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“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話

太陽凝視を一生涯の“行”とし(現在、46年目)、実践し、その上で獲得した認識を述べています。

Kellyさんが、“日月神示”の解釈をして行くに当たって・・・考えた事。

前回のアップロードで、
前に先生と会話した中での先生の“日月神示”の中の解釈を、
一部紹介したんやけど、
それ以外にも先生は色んな解釈をしてはる・・・

それは・・・先生は、前にこういう言い方を何回もした。
それは、当たり前の言い方やけど・・・
“言葉は事象を認識する道具”・・・って。

ほんでからにKellyさん的に思うんは、
言葉や字って言うのんは、
それそのものが、自分自身の認識でもあり、
そやからそれは、
自分自身の認識でしか無いって事や。

それは、言葉だけに限らへんのやけど・・・
例えば、自分がやった事が他人に誤解されたりするのも、
認識の違いって事やし・・・
自分の思惑は自分以外には伝わり難い・・・
認識の違いって言うのんは、いろんな問題を含んでる。
それで先生が憂いている事の一つは、
ローム太霊さんがS会で伝えた主護霊の定義・・・
とんでもなくエエ加減な解釈をしてはる人が多いやん。

・・・話が逸れそうやな。

そやから、言葉や字って言うのんは、
情報を伝えるもんや。認識を伝えるもんや。自分の心(靈)の動きを伝えるもんや。
色んな事があるけど・・・伝えて認識させた言って事やな。
そやけど、
それはおんなじ字を見ても、おんなじ言葉を聴いたとしても
その人(日止、霊止)の認識の程度によって(霊的成長度の違い)、
認識の程度の差=解釈(受信)の違いって事が起きるやん。

認識の違い・・・そやからこそ、
先生と長い話をした“事象の形骸化”・・・って事が起きてる。
ほんまの事とか貴い事とか・・・それは、
低い心の発現しかしてへん人にとっては商売のネタでしかない。
自分の利益を考える心(靈)の発現しかしてへんからや。
何で自分がこの世界にいてるのか・・・そんな事を考えへんやろし、
そやからそう言う人は、
貴い何かを見ても商売のネタ・・・それしか思いつかん・・・
他の事を考えるべき心(靈)の発現をしていないっちゅう事やねん。
そやから・・・商売のネタ=自己奉仕者の心(靈)の発現。
それ以上の心(靈)の発現って進化過程では無いって事やな。
ほんでからにそう言う人は、
少しほんまの事とか貴い事とかを知ってたとしても、
無視してる。心の中で無視してはる。
そやからそれは・・・自分の利益の為に・・・
さっきも言うたけど、それは腹の段階の心(靈)の発現やから、
腹から“上”の胸由来の心(靈)の発現をしていない。
そやから、低い功名心とか保身とか・・・
そう言う進化過程の人(日止、霊止)は、
行動を見れば自己奉仕者になる。
そう言う心(靈)の動きで何でも見てしまいよるからや。

ほんまの言葉や字や・・・色んな事象・・・
その何かが示す価値って言うのんは、
その人の、
認識の程度って言うのが、
ある程度高くないと、
ほんまの価値を表す事が出来へん。

そやからこそ、言葉だけが上滑りするって言う事も起きるやんか。
その判り易い下らないとも言える例を挙げれば、
正義とか真実か言ってる人が戦争を仕掛ける張本人やったりもするし・・・
最近目に付いたって言うのんか・・・この間うち毎日のように報道されてた事やけど・・・
無実や無実やって言い続けてても、
自分のやった事(発振した結果)は絶対に消えへんから、
それは、
何かしでかした事自体が、自分の心(靈)の中の認識なんやから、
それは、認識って言うのんは、
自分の心(靈)の中の事なんやから、
(霊的干渉 “目上(めうえ)と目下(めした)”“その八” 参照)

