“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話

太陽凝視を一生涯の“行”とし(現在、44年目)、実践し、その上で獲得した認識を述べています。

“日月神示”地つ巻 第十四帖 Kellyさん的解釈



今回も、地つ巻 第十四帖を解釈しまんねん。 原文は以下の通り。

この道分りた人から一柱でも早う出てまゐりて神の御用なされよ。
どこに居りても御用はいくらでもあるのざぞ。
神の御用と申して稲荷(いなり)下げや狐つきの真似はさせんぞよ。
この道はきびしき行(みち)ざから楽な道なのぞ。
上にも下(しも)にも花さく世になるのざぞ、後悔は要らぬのざぞ。
カミは見通しでないとカミでないぞ、今のカミは見通しどころか目ふさいでゐるでないか。蛙(かえる)いくら鳴いたとて夜あけんぞ。
赤児になれよ、ごもく捨てよ、その日その時から顔まで変るのざぞ、
神烈しく結構な世となりたぞ。
九月二十三日、ひつくのか三。

この第十四帖は、“カミ”の解釈がきちんと出来てないと読み解けんと思う。 それは前に、上つ巻の第一帖で“カミ”って表記が出てきたから、以下のように解釈した。
上つ巻 第一帖 Kellyさん的解釈から抜粋して引用しまんねん。


“カミ”の“カ”は、“力”(ちから)みたいに、丿部(へつぶ)と“一”、ほんでから“一”の右端から“下”に降り、そして左上にはねる。
“ミ”は、向かって左から右斜め下に降りて止める書き方。 これは前にKellyさんが気が付いた事やねん。 それも前に先生と話をしたやん。 それは以下の通りでんねん。
(“上”の思惑と顕現…“天の御目” 参照)
“ミチ”って言うのんは、三つのオーラが向かって左から右下に降りてるのが“ミ”。 それは又、思惑の顕現みたいな感じでんな。 ほんでからに“チ”って言うのんは、丿部(へつぶ)+“一”+丿部(へつぶ)。 神さんの思惑と顕現が二つ重なって、それに“一”=智性=1番目のオーラが加わってる。そう言う風にも見えまんな。  
前のブログからの引用終わり。
そやからカタカナで書かれてる“カミ”は、“上”の振動を取り込んだ人で、それは三つのオーラが左上から右下に下降する。 日足(ひたり)“上”から砌(みぎり)“下”に現象化して、事象の創造をして行く。 それは神の思惑を取り込んだ様子って事でんねん。

                                               ↑
上つ巻 第一帖 Kellyさん的解釈からの引用終わり。 
そやから“日月神示”表記の“カミ”は、神さんから見て、“上”の思惑を取り込んだ人(日止、霊止)っていう意味の表記やと、今回の地つ巻 第十四帖を読んで改めて思う。
それを踏まえて冒頭の文。

“この道分りた人から一柱でも早う出てまゐりて神の御用なされよ。
どこに居りても御用はいくらでもあるのざぞ。”

この文の表記の“神の御用”は、“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)の“思惑の顕現”=現象化であり、それが人(日止、霊止)の使命であり、生命の存在の意義でもある。
 また“上”との感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)を示した表記が、古神道の“日止、霊止”、それは、日を止める=“ひつく”“日津久”=太陽凝視を“行”として行うことと、もうひとつ、“上”からの振動、“一”(亜から出ずる、アイ)が“下”(低い心(靈))に垂れた表記が“メグリ”(帀)であり、その部首を使った漢字の靈、それを止めるっていう表記でもある。 今まで何回も説明してきたことでんねん。
 そやから神さんは人に何を託しているのか。 どんな事象を“創造”して欲しいのか。 その思惑があるからこそ、今、間違った方向に向かっている大多数の人に宗教を通じて人の在り方を説き、チャネラーを使ったり、肉体を伴った比較的地球人に近い宇宙人とコンタクトさせたりもした。
しかそそれらは、地球人の平均的霊的成長度がマニピューラチャクラまでやから、霊媒の憑依現象、それはT霊媒=竹内満朋の物理霊媒の現象や岡本天明の自動書記でもそうやけど、人の肉体を乗っ取ったカタチでのメッセージの伝え方しか出来なかった。
また霊媒の憑依現象は、低い霊的存在が入り込むことがとても多い。 それはその霊媒体質の人の心(靈)の動きによるものでもある。 低い功名心と自尊心で自分の現象を見ていると、“上”と感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)しないで、“下”(人の霊的成長を望んでいない存在)と感応共振するものでもある。
 そしてそのメッセージの“上”と“下”を見出せないで、ただ利用している自己奉仕者の人間がとても多い。 何回も言うけどそれは“役員づら”(形骸の宗教や、アセンションや霊的成長に対し、甘い夢を見させ偽の情報を流すたぐいの人たち…それは悪魔の傀儡(かいらい、くぐつ)でしかない。
 そやからほとんどの人が分かっていないから“この道分りた人から一柱でも早う出てまゐりて神の御用なされよ”ってあえて言われてて、それは裏を返せば、ほとんどの人が生命の“道理”、それは“道”(時間の進行)“理(ミチ)”(法則性)を分かっていないってことでもある。

