“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話

太陽凝視を一生涯の“行”とし(現在、44年目)、実践し、その上で獲得した認識を述べています。

“日月神示” 地つ巻 第二十二帖 Kellyさん的解釈


 今回も、地つ巻 第二十二帖を解釈しまんねん。 原文は以下の通り。

われが助かろと思ふたら助からぬのざぞ、その心われよしざぞ。
身魂みがけた人から救ふてやるのざぞ、神うつるのざぞ、
ローレンツ力と ○のうつりた人と
ローレンツ力を持っていない霊=○、荷電粒子の場(フィールド) のかかりた人との大戦ぞ、
ローレンツ力ローレンツ力を持っていない霊=○、荷電粒子の場(フィールド)とが戦して、やがては ローレンツ力を中にして ローレンツ力を持っていない霊=○、荷電粒子の場(フィールド)がおさまるのぞ。
その時は ローレンツ力を持っていない霊=○、荷電粒子の場(フィールド)でなく、 ローレンツ力ローレンツ力でないのざぞ、
ローレンツ力と ○
となるのざぞ、 と ローレンツ力を持っていない霊=○、荷電粒子の場(フィールド)のまつりぞと申してあらうがな。
どちらの国も潰れるところまでになるのぞ、臣民同士は、もう戦かなはんと申しても、この仕組成就するまでは、神が戦はやめさせんから、神がやめる訳に行かんから、
今やめたらまだまだわるくなるのぞ、 ローレンツ力を持っていない霊=○、荷電粒子の場(フィールド)の世となるのぞ、 ローレンツ力を持っていない霊=○、荷電粒子の場(フィールド)の世界となるのぞ。
今の臣民九分通り ローレンツ力を持っていない霊=○、荷電粒子の場(フィールド)になりてゐるぞ、
早う戦すませて呉れと申してゐるが、今 夜明けたら、臣民九分通りなくなるのざぞ
お洗濯第一ざぞ。
九月の二十六日、ひつ九のか三。

 ここまで地つ巻を読み解いて思うのは、地つ巻は、“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の心(靈)の動きを指摘している文が多い。 冒頭の文も、同様でんねん。

“われが助かろと思ふたら助からぬのざぞ、その心われよしざぞ。”
 
 いうまでもなく、今後=アセンション後の醜い事象に際し、自分だけ命が助かりたいとかの発想をする人は多い。 それは、たとえば某国の核シェルターとか、日本でも、とあるカルト教団が日本が水没すると思い、標高の高い土地ばかり買いあさっていた時期があった。
そしてこれは○○○大先生の本の読者から教えてもらったことやけど、某教団の教祖とその教団の地位の高い人だけ助かるための施設を作るから、教団員からいろんな名目で金を集めているって話も聞いた。 アホでんねん。
そやからこれらは、アセンションは霊的成長度において分けられるっていう認識がなく、ただ物理的に戦争や災厄から逃れれば次の段階に移行できるっていう安易な発想でしかない。
何回も言うてきているけど、アセンションは“創造”の“主(ヌシ)”の計画で、今後の事象を良いカタチにするためのものであり、その事象の“創造”に参加でき得る資格は、霊的成長度、“一”=智性=1番目のオーラ、自省(胸の磁性“十”)の“行”が出来た人=左往右往した人でなければならない。 
仮に“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”が次の世界の創造に参加したなら、今と同様の世界になるし、今の世界が腐っているからこそ、アセンションという事象で人を分けるって事が起きる。
そやから自分たちだけエエ目を見たいなんて人は、今活躍してて、この世界を腐らせたの焼けど、それが神の思惑なのかって事でもあるけれど、霊的成長度の低い人にはそのことが理解できない。
…まあエエわ。

 次の文。

“身魂みがけた人から救ふてやるのざぞ、神うつるのざぞ、
ローレンツ力と ○のうつりた人と ローレンツ力を持っていない霊=○、荷電粒子の場(フィールド)のかかりた人との大戦ぞ、
ローレンツ力ローレンツ力を持っていない霊=○、荷電粒子の場(フィールド)とが戦して、やがては ローレンツ力を中にして ローレンツ力を持っていない霊=○、荷電粒子の場(フィールド)がおさまるのぞ。
その時は ローレンツ力を持っていない霊=○、荷電粒子の場(フィールド)でなく、ローレンツ力ローレンツ力でないのざぞ、 ローレンツ力と ○となるのざぞ、 ローレンツ力ローレンツ力を持っていない霊=○、荷電粒子の場(フィールド)のまつりぞと申してあらうがな。”