自分の外側の事をどう取り繕っても、
やった事の結果は、自分の思いの結果は、
絶対自分に返って来て、
そして、それは、
それが間違ってたら・・・人の進むべき道とも言える、
“善”・・・神格化の方向性と智性の受信から外れてたら、
次にやってくる事は“神の咎め”でもあり、
それはこちら側の見方からすれば、
(人の立場、バチを当てて霊的成長を望む存在からではないって言う意味)
バチが当たったとも言えるし、
前にKellyさんが調べたみたいに“禍”って事になる。
(個人々々の振動の違い 参照)

只、単に間違ってる・・・只それだけの事なんやろけど・・・
霊的成長って認識が無いから・・・
生きてる間だけが自分のすべてって認識やから、
やった事を取り繕ったり、誤魔化そうとしたり・・・
人に危害を及ぼしても自分だけ楽しく生きようとしたり・・・
それは、そう言う考え自体が低い進化過程の幸福の概念って事や。
そやからこそ自分の利益の為に・・・いろんな事をして、
自分には罪は無いと思いたい。
誤魔化す事、取り繕う事・・・
それも自分のエネルギーを贖う(あがなう)事には違いないけど・・・
生きている内の“行”とも云える事やろけど・・・
多分・・・意地になってムキになって・・・それなりに沢山考えて頭使ったりして、
そうやって、頑張って(元の気を張って)・・・
しのいで来たやろけど・・・
ほんでからにその心(靈)の動きに応じた霊的干渉が有って、
更にそれは悪霊に取り憑かれる結果になるやん。
霊的干渉は・・・その“力”の発現って言うのんは、
自分のエネルギーを、どれ位贖ったかによる。
そやからこそ、自分の心(靈)の動きを・・・
“上”に向かうべき心(靈)の動きを見失う霊的干渉が、
起きてるって言えるやろし・・・
そやからこそそれは、二十年も経ってから逮捕されんならん。
そう言う機会を与えんとその人は、
自省(胸の磁性“十”)の行に入らへんって事や。
それは、
それまでは右往左往の人生やったんやろけど、
これからは、左往右往の人生に入る・・・
そう言う機会を与えられた。

そう言う機会そのものが、
その人の霊的成長を望んではる存在の思惑って事やんか。

そやから・・・そう言う心の発現の段階の存在は、
自分の保身の為に、利益の為に、
奪うって事自体が、
ある程度の期間・・・その人の進化過程に必要な事なんやろけど、
それは、貪、瞋、痴(とん、しん、ち、)の心(靈)の動きやろし・・・
それをして行かんと、
腹のエネルギーとも言える、
軍荼利明王、荼枳尼真天の“荼”・・・その強化にならへんって事や。
そやけどそれは、
少し“上”から観た霊的成長って視点から言って、
間違ってるに決まってる。
そやから人(日止、霊止)は、“神の咎め”やバチ当たった事・・・
それを教訓にして、自省(胸の磁性“十”)と“直日(なおひ)”・・・
そう言う心(靈)の動きをして行かんならん。

そやけど・・・違う事考えてしもたやん。

言葉や字に対する認識・・・
“日月神示”の解説本は、只単に言葉の解釈しかしてへん感じやし・・・
先生の“日月神示”の解釈・・・それは、
一部の文章しか解釈してへんけど、
先生は多少、
平均的地球人より頭のオーラが大きいって自分で言うてはる。
・・・そりゃ・・・そうやろな。
一日数時間の太陽凝視を・・・若い頃は色々迷ってサボってた時も有った様やけど、
今は、時間の許す限り太陽凝視してはる。
そやから・・・
普通の人から観たらとんでもないって思えるような解釈をするんやろ。
それは・・・先生の立場・・・その観点・・・視点・・・
普通の人よりは日月神示を伝えた霊的存在に霊的成長度が近い・・・
そやからその思惑を理解しやすいとも言える。
そやからこそ、
“日月神示”の解釈って言うのんが、
只、言葉だけの解釈に終わってる事自体が、
先生の言い方・・・“事象を観察する視野が狭い”・・・
Kellyさん的にも、そう言う風にしか思えへんやん。

