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“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話

太陽凝視を一生涯の“行”とし(現在、46年目)、実践し、その上で獲得した認識を述べています。

“日月神示”天つ巻 第三十帖 Kellyさん的解釈



今回も、天つ巻 第三十帖を解釈しまんねん。 原文は以下の通り。

富士とは火の仕組ぞ、渦うみとは水の仕組ぞ、今に分りて来るのぞ。
神の国には、政治も経済も軍事もないのざぞ、まつりがあるだけぞ。
まつらふことによって何もかもうれしうれしになるのざぞ。
これは政治ぞ、これは経済ぞと申してゐるから「鰻つかみ」になるのぞ、
分ければ分けるほど分からなくなって手におへぬことになるぞ。
手足は沢山は要らぬのざぞ。
火垂(ひだり)の臣(おみ)と水極(みぎり)の臣(おみ)とあればよいのざぞ。
ヤとワと申してあろうがな、その下に七七ゝゝゝゝと申してあろうがな。
今の臣民 自分で自分の首くくるやうにしてゐるのぞ、手は頭の一部ぞ、手の頭ぞ。
頭、手の一部でないぞ、この道理よく心得ておけよ。
神示は印刷することならんぞ、この神示説いて臣民の文字で臣民に読める様にしたものは一二三(ひふみ)と申せよ。
一二三は印刷してよいのざぞ。印刷結構ぞ。
この神示のまま臣民に見せてはならんぞ、役員よくこの神示見て、その時によりその国によりて それぞれに説いて聞かせよ。
日本ばかりでないぞ、国々ところところに仕組して神柱つくりてあるから、今にびっくりすること出来るのざぞ、世界の臣民にみな喜ばれるとき来るのざぞ。
五六七(みろく)の世近づいて来たぞ。
富士は晴れたり日本晴れ、富士は晴れたり日本晴れ。
善一すぢとは神一すぢのことぞ。
この巻を「天つ巻」と申す、すっかり写して呉れよ、すっかり伝へて呉れよ。
九月十四日、ひつ九のか三。

 この第三十帖は、天つ巻の最後の章になる。 そやから今までの纏め(まとめ)みたいなことが書かれてると思われる。(上つ巻から天つ巻まで)
 まず冒頭の文。

“富士とは火の仕組ぞ、渦うみとは水の仕組ぞ、今に分りて来るのぞ。”

 “富士”は、ここまでの“日月神示”(上つ巻 下つ巻 富士の巻)では、“富士(二二)”って表記でも書かれており、Kellyさん的には“富士(二二)”=肉体の二つの磁性、日足(ひたり)と砌(みぎり)、ヨガで言えばイダとピンガラ、太陽の気道と月の気道って解釈をしてきた。 そしてこんな画像も作った。

富士の解字

 そやから“富士(二二)”っていうのんは、“上”との感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)も示し、それで自分の思想となし、そのことを、ここまでの“日月神示”では“天詞様”って言われてるって解釈をしてきている。 
 要は、霊的成長を示す“一”=智性=1番目のオーラ、それは智性(神性)の獲得。
そして“智性”は、漢字そのものを見れば日を知る性質ってことにもなる。 そやから“ひつく”は太陽凝視でもあるって言い方もしてきた。 
そやから、艮(うしとら)の金神と名乗る霊団が、最初に人にかかり、教義を述べたとき(黒住教のこと)、朝日の日拝(にっぱい)=太陽凝視の入門みたいなことを述べたのだと思われる。
これらのことを踏まえて、この文の“富士とは火の仕組ぞ、”の“火”は、エネルギーの昇華を示す表記であると思える。
そしてそのエネルギーの昇華は、前のブログでもこのブログでも幾度となく説明してきた、腹から“上”の心(靈)の発現と心(靈)の動き、自我の確立=固定化から“慈悲”と“慈愛”と智性(神性)、マニピューラチャクラからアナハタチャクラ、第三密度から第四密度(宇宙的な存在がよく使う言い回し)、“日月神示”なら腹は“江戸と尾張”、それは腹の水=“江戸と尾張”の“江”…自我の確立=固定化の段階、そして腹の位相のサイクロトロン。
進化した脊椎動物、進化した左右相称動物である人間の肉体は、三つのコンデンサーが縦に連なっている。
だから下のコンデンサーから上のコンデンサーへは、高い振動しか上がらない。
その意味で次の言葉。

“渦うみとは水の仕組ぞ”

