“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話

太陽凝視を一生涯の“行”とし(現在、44年目)、実践し、その上で獲得した認識を述べています。

“日月神示”地つ巻 第十八帖 Kellyさん的解釈



 今回も、地つ巻 第十八帖を解釈しまんねん。 原文は以下の通り。

われよしの政治ではならんぞ、今の政治経済はわれよしであるぞ。
臣民のソロバンで政治や経済してはならんぞ、神の光のやり方でないと治まらんぞ、
与へる政治がまことの政治ぞよ、臣民いさむ政治とは上下まつろひ合はす政治のことぞ、日の光あるときは、いくら曇っても闇ではないぞ、いくら曇っても悪が妨げても昼は昼ぞ、いくらあかりつけても夜は夜ぞ、
神のやり方は日の光と申して、くどう気つけてあらうがな。
政治ぞ、これは経済ぞと分けることは、まつりごとではないぞ。神の臣民、魂と肉体の別ないと申してあること分らぬか、神のやり方は人の身魂(からたま)人のはたらき見れは直ぐ分るでないか。
腹にチャンと神鎮まって居れば何事も箱さした様に動くのざぞ、いくら頭がえらいと申して胃袋は頭のいふ通りには動かんぞ、この道理分りたか、
ぢゃと申して味噌も糞も一つにしてはならんのざぞ。
神の政治はやさしい六ヶしいやり方ぞ、高きから低きに流れる水のやり方ぞ。
神の印(しるし)つけた悪来るぞ。悪の顔した神あるぞ。
飛行機も船も臣民もみな同じぞ。足元に気つけて呉れよ、向ふの国はちっとも急いでは居らぬのぞ、
自分で目的達せねば子の代、子で出来ねば孫の代と、気長くかかりてゐるのざぞ、
神の国の今の臣民、気が短いから、しくじるのざぞ。
しびれ切らすと立ち上がれんぞ、急いではならんぞ、急がねばならんぞ。
神の申すこと取り違ひせぬ様にして呉れよ。
よくこの神示(ふで)よんで呉れよ、元の二八基(じゃき)光理(こり)てわいて出た現空(あく)の種は二八基(じゃき)と大老智(おろち)と世通足(よつあし)となって、二八基には仁本の角、大老智は八ツ頭、八ツ尾、四通足(よつあし)は金母であるから気つけておくぞ。
世通足はお実名に通(つ)いて分けてゐるから、守護神どの、臣民どの、だまされぬ様に致して下されよ。
九月二十三日、あのひつ九のか三。


 冒頭の文にあえて解釈はいらへん。

“われよしの政治ではならんぞ、今の政治経済はわれよしであるぞ。”

 これはいうまでもなく“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の心(靈)の動きを指摘しており、次の文も自己奉仕者=自我の肥大では、ダメな“創造”なのだって言っているし、ダメな“創造”に対し、神の思惑の顕現した事象は、天意を受信できる“日止、霊止”でなければならないことを言っているのが次の文でもある。

“臣民のソロバンで政治や経済してはならんぞ、神の光のやり方でないと治まらんぞ、
与へる政治がまことの政治ぞよ、臣民いさむ政治とは上下まつろひ合はす政治のことぞ、日の光あるときは、いくら曇っても闇ではないぞ、いくら曇っても悪が妨げても昼は昼ぞ、いくらあかりつけても夜は夜ぞ、
神のやり方は日の光と申して、くどう気つけてあらうがな。”