そう言う点でも、
先生がこの間ベランダのほうれん草を収穫しながら、
Kellyさんに言うてたのは、
字の書き方、ペンや筆の動き、そう言うもんにも意味がある・・・
先生はそう言う解釈をしてはるようや。
それは、
前にも先生は、丿部(へつぶ)は、“日月神示”の
ローレンツ力と ○の中の点、 ローレンツ力が、
“下”に降りた形・・・って我田引水な解釈をしたやん。
ほんでからにそれは、
神さんが・・・
創造主がこの世界にしるしたって事やって言う言い方をしてはった。
(“上”の思惑の顕現 “天の御目” 参照)

ほんでからに、
創造主や1番目のオーラって言う意味での、
“一”って言うのんも、
向かって左から右、
日足(ひたり)から砌(みぎり)・・・
そやからこそそれは、神さんの思惑の顕現で、
それで出来てる場(フィールド)が、
太陽=(囗)くにがまえに“一”=“日”って言う字で、
その事も先生は前に説明してくれたんやけど、
この間もその補足として先生は、
亜は、点として顕されて、
それが太陽の象形文字になってはる。

日、太陽の象形文字

そやからそれは、一番最初の状態から筆を動かす。

“一”と愛(炁)

“亜”から向かって右に筆を動かして右端で止める。
それが、アイ、愛(炁)って事やって、ほうれん草を引っこ抜きながら、
先生は言うてはった。
それは、創造の始まりって言うのんか・・・
一番最初の状態が、
只の点として示されているとしたらって事なんやけど・・・

そやからそれは、
“一”=智性=創造主のオーラ・・・
それは、アイ、愛(炁)って言う意味を持ってる。
それを人(日止、霊止)が獲得したら、
三つ・・・1~3番目のオーラに分かれ、
それぞれの心(靈)の動きになるんやろけど・・・

ほんでからにカタカナの“アイ”って言うのんは、
“ア”は、
“一”の右端から左下に下りてる、更にその下に、
丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)のような書き方をしてる。
ほんでからに“イ”って言うのんも、
丿部(へつぶ) + (たて棒、コン)・・・
それは神さんの思惑の顕現が“下”に降りた。
そう言う風に見えるって言うてはった。

もういっぺん言えば、
亜・・・一番最初、
創造の始まりは向かって左にあり、
それは左=日足(ひたり)で、
それが出・・・いずる、泉って言うのんは、
亜が、右=砌(みぎり)に動いた状態を示してて、
そやからこそそれは、
それそのものが、
創造主の思惑の顕現という意味での創造を示し、
それは、“アイ”・・・愛(炁)って事やろし、
そやから先生の説は、
こんな風に、筆なりペンなりを動かすって言う事自体に、
意味があって、
その意味を読み取らんと、
ほんまの事は解らへんって思うてはるようでんねん。

ほんでからに・・・今は数字の事を中心に言うてるけど、
それはカタカナや漢字・・・更にKellyさん的には、
“日月神示”に書かれてる図みたいなもんにも、
そう言う意味があると思えるやん。

ほんでからに、“一”から“十”にしたって、
漢和辞典を観ると、当たり前の事からいろんな意味が書いてある。


“一”・・・これも漢和辞典を見ると、
Kellyさん的にこれは重要って感じた意味は、
ひとつ、最初、はじめ、根元、混じりけのない・・・
これも今思うたみたいに、
創造の思惑の顕現って・・・アイ、愛(炁)って、
一番最初って事かも知れへんし・・・
改めて考えさせられる事やな。

“二”は、
これは順序が逆になるけど、“三”が三つのオーラ、
人のオーラの構成を示している事から考えて、
“二”は、2~3番目のオーラ・・・そしてそれは肉体のオーラって事や。
漢和辞典では、
ふたつ、つぎ、二番目の、ふたつに分ける、ふたたび(再び)、二回、ふたとおり・・・
やっぱり改めて辞書を引くと、
色んな事を考える表現が出てくる。