 その意味を強調した言い回しが次の文。

“神の御用と申して稲荷(いなり)下げや狐つきの真似はさせんぞよ。”

 いうまでも無くこの文の“稲荷(いなり)下げや狐つき”は、低級な動物霊の憑依により、操られたり利用されたりする現象で、それは今とても多くなったと思う。 例えばハイヤーセルフとか、内在何々とか、テレビに出ていた自称霊能力者とか、それらの特徴は、自分も自分以外も、低い功名心と自尊心で、ただ言葉に酔うだけでしかない。
それは、低級な霊的存在が人を操るときによく使う手はパターンがあり、ただありがたそうな言葉で人を酔わせ、煽てあげて低い功名心と自尊心を高揚させ、それは結果として自我の肥大にしかならないし、何回も言うてきているように自我の肥大は“石屋の仕組み”(帯電するミネラルが固まっていない=真固止ではない=腹の水(“江戸と尾張”の“江”)の霊的成長段階の人が、右往左往の段階の“行”をして、恨みの連鎖の霊的干渉を増大させているのでもあり、またそんな人に限って自分は特別な存在だとか、神のメッセージを受けているのだとか、神の御用をしているのだとか、勝手に錯覚して、何の“行”もしていないケースが多く、それは言い換えれば“身魂磨き”=(生体内電流による)肉体組織の結晶化をしていない人が多いし、それ以前に自我の肥大は自分の心(靈)の観察がぜんぜん足らず、“身魂掃除”“身魂洗濯”になっていない。
そしてその類の人の行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)は、単なる金儲け(動物霊の人間に対する憧れ)と、形骸の名誉(動物霊の縄張り意識)を獲得しようとする心(靈)の動きでしかないことに、多くの人は気づいていない。 それは、大半の人は、ただありがたそうなもの、現世利益とか、何にも頑張らんと不思議な現象がおきるファンタジーのような甘い(亜、魔、出ずる、泉)ものしか求めていないからでもある。
話を戻し、“身魂掃除”“身魂洗濯”は、自分が自分を見るときには、“(“慈悲”と“慈愛”由来の)厳しさ”が必要であるってことを次の文で言っている。

“この道はきびしき行(みち)ざから楽な道なのぞ。
上にも下(しも)にも花さく世になるのざぞ、後悔は要らぬのざぞ。”

 この文の“きびしき行(みち)”、これをよく考えなければ、この文の表記の“上にも下(しも)にも花さく世になる”っていう今後=アセンション後の事象を観察する資格を得られないって言い回しでもある。 資格はいうまでも無く、智性(“一”、1番目のオーラ)と“慈悲”と“慈愛”の心(靈)の発現。

 ほんでから次の文は、冒頭で説明した“カミ”(“創造”の“主(ヌシ)”、“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)から見て、“上”の思惑を取り込んだ人)のことを言っている。

“カミは見通しでないとカミでないぞ、今のカミは見通しどころか目ふさいでゐるでないか。蛙(かえる)いくら鳴いたとて夜あけんぞ。
赤児になれよ、ごもく捨てよ、その日その時から顔まで変るのざぞ、
神烈しく結構な世となりたぞ。”