 この文の“神のやり方は日の光”、それは“上”の思惑=“上”からの荷電粒子を、自らの肉体の磁性により止め、そして溜めて(肉体が持つコンデンサーの性質)自分の心として発振、発信する。
それが“畐”でもあり、息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)でもあり、発信された自分の心(靈)の動きそのものがオーラでもある。
そして今まで解釈してきた天意を受信して自分の思想にする人、それは“日月神示”では“天詞様”って表現がなされている。
それを指し示す言葉が“臣民いさむ政治とは上下まつろひ合はす政治のこと”で、言うまでもなく今後=アセンション後の事象は“上下まつろひ合はす”=“上”の思惑を自分の思想にして(“日止、霊止”)、そして事象の“創造”=行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)をする。 そうなっていくのが現時点の地球人よりも進化(霊的成長、神格化に向かうこと)した人(日止、霊止)であると言いうる。
 だからこの文の“臣民のソロバンで政治や経済してはならん”は、金の亡者、金の奴隷、金さえ得られれば幸せであるとかの価値観、そんな心(靈)の動きを持っている(霊的進化程度の低い)自己奉仕者に言われていることでしかない。
 そしてそれはちゃんと“上”は観ているという意味で“日の光あるときは、いくら曇っても闇ではないぞ、いくら曇っても悪が妨げても昼は昼ぞ”って言われている。
そして、冒頭の文の“神のやり方は日の光”、これに対し“いくらあかりつけても夜は夜ぞ”は、自己奉仕者の人がいくら巧みな言葉で目先の幸福感を強調したとしても、あるいは、経済の繁栄が幸福だって強調しても、これらのことをこの文では“いくらあかりつけても”って称されており、そやからそんなものは神さんの思惑ではないって言い方でもある。
 そして何回もくどいほど言うてきているけど、物欲と(通貨としての)金、目先の快楽、そんなものがすばらしいと思っている人間、それは、S会=紫光会で引用された霊的成長の段階を示す、三蔵法師、孫悟空、砂(沙)悟浄、そして一番程度が低い心(靈)の段階を、八戒(低い欲望に対する八つの戒め)。
 そやから、今、活躍している人の大多数は、八戒の心(靈)の動きにほんの少し知恵が加わって(知恵や知識、学問を追求し始める段階が砂(沙)悟浄、このことについては、ローム太霊との出会い に書いてあります)、その知恵を利用して人を欺くとか騙すとか嘘をつくとか奪うとかに使い、結果として自分だけの利益とする。
 そんな人はいくら口で巧い(うまい、たくみ)こと言うたとしても、“与へる政治がまことの政治”なんてことにはなっていない。(ほんでから与えると返ってくるって言うのんは、前のブログから何回も言うてきたことなんやけど、最近、まるでそれをパクったような本も発売されている。 そやけどそれは、本当の意味での正当な報酬=因果応報、ブーメランの法則、“曲霊(まがつひ)”を知らんようで、ただ人を引き付ける甘いことだけ書いてある。 恨みの連鎖の霊的干渉も、自分に降りかかる因縁も、すべての不幸や災厄、これらは自分たちの心(靈)の動きによるものであることを知らへん) 
そしてそれは、この間からアップしている農業好きの社長婦人、K地M美はんとKellyさんとが話しているローム太霊講話集の中の言葉“世間には真心(まごころ)がなくただ巧言を持って人を籠絡している者も沢山いる”に相当するものでもある。

そして次の文も、自己奉仕者の心(靈)の動きを指摘している。

“政治ぞ、これは経済ぞと分けることは、まつりごとではないぞ。神の臣民、魂と肉体の別ないと申してあること分らぬか、神のやり方は人の身魂(からたま)人のはたらき見れは直ぐ分るでないか。
腹にチャンと神鎮まって居れば何事も箱さした様に動くのざぞ、いくら頭がえらいと申して胃袋は頭のいふ通りには動かんぞ、この道理分りたか、
ぢゃと申して味噌も糞も一つにしてはならんのざぞ。”