 この文も、

上つ巻 第三十二帖 

下つ巻 第九帖

下つ巻 第二十一帖

地つ巻 第十二帖 


と同様に、ローレンツ力を持っていない霊=○、荷電粒子の場(フィールド) =霊=○、荷電粒子の場(フィールド)という解釈と、 ローレンツ力=肉体が持つ縦の磁束によるローレンツ力っていう解釈が出来ないと読み解けない。
 脊椎動物の進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の仕組みは、|(たてぼう、こん、縦の磁性))、背骨の発現、そして背骨と神経が電磁石の構造を持ち、“上”から注がれる荷電粒子をローレンツ力で取り込み、下等生物から人に進化していく過程で、たんぱく質の高分子化、それと灰分(かいぶん)(Ca(カルシウム)P(リン)Mg(マグネシウム)K(カリウム) Al(アルミニウム)Fe(鉄)Zn(亜鉛)Si(珪素)Na(ナトリウム))を取り込み、一個体の電気特性は変容し、さらにさまざまな臓器の発現と発達や、手を使い出したことや、目上(めうえ)と目下(めした)の脳の違いが見られるようになり、さらに大脳は右脳と左脳に別れ、これらすべて心の発現にかかわるものでもある。
 そして本能から発現した心(靈)は、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)過程において智性と、自省(胸の磁性“十”)の心を持つようになった。
 要は“下”から“上”の心(靈)の発現が進化(霊的成長、神格化に向かうこと)であるし、先に述べたとおり進化には、 ローレンツ力を持っていない霊=○、荷電粒子の場(フィールド)=霊=○、荷電粒子の場(フィールド)と、 ローレンツ力=肉体が持つ縦の磁束によるローレンツ力がかかわっている。
 ほんでからこの文を読み解くには、地つ巻 第十二帖で解釈したことが分かりやすいと思うから、以下にコピペしときまんねん。

“そしてこの文では“ ローレンツ力を持っていない霊=○、荷電粒子の場(フィールド)を掃除して居らぬと ローレンツ力はいらん”っていわれていて、それは自分の心=霊=○、荷電粒子の場(フィールド)の在り方を指摘しているのであって、それが“日月神示”表記の“身魂掃除”“身魂洗濯”でもあり、自分の心(靈)の“上”と“下”、言い換えれば“目上(めうえ)と目下(めした)”の心(靈)の動きを自己観察(“観自在” “直日”自省(胸の磁性“十”)の“行”)しなければ、“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)は通信を送れないって事でもある。

その意味で次の文。

“まつりとは調和(まつり)合はすことと申してあろうがな、
この道は教でないと云ふてあらうが、教会やほかの集ひでないと申してあらうがな、
人集めて呉れるなと申してあらうがな。”
 
 この文の表記の“調和(まつり)”は、“上”の思惑を取り込んで事象の創造をしたならばっていう意味合いのことであり、“上”は、“創造”の“主(ヌシ)”は、人(日止、霊止)に良いカタチの事象の“創造”を望んでいるからこそ、“日月神示”では“うれしうれし”“大歓喜”と感じ(感じる磁性)られる事象になるっていわれている。“まつり”については、画像を貼っておきまんねん。
“祭り”と“祀り”の解字と意味の違い

