“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話

太陽凝視を一生涯の“行”とし(現在、44年目)、実践し、その上で獲得した認識を述べています。

“日月神示” 上つ巻 第十帖 Kellyさん的解釈



今回も、“日月神示”上つ巻 第十帖 の、解釈をしまんねん。
原文は以下の通り、


神に目を向ければ神がうつり、
神に耳向ければ神がきこえ、
神に心向ければ心にうつる、
掃除の程度によりて神のうつりかた違うぞ。
掃除出来た方から神の姿うつるぞ、
それだけにうつるぞ。
六月十九日、ひつくのか三。

・・・短い文章やけど、感応共振の事を言うてる。
それは、
自分の心(靈)の受発信でもあるし、
霊的干渉でもある。

ほんでからに、

“神がうつり”
“神がきこえ”
“心にうつる”

それは“上”の認識を持って欲しいって事でもあるし、
ほんでから上つ巻 第九帖 の言葉、
“この世のやり方”の為に、
自分と神の認識を持って欲しいって事でもある。

ほんでから、
“掃除の程度によりて神のうつりかた違うぞ。
掃除出来た方から神の姿うつるぞ、
それだけにうつるぞ。”

これは心(靈)の発現の段階の事も言うてる。
低い心(靈)の発現の段階の人って言うのんは、
ほんまに価値の有る事を自分の利益の為の商売にしてしまう。
その事は前回も言うたし・・・何回も先生と一緒にぼやいた事でもあるけど、
その事そのものが、
自分達の心(靈)の発現の段階を示してるって言う自覚が無いのが、
自己奉仕者やな。
そやからこそ“上”の概念も、
只単に言葉を知っているだけでしかない。

そやから、

“掃除の程度によりて神のうつりかた違うぞ。”

これは、
心(靈)の発現が、どれ位“上”に向かっているのかと、
そして、
“上”と“下”の概念=変圧の事も言うてる。

そやからこそさっきも言うたけど、
低い霊的成長度の人は何を見ても、
低い、
甘い(亜、魔、出ずる、泉)解釈しかせん。

そやからこの文章は、
自分の心(靈)の発現の程度=霊的成長度に応じてしか、
感応共振せんって言う、
(すべての事象の成り立ちの法則性としての)
振動の事も言うてる。

それは“掃除の程度”・・・
掃除・・・どうもこの言葉が一般に誤解を招いてるようで、
何回も“日月神示”の中に出てくる言葉、
“身魂掃除”って言うのんは、
自分が場(フィールド)を構築して行く際に、
発振、発信する振動をよく考える。

それは心(靈)の動きって事でしかないと思うやん。

そやから“日月神示”では、


渦巻き 左回転 左回転=“善の回転=日足(ひたり)回り”
渦巻き 右 回転  右回り=“悪の回転=砌(みぎり)回り”

それは人が、
(霊的)進化して獲得して来た認識でもある、
“善(神格化の方向性と智性の受信)”と、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の概念でしか無いと思うし、
それは、
心(靈)が“上”に向かえば、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”を許さんようになる。
そやからそれは、
自分に厳しくなるって言ってもエエ事やな。
ほんでからに“悪”は、
自分の心(靈)の動きが“亜”=最初の状態に向かう。
そやからそれは、
出来上がって来た何かを、
崩すとか朽ちるとか腐らせる・・・
最初の状態に戻そうとする思惑が、悪=亜の心(靈)。

そやけど現時点、
善悪の認識は単なる道徳的な事でしか無い様に思う。
その言葉からほんまの進化の意味と意義を知る事、
それが出来へんのは、
只目先の善悪しか知らん。
それしか認識出来へんって事でんねん。

そやからそれは、
人(日止、霊止)が良いカタチを認識して=“上”から通信を受けて、
そして、
場(フィールド)の構築をして行く。
その反対は、単なる破壊・・・

それが善悪って事でもあるし、
良いカタチの構築が幸福の概念でもあるやん。
そやから今まで、
人(日止、霊止)と創造主は、
共に、
何を創り上げようとして来たのか・・・