 自分たちにとって良いことだろうが不幸なことだろうが、それらすべて自分たちの霊的成長のための事象であり、だからこそこの文では“政治ぞ、これは経済ぞと分けることは、まつりごとではない”って言われており、さっき述べたとおりすべての事象は自分たちの進化のためであるという意味の言い回しが“まつりごと”であり、この意味は“上”との感応共振でしかない。
そやから進化程度の低い心(靈)は今、自己奉仕者で、それは物欲と(通貨としての)金に対する執着と、八戒(低い欲望に対する八つの戒め)=本能由来の欲望(飲む(酒)うつ(賭博)買う(性的なこと)、それが中心の心(靈)でもあるし、またそれはチャクラの発達の段階でいえば、ムラダーラチャクラ、スワディスターナチャクラ、マニピューラチャクラまでである。 またその段階では、自我の肥大って事が起きる。 そして自我の肥大した人の事象の“創造”は、低い砌(みぎり)の“行”であり、ローム太霊の言葉の右往左往でもある。
 だからそれは“上”との感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)が無く、三毒、貪、瞋、痴(とん、しん、ち、)の心(靈)由来の低い霊的存在と感応共振する。
だから人(日止、霊止)が今より相対的に“上”と感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)すると、すべての事象の“観察と認識”は、自分たちの霊的成長のためであることが理解できるからこそ、“神の臣民、魂と肉体の別ないと申してあること分らぬか、神のやり方は人の身魂(からたま)人のはたらき見れは直ぐ分るでないか。”と、そして“腹にチャンと神鎮まって居れば何事も箱さした様に動くのざぞ、いくら頭がえらいと申して胃袋は頭のいふ通りには動かんぞ、この道理分りたか、”ってことにもなるやろけど、現時点、平均的地球人の進化程度はこれが簡単に理解できる段階ではない。
そやからこの文の“いくら頭がえらい”っていうのんは、知恵をうまく使っていない=自己奉仕者の利益の追求のためにしか“力”(力、知恵、知識…学問…能力、そして霊能力を含む)を行使していないってこと。 そして、大体、この文で指摘されているとおり“神の臣民、魂と肉体の別ない”すら解らず、自分たちは生きている間だけが=肉体を持っている機関だけがすべてだっていう認識の人は圧倒的多数。 
そやから程度の低い心(靈)の人は、生きている間だけがすべてって前提で物事を考えるから、今、自分が楽しんで得をしなければ損だって発想をする。
だから“力”(力、知恵、知識…学問…能力、そして霊能力を含む)を、自分の利益のためにしか使わないものでもある。 
またこの文では、今、自己奉仕者の“創造”の極みであるけれど、それをよく観察しておくことは今後の自分たちの認識の拡大になる。 その意味でこの文では“ぢゃと申して味噌も糞も一つにしてはならん”っていわれていると思える。
そやから自己奉仕者としての“力”、知識と知恵、程度の低い心(靈)が政治と経済とを自分たちの都合よく使い分けていることであったとしても、それは、自分たちの心が観察しうる事象の一端でしかない。
もう一度いうけど、すべての事象は自分たちの認識の拡大のために“観察と認識”をする。 そして自分たちの霊的成長度が高ければ、物欲や(通貨としての)金、八戒(低い欲望に対する八つの戒め)に執着はしないものだけれども、低い霊的成長度の人はそれらがすべてみたいなものでもある。

そして次の文。

“神の政治はやさしい六ヶしいやり方ぞ、高きから低きに流れる水のやり方ぞ。
神の印(しるし)つけた悪来るぞ。悪の顔した神あるぞ。
飛行機も船も臣民もみな同じぞ。足元に気つけて呉れよ、向ふの国はちっとも急いでは居らぬのぞ、
自分で目的達せねば子の代、子で出来ねば孫の代と、気長くかかりてゐるのざぞ、
神の国の今の臣民、気が短いから、しくじるのざぞ。
しびれ切らすと立ち上がれんぞ、急いではならんぞ、急がねばならんぞ。”

 冒頭の“神の政治はやさしい六ヶしいやり方ぞ、高きから低きに流れる水のやり方ぞ。”
これは、“上”の思惑を取り込むことを言っている。 だけれどもそれは、自分たちの心(靈)の在り方と、霊的成長を目指す“行”=“身魂磨き”=(生体内電流による)肉体組織の結晶化が必要でもあるからこそ“六ヶしい”=むつかしいってことでもある。
 そして今、“役員づら”の人たちが活躍しているからこそ、本当のことが見出されないって言う意味で“神の印(しるし)つけた悪来るぞ。悪の顔した神あるぞ”って言われており、自分たちが何の苦労もしないで楽に生き、たとえばただ感謝だけ念じていれば自分たちは救われるとか幸福であるとかって謳っているのは、“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)の傀儡(かいらい、くぐつ、操り人形)であり、そんなことでは“身魂磨き”=(生体内電流による)肉体組織の結晶化にならん。
 “行”=“身魂磨き”は、自分が苦痛を感じなければ生体内電流の強化にはならん。 そして自分に対する“(“慈悲”と“慈愛”由来の)厳しさ”が無ければ、“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)との感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)は無い。
 そやから自分に甘い(亜、魔、出ずる、泉。愛(炁)の間に魔が入った状態を指す)人は、目先の困難を試練と思わず、こんな風に思うのやろな=“悪の顔した神ある”。
 ほんでから、人は連綿と続き、いつか神格化するものであり、その進化過程が低いから今いろんなことが起きているし、それは霊的成長度において分ける作業としてのアセンションに伴う事象でもある。
そやからその意味で“自分で目的達せねば子の代、子で出来ねば孫の代と、気長くかかりてゐるのざぞ、神の国の今の臣民、気が短いから、しくじるのざぞ。しびれ切らすと立ち上がれんぞ、急いではならんぞ、急がねばならんぞ。”って言われているけれど、低いものは低いし、そやからそれは間に合わんけど、いつか神格化するっていう意味のことでもある。
 ほんでから次の文。