 そして“調和(まつり)”は、“上”の憑依と、“上”の通信を受け自分の思想にすることありきの表記であり、それは逆を考えると分かりやすいけど、“下”(人の霊的成長を望んでいない存在)の通信を受けている人は“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”であり、“下”(人の霊的成長を望んでいない存在)の心(靈)の動きは三毒、貪、瞋、痴(とん、しん、ち、)でもあるからこそ、目先の欲望と金銭欲と形骸の名誉と…etc. そんなものばかりに自分の心(靈)は支配され、それさえ自分で気がつかないのが“身魂掃除”“身魂洗濯”できていない心(靈)でもある。
 だからそんな人が“上”からの通信を受け作られた価値のある何かを知れば、ただ自分の利益のためにしか利用しない。
 それが“役員づら”(形骸の宗教や、アセンションや霊的成長に対し、甘い夢を見させ偽の情報を流すたぐいの人たち…それは悪魔の傀儡(かいらい、くぐつ))でもある。
 だからこそこの文で“この道は教でないと云ふてあらうが、教会やほかの集ひでないと申してあらうがな、人集めて呉れるなと申してあらうがな。”って言われており、この内容のことはこれまでの“日月神示”解釈の中でも何回も言われている。
 またこれは、霊的成長はきわめて個人的な作業であることも示唆している。”

  引用終わり。
そやから今述べたことを念頭に置き、この文を解釈すれば、まず“身魂みがけた人から救ふてやるのざぞ、神うつるのざぞ、”の“身魂みがけた人”は、“身魂磨き”=(生体内電流による)肉体組織の結晶化が出来ている人には、“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)が憑依できる=“神うつる”。 
そやから“身魂磨き”=(生体内電流による)肉体組織の結晶化、これが無いと高い存在は通信を送れない。 
だからそれは、なぜ“行”するのかの根拠でもある。 ほんでからこのことは、決して今の形骸の宗教の“行”ごっこではない。 
そして“行”に対し、自分の肉体のどの部分の組織が結晶化すると、“上”がかかれるのか、この分析もとても重要であり、それについても地つ巻 第十二帖で述べたから、以下にコピペしときまんねん。

““日月神示”で謳われている“身魂磨き”は、“行”と“修行”による生体内電流の強化であり、その結果が肉体組織の結晶化であり(たんぱく質の高分子化でもあり)、またそれは、“石”(帯電するミネラル)の結晶化でもあり、とくにそれは頭と背骨と尾骨で構成された縦の磁束の強化になりえるから、ローレンツ力の強化になる。
そうなれば、“上”からの荷電粒子=普遍的に実在する創造主のオーラ(宇宙背景放射)との反応は、違ってくるし、同時に感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)する霊的存在も、肉体の結晶化に応じてだんだん違ってくる。
またそうならねば、自分の思想は“上”の思惑を取り込んだものになりえない。
そして人(日止、霊止)が肉体を持って進化する意義は、3番目のオーラの拡大から2番目のオーラに変換され、また2番目のオーラが“一”=智性=1番目のオーラに高振動化する。 それは肉体の“下”のエネルギーを“上”に変換する作業でもあり、なぜそうなるのかは、肉体が縦に三つ並んだ内容物の違うコンデンサーの構造を持っているからでもある。 
そのコンデンサーは、腹→胸→頭であり、それぞれの肉体の部分々々の強化が、縦の磁束の強化につながり、だから肉体のどの部分の強化=どんな種類の“行”をするのかによって、肉体各部分にあるチャクラ(荷電粒子の回転を示す)の強化にもなるし、それが“行”の意義である。
また多くの宗教が伝えている“行”は、いろいろあるけれど、それぞれの“行”が肉体のどの部分の強化になるのかを考えれば、それによる“上”との感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)が理解できる。
たとえば断食は、腹中心の“行”であり、滝行は、全身の筋肉の強化中心であり、当然断食や滝行を行う場(フィールド)に存在する比較的高い霊的存在との感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)もあるけれど、肉体の強化としては、大体、ムラダーラチャクラ、スワディスターナチャクラ、マニピューラチャクラの強化になる。
また下三つのチャクラと、その心(靈)の発現のことを“日月神示”では“江戸と尾張”、“渦うみ、水の仕組み=水極(みぎり)”、あるいは“ふんどししめて”って表記になっていると思われる。
(“日月神示”にたびたび出てくる表記の“ふんどし”は、腹に巻く部分が荷電粒子の回転を示し、帯の部分がへそから下の縦の磁束を示すから、ムラダーラチャクラ、スワディスターナチャクラのことだと思える)
しかし“上”のチャクラを強化するためには、“下”のチャクラの強化がなければ、“一”=智性=1番目のオーラが大きくなるためには必要。 
だから、進化の順番を考え、“上”の存在はいきなり太陽凝視を人に教えなかったのだと確信する。
それは地球人の霊的進化程度に応じて、さまざまな“行”が示されてきたとも言いうるし、今、アセンションに向けて少しでも次の段階に移行させるべき“上”の思惑が、黒住教を通じて朝日の日拝(にっぱい)(太陽凝視の入門、初心者向け)を教え、そしてその後、人(日止、霊止)に垂れられた“日月神示”では、“ひつく”“日津久”、太陽凝視を“行”として行うことを教えたと思われる。
よって肉体組織の結晶化は、ひとことで言えば“身魂磨き”ではあるけれど、どの部分の強化=結晶化なのかを知るべきであり、それは分かりやすいから今までヨガのチャクラを引用してきたし、チャクラそのものが車輪とか回転とかの意味を持つことが、肉体の持つ縦の磁束、頭から背骨、尾骨にいたる電磁石によるローレンツ力で、“上”との荷電粒子=普遍的に実在する創造主のオーラ(宇宙背景放射)との感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)をして、自分の心(靈)は発現するものである。”

