思う、たくさん実って欲しいって願うこと=思惑は、野菜に対する人間の思惑と念になり、それは息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)でもある。
そやから農業でも、地鎮祭でも、人の思惑と、その場(フィールド)にいてる霊的存在と氏神さんの思惑と、もっと“上”の存在の思惑が加味してるとも言い得るやんか。
…そやけど、ちょっと話がそれてまんな」
「そうですね。 土地の場(フィールド)にいるだろう霊的存在よりも、“上”の話をしていたんでしたよね。
 ですから地鎮祭にも、もっと“上”の存在のことを工事を行う人が意識するべきですね」
「そうでんな。 そやからこそ宗教で地鎮祭をするようになったともいえることでんな。
 そやからそれは“上”の存在、ものすごく“上”を考えれば、“創造”の“主(ヌシ)”。
“創造”の“主(ヌシ)”は、“変圧”(アミの本で使われた概念。高い振動の霊的存在はいきなり低い心(靈)とは、感応共振しない)の過程で、人(日止、霊止)に宗教をたれて、霊的成長の指針として欲しい。 
そやから宗教で地鎮祭をする。 そういうことでもありまんな」
「そうですね。 
人は最初から霊的なことは解らない。神のことも解らない。 言い換えれば“創造”の“主(ヌシ)”の思惑をいきなり理解できない。
だから“変圧”の過程があり、“変圧”そのものが、人の霊的成長度って要因がある。
だから人の霊的成長=進化するに当たって、段々、神の思惑を理解するために、宗教が出来たとも言いうることですね。
そして宗教が出来た具体的なこととしては、“変圧”による損時点よりほんの少し“上”の憑依現象で、通信を送られたとか、特定の人が選ばれて、苦難を与えられてそれを乗り越えて貴い認識を獲得し、その苦難を乗り越える過程でその人のほんの少し“上”は、さまざまな通信を送ったりしているし、またそれは、もっと“上”から観られているから、教えられている=通信を受けているってことでもある。
大体、どの宗教の開祖でも同じようなパターンですよね。
ですからそれは、段々人間が神のことを認識したり、霊的な進化を認識したりする。 
地鎮祭だって、そういう視点で捉えなければいけない。 
そういうものの見方をするべきですよね」
「そうでんな。 
そやけど今一般に、地鎮祭を通じて霊的な意味を感じ(感じる磁性)るってことになって無い。
そやから、今回のK地はんの言葉、“地鎮祭を省略してしまうこと自体が、地鎮祭に重要性を感じていないからだって私が感じている。 土地の神を蔑ろ(ないがしろ)にしている行為だって思う”を聴いて、Kellyさん的にはまずそれを感じまんねん。
そやから地鎮祭を蔑ろ(ないがしろ)にしたその理由は、地鎮祭に霊的な意義を感じていない人が多い。 単なる儀式に成り下がってるし、言い換えればそれは、神主さんと坊さんの商売にしかなっていないってことやと思いまんねん。
ほんでからそれは、言うたらなんやけど、今、建設業界かて不景気で、経費の削減をせんならん。 
そやから、たいして重要やと思ってないことは経費節減で省くんやろな。
ほんでからそれは、今の地鎮祭そのものが、神主さんや坊さんの商売になってしもてるから、一般の人たちは地鎮祭そのものに重要な意義を見出せんようになってきているってこともあるし、そやからそれは、なんでどうでもエエ儀式に高い金を払わんならんのか。 そんな程度の認識しか持ってへんのやろな。
Kellyさん的にはそういう一般の認識の低さ、それも感じまんねん」
「そうですね」
「そやからそれは、地鎮祭に何かの効用を求めるとか、ご利益を求める気持ちがあるからでんねん。
神さんや仏さん、霊的に高い存在に対し、御利益を求める心(靈)の動きは、自分に甘い(亜、魔、出ずる、泉)人が思うことでんねん。
ほんでから霊的成長度の程度の低い、ただ学校行っただけの神主さんや坊さんは、ご利益を強調して、人を釣り、報酬を得ようとする。
ほんでからネットで検索すると、土地の浄化をしましょうとか、それにはなんとか水晶をご購入くださいとか、なんとかパワーストーンをご利用くださいとか、なんとか水をお使いくださいとか、御利益を強調するような商売ばかり目に付きまんな。
