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“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話

太陽凝視を一生涯の“行”とし(現在、46年目)、実践し、その上で獲得した認識を述べています。

“日月神示”天つ巻 第二十六帖 Kellyさん的解釈



 今回も、天つ巻 第二十六帖を解釈しまんねん。 原文は以下の通り。

天の日津久の神と申しても一柱ではないのざぞ、臣民のお役所のやうなものと心得よ、
一柱でもあるのざぞ。
この方はオホカムツミノ神とも現はれるのざぞ、
時により所によりてはオホカムツミノ神として祀りて呉れよ、
青人草の苦瀬(うきせ)なほしてやるぞ。
天明は神示(ふで)書かす御役であるぞ。
九月十一日、ひつ九ローレンツ力と ○  。

 冒頭の文。

“天の日津久の神と申しても一柱ではないのざぞ、臣民のお役所のやうなものと心得よ、
一柱でもあるのざぞ。”

 この“天の日津久”の“天”と“日津久”は、画像で解釈を紹介しまんねん。

天の解字 
日津久の解字


 これまで何回と言うてきているように、“日津久”“ひつく”っていうのは、太陽凝視を“行”として行うことであり、そやから艮(うしとら)の金神が、一番最初に人に教示を垂れたのは、黒住教であり、その教義の中で、朝日の日拝(にっぱい)、太陽凝視の入門、初心者向けの太陽凝視を教えた経緯がある。
 人が、霊的成長を示した表記としての“日止、霊止”になるっていうのんは、日(太陽からの電磁波)を止める、霊を止めるっていう意味でもある。 
 ほんでから“霊止”の、霊=靈の解字については、前のブログで紹介したこともあるけど、ちょっと解りにくいかもしれへん。 そやから画像を作り直したので以下に貼っておきまんねん。

靈の解字


そやから“日止、霊止”っていう表記は、“上”からの荷電粒子、電磁波、それは“創造”の“主(ヌシ)”の振動である“一”(亜から出ずる、アイ)を、肉体と心(靈)(霊=○、荷電粒子の場(フィールド))に止め(とどめ)、その影響を受けて“気血栄衛(營)”(取り込んだ振動で心(靈)と体が創り変わる)することが、“日月神示”で謳われている“ひつく”“日津久”。 
だからこそ、神に近くなる“日止、霊止”、または“日月神示”表記の“天詞様”、これらは“上”の思惑を自分の思想にする=神と認識を共有する=天意を受信すること。
それは“ひつく”“日津久”=太陽凝視を“行”として行うことであると確信する。
それを踏まえて、冒頭の文を解釈すれば“天の日津久の神と申しても一柱ではない”っていうのんは、一人ではないってことやろ。 
そして“ひつく”“日津久”が、霊的成長、神格化のためのものであるからこそ、今後=アセンション後は、天意を受けた“天詞様”が、事象の“創造”の要になる。 
そやから“臣民のお役所のやうなものと心得よ”っていわれており、そして“ひつく”“日津久”=太陽凝視を“行”として行うことは、“道理”=“道”(時間の進行)“理(ミチ)”(法則性)にかなっているからこそ、唯一の方法であるからこそ“一柱でもあるのざぞ”は、たった一つの方法であるってことやろな。

ほんでから次の文。 

“この方はオホカムツミノ神とも現はれるのざぞ、
時により所によりてはオホカムツミノ神として祀りて呉れよ、”

 この文の“オホカムツミノカミ”は意富加牟豆美神のことやろ。 意富加牟豆美神(オホカムツミノカミ)は、伊邪那岐命が黄泉の国から脱出するときに、追って来る黄泉の穢れた軍勢を追い払うのに、桃の実を投げつけ、その桃の実に対して命名したのが意富加牟豆美神(オホカムツミノカミ)でもある。
 少し古事記から引用すれば、伊耶那岐(いざなぎ)は、伊耶那美(いざなみ)を追って黄泉国(よみのくに)を訪れ、伊耶那美をつれて帰ろうとした。 そやけど伊耶那美は、黄泉戸喫(よもつへぐい)(へは、竈(かまど)の意)をしてしまったから帰れないと言った。
 要は穢れたから帰れないってことやろし、古事記を読んだ人は知ってはるやろけど、そのときの伊耶那美の体には、蛆がわき、八種の雷神(いかづちがみ)が成り出でていた。
 伊耶那岐がその姿を見て恐れ、逃げ帰ろうとすると、伊耶那美は、黄泉醜女(よもつしこめ)に夫を追わせた。 そのとき伊耶那岐は、髪飾りの黒い鬘(かずら)を取って投げ捨てると、葡萄(ぶどう)の実がなり、黄泉醜女がこれを拾って食べているあいだに伊耶那岐は逃げたんやけど、また追いかけてくるから、今度は右の角髪(みずら)の櫛(くし)をとって投げ捨てると筍(たけのこ)が生え、黄泉醜女がこれを抜いて食べているあいだに、ふたたび逃げた。
 そやけど伊耶那美は、八雷神に黄泉国の軍勢をつけてまた追いかけさせた。 伊耶那岐は十拳剣(とつかのつるぎ)で後ろを振り払いながら逃げ進み、ようやく黄泉比良坂(よもつひらさか)の下に着くと、坂の下になっていた桃の実を取って投げつけた。
 この桃の実が、意富加牟豆美神(オホカムツミノカミ)って命名を賜った(たまわった)。すると、追っ手は逃げ帰っていったとされてる。
 ほんでから、最後に伊耶那美が追いかけてきて、“あなたの国の人々を、一日に千人殺しましょう”って言った。
 それを聞いた伊耶那岐は、“私は一日に千五百の産屋(うぶや)を建てよう”と言った。
 この詳細は、古事記を読んでもらうこととして、要は、黄泉の穢れた軍勢は人間の世界にたくさんの災難や悪をもたらそうとした。
 それを防いだってことで、そやから霊的成長した“日止、霊止”は、今の自己奉仕者が創造しているこの世界の悪を、改めたり、自己奉仕者とは違う価値観を示したりもする。
 その意味のことを、意富加牟豆美神(オホカムツミノカミ)を引用して言うてるのやろ。