ほんでからに・・・

“三”は、先生の解釈は今言うた通り。
漢和辞典では、
“一”を三つ積み重ねて、“天”“地”“人”って言う意味を持ってるって書いてある。
これも意味深な事やねん。
ほんでからに、みたびとか、おおいとか、しばしばとか・・・
それは再三とか三度とか幾度もとか・・・
それはまるで、
さいしょの左往右往は、これはアイ、亜が出る、いずる、泉って事や。
神さんが創りはった生命って事や。
ほんでからに人の行動としての右往左往・・・それから神さんの思惑に沿った、
霊的進化した人(日止、霊止)の行動が左往右往する・・・
もういっぺん言えば・・・
一番最初に、
心(靈)の発現があるからこそ、創造主の認識って事が起きたから、
(“天の御目”の大神 参照)
事象があり、
事象を認識して・・・それは、
生きてるって言うてもエエんやろけど、
それが一番最初の左往右往で、
ほんでからに、生きてる間に色々体験してやってみてから教訓を得て、
右往左往して・・・ほんでからにそれは、
生きてる死んでしまうに関わらず、
左往右往して自省(胸の磁性“十”)の行をする。
そう言う意味を持ってるように感じるやん。

ほんでから・・・

“四”・・・これは、
今までの先生の話から考えて、
(囗)くにがまえに儿部(じんぶ、にんにょう)って見える。
人の歩く様子=儿部(じんぶ、にんにょう)・・・それは、
時間の進行を伴う意味での、(囗)くにがまえ=場(フィールド)の構築・・・
そんな感じに思えてくるやん。
漢和辞典では、“四”は、象形文字で、
開いた口の中に、舌や咽頭が見える様子って事らしく、
それは“息をつく”って言う意味を持ってるらしいやん。

四の象形文字
息・・・それは、
息=自分の心(靈)・・・で、
ほんでからに、自分の心(靈)の発振、発信・・・
息吹って事になるのかも知れへん。
そうやって事象を構築して行くって言う意味を持ってるのかも知れへんな。

ほんでから・・・

“五”は、
漢字の分類としては、“二の部”に分類されてるんやけど・・・
Kellyさん的にはこの字そのものに、
“三”が隠れてるように思うやん。
そやから一番上の“一”から“下”に下りる筆の動きが、
“一”からはみ出さんと、“一”の真ん中から向かって左に降りる。
そして、
そのやや斜めたて棒に交差して、左から右に筆を動かし、
それは“二”・・・これは2番目のオーラの事やな。
そやからそれは、2番目のオーラが下降する様で、
しかも向かって右から“下”に下降するって言うのんは、
“慈悲”と“慈愛”の心(靈)の動きが、
それより“下”の心(靈)の動きを支配するって言うのんか・・・
そやからそれは、“慈悲”と“慈愛”が本能、情動、功名心、自我・・・
それが中心の心(靈)を支配する。
自己奉仕者でなくなる様子って言うのんか・・・
愛(炁)の顕現の程度が高まっている人(日止、霊止)とか、
その状態とかを示すんが、
“五”って事やないやろか・・・
そして“二”の“上”の部分の向かって右端から“下”に下ろす。
最後に、一番下に“一”・・・向かって左から右に筆を動かす。
これは位置的に3番目のオーラの事やな。
そやからちょっと複雑な言い回しになってしもたけど・・・
左から右は、日足(ひたり)から砌(みぎり)で、その存在の思惑の顕現・・・
心(靈)の動きが現象化して、
観察され得る事象になるって事やと思う。
左から右・・・日足(ひたり)から砌(みぎり)って言うのんは、
やはり、“三”・・・それぞれのオーラの発振、発信を示していると思う。
そやから“一”は智性のオーラ。
“二”は、2~3番目のオーラを示してるって事や。
ほんでからに漢和辞典では、
“五”は、糸巻きの象形文字が五になったって書いてある。