 “渦うみ”とは、荷電粒子の回転を指し、“水の仕組み”は、マニピューラチャクラの事を指し、それは上に引きあがっていない荷電粒子の回転と、“上”から注がれてる荷電粒子の取り込みと増幅(“畐”、息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信))を指していると思われる。 そしてこのことは今までの地球人の進化(霊的成長、神格化に向かうこと)過程でもあるし、それは、本能から自我の確立=固定化までの進化過程を指す。
 “上”から注がれる荷電粒子は、神の思惑、普遍的に実在する創造主のオーラ(宇宙背景放射)であることを前のブログで説明した。 
そしてその取り込みの仕組みは、肉体が持つ縦の磁束によるローレンツ力。
 それを“日月神示”では、 ローレンツ力 で示しているという解釈をしてきている。
 だから腹の位相の荷電粒子の回転と増幅(マニピューラチャクラ)は、サイクロトロンに似ている。
 そしてその段階の霊=○、荷電粒子の場(フィールド)、言い換えれば心(靈)の発現は、自我である。
 そして自我の肥大が“石屋の仕組み”でもあるし、“日月神示”の“石”って表記は、帯電するミネラルが、固まっていない状態を指し、それは真に固く止めるという意味での、真固止(まこと)ではない。
 そのことを“今に分りて来るのぞ。”と言われてて、今の地求人は、心(靈)の発現の段階も、仕組みも、全然わかっていないって言われてるようにも聞こえる。
 それは進化の意味、進化とは、霊的成長、神格化に向かうことであるって認識が無い。
 このことが解っていないと、自分が自分の心(靈)の動きを判断する際、何が“上”なのか何が“下”なのか、言い換えれば自分の心の中の“善(神格化の方向性と智性の受信)”と“悪(心の動きの本能化と低振動化)”を見出すことができない。
 また自分の心の“上”と“下”、“善(神格化の方向性と智性の受信)”と“悪(心の動きの本能化と低振動化)”を見出そうとするのが、自省(胸の磁性“十”)の“行”でもあるし、般若心経の“観自在”でもあるし、神道の“直日”(なおひ)の意味でもある。
 それと、自省しないで自分の心(靈)の動きの“上”と“下”を見出さない心(靈)に、恨みの連鎖で増えているたくさんの浮遊霊は、三毒、貪、瞋、痴(とん、しん、ち、)の心(靈)で感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)する。 
平均的地球人の進化(霊的成長、神格化に向かうこと)過程=自我の確立=固定化の段階の心(靈)は、低い霊的存在しか感応共振と同調しない。 
それを“日月神示”の表記で言い換えれば、“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)と感応共振しないのだから、“天詞様”では無いってことになる。
 だから大半の地球人が追い求めているのは、甘い夢、目先の欲望の達成、本能に由来する欲望や物欲、金に対する執着…etc.
 それが“石屋の仕組み”(帯電するミネラルが固まっていない=真固止ではない=腹の水(“江戸と尾張”の“江”)だって説明してきたし、またそれは、自我の肥大であり、“慈悲”と“慈愛”を発現して無いから、他者を思いやれず、“(“慈悲”と“慈愛”由来の)厳しさ”を持っていない。
 そやからそれを知らんならん。 思い知らんならん。 アセンションに伴う醜い事象は、今までの地球人がやってきたことの結果であり、戦争だろうが災害だろうが、今ニュースでやっている政治家の自我の肥大した様子だろうが、すべて自分たちの自省(胸の磁性“十”)のためである。
 その意味でも“今に分りて来るのぞ。”って言われてて、それは分かっていないと進化(霊的成長、神格化に向かうこと)しないって言い回しにも聞こえる。

 その意味で次の文。 

“神の国には、政治も経済も軍事もないのざぞ、まつりがあるだけぞ。
まつらふことによって何もかもうれしうれしになるのざぞ。
これは政治ぞ、これは経済ぞと申してゐるから「鰻つかみ」になるのぞ、
分ければ分けるほど分からなくなって手におへぬことになるぞ。”

 この文の“まつり”“まつらう”は、ひらがなで書かれてる。 祭り、祀り、いろんな意味に解釈できる。これについては“上”との感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)だって何回も説明した。 以前に紹介した画像を以下に貼っておきまんねん。
“祭り”と“祀り”の解字と意味の違い