 ほんでから次の文。

“青人草の苦瀬(うきせ)なほしてやるぞ。
天明は神示(ふで)書かす御役であるぞ。”

 さっき引用した古事記の中の話にも“青人草の苦瀬(うきせ)”って表記はでてくる。 
そやけど“青人草”の解釈が重要やとKellyさん的には思う。 
ほんでから“青人草”(あおひとくさ)、それは
下つ巻 第十一帖でも出てきている言葉やから、そこからKellyさんの解釈をコピペしときまんねん。 

                                    ↓

“草木さへ神の心に従ってゐるではないか、
神のむねにそれぞれに生きてゐるでないか、
あの姿に早う返りて呉れよ、
青人草と申すのは草木の心の民のことぞ。”

この表現も “上”からの振動、特に草木って言うてるからこそ、太陽のことを指すと思える。 そやから“神の心”=太陽ってことでしかない。
ほんでから“青人草”…これは日本書紀に出てくる、“顕見蒼生、此をば宇都志枳阿烏比等久佐(うつしきあをひとくさ)と云ふ。”…のことらしく、ほんでから蒼生(そうせい)を青人草(あおひとくさ)と称され、それは国民、人民、民草ってことでんねん。
そやけどKellyさん的にはそんな意味だけではなく、そやからそれは…“青人草”“青”“人”“草”に分けて考えれば、青の上半分は生きるって言う字から、丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)を外した表現、ほんでからこれは前のブログ、思惑と顕現 その十 “上”の思惑と顕現…“天の御目” に使った画像やけど、重要やと思うから貼っておきまんねん。

生きるの解字 丿部(へつぶ)三つのオーラ(たて棒、コン)

生きるの解字 丿部(へつぶ)三つのオーラ(たて棒、コン)ほんでから“青”の下半分は“丹”やって事で、これは上つ巻の解釈で何回も言うたことやから詳細に述べるのはやめときまんねん。
ほんでから“人”は丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)と乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現)でもある。ほんでから “草”は、胸の磁性“十”と“日=太陽”と、クサカンムリ…そんなふうにしか見えへんな。
そやから“青人草”は、“上”の思惑を取り込み“一二三”のオーラにして縦の磁性(たて棒、コン)で繋ぎ、それは帯電するミネラルに“上”の思惑を取り込み蓄え肉体組織の結晶化をするのが“青”。 ほんでからそれは丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)と乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現)で、“人”。 進化して行く様子は “草”に現れてる。
“青人草と申すのは草木の心”
“草木”草と胸の磁性“十”と乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現)と丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)で、“木”。
何を取り込んだら人は進化=神格化して行くのか…それを問うてるように思える言葉やな。” 