それは完成してへんし、
完成してへんからこそ人は求める。
良いカタチを求める。

ほんでから出来上がってきた何かを、
崩す、朽ちさせる、腐らせる・・・
それを“悪”=“亜”の心(靈)に向わせると呼ぶべきやと思うやん。

良いカタチ、
そやからこそ人(日止、霊止)は、
“力”=(力、知恵、知識・・・学問・・・能力、そして霊能力を含む)を求め、
それを使い・・・その低い段階が自己奉仕者でもある。
そしてそれを使いつつ、
右往左往して=失敗して教訓を得て、自分の在り方を思うようになり、
自省し、胸の磁性“十”を獲得しつつ、
善悪の概念を持つようになるやんか。

そやけど、
自己奉仕者の段階の、
心(靈)(下三つのチャクラの覚醒段階、自我の確立=固定化の段階)の、
程度の人は、
自己奉仕者の霊的成長にふさわしい場(フィールド)で成長するべきやし、
それに対し、
少し“上”に心(靈)が向かい、
自分の中の“悪”を許さへん心(靈)・・・
それは、
“慈悲”と“慈愛”を発現し出した人(日止、霊止)は、
違う場(フィールド)の構築をして行く。
それは心(靈)の進化=霊的進化の段階でもあり、
愛(炁)の顕現の程度とも言えるし、
そやから、
あんまり進化程度の違う存在は、
それぞれ違う場(フィールド)を構成する。
それが、
アセンションの意味と意義やって言うのんが、
先生とKellyさんの認識でんねん。

ほんでからに余談やけど、
低い心(靈)の発現由来の解釈は、
部屋を掃除するとか鏡を磨くとか不用品を片付けるとか・・・
只、そう言う風に思うてる人が多いようやけど、
それは大事な事やけど当たり前の事でしかない。

身魂掃除は、
自分の心(靈)の動きによる行動=発振、発信が、
場(フィールド)の構築になり、
それを感得する事が、
前回の、上つ巻 第九帖の“この世”でもあり、
その創造を“上”の存在から託されてるのが、
人(日止、霊止)って事やから、
自分の心(靈)の在り方が場(フィールド)の構築になり、
ほんでから進化程度の違う人が多なったからこそ、
進化程度の違いを認識する為の場(フィールド)から、
(場(フィールド)=現在の地球の事、進化程度の違い=“玉石混交(淆)”)
より霊的進化を目指す場を創って行く。
そやから、“上”と“下”の認識、自分と創造主の認識、
人(日止、霊止)の存在意義と意味、
それを考え、その上で良いカタチの創造をする。
それをしっかりと、自分の心(靈)の基準とした人(日止、霊止)が、
次の場(フィールド)に移行する=今までとは違う創造をする。

そやからこそ分けんならんって事でんねん。

ほんでからにそれは、
鏡を磨く=八咫鏡(やたのかがみ)=眉間の事。
(エピローグ 神の思惑の顕現・・・神聖な事象 参照)
頭の骨の結晶化って事をせんならん。
結晶化した骨やから高い振動と感応共振し、
それを発振、発信する事が出来るし、
それを真に固く止める・・・
それを、真固止(まこと)と言う。
そうならんと“上”の思惑=天意は受信出来へん。
そやから、部屋の鏡を磨くのとは違いまんねん。

頭の骨の結晶化、
それは、
“掃除の程度によりて神のうつりかた違うぞ。
掃除出来た方から神の姿うつるぞ、
それだけにうつるぞ。”

人(日止、霊止)が霊的進化程度=チャクラの覚醒段階によって、
ローレンツ力  = ローレンツ力で感応共振する、 
普遍的に実在する創造主のオーラ(宇宙背景放射)の程度の違い、
それを言い表した言葉でもあるな。

そやからこの上つ巻 第十帖では、
鏡って言葉は使ってないけど、
“うつる”とか“うつりかた”とかって表現されてる。

そやから自分の鏡=眉間の骨=御鏡、八咫鏡(やたのかがみ)
それは感応共振の事でしかない。
それが今までKellyさん的に思ってきた、
天意を受けるとかでもあるやん。
そうやって心(靈)は“上”の振動を受信し、
心(靈)は成長し、
その心(靈)の発現は、
段々“上”に向かう。