そやからそんなことで、地鎮祭の意味と意義、土地の神さん、氏神さんに対する礼儀を、蔑ろ(ないがしろ)にしているし、地鎮祭を通じて土地の場(フィールド)にいてる霊的存在と、工事を行うことを生業(なりわい)にしている人たちの霊的成長に対し、“上”が観ていることなど意識していないし、地鎮祭がただの儀式になり、商売に利用され、霊的な意味を見出せんようになってしもてるやんか。 
これは平均的な地球人に観られる一般的な傾向として問題にせんならんことやと思うけど、この問題点を理解できる人はとても少数やろな」
「そうですね。 
今Kellyさんがおっしゃった“学校行っただけの神主さんや坊さん”、こういう人たちに高度な霊的な認識っていうのはありませんよね。 宗教の知識を吹聴して利用しているだけですよね。 
 それと同じような事柄として、今、スピリチュアルを題材にした本はとても多いですけど、幸せになれますとか、スピリチュアルな癒しとか、心が楽になるとか、あなたをうるおすとか、ツキや幸運や福を引き寄せるとか、パワースポットとか、こんなふうに、御利益を強調して、御利益そのものを売りにして人を釣る傾向のタイトルのものが多いですよね。 
 だから、今Kellyさんが言ったみたいに、甘い(亜、魔、出ずる、泉)人が何を思い、甘い人を引き付け、そして商売をする。 
それと、一般に、甘い人が多いから、大多数だから、こういう商売は成り立っているってことでもありますよね。
 だからこの両者、地鎮祭にご利益を求める、スピリチュアルに甘い夢を求める、でも結果それは、ご利益も甘い夢もかなうわけが無い。 当たり前ですよね。
 だから地鎮祭は、効果の無いものと思われ、スピリチュアルも所詮、その場限りの甘い夢を見させ、雰囲気を楽しむものに成り下がっている。 
 そして地鎮祭を神主さんやお坊さんに頼んだ業者も、スピリチュアルに甘い夢やご利益を求める人も、所詮そんなものなんだって認識を持っている。 
だからこそ一般の人たちは、神や霊に対しても、スピリチュアルに対する認識も低すぎるし、今後も低くなっていくでしょうね。 
これも商売の道具に成り下がっている傾向が強いから、そうなっていくんですよね」
「まったくその通りでんな」
「霊的な認識、霊的成長、これらは本当は厳しいもので、そして貴いものですよね。 
ですからそれは、自分がエネルギーを贖い(あがない)、苦難を体験したり、人生においてたくさんの試練を乗り越えたりしないと獲得できない。 
そして苦難や試練は、苦痛であるからこそ生体内電流の強化になるし、オーラの大きさに反映するものでもあるし、またそれは自分の心の中の認識(悟り、幸取=さとり)そのものでもあり、そしてそれは、“一”=智性=1番目になり、1番目のオーラの大きさは、どれくらい神に近づいたのかの指標にもなる。 
先生はいつもそう言いますよね。
でも、今の話のように、御利益を求め甘い夢を見たい人は、ただ甘い。 
なんでも簡単に考え、良い結果を求めるのにも自分がエネルギーを使わない=贖う(あがなう)ことをしたくない。 
また今現在、さっきの話のようにそんな人ばかりになっている。
先生とKellyさんが憂いているのはそのことですよね。 
そんな考え方をする人が、良い世界を創ることはできない。 
だから、そういう甘い(亜、魔、出ずる、泉)考え、甘い認識を持っている人は、今後=アセンション後の“創造”を担うことは出来ない。 
これも当たり前ですよね」
「その通りでんな。
 そやけどK地はんは、地鎮祭にも問題点を感じ、今の薄っぺらい内容のスピリチュアル本にも問題点を感じてはる。
そやから、さっきKellyさんが言うた“この問題点を理解できる人はとても少数”の内の一人でんな」
「それはもう、毎週先生の治療を受けるたびにいろんな話を聴かされてますからね。 そんなことが何年も続けば、○○○大先生の思想に洗脳されますよ。 
ホホホ~~」
「キャッハハハ~、そうかもしれへんな」
「今日のKellyさんの話も、私が考えていた問題点を具体的にしっかり指摘していただいて、とても参考になりました。
また、お話させてくださいね」
「オッ○―牧場でんがな。 K地はんの連絡待ってまっせ~。
ほなさいなら」