                                     ↑ 
                                      引用終わり。

 そやから“青人草”(あおひとくさ)って表記は、やはり太陽を取り込んで胸の磁性“十”を高めていくことを指し、それは、第二十六帖の“ひつく”“日津久”=太陽凝視を“行”として行うことを指した表記やと思える。
ほんでから“青人草”(あおひとくさ)の真ん中に“人”が書かれてるのは、丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)と乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現)であり、その両方が相俟ってこそ、人は神格化する=独り神(ひとりがみ、日取り神)になる。
 ほんでから“青人草の苦瀬(うきせ)なほしてやる”の、“苦瀬(うきせ)”は、第二十六帖が、“ひつく”“日津久”を謳っている事を考慮すれば、地球人が霊的成長に向かうのに障害になっている何かを指し示していると思われる。
それは、甘い夢とか、“役員づら”(形骸の宗教や、アセンションや霊的成長に対し、甘い夢を見させ偽の情報を流すたぐいの人たち…それは悪魔の傀儡(かいらい、くぐつ)が語ってることとかを指していると思える。
 そやけど甘い考えの人は“苦瀬(うきせ)”に対し、苦痛がなくなるって解釈をするやろけど、そんなものではなく、霊的成長は厳しいもんや。 
目下(めした)(動物の心(靈)の段階)から、目上(めうえ)(人(日止、霊止)の進化過程、智性(神性)の獲得と行使)、この心(靈)の発現は“慈悲”と“慈愛”でもあるし、だから神格化のプロセスには、自省(胸の磁性“十”)の“行”はつきもんや。 
そやから試練いっぱいの苦しい人生を送らんならん。
 ほんでからに、ほんまの“行”と“修行”は厳しいもんや。 
それは、甘い夢を見て苦難から逃れようとか、薄っぺらい感謝って言葉に酔ったりとか、今、“感謝行”なんて、ただありがとさんって言ってるだけでエエみたいなことを言うてる人もいてる。
そんなもんや無い。
ほんでから、“行”と“修行”は、形骸の宗教で謳ってる行ごっこなんかでは決して無い。
ほんでから、“ひつく”“日津久”=太陽凝視を“行”として行う。
それは、たかだか数分や数十分の太陽凝視では、貴い認識(悟り、幸取=さとり)の獲得や“上”の思惑を自分の思想にする入り口みたいなもんで、そやから朝日の日拝(にっぱい)(太陽凝視の入門、初心者向け)くらいからはじめればエエのやろけど、長時間の太陽凝視は大変な苦痛を味わうことになる=たくさんのエネルギーを贖う(あがなう)。
 そやから厳しいし、厳しいからこそ、苦痛と苦悩があるからこそ、貴い認識は得られるもんや。
 そやからローム太霊さんは、“苦に苦を重ね、苦を求め、更に苦を求めるのだ。楽を求めてはいかん。”って言うた。 ほんでから“粘りとやせ我慢”とも言うた。
 そやから今後=アセンション後に向かって、自分が霊的成長し、認識を改め、自分の在り方を真剣に思う人は、今、ニセ物の薄っぺらい情報が多い中、なにが自分にとって真実=真固止なのか、それは例えば、先生が、<5> 智性無き心はアセンションを見誤る の中で述べたように(213ページ)、なにが悪魔の計画でなにが神の計画なのか、それを見極める視点=天の御目(あめのおめ)を持って欲しいって切望しながら…今回はこれくらいにしときまんねん。

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 Kelly & ○○○大先生

Author: Kelly & ○○○大先生
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Kellyさんと○○○大先生は、
このブログを書いている○○○の、
心(靈)の二面性であり、
同一人物で有る事を、
お断りしておきます。

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2005年10月1日~2008年1月15日まで、
“Kellyさんとの会話”で、説明して来た事・・・
その内容・・・それは・・・その何年も前から、
何か自分の考えをある程度公表しなければならない・・・
そう言う通信を受け・・・その理由は・・・地球人が低い心(靈)の発現しかしていない・・・
それを自覚していない人が多い。
その事由来の太陽凝視に対する認識、
(太陽凝視=不食・・・としか、認識させない存在の思惑を、受信している事)
霊的成長に対する認識、
神に対する認識、
心=靈に対する認識、
オーラに対する認識、
そして、
高い認識の上での進化の意味と幸福の概念と神の概念・・・
進化=霊的成長=神格化=(相対的に)高い認識を獲得する事・・・
霊的成長=神に近づく事=真の幸福の意味。
霊的成長度は1番目のオーラに顕れる。
よって、宇宙的プログラムにより次の段階に移行する人(日止、霊止)は、 何を考えるべきなのか・・・
そして、人(日止、霊止)の進化を阻む存在の思惑、
その心=靈の動き、それらの意図・・・それが一般に認知されていない事。
それらを伝えなければ成らない・・・そして一応・・・完結はしたのですが・・・
解り難い・・・理解しがたい・・・具体例を示して欲しい・・・そう言う感想も頂き、
そして自分なりにも説明が足らなかった事・・・
更に、
“Kellyさんとの会話”が完結してからも通信を受けている事・・・そう云う事もあり・・・
よって、このブログを立ち上げる事としました。
従って、
“Kellyさんとの会話”が、
自分の意見を述べる上での、ローム太霊の言葉、
“右往左往”(“いきり立つ心(奴と心)”で行動してから考える)・・・と、 するならば、 このブログはアタシ自身の、
“左往右往”(“思う、憂う”・・・体験を教訓として考え行動する)の、
作業になって行くと思います。



自分達の欲望を満たしたい… 
自分だけ幸福になりたい…
こういった進化程度の低い心(靈)の発現由来の思いが、
低い幸福の概念になり(目下(めした)の思い)
その結果が、飢餓貧困、戦争の原因になったりしています。
(子供の浮游霊の霊的干渉の影響を受け、 それがどんどん増して行く事等が、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)
の思惑だと 思えます)

恨みの連鎖による霊的干渉を増やさない為、
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