“神の申すこと取り違ひせぬ様にして呉れよ。
よくこの神示(ふで)よんで呉れよ、元の二八基(じゃき)光理(こり)てわいて出た現空(あく)の種は二八基(じゃき)と大老智(おろち)と世通足(よつあし)となって、二八基には仁本の角、大老智は八ツ頭、八ツ尾、四通足(よつあし)は金母であるから気つけておくぞ。
世通足はお実名に通(つ)いて分けてゐるから、守護神どの、臣民どの、だまされぬ様に致して下されよ。”

 この文の“元の二八基(じゃき)”、これは、“元”は、肉体=“二”と、時間の進行と進化を指し示す儿部(じんぶ、にんにょう)。
“八”は、“富士(二二)”と同義、それは、肉体の二つの磁性、日足(ひたり)と砌(みぎり)、ヨガで言えばイダとピンガラ、太陽の気道と月の気道。
“基”は、そのままの意味。
“光理(こり)”は、“光”は“上”からの荷電粒子の可視光線の範囲。 “日止、霊止”って言う表記の日の光のこと。 
“理”は、“理(ミチ)”、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の法則性。
“現空(あく)”は、現津(あきつ)、観察され得る事象、事象を“空”と称されている。
“大老智(おろち)”の“大”は、自省(胸の磁性“十”)+人(日止、霊止)、儿部(じんぶ、にんにょう)(時間の進行と進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の意味)。
“老”は、土(肉体)と左が重なった表記、肉体を持った人(日止、霊止)が老いて“上”の思惑を理解できるようになった様。
“智”は、智慧(日を知る事=智性の恵み=慧)の智。
“世通足(よつあし)”の“世”は、現津(あきつ)、観察され得る事象。 “通”と“足”は、時間の進行のことやろから、自分の心が顕現することってことやろ。
そやからこの文は、肉体を持った人(日止、霊止)が進化していくのは、ウエの思惑を取り込んで成長していく意味での“元の二八基(じゃき)光理(こり)”って事なんやけど、そこには程度の低い“創造”から始まるからこそ“空(あく)の種”って事に無り、それは最初は失敗であり、だから自省(胸の磁性“十”)して左往右往して“大老智(おろち)”になり、それは智慧(日を知る事=智性の恵み=慧)を知ったって事でもある。
ほんでから“二八基には仁本の角”の“仁”と“本”は、生き方としての“仁”であり、“本”は、本津宮の本、自分の在るべき姿、神の子として在るべき姿。
“大老智は八ツ頭、八ツ尾”って言うのは、八戒(低い欲望に対する八つの戒め)にかかることとしてとしか考えられん。 そやから八戒を戒める心(靈)は、“八ツ頭”であり、祖やけど欲望がないとこの世界の“創造”はできないから“八ツ尾”であり、この“尾”は、腹の磁性を示す表記の“江戸と尾張”と同義だと思える。
 “四通足(よつあし)は金母である”は、“四”は“善言(よごと)”=“善(神格化の方向性と智性の受信)”の発振、発信の意味、“通”“足“葉さっき解釈したとおり。
そやからこの言葉の“金母”は、(通貨としての)金のことではなく、“力(ちから)の根(ね)”=肉体内の鉄分子、“カネ”の言霊であると思える。
 そやからそれは、人間は四足獣から直立して、手を使うようになってきた。 それに伴い目上(めうえ)の脳が進化してきた。 それは人(日止、霊止)の進化過程、智性(神性)の獲得と行使でもあるし、手を使うことそのものがアナハタチャクラの覚醒の初期でもある。 だから人間は自省(胸の磁性“十”)の心を持つようにもなった。
 それは進化の道筋=“日月神示”表記なら“道理”であり、その意味は“道”(時間の進行)“理(ミチ)”(法則性)でもある。
 そしてこの文の最後の“世通足はお実名に通(つ)いて分けてゐる”は、“世”は現津(あきつ)、観察され得る事象をさすってさっき解釈したとおり。
 そやから今説明した霊的成長を示す表記の“四通足(よつあし)は金母である”とは違うっていうことでもある。
 そやからそれは、地つ巻 第一帖の表記の“実言(みこと)”の“実”を使っての言い回しが“世通足はお実名に通(つ)いて分けてゐる”って事でもあり、人(日止、霊止)の存在意義、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の法則性、今、騙されて雰囲気に酔っ払っているだけの人が多いから、本当のことを見出せよっていう意味で“守護神どの、臣民どの、だまされぬ様に致して下されよ。”って言われている。
 そやからそれは形骸の宗教、そして似非スピリチュアルや、薄っぺらい感謝を売り物にするとか、尊い偉業をなしえた霊能力者を利用して、ただ引用しただけの人とか、それらすべて自己奉仕者であり、“役員づら”(形骸の宗教や、アセンションや霊的成長に対し、甘い夢を見させ偽の情報を流すたぐいの人たち…それは悪魔の傀儡(かいらい、くぐつ)でしかないってことでんねん。