 引用終わり。
そやから“行”して“身魂磨き”=(生体内電流による)肉体組織の結晶化してないと、“上”は憑依できないし、“上”がかかることが、祀り、祭り、政(まつりごと)でもある。
さらに“上”がかかり、“上”と思想を共有する人が“日月神示”表記の“天詞様”でもある。
その意味で次の文。

ローレンツ力と ○のうつりた人とローレンツ力を持っていない霊=○、荷電粒子の場(フィールド) のかかりた人との大戦ぞ、
ローレンツ力ローレンツ力を持っていない霊=○、荷電粒子の場(フィールド)とが戦して、やがてはローレンツ力 を中にしてローレンツ力を持っていない霊=○、荷電粒子の場(フィールド) がおさまるのぞ。
その時は ローレンツ力を持っていない霊=○、荷電粒子の場(フィールド)でなく、 ローレンツ力ローレンツ力でないのざぞ、 ローレンツ力と ○となるのざぞ、 ローレンツ力ローレンツ力を持っていない霊=○、荷電粒子の場(フィールド)のまつりぞと申してあらうがな。”

この文の“ ローレンツ力と ○のうつりた人と ローレンツ力を持っていない霊=○、荷電粒子の場(フィールド)のかかりた人との大戦”は、“ ローレンツ力と ○のうつりた人”は、“上”の思惑を取り込める肉体と心(靈)を“行”によって獲得できた人=“天詞様”であり、“ ローレンツ力を持っていない霊=○、荷電粒子の場(フィールド)のかかりた人”は、今とても多い低い憑依現象でいろんなことをのたまわっている“役員づら”の人っていう意味もあるやろけど、もうひとつ深読みして思うのは、やはり自分の心の動きそのものであって、そやからそれは人の心には“上”と“下”があり、“上”がかかれる心の動き=息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)が、“ローレンツ力と ○ のうつりた人”で、それは自省(胸の磁性“十”)の心を持ち智性(“一”、1番目のオーラ)が発現できている人、あるいは自分の心を智性(神性)で制御でき得る人、それに対し“ ローレンツ力を持っていない霊=○、荷電粒子の場(フィールド)のかかりた人”は、自分の心の“下”の部分、それは本能、情動、功名心、自我間での心(靈)の動き=息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)に、感応共振する霊的存在は今とても多く、大半の人が自己奉仕者である原因でもあるけれど、それはまたなんかいも引用するけれど、春の巻の“世、迫って、霊かかりがウヨウヨ出ると申してある時来ているのぢゃ。悪かみかかりに迷ふでないぞ。”でもあるやろ。
そやから今いうた事を要約すれば、人の心の動き=息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)には、当然、本能、情動、功名心、自我、愛(炁)、創造、知恵、智慧、智性という振動があり、そやからそれは心(靈)の動きに“上”と“下”があり、“上”の心(靈)の発振、発信には、“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)との感応共振があり、“下”(低い心(靈))の心(靈)の発振、発信には、“下”(人の霊的成長を望んでいない存在)の感応共振がある。 また自分の心の“上”と“下”、それを自分で見極めることが“観自在”“直日”自省(胸の磁性“十”)の“行”でもあるけれど、それを示唆したと思えるのがこの文の中の“
ローレンツ力  と ローレンツ力を持っていない霊=○、荷電粒子の場(フィールド)とが戦して、やがては ローレンツ力 を中にして ローレンツ力を持っていない霊=○、荷電粒子の場(フィールド)がおさまるのぞ。”であると思え、“ ローレンツ力
ローレンツ力を持っていない霊=○、荷電粒子の場(フィールド) とが戦して”っていうのは、自分が“上”に向かう心の動きをしているのか“下”に向かう心(靈)の動きをしているのかってことだと思える。 そやから先ほど述べたように自分の心(靈)の動き=息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)に相応する霊的存在は感応共振する。
 自分が霊的成長して良いカタチになり、自分の心の高い部分で思惑を顕現するのが神の望むところだろうから、それには自分の息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)の“上”と“下”を見出していかねばならないって事を述べていると思える。
 それで今述べたことの意味がこの文の中の“その時は ローレンツ力を持っていない霊=○、荷電粒子の場(フィールド)でなく、 ローレンツ力ローレンツ力でないのざぞ、ローレンツ力と ○ となるのざぞ、 ローレンツ力ローレンツ力を持っていない霊=○、荷電粒子の場(フィールド)のまつりぞと申してあらうがな。”で、それは“上”に向かう心の元である ローレンツ力と、自分の心そのものの表記の ローレンツ力を持っていない霊=○、荷電粒子の場(フィールド)が、一体になったのが、 ローレンツ力と ○って表記であり、それは“上”との感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)であるからこそ“ ローレンツ力と のローレンツ力を持っていない霊=○、荷電粒子の場(フィールド)まつり”っていわれてると思う。