 要は、“まつり”“まつらう”は、“上”の思惑を取り込んで(“天詞様”)自分の思想にすること。 
そして“上”の高い振動を取り込む肉体を作るのは、“道理”(“道”(時間の進行)“理(ミチ)”(法則性))にかなった“行”と“修行”であり、それが“ひつく”“日津久”=太陽凝視を“行”として行うことであり、それを“日月神示”では、“身魂磨き”=(生体内電流による)肉体組織の結晶化と言い表されている。
そしてこの文でも言われてる政治の政、“政(まつりごと)”、これも“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)との感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)がなくてはならないけど、今の政治は自我の肥大した人が政治家になっている。 金と薄っぺらい名誉と物欲が中心の政治家ばかりでもある。 そしてその政治家を利用している大企業は…こんなことを説明するのはこのブログの趣旨では無いから、これくらいにして、そやからそれはいかに人の心が醜いのか、言い換えればそれは、この世界=この事象は、程度の低い心(靈)の動きの人が中心になって活躍してきた世界なのかを、今、私たちは見せられている。
 話を戻し、“身魂掃除”“身魂洗濯”して自分の心(靈)の動きを分かり、“身魂磨き”=(生体内電流による)肉体組織の結晶化していけば、“まつらふことによって何もかもうれしうれしになる”って言われてると思えるし、それはくどい説明はいらんけど、今の事象は恨みの連鎖の霊的干渉に満ち溢れてて、訳の分からん事件や病気や災害や、いずれ戦争も起きるかもしれん。 そんなことは今まで地球人がやってきたことの結果だから、今後、見せられるし、もっと多くなるやろ。
 そしてこの文の“これは政治ぞ、これは経済ぞと申してゐるから「鰻つかみ」になる”っていうのは、その前の文の“うれしうれし”にかかる言い回しで、今が“うれしうれし”でないのは、目先の価値観で動いているから=自我の肥大で物事の価値を判断したり、薄っぺらい幸福を求めているから、本当の幸福=神格化を知らんし、真実=真固止を見出せない。 またそんな程度の認識だから目先の政治や経済しか知らんって言い回しやし、それを“「鰻つかみ」”って言い表されてると思える。

 そして次の文。

“手足は沢山は要らぬのざぞ。
火垂(ひだり)の臣(おみ)と水極(みぎり)の臣(おみ)とあればよいのざぞ。
ヤとワと申してあろうがな、その下に七七ゝゝゝゝと申してあろうがな。”

 この文の“手足”は、思惑を顕現する意味のことやろ。 そやからそれは、行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)でもある。
 そして人の行動は、“思惑の顕現”=現象化であり、それを古神道の言葉で言い換えれば、日足(ひたり)=思惑、砌(みぎり)=行動や顕現や現象化でもある。
 さらにこの文では“火垂(ひだり)”“水極(みぎり)”って表現されている。
 さっきも説明したとおり“火”は、エネルギーの昇華であり、肉体においては、腹から“上”にエネルギーが移行することでもある。 そしてこの文の表記の“水極(みぎり)”の水は、腹の水=“江戸と尾張”の“江”…自我の確立=固定化の段階、そして腹の位相のサイクロトロンやろ。
 自我の確立=固定化は、生命が独り神(ひとりがみ、日取り神)になる過程で絶対に必要。 それはまた、自己と他者、神と自分、“上”と“下”を認識するためにも必要である。
 そして自我がなければ、自分たちの幸福を願わない。 
そして自分だけの幸福を願うのが“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”なんやけど、“火垂(ひだり)”って表記のように、自分の心(靈)が自我より“上”の心(靈)を持ち=“火垂(ひだり)”の“乗”。 そうなれば=“慈悲”と“慈愛”の心を持てば、腹から“下”の心(靈)、“水極(みぎり)”の“極”(きわまり)を理解する。
要は、自己観察できる=“身魂掃除”“身魂洗濯”できるってことやと思う。
そして“ヤとワ”は、“日月神示”
上つ巻 第二十四帖 Kellyさん的解釈で以下のように解釈した。 コピペしておきまんねん。
 
“「ヤ」”は、“道ひらき”の“風止麻邇言霊学(ふとまにことだまがく)”から引用すれば、“その心は高台(たかと)高き段に進む”って、書いてあった。 これは先生の概念の、アイ、愛(炁)“亜”が出(いずる)、その心(靈)の動きって言うのんは、自分の良い形を求める。 ほんでから、自分を含めた現津(あきつ)=観察され得る事象の、すべての良いカタチを求める。 そして、霊的成長そのものを指す。
 そやから、高台(たかと)高き段…そう認識され得る何かを、求める。 時間の進行と共に求め続けるのが人(日止、霊止)でもある。 日止、霊止は、“上”の振動を止めるって言う意味でもある。
 人は、丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)と、乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現)でもある。
そやから“「ヤ」”は、その心(靈)の動きそのもののような気がするし、それは、右、砌(みぎり)のエネルギー=“いきり立つ心(奴と心)”(肝)、それは創造のエネルギーなのかも知れへんな。 多分そうやろ。
 ほんでから、“「ワ」”は、同じく“道ひらき”の“風止麻邇言霊学(ふとまにことだまがく)”に、“物を生む、生まれしものを和合する意”とか、生命(生きる使命=存在理由)の調整の義、そう言う表現がしてあり、ほんでから、Kellyさん的に思う“生まれしもの”、それは、現津(あきつ)=観察され得る事象そのものであり、事象の創造は自分の思惑の顕現でもある。
それを心(靈)が観察するからこそ事象を認識出来得る。 そやから、自分の心(靈)の発振、発信=息でもあり、呼吸、息吹、気吹、生吹、でもある。
そやから“「ワ」”は生命(生きる使命=存在理由)調整義で、和合で、それは左往右往でもある。 良いカタチの創造でもある。
 それをせんならんのが人(日止、霊止)の使命でもあるな。