何度も言うた事やけど、もう一度、
心(靈)の構造と認識されてる言葉を列挙すれば、
“下”から、
本能、情動、功名心、自我、愛(炁)、創造、知恵、智慧、智性という振動・・・
そう言う事になる。
ほんでからにそれは、
チャクラの覚醒の段階と同義でもある。

そやから極端な言い回しをすれば、
人が取る行動を観て、
本能中心の行動と、
智性由来の行動、
どっちが“善”と“悪”なのかって事やねん。

そやから自分の心(靈)の成長度が高くなったなら、
一般に言う善悪ではなく、
霊的進化って概念から先生が定義付けた、
“善(神格化の方向性と智性の受信)”と、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”。

それを認識せんと、
(相対的に今より)“上”には行かれへんって事が、
以下の言葉、

“掃除の程度によりて神のうつりかた違うぞ。
掃除出来た方から神の姿うつるぞ、
それだけにうつるぞ。”

・・・そう言う事やと思うやん。

そやからこそ、さっきも言うたけど、
善悪の認識も“力”の使い方も思惑の顕現も、
人の霊的成長度により違うけど、
あんまり違う程度の霊的成長度の人を一緒にして置く事が出来ん。
それが、アセンション=次元上昇・・・
次元=人(日止、霊止)が認識し得る事象、
古神道の言葉では、現津(あきつ)・・・これは、
“道ひらき”からの引用やけど、
自分の心(靈)が観察する事象と認識されてる事でもあるやん。

そやから今回は、これくらいにしときまんねん。

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コメント

kellyさん、こんにちは。

私はkellyさんの、ほんでから、そやから

と言う、繋ぎの言葉が大好きです。


何か、やさしい感じが、します^^

sizuku 様

ご来訪ありがとさんでんねん。

ほんでから、
ちょっと読んだだけでは訳の解らん、
屁理屈中心の文章を読んでいただいた様で光栄でんねん。

もし宜しかったなら、
よく読んでいただいて、

今、何もかもが(低い心(靈)の発現で)形骸になっていて、
そして形骸の価値感が、何も生み出さず、
その事を知る為に、、
今現在の地球人が学習(右往左往から左往右往)をしているって事を理解して欲しいねん。

ほんでから、
sizuku 様の写真も、
又、観させて貰いまんねん。

コメントありがとさんでした。



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2005年10月1日~2008年1月15日まで、
“Kellyさんとの会話”で、説明して来た事・・・
その内容・・・それは・・・その何年も前から、
何か自分の考えをある程度公表しなければならない・・・
そう言う通信を受け・・・その理由は・・・地球人が低い心(靈)の発現しかしていない・・・
それを自覚していない人が多い。
その事由来の太陽凝視に対する認識、
(太陽凝視=不食・・・としか、認識させない存在の思惑を、受信している事)
霊的成長に対する認識、
神に対する認識、
心=靈に対する認識、
オーラに対する認識、
そして、
高い認識の上での進化の意味と幸福の概念と神の概念・・・
進化=霊的成長=神格化=(相対的に)高い認識を獲得する事・・・
霊的成長=神に近づく事=真の幸福の意味。
霊的成長度は1番目のオーラに顕れる。
よって、宇宙的プログラムにより次の段階に移行する人(日止、霊止)は、 何を考えるべきなのか・・・
そして、人(日止、霊止)の進化を阻む存在の思惑、
その心=靈の動き、それらの意図・・・それが一般に認知されていない事。
それらを伝えなければ成らない・・・そして一応・・・完結はしたのですが・・・
解り難い・・・理解しがたい・・・具体例を示して欲しい・・・そう言う感想も頂き、
そして自分なりにも説明が足らなかった事・・・
更に、
“Kellyさんとの会話”が完結してからも通信を受けている事・・・そう云う事もあり・・・
よって、このブログを立ち上げる事としました。
従って、
“Kellyさんとの会話”が、
自分の意見を述べる上での、ローム太霊の言葉、
“右往左往”(“いきり立つ心(奴と心)”で行動してから考える)・・・と、 するならば、 このブログはアタシ自身の、
“左往右往”(“思う、憂う”・・・体験を教訓として考え行動する)の、
作業になって行くと思います。


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