 ほんでから次の文、これも“国”の解釈を間違えると読み解けないと思う。

“どちらの国も潰れるところまでになるのぞ、臣民同士は、もう戦かなはんと申しても、この仕組成就するまでは、神が戦はやめさせんから、神がやめる訳に行かんから、
今やめたらまだまだわるくなるのぞ、 ローレンツ力を持っていない霊=○、荷電粒子の場(フィールド)の世となるのぞ、 ローレンツ力を持っていない霊=○、荷電粒子の場(フィールド)の世界となるのぞ。”

 この文の“国”は、(囗)くにがまえと“玉(ぎょく)”…“玉(ぎょく)”は自省(胸の磁性“十”)の心(靈)の動きを示すものであり、そやからこの文の“どちらの国も潰れるところまでになる”は、自分の内面、心の中の“上”と“下”、その葛藤をさしていると思え、そやからそれは“身魂掃除”“身魂洗濯”と同義でもある。
 そして自己観察により、自分の内在する悪を見出し、それが“身魂掃除”“身魂洗濯”でもあるけれど、それは“上”との感応共振に必須の条件でもあるからこそ、“臣民同士は、もう戦かなはんと申しても、この仕組成就するまでは、神が戦はやめさせんから、神がやめる訳に行かんから、今やめたらまだまだわるくなる”って言われてて、そやから今、“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の心(靈)の人が多すぎるから、こう言われていると思える。
 そしてこの文の最後の“ ローレンツ力を持っていない霊=○、荷電粒子の場(フィールド)の世となるのぞ、 ローレンツ力を持っていない霊=○、荷電粒子の場(フィールド)の世界となるのぞ”は、今後=アセンション後の事象は、自分の心の動きが顕現する世になるっていう意味。 その意味で“日月神示”では“半霊半物質”と言われ、それは、今の事象よりも思惑が早く顕現するってことでもあり、心の動きが現津(あきつ)、観察され得る事象に表面化するって事でもあるし、それが先生の概念の時空の結晶化でもある。
 その意味で次の文。

“今の臣民九分通り ローレンツ力を持っていない霊=○、荷電粒子の場(フィールド)になりてゐるぞ、
早う戦すませて呉れと申してゐるが、今 夜明けたら、臣民九分通りなくなるのざぞ
お洗濯第一ざぞ。”