引用終わり。

そやから“ヤ”は、日足(ひたり)であり、“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)との感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)をした思惑であり、それは“火乗(ひだり)”であり、その心(靈)の動きで、事象の“創造”=顕現をするのが“水極(みぎり)”であると思える。
さらに今言うたことを強調することとして“七七ゝゝゝゝ”って書かれてる。 “七”については、以前紹介した画像を以下に貼っておきまんねん。
七の解字 “一”=智性=1番目のオーラと処イ部(いんぶ)(人の思惑の顕現)


 そして次の文は低い“思惑の顕現”=現象化である意味での“手足”について言われてる。

“今の臣民 自分で自分の首くくるやうにしてゐるのぞ、手は頭の一部ぞ、手の頭ぞ。
頭、手の一部でないぞ、この道理よく心得ておけよ。”
 
この文の“頭、手の一部でないぞ”、これは、“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)との感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)する肉体の器官は、言うまでもなく頭であり、目上(めうえ)(大脳新皮質、“田”(心、靈、の四つの場(フィールド))でもある。
 そしてその発振、発信は、“一”=智性=1番目のオーラになる。 そやからこの文自体が、智性(“一”、1番目のオーラ)なき行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)は、自我の肥大であり、“石屋の仕組み”であり、恨みの連鎖の霊的干渉の結果として“自分で自分の首くくるやうにしてゐる”って言われてるだけでんねん。

 ほんでから次の文。

“神示は印刷することならんぞ、この神示説いて臣民の文字で臣民に読める様にしたものは一二三(ひふみ)と申せよ。
一二三は印刷してよいのざぞ。印刷結構ぞ。
この神示のまま臣民に見せてはならんぞ、役員よくこの神示見て、その時によりその国によりて それぞれに説いて聞かせよ。”
 
 これは“日月神示”をそのまま印刷して流布してはいかんって言ってると思える。 “日月神示”そのものは、とても高い霊的存在の思惑で書かれてて、その文字の意味や解釈がとても重要。 それはここまでKellyさん的“日月神示”解釈をよんではる人に、あえて説明するようなことではない。
 ここまで“日月神示”を読み解いてきても、言葉には一貫した法則性があり、“日月神示”自体が心の在り方と神格化と進化(霊的成長、神格化に向かうこと)のプロセスと肉体の秘密を説いている。
 それをこの文の“一二三(ひふみ)”って言い表していて、通常の“日月神示”の解釈や引用は、“一”=智性=1番目のオーラの小さい人の解釈だから、言葉や文の引用しか出来ていない。
 その意味で“この神示のまま臣民に見せてはならんぞ、役員よくこの神示見て、その時によりその国によりて それぞれに説いて聞かせよ”って言われてて、この“役員”は、言うまでもなく霊的成長を果たした、認識(悟り、幸取=さとり)が拡大した人のことを指す。
 
 ほんでから次の文。

“日本ばかりでないぞ、国々ところところに仕組して神柱つくりてあるから、今にびっくりすること出来るのざぞ、世界の臣民にみな喜ばれるとき来るのざぞ。
五六七(みろく)の世近づいて来たぞ。”

 “神柱”は、“上”と“下”をつなぐものやろ。 そやからそれは天意を受ける人=“天詞様”、そういう存在は世界中にいるってことを言うてるのやろ。
 アホな日本人は、日本だけが神国って解釈をするけど、その解釈そのものが自我の肥大であり、“慈悲”と“慈愛”が無いから許容ってことも無い先入観で人を見下す。
 余談やった。
 そして“五六七(みろく)の世近づいて来た”は、アセンション後の事を指し、“五六七(みろく)”は、霊的進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の過程なんだって説明をしてきた。
 それは“五”は糸巻きの象形文字、神経が密になる様子。 “六”は爻部(こうぶ)=丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)と乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現)が重なった表記で、交わるの意味。“七”は、さっき画像で示したとおり。
 要は、神経が密になるからこそ=肉体の磁束がきょうかされるからこそ、ローレンツ力は強力になり、“上”からの荷電粒子、普遍的に実在する創造主のオーラ(宇宙背景放射)を取り込んで、自分の思想=思惑とすることが出来るようになる。
 その具体的な方法が“行”と“修行”による“身魂磨き”=(生体内電流による)肉体組織の結晶化であり、さらに“創造”の“主(ヌシ)”の振動を取り込む方法が、“ひつく”“日津久”=太陽凝視を“行”として行うことでもある。