五の象形文字

そやから、糸=神経・・・って感じを、
Kellyさんは受けたやん。
それを巻いてあるって言うのんはコイル状の神経って事やな。
糸=神経、そして、糸巻き=骨・・・
神経・・・人(日止、霊止)は、
動物から進化して、脳と神経が発達して、
四肢=足だけやった動物から、
手足の機能の区別が出来たって話を先生としたけど、
その事を思い起こさせる事やな。
ほんでからにそれは、前に先生と話した事やけど、
“慈(しげる)”・・・心(靈)が“慈(しげる)”・・・
それが“上”に向かう心の発現と同義やし、
沢山の事象を認識する為の道具って言うのんが神経やろし、
そやからそれは、その心の発現が腹から“上”に向かうのが、
“慈悲”と“慈愛”って事になって行く。
(思惑と顕現 “その四” “慈悲”・・・いつくしみ・・・かなしむ 参照)

ほんでからに“五”その意味として、
いつたび、たてよこに入り交じる・・・って書いてあった。
これも・・・意味深やな。

ほんでからに・・・

“六”は、
丿部(へつぶ)と“一”とその下に丿部(へつぶ)と乚部(いんぶ)。
“一”の上に点があり、“一”の“下”に点が二つあるのは、
大体、二つ点があるのは回転を示しているって先生はこの間教えてくれた。
ほんでからに、“六”の“下”の点は、
丿部(へつぶ)と乚部(いんぶ)、
そやからそれは、神の思惑の顕現と、人の思惑の顕現・・・
それを示してるように見える。
漢和辞典では、これも象形文字が変化した字で、家屋の形を表す。

六の象形文字

そやからこれも・・・人(日止、霊止)の事の様な気がする。
それは、宀(うかんむり)が屋根=頭って話を先生から聴いてたからやな。
ほんでからに“六”は、
易で、陰爻・・・陰を表す数って事らしい。

ほんでから・・・

“七”は、
“一”に乚部(いんぶ)で、
漢和辞典では、
一本の横線を中央から切る事を示し切り分ける意を示し、
それは“切る”の源字でもあるそうや。

七の象形文字

・・・そう言えば、
先生と乚部(いんぶ)=“乙”に関しては、
こんな話をした。

・・・“「乙・・・向かって左から右に筆を動かして、
ほんでからに右から左下に動いて、
ほんでからに又、左から右に動いて、
最後は上にはねるやん。
何や知らん・・・意味深な筆の動きでんな。
「そう・・・もうKellyにはアタシの解釈自体の見当が付いていると思うが、
左→右、そして右から左下、そして左から右・・・そしてはねる。
これは左往右往して現象化して左往右往するカタチだ。
はねるのは“上”に向かうって事だ。」
「それは、右往左往して“天の御目”を自分の心(靈)の中に持つ。
そんな感じでんな。」
「そう・・・それは乚部(いんぶ)って言うのは、
人の思惑の顕現って事だ。
それは良いカタチの創造って事を示していると思うんだ。」”・・・
(“上”の思惑の顕現 “天の御目” 参照)

そやからそれは、創造主を示す“一”・・・
それが切れて下降して、
人(日止、霊止)の心(靈)の動きみたいになってる。
そう言う印象を受けるやんか。

ほんでから・・・

“八”は、漢和辞典によると、
互いに反り返る左右の線って言う事らしく、
それは二つに分かれた様子を示すって事らしい。

八の象形文字

そやからKellyさん的に我田引水な解釈をしたならば、
上からの振動が“下”まで貫くとしたなら、
それは、
“メグリ”(帀)って先生は説明してくれはったけど、
人の体は神経と骨髄中の鉄分子で電磁石を創ってるやん。
そやからその上からの振動がローレンツ力で曲がる。
そやからこそ二つに分かれる・・・そう言う感じがするやん。
ほんでからに“八”・・・
これは丿部(へつぶ)と乚部(いんぶ)のようにも見えるやん。
そやけどそれは“人”って言う字みたいにくっついてない。
そやからそれは進化過程で、
砌(みぎり)の行と日足(ひたり)の行が違うって事を、
言うてるのかもしれへん。
ほんでからにこれはヨガの概念、イダとピンガラやと思う。
太陽と月の気道って事や。左と右、日足と砌(ひたりとみぎり)って事や。
それをしっかり通さんと、霊的成長したって事にならんのやろけど、
今、人がこの世界で右往左往や左往右往・・・どちらかに傾いた心の使い方をしながら、
霊的成長してはる。
そういう事も示している様な印象を受けたやん。
そやけど・・・砌(みぎり)の行と日足(ひたり)の行・・・
それかて・・・大局的に観たならば、
その心(靈)の進化の果て・・・独り神になる過程って事やから、
それは、進化して行ったなら砌(みぎり)の認識も日足(ひたり)の認識も、
一つになって自分の認識になって、
それが多分・・・“山”って言う字になる。
・・・先生は“山”は脳の事を示すって言うてはった。
(霊的干渉 “目上(めうえ)と目下(めした)” “その六” 参照)