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 Kelly & ○○○大先生

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このブログを書いている○○○の、
心(靈)の二面性であり、
同一人物で有る事を、
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四冊目&五冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈4〉
智性無き心は
悪を容認する


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈5〉
智性無き心は
アセンションを見誤る

 この二冊は、同時発売です。
太陽凝視を行っている鍼灸師の話 <4> 智性無き心は 悪を容認する & 太陽凝視を行っている鍼灸師の話 <5> 智性無き心は アセンションを見誤る サムネイル
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2010年 4月20日(火)ごろより、全国書店(紀伊國屋書店・三省堂書店・旭屋書店・ジュンク堂書店・ブックファースト・リブロ・丸善など)にて順次陳列。


発売中の三冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈3〉

神格化のプロセス
目上(めうえ)と目下(めした)


神格化のプロセス 目上と目下 縮小版 ブログ用
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発売中の二冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈2〉

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日足(ひたり)と砌(みぎり)


サムネイル太陽凝視を行っている鍼灸師の話〈2〉ローム太霊の教え 日足(ひたり)と砌(みぎり) 
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太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈1〉

ローム太霊との出会い


太陽凝視を行っている鍼灸師の話〈1〉ローム太霊との出会い
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2005年10月1日~2008年1月15日まで、
“Kellyさんとの会話”で、説明して来た事・・・
その内容・・・それは・・・その何年も前から、
何か自分の考えをある程度公表しなければならない・・・
そう言う通信を受け・・・その理由は・・・地球人が低い心(靈)の発現しかしていない・・・
それを自覚していない人が多い。
その事由来の太陽凝視に対する認識、
(太陽凝視=不食・・・としか、認識させない存在の思惑を、受信している事)
霊的成長に対する認識、
神に対する認識、
心=靈に対する認識、
オーラに対する認識、
そして、
高い認識の上での進化の意味と幸福の概念と神の概念・・・
進化=霊的成長=神格化=(相対的に)高い認識を獲得する事・・・
霊的成長=神に近づく事=真の幸福の意味。
霊的成長度は1番目のオーラに顕れる。
よって、宇宙的プログラムにより次の段階に移行する人(日止、霊止)は、 何を考えるべきなのか・・・
そして、人(日止、霊止)の進化を阻む存在の思惑、
その心=靈の動き、それらの意図・・・それが一般に認知されていない事。
それらを伝えなければ成らない・・・そして一応・・・完結はしたのですが・・・
解り難い・・・理解しがたい・・・具体例を示して欲しい・・・そう言う感想も頂き、
そして自分なりにも説明が足らなかった事・・・
更に、
“Kellyさんとの会話”が完結してからも通信を受けている事・・・そう云う事もあり・・・
よって、このブログを立ち上げる事としました。
従って、
“Kellyさんとの会話”が、
自分の意見を述べる上での、ローム太霊の言葉、
“右往左往”(“いきり立つ心(奴と心)”で行動してから考える)・・・と、 するならば、 このブログはアタシ自身の、
“左往右往”(“思う、憂う”・・・体験を教訓として考え行動する)の、
作業になって行くと思います。


太陽凝視を行っている鍼灸師の話 “総括編”
太陽凝視を行っている鍼灸師の話 “改”
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写真部の○○○大先生のページ
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自分達の欲望を満たしたい… 
自分だけ幸福になりたい…
こういった進化程度の低い心(靈)の発現由来の思いが、
低い幸福の概念になり(目下(めした)の思い)
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