 ほんでから次の文。

“富士は晴れたり日本晴れ、富士は晴れたり日本晴れ。
善一すぢとは神一すぢのことぞ。
この巻を「天つ巻」と申す、すっかり写して呉れよ、すっかり伝へて呉れよ。”

 この文の“善一すぢとは神一すぢのことぞ”は、今、“善一すぢ”ではなく、また、“神一すぢ”では無いってことで、それは人(日止、霊止)の進化(霊的成長、神格化に向かうこと)が、道を見誤ってるっていう言い方でしかない。
 いうまでもなく自分たちが事象を観察して感じ(感じる磁性)る善は、“善(神格化の方向性と智性の受信)”であり、それは自分たちの“道”と“理(ミチ)”(霊的成長の法則性)を見出すものである。
 そして“富士は晴れたり日本晴れ”については、“富士”はこの章の冒頭で画像を紹介した。 “晴れたり日本晴れ”は以前紹介した画像を貼っておいて、今回はこれくらいにしときまんねん。

“晴れたり日本晴れ”の解字

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 Kelly & ○○○大先生

Author: Kelly & ○○○大先生
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Kellyさんと○○○大先生は、
このブログを書いている○○○の、
心(靈)の二面性であり、
同一人物で有る事を、
お断りしておきます。

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☆ 紫光会経文の文言 Kellyさん的解釈 (18)
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☆ 先生が撮る比較的まともな写真 (32)
☆先生が室内で写真を撮るときのセッティング (6)
その他 お知らせ (3)



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2005年10月1日~2008年1月15日まで、
“Kellyさんとの会話”で、説明して来た事・・・
その内容・・・それは・・・その何年も前から、
何か自分の考えをある程度公表しなければならない・・・
そう言う通信を受け・・・その理由は・・・地球人が低い心(靈)の発現しかしていない・・・
それを自覚していない人が多い。
その事由来の太陽凝視に対する認識、
(太陽凝視=不食・・・としか、認識させない存在の思惑を、受信している事)
霊的成長に対する認識、
神に対する認識、
心=靈に対する認識、
オーラに対する認識、
そして、
高い認識の上での進化の意味と幸福の概念と神の概念・・・
進化=霊的成長=神格化=(相対的に)高い認識を獲得する事・・・
霊的成長=神に近づく事=真の幸福の意味。
霊的成長度は1番目のオーラに顕れる。
よって、宇宙的プログラムにより次の段階に移行する人(日止、霊止)は、 何を考えるべきなのか・・・
そして、人(日止、霊止)の進化を阻む存在の思惑、
その心=靈の動き、それらの意図・・・それが一般に認知されていない事。
それらを伝えなければ成らない・・・そして一応・・・完結はしたのですが・・・
解り難い・・・理解しがたい・・・具体例を示して欲しい・・・そう言う感想も頂き、
そして自分なりにも説明が足らなかった事・・・
更に、
“Kellyさんとの会話”が完結してからも通信を受けている事・・・そう云う事もあり・・・
よって、このブログを立ち上げる事としました。
従って、
“Kellyさんとの会話”が、
自分の意見を述べる上での、ローム太霊の言葉、
“右往左往”(“いきり立つ心(奴と心)”で行動してから考える)・・・と、 するならば、 このブログはアタシ自身の、
“左往右往”(“思う、憂う”・・・体験を教訓として考え行動する)の、
作業になって行くと思います。



自分達の欲望を満たしたい… 
自分だけ幸福になりたい…
こういった進化程度の低い心(靈)の発現由来の思いが、
低い幸福の概念になり(目下(めした)の思い)
その結果が、飢餓貧困、戦争の原因になったりしています。
(子供の浮游霊の霊的干渉の影響を受け、 それがどんどん増して行く事等が、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)
の思惑だと 思えます)

恨みの連鎖による霊的干渉を増やさない為、
その解消の為にも、(この趣旨に反する類の物もありますが) クリックをお願いします。
クリックした人に、お金の負担はありません。 ↓↓




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