ほんでからにちょっと話しが逸れるんやけど・・・
“幽”・・・これは山に糸二つ(左右に二つ)って言う字では無く、
火=灬(よつてん、れっか、れんが)が変化したのが、
“幽”の山みたいな字で、
それは腹の段階から胸に移行するエネルギーを示すって先生は言うてはった。
この事は今回初めて聞いた事なんやけど・・・
そやからこそそれは、
“幽”は幽か(かすか)って読むって事らしい・・・
その認識は、
火=灬(よつてん、れっか、れんが)が腹の段階の心(靈)の発現を指し示す事らしく、
そやからそれは、
あくまでもその心の発現の認識って言うのんは、
幽か(かすか)って事なんやな。
そやからそれは段階があって、ローム太霊さんの分類、
“肉”“幽”“霊”“神”・・・
そう言う認識の段階って事が有るんやろな。

ほんでからに・・・

“九”は、
“一”プラス乚部(いんぶ)、それに丿部(へつぶ)を足した字に見える。
漢和辞典見ても、
乚部(いんぶ)の字として分類されてる。
ほんでからにこれも象形文字から変化した字で、
手の肘を曲げた形を表すって書いてある。

九の象形文字

意味は、幾度も、多い、
易で陽を表す字、陽爻(ようこう)って言う意味もあるそうや。
ほんでからに、あつまる、あつめるって言う意味もあるそうやねん。
ほんでからにこれは先生と何回も話した事やけど、
“日月神示”の中の表現、○ 九 十 =まことの事やろ。
最後の仕事、卆って事でもあるやろ。
肉体を持った心(靈)って事や。

ほんでからに・・・最後に、

“十”は、2番目のオーラに(たて棒、コン)で、
これは明らかに自省(胸の磁性“十”)で、
その心(靈)の発現は“慈悲”と“慈愛”・・・自省(胸の磁性“十”)・・・
やった事を振り返る・・・
そう言う心(靈)の動きでそれは、神道の概念の“直日(なおひ)”って事になる。
ほんでからに漢和辞典では、
これも象形文字で、古代の針の形を表すそうで、

十の象形文字

その真ん中のふくらみが短い横線で書かれる様になり、
その後に“十”ってカタチになったってされてる。
そやけどこれは・・・
先生と話した下等動物の心臓の発達・・・心臓らしき器官は、
ミミズ、ヒル、ゴカイ君達では、最初は血管のふくらみみたいな器官しかない・・・
それが進化した様子が“十”・・・胸の磁性・・・その段階の心(靈)の発現が、
自省・・・“直日(なおひ)”・・・自分を振り返る心(靈)の動き・・・
そういう事を思い起こさせる事やな。

こんな風に・・・大体今日は数字に付いて、Kellyさんの私見を述べたんやけど・・・
カタカナもひらがなも漢字も・・・
多分色んな意味合いを持ってると思いまんねん。
ほんでからにこれからも、“日月神示”を観ていくと、
多分、色んな通信を受けて色々な発想をすると思いまんねん。
それは、その都度紹介させて貰うって事にして・・・
そやからそう言う観点で“日月神示”を観る・・・
そう言うつもりで(そう言う心(靈)の動き=発振、発信で)やって行きまんねん。