 そやからこの文では“カミ”=“上”の思惑を取り込もうとしている人が、“身魂掃除”“身魂洗濯”や“身魂磨き”=(生体内電流による)肉体組織の結晶化や、“ひつく”“日津久”=太陽凝視を“行”として行うことが、何も分かっていないからこそ、“見通しでないとカミでない”って言われ、さらに、“見通しどころか目ふさいでゐる”とすら言われている。
 そやから人(日止、霊止)が“上”との感応共振をして“天詞様”になっていかねばならないのだけれど、低い霊的成長度の段階では、霊媒の憑依現象でメッセージを伝えるしか方法が無かったとも言いうる。
 しかしそれは間違えることが多い。 
だから“稲荷(いなり)下げや狐つき”ってことが多く、また、これまで数回引用してきた春の巻の“世、迫って、霊かかりがウヨウヨ出ると申してある時来ているのぢゃ。悪かみかかりに迷ふでないぞ。”っていう文と、同様の意味合いのことでもある。
そしてこの文の“蛙(かえる)いくら鳴いたとて夜あけんぞ。”は、そんなことでは次の段階に進めないっていう事を揶揄(やゆ)した“日月神示”によく出てくる表記であり、次の文の“赤児になれよ、ごもく捨てよ”って言い回しも、自分が自我の肥大をしているってことを分かるには、心(靈)が裸にならねばならないってことを揶揄(やゆ)した言い回しでもあると思える。
 ほんでから最後の“神烈しく結構な世となりた”は、今、自己奉仕者の行いや心の動きはどんどんバレている。 これは“神の咎め”であり、ローム太霊の言葉を引用すれば、右往左往=やってみてから失敗を体験し、左往右往=失敗を体験し、それを教訓として“力”の顕現(砌(みぎり)の行)をするでもある。
 そしてそれは霊的成長の道筋であり、それを“日月神示”では“道”(時間の進行)“理(ミチ)”(法則性)と称されている。

 今回はこれくらいにしときまんねん。

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2005年10月1日~2008年1月15日まで、
“Kellyさんとの会話”で、説明して来た事・・・
その内容・・・それは・・・その何年も前から、
何か自分の考えをある程度公表しなければならない・・・
そう言う通信を受け・・・その理由は・・・地球人が低い心(靈)の発現しかしていない・・・
それを自覚していない人が多い。
その事由来の太陽凝視に対する認識、
(太陽凝視=不食・・・としか、認識させない存在の思惑を、受信している事)
霊的成長に対する認識、
神に対する認識、
心=靈に対する認識、
オーラに対する認識、
そして、
高い認識の上での進化の意味と幸福の概念と神の概念・・・
進化=霊的成長=神格化=(相対的に)高い認識を獲得する事・・・
霊的成長=神に近づく事=真の幸福の意味。
霊的成長度は1番目のオーラに顕れる。
よって、宇宙的プログラムにより次の段階に移行する人(日止、霊止)は、 何を考えるべきなのか・・・
そして、人(日止、霊止)の進化を阻む存在の思惑、
その心=靈の動き、それらの意図・・・それが一般に認知されていない事。
それらを伝えなければ成らない・・・そして一応・・・完結はしたのですが・・・
解り難い・・・理解しがたい・・・具体例を示して欲しい・・・そう言う感想も頂き、
そして自分なりにも説明が足らなかった事・・・
更に、
“Kellyさんとの会話”が完結してからも通信を受けている事・・・そう云う事もあり・・・
よって、このブログを立ち上げる事としました。
従って、
“Kellyさんとの会話”が、
自分の意見を述べる上での、ローム太霊の言葉、
“右往左往”(“いきり立つ心(奴と心)”で行動してから考える)・・・と、 するならば、 このブログはアタシ自身の、
“左往右往”(“思う、憂う”・・・体験を教訓として考え行動する)の、
作業になって行くと思います。


太陽凝視を行っている鍼灸師の話 “総括編”
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自分達の欲望を満たしたい… 
自分だけ幸福になりたい…
こういった進化程度の低い心(靈)の発現由来の思いが、
低い幸福の概念になり(目下(めした)の思い)
その結果が、飢餓貧困、戦争の原因になったりしています。
(子供の浮游霊の霊的干渉の影響を受け、 それがどんどん増して行く事等が、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)
の思惑だと 思えます)

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