 今回はこれくらいにしときまんねん。

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 Kelly & ○○○大先生

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太陽凝視を行っている鍼灸師の話
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神格化のプロセス 目上と目下 縮小版 ブログ用
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2005年10月1日~2008年1月15日まで、
“Kellyさんとの会話”で、説明して来た事・・・
その内容・・・それは・・・その何年も前から、
何か自分の考えをある程度公表しなければならない・・・
そう言う通信を受け・・・その理由は・・・地球人が低い心(靈)の発現しかしていない・・・
それを自覚していない人が多い。
その事由来の太陽凝視に対する認識、
(太陽凝視=不食・・・としか、認識させない存在の思惑を、受信している事)
霊的成長に対する認識、
神に対する認識、
心=靈に対する認識、
オーラに対する認識、
そして、
高い認識の上での進化の意味と幸福の概念と神の概念・・・
進化=霊的成長=神格化=(相対的に)高い認識を獲得する事・・・
霊的成長=神に近づく事=真の幸福の意味。
霊的成長度は1番目のオーラに顕れる。
よって、宇宙的プログラムにより次の段階に移行する人(日止、霊止)は、 何を考えるべきなのか・・・
そして、人(日止、霊止)の進化を阻む存在の思惑、
その心=靈の動き、それらの意図・・・それが一般に認知されていない事。
それらを伝えなければ成らない・・・そして一応・・・完結はしたのですが・・・
解り難い・・・理解しがたい・・・具体例を示して欲しい・・・そう言う感想も頂き、
そして自分なりにも説明が足らなかった事・・・
更に、
“Kellyさんとの会話”が完結してからも通信を受けている事・・・そう云う事もあり・・・
よって、このブログを立ち上げる事としました。
従って、
“Kellyさんとの会話”が、
自分の意見を述べる上での、ローム太霊の言葉、
“右往左往”(“いきり立つ心(奴と心)”で行動してから考える)・・・と、 するならば、 このブログはアタシ自身の、
“左往右往”(“思う、憂う”・・・体験を教訓として考え行動する)の、
作業になって行くと思います。


太陽凝視を行っている鍼灸師の話 “総括編”
太陽凝視を行っている鍼灸師の話 “改”
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自分達の欲望を満たしたい… 
自分だけ幸福になりたい…
こういった進化程度の低い心(靈)の発現由来の思いが、
低い幸福の概念になり(目下(めした)の思い)
その結果が、飢餓貧困、戦争の原因になったりしています。
(子供の浮游霊の霊的干渉の影響を受け、 それがどんどん増して行く事等が、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)
の思惑だと 思えます)

恨みの連鎖による霊的干渉を増やさない為、
その解消の為にも、(この趣旨に反する類の物もありますが) クリックをお願いします。
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