ほんでからに楽屋落ち的言い方やけど、
前のブログは毎月、1日と15日にアップしてたけど、
今回は、記事が出来上がった時点でアップして行きまっから、
更新は不定期になる事をお断りして於きまんねん。

そやから今日は、これくらいにしときまんねん。

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 Kelly & ○○○大先生

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Kellyさんと○○○大先生は、
このブログを書いている○○○の、
心(靈)の二面性であり、
同一人物で有る事を、
お断りしておきます。

出版の告知

四冊目&五冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈4〉
智性無き心は
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太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈5〉
智性無き心は
アセンションを見誤る

 この二冊は、同時発売です。
太陽凝視を行っている鍼灸師の話 <4> 智性無き心は 悪を容認する & 太陽凝視を行っている鍼灸師の話 <5> 智性無き心は アセンションを見誤る サムネイル
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太陽凝視を行っている鍼灸師の話
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目上(めうえ)と目下(めした)


神格化のプロセス 目上と目下 縮小版 ブログ用
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発売中の二冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈2〉

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日足(ひたり)と砌(みぎり)


サムネイル太陽凝視を行っている鍼灸師の話〈2〉ローム太霊の教え 日足(ひたり)と砌(みぎり) 
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“日月神示” 夜明けの巻 (26)
“日月神示” 雨の巻 (18)
“日月神示” 風の巻 (15)
“日月神示” 岩の巻 (11)
“日月神示” 荒の巻 (27)
“日月神示” 地震の巻 (93)
☆ Kellyさん的“ローム太霊講話集”解釈 (174)
☆ 紫光会経文の文言 Kellyさん的解釈 (18)
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2005年10月1日~2008年1月15日まで、
“Kellyさんとの会話”で、説明して来た事・・・
その内容・・・それは・・・その何年も前から、
何か自分の考えをある程度公表しなければならない・・・
そう言う通信を受け・・・その理由は・・・地球人が低い心(靈)の発現しかしていない・・・
それを自覚していない人が多い。
その事由来の太陽凝視に対する認識、
(太陽凝視=不食・・・としか、認識させない存在の思惑を、受信している事)
霊的成長に対する認識、
神に対する認識、
心=靈に対する認識、
オーラに対する認識、
そして、
高い認識の上での進化の意味と幸福の概念と神の概念・・・
進化=霊的成長=神格化=(相対的に)高い認識を獲得する事・・・
霊的成長=神に近づく事=真の幸福の意味。
霊的成長度は1番目のオーラに顕れる。
よって、宇宙的プログラムにより次の段階に移行する人(日止、霊止)は、 何を考えるべきなのか・・・
そして、人(日止、霊止)の進化を阻む存在の思惑、
その心=靈の動き、それらの意図・・・それが一般に認知されていない事。
それらを伝えなければ成らない・・・そして一応・・・完結はしたのですが・・・
解り難い・・・理解しがたい・・・具体例を示して欲しい・・・そう言う感想も頂き、
そして自分なりにも説明が足らなかった事・・・
更に、
“Kellyさんとの会話”が完結してからも通信を受けている事・・・そう云う事もあり・・・
よって、このブログを立ち上げる事としました。
従って、
“Kellyさんとの会話”が、
自分の意見を述べる上での、ローム太霊の言葉、
“右往左往”(“いきり立つ心(奴と心)”で行動してから考える)・・・と、 するならば、 このブログはアタシ自身の、
“左往右往”(“思う、憂う”・・・体験を教訓として考え行動する)の、
作業になって行くと思います。



自分達の欲望を満たしたい… 
自分だけ幸福になりたい…
こういった進化程度の低い心(靈)の発現由来の思いが、
低い幸福の概念になり(目下(めした)の思い)
その結果が、飢餓貧困、戦争の原因になったりしています。
(子供の浮游霊の霊的干渉の影響を受け、 それがどんどん増して行く事等が、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)
の思惑だと 思えます)

恨みの連鎖による霊的干渉を増やさない為、
その解消の為にも、(この趣旨に反する類の物もありますが) クリックをお願いします。
クリックした人に、お金の負担はありません。 ↓↓




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