 進化(霊的成長、神格化に向かうこと)っていうのは、心(靈)が育つことであり、“上”の心(靈)の発現でもあるし、そうなっていけば神の思惑を顕現して行くべき人(日止、霊止)になるけど、“今の臣民九分通り ローレンツ力を持っていない霊=○、荷電粒子の場(フィールド)になりてゐるぞ、早う戦すませて呉れと申してゐるが”っていうのは、まだ神の思惑を顕現するほどに成長はしていないってことであり、
そして“身魂掃除”“身魂洗濯”が出来ていないってことでもあり、だからこそ“今 夜明けたら、臣民九分通りなくなる”は、今後=アセンション後に移行できる人は少ないっていう意味であり、“夜明けたら”は、古事記の岩戸開きでもあり、その意味は“石”(帯電するミネラル)と“山”(脳の意味)で、“戸”(横隔膜)を開くってことでもあり、それが出来ていないし、その資質を持って欲しいからこそ“身魂掃除”“身魂洗濯”=“観自在”“直日”自省(胸の磁性“十”)の“行”の意味で“お洗濯第一ざぞ”って、あえて言われてると思える。

 今回はこれくらいにしときまんねん。

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 Kelly & ○○○大先生

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Kellyさんと○○○大先生は、
このブログを書いている○○○の、
心(靈)の二面性であり、
同一人物で有る事を、
お断りしておきます。

出版の告知

四冊目&五冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈4〉
智性無き心は
悪を容認する


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2010年 4月20日(火)ごろより、全国書店(紀伊國屋書店・三省堂書店・旭屋書店・ジュンク堂書店・ブックファースト・リブロ・丸善など)にて順次陳列。


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目上(めうえ)と目下(めした)


神格化のプロセス 目上と目下 縮小版 ブログ用
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太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈2〉

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日足(ひたり)と砌(みぎり)


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2005年10月1日~2008年1月15日まで、
“Kellyさんとの会話”で、説明して来た事・・・
その内容・・・それは・・・その何年も前から、
何か自分の考えをある程度公表しなければならない・・・
そう言う通信を受け・・・その理由は・・・地球人が低い心(靈)の発現しかしていない・・・
それを自覚していない人が多い。
その事由来の太陽凝視に対する認識、
(太陽凝視=不食・・・としか、認識させない存在の思惑を、受信している事)
霊的成長に対する認識、
神に対する認識、
心=靈に対する認識、
オーラに対する認識、
そして、
高い認識の上での進化の意味と幸福の概念と神の概念・・・
進化=霊的成長=神格化=(相対的に)高い認識を獲得する事・・・
霊的成長=神に近づく事=真の幸福の意味。
霊的成長度は1番目のオーラに顕れる。
よって、宇宙的プログラムにより次の段階に移行する人(日止、霊止)は、 何を考えるべきなのか・・・
そして、人(日止、霊止)の進化を阻む存在の思惑、
その心=靈の動き、それらの意図・・・それが一般に認知されていない事。
それらを伝えなければ成らない・・・そして一応・・・完結はしたのですが・・・
解り難い・・・理解しがたい・・・具体例を示して欲しい・・・そう言う感想も頂き、
そして自分なりにも説明が足らなかった事・・・
更に、
“Kellyさんとの会話”が完結してからも通信を受けている事・・・そう云う事もあり・・・
よって、このブログを立ち上げる事としました。
従って、
“Kellyさんとの会話”が、
自分の意見を述べる上での、ローム太霊の言葉、
“右往左往”(“いきり立つ心(奴と心)”で行動してから考える)・・・と、 するならば、 このブログはアタシ自身の、
“左往右往”(“思う、憂う”・・・体験を教訓として考え行動する)の、
作業になって行くと思います。


太陽凝視を行っている鍼灸師の話 “総括編”
太陽凝視を行っている鍼灸師の話 “改”
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写真部の○○○大先生のページ
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○○○大先生の水草水槽記録
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自分達の欲望を満たしたい… 
自分だけ幸福になりたい…
こういった進化程度の低い心(靈)の発現由来の思いが、
低い幸福の概念になり(目下(めした)の思い)
その結果が、飢餓貧困、戦争の原因になったりしています。
(子供の浮游霊の霊的干渉の影響を受け、 それがどんどん増して行く事等が、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)
の思惑だと 思えます)

恨みの連鎖による霊的干渉を増やさない為、
その解消の為にも、(この趣旨に反する類の物もありますが) クリックをお願いします。
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